尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2019年2月24日

2月24日は旧暦新春の期間に当たる。尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの招きに応じ、台北寶吉祥仏法センターにご来臨くださり、台湾は法王がインドを出発されてから初めての訪問先となった。

リンポチェの祈請の下、法王はみなを率いて四臂観音を修持くださり、観想、持咒の精要について特別に開示くださった。しかも前行発心、正行、結行迴向の重要性について強調なさった。続いて唱誦の方式で六字大明咒を長く持誦くださった。

法会の最中、リンチェンドルジェ・リンポチェは、世界中で忙しく弘法なさる法王が、わざわざ時間を割いてご来臨くださったことに特に感謝し、「修行人は一生無他であり、仏法に専心するだけである」と開示くださり、真剣に学習するよう弟子達を励まされた。

法会が終了し、弟子も信衆もみな、リンポチェがくださった殊勝な因縁と貴重な開示に深く感謝申し上げた。

新しい年の始めにあたり、寶吉祥仏法センターの住持上師、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは根本上師である尊勝なる直貢チェツァン法王を台北寶吉祥仏法センターに恭請しマンダの献上を供養申し上げ、すべての信衆と弟子達に法王の加持を受けさせ、学仏の障礙を減らしてくださった。この殊勝かつ吉祥なる日、リンポチェは寶吉祥仏法センターの信衆と弟子を率い、歓喜して法王のご来臨を恭しくお迎え申し上げた。

尊勝なる直貢チェツァン法王と尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは薰香、楽器、宝傘の前導と迎請の下、生花が敷き詰められた八吉祥白地毯を歩まれた。

法王は壇城の諸仏菩薩に頂礼しハタを捧げられ、点灯供仏後に法座に上られた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王、壇城上の尊勝なる直貢チョン・ツァン法王の法写真、諸仏菩薩に大礼拝を三拝行われ、寶吉祥仏法センターの出家弟子達を率いて、法王にマンダを献上し供養申し上げた。

リンポチェは弟子を率い皈依発心、祈請伝法、『隨念三宝経』、『八聖吉祥祈祷文』、『仏子行三十七頌』を念誦なさった。

リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に、参会者を率いて六字大明咒を持誦くださるよう祈求し、法王は慈悲深くも応じてくださり、持咒の前に開示くださった:

リンポチェ、法師各位、居士各位、みなさん、こんにちは。寶吉祥仏法センターを訪れる機会を再び持てたことを非常に嬉しく思う。法本について先に少し説明しようと思う。

先ほどみな皈依発心をすでに3回念じた。一般に私達はどうすれば功徳を得られるのだろうか?大乗仏教では必ず先に発心があり、続いて正行があり、最後に結尾がなければならない。このような次第に従い行うなら、私達が行う事の功徳は非常に円満となる。布施もそうだ。先ずは発心、続いて行い、最後に迴向する。このようにすれば功徳は非常に円満となる。この功徳は菩提まで失われることはない。菩提心がなければ、行なったとしても、得られた果実は後に失われてしまう。開悟するまで持続することはない。そのため前行、正行、迴向、これらは非常に重要なのだ。

正行、ここには咒語がある。法王は観空咒の念法をお示しくださり、この咒語を念じる時には、ある字と字の間で一時的に止まり、しかも一時停止の時間の長さはさまざまだ、と開示くださった。

法王は続いて開示くださった:一切法観空、観空性。つまり一切法本来の姿を観るのだ。外の世俗のものを観るのではなく、究竟本性の物を観るのだ。私達がこの咒文を念じる時、一切法を空にするのではなく、これを念じる時、心の中で思うのは:一切法の本来の姿はすなわち空性だ、ということだ。一切法の本性を観想すれば、すなわち空性だ。空の境界が始まれば私達は観想する。仏法では必ず因果、因縁という。一切法の因縁が起きるには、必ず過程があり、一歩ずつ次第が生起する。

例えば空性という時、法本中の蓮花は、世俗で目にする蓮花ではない。私達はすでに「空」を観ているので、この種の蓮花は清浄なのだ。西方極楽世界の蓮花だ。私達が世俗で目にする蓮花ではない。金剛乗の一切はすべて転化したものだ。世俗のものは成就に転化する。蓮花は私達が一般に目にする蓮花ではない。月も私達が目にする月ではない。西方極楽世界の月だ。超世間の月なのだ。

私達は自身で四臂観音を観想する。誰が観想しているのか?私達外在の身体ではない。私達外在の身体は観空咒を念した後すでに観空している。肉体のない身体は一種の光の身体だ。観空、消えてしまったのだ。ほんとうは誰が観ているのだ?それは私達の清浄心、私達の仏性が四臂観音を観ているのだ。四臂観音の様子は非常に明確だ。説明する必要はあるまい。

四臂観音の二本の手は如意宝を持っておられる。衆生は祈願すれば、なんでも得られる。如意なのだ。宝の範囲内はマニだ。「オンマニべメホン」のマニだ。手に持っておられるのは、正にマニだ。それが如意宝なのだ。

「オンマニべメホン」とは如意宝の説明だ。右手に持っておられるのは念珠だ。念珠は六道に堕ちた衆生を導き上げる。左手に持っておられるのは蓮花だ。蓮花は非常に深奧な意義を有する。あらゆる仏はみな蓮花座をお持ちだ。平時蓮花は汚水、泥の中で成長するが、泥に汚されず、汚染されず、泥の中から純潔で美しい花を咲かせる。衆生は輪迴の泥の中にいるようなものだ。だが、私達の清浄心は、蓮花が泥の中でも清浄に花開くようなものだ。この点を認識すれば開悟するだろう。この点を認識できなければ、輪迴の中に留まることになる。そのため深奧な意味があるのだ。

「べメ」は梵文で、蓮花のことだ。つまり六字真言は正に一切咒王だ。「オンマニべメホン」中の「オンアホン」。「オン」、「マニ」の音を長く伸ばせば「ア」だ。最後は「ホン」だ。「オン」とは前世仏の心咒であり、「ア」は現在仏の心咒で、「ホン」は将来仏の心咒だ。三世仏の心咒がすべてある。そのため、六字真言は正に咒王なのだ。「マニべメ」とは仏の一切の慈悲の代表だ。観世音菩薩が手に持っておられるのは秘密の名、密名だ。

私達は「オンマニべメホン」と念じることもある。「スィ」は種子字だ。私達は観世音菩薩を観想すると、心の中に月輪が生じる。月輪の中央には白い「スィ」の字が一個ある。それが種子字だ。「オンマニべメホン」は左へと巡る。念じる時、咒語は光を放つ。あらゆる光の上に一切の諸仏菩薩を観想することができる。あらゆる光は八供を観想でき、あらゆる光はさらに多くの光を放つ。そしてたくさんの光が現れ続け、空間に満ち満ちて、十方三世仏に供養する。供養後、加持の光がやって来て、六道衆生を照らし、彼らの業障を清浄にし、私達の心中に融け入り、私達の身口意を清浄とし、続いて持咒する。このように一度念じ、一度観想する。供養、加持、消業、福徳資糧の累積は、このような境界中で念じるのだ。念じる時、目にするすべては観世音菩薩だ。草も山も水もすべてそうだ。耳にする音はすべて咒声だ。心に浮かぶものはすべて顕空無二だ。つまり空性の境界、慈悲の境界で持咒するのだ。

おおよそこのようだ。念じる時にはさまざまな調べがある。蓮花には八弁の蓮花があるので、八種の調べがあるのだ。では念じよう。

尊勝なる直貢チェツァン法王は、勝妙なる法音で、みなを率い、六字大明咒を長く唱誦くださった。参会者は、衆生のために、この殊勝なる因縁をお作りくださったことを、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝した!

修法迴向の終了後、リンポチェはみなを率いて法王に感謝申し上げた。

法王も「新しい年が順調で如意であるように。身心の健康を祈る!阿弥陀仏!」とみなを祝福くださった

リンポチェは自らみなを率いて『法王長寿祈祷文』、『求生極楽浄土祈請文』、『発菩提心』文を念誦くださった。参会者は心から感激した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示くださった︰

昨年、法王は一年を通して非常に多忙であられた。全世界で弘法され、南極、北極へ行かれなかった以外は、他の地方にはすべて赴かれた。今年法王はインドを離れられた最初の地として台湾にお越し下さった。台湾で唯一ご来臨くださる仏法センターは、私達、寶吉祥道場だ。よってみなもっと努力せよ。これ以上学仏しないなら、追い出すとしよう。火曜日、法王は台湾を発たれインドネシアへ弘法に行かれる。修行人の一生は、つまり仏法だ。他は何もないのだ。そなた達とは違う。そなら達は他のものが仏法より多い。そのため修められないのだ。こんなにお忙しいにも関わらず、寶吉祥道場へお越し下さったことに私達は感謝し感激しなければならない。法王、ありがとうございました。

法会は円満となり、弟子はみんな尊勝なる直貢チェツァン法王と尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲なる開示を下さったことに感謝を申し上げ、起立して、法王とリンポチェが法座を降りられるのを恭しくお送り致した。


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2019 年 03 月 17 日 更新