尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年9月7日

法会の開始に先立ち、母親を伴った一人の弟子が、上師の功徳を讃揚し、いかにして上師に巡り会ったか、そして上師から救いと済度を賜ったあらましについて、壇上で語る機会をくださったことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げた。

「私は5歲の頃、日本脳炎ワクチンの注射によると疑われたが、原因不明のまま小児1型糖尿病と診断された。それから、毎日食後にインスリンを注射するという生活が始まり、人生は完全に色褪せてしまった。成長し、英国で修士課程を学ぶ際には、既に発症から20数年も経っていたので、さまざまな合併症が現われ始めていた。最初は、両眼が網膜剥離を起こし失明しかけてしまい、英国で私の世話をするため、母は家を一軒売ってしまった。当時私は、大学の冬休みを利用し台湾へ戻り手術を受けた後、再び英国へ戻り、片目の残った視力を使って学問を続けた。春休みにはウクライナへ赴き、病状の改善を願って幹細胞治療を受けた。今思えばあの時、他人の未発育の胚性幹細胞を使った治療は、実は間接的に他人の生命を用いて自己の生命を延命することであった。殺業を犯してしまったことを深く懺悔したい。

英国での学業をなんとか終え、2010年末台湾に戻った二日目、代謝に異常が現れ出し、どれだけもしない内に腎臓透析が必要になってしまった。二ヶ月で70回以上も吐いた後、私は人生に徹底的に絕望し、病院で挿管してもらうことを決めた。それと同時に、残りの人生を通じて腎臓透析に用いるため、左手の血管も手術で改造した。腎臓透析の初期には、一時的に使用するためのY型管が鎖骨から突き出し、当時の腎臓透析機器との接続に用いるため、身体の外に三ヶ月間露出していた。後には、改造した血管が成長してきたので、一回に二度注射する方法に変え、一回五時間一週間に三回、いつまでも永遠に続く腎臓透析生活を送ることとなった。腎臓透析用の針は爪楊枝と同じくらい太く、最後には手の血管が変形してしまった。その頃は腎臓透析の針の他、インスリン注射も毎日打たなければならなかった。そのため、每週の注射の回数は軽く見積もっても30回に近かった。

腎臓透析を行っていたその数年間、網膜剥離のため、片方の目にはシリコンオイルを入れて網膜を固定していたが、それが原因で片目の視力は0.1ほどになってしまった。私はとっくに全てを諦めていたが、自分の命を捨てる気にはならなかった。なぜなら人生におけるこれらすべての出来事はどうした事かをはっきり知らなければ、納得できなかったからだ。

糖尿病のせいで、私は幼い頃から自由に食べることができなかった。腎臓透析を受けるようになって後は、水を自由に飲む権利さえ制限を受けるようになってしまった。後に医師の提案で、臓器移植のウェイティングリストに登録することとしたが、いくらか待った後もいい知らせがなかったため、母は私にとって非常に複雑な気持ちになる決定を下してしまった。それは母の片方の腎臓を私に提供するというものだった。医師の意見に従い、すべてのカルテを台北の著名な大病院へ移した。そしてこの一步が、後に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを存じ上げるようになる因縁を開いたのだ。

昨年(2013年)11月30日は母が自分の腎臓を私に提供した日だ。移植後は抗拒絶反応薬を飲まなければならないので、唯一見えていた目に異常な光の点滅が現われ、明るくてほとんど見えないこともあったほどだ。そのため腎臓の担当医は、今年の1月8日、眼科を受診するよう緊急に手配した。かつてその大病院の眼科で私と母を何度か診てくださったことがある王兄弟子は、その日ちょうど私達が予約していた眼科診察室の当直で、そしてようやく私の話を耳になさることとなった。医師の診断は、私の目はただ薬物の影響を一時的に受けただけで、しばらくすれば回復する、というものだったので、私と母は診察室を出て歩き出そうとしていた。その時、王兄弟子が診察室から追いかけて来て、これまで病院では聞いたことがなかった問題を私達に問いかけられた。

王兄弟子は『あなた方は有形の医療の他、無形の力による救いを求めたことがありますか?』と言われたので、私達は驚き『あります。実はある友人がその面ではずっと私達を救ってくれています』と言うと、王兄弟子は、完全に私の注意力を惹き付けてしまう一言を言われた。王兄弟子は『それならまだ最も優れた方を見つけられていないでしょう!』と言われ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがSARSの時期に300床余りの患者を救われた事蹟について簡単にご紹介くださった。そして、王兄弟子自身がいかにしてリンチェンドルジェ・リンポチェの救いを受けられたかの話の後、拝謁申込みの方法を教えてくださった。その時心の中では『この不可思議な大修行者に必ず自ら会いに行かなければならない!』と自分に告げていた。後に王兄弟子は『快楽と痛苦』というこの殊勝なる著作について話されたが、私達は聞いた瞬間、なじみがある名前だと感じた。帰宅後に、この殊勝なる著作はもともと私達の家にあったことを発見した。それは、腎臓透析のクリニックで私が手にしたもので、当時母はただこの本を借りてきて読もうと考えていただけだったが、看護師長が持ち帰っても良いというので、我が家にあったのだ。

三日後、つまり1月11日、私達は初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも『どうしたのか?』と私達にお尋ねくださったので、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに『幼い頃から原因不明の糖尿病に罹患し、ここ数年は網膜剥離、腎機能低下に苛まれ、腎臓透析の末に腎臓移植後は抗拒絶反応薬を服用したことで、視力が影響を受けています。リンチェンドルジェ・リンポチェ、どうかお助けください。私と母を法会に参加させてください』と申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『糖尿病になる者は殺業が重い』と仰せになり、殺業とは何かをいくらか開示くださった。続いて母に結婚と産後ケアの頃のことを尋ね、鶏や羊を殺して宴を開いたり、滋養強壮のために食したりしたか等をお尋ねになった。母は『少しは』とお答え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて『少しは、と答えるとは、懺悔心がないということだ』と仰せになり、懺悔の意義は責任にあると開示くださった。続いてリンチェンドルジェ・リンポチェが『菜食できるか?』とお尋ねになったので、母が『できます』とお答え申し上げると、リンチェンドルジェ・リンポチェは『そんなに急いで言わない方が良い』と仰せになった。後にようやく分かった。実は母は拝謁の日の夜、道場へ行く前に食べ残していたシーフードをこっそり食べていたのだ。その結果直ちに腹痛を起こし、何日も苦しむこととなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは何から何までお見通しであられるのだ。

後にリンチェンドルジェ・リンポチェは母に『今日もし息子の病気の問題を解決してやりたいと思うなら、一時的には助けることができたとしても、その後の生生世世はどうだ?解決の方法が必ず見つかるとでもいうのか?』と開示なさり、続けて『もし健康の問題のためだけなら、法会に参加する必要まではないだろう。しかも既に腎臓移植も終わっているのだ。それでいいではないか?』と仰せになり、私達の覚悟が固まっていないのがお分かりのようだった。そして『そなたの顔に異常なまでに出ているニキビは抗拒絶反応薬のためだ』と仰せになり、また『この世で手術を受ける者は、累世で人を切ったことがある者だ』と言われた。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いてご自分の家族を例に『家中のたくさんの者が手術を受けている。祖先は蚕を飼い絹糸をとっていたためで、殺業が重いのだ。男はみな寿命が短い。リンチェンドルジェ・リンポチェが手術を受けたことがないのは、仏法を学習することで、もともとの業力を変えたためだ』と開示くださった。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは母に、帰って今日の開示をゆっくり考えるよう仰せになった。

続いてリンチェンドルジェ・リンポチェはお顔の向きを変えて『今何歳か?』と私にお尋ねになったので、『今年26歲です』と私がお答え申し上げると、リンチェンドルジェ・リンポチェは『何を求めているのか?』と尋ねられた。私は『リンチェンドルジェ・リンポチェ、どうかお教えください。この病という難関をいかにして越えたらよいのでしょうか?』とお尋ね申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『自分はこんなにも若いのだからこんな病気に罹るはずはない、自分は記憶力が非常に良いので、やりたいことがたくさんある、等と思ってはならない』と仰せになり、続いて私より幼く糖尿病を発症した例について『その子供は二歲で糖尿病を発症した。母が大きな魚を殺しスープを作って食べさせたことで、いくらもしない内に糖尿病を突然発症したのだ』とお話しくださった。そして話を私に戻しリンチェンドルジェ・リンポチェは『知っておかなければならない。今日もしこの病でないなら、そなたは仏法学習に触れたいなどとは思いもしなかっただろう。仏法は誰もが学べるものではない。そなたの役割や地位がどうであろうと、縁がなければ駄目なのだ。そうだから、そなたに仏法学習の因縁をもたらしたということから考えれば、病がそなたに借りがあるのではなく、そなたが病に借りがあるのだ!』と仰せになった。

その時私は大きく目を見開いてリンチェンドルジェ・リンポチェを見詰めていた。淚が堰を切ったように溢れてきた。そして悟った。これら病の苦しみの背後には私に対する慈悲があったのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、帰って今日の開示をよく考えるよう仰せになり、最後に前を真っ直ぐに見据えられ『準備ができるまで待とう。戻ってくるのを待っていよう』と私に仰せくださった。この言葉はその後の一ヶ月間常に私の頭の中にあった。御前を離れる前にリンチェンドルジェ・リンポチェは『母はとても苦労している。立ち上がるのを手助けせよ!』と仰せになった。

後に王兄弟子は母に『リンチェンドルジェ・リンポチェは今日あなた達のために開示くださった。しかもとてもたくさん!』と言われ、『リンチェンドルジェ・リンポチェが誰かに、戻ってくるのを待っていよう、というお言葉を掛けられたのを道場ではほとんど聞いたことがない。リンチェンドルジェ・リンポチェは将来発生しない事は仰せにならないので、あなた達とリンチェンドルジェ・リンポチェとは縁があるということだ』と言われた。そして、帰ってよく考えた後、法会への参加を求めるよう勧めてくださった。当時、私達は驚きばかりか、感謝の心をも持って帰宅し、必ずもう一度リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜ろう、と決めた。

その日の晚帰宅後私達は菜食を決めた。私は母に『リンチェンドルジェ・リンポチェのわずか数言の開示のおかげで、私は心の底から徹底的に会得した。実は私と病気とは敵対関係にあるのではなく、協力関係にあったのだ。病気は身体の痛みを通して、歩むべき道へ早く進め、と常に教え続けてくれていたのだ。そしてこの道こそ人生の探求と仏法の学習だ。私は今病気に対する感謝を感じ始めている。将来快癒するかどうかは、今はもう重要ではない』と言った。

初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜って後、私達は寶吉祥仏法センターのオフィシャルサイトを見るようになった。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェのご経歷もご背景も完全に私達の想像を超えていることに徐々に気づいた。いわゆるAランク、Bランク、Cランクなどといえるものではなく、強いて言えばA+ランクなのだ。私はこの生で従うべき人こそ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェだと強く感じた。

1月末、王兄弟子は私達をグループの春節の集まりに誘ってくださった。その中で漢方薬剤軟膏の話が出たが、私達は驚いたことに、家にこの漢方薬剤軟膏があったことに気づいた!それは数年前、母のある友人が母の手の捻挫を治療するために持って来てくれたものだった。その時には王兄弟子さえ、どうしてこんなにも偶然が重なるのか?と思われていた。

その日私達は宝石店へ赴きリンチェンドルジェ・リンポチェを謹んでお迎え申し上げた。そして私達はリンチェンドルジェ・リンポチェの普段着姿を初めて拝見したが、リンチェンドルジェ・リンポチェが入って来られた時、私は驚愕し、見間違いではないか?と思った。フランスChanelのデザイナー、カール・ラガーフェルドに、どうしてこんなにも似ておられるのか!その時、頭の中には『東洋のラガーフェルド』という呼び名が浮かんだ。あのような尊き気品は永遠に忘れることはできない!

この頃、私達はちょうど病院で腎臓移植後の経過観察を受けていた。私は覚えている。その日私が診察室へ入るやいなや医師は『今回の検査結果は、手術終了以来最も良いものだ!』と言ったのだ。その頃、母はしばしば家で、喜んで菜食することができる、と言っていた。

2月15日、二度目にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜った際、王兄弟子に促され、私はリンチェンドルジェ・リンポチェにご報告申し上げた。『リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げます。前回菜食に関する開示のおかげで、今回出た私の検查結果は非常に良いものでした。私はリンチェンドルジェ・リンポチェに従い真の仏法を学びたいと存じます。リンチェンドルジェ・リンポチェ、どうか私と母を法会に参加させてください』と申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは私の話が終わると笑って母に『そなた達に菜食を勧めたが、その時はいくらか疑っていたのではないか!』と仰せになった。母は直ちに『疑うなどそれはございません』と申し上げると、リンチェンドルジェ・リンポチェは『最近、喜んで菜食することができるだろう!』と仰せになった。

母は直ちに何度も頷き『喜んでできます!喜んでできます!』とお答え申し上げた。私はそれを聞き、どこかで聞いたことがあるように思い、奇妙に感じた。実は、この言葉は母自身が家で言っていたものだったのだ!続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは私に『今回の検查結果はこれまでで最良だっただろう!』とおっしゃったので私は驚いた。これは病院の診察室での医師との対話ではないか?それをリンチェンドルジェ・リンポチェは一字も漏らさず言われたのだ。なんと不思議なことか!そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは母に『息子は最近こっそりクッキーを食べていた』と仰せになったが、私は最初は思い出せなかった。後になって、確かにある日こっそり何枚か食べたことをようやく思い出した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような事まですべてご存知なのか?なんと不可思議なことだ!

後にリンチェンドルジェ・リンポチェは私に『今は、コンビニで売っているような安価な物を適当に食べてはならない。身体に良くないからだ』と仰せくださり、リンチェンドルジェ・リンポチェは傍にいた兄弟子に翌日の施身法法会に空きはあるか、とお尋ねくださった。兄弟子はそれを聞き、すぐに『あります!』と答えられたので、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲深くも私達に申込むよう仰せくださった。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて『仏法を学びたいなら、必ず親孝行を理解しなければならない。病気に関しては、なぜ他人は糖尿病のような事にぶつからないのか等と考えてはならない。自分の病に対して怒ってはならない。それを覚えておくように』と開示くださった。

初めて施身法法会に参加後、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依申し上げたいという考えが生まれたので、王兄弟子にお尋ねした。王兄弟子は『皈依を求めたいなら早くしなさい!リンチェンドルジェ・リンポチェは随時皈依法会を開かれるので、一度逃すとどれだけ待つか分からないから』と教えてくださった。そのため、3月1日私と母は三度目にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜り、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依をお願い申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『私は非常に厳しいが、恐ろしくないか?』と仰せになった。一瞬私は頭の中が真っ白になったがリンチェンドルジェ・リンポチェに『努力いたします!』と申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて『努力ではない、決心が必要なのだ!』と仰せになったので、私は直ちに素早く『私達は決心もございます!』とお答え申し上げた。するとリンチェンドルジェ・リンポチェは視線を横にずらし一瞬定められた後、非常に慈悲深くも私達の求めをお受入れくださった。続いて母が私が服用している抗拒絶反応薬についてリンチェンドルジェ・リンポチェに『量を減らすことはできないでしょうか?漢方医学の方法で身体を整えた後に服用を再開することはできないでしょうか?』とお尋ね申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『これに関しては100%の自信はないが、先ずは漢方医学で診察を受けると良いだろう。漢方医の診断次第だ』とお答えくださった。

続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは、皈依し仏法を学習する際の心構えについて『健康のためだけではないということをしっかり肝に銘じるように。皈依後はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持があるので、身体は自然に良くなるだろうが、糖尿病が良くなるかどうかは、その因縁によるだろう。仏法の学習は自己の未来世と死後の生生世世のためなのだ』と開示くださった。さらにリンチェンドルジェ・リンポチェは『仏法を学ぶなら親孝行を理解しなければならない。自分の病に対して感謝しなければならない。もしこの病がなければ、この道場へ来る機会もなかったのだから』と再び開示くださり、最後に『皈依後は業力がすぐに訪れるかもしれないが、すべてを忍耐と喜びで受け入れるように』と仰せになった。

3月7日、王兄弟子は、移転後の開店式が行われる日本食品大直店に私と母を誘ってくださった。その際にも私達はリンチェンドルジェ・リンポチェをお見かけ申し上げた。私は一台のスポーツカー横の乗用車に向かい『リンチェンドルジェ・リンポチェのお車はボディガードの隣りの乗用車ですか?』と愚かな質問をした。王兄弟子は『違います。乗用車横のあのスポーツカーですよ』と答えられた。リンチェンドルジェ・リンポチェはスポーツカーを運転されるのだ。私は呆然とし、眼前のこの大修行者は自分の想像を完全に超えている!と思った。数日後王兄弟子は『「ミラネバ大師伝」という本には尊者の加持力がある、とリンチェンドルジェ・リンポチェがかつて開示なさったことがあるので、買って読んでみてはどうか』とメッセージで教えてくださった。

ところが、この本も我が家にあったのだ!数年前眼鏡を作りに行った時、ある街角の結縁書架で手に入れたものだった。これらさまざまな偶然について、いったいどう言ったらいいのか、不思議としか言いようがない。そして私は、仏法学習というこの道は自分が歩むべきと定まっていたのだ!と信じるようになった。同時に私はリンチェンドルジェ・リンポチェの不可思議な加持力も感じていた。私達がリンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかる前に、既に我が家にお越しになっていたかのようだ!

後にリンチェンドルジェ・リンポチェが『仏法の学習には懺悔を理解しなければならない』と開示なさるのを法会開示でしばしば読んだため、4月12日にリンチェンドルジェ・リンポチェへの拝謁を申し込み、懺悔法テープを所望申し上げたところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは『私の書を何度読んだ?』とお尋ねになった。私はそれを聞いた瞬間『しまった!』と思った。なぜなら当時はまだ片目がよく見えなかったので、何度も読んだのではなかったからだ。けれども、ひるまずに『リンチェンドルジェ・リンポチェ、二回です』とお答え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『家で何をしているのだ?あの書を普通の本だと思っているのか?病気だからといって、何もしなくて良いとでも思っているのか!病気だからこそ、他人より多く努力しなければならないのだ!』と叱責くださった。その時私は自分は実に粗忽だと思った。恭敬心が足りなかったのだ。懺悔せずにはいられない!そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは傍にいた兄弟子に、一先ずこの者を皈依させない、と仰せになった。続いて視線を定められ『一ヶ月間、毎日一回「快楽と痛苦」を読むように。一日でも忘れたなら、二度と再びリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来てはならない!』と仰せになった。それから私は毎日五~六時間かけて、片目の視力だけで30回読むことができた。

この期間にも不思議な事があった。およそ『快楽と痛苦』を20数回読んだ頃のこと、目の中のシリコンオイルを取り出すため手術をすることとなった。手術前に甘露丸と甘露水をくださった王兄弟子に私は感謝申し上げたい。また、必ず自ら執刀するよう特に主治医に要請くださったことを陳兄弟子に感謝申し上げたい。術後わずか一週間で、私の視力は0.1から一直線に0.7まで戻り、今では0.9にまで回復した。もともとの近視度数は300度余りだったが、今では25度になったのだ。その時には医師は、私が冗談を言っていると思い、『回復が速過ぎるでしょ?』と言っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる加持力に私は感謝申し上げたい。

5月17日私は再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜り、リンチェンドルジェ・リンポチェに『快楽と痛苦』を30回読んだことをご報告申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは読後の感想を尋ねられたので、私は一瞬頭の中が真っ白になってしまった。けれども何とか『仏法は非常に重要だと存じます。必ず全心全霊で学んで行きます!』とお答え申し上げた。続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは母に向い『そなた達母子の関係は生生世世で非常に長い。この生では必ず圓満となろう!』と慈悲なる開示をくだされた。リンチェンドルジェ・リンポチェも、母は私が幼い頃から病に苦しんできたのを見続け、内心にはいつも心配と重荷を抱えていたのをご存知なので『そなた達は親子のあり方を調整した方が良い。息子の身体のことをいつも心配しているのでは、誰にとっても良くない。また、息子がこの病気のためにある日突然世を去ってしまうのではないかと考えてはならない』と開示くださった。続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは私に『そなたがしっかり仏法を学び、仏菩薩を信じさえすれば、仏菩薩は、そなたが真の仏法を学ぶ機会を得る前にそなたをこの世から去らせてしまうことはない』と仰せ下さった。私と母の心はすべてリンチェンドルジェ・リンポチェのお言葉で落ち着いた、と私は感じた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは『なぜ「快楽と痛苦」を30回読むよういったのか?それは、仏法学習の目的は生死の解脱だとはっきり知って欲しかったからだ』と開示を続けられ、ご自身を例に『リンチェンドルジェ・リンポチェに出会って後、心が大きく落ち着いたのではないか?けれどもリンチェンドルジェ・リンポチェはやはり毎日煩悩と問題に向き合わなければならないのだ。けれども今日なぜ絶えず衆生を救うことができるのか?それはリンチェンドルジェ・リンポチェが生死を解脱するとの決心を第一に考えているからだ!』と仰せになった。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは突然私をご覧になり『以後心に何か生まれたら、非公式に私に言いに来るように。良いか?』と仰せくださった。母は横でリンチェンドルジェ・リンポチェが慈愛に満ちてこのお言葉を話されるご様子を拝見し、満面を涙で濡らしていた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは『これまでは福報がなかったので、リンチェンドルジェ・リンポチェに出会えなかったのだ。もし幼い頃にリンチェンドルジェ・リンポチェに出会えていれば、こんなにも多くの事を経験する必要はなかったし、治療にこんなにもたくさんのお金を使う必要もなかったのだ』と開示を続けられた。私はその時リンチェンドルジェ・リンポチェは私達がかつてウクライナへ行った事もきっとご存知だと思った。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは『そなた達の福報がついにゆっくりと訪れたので、今日ようやくリンチェンドルジェ・リンポチェに会い、この道場へ来て、ここで仏法を学習する機会が巡ってきたのだ。そうなのだから、これを逃してはならない』と仰せになり、さらに『帰ってから、今日の開示について母としっかり話し合うよう』と仰せくださった。

母は続いて『仏法を学習し生死を解脱するなら、手配している膵臓移植を行わない方が良いでしょうか?』とリンチェンドルジェ・リンポチェに教えを請うた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『100%とはいえないが、移植後は糖尿病の問題が解決すると医師はそなた達に告げているだろう。けれどもそれよりも注意しなければならないことがある。そなたが息子に提供した腎臓は、遺伝子の50%が同じだ。だが膵臓はそうではない。提供者は絶対に他人だ。そのため移植後の不確実性と影響を及ぼすであろう部分が非常に大きくなる。しかも後遺症が残れば、息子にとって良いとは限らない。糖尿病はどこから来たのか?殺生だ。それはそなたが殺したものとは限らない。さらに破戒、邪淫もある』と仰せになった。リンチェンドルジェ・リンポチェの今回の開示の重点を私は細心の注意を払って聞いた。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは『帰って、今日の話をしっかり考えるように』と仰せになった。私達の拝謁に付き添ってくださった王兄弟子までも『リンチェンドルジェ・リンポチェは本当にとても慈悲深くていらっしゃる。横で聞いていてとても感動した』とおっしゃっていた。

翌日の法会ではリンチェンドルジェ・リンポチェは法座で『臓器移植をすればそれで病が良くなると考えている人がいる。今日病気になるのは、より謙虚であることを学び、しっかり仏法を学習し自らを改めるためなのだと知らなければならない』と再び開示くださった。私達はそれを耳にし、これは私達が昨日リンチェンドルジェ・リンポチェにお尋ね申し上げた事ではないか、と思った。その時リンチェンドルジェ・リンポチェの法座における再びの開示に非常に感激した。

私はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。私と母はついに7月20日正式な皈依弟子となった。そして幸運なことに、8月の日本における大文字祭法会ツアーに参加することができた。なんという偶然か。私達と同乗していた兄弟子達は、ほとんどが、私達が当初法会開示で読んだことがある物語の主人公たちだったのだ。今回ついに本人にお会いすることができた。リンチェンドルジェ・リンポチェの不可思議な救度能力を讃歎せずにはいられない。

私はたまに『今考えると、仏法ではこんなにも高く成就を遂げ、法力はこんなにも優れ、衆生済度においても卓越し、車の運転にも優れ、さらに服の着こなしも品がよくこんなにも素晴らしい大修行者が、この世界のどこにおられるだろうか。真に貴重だ!』と母に言う。私はこの頃、漢方クリニックで身体の調整をしていたが、その結果病院で検查する度に、数値は爆発的に進步していた。今では造血機能に関わるヘモグロビンの数値が既に14.7に達している。数値の高さに、医師も驚いているほどで、腎臓透析時のヘモグロビン値はたったの7前後だったのだ。

かつて私は、人のヘモグロビン値は最高どれだけなのか?と医師に尋ねたことがある。医師は『一般には11~13で充分だ。14~16となると、山間に暮らす先住民かチベットのような地区に暮らす人でなければ無理だ』と、医師は特にわざわざチベットを取り上げ答えたのだ。私は本当に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。私の健康はこれまでにない速さで回復しており、母も私の身体に対して少しずつ安心できるようになっているのだ。

この生涯において、私を生み出してくれたのは父母であり、私に慧命をくださったのは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェであられる。そして仏法を学ぶ因縁をくれたのは、私の病だ。私は必ずしっかり仏法を学び、謙虚に自らを改め、この生で必ず生死を解脱しなければならない」と彼は言い、さらに再三強調した。「必ず為し遂げなければならない!必ず為し遂げなければならない!必ず為し遂げなければならない!そして上師の恩、仏恩、父母の恩と衆生の恩に報いなければならない。

あの時診察室から私達を追って来てくださったことを私は王兄弟子に感謝申し上げたい。今思えば、あれこそが私達のこの生で最も重要な数秒であり、最も正しい振り返りだった。これにより私達はついに寄る辺を得たのだから」最後に彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの貴体が聖妙康で、法輪が常転し、仏法事業が興盛であり、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がられ共修法会を主持くださり、参会者に貴重な仏法を開示くださった。

「今日は10000回六字大明咒を持誦する前に、灌頂を受けた者は法本を念誦し、灌頂がまだの者は六字大明咒を念誦せよ。皈依していない者は観世音菩薩聖号を念誦するがよい。皈依していない者が指示に従わないなら、すぐに立ち上がって出て行くように。自分は他人の影響で六字大明咒を念誦したいのだ等とリンチェンドルジェ・リンポチェに手紙を書かないで欲しい。皈依していない内から指示に従わないなら、何のために来るのだ?学仏は決して自己の考え方で学んではならず、また上師にそなたの考え方に従うよう要求してはならない。上師の言うとおりにできないのは、そなた自身の問題で上師の問題ではない。そなた達が学校へ行く。それが小学校であろうと幼稚園であろうと、教師はたくさんの生徒を対象にするのだ。たった一人の生徒のために授業内容を変えるだろうか?そなた達は自分をどんな身分だと思っているのか。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達の言うことを聞かなければならないのか?

なぜそなた達は一日中仏菩薩と修行人を苛んでいるのか?学仏でさえも自己の欲望に従い要求する。他人が六字大明咒を念誦するのに、自分は彼らと共に念誦することはできない、と思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェははっきり言おう。皈依していない者は観世音菩薩聖号を念誦せよ。念誦できないなら、帰れば良い!そなた達は学費も納めていないのに、リンチェンドルジェ・リンポチェに言うことを聞けとどうして要求できるのだ?一日中こんなにも多くの自分の考えがある。こんなにも多くの考えがあるなら、来なければ良いではないか!ここに来て何をするのだ?自分は成長し、物事を理解できるので、自分のやりたい事ができる、と思っているのか?できないなら、来なければ良い。すぐに出て行っても良い。寶吉祥仏法センターは人があまりにも多いので、一人減ったり一人増えたりしたところで何も変わらない。

どんなに言ってもそなた達は聞かない。台湾はなぜこんなにも多くの食品で問題が起きているのか?それはここの人間達が何も恐くないのに、金がなくなるのだけを恐れているからだ。そのためならなんだってする。学仏についてまで、リンチェンドルジェ・リンポチェにメール送りつけ、六字大明咒を念誦できないので自分は非常に困っているという。困っているなら、来なければ良い!リンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏したいが、道場のある規定が嫌いだ、という者もいる。そうなら、彼らは自分で道場を開けばよい。ただ、リンチェンドルジェ・リンポチェが行くかどうかは別問題だ。これらの話は全く正しくない。学仏した結果、こんなにもたくさんの問題が出てくるなら、最初から学ばないほうがよい!

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率い六字大明咒を10000回持誦し、アキ護法儀軌を修持くださり、法会は圓満に終了した。

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2015 年 03 月 30 日 更新