尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年10月19日

法会が始まる前、一人の皈依弟子は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に彼女の母を救度した事蹟を分かち合い、また母に代わってリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔の機会を与えたことに感謝した。

彼女の母は、農家の女性で、体躯が良く、病気をすることは少なかった。けれども鶏を飼い、野菜を育て、殺業は非常に重かった。毎回、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示する殺業の果報を聞く度に彼女は心配になり、母が佛法を聞く事ができずに三悪道に堕ちてしまうのが怖かった。彼女は嘗て何度も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ法写真の前で跪き、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが母の果報を早くもたらすことを祈り、また自分は全力で母の世話をし、母に孝行することを誓い、ただ母が病気になって殺生をやめさせる事を祈った。彼女は傲慢にも自分は法会に長年参加しているのだから、母が病気になる果報を得ることが出来ると思いこんだ。しかし、母は本当に病気になってしまった。そして彼女は自分こそが尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが数週間前に開示した人、ただ聞くだけで事を行わない人である事に気づいた。彼女は、自分はただ表面的に仏教を学ぶだけで、真に教法に従ってしっかり実践していないことを懺悔した。因果を深く信じない,無常は随時やって来ることを信じない、ずっと自分の心を甘やかしている。そして家族を失うことの苦しみを恐れていて、困難に出会ったら勇気を持って向かい合えない。彼女は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示した佛法を生活の中で融合することがなかったことを懺悔した。

10月6日夜、彼女の弟は、母を車に載せて近所の診療所へ行き、医師は風邪薬を母に出した。けれども翌日まで昏睡し、良くならなかった。10月8日、母を桃園の病院の救急外来に連れて行き、一日かけて検査した。そこでわかったのは炎症指数6.75あったが、その他の症状はなかったので、一日点滴をしてから家へ帰って休んだ。しかし、母は昏睡し、話をする体力さえなく、歩くことも困難だった。この時、母は福報がないので医師は治せないことを彼女は気づいた。母を失うことを恐れ、その母に頼っている彼女は、すぐに壇城の前に跪き,母は菜食にしなかったこと、それにリンチェンドルジェ・リンポチェに会う事を希求しなかった事を恥じた。どうしてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めることができるだろう。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに母の加持を願う時さえ母が菜食にしないことを言うことができず、ただ壇城の前で跪いて泣き続けた。そして母に代わってリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔した。懺悔は、嘗て雞、羊、豚、海鮮、ネズミ等無数の衆生を殺したこと、そして母は子供の食欲を満たすために多くの衆生を殺したこと、彼女はすべて懺悔した。

しばらくして、気持ちが幾分落ち着いた後、彼女は医師兄弟子である謝兄弟子の外来に母を連れて行こうと思いついた。翌日、彼女は車椅子を押して謝兄弟子の診察に行った。謝兄弟子は簡単な質問を幾つか尋ね、触診などを行い、疼痛の位置を確定した後、彼らに母の病気は蜂窩織炎であると確定し、すぐに入院しなければならないと言った。また蜂窩織炎は7日から10日間の入院が必要であると言った。彼女はすぐに母に付き添って病院で一連の検査をした。彼女は母が医療で受ける苦しみを見た。母は歩けず、話もできず、認知能力が劣っていた。子どもとして母に代わって苦しみを受けることもできず、また母は菜食ではないので、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが母の頭上で加持する観想をすることもできなかった。彼女は、辛く苦しく、林兄弟子に電話した。林兄弟子の気づきによって、ゆっくりと自分の心を落ち着かせることができた。彼女は土曜日に道場へ行き、リンチェンドルジェ・リンポチェを供養し、リンチェンドルジェ・リンポチェに母の痛苦を軽くしてくれるように求めようと思った。同時に、母の状況を組長に話すと、組長の気づきによって彼女は自分が平時、家族の前で上師の功徳を褒め称えることがなかったことを思った。彼女は自分が改めていないこと、教法に従ってしっかり実践していないことを懺悔した。母の病情の変化は非常に大きかった。入院した夜、母は既に家の電話番号も自分が何処に住んでいるのかも忘れてしまっていた。翌日金曜日の朝、彼女は急いで家に戻り、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼し、リンチェンドルジェ・リンポチェに母の痛苦を軽くしてくれるように希求した。

同時期、神経科の医師が診察した後、医師は弟に,母はおそらく脳に感染していると告げた。謝兄弟子はすぐに転院届を出し、母を医学センターへ転院するように伝えた。弟からの電話ですぐに転院する知らせを聞いた時、彼女はすぐに壇城へ向かい、再びリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼し、リンチェンドルジェ・リンポチェに、母が如何なる状況になっても彼女はすべてを受け入れ、一切リンチェンドルジェ・リンポチェの手配を受け入れると報告した。病院に戻る途中、彼女の心は恐怖と心配でいっぱいだった。彼女と弟は普通の家庭であり、何処へ転じていけばよいのか分からない。間もなく、彼女は兄弟子と組長からの心配の電話を受け、彼女に謝兄弟子、蔡兄弟子と王兄弟子の助けを借りると良いと言われ、同時に彼女に幾つかの事を提案してくれた。彼女の心は落ち着き、転院の準備ができた。母はスムーズに有名な大病院へ転院でき、入院検査の時、王兄弟子も楊兄弟子も救急室に来て母を見舞い、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女及び家を助けた事蹟を弟と分かち合い、家族の心が落ち着くことができた。

彼女は、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。なぜなら、リンチェンドルジェ・リンポチェがいたからこそ、兄弟子の助けがあったのだ。彼女の弟は兄弟子の分かち合いを聞いてから、弟と母でリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見するのを望んだ。この時、彼女は母の精神状態はよくなっていること、座ることが出来ること、話も正常であることに気づいた。興味をもった彼女は母に家は何処にある?電話番号は覚えている?と尋ねた。母は正確に答えることができた。しばらくすると、救急外来の医師がやって来て母の現在の炎症指数は1余りになり、白血球は正常になり、炎症指数も退院できるレベルまで下がったと告げた。もしも脳に感染しているか否かを確かめるなら脊髄穿刺の検査が必要であるが、検査をしないのなら、飲み薬を出すので退院できると言った。入院病棟医師から説明を聞いた時、彼女は非常に驚いた。続けて良く思い出してみると、一昨日炎症指数が7に近くなり、白血球は正常ではなかった。昨日入院時、既に歩くことができなかった。今朝は意識が不明瞭で、ベッドから降りることも困難だった。昼に救急車に乗って転院してきた。どうして夜には炎症指数が1余りに下がったのだろう?それも退院までできるとは?彼女は即座に弟に、この一切はすべて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲加持に感恩しなければならず、リンチェンドルジェ・リンポチェは福報を母に与えた。だから母の病状は驚くほどに早く回復したのだと告げた。また弟に指数が下がったので、指数が下がり、母は座る体力が付いたのだと説明し、弟に母に穿刺検査をしないように頼んだ。弟も始めから望まなかったので、彼女は再度弟に、明日リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見することを伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェが最も良い手配をして下さるだろう。母に穿刺検査をしないように頼み、最後に姉弟は母に検査の苦しみを与えないことに決めた。さっそく母は家に帰りたいと騒ぎ出した。抗生物質を打っているのですぐに家に帰れないと知ると、母は怒り出し、その力は彼女の両手を反り返らせた。弟はこれを見て母が回復したことを信じることができた。

家に帰る途中、彼女は弟に、医師に依ると蜂窩織炎は通常、7日から10日間入院しなければならないと告げた。けれども母はたったの二日間入院しただけで帰宅出来た。だから弟と母は菜食にしてほしいと頼み、実行してこそリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝できると言った。翌日、母は恭敬心がなく、肉食を取った。足はすぐに腫れてきてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する因縁福報がなくなった。弟と彼女及び娘だけで道場へ向かい、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟に開示した。母を助けるのは一度だけである。もしも、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝するのなら菜食にするように。弟も母も菜食にしなければならない。更に弟は菜食にしてから会いに来るように言った。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女と女兒の供養を慈悲深く受け取ったことに感謝した。しかし、弟は、まだ完全な菜食にできていなかったので、リンチェンドルジェ・リンポチェは受け取らなかった。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが母と弟に菜食する因縁を与えたことを感謝した。これは彼女がずっと望んで来たことだった。しばらくして謝医師、蔡医師が母の状況を尋ねてきて、この度のことは非常に不可思議なことであり、これは医師が予想できないことであると言った。通常、蜂窩織炎に罹った患者は7日から10日間入院しなければならないのに、彼女の母はたったの2日入院しただけだった。更に一般患者は抗生物質を注射すると体が弱くなり、回復まで長くかかるものである。しかし、母はそのようなことはなかった。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ慈悲深い加持がなかったなら、これ等の事は起こらなかった。

最後に彼女は発露懺悔した。結婚時、たくさんの魚、たくさんの肉で宴会をした。また堕胎をしたこともある。小さい時から、彼女は無数の牛、豚、鶏、ガチョウ、羊、魚及び海鮮を食べ、無数の有情衆生を傷つけた。彼女は以後決して犯さないと懺悔した。自己がしたすべてのことに対して、彼女は果報を受けた。そしてすべての悪習を徹底して改め、生死を解脱し、浄土へ往生し、一切の有情を利益する決心をし、上師恩、父母恩及び衆生恩に報いる。彼女は仏と無二無別、大慈大悲の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女及び家族への関心及び母を救ったことに対して感謝した。彼女は一生の間、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて真面目に仏法を学び、教法に従ってしっかり実践することを発願した。この機会を得て、彼女は組長及び兄弟子の関心に感謝し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、更に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご健康、法輪は常に転じ、仏法事業が永遠に興隆し、直貢噶舉派法脈が永遠に伝えて、十方法界一切の有情衆を利益することを祈願した!

続いて、参列者は六字大明咒を10000回唱えた。

« 昔の法会開示 – 法会開示へ戻る – 新しい法会開示 »

2014 年 12 月 14 日 更新