尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ法会での開示 - 2021年2月21日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは臺北寶吉祥佛法センターで、自ら殊勝なブルパ金剛法会をつかさどり、貴重な開示を賜れた。

密法は息、懐、増、誅等四つの法門に分かれている。リンポチェたる者は必ず息、懐、増、誅四つの法門全てを閉関修行して成就しなければならなく、それで始めてこれらの法をもって広大な衆生を利益する事が出来る。息法とは息災、鎮める、多くの場合、息法を修めて衆生を助ける。懐とは懐柔、懐法を以って頑固な衆生を摂服させ、増とは冨、福、事業等を増加させる。多くの者が「仏は慈悲ではないか?何故誅殺があるのだ?」と言うが、仏経では、仏は法を説くが、若し外魔が聴かない場合、仏は呪文を唱え、相手の頭を7つに割るとある。これこそ誅法である。息、懐、増法で衆生の堅固な嗔恨の心を破れない故、誅法を用いて嗔恨の心を打ち破るのである。

洋の東西を問わず、鬼や魔を非常に醜く描く。勿論綺麗なのもある。魔物は綺麗な容貌に化けて人を惑わし間違いを起こさせる。しかし通常は嗔恨に満ちている様子をしている。こういう相好になるのは生前常に嗔恨心を起こしていたからである。嗔恨が心の中に満ちていれば、いかなる法門を修めても成就せず、口が裂けるまで唱えても成就できない。

実は誅法は慈悲の極致である。例えてみよう。子供がいくら諭しても聞かない場合、父母たる者は始めは優しくするが、次第に顔色が険しくなり、目で睨み、それでも聞かない場合打つ。今は子供を打つと児童虐待の罪に問われる;しかしある者は叱る方法を間違えているので、そういう法律も必要だろう。末法時代に、人々に儒家、法家の思想或いは仏法の理念を受けさせるのは容易なことではない、何故なら人々は規制されたり指示されたりするのが嫌いだからである。

誅法を修める場合、往々にして忿怒の相を現し、頑固な衆生を調伏する。故に息法、懐法、増法の全てを修め成就した後、始めて誅法を修める事ができる。何故なら忿恨心をきれいに消去しないまま誅法を修めれば、反ってあなたに危害が加わるからである。必ず空性の慈悲を備えた後、始めて誅法を修め得る。あらゆる誅法の本尊は忿怒相を現す。忿怒尊を修める時、本尊が現れた時に恐ろしいと感じると、彼はあなたを連れ去る。何故ならあなたには慈悲心が無いからである。「寶積經」にははっきりと書かれている、菩薩は怖がらない、それは菩薩が大胆で何も怖がらなくなるまで修行したためではなく、全ては空性であるとはっきり知っているからで、いかなる現象を見ても怖くないからである。菩薩道まで修めるに至らず、それで誅法を学ぶのはとても危険である。多くの者が他人と敵対する為に誅法を学ぼうとするが、そのような考えは間違っている。何故なら誅法は広大な衆生に利益する慈悲の極致であり、あなた方の為に修める事は出来るが、そう簡単に伝える事は出来ない。

人は生まれる場合、体の中にはすでに文武百尊の分身が存在する。文とは寂静尊で、例えば釈迦牟尼佛、観世音菩薩は寂静尊で、武とは忿怒尊。人が事切れた後、七七四十九日の内、毎日一方の本尊化身があなたの前に現れてあなたを迎えに来る。始めは寂靜尊だが、あなたの業障が重く、寂靜尊に会っても受け付けなければ、次に現れるのは忿怒尊だ。あなたが忿怒尊が現れたのを見て恐れをなし、逃げれば七七四十九日の後、あなたはあなたの業力について輪廻に赴く。密法を修める者は、寂靜尊と忿怒尊を共に円満に修めなければならない。何故なら、衆生を済度する際、丁度亡者の生前の業障が深く重い場合、忿怒尊を修めて成就しなければ、忿怒尊の手助けを得る事ができず、亡者を済度する事が不可能だからである。チベットから伝わる西方三聖,真中は釈迦牟尼仏、左右は大勢至菩薩、金剛手菩薩。金剛手菩薩が現すのは忿怒尊である。忿怒尊を学ばず、ただ阿弥陀仏を唱えて行けるか?今の時代ではとても難しい。

今日も3人の出家弟子が法会に参列出来ない。この3人は小さな事で言い争っている。これは自我の観念が重く、忍ぶ事が出来ず、六波羅蜜、「菩薩の実践三十七頌」を修めていない。我々は事に臨んで忍ぶべきだ。忍ぶとは我慢して言葉を返さないのではない。それは事が起こった時、衝動的に反応するのではなく、先ず落ち着いて自分はこの事で何を間違えたかを考える。他人の間違えだけを見つけるのではない。家中のいざこざが多いのは、当方が正しく、相手は間違っていて、相手は当方の考え通りにやらないと言い張るからだ。このような者には嗔恨心や憤怒心が充満している。仏の因縁法を以って所謂眷属を見れば、全て冤親債主であり、其の多くは復讐や債の取立てに来た者だ。しかし離婚して追い払えと言っているのではない。私から見ると家族も衆生であり、衆生に難儀があれば手を尽くして助け、助けた後私と縁があるかないかは相手が決めるのであって私ではない。この様にすれば人生は比較的安定で、怒る事も少ない。

二週間ほど前、ある弟子が皆に話した事だが、彼女の亡くなった母親は十数年皈依したが、最後は癌に罹った。この様な目にあったのは心の中に始終恨みがあって、最後の最後まで夫と家族を恨んでいた。高血圧、心臓病、癌に罹る人は、よく怒り、心や精神の消耗が早いので、自然と体を悪くする。嗔恨心が重い者は修める事が出来ず、修行しても成就しない。恨めば恨むほど福報が少なくなる。誰かがあなたにすまない事をしたら、彼に感謝しなさい;誰かがあなたは彼の欲望を満たす事が出来ないと思っていたら、彼に感謝しなさい。天の下にこれ程多くの男や女が居るのに、よりによってこの人を選んだ。何処が好いのだ?あなたを引き付けたのは何だ?と訊ねても言えないだろう。長らく考えて、自分に言い聞かせた、彼は知識人だからと。知識人が喧嘩するととても強い。勉強したので話は要所を狙って突っ込んでくる。仏は言った、学問があまり多くても良くない、何故ならあなたの知識は全て人生経験で、修行ではないからだ。

「地藏經」でも「地球上の人類は頑固で強情、調伏し難い。」と言っている。この話からも分かるように、地球にだけ人類が居るのではない。仏経では、銀河系には四大部洲が有り、この四個の星には全て人類が住んでおり、地球は南瞻部洲である。地蔵菩薩がこの様な言葉をお話になってよかった。私が衆生を済度するとき、衆生が言いつけを聞かない折、地蔵菩薩でさえ地球の衆生は「頑固で強情、調伏し難い。」と仰っておられる、まして私は小さなリンポチェだからと思える。私は1997年から衆生を済度しているが、出会った人は多く、確かに「地藏經」の言うとおりだ。

今日は皆のためにブルパ金剛を修める。そして累世の冤親債主のあなた達に対する嗔恨心を減らしたり除いたりする以外に、あなた達が仏を学ぶ際の障害を取り除く。ある者は自分は仏を学ぶ必要が無いので、弟子にならないと言うが、それなら死に面した時、私を訪ねて来ないが好い。この様な者は頑固で強情、調伏し難く、自分の領域では少し有名で、何もあなたに就くことは無いと思っている。実は人生の最後の結論は死亡である。ある者が私に人生の意義はなんですかと聞いた。それは生老病死である。この一生で起こった事柄は過去世の業力の現れである。業力を歩み終えれば一生は終わる。仏を学ぶ者以外に、自分はどの様にして死んだのか、其の心根は如何なのかを考える者は少ない。リンポチェが助けに来るのを待つか?多くの者はリンポチェが長生きするのを望んでいる、それは利己的だ。私は年をとるほどきつい。何故今現在仏を学ばないのだ?

私は毎日衆生のために生死の大事を処理しているが、事切れる前に苦痛が無い者に遭うのは非常に稀だ。三宝、上師を絶対に敬う少数の者だけに苦痛が無い。何故苦痛なのか?それは常日頃訓練しないからだ。75歳まで生きられると告げられると、今年は70歳なので、あと5年あると思い、4年過ぎてから考えようと思うが、それでは間に合わないのだ。この世界で私の様に四六時中多くの宝物を与え続けるリンポチェは何人も居ない。去年の様に疫情が厳しく、あらゆる宗教活動がほとんど止まってしまった折、寶吉祥道場は政府の法令に従って動き、政府の認可を得て休まずに法を修めた。

今日修めるこの法はあなた達の頑なに仏を学ばず修行をしない心を打ち砕くのを助ける。ユンカ・リンポチェはかって密法は地球に多くても700年しか存在しないと言った。あなた達は700年とはとても長いと思ってはいけない。うっかりすると次の一世であなたがまた人間になってきた時、すでに700年後のことかもしれない。もしあなたが再び来た時、すでに密法は無く、衆生を助け得る行者も少なくなっている。息、懷、增、誅四つの法は四方の本尊が居られ、修行する人は各本尊とも閉関し、法本に書き記された如く成就した後、始めて衆生を助ける事が出来る。現代人は忙しく、名利を追いかけているので修める時間など無い。密法が消失するのは誰も心を決めて修めないからである。若し私はどうやって修めたかと聞くのなら、以前、毎年一ヶ月余り続けて閉関したからだ。

リンポチェは法務係りの弟子に、リンポチェは全部で何回閉関したかと問うたが、返事がなかった。リンポチェは、来週まだ上師の修行過程を知らなく、問いに答えられなかったら、全部追い払う。法務係りでありながら、上師の修行過程も知らない、と叱った。

私はブルパ金剛の法本を八つ持っている、此処は七つの法本だが、もう一つは閉関して自分で修めた。ブルパ金剛は密宗新続では金剛手菩薩、四続では事業中の摧破金剛で、旧続(以前ニンマ派中)ではブルパ金剛。ブルパ金剛は金剛薩埵の忿怒尊で、阿弥陀仏、大勢至菩薩、文殊菩薩、金剛手菩薩及び大威德金剛「意」の代表である。これで知るように一系列である。リンポチェは金剛薩埵を修めて成就したので、自然にブルパ金剛を修められた。今日ブルパ金剛を修めた者は、往生した後確実に阿弥陀仏のお傍に行く。大威德金剛は文殊菩薩の忿怒尊である。

蓮花生大士がネパールの洞窟で閉関修行された時、一切の邪魔をブルパ金剛で消滅し、大円満の成就を得た。故に、ブルパ金剛は一切仏の事業本体である。2007年、私がネパールのラキ雪山で閉関した折、阿奇護法の傍に麒麟に乗った護法が山や谷の中を見回って、この関房を保護していた。更に以前私がブルパ金剛を修め成就したのと相俟って、この護法は私が閉関する折保護する護法となった。

蓮師はかって、ブルパ金剛を修める行者は、皆吉祥、具德、長壽、富有、眷眾円満、政教發達、威力無窮,全てが徹底的に円満だと言われた。

政教發達の政教とは今の人々が思う政治ではない。因みにチベット仏教は伝承を重んじ、仮に伝承が清浄でなく、業障があれば、伝承は消滅してしまう。此処で人と人の間の交わりと事の処理に関連してくる。例えば我々は今お寺を建立しているが、法律に基ずき財団を作る。財団がお寺を管理するには規定が要る。これ等の規定も政府の法令や仏教の戒律に違反する事はできない。これが政教である。また寶吉祥協會は社団法人だが、道場にも管理規則がある。これが政教である。

威力無窮は彼が凄いのではない。それは本尊を修めた行者の仏法方面の威力で、彼がやろうと思えば必ずやれる。円満とはこの一生快適に過ごせる事ではなく、其の仏法事業は広大な衆生に利益する事だ。

私が手にしているこの法本は「ブルパ金剛祕密無上了義如意寶灌頂」で、伏藏大師ラトナ・リンパが取り出した岩藏大法である。この法本は直貢噶舉第29世法王チョキ・ギャルセンが編纂されたものだ。これは岩傳法で、本尊、ダーキニー或いは護法が法本を木の穴、山中、空中、水中に隠し、伏藏大師によって探し出された。伏藏大師はチベットにしか居なく、現在四大教派に伏藏師はもう居ない。ブルパ金剛は金剛乗を修める行者を助け、その障碍を消去する願を発した本尊である。金剛乗を修めるには、あらゆる障碍を消去する一方の本尊が必要だ、故に私が金剛乗を修める過程では障碍がとても少なかった。私達が何らかの本尊を修める際、もしブルパ金剛を護法として修めれば、あらゆる挫折を受けなくて済み、一切の魔王、鬼や化け物を降すのに特別な法力を持つ。一人の成就者が現れる前に、一部の魔物たちは嫉妬し、邪魔をする。現れた鬼や化け物はあなたの累世の冤親債主である。

今日皆のために修めるのは「新續ブルパ事業道用簡軌」で、ブルパ金剛に事業に使える簡単な規定を求める。もう一冊は「バガボン金剛童子心要成就法」で、金剛童子とはブルパ金剛の事である。「バガボン金剛童子心要成就法」の法本はユンカ・リンポチェが賜ったものだ。そのとき、ユンカ・リンポチェは積み重ねた法本を持ち出し、其の上には彼の上師の手印があった。ユンカ・リンポチェは手当たりしだい一冊を抜き出したが、それがブルパ金剛の法本だった。私はブルパ金剛を修めているとは言わなかったが。

この法本は少し特別だ。中には道で強盗に出会った時、この方を用いて強盗を撃退する;傲慢を消す事も出来るし、蚊や猛獣もあなたを傷つけないし、水害にも遭わないと言っている。あらゆる人の尊敬を集める法門もあるが、これは極秘密だ。この様な事が説かれているのは、古代の修行者は洞穴を見つければ閉関出来るので、閉関中に猛獣、害虫などにあい、更に水に溺れる事もある。だからこの法で修行者が傷害をを受けない様に保護するのである。

私が閉関してブルパ金剛を修め、円満した時、関房全体が振動した。当時の関房の屋根はトタン屋根で、続けて雷が鳴り、地面が振動し、ブルパ本尊が現れた。これは修法と本尊が相呼応したのである。これがあなた達であれば、この音を聴き、驚き戦いたであろう。だからブルパ金剛は無闇に伝えないのである。

まだ毒害を除いたり、魔軍を消滅したりする法本もある。もし法を修めてあなたに危害を加える者が有れば、それを遮って返す事も出来る。もし大きな災難が起きて、国家の主導者が人民を護る為に修行者に求めれば、修行者はこの方を修め、敵を撃退する。ブルパ金剛護法を修める法もあれば勾召法もあって、ブルパ金剛と其の護法達を呼び寄せて護持し、修行の障碍を少なくする事も出来る。男魔、女魔、敵魔或いは屍魔(ゾンビ)等魔力の厄運阻害、災難等の悪業、全てこの法を修める。一方の本尊でこの様に多くの法本を有する。

この法本は、始めから死魔、病魔、天魔及び煩悩魔等の四魔を打ち破ると説いている。天魔はあなた達と関わりが無い。彼は全然あなたを相手にしない。病魔はこの一生で冒した悪業が感応して招きいれたのである。この法本は仏経から出たものではなく、殊勝な所から探し出したものである。この版は法王が編纂して、後に私に授けたものである。行者は必ず離戲瑜伽まで修める必要があり、世間の事柄は一幕の劇だと見る。

リンチェンドルジェ・リンポチェはブルパ金剛の法門を修め始められた。壇城は金色の光を放ち、リンポチェの背後からは幾筋かの金色の光が放たれた。本尊の呪文を唱える時、リンポチェは比類なき威猛の表情を表し、眉毛は45度にも釣りあがり、目は丸く開かれられ、鋭く猛々しく、十分余りも瞬きをせず、目玉は飛び出し、口は裂け、顔の形や口の形はやや四角に転じ、胸は張り、頬を膨らませ、タンカに現されたブルパ金剛の様相そのもので、本尊と相応した忿怒金剛相であった。殊勝不可思議、凡夫には出来ない事である。

しばらく呪文を唱えた後、唱える声は徐々に大きくなり、口は動かさないが低く綿密で海嘯のごとき金剛頌をはっきり唱えておられた。刹那、ブルパ金剛の至極殊勝な法相になられ、何回も雷の如き至極慈悲のこもった咆哮を発された。リンポチェは首を廻し、至極威厳を持って衆生を凝視し、慈悲の威神力で衆生の五毒を降伏させ、広大な菩提心で参列者の仏を学び修行する一切の障碍を取り除く。その場に居た多くの者ははっきりと地面が震動するのを感じ、全身は熱くなり、参列した大衆は皆リンポチェの慈悲の加持力で、自然に涙した。

会場は人に満ちていたが、リンポチェの強大で慈悲の攝受力の下、参列した者は皆息を潜め、心を凝らして集中した。会場には多くの児童が居たが、誰も歩き回らず、音も出さなかった。その場は至極荘厳だった。

リンポチェは参列した大衆に、本尊の保護を求めたい者の名前を心の中で三回唱えなさいと指示された。法を修めるのが一段落すると、リンポチェは参列した大衆を引率して阿奇護法の儀式を修め、それからブルパ金剛の儀式を続けた。

リンポチェはこう開示された。今さっきの動作はあなた達の五毒貪嗔痴慢疑を引き寄せ、リンポチェが手に持つトルマに招きいれ、それからブルパ金剛の杵でそれを切り砕いた。

法を修める過程で薈供と供茶の儀式が行われ、参列した人々は皆リンポチェが加持された供え物を一人前頂き、法会中に上師、仏菩薩と共に食するという得がたい殊勝な因縁を得た。

修法が一段落すると、リンポチェは五色旗で以って法を修め、参列した大衆を加持され、続けて法を修めた後開示された。

この法本は法王が編纂された後私に灌頂され、更にこの法を修め賜れた。台湾ではこの法を修めるリンポチェは極少ない。皆法に通じている者なので、若し修めて成就しなければ、この法を修めても衆生の助けに成らず、自分にも害が及ぶと知っているからだ。最後に注釈があり、灌頂を賜い与える行者は清浄であり、仏法を以って何かの名利と交換するものではなく、この法本は広く伝える法本ではない。もし灌頂を受ける者の福が足らなく、智慧がなければ受ける事はできない。この法はとても深いので慎重でなければいけない。どれくらい学問があっても、お金を持っていても、はては目の前で跪いて求めても授けるとは限らない。以前灌頂した事があるか?(無いと答えた)、それなら灌頂しない、あなた達に灌頂しても用をなさない。これ等出家弟子も前にこの様な修法を見た事が無いだろう、目が大きくなり、声を発し、歯でさえ露になる。法を修め始めたときはこの様でなかったが、こうなるのは本尊と相応したので、体が本尊と同じようになったのだ。

もしこの法の全てを法の如くを修めれば、魔衆魔軍は全て失敗する、という事は再びあなた達の修行の邪魔に来ない。魔物はあなたの想像するようではなく、魔女はとても綺麗だ。魔物にも福報があり、大きな福報があって始めて魔物になれる。魔物はあなたに悪事を唆すと思ってはいけない。魔物の定義は悪者ではなく、自分や他人に輪廻を続けさせればそれは魔物だ。今日修める法はあなたを凄くさせるのではなく、修行の障碍を取り除くためのものだ。あなた達の多くの障碍は自分で求めたものだ。累世で生み出したのか自分で考え出したのだ。この種の障碍はあなたの世間法や出世法の障碍になる。出世法を学び修め始めれば、世間法に障碍が無くなる。

この法はあなた達の貪嗔痴慢疑五毒を破るために修める。だが今後は自分で警戒心を持たなくてはいけない。若し自分の貪念、嗔念、傲慢心が起こると感じれば、注意深く検討する事だ。あなた達は心にまだいささかの余業が残っていて、すっかりきれいになるのは不可能だ。これ等は自分で修めるのに頼っている。多くの者がどうやるのだと聞く。どうでもなく、あなたがやると決心する事だ。それはまるでリンポチェは食卓の上に食べ物の準備はするが、あなたは自身で食べなければいけない。全てをリンポチェに頼ってはいけない。私はいつかは死ぬ、すでに74歳だ。あなた達は私に死なないで、あなた達に先に死なせてと言うが、そんなことは無い、私に長寿であれと求めるではない。余業は自分で修めるのだ。食べ物は準備した、ただ嗅ぐのではなく、兎に角食べて味を見るのだ!あなたはやる決心をして、諦めてはいけない。

私が皈依の事柄をしているとき、もしあなたに突然用事が出来たら、それは業がとても重いことを示しているので、更に決心をする必要がある。例えば今日ある者が来られなかったが、それは彼の母親と彼自身が風邪を引いたので来られなくなった。昨日、ある弟子の家族3人が法本を求めに来たが与えなかった。法を伝えた其の日、彼等家族は風邪を引いて来られなかった。父母と彼がかわるがわる風邪を引いている。それは彼の父親が私を信じないからだ。彼の父親は占い師で、仏法で占いは邪命邪財、故に始めから法本を求め得れなく、今になってから求めるのは障碍があるからだ。ある者は私の弟子であるからには、必ず法本をもらえると思っている。私の弟子で私の前に跪いていても、私は必ず篤と見る。

去年、リンポチェには色々な事が起こった。もしこれ等の事があなた達の身の上に起これば、あなた達はそれをやり過ごす事が出来ないであろう。私は何故それをやり過ごす事が出来たのか?それは縁に随って過ごしたからだ。家族も全て冤親債主だ。家族に相対する態度は、勝手にさせることだ。もし我慢する事ができれば、自然と細細とした事に気を掛けない。

あなたにいくらお金が有っても、いくら知識が有っても、最後は必ず一人で死亡と相対しなければならない。私に近づけば、死に面した時済度されると思ってはいけない、私の弟子ではないのだから。法会が始まる前に話をした弟子の母親が亡くなった時、私はニュージランドにいたが、それでも彼女の為にポワ法を修めた。人の生涯は生老病死愛別離だ、人は必ず死ぬ、私も必ず死ぬ、故に一生とは如何云う事かをはっきり考えなくてはいけない。

今さっき修めたほうは済度も含む。多くの者は必ず阿弥陀仏が済度するのだと思っているが、その実どの本尊でも済度出来る、必ず阿弥陀仏だという事はない。ただ我々本土では深く阿弥陀仏を信じ、皆済度といえば阿弥陀仏だと思っている、それは間違いだ。どの一方の本尊でも済度が可能だ。済度すれば必ず阿弥陀仏の傍に行くとは限らない、もしこの衆生が阿弥陀仏の傍に行く資格が無くても、彼を助けるのだ。

私が顕教を学び始めた頃、ある友達の父親が亡くなったので、私は助念に行った。所謂助念とは誰かが亡くなった時、何人かの人が死者の傍で仏を唱えるだけではなく、この人は生前修行をしていたので、彼と同じ道場の人々が彼の傍で唱え、心が乱れないように注意してあげるのだ。其の時私は一心不乱に唱え、地蔵菩薩が彼の父を迎えに来られたのを見た。私はこの事を友達に伝えたが、彼は信じなかった。何故かと言うと私は仏を学んでまだ日が浅かったので、仏菩薩が私の念仏で迎えに来られるとは信じられなかったのだ。後に彼は何人かの神通がある人に聞いたところ、彼らは口をそろえて誰かが念仏した後、地蔵菩薩が彼の父を迎えに来られたと証言した。其の時私が念じたのは阿弥陀仏だったが、迎えに来られたのは地蔵菩薩だった。今日修めたブルパ金剛にも済度法はある。阿弥陀仏だけが済度出来るのではなく、どの一方の本尊法を修め、どの一方の本尊の呪文を捧持しても済度出来る。

私は今1500名近くの弟子と、二百頭余りの豚、百羽余りの鶏と家鴨、それに牛や羊、毎日多くの業力を処理しなくてはならない。皆は因縁があって私に出会った。私が故意にあなた達と友達に成ったのではない、全てあなた達が自分で来たのだ。だから諦めてはいけない、そうでなければ、あっという間に無くなる。前回皈依法会を行ったとき、丁度用事があって参加しなかった者が居たが、尚更自分の業力が自分の邪魔をしないかを注意しないといけないかを表している。例えあなたが私の傍に居ても、皈依しなく、仏を学ばなければ、死に面した際、あなたの業力は私の助けを邪魔するだろう。

リンポチェは参列した大衆を引率して回向儀式を修められた。そして開示を続けられた:

法会が終わった後、出家衆が出口で皆に一粒の寿丸と一口の寿酒を配るが、寿酒は果汁である。密宗にはこの儀式があるが、それは体は父親から明点を貰い、母親から血を貰ってそれを結合して成っている。受胎した其の瞬間から精と血を使い続け、使い尽きれば去る。人が老いるという事はそろそろ使い尽きるという事だ。

よく享楽すると精血を使う、社会で一部の名人は享楽を喜ぶが、彼らが去る前に顔色が黒くなるのは精血を使い果たしたからである。ある者は骨髄が精を作ると思っているが、実は骨髄から精が絶え間なく出ているのである。これは老いれば骨髄が空になる原因でも有り、老人の骨が折れるのも使い果たしたからである。怒り、喧嘩、嫉妬や男女の事柄全て精と血を使う、使い果たせば老いて去る。

故に毎回密法を修める際、上師は本尊に寿丸と寿酒の加持を請う。これは私達の体を丈夫にして享楽する為ではなく、あなたが有るべき寿命を残して生死を解脱する時間を与えるのだ。もし早めに使い尽くせば早めに三悪道に帰る。日頃よく怒り、他人を恨む者は、精と血の消耗が特に早い。漢方の弟子も説明しているが、漢方の理論では精と血は父母より頂き、漢方では先天の精と称す。先天の精は腎に貯蔵され、我々の髄に関わる。故に腎は骨から髄が生まれるのを司る。漢方の理論でも、上で心神を消耗すれば、下で腎精を吸う。故によく怒り、脳を使えば心神を消耗し、腎精を使う。腎精を使い過ぎれば早く老い衰える。これはリンポチェが開示された事と同じである。

リンポチェは開示を続けた:頭を使わず、物事を考えてはいけないと言っているのではない。それはこの複雑な商業社会では不可能な事だ。重要なのは多くを考えず、休むべき時には休むのだ。この世界はあなたが居なくても壊滅しない。次に本分を守る事だ。自分の守備範囲でやれないことは考えない事。そうすればあなたの精と血の消耗を遅くする事が出来、分を弁えれば体も健康になる。

ある者はリンポチェは体の調子が悪くてもすぐ回復するが、何故だろうと不思議がっている。それは我々密法を修める者は仏菩薩の加持を透して血と精を補充しているが、あなた達には不可能だ。あなた達は血と精を使い果たせば去る。寿丸と寿酒は一回食すればそれで補填出来るものではなく、本尊の呪文と事業が其の中に込められている為、それを食するとあなた達が使い尽くす時間がやや遅くなり、それだけでもあなた達にとってはとても役に立つ。それは寿を増したのと同じだ――あなたの本来有るべき寿命を戻したのだ。


« 昔の法会開示法会開示へ戻る新しい法会開示 »


2021 年 03 月 21 日 更新