尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年12月22日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターで、殊勝な「長寿仏法会」を主法なさった。参列者は日本、台湾の信者20人と、日本と台湾の弟子172人計192人で、法会は殊勝かつ円満に終了した。

午後2時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に昇って、「長寿仏法会」を自ら主法なさって、また、参列者に貴重な仏法の開示を与えた。

今日、長寿仏を修めて、どんな法会の始まる前に先に皈依文を唱えなければならない。先、第一ページに、唱えたのは「皈依発心」である。皈依文を唱えるのは仏法中に解釈が「前行」で、意味はどんなことをする前に必ず準備する。また、なぜこのことをするかを分からなければならない。釈迦牟尼仏から教えてくれた仏法は第一種が「小乗」である。小乗はスリランカ、ミャンマー、タイの地域にとても流行っていて、小乗を修めれば、必ず髪を剃って出家しなければならない。釈迦牟尼仏が曰く出家の意義は「輪廻の家を出離する」で、輪廻の家を出離するため、修行者はまず家庭を持つことができない。簡単に言えば、結婚できなく、肉食と酒飲みもできない。

小乗を修める果報は阿羅漢になる。しかし、根器が比較的によい出家衆と在家衆に対して、釈迦牟尼仏の教えはもう一つの方法、「大乗仏法」である。大乗仏法の果報は菩薩になる。出家衆及び在家衆の修行に相応しい。釈迦牟尼仏は出家の男衆に「比丘」と称して、出家の女衆に「比丘尼」と称する。比丘と比丘尼は男女関係を持つのができなく、商売ができなく、殺生ができなく、戒律を守らなければならない。だから、お酒を飲むと、比丘ではない。

最後の一種は「金剛乗」と称する。先程言った大乗仏法は中国で流行っていて、中国で流行ってから日本、韓国、ベトナムという国家に伝えた。日本の仏法は中国の隋王朝から伝って入って来て、日本に於いて当時約聖徳太子の時代である。だから、現在日本の多くの寺と仏像の様子は全て唐王朝から伝えてきた。

釈迦牟尼仏が最後に教えたのは金剛乗で、果報は成仏の方式である。唐王朝に中国から一部の金剛乗を伝えた。所謂現在日本では「東密」と言われる。日本ではよく見える「護摩」は密法の中に始めて入門した「事部」であり、唯完全な密教がチベットに伝えた。今日、修める心構えはとても大切で、意味はどのような動機でこの法会に参加することを分かる。何故なら、今日修めるのは密法で、一般のように人を依頼して家までお経を唱えて平安を求める方法と違い。

始めて唱えた皈依文の四つの句は重点がこの法会に参加してから仏法を学べ、更に一切の衆生を助けることを望んだ。第二部分は「四無量心」で、大乗と金剛乗仏法の思想中心は「慈悲」である。「慈悲」は学んで修行する次第、慈悲の心を育成して始めることができる。慈悲の心があれば、仏法が衆生を助ける。だから、四無量心は我々に慈悲心の考えを教えてくれて、今日、時間が足りないので暫く説明しないで、もし、この部分を開示すれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは一年間に説いても完了できない。第三段の「七支供養」は《華厳経》に普賢菩薩が衆生にいかに仏を学んで福報を累積する方法を教えた。七支供養は大乗及び金剛乗を学ぶ者に対してとても大切で、皆は正確な心構えで今日の法会に参加すると皆に役に立つことを分からなければらない。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェが修めるのは長寿仏の儀軌である。一般の大乗仏法及び顕教の中に、つまり、一般的に皆が見る寺院が顕教に属し、全てはこの法門がなく、この密法の法門はインドからチベットに伝えて、長寿仏は阿弥陀仏の報身仏である。仏は三身があって、その中の「化身仏」の定義は一切の仏経、仏像、真言、仏法を教える上師であり、専門にまだ輪廻を解脱していない六道衆生を助ける。「報身仏」は既に証果の菩薩を限って修行を助ける。「法身仏」は一切の諸仏が仏果を証した身体のである。

なぜ法身仏は菩薩を助けなく、報身仏は凡夫を助けないでしょうか。仏経には宇宙虚空の中に十方法界があり、つまり十次元空間である。また、科学も仏経に記載された十次元空間が確実に存在することをすでに証明した。我々は人間として三次元空間に生きるから、三次元空間を超えると、われわれは肉眼で見える能力がない。化身仏に頼ってが助けてもらわなければならない。仏菩薩は十次元空間の事を見えるので、仏は報身仏を助けられる。法身仏は十次元空間を超えて、仏果を証しないと、仏の境界を分からない。

人々は全てもっと多くの寿命が欲しい。しかし、人間の寿命はどのように来るのでしょうか?現在の医学と科学ではまだ確定的な答えがない。たとえ科学はこのように発達しても、人間の寿命は如何に得ることを探求できない。更に人の一生の寿命は如何に消えることも確定できない。中国人の伝統的な言い方によると、若し人間は生きているときに一生の力を尽くして善を行えば、寿命が延べることが出来る。もちろん、もう一つの条件はもはや悪を行えない。仏経には、人間の寿命は両親から与えるのではなくて、両親はただ我々にこの世の身体を与えただけ、寿命ではない。仏経には、寿命は累世に不殺生を修めて、極めて多くの善を行って、肉食をしなく、お酒を飲まなく、タバコをすわないから、この世で長寿を得られる。

仏経によると、釈迦牟尼仏は嘗て皆に各々時代の人間がどのぐらいに生きられることを見て、また、皆に如何に計算することを教えたことがある。釈迦牟尼仏は人間の寿命が80000歳はずだと開示したことがある。しかし、人間は始めて悪業をしてから、寿命が減って平均的に100年ごと1歳を減らす。いまの人間は「減少」の劫にいるから、いまの人間の寿命が約70歳で、引き続きに減って、平均寿命が10歳までになると、改めて加えて、100年ごと1歳を加えて、80000歳までになる。

仏は神話を説かないか。人間の歴史はただ4、5千年だけではないか。しかし現在、多くの科学者は2、3万年を超える人類文化が残った遺跡をすでに見付かった。なぜいまは寿命を減らすのでしょうか。いま大部分の人は肉食をして、お酒を飲んでタバコを吸うから、常に水源を汚染するのせいで、寿命が減っててしまう。釈迦牟尼仏は嘗て人間の死亡の原因を開示したことがある。また、人間の寿命が2種類の物を組み合わせて福報になる。一つは前世から持って来た寿であり、もう一つは前世から持って来た財である。仏は嘗て人が死ぬときに何種類の状況があることを開示したことがある。一つは財がなく寿がないままで死ぬ。このような人間は極めて多くの悪業をしたので、突然に寿と財を使い切るから、死んでしまった。もう一つは寿があって財があるままで死ぬ。リンチェンドルジェ・リンポチェは常に30や40歳頃に死ぬ人や殺された人を見ている。しかし、彼達の様子をみるとこのようにに短命ではないはず。彼達はの職業は殆ど殺生に関わる。或いは極めて大きな悪業に関わるかもしれない。戦争を行う人間もこの果報を得る。

毎回、戦争を行う人は全て自分の言い方があり、自分民族及び自分の国家のためだと言った。仏経によると、なぜ戦争があるのでしょうか。これは殺生して肉食してから起こった。もう一つのは財があって寿がないままで死ぬ。例えば、スマートフォンの発明者はお金持ちだが、自分の寿命をお金に換えたから、寿命が短くなった。あるものは寿があって財がないままで死ぬ。このような人間は通常にとても贅沢で浪費して、とても金を食う人間である。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの段落を開示して、皆さんに善を行わいや寄付しないという意味ではない。しかし、仏経には二つの事が我々に早めに福報を消耗すると記載された。一つは毎日とても高価な食べ物を食べて。海鮮と肉を多く食べて、お酒を沢山に飲む人である。もう一つはクラブ、居酒屋に行ってお酒を飲んで、ママさんと喋ることを好きな人。このような人は早めにお金を食ってしまう。

日本には多くのホームレスはこのように起こった。台湾の多くの企業家は突然に全ての企業を失敗したのもこのように起こった。多くの台湾の企業家は夜にクラブで商売をすることが好きだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは1995年から始めて商売をして今まで、クラブで交際して商売が成功したことがない。何故なら、リンチェンドルジェ・リンポチェはクラブに行ったことがなく、居酒屋も行ったことがない。多くの人々は居酒屋に行っても大丈夫だと思ったが、皆は全てビールを2杯飲んで、少しのタコ、サカナ、骨を焼いて、人生がとても楽しいと思った。さらに、女はそばにいて下ネタを言った。しかし、これらは全て寿と財を損耗する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学ぶ前に、一般の男と同じようにクラブにちょっと行ったが、いまいく勇気がない。また、久し振りで行く勇気がない。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日長寿仏を修めて、一般的な信者に対して、つまり、法会の当日だけで菜食して通常に菜食しない人に対して、今日の法はこのような人の利益に対して、彼に極めて重大な意外に遭って死亡させない。始めて仏を学んで戒律を守る人に対して、自分の一生に過ちを犯して損耗した寿を補充することを助ける。決心して修行して衆生を助ける人に対して、今日の法は彼にこの世の寿命を増えて修行することを助ける。

リンチェンドルジェ・リンポチェの自身を例にとって、元々50歳しか生きられないが。それは過去世に殺生したことがあって、また、曾祖父の世代には殺生がとても厳重で、家族の男子は全て55歳しか生きられない。リンチェンドルジェ・リンポチェは一生に修行してから始めてこのことを変えた。寿命が終るのは福報を使い切るから、我々の身体は父親の「明点」であり、科学から言うと「精」で、及び母親の「血」と二つを結合するから、この肉体を生じた。我々は始めて人間の形になる時に、引き続きに絶えずに精と血を消耗している。

もし生活習慣はよくなく、タバコを吸ったり、お酒を飲んだり、肉食をしたりすれば、もっと早めに消耗する。精と血が消耗して終わると、人は死んでしまう。精と血の消耗する過程には、人間の身体は「四大」が結合する。つまり「地(骨と肉)」、「風(体内の気で、顕教から言うと呼吸で、密法から言うと、人は五種類の気があり、身体の各部分に対して全て役に立つ。)」、「水(体内の一切の液体及内分泌)」、「火(エネルギー)」である。医学によると、今までには「火」と「気」がまだ分かっていない。例えば「気」に関していままで科学器械を使って呼吸しかを測定できないが、甲状腺などの液体の循環が如何起こるかに対して、医学では答えがない。「火」の作用も今まで科学もはっきりに解釈できない。

医学から言うと、ただ酸素を吸入してエネルギーになるや食べ物を食べて消化した後でエネルギーになることだけ分かった。しかし、なぜエネルギーになって、エネルギーになってから何か出来るかに関して医学の上でとても詳細の解釈もない。仏経によると、もし四大がアンバランスなら、病気に罹る。だから、今日修める法は皆を助けて補充してあげる。四大はバランスを取れば、生活は自重しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日すこし解釈したが、長寿仏は修行に対してとても大切だ。仏法に曰く「無死」は二つの方式を分けて説明する。顕教から言うと、我々自身の法性は無生無滅で、長寿仏を修めると、不生不滅ができる。所謂「無死」である。密法から言うと、無死の定義はこの世の簡単な肉体ではない。身体は遷移するができて、「遷移法」と称される。無死は密法を修行する人に対して、衆生を利益する心は永遠に変わらなく、無生無死になる。

修法する前に、出家弟子は入場の時に自ら籤引きを当たった日本現地の信者を率いて主法上師尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにハタを献上した。続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは始めて長寿仏を修めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは暫く修法した後で、参列者を率いて法本の中の祈請文を唱えた。そして、その意味を開示した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは先程法本に記載されている「一切の非時の死亡」を少し解釈した。つまり、死ぬべきではない時に死ぬ。この範囲がとても広いが、例えば、交通事故に遭い、飛行機に乗り、蚊に食われ、病気に罹り、医者が薬を誤用して死なせるなど全て非時の死亡に属す。簡単で言うと、本来そなたは70歳まで生きるはずなのに、突然に60歳に死んでしまった。それは非時で死ぬ。最近のニュースによると、日本に600軒余りの食品店を営む人は銃殺された。リンチェンドルジェ・リンポチェはから見ると、この人の様子が80歳余りを生きられるはず。しかし、彼は600軒余りの餃子店を営んで、毎日沢山の肉を売っているから、非時で死んでしまった。

仏経には釈迦牟尼仏が嘗て開示したことがある。もし動物の肉でお金を稼ぐと、生きる時に多病で寿命が短く、求めることは思った通りに順調しなく、財産が集まらなく、眷属が円満しない。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは多くのことを見て、確かに仏経に記載さた通り。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは普通の信者を助けて長寿仏を修める。そなた達はこの世に肉食をして、魚釣りをして、他人に依頼してそなたのために殺したなど、全て非時で死ぬの因がある。今日の修法をした後、そなた達は過ちを犯した因が全て粉砕して、それを発生させない。そなた達に寿命を与えることは何のためでしょうか?享受のためではなく、そなたに健康させて尚更に多くの事業を営ませなく、そなたに時間を与えて仏法を学んで、阿弥陀仏浄土に往生するため。そなたは自分の健康をとても注意して、少し体の具合が悪いと診察を受ければ、自分は長寿ができると思わないで。一切我々に寿命を縮める因を断つと、十分な寿命があって修行することが出来る。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに修法して、そして、参列者を率いて長寿仏の心呪を長く唱えていた。暫く修法していた後で、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に修法儀軌の意義を開示した。

先程唱えたのは「供養」と「祈請」である。その内容は一切無量の衆生を祈請し、今日法会に参加する人だけではなく、これらの無量の衆生は非時で死なないことを祈って、16種類の大きな災難を離れて、干害や戦争がない太平時代に暮らせることを祈った。故にある地域で長期に長寿仏を修めれば、このようなことがない。法本には、この法は修法者及び施主が非時死亡及び一切の災難を取り除くことが出来ると記載された。施主とは嘗て教派及び上師を護持した人であり、一般の信者ではない。それ以外、法本の中に一切良くない因がないことを祈る。寿命と財は月のように引き続きに増えているのを祈る。今後成仏になる果位のために、本尊と上師の加持を祈る。だから、若し本尊と上師に信心を持つと、引き続きに絶えずに加持を得られる。

薈供儀軌を行った時に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは特に参列者に供え物を少し食べることを指示した。また、法会に参加する日本信者が供え物を食べるかどうかを関心して、もし食べないなら、今食べてくださいと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは特にある日本信者を指名して、それは神通を使って彼が供え物を食べないのを見たから。また、ユーモアに「誰かが食べないと、リンチェンドルジェ・リンポチェに騙すことができない」と言った。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは法本の二つの文句を以って、なぜ供え物を食べる必要を説明した。表面的に見ると、食べ物のように見えた。しかし、その中に多くの真言を加持した。法本には「見よう!美妙な殊勝物である。これに対して懐疑を起こす事が出来ない。」と記載された。だから、先程、指名された日本の信者は懐疑を起こったから食べなかった。法本にも仏法は平等であり、修法は清浄な行為である。仏も清浄な行為で衆生を助けることと記載された。今日の法会は法会に参加するこれらの人々の為のではなく、法本には犬と食肉処理業者と三法界は全て一緒にこの供養を享受することに言及した。表面的にみると、皆が食べるたけれど、仏法の慈悲から言うと、一切衆生を代表してこの供養を受けた。怠けて食べなく、食べたくなく、飴を食べ嫌い人は所謂慈悲心と平等心がないから、この法と修法者に対して懐疑を起こった。

この法本は1000年余り前に現れたけれども、1000年後にまた罵ることができる。その供え物を食べない信者は懐疑を起こった。仏法には『「信」が一切の功徳の母だ』と言及する。そなた達は今日法会に参加して、修法者はそなた達にちっとも要求をしない。リンチェンドルジェ・リンポチェはただ日本という土地で仏法を以って種を蒔くことを望む。これは釈迦牟尼仏が説かれた仏法と完全に合うのである。今後法会に参加すれば、上師が話した内容は全て聞かなければならない。これはそなた達の為によく、上師のためによいのではない。続いて、皆のために摂受法を修めて、皆を助けて寿命を摂受する。そなた達に供え物を少し食べさせたのはそなた達を助けて、本尊、上師と少しの因縁を作った。そうすると、そなた達に始めて資格があってこの縁を受けて摂受できる。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは摂受の儀軌を行って、そして、持つ法器を説明した。リンチェンドルジェ・リンポチェの右手で持つのは矢である。チベット密法の中に仏法が1本の矢で比喩し、修行者は矢を射る人で、正しく矢を放って目標に達することが出来る。矢の上の色は宇宙の中に異なる元素を代表して、日本の宗教では幡を振って邪気や悪魔を追い払うと異なる意味である。通常に、多くのリンポチェはこの段落を修めないが、それは若しリンポチェの能力が足りないなら、宇宙間のよい物を取り込むことができないで、不注意なら、自分のよい物をそなた達に追い払って与える。しかし、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェがこのようにすることに値しない。なぜなら、そなた達は修行者ではなく、飴を食べても食べるかどうかをちょっと考えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を助けて摂受するのは、皆に多くの商売をさせることではなく、重要なのは皆にこの世に十分な時間があって仏を学べる。リンチェンドルジェ・リンポチェはまず自分のために修める。それは、自分の全ての元素を補充してから、皆に分けることができる。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは暫く修法していた後、皆のために法本の内容を開示した。先程唱えた祈請文の中には、ある段落では我々の寿命が破損するのは殺生し、お酒を飲み、タバコを吸い、人を騙し、悪事をするから。そうすれば、寿が破損する。寿を散らす人は貪念がとても重い。寿を破る人は因果を信じない。寿を裂けて揺れるのは、例えば死にそうとしても死ぬ事が出来ない人のようだ。寿は鬼に盗まれるが、例えば常に鬼と神に礼拝して助けを求める人のように、簡単に鬼に寿命を盗まれる。つまり、寿を交換される。それ以外に、ニンニクを食べる人は、簡単に鬼に寿命を盗まれる。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて皆のために修法し、参列者に身体がまっすぐ座ることを提示した。それで、この段落の修法した後また引き続きに開示した。

先程修めたのは、皆の地、風、水、火の精華を増えて補充した。法本には「縁を具える金剛の弟子」を言及した。つまり、縁を具える弟子だ。縁の定義は仏が説かれた話と上師が教えた仏法を信じて、更に行える。金剛とは密法を修める弟子で、今日、そなた達は大部分密法を修める弟子ではなくて、道理により、修法者はそなた達のためにこの段落を修めない。なぜ金剛乗の弟子のためにこの部分を修めるでしょうか。それは金剛乗の弟子は既に発心の菩薩であり、彼のためにこの部分を修めて、彼に十分な健康と寿命を持って衆生を助けるから。

皆は金剛弟子ではないけど、法会に参加するから縁があって、修法は必ずそなたに助けがあって、そなたは懐疑心を起さないなら、そなたに十分な健康と寿命を持たせて衆生を助ける。一回の肉食をすれば、構わないと思わないで。仏経には小悪を行えると思わないと言及し、全ての大悪は小悪から累積するから。皆は聞き入れて欲しい。其の後、リンチェンドルジェ・リンポチェはまたある簡単な法を修める。

暫くして修法の後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチは参列者に壇城に上げることを指示し、また、自ら長寿仏本尊のドマを持って、極めて慈悲に一人一人に殊勝な加持を与えた。また、この間に参列者を率いて、絶えずに長寿仏の心呪を唱えていた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者が席を戻った後、引き続きに貴重な仏法開示を与えた。

今日修法の全ての過程は約3時間で、日本ではこのように多忙なビジネス社会に於いて、皆に真にゆっくりに休ませることがとても簡単ではない。この三時間の中に、皆が座禅することより役に立った。多くの人々は宗教がとても神秘だと思って、宗教は突然に皆が知らないことを表すと、素晴らしいと思った。釈迦牟尼仏も人間であり、皆と同じように人間の生活を暮らして、自分の累世の修行及びこの世の開悟を通して、成仏の経験と方法をこの世に残っている。仏を学ぶのは一日、一年のことではなくて、恒心と固い信心が必要であり、そうすれば、始めて釈迦牟尼仏が我々に次第がある修行方法を学べる。

仏法は神通に頼って衆生を利益するのではなく、釈迦牟尼仏は嘗て開示したことがある。若しある者はいつもそなたに神通を表して見せて信じさせるなら、釈迦牟尼仏はこれが仏法ではないと説いた。神通は手品師がマジックをするように偽物だ。チベット仏教を修めるリンポチェは神通があるかどうか。必ずがある。しかし、衆生を利益するため、また、衆生が過ちを犯すと、神通で見ながら彼を助ける。先程あの日本信者が供え物を食べないのはリンチェンドルジェ・リンポチェが神通で見て、眼で見たのではない。リンチェンドルジェ・リンポチェはせっかちから、この信者はとても忙しくて、めったに仏菩薩に加持される食べ物を食べる機会が少ない。だから、彼に少しの圧力を感じさせた。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず彼を助けるから、リンチェンドルジェ・リンポチェは神通で彼が食べないことを見ると、話した。

このように神通を現すことが出来る。しかし、若し表す目的はそなたに彼を聞かせて、彼に従わせて、義理人情を教える事ではないなら、この所へ行かないで。このような時代に仏法を広めることはとても大変なことで、人間は自分が思った正しい見解が多くある。しかし、実は間違い見解だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは日本に引き続きに仏法を広めることを努力している。リンチェンドルジェ・リンポチェ自分のためあるいは教派のためではなく、却って、日本という土地のためだ。何故なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てある世に日本にいたから。若し名声と利益のためなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本に来る必要がない。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは台湾、アメリカ、中国などの地域で既にとても有名であるから。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今日日本の信者に少し助けを与えて欲しい。そなた達は信心を持つなら、多くの事がかなりよくなる。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て説いたことがあるが、仏法が需要であれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが需要であれば、どのような所でもリンチェンドルジェ・リンポチェが必ず姿を現す。だから、日本に来たことは全く理由がないわけではない。間もなく一年が終って、日本の信者は自分がこの一年に行った事が改善したかどうかをしっかり考えて欲しい。若しないなら、仏法を以って修正しなければならない。そうすれば、自分の未来の生命、家庭、国家、世界に対して全て役に立つ。リンチェンドルジェ・リンポチェはここまで開示し、また、感謝の気持ちを表した。

法会が円満に終了し、参列者は口を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲の修法及び殊勝な開示を感謝し、起立して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座から下りることを恭しくて見送った。

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2014 年 02 月 06 日 更新