尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示– 2015年12月19日

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは日本の京都道場で殊勝な地蔵王菩薩呪願法会を主法し、並びに自身の修行した証量で『地蔵王菩薩本願経』を開示した。日本、中国からの信衆を含め、合計215人参加した。

午前9時30分、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がり、参加者たちに貴重な仏法開示を賜った。最初に、リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分は経教面での研究を通して仏法と経典を解釈するのでなく、自身の20数年来の修行経験と上師の教え、及び諸仏菩薩の加被を以てこの二日間の法会の因縁を機に、日本の信衆と弟子に『地蔵王菩薩本願経』を説明したいと謙虚に表した。「台湾で『地蔵王菩薩本願経』を解釈したことがないが、今回は初めだ。早めに終えたいと思う。日本の信衆に、どんなことをしてどんな結果が得られるか、そしてどうのように自分の未来を変えるかを理解してほしい。

日本で、地蔵王菩薩はよく知られている。多くのお寺や路地でも地蔵菩薩の仏像が設置されている。寶吉祥の日本道場の街角にも地蔵菩薩の仏像がある。加護を求めること、そして子供が従順になること或は金銭、健康、優しい彼氏に出会えることを地蔵菩薩に祈る日本人が大勢いる。また、死んだ家族や試験合格のために祈るのが地蔵菩薩に参拝する目的だと思う人も多い。これらは『地蔵経』の開示内容と一致しない。地蔵菩薩の教えは主に因果、業報の関連性、どんな因でどんな果報になるかのことに関係している。地蔵王菩薩は死者の済度だけをしているのではない。地蔵王菩薩が妊婦と胎児への保護は何よりだ。妊娠中恭しく『地蔵経』を念誦したら、妊婦本人とお腹の胎児に大変役立つ。

今日修める地蔵菩薩は八大菩薩の一人で、八大菩薩の中で出家相が現れた唯一の大菩薩だ。ほかの七人の菩薩は皆在家相だ。菩薩の果位は初地(登地)菩薩、つまり初めて発心した菩薩から十六地まであり、十七地は仏果の証得ができた段階だ。八大菩薩は法身が証得できた菩薩のことで、つまり、法界における物事の一切の進行原理を理解した菩薩のことだ。本来、法身菩薩は仏果が証果できるが、仏法を残して更に多くの衆生を助けて輪廻から離れさせるため、続けて菩薩の果位で世間に残る。初地から八地までの菩薩が衆生を済度する心はまだ退転の機会がある。しかし、法身が証得できた菩薩は退転することがない。地蔵菩薩は人類にとって極めて重要だ。釈迦牟尼仏は地蔵菩薩に、釈迦牟尼仏が滅度の後、弥勒菩薩が成仏できるまでの間、地蔵菩薩は仏の力になって衆生に仏法を学習させることを指示した。

菩薩の定義は覚有情だ。有情の定義は七情と六欲であり、煩悩があるが、取捨する能力もある。有情衆は天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄六道を含む。植物にも命があると、仏教徒の菜食を批判する人がいるが、植物は単純に栄養を吸収して生長するものであり、有情衆が持っている欲望、恐懼と取捨の能力がない。

菩薩は悟った有情衆なので、生命の本質は苦だと理解したはずだ。生老病死の苦、求不得苦、愛別離苦、怨憎会苦、五陰盛苦、また輪廻の苦もあり、生命の本質は苦が多くて楽が少ないものだ。離苦するには、因果の原理を知る必要がある。皆は人道にいて概ねに感じられたので、畜生道、餓鬼道、地獄道の衆生は言うまでもない。畜生道いると、仏法を聞くことができず、業力に流されてほかの動物を食べるか、食べられるしかなく、恐怖の中で生きる。畜生道の衆生は業力が終わって人間に転生したら、ちょっとしたことで気が動転してしまう。餓鬼道の衆生は食べられず、食物を見て食べようとしたら、喉を通ると火に変わって辛くて仏法を学ぶ機会が全くない。地獄道の衆生にはそれぞれの苦があるし、止むこともない。『地蔵経』にある五無間地獄のようだ。

輪廻は仏の発明でなく、宇宙の自然法則だ。物質だったら、止むことのない生滅がある。人間も物質だ。輪廻を信じない人がいる。今世しか信じず、前世も来世のことを認めない。輪廻を信じない者が皆邪説だと仏はこう話した。もしも本当に今世しかなかったら、努力する必要もないだろう。いろんなことを計画する必要もなく、毎日過ごせればいいのではないか。誰もが心の中で輪廻は確実に存在していると多少分かっている。今、欧米を含め、世界各地でたくさんの研究がなされている。一部の人は確かに前世のことを覚えていることも証明された。最近一つの事例がある。ある人は前世3才の時に殺されて死んだことを思えており、殺人犯が凶器を隠した場所まではっきりと覚えている話だ。

『地蔵経』は仏陀が亡くなった母親のため、忉利天に行って母親に広めた経典だ。天界に行ったら享受できると思ったら、勘違いだ。多くの外道は天界に生まれることしか求めない。実際に、天界の衆生は福報を使い尽した後、瞋念が起きて地獄に堕ちることが多い。それで、世尊はわざと忉利天に行って母親に説法し、子女として親孝行の責任を果たして母親の輪廻を止めさせたかった。そのため、『地蔵経』の内容は、決して皆に驚かして仏を信じさせように脅迫するものではないと、仏は話した。皆が仏を信じても、仏は何の得もしない。教えを聞かなければ処罰するような外道の主張と全く違う。『地蔵経』が触れた因果、果報は本当に起きたことだ。仏教は戒を守ることを教える。そのうち、一つの戒は不妄語だ。仏は円満になった覚者で、実語者なので、不妄語戒を破るはずがない。仏が開示した何れの言葉も因果・因縁、輪廻解脱に関しており、生死の苦海からの解脱と無関係のことを決して話さない。

地蔵菩薩の聖号を以前解釈したことがあるので、今日は開示しない。今日の法会はまず密法を修め、それからは経典を開示する。釈迦牟尼仏は密法を開示したことがないと思う人が多いが、この見解は正しくない。『宝積経』の中で、密法の修行が触れられたが、密法が分からない人はそれが密法だと理解できないし、如何に修行するかも分からない。実際に、顕教の経論と修行に頼るだけでも成仏できるが、三大阿僧祇劫の時間がかかる。人類の数学では計算できず、極めて長い時間だ。世尊は世間で仏法を49年間広めたが、密法を完全に伝授できなかった。何故なら、正しい根器を有する弟子でなければ、密法を伝授してあげてはならないし、公開的に弘通することもできないからだ。世尊は後になって龍樹菩薩に転生し、それから密法を伝授し始め、密法はインドから、雪域であるチベットへ伝えられることを予言した。

その後、密法は唐朝の時に日本に伝わり、東密とも呼ばれた。中国の唐朝時期、密法は唐密と呼ばれていた。唐密はインドから中国に伝えられた。密法は事部、行部、瑜伽部、無上瑜伽部を含んでいるが、東密、唐密には事部と行部しかなかった。そのため、日本で密法を修行する時は必ず本尊の壇城を修める。密法は簡単に伝授されない。日本でもそうだ。今密法は日本で学術研究になっている。不動明王にも密法があるが、知られていない。瑜伽、無上瑜伽の修行にならないと分からない。仏も、上師も言わなかった。その境界になれる修行は稀だから、言わなくても全く影響がない。日本民族は排外的なので、歴史は発展してきたが、チベット仏教は日本でなかなか受け入れられない。リンチェンドルジェ・リンポチェが日本で道場を設置した当初、その時、日本にはダライ・ラマの事務所しかなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが宗教団体の申請を出した時、日本政府は道場の出費を賄う商売をしているかと質問した。リンチェンドルジェ・リンポチェは商売をしないが、日本の仏寺は皆商売で仏寺の出費を賄っている。それで、日本政府は信じてくれなかった。お金は誰が払うかとリンチェンドルジェ・リンポチェに質問した。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分で払うと答えた。

仏寺に行ってお経を念誦し、お香をあげるのが学仏ではないし、護摩の行事も学仏ではない。密法を聞いたら、皆はすごいと思うだろうが。実際に密法には二つの意義がある。一つは、密法を修行する行者の心はしっかりしていて変わらない意味だ。もう一つは、密法は秘密的ではないが、大学や博士のレベルのようなものなので、小学生のレベルでは聞いても理解できないから、秘密的だと思われてしまうことだ。あなたたちの場合は幼稚園レベルだから、もちろん深くて神秘だと感じる。密法の学習には次第がある。まずは10年の顕教基礎が必要だ。顕教は明らかという意味、つまり仏陀が教えたあらゆる経論を確実に理解できた後、初めて上師はあなたの根器に応じて密法を伝授するかどうかを決めることだ。コックとして料理法を学んだ後でも自ら実際にやる必要があるようなことだ。福報がなければ、密法が聞けない。ここで一つの話をしよう。ある日、尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに密法を口伝した。その時、直貢チェツァン法王のお母さんは知らずに部屋に入って来た。すると、直貢チェツァン法王は直ちに伝授するのを止め、お母さんが出て行った後伝授を続けた。だから、密法はいい加減に伝授できるものではない。顕教の基礎がなかったら、密法を学ぶことはできない。密法は伝承を重要視している。密法を修める上師は、どうやって密法を学習したか、また課程はどうなのか、先生は誰かを必ず明らかにする。

今日修める法要は清浄な土地で行う必要がある。清浄とは、まず殺生がなく、動物を殺すのも、肉を食べるのも、お酒を飲むのもない平和な土地のことだ。そして、例えばタバコやお酒の販売、風俗業、スナック、売春業などの不当な商売をしていないことだ。

あなたたちは修行者ではないので、雑念はどうしても避けられない。意念が起きたら、あまり気にしなくてよい。一つの方法を教えてあげよう。妄念が起きると察したら、上師や壇城の本尊を専念に見つめて意念をリセットすればよい。また、法会の時に眠くなるのは、三宝を敬わないことになるので、早く懺悔しなければならない。また、たくさんの肉を食べたか、体の血気が弱いかの原因も考えられる。こんな時は油灯の光を見ればよい。灯は智慧を表すので、入念に見つめたら状況は改善される。法会中居眠りしたら、果報は来世畜生道に生まれることだが、法会に参加して福報の累積ができるから、ペットになる可能性もある。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法し始めた。まずはハタ献上の儀軌を進め、それからは開示に移った。「あなたたちは仏法を聞く福報がないので、ハタの献上によって仏法を聞き、修行する福報を与える。法本に、金剛弟子に殊勝な密法を口伝する話がある。本来なら、あなたたちは密法の伝授を受ける条件がなかったが、今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子のために殊勝な密法を口伝する。密法を学ぶには、福徳と因縁の具足が必要だ。そのため、あなたたちは感謝、懺悔の気持ちを持たなければならない。よりよい者は涙を流してこの殊勝な密法を受ける。懺悔の懺という字は、自分の果報を全て認め、受け止め、責任を取る意味だ。悔という字は、これ以上犯さない意味だ。もう一度注意する。法会中は専念しなさい。ほかの意念があってはならない。

法本の中で触れられているが、私たちは修法の上師と諸仏菩薩に対し、恭しく頂礼し、地蔵王菩薩を敬わなければならない。しかし、そんなに恭しく誠な気持ちで、見返りを望まない人がなかなかいない。それでも、地蔵菩薩は無差別に平等心で全ての衆生を扱い、苦海から離れるように衆生を助ける。仏法の伝授は文字によることが多いが、信念が何よりだ。まずは、衆生は何れも成仏の条件を持ち、数世後、いつかはきっと仏のように成仏できるという仏の言葉を信じることだ。そして、法は釈迦牟尼仏が伝えたものなので、法に対して信念を持つことだ。衆生に役立つ行為こそ、仏法だ。更に。上師は何も求めず、仏法を広めているので、上師に対して信念を持つことだ。修法する上師は清浄な心で参加の信衆に対して何も求めないでいなければならない。修法する上師はたくさんの過程を経てやっと修行できたうえで、その上師に認めてもらわなければならない。あなたたちに信念があったら、今日修める法はきっとあなたたちのためになる。仏法の効果はすぐ感じられないが、あなたたちは少しずつ人生に起きる変化、煩悩と苦痛の減少が感じられる。学仏において最も大事なのは信念と恭敬心だ。法本内の全ての儀軌は衆生のためで、仏のためではない。お香をあげるのも、点灯するのも私たちの恭敬心を培うことが目的だ。

以前、一人の弟子がひどい交通事故に遭った時、冤親債主が彼女の親族に化けて彼女を連れて行こうとしたが、その弟子はついて行かず、リンチェンドルジェ・リンポチェについて行こうとした。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに対して信念があったので、連れ去られなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェには仏の光があったので、彼女の冤親債主はリンチェンドルジェ・リンポチェの様子に化けられなかった。」

リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を込めて参加者たちの念誦、皈依、発心をを導き、並びに発心の大切さを開示した。「発心とは法会参加の動機だ。もし、あなたたちは富、健康を求めたいなら、望みは叶わない。しかし、生死を解脱したいなら、叶えられる。皈依の場合、長くても17世で成仏できる。あなたたちは今世や来世で成仏できるはずがないが、きっと某世に仏果を成就することができる。続きに、本尊に供養し、本尊が現れて修法の土地を浄土に、屋敷を宮殿になること、及び壇城にある法座を加持してくれことを要請する。法会に前行、正行と回向の段階がある。前行は法会前の準備のことであり、発心が正しかったら、法会は順調で円満になれる。正行に関しては、あなたたちは行う資格がないので、誠意と専念でリンチェンドルジェ・リンポチェが法本を念誦するのを聞いたらよい。そしては回向だが、法界の一切の有情衆生に回向する。外部に回向したら、戻ってくるのはもっとたくさんになる。」

リンチェンドルジェ・リンポチェは参加者たちに、右膝で長く跪き、両手で花を捧げて地蔵王菩薩が現場に来るのを迎えるように指示し、並びに法本にある、壇城にて花、果物などの供え物を地蔵菩薩に供養する話を開示した。「この法本はヴァジュラヴァーラーヒが伝えたものだ。ヴァジュラヴァーラーヒは密法において大変重要な本尊だ。ヴァジュラヴァーラーヒは108種の法を一人の修行者に伝授した。その後、修行者は更にそのうちの24種を一人の尊者に伝授した。これらの法の加持力は極めて強くて殊勝だ。無数の衆生を利益することができる。上師の伝授と修行過程は、法は独自に作り出されたものではないと証明できる。ヴァジュラヴァーラーヒからインドへ伝え、そして直貢チェツァン法王に伝えられ、今はリンチェンドルジェ・リンポチェに伝えられた。しかし、地球の人類は見ることを信じる傾向があるので、この法本は文字で記載された。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続け、並びに真言は、長咒、普段行動、座禅、閉関の時に唱える真言、及び本尊の願力と功徳を全て含む心咒の三つの区分があることを開示した。「一冊の本を読む、或は一冊の本の摘要を読むようなことだ。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは三種類の真言を伝授したが、まずは皈依、そして灌頂、口伝を経なければ、持咒はできない。また、生起と円満次第の観想も必要だ。真言は、他人を呪って自分の目的達成や自己の欲望満足のために用いてはならない。真言は諸仏と本尊の願力、功徳、慈悲と事業だ。長期的に地蔵菩薩の密咒を念誦したら、どんな効果があるのか。地蔵菩薩の真言を持続的に念誦したら、心が望むことが達成できる。しかし、息子が大人になって結婚し、孫を産んでくれることの達成ではない。願いが叶うことはやり遂げたい仏法事業は全て達成できる意味だ。真言は梵語で、翻訳しない。また、体の構造にも関係している。宇宙の音は体にいいので、常に持咒する人の体がより健康的だということもある。例えば『ウォン』という字は発声後唇を閉じる必要があるが、頭頂まで振動、麻痺、共鳴が感じられる。この文字は智慧に関係している。発音は似ているが、日本のオウム真理教とは全く関係がない。『ウォン』の発音は頭痛にも効く。リンチェンドルジェ・リンポチェ36才の時副鼻腔炎の症状があり、『ウォン』を発音したら、和らげられた。しかし、眩暈するので、常に唱えないほうがいい。『ア』という文字は空性を表し、宇宙の音だ。閉鎖空間にいると、『ウォン』と『ア』の音が聞こえてくる。宇宙飛行士が月球に行って聞いた音が『ア』だったので、地球に戻ったらイスラム教を信じるようになった。

清浄で欲望のない心で持咒しなければならない。地蔵菩薩の真言を法に基づいて修持できたら、きっと加持が得られ、あなたたちと一切の衆生は利益を受けることができ、三悪道に堕ちなくなる。三悪道にいる衆生は極めて苦しい。畜生道にいたら、学仏できず、礼儀も知らず、人間とほかの衆生に殺され、病気になっても分からず、知恵もないのだ。地獄や餓鬼道に堕ちるかどうかをどうやって見極めるか。往生前、地獄や餓鬼道に堕ちるかどうかは見れば分かる。三悪趣に堕ちるのはどれほど簡単なことかを皆は信じないだろう。餓鬼道、地獄道を見たことがないとあなたたちは言うだろう。本当は往生前病院で見られるのだ。」

修法は円満になり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けた。「今日はあなたたちのためによい種と因縁を結び付けた。あなたたちは密法の伝授を受ける資格がないが、今日は事部と行部のほうで伝えてあげたことになるだろう。法を守って修行する弟子なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは保証する。今日の法会を覚えられれば、三悪道に堕ちることはない。『地蔵王菩薩本願経』を説明するのは、弟子たちと日本の信衆たちに地蔵王菩薩の本当の意義を理解させるためだ。この法会は日本人、衆生に大変よいので、日本で被災した人たちと国に役立ち、この国の飢餓を減らし、戦争などを止めたい。釈迦牟尼仏で始まり、弥勒菩薩になって再来するまでの期間、因果の法門を開示し、この法門で地球上の衆生が学仏するように助けたい。地蔵王菩薩は大変苦労している。そのため、地蔵王菩薩法門を修める人はより大変だ。地蔵菩薩が中国と日本と深い縁があるのは、この二つの国は歴史上の殺業と戦争がたくさんあったからだろう。

日本人は忙しくて学仏や持咒する時間がないと言うだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェも大変忙しい。1500人の弟子、130数人の従業員、10種類以上の事業を抱えていても、学仏と修行をする時間がある。厳しく言えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは積極的に事業を経営していない。しかし、仏法を確実に生活と事業に運用している。あなたたちは忙しいと言っているが、リンチェンドルジェ・リンポチェほど忙しくないだろう。決意しないからだ。学仏は未来の人生を変えることができる。学仏しなかったら、リンチェンドルジェ・リンポチェはとっくにこの世にいなかった。

今朝のニュース報道によれば、今の日本に子供を作らない人が多いそうだ。年寄りを世話する人がいないのは現象のように見えるが、果報だ。今の日本、中国、ヨーロッパ、アメリカなどの国では、年寄りを世話する人が不足している。因果の観点から言うと、若い時年寄りの世話をすれば、自分が年取ったら、人に世話してもらえる。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェにこう話した。リンチェンドルジェ・リンポチェは母親の面倒をきちんと見ていたので、母は91才までに生きられた。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は字が読めず、懺悔も知らなかったが、以前大変親孝行をしていたので、自然にリンチェンドルジェ・リンポチェも親孝行をした。今思えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは母が肺炎に罹った原因が分かった。リンチェンドルジェ・リンポチェがまだ幼かった時、母はコックの話を聞き、豚の肺に水を注入し、水をずっと垂らしていたことがある。一杯のスープを作るにはどれくらいの時間が必要だろう。母が飲んだわけではなかったが、母が作ったのだ。それでそんな果報を得た。因果は恐ろしいものだ。リンチェンドルジェ・リンポチェもタバコを吸ったら地獄に堕ちることが分かったので、タバコを止めた。信じなさい。直貢チェツァン法王は、アメリカで老人が街中で小便したのを見た話を開示した。それらの老人は自分が動物のように見えたのも分からず、立ったままで小便した。動物は人間の言葉が分からず、地面に腹ばいになってものを食べたような行為だ。これは人間の共業だ。」

午前の法会は円満に終了した。参加者たちは恭しく合掌して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座から降りるのを見送り、並びに一斉に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの精一杯の修法と開示に感謝した。

午後2時30分、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再び法座に上がり、『地蔵王菩薩本願経』を開示した。

「リンチェンドルジェ・リンポチェは文字やほかの経典で文字を解釈せず、自身の20数年の修行経験と伝承上師からの教えを用いて『地蔵王菩薩本願経』を開示する。仏経は教科書ではない。修行で自身の修めた仏法は経典と一致しているかどうかを検証すべきだ。一致だからこそ、仏経を開示する資格がある。仏法を字面で解釈せず、本当の意義を理解すべきだと昔の人はこう言った。次は、『地蔵王菩薩本願経』第三品の『観衆生業縁品第三』の開示に行きたい。この品の名称に『観』という字が使われた。菩薩は法眼、仏眼で衆生の業果と因縁を見た意味だ。『観』は天眼、肉眼でなく、仏眼、法眼で見ることだ。天眼は宇宙のあらゆる物事が分かるが、法眼は、仏と同じ清浄な法性を持っていたら、衆生の因果が見える意味だ。衆生は六道で輪廻する衆生のこと、業は私たちを輪廻させる力のことだ。

『爾時仏母摩耶夫人、恭敬合掌問地蔵菩薩言。』仏母は釈迦牟尼仏のお母さん、摩耶夫人のことで、摩耶夫人は地蔵菩薩に尋ねた時、恭しく合掌した。釈迦牟尼仏のお母さんとは言え、生前は菩薩の果位までに修行しなかったので、仏菩薩に尋ねた時は恭しい気持ちで合掌した。合掌の時、十本指で十方法界の一切の衆生を代表し、諸仏菩薩に尋ね、敬った。両手の付け根を合わせて三悪道に堕ちる因を断ち切ることができ、左手は慈悲を、右手は事業を表す。ここの事業は商売する時の事業でなく、仏法の事業だ。両手を合わせることで仏法の修行には福徳と智慧が必要だという意味を表す。合掌の意味について、その中の仏法をたくさん開示することができるが、最低でも2週間が必要だ。だから、仏法を見下してはならない。仏法の何れの動作も深い意味があるのだ。ある程度の境界の修行ができたら、自然に分かる。

摩耶夫人は『聖者、閻浮衆生造業差別、所受報応其事云何。』と尋ねた。『聖者』は地蔵菩薩のこと、『閻浮』は地球のことだ。仏経に、私たちのいる須弥山である銀河系に、東西南北のそれぞれに四大洲があり、そのうち、閻浮は特に地球という惑星を指すという話がある。須弥山は非常に高い。地球はほかの惑星と大きな違いがある。地球には天道、人道、畜生道、鬼道と地獄道があり、共同に交じって生活している。

『地蔵答言、千万世界乃及国土、或有地獄或無地獄、或有女人或無女人、或有仏法或無仏法、乃至声聞辟支仏亦復如是非但地獄罪報一等。』実際に、仏法の角度は宇宙観だ、千万世界は無数の銀河系のことだ。仏経に、虚空は無辺のものだという話がある。宇宙は拡大しつつあることも現代の天文学で証明された。仏は数千年前に既に発言した。何れの世界にもそれぞれの因縁がある。地獄のある惑星もあるし、ないものもある。女性のいる惑星もあるし、いないものもある。仏法のある惑星もあるし、ないものもある。乃至声聞、辟支仏も同じ、いる惑星もいない惑星もある。しかし、地獄の衆生が受けさせられる苦しみは一番ひどい。これで分かるように、地獄は地球の人類だけのために設けられるものではない。

『摩耶夫人重白菩薩、且願聞於閻浮罪報所感悪趣。』摩耶夫人は地蔵菩薩に、地球上の衆生はどんな苦しみを受けさせられるかを尋ねた。ここで『悪趣』が取り上げられた。地獄の苦しみは神や仏が作り出して衆生を処罰するのではなく、衆生が呼び付けたものだという意味だ。衆生を処罰するために仏が地獄を設けたのでなく、人類が呼び付けたのだ。だから、善行を続けていたら、呼びつけるものは善だ。悪行を続けていたら、呼びつけるのは悪だ。同類だからだ。悪行を続けた結果は地獄に堕ちることだ。それで、地獄に行くには、二つの方法がある。一つは菩薩の発願であり、一つは悪を為して地獄に堕ちる方法だ。世間のいわゆる地獄ツアー、観落陰(陰間の旅)で見るのは鬼道のことで、地獄ではない。

『地蔵答言、聖母、唯願聴受、我麁説之。』聖母は釈迦牟尼仏のお母さんに対する尊称だ。昔の人は、『積善の家には必ず余慶あり』と話した。大きな福報がなかったら、仏を生むはずがない。家族によい子孫がいることは、きっと両親と祖先の善行と関係がある。よい子孫とは、一つの家庭に一人の修行者が現れることであり、これで善行のある家と言える。『麁説之』は概ねに話す意味だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは時々経典を開示するが、大抵に分かる人が少ないので、大体なことを話すしかない。

『仏母白言、願聖者説、爾時地蔵菩薩白聖母言、南閻浮提罪報名号如是、若有衆生不孝父母或至殺害、当堕無間地獄、千万億劫求出無期。』だが、地球は須弥山の南にあるので、南閻浮提と呼ばれた。地獄に堕ちる最初の原因は不孝だ。仏経に、父母が私たちを生んで養う恩情は世界のあらゆる富でも恩返しできないという内容がある。世間法では、親孝行として、最低限でも衣食住医の四つの供養が必要だ。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェは以前日本に行った度に、母のために1か2枚に服を買ってあげた。母は大変喜んでくれた。喜んだのは息子に服を買ってもらったのではなく、自分の気に入ったものを息子が知ったからだ。息子は自分のことを思ってくれたからだ。四つの供養のほか、もう一つは自分のことで両親を悩まさせないことだ。どの親も子供の将来の出世を期待しない。ただ、無事に成長できることを望む。リンチェンドルジェ・リンポチェは決して自分の苦しみを母にかけない。以前、リンチェンドルジェ・リンポチェはご飯も食べられないほど貧乏になったことがあるが、母は知らなかった。離婚の時でも、母はあまり感じなかった。何故なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の問題を母に投げ込まなかったからだ。

出世法で言うと、親孝行は学仏だ。最高な親孝行は学仏だ。これこそ輪廻の苦海から離れるように親を助けることができる。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親が往生したことから分かる。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親にこのような息子がいなかったら、阿弥陀仏の浄土には往生できなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は字が読めず、発願も懺悔も分からなかった。それに、リンチェンドルジェ・リンポチェは転生したリンポチェではないので、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は全く仏法を信じなかった。親は体をくれたから、この恩情だけでも返しきれない。きちんと育ててくれたかどうかを問わず、例え家庭内暴力があっても、親を傷つけてはならない。古代では、子供が親を殺す事件が起きたら、地方官は免職されることになっていた。どんな理由であろうが、親を殺すような事件が起きたら、必ず免職される時代だった。何故なら、人民をきちんと教育しなかったからだ。しかし、今の台湾では、このようなことがたくさん起きても世間は何も感じないようだ。

親不孝や親殺害をする人は、必ず無間地獄に堕ちる。『無間』は地獄から出る時間が分からず、苦しませられる時間も空間も分からない意味だ。例え非常に大きな地獄内にいて側に苦しんでいる無数の衆生がいても独りぼっちで苦しんでいるのを感じ、大変恐ろしい。もし、地球が滅びたら、無間地獄の衆生は別の世界に移され、続けて苦しませられる。『一劫』の時間は極めて長い。人間の数字で数えられない。『一小劫』は人類が八万才から、百年毎に一才ずつ十才までに減りつつ、それからは百年毎に八万才までに一才ずつ増えて行く一つの循環だ。私たちは年の減る段階にいる。90才まで生きられるのが容易ではない。70才は一つの関門だ。今人間の死亡年齢は60代だ。医学がいくら発展しても、この状況を変えられない。全人類は殺生を止め、善行を行わなければ、変えられないのだ。もう一つの説だが、『一劫』は地球の成、住、壊、空の一循環で、今の地球は壊段階にある説だ。

今の子供は何故反抗期はひどいのか。今時の母親は母乳育児をしたがらず、子供に牛乳や羊乳を飲ませるからだ。何を飲めば、何に似るようになる。そのため、今時の子供の気性は牛みたいに反抗的だ。特に、今の乳牛は変な薬をたくさん飲まされるので、今の子供も病気に罹りやすい。リンチェンドルジェ・リンポチェの家族の事例だが、リンチェンドルジェ・リンポチェの姉の一人が乳母の乳で育てられたので、彼女の性格は乳母に似ており、ほかの家族と違う。

『若有衆生出仏身血、毀謗三宝不敬尊経、亦当堕於無間地獄、千万億劫求出無期。』だが、『出仏血』は、釈迦牟尼仏が在世の時、デーヴァダッタが石を投げて釈迦牟尼仏の足に血を流させたようなことだ。今、私たちは『出仏血』をする機会がないが、仏像を毀損したり、自殺したりすることも『出仏血』だ。自分の体だと思わず、体は親がくれたのだから、自殺は最も不孝な行為だ。また、因果の観点から見ると、殺人の果報は地獄に堕ちることだから、自殺は殺人と同じだ。密法では、人間の体は文武百尊の壇城であるため、自殺は壇城を壊すのと同じだ。自殺は光栄なことではない。だから、一部の地域では変わった文化がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは自殺した人が地獄にいたのを見たのだ。一人で真っ暗の部屋にいて何度も自殺を繰り返していた。周りに人がいても寂しくて大変苦しい。

リンチェンドルジェ・リンポチェは仏具の店に友たちと一緒に行ったことがある。その時、わけもなく腕から血が出たのに気づいた。振り返って見ると、腕に凹んだ箇所がある四臂観音仏像があった。その凹んだところが、リンチェンドルジェ・リンポチェの腕の出血の箇所と同じ部位だったので、その仏像が買うべきだと感じた。買って帰ったら、欠損の所を直した。その仏像は今あなたたちがもらっている四臂観音が写っている法照の仏像だ。この話をしたのは、皆に気付けてほしかったからだ。仏像を見たら、好きかどうかは関係なく、壊してはならない。三宝を誹謗することは必ずしも仏像を壊すこととは限らない。夢中になってはいけないとか、迷信してはならないとかを他人に言うこともそうだ。三宝を軽蔑し、上師、仏法、僧侶を軽蔑するのもそうだ。また、仏の名義を借りて仏法以外のことをし、それで仏法が批判されるようになるのも、『出仏血』だ。

尊経を尊重せず、仏経に対して恭敬せず、尊ばず、仏教の話を信じなかったら、全部無間地獄に堕ちる。釈迦牟尼仏は仏法を49年間弘通した。何れの言葉も衆生の生死解脱を助けるものだった。無駄な話はなかった。仏経にこんな話がある。ある王子は釈迦牟尼仏の大神通を知ってたくさんの贈り物を持って仏に会いに行った。大神通で一つの星の上のことを見ることができるかどうかを仏に尋ねたが、仏は答えなかった。王子は諦めず、何度も質問を繰り返した。そうしたら、仏は、『私の話した全ては仏法の弘通に関するもので、あなたの質問は仏法と無関係だ。例え星の上のことを知らせても、あなたの修行、学仏と関係がないから、答えない。』と言葉を返した。リンチェンドルジェ・リンポチェが出会った信衆の中で、王子と同じように仏法と無関係なことを聞いた人もたくさんいた。また、一つ実際に発生したことだが、ある年、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チョンツァン法王を雲南に招いた。ある台湾の信衆がこれを知った後も、チョンツァン法王に会うため雲南に行った。彼女はチョンツァン法王に1万元の人民元、今の20万元の人民元に相当する金額を供養した。その時、彼女は2枚の名刺を取り出してどっちと商売したほうがよいかを直貢チョンツァン法王に尋ねた。直貢チョンツァン法王は答えず、大変気まずい場面になった。五分後、リンチェンドルジェ・リンポチェはその場の気分を和らげようと、彼女の質問は仏法ではないので、直貢チョンツァン法王は答えないと教えてあげた。。もしも直貢チョンツァン法王は彼女にどの人と商売したほうがよいと答えてあげるとしたら、戒を破ることになる。尊経を敬わない人が本当に多い。

『若有衆生侵損常住、玷汚僧尼、或伽藍内恣行淫欲、或殺或害如是等輩、当堕無間地獄、千万億劫求出無期。』最初の言葉は、常住を壊す、或は取ろうとする人がいたらという意味だ。常住は道場や仏寺の所有物で、常住の物は何れも衆生が供養したので、衆生と護法神の所有物でもある。仏像を盗み、法器などをわざと壊すなどのことも同じだ。そして、出家衆を侮辱したり、出家衆に対して軽い態度で接したり、女性の出家衆を暴行したり、大殿で淫行や軽薄な笑い話をしたり、男女間の会話をしたり、親の前で淫行したり、出家衆と淫行したり、出家衆を殺害したり、陥れたりするなど、全部この類に入る。リンチェンドルジェ・リンポチェはある心臓病に罹った人を助けたことがある。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏寺の入り口で悪口を言ったことがあるだろうと彼に聞いた。彼は認めた。彼は大殿までに入らなかった。仏寺の入り口にいただけだ。これらのことをしたら、無間地獄に堕ちて千万億劫を経てもいつ出れるかが分からない。歴史上、出家衆と修行者を殺した国王がたくさんいた。大変重い罪だ。

『若有衆生偽作沙門心非沙門、破用常住欺誑白衣、違背戒律種種造悪、如是等輩、当堕無間地獄、千万億劫求出無期。』の意味だが、出家衆でない人が出家衆をなりすます、或は出家衆が心の中に世俗と貪欲のことが一杯だということだ。出家衆は輪廻の家から出離しようと決意した者だ。沙門は出家衆と修行を決意した在家衆のことを指す。『破用常住』は常住の物を壊す意味で、例えば、指定された供養をほかの用途に使ってはならないという決まりがある。一つの昔話がある。ある人は仏寺で留錫した時、夜に燃えた匂いがしたのに気づいた。窓を開けると、一人の出家衆の霊は手に枷(古代の刑具)が付けられ、枷に火がついていたのを見たので、何の因果だと尋ねた。枷がかけられた霊は、『この仏寺の元住持だったが、信衆の供養を受け取り、仏像を作るための供養だったが、そのお金を出家衆の寮舎に使ったので、この果報になった。』と答えた。『白衣』は在家衆のことだ。『欺誑白衣』は在家衆を騙したり、在家衆を脅かして学仏させたりするようなことだ。『違背戒律種種造悪』については、男性出家衆には200項の戒律があり、女性出家衆には250項以上の戒律がある。例えば、飲酒、喫煙、肉食、結婚は戒律違反だ。出家衆と在家衆にはそれぞれの戒律がある。出家衆が結婚したければ、還俗しなければならない。

『若有衆生偸窃常住財物殻米飲食衣服乃至一物不与取者、当堕無間地獄、千万億劫求出無期。』の意味は、道場や仏寺のものを無断で家に持ち帰ることだ。これを犯した人が多い。仏寺の者の同意を得れば、持ち帰っても構わないが、同意がなければ持ち帰ってはならない。寶吉祥の道場では、何故リンチェンドルジェ・リンポチェは厳しく管理しているのか。果報が分かっているからだ。以前、一人の出家弟子は出家しなかった母親を連れて寺院に20数年も住み込んでいた。食住は全部寺院のものだった。その出家弟子はもしもリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依せず、母親の世話とポワ法の修法をリンチェンドルジェ・リンポチェに約束してもらえかったら、彼女の母親はこのような果報になる。修法の後、リンチェンドルジェ・リンポチェは2日間も体の具合が悪くなった。だから、普通の人は仏寺に行って許可を得なければ、例え一輪の花でも、仏寺のものを取ったり食べたりしてはならない。

『地蔵白言、聖母、若有衆生作如是罪、当堕五無間地獄、求暫停苦一念不得。』だが、地蔵菩薩は聖母に、衆生はこれらのことをしたら、五無間地獄に堕ちて絶えずに苦しませられると話した。リンチェンドルジェ・リンポチェは修行の境界の中で見たのだ。周りが真っ暗で自分一人しかいない感じだ。周りに一杯の衆生がいても、いつも独りぼっちだと感じる。試してみればいい。真っ暗の部屋に入った最初の数時間はまだ大丈夫だが、もうちょっと長くい続けると耐えなくなる。甚だしい孤独さと怖さを感じる。暗いのが苦手のは何故だ。過去世の某世、きっと地獄にいたからだ。地獄の衆生がほかの衆生も地獄にいるのを感じない原因は二つある。一つは地獄にいる衆生はあまりにも苦しいからだ。一つは自分の苦しみでさえ直面できないので、ほかの衆生の存在を感じることもできないからだ。『求暫停苦一念不得』は、五無間地獄にいる苦しみは甚だしいもので、しばらく止めさせたくてもできない意味だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは修法の時、鈴、鼓などの法器を使う。各種の法器はそれぞれに表す意味がある。お正月の時、日本人は鐘を鳴らす習慣がある。慈悲心で鐘を鳴らし、鳴らす瞬間に地獄道にいる衆生が受けている苦しみがしばらく止まり、地蔵菩薩の助けをもらうことを望んだら、この願は叶うものだ。しかし、鐘を鳴らす時に優しい旦那や彼氏に出会えることを望んでいたら、叶わない。

『摩耶夫人重白地蔵菩薩言、云何名為無間地獄。地蔵白言、聖母、諸有地獄在大鉄囲山之内、其大地獄有一十八所、次有五百名号各別、次有千百名字亦別。』だが、リンチェンドルジェ・リンポチェはテレビ番組discoveryである報道を見た。科学上では地球の中心部に分厚い鉄の層があり、外部に火があることが証明された。科学者の観察と一致している。地核以外の部分は確かに火山の溶岩で囲まれている。これらの地獄は何れも大鉄囲山の中にある。大地獄は18箇所がある。一般に言われている18層地獄の呼称の由来はこれだが、地獄は18層がある意味ではない。小さ目な地獄は500個、名称はまちまちで、更に小さな地獄は1000個あり、名前も全部違う。

次は、『無間獄者其獄城周八万余里、其城純鉄高一万里、城上火聚少有空缺、其獄城中諸獄相連名号各別、独有一獄名曰無間、其獄周匝万八千里、獄墻高一千里、悉是鉄囲、上火徹下、下火徹上、鉄蛇鉄狗吐火馳逐獄墻之上、東西而走、獄中有床遍満万里、一人受罪自見其身遍臥満床、千万人受罪亦各見身満床上、衆業所感獲報如是。』無間地獄の範囲は獄城面積が80000里以上、城の壁が純鉄で作られて10000里の高さである。『里』はどのくらいの長さなのか、調べる必要がある。城の上に火がついており、間に空ける所は少なかい。この獄城にある全部の地獄は繋がっており、それぞれの名がある。そのうち、無間という地獄があり、その範囲は18000里以上で、城の壁は鉄で作られ、高さは1000里だ。上方の火は下方の火へと繋がり、下方の火は上方の火へと繋がる。鉄の蛇と犬は火を吐きながらあっちこっち追いかけ、城壁を走り回る。リンチェンドルジェ・リンポチェは地球内部に関する科学ドキュメンタリーを見たことがあり、噴火状況はこの記述と同じだ。無間地獄にベッドがあり、万里を渡って遍満する。一人だけで罪を負う時は、自分の体がベッドに横になって全部のベッドに遍満する。千万人が罪を負う時でも同じく、自分の体がベッドに横になって全部のベッドに遍満する。異なる業力による果報はこのようなものだ。

『又諸罪人備受衆苦、千百夜叉及以悪鬼、口牙如剣眼如電光、手復銅爪拖拽罪人、復有夜叉執大鉄戟中罪人身、或中口鼻或中腹背、抛空翻接或置床上、復有鉄鷹啗罪人目、復有鉄蛇絞罪人頸、百肢節内悉下長釘、抜舌耕犂抽腸剉斬、烊銅灌頂口熱鉄纏身、万死千生業感如是、動経億劫求出無期。』だが、これらの罪人はたくさん苦しませられる。剣のような歯、電光のような目をしている千百人の夜叉や悪鬼は手に銅の爪があり、罪人たちを引きずっている。犯罪者が刑務所で見た獄吏や警官は皆笑わないで怖い顔をしているようなことだ。また、一部の夜叉は大きい鉄を持って罪人の体に投げる。口や鼻にぶつかる時もあれば、お腹や背中にぶつかる時もある。罪人を空に投げ上げたり、ベッドに投げたりする。更に、鉄の鷹は罪人の眼球を噛んだりする。何故眼球を噛むのか。私たちは目があるのに、両親と三宝が私たちにくれた恩情がよく見えないからだ。しかも、鉄の蛇は罪人の首を絞めつけたりする。理由は、私たちの悪行は何れも悪口と批判から始まるからだ。体の関節に長い釘があり、舌が抜き取られて耕作をさせられ、腸が取り出されて切られる。目の病気に罹った人やら、気管切開が必要な人やら、挿管や注射が必要な人やら、関節を変える人やらのようなことだ。舌癌にかかった人は舌が切られ、直腸癌に罹った人は大腸が切られるのと同じ状況だ。もし、自身や家族にこんなことが起きたら、早く懺悔して上師の助けを求めなければならない。そうしないと、間に合わない。

『烊銅灌頂口熱鉄纏身』は毒薬を飲んで喉と食道を焼き壊したようなことだ。また、帯状疱疹に罹った時、帯状疱疹が体を一周して熱い鉄が体を一回りするようなことだ。夜叉は懲罰のために来たとあなたたちは思うだろうが、本当はあなたたちの業を消すために来た。悪事をした人に、自身の過ちが引き起こした果報、自分も同類だということを分からせるためだ。夜叉も仏菩薩の化身だ。地獄で見れることは何れも見苦しいが、衆生の心が引き付けたのだ。例えば、酒好きはスナックによく行く。お茶好きは喫茶店によく行く。若い女性が好きな人は60代や70代の老婆を見たら、気に入らず、自分の同類を見たら喜ぶようなことだ。一万回も死んで生き返え、また同じ苦しみを受けさせられる。地獄道に堕ちた衆生が人間に転生したら、大体深い恐怖感を抱え、容易く気が動転しまう。リンチェンドルジェ・リンポチェはたくさんの衆生を助けてきた。見た衆生の苦しみは今の話と同じだ。

『此界壊時寄生他界、他界次壊転寄他方、他方壊時、輾転相寄。此界成後、還復而来、無間罪報其事如是。』だが、この地球がなくなったら、ほかの惑星の地獄に転生し、別の惑星の地獄がなくなったら、更に他の惑星の地獄に転生し、このように続ける。地球が再び形成できたら、また地球上の地獄に戻って苦しみを受けさせられる意味だ。無間罪報はこのようなことだ。

次は、『又五事業感、故称無間。何等為五、一者日夜受罪以至劫数、無時間絶故称無間。二者一人亦満多人亦満故称無間。三者罪器叉棒鷹蛇狼犬、碓磨鋸鑿剉斫鑊湯、鉄網鉄縄鉄驢鉄馬、生革絡首熱鉄澆身、飢呑鉄丸渇飲鉄汁、従年竟劫数那由他、苦楚相連更無間断、故称無間。四者不問男子女人、羗胡夷狄、老幼貴賎、或竜或神或天或鬼、罪行業感、悉同受之、故称無間。五者若堕此獄、従初入時至百千劫、一日一夜万死万生、求一念間暫住不得、除非業尽方得受生、以此連綿故称無間。』何故『五無間地獄』と呼ばれるのか。一つ目は、避けられない非運が尽きるまでに昼も夜も苦しみ続け、終わる時間が分からないので、無間と呼ばれる。二つ目は、一人だけでも、たくさんの人でも一杯になるので、無間と呼ばれる。三つ目は、たくさんの『罪器叉棒鷹蛇狼犬、碓磨鋸鑿剉斫鑊湯、鉄網鉄縄鉄驢鉄馬、生革絡首熱鉄澆身、飢呑鉄丸渇飲鉄汁』があり、苦しみは次から次へっと絶えずに現れるので、無間と呼ばれる。地獄でこれらの罪と苦を受けるほか、俗世間にも同じことがある。『鉄驢鉄馬』は交通事故で死ぬことだ。以上の器具や原因で死亡する人は、死後必地獄に堕ちる。これらが地獄に堕ちる兆候だ。仏経によると、死後にならなくても遭遇するそうだ。生きる時に分かる。四つ目は、男女や羗胡夷狄や老幼貴賎、或は竜、神、天、鬼を問わず、これらの罪を犯したら、同じ果報になり、同じ業力と苦痛を受けるので、、無間と呼ばれる。これが、地獄は六道衆生の呼び付けで現れたものであり、仏が創造したものではないことを表す。六道の衆生は仏を信じても信じなくても地獄に堕ちる。五つ目は、この獄に堕ちると、入る時から百千劫まで、毎日毎晩、一万回死んでもまた一万回甦る。一念の瞬間に苦しみを止めようとしてもできない。業が尽きないと、再び転生できない。このように延々と繋ぐので、無間と呼ばれる。地球の時間で言うと、億万年以上の時間になる。

『地蔵菩薩白聖母言、無間地獄麁説如是、若広説地獄罪器等名及諸苦事、一劫之中求説不尽、摩弥夫人聞已、愁憂合掌頂礼而退。』だが、地蔵菩薩は、無間地獄の大体の状況を説明したが、広範囲で地獄内のあらゆる刑具と苦しみを話そうと思えば、一劫の時間でも足りないと聖母に話した。摩耶夫人はその言葉を聞き、衆生の業力を心配して悲しくなったので、合掌してその場を離れた。

多くの人は、必ず来世はすぐ転生して人間になれると思っているが、そうとは限らない。大変複雑の因果が存在している。輪廻の苦を知らない人も多くいる。2007年リンチェンドルジェ・リンポチェはラキ雪山で閉関した時、六道衆生が輪廻している苦しみを見て思わず涙を流した。ここの『見る』とは目で見ることではない。定の中で法眼で見たのだ。激しく泣いた理由は三つあった。一つは、衆生が輪廻する苦しみを助けてあげる能力が自分にはないこと、一つは、衆生は苦海にいることも分からず、悪行を続けていること、一つは、衆生は諸仏菩薩がくれたたくさんの教えを受け入れず、続けて自分を輪廻させることだった。閉関が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に報告した。その時、直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェは空性の慈悲が証得できたと開示したうえで、ミラレバ尊者は衆生の苦について考えることもできなかったことを教えてくれた。あなたたちはまだこのような慈悲がないので、その境界が理解できない。リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに頑張っているが、大きい仏寺を持ちたいとか、たくさんの信衆がほしいとかのことのためではない。衆生を救出したいのだ。

『爾時地蔵菩薩摩訶薩白仏言、世尊。』だが、地蔵菩薩は仏を『世尊』と呼んだ。『世尊』で釈迦牟尼仏を呼んだことにはいくつかの意味がある。仏だから、尊いというわけではなかい。釈迦牟尼仏は修行して仏果を成就したので、無量無辺の衆生を利益することができる。そのため、この尊称を使う。もう一つの意味は、福徳と智慧が円満であることだ。

『我承仏如来威神力故。』は修行者にとって大事な言葉だ。この言葉から、地蔵菩薩の謙虚さが分かる。既に大菩薩の果位が得られたにもかかわらず、仏の威神力のお蔭があったと謙虚に話したからだ。しかし、これは事実だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは常に仏菩薩、伝承上師の加持のお蔭で利益衆生のための能力がもらえたと話しているのと同じだ。あなたたちとは違う。あなたたちは自分の修行でできたといつも思っている。何れの仏経でも、仏と上師に私たちを加持するように祈ることが書かれている。この意味だ。邪教の教主はいつも自分が一番立派だと言っている。誰の加持をもらったことを決して言わない。修行者は自分のことが一番すごいと話す時、気を付けなければならない。この修行者は傲慢になり始めたのだ。傲慢な人には慈悲心があり得ない。

『遍百千万億世界、分是身形救抜一切業報衆生、若非如来大慈力故、即不能作如是変化、我今又蒙仏付嘱、至阿逸多成仏已来、六道衆生遣令度脱、唯然世尊願不有慮。』だが、如来の威神力があったので、これたくさんの世界でいろんな化身に化けて衆生を救出できた意味だ。『救』は三悪道に堕ちないように衆生を助ける意味で、『抜』は輪廻の苦海に堕ちないように衆生を助ける意味だ。この言葉から、仏菩薩は衆生の欲望、安らぎや富への要求のために来たのではないことが分かる。上師は衆生の世俗のことを助けるが、方便法に過ぎない。上師の能力を知らせ、学仏して輪廻の苦海から脱出したい気持ちになってほしいのだ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは時々に言っている。あなたたちを助けても一回に限る。助ける能力がないのではない。助けられないのだ。教えも聞かない人を助けたくても仕方がない。今日の地蔵経の開示をちゃんと聞き入れた弟子と信衆に、今生であなたたちを『救出』できることをリンチェンドルジェ・リンポチェは保証する。しかし、あなたたちの健康、富、優しい彼氏に出会えることへの願いを、リンチェンドルジェ・リンポチェは保証できない。如来の大慈力でなかったら、地蔵菩薩はいろいろと変身できなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの化身を見た弟子がたくさんいる。謙虚に言わなければならない。私ではなかったのだ。諸仏菩薩と全部の上師の慈悲なる力の支えがあったからこそ、リンチェンドルジェ・リンポチェは変身して衆生を済度することができた。何故だろうか。リンチェンドルジェ・リンポチェは諸仏菩薩と全部の上師の慈悲を覚えて諸仏菩薩と同類になったからだ。地蔵菩薩は以下のように話した。『今日もまた釈迦牟尼仏の指示を受け、阿逸多が成仏できるまで、六道衆生に輪廻の苦海から解脱させたいので、世尊は心配する必要がない。』阿逸多はある仏の名号だ。

『爾時仏告地蔵菩薩、一切衆生未解脱者、性識無定。』だが、釈迦牟尼仏は地蔵菩薩に、一切の衆生はまだ解脱しておらず、性格も落ち着かないと話した。つまり、性格は貪瞋痴慢疑のせいで穏やかでなく、毎日いろんなことを追求し、環境に流されることだ。『悪習結業善習結果、為善為悪逐境而生、輪転五道暫無休息。』は、悪行は悪業を得て善行は善果を得ることを言っている。善と悪は相殺できない。リンチェンドルジェ・リンポチェもかつて魚介類が好きだったので、皮膚癌に罹った果報になった。しかし、学仏して善行を行い、悪行を止めてから自然に治った。善行なのか悪行なのかは、環境に応じて変わるものだ。仏はあなたたちに、法会によく参加し、仏法をよく聞くことを要求した。あなたたちの性格はころころ変わり、環境に影響されやすいと分かったからだ。孟母三遷の教えもこの道理だ。自分自身のことが管理できないなら、そんな場所にあまり行かないほうがよい。学仏しなかったら、善や悪への判断がつかず、各地の文化と倫理道徳に基づいて暮らすしかなく、善行も悪行も混ぜてしまう。車輪がどんどん回っているように、五道の中を歩き続け、休みも取れない。世尊は天道で開示したので、ここで五道と呼ばれる。」

法会進行中、居眠りの信衆が一人いたので、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは冗談でその人に注意した。「私たちは同じ年だが、修行の違いで体の状況は違う。小さい悪習でも悪業を累積してしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェはタバコを止めることを人に忠告している。数量を減らしたと常に言い返された。しかし、この悪習はまだ残っているので、時間が経つと、心臓に悪い影響が与えられる。息子は医者だから、命を救ってくれるし、心臓の問題を治してくれると思う人がいるかもしれないが、医者は病気をしばらく和らげるくらいしかできず、完治は無理だ。喫煙した人は死んだ後、地獄に堕ちる。地獄に行きたければ、リンチェンドルジェ・リンポチェは喫煙を続けることを勧めてあげてもいいよ。

知り合って10年以上、リンチェンドルジェ・リンポチェの一人の友達は、以前リンチェンドルジェ・リンポチェの顔に石灰化の黒斑があったが、今は消えたと言ってくれた。リンチェンドルジェ・リンポチェは医者に診てもらわなかった。受診が好きではないからだ。整形もしなかった。直貢チェツァン法王に修法をもお願いしなかった。顔にあった黒斑は何故消えたか。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を生活に運用し、確実に悪を止めて善を行っているので、黒斑は消えた。きれいになりたければ、菜食するのだ。たくさんのお金を使ってスキンケアをしたり、化け物のように整形したりする必要がない。
『動経塵劫迷惑障難、如魚遊網将是長流、脱入暫出又復遭網、以是等輩吾当憂念。』だが、地球は塵土になっても輪廻は止まらない。衆生は皆迷っており、輪廻はよくないと思わない、或は輪廻を信じない。輪廻がなかったら、あなたたちはこんなに苦労して日々を過ごす必要もないだろう。あなたたちは生まれた時から輪廻が始まった。少年から老人になり、きれいな姿は醜くなり、整形しても無駄だ。魚が網に取られたように、水が流れていても魚は網から逃げ出せない。しばらく逃げられても、また漁網にかかってしまう。あなたたちの気分の変化みたいに、快楽と苦痛の間で行き来して輪廻する。釈迦牟尼仏はこのような衆生のことを大変心配した。リンチェンドルジェ・リンポチェはずっと一人一人の弟子を宝のように思っているのもそうだ。弟子が間違った道に行ってしまうこと、きちんと学仏せず、輪廻を繰り返すことを心配している。弟子が地獄に堕ちそうになることを見たら、心が焦って必ず叱ったり、処罰したりする。『汝既畢是往願、累劫重誓広度罪輩、吾復何慮。』だが、あなたは誓願を発した以上、累劫も更に重い誓願を発して多くの衆生を済度したいから、そんなに心配しなくてよいという意味だ。ここから分かるように、仏菩薩は人間と同じだ。釈迦牟尼仏は『あなたがいるから、安心した。』と地蔵菩薩に言ったからだ。以前、リンチェンドルジェ・リンポチェが引退したい時に、尊勝なる直貢チェツァン法王は自分が引退していないから、あなたは引退できないを言ってくれたのと同じだ。仏には強い能力があるが、たくさんの菩薩が衆生を済度することを望んでいる。何故なら、それぞれの菩薩と各々の衆生の縁が違うからだ。菩薩は累世において衆生とたくさんの縁を結んできたので、たくさんの衆生を助けられるわけだ。

『説是語時、会中有一菩薩摩訶薩、名定自在王。白仏言、世尊、地蔵菩薩、累劫以来各発何願、今蒙世尊殷勤讃歎、唯願世尊略而説之。』だが、これらの話をした時、法会に『定自在王』という名の大菩薩がいた。定自在王は釈迦牟尼仏に、『世尊、地蔵菩薩は累劫以来、一体どんな願を発したか。それで、世尊はずっと賛嘆している。世尊に大体説明してもらいたい。』と話した。

『爾時世尊告定自在王菩薩、締聴締聴善思念之、吾当為汝分別解説。』だが、この時、世尊は定自在王菩薩に『諦聽諦聽善思念之』を言った。『諦聽』はよく聞きなさい、専念して聞きなさいという意味だ。注意深く聞かないと、すぐ寝てしまうからだ。もう一つは、今世尊が話した言葉は言語の中で帝王のようなものなので、一番重要な言葉だという意味だ。仏法の言葉は何れもあなたの現在、未来、未来世に役立つ。今日注意深く聞き、受け入れることができたら、リンチェンドルジェ・リンポチェは保証する。未来はきっといつか修行するようになり、修行から逃れない。学校では仏法、生死輪廻の解脱が教えられないので、自分の人生経験で学仏してはいけない。『善思念之』とは、善の意念で、今日世尊が話した全ての内容を考える意味だ。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を受け入れるのが、善の意念で仏法を聞くことだ。受け入れたくなければ、今日話した善の法はあなたに役立たない。注意深く聞くことと善の意念の二つの要件が備わったら、初めて仏は善の法を言ってあげられる。一見では、仏は定自在王菩薩にこの二つの条件を話したように見えたが、本当は衆生に聞かせるための話だ。『諦聽諦聽善思念之』という言葉はあなたたちの学仏において極めて重要だ。皆は以前学校で勉強した時経験したと思う。好きな先生だったら、真面目に授業を受けるだろう。先生があなたたちに話したい時はよく聞きなさいと要求するだろう。世間法でも専念さを要求するから、仏法を聞く時は尚更だ。だから、身を正してきちんと坐らなければならない。

学仏は衆生を苦海から救出するためだ。世間のいろんな欲望、体の健康、富、いい彼氏に出会えることへの加護のためではない。こんなことはあり得ない。仏は49年間も仏法を広めて輪廻からの解脱方法を話した。今日の開示はここまでにしよう。第四品のほかの部分は明日続ける。今日中に終えるのは無理だ。リンチェンドルジェ・リンポチェが疲れたわけではない。あなたたちが疲れたのだ。明日は因果を開示する。皈依したかどうは構わない。どんな因でどんな果報を得るかについて理解できる。明日は果報を避けて解決する方法を教える。今日きちんと話を聞いた信衆と弟子の中で、上師の開示内容を受け入れた人なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは助けることを約束する。」

法会は円満になり、弟子たちは一斉に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲を込めて一生懸命に修法、開示したことに感謝し、起立して尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが法座から降りるのを見送った。

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2018 年 04 月 22 日 更新