尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年1月12日

法会の始まる前に、一人の弟子が、家族を救って下さった上師を讃え、感謝する機会を与えて下さった尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を捧げた。

まず、彼女は、SARS流行の期間中、御自身の危険を顧みずに各大病院を訪問し、SARS患者に加持を与え続けられた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆し、感謝を述べた。大きな宗教団体は何れも一切の活動を停止していたが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェだけは依然として、あちらこちらで法を説かれた。法会は今迄嘗て途切れたことはなく、多くの衆生は心を落ち着け、二度と不安や恐れを感じることはなかった。

2003年4月、重症急性呼吸器症候群、即ちSARSは、台北で急速に蔓延していった。これは致死率が非常に高く、効果的な治療法のない高伝染性の疾病であった。非常に激しい勢いで台湾を席巻し、多くの死亡者を出した。病院さえも閉鎖され、全国の人々を恐怖に陥れた。特に、医療機関で働く者や入院している者は、感染のハイリスク群にリストアップされた。彼女は衛生機関に勤務しており、当時、慰問課に属していた。日々の仕事は、病院の中でSARSにかかり、隔離入院された医療人員と話をし、励まし、慰問することであった。これ以外の事を何もサポートできなかった。彼らは、まるで明日のない人のように、非常に身体が弱り、ぼんやりと心細そうであった。

医療人員の中から最初の他界者、和平病院の陳看護師長が現れた時、皆は、心中とても心配した。コントロールできない病状と、一人一人倒れて行く同僚、一体どうしたらよいのか?彼女は、どの様にしたら彼らに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得させることができるかとも考えた。彼女は、彼らを真に助けられ、苦しみから救ってくれるのは、この世界中でただ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだけだと深く信じていた。陳看護師長は、彼女の学校の先輩であった。ちょうど、彼女の事務所の管理者は、陳看護師長と和平病院で共に仕事をしていたので、彼女はすぐに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがどの様にして衆生を助けるのか、また、リンチェンドルジェ・リンポチェの深い慈悲力及び大願力を管理者に話し、陳看護師長の家族に伝えてもらった。その日はちょうど金曜日で、施身法の法会があった。陳看護師長の夫は、その時家で隔離されていたので、電話をして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求めた。兄弟子の協力によって指示を仰いでもらい、家族との面会なしの状況の中で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、当日の施身法の法会で陳看護師長を助ける事に同意して下さった。彼女は、苦しむ衆生を見放さない尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝をした。

法会が終わると、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を済度し加持された。その中に逝去した陳看護師長がいた。次の日、彼女が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べに行った時、リンチェンドルジェ・リンポチェは陳看護師長の夫に伝えるよう、彼女に言った。陳看護師長を済度した時、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、特に何も心配していないが、ただ、まだ小さく、小さな病気が途絶えない娘の事だけが心配だと言った。彼女は事務所に戻って最初に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの言付けを伝えた。陳看護師長の夫は電話の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し続け、娘には確かに小さな病気が多いので、以後注意すると言った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力によって亡くなった者が済度され、家族の心を落ち着かせることができた。偉大な修行者は、正に、一切が衆生のための大慈悲、大願力による。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔した。大きな宗教団体がそれぞれ一切の活動を停止したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは御自身の危険を顧みずに、台北市をあちらこちらと弘法されていた。彼女の妹は法会に参加して感染するのを恐れて、ファックスで法会の停止を求めた。これは、衆生が大修行者の加持を受けて済度されるのを止める悪行であった。彼女は深く懺悔した。実際には、SARS期間中に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが法会を行った地区には、SARS感染者は一人も出ず、皆はとても落ち着いていたことが証明された。これは全て、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大悲願力の顕現である!

続いて、彼女は、彼女及び家族が救われた経過を話し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べた。

彼女は、2000年の旧暦7月15日に初めて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めた。小さい頃から家庭内暴力の中で生活しており、母親は暴力に耐えられなくなり家を出ていった。彼女は恐れを感じ、どうにもならず、拠り所もなかった。だから、家庭の問題を解決できる方法をあちらこちらと捜し求め、宗教はその内の一つであった。彼女は二人の顕教の師父に皈依していたが、法会にあまり行かなかった。朝晩自分で家でお経をあげ、自分勝手な在家修行をしていた。だが、心の奥深くにいつも疑問があった。私はこんなふうでいいのか?私はいつ、苦しみから抜け出すことができるのか?この様なやり方は役立つのか?本当に私を助けられるのか?答えは、当然ながら不可能であった。

彼女の父親は信仰が全くなかった。今迄、自分だけを信じてきた。だが、病院の検査で大腿部にガンの疑いがあるという結果が出て手術が必要になった時、意外なことに、主治医の謝主任のアドバイスを受けて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め加持を授かった。父親は帰宅後、彼女にこの事を話し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、女性の家族の心臓に問題があるから検査に行くように言い渡した事を話した。この状況は当時の彼女にまさにぴったり重なった。彼女は、詐欺師に出会うのを恐れて、一ヶ月考えた後に謁見を求めた。座った後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に聞いた。「どんな用なのか?」彼女は「母親の身体を心配しています」と答えた。この時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、母親の十二支を聞いた後に入定された。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの目から稲妻の如き鋭い光が発せられるのを見た。すぐに、コンピュータ断層撮影のように母親の頭から身体の状況を話し始められた。ちょうど彼女は、母親の全身の健康検査に付き添ったばかりだった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの診断と健康検査の結果は一致した。断層撮影よりも更に詳しい描写であった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に告げられた。彼女の母親はこの一生を非常に苦しみ、耐え忍ぶことができた。その時、彼女は涙を落とした。彼女は、このリンポチェが本当に彼女の家の問題を知っていることを理解した。そこで、彼女は、責任を負うことができないという問題を質問した。「どうやったら母親を助けることができるのか?」尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に聞いた。「普段は、どの様なお経を上げているのか?」彼女は「地蔵経です」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは更に彼女に聞いた。「地蔵菩薩は、他界した後の母親がどの道にいるのかを知ろうとして、何をしたのか?」傲慢な彼女は、あれこれと考えてみたけれど、《地蔵経》の中のどの段落に説かれたものかを思い出せず、印象に基づいて答えた。「手と足を切断しました!」尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女を長く叱責した。たちどころに彼女の頭の中は空っぽになった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、どの様にするのかを伝えた。だが、愚かな彼女は、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に三度も説かれた後も依然としてはっきり理解できずに、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに何度も繰り返して、どうしたら良いのかと聞いた。この時リンチェンドルジェ・リンポチェは、大声で叱りつけた。「私が3度も教えたのに、まだ聞くのか?」「3回?何を3回も話されたのですか?」

その後、突然理解した。慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは既に三度も説かれていたのだ。「あなたには徳を備えた上師が必要だ!」彼女は自分の愚かさを懺悔した。何と、話を理解できなかったのだ!慈悲深い願力を発こした修行者が手を差し伸べて彼女を引接しようとしているのに、自分は手を差し出すことさえも知らなかったのだ。彼女はすぐに跪き、涙を流し、慈悲のリンチェンドルジェ・リンポチェに自分を救ってくれるよう願った。この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈父のように優しく彼女の頭を叩いて言われた。「もうよい!もうよい!心配することはない。法会に申し込みなさい!」この時から彼女の心には本当に心配がなくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女にこう説かれた。「あらゆる事は縁に因(よ)りて生まれ、縁に因りて滅する。あらゆる事はすべて因果の現れである。深く因果を信じなさい。返す必要のないものはない」。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力によって、彼女は、心中の心配、恐れを解き放つことができた。心境も大きく変わった。肩の荷が下りて心がとても軽くなった。

その時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはこう説かれた。「あなたの母親は2年後に大きな障害にぶつかるであろう」。その時、彼女は非常に驚き、心配もし、悩んだ。数日後の金曜日の夜、初めて施身法の法会に参加した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法話を聴いた彼女は、興奮して眠れなくなった。一言一言が明確で、奥深い内容を分かり易く語られ、理解し難いお経の言葉を使わずに、仏心から口を酸っぱくして衆生の問題を指摘してどうすべきかを列席者に教えられた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに教えを請うた後、彼女は母親と一緒に法会に参加した。1年後、母親も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。2年後、母親に大きな障害は現れず、彼女達は、これは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのお蔭であることを知った。2006年、母親は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下で、順調に身分証を取得することができた(母親は当時慌てて家出をし、失踪届を出されていた)。3時間で手続きが終わり、四日で身分証を受け取ることができた。こうして、母親は、35年間身分証のなかった悩みを解決し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェについて出国して法会に参加することができた。彼女は、母親の延命を助けてくださり、晩年、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの下で仏法を学ばせて戴き、出国し弘法される尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて行けた事を心から感謝した。

彼女は、自分がしっかり仏法を学ばず、行為を改めない故に、他の家族が一緒に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの下で仏法を学んでいない事を懺悔した。だが、慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女の家族を同様に面倒をみてくださった。2000年、彼女の父親は骨のガンの治療、手術を受けたが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のもと、ガンは原因不明の骨の侵食に変化し、骨セメントを注入することで問題は解決された。主治医は、教学内容に加えるとも言った。2005年、彼女の父親が肺ガンを罹った当時、リンチェンドルジェ・リンポチェはヨーロッパを弘法されており、彼女はただ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが台湾に戻られ、時間の都合をつけて衆生に面会された時に、頂礼し、供養を捧げただけであった。だが、父親の検査結果は、意外な事に肺ガン1期(一般に肺ガンが発見された時は既に末期)であり、ただ切除しただけで、化学治療は現在まで不要である。今年の初め、父親は家で転んでばかりいたので、再び、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め、何度も加持を授けられたお蔭で、父親は安心し、健康状態も徐々に安定していった。

彼女も父親、母親、自分のために発露、懺悔した。彼ら3人は全員、五戒、十不善を犯した。彼らは殺生をした(人を殺生し、食べたいと思う一切の衆生を殺生し、彼らを阻害する一切の衆生を傷付けた)。心中での殺生、口での殺生、或いは自らの手での殺生を全て、彼らは懺悔した。彼らは、魚を釣り、蛇を痛めつけ、蛇を追い出し、ネズミを燒き、豚の屠殺を見、生きているドジョウを油で揚げ、生きている鯉を揚げたものを食べ、生きている犬の足を縛ってドブに放り投げて溺れ死にさせ、ミミズを掘り出して鶏やアヒルに食べさせ、昆虫を叩き殺し、カタツムリを潰し、川エビやドブガイをいじめたことを懺悔した。また、彼らは、邪淫を犯し(母親は重婚)、彼女は心で他人の夫に対して邪淫を働いたことを懺悔した。彼らは、悪口、両舌を犯し、良からぬ事を聞き、良からぬ事を話し、良からぬ事を挑発したことも懺悔した。自分達よりもいい生活をしているからと他人を嫉妬したことを懺悔し、他人に見下されるのを恐れて法螺を吹き、妄言を吐いたことを、彼らは懺悔した。彼女は、会社の時間、文房具、材料を盗んだことを懺悔した。また、彼女は、若い頃、病院で勤務していた時に赤ん坊が沢山いて我慢できずに、耳を引っ張って出血させたことを懺悔した。そして、彼女は、クラスメート、後輩の人工中絶に付き添ったことを懺悔し、両親にまだ親孝行していない事を懺悔した。

彼女は、彼らに傷付けられた衆生が皆、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び済度を得ることができるようにと願った。それと同時に、彼女自身にしばしば起きる悪念を懺悔した。「37の菩薩の実践(中国語名:仏子行三十七頌)」に基づき行為を改めなかったことを、彼女は懺悔した。皈依後、心を尽くさず、心を込めて上師に従わず、上師に仕えなかったことを懺悔した。皈依後、上師を敬わず、我が道をゆき、自分勝手であったことを懺悔した。自分が沢山の悪行をしたことを懺悔した。だが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、やはり弟子を宝とし、弟子達に最もよい物を与えて下さった。彼女は自分が役立たずであり、上師のお荷物となっていることを懺悔した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子達が過ちを犯した時、弟子が無間地獄に堕ちるのを恐れて、様々な方法を尽くして弟子を助けようとされる。彼女は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの体力と生命を消耗させ、上師が他の衆生を利益されるのを引き延ばしたことを懺悔した。苦しむ衆生は無数にいて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを必要としている。彼女は本当に罪業が重い。

人身得難し、仏法聞き難し、上師逢い難し。末法時代の衆生であるのに、自ら仏の顔を拝むことができたのだ。彼女は、今後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの話だけを聞き、自分を改め、さらに、仏道修行に精進することを誓った。そして、上師の恩に報いるために、今世で輪廻の苦海を解脱することを望んだ。最後に、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体の御健康、法輪が常に転じられ、この世に長く留まられる事、並びに、直貢噶舉の法脈が発揚され、永遠に伝承されていく事を祈った。

続いて、三人の息子(全て皈依弟子)を連れた母親が、発露、懺悔の機会を与えて下さった尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を捧げ、彼ら全員を救って下さった尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を込めて、その経過を分かち合われた。

昨年(2013)12月10日、夫は彼女に身体の左半分が麻痺して力がないことを話した。彼女はすぐに夫を伴い病院に診察に行った。その時の夫の血圧は225/170、コンピュータ断層撮影により大脳基底核に出血があると診断された。彼らはすぐに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを観想し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求め、夫もすぐに甘露丸を飲んだ。医師が降圧剤を注射してから約30分後、麻痺が大幅に改善された。彼女は、夫を死の瀬戸際から救って下さった尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝をした。

夫が今回の生死の大事を経験したことによって、彼女は、深く自分を反省した。彼女は、ずっと夫に頼りきりで、仏法を学ぶことさえも夫について学んでいて、貪欲の心をもって、功徳を貪り、加持を貪ろうとした。少しの恭敬心、供養心も持たず、因果を信じず、無常を信じていなかった。皈依して11年であったが、日々を恙無く送ることだけを求め、楽しみだけを欲し、苦しみを拒んだ。供養を捧げる機会があれば、計算して残ったものを差し出した。見せ掛けで仏法を学び、見せ掛けの善人となり、ただ、他人の称賛を聞きたがった。真心から人に接しず、仕事には忍耐力がなく、固い意志がなかった。仏法を生活の中に取り入れて教えに依り行動し、五戒十善を守る事には及ばなかった。表面を繕い善人ぶっているが、実際には内心は毒悪の人であった。悪念、瞋恚、悪行、悪語が絶えず、善心なく、慈悲心もなかった。

彼女は、躾が難しく、教えを受け入れ難い弟子であることを自認していたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、少しも彼女を諦めず、続けて仏法を学ばせて下さり、ずっと彼女を見守られ、彼女の家族全員に加持を与えられた。そのお蔭で、家族全員は、心配もなく恐れもなく生活することができた。彼女の一番上の息子が気胸を患った時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが加持を与えて下さったので、転重軽受となり、非常な速さで回復した。これについての詳細は、寶吉祥仏法センターの公式サイト「衆生済度の事跡」の第391編に記載されている。二番目の息子は車の事故に遭ったが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお蔭で一命を取り留められた。この詳細は、前記サイトの「衆生済度の事跡」第496編に記載された通りである。一番下の息子は、事故で脛を六箇所骨折したが、手術せずに自然に位置を戻すことができた。この詳細は、前記サイトの「衆生済度の事跡」第393編に記載された通りである。彼女は、彼らから離れず捨て去らずに仏法を学ぶ機会を与えて下さった尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのお蔭で、過ちを深く自省し、心から懺悔、改め、悪行、悪念を正すことができた。彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を捧げた。

昨年12月14日、家族全員で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め、リンチェンドルジェ・リンポチェに向かって懺悔し、供養の機会を与えて戴くよう希求した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らが日々を恙無く過ごすことだけしか考えていない事を叱責し、こう説かれた。「私があなた達を弄んでいるとでも思っていたのか!特別に指名したのは全員問題があるからだ。あなた達がまた隠れるなら、どの位隠れていられるか見てみよう。今やっと懺悔することを知った。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女と三人の息子一人一人に貴重な法を説いている。」

彼女の一番下の息子が分かち合った。その時、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは「なぜそんなに遅く寝るのか」と尋ねられ、「小説を読んでいるから」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェより「二度と小説を読んではならない。全て捨てて、一生懸命勉強しなさい。さもなくば、仏法を学びに来てはならない」との叱責を受け、彼は帰宅してから小說を全部捨てて、必ず努力して自分を改めようと志を立てた。

彼の一番上の息子が分かち合った。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは、どんな仕事をしているのかと尋ねられた。彼は「職業軍人で、職場の人に三食及び生活に必要なものを提供する担当です」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「先に物を買ってから、上の者に文書を渡し何を買ったかを告げているのではないか?」と尋ねられたので「そうです」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは大きな声で叱責された。「どんな法を犯したのかが分かっているのか?」彼は「偷盗、文書偽造」だと答えた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは再び説かれた。「二度と犯してはならない。物を買う時は、先にメーカーに予約してから上の者に文書を渡す事をしてはならない。必ず規定に基づいて行なうこと。再び犯したら、必ず捕まって牢に入れられる」。彼は部隊に戻るとすぐに、リンチェンドルジェ・リンポチェの指示に従い、長官に報告し、授権文書を取得してから購入した。彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えに感謝した。

彼女の二番目の息子が分かち合った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼に何をしているのかと尋ねられ、彼は「大学院で植物を研究しています」と答えた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を叱責した。「大人になったのに、まだ仕事を探さない。現実逃避をして、勉強を言い訳にしている。家に、あなたをこの様に勉強させる能力があるかどうかを考えなさい。アルバイトをして自分の生活に必要なお金に責任を持ちなさい」。現在、彼は学校でアルバイトをし、生活を賄っていたが、学費はやはり家に頼っていた。彼は、リンチェンドルジェ・リンポチェの説法及び指導に感謝をし、必ず教えに遵い実践すると、志を立てた。

続いて、子供達の母親が分かち合った。彼女は、大慈悲の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは慈父であり、彼女が解決できなかった親子の問題を解決して下さったと賛嘆した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を「夫が病気だと泣くばかりで、子供の躾をしっかりやっていない」と叱責した。彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの叱責と躾に感謝した。家族全員の命は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェによって救われたというのに、その御恩に感謝することを知らず、真剣に仏法を学ばなかった。彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに申し訳ない事をしたと懺悔した。

彼女は、教えに遵って、身、口、意を行うこと、常に上師を憶念すること、五戒十善を守り、悪行、悪業、悪言、悪語、悪念を改め、上師の恩、仏の恩、衆生の恩、両親の恩に報いることを誓った。また、彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体の御健康、百劫の常住、法輪の常転、法脈の永久なる流伝、仏法事業の円満なる興隆、直貢噶舉派が五大洲に遍く広がり、広大無辺の衆生が利益されることを祈願した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がられ、自ら殊勝なる長寿仏法会を主催され、列席者に向けて貴重な仏法を説かれた。

今日修法するのは長寿仏の儀軌である。顕教の中には長寿仏を修する法門はない。長寿仏は阿弥陀仏の報身仏であり、この法門はインドからチベットに伝わった。ミラレバ尊者によって始められ、長寿仏の儀軌が出現した。釈迦牟尼仏は、お経にて人類の寿命は「寿」と「財」の結合であると説かれた。寿があり財のある者こそが、長寿を得ることができる。

お経によれば、人の中には、寿はあるが財がなく死んでしまう者もいる。また、財があり寿がある者もいる。財も寿もなければ必ず死んでしまう。だが、財もあり寿もあるのに死んでしまう者もいる。財と寿は、過去世で修した一切の福徳によって得られるものであり、求めれば寿が得られるのではなく、自分の寿を減らして他人にあげることもできない。これは全て不可能なことだ。それは、寿はあなた自身に属するからだ。もし、過去世で大きな布施、供養を修した者なら、今世では非常に裕福で、沢山の財産に恵まれる。もし、過去世でずっと殺生せず、衆生の命を救ったなら、今世では必ず長寿が得られる。長寿仏を修するのは、主に、既に決意をし、菩提心を発こした修行者のためである。修行者の中には、寿命が非常に短く、今世で成就する十分な時間がない者もいるからだ。

長寿仏の法門を修することについて、いくつかの段階に分けて説明する。一般の信者が今日から止悪行善(悪行を止めて善行する)を始めるなら、簡単に言えば、二度と殺生しないことだ。まもなく旧暦のお正月を迎え、皆には肉食する機会がある。だから、もし、あなた達が、お正月の時には家族が自分に肉食させると思うなら、今、ここを去ってもよい。自分と関係がないと思ってはならない——関係があるのだ。なぜ、台湾にはこの様な習慣があるのか。実のところ、中国の伝統では、旧暦のお正月の一日は菜食しなければならない。だが、台湾にはこの様な習慣はない。皆、一生懸命食べ、狂ったように食べ、吐くまで食べる。だから、皈依していない人は、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する前によく考えなさい。お正月の期間に肉食を避けられない者は、ここを離れることを勧める。ここにいなくてもよい。ここにいれば加護してもらえると思ってはならない。仏法は、あなた達が想像するように、ただ唱えれば加護が得られるものではない。それぞれの法のレベルは異なる。

一般の信者は、いかなる衆生の命をも二度と傷つけないことを決意し、過去に殺生し傷つけたことを懺悔するなら、本日修する長寿仏は、寿命の消耗を止める助けをしてくれる。一塊の肉を食べただけで、寿命は少し減る。一匹の魚を食べると、寿命はまた減る。それは、一匹の魚は一つの命だからだ。台湾人であるなら、小さい時にシラスを食べたことがない者がいようか?シラスをご飯と一緒に食べたことがない者、手を挙げなさい。一杯のご飯に魚の命がどれ位あるだろうか?なぜ、台湾は事故がこんなにも多いのか?それは、小さい頃から食べ、殺生するからだ。毎日、少なくとも数十匹の魚の命を食べ、お腹に入れる。皆が生まれ変わった時、元々、この一生での寿命は80歳であったかもしれないが、あなたが生まれ変わると、両親は殺生を始める。胎児に栄養を補給しようと、栄養のあるものを沢山食べる。この勘定はやはりあなたに降りかかる。母親が食べたものを、あなたが食べるからだ。

あなた達は必ず、母親に食べさせないことはできないと弁解するだろう。——誰ができないのか?妊娠している者は試してみるとよい。ある日、とても辛いものを食べたなら、お腹の中の子供は必ず手でゲンコツしたり足で蹴ったりするはずだ。突然とても冷たい水を飲んだ時もそうだ。仏法で言えば、もし、あなたが生生世世、殺生していないなら、この様な家庭に生まれることはない。これは、あなた達の共同の業力であり、だから、縁があってこの家に生まれて来るのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの先父は道教を修していたため、家では牛肉を食べなかった。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは、母親のお腹にいた時に牛肉を食べなかった。あなた達よりも少しよい。食べる肉が一種類少なかった。あなた達は一種類多く食べている。これも、リンチェンドルジェ・リンポチェの過去世と関係があった。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが生生世世、肉食しなかったら、今世では必ず、肉食しない家庭に生まれ変わっている。

我々は、生まれ変わると寿命の消耗が始まる。生まれた後、母親は身体に栄養補給を始める。《地蔵経》に説かれるとおり、補給した物は親子の分に数えられる。何匹かのごま油の鶏煮込みを食べたら、その数の命を返さなければならない。「私に何の関係があるのか?母は私に食べさせていない。私も母乳を飲まずにミルクを飲んでいた。それなら自分の分はないはずだ」という者もいる。それでも、やはりある。《地蔵経》には、地蔵菩薩が善神を遣わして妊婦の出産を見守り、悪鬼や羅剎鬼は近づいて血を吸うことができなかったことが説かれている。が、子供が生まれると、彼らは菩薩の恩徳を忘れ、気ままに殺生をして肉食し、親子は業報を得る。我々が物を食べられるようになると、両親は我々の栄養を心配して、肉を与え続ける。大きくなってからも殺生して肉食させる。結婚の時には、数十卓も並べる。よって、我々の寿命はずっと消耗し続け、止まったことがない。

特に、現代の商業社会では、肉食は非常に便利だ。昔、古代の時には肉食はとても面倒だった。鶏を捕まえて殺し、毛を抜いて長時間煮なければ食べられない。今はコンビニに行けば、山盛りの肉が食べられる。スーパーでも、切った肉を沢山売っている。末法時代、悪行する機会は多く、善行する機会は少ない。ほとんど、朝起きて目を覚ましたなら、悪行を始められる。仏が末法時代の修行は益々難しくなると言われたのは、環境が益々悪化するからだ。我々は一生の寿命を消耗し続ける。さらに、他人を陥れ、因果に背く事をし、貪欲等の持つべきでない物を持つ。

多くの者は、寿命が短くても構わない、ただ身体が健康であればよいと思っている。しかし、これらの財、寿はいずれも突然去っていく。多くの場合、突然死んでしまうこともある。仕事をしている時は、接待のために、毎日沢山魚や肉を食べ、お酒を飲み、この様にしなかったら仕事がなくなると思っている。その結果、肝臓ガンになった。ガンになったら、手術をして切りさえすれば治ると思っている者も多い。手術をしたなら、寿命は減る。なぜか?顕教にはこう説かれる。この身体は両親からもらった。儒教思想にも「身体髪膚、これ父母に受く」と説かれる。あなた達は皆、唱えられる。密教には、身体は文武百尊の壇城であり、手術はこの壇城を傷つけることに等しいと説かれる。手術できないのか?リンチェンドルジェ・リンポチェはこの様には言えない。だが、もし今日、心から懺悔したなら、福徳と智慧が生まれる。この一生で手術する機会は非常に少なくなり、必要ないこともある。

手術する時、多くの衆生を傷つける。あなたの体内であなたにくっついて生きている細菌、虫等である。なぜ、手術が終わった後、回復するために沢山の時間が必要なのか?多くの後遺症もある。それは、あなたの寿命が既に消耗を始めたからだ。もし、寿命が非常にしっかりしているなら、健康は自然に必ず良くなる。中風でベッドに十数年も寝たきりであるのに死に切れない者もいる。これは、彼の寿命がまだ終わっていないからだ。死に切れないのは、何を意味するのか?《地蔵経》に説かれているが、これが今際の時である。怨親者がずっと彼にくっついて借りを返してもらおうと思っている。彼の全ての財を使い切らなければ離れない。試しにちょっと考えてごらん。もし、一日中ベッドに寝たきりで動けないなら、毎月いくらかかるのか?お金を全部使い切ってから去る。これは、彼自身のお金とは限らない。誰かのお金とも限らない。彼が、この生命の中で使うべきお金をを使い切ったら出て行く。彼は銀行の中に沢山の貯金を持っていても使えないなら、財がないということになる。

台湾では多くの人が家、土地を持っているが、毎日やはり、サンダル、ショートパンツををはいて自転車に乗って家賃の取立てに行く者もいる。この様な人は富はあるが貴はない。お金を見るが使えない。これもまた貧しいということだ。皆は自分が長生きであることを望むが、思えばそうなるということはない。必ず修してこそ実現する。今日法会に参加した信者が悪行を断ち善行をしたなら、寿命を消耗する機会を止めることができる。二度と発生しないように減少させることさえもできる。なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、お正月に肉食をする者は参加しなくてよいと言うのか?それは、罪を犯すことを明らかに知っているからだ。因果を信じないと、一つの罪が加わる。

あなた達は必ず、仏菩薩があなたを懲らしめに来たのではないかと言う。決してそうではなく、あなたの祖先だ。お経にははっきりと説かれている。衆生の肉で祖先を祀ると、祖先には悪業が更に加わる。祖先は元々小さい地獄にいたかもしれないが、あなたが毎年、肉で彼を祀るので、小さな地獄から大きな地獄に移る事になるかもしれない。彼は元々、1000年で出て来られたのだが、あなた達が一日中彼の為にとこんな事をしているので、2000年、3000年と延びてしまう。あなた達は、祖先が地獄にいる事は自分とは関係ないと思っている。彼らがあなたの所に来ることはないと思っている。だが、一人の祖先が三悪道の中で苦しみを受けているなら、あなたのこの一生はスムーズでなくなる。必ず何かが起こる。あなたと祖先の遺伝子が同じだからだ。彼の全ての幸せと苦しみのメッセージをあなたは必ず受け取ることになる。

中国人は「善徳を積む家には必ず余慶がある」と言う。それは、彼が為した善行が自分自身の遺伝子を変えるからだ。彼の遺伝子こそがあなたの遺伝子だから、あなたに影響する。リンチェンドルジェ・リンポチェは、以前、スコットランドで9000年前の人骨が発見され、同じ村の中で、その骨の中の遺伝子と同じものが見つかったというニュースを見た。これは、何を意味するのか?あなた達は、自分にはただ一代の祖先しかいないと考えてはならない。生生世世、沢山の祖先がいるのだ。母親、父親が拝んでいるように見えるが、あなたも参与するだけで拝んでいることになる。しかも、今世の祖先だけでなく、生生世世の祖先を拝んでいるのだ。

あなた達は肉で祖先を祀ることはそんなに深刻な問題ではないと思っている。家をみてごらん。今まで毎年、肉で祖先を祀っていて、家に何も問題が起きなかったか?皆、家に帰ってから考えてみなさい。必ず何かあったはずだ。この病気でなかったら、別に問題が起き、沢山の事が次々に発生したはずだ。誰も信じない。運が悪いだけだと思っている。これは運が悪いのとは無関係だ。お経で語られている話は事実だ。お正月の時に、あなた達と家族との喧嘩を後押ししない。あなた達はきっと、お正月は家族が集まり、皆も食べるのを楽しみにしている、もし食べなければ両親に叱られると言うかもしれない。あなた達は両親にこんなにも沢山叱られたのに、どうして怖がったことがなかったのか?皆で食事を食べるのに叱られるのが怖い?あなた達も両親と年配者を何度も騙している。できないなら、下痢や吐いたふりをしてはどうか?無理やりに英雄や豪傑になろうとして、ただ一杯の肉入りスープを飲むだけでよいと思う?ある弟子は一杯の肉入りスープを飲んで大きな問題が起きた。彼は、母親が彼のために作ったのに、飲まなければ親不幸だと思った。飲んだ結果、却って問題が出た。母親にも彼にも問題が起きた。

もう一度強調するが、仏菩薩があなたを懲らしめるのでもなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法して懲らしめるのでもない。あなたを懲らしめてどうなるのか?リンチェンドルジェ・リンポチェには何の長所もない。お経に取り上げられているが、今日は皆、因縁があって法会に参加した。上師の説く仏法を一文字も聞き入れていない。あなた達はとても悪い。なぜ悪いのか?それは、明らかに祖先の苦しみを少しでも減らす機会があるというのに、それを行なわず、自分の考えで法会に参加している。祖先がなければ我々もいない。法会に参加すれば、両親や一部の人に利益があると思ってはならない。役に立たない。あなた達の行為、思想を変えないのであれば、仏菩薩の大きな慈悲があっても果報を変えることはできない。諸々の仏菩薩は、あなた達が一切の悪の因を断ち、一切の善の因を作るのを助ける。だが、あなた達は話を聞いていない。仏菩薩は信者を助け、彼らが寿命を消耗する機会を減らしてくれる。だが、彼らに寿命を加えることを助けられない。それは、彼らが仏法を学ぶ決意をしていないからだ。

この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ある女性信者を起立させ、その場で叱責した。彼女は、足が痛かったら後ろに座り、最悪の場合は帰宅してもよい。なぜ、彼女の足は痛むのか?一に通常肉食し、二に三宝を尊重せず、三に苦しみに耐えられないからだ。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女にその場を離れさせ、続けて法話を説かれた。寶吉祥仏法センターは非常に厳格だ。他の道場では、足を抱える姿勢をとっても構わないが、寶吉祥仏法センターではダメだ。なぜ、ダメなのか?お経を見ると、仏の説法を聴く時、皆はどの様な態度をしたのだろうか?「恭敬」だ。弘法者であるなら、どうして列席者に不敬を働かせるのか?列席者のこの様な態度は、リンチェンドルジェ・リンポチェを敬わないのではなく、三宝を敬わないことになる。三宝を敬わないと、未来に非常に重い果報を得ることになる。

弘法者は、何かのために仏法をねじ曲げて解説したり、彼らを大目に見たりしてはならない。最悪の場合には来ないのみだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは信者は不足していない。なぜ、列席者の座る姿勢に恭敬心がないといい、彼を会場から出て行かせたのか?それは簡単だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはよく例え話を出す。もし、あなたが一時間動かなかったら一千万円をあげようと言ったら、あなたは絶対に動かないだろう。今、なぜ、動いているのか?それは、お金をもらっていないからだ。利益も見られない。リンチェンドルジェ・リンポチェが話していることは、ただの話だと思っている。未来にこの様な利益があることをどうやって知る事ができるのか?あなた達はこのような気持ちを持ってはならない。この信者は、年が若いので実行できないのだと思ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子の中には若い弟子が沢山いる。だが、皆とてもよく言う事を聞く。先程の信者は、心が法会に参加していなかった。だから、この様であったのだ。簡単に言えば、心が法会にあれば、この様にはならない。

信者以外で、かつて皈依したことがあり、仏法を学ぶ心を発こし、今世で生死を解脱することを望む者は、今日の法会に参加することで、今世で悪行のために損失した寿命の一部分を補うことができる。既に確かに菩提心を発こし、慈悲を修し、広大な願を発こした修行者がこの法を修したなら、寿命の増加を助けることができる。寿命を増やすのは、恙無く日を送らせたり、少し多めに学ばせるためではない。今世で十分な福徳を積ませ、来世で更に多くの広大な衆生を利益させるためである。

長寿仏は報身仏である。報身仏とは、発願し修行している菩薩を助けることが専門だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達のために、法本が皆にとって重要であることを明確に説明した。特に、あなた達が自分は金剛乗の弟子であると思うなら、金剛乗の弟子と上師との縁は非常に深い。上師との縁が非常に深いという事は、一日中上師の傍にいるという意味ではない。真に学んだことを行なっているかどうか、上師の教えに基づいて自分の正しくない身口意等の行為を変えたかどうかに関わる。もし、それができているなら、縁のある金剛乗の弟子だ。今日修法するのは、彼に非常に役立つものだ。縁があるとは何か?それは、上師がいる時、いつ何時も自分の行為及び態度に注意しなければならない。

先週、リンチェンドルジェ・リンポチェは、東部で火供を修した。修法したその夜、ホテルで弟子達と食事した。食事の後に話をしていたが、テーブルの男性弟子は皆、リンチェンドルジェ・リンポチェよりも若かったが、全員居眠りをしていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、居眠りをしていた二人の弟子を指名し、このように説いた。尊き直貢チェツァン法王がいらっしゃる時、リンチェンドルジェ・リンポチェは居眠りをしたことはない。彼らは、リンチェンドルジェ・リンポチェはもう食事を済ませ、彼らも食事を済ませたので、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を説いているのではなく、人とおしゃべりをしていると思ったので、機会を見つけて居眠りをしていたのかもしれない。この様ではどうやって、金剛乗の弟子になれるのか?リンチェンドルジェ・リンポチェも尊き直貢チェツァン法王と食事をしたことがあるが、直貢チェツァン法王がその場にいらっしゃる時、リンチェンドルジェ・リンポチェは居眠りをしたことはない。

彼らがこの様にしたのは、礼儀がない。この点から見ると、彼らは上師を娯楽の対象としているのではないかとも思われる。ある弟子は身体の具合が悪いので、彼が居眠りをしても、リンチェンドルジェ・リンポチェは叱らない。だが、この二名の弟子は、リンチェンドルジェ・リンポチェよりも若いのに、彼らは問題ないと思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分達のために火供を修法してくれ、お腹も一杯になったから、次は休む時間だと思っていた。これにはただ一つの解釈ができる。彼らは十分に年をとっている。人は年をとると、食事をした後に本当に居眠りをしたくなる。あなた達は、金剛乗の弟子になるのがそんなに簡単だと思ってはならない。だが、緊張すべきなのか?実際にはそうではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、尊き直貢チェツァン法王の下で学び、こんなにも長い時間が経ったが、今まで緊張したことはない。なぜ、緊張しないのか?心の奥底から恭敬する気持ちがあるなら、どうして緊張するのか?恭敬しない者こそが緊張する。心に恭敬する気持ちがあるので、敬う行為が自然に溢れ出る。わざとらしくする必要はなく、とても自然な行為だ。

この二人の弟子は、リンチェンドルジェ・リンポチェがおしゃべりをしていて、仏法とは無関係なので、居眠りしていいと思っていた。とても見苦しいとは思わないか?幸い、その日、その場にはその他の人が沢山いなかった。その内の弟子の一人が、ずっと前にリンチェンドルジェ・リンポチェに、ポワ法を学びたいと言っていたのだが、彼は上師を敬わなかった。どうやってポワ法を学べるのか?特に、ポワ法は、上師の伝承がないなら、絶対に学び得ないものだ。あなた達は上師はただ、仏法を教えるだけだと思っている。上師が食事を済ませ、あなたも食事を済ませたら、任務は終了し、居眠りしていいと思っている。

リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の能力、生命の全てを尽くして、やるべき事をやっている。あなた達がどれくらい受け取れるかは、あなた達自身による。修法すれば一切は順調に進むと思ってはならない。心が非常に重要だ。先月、尊き直貢チェツァン法王が寶吉祥仏法センターに来られた時、再び特に強調して皆に伝えたことがある。リンチェンドルジェ・リンポチェがリンポチェを成就したのは、供養が多かったからではない。リンチェンドルジェ・リンポチェの心に起因する。リンチェンドルジェ・リンポチェが話をよく聞くからだ。あなた達は実行できるのか?皆、実行できない。リンチェンドルジェ・リンポチェは小さな事から物事を見る。なぜ小さなことからなのか?それは、全ての物事は小さな事から始まるからだ。物事を発覚してから処理する事を絶対にしない。

昔、中国人はこう言った。年配者がその場にいる時は自分を放任してはならない。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは教授をしている弟子を指名し、古文の中にこの様な教えがあるか否かを問われた。弟子は、確かにあると答えた。年配者がその場にいる時、居眠りをしたり、姿勢を正さず、言葉を挟んではいけない。そして、注意深く年配者の話を聞かなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは続けて説かれ、二名の弟子を叱責した。彼らは、リンチェンドルジェ・リンポチェと同じ年齢か、又は後輩か?金剛乗を学ぶ者は自分の心を放任してもいいのか?周囲の様子に注意せず、自分がしたい事をしてもよいのか?金剛乗を学ぶ者は、いつ何時も衆生に注意を払わなければならない。彼ら二人は何を学んでいるのか?庇護されることを学んでいるのか?

彼ら二人がどうなのかはよく分からない。もし、別の場所で火供を修法したなら、どの位のお金が必要か彼らは知っているのか?それとも、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの為に火供をするのは当たり前だと思っているのか?だから、釈迦牟尼仏は、末法時代での弘法はとても大変だと言われたのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは感慨を込めて出家者に説かれた。「あなた達は今、理解されたことだろう。先に自分を修し、自分の問題を解決すれば、行きたいところに何処へでも行ける」と。この弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェについて十数年経つ。彼らについて語るのが面倒になった。

長寿仏は修行者にとって非常に重要である。心を込めるだけでよい。即ち、懺悔心、恭敬心、慈悲心をもって法会に参加するなら、今世で絶対に非業の死を迎えることはない。「非業の死」とは、あなたの寿命が尽きるべきでない時に尽きてしまうことを指す。もし、長寿仏の法会に参加したなら、病気に罹っても治療できないということはなく、いかなる不慮の死を遂げることもない。現在に至るまで、寶吉祥仏法センターの弟子の中に不慮の死を遂げた者はいない。それは、リンチェンドルジェ・リンポチェが毎年、長寿仏を修法しているからだ。あなた達の殺生業はこんなにも重いのに、不慮の死が起きない事があり得ようか?

今年1月1日、リンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子の店に行った。店員は3回大法会に参加したことがあった。数日後、この店員は、家で入浴中に突然死んだ。道理から言うなら、あなた達は、3度も大法会に参加したことがあるのだから、リンチェンドルジェ・リンポチェと縁があるはずだと思うことだろう。しかし、1月1日、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に注意しなかった。彼を少しも見なかった。縁があるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼をちょっと見ただけで、絶対に彼を助けたであろう。彼がこの様に死んだのは、お経に基づくなら非業の死である。

彼は3回大法会に参加したのに、なぜ、やはりこの様になったのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは、毎回、大法会の中で皆に肉食しないで菜食するように言っている。もし、あなた達が話を聞かないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆が未来世において阿弥陀仏と結縁するのを助けられるだけだ。だが、誰も信じない。法会には予定通り来るが、肉も予定通り食べている。阿弥陀仏は彼が食べた肉を済度すると思っている。だから、定業を転じることができないのだ。もし、彼が話を聞いていたなら、自然に善縁が生まれ、機会ができたはずだ。一切はあなた達自分が決めることだ。リンチェンドルジェ・リンポチェとは無関係だ。なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェは何も話さずに、この重点だけを話すのか?それは、あなた達が続けて肉食するなら、以前の殺生業の力が引き続き累積されるからだ。

あなた達は自分は殺していない、スーパーで冷蔵のものを買っただけだと言い訳する。問題は、あなたが積極的に殺したかどうかではなく、あなたの心がずっと悪行をしていることにある。あなたが衆生の肉をまだ食べているだけで、あなたの心中にある衆生を殺すという考えが止まっていない事を意味する。生生世世、衆生を殺そうとする業力が絶え間なく累積される。ある点まで累積されたら報いを受けて、あなたは逝く事になる。善行も同様である。善行を積み続けたら、悪行を止められる。

あなたが肉食を続けているなら、あなたは衆生に対して憐憫の気持ちさえもないことになる。気持ち悪くないか?切られた肉がそこに置かれるのを見る。ロースと言っている。明らかに牛肉だ。雪が舞う肉等の沢山の綺麗な文字を用いてそれは説明される。咬むと口の中で油が出てとても甘いと感じる。何が甘いのか?全て調味料だ。なぜ、あなた達はまだ食べたいと思うのか?それは、心の中に憐れむ気持ちがないからだ。心中、憐れむ気持ちがないなら、仏法はあなたにとって役に立たない。なぜ、役立たないのか?それは、仏法は慈悲の心で一切の生きとし生ける者を救うからだ。もし、憐れむ気持ちがないなら、仏法はあなたと当然関係ない。油と水のようなものだ。一緒に入れても、混ざり合うことはない。

あなた達は関係ないと思ってはならない。ある弟子は、以前、皈依した後に高雄に戻り披露宴に出席し、こっそり蟹を食べた。その結果、すぐに食中毒になり、歩けなくなった。彼女の子供は、彼女を担いでリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女が蟹を食べたのが見えたので、そう言ったが、彼女は認めなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に言った。もし求めないのなら、半身不随になって動けなくなると言うと、彼女はやっと認め、現在まで生きている。彼女は本当にこっそり食べたのだ。彼女の娘さえも知っていた。どんな事も騙せるが、因果は騙せない。だから、年末が来たので、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために長寿仏を修する。そして、皆が非業の死を遂げずに、今世で福徳を積む十分な時間が得られ、生死から解脱できることを願う。時間が十分にないなら、修したくても役立たない。

金剛乗を修する者にとり、長寿仏は非常に重要だ。尊き直貢チェツァン法王は、かつて、ユーモアを込めてリンチェンドルジェ・リンポチェに語られたことがある。「チベット圏では長寿仏の修法の時に沢山の人が参加するが、中華圏では財神法の修法の時に沢山の人が参加する」。だから、民族性が異なる。必要な法本も異なる。我々漢人は、死ぬにもお金が必要だ。お金がなければ、棺を買うこともできない。以前、チベット人の平均寿命は長くなかった。だから、彼らは長寿を望んだ。もし、チベット圏で長寿仏を修法するなら、黒山の人だかりとなるが、財神法の修法ではこうならない。牧畜地帯では、ビジネスを営む者が少ないので、財は役立たないと感じるからだ。それに対し、中華圏で財神法を修したら、百万人が参加するかもしれない。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが財神法を修法することは少ない。それは、修しても衆生に何のメリットも与えないからだ。

この後で、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法する時、皆は、先に説いた長寿仏の役割についてよく考えなさい。特に、皈依していない者はである。こっそり食べても、リンチェンドルジェ・リンポチェは知るはずはないと思ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは確かに分からない。だが、因果は知っている。先ほど話した弟子のように、蟹をこっそり食べても隣の者しか知らないはずだ。誰が知っているのか?因果が知っているのだ。幸い、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子だった。もし、彼女が弟子でなかったら、その事はすぐに起こらなかった。逝く前に起きたはずだ。それなら、大変な事になった。なぜか?それは、地獄に堕ちるかもしれないからだ。

多くの者が、仏法はただ、心(魂)の拠り所だと思っているが、実はそれは誤りだ。お経には「魂」という言葉はない。最近、ある一派が身体、心、魂を語っている。昨日、ある者がリンチェンドルジェ・リンポチェにこの事を告げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分にはそんなに高度な学問はなく、ただ、神識、菩薩、仏を知っているだけで、身体、心、魂は分らないと言った。実際には、仏法を学ぶことは、自分のある情緒上の問題を託すためのものではなく、完全に元々備えられた条件を開発するためのものだ。あなたに与えるのではなく、元々持っている、備えられた、生まれた時からあるものだ。だが、我々自身は生生世世、沢山の貪、嗔、痴、慢、疑という物に覆われている。仏法に説かれる「一念無明」は、一つの考えが生じ、突然、因果を信じない故に起こるのだ。

これが動いたなら、停止させるのは非常に難しい。だから、仏法は我々に一切の悪因の始動を停止させ、一切の善因を開始させようとする。善因の累積を始める。いつ、その果を見ることができるのか?リンチェンドルジェ・リンポチェも分らない。だが、必ず役に立つ。必ず、あなたに見せる。昨日、ある弟子が他界した。先週、リンチェンドルジェ・リンポチェがプルバ(Phurba)を修法して加持を与えている時に、ほんの少しだけ彼の事を気に留めた。彼が普通ではないことを知っていたが、昨日逝ってしまった。元々、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の為にポワ法を修法するのを忘れていたが、その後、休憩室まで歩いて行った時に、突然、思い出した。ダメだ、彼の為にポワ法を修法しなければ。なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェに突然、この考えが浮かんだのか?この弟子はお金がなく、年をとっており、ある特色を持っていた。それは、恨まず、苦労を惜しまず、上師に面倒をかけないことだった。彼は、毎週日曜日に来ていたが、殆ど彼の存在を知る事はなかった。だが、上師は彼の存在を知っていた。

この弟子はとても苦労した。それは、身体が弱い上に、妻が記憶喪失症を患っていたからだ。80歳の老人が妻を世話してるのだ、苦しいと思わないか?だが、彼は、兄弟弟子達に自分の苦しみを話したことはなかった。黙々と行なっていた。それは、上師の話を良く聞き、因果を受け入れていたからだ。昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の為にポワ法を修するのを忘れそうになった。信者との面会が終わり、休憩室に戻って初めて、ポワ法を修するべきだと気付いた。なぜ、彼の為にポワ法を修するのか?それは、彼が上師の話をよく聞いていたからだ。これこそが供養だ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼のために修法した。

多くの者が、現在、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らを助けたかどうかを見ようと思っている。必ずしもこうではない。一人の上師にあなたを覚えてもらうのは簡単なことではない。なぜか?それは、上師はこんなにも沢山の人に会っている。どうやってあなたを覚えるのか?上師はどうやって、あなたを覚えるのか?当然ながら、仏法に基づく方法だ。特に醜い、特に美しい、特に能力があるからではない。仏法についてだ。この年輩の弟子は、こんなにも長く皈依していたが、今まで、リンチェンドルジェ・リンポチェに面倒をかけた事がなかった。妻を連れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに二回だけ会いに来たが、その後は、連れてくることはなかった。なぜ連れてこなかったのか?それは、彼は、妻の結縁を助けるだけだと知っていたからだった。その他の弟子に面倒をかけることもなく、一生を終えた。

彼の一生は、債務の返却であった。だが、上師は彼に借りを作らなかった。昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにも沢山の信者との面会を済ませ、とても疲れていたが、やはり彼のためにポワ法を修法した。ポワ法の修法はとても簡単で、ただ、リンチェンドルジェ・リンポチェの法音を数回聞くだけで修法が終わると思ってはならない。あなた達は自分で、いくつの音を発したかを試してみるとよい。仏法は平等だ。いかなる衆生でも、仏法の助けを得る機会、因縁がある。だが、自分で行なえるかどうか?心を開いて仏法を受け入れるかどうか?自分の個々の考えがまだあるかどうか?あるなら、問題が出る。その二人の弟子のようにである。食事を終え、人とおしゃべりをし、自分を呼ばないリンチェンドルジェ・リンポチェを見て、居眠りをする。その内の一人は、リンチェンドルジェ・リンポチェが突然彼の名前を呼ぶとは思いも寄らなかった。身体全体が飛び跳ねた。非常に熟睡していたからだ。

以後、あなた達の生活習慣をリンチェンドルジェ・リンポチェに教えなさい。時間が来たら、リンチェンドルジェ・リンポチェはその場にいないで、出て行くようにする。リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆の生活習慣を理解していない。ある者は、9時に寝るのかもしれない。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは10時を過ぎても寝ないが、彼の睡眠時間になったのに、リンチェンドルジェ・リンポチェがまだその場にいることになる。

だから、あなた達にはよい弟子は務まらない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、尊き直貢チェツァン法王と一度出かけたことがある。早朝6時に、尊き直貢チェツァン法王から「起きたかどうか?」という電話があったので、「はい、起きました」とすぐに答えた。もし、あなた達なら「いいえ、電話の音で目が覚めました」と言うだろう。弟子とはこういうものだ。弁明する理由はない。あなた達は理由を言って、起こしてしまったことを相手に申し訳なく思わせようとする。尊き直貢チェツァン法王は、徐々にリンチェンドルジェ・リンポチェの生活習慣を理解されたので、今では8時前にリンチェンドルジェ・リンポチェを呼ぶことは少なくなった。尊き直貢チェツァン法王にとっては、この時間は非常に遅い。それは、直貢チェツァン法王は4時半に起床されるからだ。既に2時間も待たれてリンチェンドルジェ・リンポチェを呼んだ事になる。

弟子である者は、上師に向かって「申し訳ありませんが、今後はこんなに早く呼ばないでください」と言ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、こう言った事はない。本当に、直貢チェツァン法王に対して自分の生活習慣を言った事はないが、上師は弟子について留意される。徐々に、リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに早く起床しないことを感じ取られる。それは、リンチェンドルジェ・リンポチェは出家者ではないが、直貢チェツァン法王は子供の頃に出家されている。だから、現在、直貢チェツァン法王は、8時前にはリンチェンドルジェ・リンポチェを呼ばない。以前は、いつも、7時、6時半に朝食を食べたが、徐々になくなり、今では8時、8時半だ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に感謝しなければならない。

この点から、あなた達も上師が理不尽でないことが分かるであろう。だが、ある場所やある場合には、弟子である者は弟子の様子をしなければならない。疎かにしたり、迂闊であってはならない。多くの者が仏法を学ぶ事はとても大変だと感じる。実際には大変ではない。師弟の関係は非常に微妙だ。微妙な所は完全に仏法上にあるが、完全に世間を離れることもできず、やはり非常に世間的でもある。

皈依して久しい弟子は皆知っている。2007年、尊き直貢チェツァン法王に連れられて、リンチェンドルジェ・リンポチェは大雪山で閉関した。当時、直貢チェツァン法王は、特別に麓のカトマンズからリンチェンドルジェ・リンポチェに使わせるための便器を運んで来られた。便器には水はなかったが、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェがしゃがむのに慣れていないことを知っていたので、便器を運んで来られたのだった。これは、上師の弟子に対する気遣いだった。リンチェンドルジェ・リンポチェは、今まで、直貢チェツァン法王に自分がどの様にトイレに入るのかを報告したことはなかった。だが、直貢チェツァン法王は気付かれたのだった。リンチェンドルジェ・リンポチェが昨日他界したあの年輩の弟子に気付いたようなものだ。

上師は見ている。弟子の通常の行為に注意を払う。人が多いので、リンチェンドルジェ・リンポチェは見ていないと思ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは目線を少し向けただけで、居眠りをしている若者達に気付いたのだが、年齢最高者はリンチェンドルジェ・リンポチェとしゃべっていた。普通ではないであろう?本当に普通ではない。それでは修法を始める。今日は沢山説法をした。修法時には、皆は心で少し留意するようにしなさい。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、長寿仏の修法を始められた。最初に、出家弟子等代表が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェへのハタ献上を行い、仏法を請じた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは暫くの間修法された後、こう説法された。先ほど供養を捧げた後、如来に供養を受け取って頂くよう祈った。供養を受け取られた後、本尊は歓喜される。だから、皆の寿命と仏法によって衆生を利益する事業が隆興し、我々が仏法を学ぶ妨げとなる一切の逆縁が滅せられ、無量の一切の衆生が非業の死を遂げずに、8種及び16種の大災難から抜け出すことができるようにと、加持を祈る。この法門を修法する者は、干ばつ、戦争、動乱のない平穏な時を享受でき、修法者と施主は非業の死となる一切の災難を滅することができ、法事を思う通りに行なえ、一切の悪因と逆縁はなく、寿命と財産は共に増長される。与えられる全ての加持の最終目的は、世間の物を享受する事ではなく、無量光仏、即ち阿弥陀仏の果位を成就することにある。成就が得られる前の生生世世において、長寿仏が我々の本尊となり、生生世世、我々を加持して戴く事を希求する。以上が密法の希求である。

修法過程において、薈供の儀軌が行なわれた。列席者は皆、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェによって加持された供養品を戴き、法会で仏菩薩と共に食するという得難い殊勝な因縁を得た。

薈供の儀軌を終えた後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、この後に修法される儀軌の意義について説かれた。「続いて、皆のために修法するのは「摂受」である。これは、皆の寿命摂受を助けるものである。我々の身体は、地、風、水、火の精華の組み合わせによる。よって、地、風、水、火を補充するのを助ける。修法するリンポチェは、通常、この儀軌を修法することを公開しない。それは、修法者の禅定が不足したなら、誤って自分の寿命を分け与えてしまうこともあるからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェがこの儀軌を修する際、皆は非常に敬虔な恭敬心と懺悔心をもってこの法を受け入れなければならない。最初の部分で、リンチェンドルジェ・リンポチェは先に、自分のために摂受する。それは、与えるものが不足することを恐れてのことで、先ず、自分を充満させて、次に皆に与える。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、列席者に壇城にあがるよう指示された。片方の手に長寿仏本尊のドマを持ち、もう片方に金剛鈴を持ち、深い慈悲によって殊勝な加持を与えられ、その過程において、列席者をリードして長寿仏の心咒を唱え続けられた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは列席者が席に戻るのを待ち、続いて、貴重な仏法を説かれた。

今日修法する長寿仏は、密法の中の瑜伽部であるので、一般の法本には記載されていない。実際には、密法は顕教を基礎とし、顕教の基礎がなければ密法を学ぶことはできない。密法を学んだ後、自分がすごい力を持ち、様々に変化し、あちらこちら飛び回ることができるようになるのか?確かに、密法には特に神通力を修する法門がある。だが、神通力を修するのは、変化のためではなく、神通力によって衆生を摂受するためでもない。ただ単に、神通力は方便法である。多くの者は、密教を学んだら、すごい力を持てると誤解している。密教は確かにすごい。だが、すごい所は、修行者を迅速に成就させる点にある。

もし、神通力を使おうとするなら、こんなに苦労して密教を学ぶ必要はない。道教を学んでも様々な変化ができる。密教に対して誤解や迷信を起こしてはならない。さもなくば、多くの偽リンポチェや偽ケンポスに騙されることになる。チベット人だからといって仏法を理解しているとは限らない。チベットの出家者だからといって密法を修しているとは限らない。密法の修習は階梯に基づいて修習し、認証を得る必要がある。唱えている法本がチベット語だからといって密法だと思ってはならない。または、灌頂を受けたからといって密法を修していると思ってもならない。そんなに簡単な事ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、尊き直貢チェツァン法王の下で数十年間、仏法を学んだ。一つの灌頂、一言の真言でいいという事は全くなく、沢山の綿密な、長く久しく、集中した伝法を経てこそ、密法を修して成就する資格が得られる。

なぜ、寶吉祥仏法センターはこんなにも沢山の法を修するのか?仏法を学ぶ者は非常にはっきりと理解している。修行者、仏道初心者の別なく、全ての者は福徳、智慧を修する必要がある。現在、我々が用いる福徳は人間界一般のものだ。過去世で自分が修し、今世に持って来た福徳である。この種の福徳は我々が仏法を学ぶのをサポートするには足りない。それは、我々は毎日、自分の福徳を用いて日々を送っているからだ。よく眠れる、眠ることができるいいベットを持っている、起きたらすぐに飲む水がある。これは全て自分の福徳を用いたものだ。福徳を使い終わったら、今世は終わる。修行の福徳は生生世世用いることができる。法本に記載されている祈請文には「生生世世、加持を与えて戴けるよう祈る」という一言がある。

修法で最も重要な事は、全ての弟子及び信者が迅速に福徳を積み、智慧を啓くのを助けることにある。智慧を啓くとは、在世の際に物事がスムーズに行なえるようにしたり、交際する時に恋人の恨みを買うことがなく、智慧があるので随時相手に愛人がいるかどうかをキャッチすることではない。智慧とは、宇宙の一切の真相を悟ることであり、更に一切の衆生を利益することができる。多くの者が仏法を学ぶ事は衆生を済度することだと言う。だが、もし、十分な福徳と智慧がなかったら、いかに衆生を済度することができるのか?福徳がないなら能力もない。簡単に言えば、ある者がご飯を食べるお金もない程、貧乏になるようなものだ。あなたもご飯を食べるお金もないほど貧乏になった。どこに、彼に貸してあげるお金があるのか?不可能だ。なら、どうしたらよいのか?まず、自分がしっかりと仕事をして、お金を貯める。その後に、初めて他人を助けるお金ができる。仏法も同じである。

自分は毎回法会に来ているから、一度来なくても関係ないと思ってはならない。あなたが一度来ないなら、一度の福徳が減ることになる。一度の法会で物事が解決すると思ってはならない。お経に記載されるように、釈迦牟尼仏は沢山の世で修してこそ成仏できた。我々のこの様な材料なら何を根拠にできるのか?ただ、お経を唱え、座禅を組み、仏法を聴き、懺悔の礼拝を人にさせれば、自分に福徳があるというのか?実際にはそうではない。法会によって最も迅速に福徳を積むことができる。直貢噶舉の大成就者ユンカ・リンポチェが嘗てこう説かれた。「福徳を積む最も迅速な方法は大法会に参加することだ」。大小の定義は、修法してくれる徳を具えた上師が必ずいるのでなければ、一般に行われるお経の読誦、懺悔の礼拝となる。これらは、あなたが仏法を学ぶのを助ける縁を積ませるだけである。

リンチェンドルジェ・リンポチェもまた、顕教出身だ。以前、一年に二度「梁皇宝懺」、一年に一度「水懺」に参加していた。他の人が皆休んでも、リンチェンドルジェ・リンポチェはやはり通常通り礼拝した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「地蔵懺」「観音懺」「妙法蓮華懺」等に参加し、言葉に出せるものは全て懺悔し、懺悔しないものは何もなかった。しかも、毎日の勤行は少なくとも2~4時間行い、休んだ事はなかった。その当時、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分は偉く、非常に努力していると思っていた。ところが、密教を学んだ後、自分は精進しておらず、尊き直貢チェツァン法王と出逢うことができた善縁を積んだだけであることを知った。

この後も、リンチェンドルジェ・リンポチェはやはり修行しなければならない。尊き直貢チェツァン法王に出逢ったので、あっという間にグレードアップしたのではない。自分で修行しなければならない事は沢山ある。寶吉祥仏法センターはなぜ厳しいのか?あなたがもし何度も来なかったなら、今後は来なくてよい。それは、来ないのは福徳を積もうとせず、修行しようとせず、世俗の考えがあり、加護を求めるだけだからだ。加護を求めるなら、寶吉祥仏法センターに来なくてもよい。現在外には信者が不足している所が沢山ある。寶吉祥仏法センターに来たからには、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず、自分の仏道修行の経験によって皆を助ける。

皆は、法会に数時間参加して非常に疲れたと感じているだろう。皆は少しも疲れていない。疲れたのはリンチェンドルジェ・リンポチェだ。先ほど1300人が壇城にあがり加持を受けた。リンチェンドルジェ・リンポチェは手に本尊ドマを持ち、放さなかった。試してみなさい。67歲のお爺さんが実行できるのに、皆のような若者は実行できない。これは意志力に頼るものではなく、禅定の力に頼るものでもない。密法では上師と本尊は全く同じ存在である。これは、肉体と本尊が同じであることを指しているのではなく、慈悲心と本尊が全く同じだという意味だ。だから実行できるのだ。想像によるものではない。信じないなら、家に帰って試してみなさい。片手に本尊のドマを持ち、もう片方に金剛鈴を持って途切れることなく鳴らし続け、口では信言を唱え、目では皆が法座にぶつかりはしないかと見、全身で注意を払わなければならない。だから、リンポチェをやるのは難しいのだ。

年末になったので、皆のために修法し続けている。それは、一年一年と減っているからだ。皆が迅速に福徳を積むことができるようにと願う。福徳と智慧の資糧が十分なら、仏法を学ぶ障碍は求めなくても減っていき、なくなることさえある。仏法を学ぶ障碍がなくなれば、人間世界での障碍もなくなる。あなた達はガンに罹ったからといって、とても深刻だと思わなくてもよい。これはそれほど深刻ではない。修行者から見れば、ガンに罹ることはそれほど深刻なことではない。それは、停止する日が必ず来るからだ。仏法を学ぶ障碍こそが深刻なことだ。仏法を学ぶのを妨げる者は必ずしもあなたを傷つける人ではない。あなたの最愛の者、あなたに最も良くしてくれる者、あなたを儲けさせてくれる者かもしれない。仏法を学んだ後は、お金儲けをすべきでないのか?お経には説かれていない。あなたに「財」があるなら、財は生まれる。仏法を学んだ後、事業してはならないのか?お経には説かれていない。仏法を学んだ後、家庭を持ってはならないのか?お経にはこれも説かれていない。

これらはあなたの縁である。ただあなたが仏法を学ぶ決意をしたなら、これらの元々あなたを妨げるものは、助縁となるかもしれない。だから、簡単に言えば、あなたの決意だ。あなたがもし決意せずに、ただ、ちょっと聞いてみたり、試してみたりするだけで、こんなにも厳しいのを見て、もう来ないことにしても構わない。リンチェンドルジェ・リンポチェはもうこんなに年をとっていて、この肉体が存在するために、弟子の数を無制限に拡大するのは不可能だ。皆は仏法を学ぶことを決意したなら、上師と諸々の仏菩薩はあなたを成就させようとし、助ける。だが、まだ自分の考えを持っているなら、あなたを助ける力は小さくなる。仏菩薩は慈悲がないのではない。あなたの心が間違っているのだ。

仏法を学ぶ事に、人類の中で出逢うのは非常に難しい。出逢う機会があっても決意することは非常に困難だ。あなたに決意があっても、あなた達をずっと助けてくれる上師に出逢うのは非常に難しい。あらゆる因縁が揃わなければならない。この因縁を利用しないなら、この一生が過ぎたら終わってしまう。皆は迷信になってはいけない。自分はこの一生で沢山の事をしたと思っていて、来世に戻って来る事を発願する。どの世か分らない。リンチェンドルジェ・リンポチェでさえも、沢山の世を待って、今世でこのような成就が得られたのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは一世で修行して成就したのでは絶対にない。一世で成就が叶うなら、今世でリンチェンドルジェ・リンポチェはこのようである訳がない。

この地球の未来は、恙無く日々を送ることが難しくなる。皆は、アメリカが今年こんなに寒いのを見て、天気によるものだと思ってはならない。実際に、リンチェンドルジェ・リンポチェは昨年既に、今年は非常に寒くなると予言しており、多くの弟子達も聞いている。皆は、地球温暖化なのに、なぜこんなに寒いのか?と思うことだろう。これは、貪欲によってこんなに寒くなったのだ。実際には、全ての病気は、貪、瞋、痴、慢、疑と関係がある。よって、各人は、自分が為した事に責任を負わなければならない。責任を負わずに済む事は何もない。いかなる事も責任を負わなければならない。ただ、あなたが仏法を学ぼうとするなら、あなたに責任をとらせ、利息を加えず、少し減るかもしれない。もし、仏法を学ばないなら、元金の他に利息が加えられる。

一年一年と過ぎて行く。あなた達は一年一年と大きくなる。リンチェンドルジェ・リンポチェも一年一年と年を取って行く。だから、時間は多くない。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達を待っていると思ってはならない。絶対に待たない。時間が来れば、リンチェンドルジェ・リンポチェは去って行く。皆も、自分の時間はまだ来ていないと思ってはならない。断定できないことだ。昨日亡くなった老弟子のようにだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、一週間前、彼の様子がおかしいと感じたが、こんなにも早く逝ってしまった。現在、気候が変わりやすいので、老人は本当に早く、あっという間に耐えられなくなってしまう。

仏はなぜあなた達に、菜食を勧められたのか?それは、あなたが菜食をすれば、この様な変化が激しい天気に耐えることができるからだ。天気は、現在、こんなにも早く変化する。人の心と同じようにコロコロ変わる。これは実に恐ろしいことだ。極寒でなければ極暑だ。愛が生じる時、分かれる時と全く同じだ。天気は共業である。だが、なぜ米国で発生したのか?それは、考えてみなさい。ここ数十年、米国は多くの人類、衆生を傷つける事を行なってきた。よって、天災を受けたのだ。ただちょっと凍えただけだと思ってはならない。後には非常に深刻な後遺症がある。それは、気候、人、植物、動物全体に変化を生じさせた事に等しいからだ。我々は台湾に生まれる福徳があった。政府がどれ程無能であったとしても、少なくとも我々は安心して居住し仕事ができる。一日中銃を持って、打ち合う者もいない。だから、皆は心を使い、あれこれと批評しなくてもよい。

我々は他人を批判でき、自分を批判することもできる。これは、政府が誤るのは当たり前だと言っているのではない。我々が安心して居住し仕事に勤しむ事ができ、時間と十分な資糧をもって仏法を学べることを、この政府に感謝してこそ、少なくとも気候は比較的正常になるであろう。人が、少なめに要求できるなら、自分の幸せも少し増えるであろう。何でも人によくやるようにと要求するが、それなら、あなた自身はどうなのか?他人を見るのは簡単だが、自分については非常に難しい。だから、今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために長寿仏を修法し、皆に、この一生で仏法を修行するための十分な寿命を持たせる。十分な寿命を持たせるのは、息子が結婚し、子供を出産し、子供がまた子供を出産するのを見せるためではない。あなたはずっと死にたくないと思っているが、その様な事はないのだ。

法本にはっきりと説かれている。あなた達に寿命を与えるのは仏道修行のためである。世間の事のためでは絶対にない。あなたが一旦考え間違ったなら、仏法は、あなたにとって、ただの人界と天界の福徳になってしまう。この一生においては絶対に使えず、次の世まで待たなければならない。しかも、どの世かも分らない。ただ功徳だけが今世で用いることができる。リンチェンドルジェ・リンポチェは今世の中で、多くの親しい友人達が仏法を学んでいた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分が功徳を修したとは口に出せない。だが、少なくとも一人の素晴らしい上師のもとで学ぶことができた。他の友人達は素晴らしい上師のもとで学べなかった。だから、修しているのは、人界と天界の福徳だ。リンチェンドルジェ・リンポチェが修しているのは仏法の功徳であるので、運命は全く異なる。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの友人達とほぼ同じ時期に学び始めたが、友人達の中には、既にこの世にいない者さえもいる。

功徳と福徳は非常に微妙な事だ。だから、毎回、法会でリンチェンドルジェ・リンポチェは皆に注意を促す。いかに発心したらよいのか?なぜ回向しなければならないのか?皆はしっかりと見なさい。人界の世間一般の事を全く求めていない。だが、求めなくても自然に得ることができる。それは、福徳が十分であるなら、自然に得ることができる。聞かなくても何でも出現するようなものだ。皆は心配する必要はない。仏法を学んだら、結婚できないとか、ボーイフレンドに求愛されないと思わなくてもよい。自分は菜食で、相手が肉食であることを心配しなくてもよい。相手が求愛しないなら、どうやって結婚するのだ?リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアを込めて説かれた。皆は心配しなくてよい。もしあなたの福徳が十分なら、観音菩薩は白馬の王子をあなたに遣わすであろう。あなたが福徳を修せないなら、黒馬の王子をあなたに遣わすであろう。

これはあなた自身の福徳、因縁に関わることだ。だから、仏法を誹謗中傷してはならない。仏法を学んだら、これが不便であるとか、あれはできないとか言って、仏法を誹謗中傷してはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェの菜食は、ベジタリアンレストランには行かずに、一般のレストランに行く。なぜか?こうすれば、コックは菜食を作る機会が持てるからだ。菜食レストランのコックは毎日ベジ料理を作っているので、今回一回には差はない。リンチェンドルジェ・リンポチェは他の者と異なる。他の者は必ずベジタリアンレストランへ行くであろう。肉をさばいた事のある包丁が気になるからだ。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは包丁を食べるのではない。肉を切ったことのあるまな板を気にする者もいる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、まな板を食べるのでもなく、菜食だ。

菜食をどの様に定義するのか?それは、心で殺生しない事にある。「放生」の眞の定義は、心に全く殺生する考えがないことである。こうして初めて、真の放生ができる。野良動物を飼うことではない。あなたには野良動物を飼う能力があるが、それなら、なぜ、浮浪者を引き取らないのか?能力があるなら、沢山の人を引き取ることもできる。そうでないなら、人を軽んじているのか?本当に軽んじている。仏法のいう「慈悲」は、自分の内心から行なうことだ。もし、今日、この1300人の心に殺生の考えが全くないなら、必ず一人が別の一人に影響を与えられる。こうなら、2600人となる。これらの人がまた、別の一人に影響を与えたなら、非常に迅速に5200人となる。わざわざ毎週、ある場所に行って放生をしたり、沢山の物を買って加持を与えて放生する必要はない。これは偽物だ。本物の放生ではない。それは、放生したらすぐに死んでしまうからだ。彼らのために三皈依をしてあげると言う者もいた。これも偽物だ。実のところ、修法の際に一切の縁のある衆生のために三皈依を行なっている。

なぜ、皆に菜食を勧め続け、二度と肉食をしてはならないと言い続けるのか?殺生を戒める心をあなたが育てないなら、永遠に仏法中の慈悲心を育てることはできず、慈悲心を育てられないなら、それは仏法ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、慈悲について何度も説いたことがある。簡単に善人をすることが慈悲なのではない。非常に単純な慈悲だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアを込めて説かれた。今日は法話が少し長かった。皆の少しの時間を多く取ってしまった。若者達は、この後すぐにデートの約束はないだろう?来週、リンチェンドルジェ・リンポチェは不在であるので、テープを皆に聞かせる。皆は来なくてもいい。あなた達をからかっただけだ。あなた達は来なくてもよいが、自分は後果を知っているはずだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために長寿仏を修法した。善行をしなさい。そうすれば、今日修した法は、皆にとって役立つものとなるであろう。今日の法話はここまでにする。

法会は円満に終了した。弟子達は声を揃えて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲の殊勝な修法及び加持、勝妙なる説法によって列席者及び一切の有情衆生が無尽の法益を受けたことに感謝を述べた。そして、心から感動された列席者は起立し、法座から下りられた尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しくお見送りした。

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2014 年 07 月 27 日 更新