尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年8月10日

法会の開始に先立ち、一人の弟子が  リンポチェが自分の家族をお救いくださったあらましを語り、発露懺悔する機会をお与えくださったことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げた。

「2009年4月13日の正午近く、息子に生命兆候が見られず、病院で救命措置の最中であることを、私は電話で知らされた。病院に駆けつけると、医師は、救急に到着した時には既に心肺停止状態だった、と告げ、救命処置を続けるかどうか、と尋ねた。病床に横たわる息子の身体に触れてみると、息子の身体からは既に体温が感じられなかった。朝家を出た時には抱きしめられた我が子が、今では冷たい遺体になってしまっていたのだ。すぐには現実を受け入れられなかったが、どうにもならないことも理解し、救命処置の放棄に同意した。息子の遺体を病院の霊安室に移した後、息子が亡くなったことを知らせるため、妻の職場へと急いだ。そして、最後に息子に一目会わせるため、妻を連れて霊安室へ向った。

妻を伴い病院へ向う途中、漢方クリニックで働いている同僚兄弟子からの、先ずは宝石店へ向い、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照に頂礼申し上げるよう、との電話を受け取った。宝石店で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照に頂礼申し上げると、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが電話で、子供の氏名と干支をお尋ねくださった。その後夫婦で霊安室に入ったが、霊安室で見た息子の表情は非常に穏やかで、眠っているかのようだった。鼻からは血が流れ続けていたが、四肢は柔らかかった。夜になって、遺体を冷蔵庫に入れるために抱きかかえた時にも、死から八時間以上たっていたにもかかわらず、同じような様子だった。

4月14日朝、検察官が検死にやって来た。息子は原因不明の突然死であったため、検察官は日時を選んで解剖し死因を解明しようと考えていた。けれども私達は息子の遺体をこれ以上傷つけたくなかった。そのため、検察官に解剖しないでほしいと求めたが、検察官は同意しなかった。その日夜、家族みなで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、我が家の先祖は殺業が重く、牧畜業を営んでいたためこのような果報があるのだ、と開示くださった。そして、息子は今はリンチェンドルジェ・リンポチェより幸せに暮らしており、息子を懐かしむのはいいが悲しんではならず、遠方に留学に行っていると考えるが良い、と仰せになった。そして、家族全員で菜食し、施身法法会に参加するよう求められた。当時妻は妊娠二ヶ月であったため、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、胎教に注意し、過度に悲しまないように、と特に心を配ってくださった。

4月15日私は書記官からの電話で、息子の件が既に法医研究所に送られたと説明された。葬儀社の主人は、彼の経験では、法医研究所に送られたケースの99.5%は解剖されているという。これを聞き、非常に不安に思った。4月16日朝私は妻と共に宝石店へ赴き、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照に頂礼申し上げたところ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは電話で、私達の事は既に処理したが、私達は心中になお恨を抱えているため、今後の事がどうなるかは私達次第だ、とお知らせくださった。帰宅後、家族に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を伝え、息子のために、家族揃って心中の恨を捨て去るよう決めた。不思議なことに、午後私は書記官の電話を受け、息子の死因には疑義がないため、明日の朝には検察官が開庭し死亡証明書を出してくれる、と告げられたのだ。

4月17日尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに息子を火葬する日時についてお伺いを立てた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは4月22日の正午までに完了させれば良い、とお答えくださった。4月22日葬儀場へ向う朝、空からは滂沱と大雨が落ちてきていたが、葬儀場へ到着した時には雨は止んでいた。火葬場の担当者が、火葬炉が混んでいるので少し待たなければならないかもしれない、と言ったので、正午までに火葬を終えられないのではないか、と非常に心配になった。しかし少しすると、担当者が、葬儀場に追加で設けた火葬炉は子供の遺体なら火葬できる、と言ってきた。火葬が終了し、骨壷を葬儀社に一時保管した際、時間はちょうど正午だった。

その後、私達は兄弟子に息子の遺体の状況について話し、様々な現象はすべて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝なるポワ法を修持くださったことによって現れた瑞相であった、と初めて知り、自分たちは愚かで無知だったと思い知った。ご自身の福報を息子にくださったことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。息子が往生した翌日の早朝、私は息子の笑い声をはっきりと聞き、妻は、息子が楽しそうに自分に笑いかけるのを夢で見たという。息子の事について、妻はひたすら自分を責めていた。息子は亡くなる前の晚、夜中に突然高熱を出したが、翌日妻は仕事を休んで息子の世話をすることができなかったのだ。また妻は、息子の発熱後、仕事を休み家で世話をしたが、それでも息子が自分の腕の中で亡くなった夢を見たという。後に機会があり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにこの事をお話ししたところ、上師は、その夢は仏菩薩がこの事は定まっていたのだとお知らせくださったものだ、と開示くださり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが息子を済度した時、息子はとても喜んでいた、とお話しくださった。

2009年10月頃、妻は第二子の出産を控えていた。一人目が帝王切開だったため、二人目も帝王切開にせざるを得ない、と医師には言われていた。愚かな私達は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜り、既に医師との間で帝王切開の日取りを決めたことをご報告申し上げ、選択した日にちで良いでしょうか、とお尋ね申し上げた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、日にちを選べば良い子が生まれて来るならそれで良いだろう、と開示くださった。そして、尊き  リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲深くも妻を加持くださり、帝王切開の日を三日遅らせ、胎児を完全に発育させた方が良い、とお話しくださった。そのため、日時を変更したが、医者の空きがある時間が、ちょうどもともと決めていた日時の三日後だった。

帝王切開の前夜、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが漢方クリニックに視察にお越しになった。兄弟子の勧めで、私は尊き  リンチェンドルジェ・リンポチェに、妻が翌日帝王切開で出産することを報告申し上げ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、妻が無事に出産できるよう加持くださるよう祈求申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、リンチェンドルジェ・リンポチェを観想すれば良い、と仰せくださった。出産日の朝、妻には子宮収縮の徵兆が現れ始め、続いて手術室に運ばれた。第一子の出産時には子宮収縮が始まった途端、胎児の心音が聞こえなくなったため、胎児の状態を心配した医師が帝王切開に切り換えたのだ。しかも妻は出産後に高熱を出した。けれども第二子出産時には、不思議なことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下、全てが非常に順調だった。妻に加持くださったおかげで、母子共に安泰で、しかも娘に命名までくださったことを尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。

2010年初め、施身法法会に参加して一年近くになった頃、ある日兄弟子から、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、私達家族はしっかり学仏する決心がついていないため法会に参加してはならない、と仰せだ、と電話で告げられた。この時初めて、確かにそうだと気がついた。娘が生まれた後、私達の生活は徐々に好転し、それに従い尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳を忘れ、無常来臨の当時の苦しみを忘れてしまい、ただ安穏と日々を過ごすことだけを考え、この縁を持続させしっかり学仏しようと決心していなかった。私は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお叱りに感謝申し上げたい。そのおかげで、自分達はようやく深く考え、共修法会への参加を求める決心をし、こうして皈依することができたのだ。

娘は八ヶ月ほどの頃、食卓によじ登り、電気鍋で温めたばかりのおかゆに触れてしまった。その結果、左の前腕と左の親指、人差指、中指にⅡ度のヤケドを負い、大きな水ぶくれができ、腫れて熱を持った。けれども、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが娘の左手に息を吹きかけ、また漢方薬剤軟膏を塗るようご指示くださったおかげで、娘はその後いっさいの痛みを訴えることなく、傷口もすっかり回復し何の痕も残らなかったのだ。このことを、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。

2013年3月頃、娘は一週間の間、何度も高熱を出した。午前中には熱が下がっても午後にはまた発熱するという具合で、もちろん薬は飲ませていたが、やはり完全に熱が下がるということはなかった。その頃ちょうど尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが漢方クリニックに視察においでになり、同僚兄弟子が リンポチェにこの事をご報告くださった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに同僚兄弟子を通じて、電話で、家の前で工事が行われていないか、とお尋ねになった。私は、そうです、と答えた。近隣一帯の道路では下水道工事が行われており、既に数ヶ月続いていたのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、除障香と神牛角香を間断なく数時間焚くようご指示くださったが、そのおかげで翌日娘の熱は下がった。

同年4月、私に頭髮が束になってバサバサと抜ける症状が現れ始めた。しかも、それがどんどん深刻になり、さらには頭全体に広がっていき、大小さまざまな円形禿ができてしまった。身体には不快な症状は何もなく、検査をしても原因が分からなかったため、悩み、考え込んでいた。六月の端午の節句の日、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが漢方クリニックに視察においでになり、私の頭髮をご覧になって、どんな枕を使っているのか、とお尋ねになった。私は、ラバー枕です、とお答え申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、それはもう使ってはならない、と仰せになり、新しい枕に換え、枕カバーは頻繁に洗うように、とご指示くださった。わたしの脱毛は、患者の脈を診た後、手をきちんと消毒せずに自分の頭髮に触っていたため、細菌が感染し、毛根に影響を及ぼして起きていたのだ。剃髪してしまい、毛が抜けてしまった頭皮の栄養を、正常な髪が奪わないようにし、漢方薬剤軟膏を塗布すれば改善の機会があるということだった。直ちに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお教えに従ったところ、果たして髪は徐々に生えてきた。臨床において患者の円形脱毛症の症状を見たことはあったが、自分の時ほどには深刻でなく、一箇所か二箇所脱毛している程度だったが、それでも半年から一年の治療の結果徐々に回復するという程度だった。自分のように深刻な症状でありながら、たったの数ヶ月で回復してしまうとは、実に不可思議なことだ。

父は皈依の前、小学校の運動場で運動中に突然倒れたことがあった。救急車で集中治療室に運び込まれ、心臓カテーテル検查を行ったところ、心臓の回路が普通の人より一本多く、そのため異常放電が起こり不整脈が現れているということが分かった。けれども、電気で焼く方法でそれを取り除くなら、正常な回路まで傷つけてしまうリスクがあるため、一先ずそれは選択肢に入れない、とのことだったが、その後父には不整脈、めまい、冷汗などの症状がしばしば現われるようになった。ところが皈依した後には、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下、半年余りで発作は一度だけに止まり、しかも発作時もちょうど家にいたため、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェから賜った甘露丸を服用でき、速やかに症状を抑えることができた。私は家族と共に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに深く感謝申し上げたい。

2013年12月14日、末期の肝癌に犯され、黄疸、腹水の合併症に襲われていた義理の父が深夜一時頃往生した。深更であるため、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお知らせ申し上げることはできなかったが、不可思議なことに、亡くなる前の一週間、腹水を抜いていなかったため、膨張していた義理の父の腹部は、早朝、遺体を葬儀場へ移そうという頃には完全に普通になっており、黄疸も完全に消えていた。しかも、シーツには何らの液体も見られなかったのだ。妻がかつて救急室の医師にこの事を話したところ、死者の腹水や黄疸が消えたという状況を、臨床において見たことはない、と医師は言ったということだった。

私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。自分は医師ではあるが、臨床において治療法が分からない疾病は、実はたくさん存在する。それなのに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは一切の疾病の起因、病状をご存知で、それに対しては賛嘆を禁じ得ない。また私は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが医術、医学理論における教導をいつでもくださることに感謝申し上げたい。さまざまな難病や原因不明の疾病も、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教導に従えば、容易に解決することができ、これらは大学の教授ができることではないのだ。

最後に私は懺悔発露したい。自分が今手にしているすべて、仕事、家庭はみな尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがお与えくださったものであるのに、自分は感謝することを知らず、現在の仕事に集中し、落ち着いて取り組むことをせず、他の仕事のことを欲深く考えたりしていた。業務においては、経営者の立場に立って考えず、働くこともせず、多くの事で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにご迷惑をお掛けしている。叱責してくださることを、私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。そのおかげで、自分の考えが間違っており、自分は恩知らずであり、学仏では加護だけを求め、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを利用し、感謝を全く忘れていることに気づくことができた。上師に対する恭敬は表面だけのもので、何かあればリンチェンドルジェ・リンポチェをお頼り申し上げ、何もなければ上師を騙しやすいお人好しのカモのように扱っていることを、懺悔申し上げたい。

息子が突然亡くなった時、自分は皈依弟子ではなかったが、グループで働いていた因縁で、息子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに殊勝なるポワ法を修持賜り、一家揃って上師へのお近づきを賜り、執着を断ち切ることを学ばせて頂けたのだ。もし自分が他の場所で働いていたなら、今頃はとっくに家族はぼろぼろになり、悔恨の中で暮らしていただろう。従業員を弟子のように面倒をみてくださることを、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。同時に懺悔したい。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが叱責くださる時、心中には逃げ出したいという思いが湧き起こり、間違いを認めず、なんとしても面子にこだわり、上師に対して口答えしていた。深く深く懺悔したい。また懺悔したい。皈依してから今まで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して完全なる恭敬心、信心、懺悔心を持つことができておらず、また完全に上師に降参しておらず、しばしば自分の考え方を持っている。さらに、皈依前から皈依後まで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して持ったあらゆる不恭敬な考えについて懺悔したい。

大恩ある尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対してさえ、自分はこんなにも恩知らずなのだ。父母に対して感謝していることがあろうか?私は懺悔したい。父母の恩徳を当たり前のようにとらえ、父母に対して不恭敬で、父母に反抗していた。子供の頃から、自分はいつもお人好しのイエスマンで、表面的には他人を傷つけるのを恐れているようだが、実は自分が傷つくのを恐れ、自分の評判を気にしていたのだ。そのことを懺悔したい。事を行う際に約束を守らず、深く考えもせずに口を開いていたことを懺悔したい。起心動念し、いつも自分の気持ちと利益だけを考え、他人を顧ず、他人の立場に立って考えることをしないため、他人の行為が自分の必要や望みに合わないと、すぐに嗔念を起こしていることを懺悔したい。

職場を換える時には、育成してくれたもとのオーナーに感謝せず、傲慢で我がままで、患者は自分のものだと思っており、もとのクリニックの患者を新しいクリニックに奪っていた。オーナーがクリニックを開いたからこそ、患者は自分に診てもらいに来ていただけなのに、感謝することを知らなかった。それを懺悔したい。幼い頃から食べてきた牛、羊、豬、鶏、海の生物等の無数の衆生、それから母が私の口腹の欲を満たすために殺害してきた衆生に懺悔したい。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが漢方クリニックを開設された目的は、一つには、人々により良い医療環境を提供することである。そのためにはコストを顧ず最高の薬材を用い、また弟子達が健康な身体でしっかり学仏できるように望んでおられるのだ。二つ目には、漢方医学の伝統を守ることを目的としておられる。自分は『看病』というこの二文字を初めて実感することができた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのおかげで、たくさんの人が漢方医学を信じるようになり、どんな病気であろうと漢方クリニックに治療に訪れるようになり、漢方医学は病気を治せるのだということがようやく知られてきた。一般社会では、漢方医学はダイエット、だるい痛みの治療、または滋養や保養にしかほとんど利用されていない。病気になって一番最初に漢方医学を思い出すという人はいないのが現状だ。このままでは、漢方医学の多くの伝統的な医学理論が消えてしまう。いつ何時でも、衆生を利益することだけをお考えであられる尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。

息子の突然死というこの事のため、自分たちは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる教法を受ける因縁に恵まれたことを、私は感謝申し上げたい。それまで自分は漢方クリニックで既に四、五年働いており、同僚や兄弟子からたくさんのお話をうかがっていたが、自分とは関係がないと考え、皈依し学仏しようという考えを持ったことがなかった。ところが息子が突然世を去り、自分が苦しんだことで、ようやく人生の無常、因果業力の恐ろしさを理解できた。この事がなければ、自分は安逸を貪り、幸福だと思い上がった日々を過ごし、これこそが人生なのだと傲慢にも思っていただろう。それなら、業力に従い進むことしかできず、生死を解脱する可能性など言うにも及ばないことだ。

私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。ご苦労を厭わず法会では毎週絶え間ない開示をくださり、そのおかげで自分は悪習が深刻で、利己的で我執が極めて強いということを知った。しっかりと教えに従い行い自らを改め、さらに生死を解脱し、衆生を利益することを私は発願したい。いつの日か必ず、清浄な心で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養申し上げ、上師の恩、仏の恩、父母の恩、そして衆生の恩に報いることができるよう祈る」。最後に彼は「尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し、世に常住することを祈求する」と述べた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、参会者に貴重な仏法を開示くださった。

「今週日曜日より一億万回の『六字大明咒』念誦を始める。みなが心を一つにして、自分のためではなく共通の思いのために、この一億万回の『六字大明咒』で六道の一切の有情衆に利益することを祈るなら、この力は非常に大きなものとなろう。そなたの祈りが自分の病、ある事柄のためなら、この一億万回とそなたとは関係はない。未皈依の者は法本がないだろうから、『南無観世音菩薩』を念誦せよ。皈依していないのだから、毎日曜日に何回念じられるかは重要ではない。既に皈依した弟子で、灌頂と口伝観想を受けたことがあるなら、すべてを行った後に念誦を開始するように。灌頂と口伝観想を受けたことがないなら、上師と本尊無二無別を観想せよ。念誦が速い者もいれば、遅い者もいる。リンチェンドルジェ・リンポチェは念誦が終わった後は阿奇護法を修めるが、念誦が終わっていない者は、そのまま続ければよい」

リンチェンドルジェ・リンポチェは先週母が世を去ったため、済度を求めて訪れた弟子に「リンチェンドルジェ・リンポチェは20000回の大礼拝を行うよう指示したが、何回行ったか?」と尋ねた。弟子は「既に10250回行いました」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子の妻は何回行ったかを尋ねられたが、弟子は「9100回行いました」と答えた。「先週日曜日から昨日まで既に七日間も過ぎている。男として生まれながら、なぜこんなにも遅いのか」とリンチェンドルジェ・リンポチェが尋ねられると、その弟子は「勤めに行ったり、休みを取ったりしています」と答えた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示を続けられた。「そなた達は旅行に行くと言ってはしばしば休みを取っている。母が亡くなったというのに、勤めに出なければならないのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは今の台湾には『何も恐くない。ただお金がなくなることだけが恐い』という風潮があることに気がついている。誰でもこうだ。結婚していない者は、一生子供を持たない方が良いだろう。なぜならかつて正如蓮師が『未来世の人の子供はみな親孝行でない』と預言なさったからだ。ゆっくり行えば良い。リンチェンドルジェ・リンポチェは急かさない。なぜなら苦しんでいるのはリンチェンドルジェ・リンポチェではなく、弟子自身とその母なのだから。

念誦咒する時の声は大き過ぎてはいけないが、声を出さないのも良くない。セキが出たなら、念珠を15回戻すこと。あくび、くしゃみをしたなら、10回プラスしなければならない。あくび、くしゃみをしても念誦を続けても良いということはないのだ。なぜなら既に断たれてしまったのだから。そなた達が毎日曜日にどれだけ念誦するかは、リンチェンドルジェ・リンポチェとは関係がない。夜10時まで念誦しても良い。スタッフが交替で処理するだろう」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率い「瑪尼回向速証大楽文」を修誦なさり、「六字大明咒」を10000回持誦なさった後、アチ護法儀軌を修持くださった。こうして法会は圓満に終了した。

« 昔の法会開示法会開示へ戻る – 新しい法会開示 »

2014 年 11 月 26 日 更新