尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年11月16日

先ず、一人の出家弟子が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳を伝え、皆と共に彼女の感想と思いを分かち合った。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが教派に於いて唯一の漢人在家のリンポチェという特殊身分であり比類なき菩提心を持ち、教派を弘法または護持するにも関わらず、他の人とは異なる心量、人柄、規模と行為を備えると賞賛した。その他、どの点から見ても、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは一般の格式、限界を超越していて、どれも垣根を超えている。リンチェンドルジェ・リンポチェは、すでに出世法を体得し、世間法を了解し、大リンポチェ、大伏藏師であり、大護法でもある。リンチェンドルジェ・リンポチェは、教派、直貢法王及び衆生のために、他の人には責任とプレッシャーと重圧を背負っている。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、1997年から弘法を始めた。その当時のチベット佛教はチベット、青海、雲南等のチベット区であり、歴史的要素から再建が始まったばかりだった。佛教界全体は荒れ果て、寺廟も老朽化して破損し、着手しなければならないことが山積していた。修行者は道場を維持することが困難なだけではなく、ある者は食べることや生活することすら問題を抱えていた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉派の上師として、聖教が衰え、衆生が苦しむのを忍び難く思い、また寺院の修行者が資糧問題で修行できないことが忍び難く思った。そして自己を犠牲にして生活を倹約し、教派の寺院及び修行者を途切れることなく支え、布施した。これまでに修繕や再建した寺院は数えきれず、養った出家衆と修行者も数えきれない。また教派は現在、世界に広げているが、新しく建てなければならない道場やセンターは何百にも上る。直貢噶舉派は別の教派のようなダライ・ラマや大寶法王等の世界的に有名で知名度のある方や多くの資源がない。リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に対して、孝順で恭敬心があり、教派に対しての強い忠誠心を持っていることは誰の目にも明らかである。リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王と教派の困難と必要を心に留め、自ら自発的に各地を回って布施し、手伝っている。

なぜ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに多くの弟子を取り、こんなにも大変な負担を背負うのか?衆生の苦しみが忍びないだけでなく、上師と教派のために経済的負担を背負うのではなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェは楽々と見込みのある者や供養できる能力のある弟子や信衆を取るだけで済む。リンチェンドルジェ・リンポチェの能力であれば、50人または100人の弟子を取るだけで、楽で楽しくなれるのではないか?根器が悪い者ほど、福慧が足りない者ほど、面倒であり、教えてもできず、言っても言うことを聞かずに上師を苦しめ、上師に負担をかける。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、もしも我々を見捨てたなら、何処まで堕ちるのか分からないと言う。なぜならこの年老いた老人は我々を憐れんでくれる。だからすでに67歳という他の人ならとっくに定年退職する年齢になっても、土曜日は休まずに信衆に接見し、毎週日曜日は弟子に開示し、休むことなく弟子を支えている。ずっと前から疲れきった体は引き続き借り越し状態で、命知らずに自分の福報功徳をすべての衆生と弟子に布施して与えている。

リンチェンドルジェ・リンポチェがこれほどに多くの人に代わって加持するのではなかったら、衆生のためにこんなにも多くを許すではなかったら、リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにも多くの批判や誹謗を受けないだろう。尊勝なる直貢チェツァン法王やすべての教派のためではなかったら、リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにも不出来な弟子を引き受ける必要もない。リンチェンドルジェ・リンポチェ個人に対して、名聞利養や個人の生死はとっくの昔に心からなくなっている。どのようにして是是非非から脱したのだろうか?多くの衆生の利益のために、リンチェンドルジェ・リンポチェは自己を犠牲にして環境の途切れない圧搾を黙って受け入れている。

教派乃至教界において、必要なお金は終わることがない。弟子に対して、リンチェンドルジェ・リンポチェはどのような海千山千も、大小様々な事も、どんな年齢の人々も、すべて受け入れる。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはますます歳を取り、事業はますます広がり、心労はますます多くなり、実はずっと前に体の耐えられる負担はオーバーしているのではないかと或る者達は考える。リンチェンドルジェ・リンポチェは土曜日に信衆に会う時、彼女はよく侍者となるが、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも飛行機を降りてすぐに休むことなく食事すらせずに道場へ向かって信衆に接見する。彼女はそばに居て、上師は漢方医の弟子が脈を測った後に言うように、体はすでに疲労しているが、苦難を抱える弟子や信衆のために自分を支えているようだと感じ、彼女が見るところ、ある者達は緑豆ほどの小さな事で、上師に加持をお願いする。リンチェンドルジェ・リンポチェは実のところ、それを相手にする必要はないのだ。しかし、いつもリンチェンドルジェ・リンポチェは笑って、少しもためらわずに加持をする。まるで体は自分のものではないかのように。上師はこのようにしているのも施身法を修めているのだと彼女はいつも思う。

上師は普通の人ではなく、すでに高い證量を備えた大菩薩であるため、我々は凡夫として見てはいけない。しかし、我々は、上師が教えた佛法を生活の中で実践することができず、真に心から修行して一切の悪を断ち切ることができないのなら、我々はリンチェンドルジェ・リンポチェを締め上げ、リンチェンドルジェ・リンポチェの健康を奪い、害を与えていることになる。もし、我々が造悪を止めることができないのなら、我々は慢性的に一人の偉大な修行者であり、一人の清浄な大菩薩を迫害していることになる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、ここ数年、弟子たちは進歩していないと言っている。彼女はこの懺悔の中で、最も悪なのは彼女だと感じている。毎回加持をしていただき、慚愧心が起こった後でも自分にこだわり、大きな進歩がなく、悪い癖は非常に悪であり、業は変わらずに重い。仮にこれら彼女に必要な加持を別の必要な場所に用いたのなら、どれだけ多くの人を救えることだろうか、またどれだけ多くの人を済度できるだろうか。仮にリンチェンドルジェ・リンポチェが皆を憐れまなければ、彼女のこのような悪によって、とっくに彼女を太平洋の海に捨て去ったことだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェにとって、佛法を弘め、衆生を利益することは、真実であり、最も重要な事である。これは年配者の慈悲心、菩提心に依る。リンチェンドルジェ・リンポチェの能力を持ってすれば、どこでも衆生を利益でき、それは尊勝なる直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに授記するのと同じであり、諸有善縁の場所で、自在に往来でき、祖師ジッテン・サムゴンとアキ護法祖母もリンチェンドルジェ・リンポチェを守って支持している。

多くの弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェがいないと生きていけない。誰もが上師の恩を受けていて恩に報いる機会を決して放棄することはできない。上師はただ一人であり、永遠に二人目のあのような恩師に出会うことはできない。上師の教法はこのように珍貴であり、上師の慈悲心、菩提願力はこのように大きい。以前から少人数や特定の対象のための施設にするように制限したことはない。上師は正法を弘めるという厳しい態度を保ち続いているため、道場の人数を制限して増え続けない。弟子たちは更に一致団結し、自分の意見と立場を横に置き、皆の方向を一致させ、上師の悲願をミッションとして、皆の智慧を集めて力を合わせるべきだ。

我々は衆生を利益する能力がない。ただ上師の広い功徳の大海の中で力を尽くし、上師の佛法事業を成就させ、自己の累劫修行に於いて、重要な輪迴を解脱する資糧をコツコツ貯めようと彼女は皆に呼びかけた。最後に、永遠に一つのことを自覚し、上師がいなければ我々もなく、上師がいなければ佛法もなく、命さえも、家族さえもない。だから我々は永遠に上師を頭上に頂こうと彼女は皆に声かけた。

続いて2番目の出家衆弟子が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教法に感恩し分かち合った。

彼女が皆と分かち合うのは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの佛法の教えであり、この時代、真に清廉であり、更に「真に」仏教を学びたい人にとって最も良い教法である。完全に仏陀の教えから離れず、不貪、不嗔、不痴の三毒をせず、更に慈の心を持って殺さず、身、口、意は因果を深く信じ、生死を解脱し、再び輪廻しない。仏教を学ぶとは、ただ経を読んだり、仏を拝んだりするだけではなく、一つ一つの考えを実行し、正念、正見を念じる。
尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは名聞利養のためねじ曲げた仏法を行わず、信衆に媚びへつらわない。法座に於いて、または信衆に接見する時だけでなく、いつでもこのように率直に教える。彼女はいつも、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの率直さに感動して落涙する。彼女は世界でこのような上師は見つからないと深く信じている。

彼女は皆に考えてほしいと呼びかける。もし尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの苦労の教えや苦労を恐れない攝受がなければ、誰が自分にこの時代、迷惑を被らないようにしたり、間違いをしないようにしたりしてくれるというのか?更に貪、嗔、痴、貢高我慢をしないようにすること等できるはずもない。彼女は尊貴なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに着いて仏教を学んで4年余りになるが、生活は落ち着き、毎日は法喜で満たされている。

彼女は出家して20年になるが、慈悲は口癖であり、菩提心は名相であり、三寶を恭敬して仏寺を掃いてチリ一つ無くしても、彼女の心の煩悩は砂のように多いので、努力して調伏したいが、どの様にすればよいか分からない。これは多くの出家者の思いである。

彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩した。リンチェンドルジェ・リンポチェがいて下さることはとても良い。彼女は仏法がこのように珍貴であり、このように役立つことがやっと理解できた。また六祖慧能大師が「離世求菩提,猶如覓兔角。」と言ったことがやっと分かった。更に彼女の心がずっと貪、嗔、痴の中でのたうち回ることも体験できた。彼女の心はずっと地獄へ向かって突き進んでいて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を救いあげて下さった。それはちょうど、《法華經》の中の腕白な子供が火事の家に飛び込んだのを、仏陀が出来る方法を用いて彼らを引き出したのと同じである。

阿難、舍利弗は佛陀の弟子である。阿難、舍利弗が仏法を理解し、仏性を開いたのは、すべて釋迦牟尼佛の教えの攝受の賜物である。我々が仏法を聞くことができ、善根を開くことが出来るのは、すべて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが精神と体力を以って、命の一滴一滴を培養してためである。だから尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは我々の仏陀である。我々が真に仏教を学ぶことが出来るのは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えのお陰である。我々は弟子の本分を守って努力して学習し、この法縁の素晴らしさを理解し、今ある一分一秒を惜しみ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに着いて仏教を学ぶことこそが、人生の最も有意義なことである。

続いて参会者1300人はそれぞれ六字大明咒を10000回持誦した。

<« 昔の法会開示 – 法会開示へ戻る – 新しい法会開示 »

2018 年 12 月 16 日 更新