尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年12月13日

法会開始前に、三人の出家弟子はステージに上がり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお母さんが往生した後現れたいろんな不思議な瑞相について語る機会が与えられたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

最初の出家弟子は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのお母さんが往生した後のことを皆に語る機会が与えられたことに上師に感謝した。「おばあちゃんの病室に行った時、中の雰囲気は大変静かで、悲しい空気はなかった。とても穏やかだった。おばあちゃんの肌はきれいで艶々だった。おばあちゃんには歯がなかった。歯がないお年寄りは口を閉じるのが容易ではない。しかし、おばあちゃんは往生後、口がよく閉じて微笑むような顔をしていた。私たち数人の出家衆に機会をくれたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝したい。私たちはおばあちゃんの側で、葬儀会社がおばあちゃんの遺体を入浴させ、エステをしてあげたのを見ることができた。おばあちゃんは冷凍室に一日入れられたが、体は大変柔らく、白くてもちもちだった。耳は真っ白だったが、洗髪の後、耳はお風呂上がりの時みたいに赤くなった。私たちは大変不思議に思った。喜んで雀のように見たり、話し合ったりして心は嬉しさで一杯だった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは出家弟子に『華厳経』を念誦する機会もくれた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、合同修行法会に参加して開示を聞いてきた。今回は経典を念誦した時法喜に満ちた。経文の内容は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが教え、話し、為したものだったからだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの行動はいつも『華厳経』にある仏が教えた『為利衆生捨頭目脳髄、修行仏法永不疲倦、度化衆生永不疲倦、直心求法没有諂誑故、一向求法不惜身命故、為除一切衆生煩悩求法、不為名利恭敬故。』を実践している。自分の名聞利養のためではなく、平等心で一切の衆生を利益している。リンチェンドルジェ・リンポチェは身をもって示してくれた。これらのことで私は殊勝さを深く感じて感謝している。自分と対照すると、天と地の違いだ。

三宝に対する尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恭敬心を思うと、私は深く懺悔しなければならない。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔したい。私は出家して長年にもなったが、恭敬心で仏法を求めなければならないと分かりながら、仏法に対しては完全な恭敬心を持っていなかった。恭敬が学仏の根本だと分かったにもかかわらず、上師に対しては全く恭敬心を抱かなかった。修行していると自認して傲慢心を持っていた。上師に迷惑をかけていたばかりとも知らなかった。怖がるのが恭敬心だと誤解し、常に他人の過ちに目をつけ、内面の煩悩が法喜よりずっと多く、だらだらと日々を過ごして何をしていたかも分からなかった。心は散漫でいつも他人に対して嫌味を言っていた。」この弟子は声が出ないほど泣きながら、上師の教示を感謝した。

二人目の出家弟子は、初めて遺体のエステを見て大いに見識を広げたことに、上師、諸仏菩薩、おばあちゃんに感謝した。「最初おばあちゃんは目が閉じて寝ていたかのように見えた。顔は穏やかで全身の肌はきめ細かくて皺がなかった。顔にあざがあったが、転んでぶつかったことが原因だそうだ。それ以外、衣装で覆われなかった部分はシミもなく、往生したとは思えなかった。エステ担当の女性がおばあちゃんにマッサージをしてあげた時、おばあちゃんの全身の筋肉は柔らかくて弾力があり、手を任意に動かすことができた。爪のケアをした時、指を伸ばしたり、曲げたりすることもできた。髪を洗って頭皮をマッサージした時、頭皮は動いた。化粧でフェースパウダーをつけた時、顔も弾力があった。おばあちゃんは極楽世界に往生したと知らなかったら、きっと気持ちよくエステを楽しんでいたかと勘違いしてしまう。

本当に羨ましかった。エステを楽しめることが羨ましかったのではない。おばあちゃんは私と同じく、煩悩をたくさん抱えた生死のある凡人だったが、今は悩みもなく、安らかな世界にいて仏に会ったり、法を聞いたり、修行、証果をしたり、仏果を成就したりして疑わないことを決意するための用意していることが羨ましいと思った。昔の人は『死には鴻毛より軽いものもあれば,泰山より重いものものもある。』と話した。生死のある凡夫にとって、私たちの命は取るに足らないほどちっとも重要ではない。私たちの死は鴻毛より軽いものだ。自分自身、衆生、法界にとって何の意味も利益もない。特に私たちのような五濁悪世にいる衆生は福報が薄くて業障が重い。まともな死に方しない人が多い。病気や治療で苦しめられて死んだ人、粉塵爆発、ガス爆発などの事故で死んだ人、交通事故、飛行機墜落事故で死んだ人、地震、津波、洪水、火災、風災などで死んだ人がいる。各種の死に方があり、身も心も甚だしい苦痛、恐慌、恐怖、憤恨を味わうだけでなく、死後は三悪道の苦しみからも免じられない。

私たちは仏法を学ぶ前、身口意で悪業をたくさん作ってきた。身の悪業では、衆生の肉をたくさん食べた。口業のほうの過ちは無量無辺で、他人を悩ませた言葉、下品な言葉、悪口で人を罵った言葉、嫉妬で鋭い言葉、利他のない言葉、不実、阿諛、両舌、嫌悪の言葉など数えきれない過ちを犯してしてきた。また、意業のほうでは、私たちは誰でもとことん貪瞋痴を抱いている。本来、五濁悪世の苦、悩、死、厄を私たちは誰も逃れられないはずだった。幸いに、私たちは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会えた。即時に悪を止め、善を行うことを教えてもらった。上師の加持があったので、私たちはまともでない死に方を避けられるようになった。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの下で、私たちの見た往生の例は何れも泰山より重いものだった。泰山より重いものの最初の意味は、往生の時、身も心も苦しみを感じないことだ。往生の時、死者たちの穏やかで自在な様子を見たら、私たちは一生死亡を恐れること、色身に未恋を持つこと、命を惜しんで死を恐れることが怖くなくなった。確実に上師に頼り、教えに従って修行し、疑、惑、不決定も持たず、励んで過去の悪業を懺悔し、積極的に福徳と智慧の資糧を累積することができたら、往生の時上師は助けてくれる。そうしたら、私たちの死も泰山より重いものになれる。

泰山より重いものの次の意味は、生死輪廻に苦しまれなくなり、三悪道への恐懼もなくなり、生老病死の苦しみも、憂悲苦悩もなくなることだ。

泰山より重いものの三つ目の意味は、極楽世界に行って修行し、退転しないことだ。極楽世界にいるのは純粋な諸上善人ばかりで、水、鳥、花、木は微妙法音を演奏し、寿命は永劫のものになり、煩悩がない。向こうで修行したら、菩提心は増進しやすいし、永遠に退くことがない。容易に明心見性になり、悟って証果して不退転の菩薩になれるように修行できる。そうしたら、神通妙用を持つようになり、十方法界に行き、微塵数などの諸仏、厳淨仏剎に供養でき、衆生を済度することができる。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに哀憫してくれることを祈りたい。早めに極楽世界に行き、衆生を済度する能力を身につけたい。衆生のそれぞれの根性、欲楽、信解をよく知り、応じて善巧方便を用いて教化、調伏している上師のようになりたい。自分の母親にできるだけの親孝行するほか、母親の老病死の苦を最低限に抑えられる能力を持ちたい。また、母のためにたくさんの仏事を行い、母の成仏の時間を短縮させたい。更に頼りのない衆生を助け、愛欲、煩悩、生死の大海から衆生を救出したい。

最後に、おばあちゃんが極楽世界にいて蓮品が増上し、一日も早く花開見仏になり、菩提の願に乗じて衆生を済度することを祈る。また、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が健康で、法輪が常転し、直貢噶舉の法脈が永遠に伝承されることを祈る。」

三人目の出家弟子はステージに上がって語った。「尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは母親を亡くした悲しみを抱えながら、時間、場所を問わず衆生を利益する一切の機会を見捨てないで自身の経験をもって最適に仏法を示し、教えてくれた。随時に大菩薩の智慧と悲願を表し、世間と出世間のあらゆる利他の仏行事業を円満にしようとしている。

世間法において、上師は、子女として母親の身心を落ち着かせ、行き届いた世話をしたと同時に、上師としても、自身への執着を抱いて上師を恭敬しないことを母親にさせず、わざと孫たちを集め、仏法に基づいて長者の世話をさせた。また、兄として、上師は母親が往生前の世話と往生後の葬儀に責任を取り、ほかの兄弟姉妹に対しても皆が満足できるようになだめたり、話し合ったりした。上師の地位で、常に母親を仏法の教材にして因果を開示した。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親であっても、修行がなかったら、自分が為した悪業の果報を、転重軽受とは言え、受け止めなければならなかった。上師は続けて母親のために修法してきた。家族を阿弥陀仏の所に送れば、何でも無事になり、それで終わりだという普通の人が考えることと違う。上師は母親のためポワ法を修めた後でも、修法し続けて福徳の資糧を累積し、果位を高めさせることを助けてきた。

お母さんの入院期間、心臓が弱かったら、心拍の促進剤を打ってもいいと医者に勧められたが、上師は応じなかった。世間の感情と認知を背け、世論に批判されるリスクを抱えた。大智、大忍、大孝がなかったら、できなかったはずだ。

葬儀社のオーナーの話だが、12月8日の法会会場の設置任務の連絡が12月7日に入り、6~7時間で500人を入れる大会場の設置を完成しなければならなかった。このような任務は時々、2週間があってもできない場合がある。彼は電話連絡を受けた時、問題がないと約束したが、確信はなかった。今回の会場は室内に150席、屋外に350席の設置になっていた。そのため、オーナーは電話でテントを賃借しようとした。ピークシーズンなので、大型テントがなかったら、小型テントで繋げようと思った。しかし、繋げる箇所に隙間ができるので、雨の日は大変なことになる。結局、テントの賃貸会社は、その前の日も、後の日も大型テントがなく、ちょうど12月8日に賃貸できる大型テントが一つあったと返事した。彼は、とりあえず貸してもらおうと相手に言った。たまたま、このテントの片端はきれいな切断面があり、外部までに伸ばせたうえで、サイズもちょうどよかった。彼の会社にも数週間前に数名の新入社員が入社したので、ちょうど大法会に支援できた。そうでなかったら、きっと人手不足で困ってしまった。何もかも不思議で、順調だった。上師の加持力を大変賛嘆した。

第二葬儀場は常にどんよりしているような感じで、環境も雰囲気も陰気で不気味だ。12月8日、第二葬儀場に行った時も同じ感じだったが、上師が修法し終えた後、不気味さは和らげられた。周りも少々明るくなったと感じた。

出世間法において、上師は母親のために、続けて自身の修行を重ねて福徳の資糧を累積し、母親の学仏を指導し、母親のために福報を累積した。母親が往生の後でも、この機会で、縁も条件もない衆生に因縁を作ってあげて仏法の利益を与えるため、阿弥陀仏大済度法、金剛薩埵法会を修め、仏法で更に多くの衆生を利益しようとした。これこそ『無縁大慈』で、平等で無分別の空性慈悲の最高の表しだ。

葬儀社のスタッフが遺体を洗浄した時、おばあちゃんの体に現れた多くの瑞相を見た。人間は往生後体が硬くなるのが普通だが、おばあちゃんの体は柔らかった。頭も首も180度動けた。梵穴は暖かかった。30年も薬を飲んでいたが、骨は白く見えた。耳は真っ白だったが、お風呂に入った後は赤くなり、それからまた白くなった。医学の観点では、死亡後、血液は流れなくなるはずだ。しかし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、ポワ法を修めた後、血液は頭のほうに流れると開示した。おばあちゃんの顔は輝き、微笑みがあったように見えた。病院内の雰囲気はリラックスで自在だった。悲しい気分はなかった。

その後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはまた2回修法した。おばあちゃんが往生した後、私は病室に行った。おばあちゃんの鼻から息が出たので、呼吸しているかのように見えた。事情の知らない人だったら、甦ったかと勘違いするだろう。以前、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、人間は生前四大分解の苦しみを経験すると開示した。しかし、おばあちゃんの場合、往生後四大分解が進んだので、四大分解の苦しみはなかった。当時病室にたくさんの人がいた。私は聞こえなかったが、現場にいたほかの人によると、気脈が切れた音が聞こえたそうだ。気泡緩衝材が潰された時の『プチプチ』の音が布団の中から2回流れたそうだ。

寶吉祥の出家弟子はおばあちゃんの因縁で、『華厳経』を念誦する福報が得られた。内容は、菩薩が最初の発心から、一地や二地、等覚菩薩になるまで、そして最後に成仏した境界に関するものだ。これら不可思議な大菩薩の境界は一々上師の身に実証された。上師の教え、行動、修行は何れも上師が大菩薩の修行果位に達した証だ。

凡人が菩薩になれるように、そして成仏できるように修行するには、理事円融が必要だ。つまり、内証で仏理をわきまえ、外に仏行事業を円満に修めことだ。世間法において、世俗諦は円満になる必要があるし、出世間法、すなわち勝義諦も円満になる必要がある。そうするからこそ、成仏のための功徳の累積ができる。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはいつでもどこでも円満な二諦での智慧と仏行を示現している。

ここで『華厳経』の一部の内容を語りたい。『於諸世法無所着、不捨度衆生』『已離煩悩与一切衆生共居』『不着一切相而不捨一切着相衆生』『深入禅定而是受欲楽』これらの内容は全部、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ本人から見えることだ。以上のことは何れも上師は大菩薩である修行と気風を実証し、上師の修行はきっと登地菩薩以上の果位に達していることを表している。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が健康で、法輪が常転し、直貢噶舉の法脈が永遠に伝承され、無量無辺の一切衆生を利益することを祈る。」

尊貴的 仁欽多吉仁波切升法座親自主法長壽佛法會,並賜予與會大眾珍貴的佛法開示。
尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がり、自ら長寿仏法会を執り行い、並びに参加者たちに貴重な仏法開示を賜った。

「今日修めるのは長寿仏で、長寿仏は阿弥陀仏の報身仏だ。仏には法身、報身、化身の三身がある。『弥陀讃』に化身仏が引接しに来る話がある。学仏しているか学仏していない一般の凡夫、成就が得られるほど修行していない者は化身仏が引接に来る。菩薩の果位が修行できた、或は菩薩道を修めた行者だけが、報身仏に引接してもらえる。今日この法を修めるのは、未来世において菩薩になる因縁を皆に植えさせたいからだ。先週日曜日は長寿仏を修める予定だったが、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親が先週土曜日に往生したので、先週日曜日は阿弥陀仏済度法を修めることになった。長寿仏を修めることを衆生に約束したので、果たさなければならない。今日は長寿仏を修める。

長寿仏を修めるのは、あなたたちを長生きさせるためではない。ここの長寿は二つの意義がある。私たちが母親の胎内に転生した時から、もし、母親は菜食せず、私たちのために食べた肉は血液を通して私たちに与えられる。そうしたら、寿命は消耗、動揺し始める。つまり、寿命は穏やかでないことだ。生まれた後、為した肉食、殺業、及び身口意で為した全てを含める悪業が、『地蔵経』が指したように、起心動念の全が業、罪だ。これらは私たちの命を減らす。輪廻の解脱、そして菩薩道の修行がしたいなら、長寿仏は消耗した寿命を補ってくれる。長寿仏の修行は、寿命を延長してよい暮らしをするためではない。過去において犯した悪業、殺業で消耗した寿命を補うためだ。補う理由は何だろう。孫の結婚や幸せな家庭生活を送ることのためではなく、きちんと学仏するための寿命があるようにするためだ。

仏経の話だが、地球の人類の寿命は本来八万才があり、百年毎に一才減り、最低の十才までに減りつつ、そして、十才から八万才まで百年毎に一才ずつ増えるそうだ。釈迦牟尼仏はこの時間を一小劫と呼んだ。人間である私たちは今減る段階にいる。今生で長寿仏の灌頂と法縁が得られる人は、未来世に菩薩果位を証得する因縁が備わる。今生の寿命が尽きそうになれば、長寿仏は私たちの病気と死亡の苦しみを和らげ、浄土に往生する因縁を持たしてくれる。長寿の定義は人生の短い数十年でなく、不生不滅の寿命のことだ。仏の浄土にいるこそ、不生不滅になり、永遠な寿命があるのだ。

サムテン・ラマは、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親のため長寿仏を修めたいので、10日間閉関することを発心した。あなたたちはどうだろう。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェはサンテン・ラマに今日の長寿仏法会に参加してから閉関を始めることを指示した。今日の修法はあなたたちのためではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの仏寺が母のため法会を開催することに同意した。母の福報を累積するためでもあったが、それぞれの法会でリンチェンドルジェ・リンポチェの母親が利益を得るのではなく、たくさんの衆生が利益が得られるからだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェの母親が持っていた条件では、ポワ法を得る資格がなかったはずだ。今回母の往生は、人間は往生前でどうやって今世の悪業を浄めるかを示現した。リンチェンドルジェ・リンポチェは5年以上の時間をかけて母のために福徳と因縁を累積し続けてきた。やっと母に浄土に往生させられた。この過程は極めて大変だった。子女と上師の二つの身分を持ち、二つの身分の間で調整するのが容易ではなかった。時々母から少しの距離を置いて離れなければならなかった。それらの調整は微妙だった。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は生前字も読めず、勉強したこともなく、肉食、殺生、中絶をしたこともあり、懺悔も知らず、ポワ法も求めなかった。息子が弟子を取った師父のことしか知らなかった。『リンポチェ』の三文字も言えなかった。それでも、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはあらゆる方法を尽くして浄土に往生できる因縁と福報を母のために累積し続けたうえで、絶えずに修法して福報を累積し、母が浄土での花開見仏の修行時間を短縮させようとした。しかし、成仏するには、母自身の修行次第だ。

多くの人は、浄土は上、中、下の三品で、それぞれにまた上、中、下に分けられ、合わせて九品があると思っている。実際に、九品は更に上、中、下の三品に分けられ、下品下生には更に上中下の区別があり、極めて細かい。今世で法身菩薩や報身菩薩になれる修行ができなければ、仏に直接に会うことはなく、蓮花に転生し、蓮花を胎にしてその中でゆっくりと修行することになる。生前において全く学仏、修行をしない人は浄土に行けても下品下生しかなれず、最低でも12小劫を経ないと、花開見仏のことはない。花開ができるまでにずっと修行し続けても見仏くらいのことしかできず、やっと阿弥陀仏の仏法を弘通する姿が見えるのだ。私たちのできるのは、花開の時間を短縮してあげることくらいだ。仏果の成就は本人の修行次第だ。また、生前で修行したが、仏の言葉に疑と惑を持つ人だったら、死後は浄土外の疑城に生まれ、五百世も仏に会えず、そして六道に堕ちてまた輪廻する。

ポワ法は蓮師が自ら阿弥陀仏の所に行って阿弥陀仏に求めた法で、本尊自身が伝授した法だ。浄土に行くには、福徳と因縁を備えなければならないので、阿弥陀仏は蓮師に、この法を広めてはならないと指示した。普通の人は学仏せず、条件を備えなければ、浄土にはいけないのだ。往生の時はきっと上師を見つけられると思ったら、勘違いだ。あなたたちは普段教えを聞かないから、その時もきっと何も聞かないだろう。私たちは今五濁悪世にいる。一番厳しいのが見濁だ。つまり、何事でも自分の意識で判断し、真相が見えないことだ。そのため、釈迦牟尼仏は『阿弥陀経』の中で、この五濁悪世にやって来て世間の人にこの信じがたい法を広めると話した。浄土に行くのは仏号を唱えることで簡単にできることだと皆は思っているが、念仏する人は大勢いるが、念仏で阿弥陀仏に会える人はほんの僅かだ。

学仏も修行も持続的にやらなければならないことだ。『地蔵経』に、死者の眷属は仏事をたくさんすべきだと言う開示がある。たくさんとは、あっちこっちですることでなく、自分のためでも親族のためでもなく、衆生のために絶えずに続けてやっていく意味だ。浄土に行くように済度してあげればよいというあなたたちの考えとは違う。人間が死後の四十九日の期間において何故七日毎に法要を行う必要があるのか。理由は、死後は浄土に往生できるかどうかを問わず、人間の神識は七日毎に目覚め、中陰、浄土や天界にいて目覚めた時仏事をしてくれるのを見たら、感謝の気持ちが湧くからだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は生前肺炎に罹った。普通肺炎はどんな状況か。」医者をしている一人の弟子は、ホースの破裂で例え、「ホースが破裂した時、汚い水もきれいな水も一緒に混ざり、肺炎みたいに、体から生じた二酸化炭素は交換できず、体外に排出できず、吸い取った酸素と混ざった結果に、心臓、脳、いろんな臓器も低酸素状態になる。低酸素症になると、敗血症が起こり、肝臓、肺臓、腎臓などの臓器障害が起き、壊死になり、人間は昏睡状態に陥る。」と説明した。リンチェンドルジェ・リンポチェのお母さんはこれらの現象がなかった。往生前は意識がはっきりして周りの人のことが全部分かっていた。

「昨日は土曜日、一人の弟子は火葬後のお母さんの骨を一つ持って会いに来た。結晶らしいものがあると話したが、本当はリンチェンドルジェ・リンポチェに舎利であるかどうかを確認させたかった。そうしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェは、これが彼女は貢高我慢の表しだと開示した。彼女はお母さんに舎利ができると思う理由でもあったのか。お母さんは生前持戒、修行していたか。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなたに特別に優しいと思っているのがあなたたちの共同問題だ。昨日のこの弟子は皈依して十数年になったから、リンチェンドルジェ・リンポチェはお母さんに特別に優しいと思った。もし、そうなら、ほかの人に優しくないことになるのではないか。リンチェンドルジェ・リンポチェに母親がいる。母も同じくこれらの苦しみを経験しなければならなかった。昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェは出家衆に仏経を読んで聞かせることを指示したが、彼女は聞きたくなかった。そのつもりはないと反論した。仏経にこんな内容がある。舎利は崇拝用のものでなく、衆生の学仏の因縁を起こすものだ。リンチェンドルジェ・リンポチェも開示したはずだ。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはお母さんのために修法してあげたから、火葬後舎利が現れたと彼女は思った。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親の遺体は火葬後骨しかなかった。この弟子の行為は、仏法を迷信化にした。リンチェンドルジェ・リンポチェを迷信化にした。寶吉祥仏法センターは何故将来に消えるか。こんな人、こんな傲慢な弟子がいるからだ。ユンカ・リンポチェは、日本の道場が残ると話したが、台湾の道場について触れなかった。今の様子を見ると、その傾向に近づいている。

あなたたちは皆同じだ。学仏すればするほど、傲慢になる。昨日壇城前で仕えた一人の弟子が手にトレーを持っていた。彼の担当ではなかったのに、わけもなく彼にやらした。彼は壇城前に大礼拝をしている人を見かけ、物置棚の所までに行ってトレーを置けないと思い、トレーを直接に鼓のスタンドに置いた。鼓は法器であり、何れの法器には護法がある。法器であれば、いい加減にほかのものを置いてはならない。例え法器でなくても、道場の所有物だ。壊したら、常住のものを壊すことになる。彼には大変よくない。物が壊れたらいけないのでなく、わざと破壊できないことだ。トレーを手に持つか、反対側の窓台に置くかのこともできたのに、何故そうしなかったのか。不精が理由だ。法に対して敬わないことだ。彼は十数年も皈依した。リンチェンドルジェ・リンポチェは70才の古希にもなり、はっきりと見えないと、彼は思った。しかし、あなたたちは運が悪い。リンチェンドルジェ・リンポチェは古希になっても、反応は30代の人と同じだ。

昨日、また一人の弟子が懺悔しに来た。彼女の懺悔したいことをリンチェンドルジェ・リンポチェは知らなかった。彼女は今後懺悔しに来なくていい。怖いからだ。この三人の弟子は今後密法を学んではならない。法本を回収する。供養も禁止だ。家に帰って自分の行為は『仏子行三十七頌』に一致したかどうかを毎日考えていない証だ。家に帰って今日一日、自分の身口意は仏法を背いたかどうかを考える人は一人もいない。

信じることは迷信ではない。仏と上師が話した仏法は確実に正確なものだと信じることだ。仏法はあなたの思想、人生経験、今生において学んだ全ての学問とは無関係だ。学校で浄土への生き方が教えられているか。遺体に柔らかい瑞相を表す方法が教えられているか。ないはずだ。学校で学んだ学科で、往生後の遺体を柔らかく維持する方法を教えるのが一つもない。今の常識と全く違うから、仏法は学問とは違う。毎日思惟することを要求しているが、仏法と上師の開示に対する体得、理解をあなたの人生経験で考えることではない。毎日の身口意は悪を為したか、持戒したか、『仏子行三十七頌』に一致したかを考えることだ。

学仏したら、悪業を作らないと思ってはならない。学仏したら、更に悪業を作るのだ。何故なら、あなたたちは、学仏で偉いになったとか、他人よりましだとかを思ったり、人を見下したりしているからだ。傲慢な人は仏法を習得することができない。リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子を叱ったことを物語を聞くようにしはならない。彼らが犯した過ちはあなたたちも犯しているのだ。皆は人間だから、これらの問題はきっとある。貢高我慢、傲慢、自己本位、自分が一番偉いから何でも他人のミスだと思うこと、注目、重視されたくてちやほやされたいという気持ち、権力も勢力を持ちたい望みなどの問題がきっとある。リンチェンドルジェ・リンポチェは普通の信衆から修行し始め、尊勝なる直貢チェツァン法王に指導してもらえたのは、リンチェンドルジェ・リンポチェの根器がよかったからではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは不器用で何でも指示に従ったからだ。尊勝なる直貢チェツァン法王がいいと指示したことをやり、やらないと指示したことをしなかった。修行者に傲慢心が生じたことをリンチェンドルジェ・リンポチェはたくさん見た。例えば一部の法師、リンポチェは仏法の開示を聞いた後、慢の心が起きて病気になった。修行者の功徳は業力と対抗できるが、傲慢な心が起きると、功徳は直ちに福徳に変わり、本来の業力と対抗できなくなる。福徳に変わると、業力もすぐ現れる。この関係は微妙だ。仏法を理解したことを誇示したい人も同じく業障がすぐ現れる。空性が証得できるまでに、話す仏法はただの名相と常識に過ぎず、利益衆生のことではない。

今日長寿仏を修めるのはあなたたちのためでなく、衆生のためだ。法会参加の動機は自身のためではならない。長寿仏法会に参加した人は未来浄土に行く因縁を植え、未来世は菩薩の果位を成就することができる。修行にはたくさんの因縁の助けが必要で、自身の決意も欠けてはならない。自分の身口意を放任してはならない。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な長寿仏法会を修持し始めた。まずは出家弟子が衆生を代表して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上、供養して法の修持を要請した。続きに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはしばらく修法を続けた。その後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法本の内容に基づいて開示を賜った。法本は瑪吉珠貝傑摩仏母が伝授した岩伝法であり、岩伝法は本尊が自ら授けた法なので、加持力も一段と強い。

修法中、薈供の儀軌が進められ、参加者全員は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持した供え物がもらったうえで、法会にて仏菩薩と食事を共にする有り難い殊勝な因縁を得た。

修法がしばらく続いた後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けた。「法本に寿命は『散る』との話がある。つまり、安定でないことだ。人間は母親のお腹にいる時から、母親が衆生の血と肉で育てるので、寿命は安定しなくなる。成長後は更に無数の殺生をするので、悪業の因縁を作ってしまう。

法本に、寿命は破、彎(良し悪しがあること)、裂、揺、動、破になり得るし、鬼に盗まれることもあるという話がある。法会現場にいる信衆と弟子の中で、鬼神や祖先に参拝したことのある人は手を挙げなさい。たくさんの人が手を挙げたね。鬼神に参拝したり、願ったりする人が多い。しかし、鬼神は暴力団のようなものだ。考えてみなさい。暴力団に何かを求めたら、返す必要がないのか。あなたたちが鬼神に願うのは、自分の欲望を満たしたいから。もちろん、鬼神は返してもらいたいと思うのだ。あなたたちが求められるものは何だろう。寿命だ。鬼に盗まれるのと同じだ。祖先に加護を求めるのもそうだ。まあ、頑張って求めてみなさい。求めれば求めるほど、寿命は短くなる。

長寿仏の修法は非時死にならないことに役立つ。非時死は、天災、地震、飢饉、戦争、伝染病、不適任な医者に治療されること、十悪干害などを含む。非時死にならないとは干害も戦争もない太平時代のことだ。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続け、並びに参加者たちを率いて長寿仏心咒を長らく念誦した。しばらく修法した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を込めて修めた儀軌の意義について開示した。更に法座から降りて長寿仏仏像を手に持って1500人以上の参加者を一人一人加持し、寿丸と寿酒(ジュースで表す)を賜った。その間、リンチェンドルジェ・リンポチェは、長寿仏心咒を持続的に念誦し、慈悲の視線は限りなく深くて広かった。その恩恵が一切の有情に及んだ。参加者全員は心から感謝し、両膝を跪き、頭を下げて合掌で殊勝な加持を受けた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に戻り、弟子たちを率いてアキ護法と回向の儀軌を修め、並びに、修法が円満になった後、参加者たちに開示を続けた。

「先ほど五色旗を振ったが、外でたくさんのリンポチェはこのことをやりたがらない。修法者が自分のものをあげる意味だからだ。一本の旗を振るくらいのこと、大したことはないだろうとあなたたちは思うかもしれない。空性の慈悲心と勝義菩提心が証得できなかったら、自分のものを残さずに人にあげることはできない。この段落を修めないリンポチェが多い。

今回母の往生で、両親が往生時の苦しみをどのように最低限に軽減するかのことを皆に理解させたい。あなたたちも見たように、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親であっても、本人が修行しなかったら、生前も同じく苦しみを受けなければ、今生食べた、傷つけた、中絶した悪業を返すことができない。リンチェンドルジェ・リンポチェとしては母の苦しみを最小限に和らげられたが、果報は母親が自分で受けなければならなかった。その過程は免じられなかった。母はその一生においてリンチェンドルジェ・リンポチェの父親だけを信じていた。そのため、母に仏法を受け入れさせるには、リンチェンドルジェ・リンポチェがよく修行すればできることではなかった。伝承上師、諸仏菩薩と護法の加持が必要だった。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなたたちよりよく修行できたと言っていない。少なくともあなたたちよりたくさん修行してきた。それでも、五年前から母のことを段取りをしてきた。五年前に、ほかの子供は世話してくれないと理解させ、母に断念させなかったら、リンチェンドルジェ・リンポチェが唆したり、あやしたりする方法を用いて母を香港から台湾に迎えなかったら、これたくさんの福徳と因縁を作ってあげられなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは知っていた。もし、母はずっと香港にいていたら、世話してあげることはできなかった。そのため、どうしても台湾に来てもらわなければならなかった。これで、身近に世話することができた。

リンチェンドルジェ・リンポチェの母親であっても、リンチェンドルジェ・リンポチェは五年をかけて母のため福報を累積しなければならなかった。母が浄土に往生できるように縁を作るための大変さが他人には理解できない。そのため、あなたたちにやり続けなさいと絶えずに言っているわけだ。あなたたちは、親に話しても親は聞かないのであれば、ほっておくだろう。病気の時はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求めればいいと思っているだろう。病気でもなれば、手遅れだ。定業になってしまうからだ。人間として本来負うべきの責任がある。今世の親を助けるだけでなく、生生世世の両親のそれぞれの家系の祖先、そして自分の累世の祖先をも助けなければならない。これこそ責任を取ることだ。あなたたちは少しのことしかやっていないから、十分のはずがない。両親はよくないと思ったりしてはいけない。生んでくれたことだけでも十分に優しいのだ。眷属は浄土に行けるかどうかのことを気にせず、自分だけが大事だと思っていたら、菩薩道の修行ではない。こんな考え方は止しなさい。何回か法会に参加したとか、念仏でもすれば悪いことは起きず、よいことが現れるとかのような考えはあっていけない。仕事が見つからず、生活がうまく行かず、離婚したなどのことが、あなた自身のことだ。あなたの因果と因縁だ。仏菩薩は目の前にある問題の解決を手伝わないが、あなたの未来にはきっと役立つのだ。法会に参加して念仏すれば、以前為した悪が消える、或はよくないことが起きないのなら、今拝仏の善因、善果も将来は発生しない。それでは、因果も存在しなくなるのではないか。だったら、あなたたちはここに来る必要もないだろう。

生生世世の両親を含める衆生に対する借りが多すぎるから、修行は決して途中で止めてはいけない。仏法の言い方だが、本当に親孝行をする人は仏法を学ぶ人だ。あなたたちはリンポチェではないが、入念に両親のことに気を遣っているのか。衆生は過ちを犯すものだから、私たちは両親の業力に応じて助けてあげなければならない。親孝行するのは、将来親は三悪道に堕ちず、浄土に往生することを望むためだから、早めに用意しなければならない。しかし、あなたたちは自分のことしか考えず、責任を取らず、何もせず、改めない。親が死んだら、リンチェンドルジェ・リンポチェに済度を求める。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は病気に罹ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に修法をお願いしなかった。業力の責任は本人が取るべきだ。上師に迷惑をかけてはいけない。

リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は往生後、百人ほどの弟子が助念してくれた。出家衆もいた。しかし、母は去って行かず、浄土に往生しなかった。何故だ。あなたたちは慈悲心がなかったからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはそれらの弟子に助念させたが、空性の慈悲がなかったら、いくら念誦しても死者は去って行かないことを理解させたかったからだ。母は息子のリンチェンドルジェ・リンポチェの言葉だけが聞きたかったのではない。母は頑固な人だったが、親子の心は繋がっていた。世間のやっていることだが、家族が往生の後、出家者に念仏してもらえば済度できると思わないでほしい。リンチェンドルジェ・リンポチェは母を助けるにはどんな方法がよいかを知っていた。母が往生の後、暫く待たせ、すぐ済度してあげなかった。母が焦った時になって済度してあげた。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は往生後リンチェンドルジェ・リンポチェに会ったら、最初に聞いたのは、自分が往生したことをほかの息子に電話で連絡したかのことだった。電話したから、菩薩について行ってとリンチェンドルジェ・リンポチェが話してあげたら、母は去って行った。今回の機会で、念仏で浄土へと死者を済度することができないことを皆に分からせた。リンチェンドルジェ・リンポチェはその間、母のために浄土に往生するための福徳と因縁を累積しようと手を尽くしたが、もし、最後に母は恭敬心が生じず、合掌してリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼しなかったら、ポワ法による済度を得て浄土に往生する因縁を得ることもなかった。

『宝積経』に、衆生の因縁は複雑すぎるので、空性の慈悲心と勝義菩提心の修行ができなかった人は、衆生を済度する資格がないという記述がある。衆生を済度できないが、念仏は衆生に恐怖な気持ちを起こさせない。念仏する人が衆生に対して何の求めもなかったら、衆生に三悪道に堕ちさせないことができる。

リンチェンドルジェ・リンポチェに二つの罣礙がある。罣礙というよりも、どうしてもやらなければならないことが二つあり、道徳責任を果たしたい。母親と根本上師である尊勝なる直貢チェツァン法王の二人のことだが、母は往生したので、残りは直貢チェツァン法王のことだ。直貢チェツァン法王が定年になる時、リンチェンドルジェ・リンポチェも定年する。数年前、リンチェンドルジェ・リンポチェは引退したいと直貢チェツァン法王に報告した。結局、直貢チェツァン法王は自分が引退していないのにと話した。だから、直貢チェツァン法王が引退する時、リンチェンドルジェ・リンポチェも引退する。リンチェンドルジェ・リンポチェに子供がいるから、続けて頑張るだろうと思ったら、勘違いだ。子供は大人になったから、リンチェンドルジェ・リンポチェは面倒を見ない。子供には自身の福があり、出世できるかどうかは自分で責任を取るべきだ。直貢チェツァン法王がいつ引退するかは、リンチェンドルジェ・リンポチェは大体知っているが、あなたたちには教えない。直貢チェツァン法王は次にどんな行動を取るかを、リンチェンドルジェ・リンポチェは決して当てたりしない。上師を恭敬し、上師がどんな決定を下しても、全部リンチェンドルジェ・リンポチェのためだと承知しているからだ。あなたたちは違う。いつも上師は次に何をしようかを推測し、上師を敬わない。尊勝なる直貢チェツァン法王は特別にリンチェンドルジェ・リンポチェのことをかわいがっているわけではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは教えに従い、直貢チェツァン法王を恭敬しているので、リンチェンドルジェ・リンポチェが学仏に向いていると、直貢チェツァン法王はこう思い、多めに教えてくれたのだ。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法でよくない果報を全部消せるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェも修行する必要がないのではないか。リンチェンドルジェ・リンポチェの上師は尊勝なる直貢チェツァン法王だから、直貢チェツァン法王に修法を頼めばいいだろう。そうしてはいけないのだ。

あなたたちは誰でも仏菩薩と上師の恩情を受けたことがある。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなたたちを助ける時、何も求めず、ただきちんと仏法を学ぶことを望む。しかし、あなたたちはこれくらいのこともできない。あなたたちはリンチェンドルジェ・リンポチェの母親ではない。死んだら、必ずしもリンチェンドルジェ・リンポチェを見つけられるとは限らない。弟子が眷属よりも大事だとは言え、あなたたちは教えを聞かないから、こんな弟子を持っても仕方がない。あなたたちの時間も、リンチェンドルジェ・リンポチェの時間も全部無駄にしてしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェの修行した果位では、あなたたちに潰されてしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェには閉関が必要だ。あなたたちはリンチェンドルジェ・リンポチェが立派だと思っているかもしれないが。リンチェンドルジェ・リンポチェはちっともそう思わない。母は今年往生しなかったら、リンチェンドルジェ・リンポチェの予測では長くても来年年初の頃までに生きられると思った。母は今年往生したが、リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法弘通事業にはいいことだ。長時間病院にいて医療で苦しまれることがないからだ。母は年寄りで何も分からないと思うのが勘違いだ。母は何でもはっきりと分かっていた。ちゃんと教えを聞きなさいと、あなたたちへの伝言もあった。今、母は亡くなったから、あなたたちのために頼み込む人はもういない。これから、リンチェンドルジェ・リンポチェはますます厳しく要求する。よく気を付けなさい。

寶吉祥は直貢噶舉の法脈であり、弘通する者として正信の仏法を広めること、信衆の問題を指摘、修正することもしないなら、仏法を滅ぼさせしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェはそんな人になりたくないので、あなたたちの問題を見たら、必ず指摘する。あなたたちの中で、職場で昇進した人、お金を稼いだ人、穏やかな家庭を持つ人ばかりだ。しかし、この道場のため尽くしたい人がいない。リンチェンドルジェ・リンポチェがこの道場、或はあなたたちを必要としていると思ったら、勘違いだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの一番いいところは、何もかも捨てられることだ。時が来れば、会社を閉めてもいいのだ。未だに往生後、リンチェンドルジェ・リンポチェの済度を求めればいいと思っている人がいる。人生は無常なものだ。リンチェンドルジェ・リンポチェも後どのくらいの時間が残っているかを知らない。

今日修める岩伝法は本尊が自ら伝授した法なので、加持力は特別に強い。仏法学習、因縁と福報の累積に十分な時間を持つように皆に助けられる。この因縁を大事にし、よく決意して修行しなさい。『宝積経』に、不疑、不惑、決定がある。これがあなたたちにとって避けられない課題だ。ここにいる人は決意した人が一人もいない。リンチェンドルジェ・リンポチェは指示したはずだ。家に帰ったら、よく思惟し、慈悲をどう修行するか、身口意は『仏子行三十七頌』の教えた方法に従っているかを考えるべきだ。誰もやっていない。学仏者、皈依弟子になった以上、普通の人と異なり、身口意を放任してはならず、仏法で自分を制御する方法を知るべきだ。ある頼氏弟子は上師の指示したことをちゃんとしなかったのに、誤解されたと思った。こんな思いがあったら、辞めればいい。誤解されてもいいから、全部の苦を飲み込むのだ。損しても構わない。苦しみも損することにも耐えられなかったら、修行してもなかなか成就できない。金剛乗の修行者は、あらゆる人、事、物の良し悪しを問わず、何でも修行に利用できる。学仏者にとって、あらゆる人、事、物が成就の助けになる。禅宗に『信手拈來(手当たり次第に取ってくる)』という言葉がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは話や行動をする時すぐ仏法が出て来るが、あなたたちのほうは悪業の行為だ。私たちの全部の身口意は因果を生み出す。大小の違いだけだが、業力を十分に累積した時、果報は現れる。」

この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは一人の弟子を叱り、昨日は何時にサムテン・ラマを迎えに行って道場に案内することを指示したかと聞いた。「この弟子は自分の便利さしか考えず、10時に迎えに行き、11時に食事をし、12時に道場に送り、それからは早めに道場で自分の法務のことを処理しようと思っていた。ラマを道場で12時から2時まで2時間も待たせることになると全く考えなかった。あなたたちだったら、どう思うだろう。ラマがこんなに待たされたら、きっと気持ちはよくならないだろう。この弟子は相手の立場を考えなかった。道場に来てもらえるだけで有り難いのだ。この弟子は任務を果たせばいいと思い、ラマに早く道場に案内したら、自分の任務は終わると思った。他人の気持ちに全く気配りせず、自己本位だ。長らく学仏してきたとは言え、相変わらず自己本位で、上師の指示を早く済ませたいと思っただけで、ラマの立場も考えなかった。少しの慈悲心もない。ラマは出家衆なのに、出家衆の気持ちをちっとも尊重しなかった。仏は人道の中で成仏できるように修行した。義理人情も分からない人は慈悲心があり得ない。先ほど話した数人の弟子は義理人情が分からないのだ。義理人情が分からないとはどういう意味か。他人に気を配らないことだ。ラマを迎えに行った弟子もそうだ。自分の便利さしか考えなかった。義理人情を理解することは、他人の立場に立って物事を考え、自分のことだけを考えない意味だ。

あなたたちの考えていることを、リンチェンドルジェ・リンポチェは何故分かるか。リンチェンドルジェ・リンポチェの心は清浄で動かず、細かくて自分なりの考えがないからだ。もちろん他人の立場に立って物事を考える。また、少しの他心通もあるから、あなたたちのちょっとした眼差し、仕草で何をしようとしているかがすぐ分かるのだ。

また、ある弟子に、リンチェンドルジェ・リンポチェは、協会の住所を連絡住所にすることを協会に伝えるように指示したが、この弟子は協会に話さず、家主に尋ねることを別の弟子にさせた。家主は場所を協会に賃貸したので、このことは家主に何の関係もなく、賃借者である協会に関係している。この弟子は、上師は法律が分からず、自分はたくさん勉強したから、自分のほうが分かっていると思い、上師の指示を無断で変更した。これも貢高我慢だ。このことが起きたが、弟子らはまだリンチェンドルジェ・リンポチェに言っていない。アキ護法が教えてくれたのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェもこの弟子には最近何かあると感じていた。やっぱりだ。あなたたちは皆同じだ。これくらいのこともきちんとできず、問題を起こした。いつも道場でこのようなことが起きている。一件一件起きている。本当に煩わしい。とんでもない過ちでも犯してみなさいよ。

学仏する時は決して傲慢になってはならない。出家衆は特別に気を付け、自我を減らすべきだ。出家衆は今回全過程に参与したので、自分の功力を理解する機会にもなった。世界で一番難しいのが自分だ。最大な敵も自分だ。最悪の人間も自分だ。だから、あなたたちは決していい人ではない。独りよがりの欠点を直して自我を減らすのだ。少しずつ減らしていき、なるべく減らす。自己意識が重い人は決して平等心がない。平等心がなければ、慈悲心のある修行もできない。慈悲がなければ、仏法もあり得ない。どうやって慈悲心が持てるか。根本から自分の性格を直し、分別心と自己中心の考えを減らすのだ。損しても苦しんでも構わず、全てを貢献したい人こそ、ゆっくりと慈悲心を少し培うことができる。空性の慈悲心になれるほどの修行ができるまでに、利益衆生は無理だ。説経、説法ができても、文字を操ることだけだ。本当の利益衆生はできない。

決してちょっとのことをしただけで偉いと自認してはならない。最近、リンチェンドルジェ・リンポチェは二人の弟子にいくつかの任務を任せた。それで、彼女らは偉そうになり、リンチェンドルジェ・リンポチェに重視され、何でも先に教えてくれると言ったりする。実際に、この二人は傲慢な人で、ちやほやされるのが好きだと、リンチェンドルジェ・リンポチェは知っていたので、わざとして彼女らの反応を見たかった。試したら、彼女らは変わっていないと確認できた。リンチェンドルジェ・リンポチェは言っただろう。好きなものをあげるのがいいことではないのだ。先ほど話した弟子は、常に自分は間違いがなく、他人がきちんとやらなかったせいで、自分は上師に叱られ、誤解されたと思っている。昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に仕事を指示した時、彼女は聞き流した。五回連続で出て行った後、やっとリンチェンドルジェ・リンポチェの指示を思い出した。それでも、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに誤解されたと思った。彼女はまた、ほかの師兄に、彼らが間違えたせいで自分は上師に叱られたと話した。そして、今話したこの二人は自己修正もせず、教えを守らない。広東人は『首が固い』という言葉で指示を聞かない人を形容する。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は往生後も生きている人間みたいに首が自由に動けた話を出家弟子が話しただろう。首が固い人は無理だ。人間は死んだら、首が固くなる。リンチェンドルジェ・リンポチェの父親が往生した時、父の師兄は広東人の習俗に従って首の下に一束の冥銭を置こうと思った。父は死後、一日の午後冷凍された。遺体は固くて何人の力でも父の頭を上げられなかった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は往生後、遺体が柔らかくて頭が動けた。何故だ。医学的な解釈はあるのか。」この時、医者をしている一人の弟子は、医学的な論理からいうと、不可能だと答えた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を弘通しているが、名声や利益を図らない。リンチェンドルジェ・リンポチェの弁舌の才、顔と商売するアイデアで、リンチェンドルジェ・リンポチェさえ気があれば、台湾にいる有名人は皆会いに来たくなるだろう。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこうしない。意味がないからだ。彼らは学仏しないから、リンチェンドルジェ・リンポチェは名声があっても使い道がない。リンチェンドルジェ・リンポチェは名声がほしくない。リンチェンドルジェ・リンポチェの母親が往生後の瑞相を外に宣伝したら、どうなるだろう。」一人の出家弟子は、ほかの大名山の信衆は消えるだろうと報告した。

寶吉祥仏法センターは他所と違う道場で、菩薩道と金剛乗を修行する場所だ。弟子の間違いを見たら、必ず叱って修正を求める。寶吉祥仏法センターで教えられているのは大乗仏法、金剛乗仏法であり、人の性格を完全に変えることができる。金剛乗を修行していたら、どんな苦しみにも耐えられ、何に対しても気にしないようになる。信衆を教えているのではない。叱られたくない人、修行したくない人は他所に行きなさい。リンチェンドルジェ・リンポチェは別の道場を紹介してあげる。他所の道場は信衆が足りなくて困っている。直貢噶舉の一部の道場もそうだ。あなたたちを叱らない。修行に対する要求も厳しくない。法会の時あなたたちが現れればいいのだ。しかし、これは仏法の弘通ではない。あなたたちはリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依せず、信衆のままでよい。リンチェンドルジェ・リンポチェは信衆を叱らない。あなたたち、1000人以上の人が長年にわたってリンチェンドルジェ・リンポチェに迷惑をかけてきた。毎日はちっぽけなことで悩んでいる。ガンに罹った人、仕事が見つからない人、子供が順従でないことで悩んでいる人が全部リンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来た。どんな妙なことでも道場に現れている。現場にいる弟子たち全員は仏菩薩から巨大な恩恵をもらったのに、真面目に仏法を学びたい人がいない。一部の弟子は重要な職位を担当しているにもかかわらず、道場のために力を捧げたことがない。感謝の心がなくて恩返しをしたくない。これでは将来助けてくれる人がいない因果を作ってしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェは長寿仏を修め終えて助けてあげたが、何の収穫もないから、あなたたちを叱る資格があるはずだ。」

法会は円満に終了し、弟子たちは一斉に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法と開示に感謝し、起立して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座から降りるのを恭しく見送った。

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2018 年 05 月 05 日 更新