尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会での開示 – 2021年7月24日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターにて自ら『龍王トルマ広施儀軌』を司られた。

リンポチェは法王の法座に向かってカターを差し上げ、灯りを点して仏に捧げてから法座に上がられ、貴重な仏法開示を授けられた:

本日は『龍王トルマ広施儀軌』を修めよう。直貢噶舉五十本尊の一つとしての獅子吼観音の灌頂を授かってからこの法が修められる。『阿弥陀経』によれば、我々は五濁悪世(ごじょくあくせ)に生まれ、五濁の一つとして、衆生濁というのがある。地球では人類だけではなく、他の衆生も、龍族も住んでいる。龍(りゅう)には複数の種類がある。天龍八部のように仏法を護持するのもいれば、そうでないのもいる。龍は畜生道に生まれながら、福報が甚だしく大きく、大神通も持っているが、瞋恚の心が比較的重い。よって、我々が修行の中で、もし瞋恚の心でも起せば、いくら成就するまで修めたとしても、畜生道に陥ることはある。釈迦牟尼仏はかつてこう開示されたことがあり、仏典にも記載されている。怒った龍に睨まれただけでも、そなたは病気になる。

本日、法会に参列した人々は大なる懺悔心を持つべきだ。今生でどれほど衆生の肉を食べたか、特に海鮮類を。今生で海鮮を食べたり魚を殺したりしたことがある者は、本日の法会に接して徹底的に懺悔するべきだ。自分は既に懺悔したと思ってはならない。懺悔したことが解決済みを意味するとは限らないだろう。

癌・皮膚病・奇病・エリテマトーデス・腫瘍などができるのは、みな龍に関わっている。この時代においては龍に関わる病気になりやすい。何故なら人類は途絶えることなく殺生するし、シーフードを好んで食べているからだ。水の中に住む動物は龍の眷属だ。だから、龍の眷属を食べたことがある人は、癌になる確率が並み以上にある。どうやったら龍を傷つけるのか。龍は木の上・石・水の中・山の中に生息している。人類がむやみに開墾するなり、山林を破壊するなり、水源地を汚染するなり、石を動かすなり、木を伐採するなり、森を燃やすなり、山や石を爆発させるなりで、何れも龍を傷つけるのだ。それで龍が敵討ちにやってくる。龍も人と同様で病気になるが、病気になった原因は様々だ。龍自身の業力の他、人類の仕業によって病気になったのも多い。

本日、我々は龍王へのトルマの供養を通じて、龍王からその眷属に、人類を傷つけないよう、人類への瞋恚の心を減らさせようと呼びかけてもらいたい。水害や天災、山火事などの多くは龍に関わっている。龍は単に龍族だけではなく、他に眷属と妖怪もいる。妖怪はなかなか降伏(ごうぶく)しないものだ。龍族を降伏させてはじめて妖怪も降伏する。どうして天龍八部が存在するのか。それは、妖怪や物の怪などに対しては仏法を説きようがない。それは彼等は理解もできないし、聞き取れもできないからだ。故に、彼等の怯えるもので制御しなければならない。彼等は龍が怖い。水鬼や水妖が龍王に出くわすと、自ら避けようとして人類を傷つけないようにする場合もある。これがまさに皆さんに菜食を勧める理由だ。

科学と医学が発達した現在では、腫瘍は切除や化学療法を通して治療すれば、人が数年か多めに生きられるかもしれないが、癌の根本的治療にはならない。手術や化学療法の後は、体が既にダメージを受けているから、健康状態がますます悪化していくに違いない。癌に罹った人はこの一生でどんな衆生を傷つけたか反省するべきだ。多くの人は自分が悪い事や正しくない事を犯したことがないと思い込んでいるが、現代社会に生きていては、直接・間接に水源を汚染することは容易なことだ。何かを流したから水源を汚染させるに至ったと思うのではなく、河辺や水辺でのバーベキューや、ゴミのポイ捨てなども水源を汚染させる場合もあって、癌に罹る機会があるのだ。

癌・腫瘍とは、医学的に言えば、体の細胞が良くない細胞に変わったということだ。我々にとっては、龍族がそなたの体の細胞に住んでいて、その細胞はご自身のと合わないから、病気になるのは当然なのだ。腫瘍を切除したとしても、龍の細胞が消えるとは限らず、依然そなたの体内にいる。本日この法を修めると、まだ発癌していない或いは癌に罹った人のその酷さは軽減するだろう。既にがん手術・化学療法或いは臓器を切除した人に対しては、この修法によってそなたの苦痛を少なくし、三悪道に堕ちる機会を減少させるだろう。

仏弟子として、如何なる衆生に対しても尊重するべきだ。瞋恚というものは、そなたが誰かに後ろめたい事をされて癇癪を起すとは限らず、自分が傷ついたやら、人に批判されて不満を抱えているやら、様々な方法や言葉で自分自身のことを極力あれこれと説明するやらでこそ瞋恚を起すのだ。瞋恚を起すと、龍の性格に近くなって、類は類を呼びがちだ。同類である以上、龍の病に罹りやすい。テキストにも、龍が様々な病気に罹ると書いてある。本日修める此の法は、龍と人類との恩讐を仏法のご加持によって善縁にするほか、龍の様々な病気を治す。

ひたすら瞋恚を育て続け、自分が苛められたと思うと反抗するし、苛められないようにはっきり言うなら、それは龍としての行為だ。龍は苛められず、いざ苛められると頑なに敵対する。龍に近い性格を意地になって育てている人は、福報があれば龍に、福報がより少なめなら蟒蛇へ、更に福報が少ないのなら蛇へと生まれ変わる。周知された『梁皇寶懺』は、梁の武帝の妃様が生前に嫉妬深くよく人と悶着を起し、梁の武帝とお供して仏を頂礼したり念仏したりしていたが、それを批判させない、人からのアドバイスを受けない性格であったから、死後、蟒蛇になった話であった。これはまだ福報があるほうで、もし福報がなければ小さな蛇へと変わり、小さな蛇は大きい蛇の食べ物で、食べられたりするのだ。

よって、在世の時に身口意で為した全てが、死後は何になるかを左右する。生涯に渡って持呪を貫けば、きっと運命が変わると思っていても、間違えを犯したのに仏法の教えに従って自分の性格を調整しない人は、いくら拝んでも、聞いても、はっきりさせたくても、三悪道を離れられない。仏に礼拝して菜食をすれば、三悪道に堕ちないと思ってはならない。堕ちるのだ。龍族がそうだ。テキストには、龍族に勧めた一節がある:「龍族よ、釈迦牟尼仏に会ったことを覚えるべし」。というのは、龍族もある世で仏を頂礼し、仏に平伏せたことがあり、乃至、仏に会ったことまである。だが、瞋恚によって、畜生道に堕ちさせ、畜生道の苦を受けるのだ。ただし、龍王はたくさんの眷属を管理しているようにそれなりの福報と神通はある。

数年前のある日に、私は日本に居ながら、苗栗の寶吉祥仏寺の池に金色の鯉が一匹いるのを見た。実はそれは龍だ。その後、私はその鯉を飼い始め、今はずいぶん大きくなっている。実は如何なる所にも龍がいる。山あいの水辺に限らず、至る所に、我らの住む所にまでいる。環境が龍に適していれば、住み着くことはある。例えば、近くに木々がある場所などには、龍は住む可能性がある。

本日この法を修めることによって、皆に衆生を尊重して欲しい。人類が最も偉いと思ってばかりいないで欲しい。この修法を通じて、自分を見つめ直して欲しい。いったい自分自身は仏法を修めているのか、畜生法を修めているのか。瞋恚があれば、畜生道に堕ちるに違いない。ご自身が植え付けた因によった果なのだ。「危害を加えられたから、私は瞋恚を起した」と言うだろうが、それなら仏弟子ではない。六波羅蜜の一つ目は、忍辱を修めることだ。あらゆることを忍ぶのだ。人から良く対応されても、悪く対応されても、あらゆることを忍ぶべきだ。誰かに褒められたら、得意満面になって、自分がよく修めたと思うと、そなたの福報は費やされる。また、誰かに悪く言われたら、そなたは不快を覚えた上、弁解したり突っ込んだりすると、福報が消耗される。何故なら、そなたが瞋恚を起したからだ。

福報とは今生で修め得たものではないのであって、福報の蓄積は実に難しく、逆に費やすには容易だ。まるで毎月縷々苦労して丸30日働いてようやく手に入った給料のように、あっという間に使ってしまって、30日もかからず無くなってしまう。我々の福報も同じように、すぐ使い尽くしてしまうものだ。ちょっと供養でもすれば、すぐ膨大な福報が入ると思ってはならない。コツコツと蓄積し、ある程度多く蓄積すれば、その福報はそなたを三悪道に堕ちさせないことに足り、福報が充分あってはじめて西方極楽世界への往生ができるのだ。いったん自分自身を放埓にし、「いいから、叱ってから考えよう、喧嘩してから考えよう、この先考えよう」とばかり思うと、福報は損耗し続ける。いいか、福報は使い切ったら無いものだから、謹んで行動すべきだ。

(修法)

衆生の病魔の消去に取り組むのは、獅子吼観音である。

経文には、「自分が定の中で陀羅尼(だらに)を持してトルマを布施する」とある。持呪する人は入定してから、トルマを布施する。龍衆が一切の有情衆に対する危害を停止すると同時に、あらゆる龍の身口意三門における一切の苦痛も停止する。しかも、陀羅尼という力が加わり、土地の生産力は伸び、一切共(ぐ)の悉知(しっち)は成就する。雨は適時に降り、暴雨や干ばつの発生がなく、食糧が充分で、紛争は終息を見せ、無量の利益が伴うとされる。よって、この陀羅尼は、非常に重要かつ奥深い鍵を握っている。三昧耶戒(さんまやかい)を守っておらず、閉関をしたことがなく、空性を証していず、定の中でこの呪文を持することが出来ないのなら、効かない。

上記は、物質(目に見える物)、慈悲の心と無畏(むい)の布施を以って、龍を満足させるに当たる。これらが終わってはじめて、法の布施を施すことになる。無畏の布施とは何だろうか。つまり、菩薩道を行ずることだ。自分には求める所がなく龍に布施をし、龍を満足させることだ。

テキストによれば、龍、妖と地祇(土地の地主神)は一緒だという。

(修法)
此の法は皆に授けないはずだ。テキストには息法、懐法、誅法が含まれる。最後の段落では、龍、妖と地祇がもし修法され、供養を受けた後も衆生を傷つけ続ければ罰が与えられ、金剛手菩薩より懲らしめると伝えている。私は金剛手菩薩の関を閉じたことがあるからこそこの法が修められる。馬頭明王、龍衆の王が懲らしめに来る、或いは龍の非常に恐れるガルダがやって来るとされる。

此の法の修法を通じて、人と龍との怨みを解ければと思う。人類が龍を傷つけた分に関して、修法を以って龍に埋め合わせすると同時に、龍から人を傷つけた分をも埋め合わせしてもらいたいと考えている。龍が財、法そして無畏の供養・布施を受けてから、正法を受けてもらいたい。もし、正法を受けないでいれば、修法を司った者は金剛部の菩薩より罰を与えさせるよう祈るとする。

仏菩薩は慈悲ではないかと聞かれるかもしれない。何故罰を与えるのか。仮に全部が全部解決済みにしてあげたとして、そなたはまだ話を聞かず衆生を傷つけていれば、仏菩薩の大慈大悲は懲らしめにやってくる。懲り懲りになったそなたはこれ以上悪いことをしなくなるだろう。仏道修行とは利点ばかりもらえ、行者は欲しいだけくれるというふうに思われがちだが、前述したように、そなたに与えたり、布施・供養したりはするが、その分、そなたは衆生利益するべきだ。布施・供養した後、そなたが、よく目上の人と喧嘩するなり、口答えするなり、話を聞かないなり、驕り高ぶるなりなど、言いなりにならず衆生を傷つける心がまだあれば、すかさず金剛部の菩薩はやって来る。彼本人が来るとは限らないが、その多くの眷属がそなたを警告しにやってくる。自分に間違いがあることを知らせ、そなたを病気にならせることもあろう。

私はこうした法が出来るが、あまり使いたくない。私は複数の忿怒尊の関を閉めた事もあり、これ等の忿怒尊は何れも私の修める本尊である。リンポチェとして毎日するのは、衆生を利益することだ。私のした事を気に入らないとか、そなたの不快を買ったとして、そなたは瞋恚を起す。そなたが恨みの念頭を起すと、本尊の眷属が懲らしめにやって来る可能性がある。懲らしめとは、そなたを死なせるなどではない。このテキストに書いてあるのは、龍に対応する方法として病気にならせるのだが、人に対応するのならこうではない。テキストに明示したことは弟子を脅かすつもりではなく、上師は絶えず衆生に施し続けているから、如何なる衆生が上師を傷つけようとすれば、仏菩薩は阻止に動くと教えている。上師として無数の衆生を利益することが出来るから、テキストには敢えて上師に対して瞋恚の心を起さないよう呼び掛けている。

ある時、釈迦牟尼仏が外出されたに際し、ある人が崖付近に用意した大きな石で、釈迦牟尼仏を傷つけようとして、石を突き落としたところを、大力金剛神が現われその石を粉々に砕いた。しかも、石が釈迦牟尼仏に当たらないよう、釈迦牟尼仏の前で抑えている。彼は釈迦牟尼仏を救ったのではなく、此の人をも守った。何故なら、此の人に仏血を出させないためだ。もし仏血を出させると、此の人は五無間地獄に堕ちるからだ。仏菩薩はあまりにも慈悲過ぎて、如何なる衆生をも五無間地獄或いは大地獄に堕ちさせない。そのために、困難だと知って退かせ、悪を為させないようにするのだ。仮にそなたらが何もかも上手く行けば、悪を為し続けるに違いないだろう。ちょっと難題でも投げつけると、悪を為してはならないと分かるようになるだろう。

このテキストは、一般の人が求めたら得られるものではない。さっきまでずっと雨が降り続いていたが、法を修め終えると、日差しが出てきたことは良い兆しだ。修法が円満になったという意味だ。龍が喜び、雨もそろそろこれでいいと思って、雨が止むようになった。

本日、リンポチェが開示した分をしっかりと聞き入れて欲しい。聞き入れて改められる者なら、きっと修め得られるに違いない。もし、聞き入れずに、ご自身の考え方で生活し続けようと思う人なら、遅かれ早かれ問題が発生するだろう。例えば、チベットの伝記の多くに記載されたように、上師を傷つけようとした者は何れも厄介事ができたと。くれぐれも誤解しないように。私は傷つけられるのを恐れているのではない。私はそなたらに傷つけられることを恐れない。単に、テキスト、仏典に基づき、説き聞かせているだけなのだ。諸仏菩薩は、如何なる衆生が地獄に堕ちるのを望まないから、ちょっと懲らしめてあげたことを通じて、自分に間違いがあると知らせるのだ。これで、やり続けないことによって、地獄に堕ちるほどの酷さに至らないようになるだろう。

これでリンポチェがよくそなたらを懲らしめる理由が分かるようになっただろう。全て、立証できるところがあって、私が故意に苛めているわけではない。テキストにははっきりと金剛手菩薩、馬頭明王が懲らしめに来ると書いてある。大菩薩すらするのに、況や凡夫たる私をや。

来週日曜日の八月一日はチェ・ツァン法王のお誕生日だということで、我々は長寿仏を修めよう。法王のご健康、常に在世にましますようお祈り申し上げます。どの弟子も法会に参列しない理由はない。

後記:この二日間は、台風「烟花」の台湾北部への接近により、連日豪雨になっている。本日、リンポチェが龍王法を修め、法会が円満に終わった時に、大雨が急に止み、光環が突然に現われたことは、殊勝極まりない!空には、龍模様の雲も出て頭の部分がはっきりと見えた上、目が眩いほどの青色の光を放っている。この上なく素晴らしい。大修行者の修法が円満になる度に、瑞相が現われる。真に不思議だ!

本日の法会が円満になった折、空に龍模様の雲が現われ、その頭に当たる部分は青い光を放ち、目が眩いほどに光り輝く。

本日の法会が終わるや否や、連日の豪雨が急に止み、光環が現われる。

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2021 年 08 月 29 日 更新