尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年8月3日

法会の開始に先立ち、一人の弟子が、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる教法がお与えくださる彼女、家人、友人に対する救いを、大徳の方々、兄弟子に申し上げ、自己が累世に為してきた多くの悪業を発露懺悔する機会をお与えくださったことを金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

「それはわたしが24歲の時だった。ある日、手と膝の関節が突然痛み出した。最初は気にしていなかったが、どんどん痛くなるので、病院で精密検查を受けたところ、関節リュウマチと診断された。病院では、長期にわたる深刻な炎症のため、全身の関節が変形し歩けなくなり車椅子に乗っているたくさんの患者を見た。それは永遠に忘れられない。わたしは泣きながら『あんなふうになりたくない』と父に訴えた。

けれどもその後の二~三年間、わたしは全身の関節のひどい炎症で、普通に仕事ができなくなり家にいるようになった。その頃は、一ヶ月間一度も外出しないこともしばしばで、毎日ベッドに横たわり、全身の関節の炎症による腫れと痛みで、歩くことができず、普通の生活を送ることもできず、寒い冬の夜でも、手や腕が痛くて布団を引き上げることすらできなかった。あちらこちらに医者や漢方医を訪ね歩いたが、病情を抑えることはできず、自殺の思いが頭をもたげ、『廃人になってしまうくらいなら、死んだほうがましだ』と思ったことさえあった。そしてこうであったため、心中には怨恨が渦巻き、『自分は何も悪いことをしていないのに、なぜこんな病気になるのか?自分は若くて毎日楽しく暮らせるはずなのに、病に苦しみながらこんなに辛く過ごさなければならないなんて!』と思っていた。

その後病情はいくらか落ち着いたが、再発を抑えるために薬の服用が欠かせず、そのため薬の副作用の心配もしなければならず、恐怖の中で日々を過ごしていた。わたしは幼い頃から『生きる意味とは?この人生は何のためにあるのか?』と疑問に思っていたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することで、これらすべてにようやく答えを得ることができた。

2000年12月、兄弟子のお引き合わせで因縁が生まれ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依申し上げることができた。当時は仏法について何も知らなかったが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を拝聴し、仏法の教義とは、我々が断悪行善し自己を改め、それによって輪廻を解脱できるよう教導くださるものなのだということを初めて知った。また、自己が遭遇する一切は、自分の因果の顕現なのだということを初めて理解した。わたしは子供の頃から滷味(醤油煮込み)が好きで、買うとなったら、鶏翅(ニワトリの手羽先)、鴨翅(アヒルの手羽先)、鶏足、鴨足を大量に買い込み、何日でも食べ続けていた。つまり、手足の関節の痛みは、わたしに食べられた衆生が受けた痛みだったのだろうか?もし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法教導に出会えなければ、自分は今日も天を怨み他人を怨み、感謝を知らず、毎日恐れに苛まれ、悪を続けながらそれを理解できずにいただろう。そんな状態であれば、因果の恐ろしさを理解し、わずかでも懺悔し悪行を改める機会が訪れることなどあり得なかっただろう」

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる教法に感謝申し上げた。「そのおかげで、わたしは自分の病苦と正面から向き合うことができ、しかも累世で自分に傷つけられた衆生を助けることもできた。今では、自分は病気でひどく苦しいとは思わない。なぜなら苦しんでいる衆生はたくさんおり、彼らの苦しみは自分の苦しみの何千万倍にもなるだろうからだ。それに、わたしには借りを返す能力がまだあるのだから。

両親は藏伝仏教に触れたことがなかったため、わたしが尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することを最初は非常に心配していた。けれども、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を用いて、病苦にある衆生を慈悲深くお救いになり、修法で衆生を済度なさる様子について、両親にしばしば話し、また尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主法なさる阿彌陀仏無遮大済度法会に誘ったことで、両親も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲願力を深く感じることとなった。

母はある時期、深刻なうつ病を患う友人のもとをしばしば訪れ世話をしていた。ところが、思ってもみないことに、ある日この友人は母が台所で昼食の準備をしてあげている内に浴室で首吊り自殺をしてしまった。発見し、母が友人を下ろした時には、時既に遅しだった。そのため、母は激しく自分を責め、また恐れ、眠れない夜が続いた。わたしは母を連れて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲深く温かく『恐れてはならない』と母に開示くださり、『そなたは友人を助けたのだ』と仰せになり、金剛杵で母を加持くださった。

これらは、あらゆる友人縁者が母に言ったことだった。けれども、なんとしても母の心を落ち着けることはできなかった。それなのに、同じ言葉でも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが語られると、母の心を安定させる無比なる力となったのだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げ加持を頂戴した後、母はすぐに明るくなり、その夜はとても穏やかに安眠することができ、その後恐れを感じることもなくなったという。そののち母は、自殺で往生した友人の夫に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかったことを話し、『慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェが仏法で奥さんを救ってくださった』と伝えたところ、彼も尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を賜ることとなり、施身法法会に参加し亡き妻の救済を求められることとなった。

80代になる父は、身体の調子が悪いのに検査でも原因が分からず、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁を賜ったことがあった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く父を加持くださり、『身体に問題はない。ただ年を重ねたことで臓器が老化しただけだ。節電しようとして、暑くてもクーラーをつけなければ、身体に悪いばかりだ』とご指摘くださった。わたしは隣で跪きながら、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈母のように、すべての弟子とその家族を思いやってくださっているのを深く感じた。その後家族はみな『あなた達のリンポチェは本当にすごい。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが仰せのように、お父さんは本当に、どんなに暑くても電気がもったいなくてクーラーも扇風機もつけず、扇子で扇いでいただけなんだから。身体が熱くなり過ぎて調子が悪くなっていたんだね』と言った。

しかも、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、一緒に拝謁に参上し、隣で跪いていた二番目の兄にも関心を払ってくださっていた。二番目の兄は一歲頃にかかった日本脳炎のため脳性麻痺となり、咀嚼と会話ができず、手を自由に動かすこともできなかった。そのため、『重度障碍者手帳』の交付を受けている。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは兄を見て『生まれながらなのか?後天性なのか?』とお尋ねになったので、『一歲頃日本脳炎に罹ったためです』とお答え申し上げた。それを聞き、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは金剛杵で兄を非常に長い時間、加持くださった。

それまで二番目の兄は、家族にとって困った存在だった。自由に動けず話すこともできないが、家庭内の雰囲気をどんよりと落ち込ませ、外では問題を起こし、もう少しで警察の厄介になるところだったこともあった。重度の障碍者で手足が不自由なのに、なんとしてもオートバイに乗ると我を通し、飼っている犬でさえ、兄を見ると恐がって屋上のベランダに隠れてしまうほどだった。自宅アパートの12階の窓から飛び降り自殺を図ろうとし、消防車や救急車が出動して、精神科へ入院させるという事件さえ起こしたこともあった。

けれども、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁し、加持を頂戴してから一週間ほど後、兄は人が変わったようになってしまった。これまでは父母に対して大逆不道で、至るところでトラブルを起こしていたが、穏やかで笑顔を絶やさず、進んで家事を手伝うようになったため、両親は兄の変化に驚き、またたいへん喜んだ。わたしは父母に『これは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い加持のおかげだ』と話した。近所の人も親戚も兄の変化にとても驚くので、その度に母は笑って『息子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頭を撫ぜてもらったらおとなしくなったのよ』と言っていた。これらは予想だにしなかったことだった。父の身体の調子が悪いことを心配し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁賜る際に、兄に『一緒に行かない?』と尋ねると、兄は首を縦に振ったのだった。彼女は兄に『リンチェンドルジェ・リンポチェはお父さんを救ってくださる大修行者だから、心から恭敬して祈求しなくちゃならないのよ』と言うと、兄はその通りに恭敬し隣で跪き合掌していた。こうであったので、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い加持と助けを頂戴することができたのだろう。

兄の障碍のことで、わたしは幼い頃から自分を卑下していたが、こんなふうに思うことを、兄に申し訳ないと思っていた。けれども後に、兄は家族に迷惑をかけるようになり、そのことで自分は兄をひどく憎むようになった。そんな心持でいることは非常に辛かったが、そのことを他人に話したことは一度もなかった。

皈依後に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法教導を聞き、『これは自分と家人の因果業報なのだ。自分の行いの結果を自分で受けるのは当たり前だ』ということをようやく理解し、また『自分は実はこんなにも利己的だったのだ』ということがようやく分かった。わたしは兄の苦しみを理解しようとせず、自分のことばかり考えていた。最も身近にいる兄弟に対してさえ同情できず、一筋の慈悲心さえもない。どの面提げて、自分は学仏人だと言えるのだろうか?このことで、わたしには少しの自覚が芽生え、二番目の兄を心から思いやれるようになった。また、もしかしたらこうなので、当時は全く抑えが効かなかった二番目の兄が、どうしたことか尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに一緒に拝謁することに同意し、恭敬し隣で跪きながら合掌し、また尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を頂戴することができたのかもしれない。これらすべては、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法教導が賜った恩徳なのだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法教導は、最も微細なところから、自己の貪嗔痴を我々に見せてくださり、我々の病因を最も深いところから根こそぎ引き抜いてくださる。わたしにとって、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは正に仏菩薩である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがおられなければ仏法もない。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこのようにご自身の命と福報を用いて、少しも惜しむことなく仏法を教授くださり衆生をお救いくださる。何らの報いも求めず、衆生が因縁福報があり正法を聞き修行し、これによって生死を解脱できることだけを願っておられる。

以前のわたしは、たくさんの目標を掲げ、目標を達成しなければ、人生は成功といえず、幸せにもなれないと考えていた。それなのに、いわゆる人生の目標とは、実は自己貪嗔痴の結合で、利己的に自分のことだけを考えるものだということを知らなかった。若ければ健康なのが当たり前だと考え、累世に自分に傷つけられた衆生の苦しみを無視し、毎日欲望を抱えて生活しながら、一つまた一つと幻滅し、辛くてたまらないと考えていた。

皈依の後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教法を受け、快楽も痛苦もすべて自己の分別心であるということがようやく分かった。欲望が達成されれば本当に幸せなのだろうか?それならなぜ一瞬の感覚が過ぎ去った後、より大きな喪失感に襲われるのだろうか?わたしは自分の心を全くコントロールできず、自分が何を求めているかさえ分かっていなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、我々に、他人の過ちを見て自分の欠点を覆い隠すのではなく、毎日自己の心を見詰め直し、自己の内面を観察するよう求められる。

わたしは、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのように、命と心のすべてで弟子を教導くださる上師は、今のこの世界にはいないだろうと強く感じている。寶吉祥の1500名の皈依弟子も、毎週日曜日の共修法会でも、上師にたくさんの供養をするのだろうと外部の人たちは思っているようだが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの願力は本当に苦しんでいる衆生を救いたいというものであるため、寶吉祥に集まるのは、病気の人や生活に困っている弟子ばかりだ。弟子達のわずかばかりの供養は、上師がなさる供養や教派護持の千万分の一にも及ばない。また、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子達がより良い暮らしを送れ、健康な身体で学仏できるよう、経営なさっているグループ事業では採算を度外視して、最高の品質で最高のサービスを提供し、しかもグループカードがあれば、グループ事業の大部分で5%オフの優待も受けられるようにしてくださっている。

実はこの5%の割引は積み重なると大きな額になる。わたしは民間会社で財務関係の仕事をしているが、会社ではしばしばいわゆる利潤分析を行い、その際には0.1%のコストであってもこだわっている。こうなのだから、グループ事業の利潤はかなり限定的であるか、または利潤をあげるのは非常に難しいだろうと思う。けれども尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子のため、衆生のため、それでもそれを続け、それだけでなく多くの兄弟子がグループで働いておられる。この世の中に、弟子のためにこんなにも尽くされる上師が、他におられるだろうか?仏法を教授するだけでなく、弟子の家族や、親戚、友人にまで関心を寄せてくださり、生から死に至るまで、弟子の生活にまで心を配ってくださり、失業していればグループ事業で働けるようにしてくださるのだ。

教派内では、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは漢人であるため、しばしば排斥されたり侮辱されたりするが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは一人で受け止めておられる。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこれら一切を気になさらず、心に留めておられないようだが、上師がいわれのない誤解や侮辱を受けて、弟子として黙っていられるだろうか?わたしは内向的な性格で、言い返さないこともしばしばだ。けれども、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子と衆生のために尽くしておられることがよく分かっているので、友人や同僚が事実と異なる報導を見て、二度目に尋ねて来たなら、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは在家で実修実証しておられる大修行者で、仏経の教導正法に完全に基づいており、また如何にして教派を護持し、衆生を救い、弟子の面倒をみてくださるか等をはっきりと説明している。なぜならこれは弟子として行うべき最も基本的なことだからだ。さらに、わたしは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが言われるように、自分は仏教徒であり、仏弟子であることを誇りに思う、と周囲の人に知らせている。

父母は今生の身体の命を授けてくださったが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは生生世世の学仏の慧命を開いてくださったので、彼女にとってはもう一人の父母のようだ。わたしはこの一世で、生みの両親に対しては世間でいわれているような孝道を尽くすことができるだろうが、生生世世の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対しては、仏法教導と救いを絶えず受けながら、少しも恩返しをすることができないだろう、としばしば思う。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を教導なさる際に常に無常を観想なさる。もしこの生が今終わろうとしていても、自分には既に生生世世で頼ることができる上師がおられる。人身は得難く、仏法は聞き難く、上師には会い難い、という。自分は、千万世の輪廻を経て実証実修の大修行者であられる尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにようやく巡り会え、正法を伝授していただき、輪廻を解脱するほんのわずかの機会を得ることができているのだ。これをこれ以上無駄にすることができようか?」と彼女は述べた。

さらに彼女は「尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分を輪廻に陥らせる悪行を如何にして改めるかを教導くださった。自分ができることはほんの少しだが、それでも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは供養布施を行う機会をお与えくださった。上師の諄諄教誨がなければ、自分を改めることは世界で最も困難な作業だが、学仏修行は最も正しい道なのだから、一生を掛けて努力し続けなければならない、ということを理解できなかっただろう」と感謝申し上げた。

「尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはご自身の福報と生命を掛けて衆生をお救いくださる。あまりにも大変なご苦労だ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは『仏菩薩は救急不救窮であられる。学仏とは仏を拝み加護を求めるものではない。輪廻生死を断つのは自分次第なのだ。なぜなら我々は最後には一人で死に向き合わなければならないからだ。その時には、上師の他には、だれも救ってくれない』とかつて開示くださった。

わたしは、自分が過去世と今世で犯したすべての悪業を懺悔したい。幼い頃から、意地汚いわたしは衆生の肉をどれだけ食べてきたか知れない。子供の頃は食いしん坊で、母のお金を盗んでおやつを買っていたほどだ。中学時代は、自分を塾へ行かせようと、父母が苦労して稼いでくれたお金を、こっそり飲食や映画に使っていた。働くようになってからは、会社の文房具を持ち帰っていたし、出勤時間にプライベートにかまけ、いつも他人と争い、自分は他人より仕事ができると考え、同僚の学歷や能力が自分より高いと嫉妬していた。殺生、窃盗、妄語、二枚舌等の悪行を、すべて行ったことがあるのだ。

わたしはこれら悪行を懺悔し、二度と再び過ちを犯さないよう自らを改めたい。人身は得難く、仏法は聞き難く、上師には会い難いというが、特に上師には会い難いのだ。寶吉祥の弟子達は、こんなにも無私無我で命を掛けて衆生を救ってくださる伝法上師、人中の寶—尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに巡り会えたとは、累世の因縁福報に他ならない。弟子達は恭敬して学習し、教法を日常生活に生かしていかなければならない。仏法は世間法を離れない」と述べ、「兄弟子のみなさんは、生死に関してはコントロールできないだろうが、それ以外の仕事や恋愛や家庭生活や病の苦しみなどに関しては、みな因果の顕現なのだから喜んで受け入れ、自助自救であるべきで、上師がより多くの衆生の済度を行えるよう、そんなことで上師を煩わせないようにしなくてはならない」と彼女は呼びかけた。

さらに彼女は「上師がおられなければ、正法を聞く機会もなかっただろうし、生死を解脱するわずかな機会でさえなかっただろう。わたしは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと仏菩薩から多くの恩澤を賜りながら、何もお返しできないのだから、ただこの生で学仏に努力し、生死輪廻を解脱して上師の恩、仏恩、父母の恩、衆生の恩に報いたいと思う」と語った。最後に彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し、仏法事業が世に常住し、一切の有情に利益できることを祈った。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、参会者に貴重な仏法を開示くださった。

「リンチェンドルジェ・リンポチェが尊勝なる直貢チェツァン法王に依止したばかりの頃、当時直貢噶舉には三人の年長の成就者がおられた。一人はリンチェンドルジェ・リンポチェの皈依師─テンジンニンマ・リンポチェ、チベットの直貢祖寺─直貢梯寺に長く暮らしておられ、既に往生された。もうお一人は ユンカ・リンポチェで既に亡くなっておられる。チベットの辺境で長く閉関し、彌勒菩薩の浄土に往生し、彌勒菩薩と共に世間に戻り成仏することを宏願しておられた。

ユンカ・リンポチェは侍者の他には誰にもお会いにならないが、リンチェンドルジェ・リンポチェに非常なる秘密の灌頂を授けてくださった。みなは求法とは供養であり、口に出していえば即求められると思っているだろう。ユンカ・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに灌頂をお授けくださる前に、先ずはリンチェンドルジェ・リンポチェに試験をくだされた。仏法上の試験とは名相を尋ねるのではなく、特に直貢噶舉では大手印を修め、行者の心を直接尋ねるのだ。これまでどんなにたくさんの本を読んだことがあっても、どんなにたくさんの仏法を聞いたことがあっても、契機は、この因縁中で答えることこそがそなたの心なのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェがユンカ・リンポチェの試験を通過して初めて、ユンカ・リンポチェは最高の秘密とされてきた灌頂をお授けくださった。今ではこの年長の成就者も既におられない。

テンジンニンマ・リンポチェとユンカ・リンポチェというこのお二人の年長者は、揃ってラマから証果を修められた方である。1995年リンチェンドルジェ・リンポチェが初めて直貢梯寺を訪れた時、大殿の出家衆に、この仏寺中で最高齢の方にお目に掛かりたいと告げた。当時リンチェンドルジェ・リンポチェはそれがどなたであるかを知らず、ただ尋ねただけだった。ちょうどテンジンニンマ・リンポチェの侍者が大殿で用事を済ませており、それを聞いて、知客(受け付け担当の僧)に『この方に違いない。リンポチェは今日はお一人にだけお会いになる。リンポチェは、今日は外来の人があるので、必ず会わなければならない、と言われた』と言った。当時、テンジンニンマ・リンポチェは直貢噶舉にいわゆる『死関』の最中であった。つまり時が至るまでは誰にも会わず、全く出関しないという状況におられたのだ。

そのため、侍者はリンチェンドルジェ・リンポチェを伴って登っていった。梯寺の標高はおよそ4000mで、大殿からさらに約500m登り4500mの場所に至った。そこは道がなく、ただひたすら登るだけだったが、1995年時リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ若かったので、速く登ることができた。上へ着くと、侍者は小窓がある木の戸をノックした。数分して、テンジンニンマ・リンポチェがその戸を開けた。それは二層になった戸だった。テンジンニンマ・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェをご覧になったが、リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット語ができず、テンジンニンマ・リンポチェは中国語がおできにならないので、リンチェンドルジェ・リンポチェに頭を差し入れるよう指示なされた。頭を差し入れて何をするのか?そなた達なら恐くなるだろう。『カチャッ』と切られれば胴体から離れてしまうのだから。

リンチェンドルジェ・リンポチェが頭を差し入れると、テンジンニンマ・リンポチェはハサミでリンチェンドルジェ・リンポチェの頭髮を切り、続いて皈依文、直貢噶舉の伝承を唱えてリンチェンドルジェ・リンポチェに聞かせてくださり、リンチェンドルジェ・リンポチェに九回の頂礼を求められた。今になっても、まだ分からない。テンジンニンマ・リンポチェがなぜリンチェンドルジェ・リンポチェに九回の頂礼を求められたのか。通常の頂礼は三回であるが、 テンジンニンマ・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに九回の頂礼を求められた後、法号を下された。話せる事はまだまだたくさんあるが、今日はここまでにしておこう。

もう一人の年長者はドラブ・ワン・リンポチェと仰せだ。ドラブ・ワン・リンポチェとテンジンニンマ・リンポチェとは兄弟弟子であらせられ、当時はインドにおられた。ドラブ・ワン・リンポチェはある願を発しておられた。出家衆であられるが、髮を剃らずに高く結い上げておられ、洗髪なさらないのに全く臭気がなく、いい香りがした。そのため、以前からドラブ・ワン・リンポチェを謹んで「香頭髮リンポチェ」とお呼び申し上げていた。インド・ヂャンチュウブリン寺の下の方にチベットの民の村があり、その村の講堂で、リンチェンドルジェ・リンポチェは初めてドラブ・ワン・リンポチェにお目にかかった。尊勝なる直貢チェツァン法王の侍者がリンチェンドルジェ・リンポチェをドラブ・ワン・リンポチェにお引き合わせてくださったのだ。

その時、ドラブ・ワン・リンポチェは演台の上に腰掛けられ、法座にもたれ掛かっておられた。下にいるのはみな在家衆で、リンチェンドルジェ・リンポチェはドラブ・ワン・リンポチェに頂礼申し上げた後、200ドルを供養した。ドラブ・ワン・リンポチェは、ドルをご覧になったことがなかったので、それをじっとご覧になり、侍者にそれは何かと尋ねられた。ドラブ・ワン・リンポチェは供養をお受取りくださった後、親指を立てて、直貢チェツァン法王の侍者にリンチェンドルジェ・リンポチェは善男子であると言われた。いわゆる『善』とは十善法の修行である。ドラブ・ワン・リンポチェとリンチェンドルジェ・リンポチェの因縁は非常に深いのだ。

1997年尊勝なる直貢チェツァン法王はインド・ヂャンチュウブリン菩提寺でリンチェンドルジェ・リンポチェに公開坐床を行われた。チベット仏教では、仏法を伝え、仏法を教える際には、先ずケンポスになり、次に伝法師にならなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは在家で、ケンポスにはなれないため、必ず儀軌を行わなければならない。もし教派に法王がおられるなら、公開の場所で『坐床』を行う。『床』とはベッドのことではなく、一つの比喩だ。『坐床』の儀式は、たくさんのラマと教派中の重要なリンポチェの面前で行わなければならない。大学で教授になるには、公開の儀式を執り行うが、それと同じようなものである。

その日早朝、大殿へ赴くと、尊勝なる直貢チェツァン法王は先ずリンチェンドルジェ・リンポチェに直貢チェツァン法王がお住まいの場所へ行くように指示なさった。そしてドラブ・ワン・リンポチェは早くから仏寺大殿の入口に立っておられた。チベット仏教の儀式において、大殿で法会を行う場合には、法会開始前には、スタッフの他は、誰であっても中に入ることはできない。これが他とは違うところだ。他はみな先に入場し、それから弘法人が後でおいでになる。当時直貢チェツァン法王はドラブ・ワン・リンポチェに従い大殿の入口に立って待つようリンチェンドルジェ・リンポチェに指示なさった。直貢チェ・ツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェとドラブ・ワン・リンポチェを伴い先ず大殿に入られ、続いて他のラマも入場した。その日、ドラブ・ワン・リンポチェは他のリンポチェを代表してリンチェンドルジェ・リンポチェの坐床儀式を見届けに来られたのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェはインドへ行く度に、必ずドラブ・ワン・リンポチェに拝謁申し上げている。ドラブ・ワン・リンポチェはとても変わっておられ、毎回リンチェンドルジェ・リンポチェの頭を捧げて五分以上も念誦なさる。リンチェンドルジェ・リンポチェはドラブ・ワン・リンポチェが何を唱えておられるのか分からないが、ドラブ・ワン・リンポチェは唱え続けられ、他人が入って来ると、ドラブ・ワン・リンポチェは叱責される。テンジンニンマ・リンポチェも叱責され、ドラブ・ワン・リンポチェも叱責される。こうなのだからリンチェンドルジェ・リンポチェに怒らないでもらいたいと言っても、それは無理な話だ。永噶リンポチェも叱責なさる。修行がなっていないリンポチェを叱責され、大声で怒鳴られるのだ。

ある時、非常に深い因縁があり、 ダライ・ラマがインド・ヂャンチュウブリンに二~三日滞在されたことがあった。安全に対する配慮から、仏寺全体をすっかり空にし、直貢チェツァン法王と数人の侍者だけが仏寺内に止まった。直貢チェ・ツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェとドラブ・ワン・リンポチェに仏寺の入口で待つようお命じになった。ドラブ・ワン・リンポチェには当然椅子が用意されたが、ラマ達はリンチェンドルジェ・リンポチェに構ってくれなかったため、ドラブ・ワン・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェに椅子を持って来るよう侍者に申し付けた。そのためその日、入口の外では、ドラブ・ワン・リンポチェとリンチェンドルジェ・リンポチェだけが椅子に腰掛けていた。

その時ちょっとしたでき事があった。ある台湾の信衆夫妻がドラブ・ワン・リンポチェを目にするや、その御前に跪いて哈達を献上したのだ。けれどもドラブ・ワン・リンポチェは彼らを一瞥もしなかった。彼らはそこで三分間ほど畏まっていたが、自分たち自身が気まずい状況を作ったことに気付き、哈達を自分に掛けて立ち上がった。このように、年長の修行者はみなかなり個性的だ。『彼らは御前に跪いているのに。なんと無慈悲な』と思う人もいるだろうが、ドラブ・ワン・リンポチェは独自の考え方をお持ちなのだ。少しして、ダライ・ラマがお越しになると、仏寺の外には数百人が詰め掛けたが、ドラブ・ワン・リンポチェとリンチェンドルジェ・リンポチェだけが入ることを許され、他の人は入れなかった。直貢チェツァン法王がドラブ・ワン・リンポチェとリンチェンドルジェ・リンポチェを入場させてくださったのだ。これも非常に特別な因縁といえるだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェが台湾で『金剛舞』を催した際、ドラブ・ワン・リンポチェは教派中のリンポチェで唯一人お越しになり、『金剛舞』をご覧になって非常に喜ばれた。ドラブ・ワン・リンポチェは寶吉祥仏法センターにもおいでになり、ここで法会を主持くださったこともある。ドラブ・ワン・リンポチェは往生の数年前、リンチェンドルジェ・リンポチェに直貢梯寺の非常に古い伝承を復活させるようお命じになったことがある。かつて直貢梯寺では、每年11、12月にすべての出家衆が24時間『六字大明咒』を45日間唱える行事があったが、歷史的な要因で、この伝承は途絶えてしまっていた。そのため、ドラブ・ワン・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェにその復活を託されたのだ。誰も供養しないので、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎回数十万人民元をこの行事のために供養していた。数年の後その功徳が現れた。今ではリンチェンドルジェ・リンポチェも不要だ。ドラブ・ワン・リンポチェが往生なさる前、リンチェンドルジェ・リンポチェはネパールでドラブ・ワン・リンポチェにお会いしたことがある。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今日数人の年長のリンポチェについて話したが、どこが重点なのか?この数人の年長のリンポチェは人前に出て伝法するということを全くなさらない。お見かけすることができたなら、それはそなたに縁があったということで、縁がなければ目にすることさえできないだろう。 テンジンニンマ・リンポチェは最後になっても、衆生が献じた哈達さえお受取りにならない。それは一切の心残りを作らず、少しも借りを残さず、すっきりさっぱり旅立ちたいと思っておられるからだ。ドラブ・ワン・リンポチェは一生灌頂なさらず、伝法せず、どこへ行かれても一億回の『六字大明咒』を唱えるよう仰せになるだけだった。リンチェンドルジェ・リンポチェは1997年から仏法を弘揚しているが、この方法がやはり良いと思う。それはそなた達が全く以て仏を学ぶものではなく、ただの信衆に過ぎないからだ。

昨日ある弟子が性懲りもなくまた叱責された。彼の母親は最近亡くなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは、母はリンチェンドルジェ・リンポチェに会ったことがあったかと尋ねると、彼は昨年会ったことがあると答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは『母は菜食していなかっただろう』といったが、その弟子は、母を絶対に済度させてくれとリンチェンドルジェ・リンポチェに言い募る。けれども福徳因縁がなければ、どうして済度できるだろうか?そなた達学仏人はある事をすっかり忘れている。在家であろうと、出家であろうと、なぜ七月の盂蘭節があるのか?実はこれには仏教では非常に重要な故実があるのだ。鬼門関を開くという行事は、中国人が発明したものだ。仏法が中国で興隆した後、鬼を拝んでいた呪術師は仕事を失うことになった。そのため、これに事寄せて、鬼門が開いただの、紙銭を燃やすだのと言いだしたのだ。

今になってもなお七月に紙銭を燃やしている弟子がいると知ったら、リンチェンドルジェ・リンポチェはその弟子を必ず破門するだろう。なぜなら仏経ではそう説かないからだ。紙銭を燃やす風習は商代に始まり、周代に死者に対する一種の礼儀として確立されたものに過ぎず、仏法とは全く関係がない。母親、姑が燃やすので、という人もいるが、それは彼ら自身が燃やすのだ。仏経で説いているなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは行っても良いと必ずいうだろう。仏経中では七月に行うべき事をはっきり説いており、どうすれば得度できるかを教えているが、皈依したばかりであろうと、皈依していなかろうと、皈依して長くなる者であろうと、みなしばしばこの事を忘れてしまっている。

釈迦牟尼仏の傍に仕える弟子の中で、目犍連尊者は第一の神通であられた。その修行はリンチェンドルジェ・リンポチェの比ではなく、もちろんそなた達とは比べものにならない。目犍連尊者の母は生前学仏も修行もしなかったため、死後は餓鬼道に堕ちた。目犍連尊者は神通を使って、母が苦しんでいるのを知り、神通を使って母に食物を与えたが、母は一切食べなかった。餓鬼道では、食物は喉に至ると、それが火に変わり飲み込むことができなくなってしまう。水であっても火に変わってしまうのだ。そのため、顯教には『開咽喉咒』がある。目犍連尊者はこれを目にし、自分は母を済度させる能力がないことを知った。自分が何回か仏号を唱えるだけで済度できると、なぜ考えるのか?そなた達が優れているのか、目犍連尊者が優れているのか、どちらだ?

台湾はおかしなところだ。傲慢で、自分は素晴らしいと誰もが思っている。そして、阿彌陀仏を唱えればそれで良いと仏教で説くと考えている。実はそれは条件つきなのだ。仏経で説く物語には注意しないで、自分はできると考えている。もしそうなら、目犍連尊者が大神通を持たれたように少なくとも阿羅漢までは修めなければならないだろう。この程度さえできないなら、自分は亡者を済度させられると、何を根拠にいうのか?釈迦牟尼仏は、目犍連尊者に供養するよう諭された。しかし、それは普通の供養ではない。南部で事件事故が起こり、みな寄付をしたが、これは布施であり、有為法である。もし供養なら、対象が重要になってくる。

古代には結夏があった。インドでは夏は非常に暑いため、托缽に出かけないが、もう一つには、夏は地面にたくさんの虫がいるため、虫を踏みつけて死なせてしまうのを出家衆は恐れたのだ。そのため、夏はみな一つところに定住し外に出ない。釈迦牟尼仏は目犍連尊者に、1000人余りの出家衆が出関時には斎僧が行われるが、その功徳を母親に廻向すれば、母を餓鬼道から逃れさせられるとお教えになった。けれども、みなよく聞くように。釈迦牟尼仏は、阿彌陀仏のお傍に行けるとは仰せにならなかった。ただ天界に至れるだけなのだ。閉関していたのは全て釈迦牟尼仏が自ら伝法なさった弟子だ。今我々は自分は釈迦牟尼仏の弟子だと自称しているが、全く汗顔の至りで、恥ずかしいことこの上もない。自分は釈迦牟尼仏の弟子だなどという資格がどこにあるのだ?何もできていないのに!皈依したのだから、自分は仏弟子だと思っているだろうが、実はただ儀軌を始めたというだけなのだ。

仏経中では『一人の発心した修行者を供養することは、仏を供養する功徳よりも大きい』という。それはなぜか?それは、仏は既に圓満となられているため、そなた達を必要としないからだ。だが、一人の発心した行者は未来仏であり、未来菩薩である。成仏までの過程では、非常に多くの衆生を利益することができる。そのため、一人の修行者を真実に、確実に供養することは、斎僧を毎年行うより有用なのだ。斎僧と鬼門関開放の典拠はここにある。リンチェンドルジェ・リンポチェは、そなた達が拝拝(お参り)へ行き、紙銭を燃やしていることを知ったなら、もうここには来させないだろう。なぜならそれでは学仏人でないからだ。

済度を望むなら、供養せずにどうして遂げられるだろうか?普段は何もなければ供養せず、何か起きた時だけ供養する。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示の重点は、供養せよ、ということではなく、そなた達には福報がない、ということだ。昨日リンチェンドルジェ・リンポチェは簡単な比喻で開示した。ある者が『自分の兄、家族は信じず、自分だけが弟子なので、母を菜食に変えさせることはできない』という。リンチェンドルジェ・リンポチェの家では、リンチェンドルジェ・リンポチェが学仏修行を行っている他、弟も妹も姉も全く修行しておらず、法会に参加することさえない。ではリンチェンドルジェ・リンポチェは何を以て母を変えさせることができたのか?リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達よりうまく行ったからではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達より従順だからだ。そなた達は読経し母に廻向すれば、母を従わせられると思っているのか?

だれもがこの過ちを犯している。読経して父母に廻向すれば、父母は従ってくれ、業力が重くならないと思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェに『わたしの父母は業力が重い!』と言う人さえいる。『その通りだ!そなたというこの親不孝者を生み出したのだから!』とリンチェンドルジェ・リンポチェは答える。父母の業力は当然重いだろう。業力が重くないなら、菩薩を生み出すだろう。我々のような凡夫俗子を生み出すだろうか?業力が重くないなら、個釈迦牟尼仏や法王を生み出すことさえできるだろう!

仏経では『真の孝行者とはしっかり修行し学仏する人である』と言う。ちょっと念誦し、ちょっと拝めば、福報がすぐに起こるなどと思ってはならない。これは生生世世の事なのだ。前回観音菩薩を修めた時に、『誠実』でなければならないと開示したばかりだ。上師の言う通りに行い、しっかり従って行わなければならない。驚愕し、間違ってはならない、過てば叱られると緊張して震えているのでは何にもならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示したことがある。叱られるのを恐れる人は世界一の悪人だ。叱られないで、どうして自分の過ちが分かるだろうか?叱られるのを恐れるとはどういうことだろうか?一つには面子にこだわり、もう一つは傲慢で、さらには自分が過ちを犯したと思っていないのだ。そのため叱られるのを恐れている。このような人が改めることなどできるだろうか?

さらに度が過ぎた場合には、頭の中が真っ白になり、何の反応もない。これも悪だ。どうして何の反応もないのか?そなたは人間だ。神経もあり思維もある。なぜ反応しないのか?なぜなら『怒らせておこう!今は何を言っても怒られるだけだ。何も言わないでおこう』と考えているからだ。そうではないか?これは憎むべき態度ではないか?仏法でいう『罵(叱責する)』とは上師は怒っているのではない。仏経中では釈迦牟尼仏は一日中弟子を怒鳴りつけている。そなた達の考えからすれば、仏は怒鳴るようなことをなさるだろうか?ゆっくり説き聞かせ、じっくり導かれるはずではないか!だが、そなた達のような者に出会ったなら、叱りつけないのがおかしいほどだ!

なぜ三人の大リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェを叱責なさらないのか?それはリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら改めるので、叱責する必要がないからだ。そなた達はなぜ叱られるのか?それはそなた達が改めないからだ!どんなに説いたところで、この程度ではないか。全く以て思い上がっている!誰もが、自分は修行しており、既に発願しており、なかなかうまくやっていると考えている。そのため、叱られるのだ。もし仏が、叱責は正しくないとお考えなら、仏経中に『呵責(怒鳴る)』というこの二文字は出現しないはずだ。≪寶積経≫中には最も多く見られる。『寶積経』中では、出家衆と在家衆の修行方法を仏が特に糾しておられ、非常にたくさん指摘しておられる。

≪妙法蓮華経≫、≪華厳経≫、≪般若経≫を読んだことがあるのだから、自分は修行しているなどと考えてはならない。これらは理論に過ぎず、真の菩薩道の修行は≪寶積経≫に始まるのだ。≪寶積経≫中では、六波羅蜜等の一切に対する解釈が他とは異なり、もっと高いレベルに至る。もしリンチェンドルジェ・リンポチェが≪寶積経≫に基づき仏法を開示するなら、みなすっかり逃げ出してしまい、誰も残らないだろう!前回観音菩薩を修めた時開示したように、そなた達は上根器ではないのでどうしようもないのだ。それでも、まじめにじっくりと皈依して教えに従えば、三悪道に堕ちないという保障くらいは得られるだろう。昨日会いに来た弟子のように、家庭内の少しの障礙さえ話そうとせず、予め懺悔することも理解できないほどに、なお教えに従わないなら別だが。少しでも智慧があるなら、家庭内に障礙があることは分かるだろう。さらに、母のために準備することも理解できず、死んでからあわててやって来て、本当のように泣きまねをしている。

リンチェンドルジェ・リンポチェは十数年前から母のために準備していた。今になって母を台湾に連れて来たのでは、どうしようもないだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェはどうやって準備したのか?それは自分自身が絶えず精進したのだ。誰でも、自分が学仏するには心の拠り所が必要だと思っているだろう。寶吉祥仏法センターに来るのは、リンチェンドルジェ・リンポチェがすべてを請け負ってくれるからだろう。何を請け負うのか?そなた達が改めようとしないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはどうして請け負うことができようか?リンチェンドルジェ・リンポチェの口癖は『救急不救窮』だ。一度は救ってやろう。けれども一度だけだ。なぜ救わないのか?教えに従わない者をなぜ救うのか?一度目に救うのは、まだ因果についてしっかり理解できていないだろうと考えるからだ。恩人に救われても、なお恩人の言葉に従わないなら、どうして二度目も救ってもらえるだろうか?

非常に多くの人が『慈悲』というこの二文字について誤まった認識を持っている。慈悲とはお人よしのことではないのだ。智慧もなく慈悲を乱用する人は地獄に堕ちるだろう。慈悲と智慧とは車の両輪だ。慈悲だけで智慧がなくてもいけない。必ず二つを一緒に用いなければならないのだ。智慧とはどこから来るのか?我執を破壊しなければならない、と前回教導したように、もし我執を破壊できないなら、なお二元法が存在している。『我』が好きだ、『我』が嫌いだ、『あの人』はどうだ、『我』はどうだ、『我』は叱られたくない。これらは全て二元法だ。このような法にこだわっていては、慈悲を修めることなどできない。自分の感覚を重視する人は、慈悲を修めることなどできないのだ。慈悲がなければ、どうして衆生に利益することができようか?

自分は我執を破られない、と思っても、先週開示したように、発した誓いの言葉に確実に皈依し、破戒せず、上師に対して絕対的に従うことができれば、この一生で三悪道へ堕ちない機会はまだ残されているだろう。三悪道へ堕ちるのはなかなか難しいと思っているだろうが、実はとても簡単なのだ!目犍連尊者の母でさえ餓鬼道へ堕ちるのだ。そなた達にとって難しいことがあろうか?少しの執著さえあれば、一つの事を思い切ることができないだけで、すぐに堕ちてしまうだろう!なぜ今年は大法会を開催しないのか?それはみなが教えに従わないからだ。每年リンチェンドルジェ・リンポチェは肉を食するなと勧めているが、みなは少しなら大丈夫だと思っている。『リンチェンドルジェ・リンポチェは無慈悲だ。衆生の問題はどんどんひどくなっているのに、法会を開催しないなんて。これでは事態はもっと深刻になるではないか?』と言う人もいるだろう。仕方がない。果報を成熟させなければ、みな恐れを知ることはないだろう。そうでもしなければ、法会に参加すれば加護が得られると考え、それまで通りに肉を食しているのだから。

リンチェンドルジェ・リンポチェはしばしば日本へ行く。日本の人口が一億人余りであるのに対して、台湾の人口はたったの二千万人余りだが、殺人事件の発生頻度は台湾は日本よりとてつもなく高い。新聞を見れば、このような事件が毎月必ず発生していることが分かる。台湾はなぜこんなにも恐ろしいのか?それは嗔念が重く、殺業が重いからだ。仏法が中途半端どころか、中途にさえも達していない。台湾では、日本よりかなり仏法が盛んだ。毎日誰かが念仏し、拝仏し、懺悔している。道理に拠っても経典上の記載に拠っても、台湾は平和な地で、天災であろうと人災であろうと発生しないはずだ。

以前南部のある地方で、藏経閣が二度も焼けてしまったことがあった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそれを見て、仏法が存在しないことを知った。なぜなら経典それこそが仏法だからだ。一回目に発生した時には報道されたが、二度目は報道されなかった。そして後に、彼らはさらに大きな建物を建てた。衆生は誰もが迷信深く、大きな建物を建てることが仏菩薩供養だと思っている。けれども、実際に修行している人はいない。そなた達は仏菩薩を苛め過ぎだ。飛行機事故が起きた際も、道教で念誦し、村全体で七日間菜食していた。そなた達は親族や友人を大法会に誘うが、最初の三日間菜食しても、その後の三日間はすごい勢いで肉を食べている。誰もが心を用いて物事を行わない。この国、この土地がどうして平和いられようか?

リンチェンドルジェ・リンポチェは大法会を故意に開催しないのではない。事情を見せたとしても、意味がないからだ。每年大法会では菜食を勧めているが、みな自分勝手で、食事を改めようとせず、共業の恐ろしさを理解していない。もし我々は一切の悪を止めないなら、共業の渦の中に簡単に巻き込まれてしまうだろう。仏経では、殺生すれば必ず刀兵劫があると言う。台湾では今は戦争がないため、交通事故、飛行機墜落、訳の分からない爆発が起きるのだろう。人の眼から見れば人災だが、この地が善なら、人災であっても抑えることができ、または軽くすることができるはずだ。仏はなぜ『止悪行善』を勧められるのか?それはこの世間にはあまりにも多くの悪があるので、悪念を起こしさえすれば、悪の共業の中に巻き込まれてしまうからだ。我々は生生世世でこんなにも多くの悪を為している。悪の力は善の力よりもはるかに大きいので、『止悪行善』を決心できないなら、災いはすぐに発生してしまうのだ。

ドラブ・ワン・リンポチェは何一つおっしゃらなかった。ただ、六字大明咒を唱えるよう仰せになるだけだった。それはもう話すのに疲れておられたからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはドラブ・ワン・リンポチェを見習おうと思う。みなはリンチェンドルジェ・リンポチェが歌を歌っていると思っているのだろう。法会に参加すればリンチェンドルジェ・リンポチェの歌を数時間聞けるので、心地良く帰宅できると思っているのだろう。修行ができているかどうかは、父母ならはっきり分かるだろう。なぜか?父母を助けることができたか?今では誰もが、自分はしっかりできていないと言い、これが口癖になってしまっている。もしリンチェンドルジェ・リンポチェが出家者で、そなた達のライフスタイルとリンチェンドルジェ・リンポチェのそれとが異なるなら、そなた達は自分はしっかりできていないと言う資格もまだあるだろう。けれども、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達と同じ在家なのだ。しかも、やるべき事が非常に多い。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェより多忙か?リンチェンドルジェ・リンポチェの百分の一も忙しくないだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは夢の中でも忙しいのだ。そなた達は何を忙しがっているのだ?

なぜこんなにも差があるのか?それは教えに従わず、適当であるからだ。先ずは自分、自分の家を顧慮する。誰だって自分のために考えるだろう。そうしない人があろうか?考えの最後は必ず自分のことだ。どれだけ考えられても役に立たない。ドラブ・ワン・リンポチェは一生慈悲深くあられた。衆生に六字大明咒を唱えるよう教え、他は一切おっしゃらなかった。なぜなら六字大明咒を念じれば、少なくとも地獄、餓鬼、畜生道へ堕ちるのを免れる機会があるからだ。自分は阿彌陀仏を念じたことがあるから、または菜食し念仏しているのだから、三悪道を逃れられる、とは思わないことだ。それでもやはり三悪道へ行くことはある。

菜食し念仏していれば、畜生道に堕ちたとしても、そなたを娘や息子として可愛がってくれる人に巡り会えるだろう。餓鬼道に堕ちたとしても、他の餓鬼は何も食べられなくても、福報があるそなたは大便を食べることができるだろう。他人を『糞でも食ってろ』と罵るのは良くないことだが、餓鬼道ではありがたいことなのだ。大便であっても食べることができるのだから。餓鬼道では何も食べられないのだ。普段他人を『糞でも食ってろ』と罵っているなら、餓鬼道へ堕ちる準備をしておいた方が良かろう。なぜならこのようなものが習慣になっているからだ。地獄へ堕ちるのもとても簡単だ。嗔念を抱き、他人を怨むなら、念仏していても堕ちてしまう。なぜか?そなたの嗔恨の心が強烈なら、事切れる時に仏を思うことなど絕対にありえず、やはり他人のせいにばかりするだろうからだ。

貪念が重い人は、寒冰地獄に堕ちるだろう。学仏すれば貪念が消えると思っているだろうが、やはりあるのだ。一日中息子に廻向し、またはある特定の対象に与え、または早く結婚できますように祈る。仏法はこのように用いるものだろうか?仏経上に、結婚を手助けすると記載があるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはさっさと結婚紹介所に商売変えすればいいだろう。そうすればすぐに金を稼ぐことができる。ここまで既に二時間話しているが、人より多く稼いでいるということはない。注意して欲しい。直貢噶舉のこの三人の年長の成就者を見ればよく分かるだろう。お一人またお一人とみな旅立たれてしまったのだ!120歲の老阿尼もおられたが、この老阿尼はリンチェンドルジェ・リンポチェがお会いした二年後に旅立たれた。老阿尼は最後に 、青海に108個の金剛薩埵の仏塔を作ってくれるようリンチェンドルジェ・リンポチェに頼まれた。これら年長の成就者はリンチェンドルジェ・リンポチェに何かをお命じになることが多い。

リンチェンドルジェ・リンポチェは次のように考えている。来週から13週間連続で、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を説かず、すべての皈依弟子(12歲以上70歲以下)は法会で一万回の六字大明咒を念じるのだ。13週間でおおよそ一億回になる。一億回念じれば、少なくとも一億回分の資本にはなる。なぜならこの一億回はそなたのではなく、みなで分けるのだからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが死んでも、そなた達には少なくともこの一億回の資本が残るので、三悪道へ堕ちるのを免れられるかもしれない。今後の13週間、リンチェンドルジェ・リンポチェは持咒するが、仏法を説かない。昨日済度を求めて来た弟子に対して、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の落胆を話すことができなかったが、仏法を説いても、そなた達には作用を起こさないらしいと感じている。誰もが木偶の坊のようだ。それでも木偶の坊には少なくとも釘を打ち込むことができる。そなた達は木偶の坊より恐ろしい。どんなに言ってもいつもこんな調子だ。皈依して長くなる弟子を含め、誰もが自分勝手で、自分の事ばかり考え、自分はよくやっていると思っている。

来週からリンチェンドルジェ・リンポチェは一万回を約一時間と10分で念じる。そなた達が一万回を念じるにはおよそ二時間余りかかるだろう。二時間を超えても、念じ終えるまでは帰宅しないように。この期間は欠席しても構わない。リンチェンドルジェ・リンポチェはそれを理由に追い出すことはしない。ただ、この一億回の功徳大海にそなたの分がないと言うだけのことだ。皈依していない者、皈依しても背心した者は、一億回念じても大きな作用はないが、未来世での観音菩薩との深い縁を植えつけることができる。

リンチェンドルジェ・リンポチェがこんなにも厳格でなければ、寶吉祥仏法センターには3000~5000人の弟子がいただろう。なぜ厳格なのか?良くない中でも少しの良い物を探すためだ。そうでなければ、六字大明咒を一億回念じる機会さえないだろう。今後13週間、約三ヶ月だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは休ませてもらおう。仏法を説くのももう充分説いた。昨日済度を求めて来た弟子は、皈依して一年余りになるのに、なおこのような徳行なのだ。もう一人、紹介を得てやって来た者は、恋愛問題について尋ねてきた。

昨日恋愛問題について尋ねてきた信衆は、自分は非常に多くの男性を知っており、自分の欠点も知っていると言い、リンチェンドルジェ・リンポチェに、どうしたら良い男性を見つけられるかを教えて欲しいと言う。リンチェンドルジェ・リンポチェは線香を商っている弟子に指示した。彼女は線香を売っているので、行天宮の付近について詳しいため、この信衆に占い師を紹介できるからだ。この信衆は仏菩薩を占いか結婚紹介所だと思っている。世間では非常に多くの人がこのように仏法を捻じ曲げている。そなた達に縁があろうと縁がなかろうと、仏菩薩と何の関係があるのか?すべてはそなた達自身の縁だ!リンチェンドルジェ・リンポチェに、良い男性を紹介して欲しいと言うなら、いいだろう!一千万元頂こう。だが、誰が払うだろうか?リンチェンドルジェ・リンポチェは修めればすぐに変わると分かっているが、なぜこのような法を修めるのか?あまりにも無意味だ!

この種の法を修めるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはとっくに自分に修めているだろうに、なぜそなた達のために修めなければならないのか?全く訳が分からない。商売で損したといって、先日修法を求めに来た信衆と同じだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が商売で損しても修法しないのに、なぜそなた達のために修法しなければならないのか?そなた達が死んだ時そなた達のために修法するのは、それはまだ意味がある。仏法を中傷、破壊するのは外道ではなく、いわゆる仏教内の人なのだ。≪寶積経≫中で釈迦牟尼仏は『末法時代には、名聞利養、信衆に追従するため、仏法を捻じ曲げる人がいる』と仰せだ。仏法を捻じ曲げることはできない。仏がおっしゃることが、正にこうなのだ。変えられない。世俗の事情のために変えることはできないのだ。我々は言わなくとも良い、用いなくとも良い。けれども絕対に変えてはならない。人情に疎いと罵られてもよいが、慈悲心は持たなければならない。

仏法を捻じ曲げ、特定の信衆の欲望に迎合すれば、それは彼らを害することになる。皈依の時に『法を皈依してから欲望を離れると尊いだ』と教えている。学仏によって欲望から離れさせるのであって、欲望を増やすようにするのではない。四摂法中の一法は欲で引っ掛けるものだ。先ずは、衆生のある欲望を満たし、次に衆生を引っ掛けて連れて来るのだ。けれどもこの『欲』が彼を傷つけないかどうかをしっかり見極めなければならない。欲で引っ掛けるとは、修行を続ければ浄土に往生できると伝えるようなもので、これも欲望である。もし衆生に少しの欲望も与えないなら、衆生は修行しないだろう。『空空空、十八空』と告げれば、そなたに空を見せることは絶対になく、修行することもないだろう。

いわゆる欲で引っ掛けるとは、そなたに世間的な欲望を満たさせようというものではない。病で苦しんでいるなら、その病苦を和らげ、明朗な心を現われさせるのだ。そうでなければ、しっかり仏法を聞くことはできないし、こうでなければ、役に立たないからだ。教えに従わず、適当に相手を探して結婚するなら、何か起きても絕対にリンチェンドルジェ・リンポチェに頼らないでもらいたい。リンチェンドルジェ・リンポチェに涙を見せに来ないでもらいたい。学仏したのに、改めることができず、他人を改めさせることもできないなら、泣いてどうするのだ?運命を受け入れろというのではない。そなたが自身で選択したのだろう、というのだ。皈依前に既に結婚していたから、と言ってはならない。こういう言い方もあろう。だが、そなたが善の因縁を備えているなら、皈依前に結婚していたとしても、そなたと一緒に学仏に来るだろう、ともいえる。つまり、そなた自身に縁がなく、業障が重いのだ。これでもまだ懺悔しないのか?

最近家族が学仏に反対しないのは、自分の修行がうまくいっているからだと思っているのではないか?実は家族はそなたを見たくないだけなのだ。日曜日そなたに会わなければ、心地良く一日を過ごせる。それなら当然そなたに外出してもらいたいだろう。そなたは自分の修行がうまくいっているからだと思っているのか?もしそなたの修行がうまくいっており、進步しているなら、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分の母を参加させているように、家族もそなたと一緒に来るはずだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの母は世界中の誰であっても信じず、ただ一人自分の夫だけを信じていた。リンチェンドルジェ・リンポチェの亡き先は道教を修めていた。リンチェンドルジェ・リンポチェの母は文盲で学問をしたことがなく、しかも非常に頑固だった。どうやって母を変えたのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは先ず自分を変えたのだ。自分が変わることによって、息子が完全に違う人になってしまったと母に感じさせたのだ。こうして初めて母も聞き入れるようになったのだ。

そなた達は変わったのか?変わっていない。どうしてそんなことがあろうか?そなたの家族であろうと父母であろうと、彼らはそなたについて最もよく分かっているはずだ。自分は辛抱している、話さなければそれで良いと思っている人がいる。けれども、これは現実から逃避しているということだ。なぜなら二人は既に一定の段階にまで至っているのだから、ちょっとの喧嘩で離婚となってしまうからだ。まだ離婚してはならない。だから、みな一先ず喧嘩をしてはならない。『子供が大きくなり学業を終えたら離婚しよう』と考える女性もいる。『定年退職しても彼女が必要だろうか?』と考える男性もいる。このような考え方は、どちらもよくない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはなぜ突然大きく方向転換するのか?消極的とはとても言えない。だが、これまでこんなにもたくさ仏法を説いてきたのに、昨日突然あのような弟子がやって来て済度を求めた。まったく懺悔心がなく、自分はしっかりやっていないと言うだけで、懺悔さえもしない。別に良いだろう。苦しむのはその弟子の母親なのだ。昨日リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ慈悲深かったといえるだろう。20000回の大礼拝を行うよう命じたのだ。その福報が母を救うことになるかどうか見てみよう。目犍連尊者でさえ大阿羅漢まで修めても供養が必要なのだ。そなた達は自分はどんな身分で布施供養が不要だというのか?みなにお金について言っているのではない。心持について言っているのだ。そなた達は父母をリンチェンドルジェ・リンポチェに会わせれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは全て請け負うとでも思っているのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らとの結縁を手助けするだけなのだ。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの話が分からないのか?リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らと結縁するのではなく、仏菩薩が彼らと結縁するのだ。そしてそれはこの一世ではなく、未来世においてだ!

誰もが怠けている!リンチェンドルジェ・リンポチェにそなた達の父母、仕事、家の水漏れ、子供の面倒を見ろというなら、そなた達は毎月リンチェンドルジェ・リンポチェにいくら払わなければならないのだ?飛行機をうまく操縦できないと言って、リンチェンドルジェ・リンポチェに聞きに来る弟子さえいる。リンチェンドルジェ・リンポチェはその弟子から給料を受け取っていないのだ。その弟子は、自分が飛行機を操縦する際には、数百人の命が自分の腕にかかっているのだから、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らを死なせてはならないと考えているのだ。けれども実は彼は因果を背負うのを恐れているのだ。二年前、リンチェンドルジェ・リンポチェはどうやって操縦すべきかを既に教えている。それなのに、なぜなお聞きに来るのだ?誰もがこのように憎むべき心持だ。

ガムポバ大師は『行者の密法が成就すれば弟子が現れ、またそれは業障の始まりの時だ』とはっきり仰せだ。上師は注意しなければ、弟子に引き摺られて破滅してしまうだろう。飛行機の操縦士である弟子が正にこうだ。二年前にどうやって操縦すべきかはっきりと教えているというのに。事故が起きていないのは幸いなことだ。さもなくば、ある道場の信衆であるパイロットが事故を起こしてこんなにも多くの人を死なせたと言われてしまうだろう。なぜ仕事をせよ、と言うのか?それは慎重でいてもらいたいからだ。仕事で不注意があれば、先ずは首になるだろう。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェに追い出されることを恐れず、給料がもらえなくなることだけを恐れている。そなた達は何も恐れないが、收入がなくなることを恐れている。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェに追い出されても別にかまわないと考え、入口で待っている。いつかリンチェンドルジェ・リンポチェがやさしくなって、そなた達を入れてくれるかもしれないと思って。たとえそうであったとしても、そなた達は非常に多くの時間を無駄にしたということだけは間違いない。

今日の話の重点は、もしみながこれ以上しっかりまじめに学仏せず、なおめちゃくちゃなことを言うなら、自然に淘汰されるのであって、リンチェンドルジェ・リンポチェが追い出すのではないということだ。非常に奇妙なことに、『アチ護法』は非常に多くの人の原形を暴き出している。昨日はある弟子が紅包(祝儀袋)をリンチェンドルジェ・リンポチェの横に仕えている出家衆に渡した。おかしな癖がある人が非常に多い。明らかに薄っぺらな紅包を供養するだけであるのに、わざわざリンチェンドルジェ・リンポチェ横の侍者に手渡すのだ。侍者が受け取るだろうか?その弟子は横にいる侍者に渡した。それはその侍者を供養するということで、リンチェンドルジェ・リンポチェを供養するのではないということではないか?

なぜこのような事が起きるのか?それはこの弟子は『さっさと終わらせてしまえば、その場を立ち去れる』と考えているからだ。『自分は既に供養した。侍者に渡した。侍者がリンチェンドルジェ・リンポチェに渡すかどうかは、知ったこっちゃない』と思っているのだ。このような人のどこに供養があるのか?全く恭敬心がなく、ちょっとやっておこうと言う程度なのだ。みな紅包をリンチェンドルジェ・リンポチェに渡すのだから、自分もそうしようと思っているだけだ。リンチェンドルジェ・リンポチェに渡さなくとも叱られることはないが、渡す方法が誤まっていると反対に叱られる。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場でこの弟子に『今後は供養は不要だ。そして、密法を学ぶことも許さない』と伝えた。

彼女がこのような事を行うのは、恐ろしくて、緊張していて、どうしたら良いか分からないからだったかもしれない。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に拝謁賜る時に緊張しないのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは幼い頃から直貢チェツァン法王に従っているのではない。みなと同じで、信衆から弟子になったのだ。けれどもリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に供養申し上げる時一度も緊張したことがない。なぜ緊張しないのか?それは恭敬心を以て供養申し上げるからだ。どうして緊張することがあろうか?そなた達が緊張するのは、恭敬心で供養していないからだ、ちょっとやっておこうという程度にしか考えていないからだ。先ほど述べたドラブ・ワン・リンポチェが件の夫婦の哈達をお受取りにならなかった話のように。ドラブ・ワン・リンポチェは彼らに恭敬心がないことがはっきりとお分かりになっておられたため、お受取りにならなかったのだ。

恭敬心がないなら、二千万元を持ってきたとしても、リンチェンドルジェ・リンポチェは受け取らない。皈依して長くなる弟子はみなこの事を知っている。当時は千元札で二千万元分の現金だった。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェがお金を重視していると思っているのか?昨日だけでも、数十万元を返却した。恭敬心がなければ、何を念じても、何を拝んでも、役には立たない。恭敬心とはどうなのか?真に心から願うなら、一切緊張することはない。リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に分からない。仏菩薩と上師にお目にかかるのに、どうして緊張することがあろうか?自分で考え過ぎているだけで、それでは今後何をするにしても緊張するのではないか?

『六字大明咒』を念誦する際には、『瑪尼廻向速証大楽文』十一面観音菩薩の法本を主とする。時間がまだあるので、リンチェンドルジェ・リンポチェが少し修めるとしよう。来週からこのように修誦するように」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率いて「瑪尼廻向速証大楽文」を修誦され、修誦方法を開示くださった。

法会が圓満に終了し、弟子達は声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法と開示に感謝申し上げ、起立して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられるのを恭しくお見送りした。

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2014 年 11 月 26 日 更新