尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2015年2月1日

法会の開始に先立ち、一人の弟子が、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが自分と家族をお救いくださった種々の経緯について、ここで語る機会をお与えくださったことを、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げた。

「四年余り前、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依申し上げる幸運に恵まれた。皈依をお願いした時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『皈依というこの事について父母は同意しているか?』とお尋ねになり、しかも必ず父母を尊重するよう求められ、『もし父母を尊重しないなら、将来リンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞く機会はないだろう』と仰せになったので、両親に尋ねたが、果たして当時、父母は私の皈依に同意しなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのこの開示により、皈依を求めるため、私は家族に上師が衆生を救度くださった事蹟を話すこととなり、家族が後にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げる機縁を開くこととなった。そしてこれにより、私という人間の大きな問題をあぶり出すこととなったのだ。

その時私は、自分は幼い頃は父母に頼っていたのに、大きくなってからは何でも自分で決め、皈依のような重大な事でさえ、先ずは父母に報告しなければならないとさえ思ってもみなかったことを非常に恥じた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。今思えば、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこの時既に、私の最大の問題はこの自分勝手、他人を大切にせず、他人と相談しないところなのだとご指摘くださっていたのだ。私はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下ついに数ヶ月後には皈依することができた。皈依後は安泰な日々を過ごしていたが、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがご指摘くださったこの点についてしっかり考えることをせず、改善しようと努力することもなかった。この四年余りの間に起きたさまざまな事柄を思い起こせば、ほとんどはこれが原因だった。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。皈依後は、何をするにしてもすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と保護の下過ごし、家族も尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜る幸運を得て、リンチェンドルジェ・リンポチェの莫大な手助けを受けることができた。幼い頃から私が最も心配していたのは、父の死にいかにして立ち向かうべきか、ということだった。家族も死に関する話題を避けていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下、92歲と高齢の父は殊勝なる法会に参加し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養申し上げ、貴重で無比なポワ法を頂戴することができた。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲は実に不可思議だ。

父は私にとって最も近しい家族だが、今父を思い出しても、幼い頃のいろいろを思い出すことはない。頭の中の最も鮮明な場面は、父が亡くなる一ヶ月前に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して大きな声でお礼を申し上げた時の様子と、その時尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが父に向けられた慈悲に満ち荘厳な笑顔だ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる救度に感謝申し上げたい。そのおかげで、父は医療の苦痛を受けずに済み、殊勝なるポワ法により済度を賜り、家族もスムーズに父の死を受け入れることができた。

父だけでなく、母、兄、姪もみな尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの救度を賜っている。母は父より20歲若いが丈夫でなく、高血圧と喘息の持病があり、骨棘で脊椎の手術を3度受けている。けれども、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下、母は深刻な喘息で救急に運び込まれることはなくなってしまった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて『母の喘息は鶏を絞め(殺鶏)ていたためだ』と開示くださった。母はこの点を決して認めようとせず、また『鶏を絞めていたのは随分以前の事で、今は殺鶏していない』とも言うが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの母に対する開示は、リンチェンドルジェ・リンポチェがしばしば仰せになるように、『時には罵った方が相手はリンチェンドルジェ・リンポチェを忘れられなくなり、こうすることでリンチェンドルジェ・リンポチェはその人を救うことができる』というようなものだ。

母は、殺鶏についての開示を非常に気にかけていたが、父と兄の法会への参加に反対したことはなかった。私は『母はリンチェンドルジェ・リンポチェの非凡さを実は分かっているが、ただリンチェンドルジェ・リンポチェに対して降参できないだけなのだ』と気づいていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの母に対する救いは非常に大きかった。最初の数年間は母の生活の重心は父の世話にあった。子供達は各地に分かれて暮らしていたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のおかげで、人生のパートナーを失った母は落ち着いて新しい生活に適応することができた。母は『線香の匂いで動悸が起きる』と言い、私たちが線香に火を灯すのを嫌ったが、いつの間にか、寶吉祥グループの線香を好むようになり、今では毎日数回、直貢香王を焚いている。母は30〜40年タバコを吸っていたため、肺機能が著しく衰えている。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご恩に感謝申し上げたい。おかげで母はこの殊勝なる香りに包まれ、母が線香を灯している窓の外の花も特別に美しく咲くようになった。

私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。以前母親は肉食を食べており、肉食のレストランでアルバイトをすることもあったが、それも少しずつ変わっていった。以前私たちが、友人の肉食レストランへアルバイトに行かないようどんなに強く説得しても、母は全く受け入れなかったが、いつの頃からか自然に行かなくなってしまった。ある日母は私に『どうして菜食しないのか?と誰かが尋ねる夢を何日も続けて見た』と言った。母は気持ち悪く感じ、それならいっそのこと菜食すれば良い、と考え、その後は菜食している。数年前私の菜食に強力に反対していた頃の態度とは大きな違いで、母が殺生の悪業を徐々に減らしていることを、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に私は衷心から感謝申し上げたい。また尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のおかげで、私は兄を改めて知ることとなった。私と兄は幼い頃からあまり仲が良くなく、心の中の思いを分かち合うことなどほとんどなかった。二番目の兄の家では家庭内暴力が起きており、家庭が壊れそうになっても、私は全く知らず、兄を心配することもなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。二番目の兄と姪は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった後、身も心もとてつもなく大きな救いを得て、後には尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依申し上げることができた。二番目の兄と姪の皈依後、私は彼らと徐々に行き来するようになった。兄は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェから頂戴したのだと言っても過言ではないほどだ。これがなければ、私と兄とは今でも交わることなどなかっただろう。我が家は殺業が非常に重く、母が三度の脊椎手術を受けている他、祖父は文革時に失踪し、祖母は自殺し、叔父は非常に若くして亡くなっている。皈依前に『片方の足を怪我し、将来に影響するだろう』と尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私に仰せになった。もともと我が家は暗く重苦しい雰囲気だったが、今では私も家族も生活と病の辛さに耐える必要がなくなってしまった。これらはすべて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのおかげなのだ。

皈依してからのこの四年余り、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは我が家の大小さまざまな問題を解決してくださった我が家の大恩人だ。恩返ししなければならないのに、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御心に何のお返しもできていないばかりか、上師を心中に奉じて依教奉行することもできていない。兄弟子達は、何かにぶつかった時には、皈依当時の初衷を思い出すようにとアドバイスしてくださる。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依を求めた時、私はただ、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しなければならないとだけ思っており、心の中ではこれは正しいことだと分かっていたが、どうしてそうしたいのかが分からなかった。皈依の後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの絶え間ない教誨のおかげで、この生で輪迴を離脱し、また衆生が輪迴を解脱できるよう手助けしなければならないとの考えが徐々に生まれるようになった。実に愚かなことだった。

前年殊勝なるインド・ラダック法会に参加した時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはみなの夢についてお尋ねになった。そして『夢がはっきりしない人は中心的な思想のない人だ』と開示くださった。私は当時、非常に辛く非常に大変でぼんやりした夢を見た。私が中心的思想のない人間であることは明らかだった。上師、上師の教法及び出離心を心中に据えていなかったのだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『上師を夢に見なかったか』とお尋ねになった後、『一日中過ちを犯す人は リンポチェを夢に見られない人だ』と開示くださったが、その時私はこの御言葉は私に向けてのものだと感じた。皈依をお願いした時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがご指摘くださった、自己中心的な考え方の改善と、他人を尊重することについて努力していなかったため、私はしばしば過ちを犯している。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲に感謝申し上げたい。愚かで傲慢で思い上がったこの私のような人間に対して、グループと共に働く機会をくださったのだ。おかげで私は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがビジネスの過程でいかにして法を守り、社員をケアし、企業の社会的責任を重視なさるかをしばしば目にすることができている。『なぜこんなにも恵まれているのだろうか?』、『こんなにも多くの過ちを犯しながら、こんなにも良い機会に恵まれているなんて、どうして?』と思うことがある。これは、私が次々に過ちを重ねるのを恐れておられるため、私を良い環境に置き、良い環境の中で、過ちを犯す機会を自然に減らさせようとの、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの苦心なのではないかと感じる。

ここ数年来、私はある事に非常に苦悩していた。それは每週の殊勝なる法会の終了後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法会における開示を、しばしばすぐに忘れてしまうことだった。かつて学生だった頃、授業中の教師の教えを私はとてもよく覚えることができたのに、どうしてこうなってしまったのだろうと悩んでいた。ある時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが『上師が我々の恭敬を必要としておられるのではなく、恭敬心がなければ上師の仰せを聞き入れることができないのだ』と開示なさるのを聞き、私は初めて思い当たった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて私が皈依を求めた時、『父母を尊重しないなら、今後もリンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞くことはできないだろう』と開示くださっていたのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは自己中心的な考え方と他人の軽視が私の大きな問題だとご指摘くださっていた。他人を尊重しないなら、当然恭敬心もないだろう。私は教えに従って改めることをしなかったため、上師の御言葉が理解できず、また聞き入れることができなかったのだ。

またそのため、昨年八月、私は二つの深刻な過ちを犯した。一つは、私が事を行う際に適当で、他人の立場に立っていなかったために犯した過ちだが、さらにあろうことか、この件の後始末の際の私の態度は最悪だった。私はミスに気づいた後、怖くなり、処罰を恐れるあまり、急いで後処理を行わず、同僚がこの件の責任を背負うのを座視していた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『懺悔心を持ち、間違いを認めて向き合い、一切の果報を受け入れ、しかも同じ過ちを二度と繰り返さないように』としばしば開示くださる。それなのに、私は逃避し、問題に向き合うのを避けていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。この事を経験するこで、自分は結果に向き合うのを恐れており、叱責されるのを恐れているということを知った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて『叱責を恐れる人は最悪だ。なぜならこれこそ改善を望んでいないということだからだ』と仰せになった。リンチェンドルジェ・リンポチェは『叱責は我々のためを思ってのことだ。こうして初めて我々は記憶に留めておくことができるのだから』としばしば仰せになるのに、私はなおも叱責されるのを恐れている。これは仏弟子の行為ではない。

もう一つの過ちは、仕事において適当にやればそれで良いという態度で、上師のために利益を得ようとしていなかったことだ。言い換えれば、私は上師の財物を大切にしていなかったのだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの財物であれば、弟子にとっては貴重な宝と考えるべきで、命を賭して守るべきなのに、自分が割り振られた事を行うだけで良いとして、私は適当に処理していた。上師の立場に立って考えるという気持ちが全くなく、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがどれほどのご苦労をなさって事業を経営し、どれほどのご苦労をなさってお金を稼いでいらっしゃるかを考えてみもしなかった。

この二つの深刻な過ちを犯したことで、土曜日にも日曜日にも道場へ来てはならない、と私は通知され、しかも『不共四加行』の法本を回収されてしまった。けれども、私に仕事を続けさせてくださったことを、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。おかげで、私は毎日いつも通りに生活できた。そうでなければ、自分に立ち向かう勇気のない私は、隠れて誰にも会うことができなかっただろう。

同時に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは私を叱責くださり、再び過ちを犯したなら、兄も道場へ来る必要はない、さらに過ちを犯し続けるなら、私と知り合って何年にもなり家族同然に親しい兄弟子も道場へ来なくともよい、と仰せになった。私はこの言葉の意味が分からなかったが、この御言葉は私にとっては、溺れている者にとっての浮き輪のようなものだった。なぜなら、道場へ来られない辛さは、私も身を以って知っていたからで、自分の行為が他人に影響を与えるのだということを知った。おかげで、非常に苦しく、逃避したいと思う度に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのこの御言葉を思い出すだけで、悪念を持ってはならない、自分を見捨ててはならない、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従う機会を大切にしなければならない、と自分に言い聞かせることができた。道場へ来られないのは本当に非常に苦しいので、誰であってもこの苦しみを味わってほしくないと思うからだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが仰せになる一言一言、お示しになる一つ一つの方法は、すべて衆生に利益し、みなを救うためのものなのだと、この事を通して私は心から深く感じることとなった。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは後に法会において、私の傲慢と自己中心的な考え方についてご指摘くださった。リンチェンドルジェ・リンポチェは、私は『自己中心的な考え方が大変に強く、自分は優れていると考え、どんなことでも自分の立場しか考えず、会社を前提として事を行ったことがないため、一日中過ちを犯す』と開示くださった。私はここ数年、仕事の上であまりにも多くの過ちを犯してきた。別の人が処理しても何ともないことが、私がやると決まって問題が起き、会計を学んだことがない人でも難なくできる事でも、私はしばしば間違った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが『人は一旦傲慢になると、世間法でまで簡単に問題が起きるようになる』と開示くださった通りだ。皈依前から現在に至るまで、私の問題の所在を常にご指摘くださり、改めるよう手助けくださることを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『自分を変えるのは全宇宙で最大の難工事だ』としばしば仰せになる。上師が我々の工事の進捗状況を常にチェックして下さらなければ、この巨大プロジェクトは進展するだろうか?自分に向き合うと、非常に恐ろしく恥ずかしく感じることがある。けれども、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従うことができないことこそ、本当に最も恐ろしい事なのだ。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご恩に感謝申し上げたい。いついかなる時も身を以てお教えくださり、言葉でお教えくださり、いついかなる時も衆生に利益くださる。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは父母よりも慈悲深く、父母よりも心を込めて我々を教導くださる。我々にこのように接してくださる方がこの世界に他におられようか?尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。大徳、兄弟子のみなさんは、どうか私を見本として、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教導を共に着実に身に着けて行きましょう。最後に私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し、仏法事業がこの世に常住することを祈願申し上げたい」と彼女は述べた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、プルバ金剛法会を御自ら主持くださり、参会者に貴重な仏法の開示をくだされた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはプルパ金剛を修法なさり、それが一段落すると、出家弟子が代表して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにマンダを献上して請法を行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは修法を少し続けられた後、法本内容について開示くださった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続けられた。本尊咒語を持誦なさる時には、獰猛無比な表情を現され、眉を怒らせ目を剥き歯を食いしばり、顔を震わせられた。お顔の形は四角に近く変わり、プルパ金剛の忿怒の形相と全く同じようになられ、本尊と相応なさる殊勝なる徵象をお示しくださった。修法持咒の過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは雷が低く響くような怒声を数度発せられ、威厳に満ちた様子でゆっくりと首を回し凝視され、肩の辺りを僅かに回すと、その刹那に尊身はプルパ金剛の極めて殊勝なる法相に変わられた。尊身は殊勝なる金光に包まれ、大威徳力は虛空を震わし、業重き一切の衆生に加持なさった。そのご様子は非常に不可思議で、凡夫が示現できるものでは決してなかった。

修法時、リンチェンドルジェ・リンポチェは極めて慈悲深く、保護したいと願う人の名と済度させたいと願う衆生の名を口に出す機会を参会者に何度もくだされ、修法を続けられた。会場には子供を含む1400人余りの参会者がいたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの修法の最中は、みな法会に集中し、動き回ったりする人は全くいなかった。これこそリンチェンドルジェ・リンポチェの強大無比なる撮受力の賜物だ。

続いて、薈供の儀軌を行った。参会者は誰もがリンチェンドルジェ・リンポチェが加持くださった供物を受け取り、法会中で仏菩薩と共食申し上げる有難く殊勝な因縁を得ることができた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは五色旗を用いしばらく修法なさった後、極めて慈悲深くも自ら法座を降りられ、プルパ杵で参会者一人一人に殊勝なる加持をくだされた。出家弟子は寿球と寿酒(ジュース)を配布し、加持の後に、十万遍大礼拝を既に修め終えた弟子達は残るように指示があり、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に不共四加行を伝授くださった。

参会者は心から感謝し、跪いて歓喜の内に加持をお受け申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に利益するためご自身の苦労は全く厭わず、肩の関節の軟骨が既に失われているというのに、自らの手でプルパ杵をすべての参会者の頭頂に置き加持を下された。絶えず手を挙げ、また降ろし、それを1400回余りも行うのは、身体に極めて重い負担となる。たとえ壮健な若者であっても耐えることは難しいのに、68歲の高齢になられる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、少しも自身を顧みず、命をかけて衆生に利益され、殊勝なことに金剛乗行者の大悲願力と菩提心をお示しくださったのだ。参会者は誰もがみな深い感動を味わった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは会場を廻られ、参会者一人一人に加持なさった後、再び法座に上られ、弟子達に不共四加行第二段階─金剛薩埵の儀軌と観想方法を慈悲深くも授けられた。

法会が円満に終了し、弟子達は声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる修法、加持、開示と伝法に感謝申し上げ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を降りられるのを、起立して恭しくお見送り申し上げた。

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2015 年 07 月 04 日 更新