尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年7月19日

法会開始前にまずは5人の弟子が話を語った。

最初は一人目の弟子の話。彼女は、リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳を皆に語る機会が与えられたことに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。「先日、リンチェンドルジェ・リンポチェは往生したその出家弟子の母親のために修法して大変苦労した。その原因について、皆は知っている。その出家弟子の母親は、末っ子の娘は20歳足らずの年で十数歳の若さで出家したことが心残りだった。また、その出家弟子のお姉さんはお寺の住持だったため、母親のほうは末っ子の娘さんと一緒にお寺に入居した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会えるまでに、30数年もお寺に住んていた。

実際に、お寺は四衆弟子の修行場所であり、食事、暮らし、用品に関するもの全ては檀越、信者からの布施と供養だ。無断でお寺の品物を他の目的に使う人がいたら、その果報は『地藏経』の言うとおり『常住の財産、お米、衣服乃至何でも盗む衆生がいたら、無間地獄に堕ちるのが当然なこと、千万億劫から抜けようと願ってもその日は来ない。』このような果報は大変厳しい。信施は皆の修行のためのものであり、他の目的に利用されたら、皆は福報が得られないので、大変厳しい果報が顕れる。在家の者がお寺に住んでいても、声聞乗の修行ができず、大乗菩薩道の修行しかできなかったら、その基準は更に高くなる。実践できたら、まだ信施を受ける資格はままあるが、実践できなかったら、信施を受けるのが常住の物を盗むことになる。大変悪いことだ。

常住の物だったら、草にせよ樹木にせよ、取ってはならないのだ。僧衆に捧げられる飲食は尚更だ。仏陀の時代に数多くの仏弟子は証果できた阿羅漢で神通を持っていた。彼らは普段、十方を漂って定住する場所がなく、雲、空、地下、水中の石、或は壁の中に分散していた。一カ所に固定して集中させるのは無理だった。そのため、仏陀は、何れのお寺でも食事の時に、信号として板を叩くことを定めた。放送で食事を知らせることはいらなかった。しかも各国もそれぞれの言葉があったし。仏陀が決めた板を叩く方法に従ってその音が聞こえたら、それらの阿羅漢は空、雲、地下から現れて食事に出かけた。十方僧衆は板の音が聞こえたら、供養を受けることができた。そのため、これらの僧食は十方僧衆が受けられるもの、十方僧衆に属するものだ。修行者以外の者が盗んだら、例えば1杯のご飯を食べたら、十方僧衆のそれぞれに1杯のご飯の借りができたことになる。これは大変恐ろしいこと、返すこともできないのだ。

その出家弟子の母親はお寺で30数年も僧食を食べていた。その上、そこの出家者とも喧嘩し、修行しなかったらしい。これでは僧食を30数年盗んでいたことになり、十方僧衆のそれぞれに30数年分の僧食の借りができた。この膨大な借りを返すのはとても無理だった。そのため、彼女を済度した時上師は大変苦労をしたし、たくさんの福報を費やさなければならなかった。上師は彼女にどれくらいの福報をあげて彼女を済度できたのか。皆さんはもう分かっただろう。

今日、皆さんはその出家弟子の母親の頭蓋骨にできた丸い穴を見た。とても丸くてきれいな状態。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが自分を犠牲した結果だ。私たちは自分にはどれくらいの業があるかも分からない。業のひどさが分かってもこれほど恐ろしいことは知らない。それにしても、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ一言で背負ってくれる。その出家弟子の母親は生前、せむしが極めてひどかった。上師の開示によると、それは畜生道に行く兆し、借りを返すことが必要で、返せなかったら、必ず畜生になって体の血肉で返さなければならない。彼女は生前の時、上師からたくさんの世話をしてもらったのに、心に執着が生じて享受に貪欲を持ち、浄土に行こうとしなかったため、彼女のための修法で上師はひどい苦労をしてしまった。

1週間経ち、もう一人年寄りの弟子が往生した。上師は、この弟子の家は葬儀のお金で困るだろうと思って手伝いたいと言った。結局、彼女のためにポワ法を修めた時に、彼女は家にある十数万元の黄金を覚えていてその十数万元の黄金を娘さんに残りたいと言う執着を持っていたことを、リンチェンドルジェ・リンポチェは初めて知った。死亡を目の前にしても自分のためにポワ法を修めてくれる上師に対してできるだけのことを求めた。それにも関わらず、お金を娘さんに残したいと思っていた。よく供養をして自分の福報を増やすことでさえ知らなかった。彼女は自分に福報がなく、上師が無理して修法してあげたことを知らなかった。このくらいのお金だが、執着は対象物に関係がない。このような心の執着と貪欲は、更に彼女を地獄と餓鬼道の深いところに堕ちさせるから、上師は彼女を上方に押し上げるのに更に苦労しなければならなかった。これはお金の問題ではない。私たちの心に執着するものがあまりにも多すぎるから、往生前に上師に想像以上の力を消耗させしまう。ポイントは執着する金額ではない。私たちは何に対して執着心を持っていることだ。これだけでも上師を非常に苦しませてしまう。この2回のポワ法を修めた後、リンチェンドルジェ・リンポチェは不具合になって今でも完全に回復していない。

今年初めに、リンチェンドルジェ・リンポチェは屏東に行って100年以上済度されなかった亡霊のために修法した。それ以来、リンチェンドルジェ・リンポチェの体調はずっと良くならない。上師の体は何度も警告を発した。たっだ一人の上師だから、私たちはこれ以上、上師を苦しませてはいけない。私たちはこのように上師の健康に傷害を与えている。こんな残酷なことは何故できたのだろうか。上師は仏法を教えてくれた。それは自ら修行、実践するよう私たちに教えたことだ。因果の法則に従って生活できれば、自分への最大な加持と守りになる。修行せず、悪をするのを止めずに、ひたすらに上師に加持、災難除け・厄払い、済度を求めることをしてはいけない。私たちは誰でも同じ、一身上の都合で、上師の慈悲を利用し、上師の健康を犠牲にしても構わない。上師は慈悲心、菩提心を発するよう教えてくれたのに、私たちは人間として一番基本的な良心でさえ持っていない。仏法を学んでいるなんて言っているけど、綺麗事に過ぎないのだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこの娑婆世界で完成すべき責任と仏法事業がたくさんある。リンチェンドルジェ・リンポチェはかなりの重い責任を背負っている。仏教界と教派内外もそうだが、無量無辺の広大な衆生が上師からの利益、済度を待っている。弟子として私たちは自分だけの利益で広大な衆生を利益したい上師の願いを妨げてはならない。本当にそうしてはいけないのだ。これ以上、このように上師を苦しませてはいけないのだ。私たちは1つの認識を共有しなければならない。それは、今から、私たち自身に因縁福報と条件がある上で、上師の開示とおりに仏法を修行し、五戒と十善、慈悲心、懺悔心、菩提心、出離を含めて全部修行しなければ、十分に供養しなければ、上師にポワ法を修めてもらうことを無理やりに求めないことだ。実際に、上師は私たちのそれぞれにポワ法を修めてくれなくても、毎月の施身法法会においてポワ法が修められている。これだけでも十分に私たちを含めて私たちの親族を済度することができる。だから、私たち一人一人のためにポワ法を修めることを上師に無理させるのをやめよう。そうしなければ、上師は大変な苦労することになる。ひどいのは、一番大事な事だが、私たちは何も実践していないことだ。

上師は慈悲で私たちに接し、弟子のためにポワ法を修めるのが当たり前だと思ってはいけない。これは絶対に間違った考えだ。もう一人の出家弟子に顕教の師父がいた。その方は大変有名で大慈大悲の菩提心を具足していた。病気や困難のある人がいたら、いつも自ら加持と済度をしてあげた。しかし、彼は山や水にいた妖怪と鬼神を怒らせた。彼は修行していたから逃れられたが、周りにいた無関係の人を傷つけてしまった。その中に力強い冤親債主もいたから、その後彼は人の済度をしなくなった。これに対してリンチェンドルジェ・リンポチェは私たちのためにたくさんの業を背負っている。体が不調になっても同じ態度を貫いて来た。弟子のためにポワ法を修めない、助けない、手伝わないと決して言わない。本来は弟子たちが求めに行くべきものだったが、上師の健康は不具合になっても、修法しないと言わない。その菩提心に決して揺るぎないのだ。

この間、ある北京大学の教授はこう話した。彼は他の教派からポワ法修法のことを聞いたが、上師がこれほどたくさんのポワ法を修めたのを知って大変不思議に思った。彼によると、チベットではポワ法を求めるのに、死者の体重と同量の黄金を供養しなければならないし、必ずしも瑞相が見れるとは限らない。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェがこんなにたくさんのポワ法を修められたこと、そしてたくさんの瑞相が顕れたことについて、彼はとても不思議に思った。ナンジュ・ケンポスが言った話だが、雲南でポワ法のことを聞いたが、修められる人の話を聞いたことはなかったし、瑞相を見ることもなかった。しかし、台湾に来たら、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにたくさんのポワ法を修めて瑞相が顕れたことを知り、彼は大変驚いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは力強い方だと思った。

このような上師に出会えるのが簡単なことだと皆さんに思ってほしくない。決して容易なことではない。尊勝なる直貢チェツァン法王は大変昔、私たちの上師をよく守り、上師の健康に気付けるよう私たちに注意していた。それなのに、私たちは上師を大事にするためのことを何もしていない。上師を苦しませたり、上師の健康を傷つけたりしてばかりだ。私たちは何の修行もせず、何でも上師に任せきりにしたい。本当に恥も恩も知らない弟子だ。私たちは自分自身に寛大だが、上師にはひどくて残酷なことをしている。まさに上師を軽慢している。仏法を軽慢している。仏が伝承して来たたくさんの仏法は世間から消えていく。その最大な原因は衆生が仏法を軽慢しているからだ。仏菩薩は衆生を憐憫し、衆生のこのような悪業を止めさせるために、仏法を回収する。皆は気を付けなければならない。」

一人目の弟子は最後に「皆さんに、浄土に往生したい心を止めることはできないが、まずは自分の条件、供養は十分であるかどうか、上師に求める資格はあるかどうかと、自問してもらいたい。今まで皆さんはたくさんの例を見てきた。実践さえできて信念と十分な因縁福報を持っていたら、求めなくても、往生の時には瑞相を具足することができる。私たちの上師を大事にしてもらいたい。上師はただ1人しかいない。私たちは何もよくできていないが、一人一人尽くして私たちの上師を大事にしてもらいたい。」と呼びかけた。

二人目の出家弟子は法会開示の中で、チベット仏教密法は科学、医学を超えたものだと言う、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示した言葉を読んだことを語ってくれた。「尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、チベット仏教直貢噶舉派密教において最も殊勝な八大成就の1つであるポワ法を修めた時、自分の体のエネルギー、即ち「火」のエネルギーを死者の体内に注いでから、そのエネルギーで死者の神識を中脈を経由して頭頂骨梵穴の所に穴を開けて押し出す。そのため、必ず頭頂骨梵穴の所に縁がきれいで滑らかな貫通性の丸い穴ができる。火葬後の頭頂骨に丸い穴ができた瑞相が寶吉祥仏法センターのサイトに掲載されている。皆さんはそれを見たと思うが、これは具徳の上師でなければ、できないことだ。それに、ポワ法を修めるのに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは体のエネルギーをたくさん費やさなければならない。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、2006年2月3日から2月4日まで、心拍が止まったくらい連続でポワ法を4つも修めた。また最近、その出家弟子の母親が往生した後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェもその母親のためにポワ法を修めた。修法の後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのエネルギーは大変費やされた。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示によると、その出家弟子の母親にはポワ法をもらう資格がなかった。彼女の生前のせむしは畜生道に堕ちる相だった。上師の大慈悲力、大功徳力で無理して浄土に往生できるよう彼女を済度した。彼女だけでなく、彼女に傷つけられた多くて数えきれない衆生まで同時に済度された。これは大変上師の体力を消耗したことだ。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法を修める殊勝さ、そして、不思議な瑞相がたくさん顕れたことを皆は知っている。だから、皆は好き放題にポワ法を求める。しかし、どんな心でこんな殊勝なポワ法を求めるべきか、誰も考えない。チベットでは、家族のためにポワ法を求めたければ、往生前にポワ法が修めれる行者を見つけ、まずは大供養をし、死者の体と同量の黄金で供養しなければならない。それからは行者を家に招いで食住等を含める四事供養をし、家族が往生して行者が法を修めた後、再び行者を供養する。最後に、行者を送り返した後もまた供養しなければならない。これらを何1つもしていない私たちは、修法を求める福報があり得ない。」

話を語った弟子は以前顕教の寺院にいた。その寺院では、家族のための済度、仏事を求めたい場合、梁皇のような大部の経典を1回するのに、50万元から100万元が必要だけでなく、家族も死者のために朝から晩まで、1週間連続で拝み続けなければならなかった。こんなたくさんのことをしても、彼女は殊勝な瑞相を見ることが1度もなかったし、死者は浄土に往生できたかも分からなかった。また、大きな病気に罹った家族がいて災難除けと加持を求めたい場合、寺院で法事をするのに20万元から30万元程が必要だったし、家族も患者の代わりに懺悔しなければならなかった。費やす金銭、気力と体力はとても考えられないものだった。

「それに比べれば、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子は膨大な金銭と気力、体力で供養することがあっただろうか。弟子たちは何かがある度に、上師に任せっきりにする。何時も私たちの望むとおりにしてほしいと、上師に求める。望むとおりにならなかったら、上師は慈悲でないと思ってしまう。頼りっぱなしで、その程度はますますひどくなるし、なんでも上師に投げる。暮らしが気楽の時は自分の家族、子供のことだけを思って最高の物を全部彼らにあげようと思うが、上師のことを思ったことは1度もない。上師に対する供養を惜しむ時さえある。皆さんに分かってもらいたいが、生前に善根と福報を具足せず、大懺悔をせず、五戒と十善を守らず、大供養もしなかったら、自在に死んでいくのは極めて難しいのだ。そして、往生の後、家族は死者のために福報を修めず、懺悔せず、助けてくれる大成就者に出会えなかったら、死者は永遠に六道の中で輪廻を繰り返さなければならない。」

寶吉祥仏法センターに来てから、彼女は、具徳の上師、大慈悲、大成就、実修実証を兼備するリンポチェに出会えた私たちは大変幸せだと初めて知った。「尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台湾にいる限り、毎週土曜日に信衆を接見し、仏法で衆生の悩みを解消してくれる。また、毎週日曜日にも法座に上がって仏法を開示してくれる。開示の言葉は何れも1つの法門であり、衆生の悩みを転じることができる。ほかにも、毎月に殊勝な施身法法会を開催している。今は毎月に施身法を修める修行者はどこにもいないが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこのように命を惜しまず、衆生を利益し続けてきた。弟子たちのためにたくさんの負担を抱えている。それに対し、弟子たちは自ら工夫して教えを守って実践しようと思っているだろうか。」

彼女らと寮で同居している年寄りの師兄がいる。その師兄は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してから10数年になり、もう80数歳になった。大変勤勉な方。彼女らはその師兄に、ポワ法を求めたらと言ったことがあるが、そして、その年寄りの師兄は、自ら求めてはいけない、自分は何もせず、上師に頼りきりにしてはいけないと答えた。2人目の弟子は皆に呼びかけた。「上師に皈依した初心を思い出そう。上師のポワ法を望むことでなく、上師について仏法を学びたいという思いのはずだった。私たちは、常に上師の教えを守って熱心に学び、自己成長を求めなければならない。何時かの時、どうしても力不足の所があったら、同情して助けてくれる者が現れる。誰でも自分で責任を持って実践することにより、初めて社会に対して責任を果たすことができる。何時までもマザコンのような人間でいてはならない。自分が勤勉になれたら、その分だけでも上師の体力を消耗しなくなる。その師兄は暮らしの些細なことで上師に面倒をかけるのを一切したくない。時々上師は気遣ってあげたが、その度に、彼女は自分のことを心配しないよう上師にお願いした。苦難衆生を利益するために、上師にもっとたくさんの体力と気力を維持してもらいたいのは彼女の思い。現場の若い師兄にもこのような信念を持っているかと自問してもらいたい。

上師の法は何れも衆生を助け、殊勝で不可思議、極めて有り難いものだ。上師に対してどれくらいの信念、恭敬心を具足することができたら、それなりの利益が得られる。必ずしもポワ法で浄土に往生する必要はない。私たちは上師を大事にしなければならない。教派、衆生全員の利益、他にもいろんなことがあるが、上師はこれで十分に忙しい。そのため、私たちのためにいろんな負担を上師にかけるような身勝手なことをしてはいけない。先に話したその年寄りの師兄と同じように、これ以上上師を苦しませないで、上師をよく守って大事にする心で配慮するよう皆さんにもお願いしたい。」

三人目の出家弟子は、再び皆に話を語る機会が与えられたことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。彼女は、リンチェンドルジェ・リンポチェは苦労しても台湾にいる限り、毎週日曜日に法座に上がって法を広める理由は何か、皆に聞いた。「その理由は、仏の教えは何か、そして日常生活において悩みをどうやって菩提に転換するかを教えて弟子たちにはっきりと分からせたいことだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは以前の開示の時に、自分の話は顕教の道理であり、密法の修行をしていると語った。世間の全ては人生の一過程に過ぎないが、学仏の目的は何だろうか。それは自分の主人公になることだ。しかし、主人公になるのは何の意味があるだろうか。それは自分の死亡過程を全て把握することだ。

仏法は有り難いものだ。どの仏経も初めに以下の開経偈がある。

無上甚深微妙法、百千万劫難遭遇
我今見聞得受持、願解如来真実義
(最高にして深遠な真理には、百千万もの災難に遭遇しても巡り合うことは難しい。しかし私は今出会えてその教えに触れることができた。仏陀の教えた真理が体得できるよう願いたい。)

徳、格、相を具足する上師は尚更に珍しい宝だ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは経験を持っている大成就を得た方であり、衆生の問題を見極めて一言で私たちの問題の因を指摘してくれる。因果から離れず、衆生を助けて教えてくれるが、弟子たちは教えをきちんと聞いて実践しなければならない。上師になんでも丸投げをしてはならない。

仏法の学習過程において、障害は必ず現れるが、上師、仏菩薩の加持に頼り、学仏の信念を貫き、教えを守って実践することができたら、それらの障害を取り除くことができるのだ。私たちは上師に頼るが、上師に任せきりにしてはならない。私たちは家族に何かがある時に心配してすぐリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求めたくなるが、法身慧命を下さる父親のことを考えることがあっただろうか。私たちは修行者に慈悲を要求するが、慈悲で修行者を扱うことがあっただろうか。上師の安否を考えて三福の1つ、つまり師長を尊敬して奉仕しているだろうか。何もしていなかったら、福報はあり得ないのだ。福報は供養布施によるものだと、皆は知っていると思う。信衆が最初に上師に会見した時、上師は善巧方便でその心を引き出してあげる。でも、私たちは皈依弟子だ。上師が開示した仏法を聞き、伝法までしたからこそ、修行に努め、改心すべきだ。上師が開示してくれた五戒と十善、『仏子行三十七頌』を目標として振る舞う。問題が起きる度に、自分は何もせずに、丸ごとに上師に投げてはいけない。

大体3年前に、ある日ある師兄は、不思議なことを話してあげると私に言った。その師兄は少し前に胆石で3日間も痛みを堪えていた。注射を受けて薬を飲んでも痛みは減らなかった。土曜日のことだった。彼女は痛みを耐えながら家の仏堂で上師が開示した懺悔の仏法テープを聞いた。涙を流しながら、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を思い出した。自分の業で無数の衆生を傷つけて苦しませたから、そんな痛い目に遭ったと確信した。そして、彼女は冤親債主に、『傷つけて苦しませてごめんなさい。私は懺悔する。』と言った。その時、彼女は急に3月12日頃、郵便局に保険配当金が入ることを思い出し、そのお金を引き出して冤親債主の代わりに上師を供養したいと思った。そして、彼女は続けて『リンチェンドルジェ・リンポチェを供養する功徳を全部あなたたちに回向する。あなたたち全員を離苦得楽させる。』と言った。言い終わった瞬間、3日間も痛んでいた胆嚢の痛みは直ちに解消された。彼女はびっくりして涙が止まらなかった。彼女は、リンチェンドルジェ・リンポチェを供養する功徳は衆生にとって大変必要なものだと思い、口にしただけでお金を引き出したわけでもなかったし、誰一人も知らなかったし、冤親債主に言っただけで、痛みは直ちに消えた。本当に不思議なことだった。

上師の加持力は衆生にとってなくてはならないものだから、私たちは上師に頼るしかない。彼女はその供養できるお金のことを思い出す前に、冤親債主に、自分はちゃんと仏法を学び、冤親債主の代わりに毎週日曜日に法会に参加すると言ったが、痛みは変わらなかった。しかし、供養できるお金のことを思い出して口にした途端、痛みは消えた。病院で注射を受けるよりも効き目があった。大変不思議だった。彼女の言った供養は誰も知らなかった。上師の前で言ったこともなく、ただ法照の前で言い出しただけだ。彼女の内心では大変感動した。そのため、キャッシュカードを持ってご主人にお金をおろすように頼んだ。彼女のご主人は着替えて出かけようとするところ、その日にリンチェンドルジェ・リンポチェは信衆に接見しなかったことを思い出したから、明日道場に持って行こうと言った。彼女はすぐに電話で連絡し、その日信衆の接見が行われなかったことを確認した。そして、彼女は仏堂でひざまずいてリンチェンドルジェ・リンポチェの法照に、事情の経過を話した。また、『ごめんなさい。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日信衆に接見していないことを忘れた。しかし、明日は必ずお金を道場に持って行ってあなたたちの代わりに、リンチェンドルジェ・リンポチェを供養する。安心してください。わたしは必ずこのことをする。この供養の功徳を全部あなたたちに回向する。』と冤親債主に話した。

こうしてそれ以来、彼女は痛みを感じることはなかった。翌日、日曜日の法会の時に、彼女は恭しくそのお金を供養箱に入れた。そして、壇城の前に来てリンチェンドルジェ・リンポチェの法照に『弟子は懺悔の心で衆生の代わりに、リンチェンドルジェ・リンポチェを供養する。弟子が傷つけた衆生を加持するよう、リンチェンドルジェ・リンポチェにお願いしたい。彼らが離苦得楽できるようお願いしたい。』と報告した。それ以来、彼女は痛むことは一度もなかった。

師兄の皆さん、具徳の上師を供養する力は大変不思議だ。衆生は私たちよりも分かっている。私たちは何もできないが、私たちに傷つけられた衆生は皆はっきりと分かっているのだ。彼らに代わってリンチェンドルジェ・リンポチェを供養することが最も速くて最善の道だと分かっているのだ。私たちが何時までも供養心を持ち続けることを祈る。私たちに傷つけられた衆生もリンチェンドルジェ・リンポチェの加持が得られ、一日も早く離苦得楽できることを祈る。

私たちの上師である尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは仏菩薩のように、あらゆる所にいる。仏の光は何時までも私たちを庇蔭しているので、皆は信念を持たなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示した言葉だが、『信乃一切功徳之母(信はすべての功徳の始まりだ)。福徳は業を転じることができない。功徳こそ業を転じることができる。』近頃、道場で座ったまま往生した信衆のことだが、信成就を表す最適な例だ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示したことがある。『リンチェンドルジェ・リンポチェが修めた何れの法も済度できる。毎月一回の施身法法会にもポワ法が含まれている。』以前、前の道場にいた時、スペースが限られて250人しか入れなかったが、今1回の法会には1300人から1500人の参加があるので、リンチェンドルジェ・リンポチェはの苦労は尚更だ。

皆さんは知っているだろうが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは屏東に行って修法して帰って来た後、最近もまた連続で2人の師兄のためにポワ法を修めた。本当は、この2人の師兄は殊勝なポワ法を得るための因縁福報を具足していなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは無理して法を修めて、自分自身の福報を以て交換した。リンチェンドルジェ・リンポチェは今でも毎日、衆生を利益するためにあっちこっち駆け回って苦労している。全部の命で仏法を広めている。弟子として、私たちはきちんと上師を大事にしなければならない。虚空にいる私たちのほかにも、私たちを含めてリンチェンドルジェ・リンポチェの済度を必要としている衆生はあまりにもたくさんいるのからだ。

師兄の皆さん、私たちは今世にいて因縁福報があったから、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できた。皆は集まって仏法を学ぶことができたから、心配はいらない。決心して自分の生死解脱を助け、そして衆生の生死解脱を助けようと発願し、教えを守って実践することができたら、上師と仏菩薩は私たちを成就してくれる。これは彼らの願力だ。」と三人目の弟子は参加者の師兄と励み合った。最後に、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康で、法輪が常転し、この世に常住し、仏法事業が興隆することを祈った。

続いては四人目の弟子の話。「以前インドに犍達多という悪事のやり放題にやった強盗がいた。ある日彼は道を歩いた時に足元にクモが現れた。その時、彼は踏みつぶそうと思ったが、心機一転してクモは罪のない小さな命、私とは仇がないと思い、足を移動してそのクモを逃した。彼は悪事の限りを尽くした人間だったため、死後は阿鼻地獄に堕ちて甚だしい苦しみを受けなければならないはずだった。仏陀は、彼にはクモを生かした善念があったことを見て済度するための因縁になれると思ったから、地獄の頂上から1本のクモの糸を垂らした。彼はその糸にしがみついて踏ん張って登り上げようとした。途中でクモの糸は揺れ始め、しかも揺れがますます激しくなった。見下ろしたら、地獄にいた無数の衆生もクモの糸に登り上がっていた。彼はクモの糸が切れたら、自分は永遠に助からないと恐れて足で下にいた人を蹴り始め、皆を蹴り落そうとした。急いで登らなければならないことも忘れた。結局、クモの糸は切れて彼と地獄の衆生全員が苦しい地獄に堕ちて苦しみを受けさせられなければならなかった。

この話から、仏菩薩は何れの衆生も見捨てず、地獄にいる罪深い衆生のことまでも助けたいことが分かるだろう。しかし、その前提は、衆生自身には済度できる因縁がなければならないことだ。クモの糸ほどちっぽけな善根でも、仏菩薩の済度したい根拠になれる。そうでなければ、因縁のない人を済度することが仏にはできない。

多くの弟子は当初、病気の苦しさと苦境で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求めに来た。こうして寶吉祥仏法センターに入った。皆とも過去に少なくても多少の善根があったから、上師は皆を罪業の苦果から引っ張り出すことができるかもしれないが、上師は皆を加持して苦果を免じてくれるが、それは皆に勤勉な修行をして生死を解脱し、そして更に衆生を利益してほしいからだ。それなのに、みんなは苦しまない時、安逸な生活を過ごして私たちに対する上師の切なる期待を忘れてしまい、苦しみが顕れたら、また加持を求めに行く。

今回、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは連続で2人の師兄のためにポワ法を修めた後、また体に不具合が生じた。上師は命を惜しまなくても衆生を済度したいが、上師を失う危機に私たちは耐えられない。上師がいなかったら、正しい仏法を教えてくれる者がいなくなる。過ちを犯す時に、悪業の苦果を免じれてくれる、大声で叱って厳しく罰してくれる者がいなくなる。この世には天災と人災が絶えない。衆生は因果を識別することができないのが原因だ。共業に巻き込まれず、非時死のないように加持してくれる者はどこにいるだろうか。生死解脱のための法門を教えてくれる、茫漠として生死の繰り返し、生生世世に生老病死、憂悲苦悩の繰り返しを免じてくれる者はどこにいるだろうか。上師がいなかったら、私たちの修行の道は続かない。今こそ、私たちは徹底的に反省して同じ痛い目に遭わないよう同じ過ちをしないことを誓うのだ。上師を苦しませる弟子がこれ以上出ないようにしなければならない。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、浄土に往生する条件は善根福徳の因縁を持つ善男子、善女人でなければならないと、よく言っている。善男子、善女人とは五戒と十善を円満に修める男性と女性であり、且つ一念の真心で回向し、浄土に生まれる願を発することが必要だ。自分は1年前に寮に入居した。その時、その出家弟子の母親は念仏もできなくなり、数珠を持っていくら珠を動かしても同じ珠に止まっていたし、口も念仏していなかった。上師の名号を教えて覚えるように言ってあげても、彼女は分からなかったようだ。彼女はいつもヘルパーに言っていた。『自分は一生苦労をして来た。自分一人で蓆を編んでやっと家族全員の生活が維持できたが、今は目を開ければ食べれるご飯があり、世話してくれる人もいる。このような幸せな生活は今までできなかった。だから仏、上師を唱えることを言われたら、早く死になさいと言うふうに聞こえた。』

その出家弟子の母親は100歳だった。寝たっきりで、せむしで足は何時までも曲がったままだった。大小便も、食事も、着替えもは他人の手伝いが必要だったし、起床も就眠も抱き上げてもらわなければならなかった。それでも、彼女はその体に恋しかった。意識不明の時に口にしたのは全部家族のことで、上師のことも仏のことも一切言わなかった。その母親は浄土に行ける善根、福徳因縁がなかったと言ってもよい。三悪道に堕ちなくないだけても幸いなことだった。それでも、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女のためにポワ法を修めて浄土に送った。このことはかなりのエネルギーを消耗しなければならなかった。理由は、その出家弟子は往生の時に母親のためにポワ法を求めたから、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは約束したことを必ず守る。

リンチェンドルジェ・リンポチェ、そしてリンポチェが修めた法は珍しい宝、この世では匹敵できるものがめったにないことを、私たちは理解しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての衆生に対して平等な大慈悲を持っている。僅かな善根でもあったら、リンチェンドルジェ・リンポチェは済度することを承諾する。そのため、私たちは大変普通なことだと慣れて上師の有り難さは黄金と銅と同様に普通なものだと勘違いしている。たくさんの人は往生の時に自在で穏やかだった、病気のひどい人まで苦しまずに往生できたことを私たちは見た。だから、私たちが学ぶべきのは今から命を惜しんで死を恐れるのを怖がらないことだ。上師が加持、済度をしてくれるからと言って自分は何もせずにぼうっとして修行もしない、こんなことをしてはならない。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは教派を維持するため、大規模な事業を経営している。事業体内の従業員全員を統括、指導する上で、教派のことを心配したり、悩んだりしている。ほかにも、弟子を守って弟子たちの修行の障害を取り除き、非時死を免じさせてくれるし、仏法の海に入れるよう有縁衆生を済度、摂受し、弟子のために修法、開示等いろんなことをしている。弟子として、上師の心配と苦労を少しでも分担できる者は1人もいない。私たちのできることは、これ以上上師のエネルギーを消耗しないこと、上師にこの世に常住してもらい、更に多くの衆生を利益してもらうことだ。」四人目の弟子は続けて呼びかけた。「私たちまたは私たちの家族は病気や苦境がある時、すぐに加持を求めないで、まずは上師に引っ張ってもらうのに十分な善根と福徳因縁を持っているかを自問する。即ち、日常生活において上師の教えを実践しているか、生死を解脱するための一念の真心はあるか。五戒と十善について自己採点の点数はどうなのか。善男子、善女人と自称できるか。また、確かに精進して上師が教えた法門を修行しているか。業報が顕れた今、私たちは十分な懺悔心を持っているか。立ち向かって負担する勇気はあるか。逃げたくて加持してもらいたいとひたすらに思っているか。自問するのだ。

自分のためにポワ法を求めたければ、以上の条件を除き、更に自問しなければならないのは、私たちの内面では上師はどんな地位にいるか、言い換えれば、私たちが常に思っているのは自分の子供と家族なのか、上師、上師の教えなのか、衆生を済度する上師の仏法事業なのか、また、浄土に往生したい一念は真剣なのか等、自己評価しなければならない。これらの条件の何れもなかったら、上師に済度してもらうのは極めて難しい。たくさんのエネルギーを消耗するし、乃至健康、命で替えなければならない。最近往生したその2人の弟子も、前に屏東で火葬した死者はそうだった。両親や家族のためにポワ法を求めたい時、もし彼らは年で衰えてこれらの条件を満たすことができなかったら、私たちは彼らのために大供養や大修行、大懺悔をすることができるだろうか。できなかったら、上師に負担をかけることになる。

とにかく、浄土に往生するための資糧は普段の蓄積によるものだ。無常が顕れた時に急いで上師にしがみついては上師に苦労をかけてしまう。寮に住んでいる80歳の年を取った師兄は皈依して10数年にもなったが、今でも相変わらず毎日大礼拝をして上師が教えた法を確実に修行している。真夏の室温は40度を超えても冷房を付けないで窓際の日差しがなくなってから拝むようにしている。雨の日に屋上から水が漏れても、たらいで水を受け、影響されずにそばで拝む。自分の業障の重みをなるべく減らしたい、そうすれば、極楽世界に背負って行ってくれる時、上師は大変な気力を消耗しないで済むと、彼女はこう言った。これは弟子たち全員が果たすべき責任、弟子たちにできる上師を守る方法だと、彼女は表した。」最後に、四人目の弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法体が健康で、この世に常住し、仏法事業が興隆、円満になることを祈った。

最後は五人目の弟子の話。彼女は、師兄の皆は寶吉祥仏法センターに来た理由を忘れていないことを信じると言った。「当然、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学ぶことだ。しかし、師兄の皆さんは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが教えてくれた法をどれくらい聞き入れたと毎日自問しているだろうか。聞き入れるだけでも難しいのに、実践するのは言うまでもない。私たちは心で、常に自分は仏法を学ぶ弟子であることを覚え、三宝を恭敬し、疑いなく仏法を学習しているだろうか。簡単に上師に皈依したように見えたが、私たちの心はどれくらい実践しただろうか。私たちの心は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教法に従っているだろうか。それとも自分の欲望と悩みに従ったままだろうか。これらの問題を常に自問しなければ、私たちの仏法学習は何時までも表面的で本気に上師を敬わうものにならない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは私たちの命より千万倍もずっと大切であることを、私たちは理解していない。法喜充満も分からない。私たちの心は世俗の愛、憎しみ、悩み、五欲六塵の中に溺れているから、私たちは何も思わず、行為で上師を傷つける。具徳で有り難い大修行者を粗末にする上、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を利用して自己欲望を満足させたい。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの偉大な能力が師兄の皆さんは分かっていると思うが、皆さんは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにもう一つの身分は仏法の伝承者であることを知っているだろうか。八大成就法にある施身法とポワ法のようなものでも、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは円満に成就でき、無量の衆生を利益することができる。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの言葉は何れも無数の有情衆生を許して利益することができるし、生死を解脱したい私たちにとって無上の甘露である。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちのリンポチェだけではなく、有形無形を問わず全て有縁衆生のリンポチェでもある。これを覚えなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちのものではないから、今までのようにリンチェンドルジェ・リンポチェに迷惑をかけてはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェに負担をかけることは悪事、悪業をするのと同じだ。

仏法の尊貴さ、仏法の有用性について、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは私たちに見せてくれたし、体得させてくれた。皆さんは寶吉祥仏法センターに入って来てリンチェンドルジェ・リンポチェの偉大な能力と仏法の真実と有用性が分かったと思う。」五人目の弟子は顕教の出家をして20年になったが、仏法の有用性は何かも分からなかった。寶吉祥仏法センターでリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を目にし、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を用いて衆生を助けて摂受し、衆生の迷いを覚まさせたことを見たから、初めて仏法の真実さと貴重さが分かって大変感動した。「しかし、私たちは、希有、恭敬、称賛を思い、そして大事にしたい、学びたいと言う心を発しただろうか。それとも、依然としてリンチェンドルジェ・リンポチェに助けてもらいたい、加持してもらいたい、欲望のために仏法を求め、リンチェンドルジェ・リンポチェに何もかも任せきりにしたいままでいるだろうか。

実際に、リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちのためにたくさんのことをしてくれて来た。しかも黙って尽くしてくれて来た。師兄の皆さんに聞きたいが、リンチェンドルジェ・リンポチェの加護がなかったら、私たちの家族はこんなに順調でいられただろうか。こんなに穏やかな生活を過ごせただろうか。リンチェンドルジェ・リンポチェの摂受がなかったら、私たちの心は今のように微妙な静かさを感じられただろうか。私たちには不慮の災難がたくさんあったが、全部軽くて済んだ。交通事故で横死せず、家が全焼しなかった。これらは全部尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが自分自身の福報、乃至命で助けてくれたお蔭だった。これこそ最大な加持だ。必ずしも金剛杵を私たちの頭の上に置く必要がないのだ。

実際に、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に黙って私たちを見ている。これこそ私たちへの加持だ。しかし、私たちは感謝の気持ちがあったか。何度もむやみに、生死のことまで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頼り切りにしてはならないのだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは仏法とは何かをも教えてくれた。例えば、基本的な菜食を教えてくれた。今の世間で菜食を強調する人は少ないが、何故リンチェンドルジェ・リンポチェは菜食を強調しただろうか。リンチェンドルジェ・リンポチェが以前に開示したことだが、『菜食をして初めて仏を信じる。仏を信じ始める時に、初めて少しの福報ができる。死者のために福報を蓄積すれば、死者は済度できる。菜食をし始める時、本当の放生ができ、衆生を傷つけない。』ごく簡単な菜食だけでも、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法の深い意味を教えてくれたが、私たちは決して体得しようとしない。また、暮らしについても、リンチェンドルジェ・リンポチェは私たちに、身口意に気を付け、因果を深く信じ、周りの人、事、物に感謝して慈悲心を育てることを教えてくれた。このような、台湾を加護する希有で貴重な大修行者を粗末にして皆は惜しまないのだろうか。自分自身のことで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに傷つけても構わないのか。

誰も本気で仏法を学びたい心を持たなかったら、諸仏菩薩にも住世の因縁がなくなる。もし、私たちは求めてばかり、自ら努力せず、学習に努めなかったら、仏法を台無しにして中傷することになる。また、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが熱心に教えてくれることをも無駄にしてしまう。大事なのは死亡に対面する時はどう対処することだ。普段は五戒と十善を守らず、善男子、善女人でもないし、上師ではなく、いつも夫婦、子供、財産、事業を心配している。浄土に往生できるようリンチェンドルジェ・リンポチェに求められる善因、福報が念頭に全くない。しかし、私たちは、努力したい心、上師に対する揺るぎない信念があったら、自分自身に具足すべき福報因縁をきちんと備えられたら、上師は必ず一押しして助けてくれる。これは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの願力だ。任せきりして求めるものではない。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは仏法の伝承者である。この重要さを私たちは大事にしなければならない。世間に仏法がなかったら、暗闇と苦しみに満ちて天災と人災が尽きなくなる。そのため、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが私たちの命より千万倍も大切であるのが当たり前のことだ。私たちには能力がないし、自分自身の悪業でさえ負担できない。だからこそ、リンチェンドルジェ・リンポチェを消耗してはならない。自分の命を失うのを恐れるが、上師の命を全く構わないと思ってはいけないのだ。歴代の修行者は自分の上師にどう接したかを見てみよう。彼らは全財産、命で供養した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェもそうだが、長い間尊勝なる直貢チェツァン法王を供養し続け、教派を加護し続けてきた。最近の2カ月の例を挙げれば、供養金額は大体200万人民元も超えた。だから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはお金の問題でなく、私たちの心を見ているのだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは仏法の伝承者でり、歴代の修行者も仏法を重要視にし、仏法を敬い、まして命で仏法を求めていた。しかし、毎週土曜日師兄たちがここに来て法を求める心は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが何をやっても当たり前だと思っているように見えた。『大礼拝を終えた、百字明を唱え終えたから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがハタを献上してくれるのは当たり前だ。』という声もあった。恭敬、喜び、敬虔と恭敬の心で法を求めていない。私たちの道場では供養できないと処罰された100人がいる。何故だろうか。仏法を重要視しない、恭敬しない心があったからだ。法を学び、仏法を恭敬する心を発しなかったら、諸仏菩薩、上師と私たちの縁はどうやって続けられるだろうか。皆さんにじっくりと考えてもらいたい。」

その後、出家弟子は参加者を率いて六字大明咒を念誦した。

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2016 年 01 月 06 日 更新