尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年12月27日

法会開始の前に、一人の弟子は、今年7月26日に再び皈依する機会、及びここで再度の皈依に関する心境の変化について語る機会が与えられたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

「私は以下の過ちを犯した。2011年11月、インドで行われた直貢噶舉教派の冬季法会に参加した時、貪欲、及び布施・供養についてケチな心が生じ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが指示した、師兄たちに分けるべき甘露丸を多めに取った。また、2011年12月、日本道場で行われた法会に参加した時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが退場すると、私は大声で話し、道場、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを尊重しなかった。更に、入り口の周りを掃除した時、ドアを開けたままでも全く構わず、暖房の電氣を無駄に費やし、自己本位で道場の近辺環境と安全に注意を支払わなかった。

余分な甘露丸を取った後、桃園国際空港に到着したら、荷物を失くした。その時、インドで甘露丸を多く取ったことを主人に話した。すると、同じ皈依弟子である主人は、何故そんなことをしたのかと、直ちに私を叱った。その場、私は心が重くなり、早くも窃盗罪を犯した結果、荷物を失くした果報を示現してくれたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに深く感謝した。

その後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの土曜日の会見を求め、懺悔した。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で『大声で言いなさい。』と私に指示した。私は懺悔心が欠け、上師を敬わず、教えも聞かず、独りよがりだったので、その場で懺悔の発露が求められたと思い込んで日曜日に法会が始まる前にマイクで大声でこのことを言い出した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がると、私が甘露丸を多く取ったことを叱った。そして、私は貢高我慢、思い上がりで学仏は単に人に褒められたいと怒りつけた。ここに来て学仏する理由をよく考えなさいと私に要求した上で、現場でベストを脱ぐこと、供養を禁止すること、そして、魏師兄は私の商売をしてはいけないことを指示した。

1年10ヶ月を経過した後、私は懺悔を発露することが許され、もう一度皈依のことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いした。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、第8組の全員の同意を得ることを要求した。全員の署名による同意を得る過程は3年半かかった。その間、私は、以前の悪行はどれほど無知で憎たらしいものなのかについて深く反省した。以前の私は理由もなく傲慢で、人を見下していた。本当は、人の長所を細かく理解しなかったのだ。それだけでなく、自分のレベルが低すぎて人の長所が分からなかったのも原因だった。そして、深い貪欲を抱き、布施・供養を出し惜しんでいた。原因は、人に深く感謝せず、自分のことしか考えないで人に気を配ることもなく、『仏子行三十七頌』を生活に運用しなかったことにあった。それに、人と比べるのが好きで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を全く覚えなかった。現世の得た全ては過去世の布施・供養によるものなので、比較になるものは全くないのだ。よいことがあったら、大事にすべきだし、よくないことがあったら、自分が為したことによる果報なので、深い反省が必要だ。また、道場の師兄に対し、恭敬、遠慮せず、ボランティアをしたことがあるからと言って常に失礼な態度を取り、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがくれた衆生に仕える機会を大切にしなかった。共に学仏している法界の眷属でもある師兄たちを大事にしなかった。自分の無知と罪でたくさんの師兄と衆生を傷つけてきた。それに、教えに従って修行することも、確実に課題をすることもしなかった。今になってやっと分かったが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが伝えてくれた全ての法は貴重であり、何れもよい因縁を起こして生死解脱に役立ものであり、私たちの漂う心を落ち着かせて学仏できるようにしてくれる。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを心から恭敬しなかった。確実に課題を果たすことも、教えに基づいて修行することもなかったので、皈依して9年近くになっても貪欲と恭敬しない意念を制御できず、大きい間違いを犯してしまった。

更に懺悔と皈依を求めた一部の過程について、師兄たちに語りたいと思う。ベストを脱ぐことが指示された当初、私は大きいショックを受けたが、その後、すぐ後悔の気持ちが湧いてきた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの厳しい教え方に感謝したい。そうでなければ、私は立ち止まって自分が抱えていた長年来の問題を見直すこともなかっただろう。それから、毎週の土曜日に道場に来て跪いて懺悔を求めたので、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが苦労をかけて衆生を済度してきたことに初めて気付いた。以前、ベストを着ていた頃、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会うために友達を連れて来た時でなければ、土曜日に道場に来ることがなかった。それで、仏とは無二無別の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの苦労も立派さも全然知らなかった。自分はいつも土曜日に家で寝転んでいた。一週間の仕事で疲れたと思って土曜日は必ず寝溜めをして目覚めるまでに寝ていた。或は、買い物に行ったり、遊びに行ったりしていた。しかし、私たちの上師は違う。コンビニのように休みもなく、土曜日も日曜日も定時に道場に来て衆生を済度しているし、早めに到着したこともある。最近の毎週の土曜日は会見を求める信衆を接見するために、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎週3時間以上費やした。先週の土曜日は夜10時過ぎまでに衆生を済度していた。また、日曜日の法会が終了後でも、土曜日に接見できなかった衆生を続けて接見した。私たちの尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこつこつと真面目に、昼も夜も衆生を済度し、弟子を助けている。それなのに、私たちの身口意を真剣に見直したら、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対する私たちの心は本当に恭しかったのか。教えを守ったのか。生生世世尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて行きたいと思っているのか。それでも、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは立派で、大医王であり、生死解脱や俗世間の全てのことを助けてくれることを私たちは分かっているから、利用したい心、偽りの恭敬心、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに苦労をかけたい心を持っているだけだろうか。本気で自身の修行をしようとしているだろうか。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子たちに教えてくれた法門に基づいて地道に少しずつやり、本気で学仏して衆生を利益しようとしているだ
ろうか。私たちの行為は本当に許せるものではない。もし、私たちは完全に降参したい心がなく、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのことを大事に思う心がなかったら、皈依をし直す、或は皈依していても意味がないのだ。

以前の私は、師兄たちのことをどうしても気に入らなかったが、ベストを脱ぐことが指示された後、台湾全国で最も善良な人がこの道場に集まっていると初めて分かった。皆は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに助けられたので、この道場に来て皈依した。しかも、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが教えた教法と規定を全部守ってこの道場で仏法を学んでいる。私は供養できないと処罰されたが、一銭も使わずに道場の靴下、水や電気、冷房、トイレットペーパー、きれいな座布団、殊勝な道場などを使うことができたので、本当に師兄たちに感謝している。師兄たちはたくさんのことをしてくれた。ベストを脱ぐことと供養できないことが命じられた弟子として、師兄たちを嫌ったり、師兄たちの行為に文句を言う筋合いがあるはずがない。自分の未熟で狭い器量を懺悔しなければならない。

ベストを着れない最初の頃、もう一度皈依して早くベストを手に入れたいと望んでいたが、そのうちに、自分の間違った問題を重視するよりも、ベストを重要視する心が間違いだと気付いた。ベストを着れるかどうかは関係がない。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えた仏法に従って自分を修正すべきだ。ベストを着なければ、仏弟子だと認められないという考えは正しくない。よい人だと褒められたくて偽りの学仏者としての心構えを持っていたことを懺悔する。

同意書をもらう過程において、同意の署名をしてくれない師兄もいた。そんな時、私は大変落ち込んだ。自分の福は紙ほど薄いもので一生に一度の皈依機会しかなく、過ぎたら二度とないのかと思った。心の中で犯した窃盗の罪を大変後悔した。私は暫く師兄たちに同意を求める勇気を出せなかった。しかし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私の心を理解してくれた。毎週の土曜日に跪いて求めた時、日曜日の法会の時、いつも励ましてくれた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの一言があった。その開示の言葉を聞いた度に、私は大いに励まされ、信念が改めて生じた。どうしても同意書を得ることを完成したい決意ができた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの指示を完成しなかったら、教えを聞かず、上師を恭敬しないことになるので、皈依を求められる機会もあるはずがないと思った。それで、私はもう一度反省文を書き、日本にいる皈依師兄がいるなら、飛行機に乗って日本に行き、同意をお願いしようと思った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの指示を聞き流さず、決して気を落としてはいけないと思った。結果を気にせず、必ず積極的に行動し、恭しく確実な決意で自分を修正したいと思った。また、同意書の署名でさえ完成できないなら、他人の問題ではなく、自分の問題だと深く感じた。何故なら、自分を変えたい決意がなく、適当に処置したいだけで、師兄たち全員に同意書に署名をしてもらってすぐ同意してもらいたいという思いが自分の問題だからだ。そんな都合のいいことはあり得ない。過ちを犯したのは自分自身だ。自分を修正したかを見てから署名するかどうかを決める権利は師兄たち全員にあった。自分に合わせることを師兄たちに求める資格なんて私にはなかった。同意書をもらう時間がどのくらいかかるかは、学仏したい心、同意書をもらいたい心は誠意であるかどうか、積極で真面目な気持ちで同意書の署名をもらうかどうかにある。思い付いたら焦ったか、仕事が忙しくなったらまたこのことを後回しにしたか、或は眉に火がついたほど急ぎたい気持ちがなくてリンチェンドルジェ・リンポチェは待ってくれないと信じなかったか。これらのことを仏菩薩は全部見ている。一体、学仏は誰のことなのか。間違ったのは誰なのか。師兄たちには関係がなく、全ては自分の心が悔い改めたかどうかに関係している。

私にはもう一つ深刻な体験があった。同意しなかった師兄たちは皆、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの化身で、私は改めたかを試し、自分の間違いを理解したかをチェックしてくれた。この偉い能力は、仏と全く同じ尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけが持っている。この過程で私は過去の抱えていた問題を深く感じた。貢高我慢、唯我独尊、独りよがり、学仏で褒められたい気持ち、学仏したい理由が分からないことなど、いろんな業力の問題を私は抱えていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけが、弟子一人一人の問題を理解している。現世、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに頼るだけで、私たちは生死を解脱し、輪廻を繰り返すことから解放できる。現場にいるベストを着ている師兄も、着ていない師兄もいるが、私たちは本当に教えに従って不疑、不惑、決定について決意したのか。一切の身口意で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教法を守ることを決意したのか。それでも、道場を離れると、本来の自分に戻るのか。私は全ての悪行を懺悔したい。同意書をもらう過程において、新しく皈依した師兄もたくさんいた。当時、第8組の連絡を担当していた師兄はずっと手伝って新しく皈依した師兄を探してくれた。このことにも感謝したい。そのお蔭で、私は自ら反省文をそれらの師兄たちに渡し、過ちを犯した原因と自己修正に関する体得を説明できた。それで、彼らは私の反省文を受け取った時、不案内で書き方で困ったりしなかっただろう。また、入場組の師兄たちも新しく皈依した師兄探しに助けてくれたり、注意してくれたりしたので、感謝したい。今回、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがくれた再度の皈依過程で、私は学仏と自己修正の大切さについて深く体験した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大威徳力による教化、加持で、私は変わることができた。感謝を申したい。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝する。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお礼を言いたい。

現世、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できたことは、累世において極めて貴重な機会だ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけが、輪廻から私を連れ出すことができる。そして、学仏の道において自分の悪くて偽りの心性を見せてくれた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大威徳力、業力を消す厳しい叱り、そしてあらゆる慈悲の加持があるからこそ、悪い弟子の汚くて醜い心性を黒から白に転じることができる。根器の悪い私に、自分の悪行で衆生をどんなに傷つけたかを少しずつ理解させてくれた。それで、私は懺悔し、悔い改め、二度と犯さないと決意できた。この大した加持力は大変殊勝だ。私は幸いにも今世に、この具徳の上師、大修行者、仏と無二無別になるように修行できた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェから教えてもらうことができた。

師兄たちの皆さんに、私の悪行を教訓として鑑みる。私たちは教えに従って修行し、教えを守り、常に意念を浄めるべきだと思う。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けと加持は、無辺な衆生にとって必要なので、私たちを叱るのに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの体力を無駄にすべきではない。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法輪が常転し、この世に長生きして更に多くの有情衆生を利益すること、並びに一切の仏法事業が興盛になり、永遠に伝承されることを祈りたい。」

台北の寶吉祥仏法センターで開催された合同修行法会において、弟子たちと信衆たちは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2013年8月16日に日本の道場で主法した「地蔵王菩薩祈福法会」における開示内容の摘要カセットテープを恭しく清聴した。

「今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために地蔵王菩薩の法門を修める。日本で、地蔵王菩薩を修める時は念誦の方法を取るべきだと思われている。リンチェンドルジェ・リンポチェはまず地蔵王菩薩の名号の意義について解釈したい。『地』は地獄でなく、大地のことだ。地蔵王菩薩は大地のようにたくさんの衆生を包容、養育する意味だ。『蔵』は地下の宝でなく、どの衆生も仏と無二無別の清浄な仏性がある意味だ。仏性は『如来蔵』とも呼ばれ、釈迦牟尼仏と如来仏の宝と同じく、どの衆生も如来蔵があるが、貪、瞋、痴で覆われて瞞着されただけだ。地蔵王菩薩は私たちの仏法学習、修行を助け、如来蔵の機能を開いて回復した後、私たちは衆生を利益することができる。『王』は、地蔵菩薩が地獄を管理する王様の意味ではない。地蔵王菩薩は地獄の衆生を助けるだけだとよく思われるが、それは、地蔵王菩薩の誓言が『地獄不空、誓不成仏。』だったからだ。実際に、地蔵王菩薩は、地球上の人類が地獄に堕ちないように済度して助けるので、衆生が続けて地獄に堕ちなければ、地獄には何時か衆生がいなくなる。そのため、『王』は実際に、地蔵王菩薩の功徳、願力と慈悲が最も大きく、最も不可思議で殊勝だということを表している。

日本で、埋葬地、墓地であれば、必ずたくさんの地蔵王菩薩像が見られる。日本人は地蔵王菩薩を見ると、必ず恭しく合掌、供養する。墓地に地蔵王菩薩像があったら、その土地の鬼は済度され、住民は心配せずにいられると日本人はそう思っている。そうではないのだ。地蔵王菩薩像に恭しく合掌することは、自分のための福報を少し累積できるが、実際には鬼の済度に役立てない。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは地蔵王菩薩法門を修めるが、あなたたちが地蔵王菩薩と結縁できるように役立つ。あなたたちは地蔵王菩薩のことさえ覚えられたら、生前に小さな悪をやって地獄に堕ちる因を植えても、臨終の時に本当の懺悔心が起き、地蔵王菩薩を思い付くと、地蔵王菩薩の助けをもらい、地獄に堕ちない機会が得られる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは2005年より日本で法を広め始めたが、今まで、本気で仏法を学習、修行したい日本人がなかなか現れなかった。法会に参加した多くの人は加護を求めたいだけだ。しかし、仏が加護するのは、本気で発心して仏法を学習、修行する人だけだ。昔、仏法を中国から日本に持ち帰った日本の出家衆は、日本人の性格が分かったので、地蔵王菩薩の法門を大いに広め、日本人が地獄に堕ちる機会を減らしたかった。

今日の修法は密法を中心とするが、これで、皆は現世で地蔵王菩薩と深い縁を結ぶことができる。地蔵王菩薩の経典は『地蔵王菩薩本願経』だが、内容は特に因果の関係に関するものだ。地球衆生のいろんな罪と業が言及され、最もひどい罪は命を殺害することだと書かれている。経典にこんな話がある。地蔵王菩薩のある世の母親はスッポンの卵を食べるのが好きで、死後は地獄に堕ちた。釈迦牟尼仏は多くの仏経の中で、世間に戦争、病気、事故、横災などが続くのは殺業と肉食が原因だと話した。仏経にも、長期的に殺業を作っている土地だったら、戦争と災難の可能性があるという話がある。そのため、今日、リンチェンドルジェ・リンポチェが皆のために修法するのは、数百年前の日本人僧侶の願力に基づき、その願力を続けて広め、あなたたちに、地蔵王菩薩と深い縁を結ばせ、未来に地蔵王菩薩の助けをもらって悪道に堕ちない機会を与えたいためだ。」

修法が終わり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続けて『地蔵王菩薩本願経』を開示した。

「今、仏経を開いてよい。どのページでもいい。後ほど、リンチェンドルジェ・リンポチェは経典の各品の摘要を簡単に紹介するが、開いた後どのページが見えるかは構わない。リンチェンドルジェ・リンポチェが説法する時には全部加持がある。

『地蔵王菩薩本願経』の起源は、釈迦牟尼仏が忉利天に行って母親のために説法した時、母親の輪廻解脱を助けるため、地蔵王菩薩を紹介した。釈迦牟尼仏が忉利天に行って母親のために説法した時、たくさんの聖衆、菩薩と龍天護法も聞きに来た。釈迦牟尼仏は地蔵王菩薩の功徳、願力と累世の修行過程を開示したと共に、因果、業報について明らかに開示した。天道に生まれるのがいいことだとよく思われるが、天道にいたらたくさんの享受ができるとは言え、最後もやはり輪廻に堕ちる。三悪道に堕ちる可能性もある。

『地蔵王菩薩本願経』の中で、釈迦牟尼仏は未来世に『若有善男子、善女人』を話した。これは、十善法を修めた男性と女性のことだ。慈善団体に金銭を寄付した人のことではない。十善法は以下の十悪、つまり、殺生、偸盗(他人の物を取ることも、海賊版のDVDを制作、販売することも含む)、邪淫、悪口、両舌、綺語、妄語、貪欲、瞋恚と邪見(因果を不信すること)をしないことだ。

十善法を修めた男性、女性は地蔵王菩薩の名号を聞いた時、讃歎、頂礼、供養をし、地蔵王菩薩の仏像を、絵画や彫刻や泥塑で作ることができたら、未来の果報はきっと100世も三十三天に往生できることになる。しかも、臨終の時に、地蔵王菩薩の聖像を思い出すことがあったら、永遠に三悪道(地獄、餓鬼、畜生道)に堕ちない。この修行方法はあくまでも顕教の範囲に属す最も簡単なものだ。密法の修行方法だったら、あなたたちにはできないのだ。だから、未だに肉、魚を食べている人は決して十善法の修行ができないし、善男子、善女人にもなれない。死後、誰かに仏号を唱えてもらえれば、浄土に往生できると思ったら、勘違いだ。仏菩薩と上師の教導を聞かないなら、いくら礼拝しても無駄だ。

忉利天宮神通品第一の経文にこんな話がある。地蔵王菩薩は某世、当時在世の仏に会い、その荘厳な相を得るにはどうしたらよいかと仏に尋ねた。そうしたら、仏は、生生世世で身口意で苦しむ衆生を全部済度、利益しなければ、仏と同じ荘厳な相が得られないと開示した。それで、地蔵王菩薩は大願力を発し、永遠に方便な法門で輪廻で苦しむ衆生の全員が解脱するように助けると願った。経文にもこんな話がある。地蔵王菩薩は某世婆羅門女、つまり貴族の家に生まれた女性だった。しかし、彼女の母親は邪見があって三宝を軽蔑した。三宝に対して恭敬心が起きたこともあるが、また、不信、軽蔑したので、結局、死後は地獄に堕ちた。これも、先ほど、リンチェンドルジェ・リンポチェがあの日本に信衆を叱り、考えずに仏経をめくるのを止めさせた理由だ。こんな行為が三宝を軽蔑することになる。

分身集会品第二、この品は地蔵王菩薩にはたくさんの分身があることに関する内容だ。

観衆生業縁品第三は、衆生のいろんな業と縁、地球の衆生は異なることをして異なる果報を得ること、どんな業を作ったらどんな果報を得るかに関している。その中で、地獄には、男女、老少、種族、貴賤の区別がなく、龍、神、天、鬼などの衆を含め、悪行をすれば、誰もが同じく相応する果報の地獄に堕ちることが触れられた。誤解しないでほしい。地獄は衆生を処罰するために仏菩薩が作ったものではない。衆生自身が為したことで呼び付けた境界だ。

閻浮衆生業感品第四には一つのポイントがある。特に、地蔵王菩薩は某世女性として生まれ、食事で僧侶に供養して一人の阿羅漢に出会ったことが触れられた。地蔵王菩薩は自分の母親が死後どこに行ったかを知らなかったので、阿羅漢に尋ねた。そうしたら、阿羅漢は、母親は生前どんなことをしたか、それで地獄でひどく苦しませられたかを聞いた。地蔵王菩薩は阿羅漢に、母親は魚、スッポン、魚介類の卵を食べるのが好きで、炒めたり、煮たり、焼いたりして数えきれない卵を食べたと答えた。日本人みたいに、魚介類、特にその卵を食べるのが好きなことと同じだ。地蔵王菩薩は母親のためにたくさんの仏事をしたので、母親はやっと地獄を離れて人道に生まれた。それでも、下賤の出身で、下女として生まれたうえで、寿命は短くて13才で死んだ。先ほど話したが、最もひどい業は殺業だ。もし、あなたたちは時々に病気になったり、事故に遭ったり、心臓病、糖尿病、癌などに罹ったりすることがあったら、何れも殺業に関係している。

この品に、殺生には『宿殃短命報』があるとの記述もある。他人のものを盗んだら、貧乏な業報がある。邪淫者について、男性の場合、レイプしたり、薬を飲ませて乱暴をしたり、酔わせた後淫行をしたり、未成年者や結婚した女性、或は人に経済的に頼る女性と肉体関係を持ったりすることが邪淫だ。女性の場合、男性から生活費、贈り物などの利益をもらっているのに、別の男性と関係ができたことが邪淫で、その果報は子宮や腎臓に関する病気になることだ。しかも、老けやすくて来世は雀、鴿や鴛鴦に転生される可能性がある。悪口したり、時々人を罵ったりする人は、眷属が喧嘩したり、闘争したりするし、訴訟に係ることもある。他人を誹謗する者は、将来舌がなかったり、口に瘡ができたりするようになる。時々に瞋念が起きたら、その果報は顔が醜くなるか、身体障碍になることだ。吝嗇で、あまり布施をしない人の果報は願いが叶わず、求めたいものを得ず、何事をしてもうまく行かないことだ。『飲食無度者』、つまりやたらに飲み食いをし、節制しない人は、飢餓や咽喉に関する病の果報になる。狩り、釣りが好きな人、罠で動物を捕まえる人は、『驚狂喪命』の果報がある。つまり、精神病で狂って死ぬ果報だ。『悖逆父母』、親孝行をしない人は、『天地災殺報』、つまり大雨、水害、地震、火災などで死ぬ果報がある。交通事故も同じだ。更に重要なことだが、三宝を誹謗する人は、『盲聾瘖瘂』の果報があり、目が見えず、耳が聞こえず、口が話せない結果になる。

次は、地獄名号品第五だが、この品でいろんな地獄が紹介される。経文に、衆生は自ら為した悪業で地獄に堕ちて苦しみ、親子の関係でも代わりに苦しみを負うことができないことが書かれている。だから、どんなことをしても平気で、たかがことだから気にしない、或はとにかくやって後のことはその時になれば考えようと思ってはならない。未だに嘘をついて人を騙している人について、経典の中で、耕舌地獄が触れられ、嘘をついて人を騙す人は耕舌地獄に堕ちるという話、牛が犂であなたの舌を往復して耕作する話がある。特に、自分に恩がある人を騙す者はそうだ。例えば自分の両親だから、ちょっと騙しても構わないと思うことも同じだ。多くの人は電話で話す時、話を続けたくないから、電話を切ったり、電源を切ったり、電話に出なかったりして信号がよくないと言い訳をすることがある。こんなことを一回くらいしても構わないと思われるが、全部嘘をついて人をだますことになる。

そしては、如来讃歎品第六、この品に、顔が醜い女性や病弱な人は地蔵王菩薩像の前に恭しく仰ぎ見て礼拝したら、未来は円満な顔になるうえで、百千万億の世において国王の娘、或は貴族、富貴な家の娘として生まれるし、端正な顔があり、全てが円満になる話がある。

次は、利益存亡品第七、この品は、死んだ家族をどう助けるかを眷属に教える内容だ。家族が往生する前、肉汁や魚のスープなどの肉食を食べさせたり、鬼神に求めたりしてはいけない。これらのことは死者によくないのだ。また、決して肉食で死者を拝まないことも経典にある。こんなことをしたら、死者の業力を増やしてしまう。

閻羅王衆讃歎品第八だが、日本人は閻羅王を拝む習慣があることをリンチェンドルジェ・リンポチェは知っている。閻羅王に恭しく合掌し、お花を供養すれば、閻羅王は自分を早く死なせたり、捕まえに来たりしないと日本人は思っているが、この考えは正しくない。経典に、閻羅王の加護をもらいたければ、家族で善行を行うと共に、仏号や菩薩の名号を唱えなければならない話がある。これらのことができる人だったら、鬼、魔、龍などは害しに来ないだけでなく、鬼王、神祇も敬意を払い、守ってくれる。この品のポイントは、家に臨終する人がいたら、親族はその人のために福報を累積し、大供養を設けるべきで、そうしなけなければ、助けてあげられないことだ。大供養とは、お金を払って念誦を職業にしている人に頼むことではない。死者を助けられる善知識を見つける因縁がなかったら、家族が念誦すべきだ。こうして死者のためになれる。理由は、死者を助ける家族の心が最も真誠だからだ。

称仏名号品第九は、各種の仏号を唱えることで得られるいろんな利益に関している。

校量布施功徳縁品第十は、異なる布施で得られる様々な利益に関する話だ。布施をする功徳は一切の衆生に回向し、衆生が菩提を証得することを願うべきで、自分の家族だけに回向してはいけない。

地神護法品第十一だが、地神は私たちにとって大事な存在だ。経典の中で触れられたのは堅牢地神だ。土石流、地震、山崩れなどが起きるのが地神に関係している。あなたたちは耕作農業、園芸或は建築業の仕事をしている場合、地神を拝むべきだ。ある建築業をしている日本人はリンチェンドルジェ・リンポチェが主法した地蔵王菩薩法会に参加したことがある。彼は一回の参加でよいと思ったので、今日の法会に参加しなかった。彼は今日参加しないとリンチェンドルジェ・リンポチェに話したが、リンチェンドルジェ・リンポチェにもいいよと答えた。しかし、今日リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に関する話の開示をすることを、彼は思わなかった。だから、法会がある度に、参加の機会を逃さないほうがいい。参加したことがある、或はまた参加すればいいと思わないほうかいい。実際に、毎回の法会でリンチェンドルジェ・リンポチェは新しいことを話してあげる。

あなたたちは自分でこの仏経を読む時、ただ文字通りに読めば、簡単だと思うだろう。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの仏経を開示するのに、少なくとも1~3ヶ月ほどかかる。そうしないと、詳しく説明できない。『地蔵王菩薩本願経』を詳しく学びたいなら、きちんと願いなさい。リンチェンドルジェ・リンポチェに願いなさい。地蔵王菩薩像に願うのではない。何故なら、地蔵王菩薩はあなたたちに口を利かないし、あなたたちは地蔵王菩薩に会うこともできないからだ。

見聞利益品第十二、この品では、地蔵王菩薩像を見たら、或は地蔵王菩薩の名号を聞いたら、その時得られる利益について書かれた。しかも、衣食が足らず、常に病気や凶衰になる人、つまりわけもなく横災が時々に起きる人、また家運が衰退する人、或は家宅が不安定、つまり家族によくないことが常に起きたり、家族がバラバラになったり、寝る間常に怖がったりする人なら、真面目に地蔵王菩薩を修め、敬ったら、これらよくないことはだんだんなくなり、衣食が豊かになり、安らぎに眠り、安楽になれることも言及された。

嘱累人天品第十三は、特に地球の衆生に関してこう話した。地球の衆生は性格が落ち着かず、何でも欲しくて悪行に慣れ、悪を為す人が多く、善心が少しでも起きたら、すぐ引いて消えてしまう。しかし、悪縁に遭うと、悪念は容易く絶えずに増える。例を挙げよう。例えば煙草を止めたい人がいる。周りの友達は彼が煙草を止めたいのを知っているにもかかわらず、煙草を渡したり、一本だけだから吸っても構わないと誘ったりする。この人は唆されたら、すぐ煙草を吸いたくなり、一本吸ったら、また一本吸いたくなる。何故なら、悪行は生じやすいもので、あらゆる意念に伴って増えるからだ。

最後に、善男子、善女人は地蔵王菩薩の形像を見た時、『地蔵王菩薩本願経』を聞き、或は経典を読み上げ、お香、お花、飲食、衣服や宝物で布施、供養し、地蔵王菩薩を讃歎、瞻礼したら、28種の利益が得られるという話がある。経典の内容に嘘はない。リンチェンドルジェ・リンポチェは『地蔵王菩薩本願経』の内容通りにやってきたので、たくさんの利益を得た。手を叩いて賽銭を入れれば、仏菩薩に助けてもらえると思ったら、間違いだ。法会に参加した後、家に帰ってまた肉食、殺生を続けていたら、仏菩薩に助けてもらえるはずがない。

法本内の最後の段落は、学仏のため、皆の縁を伸ばすことに役立つ。あなたたちの煩悩、邪見、飢餓、流行病、戦争、懶惰、猶予、遺忘を減らすと共に、あなたたちを邪魔する全ての善業から離れるように助ける。猶予は、もうちょっと考えよう、もうちょっと待とうという気持ち、今すぐ学仏するかどうかを迷ったり、何かを完成してから学仏しようと思ったりする躊躇いだ。遺忘は、あなたたちがよく言っている『忘れた。』『覚えていない。』『分からない。誰も教えてくれなかった。』など、あなたたちの修行を妨げる善業のことだ。例えば、法会に参加したいが、店や家の用事で心配しているようなことだ。これらの阻害で法会に参加できなくなる。あなたたちの中でこんな人が多い。今日、この法を修めたら、今話した各種の言い訳を無くすことを地蔵王菩薩が手伝ってくれたらいい。そうしたら、あなたたちは修行を阻害する全ての善業から離れ、学仏の決意を固めることができる。

法会は円満になった。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェが修めた法は、チベットでは本来一日かかる。皆は忙しいので、リンチェンドルジェ・リンポチェは早く修めた。それでも、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法の時、法本内の内容を減らさなかった。今日の修法で皆は地蔵王菩薩の身、口、意の功徳が得られたが、これからはあなたたちの行動で累積し続けなければならない。『地蔵王菩薩本願経』の内容はたくさんある。家族に患者がいる場合、どう助けるか、また、妊婦がいる場合、妊娠期間中の変化、妊娠前後のすべきことなどを含んでいる。今日は時間が限られているので、それらのことを開示しない。あなたたちに地蔵王菩薩の法と経文を勉強する気があるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェの伝法を願ったらいい。

今後、あなたたちは地蔵王菩薩像を見たら、恭しく頂礼しなさい。頂礼できなかったら、せめて心の中で『南無地蔵王菩薩』を唱えなさい。地蔵王菩薩に対して大きな信念さえ抱いていたら、地蔵王菩薩は生生世世あなたの面倒を見る。これは顕教の言い方だが、密教の観点からだと、最大な恭敬心を持って完全に上師に頼り、地蔵王菩薩の法門を伝授することを上師に願うと共に、精進に修行しなければ、地蔵王菩薩から身、口、意の利益と加持をもらうことができない。

今日は8月16日、京都では大文字祭りを行う伝統的な習俗がある。寶吉祥仏法センターの位置からちょうど大文字祭りが見られる。参加者たちを招待する夕食が用意されているので、皆はここに残って食事したらいい。同時に祭りを観賞できる。今日の法会は、チベット、中国と日本の習俗を融合した内容だと言ってもいい。大文字祭りは本当に役立つだろうか。実際に、大文字祭りは鬼神を慰めるのに少しの効果があるが、短期的なものに過ぎない。本当の助けをもらいたいなら、肝心なのは仏法を学び、因果面で自分を修正することだ。」

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2017 年 03 月 28 日 更新