尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年9月15日

2013年9月15日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは「台北世貿中心南港展覽館」で殊勝なる「チベット仏教直貢噶舉派阿彌陀佛無遮大超度法会」を主法なさった。祖師ジッテン・サムゴン、歷代伝承上師、三恩根本上師直貢チェツァン法王、直貢チョンツァン法王、及びアキ護法の加持と庇護の下、九度目となる今法会も清浄かつ円満に終了し、無辺の衆生に広く功徳することができ、参会者は皆法喜に包まれた。

法会前日の夕刻、天空には巨大な龍形の雲が現われた。その気勢は非凡で極めて壮観であった。龍天護法衆等が揃ってお越しになり、殊勝なる大法会を護持くださろうとしていたのだ。法会当日は晴天で、早朝に少しの時間の甘露妙雨があり、法会会場の上空には、諸佛菩薩の法会に対する無比なる賛歎を示す殊勝なる瑞相-2本の虹が現われた。これは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの勝妙教法が、広大な有情に益をもたらせることを示している。

今回の大法会はメディアにおける広告を一切行わず、一枚のポスターさえも貼らなかったが、チベット仏教直貢噶舉派のナンジュ・ケンポス(Khenpo Namdol)、5人のラマ、他教派の6人のラマなど12人、さらに147人の顕教出家衆を含む21868人にものぼる参加者を記録した。台湾の他に、中国、日本、インド、ネパール、香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイ、米国、カナダ、オーストリア、ドイツ、フランス、スペイン、オーストラリアの弟子と信衆を始め、顕密四衆が揃って、今回の殊勝なる大超度法会に参加したのである。リンチェンドルジェ・リンポチェが主法なさる「第九回チベット仏教直貢噶舉派阿彌陀佛無遮大超度法会」が円満に成功し、無辺の衆生が広く功徳されるよう祈って、馬英九中華民国総統からは「功徳円満」との題辞を添えた盛り花が、行政院の江宜樺院長からは「円満成功」との題辞を添えた盛り花が、民主進步党の李俊毅副祕書長からは「功徳円満」との題辞を添えた盛り花がそれぞれ贈られた。行政院江宜樺院長、内政部李鴻源部長、蒙藏委員会羅瑩雪委員長は「慈悲仁懷,祈福群黎」、「円満成功」、「順利成功」との額を贈り、法会の円満を祈願した。

今年の法会でも入場券、済度、点灯、ハタを献上することでは例年と同様、一切料金を徴収していない。参加者を代表し献曼達を行う5人、点灯供佛を行う2,000人の信衆は、入場時に自ら引いたくじで決まったものである。法会の清浄を保つため、法会会場ではチャリティ販売などの商業行為は一切行わず、法会で必要な経費のすべては尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの監督と指導の下、「中華民国寶吉祥佛教文化交流協会」の会員が共同で護持したもので、募金を募ったり寄付を受けたりなどは全くしていない。

法会の開始に先立ち、会場では貴重な記録ビデオが放映された。それは、尊勝なる直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェとの緊密な師徒関係を開示なさるもので、リンチェンドルジェ・リンポチェの成就と教派に対する諸々の貢献を讃嘆なさるものである。また同時に、2007年に直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェを伴い、標高4,500mを超えるネパール・ラキ雪山で三ヶ月間閉関し、閉関円満後に、直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェを率い、三日間の火供を修持なさる殊勝な様子を記録したビデオも放映された。映像中ではリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に対して、完全なる恭敬を示しておられ、2012年10月にリンチェンドルジェ・リンポチェが宮城県石卷市で主法なさった「阿彌陀佛無遮大超度法会」の様子も収録されていた。諸佛菩薩の賛歎を示す、修法時に米粒と花びらが空中で停止した後ゆっくりと落ちて来る殊勝なる瑞相も記録されている。法会は無数の衆生に利益し、しかもリンチェンドルジェ・リンポチェの予言の通り、法会後には大津波で大きく傷ついた残骸と被災者の遺体が発見された。

さらに、2013年リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子を率い、インドに赴き参加なさった尊勝なる直貢チェツァン法王が催された「長寿献曼達法会」の様子も放映された。この法会では、リンチェンドルジェ・リンポチェが8年を費やし準備した極めて貴重な宝物-35kgのラピスラズリで作られた釋迦牟尼佛缽を、三恩根本上師直貢チェツァン法王に恭しく供養なされた。リンチェンドルジェ・リンポチェの修行は、教派中の多くの大成就者に高く評価され加持を賜っており、尊勝なる直貢チェツァン法王も2013年7月ラダックでの大法会において、リンチェンドルジェ・リンポチェは今生で修行により成ったリンポチェであると公に説明し、リンチェンドルジェ・リンポチェの教派と上師に対する全力での護持を讃えられた。映像からは直貢チェツァン法王とその壇城根本弟子リンチェンドルジェ・リンポチェとの間の伝承関係、及びリンチェンドルジェ・リンポチェの修行果位と教派に対する全心全霊での護持を明らかに見て取ることができる。

午前8時20分、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは経幡、薰香炉、楽器、八供女、寶傘に先導され、電動車でゆっくりと会場へ入られた。リンチェンドルジェ・リンポチェのご法相は壮厳で威儀は非凡であられ、連綿と続く先導の楽の音の宏大で深広な有様は心に響くものであった。参会者はみな両手を合わせ立ち上がり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを厳粛に恭しくお迎え申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城に上がられ、諸佛菩薩に恭しく頂礼し、尊勝なる直貢チェツァン法王と 直貢チョンツァン法王の如意寶法座にハタを捧げ、灯明を灯し佛に供養申し上げた後、法座に着かれた。

修法に先立ち、リンチェンドルジェ・リンポチェは参会者に貴重な佛法の開示をくださった。

「本日みなが参加する『阿彌陀佛無遮大超度法会』は、2005年より今年まで既に9年連続で行われている。今日修める法は尊勝なる直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェにお伝えくださったものである。尊勝なる直貢チェツァン法王は『阿彌陀佛大超度法』の法本を整理しなおされた後、11年前に御自らリンチェンドルジェ・リンポチェに口伝くださった。直貢チェツァン法王のお許しを受けた上で、リンチェンドルジェ・リンポチェは每年『阿彌陀佛無遮大超度法会』を主法している。每年初参加者が多数いるため法会の参加者は年々増えており、ここ数年は毎回二万人を超えている。この法会は諸佛菩薩の加持を頂戴し、諸佛菩薩がこの法会をお認め下さっているからこそ、法会をスムーズに開催できているのだ。

今日の法会には顕教の比丘、比丘尼、チベット仏教のケンポス、ラマ、アニと、顕密四衆が共に参加している。今法会の主役は主法するリンチェンドルジェ・リンポチェではなく、法会の参加者である。参加者がいなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェが開催しようと考えても、この法会は開催されないのだ。每年『阿彌陀佛無遮大超度法会』の開催に当たり、寶吉祥佛法センターでは宣伝せず広告も出さず、ポスターを貼ることさえしない。にもかかわらず、これほど多くの人が法会に参加している。これはそなた達が佛菩薩と縁があるからである。そなた達は前世において阿彌陀佛を唱えたことがあるか聞いたことがあり、或いはかつて阿彌陀佛の法門を修めたことがあるが、修行が足りなかったため、この一世で『阿彌陀佛無遮大超度法会』に参加しているのである。

法会においては参加の心構えが非常に重要である。懺悔の心で参加しなければならない。なぜ懺悔の心なのか?懺悔心を起こさなければならないのか?それはだれもが一念無明であり、煩悩を生じ輪迴に堕ちているからである。また、衆生が利益を得られるよう慈悲心、菩提心を以て法会に参加しなければならない。そなた達は今日、自分の祖先を済度させるため参加したのかもしれない。これは間違いなく善の考え方だ。しかし、この善を他の衆生へと広げることができれば、功徳が生じる。見たところは、そなた達が法会に参加しているようだが、実は亡くなった親戚や友人に代わって参加しているのだ。そなた達はその思いを広げ、一切の衆生に代わりこの法会に参加している思わなければならない。自分の肉親を済度させるため、または自分の病気が良くなることを願って法会に参加しているとしても、だれもが心から望んで集まっているのだ。心から望んで参加しているのなら、佛菩薩と上師の教導を聞き入れ、佛菩薩の言葉に従い、心量を大きくしなければならない。自分だけが利益を得ようなどと考えず、この法会の力で、そなたと縁のある一切の衆生、さらには縁のない衆生もみな、佛法の助けが得られ、輪迴の苦海を解脱できるよう願わなければならない。

釋迦牟尼佛は2000年余り前、1250名の弟子、諸大菩薩、天龍八部の面前で、阿彌陀佛を紹介なさった。これにより、末法時代の衆生は阿彌陀佛浄土法門を学び、輪迴痛苦を離れることができるようになったのだ。今日修める法本は、蓮花生大士が阿彌陀佛浄土に自ら求められた岩伝法で、非常に有り難い密法である。リンチェンドルジェ・リンポチェは今年で66歲であり、現代風の言い方ならば『老翁(お爺さん)』ということになるだろう。最近の台湾ではおかしな現象が見られる。50歲を過ぎると『老翁(お爺さん)』、『老婦(お婆さん)』と呼ばれるが、このような呼び方は上品ではない。といっても、リンチェンドルジェ・リンポチェは受け入れることができる。つまり、リンチェンドルジェ・リンポチェは今はもうお爺さんなのだ。このような大法会をいつまで主催できるか分からない。もともと昨年リンチェンドルジェ・リンポチェは引退しようと考えていたが、直貢チェツァン法王のお許しがいただけなかったのだ。実はリンチェンドルジェ・リンポチェは『阿彌陀佛無遮大超度法会』を開催する度に、これが最後と考えて行っている。みなも法会に参加する際には、その因縁を大切にして欲しい。

『阿彌陀経』では『浄土に往生できるのは、善根、福徳、因縁を備えた善男子、善女人だけである』という。往生後に死者のために経を唱えれば、浄土に往生させることができるなどと考えてはならない。それほど簡単ではなく、佛経でいう条件に当てはまらなければならないのだ。『善根、福徳、因縁を備えた』とは善の因縁を連続して積むことをいい、大法会に何回か参加すればいいというものではない。『地藏経』中で説くように、衆生も心の中に善念を起こすことはあるが、この善念はすぐに消えてしまい、また悪を行うようになる。これでは、連続した善とはいえない。佛経では『浄土三福を修めなければならない』という。今日は時間がないので、『三福』については触れないが、最も基本的なことは『父母に孝行を尽くし、師や年長者を敬い、慈悲を以て殺生を行わない』ということである。親孝行が最も大切である。親孝行さえできないなら、浄土への往生など語る資格はない。殺生はならぬ。衆生の肉を食しているなら、どんなに熱心に経を唱え佛を拝んでも、浄土に往生することはできない。

『徳』とは功徳である。経や咒を唱え、懺悔を行うことが修行なのではない。修行を行わなければ功徳を積むことはできない。佛菩薩と上師の教導に従い、佛法を日々の生活で実践しなければ、功徳を積むことはできない。そなた達は学佛と生活とを区分し、全く違うことと考えており、法会に参加する時だけが修行で、法会が終われば自分の生活に戻ると考えているだろうが、それは間違いだ。佛法と生活とは分けて考えられるものではなく、学んだ佛法を生活の中に着実に根付かせ、輪迴につながる自己の行為すべてを変えていかなければ、学佛は空談に過ぎない。福と徳があっても因縁がなければならないのだ。そなた達は今日この法会に参加している。これにより、阿彌陀佛と非常に深い因縁を結ぶことができ、将来、阿彌陀佛法門を修持し浄土に往生できるだろう。今日この法会に参加していることこそ、そなたの福徳が動き出した証なのだ。たった今より、学佛の因縁を大切にしなければならない。今日リンチェンドルジェ・リンポチェが結んだ縁をつなげていくかどうかは、自らにかかっているのだ。

佛がいわれる『善』とは『十善法』を行うことで、つまり『不殺生、不偷盜、不邪淫、不妄語、不両舌、不悪口、不綺語、不貪、不嗔、不痴』のことである。『不殺生』の基本は衆生の肉を食べないということである。『不悪口』とは人を罵らないことである。テレビ番組などで、自分と意見が違うといって、相手を批評するのも『悪口』である。『妄語』とは特に、修行人が修行の境界に至っていないのに、自分は修行を成し遂げた、或いは果位まで修めたといいながら、教えを求めて訪れた人には、『自分はまだまだだ』といって教えないことを指す。『綺語』とはあれこれ指図することで、佛法と関係がなく、衆生に利益もできない余計なことをあれこれいうことである。『不両舌』とは他人の悪口をいわず、他人を批評しないことである。

『無量寿経』と『観無量寿経』中では『浄土にいるのは諸上善人』であるという。上善人とは多くの善を絶えず行い、『十善法』を修めた人である。学佛では『何もできない』というのではなく、『皈依後は五戒、十善を守り、一切の悪を断ち切り、一切の善を行い、慈悲の心を養い、福徳を積まなければならない』というのである。佛経でいうように、福徳因縁があり、この一生で十善法を修めた善男子、善女人が阿彌陀佛の浄土への往生を発願すれば必ず叶う。しかし、『阿彌陀経』にあるように、『この五濁悪世において、阿彌陀佛浄土法門を信じるのは難しい』と釋迦牟尼佛もお認めである。かつてリンチェンドルジェ・リンポチェもよく理解できなかった。なぜこんなにも多くの人が浄土への往生を求めるのか、阿彌陀佛の佛号を唱え、多くの人が佛を信じるのか、なぜ佛はこの法を信じるのは難しいといわれるのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは密法を修めて初めて佛の仰せのところを理解できるようになった。

死はだれもが通らねばならない道である。『自分はいつか死ぬ』ということをみな知っているのに、だれもが『なんとかしてこの一生を楽に過ごそう』と時間と頭を使っている。死について考える人は多くなく、死に向き合いたくないと思う人は少なくない。なぜならみな痛みや苦しみを恐れ、死後の事を考えたくなく、自分の次の一世のことなど思いたくもないからだ。しかし、佛法で教導するのは、死にいかにして向き合うかである。そなた達は病になれば医者へ行こうと考えるだろう。医者に治せる病気も多いが、医者がどうにもできない病気も多い。そして、医者には絕対にどうにもならない病がある。それは老化だ。しかし、老いを認めず、三十代の人は自分を十代だと考え、四十代の人は自分を二十代だと考え、六十代の人は自分はそんなに老いていないという。これは奇妙ではないだろうか?すべての人間は刻々と老いており、遅かれ早かれ死と向き合わなければならないのだ。ただ、早いか遅いかの違いだけだ。それなのに、この問題について真剣に考えようとせず、中国人などは死について口にするのを憚る。しかし、だれもが必ず直面することなのだ。人は生まれたその時から、死の瞬間が訪れることは定まっている。死について真剣に考えるべきではないだろうか?

実は、ある人が死を迎える数年前には、その人が死後どこへ行くかが分かる。リンチェンドルジェ・リンポチェは『ポワ法』の修持で成果を修めているため、人の往生5年前の状況がはっきり分かり、そのため、その人がどこに輪迴するかを見通すことができる。リンチェンドルジェ・リンポチェは1997年より衆生を助けるようになり、たくさんの亡者を済度させてきた。99%の人は往生を前にして心残りを抱えている。往生までの数年間で、手術を受けるなど身体に傷を負うようなことがあったなら、地獄に堕ちる可能性が高いだろう。なぜなら地獄ではこのような苦しみを受けなければならないからだ。往生前に昏睡状態に陥ったなら、生前に佛を学んでいたとしても、昏睡で意識が混濁し佛法、持咒を聞き入れることができなくなるため、死後に畜生道に堕ちる可能性が高くなる。往生前の数年間、何においても損得にこだわり、死を前にしてなお自分の財産の心配をし、どのように配分しようかなどと考えているなら、餓鬼道に堕ちるかもしれない。生前に多くの善事を積んだ人でも、『自分は善事をたくさん行った』と自己満足しているなら、人道に生まれるだろう。生前に道を修め、特に佛を学んだ人でも、傲慢で他人と自分を比較し、人と争ってばかりで、『自分は他人より秀でている』と思っているような人は、阿修羅道に生まれるだろう。生前に学佛したが、自分は高潔だと思っており、他人を見下している人は、天道に生まれるだろう。天道では福を享受することができるが、結局最後は輪迴に堕ちることになるのだ。

大法会の開催は容易なことではない。非常に多くの人力、物力、財力が必要であり、その地の人に対して福報があるのでなければ、大法会を開催することはできない。寶吉祥佛法センターは一年前から今日の大法会の準備を始めている。リンチェンドルジェ・リンポチェは修法前に多くの供養と準備作業を行い、二日間閉関しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは修法時には一心に衆生に利益する。そなた達は集中して法会に参加し、『主法者が行っている事が自分は分からない』などとあれこれ考えてはならない。そなた達は分からないのだ。直貢チェツァン法王と佛菩薩だけがリンチェンドルジェ・リンポチェが何を行っているかをご存知である。そなた達は恭敬心、懺悔心で法会に集中するだけでよい。これほど多くの人が同じ思いで同じ事を成し遂げられれば、その力は非常に大きくなる。他の事は、リンチェンドルジェ・リンポチェに任せてくれればよい。

法会では背筋を伸ばして腰掛けるように。そうでなければ、恭敬心は起きない。姿勢を正し、イスの背にもたれかかってはならない。そうでなければ、すぐに寝てしまうだろう。法会中は、居眠りや私語を慎むべきだ。寝てしまうのは、佛法を聞く気がなく、信心がないか愚かであるからで、次の世では畜生道に堕ちる可能性が高い。しかし、法会に参加したことで福報があるので、次の世ではペットに生まれ変わり、『ワンちゃん』と呼ばれるかもしれない。法会の最中に無駄話をするのは不恭敬であり、三寶に対する不恭敬となるため、今日法会に参加しても福報を積むことはできない。なぜだろうか?恭敬心を持つこと即ち供養だからである。供養があって初めて福報を積むことができ、学佛の種々の障害を消し去ることができる。最大の供養とは話を聞くことで、佛の教導を聞き入れ実践することである。以前リンチェンドルジェ・リンポチェは法会に参加する際、会場に入るやいなや、上師のご指示がない限り決して口を開かなかった。恭敬心を以て法会に参加しているなら、今日の参加により、第八意識田に種を植え付けることとなり、それは永遠に存在し、そなた達は今後も学佛の因縁を持つこととなるだろう。

『阿彌陀佛無遮大超度法会』に初めて参加した人もいるだろう。今日の法会は直貢噶舉派のものである。直貢噶舉は830年余りの歷史を有する。噶舉とは口伝という意味で、直貢噶舉は実修を特に重んじる教派である。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉派の尊勝なる直貢チェツァン法王座下の弟子である。法号の『リンチェンドルジェ』とは直貢チェツァン法王から賜ったもので、『リンポチェ』とは『この世の宝』との意味を含んでいる。リンチェンドルジェ・リンポチェは36歲から学佛を始め、尊勝なる直貢チェツァン法王に皈依して既に二十数年になるが、11年前にようやく尊勝なる直貢チェツァン法王から阿彌陀佛大超度法をお教え賜った。これは、密法は簡単に伝授できるものではないということを示しており、時間でも場所でも、それが熟さないなら伝授できるものではないのだ。上師が法を伝えるには、長い期間にわたり、衆生を済度させる弟子の願力を観察しなければならないのであり、学びたいといってすぐに学べるものではないのだ。現在真に『無遮』を成し遂げられている大法会はリンチェンドルジェ・リンポチェの監督と指導下で、寶吉祥佛法センターが開催する法会だけであるが、他の道場もどんどんこれに続くことを望む」と仰せになった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝なる阿彌陀佛大超度法の修持を始められた。先ず、出家衆が参会者を率い皈依と発心を念誦した。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは厄払いの儀軌を行われ、今日の大法会の進行を妨げようとする衆生を追い払われた。続いて、祈請文中で観世音菩薩、阿彌陀佛、金剛手菩薩の法相を描写して讃えられ、御本尊阿彌陀佛が壇城にお越しになり、苦しむ一切の有情衆生をお救い下さるよう祈請なさった。修法が進んだ時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「次に、八供養の儀軌を行い、諸佛菩薩を賛歎、供養申し上げる。供養は学佛人にとって非常に重要である。そなた達は三寶に対して供養の心を持たなければならない。供養とは自分が差し出したいから差し出すのではなく、懇求の心を用いるもので、三寶が供養を受け入れて下さるよう祈るものである。次にリンチェンドルジェ・リンポチェは衆生に代わり修法し、本尊、諸佛菩薩を供養申し上げる。そなた達は何もしなくともよいが、最も基本的で最も重要なことは、三寶に対して供養の心を持つことである。この心さえあれば良い。他はリンチェンドルジェ・リンポチェが代わり行おう」と開示なさった。

供養儀軌が一段落した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは「法本中には供養の祈請文が多くある。リンチェンドルジェ・リンポチェはすべてをそなた達に代わり行った。供養には必ずその果報があるが、そなた達が喜ぶものを聞かせよう。供養の中には、一切の物資と財産を供養するというものがある。その果報は、虛空中の寶を得られるというものである。法本では、どんな供養でどんな果報が得られるかを説いている。大部分は修行における果報だが、そなた達の多くは修行していないので、そなた達を喜ばせようと、先ほどはその中の一つを特に選んで聞かせたのだ」と開示なさった。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法を続けられ、儀軌中で再び観音菩薩、阿彌陀佛、金剛手菩薩の法相を描写され、西方三聖の功徳を賛歎なさり、西方三聖が壇城にお越しになり、みなと有縁の衆生をお救い下さるよう祈請された。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは供養の儀軌を進め、参会者を率いて、阿彌陀佛心咒良久を誦持された。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは参会者及び彼らと有縁の衆生に代わり、諸佛菩薩の灌頂をお受けになり、みなに身、口、意、本質の四種灌頂をお授けくださった。灌頂を受けなければ、身、口、意を清浄とし、佛法を受け入れることはできないのだ。

修法がある程度進んだ時、リンチェンドルジェ・リンポチェは叱責なさった。「先ほど、参会者と有縁の衆生に灌頂を授けたばかりだというのに、動き回り、トイレへ行った者がいる。灌頂時に会場を離れれば、その人の灌頂の功徳はなくなってしまう。法会の場を一秒離れれば、功徳は一秒分少なくなるのだ。特に密法では、法会中のあらゆる動作、思想の影響は非常に大きい。先ほどリンチェンドルジェ・リンポチェは三寶に対して恭敬心を持たなければならないといったばかりなのに、三寶に対して恭敬心を持たない者が大勢いる。これから修法を続けるが、席を離れてトイレへ行く者がいれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは叱責するだろう。トイレへ行く者は、それだけではなくあちらこちら見て回っている。散步しているつもりなのだろう?今後トイレへ行く者は、走って行くように。のんびり歩いて行ってはならない。ここは散步の場ではない。佛法を信じないならすぐ出て行くが良い。そなた達がのんびりしているなら、果報ものんびり訪れるだろう。行為の通りの果報が得られるのである。往生を前にした時になってようやく訪れるのであれば、それは残念なことであるが、それは自分が望んだ通りの果報であるのだ」。リンチェンドルジェ・リンポチェはさらに、少しの修法の後、場内を歩き回っている信衆を再び叱責なさった。「リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の言葉に責任を持つ。スタッフは、のんびり歩いている人を見つけたら、そのまま外に出てもらうように。ここではコンサートを開いているのでも、映画を見ているのでもない。気に入らないなら外に出ればよい。だれもそなたを責めることはないだろう。但し、入場料を払っていないのだから、出て行ってもよいが、返金を受けることはない。法会がつまらないと感じ、頻繁にトイレに立つようなら、そのまま出て行った方がよい。このような態度で法会の場に止まっていても、良いことは何もないだろう」。

リンチェンドルジェ・リンポチェは修法を進めた後、参会者に開示をくださった。「先ほどは、みなが済度させたいと願う亡者に、済度の前に密法の灌頂を授けた。その中には、そなた達の祖先も含まれるため、先ほど会場を離れていた人は祖先も含め灌頂を受けられなかっただろう。そなた達は今日法会に参加しているが、一人で来ているのではない。そなた達と関係がある衆生も一緒に来ているのだ。しかし、そなたがこの場を離れれば、彼らもそなたについて出て行くのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが乱暴なのでもなく、特に厳しいのでもない。こうしてもリンチェンドルジェ・リンポチェにとっては何も良いことはないのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの法会開催のため、法会前に多くの供養と準備作業を行わなければならず、二日間閉関しなければならない。つまりリンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に厳しくしたいのではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に利益しようとする心が、そなた達より切実で、すべての衆生が救いを得られるよう望んでいるだけなのだ。密法ではすべての動作には意義があり、すべてはそなた達に益のあるものである。衆生は急いでいる。そなた達が席を離れれば、今日そなた達が済度させたいと考える衆生は済度を得ることができないだろう」。

続いて、八供女の献唱、薈供、供茶の儀軌が行われ、リンチェンドルジェ・リンポチェは「供物を受け取ったら、少し食べてもよい」と開示なさり、供物がみなに行き渡るよう心を配られた。リンチェンドルジェ・リンポチェは「リンチェンドルジェ・リンポチェは情に無頓着なのではない。トイレへ行きたい人は今行くがよい」と仰せになり、たくさんの人がトイレへ走っていくのを見て、ユーモアたっぷりに「リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達より健康なようだ。66歲になるが、法座に何時間座っていてもトイレへ行く必要がない」とおっしゃった。リンチェンドルジェ・リンポチェはさらに修法を続けられ、供飯の儀軌を行った後、済度儀軌の修持を始められた。

済度の最中、リンチェンドルジェ・リンポチェは「立てる人はできるだけ立つように。立ち上がることは、亡者が壇城に三回頂礼をしたことを意味する」と参会者に起立するようご指示になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも、救いたい往生者の名を参会者に何度もいわせた。そして大きな声でいうようご指示になった。済度の進行時、リンチェンドルジェ・リンポチェは参会者を率いて祈請文を念誦なさり、心がこもった法音で無比なる慈悲と憐憫を表された。参会者は皆感動し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが辛い輪迴の中にいる亡者をお救いくださるよう心から祈った。済度儀軌の最中、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法時に発せられる法音は会場全体を揺るがし、人の心を震わせ、虛空中に木霊した。リンチェンドルジェ・リンポチェの広大無辺な慈悲のお力が、輪迴に堕ちているすべての有情衆生を呼び覚ましておられるようだった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは迴向儀軌を行うよう指示なさり、極めて慈悲深く、みなを率いて、チベット語と中国語で「求生極楽浄土祈請文」を念誦くださった。リンチェンドルジェ・リンポチェの壮厳な法音には慈悲があふれ、煩悩が充満する衆生の心を清め、聞いた者の心には自然と恭敬心、感恩心が湧き上がり、たくさんの参会者が知らず知らずの内に淚を流し、歓喜に包まれた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、苦しんでいる愚かで無知な衆生を哀れみ、祈請文を念誦なさる時には感極まって声を詰まらせ淚を流された。大修行者が無私無我で、自身の命をかけて弘法利生(仏の教えを世間に広め衆生に利益する)しようとする広大な願力に、参会者は深く感動し、さらに輪迴の中にいる自身に羞恥を感じた。

迴向儀軌の円満後、リンチェンドルジェ・リンポチェは「これからリンチェンドルジェ・リンポチェは法座を降りて会場を巡り、みなを甘露水で灑浄する。リンチェンドルジェ・リンポチェが灑浄する際、そなた達はそのまま着席していればよい。その後にはさらによい事があるので、灑浄後に急いで帰ってはならない」と開示くださった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは壇城を降りて電動車にお移りになり、八供女が先導する中、会場を巡り、甘露水に浸した吉祥草で、会場を埋め尽くす二万人余りの参加者に灑浄加持を行い、みなの身、口、意を清められた。リンチェンドルジェ・リンポチェの大攝受力の下、参会者は皆静かに腰掛け恭しく待っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェが灑浄時に手にされる吉祥草は、甘露水をいっぱいに吸っているためとても重い。リンチェンドルジェ・リンポチェは脊椎側湾症と右肩関節の疼痛というご自身の持病を一切顧ることなく、手中の吉祥草を絶えず振り、恭しく両手を合わせる参会者に甘露水を灑浄した。灑浄中も、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶えず持咒し参会者を加持くださり、参会者は大きな歓喜と感恩を感じることができた。

会場全体の参会者に20分間の灑浄を行った後、リンチェンドルジェ・リンポチェはひどく疲れておいでで、甘露水で衣服も濡れそぼっていたが、再び壇城に上られた。手にはすでに力が入らない状態だったため、リンチェンドルジェ・リンポチェはどうにか侍者弟子の腕にすがり、侍者弟子がマイクを持つ形で、参会者に貴重な佛法の開示をくだされた。

「先ほどそなた達はみな、甘露水を一瓶受け取っただろう。甘露水の瓶中には非常に貴重で有り難い甘露丸が一粒入っている。チベットでは、一般の信衆が甘露丸を得ることは極めて難しく、大功徳主でなければその福報を得ることはできない。甘露丸は佛経で説く『法薬』に相当するが、顕教には甘露丸がない。甘露丸はチベットの薬材で作ったもので、多くの大修行者の加持を経て、製造時には通常は、六字大明咒、ある種の金剛薩埵の咒語、さらに特別なものでは本尊の咒語などたくさんの咒語を念誦しなければならない。そのため、加持力が非常に強いのだ。

子供が精神的なショックを受け、夜間寝ないで泣いてばかりいるなら、甘露水を少し飲ませれば必ず効果があるだろう。しかし、シーフードや肉を食べており、身体に不快な症状があり下痢をしているなら、甘露水を飲んでも効果がないことは明白であり、それどころか症状が悪化するかもしれない。亡者が生前に佛を学んでいなくても、往生時に口中に甘露丸を一粒入れてやれば、五無間罪(五種の重罪)の他は、三悪道へ堕ちることを免れさせることができる。この甘露水がなくなりそうになったら、どこのブランドでもよいので、ミネラルウォーターを足せばよい。ミネラルウォーターを足す時になって、あのブランドが見つからないといって、リンチェンドルジェ・リンポチェに聞きになど来なくともよい。ミネラルウォーターならなんでもよいのだ。

チベットでは甘露丸を得るのは簡単ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは甘露丸についての秘密を開示しよう。今日はまだいわないが、知っている者は知っているだろうし、知らない者は知らないだろう。そうだからこそ、みなリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来るのだろう。甘露水を家へ持ち帰ったら、高い清浄な場所に置くこと。『長く置くと水が変質するのではないか』と心配する必要はない。リンチェンドルジェ・リンポチェが顕教を学んでいた時、毎日49回大悲咒を誦持した甘露水は今も壇城に置いてあるが、20数年間変質しておらず、水は今も透き通っている。甘露水が濁るのは、水の問題ではなく、甘露丸の問題でもなく、そなたの心の問題なのだ。そなたの心が濁ったので、甘露水の加持も離れてしまったのだ。先ほどリンチェンドルジェ・リンポチェは甘露水でみなを灑浄したが、喜んで受け入れた者もおれば、身体をずらして避けていた者もいる。実は、甘露水は誰の身体よりも清潔なのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、そなた達に不潔な物を持たせて、この壇城から離れさせたりは絶対にしない。

今日そなた達はこの法会に参加しているが、それは、すでに学佛の因縁を開いたことを意味している。リンチェンドルジェ・リンポチェは法会を通してみなを代表して佛菩薩を供養し、みなに代わり多くの供養を行い、多くの祈禱文を念じた。それは、そなた達のために道を整え、将来のために準備し、学佛の資糧を積んだということなのだ。今後は惜福の心を持ち、しっかり佛を学んで欲しい。リンチェンドルジェ・リンポチェは『リンチェンドルジェ・リンポチェについて学佛せよ』とはいわない。それどころか、寶吉祥佛法センターには来ないでもらいたい。寶吉祥佛法センターは小さな道場だ。リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する弟子はすでに1200名を超えており、今日のようにたくさんの人を受け入れることはできない。佛に対して信心が芽生え佛法を学びたいと思ったら、三寶に対して恭敬で、如法な道場なら、どこへ行ってもよいのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェについて学ばなくともよい。リンチェンドルジェ・リンポチェについて学べば、先ほどのように、会場を巡り参会者に灑浄するような程度まで行わなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェに従って学佛するのは非常に大変なのだ。先ほど『求生極楽浄土祈請文』を念誦した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは感動したり、或いは辛くて淚を流したのではない。佛菩薩が急いでおられるのに、どんなに言い聞かせても衆生は聞き入れず、従わない衆生がたくさんおり、衆生を済度させるのは本当に難しいと感じたため、気持ちが急いて淚が流れたのだ。

『地藏経』では虛空全体で最も済度させにくいのは地球の人類であるという。佛経では『地球人は頑固で言い聞かせにくい』という。学佛するなら肉を断つ。学佛人は絶対に肉を食してはならない。今日法会に参加しても、肉を断たないなら、今後リンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来てはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず叱責し追い出すだろう。今日の法会には四衆が集った。みな一緒に非常に大きな善事を成し遂げたのだ。その功徳が迴向され、台湾がよくなるよう、台湾が佛経でいう浄土となるよう願う。今回の法会には、インド、日本、米国等から信衆が参加している。彼らが帰国する際には、法会参加の福報、佛法との因縁も持ち帰れるよう願う。そして、彼らの国が佛法の救いを受けられるよう欲する。今日の参会者は佛法を発揚し、今日法会に参加した力を全世界に広げ、佛法が世界各地で弘揚するよう努める責任があるのだ」。

法会は円満に終了し、二万人余りの参会者は起立しリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しくお見送り申し上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは電動車に移られ会場を出る際に、手中の金剛杵を高く掲げられ、慈悲に満ちた眼差しを衆生に向けられ、口中では絶えず持咒し参会者を加持くださった。参会者は拍手でリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を表し、声を揃えて何度もリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を申し上げた。

チベットでは「阿彌陀佛大超度法」の修持には通常丸一日必要だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは不可思議な大禅定力で、わずか三時間余りで修法を円満になさり、ご自身が累積なさった広大な功徳で、集まったすべての衆生を済度させてくださったため、参会者はだれもが賛歎し深く感謝した。大法会は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大攝受力のおかげで秩序が保たれ極めて順調に進行し、喧騒や混乱は少しも感じられなかったため、参会者は皆今回の大法会の壮厳さと殊勝さを深く感じることができた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの行いは完全に教えに従い、名声を求めたりせず、尊勝なる直貢チェツァン法王と諸佛菩薩の加庇の下、ご自身の密法修行の大成就を以て無私に弘法なさり、衆生を済度された。これにより虛空中の無数の衆生が利益されたのである。

法会の後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参会者の供養金、755万元余りの全額を、衛生福利部社会及び家庭署秘書処の主任、弁護士、銀行代表の立会いの下、衛生福利部社会及び家庭署に慈善及び社会福祉に用いるよう寄付なさり、参会者に善縁を結んでくださった。2005年より今日まで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすでに9年連続で「チベット仏教直貢噶舉派阿彌陀佛無遮大超度法会」を主法なさっておられる。この9年間の延べ参加者数は15万人近くに上り、直貢噶舉派は台湾で広く知られることとなった。これにより、直貢噶舉の法脈は弘揚されただけでなく、直貢噶舉の法脈が永世流伝する因縁を充分にしたのだ。本法会は直貢噶舉派の殊勝なる盛事である。今後も、佛法は四海に広がり、無辺無際の広大な有情に遍く利益されることだろう。

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2013 年 12 月 31 日 更新