尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年9月14日

法会の開始に先立ち、自分達家族全員に対する救いについて、一人の弟子が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げ、弟子として犯した一切の過去の過ちについて懺悔した。

「私の母は2008年9月20日往生した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝なる施身法により母を済度させてくださったことを私は感謝申し上げたい。2006年自分が大腸癌の末期であると知った時、これは地元で活動的に生きてきた母にとって、疑いもなく極めて大きな衝撃だっただろう。母は当時尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。初めて拝謁賜った時、私がしっかりせず、リンチェンドルジェ・リンポチェは清浄なる大修行者であられると、母にはっきり理解させていなかったため、母はいきなり抱きつき加護と救いを求めた。その際リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く『仏に救いを求めるのは友達作りとは違うのだ。帰ってよく考えた後また来るように』と母を諭された。母は帰宅の道すがらずっと私達に『どういうこと?』と聞いていた。私達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの功徳と度衆事蹟について再び母に説明し、しかも『帰宅後しっかり考え、大修行者には最も恭敬な心で拝謁申し上げなければならない』と母に求めた。母は一週間考えた後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに二度目の拝謁を賜った。もともとはリンチェンドルジェ・リンポチェにたくさんの問題をお尋ね申し上げるつもりだったが、思ってもみなかったことに母はいきなり跪き法会への参加を願い出た。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲深くも、菜食するよう、母に開示くださり、母の法会への参加に同意くださった。

私は感謝申し上げたい。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い加持のおかげで、法会に参加していた期間、母の精神状態は健常者と変わらず、顔色さえ良くなっていたほどだ。けれども、最も恥ずべき事は、娘である私が、教法に従ってしっかり実践する事を真に行えておらず、自己の行為を改められていないため、上師と仏菩薩の慈悲なる教法が私の身にどんな変化をもたらしたかを、しっかり機会をとらえて、母に本当に理解させることができなかった事だ。そのため、母はある時下痢、尿道感染の症状が現れた後、二度と法会へ行かなくなってしまい、父の要求に従い、化学療法を受け入れ、しかも菜食もやめてしまった。何度もの化学療法の後も、上師と仏菩薩の慈悲なる加持のおかげで、母の身体には、顕著に耐え難いほどの苦痛はないようだったが、化学療法が身体にもたらした害がとてつもなく大きいことは明確に見て取れた。脱毛、食欲不振、吐き気の他、体力とヘモグロビン値も日に日に低下し、徐々に外出できなくなっていき、腹水も増えてきた。今思い返すと、自分の罪は万死に値すると思う。私が怠け、教法に従ってしっかり実践する事を行えていなかったため、家人は信心を生じず、母をあんなにも苦しめてしまった。私は弟子として娘として、上師と父母に対するこれ以上ない親不孝である。母は往生の一ヶ月前、胃ろうの手術を受けていたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生をお見捨てにならず、慈悲深く加持くださることに私は心から感謝申し上げたい。後に母は『手術中に法衣を召された尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが手術台の横に立たれ、自分に向って微笑みかけられたのをはっきり見た。それで自分は大丈夫だと知った』と言っていた。母を手術台上で死なせずにいてくださったことを私はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。

母が苦しみ憔悴しているのを目にし、父と弟の治療に対する意見が分かれ始めた。父は西洋医学のみを信じ、弟は母の苦痛を減らしてやりたいと強く望んでいた。なんとも意外なことに、仏を信じていなかった弟がリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜りたいと自ら言い出したのだ。これは考えてもみなかったことだった。家族にこのような因縁福報をお与え続けてくださることを私はリンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝申し上げたい。弟が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに母の苦痛を減らしてくださるよう加持を求めた時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが大智慧で『リンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来たことを父は知っているのか?』と弟に尋ねられたことを私は感謝申し上げたい。弟は『父が信じないことは分かっているので、言いたくないのです。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を頂戴し母の苦痛を減らすことだけを望んでおり、父に知らせる必要はないと思います』とお答え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧と大慈悲力に私は感謝申し上げたい。リンチェンドルジェ・リンポチェは忍耐強く『仏に祈願するには智慧が必要だ。焦ってはならない。仏菩薩が衆生を救う際には、必ず後遺症のないよう圓満としなければならない。この世に秘密などない。今日リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得て、母が直ちに往生したら、父は後にそれを知り必ず非難し、さらには仏を誹謗し始めるかもしれない。これでは、表面上は母に孝行しているようだが、父に仏を誹謗する因を植え付けてしまう。偽の親孝行だ』と弟にもう一度開示くださった。続いて『せっかく仏に救いを求めに来たのだ。仏菩薩が必ず衆生を救ってくださり、しかもそれには後遺症がないと信じなければならない』と弟に開示なさった。リンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧なる開示に私は感謝申し上げたい。リンチェンドルジェ・リンポチェはさらに弟に『父は西洋医学しか信じないなら、母が今回の化学療法を終えたおおよそ七日後に、主治医に、化学療法はガンを治すことができるのかを尋ねてみよ。医師の口を通せば父も諦めるだろう。その後、そなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求めることに同意するか否かを父に尋ねよ』と仰せになった。

私はリンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧に感謝申し上げたい。その後の七日以内に、果たして予定通りに主治医に会うことができ、しかも不思議なことに、もともとは西洋医学で母を治療する方針を強く持っていた医師が、化学療法は実は効果がない、と口に出したのだ。そして『ホスピス病棟に移し、お母さんを苦しみから解放してあげることを考えても良いかもしれない。また、往生前の準備ができるよう、必ず早い内に、お母さんに病状と残された時間が多くないことを伝えた方が良い』と言った。医師は私達がこの提案を受け入れないことを恐れ、横にいた看護士に、ある時一人の患者が自分の病状を知らなかったため、死を前にして深い恨みを抱いたことがあった、と特別に説明させた。しかもこれらは、父が最も信頼している医師の口から説明されたのだ。父は当時横にいてはっきり聞いていた。このような対話になるとは、医師に実際に会うまでは思ってもみなかったことだった。父はそれでもやはり化学療法の継続にこだわったが、けれでもこのおかげで私達は母を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに再び拝謁賜る因縁を得ることができた。リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生をお見捨てにならず、因縁をお与えくださることを私は感謝申し上げたい。母はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜るため、往生前に最後に帰宅する機会を得ることができた。

その晚、母は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに跪き、加持により苦痛を減らしてくださるよう願い出た。リンチェンドルジェ・リンポチェは再び慈悲深くも『加持は、死にたくないというそなたの欲望を満たすためではなく、娘に思い切らせるためなのだ』と開示くださった。その後リンチェンドルジェ・リンポチェは金剛杵で母に長い加持をくださり、9月26日の施身法法会に参加するよう告げられた。終了前に母は自らリンチェンドルジェ・リンポチェに、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる開示に対して供養申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは普通は信衆の供養はお受取りにならないが、母が仏菩薩と結縁できるよう、お納めくださった。私は尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲に感謝申し上げたい。その夜母は入院後初めてよく眠ることができたという。

9月20日母の病状は急変し、午後4時52分往生した。施身法で母を済度くださったことを、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲に感謝申し上げたい。偶然にも、その日は母の初七日だったのだ。私はリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力と大智慧を賛嘆申し上げたい。その後は、服喪の期間であっても、家族は懐かしさを感じる以外には、悲しみや恐れの雰囲気を感じることはなかった。特に年老いた父は、妻を亡くして落ち込むということはなく、それは私と弟にとって、最大の慰めとなった。私はそれは上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる加持力のおかげであると深く信じている。

続いて私は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが息子をお救いくださったことを語りたい。ある時リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜った際に、下がろうとしていると、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが突然当時小学生だった息子を呼び止められ、慈悲深くも息子に、学校で先生にあだ名をつけていないか、とお尋ねになった。息子はその時、頭の中が真っ白になってしまい直ちにお答え申し上げることができなかったが、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは息子に開示をお続けになった。『学校で先生は每日20数人の生徒に接しなければならない。どの学生もそれぞれ違った家庭の子供なので、こんなにも多くの生徒に接しなければならない先生はとても大変だ。既に皈依して学仏しているのだ。見た目は変わらないとしても、心構えと行為は違っているべきだ。適当に先生にあだ名をつけてはならない。もし、その過ちを再び犯すなら、二度と学仏に来てはならない』と警告くださった。その後息子は思い返した後『自分でも忘れていたが、自分は本当に同級生といっしょに先生にあだ名をつけていた。今回の開示を自分はしっかり心に刻み、いつ何時も師を敬う大切さを忘れず、同じ過ちを再び犯さないようにしたい』と告げた。私は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。役立たずの私をお教えお導きくださるばかりか、息子をもお世話をくださる。子供の過ちを速やかに発見し教導することができず、私達は父母として全く失格だ。こんなことで上師にご迷惑をお掛けし、弟子としてあまりにも過患だ。

最後に私は皈依したばかりの頃、因縁に恵まれ、上師に従い青海へ赴いた時のことを話したいと思う。交通が不便であるため、弟子達の車は深夜近くになってようやくホテルに到着した。私は自分を恥じかしく思う。当時は学仏の心構えが不誠実であったためか、自分の福報がほんとうに薄いためか、上師の慈悲なる加持と福報による庇護がなければ、この極めて殊勝で得難い法会について耳にしたり、知ったり、参加したりすることはなかっただろう。それなのにその時は、上師が教導くださった事を全く第一に考えておらず、ただ疲れたとだけ思い、さらには不満にさえ思っていたため、護法を修めず寝てしまった。その結果二日目に教派の120歲になられる老ヨギーニをお尋ねする時には、私が乗った車は故障し、その方にお目にかかる因縁を失ってしまった。その日の晚、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはお身体に不調を抱えておられながらもみなに特別に『上師であれば、一切の修行の因縁を弟子のために作り出さなければならないが、弟子達は自ら手を伸ばし受け取らなければならないのだ。受け取らないなら、上師が与えようとしても役には立たない』と開示くださった。その時、私はただ泣くことしかできなかった。自己の悪行悪念を深く懺悔したい。上師がいなければ仏法を学ぶことができないとも知らず、何か不都合な事に出会った時には、上師を横に置き、自分を中心に据えて考えていたのだ。

ここで私は再び尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔申し上げたい。ここ数年来、上師に対する恭敬心と信心が常に不充分で、皈依弟子として全くあるべき姿ではなかった。母を済度くださった後リンチェンドルジェ・リンポチェが『そなた達が母を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに会い加持を受けることを、父はなぜ怒っていないのか?』と私にお尋ねになった。当時私の心のすべては愚かにも自己の苦しみに執著し、すべては上師の恩徳と加持であることを完全に忘れていた。上師がおられなければ、三寶を信じない父が仏を誹謗しないということなどなく、母も安心してこの世を去ることなどできなかっただろう。けれども、当時私はただ泣き続けるだけで、なんとも答えることができなかった。私は実は、これこそが弟子として最大の過患であると考えている。苦しんでいる時には、上師が一切を顧ず救ってくださることを望み、加持を得て救いを得た後は、上師の恩徳を心に刻むことをしない。恩知らずでなければ、なんだろうか!私は再び上師と諸仏菩薩に心から懺悔申し上げたい。弟子でありながら弟子らしくなく、師の恩に常に感謝することを理解せず、恩人に対してさえこうなのだ。衆生に対してはさらに悪である。このような心構えの悪は言葉で言い尽くせるものではない。みなも私を悪い例として、師の恩を忘れないで欲しい。

最後に私は過去に傷つけてきた一切の衆生に懺悔したい。私欲のために、他人の苦痛と煩悩を考えたことなど全くなかった。この生で学仏する機会を得て自己を見極めることができ、生死を解脱する因縁を得ることができたことを私は上師、諸仏菩薩に感謝申し上げたい。私は一切の衆生が上師の慈悲なる加持を得て、離苦得楽でき、上師の仏法事業が興盛で、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願申し上げる」と彼女は述べた。

続いて、参会者は六字大明咒を10000遍持誦した。

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2015 年 03 月 30 日 更新