尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年6月14日

法会の開始に先立ち、一人の弟子が夫(夫も皈依弟子)の発病から往生までの十ヶ月間に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる加持と救いを頂戴した経過について語り、自らが累世で為した悪業を懺悔した。

「夫は大腸癌でこの世を去った。先週日曜日(6月7日)尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主法くださった殊勝で有り難い長寿仏及ぶ灌頂法会に参加した時、夫は意識が特にはっきりしており、法会の終了後、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられ、夫の近くを通られた時、側でつきっきりで世話してくださっていた兄弟子は、夫が両眼から淚を流しているのを見たという。普通の人は往生時に最後の一呼吸ができないために口を大きく開けるが、夫の様子はそれとは全く違った。それまでガンに苛まれ、呻吟していた様子に比べると、夫が世を去る過程には少しの苦痛もなく、眠っているかのようだった。これら一切は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と殊勝なる修法超度のおかげで、夫が浄土へ行けたためで、それに感謝すべきものだと私は分かっている。夫の梵穴に触ると暖かく、しかも唇はピンク色に変わっており、目も口もゆっくりと閉じられ、手も足も柔らかかった。これらすべては上師が修法くださった後の殊勝なる瑞相だ。私は心中とてつもない感激を覚え、上師に感謝申し上げた。夫はついに輪廻苦海を解脱し浄土へ行けたのだ。

夫は肛門に長く疼痛を抱えていたため、昨年(2014年)7月末、大病院で大腸直腸鏡検查を受けた。すると異常が発見され、すぐに生検を行った。一昨年(2013年)10月に行った健康診断の結果は正常だったのだ。医者が二週間出国したので、私たちは不安な心を抱えて帰宅しレポートを待った。切片を行ったため、夫は肛門の痛みが強くなり、大便の回数もどんどん多くなっていった。8月12日検査結果を聞きに行くと、大腸直腸癌のゼロ期だったが、医者は私たちを見ると厳しい顔つきで、はっきりと『ゼロ期ではありますが、癌細胞は非常に強力でしかも悪質です。分化が非常に速く、しかも成長の速度もとても速いので、すぐに腫瘍を切除し、肛門全体を摘出する必要があります。すでに病室も抑えました』と言い、さらに『人工肛門をつけている人は今ではたくさんいます』と言った。医者が厳しい口調なので、夫はとっさにどうやって拒んでいいのか分からなくなっていた。夫の弟が、手術後にはどのような治療を行うのかと尋ねた。医者は『手術してみなければ、分かりません』と言ったので、夫はぼそぼそと、少し考えさせて欲しいと言い、診断書を書いてもらい、そそくさと病院を出た。この後は每週謝医師に診てもらい、漢方クリニックで黄医師の診察を受け薬をもらっていた。

生検を行った後、夫の肛門の傷は癒えず、毎日24時間朝から晚まで痛みに苦しみ、正常な勤めが難しいため、長期休暇を取り自宅療養することとなった。けれども、状況は日々悪化し、一晩中眠れないこともしばしばで、布団と枕を抱いてトイレで眠ることさえ何度もあった。トイレから出てきても、ベッドに歩き着かない内に、またトイレへ急いで戻り下痢をする、という有様だったからだ。内部の腫瘍がどんどん大きくなったばかりか、肛門の周囲にも小さない腫瘍ができ、排便がますます困難になり、トイレに一時間こもるようなことも日常茶飯事となった。夫は感慨深げに『病苦に耐え切れず自殺する人がたくさんいる訳がようやく分かった。今生で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従っていなかったなら、自分も自殺したいと思っただろう』と言った。

夫に機会をくださったことを、上師に感謝申し上げたい。每土曜日上師が信衆に接見なさる際、道場で大礼拝を行い、累世で衆生を傷害した悪業を懺悔し福報を累積することができた。夫は家では、とても大礼拝を行えるような状態ではなかったが、每土曜日は道場で二、三百回も行うことができたのだ。上師の大加持力は誠に不可思議だと賛歎せざるを得ない!

発病以来、夫はひどい冷え性になっていた。今年一月初めには、胃腸の膨張感で痛みがあり厭世の思いに取り憑かれ、ベッドの上で両手で腹を抱えて冷や汗を流しながら呻吟していることがよくあった。旧正月後はあまりに長く続く疼痛のために意気消沈し、一ヶ月近く漢方薬も西洋薬も飲もうとしなかった。ある日私は夫の足が浮腫んでいることに気づき、再検査することを勧めたが、夫は拒み、治療も検查もしたくない、と言った。私は、侵襲性の治療は行わなくとも、癌細胞がすでに拡散しているかどうかは確認しなければならない、と言ったところ、夫は病院でCT検査を受けてくれた。3月20日結果が明らかになった。癌細胞はすでに腹腔と肺にまで拡散していた。謝医師にお尋ねしたところ、今後あり得る最悪のシナリオとしては、癌細胞が腸壁を破り腹腔に転移すれば腹膜炎を起こして死に至り、或いは肺に水が溜まり呼吸困難になって死亡し、または全身に転移し死ぬほど痛むことになるとのことだった。

夫は激しいショックを受け、退院して家に帰りたいと言った。けれども家族は、死期が迫った際の疼痛に耐えられないのではないかと心配で、蔡医師にお願いしホスピス病棟を申し込んでもらった。ところが思ってもみなかったことに、診察を受けたその日、主任医師は夫が自分で歩いて診察室に入って来たのを見て、『あなたはまだまだ大丈夫ですよ。歩いて入って来られたのですから。私の病人はほとんど寝たきりで診察室に来ますよ。一日中痛みで呻いている病人と同室でも我慢できるなら、入院させてあげることもできますが』と言った。そして、主任医師は、夫が何らの治療も受けないつもりなら、入院は何の助けにもならない、と言った。

4月4日夫と私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかり、自分が累世で無数の衆生を傷つけてきたことを懺悔し、同時に上師に夫の往生後には殊勝なるポワ法をお授けくださり、輪廻苦海を解脱させてくださるよう懇願した。夫と私は、上師がお許しくださったことに心から感謝申し上げた。けれども上師は、その時にはやはり因縁次第だとも開示くださった。上師は慈悲深くも百字明咒を持誦し夫に長い加持をくださり、寝ている時以外は、24時間いつでも六字大明咒を持誦するよう、夫に言い続けよ、と私にご注意くださった。また上師は、毎日西方極楽世界に回向し、特定の人に回向してはならないと開示くださった。

4月11日と18日、夫は二度上師に拝謁し供養申し上げた。けれども、供養の心が正しくないとして、上師にお受け取りいただけなかった。夫は帰宅し懺悔した後、上師がなぜ自分の供養をお受け取りくださらなかったのが分かったという。『普門品』には、無盡意菩薩が観世音菩薩に供養し、観世音菩薩はそれをさらに釈迦牟尼仏に供養した、とある。大菩薩であっても供養をなさるのだ。我々のような凡夫ならなおのことだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは供養とは水を飲んだり呼吸をしたりするように絶えず行うもので、何かが発生したからと言って供養に来るようなものではない、としばしば開示くださる。夫と私は、上師が夫に、2015年4月19日法会前に皆の前で発露懺悔する機会を賜り、懺悔終了後に供養をお受け取りくだったことに感謝申し上げたい(詳細は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ2015年4月19日の行事日誌、法会開始前の夫の懺悔文を参照されたい)。

上師が夫の執著を破ってくださったことに感謝申し上げたい。夫はいつでも面子にこだわる人で、道場で公開懺悔したり上師の功徳を賛揚したりしたことはこれまで一度もなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけが各種様々な殊勝法門を用いて弟子と衆生をお救いくださるのだ。5月2日私たちが拝謁申し上げた時、夫の供養を上師がついにお受け取りくださったことを私は感謝申し上げたい。上師は健康を回復されたばかりのご自身の身体を顧みず、慈悲深くも夫に長く持咒加持をくださり、貴重な甘露丸を賜り、直ちに夫に飲ませるよう私に指示くださった。家族全員、涙を流して上師に感謝申し上げた。

発病以来、夫は味覚が変わってしまい、食物を噛んだ後には苦く酸っぱくなってしまうと言い、食欲不振が続いていた。そのため、体重が急激に減り体力が衰え、筋肉の萎縮も見られたため、軽く触っただけ、または少し移動させただけで耐え難い苦痛を感じるようになった。しかも、呼吸もスムーズにできなくなり始め、家では電気式の酸素吸入器を使っていた。5月以降、夫は法会で車椅子に座っていられなくなり、横たわった状態で参加するようになった。私は兄弟子達の協力に感謝申し上げたい。義理の弟の車が道場の階下に到着する度に、兄弟子達は素早く車のドア口に車椅子を運び、傘を差し掛け、夫を支えて車から降ろしてくださったが、夫がどこかをぶつけて不快に感じてはと、丁寧に扱ってくださった。17階に着くと、兄弟子達は力を合わせて夫を道場に運び入れ、しかも注意深く夫を寝袋の上に横たわらせてくださった。法会が終われば、非常に多くの兄弟子達が再び夫を階下まで運び、車に乗せてくださった。義理の弟、娘、夫、私はこれらに深く感動した。兄弟子達のサポートに深く感謝申し上げたい。

後に夫は全身に力が入らなくなり、トイレへ歩いて行けなくなってしまったため、紙おむつを身につけベットに横たわることしかできなくなった。最初の頃は、ベッドの上で寝返りを打つこともできたが、5月の中旬頃には、寝返りを打つ力さえないことに、夫は自分で気づいたという。日中は義理の弟と娘が紙おむつを換えていたが、一日に二度しか換えることができなかった。おむつ換えのために、身体を動かす度に、夫がひどい苦痛を訴えたからだ。5月23日土曜日の晚、夫は突然とても元気になり、姉、弟、妹と子供の頃の事を話し、笑ったり泣いたりし、その後は娘、私と夜中の一時までおしゃべりすることができたのだ。

5月24日日曜日の法会が終了し、帰宅してベッドに横たわらせると、夫はとても疲れたと言い、娘をベッド脇に呼び出し、自分が他界したら甘露丸を口に入れることを忘れないように母に言いなさい、と言いつけた後、意識を失った。娘が言う夫の様子は、5年前に舅が他界した時の様子とそっくりだったので、私は急いで甘露丸を夫の舌下に入れ、義理の弟、娘、私の3人で交代に夫の枕元に付き添っていた。5月25日午後4時頃になり夫はようやく目覚め、娘に『そんなに早くは行かないよ!』と言ったという。5月31日施身法法会が終了して帰宅すると、夫は意気消沈して義理の弟に『なぜまだ行けないのか?お前たちにこんなにも長く面倒をかけているのに』と言ったという。私は夫に『我々はリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子なのだから、そんなふうに考えてはいけないのよ。縁がなく福報がないなら、死にたくとも死ねないと、上師はしばしば開示くださるじゃないですか』と告げた。

5月30日以降、夫は突然、病気になる前に好きだったコーヒー、パパイヤミルク、ゴマペースト、トマトにプルーンを挟んだ飴、野菜スープ等などの食物を食べたいと毎日言うようになった。けれども嚥下がすでにいくらか困難になっていたため、少し口に入れて満足することしかできなかった。6月1日から3日間、排便が止まらなくなり、義理の弟と娘は毎回少なくとも一時間かけてきれいにしていた。夫は身体が痛むため、紙おむつを着用するしかなく、しかも腕には紫色のうっ血が現れるようになってきた。6月4日、夫は痛み止めを飲まないと言い、紙おむつを換える時には身体を左へ傾けたり右へ傾けたりするのに痛がらず、私たちは不思議に思っていた。夫は、呑み込めないので流動食だけにしてくれと言った。私は夫の唇が動いていないのを見て、六字大明咒を念じ続ける力がないのではないかと心配になり、夫の耳元で持咒するよう囁いた。すると、思ってもみなかったことに、夫は反応し『頭の中は六字大明咒でいっぱいだ。夜寝ている時もそうだ』と言ったのだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが大慈悲で、夫に絶えず福報を累積させてくださっているのだと感激した。6月5日夫は義理の弟に、頭がどうしても下がってくる、といい、人の死期が近づくとこうなるのだ、とも言ったという。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて娘がお目にかかった時、娘に『父と母は皈依しているのに、どうしてまだ皈依しないのか?』と尋ねられた。リンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏して5年余りになるが、上師の言いつけに従わず、仏法を日常生活に如実に用いておらず、娘の良い手本になっていなかったため、娘は今になっても学仏する決心がつかずにいるのだと私は懺悔したい。その夜私は娘に『親孝行ができる時間は多くないのよ。お父さんのためにすることがあるんじゃない?』と言った。すると娘は6月6日土曜日の午後、道場で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。娘は跪くと、リンチェンドルジェ・リンポチェは『どうしたのだ?』とお尋ねになったので、娘はリンチェンドルジェ・リンポチェに『父に加持をくださりリンポチェに感謝申し上げます。父は6月4日から今日まで鎮痛剤を飲まず、腹部の腫瘍も以前のように痛まなくなり、腹水も消えました。リンポチェ、どうか父に一日も早く輪廻を解脱させ、浄土に往生させてやってください』と申し上げたと言う。リンチェンドルジェ・リンポチェは病人の名前と干支をお尋ねになった後、娘に『あなたの父は大腸癌だ』と仰せになり、夫に長く持咒加持くださり、父に代わり福報を累積できるよう娘に礼仏させてくださった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがお目にかかる人はあんなにも多いのに、夫が大腸癌であるとどうしてご存知だったのだろうか?夫は生検を行った後、痛みが止んだことはなかったのに、なぜ往生の数日前に鎮痛剤を飲まなくとも痛まなくなったのか?何の治療も行わなかったのに、腫瘍が縮小したのか?利尿剤を服用しなかったのに、腹水が消えたのか?夫は4月4日から往生までの間、トイレへ行く以外は、常に六字大明咒を持誦していた。これは全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大撮受力と大慈悲力のおかげだと私は深く信じている。娘は帰宅後、急いで拝謁の様子を家族に報告したので、家族全員で上師の不可思議な功徳を賛歎し感謝申し上げた。

その日夫は水を飲むことさえ難しく、吸い込んでもすぐに吐き出してしまっていた。6月7日深夜3時、夫は弱々しい声で、姿勢を換えてくれなければ水が飲めないと私を呼んだ。けれども、水は、吸い込んでもすぐに流れ出てくる。しかも、視線が定まらず、眼球が上転してしまっていた。また、暑いと言うので、触ってみると、衣服も枕も汗で濡れていたので、急いで枕カバーを替え、身体を拭いた。早朝義理の弟と娘がおむつを換えた時、ほとんど排便がなく、肛門脇の腫瘍が小さくなったように感じたという。さらに不可思議なことに、腹部には腹水がなく、完全に平らになっていたとのことだった。だが、家を出て道場へ向かうと、夫は一言も発しなくなり、誰が話しかけても反応せず、上方を直視していた。救急車の中で、医療スタッフが話しかけても反応がなく、目を大きく見開き上方を見つめていたかと思うと、突然唇を動かし歯を剥き出して微笑し、いつもの夫とは違う様子だった。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは修法を終えられた後、弟子を率いてアキ護法を修め、その後さらに『みなに言っておきたいことがある。寶吉祥仏法センターで、リンチェンドルジェ・リンポチェの修法時に死にたい、などと万が一にも発願してはならない。縁がなく、福報がないなら、死にたくとも死ねないのだ』と開示くださった。その時私は慚愧を覚えた。法会前私は確かにこのような念頭を抱いていたのだ。

夫の往生後、家人は残念に思ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェの強大な慈悲力と加持力を感じ、たまらない感激を覚えていた。夫の病苦に、私たちはどうすることもできなかったのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、人が死ぬ時には、仏菩薩、上師の他は、世間の誰であろうと救うことはできないと何度も開示なさっている。ほんとうにリンチェンドルジェ・リンポチェが開示くださった通りだった。夫の闘病中、私はあるニュースを見た。ガンの痛みは骨の中まで痛むもので、末期癌の病人が痛みのため死さえ望み、しかもモルヒネで痛みを止め、往生時には普通は昏睡している、ということだった。けれども夫は生前『自分は仏弟子なので、モルヒネは使わないでほしい。モルヒネは麻薬だ。このような痛みはまだ耐えることができる』と家人に言っていた。夫の同級生は、ホスピス病棟で多くの末期ガン患者をボランティアでケアしたことがあるが、もし上師の加持がなかったなら、癌細胞が転移しながらモルヒネを打たなくて良いことなど有り得なかったと言っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい!夫の遺体を葬儀場に運んだ際見たが、夫の腹は完全に平らになり腹水が消えており、腫瘍が突起した現象も見られなくなっていた。

6月13日私と娘は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と修法により夫が浄土へと超度されたことに感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェに告別式の日取りをお選びくださるようお願い申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは夫の名前と干支をお尋ねになった後、数秒入定されて慈悲深くもすぐにお教えくださった。続けて、娘がリンチェンドルジェ・リンポチェに『リンポチェの父に対する加持に感謝申し上げます。おかげで父は早く解脱できました。リンポチェが父の往生後に、父に修法し浄土に超度させてくださったことに感謝申し上げます。リンポチェ、どうか父に代わって行う供養をお受け取りください』と申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは娘に『この金は誰のものだ?』とお尋ねになったので、娘はなんと答えて良いか分からず、言葉を濁していたが、やはり『父のお金です』とお答え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『あなたは学生か働いているのか?』とお尋ねになったので、娘は『今は働いていません』とお答え申し上げた。慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは娘の供養をお受け取りにならず、『先週あなたは父に代わり礼仏し、すでに供養している』と仰せになった。そして私たちに立つようご指示になった。私は賛歎申し上げたい。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて『あなた達の起心動念はリンチェンドルジェ・リンポチェの前では透明だ。不信はならない』と開示くださった。リンチェンドルジェ・リンポチェの仰せは真実で偽りはないのだ。

4月19日の法会において、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『法会前に語った弟子(私の夫)はすでに皈依して5年になるのに、どうしてガンになったのか?それは正法を修持していなかったからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはしばしば開示する。加護を求めてはならない。学仏は生死を解脱するためなのだ。仏陀が説かれた仏法は生死を解脱するためで、あなた達は開悟の条件さえ備えていないのに、何を以って自分が開悟した、分かったというのか?しっかり定まった出離心がないなら、この一世で開悟など不可能だ。仏はこのようには仰せでない。そのため、正法を修持していない衆生は、この一世でこの種の生活における障礙を消すことはできない。あなた達は正法を修持しようとせず、常に自分の考え方を持ち、思い上がり、加護を求めている。リンチェンドルジェ・リンポチェに100世、さらには1000万世従ったところで、障礙が消えることはないだろう』と開示くださった。

ここで私は発露懺悔したい。私の父は中国に23年間住んでいた。上の姉の話を信じ、父は別に家庭を持っていると思っていたため、父は年に一、二度帰国するが、それ以外には私が中国に会いに行くことはなく、電話で様子を聞いたりすることもなかった。父が83歲になった年、私は二番目の姉の家へ行き父を見送った。早朝5時頃、父が一人ぼっちで荷物を車に運び上げ、(二番目の姉が車を手配してはいたが)たった一人で旅程に着くのを私は目にした。その情景を見て、私は突然自分がとてつもなく親不孝であると感じた。それ以来、私は毎回父を南昌まで送り、飛行機で台湾に戻ることにしている。

私は懺悔したい。20数年前私の勝手のため、二人目の子供の堕胎同意書への署名を夫に要求した。だが、この果報はすぐに現れた。上の姉と友人がうちを買うというので、夫は借金してお金を作り、姑と義理の弟も貸したが、そのお金は返済されなかった。これにより、夫は重い債務を十数年も背負うことになってしまった。汐止で唯一浸水したことのない平地の新しいマンションに引っ越したが、5年間で台風のために4度も浸水した。さらには住宅ローンの高い利息を負担しきれなくなり、買った時よりも安い金額で手放し、ほぼ家一軒分にあたるほどの金額を失ってしまった。私は深く懺悔したい。良い夫に嫁したのに、しばしば夫に対して癇癪を起こした。舅、姑はとてもよくしてくれたが、私は彼らが独身の伯母を大事にしすぎると思い、心中に不満を抱えていた。そして、生活習慣が異なる伯母としばしば諍いを起こし、舅と姑を困らせていた。嫁としての責任を果たさず、舅と姑に孝行を尽くさなかった。

私は深く懺悔したい。私は子供の頃、動物を虐待していた。しばしば繩でコガネムシの足を縛り転がし、火でアリを焼き、ミミズを掘り出して切り分け、池で魚釣りの餌にしていた。自転車に乗っていた時には無心にまたは故意にカタツムリを潰し、無数のゴキブリ、蚊、ハエを打ち殺し、全く慈悲心がなかった。私は深く懺悔したい。大修行者尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依しながら、依教奉行せず、每日曜日に上師が開示なさる仏法を聞いた後も、仏法を生活に用いず、心中しばしば悪念を起こし、貢高我慢で、上司や同僚のやり方を見下していた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはいつ何時でも弟子にお心を寄せ、弟子をお世話くださるため、夫の発病から往生までの期間、夫と家人は上師という心の拠り所のおかげで慌てず、普通のガン患者とその家族より安定し安心して過ごすことができた。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子に対するお心遣いに感謝申し上げたい。私は自分が過去に為した悪業を深く懺悔し、生生世世にリンチェンドルジェ・リンポチェに従い、努力して修行し、上師の恩に報いることを発願したい。みなさんも、私と夫を戒とされたいと思う。最後に私は最も恭敬誠懇な心で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し、十方法界の一切の有情衆生に利益し、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願申し上げる。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、祖師ジッテン・サムゴン記念法会を御自ら主持くださり、修法前に参会者に貴重な仏法の開示を下された。

「今日修めるのは上師供養法だ。顕教にはこの法門はない。顕教修行では、法師は経典を口伝するだけで、行者はひたすら読経、持律、守戒し、三大阿僧祇劫を経れば成仏する機会がある。だが、チベット仏教は顕教と密法を含む。再び輪廻しないよう、この一生で生死に関する大事をきちんと処理し、それにより衆生を救うためには、密法伝承の助けが絕対に必要だ。

密乗において、上師は非常に重要だ。上師の伝承と心法、口伝等の教導がないなら、この一生で成就を得ることなどできない。成就を得るとは、この一生で大法師、大修行者になるということではない。生死を解脱できるかどうかが大切なのだ。生死を解脱できなければ再来する。それはとても大変だ。密法で必ず上師が必要なのは、非常に多くの口伝、心法、観想の法門があるが、法本には書かれていないからだ。実は経典からこの理由を見出すことができる。釈迦牟尼仏は多くの境界、修行の方向、修行の心構えを開示くださった。だが、どのような方法を用いて、どのような観想、生起円満次第を通して修行するかは全く仰せでないのだ。

生起円満次第は密部中の事部と行部に用いられている。そのため、灌頂と上師の口伝を経なければ、行者はこの法門を修める権利を授けられることはない。上師は我々の未来の修行にとって非常に重要だ。だが、たくさんの人が上師の重要性についてあまり理解していない。中国顕教では、読経、経典学習、拝仏、拝懺、衆生の拝懺と点灯を助けることが修行だと考えられている。実はこれらすべては助縁だ。行者に衆生に生死を解脱させ、浄土へ行かせる能力がないなら、この一生で行う一切はすべて衆生に結縁させることだ。上師は衆生を救う便のため、非常に多くの法門を学び、広大衆生に利益するのだ。

上師への供養に関し、続部中では衆生の供養を受け取る際の定義を極めて厳格に記載している。第一に、衆生の供養を受け取る行者は自身の戒律が清浄でなければならない。戒律が清浄とは、守戒をどれだけよく守るかということではない。自分はある戒をとてもよく守っていると思っている人がたくさんいるが、それではこの戒は清浄ではない。なぜなら傲慢の心を起こしているからだ。経典にはこの類のエピソードがたくさん出てくる。ある修行人は、自分はある戒律をとても良く守っていると思い、それと共に傲慢の心も起こり、守戒の福徳が未来世で用いられる福報に変わってしまった。これにより功徳は消えてしまったのだ。

清浄な戒律とはなんだろうか?仏陀が定められた一切の戒律は、我々を管理するためではないということを、はっきりさせなければならない。簡単に言えば、第一に以前は知らなかったために放縦していた身口意を、戒律を通して、いかにしてコントロールするかを我々に理解させるのだ。戒律から言えば、守戒とは実は自分の慈悲心を養うことだ。仏が定められたあらゆる戒律は、身、口であろうと意であろうと、我々が衆生を傷害しないことを願うものだ。守戒とは自分のためなのか、それとも衆生のためなのか?自分が守戒するのは、一日も早く度衆できるようある法門を修めるためだと思うなら、この戒は不清浄だ。なぜなら欲望により守戒しているからだ。守戒は、衆生を傷つけたくない、衆生が自分の身口意のために傷害を受けないようにしたい、そのためだ、というなら、この戒律は清浄ということができる。

清浄な守戒を為すのは容易ではない。守戒でさえ非常に困難だという人がいるのだ。清浄までならなおのことだ。たくさんの人は起心動念しても自分が破戒しているとは思わない。例えば、人に仏法を語るのを好む人が多い。人に仏法を聞かせることができるので、見たところ表面上は仏法の良さを語っているようだ。だが、仏は『寶積経』で、法座に上り仏法を説く者には、20の条件が必要だとはっきりと開示くださっている。行者自身が修行を経ず、仏が仰せの仏法の深奧意義まで体悟しておらず、常識、感覚、体感で仏法を講じるなら、しばしば衆生を誤った方向へ導く。人に仏法を語るのを好む人は普通、自分が非常にうまく修行できていると思っている人だ。自分の修行が非常にうまくいっていると思っている人は、貢高我慢だ。それだからこそ、自分の修行がうまくいっていると思っているのだ。これこそ『不打妄語』の戒を破っていることになる。学仏人が十人いたら、9.5人はこの戒を破る。

『妄語をつく』とは果位まで証していないのに、自分はあると感じ、さらには自分はあると他人に暗示することで、果位まで証していながら、他人を助けないことも含まれる。戒律が不清浄なら、供養を受け取ることはできない。戒律が不清浄でありながら供養を受け取るなら、供養を受け取った人には非常に重い後遺症が出る。リンチェンドルジェ・リンポチェ座下の出家弟子が供養を受け取ってはならないのは、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの生活の糧を維持しているからで、彼らが清浄な戒律までできていないからだ。出家者が不清浄でいられるだろうか?と思うだろう。清浄とは表相を見るのではない。心を見るのだ。表面的には、出家弟子は供養を受け取ることが許されていないようだが、やはり供養を受け取っている。なぜなら他人の彼らに対する尊重こそが供養だからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが出家弟子に供養を受け取らせないのは、彼らの修行の面での障礙を消すためなのだ。

第二に供養を受け取ることができる行者とは、仏法においてすでに成就を得ている行者だ。いわゆる成就とは、風雨を操れたり、大神通で変身できたりというのではなく、大きな寺を持ち多くの弟子を抱えているというのでもない。成就とは、仏法の面で自分が生死を解脱でき、他人に生死を解脱させられるかどうかなのだ。これは修行者の外観から見て取れるものではない。修行者ができているかを時間をかけて観察しなければならないのだ。行者ができているなら、この行者に供養すれば福報がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生への救いを始めたばかりの頃、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した弟子の供養さえ、受け取らなかった。なぜならリンチェンドルジェ・リンポチェは自分の修行がどの程度なのか分からなかったからだ。尊勝なる直貢チェツァン法王がご確認くださった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは供養を受け取るようになった。

かなり前、リンチェンドルジェ・リンポチェがまだリンポチェでなかった頃、リンチェンドルジェ・リンポチェは、皈依師であられるテンジンニンマ・リンポチェに往生の二年前に直貢梯寺でお目にかかった。テンジンニンマ・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに関房に来るようご指示になった。テンジンニンマ・リンポチェは閉死関のため、誰もご自分の関房に入室させておられなかった。密宗でいう閉死関とは、死ぬまで閉関するのではなく、往生までは関房を離れず、また時が至らない内は関房を離れないのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが閉関する際もそうだ。関房の外に札があり、入室禁止と明記してある。

当時、テンジンニンマ・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに関房に入るようにご指示になった。実はテンジンニンマ・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに非常に多くの試験を下されたのだ。その日は侍者に指示し関房中で3〜5分もの間探させていたが、チベット語を話されていたので、リンチェンドルジェ・リンポチェは何を探しているのか分からなかった。しばらくして、侍者はたくさんの金を探し出した。紙幣、硬貨を含め、おおよそ500人民元だった。テンジンニンマ・リンポチェはお金を自らリンチェンドルジェ・リンポチェに渡してくださった。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子として、上師のお金をどうして受け取れるだろうか?だが、テンジンニンマ・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェは必ず受け取らなければならないと言う。リンチェンドルジェ・リンポチェはそれは供養だとはとても言えないが、少なくとも上師がリンチェンドルジェ・リンポチェは供養を受け取っても良いと考えられたということにはなるだろう。

上師が弟子は供養を受け取ることができないと考えるなら、弟子は供養を受け取ってはならない。弟子が、自分は受け取ってもいいとは思ってはならない。上師だけが、弟子の修行がある位に至ったかどうかが分かるのだ。法本の記載によれば、直貢噶舉祖師ジッテン・サムゴンは過去世は龍樹菩薩の化身であられた。龍樹菩薩の前世は維摩詰居士だ。仏法をかじったことがある人なら知っているだろう。ある在家居士が、釈迦牟尼仏と同時代に出現し、しかも仏の果位を備えておられた。それが維摩詰居士だ。維摩詰居士は自分は仏の果位だと仰せではなく、維摩詰居士がご自分で書かれた経典中でも仰せでない。だが、釈迦牟尼仏は大菩薩を見舞いに行かせられた際、維摩詰居士は故意に病を示し、病を用いて大菩薩に、自分が大菩薩でないなら、仏法を開示する資格はないと開示なさった。

ジッテン・サムゴンは青海にお生まれになった。祖母君は我々が毎日修めているアキ度母だ。ジッテン・サムゴンはパルマ・ツォクパの弟子であられ、パルマ・ツォクパの前に噶舉派は噶舉派であり、パルマ・ツォクパの後に四大八小の異なる系統の噶舉派に分かれたのだ。噶舉とは口伝との意味で、直貢とは地名だ。いわゆる四大八小とは、あるものが別のものより大きいとか小さいとかいうのではない。四大とはパルマ・ツォクパの弟子で、八小はパルマ・ツォクパの弟子の弟子だ。四大が大きいのではなく、便宜上の呼称なのだ。

直貢噶舉の法脈は800年余りも続いている。ジッテン・サムゴンは、直貢噶舉の法脈は特別で、しかも加持の力は特別に殊勝で、特別に強いと予言なさった。直貢噶舉は実修の教派だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に多くの直貢噶舉のチベット青海の寺へ行ったことがある。通常直貢噶舉の寺は、市内や人口が多い地区にはなく、深山にあり、人の暮らしから非常に離れた地方にある。しかも実修なのだ。いわゆる実修とは、出家あるいは在家衆がみなこの過程を経なければならないということで、金があったり福報があったりすれば、リンポチェになれるというものではない。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの種の機会があるのを見たことがない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはジッテン・サムゴンの記念日には毎年、上師供養法を修めている。上師は一切の諸仏菩薩の総集だ。よって上師を供養する福報は非常に大きい。なぜなら上師の誓言は、生生世世に未成仏の衆生を救うというもので、毎日の生活が仏法の中にあり、身口意の起心動念はすべて衆生に利益するためだからだ。よって上師を供養することは随喜功徳に等しい。上師を賛歎することもこれに含まれる。我々のこの一生に上師がないなら、修行の面で学べないだけでなく、障礙を消すことさえできない。上師は絶えず福徳因縁を作ってくれる。福徳因縁とは拝拝、点灯に頼るだけでなく、非常に多くの異なる要素があり、非常に多くの方便法があるのだ。

我々に福徳因縁がないなら、往生では非常に多くの苦痛を経ることとなる。福徳因縁があるなら、往生までに非常に深刻な死の苦痛を経験することはない。いわゆる福徳因縁とは、上師が何を言っても、従い、行うことだ。法会前にガンを患った夫について弟子が語ったが、その夫の聞き分けが悪く、六字大明咒を念じず、懺悔しようとしなかったなら、その後の苦しみがあのように和らいだことなど有り得ない。なぜならガンは最後の瞬間まで痛むからだ。どうしてガンは痛むのか?痛めば嗔恨の心を起こすからだ。嗔恨の心を起こせば、地獄に堕ちる。阿彌陀仏を念じ続ければ痛まない、などということはない。実はやはり痛むのだ。それはあなたの心が間違っているからだ。

浄土宗修行では『念仏成片、一心不乱』と言う。以前リンチェンドルジェ・リンポチェが顕教を学んでいた時にもこの二言を聞いたことがあった。『成片』とはなんだろうか?何か薄いものが出来上がるのだろうか?どの法師であろうと説明できなかったし、一心不乱をどのように修行するかを説明できる人もいなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは密法を学んで初めて、気脈明点を通して、釈迦牟尼仏の仰せを我々は必ず成し遂げられると体得することができた。だが方法がなければ成し遂げられない。浄土修行は『念仏成片、一心不乱』しなければ、福徳因縁が起き、生生世世に障礙がある衆生の障礙を取り除くことはできないのだ。

みな、日常生活において出現する障礙こそが障礙だと思っているが、実はそれは重要ではない。最も重要なのは往生前だ。ガンを患った弟子が往生のその日に障礙があったなら、呼吸が最後にこのように停下することはなかっただろう。この二つの例を続けて目にし、あなた達もはっきり分かっただろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分に成就があるとはとても言えないが、少なくともあなた達にはっきりと見せることはできる。経典で言うように、福報があるなら、往生時の苦痛を経る必要はないのだ。四大分解の過程は、頭が垂れる、非常に暑い、非常に寒いを含む。だが、その弟子の分解過程は一般人の分解とは違い、そんなにもたくさんの苦痛を受けてはいない。

家の中でかつて亡くなった人がいたなら、クーラーをとても強くつけているのに、病人がなお暑いというのを見たことがあるだろう。または、クーラーをつけていないのに、病人はとても寒いとひたすら言う。また、枕をすでにとても高くしているのに、病人は不十分だと言う。今はベッドを高くすることができるが、かつては枕を高くするしかなかった。どんなに枕を高くしても病人はまだ足りないという。病人を座らせると、自分の頭が落ちそうだと言う。顕教修行ではこれらについて教えがなかった。四大分解は非常なる苦痛だ。功徳を備える上師の救いがあるなら、この種の苦痛は軽くなり、さらには出現せず、何も感じない内に行ってしまうのだ。

どうして死の前に苦があれば浄土に往生できないのか?なぜならは人は少しでも痛めば、心の障礙が起き、集中力が不十分になるからだ。どうして上師を信じ言いつけに従わなければならないのか?これは、日常生活のすべてを上師に管理されるということではなく、毎日暮らす上で何時に外出するかまで管理するというようなものでもなく、身口意に少しの不注意があったり自分を甘やかしたりすれば、上師に対する信心は消えてしまい、往生時の障礙がやってくるからだ。通常この種の障礙は非常に複雑で、親族の障礙など非常に多くの要素がある。実は真の障礙は親族だ。あなたを愛し過ぎ、必ず救うと言い、数時間でも長く生かそうとし、まだ伝えていないことがある、まだ十分に泣いていない等と言う。親族が泣きさえすれば、行けない可能性が高い。

ここまで上師の重要性を強調してきたが、上師が具徳であるかどうかをいかにして見分けるかは、かつて開示したことがあるので、今日は説明しない。ジッテン・サムゴンが殊勝なる仏法をお伝えくださったことを記念するため、顕教であろうと密法であろうと、後代の衆生に仏法の加被と救いを得させるために、我々の人生に重大な変化を生じさせるために、今日リンチェンドルジェ・リンポチェは上師供養法を修める。これにより、上師を記念でき、また上師と我々との縁は生生世世に断たれなくなる。縁が断たれたなら、我々に成仏する機会はない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこの一生でリンポチェになる前、ジッテン・サムゴンがかつて二度現れたことがある。一度はリンチェンドルジェ・リンポチェの命を救ってくださり、もう一度はリンチェンドルジェ・リンポチェに伝法くださった。その後は現れておられないので、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分で修めている。ジッテン・サムゴンは何度も現れ救ってくださることはない。

今日修めた上師供養法は一種の方便法で、我々に学仏修行の福徳資糧を累積してくださり、非常に多くの儀軌を含む。本来上師供養法は一日かけて修めるものだが、リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の禅定力を用いてできるだけ時間を短縮する。直貢噶舉は今日第三十七世直貢チェ・ツァン法王まで続いている。第三十六世直貢チョン・ツァン法王もチベットにおられる。本来点灯の儀軌は後の方で行うものだが、今日はリンチェンドルジェ・リンポチェは修法の前に点灯の儀軌を修める」と仰せになった。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは点灯儀軌を行われ、継続して開示を下された。

「この法本はアティーシャ尊者の法語に基づき書かれたものだ。仏法を学んだことがある人は分かるだろう。アティーシャ尊者はインドからチベットに来られた大修行者で、顕教を主とする。先ほど点灯し唱えたものはすべて、衆生が後に生死を解脱できるようにするためのもので、観想と咒語等を含む」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは出家衆に壇城に上り点灯するようご指示になり、上師供養法の修持を始められた。修法が一段落した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは継続して開示を下された。

「先ほど唱えた皈依発心は不共の発心だ。仏法は小乗、大乗、金剛乗に分けられる。不共の発心とは金剛乗と大乗の発心で、菩提心を発するのであり、金銭を寄付したり、ボランティアを行ったりするのではない。ここの発心と他の皈依発心とは少し違う。我々に対して怒る敵、我々を傷害する邪魔、我々の解脱を阻む衆生のために祈願するのだ。母のようなすべての有情衆生はすべて安楽を得て、諸苦痛を離れ、仏果を証することができる。

ここでいう敵と邪魔は、敵と邪魔ではなく、我々自身が過去世で為した過ちだ。超度法会に参加する多くの人は、冤親債主を超度し、冤親債主を離れさせようと願っている。冤親債主が離れたなら、修める必要はない。冤親債主がいないなら、何のために修めるのか?冤親債主がいるので、我々は修めるのだ。冤親債主を成仏させるためであって、自分が成仏するためではない。いわゆる不共の発心とは、一般の自私自利、凡夫俗子が念じられるものではない。そのため、あなた達が耳にすれば怖くなるだろう。経典には、金剛乗の仏法を聞いて、自分に聞かせるのではなく、自分のためではないと考え恐怖心を起こす人がいるとある。では何のために修めるのだ?つまりこの法本は他の法本とは違うのだ」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法が一段落した後、開示を継続された。

「先ほどみなのために念じたのは、いくつかの段階だ。根器が良いなら、発願し、成仏の前まで、身口意の三門はすべて行善し、一切の悪を断つことができるだろう。根器があまりよくないなら、死の前まで、この一生の身口意の三門は必ず行善しなければならない。根器があまりよくないとは、現在から明日までのこの時、身口意の三門ですべて行善すると誓うのだ。みなは恐らく最後の一言だ。成し遂げるのは、一日を純善に、しかも身口意であるのは、簡単ではない。自分のために念頭を起こし、バスに乗った時押されたからと言って相手を睨んだりすれば、なくなってしまう。後の方の数語を、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達を率いて唱えない。なぜならあなた達には無理だからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた達を代表して念じる」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を一段落継続された後「唱えたのは共の発心だ。つまり、三乗すべてで念じることができる発心だ」と開示くださった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率いて祈請文を念じ、修法を継続して、みなの福報を累積くださり、続けて禅定灌頂を授与し、灌頂前に開示を下された。

「禅定を学ぶには、仏法を聞き、いかにして座禅を組むかの教導を得れば始められると思っている人が多い。だが、これはただ胡座をかいて座り、冥想するだけで、禅定とは言えない。禅定には禅定の灌頂を必ず上師が口伝し、次に禅定を口伝しなければならないのだ。先ず止観から開始し、次に大手印の次第を伝えなければ、禅定は成就を得られない。あなた達がそこらに座っているのはただの静坐、冥想で、禅定ではない。ジッテン・サムゴンは深遠な三摩地の灌頂法をお伝えになられた。三摩地とは身口意すべてが定に入る境界で、前行、正行、後行を含む。胡座がかけなくとも構わない。だが身体はまっすぐに伸ばして座り、あちこち掻いたりしてはならない。痒いと思ってもしばらく我慢せよ」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは禅定灌頂の授与を開始になり、灌頂後には開示を続けられた。

「先ほどは上師の観想を通して、みなに禅定の灌頂を授けた。この一生の修行で、この灌頂まで受け取れれば、この一生で離戲瑜伽まで証することができる。大手印の禅定を学びたければ、必ず不共四加行を円満としなければならない。今日この段を念じるのは、未来に大手印の教導を得る機会を作るためだ。あなた達はほぼ十分の一ほどしか学べていない。なぜなら決定を下していないからだ。禅定を学べば気分が良くなり、智慧が開けるなどと思ってはならない。これは全ていい加減な言い方だ。禅定を学ぶ際の重点は、自分を省み、自分の問題がどこにあるのかを見極め、自分の不要なものをひたすら捨て、最後には清浄な仏光を顕現することができるかどうかなのだ。たくさんの人が気分が良くない時に胡座をかいて座る。これは禅定ではなく静坐だ。身体に不調があると言って、胡座をかいて座る人もいる。これも禅定ではなく冥想だ。

中国語で書く禅定は英語には翻訳できない。直貢噶舉大手印の禅定では、必ず不共四加行を円満としなければ伝えることはできない。リンチェンドルジェ・リンポチェがなぜ禅定を伝えないかが分かっただろう。禅坐を学ぶのは非常に簡単だ。禅一、禅七などあるが、これは結縁に過ぎず、真に禅定を学んだのではない。中国の禅宗において、禅宗には禅宗の心法がある。だが今では伝えられていないだろう」と仰せになった。

続けて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは鈴杵の儀軌を修められ、開示を下された。

「たくさんの人が鈴杵を手に持てば振れると思っているだろうが、実はそうではない。修法、加持を経なければならないのだ。しかも鈴杵には非常に多くの意味が有る。顕教では鈴杵を用いない。なぜなら金剛部の上師だけが鈴杵を用いて修法するからだ。いつかまた説明しよう」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは上師供養法儀軌を修持くださった。修法の過程では、出家弟子が衆生を代表し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上して請法を行った。修法が一段落すると、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率いてジッテン・サムゴンの心咒を唱えられ、八供女による献唱と薈供の儀軌を行った後、参会者は誰もがリンチェンドルジェ・リンポチェが加持くださった供物を頂戴し、法会において仏菩薩と共食する有り難く殊勝な因縁を得ることができた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者に、合掌して背筋を伸ばすようご指示になった。「これからリンチェンドルジェ・リンポチェが発願文を唱える。みなが発願しているかいないかは重要ではない。この回向発願文は直貢噶舉第二十八世法王が書かれたもので、中でも『祈願世尊歓喜撮受我』という一語は非常に重要だ。どうすれば世尊に好きになって頂けるのか?一日中耳障りのいいことばかり話し、おべっかを使い、供養するのではなく、身口意三門の面ですべてを上師に供養する、つまり教えに従うことだ。聞き分けが悪いなら、上師があなたを撮受しようとしても仕方がない。好きとは上師がこれが好き、あれが嫌いというのではない。好き嫌いがあるようでは上師ではない。

上師が歓喜するかどうかは、弟子が言いつけを守るかどうかを端視することによる。ガンで往生した弟子について法会前に話があったが、この弟子は皈依して5年余りになるのだから、ガンがこんなに深刻になるはずなど本来はないのだ。それなのにそうなってしまったのは、その弟子がこの5年の間、家の事をいかにして処理するかだけを気に掛け、全く懺悔せず、教えに従っていなかったからだ。誰もがお金が足りないと考えている。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて貧乏で食にも事欠くほどだったが、仏菩薩にお供えする線香と花を切らしたことはなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が餓死しても、仏菩薩に花と線香をお供えしたいと考えていた。これは一人一人の願力であり、一人一人の決定だ。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは種々の法門を用いて懺悔心を起こさせ、懺悔させた。彼が懺悔しなかったなら、後に接引と上師の撮受を受けられる福報があっただろうか?

『上師歓喜撮受』とは、上師が教える法門に従い行い、自分の考え方があってはならないということだ。1997年、尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェにインドへ行き初めての閉関を行うようご指示になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは出関した時50歲だったので、直貢チェツァン法王に『自分はこんなにも老いているが、この一生で成就できるでしょうか?』と請示申し上げた。直貢チェツァン法王はたった一言『上師を絕対的に信じれば、必ずできる』とだけ仰せになった。

最近の二つの例をみな見ただろう。一人は弟子でなかったが、上師を絶対的に信じたので、弟子と同様撮受を得ることができた。もう一人は弟子だったが、しっかり修めず、懺悔したことがなかったが、後に痛みを覚え懺悔を起こし、そうして撮受を得ることができた。仏法は年齢にかかわらず、決心、信があれば成就させてくれるのだ。『寶積経』で一つ目にあげるのが正に『信成就』だ。これこそ上師と仏が教える一切の方法に従い行えば、必ず成就できるということだ。いつ成就できるかは問う必要はない。なぜ問う必要がないのか?それは因縁が至れば成就できるからだ。

心がふわふわしており、山ほどの言い訳を作っていれば、為すことなど当然できない。経典では修行は大夫の行為だという。大夫とは夫のことではなく、非常に勇敢で、勇猛に前進し、決心を下す人のことだ。こうでなければ仏法を学ぶことはできない。あれこれ考え、今月の住宅ローンに当てるお金が足りない、気分が落ち込む、だから今日の読経はちょっと少なくしよう、などという人がどうして修行できるだろうか?とてもうまく修行している人を目にし、自分は年を取っているのだから、とても追いつけないなどと思う人もいる。それでどうして追いつくことができるだろうか?リンチェンドルジェ・リンポチェは歩くのが速い。リンチェンドルジェ・リンポチェに着いて来られる者は何人もいない。だが、行いさえすれば、必ず成就することができる。

学仏には先も後もない。一人一人の因縁は違うのだ。因縁が違うなら、根器の良し悪しもない。良いと悪いとには定義がない。仏が仰せの上、中、下根器とは、過去世で自分が植え付けた因縁だ。この一生で上、中、下のどれであろうと、これは上等と下等に分けるというものではない。浄土宗では、この一生が終わった後、上品か下品に生まれるという考えだ。上、中、下のどれであろうと、下であろうと成仏できるのだ。ただ時間は少し多くかかる。自分は上品上生まで修めたいなどと思ってはならない。これには非常に大きい福徳因縁が必要なのだ。下品下生であれば、不退転はすでに保証されている。学仏の心は謙虚で、さらには謙卑でなければならない。さもなくば貢高我慢になってしまう。少しでも貢高我慢なら、成就に障礙となる。

リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子に対してこんなにも厳謹なのは、古代チベットの教法がこのように厳謹だからだ。口うるさいのではない。特に在家衆は閉関の機会が多くないので、より厳謹にしなければならない。あなた達の起心動念はすべて業であり、すべて罪だ。上師として、あなたの問題を抉り出せないなら、上師である資格はない。上師でありながら、あなたに対してニコニコと愛想がいいなら、家に帰った方がいいだろう。特にリンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達が供養しているかどうかを見るのではない。あなたが修めようとしないなら、あなたが誰であろうと、リンチェンドルジェ・リンポチェはすべて同じように扱う。

リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が何ができるかはっきり分かっているが、絕対に人に頼ったりしない。リンチェンドルジェ・リンポチェがもし人に頼っていれば、今頃はとても有名だっただろう。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは人に頼って立身出世しようなどとは考えない。衆生の縁に従うのだ。『祈願世尊歓喜撮受我,円満福徳吉祥所成土』これこそ仏土を指しているのだ。自分を仏土へ行かせるのは、発願すればいけるというのではなく、上師の撮受が要るのだ。顕教を修める者は、阿彌陀仏、観音菩薩を上師とする。だが、報身仏の接引まで修めるのは不可能だ。化身仏が接引に来てくださるなら、ほんとうにすでに万縁を捨て去っているなら、阿彌陀仏だけを念じていてもチャンスがある。

密宗の特徴は、上師が累積した功徳がすべての弟子を救えることだ。弟子が上師に対して信心を起こしさえすれば、上師の願力は、生死解脱を修行する一切の修行人を救うことなので、皈依していなくとも撮受され、非常にはっきりと見せることができる。なおたくさんの奇妙な理由があるなら、物語などする必要はない。それは自分の傲慢を捨て去れないということだ。跪けば直ちに傲慢の心がなくなる。そうでなければ、慈悲を学び、菩提心を発することはできない自分はとてもうまく修行できていると考えるなら、慈悲と菩提心はあなたとは関係がない。慈悲と菩提心がないなら、どうやって自分と衆生に利益するのか?口で言うのは簡単だが、実際に行うのは容易ではない。

今日リンチェンドルジェ・リンポチェはみなに灌頂を授ける。だが、口に出すことはできない。口に出しても役に立たないし、修めることができるのは何人もいないからだ。最後に唱えた発願文は、歷代上師の加持を得ることを願うものだ。さらには後の方で言った『三界怙主阿彌陀尊,祈請加持身為彼首眷』とは、前の方で言ったことがすべてできており、阿彌陀仏に対して信心があるなら、阿彌陀仏はあなたをお側に生まれさせてくださる、ということだ。『首眷』とは第一の弟子だが、これは簡単ではない。あなた達は普通の上師に対してさえ不恭敬なのに、阿彌陀仏に対して恭敬にできるだろうか?それとも、自分は大弟子だと思っており、阿彌陀仏を始末してやり、自分で別の世界を作り出そうとまで思っているのかもしれない。

先日、あの人は修行によってどんどん観音菩薩のようになってきた、と言った人がいたが、どこの観音菩薩に似ているのだろうか?中国のか、チベットのか、インドのか、それとも蒙古のか?観音菩薩は男なのか女なのか?唐代の観音菩薩にはヒゲがあり、宋朝の後にはヒゲがなくなり、しかもゆっくりと女性化していった。これには歷史的背景があるが、今日はひとまず触れない。つまり定相がないのだ。重要なのは、心が観音菩薩慈悲の御心と相応しているかどうかだ。外見が観音菩薩に似ているかどうかではない。リンチェンドルジェ・リンポチェがこの道理を語ると、その人は唖然として言葉を失い、それ以上何も言わなくなってしまった。

近頃世間ではこれが流行っている。仏は一切の相を破らなければならないとお教えなのに、どんどん観音菩薩に似てきている、と言ったりする。どの観音菩薩なのだ?あなたの家のか、それとも私の家のか?これは全ていい加減な言い方だ。仏法を外道にしてしまう。修めるのが忿怒尊なら、忿怒尊のように修めなければならない。それでは人を驚かせてしまうのではないか?そうではない。重要なのは心なのだ。

今日は上師供養法を修めた。表面的には直貢噶舉はジッテン・サムゴンから始まっているが、実は生生世世の一切仏がすべて我々の上師なのだ。我々には能力がなく、虚空に遍く一切仏を観想することができないだけなのだ。そのため、一つの単位を代表とし、容易に観想できるようにするだけなのだ。つまり方便法だ。我々が容易に観想できるよう、我々の心が集中と入定できるよう便を図るのだ。仏法は盲信を説くのではない。法界の一切はすべて心が行っているのだ。今日リンチェンドルジェ・リンポチェは上師供養法を修め、祈願文を念じたが、できるかどうかは、リンチェンドルジェ・リンポチェにはない。あなた達自身の仏法に対する考えと修行に対する希望が非常に重要なのだ」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を率いて回向儀軌を修持くださり、継続して開示を下された。

「先ほどみなが唱えた長寿祈請文は顕教にはないが、チベット仏教にはある。祈請文は行者が自分で書くのではなく、作者には根拠と記録が必要なのだ。例えば、第三十六世と第三十七世の直貢法王の祈請文は、直貢噶舉の執事である貢覚桑丹がダライ・ラマに祈請して書かれたものだ。時間までも記録しなければならない。長寿祈請文とは、修行人が未来に修行成就する処であり、いくらか授記の意味がある。長寿祈請文とは世間で長寿で不死となるというのではなく、重要なのは法運と仏法の時間が常住在世することなのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェの長寿祈請文は三恩根本上師尊勝なる直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェのためにお書きくださったものだ。日付もしっかりすべて書かれており、しかも『誠懇書寫』である。チベット人が言う誠懇とは、書いてあることで人を騙したりしない、嘘ではない、必ずそうなる、ということだ。この種の誠懇は、彼氏や彼女に対するものとは違う。上師は書いたことに責任を負わなければならない。つまり、弟子がこの程度までは修められると考えなければ、上師は書いては下さらないのだ。あなた達が長寿祈請文を念じれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが長寿になるというのではない。長期的に唱えれば、法運が世間で少し長くなるのだ。ここに意味が有る」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を率いてアキ護法儀軌を修持くださった。法会が円満となり、弟子達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる修法と開示に感謝申し上げ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられるのを起立して謹んでお送り申し上げた。

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2016 年 03 月 14 日 更新