尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年9月28日

法会の開始に先立ち、一人の弟子とその母親が、母と自分との皈依の経緯と、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母と彼女とをお救いくださったあらましについて語る機会をくださったことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げた。

「私は以前の同僚─鄒兄弟子の紹介で、2009 年と2010年の『阿彌陀仏無遮大済度法会』、2010年の『祖師ジッテンサムゴン紀念大法会』に参加した。初めて『阿彌陀仏無遮大済度法会』に参加した時、入口に行ってみると、たくさんの人が入場を待っていたので、私は本当に驚いた。けれども、どの入場の列にもスタッフがおり、とても親切に慌てず急がず笑みを浮かべて参加者の入場券を検め入場を案内してくれ、入場後はすぐに別のスタッフが席に導いてくれた。その流れは全体が非常に効率的で、自分達の会社が大型のイベントを開催する際とは違っていた。私の会社が大型イベントを開催する際には、非常に騒がしく、入場者は入場後は急いで席を確保し、スタッフは頭が混乱するようなことがしばしばだった。私は国際レベルのコンサートやパフォーマンスも見たことがあるが、SOP(標準作業手順)がこんなにもスムーズなのは見たことがない。私は『これはなんとすごいことだ』と思った。こんなにも複雑な入場プロセスをこんなにも簡単明瞭にしてしまい、法会参加者の心を乱さないなんて。私はこの団隊のCEOはどんな人なのかを知りたくなった。法会開始後、びっしり席についた信衆はみな敬虔な態度で壇城を注視している。私は周囲の人を何度かこっそり見たが、ここでは子供はあまり泣かず、お年寄りも居眠りしておらず、非常に不思議に思った。続く一連の不可思議な事がここから始まるとは、当時の私は知らなかった。

2011年の年初、軽度の認知症を患っていた母は、家で亡くなった祖父母を見たとしばしば独り言を言っていた。当時アメリカから台湾に戻り、一時的にうちに滞在していた下の叔母から、母を養護施設に入れるよう強く勧められた。なぜなら民間習俗では、亡くなった親族を目にするのは、もう長くないからだ、と言うからだ。叔母はこの事を叔父に伝えたが、叔母達は母の状況はすぐに悪化すると考え、その時には、母と同居しながら会社勤めもしなければならない私には、母を介護する能力がないので、母を養護施設に入れるほかないと考えていた。私は母を養護施設に入れたくなかったが、どうしたらいいのかも分からず、とても悩んでいた。今でもやはりはっきり覚えている。ある晚の9時過ぎ、私は母のベッド脇に座っていた。その時、鄒兄弟子がかつて、自分の上師が苦しんでいる衆生を如何にして救われるかを何度か話しておられたのが、頭の中に突然閃いた。そして私はこの一生で最も重要な電話を掛けた。鄒兄弟子に母の状況を伝え、私達をリンチェンドルジェ・リンポチェに会わせてくださるようお願いした。鄒兄弟子は直ちに、私達がその週の土曜日午後に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁できるよう手配してくださった。

当時旧正月を過ごすため、台湾に帰って来ていた下の弟と私は、母を連れて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。私達は跪き、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、母が最近しばしば亡くなった祖父母を見ており、叔母と叔父は、母を養護施設に入れるよう強く主張しているが、どうしたらよいか分からない、とご報告申し上げた。同時に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに母と私を法会に参加させてくださるよう祈求申し上げた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『母はまだ寿命がある。今年の9月には注意するように。母を一人で動かせ、転ばせてはならない。9月を超えられれば、非常に良い』と慈悲なる開示をくだされた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示くださった『非常に良い』を聞いた時、私と弟の長く混乱していた心はすぐに落ち着き、心配も無くなってしまった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示くださった『非常に良い』とはどういう意味だろうか?無知で愚かな私は皈依するまで分からなかった。『非常に良い』とは、世間の富を使い果たしても買うことができない宝物—母が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従い仏法を聞く機会を得ることだったのだ。

法会への参加について、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『一生菜食できるか?』とお尋ねになったが、私の心は非常なる悪で、なんと『できるだけ菜食します』と答えてしまった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『それでは、私もできるだけ、としよう』とお答えくださった。この時私は過ちにすぐに気付き、大声で『一生菜食致します』とお答え申し上げた。そのため、母と私が日曜日の共修法会と施身法法会に参加することに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは同意くださった。不可思議なことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた後、叔父と叔母は養護施設の事を再び言わなくなってしまい、叔父は翌年から、每年旧正月時に30人の友人や家族を招く食事会をすべて菜食に変えてしまった。上師の慈悲なる済度に感謝申し上げたい。もし尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがおられなければ、母は養護施設に入所していなければ、路頭に迷い家に帰れなくなっていたかもしれないのだ。

2012年2月、一年間法会に参加した後、私と母は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに再度拝謁申し上げ、私と母を皈依させてくださるよう祈求申し上げた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深くも同意くださったことに深く感謝申し上げたい。母と私は大海を長くさ迷っている小船のように、いつでもこなごなに砕けて海に飲み込まれてしまうところだったのに、上師が私達を受け止めてくださり、私達は拠り所を得たのだ。同年4月8日皈依儀式を行う日、どうしたことか、母は瞬間接着剤で粘着されたようにイスに貼り付き、どうしても立たせることができなかったので、その日は私だけが皈依儀式に参加した。数日経って、母を認知症学校へ連れて行った時、私はその原因を発見した。母は毎週一日か二日、認知症学校に通っている。私はそこの先生に、母は菜食していると言ってあったが、学校で母が食べているのは緩やかな菜食で、完全菜食ではなかったのだ。そのため、母は4月8日の皈依儀式時に、立ち上がって参加することを躊躇っていたのだ。護法が引き出してくださったことに私は感謝申し上げたい。そして懺悔したい。自分は母に対して親不孝で、いつ何時も母の状況に気を配ることができていなかった。母が法会に参加できていればそれで大丈夫だと考え、多くの事で上師に頼っていたのだ。

今回の教訓を得て、私はすぐに改めることを決めた。每日朝晩、母と一緒に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照に頂礼申し上げる他、母を学校へ連れて行く時には毎回必ず、その日の昼食に母は何を食べるのかと学校に聞き、母が完全菜食できるようにした。母を連れて法会に参加し始めたばかりの頃、母が座っていられないのではないかと心配したが、私の心配は余計だった。母は毎週とてもスムーズに静かに法会に参加していた。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝申し上げたい。そして母はついに今年(2014年)7月20日皈依し、人生における二つの宝—皈依証と寶吉祥仏法中心弟子の赤いベストを頂戴することができた。私は上師に感謝申し上げたい。

この二年来母の状態は非常に安定しており、中度の認知症であるとはとても思えないと友人達は皆言い、『何があったの?』と興味深そうに聞いた。これにはたった一つの答えしかない。それは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依申し上げたことだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが常に守ってくださるおかげで、一ヶ月前に来たばかりのフィリピン人メイドさんまで、私達と共に菜食することを受け入れ、しかも彼女はさまざまなおいしい菜食料理を作ることができたのだ。本当に不可思議だ、と私は讃歎せざるを得ない。

昨年(2013年)2月初めのある日、午前10時頃、母は家で転倒した。母が掛けていたプラスチックの目鏡はフレームが割れ、左目の眉毛のところを切り、血がだらだらと流れたので、当時家で母の介護をしていた王小姐は驚き呆然としてしまったらしい。王小姐は完璧な介護と急救の訓練を受けてはいたが、やはり非常に緊張し、母が転び、左の眉毛のところが出血し止まらないので、救急に連れて行く、と私に電話をしてきた。私は電を切った後急いで帰宅し、先ずは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照に頂礼申し上げ、母が怪我をした事をご報告申し上げた後、病院へ急いだ。

救急救命室の前まで来ると、ガラスドア越しに、母と王小姐が廊下のイスで落ち着いておしゃべりしているのが見えた。前に行き尋ねると、王小姐は『救急室に来ると、外科医がすぐに処置し、傷口を縫合してくれた』と言う。見ると、母の左眉のところに、毛虫のような約10cmの縫合線が加わっている。王小姐は『救急室の外科医は、申し訳ない。私はインターンなんです。急いだので、傷口の縫合があまり理想的ではありません、と言っていた』と言う。その後彼ら三人は一緒にアフタヌーンティーへ行き、それから帰宅した。
救急救命室の前まで来ると、ガラスドア越しに、母と王小姐が廊下のイスで落ち着いておしゃべりしているのが見えた。前に行き尋ねると、王小姐は『救急室に来ると、外科医がすぐに処置し、傷口を縫合してくれた』と言う。見ると、母の左眉のところに、毛虫のような約10cmの縫合線が加わっている。王小姐は『救急室の外科医は、申し訳ない。私はインターンなんです。急いだので、傷口の縫合があまり理想的ではありません、と言っていた』と言う。その後彼ら三人は一緒にアフタヌーンティーへ行き、それから帰宅した。

転んでから抜糸するまで、母の傷口は少しも傷まなかったようだった。私達は傷口に漢方薬軟膏を塗っていただけで、病院が出してくれた軟膏は塗らなかった。母は糖尿病を患っていたので、数年前には足指の横の非常に小さな傷口が蜂窩織炎になったことがあった。けれども今回は、こんなに大きな傷口が、感染もなく痕も残らず、あっと言う間に全快してしまった。これはすべて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、私と当時はまだ未皈依であった母を救ってくださったのだ、と私は分かっていた。私を守ってくださるだけでなく、私の家族までも守ってくださることを、上師に感謝申し上げたい。

2013年5月、当時まだ未皈依であった母は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの同意を頂戴した後、京都寶吉祥仏法中心で行われた殊勝なる火供法会に私と共に参加した。同年11月、私と母は再び尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げ、母を皈依させ、12月に京都寶吉祥仏法中心で行われる長寿仏法会に参加させてくださるよう祈求申し上げた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、母の皈依と長寿仏法会への参加に慈悲なる同意をくださったばかりか、母に加持くださり、『母は腎臓が良くない。片方は既に機能しなくなっている。ダイコン、白菜、瓜類等の生ものや冷たい物を母に食べさせてはならない。漬物類も良くない。母に日本食品の元気豆乳を飲ませ、もうすぐ発売される新製品「めかぶ」を食べさせるように』と仰せくださったので、私は『裙帯菜根』でスープを作った。今では毎週めかぶスープを作っているが、母はそれを『リンポチェ様スープ』と呼んでいる。

ある時、友人が家に食事に来て、めかぶスープを飲んだ後すぐに『なんておいしいの!』と言ったので、私はめかぶを一袋彼女にあげた。そして『これは私の上師が慈悲なる思いやりで弟子達の健康のために、母に作って食べさせるようおっしゃってくださっているものなのよ』と言うと、友人は『日本製なのね。高いでしょう?』と言うので、『とんでもない。一袋たったの315元よ』と言った。私はかつて仕事の関係で、台湾の著名な大型輸入食品スーパーの店長と話したことがあった。店長は『これら輸入食品は全然儲からない。種類が多く利潤は低い。食品には有効期限があるので、棚に並べた後も期限になれば片付けなければならない。棚に出したり片付けたりで人手を使うし、ほとんど損をするために売っているようなものだ。外側の飲食店の利益で穴埋めするしかない』と言っていたのだ。私は感謝申し上げたい。上師は衆生の健康のため、弟子が健康な身体で仏法を学習できるよう、コストを惜しまず最高の日本食品を弟子のために輸入してくださる。不思議なことに、私のこの友人も、家で『めかぶスープ』を作り友人に食べてもらったところ、翌日その友人は『どこでめかぶを買えるのか』と喜んで電話で聞いて来たということだ。なぜならその人は数年来の便秘だったが、めかぶスープを飲んだことで、スムーズに解決したと言うのだ。全くすご過ぎる。

今年の7月19 日、私は五度目に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。なぜなら今回は私がとんでもない事をしでかしたからだ。7月19 日の深夜一時、私は尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼申し上げ、続いてバターランプをいっぱいに満たした後、部屋に戻って就寝した。朝6時に起き、壇城で頂礼しようと寝室のドアを開けると、家中が煙でいっぱいなのに気づいた。私と母はドアを閉め、エアコンをつけてぐっすり寝込んでいたので、何が起きているか全く気づかなかったのだ。壇城前へ行くと、バターランプが燃えており、上師の写真も燃えていた。いっぱいに足していたバターはすっかり燃え尽きてしまい、バターランプを入れていた水晶の器も焼けて砕けていたが、上師の法写真がバターランプの上を覆い消火してくださっていた。壇城机の木製の表面は一部が焼けて炭のようになっており、壁には黒々と焔の痕があったし、壇城周囲とリビングルームの壁は幾層もの灰に覆われていた。燃えていた時の火勢はどんなに強かったかと思うと、想像するのも恐ろしかった。家中すべてのエアコンの吹出口、私と母の鼻の穴も真っ黒で、助けに来てくれた近所の人も、後にペンキを塗ってくれた蔡先生も異口同音に『ここまでひどく燃えて、あなた達が無事だなんて不思議なくらいだ!』と言っていた。

上師はご自分を焼くことで母と私をお救いくださったのだ。それから、壇城机の引き出しに入れていた、2002年に尊勝なる 直貢チェ・ツァン法王が御自ら主法くださった『本尊葉衣仏母祛病大法会』のDVDも全く無傷だった。アキ護法の法写真はアクリル面が少し膨らんだだけで、香炉も八供杯も花瓶も煤けて黒くなっただけだった。命を救ってくださったご恩を、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがおられなければ、私と母はとっくに火事で命を落とし、家を焼き、近所に迷惑を掛けていただろう。考えるだに恐ろしい。上師の法写真をお守りできなかったことを思い、すっかり焼けてしまった上師の法写真前に跪き、私は立ち上がることができなかった。いつになって組長兄弟子に報告申し上げたか、もう覚えていないが、組長兄弟子は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェへの拝謁を急いで登録し、上師に対して徹底的に懺悔するよう促してくださった。私は深く感謝申し上げたい。

土曜日尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『自分は尊勝なる直貢チェ・ツァン法王にこんなに長く従っているが、直貢チェ・ツァン法王の法写真はまったくなんともない。そなたは皈依してわずか二年にしかならないのに、上師の法写真を焼いてしまった』と仰せになった。そして『法写真は額に入れていたか?壁にきちんと立てかけていたか?壇城机の大きさは?』と尋ねられたので、私は一つ一つお答え申し上げた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『ではどうして焼いてしまったのか?』と仰せになった。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは入定なさった後『少し前友人の話を聞き、仏法学習の心が揺れ動いただろう』と開示くださった。私は深く懺悔したい。心を込めて学仏せず、大雑把で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従い仏法を学習しようという心が充分固まっていなかったため、友人がちょっと何かを言ったくらいでぐらついてしまったのだ。

続いて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは傍らの出家弟子に『この者をどのように罰するべきか』とお尋ねになった。出家弟子は『法会参加を一年間禁止してはどうでしょう』とお答えになった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも『この者の福報は焼けてすべて無くなってしまったのだ。福報が無くなってしまったなら、法会に参加しない訳にはいかないだろう』と仰せくださった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは出家弟子にもう一度考えるようご指示になった。出家弟子は続いて『大供養を行うのはどうでしょう』とおっしゃった。続いて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『毎週土曜日、私が道場にいる限り、そなたは大礼拝を行いに来るように』と仰せになった。私はこんなにも大きな過ちを犯したにもかかわらず、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、道場で大礼拝を行う殊勝なる機会をくださったのだ。私はただただ感謝申し上げたい。

命を救ってくださった何度にもわたる上師のご恩に対して、私は感謝申し上げたい。また私は懺悔したい。自分は皈依の前は美食を貪り、数え切れないほどの衆生の肉を食べた。同僚や友人が出産すると、産後ケアと言っては麻油鶏を作って彼女達に食べさせていた。こうすることで、自分に悪因を植え付けたばかりか、友人にまで害を為していたのだ。本当にひどいことをしていた。また私はあらゆる悪事をし尽くした。貪、嗔、痴、慢、疑も同じように少なくない。しばしば思い上がり、執著心が非常に重く、自分の意図と合わない事があれば、先ずは他人のせいにしていた。実は全て私自身の問題だったのだ。自己の行為を改める時、私はしばしば考えるだけで、言うだけで、実際には行わない。私は慈悲心もなく、かつて職務の便のため、時間を掛けてコミュニケーションを図ろうともせず、一人の同僚をその日の内に離職に追い込んだ。私は非常に重い分別心があり、好きな人・事・物と好きでない人・事・物とをはっきり分け、好きなら頻繁に接近し、好きでないならあまり構わなかった。またしばしば、経営者の立場で物事を考えることができず、そのため最近しばしば仕事を換えた。

今回私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を焼いてしまった時、極めて薄い自分の福報も焼いてしまった。私は深く懺悔し、貪、嗔、痴、慢、疑の悪習を必ず改めようと思う。また、上師がお教えくださる方法にしっかり従い、修行学習に努力し、別の考えを持たず、上師のご恩に報いたいと思う。私は今まで以上にしっかりと上師に従い、一瞬たりとも気を抜かず、上師の衣の端をしっかりとつかみ、永遠に手を緩めない覚悟だ」。最後に彼女は「尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご法体が安康で、法輪が常転し、仏法が在世に常住し、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願申し上げたい」と述べた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ共修法会を主持くださり、参会者に貴重な仏法の開示をくだされた。

「六字大明咒の念誦を始める前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは先ず短い物語を語ろう。先日来ある女性信衆が、ほとんど每土曜日、法会への参加を求めに来ていたが、彼女がどんなに泣こうと、どんなに哀れな物語を語ろうと、リンチェンドルジェ・リンポチェは応じなかった。彼女は何度も来た末に、最後には、既に皈依弟子である姑に伴われ、法会に参加させてくれるようリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて来た。その日、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に皈依している姑に『嫁が一度でも来なかったら、そなたは寶吉祥のベストを返却しなければならない』と告げたところ、皈依弟子はその場で承諾した。ところが、最後にはやはりベストは返却されたのだ。昨日この弟子が会いに来たので、リンチェンドルジェ・リンポチェは『なぜ上師の言葉に従わないのか?上師は適当に言っているとでも思っているのか?』と言うと、この弟子は『私は仏法が嫁を救えると思ったのです』と答えたのだ」

リンチェンドルジェ・リンポチェは一人の出家弟子に「この答えにはどんな問題があるか?」とお尋ねになった。出家弟子は「この弟子は思い上がっており、仏法を利用して自分の嫁を変えようとしています」とお答え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けられた。「本来仏法とはすべての人の思想、心構え、未来を変えられるものだ。けれども、仏法は上師の言葉を通したものであるのに、この弟子は仏法だけを信じ、上師を信じない。こうして皈依戒を破ったのだ。『地蔵経』中には『衆生の起心動念は皆罪で、皆業である』とある。昨日来た時、もしさんざんに泣き、リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔したなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に機会を与えたかもしれないのに、この弟子は自分の見方と考え方は正しいと思っている。彼女を弟子でい続けさせる度胸がリンチェンドルジェ・リンポチェにどうしてあるだろうか?リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で、彼女が所属していた組の組長に、すべての法本を回収するよう指示した。そして、毎月の施身法法会への参加だけを許したが、彼女は来なくとも良いのだ。

そなた達は、上師がイスの上で話しているのは冗談だと思っているだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェの法座上での開示と言わず、リンチェンドルジェ・リンポチェが普段話す事であっても、すべて冗談ではないのだ。上師が念仏し、加持していなければ仏法ではなく、その他は出鱈目だと思っているだろう。嫁が一度来ないだけで、姑は寶吉祥のベストを脱がなければならないと、リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにもはっきりと厳しく言っているにもかかわらず、それでもそうならない方に賭けたいのか?リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェとして、自分の子供さえ変えられないのに、それに賭ける勇気はない。この弟子は、何を以てして、一年通うだけで嫁が変わると思っているのか?リンチェンドルジェ・リンポチェが法会に来ることを許すかどうかには、非常に複雑な要因がある。苦しんでいるかどうか、上師が慈悲深いかどうか、仏法が霊験あらたかかどうかではなく、完全に因縁法によるのだ。因縁が備わっていないなら、どんなに泣いても役には立たない。そなた達もリンチェンドルジェ・リンポチェと戯れる必要はない。

弟子は昨日ベストを返却しに来たが、リンチェンドルジェ・リンポチェは適当に言っただけで、冗談でちょっと言っただけだと思っていたようだった。これから、この弟子は、寶吉祥のこのベストは着ても脱いでも良いと思っていたことが、見て取れる。言葉が誠実でない人は無責任な人だ。無責任な人は悪業、悪因を必ず為す。なぜなら言葉が無責任だからだ。台湾はこんなにも乱れている。それはみな無責任だからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示したことがある。日本の人口は一億人余りだ。台湾はわずかに2000万人と少しなのに、台湾ではほとんど一日おきに殺人事件が起きる。昨日も起きていた。これら問題の原因はどこなのか?それは家庭教育にある。そなた達は子供を生んでも教育しない。少しマシであれば、学校に任せてしまう。うまく行かなければ神明に尋ね、吉凶を見てもらい、それでも駄目なら占いに頼る。そしてやっぱり駄目なら、仏菩薩に丸投げするのだ。

『地蔵経』では『子供が過ちを犯し、悪い事をしたなら、父母は責任を負わなければならない』とはっきり説いている。法律上の責任だけを負えばそれで良いと思っているのか?因果の中には、父母の分もあるのだ。現在台湾で出現している状況は、みな子供を教育せず、嫁を教育しないことが原因だ。『争いたくない。息子がこの女性を好きなら仕方がない。息子と結婚してくれるという人がようやく現れたのだ。嫁がいるということが最も重要で、後は仏菩薩が嫁を教育してくれるだろう』と考えている。経典中で釋迦牟尼仏は『姑として如何にして振舞うべきか。姑として如何にして嫁に接するべきか』を教えてくださっているが、釋迦牟尼仏御自らが出現し嫁を教育してくださるとは説いておられない。

これほど仏法を侮辱し、誹謗するなら、仏法は遅かれ早かれ滅亡するだろう。そなた達はなんでも欲しがる。そのようになんでも欲しがるなら、自分はどんな事をしてきたか自問してみるが良い。この一生でどんな良い事を行ったのだ?何十年も肉食したが、非常に浅い善根が少しあったため仏法に触れただけだろう。それで、一年で変われると思うのか?あまりにも的外れだ!昨日ベストを返却しに来たその弟子が、もし跪いて泣き懺悔したなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に機会を与えたかもしれない。ところが彼女は『仏法が嫁を変えてくれると思った』などと言い返すのだ。釋迦牟尼仏でさえ、ご自分の種族を変えられず、彼らに因果を信じさせることがおできにならないのだ。そなた達は自分はどんな身分だと思っているのだ?リンチェンドルジェ・リンポチェは学仏とはこのような事のためではなく、自己を変えるためだと常に開示している。そなた達は自分を変えることさえできていないではないか。

リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に替わり嫁や子女を教育し、そなた達の命を救い、そなた達のために何から何までしなければならないのか。どこにそんなに便利な事があろうか?みな貪念があるのに、自分では変えようとしない!今日リンチェンドルジェ・リンポチェがこの物語を開示したのは、そなた達すべてが同じ過ちを犯したことがあるからだ。最初の頃で、仏法を聞いたことがない人にこのような考えがあったなら、まだ許すことができる。けれども、この弟子は皈依して十分に長くなるのに、なおこのような考えを持っているのだ。釋迦牟尼仏が仏法はいつか滅亡すると予言なさったのは、そなた達の手により滅ぼされ、あのいわゆる弘法人の手により滅ぼされるだろうからだ。なぜなら仏法の正しい考え方をすべての信衆に教えていないからだ」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率い、六字大明咒を10000遍持誦くださり、アキ護法儀軌を修持くださった。こうして法会は圓満に終了した。

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2015 年 07 月 04 日 更新