尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年4月20日

法会の開始に先立ち一人の弟子が、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、家族を救度くださったことを賞揚し、皆に伝える機会をくださったことに感謝し、発露懺悔した。

「2004年11月、85歲の母が転倒した。子供はみな実家を離れていたため、私が母を台北に迎えて世話することとなった。上の姉の娘はこのことを知り『叔母さん、私たちの上師はとても慈悲深くて、高齢者や子供によくしてくださるし、和やかなのよ。おばあちゃんを連れて上師に会いに行きましょう』と言った。こうして私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかることとなり、2005年7月尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依申し上げた。私を弟子として受け入れてくださったことを、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝申し上げたい。

2008年、母が突然震えけいれんを起こしたため、私たちは急いで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真前に跪き、慈悲なる金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに母に対する加持と救いをお願いした。そしてすぐに母を抱きかかえて車で寶吉祥に向かい、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼申し上げた後、母を病院へ連れて行った。医者の診断は、母は褥瘡の感染で敗血症を起こしたとのものだった。当時は血球の数値が1万4千余りにも達し、40度の高熱を出しており、病院側は危篤通知書を出すほどだった。だが、母は気分が悪そうには見えなかった。医者は『こんなに深刻な病状の患者は普通ならショックを起こし、意識も混濁するはずなのに』という。けれども、母は意識もしっかりし、2週後には退院できたのだ。私は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる救護に感謝申し上げたい。もし金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがおられなければ、母がこんなに早く退院できることなど絶対になかっただろう。

2012年4月6日、尿道炎が原因で血尿が出たため、母は再度入院した。母は高齢で体力が衰え、痰を出すことができなかったので、機械を用いて痰吸引を行い、食べ物を飲み込むことも困難なため経鼻胃管を装着した。痰吸引はとても苦しいものだ。見ていても辛いほどだが、やはりやらざるを得ないので、私は母に堪えるよう伝えた。母の実家では鶏を飼っており、母はかつて鶏を殺したことがあった。また、父が海で魚やエビ、カニ、巻貝等を獲ってくると、母は料理して私たちに食べさせていた。私は懺悔したい。私たちの口腹の欲を満たすため、父母は殺業を犯していたのだ。

4月14日母は退院した。私と6番目の姉は母を連れて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、加持に感謝するため伺った。その際、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは6番目の姉に『ある男があなたに害を及ぼそうとしている。会社で誰かが、署名捺印が欲しいと言って来ても、署名も捺印もしてはならない。さもなくば裁判沙汰になるだろう』と仰せになった。すると本当に数日後、6番目の姉から電話があり『ある男性上司にある文書への署名を求められたが、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの注意を思い出し、これは自分が署名できる書類ではないと突き返した。この男性上司は会社の金を横領していたということを後に知った』という。姉を裁判沙汰からお守りくださり、私と姉は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝申し上げたい。

2013年1月27日朝、母は突然呼吸困難に陥った。私はすぐに救急車を呼び病院へ向かった。病院に着くと医師が『救命措置を行うか』と聞くので、私は『要りません』と答えた。すると医者も『これほど高齢なので臓器も老化しており、救命措置もあまり効果がない』といった。11時過ぎ、家族が続々と病院に駆けつけていた。私は兄弟子に電話し母の状態を伝え、思い上がったことに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに母が安らかに往生できるよう加持をお願いし、さらにポワ法による済度を求めた。私は自分の過ちを懺悔したい。その日は共修法会が行われており、靴脱ぎエリアで組長兄弟子に会った。兄弟子が『お母さんは往生なさいましたか?』と聞かれたので、私が『まだです』と答えると、組長兄弟子は『だから、リンポチェが怒っておられたのですね。まだ亡くなってもいないのに、済度を求めるとはなんだ?と』とおっしゃった。

その日の法会で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『電話一本でポワ法の済度を求めるのか?教えてやろう。絕對に無理だ!』と私を叱責くださった。私は慙愧に堪えず、強い後悔にさいなまれ、心の中で『私の過ちだった。全くの過ちだった。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに申し訳ない。母に申し訳ない』と思っていた。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『あなた達は、たくさんの人がポワ法を得られるのを見て、自分も得られて当然だと思っている。どんな善事を行ったことがあるのか?福徳因縁を積んでいるのか?なぜ自分がポワ法を得られると思うのか?』と開示くださった。私は懺悔したい。上師の助けを得たいとだけ思い、しっかり自己を改められていない不肖の弟子である自分を省みず、母のために福報を積むこともしていないのに、どうして殊勝なるポワ法を得ることができるだろうか?金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの福報と体力を無駄にするだけだと知らなかったとは。私は懺悔したい。

法会において、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはプルバ金剛を修められる際に『リンチェンドルジェ・リンポチェが真言を唱える時、あなた達は助けたいと思う人の名を口に出すように』と仰せになった。絶えず衆生を救い、一切の有情衆に利益くださる上師の慈悲に感謝申し上げたい。法会終了後、私はお供え物を病院へ携え母に食べさせた。翌日私たちは母を苗栗の実家に連れて行くことに決め、私はこの機会に衣服を整理し、法本と法写真を持ち帰ることとした。病院に戻ると、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を母の面前に掲げ、母に『恐がらなくてもいいのよ。リンチェンドルジェ・リンポチェが側にいてくださり、最も良いと思われるようにしてくださるから』というと、母は突然、目を大きく見開き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を見つめ、しばらく見た後目を閉じた。前日発作を起こして以来、母の両目は固く閉じられていたので、6番目の姉はそれを見てとても興奮し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのことを思うように母に言った。実家へ向かう車中で、私と6番目の姉は六字大明咒を持誦し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが母の頭頂に加持くださる様子を観想した。

実家に着いたのはすでに午後3時になろうかという頃だったが、兄、姉、他の家族もみな家で待っていた。母を抱いてリビングに横たえた後、私はまた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を母の面前に掲げ、母に『金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが側にいてくださるからね。金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法相と法名を覚えておいてね』と言った。そして尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法名を三度口にし母に聞かせると、母はまた目を開き、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法照を恭しく見た。家族皆で母の側で六字大明咒を持誦した。午後3時35分母はこの世を去った。私は兄弟子に電話し母の往生を伝え、もう一人の兄弟子に貴重な甘露丸をくださったことを感謝した。そのおかげで、私は甘露丸を母の舌下に入れ、母の神識を保護することができた。往生時の母は穏やかな表情だったが、わずかに口を開いていた。けれども、六字大明咒を8時間持誦した後、みなで尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼し跪いて拝み、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なる加持に感謝申し上げたところ、母の頬は輝きを増し、口も閉じたのだ。葬儀社の礼儀師は母に着替えをさせた後、私たちに『お母さまは身体が清潔でとても柔らかいですね。よかったですね』と言った。母の往生は、もちろん家人にとっては惜しいことだったが、悲しみはなかった。これらはすべて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの庇護と加持のおかげだと、私は分かっていた。

今年(2014年)2月21日、前夫は肝硬変により胃と食道の静脈が破裂し大量に吐血し、集中治療室に運ばれた。当時状況は深刻で、すぐに人工呼吸器が装着された。3月1日、3人の子供が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼らに『どうしたのだ?』とお尋ねになったので、子供は『父が肝硬変で集中治療室に入院しています。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ、父をお救いください。父に加持をお願い申し上げます』と申し上げた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、衆生の病苦が忍びなく、子供達に父の氏名と干支をお尋ねになり加持をくださった後『加持は、父を回復させるためではない。病苦を和らげるためだ』と開示くださり、続いて『その日を待て』と一言仰せになった。

前夫は病院で、身体に触れられるだけで、ひどく痛がり眉間に皺を寄せていたが、翌朝見舞った時、前夫の身体や腕に触れても、奇跡のように眉間に皺を寄せることはなくなった。その晚8時再び見舞うと、呼吸器も外されており、翌朝には午後1時に普通病棟に移っても良いと許可された。集中治療室での苦痛から前夫をお救いくださった尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝申し上げたい。前夫は肝硬変の末期で、肝臓や胆臓の指数が非常に高く、腎機能も壊滅的で排尿できず、他の臓器も衰弱していた。私たちは前夫に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが主法くださった大法会の甘露水を飲ませ、甘露水で身体と頭頂を拭き、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を見せた。往生の二日前、前夫は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を見ることができ、3月8日に往生するまで、話をすることさえできた。モルヒネを打つこともなく、腹水もなく、昏睡に陥ることもなく、往生の直前まで上の息子と話し、こうして穏やかにこの世を去った。眠ってしまったのだと思ったほど、穏やかな最期だった。

3月8日子供が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁申し上げ、父をお救いくださるようお願い申し上げた。けれども尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは『あなたの父は学仏したことがない。なぜ助けなければならないのか?』と開示くださり、菜食できるかよく考えて、来週また来るよう訓示くださった。3月15日私たちは再度尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにお目にかかり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに、菜食できると報告申し上げた。続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは父親のために真言を唱えて加持くださり、子供たちに施身法法会への参加を許し、父を済度させてくださると応じてくださった。そして、慈悲深くも告別式及び海葬の日取りをお決めてくだされた。

告別式前日は悪天候だったが、当日は良い天気になり、告別式は円満に終了した。火葬後、前夫の頭蓋骨に小さな円孔が見られ、薄紫とピンクの色彩があちこちに現れ、乳白色の半透明の結晶体もたくさん見られた。礼儀師が、これは仏教徒が言うところの舍利だと教えてくれた。続いて淡水の漁人埠頭へ向かった。埠頭では子供は『風が強すぎるように感じる。遺灰が飛び散ってしまうのではないかと心配だ』と言っていたが、海に出ると風も波も穏やかになり、太陽が輝いた。散骨し、埠頭に戻る際に、風は徐々に強くなり始め、しぶきが船上にかかるほどだった。子供たちは『尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがお選びくださった日取りは本当に良い日だった』と言い、葬儀社の礼儀師も『尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがお選びくださる日取りはすべて良い日だ』と言って、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝さえしていた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と救度に感謝申し上げたい。私は因果を信じず、無常を念じなかったことを懺悔したい。その時になってからでは時すでに遅く、後悔してもどうにもならないのだ。

先週日曜日の法会において、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『ある弟子は子供を甘やかし、子供が髪を金髮に染めても放っている。離婚しても自分には関係ないと思っている』と訓示くださった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがご指摘になった無責任な弟子とは私のことなのに、その時私は立ち上がることもせず、素知らぬ顔でその場に座っていた。上師に対する不恭敬を懺悔したい。幼い頃は海辺に住んでいたため、しばしば父と共に海の生物を獲って帰り、母に料理してもらい食べていたことを懺悔したい。かつてネズミ捕りを用いてネズミを殺したことを懺悔したい。かつて三度堕胎し、殺業を犯したことを懺悔したい。また、無意識の内に、または意識して無数の有情衆生を殺害し、殺業を犯しながら気づかなかったことを懺悔したい。皈依後も、自己の行為を真面目に改めることをせず、法会に来れば加護が得られると考え、定期的に早晚課を行わず、依教奉行せず、自分勝手に思い上がって日々を過ごし、他人に苦痛を与えていたことを懺悔したい。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの功徳を賞揚することがないため、今になっても家族は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従い仏法を学ぶ機縁を得られていないことを懺悔したい。

上師には会い難く、仏法は聞き難いという。この殊勝で得難い因縁に感謝し大切にし、生生世世で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従い仏法を学び、自己の行為を努力して改め、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示くださる仏法を日常生活に根付かせ、上師の恩、父母の恩、衆生の恩に報い、また清浄な身口意で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養申し上げることを願う。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御法体が安康で、法輪が常転し、常住在世し、直貢噶舉の法脈が永遠に流伝することを祈願申し上げたい」と述べた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、殊勝なる施身法法会を御自ら主法くださり、参会者に貴重な仏法の開示を下された。

「今日修めたのは施身法だ。この法門の完全な名前は『施身断法二資糧速成法』だ。『施』とは身体を布施すること、『断』とは一切の輪迴煩悩を断つこと、『二資』とは福報と智慧の資糧であり、『速成法』とは、一生この法門を専修するなら、この生で必ず成就が得られる、ということだ。この法門は一般人が学べるものではない。なぜならこれは密法の一部だからだ。誰かに、ある護法や本尊を伝えられたとしても、施身法は身につけられるものではない。伝えてもらったとしても、修められるものではない。なぜなら必要条件がとても多いからだ」と仰せになった。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる直貢噶舉施身法の修持を始められた。修法の完了後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも参会者に貴重な仏法の開示を継続して下された。

「チベット仏教で護法を修める意味について分かっていない人が多いため、護法を修める前に少し開示しておく。実は中国では、顕教でも護法を修める。どの寺にも韋馱護法と伽藍護法がおられる。顕教中の護法は共であり、どの寺でも修めることができる共通の護法だ。韋馱護法は主に仏法、仏寺を保護する。そのため、寺の人が修行せず、名利のために何を建てるだの何をチャリティ販売するだのと一日中やっているようなら、韋馱護法は来て下さらない。韋馱護法は天界の天帝に属され、三寶の護持を誓っておられる。

皆が目にする伽藍護法は、関公(関羽)を代表とする世間に属する護法だ。つまり輪迴の力をまだ解脱しておらず、なお世間におられるのだが、仏法を護持する願力があるため、この過程で修行するのだ。表面的には関公を護法とするようだが、内部には実は三寶を護持する種々の護法がある。『地蔵経』には、たくさんの鬼王が修行人を護持するとある。鬼王や龍は、自らと因縁がある修行人を護持するが、その人が本当に修行人であるかどうかが重要だ。修行人でないなら、鬼王は護持しない。実はチベット仏教のある伝承、仏寺の中には関公の法本を修めるものもある。知らない人が多いが、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に20数年従っているので、多くの事情について精通しているのだ。

関公は中国のものだと思っている人が多いが、実はそうではない。文成公主はチベットに嫁いだ際、儒教、道教、仏法をチベットに伝え、チベットでは多くの文化がその頃から始まった。チベット仏教には黄、紅、白、花の四大教派があり、四大教派はすべて護法を修める。最も重要なのは真に菩提心を発し、仏法を学ぶ人を護持することだ。行者がこの生で真に発心し仏法を修習するなら、不慮の事故にあっても保護を受けることができる。閉関時、行者は必ず護法に関房の保護を祈願しなければならない。チベット仏教では、護法は共と不共に分けられる。共とは四大教派がみな修める護法で、マハーカーラなどがある。だが教派によって伝承中のマハーカーラ法本は異なり、二臂を修めるものもあれば、四臂を修めるものもあり、みな異なる。伝承によって決まるのだ。

直貢噶舉が修める不共護法はアキ度母である。これは直貢噶舉が専修する護法だ。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子なら、誰でもアキ護法の法本を伝えられる。ニンマパには九大護法があるが、アキ護法はその内の一つだ。直貢噶舉の護法はアキ、マハーカーラの他に智瑪護法もおられる。智瑪は非公開で修め、また伝えることもしない。金剛舞のビデオの中に現れる小さくお顔が赤い護法が智瑪だ。真に発心した出家衆、リンポチェであれば、考えるまでもなく、修める必要もなく、智瑪護法が自ら保護してくださる。直貢噶舉には三尊の護法がおられるが、アキは特別だ。祖師ジッテン・サムゴンの祖母君であられ、直貢伝承の学習を発心する法子を保護するとの願力だからだ。

法本では、アキ自身に浄土があるという。顕教の経典ではすでに仏果と成り、自身の浄土があるということだ。つまり、行者がこの生でアキを専修するなら、アキの浄土に往生することができる。チベット仏教の護法は二類に大別される。一つは智慧型で、もう一つは世間型だ。世間型の護法とは、ある出家人、リンポチェ、在家人の祖先の幽鬼であり、降伏されたその地の山神や幽鬼であり、または行者と縁があり行者本人となる護法だ。

これら世間の護法は儀軌に強くこだわる。幾らかでも儀軌に誤りがあり、修法場所が違っていても、彼らは不機嫌になる。智慧型の護法でないなら、護法を修めるにはどこでも良いという訳ではない。アキはすでに八地以上の法身菩薩であられるので、当然どこで修めても相応できる。世間型の護法なら、その法像は必ず携えなければならず、またたくさんの儀軌がある。さらに、口伝を受けないのでは、護法を修めることはできない。なぜこんなにも厳格なのか?それは智慧型の護法であろうと世間型の護法であろうと、お側にはたくさんの眷属がおり、これら眷属は人の習性を非常に濃厚に残しているため、幽鬼道、魔道に堕ちれば、強い嗔恨心を抱くからだ。あるリンポチェ、修行人、伝承に降伏されただけなのだ。

かつてある仏学院が開校したばかりの頃、すべてのラマがその繁栄を願い、みなで護法を修めた。数ヶ月修めたが、内部で意見が対立するようになり、しかも諍いも起こるようになった。そのため、関係者がリンチェンドルジェ・リンポチェに意見を聞きに来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは、みなが修めた護法がそれぞれ異なることが原因で、そのため諍いが起きるのだと開示した。これは事実だ。護法と護法とが争うのではなく、護法の身辺の眷属が争うのだ。

アキ護法を例とすると、身辺の眷属は長寿五姉妹と地行母を含む。地行母以外にもいる。しかも、アキ自身には四つの異なる護法がある。そのため、護法を伝えられ、毎日修めれば有用だなどと思ってはならない。伝法者が伝承中ですでに心法を得た行者でない限り、護法はおいでにならない。護法がおいでになるのは、修行に於ける障礙と非業の死を消すためであって、あなた達に喧嘩させたり、世間の事を解決させたりするためではない。アキ護法を修めれば、子供の成績が良くなるなどと思ってはならない。そのような事はない。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェが念じなければ役には立たない。あなた達が念じても役に立たないのだ。

かつてリンチェンドルジェ・リンポチェの子供が言った。もともと知り合いではなかった、ある友人の友人が突然『お前の父親は密宗の修行者だろう?』と聞いた。リンチェンドルジェ・リンポチェの子供は、確かにそうだというと、相手は続いて『お前の父親は素晴らしいな。お前は父親が遣わした護法に囲まれている』と言った。そのためリンチェンドルジェ・リンポチェの子供は、大人しくせざるを得なくなってしまった。護法は力があるので、見張ってくれるのだ。

毎日護法を修めれば良くなり、護法の保護を受けることができると盲信している人が多いが、護法の役割をはっきりさせなければならない。すでにある上師に依止しており、しかもすでに輪迴世間を離れ、世俗の事情に再び拘泥しないと決定を下しており、名利に関する事柄を二度と心に止めないと決めているなら、護法の修行は有用だ。さもなくば、幽鬼が家に来ないよう、ほんの少し保護が修められるだけだろう。弟子が、家で幽鬼を見たとリンチェンドルジェ・リンポチェに言うなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはその弟子を追い出すだろう。なぜならそれは、その弟子が信じていないということだからだ。アキ護法がおられて、どうして幽鬼がいるだろうか?自分は幽鬼を見たと言う者は、適当に言っているのだ。幽鬼を見たと言うなら、その者も幽鬼の類だ。つまりしっかり自己を改めておらず、しっかり学仏していないのだ。

なぜチベット仏教では毎日護法を修めるのか?顕教では早課、晚課を修めなければならない。早課では、出家人として今日一日を出家人らしく暮らしなければならないと自己に言い聞かせる。晚課では、自分が今日行ったことは出家人として恥ずかしくなかったか?と自己に問いかける。出家人らしくなかったなら、懺悔しなければならない。この一生で出家した人は、基本的には福報が非常に円満という訳ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェがこう言うと、たくさん人が『福があるからこそ出家するのではないか?』というだろう。本当に福があるなら、法王やリンポチェのように転輪聖王になれるだろう。出家人の一生が福報が良い訳ではない、というのは資糧が欠けているからだ。つまり『福』と『智慧』の資糧が足りないのだ。

この一世で出家の因縁があるのは、過去世で八関斎戒を閉関したことがあり、戒をよく守ったからに過ぎない。だが、この一世で出家の因縁を得たなら、大切にしなければならない。なぜなら出家ではたくさんの世俗の煩悩を断たなければならないからだ。世俗の煩悩がないなら、どの法門が、或いはどのリンポチェが自分にとって有用かなどと考えるのではなく、自身の生死に関わる大事に、よりいっそう集中しなければならない。縁がないなら、法王にお目にかかれたとしても役に立たない。なぜなら法王とはリンポチェを助けるのであり、一般の信衆を助けるのではないからだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェが今日、護法に関する事を開示するのは、皆に盲信して欲しくないからだ。自分は護法を修めたので、どこへ行っても無敵のスーパーマンだなどと思ってはならない。あなたが守戒せず、発心しないなら、護法がどんなに強力でも、守ることはできないのだ。先ずは自分自身が正しく行わなければ、護法の保護を受けることはできない。簡単に言えば、誰かが強盗し殺人を犯せば、警察はその人を保護しはしない。護法もそうなのだ。護法はあなたを捕まえはしないが、守ってはくれない。『護』とはその名の通り保護であり、『法』とは仏法に基づき修行する一切の人だ。護法とは、民間信仰でいうように千里眼、順風耳が道を開くのでも、鬼衆を追いやるのでもない。護法が威徳力を備えているのなら、鬼衆を追い払う必要などない。鬼衆は自然に逃げ出すだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェはちっぽけな修行人だが、日本の幽鬼を追い払うことができるのだ。護法ができないはずがあろうか?

護法とは追い払うものではない。慈悲力、威徳力により衆生を降伏させるものなのだ。そのため、護法を修める際には盲信してはならない。自分に発心があるかどうかを見極め、しかも自身が修めるのは世間型の護法なのか智慧型の護法なのかをはっきりさせなければならない。世間型の護法なら、別の道場で修めてはならない。別の道場で修めれば、必ず問題が起きるだろう。道場に起きるのではなく、あなたに起きるのだ。なぜなら護法の種類が異なるからだ。入れてくれるはずがあろうか?あなたが修めた世間護法を入れてくれず、怒りさえ抱くだろう。

護法を修めれば安心だなどと思ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、護法を間違ったように修め、かえって問題が起きた人をたくさん見たことがある。皆盲信してはならない。顕教では念仏だけを教え、韋馱護法と伽藍護法を特に拝まず修めないのは、皆の盲信を恐れているからだ。人は誰でも貪念を起こす。護法と聞けば自分を守るものだと思う。そしてどんなことをしても、護法が守ってくれると考える。そのため、中国顕教では信衆にこれらを教えず、念仏するだけで良いと教える。なぜなら漢人はとても欲深く、天も地も恐れないが金だけは恐れるからだ。金を失うことを恐れるあまり、どんなことでもやろうとする。

護法は適当に伝えず、適当に修めることもしない。しかも自己が修める護法が出世間なのか世間なのかをはっきりさせなければならない。自分が護法を修めるのは、何のためなのかをはっきりさせなければならない。アキの法本には明記されている。護法を修めるのは、仏法に於ける事業と願いを成就させてもらうため、自分の考えを実現するためであって、何らかの世間の事において助けてもらうためではない。そのため、あなたが受け取った法本に世間の事が記載されていたなら、あなたが修める護法は世間の護法だということだ。世間の護法なら、適当な場所で修めてはならない。適当な場所で修めるのは良くない。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はここまでにしておく。護法を修めたために問題が起きるというような事態にならないようにしなければならない」と仰せになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を率いアキ護法と迴向儀軌を修持くださり、参会者に貴重な仏法の開示を続けて下された。

「チベット仏教にはニンマ派、噶舉派、ゲルク派、サキャ派の四つの伝承があるが、どれの結論もすべて衆生の生死解脱と仏果を早くて証することを願うものだ。サキャ派は花教とも呼ばれる。法王は在家で世襲制だ。法王は代々在家なのだ。サキャの特色は在家の法王が四衆の修行を率いることだ。歷史上かつてチベットで非常に大きい勢力を誇った。記録によれば、ゲルク派はツォンカパが直貢噶舉で円満まで学んだ後、直貢噶舉を離れて創立したものだ。ニンマ派は蓮師が仏法を伝えたもので、かト派まで遡ることができ、アティーシャ尊者が顕教をチベットに伝えた。

噶舉派は特殊で、インドから伝えられた。祖師はティロパ、ナロパという二人のインド人であり、お二方とも在家であられた。修行を始める前は、お一方は漁師で、もうお一方は猟師であった。ナロパがマロパ尊者に伝えられたが、マロパ尊者はチベット人であり、大訳師と呼ばれる。たくさんの梵語の法本をチベット語に翻訳されたのだ。マロパ尊者はインドに三度行かれたが、毎回チベットからたくさんの黄金をインドに携え求法なされた。この方も在家であられる。続いてはミラレパ尊者だ。ミラレパ尊者は一生結婚なさらなかったが、在家相を現しておられる。続いてはガムポパ大師だ。仏法学習を始められるまで、ガムポパ大師はチベット医で、妻子がいた。だが当時チベットで猛威を振るった流行り病で妻子を亡くし、とてつもない悲しみに沈んだガムポパ大師はミラレパ尊者にお目にかかったのだ。

ガムポパ大師は噶舉派で学ぶ前はニンマで学んでいたが、ミラレパ尊者に出会い出家され、たくさんの弟子を取られた。噶舉派には、四大八小あると俗に言われるが、それは伝承の大小や人数の多寡や法の大小を言うのではない。ガムポパ大師が直接伝法した四人の弟子を四大と呼び、弟子達から伝えられたものを八小と呼ぶのだ。ガムポパ大師はパルマ・ツォクパに伝えられ、而パルマ・ツォクパはジッテン・サムゴンに伝えられた。これが直貢噶舉の伝承だ。

歷史的にはかつて『山是直貢山、壩是直貢壩(山は直貢山、堤は直貢堤)』という言い方があった。なぜならジッテン・サムゴンの在世時には18万人の出家衆が仏法を学んでいたというのだ。噶舉派は直貢噶舉、カルマ・カギュ、ツェルパ・カギュ、タクルン・カギュ等のたくさんの支派に分かれた。その違いは、上師、地域、因縁が異なるだけだ。なぜなら、地域によってはドマ(食子)と儀軌が異なるところもあるからだ。だが、どうあろうと噶舉派であるなら必ず大手印を伝える。大手印を学ぶには、必ず不共四加行を円満に修めなければ伝法を受けることはできない。学びたければいつでも学べるというものではないのだ。

不共四加行で最も重要なのは最後の上師相応法だ。たくさんの人が自分で修めれば良いと思っているようだが、実はそうではない。上師が上師相応法を口伝しないなら、どんなに拝んでも役には立たないのだ。規定によれば、上師相応法は閉関を終えた後、さらに上師に火供を修めてもらわなければならない。かつては、出家人が不共四加行を修める際には三年間閉関しなければならなかった。直貢噶舉では今でもそうだ。この三年間の閉関期間、行者はある場所、或いはある寺を離れてはならず、剃髮することもできない。髷を結っている出家者を、あなた達も見たことがあるだろう。それは三年間の閉関を終えたばかりなのだ。いつになったら剃髮できるのか?それはその人の伝法上師が火供を修める際だ。火供の回数は一定ではなく、その因縁による。火供を修めた後、次に本尊を伝え、この時初めて剃髮できる。

たくさん人が、チベット人に従わなければ、チベット仏法を学ぶことはできないという思い込みを持っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは批判するつもりはないが、どうあろうと、チベット人の思考の方法、習慣は我々とはいくらか異なる。ロジックが違うこともある。その人が中国語が話せたとしても、華人の心持ちを理解していないなら、伝法時には多くの誤解が生じる。なぜなら、お互いに理解しあえず、申し訳なくて聞きにくい等の問題があるからだ。チベット人はすごい、という思い込みを生じることがある。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉で数十年になるが、知る限り成就を遂げた修行人は数人もいない。

学仏しようというなら、対応しなければならないことはたくさんある。インドで数年暮らせば修められるというものではないのだ。今日リンチェンドルジェ・リンポチェは公にしよう。あなた達はチベット人ではないので、チベット人はたくさん法門を簡単にはあなた達に伝えない。護法であっても分割するのだ。なぜならこれは彼らにとって最も重要だからだ。そのため簡単には伝えないのだ。あなたが皈依したくとも、皈依させてくれない。学びたいなら、いくらかは伝えてくれる。だが、瑜伽部と無上瑜伽部の法門に関しては、たとえ伝えてくれたとしても、説明してはくれないので、あなたは修められないだろう。尊勝なる直貢チェツァン法王もかつてリンチェンドルジェ・リンポチェに伝法する時『すべてのリンポチェはこの法本を持つが、どのように用いるかを知らない。今からあなたに教えよう』と開示くださった。

何度も転世したチベットの行者に会った、と言って、それはすごいことだと思っている人が多い。リンチェンドルジェ・リンポチェも14度転世した行者に会ったことがある。しかもリンチェンドルジェ・リンポチェ自身ももしかしたら24回転世したかもしれないのだ。だがこれは何の役にも立たない。みなこの種のことを信じてはならない。最も大切なのはこの一世なのだ。過去世はただの記録に過ぎない。行者が過去世で本当に修行したなら、この一世での修行はとても速く進み、障礙も極めて少ないはずだ。だがこの一生で修行しないなら役には立たない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、過去世でとてもよく修行したのに、この一世ではそうでない人をしばしば目にする。

現在転世といえば、ある特色がある。それはある行者には身、語、意の化身があるというのだ。ある行者は23個の化身転世があるということで、ある人は語の化身の一つ、つまり1/23で、他の22/23を補足しなければ、語の全部にはならないという。なぜ23個なのか?それには必ず理由があるはずだ。この23個は集まって教派と衆生を助けるのかもしれないし、この23個は入り代わり立ち代わり来るのかもしれない。さまざまな可能性があるが、これは仏菩薩だけがお見通しになられる事だ。

尊勝なる直貢チェツァン法王はかつて、昨年四大教派のリーダーが会議を開き転生認証の停止を決議したと御自らリンチェンドルジェ・リンポチェにお教えくださった。これまで認証したものはそれとするが、今後新しい転生は現れない。つまり、すでに登録されているものは登録があるが、登録されていないものは偽物だということだ。これ以上、転生に惑わされてはならない。学仏でははっきりさせなければならない。最初の一歩を誤り、それに従い誤り続けてはならない。それではどこまで間違ってしまうのか分ったものではない。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの一生でいくらか福報があるので、チベット仏教を学べ、尊勝なる直貢チェツァン法王に巡り会うことができたのだ。そこまでの過程では、たくさんの教派がリンチェンドルジェ・リンポチェを引き入れようとした。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェはこれは縁だと考えた。なぜなら尊勝なる直貢チェツァン法王は中国語がお話しになれるからだ。さもなくばコミュニケーションの面で非常に面倒だ。

中国語が話せるチベット人は多いが、考え方の面で我々とは大きな違いがある。例えば、我々は何かを行うには12345と考えるが、彼らは1から5へ飛ぶ。なぜなら縁に従うからだ。そしてダメとなったら、護法を修める。我々が物事を行うにはこうではない。つまりやはりいくらか隔たりがあるのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、尊勝なる直貢チェツァン法王と非常に深い縁があるのだろう。そのためこの一生で直貢チェツァン法王に巡り会ったのだろう。そして直貢チェツァン法王はちょうど中国語を学んだことがあり、アメリカで暮らしたこともあられる。そのため直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェとが話す時には、広東語なまりの中国語とチベット語なまりの中国語に、チベット語なまりの英語と広東語なまりの英語でコミュニケーションをとっているのだ。

相手が中国語が聞けるからと言って、あなたが話す中国語が分かるなどと思ってはならない。なぜなら、皆が話す台湾なまりの中国語と中国の中国語とは異なるからだ。中国で学ぶ中国語は、言葉の使い方が台湾とは異なる。あなた達は自分が言うことを相手に理解させることができるはずだと思っているだろうが、実は通じないのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが尊勝なる直貢チェツァン法王にご報告申し上げる時も、直貢チェツァン法王の表情を観察申し上げ、ご理解いただけたと分かるまで、一度でも二度でも三度でも申し上げる。いくつかの文化を加えたのであるから、こちらも中国語を話し、あちらも中国語を話すのだから、通じて当然だなどと思ってはならない。あちらが触れているのはあちらで話される中国語だ。そのため、あなたが話す台湾なまりの中国語を聞いても、向こうは北京なまりの中国語を経て、さらにチベット人の考え方を経由しなければ反応はない。

チベット人にあれこれ話す人が多い。彼らはあなたの話を聞けば、微笑んで相槌を打ってはくれるだろうが、最後にそばにいた人に『この人は何を言ったのか?』と尋ねるだろう。つまり、あなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの面前での方が意思疎通は楽にできるのだ。

法会が円満となり、弟子達は声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なる修法と開示に感謝申し上げ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられるのを起立して恭しくお送り申し上げた。

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2016 年 03 月 20 日 更新