尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年4月19日

法会の開始に先立ち、一人の弟子が、ここで発露懺悔し、上師の功徳を賛揚する機会を賜ったことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げた。彼と妻は2010年1月30日皈依したが、2009年、2010年に母と父にそれぞれ慈悲なる超度を賜ったことを上師に感謝申し上げ、寶吉祥仏法中心の度衆事跡第477篇で自分が書いた感謝文を読めると皆に伝えた。

2013年9月29日不共四加行の大礼拝をお伝えくださったことを上師に感謝申し上げたい。帰宅後急いで一年で完成させる計画表を作り、最初は毎日300回行っていた。ところが、いくらもしない内に仕事を終えて帰宅すると疲れているため、どんどん怠けるようになってきた。2014年4月私は自分が身に付けている衣服が、酸っぱいような妙な臭いがすることに気づいたため、妻に、犬の服といっしょに洗濯機で洗っているのではないか?と尋ねたところ、妻は洗い上がった衣服を持ってきてくれたが、そのような妙な臭いは全くしなかった。私は変に思ったが、そのままにしておいた。

その後、私は排便の不調を感じたが、痔だろうと思い、医者には行ったが、詳しい検查を行わなかった。ところが7月になり、肛門がどんどん痛くなり、妻に言われて、父の大腸癌手術の担当医に詳しく検查してもらった。医者は肛門を診るとすぐ、8月に大腸の内視鏡検查を予定し、検查後ただちに病理検査を行った。担当医は出国の予定があったため、二週間後でなければ検査結果を聞くことができない。私はひたすら、良くないものだと信じたくなかった。なぜなら去年10月に大腸直腸検查を行ったばかりで、結果は正常だったのだ。

検査のための組織を採取した後、肛門はどんどん痛くなった。8月25日に結果を聞きに行くと、医者は深刻な表情で『直腸癌はゼロ期だが、癌細胞が非常に強力で悪質で、しかも分化と成長の速度が非常に速いため、すぐに腫瘍を切除し、肛門全体を摘出しなければなりません。病室はもう押さえてあります』と言い、また『人工肛門の人は今ではたくさんいますよ』と言った。医者の厳しい口調に、私は一瞬どう反論したらいいのか分からなかった。弟が医者に、手術後はどんな治療をするのかと尋ねると、医者は、開いてみなければ分からない、と言う。私はたどたどしく、少し考えさせて欲しいと言い、診断証明書を書いてもらい、そそくさと病院を後にした。その後は毎週、別の病院で謝医師に診てもらい、また漢方クリニックで黄医師の診察を受け薬をもらっている。

8月30日上師にお目にかかった際、上師が、どうしたのだ?とお尋ねくださったので、私は『リンポチェにご報告申し上げます。弟子は直腸癌を得ました』と申し上げた。上師は『なぜこんなになってからようやく懺悔に来たのだ。大礼拝をするように』と仰せになった。上師が供養をお受けくださったことに感謝申し上げたい。また、高兄弟子に感謝申し上げたい。ご自分の体験をお話くださり、毎土曜上師が信衆を接見なさる際に道場で大礼拝を行うことを翌週上師に求めるよう励ましてくださった。9月5日私は再び上師に拝謁申し上げ、土曜日に道場で大礼拝し累世の悪業を懺悔させてくださったことを感謝申し上げた。病理検査の後、私は毎日24時間下痢が続いた。肛門が裂けて死ぬほど痛み、自殺する人の気持ちが分かるとまで思った。今世で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏する福報がなかったなら、私も自殺を考えていただろう。

2015年3月妻に促され病院で再検査を行った。長期間、腹部に痛みと膨張感があり、しかも何を食べても酸っぱい苦味しか感じられず、腹部にはたくさんの硬い塊があった。腹腔内の宿便はすでに硬くなっており、便はますます細くなり、肛門の腫瘍は出口をもう少しで塞ぐような状態だった。座薬で宿便を軟化することができないかと、謝医師は指を挿し入れてみたが、私がひどく痛がるので、諦めざるを得なかった。3月20日CTの結果が出た。癌細胞はすでに腹腔まで広がっており、しかも拡散を続けていた。結果を聞いた後、私は退院手続きを行い帰宅した。

4月4日私は上師に拝謁し、累世の殺業と、この一世で生活のためにフライドチキンの店で三年間働き、無数の衆生を傷つけたことを懺悔した。その果報としてガンを患ったのだから、死を以って衆生への借りを返したいと願い、殊勝なるポワ法を頂戴したいと上師にお願い申し上げた。上師がお許しくださったことに感謝申し上げたい。だが上師は、その時に因縁があるかどうかによる、と開示くださった。慈悲なる百字明咒を持誦し、長い加持をくださったことを、私は上師に感謝申し上げたい。さらに妻に、寝ている時以外は、いつでも24時間、私に六字大明咒を持誦させるよう注意をくだされた。そして上師は『毎日西方極楽世界に回向し、特定の人に回向してはならない』と開示くださった。私は上師の慈悲なる加持に感謝申し上げたい。帰宅後は排便量が徐々に多くなった。我が家には18歲になる老犬がいるが、この犬も腫瘍が大きくなったために排便機能に影響が及んでいた。ところが、上師の加持を頂戴した後、犬の排便機能も徐々に回復したのだ。上師の加持力は実に不可思議だ。

4月11日私は再度上師に拝謁申し上げた。妻は供養を用意し『これは保険金なの。あなたが死ねば遺産だけれど、生前に自ら上師に供養申し上げた方がいいわ』と言った。けれども、私は上師の前では口を開くことができなかった。妻が上師に『上師に従い学仏し五年余りになりますが、上師に近しくせず、依教奉行せず、仏法を生活に取り入れていませんでした』と懺悔申し上げた。上師は慈悲深くも『学仏五年余りで少しの福報も累積できていない。普段供養せず、金があればローンの返済に当てていた』と開示くださり、妻に『なぜ供養するのか?』とお尋ねになったので、妻が『衆生に代わり供養申し上げます』と答えると、上師はさらに『なぜ衆生に代わり供養するのか?』とお尋ねになったが、妻は答えることができなかった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは私と妻に後ろでよく考えるよう仰せになった。

妻と娘は私の横で三十分ほど跪いていた。母上が乳癌を患った後、いかにして上師の慈悲深い加持を頂戴したかを話してくださった田兄弟子に感謝申し上げたい。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはとっくに私の心を見透かされていたので、なぜ供養するのかとだけお尋ねになったのだ。突然私は雷に打たれたかのように感じ、頭の中が真っ白になり、何も答えることができなかった。私は再び上師に懺悔申し上げた。自分の供養の心は間違っていた。供養とは水を飲むことや呼吸することのように、絶えず行わなければならないものだったのだ。上師は『学仏して五年余りになるのに、少しの福報も累積できていない。普門品では、無盡意菩薩が観世音菩薩に供養なさったが、観世音菩薩は受け取られない。釈迦牟尼仏が観世音菩薩に受け取るよう促し、観世音菩薩はようやく受け取られた。なぜだ?』と開示くださった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは突然娘の方を向き『これは誰だ?』とお尋ねになった。傍らの侍者兄弟子が上師に『この弟子の娘です』とお答え申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは娘に『父母共に皈依しているのに、あなたはなぜまだ皈依しない?』とお尋ねになった。娘は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを見つめたが、答えることができなかった。私は上師の慈悲に感謝申し上げたい。妻と娘にそれぞれ200回の大礼拝をさせた上で私達の供養をお受け取りくださった。だが、私は福報が不十分であるため、礼拝が終わらない内に、上師は法座を下りてしまわれた。

4月18日私は再度上師に拝謁申し上げ、上師に懺悔申し上げた。『普門品』では、無盡意菩薩が観世音菩薩に供養申し上げたが、観世音菩薩は釈迦牟尼仏に供養を転じられた、とある。大菩薩であろうと供養をなさるのだ。凡夫は言うまでもない!供養に対する誤った考えを適時に正してくださることを私は上師に感謝申し上げたい。その時、懺悔し清浄で無欲な心で再度供養申し上げると、慈悲深い上師はやはり供養をお受け取りにならず、日曜日の法会前に公開発露懺悔すれば受け取ろうと開示くださった。慈悲深くも私に機会をくださり、また妻と娘に再び大礼拝を行う機会を賜ったことを、私は上師に感謝申し上げたい。

ここで発露懺悔する機会を賜ったことを私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。皈依してすでに五年余りになるが、皈依し法会に参加し、読経し持咒すれば、それで安穩と日々を送れると考えていた。生活以外の別の課題ではなく、仏法を生活に溶け込ませなければならないという上師の慈愛に満ちた教導を理解できていなかった。法会に参加する度に、私はたくさんの物を得たと感じ、上師のお教えを自分はすべて理解したと考えていたが、深刻な所知障と貢髙我慢の心を犯していた。内心では徐々に貪、嗔、痴、慢、疑が増えていたのに、気づかず、学んだものを生活に生かし自省し、己を改めることをせず、上師が教導くださる仏法の不離世間法を行わず、仏法を生活に溶け込ませていなかった。無常はいつでも訪れ、業力因果に従い開花、結果するということを理解していなかった。昨年8月私は検查で直腸癌が発見され、初めて果報が現前する恐ろしさを知った。その時初めて自分はこれまで全く依教奉行できていなかったと悟り、その時初めて懺悔することを知った。

私は深く懺悔したい。幼時は離島の澎湖で暮らしていたため、生家は経済的に豊かでなかった。しばしば、仲間と海辺へ行き貝を掘って家で煮て食べていた。父母は子供達の栄養と口腹の欲を満たすため、三食ともに魚やイカ等の海鲜を食卓に上らせ、たまには私の大好物のシラス卵焼きを作った。これにより、どれだけの殺業を犯したことか?幼い頃から大きくなるまで、無数の蚊、ゴキブリ、アリ、蜘蛛等の昆虫を殺し、かつては仲間とネズミ捕り器内のネズミを焼き殺して遊んでいた。社会人となり仕事を始めてからは、当時最も流行していたファーストフード—フライドチキンの店で働き、店長にまでなり、最高の業界でたくさんの金を稼げると得意になっていた。結婚し子を持った後も、職場の種々の宴会では山海の珍味は避けられず、数年前に昇進した際には同僚の要求に抗しきれず、二卓の活きエビ料理を振る舞った。このような殺業を、私は絶えず犯し続けながら、気づかず、そのためそれ以上の昇進もなかった。

私は深く懺悔したい。1991年妻の墮胎同意書に署名した後、殺業果報が絶えず現前した。妻は貯めてきた全財産を大伯母と同僚に貸したが、それは全く返済されなかった。また、汐止で二番目に高く、それまで一度も浸水していなかった地域にうちを買ったが、私達が入居してから五年以内に、数度の台風のため四度も浸水した。妻は大伯母の900万元の住宅ローンに連帶保証人となっていたため、返済のため銀行に何年も追いかけられ、最後にはほとんどすべてのうちを安値で売ってしまった。ここ十数年来、私は絶えず借金返済に追われ、いくら働いてもお金は手元に残らなかった。

私は深く懺悔したい。幼い頃から今まで、私は常に自分を飾っていた。他人の目に、良い学生と映ることを願いながら、試験ではしばしばカンニングしていた。社会に出てからは、他人に迎合するため、お人好しを演じ始めた。これらはすべて自分の利益、面子のためだった。職埸ではしばしば、努力家を演じ、裏では功を争い過失を他人に押し付けていた。ただ上司の称賛を得るために、同僚間ではお互いに欺き合い、他人を批判していた。会社の文具や用品を持ち帰り自宅で使用し、窃盗の罪業を犯した。上司と意見が合わない時には反発することもあった。種々の貪、嗔、痴、慢、疑の五毒はすでに私の心に深く植え付けられていたが、しっかり反省懺悔し、依教奉行しなかったため、悪業は累積して成熟し開花結果したのだ。

私は深く懺悔したい。幼い頃から父母や師の教導を受け、言うことを聞き従順なのが良い子で、大きくなるまで父母に逆らったことはなく、ほとんどのことで彼らの考えに従い生きて来た。そして、こうすることが親孝行だと考えていた。年を重ねた父が、それに従い身体も衰え、さらに大腸癌を患うに当たり、そうではないとようやく知った。父は手術と抗がん剤治療の結果、病状を大方コントロールできていたが、それでもしばしば便祕、腹痛等のいくらかの病痛に悩まされていた。父は一日中呻吟することもあったが、每日具合を尋ねたり、医者に連れて行ったりすれば、それが親孝行だと思い上がっていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがかつて開示くださったように『如人飲水冷暖自知(自分が飲んだ水は温かいか冷たいかが分かるだろう)』を実践し、真の慈悲心で関心を寄せることができなかった。今自分も父と同じ病に犯され、こうして初めて身に染みて感じられるようになったが、時すでに遅く、父は戻って来ない。

私は懺悔したい。岳父、岳母は、私というこの娘婿をとても可愛がってくれた。妻の兄姉、親族や友人もみな悪い習慣や趣味がなく、珍しいくらい良い男で良い夫だと私を称賛してくれた。けれども、私は年長者が子女を甘やかすやり方が我慢ならず、しばしば妻の前で妻の家族を批判した。岳父、岳母に対しても真心から関心を寄せたことはなく、自分がすでに多くの口業を犯していたことを全く知らなかった。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはしばしば、懺悔は自分を省みる最良の方法だと開示くださる。『地蔵経』で言うように、凡夫の起心動念はすべて業ですべて罪なのだ。少しでも自分のための考えが起きたならすぐに懺悔しなければならない。悪果が成熟した今、業力に従い流転するしかなく、変えることはできない。私はただ、往生後は上師の殊勝なポワ法を受け、西方極楽世界に往生でき、輪廻の苦しみを解脱できるよう、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの救いを賜われるようお願い申し上げたい。

この機会に私はここにおられる兄弟子、大徳の皆様に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養申し上げられる機会を大切にし、清浄で無欲な心で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養申し上げるよう呼び掛けたい。福報のない衆生は供養の機会さえないのだ。末法時代の今、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのような具徳、無欲で、自分の生命をかけて衆生を救度くださる大修行者はすでにほとんどおられない。私は懺悔したい。これは、私がリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して五年余りで初めての、そして恐らくは最後の、こんなにたくさんの人の前で上師の功徳を賛揚する機会になるだろう。みなは私を悪い見本とし、同じ過ちを犯さないで欲しい。私は同時に、道場のすべての兄弟子の心遣いとお世話に感謝申し上げたい。最後に私は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し世に永住し、仏法事業が興盛で、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝するよう祈願申し上げる」述べた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、忿怒三本尊灌頂法会を御自ら主法くださり、参会者に貴重な仏法の開示をくだされた。

今日はみなに金剛部本尊の灌頂を授けた。『時輪金剛密続』には以下のように記載されている。末法時代には無数の悪龍、地神、邪霊、精怪がおり、衆生を傷害、障礙するため、末法時代の衆生は世俗生活と修行において、外在の種々の形式の人と非人、外在、内在及び物質、非物質等等の各種逆縁障礙に遭遇するだろう。釈迦牟尼仏が仏法を弘揚なさった49年から500年間が正法時代で、500年間の正法時代後の次の500年が像法時代という。つまり、釈迦牟尼仏の弘法から1000年後に末法時代に入るということだ。

『末』とは、仏の教導開始から12000年になれば、この娑婆世界は存在していないということだ。なぜ末法時代にはこんなにも多くの問題があるのか?それは、福報がある衆生は、仏陀にお目にかかることができ、仏陀の教導を受けて、すぐに開悟し生死を解脱する。福報が良ければ最初の500年間の正法時代に生まれ、仏法を聞き学ぶ因縁がある。福報が少し劣れば、像法時代に生まれる。よって、末法時代に生きている者はみな福が薄く縁が浅い衆生ばかりなのだ。だが、現在みなは自分は福が厚く縁が深いと考えている。もしあなた達の福が厚いなら、この時代には生まれなかったのだ。もし、あなたの縁が非常に深いなら、今になっても自分な何をしているか分からない、ということはないのだ。

末法時代の衆生の障礙は、以前の衆生よりもはるかに多い。特に末法時代に生きている人は生生世世の輪廻を経ているので、何も持っていないが、身体いっぱいの業障を持って来ている。そしてこれら悪業を持っているので、悪龍、地神、精怪、邪霊の傷害を感召し衆生に障礙するのだ。これら龍、地神、精怪等は恐い存在で、あちらから自ら我々を傷害しようというのだろうか?そうではない。我々が彼らを感召するのだ。我々が貪嗔痴で彼らを感召し、貪念、嗔恨の心を起こし、因果を信じないため、この世間の悪龍、地神、精怪、邪霊を感召し障礙させるのだ。彼らはなぜ障礙するのか?それはあなた達の福が薄く縁が浅いからだ。この一生でも行善、供養布施を理解しないため、この一生の業力を変えることができず、普段の生活の中で、種々の人と非人(幽鬼)、外在(身体以外)、内在(心持ち)、物質(目に見え、触れるすべての物)と非物質(原子、分子等一切のエネルギー)の障礙に遭遇するのだ。

現代人にとって最大の傷害、それこそ携帯電話、コンピューターだ。これらこそ非物質だ。精神に異常を来す人がますます増えているのは、現代人がこれら非物質の影響を受けているからだ。コンピューター、携帯電話を多く用いる人は、遅かれ早かれ問題を起こす。我々は生まれてから、本来は地球のエネルギーに適応しているが、これら人が作り出すエネルギーは、我々の脳波と磁場を掻き乱すため、非物質の各種逆縁障礙が出現するのだ。よって、現代人は非常に済度させ難い。例えば、空の天体、宇宙が突然変化し爆発しても我々に影響を及ぼす。さらに風水、地理の悪い影響もある。他人、幽鬼類、魔類の加害もある。人畜の攻擊、すなわち人と動物の攻擊も受ける。運が悪いなどと思ってはならない。ヘビや昆虫に咬まれるのさえ原因があるのだ。また、天災と身心に病を抱える等の傷害もある。

この種の傷害は天上、地面、地下の三類に他ならない。天上の衆生とは天気、星体、天象、天界の衆生だ。天界の衆生も障礙を為すのか?と思うのだろう。もちろんだ。天界の衆生であっても障礙を為し、生死の解脱を不能とする。天界にも魔がいる。たくさんの人が魔は悪人だと思っているようだが、実はそうではない。魔は良い人なのだ。そのおかげで、楽に日々を暮らせるようにし、魔の障礙として、この一生で生死を解脱する決心を下せないようにする。地面の傷害は言うまでもないだろう。一個の石ころがあなたを死に至らしめる。一本の樹の枝が落ちて来てあなたの頭に傷を負わせる。我々は水源を汚染し、樹を切り、一日中地面でこれらを破壊している。そのため、これら傷害を招くのだ。地下とは地底だ。地震、火山の爆発、土砂崩れが起きるのは、地母が不機嫌だからだ。人類は数え切れないほどのあまりにも多くの悪業を為している。そのため、地母は不機嫌で、人も安心して暮らせないのだ。地震が多い地域は、地底の衆生が不満を抱いている。

法本には、正法を修持する衆生が各種修行と生活における障礙を消す、とある。ここでははっきりと『正法を修持する』とある。もし、あなたがこの一生で生死解脱の法を修持するのでないなら、どんなに念じても、どんなに拝んでも、どんなに供養しても、その法は少しの役にも立たない。法会に参加すれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが言うように、これら障礙がなくなるなどと考えてはならない。法会前に語った弟子は皈依して五年になるのに、なぜガンに襲われたのか?それは、正法を修持していなかったからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは加護を求めてはならない、と常に言っている。学仏とは生死を解脱するためなのだ。仏陀が講じられた仏法とは、生死を解脱するためのものだ。あなた達は開悟の条件さえ具備していないのに、なぜ自分は開悟した、理解したと思うのか?出離心を定めていなければ、この一世で開悟するなど不可能だ。なぜなら仏はこのようには仰せでないからだ。

よって、正法を修持しない衆生は、この一世でこの種の生活中の障礙を取り除くことなどできない。密宗では、上師の修法が成就したなら、世間の障礙が現前しても、あっという間に消えてしまうという。リンチェンドルジェ・リンポチェははっきり示した。一月、リンチェンドルジェ・リンポチェは今にも死にそうだった。だが、今はまたみなの前に現れている。誰がこのようにできるだろうか?当然これは、諸仏菩薩と上師がリンチェンドルジェ・リンポチェにくださった加持なのだ。なぜならリンチェンドルジェ・リンポチェは正法を修持しているからだ。あなた達は一日中正法を修持しようとせず、一日中自分の考えを持ち、思い上がり、加護を求めている。リンチェンドルジェ・リンポチェに100世、さらには1000万世従ったとしても、障礙を消すことはできないだろう。

正法を修持するとはこういうことだ。我々が輪廻に陥るのは、貪嗔痴のためだ。十善法を開示した時、決して貪嗔痴を持ってはならない、とはっきり説いている。自分に属さない財を得てはならず、自分に属さない物を得てはならず、自分の現在の果報を無理に変えてはならない。これはすべて貪だ。他人の物を取り、他人が自分より劣ることを願うなら、これもすべて貪の範囲に含まれる。嗔とは怨恨、忌妒だ。特に上師に対して癇癪を起こすことだ。真に癇癪を起こしていようと、見せかけに癇癪を起こしていようと、心に嫌いだという思いが起きたなら、福報はなくなってしまう。たくさんの人が自分は非常にうまく修行していると考えているようだが、どこがうまくいっているのか?うまく修行できていて、どうしてこんなにも多くの問題が起きるのか?あなた達の生活における障礙を消してやるのは、あなた達の子供を結婚させて孫を得させるためでも、健康にし衆生に利益させるためでもない。修行させるためなのだ。

たくさんの仏教徒が自分は衆生を救いたいと事あるごとに言っているが、慈悲さえ備えていないで、どうやって救うのだ?学仏人は誰でも仏菩薩と上師を脅している。『仏菩薩と上師は病を癒さなければならない。病気が治らなければ衆生を救う力がない。病気が治らなければ家族を世話することができない』と言う。だが、法本はこうは説いていない。仏はこのような事を説くのを忘れられたのだろう、とあなた達は言うが、仏が忘れられるだろうか?仏の智慧には漏れがない。そして、それは自分のための利益のためでも、そのために生まれたものでもない。すべて衆生のためなのだ。あれこれお忘れになるなどあり得るだろうか?

この時、ある弟子が聴法時に不恭敬だったため、リンチェンドルジェ・リンポチェは直ちにその弟子を立たせて後ろへ行くようにご指示になり、開示を続けられた。

自分のやり方、欲望、人生経験法で仏菩薩に祈願する人が多い。あなた達は法会に参加して数年になるだろうが、法本で、このようなこと、これを修めれば金が儲かる、などと説いたことは一度もない。ただ、正法を修持すれば、後にこれらが生じるだろうというのが重点なのだ。あなた達の生活における障礙はなぜ消えないのか?それはあなた達に気を散らせないためだ。なぜ時にあなた達の考えを満足させようとするのか?それは、あなた達に気を散らせないためだ。これこそ先ほど言った外在と内在の障礙だ。上師は種々の方法を用いてこの種の障礙を消す。だが消した後は、正法を修持しなければならない。この一生で生死を解脱すると決心しなければならない。この決心は、リンチェンドルジェ・リンポチェ或いは仏菩薩があなたに与えるものではない。あなたが決めなければならないものなのだ。あなた達が決めなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた達のためにこの法を修めても役には立たない。ただの結縁に過ぎないのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、この縁がいつ役に立つかは分からない。数千世、数万世の後かもしれない。あなた達が種々の事柄の影響を受けるのは、福報が不十分だからだ。釈迦牟尼が山を越えられた際、提婆達多は巨大な岩を投げ釈迦牟尼仏を殺そうとしたが、釈迦牟尼仏は福報が十分であられたので、金剛大力士が現れ岩を砕いてくれ、もともとあった小石が釈迦牟尼仏の足の指にぶつかり流血しただけだった。釈迦牟尼仏は、これは自分の前世の果報だと仰せになり、嗔念を起こされなかった。金剛力士はもちろん釈迦牟尼仏を保護しなければならないが、仏法の因果から言えば、提婆達多に悪業を為させないようにしたのだ。さもなくば、提婆達多は五無間地獄に堕ち、永遠に出て来られなくなってしまう。仏菩薩と金剛部が顕現くださるのはすべて慈悲心であり、これが好き、あれが嫌いだというのではない。すべては慈悲心なのだ。

十方諸仏慈悲は、身語意をそれぞれ金剛手菩薩、馬頭明王、大鵬金翅鳥の三つの忿怒尊に化現された。金剛手菩薩は大勢至菩薩の忿怒尊で、顕教では修めない。密教で修めるのは、我々が往生の前に生生世世の業力が邪魔しに来るからだ。生前に忿怒尊の灌頂を受けていないなら、これら干渉を受けることになる。干渉するこれらの冤親債主は幽鬼とは限らない。あなた達の同修であるかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて目にしたことがある。ある大仏寺中の住持は、明らかにすでに事切れているのに、弟子が信衆に師父は生きていると思わせるため、遺体にあれこれ細工していた。これは障礙ではないだろうか?生死さえ自在にならない。この住持は有名な弘法人だったのだ。経典によれば、これほど多くの信衆がおり、大きな仏寺を建てたのだから、生死は自在でなければおかしいではないか。なぜなおこれほどの苦しみを経験しなければならないのか?これこそ障礙だ。この住持は忿怒尊まで修めていなかったのだ。あなた達は忿怒尊を修めることはできない。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは今日みなに灌頂を授け、みなは結縁することができた。

金剛手菩薩は我々の心脈と心気を保護くださる。経典によれば、幽鬼と非人は毒を心臓に入れ、たくさんの心臓病を起こさせる。心臓病は心臓が悪いのだと大概の人は思っている。当然心臓が悪いので、だからこそ心臓病になるのだ。小利や小事に細かくかかわり、納得せず、メンツを失うことを恐れ、傲慢で我儘な人は心臓の病を患う。金剛手菩薩はこの部分を保護してくださるのだ。馬頭明王は観世音菩薩の忿怒相だ。水陸大法会中の焦面大士は観世音菩薩の幽鬼道における化身だ。顕教を学ぶ人の中には密宗はないと批判する人がいる。もし密宗がないなら、水陸大法会中で忿怒相を現す焦面大士がなぜ出現するのか?『チベット仏教は怒りの仏教だ。そのため忿怒相がある』と批判する人がいる。水陸大法会に参加し、密壇に入ったことがある者はみな焦面大士を見ただろう。焦面大士とは観世音菩薩の化身で、もっぱら幽鬼を済度させられるので、見た目が悪いのだ。批判し合ってはならない。その法が衆生に利益し生死を解脱させられるなら、それは仏法なのだ。

大鵬金翅鳥はもっぱら龍を対治する。経典では、龍があなたに対して怒り、睨みつければ、あなたは病気になると言う。龍はあなたの身体に入り込む必要はない。睨むだけで十分なのだ。龍によって起きる病はハンセン病、ガン、皮膚病(白癬など)で、これらは龍が傷害しに来ているのではなく、睨むだけで十分なのだ。数年前、青海に直貢噶舉の若いリンポチェがいた。リンチェンドルジェ・リンポチェは青海で二〜三度会ったことがり、またかつて助けたこともある。彼はある時台湾に来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の顔に白癬があるのを見つけた。そのため『最近仏寺を再建しているのではないか』と尋ねた。彼は『そうだ』と答えたので、リンチェンドルジェ・リンポチェはさらに『大きな石を移動させる前に修法したか』と尋ねると、彼は『した』という。リンポチェであっても、このような病に罹るのだ。自分は仏を拝んでいるので病気にならない、などと思ってはならない。龍はすごいのだ!治りにくい皮膚病の98%は龍によるものだ。東洋医学的に言えば、脾臓と肝臓が良くないのだ。

海鮮を好んで食べる人は必ず龍を傷つける。なぜなら龍は水、石、樹木の中に住んでいるからだ。よって不注意で大きな石を動かし、水を汚染し、或いはなんの気なしに樹にいたずらしたり切ったりする人は、容易に龍の病を患う。海鮮を好んで食べ、海鮮を調理する人は、龍の病に罹る可能性がさらに高い。なぜならたくさんの水の生き物が龍の親族だからだ。魚類の中には龍の化身であるものもいる。龍の子孫を食べれば、龍が復讐するのは当然だ。現代人にガンがこんなに多いのも、科学的には様々な解釈があるが、仏法では根本まで遡り、龍を傷つけたことによるとする。

大鵬金翅鳥は龍を対治する。経典には、大鵬金翅鳥は龍を食するため、龍は大鵬金翅鳥を見るとすぐに逃げ出してしまうとある。直貢噶舉にはある物語が伝わっている。ある日ジッテン・サムゴンが大殿で説法なさり、晚課の際に一人の老人が突然入って来て、自分は龍王の化身で、上師の仏法の開示を聞きに来たいと言う。ジッテン・サムゴンは、彼が衆生を傷つけるのではないか、衆生が彼を傷つけるのではないか、と心配し、ある特定の時間に来るよう伝えた。ジッテン・サムゴンは、仏寺中のすべての弟子と出家衆に、ある日のある時、誰も入って来てはならない、部屋に残っているようにと言った。その日のその時間になり龍はやって来た。龍は身体が非常に大きい。みなも知っておろう。直貢梯寺の大殿は大きくない。そのため、龍の身体は入り切らず、尻尾が大殿の外に出ていた。

みなは部屋に残っていれば大丈夫だと思っていた。ところが、龍が来た途端、雷、大風が起きた。当時一人の弟子が閉死関していたが、みなは彼に教えるのを忘れていた。すると彼は閉関していて神通を得た。リンチェンドルジェ・リンポチェも閉関時にはより敏感になり、様々なことが分かるようになる。彼は龍が大殿に入るのを見て、ジッテン・サムゴンに害を及ぼすのではと思い、すぐに大鵬金翅鳥に変身し龍を食べようと飛び出したところ、龍は驚いて逃げて行ってしまった。ジッテン・サムゴンはそのためこの弟子を罰した。彼は上師を守ろうとしたのだが、上師に事の次第を尋ねずに行動に移してしまったからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはしばしばあなた達に上師を害してはならないと言う。なぜなら当時、ジッテン・サムゴンは龍を済度させていたのに、弟子は上師を守ろうと考え、上師の伝法を遮ってしまったからだ。

よって、ジッテン・サムゴンはこの弟子を罰し法本を書かせた。すべての動物が発する音の含意を書き、犬、鳥の鳴き方とその意味を明記するようお命じになられたのだ。この法本は確かにあったが、今では失われている。つまり動物も話ができるのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの日本支社のある従業員は犬を飼っている。ある日の食事時、従業員は、自分の犬は食事前に必ず何度か吠えると言って、その鳴き声を真似した。リンチェンドルジェ・リンポチェは『あなたが与える物が硬すぎるので、歯がない犬は食べたくないのだ』と伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『犬は歯がないのではないか』と尋ねると、彼は『そうです』と答えた。しかも、彼が犬に与えていたのは、非常に硬いドッグフードだったのだ。犬は話ができる。鳥もそうだ。魚も話せる。ただ人が理解できないだけなのだ。

大鵬金翅鳥はもっぱら龍を対治する。あなたに今でも貪嗔痴の念頭があるなら、龍に害される機会はなおあるだろう。あなたが現在ガンを患っており、仏法によりガンを不動に抑え付けていても、嗔念を起こしさえすれば、龍はやはりやって来る。金剛手菩薩は諸仏の力を合一した化現だ。星象が引き起こすよくない影響等の天上から訪れる一切の障礙を特に対治くださる。よって、日蝕、月蝕、九星がいっしょになる等も、金剛手菩薩を修めてさえいれば、障礙があることはない。

馬頭明王は観世音菩薩の降魔の化身だ。地神、山神、持咒、幽鬼祓いにより我々を害する人など他人の我々への加害等一切の地上からの障礙を特に対治くださる。大鵬金翅は天上の帝王だ。特に龍族と妖の障礙等一切の地底からの障礙を対治くださる。よって、地震も龍と関係があるのだ。いわゆる『土龍翻身(モグラの寝返り)』とはまさにこれだ。忿怒三本尊は非常に特殊で、諸仏菩薩神変能力により合成された強力な護法本尊であられる。どの本尊も特別な修持方法がある。それぞれ天上、地面、地下の障礙を対治し、一切の障礙を消滅させられる円満な力量を単独で備える。他の逆縁障礙の対治については、他の逆縁障礙にどれほどの種類があろうと、三合一を持たれる本尊が対応できないものはない。

これはつまり、あなたが世間にどれだけの障礙があろうと、この三合一本尊を修めるだけで、一切に対応することができるということだ。我々は三合一本尊の灌頂加持に頼り、無明業障、疾病、流行病等の病痛を消すことができ、一切の悪から免れられるのだ。

この法は三世一切の諸仏意の本質で、一切の悪の密障を消す、一切の金剛の総集だ。この精要方便法門は、伏蔵師が整理なさったもので、伏蔵金剛手本尊降伏兇狠法門において非常に殊勝で、忿怒三尊合一の修行法門だ。通常は灌頂の前に、上師は自修しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェも今日午前中すでに一度修め、壇城も保護している。よって、あなたが仏、上師、法に対して不恭敬で、あくびをし、キョロキョロと頭を動かしているなら、それには必ず原因があるのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは一晩中眠らなかった際も尊勝なる直貢チェツァン法王が法座に上られるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはあくびをしない。なぜなら三宝に対して恭敬だからだ。三宝に対して恭敬なら、自然に心は入定し、何も出現しない。この法門は大王(一切の幽鬼魔の王)、龍王、妖魔、山妖、独足幽鬼、星宿、天龍八部による傷害を対治でき、この法を修めればあなた達に救いをもたらすことができる。リンチェンドルジェ・リンポチェは先ずみなに灌頂を授け、あなた達は修行の福報を増す。これにより、あなた達は未来世、この一世で生死を解脱することができる。この灌頂は降伏兇狠法門三尊合一多瑪灌頂だ。上師が先ず自修した後でなければ弟子は入座できない。

今日みなが聞いた法は、上師清浄円満釈迦牟尼仏意の無縁法だ。無縁とは縁がないということではなく、あなた達が今日この法を聞けたのは、上師が清浄円満釈迦牟尼仏を受けたという意なのだ。無縁とは、空性中の言い方で、攀縁、順縁、逆縁について言うものではない。衆生が求め上師が動念しさえすれば、縁が生まれる。だが、縁生縁滅なのだ。縁も永遠に不変なのではなく、いつでも変動する。よって空性なのだ。空性の縁とは、仏から見れば縁は実体がなく、実在の本体存在がないということだ。実体がないなら、縁も無だ。無をないと解釈することはできない。空性との意味なのだ。

五濁悪世の衆生は地龍、妖魔等八部に傷害される。仏は苦しむ衆生のために、吉祥金剛手等の修行方法の多種を演説なさった。経典では、釈迦牟尼仏は金剛手菩薩について触れておられる。顕教経典では触れない。金剛総持は衆生のために地龍、妖魔等を降伏し、自身は忿怒密組三合一本尊と法脈伝承方便修行の法門に化身なさる。降伏とは、あなた達が想像するように、大威徳力で相手を降伏させ、修法者を恐れさせるのではない。法本では、この法を修める者は、空性の慈悲心まで証しなければならない、とある。外相は忿怒の相を現しているが、それは本体が慈悲に満ちており、衆生が自分の貪嗔痴の毒のために他人を害し、自分を害さないよう願って、忿怒相を現しているが、本質は慈悲深いのだ。いわゆる降伏とは貪嗔痴の心を降伏し、清浄な本性を回復させることだ。

仏法によれば、衆生は皆清浄な法性を備えているが、三毒が心中にあるため、清浄な本性が隠されているという。降伏とは貪嗔痴の力量を降伏するが、消してしまうというのではない。誰が消してしまえるだろうか?自分だ。仏法を聞いたことで、仏法を用いて自分の心を対治し検查しないなら、本尊降伏だけを得るが、貪嗔痴を消してしまうことはできない。貪嗔痴が消滅していないなら、ある日あなたは起心動念し貪嗔痴の三毒と結合し、降伏の力量は無くなってしまう。降伏とは、一時的に押さえ付け、正法修行、正法学習の邪魔をさせないということだ。不精進とは、どれだけ念じるか拝むかということではなく、教えに従わないことだ。少しでも自分の考えがあるなら、それは不精進だ。自分の考えを用い、リンチェンドルジェ・リンポチェは何を言っているか考える。これこそ不精進だ。

リンチェンドルジェ・リンポチェがどんなにすごいかどうして分かるのか?能力があるなら、試してみるが良い。リンチェンドルジェ・リンポチェは病を得て10%のバイタルサインを残すのみとなったが、一ヶ月もしない内にまた法座に上り講法している。リンチェンドルジェ・リンポチェのようにできないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェを批判する資格はない。自分ができないことを批判する資格はないのだ。幽鬼の超度について、あなた達が明確に理解するなどあり得ないが、リンチェンドルジェ・リンポチェの身体の変化は分かるだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは特別な物を食したのでも、仙丹を服用したのでもない。仏法という仙丹があったので、極めて短期間で回復したのだ。だがリンチェンドルジェ・リンポチェが回復したのは、楽に日々を暮らすためではなく、衆生を救い、衆生を済度させるためなのだ。

仏法の定義を明確に理解しなければならない。降伏と消滅は全く違うことなのだ。諸仏菩薩と上師とは、あなたを傷害する衆生、一切の障礙を降伏する能力がある。だが、消滅させることはできない。なぜならそれはあなたの因果だからだ。仏は果報を変えることはできない。自分自身だけが変えられるのだ。果報を軽くし、小さくする。果報を変えるには、あらゆる念がすべて善念で、一切の悪念を持たないようにしなければならない。

法本には、教えを受けた弟子は喜金剛に化身し、蓮花生大士に伝え、蓮花生大士は密法でそれをまとめ、灌頂と修行等の組合せ口訣法門で広大衆生に利益した、とある。この法門は釈迦牟尼仏が弟子に伝え、弟子は喜金剛に化身し、さらに蓮花生大士に伝えたものだ。法本では、どの弟子に伝えたかについては触れていないが、弟子は喜金剛に化身した、とある。喜金剛とは、正に尊勝なる直貢チェツァン法王が2007年にリンチェンドルジェ・リンポチェを伴いラキ雪山で閉関なさった際に特別に修められた本尊だ。今年4月、尊勝なる直貢チェツァン法王は再びラキへ赴かれた。だが今回、直貢チェツァン法王は御自分とリンチェンドルジェ・リンポチェが残した衣服をすべて水中に入れ衆生を加持なさった。つまり、直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェは二度と再び行かないということで、直貢チェツァン法王はこの一生でたった一人の弟子だけを伴い当地で閉関なさったということだ。この一生では再びそれはないということだ。

上師の伝法を得るのは、簡単なことではない。必ずたくさんの因縁を具備していなければならない。伝法を得ながら大切にせず、なおあれこれ思いを巡らせていたのでは、役に立たない。この法門がリンチェンドルジェ・リンポチェと縁があるので、リンチェンドルジェ・リンポチェは喜金剛を修めるのだ。直貢噶舉では本来は勝楽金剛を修めることの方が多い。噶舉派はもともと喜金剛を主修していたが、ミラレパ尊者が勝楽金剛の主修を始められたので、ミラレパ尊者の後は多くが勝楽金剛を修めるようになったため、喜金剛の法脈はいくらか減ってしまった。この一世で尊勝なる直貢チェツァン法王は喜金剛を整理し直された。喜金剛は出家も在家も修めることができる本尊だ。勝楽金剛はどちらかと言うと出家衆が修めるに適している。喜金剛は密乗中では無上瑜伽部である。よって不共四加行中で最後に修める上師相応法だ。伝統的には勝楽金剛を修めるが、リンチェンドルジェ・リンポチェの本尊は喜金剛なので、今後は喜金剛を伝える。だが、無上瑜伽部ではなく、事部を伝える。

弟子は無上瑜伽部喜金剛に化身し、蓮花生大士に伝え、蓮花生大士は灌頂、修行法等を含むこの法門をまとめて、口訣法門とし衆生に利益なさった。法本では、未来の衆生を教化するため、雪域高原で三次伏蔵法の中に宝蔵したとある。これは一つ目の宝蔵法だ。蓮師はチベットを離れる時、たくさんの法本と法器を水中、岩石中、空中に隠された。空中では空行母が片付けを手伝ってくださった。蓮花生大士がこれらを隠されたのは、チベットでかつて滅仏が起きたことがあるためで、これら密法法本を隠さなければ、衆生に破壊されてしまい、衆生の罪が非常に重くなってしまうからだ。よって蓮師はチベットを離れられる前に、これら無上瑜伽部と瑜伽部の法本を隠されたのだ。そのため岩伝法と呼ばれる。

岩伝法はチベットの発明ではない。『寶積経』で釈迦牟尼仏は岩蔵法について説いておられる。それを知らず、チベットの発明だと思っている人がいるが、実はそうではなく、釈迦牟尼仏が先に説かれたものなのだ。今日修める法本は一つ目の宝蔵法だ。金剛上師の言葉に従い、先ずは対治三合法を修める。上師はこの法門を修め衆生を救う前に、自分自身が先に修めなければならない。さもなくば、飛んで火にいる夏の虫の如く自らが受けることになる。密法を本尊と相応するまで修行した人は多くない。ただ、滅茶苦茶に持咒し念誦し、ある面を対治できると考えている。これこそ、飛んで火に入る夏の虫なのだ。自分を害することになる。

これらはこの本尊を修める良い点だ。みな分かっただろう。ガン患者がリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受けると、なぜ苦痛が消えてしまうのか。今ではみなも少しずつ秘密が分かるようになっただろう。六字大明咒にのみ頼っているのではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは全身がすべて宝だ。この種の法がないなら、どのように対治するのか?龍はどんなにすごいのか?あなた達が想像しているほど簡単ではないのだ。龍はリンチェンドルジェ・リンポチェを恐れない。リンチェンドルジェ・リンポチェも龍を恐れない。ただ、龍にこの法を教えるだけだ。龍はこの法を受けると、嗔恨心が消え、ガンの痛みも消える。なぜ、あなた達は痛むのか?それは龍が内部で咬み、のたうち、痛がるからだ。そんな状態で楽に過ごせるだろうか?龍を害せよと誰が命じたのだ!覚えておかなければならない。今日自分が皮膚病を得たのは、かつて龍を傷つけたからなのだ」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者に、この法の伝承諸上師等を簡単に紹介くださった。法本には「如実授灌頂、修自修、対修接受灌頂等」とある。上師のすべての事業の準備が整った後、金剛弟子が先ず曼達を供えた。続いて、出家弟子衆等が代表して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに曼達を献じ、その後尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは灌頂儀軌の修持を開始され、開示をくだされた。

「法本には、上師、本尊、金剛総持に、一切の煩悩の業力から離れられるようお助けくださいと祈願するとある。煩悩とは一念無明だ。無明とは因果を信じないことで、貪嗔痴慢疑を具備する。この種の煩悩から離れるには、上師と金剛総持に、これら傲慢な衆生、すなわち龍族、妖衆等を制伏くださいと祈願する。今日あなた達が学仏していようがいまいが、傲慢な心があるなら、龍族を感召するだろう。自分は非常に良く修行しており、非常に良く拝んでおり、上師は自分に比べれば大したことはない、と考えるなら、龍はやって来るだろう」と開示くださった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは灌頂儀軌の修持を続け、参会者に灌頂を受ける際の観想法を教導くださり、開示くださった。「修めたのは、大鵬金翅鳥の一切の傲慢神の対治だ。あなた達に有縁の灌頂を授けた。灌頂を得れば、一切の地龍の傷害を降伏でき、一切の語の聾唖を消し去ることができ、さらに語の病を清浄とし、一切の語の灌頂を得ることができ、傲慢馬頭尊を消し、馬頭明王の灌頂を得ることができる」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも加持済みの甘露を直ちに参会者に分けるようご指示になり、灌頂儀軌を続け、観想法を教導くださり、「これで精神錯乱、失神等の一切の意の病魔を消し去り、さらに意の権威を得ることができる」と開示くださった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続けて灌頂儀軌を修持し、観想法を教導くださり、「これで内外障礙と一切の病魔を消し去ることができ、傲慢、すなわちあなた達自身の傲慢の心を破り去ることができる」と開示くださった。途中まで修法したところで、リンチェンドルジェ・リンポチェは法本の内容について開示をくだされた。

「法本では、この法門は地龍を制伏するに最良の法門だとある。自分は大修行者だと思い、自分の能力をひけらかしているのに、この法門の名称さえよく理解できていない人がいる。この法門は、行者が他人のために法事を行い亡者を超度させ、生きている人は苦難にあるたくさんの衆生に利益できるように書かれたものだ。つまり、この法本は、自分の名聞利養(世間の名声と蓄財)のためでも、この法を修めることで何かを得るためでも、この法を修めることで、他人に自分がどんなにすごいかを知らしめるためでもない。よって、誰かが自分の能力をひけらかすなら、その人がどんなにすごかろうと、それは極めて間違った思維だ」と開示くださった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは「この法本は直貢巴滇津卻吉羅卓が書かれたもので、直貢噶舉不変金剛宮殿、すなわち直貢梯寺の大殿で書かれたのだ」と仰せになった。

灌頂が円満となり、参会者は声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる修法に衷心より感謝申し上げた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を率い阿奇護法儀軌と回向を修持くださり、開示を続けられた。

「明日リンチェンドルジェ・リンポチェは台中の寶吉祥事務所の開光に行く。台中区の弟子は今後はそこで早晚課を行えるようになる。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは高雄、新竹等へも行くだろう。台中地区でない者は、わざわざ行く必要がなくなる」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは事務所に関する事を開示くださり、弟子達に、何かを買って出家弟子に与えてはならないと注意なさった。「果物、ボトル水であろうとダメだ。出家衆に供養すれば福報があるなどと思ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェ門下に皈依する出家弟子は、リンチェンドルジェ・リンポチェが生活のすべての面倒を見ているからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分の門下で学仏する出家衆が、この一生で供養の面で貪念を生じ、信衆に対して分別心を抱き、自分に対して傲慢心を生じるのを望んでいない。修行人が最も恐れるのは、名聞利養(世間的な名声を得たいという欲望と蓄財したいという欲望)だ。名聞利養は我々の福報を消耗してしまい、我々の証悟を障礙する。リンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度弟子達に言う。出家弟子に何かを与えては絶対にならない。自分の家で調理したものもダメだ。自分は好意でやっているのだと思っているだろうが、実は相手を害しているのだ。

出家衆は本来はすべてを自分で行わなければならない。釈迦牟尼仏は、すべての弟子が毎日家々を巡り托缽するよう定めていた。何かを得られれば食べられ、得られなければ空腹を我慢しなければならない。なぜこうなのか?それは、福報が不十分で、修行がなっていないなら、誰もあなたに供養してくれないからだ。現代社会では、家々を巡り托缽すれば問題となるため、仏寺で畑作するなど自給自足するようになっていたが、現在ではまた変わっている。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師として、これら出家弟子の面倒を見るのだ。着るものも、使うものもすべて揃えている。好意で、などとお節介を焼く必要はないのだ」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは出家弟子達に月曜日から金曜日まで各事務所を分かれて回り、土曜日に台北へ戻って来るよう指示なさった。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に事務所で早晚課を行うよう指示なさり、さらに子女、父母、夫、妻、従兄弟等を含む弟子達の直系親属も事務所で礼仏できるよう慈悲深くもお許しくださった。「だが、必ず菜食しなければならない。さらに、出家人に読経等の事について口出ししてはならない。寶吉祥の各地の事務所では弟子達が念仏できるようにしている。家で念仏しても集中できない、或いは家に壇城を設けていない人のためだ。また、事務所で出家人に率いられてなら、いくらか心が定まるだろう。もしかしたら、という程度だが。また、弟子達が親族を連れていくなら、出家衆が時間をアレンジできるよう、予め出家衆に伝えなければならない。急に思い立ってというのは良くない。リンチェンドルジェ・リンポチェはみなが分かっているか聞こう」とユーモアたっぷりに仰せになった。「出家人がキャンディを一個もらったとして、それがリンチェンドルジェ・リンポチェに知られれば、給与から引かれるのだ。

これら出家弟子はみな給与を得ている。彼らは何も心配する必要はないのだ。本来は経典で言うように、出家人は山の洞穴、森林に住むべきなのだ。だが、台湾にはこのような場所はない。このような場所があったとしても、泥棒が来るのでは、夜中に何人かがやって来るのでは、と心配しなければならない。チベットとは全く異なる。リンチェンドルジェ・リンポチェが雪山で閉関している時、そこには誰もいなかった。たまに狩人が山中で狩りをしている音は聞こえたが、彼らは修行人がいると知れば、関房の方には近寄って来ない。もし台湾なら、修行人がいると知れば、たくさんの人が窓からのぞき込み、ドアをノックして『法師、お願いがあるのですが』などと言い、ドアを開けなければ、無慈悲だなどと言われるだろう。台湾は本当に修行しにくい環境だ。そのため、人口の森林と洞穴を作ったのだ。これら事務所は洞穴だ。普段誰も来ないなら、出家弟子達は自分でしっかり修行せよ。

台湾には本当にこのような環境がない。出家人に精舍があったとしても、電気料金、水道料金が払えるかを心配し、電話が切断されはしまいか等たくさんの事を心配しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、出家弟子に心配させないよう、出家人が行うべき事—世間を出離する決心をする、だけに心を配れば良いようにしている。こうでなければ、出家人ではない。さもなくば、家族の事に混俗してしまうだろう。たくさんの出家人が母が子供がどうだこうだと言って、なお家族の事に混俗している。ある時、出家人が自分の息子の事を聞きに来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは答えても答えなくとも適切でない。なぜならリンチェンドルジェ・リンポチェは自分の息子にさえ構わないのに、他人の息子に構う必要があろうか?

末法時代における仏法の弘揚は本当に難しい。なぜならみなあまりにも多くの考えがあるからだ。しかも、頭の中の思想は一日中SNS、メッセージアプリ等人造エネルギーに干渉されている。毎日これらを見るのに忙しい。みな頑張って見続ければ良い!最後に神経に問題があるのに気づいても、リンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求めに来てはならない。みな少し抑えた方が良いだろう。自分の脳の神経を休息させられないなら、病気でなくとも、ゆっくりと病気になるだろう。あなた達にとっては、文明病、現代病と言える。現代人はあまりにも頭が良いので、人造エネルギーをたくさん開発し、自然に生まれている宇宙全体の本来のエネルギーを干渉している。

生まれたなら、それは因縁に従い生まれたのだ。だが人類が産み出したエネルギーはすべて攀縁で、故意に作り出したのだ。金儲けのために、どんどん作り出している。現在全世界で最もよく売れている電話の発明者は40歲代で死んでしまった。短命だと言えるだろう。現在トップに着いている者にも何かあるようだ。善の財でないだろうことは容易に想像がつく。もし善財なら、こんなにも多くの問題が起きるはずがないからだ。だが、末法時代の衆生は業障が重いので、自然に催眠されて行きながら、非常に便利だなどと思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェはこれらを持っていないが、それでも便利ではないか?

法会が円満に終了し、弟子達は声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの灌頂の授与と開示に感謝申し上げ、起立して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられるのを恭しくお送りした。

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2016 年 03 月 04 日 更新