尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年8月24日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターにおいて殊勝なる「阿彌陀仏大済度法法会」を主法なさった。1316人が参加し、祖師ジッテン・サムゴン、歷代の伝承上師、三恩根本上師直貢チェ・ツァン法王、直貢チョン・ツァン法王、アキ護法の加持と庇佑の下、法会は清浄かつ圓満に終了した。功徳は無辺の衆生に広く行き渡り、参会者は悉く法喜に満たされた。

法会の開始に先立ち、自分と家人をお救いくださったあらましについて語り、また自己が為してきたすべての悪業を懺悔する機会を尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがくださったことを、一人の弟子が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと諸仏菩薩に感謝申し上げた。

「私は2008年11月2日、直貢噶舉尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依申し上げた。皈依前にも殊勝なる阿彌陀仏無遮大済度法会に三年連続で参加した。兄は1999年大腸癌で亡くなり、義父は脳卒中で13年間寝たきりの末、2006年に世を去った。そのため、2006年初めて大済度法会に参加し、仏菩薩に兄と義父の済度をお願い申し上げた。けれども当時の自分は利己的でただ兄と義父のために祈っただけで、六道で苦しむ他の衆生が仏法の助けをさらに必要としているとは思いもよらなかった。私は自身の利己的な考えを懺悔したい。

2008年8月2日父は病と老衰でこの世を去った。父が往生に際し、身体的な苦しみ、家族と離れる辛さを味わっていることは、子供として分かってはいたが、代わってあげることも、どうにかしてあげることもできなかった。現役時代の父は家族を養うために忙しく、仏菩薩に近しくしたり善知識を学んだりする時間はなかった。定年退職後はある師父に皈依してはいたが、父はその頃ちょうど肺の繊維化が見つかり、呼吸が徐々に苦しくなり、少し歩いただけで息切れするようになってしまい、どんどん衰弱していっており、修行に費やす体力が既になくなっていた。死の三ヶ月前から、クーラーを最低温度まで下げても暑がるかと思うと、厚手の布団をたくさんかけても寒がり、また情緒が不安定になることもあった。往生の一週間前、父は残された日々が多くないことを悟ったかのようだったが、家族に心を残し、私に多くを託した。その際私は、父の目の中に死に対する恐怖を見て取り、父と離れ難く感じたが、どうすることもできなかった。なぜならその頃はまだ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかれる福報を持っていなかったからだ。

皈依の後、私はリンチェンドルジェ・リンポチェが、死までには地、火、水、風の四大分解の苦しみを経る必要があると開示なさるのを聞き、父が往生前にさまざまに苦しんでいた様子を思い出し、淚が滂沱と流れ、自己の愚かしさに懊悩した。2006年には大慈大悲の大菩薩リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかっていたにも関わらず、その時には随い申上げず、父のために福報を累積する機会を失ってしまい、父に多くの苦しみを味わわせることになってしまった。その年の万人大済度法会は8月31日に開催された。私が愚かで因縁福報が充分でなかったばかりに、父のための済度を求める申し込みをしていなかった。そのため、法会の開始前に、必ず父を離苦させてくださるよう仏菩薩にお祈りしなければと私は自分に言い続けた。その時私は大法会の会場でボランティアを務めておられた兄弟子に、リンチェンドルジェ・リンポチェに父を離苦させ、浄土に往生させてくださるようどのようにして祈ったら良いのか、とお尋ねした。兄弟子の説明を聞き、大法会に申込んでくださった兄弟子に連絡した。兄弟子とは全く知らない同士で、何人もの友人を介して大済度法会に申込んだのだったのに、この兄弟子は私を救うためにお時間を割いてくださった。その時、私は兄弟子に対する感謝で胸がいっぱいになったが、また同時に自分は常々、他人の心配りに感謝することを知らなかったと懺悔の気持ちも感じた。

2006年から2008年まで三年連続で兄弟子は私達のために大法会に申込んでくださっていたのに、自分はかつて兄弟子にお礼を言ったことがなかった。そのため、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの衆生済度の事蹟を聞く福も因縁もなく、生前に父を連れて大慈大悲の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜る縁も当然なかったのだ。私は心から懺悔したい!学仏を待つことはできないのだと、今は心から理解している!

初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった時には、どうしたら良いか分からないほど緊張していたが、リンチェンドルジェ・リンポチェの御前に跪き、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深くも『どうしたのか?』とお尋ねくださった瞬間、私は慈父を目にしたかのように淚が満面を濡らした。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに、一生涯苦労した父を済度させ、再び輪廻に陥らないよう浄土に往生させてくださるよう熱心にお願い申し上げた。さらに愚かにも『もし父が再びの輪廻を免れられないのなら、もう二度と苦労しなくとも良いよう、お金持ちに生まれ変わらせてやってください!』と願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも、父を済度させるため日曜日の共修法会と施身法法会に申し込みさせてくださった。その時私は感動で言葉が出なかった。そして『リンチェンドルジェ・リンポチェは報いを求めず、無私の心で衆生に尽くしておられる。この大慈悲願力!はなんと素晴らしいことだろうか!これほどの恩惠にいかにして報いるべきなのか?』との思いを抱いた。

2008年9月17日施身法法会において、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲深くも開示なさる仏法を聞き、自らを顧ることなく衆生を済度なさるお姿を目にし、またも自然と淚が溢れてきた。その感動は言葉で言い表せるものではない。私はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲喜捨の強い力を感じ取ったのだ!これはこれまで経験したことがなかったものだ!こんなにも小さく愚かしい自分のような凡夫が、どうして尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのような大修行者にお目にかかる福報を得られたのだろうか!こうしてリンチェンドルジェ・リンポチェに従い仏法を学ぼうとの決心はより強くなった!

施身法法会の後、私は父がハスの花が咲き乱れる池の後方の台地に佇む夢を見た。台地は一面花々に覆われ、父の傍には白馬と馬車があった。その様子は今でも深く印象に残っている。私は父が既にリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い済度を得られたのだと思い至り、心中の悲しみとわだかまりを洗い流すことができ、大慈大悲の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが父を救ってくださったことに感謝した。

父が亡くなる一週間前、亡くなって10年になる兄が竹林にいる夢を見た。顔面蒼白で憂鬱な表情で『帰宅の道が見つからない』と言うので、私は兄に『どうして見つからないの?私が連れて帰ってあげるよ』と言った。そして目覚めてから『每年仏寺で兄の位牌を以て済度を願っているのに、なぜこのような夢を見るのか?しかも兄が亡くなって10年間、これまで一度も見たことがなかったのに』と思った。仏菩薩の如き尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜った後リンチェンドルジェ・リンポチェのような大修行者でなければ、兄を離苦させることはできないのだとようやく分かった。けれども自分が愚かであるため、リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかった時、父の済度を願うことしか思いつかず、兄のことなど思ってもみなかった!しかし、施身法法会に参加した時リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも兄をお救いくださっていたのだ。施身法法会の一週間後、私は兄の夢を見たが、『今はとても幸せに暮らしている』と兄がいうので、不思議に思っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力量は十方法界の一切の衆生が感じることができるのだ!私はリンチェンドルジェ・リンポチェが兄にくださった救いに感謝申し上げたい。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、業力が深く重い私を2008年11月2日に弟子として皈依させてくださったことに感謝申し上げたい。皈依の一週間後、仕事中に階段を降りている時、どうしたことか階段から転がり落ち、書類が床に散乱したことがあった。その時『これは大変なことになった。手か足を骨折してしまっただろう』と思い、床にうつぶせに倒れたまま長く動くことができなかった。通りがかった人達は、迂闊に近寄れないと思ったようだったが、私が少し動き出すとようやく起き上がらせてくれた。しかし、二階ほどの高さから転げ落ちたというのに、両足のあちらこちらに怪我をし痣ができただけだった。救急に行くと『頭部と胴体は大丈夫ですか?』と医師に確認されたので、『はい、手足の他に怪我はありません』と私ははっきりと答えた。私と家族は上師の加持に心から感謝したい。母も『上師の保佑がなければ、より深刻になっていただろう』と言っていた。

12月15日出勤時に交通事故に遭い、車の前部が全壊した。私はまた救急に運ばれレントゲンを撮ったところ、胸骨にヒビが発見され、入院して経過観察を行うこととなったが、他は一切何もなかった。この二度の事故において、重い報いを軽くしてくださったことについて、私は上師の加持とアキ仏母の保護に強く感謝し、自己がかつて為してきた悪業を懺悔し続けた。上師が法座でなさる慈悲深い開示のおかげで、事故は二度ともリンチェンドルジェ・リンポチェにお頼り申し上げることができたため、恐れることなくいられたことを感謝したいが、同時にかつて自分が衆生に加えてきた害を深く懺悔し反省したい。

皈依前の私は台湾道教の信徒だった。心中は貪、嗔、痴、慢、疑でいっぱいでありながら、線香を灯して拝んでいれば平安と富貴が得られると思っていた。また、占いが好きで、それによって運命が変えられると思っていたが、結果はいつも願い通りにはならなかった。そのため、しばしば天を怨み人を憎み、この悪循環で表情はどんどん険しくなり、言葉遣いもどんどんとげとげしくなり、身近にいる家族、友人、同僚を傷つけ、やる事為す事あらゆることで三悪道に堕ちる因を作ってきた。さらに言うまでもなく、累世で為してき数々の悪業で無数の有情衆生を傷つけてきたのだ。もし尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会わず、殊勝なる仏法の教導と慈悲智慧による度化もなく、苦労を厭わず懇切丁寧に仏法を生活に用いるよう弟子を諭してくださることで、輪廻に陥るだろう、三悪道に堕ちるだろう行為と考え方のすべてを改める機会を頂戴できなかったなら、私はきっとただぼんやりと日々を過ごし、人身として生まれ学仏できるこの一世を浪費していただろう。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご苦労とご教導に感謝申し上げたい。

法会では毎回、上師の開示を集中して聞き、毎回感動して淚を流し、自分がかつて衆生を傷つけ、かつて為してきた悪業を深く懺悔し、これら罪業をいかにして償えばよいのか、いかにして返すことができるのか、貪、嗔、痴、慢、疑という劣根習性を、いかにして自己の深層心理から抜き去ることができるのか、さらに家族等が為してきた悪業をいかにして償うのかと考える。愚かな私にどうしてその方法があるだろうか?皈依したばかりの頃、自分の学仏における思い上がった心構えのため、家族に仏を中傷するという悪業を為させてしまったことを私は懺悔したい。皈依して五年余りになるが、自分はまだ家族に影響を与え、善知識の教導を受け入れさせることができていないことも私は懺悔したい。

五年余りの学習で、リンチェンドルジェ・リンポチェの絶え間ない加持を得ることができた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは何も求めず衆生のために心を尽くして衆生を教化なさる。けれども私はどうしようもなく凡人であるので、絶えず衆生を傷つけ絶えず許しを請うているのに、心は懺悔することを知らず、自分勝手に衆生を傷つけており、上師が『凡夫は因果を信じず、無常の来臨を受け入れない。真の懺悔心と慈悲心などあるはずもない』と開示くださったように、果報が訪れても受け入れようとしない。私というこの愚鈍な弟子は、今になってようやく毎日念ずる『四無量心』をいくらか悟り、一切の衆生が愛憎を離れ平等捨に向うよう願えるようになった。私は上師の恩徳に背き、衆生に申し訳ないことをし、衆生を悲憫する心などあるはずもなく、家族、親族を学仏に向わせられないのもすべて私が植え付けた悪因のせいで、そのため家人は仏菩薩に対して信心を起こせないでいる。それを非常に深く恥じる。

去年の八月中旬、うつ病を12年間患っていた二番目の兄嫁が自殺した。兄嫁の家に駆けつけた時、呆然とするばかりの二人の子供と床に横たわる兄嫁を目にし、悲しみが込み上げ、遺体の傍らで泣いてしまった。しかしその時突然上師の注意を思い出し、急いで泣くのを止めた。その後私は兄嫁の二人の子供を連れて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜った。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも『どうしたのか?』と問われると、子供は『リンチェンドルジェ・リンポチェに父と母を済度させてくださるようお願い申し上げます』と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『誰が菜食できるのか?』と問うと、姪が手を挙げて『私ができます』と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも、姪の施身法法会への参加をお認めくださった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの救いのおかげで、棺内の兄嫁は寝ているかのように生気のある顔色で、口角がわずかに上がっており、火葬後の骨は美しいピンク色をしていた。これはすべてリンチェンドルジェ・リンポチェが亡者を済度させてくださった証の瑞相なのだ。

二番目の兄嫁が亡くなって6日後に、小脳萎縮で11年間寝たきりだった姑がついに離苦した。闘病中の本人の痛み、家人の苦しみは、どれも辛いものだった。姑は発病したばかりの頃はよく転ぶ程度でまだ歩くことができたが、一年余り後には歩けなくなり、車椅子を使うようになり、徐々に自分で食事ができなくなり、話せなくなり、どんどんひどくなって行った。そんな状況なので驚くほど医療費もかかった。姑は亡くなる三年前に風邪で発熱したことからショックを起こし救急に運ばれた。気管切開が必要であると医師から告げられたが、私と夫は『自然に任せたほうがよい。気管切開はやめよう』と言った。なぜなら 気管切開は非常に苦しいとリンチェンドルジェ・リンポチェが開示なさったことがあるからだ。しかも、気管切開したところで、姑には回復の見込みはないのだ。姑のためを思い、よく考えるよう、私達は他の家族に頼んだが、彼らはやはり気管切開を決めてしまったため、姑は辛い余生を送ることとなった。

気管切開の三年後、姑は集中治療室で虫の息となっていた。口角からは血がにじみ、それでもなかなか死に切れなかった。私は姑の耳元で『リンチェンドルジェ・リンポチェが必ず助けてくださると信じてね。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの聖号をしっかり覚えておいてね。そうすれば必ず助けていただけるから』と話し掛け続けた。面会時間が終了し、私が集中治療室を離れて三十分にもならない頃、姑は死亡が確認された。姑の苦しみを減じてくださったことを リンポチェの加持に感謝申し上げたい。また甘露丸をくださったことを兄弟子に感謝申し上げたい。仏菩薩と結縁する機会がありますようにと祈りながら、私はそれを姑の口中に入れた。姑が病気になった時、私は『快楽と痛苦』中のリンチェンドルジェ・リンポチェの法照を見せたことがあり、リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかからないかと尋ねたところ、姑は力を振り絞って頷いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『病で苦しんでいる人は誰が救ってくれるかを一番はっきりと知っている』と開示なさったことがある。姑は病気で何年もの間苦しんだが、リンチェンドルジェ・リンポチェの法照を見て、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分を救ってくださるとはっきりと分かったようだった。けれども、姑はしっかり行わなかったため福報因縁が備わらず、また夫の家族はみな面倒だと思い協力してくれなかった。愚かな私も姑の苦しみを見ていることしかできず、何をすることもできなかった。

義父母はかつていわゆる神豬を育てていた。太らされたブタは自分では寝返りが打てず、立ち上がって排泄することもできない。普通に餌を食べられないので、管を使って食べ物を流し込まれる。義父母も病を得た後はこのようにして生きながらえていたのだ。それを連想せずにはいられなかった。寝たきりになり尊厳を失い、話せず食べられず、身体を動かすこともできない。果報とはこんなにも恐ろしいものだと身を以て知り、また衆生はどんなに辛いだろうかと思った。結婚後夫の生活態度が不満で嗔念を起こし、義父母と自分の父母に対する態度に大きな分別心を持ち、義父母に対しては表面上の礼儀しかなく、心を込めた世話をせず、孝道を尽くさず、それだけでなくしばしば裏で不満を漏らしていたことを懺悔したい。もし上師の仏法の教導と加持がなければ、自己の心持を反省することはなかっただろう。これら悪は地獄に堕ちるに足るものである。リンチェンドルジェ・リンポチェの救いに感謝申し上げたい。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したおかげで、私は人との関わり方を改めて学ぶことができた。それを感謝申し上げたい。リンチェンドルジェ・リンポチェはしばしばご自身が苦修なさった経歷を用いて弟子達を励ましてくださる。困難にぶつかった時には、上師の修行の過程を思い出すだけで、苦しいと思わなくなってしまう。毎回の法会ではリンチェンドルジェ・リンポチェは、衆生が理解し易い比喻で、深淵な仏法を説いてくださり、根器がなく、仏学の基礎もない私でも多くを理解することができる。リンチェンドルジェ・リンポチェにしっかりと従わなければ、この一世で輪廻の苦を断ち切ることはできないのだと私は固く信じる。

上師に対して恭敬心がないため、心中しばしば雑念が生まれ、心が不浄になることを私は懺悔申し上げたい。100%の教法に従ってしっかり実践することを行っていないため、しばしば過ちを犯し、上師に面倒をお掛けしていることを私はさらに懺悔申し上げたい。学仏の過程では、いつも考えるだけで実際には行わず、自分を可愛がりすぎるため、衆生に対して利となる事を行えていない。リンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏できる因縁を、この一世で必ずしっかりと大切にしなければ、以後はかならず機会を失ってしまうことは明らかなのに、決心が不充分である。自分の悪習をとてつもなく嫌だと思うことがある。リンチェンドルジェ・リンポチェの時間とお心を無駄にしているのだ!私はここで真の懺悔を祈りたい。累世の悪習を断ち、衆生に対する平等を学び、因果を受け入れ、慈悲を養いたいと願う。上師の教法だけが衆生に輪廻からの解脱を教導する根本であると私は深く信じる。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生にくださる一切の恩徳は大小さまざまに数え切れるものではない。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従い正法を学習できるとは、なんと幸福な事か!」

彼女はその場にいる兄弟子達に「私と共に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従い学仏できる因縁を大切にし、いつ何時も自己の過去の過ちを顧み反省し、衆生を理解し愛護し、自らの悪習を改め、仏法学習に努力しなければ、上師の恩、仏恩、父母の恩、衆生の恩に報いることはできない」と呼びかけた。

「昨年11月寶吉祥の弟子達が桃園空港に尊勝なる 直貢チェ・ツァン法王をお迎えに上がった時、リンチェンドルジェ・リンポチェの尊勝なる直貢チェ・ツァン法王に対する細やかな心遣い、謹慎、恭敬を私は目にし、心から讃歎し感動した。リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェ・ツァン法王の後にぴったりつき従い、常に四周を見回し、全力で尊勝なる直貢チェ・ツァン法王をお守り申し上げようとしておられ、弟子たる私は恥ずかしい限りであった。リンチェンドルジェ・リンポチェはいついかなる時でもさまざまな方法を用いて弟子を教導くださるのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェにご教導いただけるとは、寶吉祥の弟子は全宇宙で最も幸福な仏弟子だと私は確信している!リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい」

最後に彼女は再び尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げ、尊勝なる 直貢チェ・ツァン法王に感謝申し上げ、諸仏菩薩とアキ仏母に感謝申し上げ、最も恭敬で誠実な心で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと尊勝なる 直貢チェ・ツァン法王のご法体が安康で、仏法事業が世に常住し、十方法界の一切の有情衆生に利益することを祈願した。

午後二時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは香炉、楽器、寶傘の前導と迎えの下、八吉祥の白絨毯を進み壇城に上がられ、諸仏菩薩に恭しく頂礼なさり、尊勝なる直貢チェ・ツァン法王の如意寶法座にハダを献上し、灯明を灯して仏に捧げ、法座に上られた。

修法前、リンチェンドルジェ・リンポチェは参会者に貴重な仏法を開示くださった。

「今日は『阿彌陀仏速証浄土法』つまり『済度法』を修める。『済度は簡単だ。経を唱え仏号を唱えれば、衆生を済度させられる』と思っている世人が多い。リンチェンドルジェ・リンポチェは例を挙げよう。別の国に移民するなら、移民する前にたくさんの事を学ばなければならないだろう。先ずは、その国の言葉、次に充分なお金も必要だ。第三にはしっかり決心すること。こうして初めて移民の準備ができたと言え、この他にもたくさんの手続や申請を行わなければならないだろう。

それと同じで、阿彌陀仏浄土へ行くと言っても、そなた達が考えているように『阿彌陀仏』を唱えれば必ず行けるというものではない。浄土に往生したいなら、必ず行わなければならない条件があると、『阿彌陀経』中でもはっきりと説いている。往生前には必ず『十善法』を修めなければならない。『十善法』とは不殺生、不偷盜、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不貪(得るべきでないものを手に入れない)、不嗔(他人を憎まない)、不痴(因果を信じる)である。『十善法』を修めたなら、さらに『阿彌陀経』で説くように『福徳因縁がなければならない』。この一生、さらには過去世において、福(人天の福ではなく修行の福)、徳(修行で得られた功徳)、因縁(阿彌陀仏、上師との縁)というこれら条件が揃い発願しなければ、往生することはできないのだ。

『阿彌陀経』は最後に阿彌陀仏の仏号を説くが、どう念ずるかは説いてなく、ただ『往生前に一念するなら二念せよ』というだけである。念とは何度か念誦するのではなく、念頭(考え)のことだ。経中でも『往生前に一日するなら二日せよ』とあるが、これは『往生前に一日、二日から七日の閉関というこの種の修行過程を経た人でなければ、阿彌陀仏国土に自ら生を得る能力はない』ということである。『阿彌陀経』であろうと『観無量寿経』であろうと、これら浄土の経典では、人が死ぬ時その人のために『阿彌陀仏』を唱えれば必ず往生できるとは説いていない。そなた達は何を以て、仏経を念じれば亡者を浄土に往生させられると考えているのか?

『地藏経』では『誰かが往生すれば、家族は亡者のために広く仏事を行わなければならない』と説く。『広く』とはどんな意味だろうか?すべての仏寺に灯明を灯すことではない。仏が説かれるのは、亡者のために供養、布施等を含む福報を累積し、懺悔するという事である。それによって初めて亡者は福徳因縁を得て往生でき善道へ行けるのであって、紙で作ったハスの花を燃やし、往生布団を掛け、いくらか仏号を唱えれば往生できるというのでは絶対にない。学仏するならば、仏が説かれる事に従わなければならず、教典にない事は絕対にそうではない。釈迦牟尼仏から伝わった仏法からは『亡者を済度させたいなら、亡者は必ず福徳因縁を備えていなければならず、亡者に福徳因縁がないなら、家族は亡者のために求めることができる』と読み取れる。

マウドゥガリヤーヤナ尊者が、母を餓鬼道から離れさせてくださるよう、釈迦牟尼仏に求めたところ、釈迦牟尼仏は、閉関を遂げたすべての僧衆を供養するよう、マウドゥガリヤーヤナ尊者にお教えになった。釈迦牟尼仏に従う人は、絕対に時下一般の凡夫ではない。経典でも言う。仏のお傍には1200人の弟子がいる。この1200人の弟子は決してそなた達のような者ではない。彼らは既に阿羅漢果まで証しているのだ。マウドゥガリヤーヤナ尊者はこの1200人の阿羅漢を供養したため、功徳、福報を得て、母を餓鬼道から抜け出させることができた。

この話から分かるように、マウドゥガリヤーヤナ尊者は自身も阿羅漢で、神通に優れていたが、それでも母を済度させることはできなかった。そなた達のような者が何を以て一、二時間の念誦で、自分の父母を済度させられるというのか?何をするにしても根拠が必要だ。学仏も仏が説かれる事を根拠にしている。誰かに頼んで念誦し、仏号を唱えれば亡者を済度させられると思うなら、これは完全に間違いだが、その人のために念誦すれば、その人は未来世に因縁ができるという良い点がある。事実、リンチェンドルジェ・リンポチェは1997年の弘法開始から現在まで、別のところで、非常に多くの人の前で経を念じてきたが、それでも解決できない。けれども、彼らはかつて念仏したことがあるので、因縁があって寶吉祥に来ることができたのだ。

行者のように衆生を救うのは一般人が行えるものではない。密法からすれば、阿彌陀仏本尊により衆生を救い済度させるには、行者は少なくとも閉関中に100万回の阿彌陀仏心咒を念じなければならない。閉関とは、一定の時間内に必ずやり遂げなければならないのだ。三ヶ月の内に100万回念じるというなら、この三ヶ月間は関房内で死んだとしても、関房を離れることはできない。そのため、時下これを修めた人は多くないのだ。100万回念誦し、さらに密宗で修めなければならない『不共四加行(10万回大礼拝、10万回百字明、10万回マンダ供養、10万回上師相応法)』を修め、阿彌陀仏の灌頂、口伝を上師により授けられ、次に閉関を経て自分の生死を明晰に理解し、こうして初めて他人を済度させることができるのだ。簡単に言えば、そなたが今日ある人をあるところへ送りたいとしよう。そこへそなたが行ったことがないなら、どうやってその人に説明することができようか。その人を連れて行く資格があるだろうか?そなた達は浄土について何も知らない。自分で念仏すれば、他人を連れて行けるとどうして言うことができようか?」

その時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子が居眠りしているのを見つけられ、その弟子を立たせ「リンチェンドルジェ・リンポチェが説く事は自分とは関係がないと思っているのではないか?それともあまりにも多くの法会に参加したので、今日はまた別の法会だ、くらいに思っているのか?」と激しく叱責なさった。その場でリンチェンドルジェ・リンポチェは「前の方に座る資格はない。道場の後の方に座るように」と仰せになり、開示を続けられた。

「今年はなぜ大法会を行わなかったか、みな今分かっただろう。弟子でさえこうなのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、台湾には密法の伝承を継続する縁がないと言うことができる!リンチェンドルジェ・リンポチェは九年間『阿彌陀仏大法会』を開催してきた。肉食してはならないと毎年衆生に勧めているが、毎年みなやはり肉食を続けている。いわゆる『仏事を広く行う』とは『仏が説かれるすべての事を行う』という事である。仏が説かれる事を行わず、法会に参加してどうするのだ?本当に保佑が得られると思っているのか?得られるはずがないだろう!

済度法会に参加すれば、病が癒え、夫と子供が言うことを聞くようになると思っている人が多い。済度法会に参加するのは、生生世世であまりにも多くの衆生を傷つけ、彼らに害を為したので、彼らはそなたの邪魔をし、そなたがこの一世で浄土に往生することは不可能だからだ。済度法会に参加するのは、彼らが、我々のこの一生での修行の邪魔をしないよう望むためのもので、我々が幸せに暮らせるようにするためではない。そのため、今日法会に参加している人で、この一生で生死を解脱すると決めておらず、保佑を求めているだけなら、今日の法会はそなたにとってはただ少しの人天福報となるだけで、この一生では決して用いることはできない。もし生死を解脱したいと発願するなら、今日法会に参加したことで、衆生は因縁を得て済度できるので、以後そなたも因縁を得て済度できるだろう。

自分の病気のため、冤親債主を済度させるため、中絶した子供に怨まれないようにするため、自分の結婚縁をよくするためなら、法会に参加せず、すぐに出て行くがよい。なぜなら役には立たないからだ。仏法を捻じ曲げている人が多い。仏は衆生を済度させるのであって、世間のこのような一時的な苦を救うのではなく、生生世世輪廻の苦を救うのだ。未来世に輪廻しないよう願うなら、この一世で一切の悪を断つべきではないのか?少しの悪でも為せば、阿彌陀仏のお傍に行く資格はなくなってしまうのだ。

経典上に『多くの人が往生前に大懺悔心を起こした、とあるから大丈夫だ』などとは思わない方が良い。このような人は極々わずかなのだ。そなた達にはありえないだろう。なぜならそなた達は充分苦しんでいないからだ。経典で『富貴修道難』と言うように。台湾は世界で最も富貴だというわけではないが、そなた達は確かに豊かに暮らしている。これら世間の小さな苦がなんだというのだ?みな安定して楽しく暮らしているではないか。少なくとも台湾に戦争はない。そのため、そなた達はあまりにも幸福で、苦を知らないのだ。世間の少しの問題を大変な苦しみのように捉えている?そなた達は現在法会に参加している。いわゆる福徳因縁の定義とは、関係があってもなくても一切の衆生に生死を解脱させることで、これが仏の願なのだ。そなたにこの願がないなら、仏菩薩の願といっしょに結ばれることはない。

法会に参加し冤親債主を済度させれば、自分も良くなると考えている人が多いが、それは正しくない。どこが間違っているのか?釈迦牟尼仏がかつて仰せになった比喩のように、たくさんのアワビを入れた部屋は、アワビをすっかり取り除いた後もにおいが残っており、そのにおいはすぐには消えないからだ。そなた達は正にこうだ。済度法会に参加し、冤親債主を済度させたからと言って、何も起こらないという訳ではない。実はやはり起こるのだ。なぜならそなた達にはやはりにおいが残っているからだ。においは消えてしまっていない。ではどうするのか?修行の決心をするのだ。

修行とは気性を変えることではない。気性を変えるなら、こんなにも苦労して学仏する必要はなく、本を読めば充分だ。毎日海を見て、山に登り遠くを眺めていれば心が晴れるだろう。修行とは輪廻を変える行為なのだ。そなたが悪を為しておらず、悪を為すことを止め、善業を起こすなら、輪廻はゆっくりと離れていくだろう。このような心構えで法会に参加しているのでないなら、祖先と冤親債主は済度されても、それはそなたの修行とは関係がない。自分とは関係がない、自分は修行のためではないと考えている人もいるだろう。修行のためであろうとなかろうと、みな一生修行しているのだ。世間法も自らを改める行為だ。世間法で行為を改める気持ちがないなら、容易に法を犯すだろう。出世法中では、輪廻を修正する行為なのだ。

宗教を信仰している人だけが修行が必要だなどと思ってはならない。世間ではそのためこんなにも多の人が汚職に手を染め、法を犯している。それは修行しようとしないからだ。何かが起きれば仏菩薩、リンチェンドルジェ・リンポチェに頼り、何も起きなければ勝手にのんきに暮らしている。こうして自分の貪念をどんどん重くするので、過ちを犯してしまうのだ。先ほどの弟子はそのため居眠りした。自分の修行は非常にうまく行っていると思っており、リンチェンドルジェ・リンポチェが説く話を聞いたことがあるため、注意する必要がないと考えているのだ。釈迦牟尼仏は経典中で『叮嚀(行き届いた注意)』について触れておられる。その意味は、一日中うるさく注意するということだ。なぜなら、そなた達の業障はほんとうに深刻なので、言葉が少なくなり、注意が少なくなれば、すぐに戻ってしまい、墮落してしまうからだ!

リンチェンドルジェ・リンポチェは今日はそのため『阿彌陀仏大済度法』を修める。なぜならリンチェンドルジェ・リンポチェは阿彌陀仏に毎年一回修めるとお約束したからだ。けれども規模は縮小した。リンチェンドルジェ・リンポチェは人を済度させるのではない。人を済度させるのはあまりにも難しい。『地藏経』中に『全宇宙で最も済度させ難いのは地球の人類だ』とはっきりとあるように、強情で、抑え込むのは難しい。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの二十数年間衆生を済度させてきた結果、真に深く理解した。亡者の済度は容易だが、人の済度はあまりにも難しい。人は自分の考えと欲望が最も多い。法会を開催すると人が現われ、衆生は初めてこの縁を生じることができ有縁となる。そうでなければ仏菩薩は衆生を救うことはできない。自分は毎日発願しているという人が非常に多いが、それなのになぜ未だにこんなにも多くの人が苦しんでいるのか?こんなにも天災が多いのか?なぜなら発願は発願でしかないからだ。阿彌陀仏と釈迦牟尼仏も発願しておられるが、因縁、福報がないので、どんなに発願しても役に立たないのだ。自分は発願したことがあるのに、どうしてまだこうなのかと尋ねる人が多い。それは、そなたが実践できていないからだ。

今日修める済度法会では、済度者は必ず慈悲、功徳を備えていなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前ちょっとした話をしたことがある。かつてある瑜伽士(在家修行人)が喪中の家の前を通りがかった。中では二人の出家衆が亡者を済度させていた。瑜伽士はそれを目にし、神通力で主法者には能力があるが慈悲がないことを一瞬で悟った。なぜなら主法者は、施主はあとでどんな物を自分に供養してくれるのかとそればかり考えていたからだ。もう一人の小沙彌は慈悲があり、亡者が得度できることを願い続けていたが、功徳がない。そのため、やはり亡者を済度させることはできなかった。瑜伽士は慈悲があるが、やはり亡者に因縁福徳を植え付ける必要がある。そのためわざと『一碗のバター茶を布施してくださいませんか?』と喪中の家に尋ねたところ、喪中の家はバター茶を布施してくれた。瑜伽士はこれは亡者の供養の代わりとできると考えた。瑜伽士はバター茶を飲み、亡者を済度させた。

この話は非常にシンプルだが、非常に深い意味を含んでいる。先ず、供養がなく福徳がなければ、瑜伽士が亡者を救おうと思ってもできない、ということ。次には、慈悲があっても功徳がなければだめで、慈悲がなければ功徳があってもだめだということ。そなた達はきっと『慈悲や功徳があるかどうかはどうして分かるのか?』と尋ねるだろう。それは、行者が普段どのように日々を過ごしているかを見れば分かることだ。法会を主法する時お金を取るか?一日中宣伝ばかりしているか?功徳を欲張っていないか?

リンチェンドルジェ・リンポチェは功徳を欲張ったことはなく、ゆっくり行い、努力して行っている。仏菩薩が知っていてくださればそれで良いのだ。つまり、済度法会への参加は、経を念じ仏を念じ仏を拝むだけではないのだ。特に今日の済度法は阿彌陀仏が自らお伝えになった密法であり、公に伝授したものではない。また、そなた達が知っている顕教のように、読経し拝仏する方式でもない。読経と拝仏でも済度できないのではないが、非常に長い時間が必要だ。

『梁皇寶懺』はみなも知っておろう。寶誌公は100人余りの出家衆を率いて千仏を拝み、梁武帝の側室を畜生道から天道へとようやく済度させることができた。経典中には非常に多くの物語があるが、阿彌陀仏のお傍に行けた、と書かれたものはない。釈迦牟尼仏が阿彌陀仏を紹介された時には、残された時間は既に多くなく、済度法を釈迦牟尼仏の阿姨一人に伝えることしかできなかった。この法こそ『浄土十六観』で、その後は誰一人として修めていない。修法者自身がポワ法(「ポワ法」とは、この生で往生する時、確実に阿彌陀仏のお傍へ行ける成就法)を成就まで修めていなければ、今日修めるこの阿彌陀仏大済度法を修めることはできない。この累世に宿世の因縁がなければ、今日そなた達もこの法会に参加することはできなかっただろう。そのため、この法会に参加できたのだから、大慈悲心を発しなければならない。自己の小さな事のためではなく、阿彌陀仏の宏願と同じように、一切の衆生が浄土に往生できるよう願わなければならない。これによってこそ、将来自分も阿彌陀仏のお迎えを受けることができるのだ。

修行していようとなかろうと、上根器であろうとなかろうと、今日この法会に参加したなら、浄土に往生する因を植えつけることができたのだ。慈悲の心さえあれば、上師と阿彌陀仏が一切の衆生を救うよう願いさえすれば、以後行者、上師がそなたを往生させてくれる因を植えつけたことになる。けれども、恋愛や妊娠等のためといった個人的な願いが少しでもあったなら、上師が授けてくれた果報は以後も現れない。ここが非常に重要だ。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこれより修法を開始する。この法は非常に多くの密法の儀軌を含んでいるので、チベットではこの法を修めるには一日必要だ。そなた達は奇妙に思っているだろう。なぜ藏伝仏教密法の壇城にはこんなにも多くの物が置かれているのか?それは、行者が大法を修める時には、その場にいる人のために修めるだけでなく、六道の一切の衆生のために修めるからだ。六道には一切の有情衆生がいるため、非常に多くの儀軌、法器が必要で、非常に多くの護法、空行母、勇父、本尊等等の助けが必要なのだ。そのため、壇城にはたくさんの物を並べる必要がある。これは密法の部分に関することなので、今日はこれ以上説明しない。

阿彌陀仏大済度法は尊勝なる直貢チェ・ツァン法王が御自らリンチェンドルジェ・リンポチェに伝授くださったものである。実は一時期、この法の一部の法本の内容は失われてしまっていた。直貢チェ・ツァン法王は整理なさった後にリンチェンドルジェ・リンポチェに伝授くださったのだ。尊勝なる直貢チェ・ツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに伝法くださる時は非常に簡単だった。リンチェンドルジェ・リンポチェが一日中そなた達に注意しているのとは異なり、一度念誦しただけで、法本をリンチェンドルジェ・リンポチェにくだされた。尊勝なる直貢チェ・ツァン法王は口伝の後、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分で修めるようになさり、分からないところがあれば、リンチェンドルジェ・リンポチェがお教えを請うというかたちだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェの過去世にこのような根器がなかったなら、この法を修めることはできず、三、四時間内に素早くこの法を修め終えることもできない。なぜなら入定できないなら、この法は非常に修め難いからだ。念誦を続けるだけなのだから簡単だ、などとそなた達思っているだろう。しかし実はリンチェンドルジェ・リンポチェは念誦している時、絶えず観想しているのだ。自分の個人的な思いのためや、たくさんの考えを持つのではなく、みなリンチェンドルジェ・リンポチェの開示内容を少しは考えてみて欲しい」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる阿彌陀仏大済度法の修持を始められた。先ず、出家弟子が衆生を代表し尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにマンダラを献上し、法の修持を要請した。マンダラ献上の儀軌を行った後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはしばらく修法なさり、続いて開示をくださった。

「法会の始まりにはマンダラ献上を行う。これは衆生が先ず供養を行い、主法上師が歷代上師と諸仏菩薩を代表して供養を受け取るものだ。これによって衆生は初めてこの法会に参加する福報を得ることとなる。先ほど念誦したのは発心と発願、阿彌陀仏の浄土と宮殿の紹介、『上師と本尊無二無別』である」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続けられ、参会者を率いて阿彌陀仏心咒を長い時間念誦なさり、さらにしばらく修法なされた後、参会者に開示くださった。

「続いては『上師と本尊無二無別』を修め、さらに法身であられる本尊に壇城へお越しになり八供の供養をお受けいただく。どの供養も意味を含んでいる。例えば、音楽の供養は、一切善知識、如来と眷属の供養、及び恒常供養で、しかも殊勝なる仏果位に差し上げられるよう、恭敬心による供養である。供養は金儲け、健康のために行うのではなく、成仏のためである。成仏とはもちろんこの一世ではないが、供養を行ったことがありさえすれば、未来の一世では必ず仏果となれるだろう。続いても供養を続ける」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続けられ、しばらく後に開示くださった。

「先ほど修めたのは全て供養である。なぜ供養が必要なのか?それは、自己と衆生とに福報を累積するためである。すべての供養は意味を含んでいる。例えば、供灯は一切の暗黒を消し去り、光明が満ちあふれる無辺の虛空とするのだ。供養は非常に重要である」

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続けられた。修法の過程では八供女が歌を献上し、薈供と供茶の儀軌があり、参会者は誰もが尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持くださったお供えを頂戴し、法会において、仏菩薩と食を共にする得難く殊勝なる因縁を得ることができた。

済度儀軌の最中、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは極めて慈悲深くも、済度させたいと願う人の名前を参会者に何度も大声で言わせてくださった。そして、起立して壇城に頂礼するようご指示になり、参会者を率いて法本中の祈請文を念誦くださり、修法済度を続けられた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い撮受力と大威徳力は虛空に遍く行き渡り、荘厳な法音は連綿と続き、無数の有情を利益することができた。自身の命を以て輪廻の痛苦にいる衆生をお救い済度くださったことを、参会者は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝申し上げた。たくさんの人が深く感動し、知らず知らずの内に満面を涙で濡らし、また慟哭していた。

修法は圓満に終了し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは一先ず法本を閉じるようみなに指示なさり「『求生極楽浄土祈請文』は歌ではない。心をこめて発願するのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いてチベット語で念誦する。みな心して聞くように」と開示をくだされた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはチベット語と中国語で御自ら「求生極楽浄土祈請文」を念じられた。法音中には慈悲と殊勝なる加持力が満ち、極めて熱心に一切の有情のために祈求なされた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは無辺の輪廻にいる衆生の苦を哀れまれ、嗚咽して言葉にならない部分もあり、それは天地をも揺るがすほどだった。参会者は上師の弘法利生無盡の恩徳を深く感じ、みな無比なる懺悔心と恭敬心を起こした。たくさんの弟子、信衆は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲力に打たれ、感謝のあまり淚した。

「阿彌陀仏大済度法法会」が圓満に終了し、弟子達は声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法と開示に感謝申し上げ、起立して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられるのを恭しくお見送りした。

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2015 年 03 月 30 日 更新