尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年9月4日

2011年から4年ぶりに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再び弟子を率いてチベットに赴き、9月4日に直貢噶舉教派の祖寺である「直貢梯寺」に戻った。9月4日早朝、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子たちを率いて28台のワゴン車に乗り、ラサを出発して直貢梯寺に向かった。4時間近くの乗車時間、道路状況は悪くて車は大変揺れていた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を利益するために、自身はS型のひどい脊柱側弯症、肩甲骨と頚椎の不具合があっても、旅で疲れ果てることを恐れずに、参拝するために自ら弟子を祖寺に連れて行った。旅中、暖かな日差しがあまねく照らし、空に二重の日暈の瑞相が現れ、まるで仏菩薩の後光が、如法に修行する成就者が衆生を利益し続けることを加持、賛嘆するようだった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが乗った車が直貢梯寺に近付いた時、たくさんのハゲタカが現れて空を長らく飛び回ったし、大修行者に会いたい、たくさんのチベット人は道を沿って歩行で山に登った。

直貢梯寺は直貢噶舉教派の主要寺院であり、祖師ジッテン・サムゴンが1179年に建てたもので、836年の歴史を持っている。直貢梯寺は年月が経ち、蔵経閣の金頂が破損していたため、尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに修復するように要求した。その上、金頂が修復されたら、直貢噶舉教派の法脈は大いに興隆になると予言した。リンチェンドルジェ・リンポチェはその指示を受けた後、経費の当てもなかったが、上師に対する無比の信念、及び教派法脈の伝承への重視を頼りにして重大な責任を背負って全力を尽くし、2000年に「蔵経閣」と「南瞻部洲荘厳大殿」の金頂を修復した。直貢チェツァン法王は何度も、蔵経閣の金頂修復に対するリンチェンドルジェ・リンポチェの貢献を称賛した。年寄りのチベット人は、一生の暮らしの頼りであった仏寺が再び金色の光が輝くようになったのを見て大変感動して涙が止まらなかった。ここ数年、直貢噶舉教派が世界各地に持つ仏寺と弘法センターは大変発展し、教法も広く伝えられている。直貢噶舉教派が大いに興隆になるという、直貢チェツァン法王の予言が実証された。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを載せた車が直貢梯寺に到着した時、執事ラマは直貢梯寺の出家衆を率いて最も敬虔で歓喜の心でリンチェンドルジェ・リンポチェの到着を迎え、並びに最高の礼遇で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを直貢梯寺の主殿に恭しく案内した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、主殿で供奉されたそれぞれの聖像にハタを献上した後、仏寺の執事は、アキ護法殿では尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを迎える用意ができたと表した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは何時でも弟子に因縁福報を累積させたいと余念なく思う方なので、弟子たち全員が主殿に入って参拝してから参ると言い表した。

その後、執事ラマと出家衆は、直貢梯寺の広場で特別に用意された座席に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを案内した。弟子たちは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの座席を囲んで長らく跪き、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが賜った貴重な開示を静聴した。

「今日、皆は直貢噶舉教派で最も古い寺院である直貢梯寺に帰って来た。祖師ジッテン・サムゴンは800数年前にこの聖地を選んでチベットでの最初の寺院を建てた。時間などを含めてたくさんの用意をしたうえで、たくさんの困難をも乗り越えたから、皆はここに来られた。皆は今日ここに来られたから、800数年以来、今までここを維持してきてくれた直貢噶舉の出家衆に感謝しなければならない。

1995年、リンチェンドルジェ・リンポチェが初めて直貢梯寺に来た時、ここは泥道しかなくてアスファルト舗装道路もなく、登る道は一台の車しか通行できないくらい細かった。ここ10数年来、直貢梯寺にたくさんの建設ができたし、道もたくさん開通された。これらは全部直貢梯寺の出家衆と信衆の護持のお蔭だ。もちろん、宗教に対する政府の支援もあったからこそ、今日の直貢梯寺はますます発展できた。

今日、皆はここに来たが、単に聖地巡礼の思いではなく、謝恩と感謝の気持ちがなくてはならない。もし、この800数年来、これほどたくさんの人々がここを守ってくれなかったら、皆はここに来る機会もなかったはずだ。そのため、直貢梯寺を助けてくれた人々、直貢の信衆でなくてもこの場所のために力を出してくれた人々、関心してくれたたくさんの政府役員をも含めて彼らに感謝しなければならない。

後程、皆は大殿に入るが、以前祖師ジッテン・サムゴンは大殿で法座に上がって説法した。典故はたくさんある。大殿はスペースが限られている。今日の人数は300人も超えており、一回で全員が入ることはできないので、三回に分けて100人ずつ入りなさい。皆は順番に列を並び、大殿に入った後は壇城に向かって3回頂礼し、一回りをして出てくる。秩序を守り、大声を出さないようにすることだ。

大殿での頂礼が終わった後、皆をアキ護法殿に連れて行く。時間があれば、あなたたちも体力があるなら、金頂の蔵経閣を見物しに行ってもいい。あまり緊張しなくていい。今日は仏法に対するチベット人の堅持を皆に見せると同時に、チベット人の文化に対する保護を見せて漢人の私たちに見識を深めさせたい。仏法は中華民族の文化の一部だ。そのため、あなたたちが仏法に接することは、中華民族の文化をより理解することになる。今回の機会を大事にしなさい。」

それから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは仏寺の主殿に入って金剛薩埵を修めた。修法の時、外で空から甘露慈雨が降り、列を並んで順番に殿内に入るのを待っていた弟子たちは甘露法雨を受け、全員歓喜に合掌して上師に感謝した。法会の後、仏寺の執事と出家衆は休憩室に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを案内した。その際、リンチェンドルジェ・リンポチェは、今回ここに来た弟子たちから上師への供養金を全部、直貢梯寺の護持のために渡した。仏寺は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを歓迎するために、大変豊富なチベット伝統の食べ物を用意してくれた。寶吉祥の弟子たちも同時に寺院が用意してくれた豊富な茶菓子と昼食をいただいた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが自身の修行の証量、及び教派と仏寺への継続した護持のお蔭で、寶吉祥の弟子たちは直貢梯寺でこんなおもてなしをしてもらえた。弟子たちは、これら全ての体験はリンチェンドルジェ・リンポチェの広大な功徳の庇蔭だと理解し、上師の尽きない恩徳と加持に心から感謝した。

昼食の後、仏寺の執事と出家衆はアキ護法殿に向かうように尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを案内した。アキ護法殿への道は大変急峻で歩きにくかった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは年とはいえ、標高の高い所を歩くのが大変でも、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは躊躇いなく速く登って行った。懸崖に沿って開削されたたくさんの階段を登って一刻も休まず、弟子たちを率いてアキ護法殿に行き、身をもって示して上師の後について来るように弟子たちを励ました。今回直貢梯寺に来た弟子の中で、8ヶ月になった幼い弟子もいれば、80歳過ぎの年寄りの弟子もいた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持のお蔭で、弟子たち全員は無事で順調にアキ護法殿に到着できたし、こんな標高の高いと所で、体の不具合もなかった。弟子たちは不思議に思ったし、深く感謝した。

アキ護法殿に向かう途中、たくさんの現地のチベット人は早々に道端で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの到着を待っていた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが通過した時、チベット人は極めて敬って合掌して加持を求めた、或は恭しく脱帽して頭を下げ、頭頂への加持をリンチェンドルジェ・リンポチェに願った。また、幼い子供を連れた人もいて手を伸ばして尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法衣と被る布に触ろうとした。そして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがアキ護法殿に到着するところ、坂で待っていたたくさんのチベット人は一斉に前に出て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに加持をお願いした。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲を込めて衆生の願いを叶えてあげた。ゆっくりと歩き、漏れなく金剛杵でそれらのチベット人全員の頭頂を一人一人に加持した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがアキ護法殿に到着したら、奉迎する法楽が鳴り始め、仏寺の執事と出家衆は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに法座に上がってアキ護法の儀軌を修めてもらった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、アキ護法殿の壇城を順番に一回りし、終えたら護法殿外の広場待つように弟子たちに指示した。また、弟子たちの調子を気遣って尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、体調の悪い人は殿内に入って待ってよいと指示した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが殿内で修法した時、直貢梯寺上方の空に彩色の日暈が現れ、雲の中から突然極めて殊勝な白い光が一本突き刺して真っ直ぐにアキ護法殿に当てた。しかも甘露慈雨が降った同時に太陽が出ていた奇妙な天象が現れた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法時間は午後で、当時は鳥葬が行われていなかったが、護法殿の上空に大型の黒いハゲタカが現れてずっと飛び回っていた。何れも天竜護法と空行母が現れて大修行者を保護し、衆生を利益するリンチェンドルジェ・リンポチェの広大な功徳を賛嘆するための瑞相だった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢梯寺にいた期間、多くの瑞相が現れた。ナンジュ・ケンポスの話だが、成就者がいるあらゆる所にいろんな瑞相が現れるそうだ。特に聖地は仏菩薩の壇城であり、一切の諸仏菩薩が住む宮殿でもあるので、諸仏菩薩は喜んで吉祥の言葉を念誦する。十方護法も守りに来るし、諸天女子も大修行者を迎えに来るので、花撒き、妙音、歌舞など異なる兆候がたくさん表れる。しかし、皆は五彩の瑞相と甘露慈雨しか目にすることができないそうだ。空を飛ぶハゲタカと神鳥は何れも大成就者を守りに来る諸天護法だった。日差しは大殿とアキ護法殿を直接に照らした。何れもリンチェンドルジェ・リンポチェがここで修法、入定し、諸仏菩薩とアキ仏母の心続と相応して一切の衆生と弟子たちを加持していたからだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法は1時間以上を渡って円満に終了した。その後は弟子たちを率いて仏寺のメイン広場に戻った。その時、直貢梯寺のラマたちはリンチェンドルジェ・リンポチェへのハタ献上で供養したいと願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲の心で応じた後、ラマたちは恭しくハタを献上し、その上、祖師ジッテン・サムゴンの聖像、法本、大舎利塔、大きいパックの甘露丸とチベットの線香を使って供養し、並びに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上した。直貢梯寺は、ラマ250人で45日連続で毎日24時間中断なく、『六字大明咒』を唱え続ける古い伝統の法会を行っていたが、歴史の動乱で中断となった。直貢噶舉の大リンポチェであるドラブ・ワン・リンポチェの指示により、リンチェンドルジェ・リンポチェの独力の護持を通して再開でき、伝統を継承することができた。今回のハタ献上による供養に使われた甘露丸は直貢梯寺の古い伝統法会で作られたものだ。

ハタ献上の儀軌が円満になった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、「最後にラマたちがリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上して供養したのは、リンチェンドルジェ・リンポチェの長寿を祈ったためだった。今日、皆が直貢梯寺に来て寺院側に大変迷惑をかけたので、皆は拍手で寺院に感謝しなければならない。後程、出家衆は皆にハタを渡すので、列を並んで順番に受け取りなさい。」と開示した。

寶吉祥の弟子たちは心より尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、一斉に拍手して直貢梯寺のおもてなしに感謝した。その後すぐ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが乗車するのを恭しく見送った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが教派と直貢梯寺への全力護持のお蔭で、寶吉祥の弟子たちは直貢梯寺を離れる時に、全員直貢梯寺のラマに贈られたハタと大変貴重な甘露丸がもらえた。弟子たちは上師について祖寺に戻る機会がもらえたうえで、上師が賜ってくれた無上の恩情が体得でき、更に仏法を学んで生死の輪廻から解脱する信念を増長して固めることができた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しなければならない。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは早朝に出発し、長い旅の苦労をして直貢梯寺に来た。連続の修法と加持をした後、直ちにラサの中心部に戻り、一刻も休められなかった。直貢梯寺を離れた後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが乗った車はアキ護法の生まれた場所を経由した。現地の寺院の執事と出家衆は道端で行列を作り、手にハタを持ち、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを待ち、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの到来と加持を願った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自身の苦労を惜しまず、停車するように指示し、現地の寺院執事と出家衆に自ら接見した。執事と出家衆は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上し、並びに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに法座に上がってもらった。リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がってすぐ慈悲を込めて修法した。修法中、本来は静かだった荒野に何度も極めて殊勝な強い風が吹き、無数の衆生は利益が得られた。修法が円満になった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは現地の寺院執事に短い開示を賜り、慈悲を込めて信衆が捧げた酥油茶を飲んだ後、直ちに乗車してラサに戻った。

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2016 年 01 月 06 日 更新