尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年7月7日

法会開始前に、一人の女性信徒が、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに、寶吉祥仏法センターで上師の一切の加持に対する感謝と、上師の多数の功徳を賞賛するチャンスを与えてくださったことに感謝した。

2008年5月31日、当時 彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して1年半だった。朝4時30分に、彼女が仕事に行く準備していた時、兄の寝姿を不思議に思い、それで兄が真夜中に突然他界した事に気付いた。この不測の事態に直面して、彼女はどうすれば良いのかまったく分からなかった。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェが、人生は無常であると開示されていたので、心中とても辛く思ったが、すぐ落ち着きを取り戻した。彼女は上の階のリンチェンドルジェ・リンポチェの法照と佛菩薩に頂礼し、甘露丸と甘露水を兄の口の中に入れた。彼女はお兄さんに話した。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが下さった甘露丸で、お兄さんはリンチェンドルジェ・リンポチェの大法会に参加したことがあるでしょう、リンチェンドルジェ・リンポチェの声と、顔かたちを必ず覚えておいてください。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの教えに基づいて、兄のために六字大明咒を唱え、午前の11時になるまで兄を動かさなかった。

兄は睡眠中に亡くなったので、頭の上に置いた両手は、硬くなって下に下ろすことができなかった。葬儀社の人が力を入れても動かせず、彼女に熱湯で関節を温めるようにアドバイスをした。彼女は兄の神識がまだ体から離れていない事を心配し、熱湯でシップすれば必ず苦痛を感じると思い、そうしなかった。そこで、急いで彼女は寶吉祥宝石店に行き、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼した。兄はリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めたことも無く、これと言った善行もしておらず、それに彼女自身もうまく実行しているとは言えなかったので、実際リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な済度を求める資格も無く、宝石店の兄弟子には何も言えなかった。

彼女が宝石店の頂礼が終わって家に帰ってから、朝、動かせなかった兄の硬い腕が、容易に体の両側に動かせるのを発見した。彼女は組長に兄が亡くなった事を報告すると、すぐ父親を連れてもう一度宝石店に行き、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼し、宝石店の兄弟子に兄の事を伝えるようにと、組長は言った。彼女が父親を連れて出かけようとした時、兄の体の死斑の面積がだんだん広がり、顔色も濃い灰色になり、両手も深紫色になった。宝石店に着いてから、彼女は宝石店の兄弟子に兄の事を説明し、父親と一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼した。父親はその時、既に67歳になっていたが、皈依したことも無く、どのように頂礼すれば良いかも分からなかったが、真剣に誠意を込めて跪きリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼し、そして立ち上がり、何回も繰り返し、最愛の息子のために大修行者の助けを祈求し、それを一時間続けて、やっと納得して帰宅した。

彼女と父親が一緒に家に戻ったとき、兄の顔が生前の白く透き通ったバラ色の顔に戻っているだけでなく、腕の斑点さえもかなり少なくなっていた。これらの瑞相は、彼女を大変感動させた。父親のリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に対する頂礼だけで、このような殊勝な加持を得られたのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲がなければ、これらの瑞相は不可能で、彼女は一つ一つ父親に説明して見せた。その晩の10時ごろ、彼女は組長の電話で、リンチェンドルジェ・リンポチェが兄の事を知り、父親の恭敬な頂礼により、兄の神識が三惡道に落ちないよう保護すると開示された事を知った。彼女は兄の体、四肢、顔を触ると、氷のように冷かったが、ただ頭頂の梵穴だけが温かく、まるで体温のようで、当時兄が亡くなって20時間経っていたのにである。兄は既にリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得られたと、彼女はすぐ父親に伝え、父親に兄の頭頂を触らせた。家族全員リンチェンドルジェ・リンポチェに大変感激した。彼女はまた兄の耳元で、リンチェンドルジェ・リンポチェの声と顔かたちを必ず覚えておくように、リンチェンドルジェ・リンポチェが助けてくださるから、安心するようにと囁くと、兄の少し開いていた目が、この時完全に閉じた。

父は素食にすること、兄の葬儀を仏教の儀式で処理する事に同意しただけではなく、自ら進んで言った:「いまから家は全部素食にする。」数日後、やっとリンチェンドルジェ・リンポチェが信者と接見することになり、彼女は父を連れて面会を求めた。父親は感謝の気持ちで、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは受け取られなかった。供養の気持ちは、リンチェンドルジェ・リンポチェがもう既に受け取ったので、お金は政府に寄付して、兄の福報を蓄積させるように、とだけ父親に言われた。彼女と父親は慈悲深いリンチェンドルジェ・リンポチェに大変感謝した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、兄の福報が足りない事を心配し、上師に供養するお金を寄付させ、恨みも悔いも持たず支援され、見返りを求めず、このような恩徳に彼らは報いる事ができなかった。

兄の遺体を火葬後、頭蓋骨の梵穴の位置に非常に滑らかで、きちんとした丸い穴が現れ、まるで研磨したようだった。これは亡くなった人が済度を受けた兆候だ、とリンチェンドルジェ・リンポチェが開示したことがあった。彼女は両手で兄の頭蓋骨を持ち上げ、詳細に観察していた時、どんな風に言い表せば良いのか、ある種の感動と安心感がわき、泣きはしないで、かえって兄が良いところに行けて嬉しかった。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの済度が得られた瑞相だと、彼女は父親と家族に話した。リンチェンドルジェ・リンポチェに助けを受けた衆生は、皆同じ瑞相があり、すべて梵穴に丸い穴が現れた。

彼女の父親は絶えず催促して、兄のお金をできるだけ早く整理し、それをリンチェンドルジェ・リンポチェに供養したがった。リンチェンドルジェ・リンポチェが、兄に代わり父親がした供養を慈悲深く受け取られた時、父親はようやく安心したのだった。

彼女は3年前、母親の葬儀を処理する時の事を思い出した。母親にとってこうするば良い、ああすれば良いと人に言われただけで、すべてを受け入れたが、それは少しも役に立たず、母親が苦しんでいるのを夢に見て、心中とても苦しく、どうすれば良いか分からなかった。つまりリンチェンドルジェ・リンポチェの開示された「皈依をしなければ、頼りとするものが無い」と同じであり、「法のごとく仏経を唱えなければ、唇の皮が破れるほど唱えたとしても役に立たない」。リンチェンドルジェ・リンポチェに接見し、リンチェンドルジェ・リンポチェに就いて仏法を学ぶ後、ようやくすべての考え方が変わった。今回の兄のことで、彼女はとても悲しく思い、あきらめきれず、自分を責め、遺憾に思ったが、苦痛だとはまったく思わなかった。これは違った対比ではあるが、しみじみと現在の自分がどんなに幸せであるか、更には上師が我々に仏経を学ぶ善根を植えてくださった事を大切にしなければいけないと深く感じさせてくれた。

それから彼女は、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の父親を助けてくださった事跡を話した。彼女の父親は2008年3月、4月に嘔吐が続き、病院で検査したが、当時医師は、おそらく炎症だと言った。しかし、しばらく治療してみたが、効果は余り良くなかった。5月に長男が亡くなったので、父親はリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼と供養するチャンスがあり、また道場にも仏教の学びにも熱心な縁で、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持も得られた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、父親の胃は潰瘍であり、ガンではないと開示された。上師がご慈悲で父親に法会参加を許可された後、父親の不快な症状はすべて跡形も無く消えて、胃はまるで病気をしたことがないような感じだった。法会に参加してから1年後、父親にお金を回収する機会があり、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養する事に決めた。上師は、もし父親が仏教を学ばなければ、この供養はすべて返すと開示した。リンチェンドルジェ・リンポチェは父親の供養を納めてくださり、父親に仏教を学ぶ資糧を蓄積させてくださったことに感謝した。そのおかげで父親は福報を得て2ヵ月後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。

2009年11月、彼の父親の胃は不快な症状が始まり、嘔吐ひどく、約3日続き、その3日後、少し良くなった。このような状態を繰り返し、二年以上続き、それがだんだんひどくなり、8日間嘔吐が続き、2日間良くなる状態で、父親はほとんど起き上がれなくなった。1階から2階の部屋に戻るまで、ごく短い15段の階段も、父親は15回休まなければならず、毎回1~2分休んでやっと1段上がれた。彼女は、そばで父親の震える体をしっかり支える以外、何の力にもなれなかった。父親は何も食べられず、35キロ足らずまで痩せてしまった。それに法会に参加すること、寶吉祥骨董店に法会識別証を取りに行くこと、漢方診療所に薬を取りに行く以外、父親はずっと寝たっきりになってしまった。夏でも、厚い服で、厚い布団をかけても、全身は氷のように冷たく、虚弱な体は自分で支えられなかった。父親が病苦でうけた一切の苦難も、上師リンチェンドルジェ・リンポチェと仏法に対して、彼らは全く懐疑することも無く、父親も法会に参加したくないと言う考えも無かった。かえって自分の病気でもうろうとし過ぎて、法会の時間をミスするのが心配で、早々と準備を済ませ、法会参加で道場に行くのに、客間で彼女が車で迎えに来くるのを待っていた。

内視鏡検査で、父親の胃の下半部に深くて大きな傷口がみつかり、まだ穴は開いていないが、すでに黒くなっていた。組織は非常に堅くて、細胞検査するのはほとんど不可能だった。胃の上半部、十二指腸は全部潰瘍で、当時検査をした医師はガンだと思い、吐血していないかどうか、吐血がひどくないか彼女に質問した。彼女はまだ吐血していないが、ただ胃酸、飲み水、漢方薬や食べ物を吐き出していると答えた。その医者は驚いて直接言った。「そんな事があるだろうか?不可能だ!」そしてまた:「こんな状況なら、胃を全摘するはずだ。」それから生検を行った後、細胞の変化はあるが、ガンではないと医者は言った。医師が内視鏡、生検等から得られた結果は、リンチェンドルジェ・リンポチェが一年前父親にした開示と完全に一致すると証明され、微塵の差も無かった。父親は、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び寶吉祥漢方医の調養で、胃の具合は日々に好転し、体重も日ごとに回復し、気色も赤みがさしてきた。去年(2012年)には、父親の胃の傷跡は何の手術もしなくても、硬い塊は全部変化してほとんど滑らかになり、組織細胞もガン化せず、体重も60キロまで回復した。これらすべて上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のおかげである。

父親のこの病気は債務を返したのだと、彼女は感動し、懺悔して言った。過去農業を営んでいた父親は、自己の利益のため、農薬を撒き、衆生を傷つけ、衆生は中毒で傷害を負い、ひどい場合は死に至った。それで父親は中毒のような現象が続いたのだ。

2010年9月2日午後4時、父親は およそ1階の高さの梯子から落ち、左手の腕と肩全体が腫れあがったが、他の傷は無かった。父はずっとたいしたことはないと思っていた。彼女は、念のため父親を連れて病院で検したところ、線状に骨折し、断片状にはならず、位置のずれも無く、筋肉まで傷ついていなかった。医師の話では、手術して固定すれば、約2~3ヶ月で完全に治癒し;手術しない場合、3~4ヶ月で良くなるとのことだった。70歳以上の父親がこんなに高いところから落ちて、こんなに軽い状態ですみ、本当に不可思議な事である。それに父親が彼女に話したのは、彼が落ちた時、自分が支えられて、ゆっくり地面に落ちていく感じがしたそうだ。上師リンチェンドルジェ・リンポチェが絶えず加持してくださったおかげで、父親の重い報いが軽くてすみ、彼女は大変感謝した。父親は手術をせず、寶吉祥漢方診療所の薬を飲み、朝晩寶圓膏を塗ってマッサージしただけで、一ヶ月あまりでリハビリを始められるまでに回復し、くっついている部分をのばした。70歳以上の老人が、回復がこんなに早く、こんなにうまく回復したのには、西洋医にはまったく信じられないことだった。

彼女は、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝する以外に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された因果は真実で偽りではない事を更に認識したのである。農家の生活は争いが無いように見えるが、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示のように、仕事を始めれば、随時衆生を傷つけ、その上驚くほどの数である。更に取り上げる事も無いが、毎日食べたり、殺したり、更には養豚を営んでた事があり、衆生を利用してお金を稼ぎ、殺行は計り知れず、それでこの傷で返済できたのだから、別にたいした事はないのだ。彼女は上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、父親に債務返済の機会と、父親の重い報いを軽くし、債務の返済と福報を蓄積する機会をくださったことに、大変感謝した。

彼女が特に感謝したのは、今年(2013 )2月、父親はようやくチャンスに恵まれ、上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて、インドのヂャンチュウブリンに行き、殊勝な長寿法会に参加し、尊勝な直貢チェツァン法王の殊勝な加持を得られ、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェと一緒に食事をする機会があったことである。今回は父親の初めての海外で、以前彼女は、毎回父親に上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて国外の法会団に参加する事を勧めていたが、父親は自分は何も分からず、他人に迷惑をかけるのを嫌がったのだ。思いもよらず、今回父親はためらうことなく、一言でOKした。70歳以上の年寄りが、各方面で適応するだけでなく、団体のペースに合わせる事ができ、これらすべて上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と加護のおかげである。そうでなければ、父親はこのような殊勝な法会に参加する福報の縁があるはずが無い。彼女は、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩恵に感謝した。

それから彼女は、尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェに助けられた経過を話した。皈依する前、彼女は、約3メートルの高い所から落ち、第5腰椎の圧迫骨折で、体を支えバランスを取る機能が失われ、医者は3ヶ月間安静にするように勧めた。この時から軟性コルセットを4年余り使用していた。信者の身分で参加した尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法会では、彼女は法会が終るまで座っている事もできず、毎回座っているのが低すぎて、骨格全体に影響し激痛を感じ、長時間背もたれがないと、支える能力を失った脊髄が更に軟弱になり、体全体が麻痺してクッションから立ち上がれなくなった。しかし、このような状態で間法会に参加して3ヶ月、上師の殊勝な仏法の開示を聞いた後、腰椎を支えられない問題点が、知らず知らずのうちに好転していて、軟性コルセットをつけなくても、道場のクッションの上でも麻痺する事がなくなった事に、彼女は突然気が付いた。

2011年9月4日法会が終了後、彼女は裏庭で物を取っている時、再び高いところから落ちて、頭を石にぶつけ、一瞬意識を失い、意識を取り戻したとき、目の前には、上師リンチェンドルジェ・リンポチェとアキ祖母の法相があった。真っ暗な空中に、明るくはっきりと見え、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法音で「意外だと思うことは何も無く、我々の身の上に発生する意外なことは、すべて業力の現れである。」と開示しているのが聞こえた。彼女は、このことは上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示した果報だと、すぐさま気が付き、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが債務を返済するチャンスを与えてくださった事に感謝した。

このことがあってから3~4日後、、彼女のめまいや頭痛が消えて、ただ腰と尾椎は、力が入らず、しゃがむこともできなかったのが不快なだけであった。いつも家で朝晩の勉強のとき、座ることができず、膝まづくだけだった。しかし、毎回道場の法会に参加するとき、数時間しか座る事ができなかったが、やはり上師の加持で、ほとんどの動作ができない彼女が、以外にも大礼拝を続けてできたのである。

ケガをしてから10日も経たないある朝、自転車に乗って動き始めた時、突然現れたオートバイにぶつかり、その瞬間、痛くて頭皮がしびれて、オートバイの下から力を出して這い上がることなど全くできなかった。その後外傷科医師の検査で、初めてこの転倒が実に深刻で、頸椎から尾椎まで、すべての脊椎を調整する必要があり、骨盤と膝部分でさえも歪んでずれていて、特に胸椎の部分がひどかった。医者が骨格の位置がずれているかどうか軽く触った時、彼女は痛みのため叫んでしまい、医師でさえも驚いた。だが、彼女はもともと何の不快な感覚も無く、自分の傷やこの部分に全く気が付かなかった。転んだ傷がこんなにも重症で、もしリンチェンドルジェ・リンポチェの加持が無ければ、誰の支えも無く一人で病院に行けただろうか?

前回の転倒の傷に比べ、彼女が今回感じた痛みは大変軽く、時間もとても短く、すぐに回復した。上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力は真に不可思議であり、彼女は上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。最後に、彼女は再度尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェが、弟子達が充分な修行の時間がない切実な問題を心配しているのを更に感じた。しかし、彼女は過去に自己コントロールできないばかりか、自分を改善せず、道場のこと、リンチェンドルジェ・リンポチェのことでさえ、あまり関心を寄せなかったが、それに対してリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深さには、弟子としての彼女は立つ瀬が無かった。それで彼女は、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝する以外に、更に自己反省し、弟子として義務を果たし、自己の悪い習気を徹底的に改正し、リンチェンドルジェ・リンポチェの苦労した教えに報い、リンチェンドルジェ・リンポチェに迷惑をかけないように、リンチェンドルジェ・リンポチェの時間を無駄にしないようにしなければいけない。それに彼女は、衆生がとても切迫して仏法の助けを必要としていること、更に多くの何の頼るところも無い衆生が、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを必要としており、弟子としての彼女が努力することで、リンチェンドルジェ・リンポチェが何の憂いも無く、あの苦しんでいる衆生を、専念して助けることができると、今更に感じたのである。

願わくは、彼女はすべての衆生と一緒に努力し、今生で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏を学ぶ機会があった事を大切に思い、これを逃せば後は無く、どんなチャンスも永遠に変わらないはずが無いからである。彼女は上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが、法輪を常に転じて、仏法が永遠に世に常住し、一切の衆生が仏法を学ぶことができ、解脱できるように祈願し、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の事業がますます盛んになり、一切の有情に利益し、直貢噶舉の法脈が永遠に流傳する事を祈願した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、ヌバ・リンポチェ(Nuba Rinpoche)、ラシャン・リンポチェ(Rasbsang Rinpoche)と5名のラマ僧を台北寶吉祥仏法センターに招請し、法樂の先導の下、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは特別、自ら寶吉祥佛法中心の大門で二名のリンポチェを出迎えられた。尊きヌバ・リンポチェと尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がられ、会場の大眾に珍貴な仏法の開示を授与され、大眾を指揮されて上師供養法を共に修められ、六字大明咒を唱えられた。

まず尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示は:今日は、台北寶吉祥仏法センターの大福報により、ヌバ・リンポチェをここまで招請し、皆と法縁を結ぶことができた。ヌバ・リンポチェは大変修行をされた方で、崇高な果位のリンポチェである。ヌバ・リンポチェは、リンチェンドルジェ・リンポチェより年配の方だが、中国語はリンチェンドルジェ・リンポチェより標準である。リンチェンドルジェ・リンポチェが、ヌバ・リンポチェに初めて対面したのは1997年で、2007年リンチェンドルジェ・リンポチェが、尊勝な直貢チェツァン法王の指示を受け、ネパールのラキ雪山で閉閑修行時、ヌバ・リンポチェもリンチェンドルジェ・リンポチェに多く援助された。もし当時、閉閑修行の地で、ヌバ・リンポチェの手助けが無ければ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、あの地での閉閑修行は大変困難であった。それは、ラキはとても辺鄙なところで、地元の生活条件は皆さんが想像できないほどだからだ。ラキ雪山はミラレパ尊者が修行した聖地であり、それでヌバ・リンポチェはこの聖地を自己修行の根拠地とされていた。今回、ヌバ・リンポチェの来台のスケジュールは大変多忙を極め、多くのセンターがヌバ・リンポチェの講法を要請し、顕教でも多くのセンターが、ヌバ・リンポチェに弘法を要請していた。今日、台北寶吉祥仏法センターが、転生のリンポチェに来臨頂き、加持をしていただけたのは、とても容易なことではないのである。

一方、今日寶吉祥仏法センターは、ラシャン・リンポチェも招請した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、ラシャン・リンポチェが長い間直貢チェツァン法王の傍にいて、大変真面目な修行者で、あまり話もせず、黙々と物事をこなし、傲慢な感じを人に与えた事が無いのを見ていた。リンポチェが示して見せてくださるのは、すべて修行者としてのあるべき態度で、修行者は簡単に修行を達成できるのではなく、修行に一生懸命精進してようやく達成できるのである。今日招請したお二方のリンポチェの修行上の風範は、皆が勉強する価値がある。ヌバ・リンポチェは既に70歳以上で、直貢チェツァン法王より年上だが、ヌバ・リンポチェが直貢チェツァン法王に対して非常に恭敬であるのを、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に見ている。ヌバ・リンポチェは、直貢チェツァン法王に出会った際は毎回、どんな場所においても、公共の場でも、直貢チェツァン法王に大礼拜を行う。リンポチェの行為と動作は、すべて衆生と教派のためである。その他に、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ここでも直貢噶舉のラマ僧を歓迎された。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分が既に長く話したので、続いて尊きヌバ・リンポチェに、皆のために開示してくださるようお招きすると述べられた。

尊きヌバ・リンポチェの開示:今日寶吉祥仏法センターに来て大変嬉しく思う。ネパールでは、リンチェンドルジェ・リンポチェに多くの護持を被り、仁欽林寺の開光式典を円満に終えることができた。寺の中には、勝樂金剛界の秘密の壇城があり、尊きバチョン・リンポチェ(Pachung Rinpoche)の8月27日生誕記念日を記念して、毎年記念法会が挙行され、シンガポール、台湾等の直貢噶舉センターでも多くの記念法会が挙行される。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは可能な限りに努力を惜しまず護持され、ヌバ・リンポチェ及び寺院に非常にたくさん援助され、ヌバ・リンポチェは代表して、リンチェンドルジェ・リンポチェ及び台北寶吉祥仏法センターに感謝を申し上げる。

直貢噶舉の伝承は、ティローパからナローパ、ミラレパ、などの上師がずっとジッテン・サムゴンに至るまでで、一人のリンポチェが成就するには、伝承祖師の加持を得る必要がある。今日皆を率いて上師瑜伽を共修し、六字大明咒を唱える。修行者が成就するためには、確固とした上師の信仰と、ナローパがティローパに対するような充分な恭敬心を備える必要が有る。ヌバ・リンポチェとリンチェンドルジェ・リンポチェは、常に連絡しているわけではなく、ほとんど連絡していないが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に対して常に恭敬し信仰していて、私自身感服するが、それで伝承祖師の加持を得られ、このように成就できたのである。そこで、今日は皆を率いて上師瑜伽を共修する。そうすれば、伝承祖師の加持の下、非常に多くの利益を得ることができる。

ヌバ・リンポチェが述べられた。修法後、皆を先導して六字大明咒を一緒に唱える。以前ある縁で、ドラブ・ワン・リンポチェ(Drubwang Rinpoche)と一緒に寶吉祥仏法センターに来た事があるが、その時の道場は、比較的小さな場所で、ドラブ・ワン・リンポチェは皆を先導して六字大明咒を唱えた。六字大明咒は非常に重要なので、ドラブ・ワン・リンポチェは六字大明咒を多く唱えるようにずっと奨励していた。この縁により、今日ヌバ・リンポチェは再度 寶吉祥仏法センター来て、また皆を率いて六字大明咒を唱える事ができた。あなたがたは、普段尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが与えた開示を非常に何回も良く聞いているので、今日ヌバ・リンポチェは、ただ皆を率いて上師瑜伽を共修し、六字大明咒を唱えるだけだが、皆と諸佛菩薩と上師を結縁させるのである。皆は上師の話を良く聞き、上師に対して確固たる恭敬信仰を持ち、上師は三世諸佛の総集なので、弟子が上師を仏と同じようにみなせば、最大の利益を得ることができる。

その後、尊きヌバ・リンポチェ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェとラシャン・リンポチェが会場の大衆を率いて、上師供養法を修され、六字大明咒を唱えられた。

修法が円満に終了後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された。:今日ヌバ・リンポチェが寶吉祥仏法センターで修法されて、大変な功徳がある。ここで皆は、尊きヌバ・リンポチェに感謝し、ラシャン・リンポチェに感謝し、そしてすべての直貢噶舉のラマ僧に感謝すべきである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、続いて開示した。今日は寶吉祥仏法センターには大福報があり、転生のヌバ・リンポチェを招請し、皆を先導し修法できた。皆はヌバ・リンポチェを悲しませないよう、以後必ず仏法に精進して修行すると上師と佛菩薩に誓い、仏法の教えの如く実行すれば、今日ヌバ・リンポチェが皆を率いて修法した功徳に報いる事になる。

その後、ヌバ・リンポチェが開示された。:尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは普段から、既に皆にたくさんの開示をしているので、多く話す必要は無いのである。ヌバ・リンポチェは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの招請に対して感謝を表し、「寶吉祥」は直貢噶舉祖師ジッテン・サムゴンの聖号で、今日寶吉祥仏法センターに来られて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと皆を率いこの殊勝な法会に参与でき、薈供儀軌を進行でき、このような機会に恵まれ、ヌバ・リンポチェは非常に光栄に感じると繰り返し謙虚に述べられた。今日寶吉祥仏法センターに来て、こんなに多くの人たちと一緒に六字大明咒を唱え、思い起こせばあの年、ドラブ・ワン・リンポチェと一緒に来た際も皆を率いて六字大明咒を修持した。ドラブ・ワン・リンポチェは、常に六字大明咒を推進しているが、今日も皆に常々六字大明咒を唱えるよう奨励する。

皆は末法の時代に生まれ、たくさんの煩悩心があり、たくさんの仕事があり、競争社会の中で、仕事上のことで悩まされ、充分な時間もない。六字大明咒は皆が最も精通していて、覚えやすく、比較的皆と契合する。もし仏道の修行に専念でき、仏と相応する法門があれば、衆生にとって最大の利益となる。そこで、どんなところでも、皆が一緒に六字大明咒を唱える事を奨励する。皆が一緒に発揚し、六字大明咒を歩く時も座っている時も、何時でもどこでも唱えることができれば、我々の慈悲心を増加できる。修行で最も重要な事は慈悲心であり、慈悲心の前提の下に、菩提心がある。;菩提心があればこそ、仏の果位に到達できる。この因を植えてこそ、この果がある。そこで、必ず慈悲心ですべての衆生を愛護する事が、非常に重要なのである。

皆は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの教えの下、仏法を学び、既に上師の教えがあるので、皆に特に話すことは無い。あなたがたは、このような素晴らしい道場で、上師の話を良く聞くべきで、師弟間で親しく調和すれば、成就できる。尊きヌバ・リンポチェは、今日寶吉祥仏法センターで修法でき、非常に光栄に感じ、並びに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの功労で今日の殊勝で円満な法会があり、感謝すると共に、最後に皆さんの健康と、円満で順調であるよう祝福する、と述べられた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された。:今日 本来公表するつもりは無かったが、ヌバ・リンポチェがずっと皆に六字大明咒を唱えるよう注意を促されている上、リンチェンドルジェ・リンポチェとドラブ・ワン・リンポチェとの縁も深い。リンチェンドルジェ・リンポチェが毎回インドで閉関修行に入る前、毎回ドラブ・ワン・リンポチェの加持を得ている。ドラブ・ワン・リンポチェは、直貢梯寺が毎年45日ラマ僧により24時間続けて六字大明咒を唱える伝統を復活するように、リンチェンドルジェ・リンポチェに言い渡され、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に開始されて数年になる。ドラブ・ワン・リンポチェは生前六字大明咒を発揚させられ、最近一部他の直貢センターでも六字大明咒を一億万遍唱える活動を始めていて、以前リンチェンドルジェ・リンポチェにすでにこの考えが有り、高雄の呉会長が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにこの事に参与を招請し、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に承諾していたが、縁が成熟してこそ進行する機会があるのである。

今日、尊きヌバ・リンポチェが、皆を導かれて上師供養法を修められ、伝承上師の加持を得られ、そしてラシャン・リンポチェもあなた方を率いて六字大明咒を唱えたのは、良い縁起であり、あなたがたが六字大明咒を唱える過程で障害が無いようにさせる。因縁が具足した上で、寶吉祥仏法センターなどの手配が整えば、特定の時間に、全寶吉祥仏法センターの弟子達が同時に六字大明咒を、続けて一億万回唱える。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモラスに開示された:各々が一億万回唱えるのではなく、すべての弟子達が合わせて一億万回唱えるのである。今日は尊きヌバ・リンポチェとラシャン・リンポチェに皆を率いて修法して頂き、皆がこのような殊勝な法会に参与できる機会があり、このすべての功徳を伝承の諸上師、尊勝な直貢チェツァン法王、ドラブ・ワン・リンポチェ及びヌバ・リンポチェ、ラシャン・リンポチェさらには今日共同で法会に参与されたラマ僧、信者及び六道の一切の有情衆生に回向すべきである。参加者が満場一致して拍手を送り、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、弟子達に今日の盛会に参加する機会を与えてくださった事に感謝した。

法会が円満に終了し、会場の信者は起立して、尊きヌバ・リンポチェ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及びラシャン・リンポチェが法座を下りられるのを恭送し、尊きヌバ・リンポチェ、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な修法と開示に、声をそろえて感謝を述べた。尊きヌバ・リンポチェ、ラシャン・リンポチェとラマ僧が会場を離れられる時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは非常に重視し、自ら尊きヌバ・リンポチェ、ラシャン・リンポチェを寶吉祥仏法センターの門まで送られ、寶吉祥仏教交流協会理事長に行者を護送するよう、くれぐれも良い含められた。

法会が進行中、天候は非常に不安定で、大雨が降り、稲光がし、雷がゴロゴロとどろいていたが、法会が円満に終了後、暗闇が一掃され、広大な明るい空が現れ、これは非常に不可思議な瑞相であり、参加者は皆今日の法会の殊勝な功徳を充分に賞賛し、無数の有情が恩恵を受けられようにと願った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは常に弟子達に善の因縁をつくられ、弟子達に直貢噶舉の大修行者と結縁の機会を与えてくださり、弟子達が仏を学ぶ善縁、福報、功徳を蓄積する援助をされた。上師は一切の諸仏の総集であり、一切の成就の根本である。上師の加持と教えが無ければ、弟子は修行の道において、いかなる成就もありえない。尊きヌバ・リンポチェは、今日、上師の重要性を繰り返し強調され、寶吉祥の弟子が教えに従って行動し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の教えを聞いて修行し、弟子達は心から感謝し、更に修行に精進する事を誓うのが、上師と諸佛菩薩の無尽の恩徳に報いることになると熱心に繰り返し言い含められた。

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2013 年 12 月 01 日 更新