022:上師に対する忠誠心及び恭敬心を強めて

1998年、当時まだ婚約中の妻の兄が病を患い、其れを助けるためと、彼女の養母を済度するために、友人の紹介を経て、連れたって民生道場へ上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しました。その折、私は口をきつく結び、黙ってぼんやりしていましたが、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが妻に和やかに諭した事を今でも覚えています。リンチェンドルジェ・リンポチェは妻に「少し晩婚したほうが良い!」「あなたは福が浅く、寿があまり無い。体質の関係で子を産む事が難しいかもしれない。片腕を脱臼し、胸の肋骨まで傷つけたことがある。体内にまだ鬱血がある。体に傷跡が有るだろう?」と問われました。妻は「はい。子供のころ流れ弾に右のあごから左の肩まで貫かれて、明らかな傷跡が残っています。」と答えました。リンチェンドルジェ・リンポチェは「この傷はあなたと竜がかつて非常に深い悪縁を結んだためで、常に布施をし、法会に参加すれば、助けになるだろう」と諭しました。その時、われわれ夫婦は、ただリンチェンドルジェ・リンポチェは初対面でこんなに色々な事を知って、すごいなと思っただけでした。愚鈍で無知な私は、皈依した後、初めてリンチェンドルジェ・リンポチェは本当にすごい事を知りました。

2001年結婚に臨んで、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く私達の夫婦のため縁起が良い日を選んでくれ、さらに私達に菜食料理の披露宴をするようにと言付けました。しかし、この二つの事柄で、私達は言付けに従わなかったです。菜食料理の披露宴に至っては、両親に話もしなかったです。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ家内を見つめて「あなたは少し苦労するよ。」と淡々と仰いました。息子は生まれたまで、私達は始めてリンチェンドルジェ・リンポチェが仰った「苦労するよ」の言葉が深く身にしみました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を済度する大悲願が一刻も止らない

息子は生まれながらの典型的な「親いじめっ子」で、私達夫婦は毎日仕事以外の時間は、ほとんど子供の世話に掛かりっきりでありました。子供は「アトピー性皮膚炎」に罹って全身が痒くてたまらず、ほとんど寝つくことができないため、薬を付けてあやしたり、抱いたりしても泣き止まず、大きな泣き声は、夜な夜な隣近所の睡眠を妨げ、私達も眠れず、輪迴の悪夢のように、尽きることが無かったです。

この間、熱心な兄弟子あるいは友人達が、常に親切に私達に色々な処方や薬品を提供してくれましたが、不思議なのは、他人が使って効き目があった方法を、そのまま息子が使っても効果は微々たる物で、甚だ残念ながら「何も変わらない」と言わざるを得なかったです。生後6ヶ月頃、息子の皮膚は依然として痒く、皮膚を掻き破り、血を流して膿が出、瘡蓋が出来た後、痒さに堪えられず、また掻いて血を流すことの繰り返しだったです。時たま夫婦2人は途方にくれて「初めからリンチェンドルジェ・リンポチェのお言葉におとなしく従い、二つの事をちゃんとやっていたら、この様な親いじめっ子を生むことも無かったろうに。」と思っていました。

リンチェンドルジェ・リンポチェは大知恵の慈悲心で因縁にある衆生のため、世間の悩みを解く。

10ヶ月に成って、我々夫婦は息子の病状が良くならない事から、息子を抱いて上師リンチェンドルジェ・リンポチェに加持をお願いしに行いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは息子を見ると、淡々と「不要管他、三歳会好。(ほっときなさい、三歳になれば良くなる)」という貴重な八字の真言を仰いました。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲深く、私達一家3人のために、「病気は3種類ある。ひとつは医者に診察してもらって、薬を飲めば治る病気だ。もう一つは現世重罪悪業をして得たものだ。最後の一つは重なる前世の悪業で生まれながらに持ってきた物だ。後の2種類は治せない。こんな小さな子供の皮膚が悪いとは、明らかにあなた達の家族は殺業が深く、あなた達夫婦はよく懺悔しなければならない。」と開示なされました。

その時、やっと思い起こしたのは、家内の実家が従来漁業で生計を立てていた事で、殺生の数の多さは言うまでもないです。そして、妻は子供のころから馬祖島の海岸で成長しているので、何気なく水中動物の衆生を傷つけていた。例えば、カキを叩いたり、貝の殻をほじくったり、カニを生で食べたり、マキガイを塩漬けにしたりする等。まずは煮て、更に針で刺して引きだす。これらの悪行は実に書き切れぬほど多いです。息子が皮膚から瘡蓋をかきとるのを見るにつけ、これこそ血には血で償いをするのだと思った。故に、私達夫婦は何度も息子を抱いてリンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求め、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた比類なき慈悲心で以って私達に加持し、ご自分の福報で、私達が受けるべき苦しみを取り替えて下さいました。

息子の皮膚炎は従来からリンチェンドルジェ・リンポチェが加持されたクリームに頼っていました。もしかすると驚くかもしれないが、三年此の方、私達夫妻は、リンチェンドルジェ・リンポチェの仰る因果の病気と言う事を信じざるを得なかったです。私の記憶では最初の2缶のクリームを小児の患部に塗ると、毎回海岸の生臭いにおいがしました。リンチェンドルジェ・リンポチェも息子の皮膚の傷は、魚肉を炒めた様子と似ていると仰いました。

蔡文榮の息子は酷いアトピー性皮膚炎に罹って、手、足の皮膚は赤い腫れ、出血更に潰爛

もう一つの事を覚えています。息子は下まぶたを引っ掻き過ぎて、皮膚だけではなく、深い傷をつけてしまいました。息子がリンチェンドルジェ・リンポチェの足元にひざまずくと、ご老人は息子の頬に向かって軽く息を吹きました。帰途、もともと傷があった下瞼は、意外にも平らかになって、傷が見えなくなっていました。

まさにリンチェンドルジェ・リンポチェが仰った通り、息子が3歳位になると、その皮膚は日に日に良くなっり、傷は出血して膿を流し、瘡蓋が出来てそれが落ちると傷口は赤染みたねずみ色の皮膚に覆われ、最後に当たり前の色になりました。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの威徳に守られて、息子の病状は未だ根治していないものの、悪化もしていないです。リンチェンドルジェ・リンポチェのご恩に感謝します。私達家族三人は、三年の間夜ごと熟睡できなく、惨めな苦しみを味わった後、やっと「朝までぐっすり眠れる」という貴重で正常な生活に戻りました。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェが前に仰った「不要管他、三歳会好。(ほっときなさい、三歳になれば良くなる)」という言葉の意味を体得したのです。

蔡文榮一家リンチェンドルジェ・リンポチェの大福報の庇護に感謝、彼達に転重軽受させた。

当時息子の皮膚の状況により、元々蜂窩織炎、菌血症或いは敗血症に罹りやすいです。しかし全く罹らなかったです。医師も不思議だと賛嘆しました。今は子供の顔には傷跡は無く、白く艶やかで、完全に回復しました。我々夫婦はこれがすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの大福報のお庇護によるものだと確信しています。故に我々は転重軽受が出来ました。

蔡文榮夫婦、母親及び息子はリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、仏を学ぶ道に歩くのを誓う。

われわれは今生で、ただ実直剛毅にリンチェンドルジェ・リンポチェの教えと戒めに従い、仏法の道を一歩一歩、歩き続け、十方法界の広大な衆生が全て上師の撮受を得て、共に浄土に登り、輪迴を解脱するを祈ります。

皈依弟子 蔡文榮、張玉容 謹んで書き上げます
2006年6月23日
2016年8月17日修正

« 前へ衆生済度の事跡へ戻る次へ »

2016 年 10 月 02 日 更新