尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2014年1月5日

法会の始まる前、皈依して6年になる弟子と彼の妻、二人の娘、妹と妹の夫が共に、母親に殊勝な加持を与え、済度してくださった、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を捧げた。

5年前、彼の母親が74歲の時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見したことがある。リンチェンドルジェ・リンポチェは母親に「水のバランスが崩れている」と告げた。だが、母親は漢方での調整を望まなかった。母親は元々施身法の法会及び日曜日の共修法会に続けて参加していたが、教えに基づいた実践ができず毎日菜食することさえもできなかった。その後、道場に行き正法を聴聞することもなくなり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと仏法を学ぶ因縁も途切れてしまった。

去年の初め、79歲の母親は造血異常、末梢血管の閉塞、肺に水が溜まる等の病気のために救急治療室と入院治療を繰り返していた。彼は、母親に加持を与え、世話をしてくださった尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。母親は今までリンチェンドルジェ・リンポチェから戴いた甘露丸を何度も飲んでいたので、無事に逝き、度重なる入院の苦しみから免れることができたのだった。昨年10月19日の朝、母親は、呼吸困難となり病院の救急室に入った。検査の結果、医師は、肺に水が溜まっており、心肌梗塞の疑いありと判断した。そこで、彼らに、母親を集中治療室に入院させて観察及び治療することを勧めた。だが、その時、集中治療室にはベッドがなく、入院を待たなければならなかった。隣のベッドの患者は、3日も待っている状態であったので、87歲の年老いた父親は、救急室で治療を受ける母親に付き添い、徹夜していた。

彼の妻は、集中治療室のベッドを確保してもらうよう友人に頼んでいたが、10月20日(土)午後になっても結果は出なかった。彼の妹は、破戒したために法会に参加できず供養もできなかった。よって、当日、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めるために、道場の階下で恭しく待っていた。妹は彼に電話をかけ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めるよう、母親に勧めて欲しいと彼に願った。そして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに母親の代わりに懺悔しないかと聞いた。だが、母親はこれはただの昔からの病気だと勘違いしていたので、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを煩わせたくないと思っていた。だから、彼と妹は真心からの観想をし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、二人は親不孝であり、教えに基づいて行動しておらず、事前に母親のために福徳を積んでいなかったために、母親に苦しみを味あわせたことを懺悔した。

10分後、集中治療室のベッドが確保できたと友人から連絡があった。彼らは、これは全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの偉大な加持力であることが分かり、感謝をした。集中治療室の中で、彼らの母親は唯一意識清明で、食べることができ、飲むことができ、眠ることのできる患者だった。彼の妹は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御写真を持って母親に見せ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを信じるように、リンチェンドルジェ・リンポチェが必ず助けてくれると母親に話した。それと同時に、母親に最大の懺悔心を起こすことを促した。母親は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御写真に向かって「私は間違っていた」と言った。

10月23日、母親の病状に変化が起きた。発熱を繰り返し、血圧が下がり、不安定になった。昏睡状態がずっと続き反応がなく、昏睡指数は3に達した。この時、父親は菜食し、母親を助けてもらうために尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めることを決めた。その後、医師は、母親の脳の断層撮影をし、右脳に脳血管障害があることを発見した。医師は、緊急状況が発生した時の救急治療の段取りと方法を説明し、事前に家族は救急処置を放棄することに同意し同意書にサインをした。夜、母親は薬を飲むことができなかった。それは、気管に入りむせたからだった。そこで、父親は、病院が母親に経鼻胃管を挿入して食事させることに同意した。肺の二次感染を防ぐためだった。10月23日当日の午後、彼は古董店で、土曜日(10月26日)に父親と家族と共に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求める申し込みをした。彼はかき集めて薄い供養金とし、母親の代わりに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養を捧げることを願い、母親のために往生浄土の資糧を積むことを祈った。だが、その週、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは信者に謁見されなかった。

10月26日、母親は依然として昏睡状態で反応がなかった。彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持と巧妙な手配のお蔭で、妹は、毎日病院へ行き母親の世話をし、父親の付き添いをする因縁を持つことができた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を助けることを讃え、法会開示を読んで父親に聞かせる因縁を持つことができた。父親は毎日《快楽と痛苦》の中の尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの御写真に向かって頂礼し、母親を助けて欲しいと祈った。父親は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養を捧げたいと思っていた。父親は病気に苦しむ母親を見て、「母親を苦しませないで早く逝かせるように」と妹に言った。

10月27日(日)早朝4時35分、病院から、母親の血圧が急に下がったと緊急の連絡があった。4時50分、病院から再び電話があり、母親の心臓が止まり、4時48分に他界したと告げられた。妹は、彼に、病院へ行ったらすぐに、準備していた甘露丸を母親の口の中に入れるよう念を押した。病院へ行く前、彼は古董店に電話をして、母親の他界した時間のメッセージを残した。病院へ着くと、彼はまず、甘露丸を母親の口の中に入れ、妹は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御写真を持ち(家族の中にキリスト教を信仰する年配者がいたが、到着が遅れていた)、その他の家族は母親のベッドの四方を囲み、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母親の身体を加持されるのを観想し、声を揃えて六字大明咒を唱えた。

妹は、古董店に電話をして、母親の名前、十二支、他界した時間と、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに母親の済度をお願いすることをはっきりと説明し、メッセージを残してもらうようにと彼に告げた。彼は、前回のメッセージがはっきりしていなかったことを懺悔し、再び古董店に電話をしてメッセージを残してもらい、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェによって母親が済度され、西方の極楽世界に行き苦しみを離れて幸せが得られるようにと祈った。彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、すぐに親孝行をせず、母親に苦しみを味あわせたことを懺悔した。

当日、共修法会があったため、家族の皈依弟子は、先に病院から出て道場に向かった。妹は彼に、壇城の上の尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御写真に向かって頂礼し、母親の代わりに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養を捧げることを説明して祈り、その後、恭敬心をもって供養箱に入れるようにと言った。ただ、彼が恭敬心、懺悔心をもって真心からの供養を捧げ、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び助けを祈るなら、どの様な事も全て、諸々の仏菩薩によって段取りされた最良のものであり、これもまた母親の因縁である。彼は、妹が注意を促してくれたことに感謝し、道場に入ってから、彼はすぐに、すべき事を済ませた。そして、再び、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御写真に頂礼し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに他界した母親の済度を祈り、母親が今世で西方極楽浄土に往生し、苦しみを離れて幸せを得られるようにと懇祈した。

法会が終わった後、彼は、一番上の姉に電話をして母親の身体の状況を聞いた。そして、皈依した家族と共に、葬儀場に駆けつけ、母親の身体を見た。一番上の姉は、助念(他界後の念仏)を8時間した後、母親の顔は笑顔になり、全身は柔らかく、死斑は見られなかった。伯父と伯母は「お母さんはとても安らかに逝った」と話した。彼らは、これは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持のお蔭だと知っていた。だから、家族は母親の他界に恐れを感じず、全く人を亡くした雰囲気もなく、ただ懐かしく思うだけだった。母親の頭頂のチャクラは少し温かく、四肢は柔らかく、指さえも通常と同じように動かすことができた。肩、腕のうっ血し、針をさした箇所は全て正常の肌の色に戻っていた。むくんでいた腹部も平たい状態になり、死斑は見られず、顔は笑っていた。口元と眉の端が上にあがり、唇はピンク色となり、顔はとても安らかだった。本当に不思議な事だった。彼らは、これら一切は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェによって母親に与えられた殊勝な加持だと感じている。

その後、妹と妻は、当日、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、他界した母親の済度を願うための骨董店への電話を自分でしなかったことを非常に懺悔した。母親により多くの苦しみを受けさせたことを、彼女達は心中、非常に悔やみ、つらく感じ、懺悔した。その後、彼と妻、妹は、家族を連れて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め、母親の済度を願い、父親の菜食を応援し、母親のために福徳を積めるように父親を施身法の法会に参加させて欲しいとリンチェンドルジェ・リンポチェに祈求することを相談した。彼らは、衆生を救ってくださる尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝をした。伯母は自らの目で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持と母親を救ってくださった事を見て、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めることを決めた。

彼等一行合計9名の家族は、11月2日に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの謁見を求める申し込みをした。母親の済度を願い、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに母親の火葬の日にちを尋ねるためであった。当日午後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めた時、リンポチェは彼を見て、何の用か?と聞かれた。彼がまだ答えていないこの時、彼の父親が我慢できずに泣き出し、リンチェンドルジェ・リンポチェに向かって懇願した。「リンポチェに妻の済度をお願いします。妻は10月27日に他界しました…」尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに説かれた。「もうすでに修法し済度したのではないか?なぜまた済度を求めに来たのだ?まだ何かあるのか?」彼は少しの間心が定まらず、ぎくしゃくと報告した。父親は母親の葬儀の事をどう処理していいのか悩んでいた。リンチェンドルジェ・リンポチェは説かれた。「すでに済度した。彼らの考えに従ってやればよい」そして、父親に自分の考えを聞かれた。父親は「妻を火葬した後、遺灰をお寺の納骨塔に納めたいと思っていますが、子供の中には海洋散骨を希望する者もいます」と答えた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは父親に説かれた。「父親の考えに従って行ないなさい。散骨はあとから決めてもよい。他に聞きたい事があるのではないか」。彼は、急いで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに、母親の火葬の日にちを示して下さるようお願いした。リンチェンドルジェ・リンポチェは入定後、二つの日にちを示され、彼らにその内の一日を選ぶよう語られた。その後、父親は恭しくリンチェンドルジェ・リンポチェに彼を施身法の法会に参加させて欲しいと願い、毎日リンチェンドルジェ・リンポチェの御写真に頂礼できるようにと、お写真を懇求した。慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェは、父親がすでに菜食していることを知った後に、父親の願いを聞き入れて下さり、母親の代わりに捧げた供養を慈悲深く受け取られた。

続いて、彼の伯母も彼女が傷つけた赤ちゃんの霊の済度をリンチェンドルジェ・リンポチェに願った。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く説かれ、伯母に「どのくらい菜食しているのか」と聞かれた。伯母は「49日です」と答えた。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは「一生菜食する事を承知しないなら、49日済度した後は済度しない」と語られたので、伯母はちょっと考えて「はい、分かりました。一生菜食します」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、伯母が施身法の法会に参加することにも同意された。続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは真言を唱えられて、父親、伯母、姉それぞれに加持を与えられ、「いい加減な事を言ってはならない、物事を行なうには本分を全うしなければならない」と姉を叱責された。

家族は、リンチェンドルジェ・リンポチェによって示された日付に基づいて11月8日を火葬の日に選んだ。元々その日の予定はいっぱいであったのだが、その後一切が順調に取り計られてその日に決まった。彼と家族は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に心から感謝した。当日の午後はお天気もよく、母親の告別式は順調に円満に終了した。父親と彼は、告別式の時に、親戚及び列席者の方々に向けて、寶吉祥仏法センターの尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの母親に対する殊勝な加持及び済度に感謝し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの済度が得られた後、母親の身体に諸々の瑞相が現れたことを説明した。

同時に、彼も、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの率いる寶吉祥グループのサポートに感謝した。即時に豊富なお返しを用意してくださり、当日は30余名の寶吉祥仏法センターの赤いベストを着用された兄弟子達が休暇をとって母親の告別式に参加してくださった。彼は、これら一切は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持であることを知った。火葬後、母親の骨は白色となり、頭頂のチャクラには一つの丸くすべすべした小さな丸穴があった。火葬場の職員達及び葬儀会社の課長代理は、家族による尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な済度及び大威徳力の話を聞き、「本当に不思議だ」と言った。

11月9日午後、彼の一家4人と妹の夫は一緒に道場に行き、母親のための殊勝な加持と済度、母親の告別式が順調に円満に執り行われた事を、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。そして、火葬後の母親の骨が白色となり、頭頂のチャクラには一つの丸くすべすべした小さな丸穴があったことを、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに報告し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に対し、心から感謝をした。

12月14日、家族合計8人は、再び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェとの謁見を申し込んだ。父親は、母親に殊勝な済度をしてくださった尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝をし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養を捧げるためだった。4年前、母親は末梢血管がつまり、台北で治療してもらった時に、多血症(白血球数は2.8万から3.5万の間。正常な人は8000から1.2万)、肝硬変、高血圧等の病気を患っていることが発見された。記憶力も低下した。だが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの偉大な威徳力と大願力の庇護のもとで、母親は転重軽受することができた。

母親は病気の危難に幾度も出遭ったが、一つ一つを乗り越えることができた。他界する前だけ、沢山の事を記憶できなくなり、トイレさえも自分でできず、一週間前に繰り返し発熱する病苦を味わった。これは本当に不思議な事だ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と庇護がなかったなら、母親の多血症の病苦が、こんなにも軽いはずはなかったであろう。また、右脳の中風は、実のところ深層血管の破裂であったが、このような状況で、母親は他界する一ヶ月前に頭を洗いに行っても何事もなかった。医学的にみたら、不可能なことだった。

母親は小さい頃から淡水の海の方に住んでいた。結婚後は、子供達のために三食を作り殺生業をなし、沢山の衆生を傷つけた。理論に基づけば、こんなにうまく逝けるはずはなかった。これは全て、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲による加持と殊勝な済度、及び彼らに対する教えを授けてくれたお蔭だった。母親は入院して9日間の薬代は合計1.3万台湾ドルにも満たなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが母親のためにしてくださった一切の巧妙な取り計らいに感謝した。彼と家族はその御恩に心からの感謝を捧げた。そして、また感謝した。

彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び衆生に向かって発露、懺悔した。貪りに飽くことがなく、常に人と比較し、いつも上師に供養を捧げるのを惜しみ、上師の功徳を褒め称えることをあまりせず、生死無上を深く信じず、母親が他界する間際になって初めて急場しのぎをしたことを、彼は懺悔した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対して、完全の恭敬心と懺悔心を持たなかったことを、彼は懺悔した。また、両親に対して親不孝で、言葉で両親に逆らい、結婚は自分の一存で決め、明らかに台湾で結婚するのに、海外で結婚すると母親を騙して母親を傷つけ悲しませたことを、彼は懺悔した。

彼は今世で飲み食いの欲を貪っていたので、意識して或いは無意識に、無数の衆生を殺害した。天に飛ぶ、地上を走る、水中を泳ぐ全ての衆生の肉を食べ、衆生の家庭を破壊したことを、彼は懺悔した。好奇心と恨みの心で無数の昆虫と衆生――蚊、ハエ、アリ、クモ、ゴキブリ、コオロギ、ムカデ、蝶、トカゲ、ヤモリ、セミ、ヘビ等を傷つけた。幼い頃、嘘をついて母親を騙し、母親のお金を盗み、本屋の本を盗んだことを、彼は懺悔した。大人になり、仕事を始めてからは、会社の文房具を盗み、会社の電話をこっそり使って電話し、会社のコピー機をこっそり使用し、以前購買をしていた時にメーカーを助けたので、メーカーからのお金を受け取ったことを、彼は懺悔した。ポルノ映画を見てそれをコピーし鑑賞したり、ポルノ小説を読んだりして淫欲を貪ったことを、彼は懺悔した。自分の利益ばかり考え、高慢で、仕事は不真面目で、責任を押し付けるのが好きだったことを、彼は懺悔した。

5年前、道場内で車椅子エリアの奉仕をしていた時に、振り分けが不当であったので、兄弟子を女性エリアに座らせてしまい、リンチェンドルジェ・リンポチェの道場の戒律を崩してしまった。法座に座られた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、誰が担当なのかと叱責した。彼は、逃避したい気持ちが働いて、すぐに立って間違いを認める勇気がなく、その時に、沢山の道場内の兄弟子達は連帯責任を受けて罰せられ、ブルーのベストを着たことを彼は懺悔した。

彼がなした全ての悪事について、彼はその全ての悪の果報を受け入れる。そして、自分の悪習を徹底的に改善し、教えに基づき実践し、真面目に仏法を学ぶ。今世で生死から解脱し、浄土に往生し、真面目に仏法を学び、今世で生死を解脱し、浄土に往生し、一切有情を利益し、上師の恩、父母の恩、衆生の恩に報いる。彼は、仏と全く同じく慈悲深い尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、彼と家族の面倒をみてくださったことを感謝し、生生世世、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについていき、真面目に仏法を学び、教えに基づき実践することを発願した。最後に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体の御健康を祈り、法輪が常に転じられ、直貢噶舉派の法脈が永遠に伝えられ、仏法事業が隆興し、十方法界の一切有情が利益されることを願った。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がられ、殊勝なグリーンターラの法会を御自ら主催され、会場の大衆に向けて貴重な仏法を説かれた。

今日、修するのは「グリーンターラ(Green Tara)」である。お経の中に、グリーンターラの由来が説かれている。観世音菩薩がずっと苦海の輪迴にいる一切衆生を見て、衆生を救済し続ける。だが、《妙法蓮華経》に説かれる通り、菩薩は衆生を森から救い出すのだが、衆生はちょっと振り返ると、森の中が面白いからと駆け戻っていってしまう。切羽詰まった観世音菩薩は二滴の涙をこぼし、一滴がホワイトターラ(White Tara)、一滴がグリーンターラとなる。ターラと菩薩はどこが異なるのか?厳格に言えば、ターラも菩薩に属するが、ターラは菩薩の願力の精華と顕現であるので、ターラに助けを求めると、必ず求めに応じてもらえると言ってもよい。

お経を唱えるにも仏を修するにも全て、一定の儀軌がある。昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めたある信者が、「自分は既にお経を唱え、菜食をしている」と言っていたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に、「だからどうなのだ」と聞いた。多くの者は、自分は菜食をし、お経を唱えれば、仏菩薩は助けにくるはずだと思っている。

今日修する法本の記載に基づき、実のところ、これもお経に説かれていることなのだが、法本に取り上げられているので、法本の内容に沿って皆に説く。法本には、修法の前に、法会に参加する人を含めて、「上師、ターラ尊を敬い礼拝」しなければならない。上師はを前に置く。それは、上師の修法なくしては、ターラはあなたの前に出てこないからだ。よって、まず先に上師を敬い礼拝し、次にターラを敬い礼拝する。

法本には「三世導師仏菩薩,発心希有事業生」と説かれる。三世は、過去、現在、未来世を指す。全ての一切の仏法事業は我々が考え付くものではなく、人類とは無関係だ。多くの者は、自分が発願し、修行していると思っている。間違いだ!実際には三世導師仏菩薩の発心こそがこの様な希少で、非人類の中にある事業を起こす。諸々の仏菩薩の累世の修行と発心、発願でないなら、これらの儀軌、お経、真言はこの世間には現れない。簡単に言えば、人が発明できる真言は絶対にありえない。個人の力にだけ頼って成就することも不可能だ。

皆はよく仏法を学ぶというが、何を学んでいるのか?座禅を組む、お経を唱える、真言を唱えることを学ぶのではなく、仏の発心及び修業を学ぶのだ。こうしてこそ、希少な事業が初めて起きる。三世の導師である仏菩薩の発心こそが、ターラを化現できる。この段落でも說明しているが、この法本は、事部(所作タントラ)と行部(行タントラ)の修法である。簡単に言えば、密教は顕教ではない。密教は四つに分けられる。即ち、事部(所作タントラ)、行部(行タントラ)、瑜伽部(瑜伽タントラ)、及び無上瑜伽部(無上瑜伽タントラ)である。今日修する法本は、事部と行部に属する。「事」とは、本尊と全く同じ事を学ぶことを指すので、行為と言語は本尊と全く同じである。もし、あなたの上師が事部と行部を修しておらず、その境地に至っていないなら、この法を修しても助けにはならない。

その境地に至っているかどうかをどうやって知るのか?少なくとも、灌頂、閉関、多くの段階的な修行を通して、この法を修することができる。今日修する法本は内容が非常に深く、真髄であり、精義が示されている。簡単に書いた修業の重点でもある。よって、煩瑣な礼節を不要とする。つまり、沢山解釈する必要もなく、何日もかける必要はないが、多少の繁雑な儀式はある。まず、どんな法を修する際にも、どんなお経を唱えるにも、必ず壇城を設える必要がある。密教の壇城には、八供養、七供養を含む少し多くの物が必要だ。各供養品にはすべて、仏法の意味があり、必ず、本尊の仏像を安置しなければならない。

もし、お経を開けば唱えられるというなら、これはあまり正しくない。実際に、お経には皆がどの様にお経を唱えたらよいのかが説かれている。法本には、もし、壇城を設えることができないなら、「斎戒沐浴」をするようにと説かれる。「斎」は、菜食のような簡単な事ではない。顕教なら、八関斎戒をしなければならない。法会に参加する前に、八つの事を行なう。リンチェンドルジェ・リンポチェは、会場の出家者に八関斎戒の閉関をしたことがあるかと聞いた。会場の出家者は「ない」と返答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、将来、彼らを率いて八関斎戒の閉関をすると語られ、出家者等は声を揃えて感謝を示した。

八関斎戒は高いベッドに寝ず、殺生せず、香水を塗らず、話をせず、歌を聞かず、踊りを見ず、男女の欲を持たず、酒を飲まない等である。よって、昨日、八関斎戒を守らなかったら、今日の法会はあなたにとって単なる結縁となる。「戒」は、基本的な在家の戒を意味する。「沐浴」は、衣服を取り替えて沐浴することを意味する。よって、お風呂に入らないで来るなら、この法会はあなた達にとって役に立たないものとなる。きちんとした服を着てこないなら、この法会はあなた達にとって役に立たないものとなる。何がきちんとした服なのか?あなた達は皆、適当にぱっと取った一枚の洋服を着てやって来る。

リンチェンドルジェ・リンポチェは再び説かれた。仏教界は本当に悲哀だ。別の宗教は日曜日の集会の時、もし外国人の習慣なら、男性は必ずスーツを身に付け、女性はワンピースを着る。だが、あなた達が法会に参加する時は運動服、帽子のある上着、ベスト等を着る。だから、なぜ仏法は後に衰えて行くのか?全てあなた達が作り出したのだ。それは、あなた達が尊重しないからだ。なぜ外国人は尊重するのか?それは、彼らは彼らの主を尊重するからだ。なぜ、あなた達は仏菩薩を尊重しないのか?それは、あなたはあなた自身だけを尊重しており、自分でできると思っているからだ。釈迦牟尼仏はとてもはっきりと語られている。弥勒仏が再来する前に、地球には別の仏は現れないと。あなたはなぜ、自分が成仏できると思っているのか?

なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達に浄土へ行くことを勧めるのか?原因はここにある。あなた達がどれくらい尊重しているかを見る。なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、事前に言わなかったのか?当然、事前に言わない。それは、法会に来て、三宝を敬うのは、人が当然ながら理解すべき事だからだ。あなた達はなぜ敬わないのか。それは、欲望を持っているからだ。今日は法会だから必ず良い事があると思って、いい加減に服を着てやって来る。皆に聞くが、もし、大統領に会いに行くなら、あなた達はこの様な服を着て行くのか?仏菩薩に会いに来るのに、あなた達はいい加減に服を着てやって来るのか?これは尊重してないことになる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、あなた達にあでやかに着飾るようにとは言っていない。だが、少なくとも一着の少し良い服を持つべきだ。チベット人が法会に参加する時は、とって置いた最良の服を着て法会に出掛ける。彼らは1、2ヵ月もかけて会場まで歩いてきた後に、最良の服に着替える。寶吉祥仏法センターには皆に着替えさせるような大きな更衣室はないが、これはあなた達が準備しなければならない事だ。

なぜ、寶吉祥仏法センターは皆、靴下カバーをはかなければならないのか?これはリンチェンドルジェ・リンポチェの発明だ。それは、多くの人が入浴しないで来るからだ。運動靴をはいた後に足が臭い者も入ってくる。どこに行っても他人を敬わなければならない。だから、寶吉祥仏法センターは沢山のお金を使って靴下カバーを買った。足に汗をかく者もいる。たくさん歩くと、ウッドのフローリングは壊れ易くなる。寶吉祥仏法センターはお金がないので、靴下カバーを買うことにした。リンチェンドルジェ・リンポチェは、多くの信者が道場に入る時に靴下カバーをはかなければならず面倒だと思っていることを知っている。だが、仕方ない。寶吉祥仏法センターは貧乏な道場だ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは道場の全ての物を守らなければならない。

もし、この様にしてもダメなら、ターラはやはり慈悲深い。これは、あなた達に実行する条件がないことを指す。例えば家に入浴場所がない等で実行できない等だ。だが、皆の家には浴室がある。なら、入浴しないということがあり得るのか?また、酒を飲んではならない、肉を食べてはならない。なぜ、あなた達が法会への参加を求める時、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達に菜食をさせるのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは、必ず菜食しなくてはならない法をいつ修法するのかが分からないからだ。密教なら肉食してもよいと思ってはならない。絶対にない。密教はどうやって肉食をするのか?それは、魚を食べてお腹に入れても、吐き出した時にまだ生きているというレベルを実行しなければならない。これができるなら食べてもよい。この本領がないなら、食べてはならない。

もし、ある者が、密教を修すれば肉食してもよい、それを食べてから済度するのだと言うなら、これは嘘八百だ。もしそうなら、あっさりと、あなたを食べた後に済度してあげたらどうか?なぜ法会に参加する時に必ず菜食をし、飲酒してはならないのか?それは、修法する時に、仏菩薩、天龍八部衆、天仙を供養するからだ。彼らは肉食しない。もし法会に参加する人が肉食するなら、彼らは道場に来ない。多くの人は毎日肉食をし、家で肉を食べる。口で肉を食べ、ニンニクを食べるなら、どうやって唱えても役に立たない。法本とお経にはっきり説かれているからだ。

昨日、あの信者が言ったことを、リンチェンドルジェ・リンポチェは無視した。それは、彼が独りよがりだからだ。現在、世間では仏法を学んで自分勝手に解釈するのが流行っている。我慢強くない者も多い。沢山しゃべると信者が来なくなるのではないかと、恐れる者もいる。ずっとしゃべり続けるリンチェンドルジェ・リンポチェのようではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、信者が来ないのを恐れず、信者が来るのを恐れる。一人増えれば、大変な事が一つ増えるからだ。《宝積経》に説かれるが、末法時代には、名聞利養のために仏法をねじ曲げ、信者に諂う者もいる。弘法者にとって絶対にしてはならないことだ。信者がいないことを願ってでも、仏法をねじ曲げて解釈してはならない。もし仏法をねじ曲げたなら、次の世は畜生となり返済しなければならない。これはお経に説かれている通りだ。

あなたが仏菩薩に対して信心があるなら、観世音菩薩はかつてこう説かれた。もし、真の修行者であるなら、菩薩は、あなたに、食べる物、住む所、着る服を与えないことはない。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分で試してみた。観音菩薩を試したと言ってもよい。だから、あなた達は、信者がいないことを心配しなくてよい。ただ、自分が仏陀の説かれた仏法に背いていないかだけを心配すればよい。

また、法会に参加する時には、一つの大切な心を起こさなければならない。—輪迴から出離する心だ。もし、法会に参加するのが、ただ、ある方面の欲望のためなら、法会は、あなたの相応及び利益を非常に少なくする。ただ、あなたの未来世で役立つ人天の福徳を作るだけだ。なぜ、強烈な出離心を起こさなければならないのか?仏と仏法は、なぜ我々を教え、導くのか?我々を庇護するためではない。我々がどうやったら輪迴の世間から出離できるかを教え、導く。だから、皆が思うのとは全く異なる。強烈な出離心がある者は、仏菩薩と上師の仏法とにこそ相応する。これによって、今世であなたが仏法を学ぶ際に障碍となる人、事、物を減らし、滅することさえもできる。

通常、あなたが仏法を学ぶ際に障碍となる人、事、物は、あなたの累世の怨親者であり、通常は家の中で発生する。自分がお経を唱えて夫に回向すると、夫はあなたの言う事を聞くようになると言う者も多くいるが、実際にはそうではない。それは、あなたが強烈な輪廻からの出離心がないので、どんな法を修しても相応することはない。菩提願を発して再来し、衆生を済度するのではないか?という者もいる。しかし、あなたが輪廻さえも出離できないのに、どうやって発願して戻って来られるのだ?まず先に、自分の輪廻の問題を解決してこそ、神通力を持て、発願し、あなたが選びたい胎門を選ぶことができる。さもなくば、業に随って再来するだけだ。他の所では、信者にこんな事を注意しない。こう言ったら信者は逃げてしまうからだ。

ある者は、自分が法会に参加したのは、性格が少し改められるのを望み、こうしたら、同僚が自分に良くしてくれ、新しいボーイフレンドと知り合うチャンスができると言っていた。法本にはこう書かれていない。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェもこう言う気もないし、こう言うことはない。あなた達のような若者は、法会に参加したら自分の性格が良くなる、姿が美しくなって新しいボーイフレンドが自分に求愛してくれると思ってはならない。もしそうだとしても、リンチェンドルジェ・リンポチェとグリーンターラとは無関係だ。

強烈な輪迴からの出離心と菩提心を起こさなければならない。金剛乗の特徴は即ち、菩提心だ。リンチェンドルジェ・リンポチェが菩提心について説いたなら、一年かかっても説き終わらないだろう。簡単に言えば、あなた達が今日、法会に参加するのは、個人のいかなる、ほんの少しの欲望の為であってはならない。悟りを開きたい、成就したい、これらも欲望だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏法を学び始めた第一日目から、いつか成就したい、悟りを開きたいと思ったことはない。ただ、お経に説かれる事、上師の説かれた事に基づいて実践しているだけだ。これらの条件を成し遂げた後、皈依、発心しなければならない。あなた達は家でお経を開き、いい加減に唱え、半分唱えたらお経を閉じずに、そこに開いたまま別の事をしている。この様に唱えているなら、更に100万年唱えたとしても修業とは無関係だ。この様に行なって、何と関係があるというのか?あなたはお経を唱え、少し多く唱えたので、ある日仏菩薩があなたを叱責するために寶吉祥仏法センターに来させるかもしれない。

どんな事をするにも、階梯と儀軌が必要である。仏菩薩が我々の儀軌を必要としているのではない。我々の心に元々多くの妄念があるので、儀軌及び発心をとおして、我々の正しくない妄念を抑えなければならない。仏法を学んで初めて「定」が得られる。「定」とは何か?それは、これらの妄念の干渉を受けないことだ。あなた達は法会に来たいと思ったから来たのだと思ってはならない。来なくてもよい。先ほど、リンチェンドルジェ・リンポチェが説法されたように、ある皈依弟子は法会に三回参加しなかったので、その後は来てはならないと言われた。寶吉祥仏法センターは他の場所と違う。あなたが三宝を敬わないなら、来て何をするのか?あなた達には沢山の理由がある。これは、あなたが寶吉祥仏法センターに来てから今まで、出離心を起こしたことがない事を意味する。あなたに出離心がないなら、仏菩薩は、仏法を学ぶあなたの邪魔をする人を阻止できない。道理はここにある。

なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、仏法を学んだ第一日目から、誰もリンチェンドルジェ・リンポチェの修業を妨害する人、事がなかったのか?リンチェンドルジェ・リンポチェも結婚して、子供がいて、ビジネスをしていた。妨害できる者がいたか?いなかった。なぜ誰も妨害しなかったのか?それは、リンチェンドルジェ・リンポチェが強烈な出離心を発こしたからだった。あなた達にはない。やはり、庇護を求め、あれこれ求めている。仏法は隆興しているように見えるが、成就できる者は数人もいない。即ち、この心のせいである。仏法と外道は違う。仏法は心を修業する。外見や素晴らしい物を表現するのではない。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達のためにグリーンターラを修法する。もっとも重要なのは、本尊をずっと供養することだ。グリーンターラとリンチェンドルジェ・リンポチェの因縁は非常に深い。初めてグリーンターラの御写真を頂いた時、リンチェンドルジェ・リンポチェはちょうど失業をし、お金のない時だった。そこで、グリーンターラに発願をした。もし仕事ができたら、最初の月のお給料全部で、グリーンターラの御写真を印刷すると。今日の修法で、一切の衆生と結縁するために壇城の上に安置された御写真である。その結果、不思議な事に、本当にすぐに仕事が見つかった。20年前の給料で2万円余りは少なくない。リンチェンドルジェ・リンポチェは全部、仏像の印刷に使った。あなた達の中にできる者がいるか?誰もリンチェンドルジェ・リンポチェを阻止できない。家族も同じだ。あなた達は必ず、先に少し残しても関係ないと思うだろう。菩薩はあなたを許してくれる。先に少し印刷をし、その他は後で印刷する。リンチェンドルジェ・リンポチェが印刷の済んだ仏像を受け取り、開いた時、ある香りが紙から漂ってきた。これは、仏菩薩の賛嘆の心だ。

仏法を学ぶことはとても簡単だ。第一に、話した言葉には責任を持つこと。自分が口に出したのに成し遂げていない事を解釈する理由はどこにもない。突然用ができてあなたを尋ねたと言う。今迄病気をしたことがなく、病気のために休暇を取ったことがないのに、なぜ突然、職場の者があなたを探している時、あなたは先に帰ってしまったのか?簡単だ。三宝を敬っていないからだ。もしあなたが法会に参加し、その仕事を失うなら、簡単なことだ。この仕事とあなたとの縁がなくなったことを意味する。法会に参加したから仕事がなくなったのではない。元々人はあなたを解雇したいと思っていた。ただずっと機会がなかったのだ。こうなってもよい。法会に参加して解雇されたなら、あなたには少しの福徳がある。解雇された方が、外でいい加減に過ごすよりもずっと良い。

多くの者は自分が承諾した事を実行しない。あなたがしなくても関係ない。それは、自分の本来の業力に戻るだけだ。もし、全ての条件を成し遂げたなら、奇妙なことに、全ての諸々の仏菩薩があなたの横であなたを守ってくれる。なぜ、あなたを守るのか?それは、この様な人はなかなか見つからないからだ。今日法会に参加した人は1300人。リンチェンドルジェ・リンポチェの様に、一ヶ月の給料を全て印刷に当てることを誰ができるのか。全部印刷に使うという事は、自分には全くお金がないという意味だ。さらに一ヶ月頑張ってやっとお金がもらえる。もし、あなた達なら、家賃等を先に残さなければならないと考えて、必ず先に少し残すだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは構わなかった。正常者とは異なる。古代人はこう言っている。仏法を学ぶ者は3分馬鹿でなければならない。聡明な者ほど、仏教を学べない。

どんな人が聡明な人なのか?それは、どんな事も自己の利益を考える人だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはどんな事も、他人の利益を考える。だから、その給料で数万部を印刷した。受け取った者はもしそれを祀らなくても、ただ恭敬心を起こすだけで、来世はグリーンターラが絶対に助けてくれる。リンチェンドルジェ・リンポチェが交換して手に入れたのは、お金ではなかった。あなた達は、リンチェンドルジェ・リンポチェの100分の1を実践する事も難しいのは言うまでもなく、端っこさえも近づけない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子達皆が話を聞かない事をはっきりと知っている。皆は、結婚してから考える、相手を自分と一緒に菜食させると言う。だが、結婚してから、もう何ヶ月も経つのに、彼は菜食していない。あなたが本当に彼を変えることができるのなら、あなたに求愛している時でさえも変えられないのに、結婚してから変えられる理由があるのか?こんなに馬鹿な男を見たことがない。あなたに求愛している時も変えられないのに、結婚したら、どうやって変えられるのか?リンチェンドルジェ・リンポチェが話している話は、的を外れる事はない。

全ての前行には、心のあり様、動機の準備が必要だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、この法を修法することで初めて、あなたを生死から解脱させられる。あなたに心の準備ができていないなら、聞き入れられない。自分の独りよがりの方法で法会に参加するなら、今日はただ、人天の福徳を得られるだけだ。当然、得られた方がないより良い。だが、人天の福徳は今世では使えない。未来世で初めて使える。しかも、どの世になって使えるのかは分からない。人天の福徳は、お金と同様に使い切ってしまう。だが、あなたが先ほど法話を聞き入れて真に発心して法会に参加できるなら、得られるのは功徳だ。

功徳は虚空の隅々にまで行き渡り、永遠に消え失せることがない。あなたが瞋恚を起こさない限りは、である。瞋恚はかんしゃくを起こす事ではない。多くの者が、かんしゃくを起こしたり、情緒不安定なのが瞋だと思っている。実際に、嗔の意味は簡単に言えば、人を恨むことだ。いわゆる「火燒功徳林(功徳の林を火で焼く)」だ。多くの者は、仏法を学び始めた時にとても身を入れて一生懸命であるが、しばらく経つと、自分の心で思っていることが実現しないので、どんな話でもするようになる。これは瞋恚だ。貪欲が満たされないので、瞋恚が出現する。全ての功徳が燃え尽きて福徳となってしまう。なくなるのではない。ただ因をつくるだけで、必ず果を得る。だが、あなたは未来の果を変える。リンチェンドルジェ・リンポチェは常にあなた達に注意している。喜んで道場に来て、縁が尽きたら喜んで去る。あれこれと批判してはならない。

功徳があれば生死から解脱できる。功徳がなければ生死から解脱できない。最も明らかな例は、梁武帝だ。いまここにいる皆は、リンチェンドルジェ・リンポチェを含めて、仏法に対する貢献は、梁武帝ほど大きくない。だが、彼はやはり、自分の業力から抜け出すことはできなかった。それは、ただ福徳だけを修していたからだ。達摩祖師に対して瞋恚を起こした。達摩祖師は「梁武帝は、ただ福徳だけで功徳はない」と言った。梁武帝はすぐに怒った。高慢故になくなったのだ。ただ功徳だけが生生世世作られた業力を転じることができる。福徳ではできない。修行での功徳が必要だ。よって、法本の前には必ず、皆が持つべき動機が説かれている。若者の多くは、功徳で何をするのかを理解できない。自分はまだ死にたくない、まだ早すぎると思っている。

昨日はある信者がリンチェンドルジェ・リンポチェを脅した。「自分の子供はまだ小さい」と言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に、正しい所に来たと告げた。それは、リンチェンドルジェ・リンポチェも47歲の時にガンに罹ったからだった。上には老母がいて、下には子供がいた。だから、誰もリンチェンドルジェ・リンポチェを脅すことはできない。あなた達が経験する事をリンチェンドルジェ・リンポチェも経験した。なぜ、この様な話をするのか?それは、生死から解脱したいと思っていないからだ。一日でも多く生きたいと思っている。あなたが数日長く生きても、逝かなければならない日は必ず来る。無常は随時現れる。特に、地球は現在、人類にこんなにも酷く壊されてしまった。思いがけずに逝くのでなければ天災だってある。

仏法を学ぶ事はとてもよい事だ。あなた達自身による。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは、修法を始める。だが、まず、ちょっと水を飲まなければならない。仕方のないことだが風邪をひいたからだ。列席の皆は、声を揃えて感謝を述べた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆に「感謝しなくてよい。火の供養を参加する弟子達に感謝するように」と言われた。皆は、先程のリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を少し思惟し、法会に参加する自分の動機と、開示の内容との違いを確認し、異なるなら調整するよう促された。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、殊勝なグリーンターラの修法を始められた。まず、出家弟子らが代表して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタ供養を捧げ、仏法を勧請した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、しばらく修法された後にこう説かれた。「先ほど修法したのは全て、供養及び礼賛である。次は二十一ターラの礼賛文である」。修法の過程において、薈供の儀軌を行なう。列席者の全員はそれぞれリンチェンドルジェ・リンポチェが加持をした供養品を戴き、法会の中で仏菩薩と共に食するという得がたい殊勝な因縁を得た。

修法は円満に終了し、列席者は声を揃えて感謝を述べた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、引き続き、列席者に向けて、貴重な仏法を説かれた。

先ほど唱えた祈祷文に説かれているが、本尊と相応したなら、あなたがどこに住んでいても、貧困、疾病、戦争は必ず治まる。よって、あなたの住んでいる所がやはり貧困であるなら、あなたがよく修行していないことになる。祈請文の中では、非常に多くの物を希求する。今日の時間が不十分であるので説明しないが、重要なことは、もし、修行者がグリーンターラだけを専修したなら、世間法或いは出世間法のいずれも円満となる。世間法には、愛情は含まれない。これとあなたの愛情や婚姻は関係がない。過去世で自分が作った悪業によって恐らく非時の死を遂げることを指す。事故で衝突されての死、薬を誤飲しての死、不治の病にかかる、魔障、疫病等の障碍の難である。今世で仏教修行を成功させる障碍と言ってもよい。

もし、修行者がこの本尊を専修したなら、これらの世間の事、あらゆる世間及び出世間の吉祥、善、楽、お金、及び円満を処理するのに役立つ。これはあなた達が聞きたがる事だ。だが、お金があるのに供養せず、布施しないなら役に立たない。あなた達はあれこれと計算して、やはり自分を計算に入れる。昨年、リンチェンドルジェ・リンポチェが家を売らせようとした弟子のようだ。彼には売らない理由が沢山あった。その結果、今年、自分の家は水漏れして、修理できないことに気付いた。昨年売っていれば、彼には少しのお金があった。今は水漏れしたので、沢山のお金を使わなければならなくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェがいい加減に口を開き、冗談を言っていると思う者が多い。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのレベルまで修行したのに、まだ冗談を言うのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは物事を見て語る。あなたが聞き入れないなら、何かが必ず起こる。

グリーンターラを修する事に少し特徴がある。法本に説かれているが、修行者が一生をかけてこの本尊を専修するなら、阿弥陀仏が実際に目の前に現れた時、自分が授記を得られようにと祈ることができる。《阿弥陀経》には、この部分は説かれていない。ただ、グリーンターラの法本に特に説かれる。多くの者は、仏法を学ぶ事は唱えればよいと思っている。本尊それぞれの願力と因縁が異なるからだ。別の法本では、実際に阿弥陀仏にまみえて、祈った時に授記を授けられるとは説かれていない。授記とは何かが分からない。授記とは、未来に成就することをはっきりとあなたに伝えることだ。仏だけが授記を授けられる。それから、上師の弟子に対する授記がある。これ以外は、誰も授記を授けることはできない。

授記は、予言ではない。彼が成就できることを認めることである。お経には、仏の弟子に対する授記がよく説かれている。弟子は、後のどの仏であるかを言う。仏は妄語を言わない。語られたならOKだ。OKは、弟子は現在OKだという意味ではない。仏は、弟子がこの様に修行していき、未来の確実となる果位を既に見たのだ。尊きチェツァン法王によってリンチェンドルジェ・リンポチェに授けられた長寿祈請文は授記である。即ち、リンチェンドルジェ・リンポチェが以後、成就できる果位である。尊きチェツァン法王の書き方によって、リンチェンドルジェ・リンポチェが必ず菩薩の果位を得ることが示された。しかも、最後に、チェツァン法王が用いられたのは「誠懇(真心、真摯の意)」であり、チベット語では、人を騙さず、責任を負うという意味だ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは時にはいたずらっ子のようだ。「自分で修せなければ、直貢チェツァン法王を尋ねなければならない」と言う。それは、直貢チェツァン法王が責任を負っているからだ。一人の上師が責任を負うと、そんなにも簡単に言える事なのか?別の事なら責任を負えるが、修行は絶対に責任を負えない。自分で自分の修行をしなければならないからだ。ずっと観察を続けて既に見える以外は不可能だ。だから、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを早20年も見てきたので、長寿祈請文を授けた。他人が求めてから、直貢チェツァン法王は「彼らは若すぎる。まだ書く時間が来ていない」と言われた。実のところ、この言い方は遠慮がちだ。なぜなら、直貢チェツァン法王の長寿祈請文もまた、非常に若い時に、別の上師が書いたからだ。

本尊それぞれの果位は異なる。グリーンターラは世俗人には沢山すぎる世間の障碍があることを知っているので、まず最初に、世間の障碍を落ち着かせる助けをする。これによって、皆は非時の死を遂げたり、治り難い病にかかったり、使うお金がなくなったりすることがなくなる。皆に愛情を持たせるようなことは絶対にない。なぜなら、愛情は、即ち欲望と占有だからだ。自分の夫を数十人に分け与えることを我慢できる者がいようか?不可能だ。だから、法本にはこれは書かれていない。あなた達は先に唱えた「ターラよ!私の苦しみを理解し給え」はこの様な事だと思ってはならない。ここで指しているのは、輪廻の苦しみだ。法本に説かれる「恐れ」とは、輪廻を恐れることを指す。「悲哀」は、輪迴からの解脱を助ける者がいないことを指す。

ターラに伝えるのは自分の苦しみだと誤解してはならない。最近、夫に愛人ができたというような話はターラは聞かない。なぜ聞かないのか?それは、あなた或いは夫が浮気をしているのは、全て過去に自分が作った因によるからだ。仏法を学ぶには、はっきり理解しなければならない。あなたがずっとターラを唱えているからといって、突然にあなたを昇級させることはない。もし、あなたが十分に福徳を修することができたら変わる。しかし、福徳を修する前に、あなたのために、根本的にすべき事でない事を解決する。例えば、あなたが過去に沢山の肉を食べたので、今世で病気になり短命である等だ。この様な事をターラは最初に、あなたのために解決してくれる。それは、あなたが修行したいので、寿命が必要だからだ。身体の健康も必要だ。だから、あなたのために解決してくれる。その他については、あなたの福徳だ。法本にあなたの財産を円満にしてくれると説かれているが、重要な事は、あなたが衆生、仏法、教派を助けることであり、財をあなたに使わせる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、ここ数十年、修法をしていてはっきりと見てとった。リンポチェまで修したからお金があるのではない。お金をお金として使っていないからだ。細かく比較する者がグリーンターラに求めても得られない。だが、今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のためにこの縁を作ってあげた。今世で役に立たなくても、来世では役立つ。無上瑜伽部(無上瑜伽タントラ)まで修し、直貢チェツァン法王の授記を得た成就者があなた達を率いて真言を唱える。あなた達が自分で一億万、十億万回唱えるよりもずっと役に立つと、リンチェンドルジェ・リンポチェは言い切れる。列席者は声を揃えて感謝を述べた。リンチェンドルジェ・リンポチェは「感謝する必要はない。尊き直貢チェツァン法王に感謝すべきだ」と言われた。それは、直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェを見つけ出したからだ。あなた達ではない。

縁は非常に奇妙だ。尊き直貢チェツァン法王が台湾に来られて、二人の師弟が出逢った。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが別の国に行っていたら、尊き直貢チェツァン法王に逢う事はなかった。今日、皆にはこの縁があるのだから、真剣に話を聞き入れなければならない。二度と自分の考えで仏法を学び、自分の考えで仏法から何が得られるのかと考えてはならない。仏法を学んでも何も得られない。あなたが何かを得たいと望むなら失望する。仏法を学ぶ際には、我々が持たなくてもよい物、例えば悪業、貪瞋痴慢疑のような物は捨て去り、少しずつ減らしていかなければならない。特に、懈怠と間違いは本当に改めなくてはならない。このようにすれば、あなた達は今世で生死から解脱する機会が持てる。法本に説かれるような阿弥陀仏が現実に現れるとは、化身仏ではなく、報身仏を指す。この部分を出家者は理解できるであろう。報身仏が出現したなら、すぐにあなたに授記を与える。これは全宇宙の中で最も良い事だ。授記の定義も同時にあなたに告げるが、この道を選んだのは正しい。道を誤っていない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、修行の道において毎回境界が現れた後、その境地に達したと考え得意になることはない。必ずまず、尊き直貢チェツァン法王に指示を仰ぎ、直貢チェツァン法王の承認を得てから、公の場で話す。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェ自身が理解できないからではなく、仏法を学ぶ際には根本となるものが必要だからだ。上師があなたに仏法を教えている以上、ただ上師だけが、あなたがその境地に至ったか否かをはっきり知ることができる。上師が確認したのなら、あなたは続けられる。上師が確認する迄は、自分がこんなにも高いレベルまで修行したと得意になってはならない。これは高慢だ。上師が確認したなら、あなたはその境地に至り、上師の伝える法が得られたことになる。また、これは、あなたが仏法を授けられたので、自分を生死から解脱させることができ、衆生を助けられることをも意味する。

絶対に、感応するまで唱えたのではない。そこに座り、ずっと動かずにいて心が徐々に静まると、自分はその境地に至ったと思う。この様では全くない。座禅の時に心が静まるのは定とは限らない。自分の体内の脈の動向さえもはっきりしないなら、定に至ってはいない。多くの者が修行の道において独りよがりの方法で多くの時間を浪費する。リンチェンドルジェ・リンポチェは今世での福徳に恵まれた。具徳の上師、尊き直貢チェツァン法王に出逢え、直貢チェツァン法王も一切の方法を尽くしてリンチェンドルジェ・リンポチェをしごいて下さったので、今、少しの成果を得ることができた。

よって、仏法を学ぶ者、仏法を学んでいない者、すでに皈依した者、或いは皈依していない者に拘らず、自分の方法で仏法を学んではならない。それは、あなた達は仏ではないからだ。なぜ、自分の方法で仏法を学ぶのか?あなたは今、教授ではないのに、なぜ、教授の方法が使えるのか?自分は教授だと思っているのか?不可能だ。これは、人間をするのと同じ意味を持つ。だから、必ず、順序に従って階梯通りに行なうべきだ。上師の法話はすべてあなた達のためにある。絶対に上師自身のためではない。

どの道場の上師も、リンチェンドルジェ・リンポチェのような大変な者はいない。木曜日に火の供養を修法する。土地はリンチェンドルジェ・リンポチェのもの、設えた壇城もリンチェンドルジェ・リンポチェのもので、弟子達は現物を拾っている。土曜日、リンチェンドルジェ・リンポチェは信者に面会する。さらに、日曜日は法会を主催する。道理に基づく医者の話では、風邪はベッドの上で睡眠しなければならないが、リンチェンドルジェ・リンポチェは眠れない。それは、沢山の衆生が来るからだ。だから、あなた達は今日、縁があって寶吉祥仏法センターに来た。「寶吉祥」は祖師ジッテン・サムゴンの法号だ。これは、あなた達が過去世で直貢噶舉派と縁があったことを示す。さもなくば、台湾にこんなにも沢山の道場があるのに、あなたはどうしてここに来たのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは無名であり、宣伝も広告もしない。来られるのは絶対に原因がある。

あなた達の今世には、なぜこんなにも沢山の障碍があるのか?それは、貪、嗔、痴、慢、疑の中の「慢」と「疑」に起因する。あなた達は仏法を学ぼうとしたので、貪、嗔、痴は既に減っている。しかし、実際に最も重要なのは、後の「慢」と「疑」だ。「慢」は傲慢、「疑」は修行者に対する懐疑である。リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆に報告したい事がある。リンチェンドルジェ・リンポチェの果位は自分で言ったのではない。尊き直貢チェツァン法王が言われたのだ。もし、直貢チェツァン法王が言われたことを、あなた達が信じないなら、もう来なくてよい。

あなた達は、尊き直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェの近くにいないからといって、リンチェンドルジェ・リンポチェを見ていないと思ってはならない。直貢チェツァン法王が見られていなくても、アキ護法が見ている。あなた達は、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェをずっと見ていないと思ってはならない。実際には見ている。直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェの毎週の説法の内容をご覧になっている。しばらく経って、直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ある部分を沢山語っていて、とても良いと話された。また、しばらく経って、直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェに、お経の内容をもう少し沢山説くようにと言われたことがある。リンチェンドルジェ・リンポチェは「分かりました」と答えた。これは、リンチェンドルジェ・リンポチェが尊き直貢チェツァン法王の如来の掌(たなごころ)を逃げられないことを意味する。

よって、皆は誤解してはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは既にリンポチェであるから、直貢チェツァン法王の言う事を聞かないと思ってはならない。全くこうではない。先月、直貢チェツァン法王が寶吉祥仏法センターに来訪された時もはっきりと語られている。リンチェンドルジェ・リンポチェに認定したのは、リンチェンドルジェ・リンポチェの供養が多かったからではない。リンチェンドルジェ・リンポチェが言う事をよく聞いたからだ。密教の中では「言う事を聞く」のは上師だけを意味する。他には何もない。ある世俗人の目には奇妙に映ることだろう。明らかに自分には夫、妻がいるのに、どうして上師だけなのか?それは、彼が密教を学ぶ器ではないことを表す。よって、貪欲によって密教を学ぼうとしてはならない。

密教は、命も惜しまない人こそが学べる。あなた達は試してごらん。以前したことは言わないが、この数日、リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにも疲れている。火の供養は最低4時間かかる。しかも、修法する時、手を止めることなく、少なくとも4000回も掴み、振り動かす動作をしなければならない。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェの手は問題ない。やはり良い状態だ。リンチェンドルジェ・リンポチェがどれ程すごいのかを、あなた達に見せるためではない。だが、修行者は必ずしも恙無く日々を送れない。自分がどれ程、皆の為にしているのかを話しはしないが、命を惜しむことはない。だから、自分が可愛いのであれば、大人しく法会に来ればよい。自分が高いレベルまで修行した等と考え過ぎてはならない。あなたには資格がないからだ。

自分を可愛がるとは何か?それは、理由が沢山ある人だ。こう言ったり、ああ言ったりする。他人はあなた達に対して方法はないが、リンチェンドルジェ・リンポチェには方法がある。それは、リンチェンドルジェ・リンポチェは在家だからだ。皆と全く同じだ。飛び出してきた転生のリンポチェではない。今世でこの境地に至ったのだ。あなた達は、リンチェンドルジェ・リンポチェを説得できる理由は一つもない。ある原因で来られないからだ。あなた達は絶対にリンチェンドルジェ・リンポチェを言い負かすことはできない。ガンに罹った事、死んだ事、離婚、子供が親不孝、ご飯を食べるお金がない迄貧乏をした事について全て、リンチェンドルジェ・リンポチェを言い負すことはできない。それを全部、リンチェンドルジェ・リンポチェは経験したからだ。誰が言い負かせるのか?だから、ちょっと考えてみてもよい。あなた達は来るべきではなかった。人間の世界はこういうものである。数十年が過ぎた。非常に早く、現在また一年が過ぎ去った。今日の説法はここまでとする。

法会は円満に終了した。弟子達は声を揃えて感謝を述べた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲深く、全生命をかけて弘法し衆生を利益された。風邪のために身体の調子が悪くても、自身を考慮せず、自ら修法され、宝珠の如き貴重な説法をされ、列席者及び一切の有情衆に殊勝な法益を授けられた。列席者は皆、心からの感激をし、起立して、法座から下りられた尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しくお見送りした。

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2014 年 07 月 27 日 更新