尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年6月16日

法会が始まる前に、ある弟子が、リンチェンドルジェ・リンポチェとの謁見及び皈依の経過、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な仏法によって救われた事を分かち合う機会を与えて下さった尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べ、並びに、過去になした罪業について懺悔した。

彼女が初めて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めたのは、2009年7月中旬であった。その当時、長年連絡を取っていなかった後輩に会った。後輩は、彼女及び多くの苦しむ衆生を助けた尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを非常に褒め称えた。数ヶ月前、彼女はバイクに乗っていて事故に遭い、尾椎を怪我していた。漢方及び西洋医学の治療を数ヶ月続けていたが、身体の状況には顕著な改善はみられなかった。また、息子の教育と仕事上の問題で悩んでいた。当日の午後、後輩は台北市逸仙路の宝石店に行き、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めようと彼女を誘った。

宝石店に入った後、彼女は信者に謁見している尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが見えた。事故で怪我をしていた彼女は長く立っていられなかったので、並んで謁見を待っている過程で気分が悪くなるのを感じた。その後、息子とほぼ同じ年齢ぐらいの車椅子に乗った男の子が、車椅子を押されて先に並び、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めるのを見た。男の子の足は切断されていた。彼女はこの男の子の状況を見た時、涙が目から溢れそうになった。本当に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが常に説かれる通り、私達には苦しみが実に足りない。私達よりももっと苦しんでいる衆生がまだいるのだ。この男の子を見た時、自分が事故で怪我をした事、息子が真面目に勉強せずにゲームで遊んでばかりいる事、旦那に仕事がない事、子供を受け止めていないと父兄に誤解された事等、苦しいと感じる彼女のこれらの事は、この男の子が受ける苦しみと比較すると、取るに足らないほど微々たるものである事がはっきりした。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する番が回ってきた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「どうしたのか」と尋ねられた。彼女は答えた。「数ヶ月前に事故で怪我をし、数ヶ月も治療しているが未だ改善がみられない。」リンチェンドルジェ・リンポチェは「あなたが漢方を信じているのなら、漢方治療をすればよい。」また、「菜食をしているか?」と尋ねられた。彼女は「数年、朝の菜食はしている」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「慈悲は、朝、昼、夜に分けられるのか?」その時、彼女はポカンとして答えられなかった。その後、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学んだ後に、なぜリンチェンドルジェ・リンポチェが、再三再四、懇切且つ厳格に皆に菜食するよう教え導くのかを理解した。元来、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する前、衆生との悪縁を断ち切るため、慈悲心を育てるためという菜食の意図を全く知らなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する以前の菜食は、目的を理解していない菜食であった。

続いて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女は地藏菩薩の関係でリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来たと話され、彼女に《地蔵経》を読誦しているかどうかと尋ねられた。彼女は、舅が他界してから《地蔵経》を誦経していて、事務所には地蔵菩薩の像を安置し供養していると答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、菜食できるようになってから、また来るようにと言われた。彼女は、家に帰り、その日から菜食を始め、今迄ずっと続けている。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲心、加持力、偉大な摂受力に心から感謝した。

二度目に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めたのは、ほぼ四ヶ月後の事であった。2009年11月、後輩は彼女の状況を気遣い電話をかけてきて、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め、法会の参加と皈依をお願いしないかと聞いた。彼女はその時、苦しみから逃れたい気持ちが非常に強く、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求めたいと思っていた。だから、彼女は、謁見前の数日間、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の願いを聞き入れてくれるようにと、心の中で一心に誠意を込めて祈っていた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェとの二度目の謁見場所は民権西路の寶吉祥仏法センターであった。その時、彼女は、道場の待合エリアに座って、リンチェンドルジェ・リンポチェの説かれる仏法を沢山聴いた。他人に対しての説法であったが、なぜ涙が溢れて止まらないのだろう?特に、「仏法を学ぶ事が親孝行の最善方法だ」という言葉を聞いた時、顔中涙でぐしゃぐしゃになった。学問がなく、肉体労働をし、苦労してお金を稼いで子供達を育てた両親。彼女はどうやって両親の養育の恩に報いたらよいのか、本当に分からなかった。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは「仏法を学ぶ事が親孝行の最善方法だ」と説かれた。彼女は歓喜に満ちて讃嘆した。仏法を学ぶ事は、個人を苦しみから離れさせるだけでなく、親孝行でもあったのだ!彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの貴重で殊勝な説法と、その日、皈依と法会への参加を望む彼女の願いを慈悲深く許して戴けたことに感謝した。2010年1月31日、彼女はついに、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依を果たし門弟となった。皈依後の3年余りの間に彼女の身に起きた三つの事から、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子に対する加持、庇護、救いを理解した。

一つ目の出来事:彼女は皈依後の2011年3月26日にまた事故に遭った。今回の事故で彼女は左足の小趾を骨折し、さらに酷い事に、今回の事故の記憶が全くなかった。このような状況のもと、彼女は示談で和解し事故を処理するしかなかった。怪我をして、自分の医療費とオートバイの修理費を負担するのは、本当に少し悲惨だった。一般の世俗的な目から見れば、彼女は一年以内に二度も事故を起こしていて、実に順調ではなかったので、学校の同僚は心配して廟に参拝に行ってはどうかと言った。だが、皈依後の彼女はその様に思わなかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て説法されていたからだった。「仏法を学ぶのは平穏無事、家族の安泰、財産を求めるためではない。因果を深く信じ、常に死の無常を思い、縁に随って過ごし、どんな境遇に出遭っても心を落ち着けなければならない。」これらの数々の説法によって、彼女は自分の業の重い事を知り、これは因果業力の現れだという事を知り、衆生に借りた債務を返済したのだと知った。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に、衆生からの債務を返済できる時には即刻返済するように、債務を返済しないで未来の生死輪迴の解脱に影響を及ぼさないようにと説かれる。彼女は自分で知っていた。もしリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の加持と庇護がなければ彼女は転重軽受できなかった。小指の骨折とお金を使って災難を取り除いただけではなかったであろう。この二度の事故で彼女は深く死の無常を感じ取った。元々、死は彼女のこんなにも近い所にあった。奇妙な事に、彼女の左足の骨折した小指は、歩くのに不便であったものの、痛みはなかった。彼女は、これは全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と世話によるものだと理解していた。彼女は、今回の怪我を寶吉祥中医診所(漢方病院)で治療していたが、医師は二度の事故の怪我を一緒に治療し、一回の治療の過程で大きな改善が見られた。最高の漢方材を用い、全ての衆生は最高の医療によって助けられ、身体の病気の痛みを取り除くことができた。

二つ目の出来事:彼女は皈依後に、海外法会団への参加、及びチベット等の地への訪問の素晴らしさについて多くの兄弟子達が分かち合うのを聞き、彼女も参加したいと思っていた。元々は、2011年の夏休みにチベットの旅に参加することを計画していたが、その時、旅費が高いと感じ、申し込まなかった。彼女は、このような恭敬心のない考えをここで懺悔する。このような考えが起きた後、2011年7月から今年(2013年)の一年余り、ほとんど毎月、彼女はとても苦労してお金をあちらこちらから集め、家庭で必要な全ての支出を工面した。彼女は、常日頃、仏法の教えで導いて下さる尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝し、これは上師に対する信心の不足と自己の福徳の不足のためで、受け入れなければならない因果業力であることを理解した。もしリンチェンドルジェ・リンポチェが説法を続けて下さらなかったなら、彼女はとっくに、経済的なストレスに耐えられず、仕事を探さない旦那と離婚していたことだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは、常に弟子達に説かれる。この旦那は自分で探したのだ。良し悪しは自分で受け入れなければならない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこうも説かれた。今世でお金があるかないかは全て、過去世に供養、布施をしたかに関係がある。この一年余り、彼女はとても苦しい日々を送ったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは「仏法を学ぶ者が食に困る事はない」と説かれ、毎年、弟子達が仏法を学ぶ資糧を集積できるようにと財神法を修法して下さる。彼女は、弟子達を助け世話して下さる尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御恩に感謝した。

三つ目の出来事:彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する以前、ある事-例えば、学校のコピー機で個人の資料をコピーする等の事を、お金の節約がしたいが為に或いは自分に便利だからと、こっそりやっていた。他の人もしているし、自分がこうしても構わないと思っていて、これが偸盗に属するとは考えもしなかった。皈依後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆に、小さい悪もしてはならない、小さな悪の行為であっても、話や考えさえも全て慎重に行なわなくてはならないと、細かい部分を説かれた。過去に、彼女は好き勝手に話をして人の気分を害したことがある。現在、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学んだ後は、より慎重に話をし行動し、他人の気分を害さないようになった。「起心動念(心が生じ念いが動じる事)は全て業であり、全て罪である」。リンチェンドルジェ・リンポチェが《地蔵経》から引用して常に説かれるこの言葉によって、彼女は人との悪縁と悪業をなす機会を沢山減らすことができた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、こんなにも至れり尽くせりの心遣いで弟子達の世話をして下さる。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェからこんなにも多くの加持、庇護、助けを得ていたのに、皈依して3年余り、あまり熱心に仏法を学んでいなかった事を上師に申し訳ないと思い、懺悔した。彼女はここで、過去に犯した罪業を懺悔した。

農業、漁業、養殖を営む家庭に生まれ、両親はお金を稼ぎ家族を養うために、無数の生命を傷つけた。幼い頃、両親を手伝うために、このような共業をなし、深刻な殺生業を犯した。菜食をする前は海鮮、肉が大好きで、特に鶏のスペアリブ、唐揚げ、足、手羽、サバヒーの頭、魚肚等の食べ物に目がなかった。家の中の衛生の為にと、ゴキブリ、アリ、蚊等を沢山殺し、無数の衆生を傷つけた。

二、小さい時、隣家の果物を盗んだ。母のお金を盗んだ。近所のお店のお金を盗んだ。学校のプリンターとコピー機を使って個人の資料を印刷した。自分の立場だけを考え、父兄の立場を考えて仕事しておらず、父兄を傷つけた事に気付かなかった。自分はすごいと自惚れ、自己主張をして人に譲らず、同僚を傷つけた。舅が脳卒中のために老人ホームに行ったが、あまり見舞いに行かなかった。舅の憂鬱につられて見舞う彼らも憂鬱になると愚痴をこぼした。

三、皈依後、自分の行為を真面目に改めなかったため、人を苦しませた。時間を決めて朝と晩の勤行をしていなかった。上師の功徳を讃えなかったので、家族は現在も尚、リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学ぶ機縁を得ていない。

上述の数々の悪業を、彼女は誠意を込めて懺悔した。彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの説法と慈悲深い庇護のお蔭で、愚鈍な彼女も貴重で得難く殊勝な仏法を学ぶことができたことを感謝した。上師逢い難し、今すでに逢う。仏法聞き難し、今すでに聞く。彼女は、この殊勝で得難い因縁を大切に思い、感謝した。また、彼女は、生々世々、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学ぶことを願い、今から自己を改める努力をし、リンチェンドルジェ・リンポチェの説法を生活の中に応用し、上師の恩、仏の恩、父母の恩に報いることを祈った。

並びに、彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体のご健康、法輪が常に転じられ、常にこの世に住され、直貢噶舉派の法脈が永遠に伝わり、一切の有情衆生を利益することができるようにと祈願した。

続いて、二番目の弟子は、彼女と母親がリンチェンドルジェ・リンポチェに救われた経過を分かち合い、自分の罪業を懺悔する機会を与えて下さった金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べた。

今年2月20日の夜、皆が就寝しようと準備している時間であった。彼女は弟からの電話で、母親が呼吸困難になり病院で緊急治療を受けていることを知った。医師は、心不全であるので管を入れて緊急治療を行なう必要があると言った。状況がはっきりしないので、彼女は弟に気管切開をして挿管してはいけないと伝えた。だが、弟は、医師が急を要し、管を入れなければならないと言った。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの説法を思い出した。怨親者は家の中にいる!電話を切ると、彼女はすぐに尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御写真に向かって頂礼し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに母親を救って下さいと祈り、貴重な甘露丸と甘露水を手に取り病院に向かった。行く途中では六字大明咒を唱え、心の中で、母親の救護を、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに祈り続けた。

救急治療室に到着すると、彼女は、口に管を挿入し、か弱い息をし、顔色が真っ青の母親を見た。それはまるで、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの説法にあったような、病院で管を沢山入れられる病人であった!母親の血圧はずっと195で止まっていた。そこで彼女は、母親の耳元ではっきりと言った。「リンチェンドルジェ・リンポチェを観想するように、恐がらないで、リンチェンドルジェ・リンポチェに信心をもつように、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなたを助けてくれる。」そして、貴重で不思議な甘露丸を母親の口の中に一粒入れた。このようにして一夜過ぎると、母親の血中酸素の濃度は徐々に上昇し、血圧は高かったものの、時には目を開くことができるようになった。

母親が集中治療室に入ってから、彼女は母親に《快楽と痛苦》の本の中のリンチェンドルジェ・リンポチェの御写真を見せた。並びに、看護士が流動食を注入する時に一緒に甘露水を加えてもらった。看護士さえも、それが加持を受けた甘露水であることを知っていた。母親の状況は徐々に安定し、肺炎の好転は顕著であった。彼らは、それは全て、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力と無辺の大願力があってこそ、母親が非常な速度で落ち着き難関を乗り越えたことを知っていた。看護士でさえも、挿管して集中治療室に入ったのに二週間以内に平穏無事に普通病棟に移った人を見た事がないと言った。彼女と家族は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝した。二週間後、母親は退院し、既に自分で歩く事ができるようになり、道場に赴き、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べた。だが、彼女は、10月26日の謁見の申し込みをした時間に遅刻したので、母親と共に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝を述べられず、階下で恭しく待っていた。彼女は三宝に対する恭敬心のなさと、土曜日に衆生に面会するリンチェンドルジェ・リンポチェの苦労を考えなかったことを懺悔した。このように彼女には恭敬心がなかったが、慈悲深い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、やはり母親のために加持を授けてくださった!彼女は心からその御恩に感謝した。

2年前、彼女の姑は、消化不良を起こして便通がなくなり、お腹の中に溜まっていたので、丸々二週間食事が取れず、眠ることもできなかった。そこで彼女は姑を連れて金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く高齢の姑を加持された。元々衰弱していた姑は歩くのにも横で人が支えてあげなければならなかったが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持のお蔭で、身体全体が軽やかになり、その日の晩、家に帰ると朝方日が昇るまで眠ることができ、一回の食事に二杯の御飯も食べられるようになった。彼女達は、これは全て、衆生が苦しみを受けさせないようにするリンチェンドルジェ・リンポチェの大功徳と大願力であることを理解した。彼女の姑は、毎日、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝を続け、現在に至るまで既に二年が無事に過ぎ、病気もしていない。彼女達は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに心から感謝をした。

続いて彼女は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェによって救われた経過を分かち合った。昨年7月、彼女は大度路をオートバイで走っていた。突然前方の車が速度を落としたので、すぐに彼女はオートバイの先端を曲げると、車体は左方向に向かい、中央分離帯にぶつかった。下意識では彼女は左足で中央分離帯で踏ん張っていた。さもなくば傾く車に加えて後方から車があったので、想像を絶する結果となっていた事だろう。事故は突然起きた。その瞬間、彼女の脳の中には唯一つの念いだけがあった。「リンポチェ助けて!」口からもその言葉が出た。「リンポチェ、助けて!アキ仏母、助けて!」言葉が終わると、車は知らない内に路肩に寄っていた。頭を下げて見ると、左足の踝はコの字形をなし、足の裏は後方に曲がっていたのだが、「リンポチェ、助けて!」の言葉を言い終わると、踝は元の形に戻っていた。それはまるで漫画にある光景のようで、彼女を非常に驚かせた。

病院に着き、左足は激痛のため既に知覚を失っていた。足全体がスポンジのように靴一杯に脹れ上がっていて、靴はとっくに破れていた。医師は彼女がしきりに痛みを訴えるのを見て、レントゲンを二枚撮った。レントゲンができあがり、医師は意表を突いて「骨」には何も異状はないと言い、彼女に事故の経過を尋ねた。彼女が説明を終えると、医師は「本当に不思議な事だ!骨に何も異常がなかったとは!」と言ったので、彼女はすぐに答えた。「私の上師が救ってくれたんです。」その後医師は、彼女がしきりに痛み苦しむのを見て安心できず、再度、別の角度からのレントゲンを二枚撮った。結果はやはり同じであった。ただ小さな一箇所に裂離骨折がみられただけだった。その場で彼女は涙を雨の如く流し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの救いを心から感謝した。

事故後、彼女は寶吉祥中医診所(漢方診療所)の煎じる漢方薬に「冬虫夏草」を加えて服用しただけだったが、回復は非常に早かった。土曜日、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め、感謝を述べた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは「死に切れなかったのか?」と言われた。この言葉は、まるで警策で叩かれたように響き、その時彼女はやっとはっきりした。彼女のこの命はリンポチェに拾われたものだったのだ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女に「真面目に修しておらず、家事だけをしていて真面目に勤行しておらず、供養心もない」と説かれた。また、「もし、毎日アキを修していなかったら、この二本の足さえもなかっただろう!」彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝した。今後は、教えに従い行じよう。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの能量と体力を浪費したことを懺悔した。何かが起きた時だけリンチェンドルジェ・リンポチェに救いを求めた。通常は心を込めて真面目に勤行することもなく、供養の心もなかった。自分を改めることを熱心にしなかったので、家族に皈依を認めてもらえなかった。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに対する信心が足りなかったために、朝の勤行で大礼拝(五体投地)する因縁を断ち、少しも衆生を利益しようとする心がなかったことを懺悔した。

ここで彼女は、自己の貪、瞋、痴、慢、疑等五毒と身、語、意の行為によって衆生が六道輪迴の苦海に入ることを発露懺悔した。彼女は毎日の仏への礼拝は何を礼拝しているのか!何を懺悔しているのかが分からなかった。起心動念は全てが業、全てが罪であった!五戒、十善、三十七頌、全てのことを忘れてしまって、教えに随って行じなかった!仏法を着実に生活の中に溶け込ませておらず、自分勝手で、慢心が非常に強く、怠惰でたるんでいた。皈依前にお腹の中の命を殺し、殺生業を犯した。中秋節の焼肉では無数の有情衆生を傷つけた。約束を守らない事で衆生の煩悩を引き起こした。娘として孝行の道を尽くさなかった。嫁として孝養の道を尽くさなかった。妻として本分を尽くさなかった。母親として教え育てる道を尽くさなかった!会社では偷盗をし貪念を起こした。いつも、衆生の肉を料理しているあの店の前を通る時、怒りの心を起こし、自分も嘗てその死刑執行人であり、多くの衆生を傷つけたことを懺悔しなかった!

彼女はそれぞれの悪念を懺悔し、彼女の悪行によって、家族が仏法を学ぶことに賛同しなかった事を懺悔した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女と家族のためにこんなにも沢山の心血を注がれたのに、彼女は教えに遵う実践をしなかった。いつも自分を放縦し、貪念で仏法を学び、自分の行為を確実に改めようとしなかった。彼女は心から仏菩薩に懺悔した。心から一切の果報を受け入れ、深く因果を信じ、累世に犯した過ちを引き受け、業報身をもって今世で全ての返済を終え、生死を解脱し、輪迴を断ち切ることを願った。

続いて、弟子と信者は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェによって2008年11月23日に説かれた説法テープの「弟子を伴い参加する大手印(マハームドラー)法会の縁起についての上師の説法」及び「師事法五十頌」を恭しく聴聞した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこう説かれた。「今日は、今回、なぜ弟子達を連れてインドへ行くのかについて少し話をする。チベット仏教において、仏法の観点で言えば、縁起は非常に重要な事だ。如何なる法も、もし縁の生起がなければ、後ろは学び得られない。多くの者はただ法会に参加すればよいと思っている。例えば、今日、リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェの身であるが、大手印(マハームドラー)の境地に至っていないのなら、リンポチェになる資格はない。直貢チェツァン法王の説法を聴いても理解できないと言う者もいる。あなた達は勿論、理解できない。理解できたのなら、あなた達はリンポチェだ。意外な事に、下で討論している者さえもいる。リンチェンドルジェ・リンポチェはあれこれ叱り、あれこれ言う。あなた達は聞き入れることができないのに、直貢チェツァン法王の説法を聴いて、自分は理解したと思っている。

お経の中で説かれており、直貢チェツァン法王も説かれたことがあるが、根器の上位の者は上師を見ただけで悟りを開く。根器の中位の者は、一人の上師について、上師が話をして解釈しただけで、すぐに悟りを開く。根器の下位の者は、あれこれ語り、何世にも渡って語って初めて、ほんの少し体得できる。あなた達は自分がどの根器かと尋ねる。まだ大胆に恥じることなく自分は法会に参加したと言い、大胆に恥じることなく自分は聴いても理解できないと言っている!なぜあなた達は修することができないのか?一日中、出鱈目を言い、明らかに理解できない事を理解したいと言う。例えばリンチェンドルジェ・リンポチェが大手印(マハームドラー)さえも理解できず、証していないのなら、リンポチェになる資格はない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは以前にあなた達に説いたことがある。その時、直貢チェツァン法王による大手印(マハームドラー)の口訣を聴聞するために、直貢チェツァン法王は自ら積極的にリンチェンドルジェ・リンポチェに伝法すると言われたのだが、リンチェンドルジェ・リンポチェはまず直貢チェツァン法王に、自分は10万回の百字明咒を唱えた後に閉関をしてから、直貢チェツァン法王による伝法を受けると告げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは20日以内に10万回を唱え終わった。なぜこうしたのか?それは、自分の業がやはり非常に重く、障礙があり過ぎたからだった。障礙があるなら、上師の口伝を聴いても入ってこない。聴いても理解できない。簡単に言えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは、直貢チェツァン法王の説法を聴いてすぐに理解したいと思うあなた達のようには傲慢ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に謙虚で、謙遜する。あなた達の中の誰がこのような心を持っているのか?自分はお金を使えばインドに行って、直貢チェツァン法王の伝法が得られるので、自分を大したものだと思っている!

最終日にホテルを離れようとした時、9時半にはバスに乗って空港に向かわなくてはならない事は明らかであったが、まだお店に駆け込んで最後の少しのお金を使い切ろうとする者もいた。あなた達は物を買うお金はあるが、供養するお金はない。あなた達は自分は家に持ち帰る御土産のために、たったの数百ルピーだけを使っただけだと弁解する。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは前の晩にあなた達に物をあげたのではないか?リンチェンドルジェ・リンポチェがホテルを出る時、お店のオーナーがリンチェンドルジェ・リンポチェに向かって合掌し、腰を曲げて礼をするはずだ。あなた達はきっと沢山のお金を使ったのだろう。金持ちの頭が一群の金持ちを連れて来たと見られた。リンチェンドルジェ・リンポチェはあれこれ言って、あれこれ叱る。やはりあなた達は叱っても目覚めない!仏法を学ばなくてよい。9時半に車を出さなくてはならないのに、まだ店の中でお金を使っていて、他の者を車で待たせる者さえもいる。年寄りも幼い子もいる200人余りの団体が、これらのお金を使う者達を待っている。こんなに自分勝手な者がどこにいるのか?

リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で指示した。以後、寶吉祥仏法センターが連れて行く弟子、全ての引率者は時間通りに車を出すこと。リンチェンドルジェ・リンポチェは、出発する前にはっきりと、今回は旅行ではないと言っておいたはずだが、あなた達はやはり旅行だと思っている。この様では、どんな法を学ぶのか?離れるとすぐに弛む。加持があり、供養もし、福徳もあり、リンチェンドルジェ・リンポチェさえも隣に立っているからと、あなた達はお金を数え続ける。この人達は因果を信じていない。良心はあるのか?9時半に出発すると言っておいたはずだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは9時25分にロビーに着いたが、まだ買い物をしている多くの者が見えた。あなた達は、仏法を学んで何をするのか?

皆は自分を非常に敬虔で、恭敬心があると思っている。出発前夜、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分で買ったものを皆に分け与えた。それは、あなた達が台湾に戻り、何も買ってこないと家族が何か言うだろうと心配したからだ。あなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが皆にあげた物は拾ってきたものだと思っているのか?これは皆、お金を払って買ったものだ。早目に知っていたら、皆にあげなかった。あなた達は全く上師に対する恭敬心を実践できない。あなた達はなぜ修行できないのか?それは、上師に対する恭敬心がないからだ。恭敬とは何か?それは話を聞くことだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、はっきりと前夜に、あなた達が物がないのを心配するから、贈り物をすると言ったはずなのに、次の日また買いに行って、車の中で沢山の人を待たせるとは!こんなに自分勝手な者はどうやって慈悲を修するのか?こんなに貪欲な者はどうやって慈悲を修するのか?皆は直貢チェツァン法王の仏法を聴き、法本を手に持てば修し成就できると思っているのか。法、上師に対する恭敬心の欠片もない。

なぜリンチェンドルジェ・リンポチェが求法すると、直貢チェツァン法王は伝法するのか?それは、リンチェンドルジェ・リンポチェの法に対する恭敬心を見たからである。直貢チェツァン法王が要求しなくても、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら積極的に10万回唱えた。20日で10万回唱える百字明咒を試してごらん。リンチェンドルジェ・リンポチェは命を投げ出して仏法を学ぶ。だから、仏法、上師、諸々の仏菩薩に対する恭敬心がどんなに大切かを知っている。あなた達は上師に対するほんの少しの恭敬心もない。こちらで語ったものが、あっちの耳元に風が吹いて出て行ってしまう!なぜ上師が必要なのか?直貢チェツァン法王の説法が終わったことはあなた達が修せるかどうかを意味するものではない。口訣とは何か?多くの解釈があるが、あなた達は聴いたことがあるからといって、すごいと思ってはならない。

直貢チェツァン法王は正真正銘の修行者だ。今迄、法会において功徳主を公に褒め称えたことはない。いくら寄付したかに拘らず、直貢チェツァン法王は法座上であなたは菩薩だ、菩薩道を行じている等と言われたことはない。一般社会のように主な功徳主の名前を公開しない。リンチェンドルジェ・リンポチェと同時期に直貢チェツァン法王と知り合った人も、直貢チェツァン法王は今迄、法会の中で特定の人の功徳を公に褒め称えたことはないと言っていた。なぜ言わないのか?この事を行なったのは自分の為か?それとも、衆生の為か?この事は、完全に自分の立場を捨て去って行なったのか?仏法の基準に符合してこそ、直貢チェツァン法王は話される。直貢チェツァン法王はなぜ話そうとされたのか?リンチェンドルジェ・リンポチェを喜ばせるためではない。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェの果位まで修したのに、まだこのような虚栄心があるなら資格はなくなる。この事を全ての人に告げる。どんな者でも実践できる。あなた達は必ずやるべきだ。

台湾では多くの人がチベット仏教を攻撃する。チベット仏教には顕教はなく、ただ密法があるのみだと言う。これには誤解がある。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェはあの日、弟子達を連れて仏教学院に行ったのか?この点を寶吉祥仏法センター文化交流協会の理事長も言うのを忘れていた。直貢噶舉の規定では、出家者全員が仏教学院で9年間顕教を学び、試験に合格して初めて密教学院に行くことができる。そこで引き続き3年間学び、12年後に初めて伝法を始められる。どこにそんなに簡単な事があるのか?あなた達は数年にも満たないのに、何でも学びたがり知りたがる。あなた達は出家者ではない。それほど厳しくないのに、少なくとも自分勝手にはできないはずだ。現在、台湾で仏法を学ぶ最大の問題は自分勝手である。理事長でさえも話を聞き間違う。なぜ聞き間違うのか?それは、上師に対する恭敬心が足りず、自分の考えがあり、自分を大したものだと思っているからだ。

直貢チェツァン法王は何度も語られた。初めてリンチェンドルジェ・リンポチェに会う者がいたなら、直貢チェツァン法王は、「直貢梯寺の金頂はこの弟子、リンチェンドルジェ・リンポチェが作ったものだ」とどんな場所であっても必ず話す。だが、今に至るまで、なぜこの事を言われるのかを知る者はいなかった。直貢チェツァン法王はただ一言で語っただけだった。実際のところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは話したことがあるが、理事長もこの事を取り上げたことはなく、自分はもう何度も言っていると思っている。なぜ理事長は言わないのか?上師が語った話を聞いておらず、自分が聞きたい箇所だけ聞いているからだ。蛇の年の大法会の時、直貢チェツァン法王は、直貢梯寺の金頂はリンチェンドルジェ・リンポチェが作ったことを公の面前で話し、今回、再度取り上げた。リンチェンドルジェ・リンポチェがこの事の重要性を説き、多くの者も聞いたが、なぜ理事長は言うのを忘れたのか?彼は直貢チェツァン法王はこの件がそんなに重要であることを話されていないと思っている。ここの200人の弟子も一緒に聞いたが、その重要性を忘れてしまった。

何れかの上師が何かを行なう場合、それは全て衆生と教派のためにする。仏法のために行い、自分の名聞利養のためにするのではない。なぜ直貢チェツァン法王は繰り返して取り上げられるのか。あらゆる直貢噶舉の人がリンチェンドルジェ・リンポチェの功徳を話す時、最初に話すのはこの事だ。リンチェンドルジェ・リンポチェにどれ位の弟子がいるかはリンチェンドルジェ・リンポチェの福徳であり、それは自分で修したものだ。あなた達はこの事の重要性を理解できない。このようなリンポチェの下で仏法を学ぶ事は非常に得難い事だ。それは、彼が教派全体において最も重要な事をしたからだ。以上は直貢チェツァン法王が自ら語られた事だ。

この件の重要性はどこにあるのか?《阿弥陀経》の中では、仏の住まわれる宮殿を形容し、黄金の屋根だと説いている。それは、仏法は黄金と同様に貴重だという意味がある。リンチェンドルジェ・リンポチェが作られたのは蔵経閣の金頂(黄金の屋根)だ。ジッテン・サムゴンが800余年前に場所を選定し蔵経閣を建立し、何度も修正を行なってきた。だが当時、100年余りの間は金頂がなかった。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに金頂を作るよう指示した時、リンチェンドルジェ・リンポチェには一銭のお金もなかった。お金がどこにあるのか分からなかった。だが、上師が指示した事は非常に重要だという事だけが分かり、自分は上師が指示した事を必ずやり遂げようと思った。あなた達のように、六字大明咒を唱えるよう言ったら、あなた達は一日に1000回、3000回唱えて、身体の調子が悪くなってリンチェンドルジェ・リンポチェの加持をお願いするのとは違う。リンチェンドルジェ・リンポチェが説法を始めてから、身体の状況があまりよくなくても、今迄、直貢チェツァン法王に加持を求めたことはなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に会う機会はみんなより多いが、このようにした事はない。

なぜ直貢チェツァン法王は繰り返しこの件を取り上げられるのか?それは、金頂を作る事で、直貢噶舉教派を再興させ、更に多くの衆生を仏法に触れさせ、更に多くの衆生を仏法によって苦しみから救えるからである。それは、法会の前に話をした弟子のようだ。妻の他界の状況を分かち合ったが、仏法がなければ彼の妻、家族を助けることはできなかった。彼は苦しんでいないと言うのか?あなた達はいつも、病人だけを助けるだけだと言うが、実はそうではない。病人を助ければ家族を助けた事になり、沢山の人を助けた事になり、沢山の人を苦しみから救うことになる。あなた達は最初から最後まで上師を大切に思ったことはない。上師はあなた達に利用され、あなた達に仏法を教え、あなた達を喜ばせ、苦しまないようにしてくれると思っている。

一人の上師に出逢うのは非常に難しい。非常に貴重であり、顕教の法師とは異なる。顕教の法師が重要ではないと言っているのではないので、皆は誤解しないように。顕教の法師は仏法をあなたに聞かせてくれ、あなた達が善人になることを教える。だが、彼はあなた達をすぐに苦しみから救うことはできない。試しに考えてみなさい。先ほど分かち合った弟子は、もし妻がずっと痛み続けていたなら、夫として遣り切れなかったのではないか?病人も遣り切れなくなったのではないか?なぜ彼女は、こんなに楽に死ぬことができたのか?慈悲心の助け、仏法の助け、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けがなかったら、こんなに楽になれるはずはない。癌患者は、最後の一息まで苦しんで逝くのではないか?こんなに楽に、寝ている時に逝き、少しも痛みで呻かない彼女のようではないだろう。

あなた達は上師の重要性を理解していない。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王をこんなにも敬うのか?それは、上師がいなければ弟子もなく、上師が経験によって教導してくれなければ、弟子は仏法を体得することができないからだ。あなた達は自分が御経を理解していると思ってはならない。人が説く仏法を聞いて、自分は分かったと思っている。あなた達はただ、少しの名詞を知っているだけで、成し遂げられるか否かは別の話だ。成し遂げるとは何なのか?自分を済度でき、しかも他人を済度できることだ。こうしてこそ成し遂げたと言える。

一人の金剛乗の上師はあなた達が経典を研究する沢山の時間を短縮できる。さもなくば、短い数十年の間に、あらゆる経典を理解するとは言わなくとも、一冊の御経を理解することさえもできない。あなた達が簡単だと思う《阿弥陀経》《普門品》であっても、あなた達が一生をかけて御経の中の境地を修することは不可能だ。多くの者は阿弥陀仏を唱えれば自分は必ず行けると思っている。そんなに簡単な事があろうか?多くの者は毎週法会に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェがするよう言った事を行なえば、彼の病気はなくなると思っている。そんなに簡単な事があろうか?あなたに上師に対してほんの僅かな懐疑心があるだけで、加持力はなくなってしまう。あなたが上師の教えた話を聞かないだけで、加持力はなくなってしまう。

自分が法会に来たから福徳があると思う者が沢山いる。誰が法会を主催しているのかはっきり分かっているのか?法会を主催する上師が言った話をあなた達は疑っている。本当に福徳があるのか?当然ない。ただ少しの人間界と天界の福徳を得られるだけだ。人間界と天界の福徳は業を転じられない。功徳を修してこそ業を転じられる。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは自分の皮膚癌をなくすことができたのか?それは、功徳を成就し、三宝、上師の話を完全に聞いたからだ。あなた達がなぜ一日中間違いを犯し、物事を忘れてしまうのかが分からない。ただ二つの原因によって解釈できる。一つは、業障が深すぎる。業障の深い人は話をよく聞き、しっかり大礼拝(五体投地)をし、真言を唱えるべきだ。自分は物事を忘れると言ってはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎日、沢山の事を処理し、いつも会議をしなければならない。今迄ノートを取ったことはないが、はっきりと覚えている。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に承諾した事を一字一字覚えていて、必ず成し遂げる。あなた達は丸一日、自分は忘れたと言う。なぜあなた達は過ちを犯すのか?それは、あなた達は話を聞かないからだ。一人も真に話を聞く者はいない。

なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは当日、あのケンポスに懲罰を与えたのか?理事長は先ほど、まるで彼らの功労のように語ったが、実際にはリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら積極的に懲罰を与えたのだ。だが別の者が語ると話も変化してしまう。なぜ彼に懲罰を与えたのか?それは、彼が直貢チェツァン法王のために仕事をしたからだ。もしうまくできなかったら、他人は誰の事を言うのか?直貢チェツァン法王の事を言う。なぜ二日目にリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王にこの事を報告したのか。直貢チェツァン法王は嬉しそうに笑い、更に、よくできた、よくできたと言われた。リンチェンドルジェ・リンポチェは闇夜に鉄砲を撃つ様なまねはしない。どんな事でも100%の仏法上の理由があってこそ物事を始める。直貢チェツァン法王も繰り返して語られている。リンチェンドルジェ・リンポチェは物事を遠くまで考え、心は非常に細やかであり、利害関係を深く考えてから物事を行なう。利害関係とはリンチェンドルジェ・リンポチェに対する事ではない。これは相手の立場から見た事だ。あなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの下で仏法を学んでいるのに、一日中非常に軽率だ。一日中、自分は間違った事をしたと言う!?なぜあなた達がこんなに簡単な事を毎日間違うのかが分からない。なぜ間違えるのか?それは、話を聞いていないからだ。まるでこの人達のようだ。出発する前にまだ買い物をしている。即ち、話を聞かないのだ。

例えば今日、リンチェンドルジェ・リンポチェがその他のチベットのリンポチェと同様に転生者であるなら、あなた達に言う資格はない。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは転生者ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは過去世でリンポチェではなかった。今世で成就したのだ。直貢チェツァン法王は、なぜ、今世でリンチェンドルジェ・リンポチェを育てようとされるのか?それは簡単だ。一つ目はリンチェンドルジェ・リンポチェに条件があるからだ。二つ目を皆に告げよう。これは直貢チェツァン法王が自ら語られた事だ。香港にいたある時のことだが、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの事で叱られたことがある。その時、沢山の出家者が直貢チェツァン法王に、リンポチェは転生者ではないかと尋ねられた。リンチェンドルジェ・リンポチェもその時、そうだと言った。直貢チェツァン法王はその場で表情を強ばらせて語られた。違う。今世で成就したのだ。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェではなかった。直貢チェツァン法王はこのような迷い、このような迷信を打破された。転生はあなたが今世で成就できるかどうかを示すものではない。あなた達は今世ではリンポチェではないが、今世で成就もできる。だが、あなた達は今世ではリンポチェになる資格はない。リンポチェをするのは非常に大変な事である。あなた達は少なくとも話を聞かなければならない。あなた達はなぜずっとリンポチェになれないのか?それは、話を聞かないからだ。

それから別の二人の弟子は、ラマが彼らにあげた物をすぐに受け取った。なぜ受け取るのか?貪欲だからである。人は自分に良くしてくれると思っている。彼らはラマの物を受け取り、上師をどこに置くのか?人は彼らが上師に対して恭敬心のないことを試したのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前、皆に何度も言ったことがある。仏法と教派に関係のある事は全て、リンチェンドルジェ・リンポチェは実行する前に直貢チェツァン法王に教えを請う。インドの直貢噶舉派の寺院において、人が彼らにあげた物を、彼らは事もあろうに持って帰ろうとした。彼ら二人はリンチェンドルジェ・リンポチェの事をよく考えているのか?なぜ人の物を受け取るのか?受け取ったら何を人に返したら良いのか?リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの代わりに返すのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは何度も言っており、あなた達に何度も教えている。人の物を勝手に持って帰ってはならない。あなた達はどんな徳、どんな能力があって人の物を持って帰るのか?皆は貪欲だ。心地よく話すのは申し訳ない。聞き苦しい話をするのは貪欲だ。人がくれたら持って帰る。どんな徳がありどんな能力があって持って帰るのかを自分に聞きなさい。

リンチェンドルジェ・リンポチェは元々あまり話したくなかったのだが、今、あなた達に一つの秘密を話そう。リンチェンドルジェ・リンポチェは実のところ、カンフーの達人だ。ここ十日余り、この数人に、リンチェンドルジェ・リンポチェはカンフーを教えていた。一人の弟子が報告した。ここ数日、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らに、挙法、馬歩、歌を歌うことを教えた。彼らはリンチェンドルジェ・リンポチェは本当にすごいと感じ、リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこう説かれた。この二人の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの顔に悉く泥を塗った。チベット人に漢人はこんなに貪欲だと思わせた。彼ら二人は以後、どうやって人に返すのか?この二人の弟子のうちの一人は楽団で遊んでいる。結果、やはりリンチェンドルジェ・リンポチェがどう歌うのかを彼らに教えて初めて心地よく聞けるようになった。もう一人は自分は本当に勇侠だと思っていたが、結局のところ、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼にカンフーを教えた。リンチェンドルジェ・リンポチェのボディガードが報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェのカンフーの力は非常に強い。手を出さなくても勝負がつき、手を出せば人を怪我させた。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアを込めて言った。自分は口を出しても、手を出しても人を傷つける。

あなた達の上師がただのリンポチェだと思ってはいけない。世間のどんな事もリンチェンドルジェ・リンポチェが理解できない物はない。もしかしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ある名詞を言えないかもしれないが、どんな物かは分かる。あなた達はただ単純に仏法を学びに来ただけで、リンチェンドルジェ・リンポチェが説く話を喜んで聞いてるだけだと思ってはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは一般の出家者ではない。以前、チベットではリンポチェになるには五明学を学ばなくてはならなかった。それは、天文、地理、数学、言語、医学、工巧明(物を作る)を含んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの五明学を学んだことはないが、既に接近している。あなた達の自動車の運転はリンチェンドルジェ・リンポチェに敵う者はいない。カンフーもリンチェンドルジェ・リンポチェに敵う者はいない。歌も少なくとも、楽団で遊んでいる弟子よりも上手だ。あなた達はどんな事でもリンチェンドルジェ・リンポチェに聞く。リンチェンドルジェ・リンポチェは何でも知っている。

なぜ五明学を学ばなくてはならないのか?それは、修行者は衆生の多くの問題について回答しなければならないからだ。あなた達が病気になった時、リンチェンドルジェ・リンポチェは原因を知ることができる。リンチェンドルジェ・リンポチェは医学を学んだことはないのに、これらはどこから来たのか?修行者は見性の境地まで修すると、何でも知る事ができる。どうやって見性を修するのか?それは話をよく聞く事だ。上師と仏の説いた話を聞き、全部よく聞く。上師は自分勝手に話をしているようだと思ってはならない。上師は自分勝手に話をすることはない。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達が翌朝の出発前に買い物に行くことを、とっくの前に知っていた。だから、彼らが買い物に行かないようにと、前の晩、あなた達に持って帰る御土産がないのを心配して、特に、皆に贈り物をし、はっきりと話した。だから、上師は自分の物を犠牲にしてあなた達に物を贈った。だが、あなた達はやはり話を聞かない!沢山の人が押し合ってあそこでお金をあげている。特に、密法を学ぶためには、上師の話を聞かないなら、成就することは不可能である。

多くのものは独りよがりに自分の考え、意識、経験によって仏法を学ぶ。このようでは学び取ることはできない。なぜ学び取れないのか?仏が説く一切の仏法は我々の人生経験とは異なる。どこが異なるのか?我々の人生経験は三つの文字で語り終わる。貪、瞋、痴だ。全ての念いの生起はこの三文字だ。なぜ一日中、物事を忘れ、過ちを犯すのか?それは、貪、瞋、痴故だ。もし貪、瞋、痴がないなら、間違いを犯すことがあるのか?全く計算高くない者は間違いを犯すことはない。何事も相手の立場に立って行なうなら、どこに間違いがあるのか?なぜ間違いを犯すのか?それはあなたが自分の利害を計算するからだ。人は利益を得られず損害を受けると、当然ながらあなたが間違っていると感じる。なぜ、職場の中であなた達はいつも問題点を発見するのか?当然、密教のある法を修すると、自分に利益が得られる。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは、これらの法を修したくない。ある真言を唱えれば、人はあなたの是非を言わなくなる。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェはこれらの真言を唱えたくはない。なぜなら、これらは究極のものではないからだ。圧した後、しばらく経つと、またやってくる。リンチェンドルジェ・リンポチェは根本から修する。よって、仏陀は六波羅蜜を修するよう説かれた。

皆は、寶吉祥仏法センターが何乗の仏法を弘めているのかを明確に知る必要がある。以前、ガムポパ大師は二つの方向にまとめた。一つは波羅蜜多、即ち、一般の顕教。もう一つは金剛乗、即ち、皆が言う密教である。二者の差異はどこにあるのか?二者とも仏法であり、差異はないが、修する過程と時間に大きな差がある。厳格に言うなら、波羅蜜多は顕教であり、出家者が修するのに適する。なぜか?出家者は時間が多く、食、住を心配する必要はなく、一日中、時間がある。よって、経典を沢山読み、沢山座禅を組み、自分の過失を沢山考えることができる。だが、在家者である皆は、特に末法時代の業は非常に重い。この二人の弟子の業がこんなに重いのと同じだ。毎日リンチェンドルジェ・リンポチェの傍にいて、こっそりと人からの贈り物を持って帰り、リンチェンドルジェ・リンポチェが振り返っただけで問題が起こる。この様な彼らはどうやって金剛乗を修するのか?金剛乗と顕教の差はどこにあるのか?金剛乗は経論を飛び越える。即ち、上師は、経論の基礎が既にできており、経論の精華を抜き出して、適当な方法で弟子に教える。よって、リンチェンドルジェ・リンポチェに、「経論を読むのが好きだ」と言った者がいたが、リンチェンドルジェ・リンポチェはこう答えられた。「素晴らしい!あなたが好きな事は当然良い事だ。だが、この一生で解決できるのか?不可能だ。」

先ほど分かち合いをした人が提起した。彼の亡くなった妻を火葬した後、頭頂に一つの丸い穴が見つかった。これは顕教で修することは不可能だ。100~200人で構成される「助念団」が彼女のためにずっと唱えても、火葬時、頭頂には絶対に一つの穴は現れない。なぜ穴なのか?それは、死者の神識が上から出て行ったからだ。誰が彼女を押して出て行かせたのか?それはリンチェンドルジェ・リンポチェだ。どうやって彼女を押して行かせたのか?用いたのはリンチェンドルジェ・リンポチェの功徳だ。彼の妻と彼本人は来たばかりの頃、やはり懐疑心があり、真心からの供養をしなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女のためにポワ法を修法することを決めたが、彼女はやはり何時間も待ってやっとリンチェンドルジェ・リンポチェを探し出すことができた。

よって、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつもあなた達に言っている。すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェにポワ法を修法してもらえるかどうかは、あなた達自分で修する事だと。どうやって修するのか?話をよく聞き、疑わずに、供養することだ。あなた達は必ず言うことだろう。お金を見るのか?違う。あなた達に真心があるかどうかを見るのだ。あなた達が疑い、福徳が不足しているなら、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法を承諾しても、やはり数時間も辛抱しなければならない。普通の人なら、構わない、私はもう死者のために六字大明咒を唱えたからと思うだろう。あなた達が唱えても、死者は逝けない。絶対に逝けない。ただ、死者に怖がらがらせないようにするだけだ。数時間なぜ彼女を苦しませたのか?彼女が地獄に堕ち輪迴する苦しみを取り除かなければならなかったからだ。即ち、彼女の肉体を今世で苦しませ、次の来世で苦しませないようにするためだ。あなた達がこの数時間全く苦しまなくなるまで修するのは、口で言っただけで成し遂げられるものではない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに多くの人のためにポワ法を修法したが、1000人中たったの1、2人だけが息が途絶えてすぐにリンチェンドルジェ・リンポチェを見つけ出すことができた。即刻リンチェンドルジェ・リンポチェを見つけ出せる者は本当に少ない。見つからない原因には三つある。恭敬心が足りない、懺悔心が足りない、供養心が足りない。なぜ密教では常に上師の話を聞く事を強調するのか。それは、上師は仏陀の法を皆に伝えた人だからだ。よって、あなた達が上師は勝手にしゃべっているだけだと思うなら、加持力はなくなってしまう。上師は皆に綺語を話さないようにと勧告した。役に立たない事を言うなという意味だ。このようであるのに、上師が役に立たない話を皆に聞かせる事があるのか?たまに、あなた達は上師が冗談を言っていると思うこともあるだろう。だが実際のところ、リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた達に冗談を言っている時間がどこにあるのだ?あなた達は、上師があなたを叱責したと思うこともあるかもしれない。だが実際のところ、リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた達を叱る時間がどこにあるのだ?衆生を済度する時間さえも足りない。更にあなたを叱って、あなたを話題にする?あなた達は規則に基づいて仕事を行なわない、自分の方法で物事を行なう。誰が障礙を引き起こすのか?それはあなた自身だ。あなた達が怠ければ、当然一日中間違いを犯す。自分の考えがあっても、やはり、一日中間違いを犯す。

なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェはケンポスを叱ったのに、直貢チェツァン法王は、やはり、リンチェンドルジェ・リンポチェのした事は良いと言われたのか?チベット人にとって、ケンポスは教授だ。しかも教える相手は出家者であり、一般人ではない。一人のケンポスは仏学院で9年学び、試験に通過した後、先ずケンポスの助手をし、更にケンポスに昇級する。儀軌、理論全てに精通した人である。リンチェンドルジェ・リンポチェは一人の漢人リンポチェであるのに、彼を叱ることができるのか?しかも、直貢チェツァン法王の同意も得、しかも法王は喜んで笑われた。これは何を意味するのか?リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の為に彼を叱ったのではなく、直貢チェツァン法王の為に彼らに教えたのである。

その時、ある弟子が緊張して駆け込んで来て言った。「私は彼を叩いてない!叩いてない!だけど、彼は私が彼を叩いたと言う。私は叩いてない!」リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子を叱責した。彼がこうするのは上師に対する信心がないからだ。彼が本当にケンポスを叩いていないのに、ケンポスが叩き返してきても、どうという事はない?その日、リンチェンドルジェ・リンポチェはわざと彼らを試し、結果はちょっと試しただけですぐに現れ、解決した。また弟子が駆け込んで来て言った。「ラマが私が彼を叩いたと言うんです。私は叩いてません。ただ彼を遮っただけです。」その時、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子を子供だと思っていた。それは、皆、幼い頃の喧嘩はこんな風だからだ。叩いた後に母親が誰が誰を叩いたのかと聞いた。いつも、沢山の理由をあげて言い訳する。彼の様な感じだ。彼は上師を信じているのか?当然、信じていない。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らに死んでしまえとは言わない。ナロパはティロパにどう対応したのかと考える。ティロパはナロパに飛び降りろと言い、ナロパはすぐに飛び降りた。直貢チェツァン法王もまたリンチェンドルジェ・リンポチェを懲罰する。あなた達は直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに懲罰を与えないと思ってはならない。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェになったが、非常に沢山、懲罰を与えられた。あなた達はまだいい方だ。ただちょっと叱られるだけだ。直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに与えた懲罰は、あなた達が我慢できるレベルではない。

よって、金剛乗は波羅蜜乗より更に殊勝である。「殊勝」は二つの大きさ、すごさを比較したり対照したのではない。「殊勝」とはどんな意味なのか?それは、あなたを短期間に成就させるものだ。これは顕教は劣り密教は優れているという意味ではなく、また、顕教がだめで、密教は良いという意味でもない。ただ、仏法を学ぶ方式、方法が沢山あることを我々に教えている。だが、どうやって我々をこの一生で成就させ、真に苦しみから離れさせられるのか?先程、一人の夫が妻の全過程を話した。もし、彼が現在、密教の助けを受けていなかったなら、後半、苦しんだのではないか?例えば、妻は気分が悪いと言っていると言った時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に、「彼女は痛がったことはない!」と言った。彼はこの事を忘れていた!なぜ忘れたのか?知らぬが仏だったからだ。例えば、今日、上師に僅かな密法の力、事実を知り彼に告げられる、所謂「神通力」がなかったなら、彼はずっと彼の妻が苦しんでいると思っていたのではないか?ただ彼が妻は非常に苦しんでいると思うなら、当然、彼は彼の妻にこう言うだろう。そんな風にしないでおくれ、私も苦しい、と。どんな事もその中にある差異を見ることができる。もし、今日、彼の妻が密教の助けを受け入れていなかったら、一般のガン患者と同様に非常に苦しんでいただけだ。その種の痛みをあなた達は聞いた事がなく、見た事もない。リンチェンドルジェ・リンポチェは見たことがある。あなた達はガンは何でもないと思ってはならない。それは非常に痛い。本当に痛い。人に骨を砕かれるよりも痛む。

金剛乗の殊勝はどこにあるのか?衆生の苦しみには解決したり減少させるための沢山の方法がある。なくなってしまうことさえもある。だから、彼は先程こう話した。「家族には悲哀はなかった。懐かしく思うだけだった。」以前、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつもこう言っていたのではないか。なぜ悲痛に暮れないのか?それは、死者が悲しまなかったからだ。既に悲しみはなく、苦しみもなく、阿弥陀仏の処へ行ったからだ。なぜ、皆は家族が亡くなると悲痛に暮れるのか?それは、死者が苦しんでおり、家族が死者の影響を受けるからだ。仏法はこの様な事をして、皆の悲痛をなくしてしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェは常に冗談を言う。だがこれも真実の話だ。リンチェンドルジェ・リンポチェが済度されたそれらの死者は、現在、恙無く日々を送っている。現在のリンチェンドルジェ・リンポチェよりも安穏に暮らしている。阿弥陀仏のところで、毎日どんなに快適に過ごしていることだろうか!こう言ったとしても、あなた達に早く逝けと言っているのではない。そういう意味ではない。

更に殊勝な事は、金剛乗は我々の為に沢山の時間を節約してくれる。人生の時間は本当に限りがある。特に、在家の一日は夜まで、あれこれと忙しく、一日の内、座ってじっと静かに思維できるのは、数分でさえもない。よって、金剛乗の特殊な修行方式を通して、上師、護法、本尊、伝承の加持を受ける故に、我々の思維の時間を大幅に短縮できる。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの経験談だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、顕教から成就した。以前、顕教を修していた時、一日一時間座禅を組み、普門品を3冊、大悲咒を49回、心咒を14回唱えていた。リンチェンドルジェ・リンポチェよりも多く修せる者がいるだろうか?だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎回こう思惟していた。自分は難関を突破できないと感じるが、その難関がどこなのか言葉で言い表せない。仏が御経で語った一切は、絶対に真実だが、なぜ自分は体得できないのか。問題はどこにあるのか?

多くの者が仏法を学ぶ方式は、リンチェンドルジェ・リンポチェとは異なる。リンチェンドルジェ・リンポチェは御経で説かれる「疑情」を実際に行なった。「疑情」とは仏法を懐疑することではなく、法師を懐疑することではなく、仏を懐疑することでもなく、自分の情緒面に沢山の懐疑を持つことである。それはリンチェンドルジェ・リンポチェが説かれるように、自分の問題がどこにあるのかを思惟することだ。あなた達が言う突破できない難関を、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に出逢い、直貢チェツァン法王について密法を学んだ後、初めて沢山突破した。それは、リンチェンドルジェ・リンポチェの身体方面のことも含み、多くの事も含んでいた。なぜこのようであったのか?それは、金剛乗の教導方式は一対一であり、上師が弟子に対して、直接、弟子の問題を突っつくので、弟子が上師に対してほんの僅かの反抗、不信、懐疑があったなら、上師の弟子に対する加持力はすぐに消失してしまうからだった。あなた達は必ずこう言うだろう。そんなに深刻なのか?当然、あなたを非常に迅速に成功に導くが、逆に、あなたを非常な速度で実践できなくする。これは対比となる。それならと、あなた達は考えるであろう。あっさり、顕教を学ぶことにしよう、と。それも良い!ダメだとは言わないが、リンチェンドルジェ・リンポチェが経験談で話したように、自分は方法に基づいて行なったのに、なぜ難関にぶつかったのか?なぜ仏の説かれた自分を済度し他人を済度する、この様な境地に至ることができなかったのか?あなた達は答えを探してごらん。金剛乗の中にはこれについての回答、方法、方向性があり、私達を導いてくれる。よって、今世で迅速に成就したい者は金剛乗を学ぶべきだ。成就を望み、この一生で絶対に生死から解脱したいなら、金剛乗を学ぶことは必須だ。選択の余地はない。あなたがしっかり学んでいることは重要ではない。重要なのは、あなたが良い上師を探し出し、付き従っているかどうかにある。

直貢チェツァン法王はこの時、リンチェンドルジェ・リンポチェについて、二つが最も重要な事だと語られた。その一つは、教派を助けられた事と金頂の事。二つ目は、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に出逢ったその日から現在に至るまでずっと直貢チェツァン法王の弟子である事。この言葉は非常に重要だ。どこが重要なのか?この弟子は上師を離れたことがない。我々が成仏する前、我々は上師を離れることはできない。「構わない。先ず彼を離れてから修する。」と言う者もいる。一旦離れたなら、ゼロからのスタートになる。離れる前に修したそれらが依然として役立つと思ってはならない。役立たない。一切が新たにゼロからのスタートとなる。なぜ、この様に解釈するのか?あなたが上師を離れる事は何を意味するのか?それは、あなたが既に上師を疑い、敬わず、上師があなたに伝えた仏法は、あなたがこの様な心を生じさせたために功徳力を失ない、ただ少しの人間界と天界の福徳に変わる。よって、あなたが新たに出発するならゼロからのスタートとなる。とても疲れる事だ!だから、なぜある者が間違いを犯し、リンチェンドルジェ・リンポチェは跪く彼を見ても無視しているのか?リンチェンドルジェ・リンポチェが残忍なのではない。彼が跪き続けることで、彼はゆっくりと福徳を累積し、金剛乗を聴く資格が持てるようになる。御経の中に、この様な根器の者でないなら金剛乗を教えてはならないと、はっきり説かれている。どの様な根器なのか?それは、上師に完全に降伏する者だ。あなたが今世での成就を願うなら、金剛乗を学ぶ必要がある。しかも、正しい金剛乗を学ばなくてはならない。

なぜ、今回、リンチェンドルジェ・リンポチェは200人の弟子を連れて行ったのか?それはあなた達にリンチェンドルジェ・リンポチェがいい加減に出てきたのか、それとも正真正銘に伝承を受けて成就したのかを見せる為だ。密教の中では非常にはっきりしている。リンチェンドルジェ・リンポチェでなければ、その位置に座りたくても座る事はできない。直貢チェツァン法王の弟子でなければ、直貢チェツァン法王の後ろに従いたくても不可能だ。もし法王に従いたいなら、それもできるが非常に後ろになる。よって、これらの後ろに従う弟子達は注意していないが、毎回、法会の前にリンチェンドルジェ・リンポチェが上がり、続いて摂政王が上がり、下りる時は、摂政王が直貢チェツァン法王の後ろ、リンチェンドルジェ・リンポチェは摂政王の後ろ、その他のリンポチェは下に座る。なぜ、この様であるのか?摂政王は現在、ヂャンチュウブリン(Jang Chub Ling)を任されており、そこの住職である。直貢チェツァン法王がヂャンチュウブリン(Jang Chub Ling)で説法する時は、当然ながら住職がチェツァン法王を懇請する。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の二十数年の弟子である。当然、直貢チェツァン法王に従うべきであり、これは非常にはっきりしている事だ。

あなた達、弟子は見ていたのか?皆、見ていない!気付いてもいない!ただ、あなた達が好む話を話すだけだ。もし、今日、リンチェンドルジェ・リンポチェにこの資格がないなら、直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェにあちらこちら従わせることはない。直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェを従わせる時、あのラマ達は皆、道を開けさせる。あなた達が従いたければ従わせてくれると思ってはならない。台湾にも直貢チェツァン法王に会いに行く功徳主が沢山いる。毎日、法会の合間の休憩時、リンチェンドルジェ・リンポチェと摂政王だけが上にあがり御茶をいただく。その人達は上に行けない。ラマが全員、遮る。お昼の食事の時は、直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェ二人だけで頂く。他の人達は誰も一緒に取れない。チベット人はこう言う。今日、直貢チェツァン法王と食事を一度する事は、二億の宝くじに当たるより良い事だと。あなた達は何も感じないことだろう!チベット人はこう言う。一人のリンポチェと食事をする事は、10世で修し得た福徳であると。

金剛乗はなぜ、こんなにも多くの規則があるのか?あなた達は必ずや奇怪に思うことだろう。なぜ、顕教にはないのか?もし法師に会いたいなら、法師はすぐに面会してくれるだろう!これもまた、どの法師かによる。五大名山の法師にあなた達は会えない。沢山のお金を持って行くなら、恐らく会うことは可能だ。金剛乗では階梯の修行、縁起と伝承を語り、これらを非常に重視する。なぜ、伝承を重視するのか?それは、もし、口伝の仏法がなければ、今世では絶対に成就は不可能だからだ。上師が弟子に口伝したかは、上師と弟子が最も明確に知っている。あなた達にはっきりと理解させる為に、あなた達には、多くの儀軌の中で見せている。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の後ろに従うことができる。それは、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに口伝したからだ。その日、教派の中のその他のリンポチェも沢山おり、直貢チェツァン法王が彼らに仏法を教えていたが、直貢チェツァン法王が前に来るようにと指示をしたのでなければ、この様に、どこにでも従える者はいなかった。今回、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分から御前に行くことはなかったが、ラマはリンチェンドルジェ・リンポチェを前に行かせた。これは必ず、直貢チェツァン法王が指示した事だ。あなた達は、上に上がりたければ上がれると思ってはならない。全くこの様ではないのだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェが寺院の入口に到着する時、寺院の管理者さえも入口で立っていて、毎朝、リンチェンドルジェ・リンポチェを迎え入れる。あなた達はこれを見ただろうか?なぜ、この様であるのか?それは、リンチェンドルジェ・リンポチェは現在、偉大なリンポチェの一人であり、この様な礼遇を受ける資格があり、修行者として、既に多くの衆生を利益できるので、この様な供養を受ける資格を持っているからだ。直貢チェツァン法王が寺院にいる時は、楽器を演奏してはならないことになっているが、直貢チェツァン法王が寺院にいない時、彼らは必ず楽器を演奏してリンチェンドルジェ・リンポチェを迎える。2007年、あなた達がネパールで寺院の落慶式に参加した時、彼らが楽器を演奏してリンチェンドルジェ・リンポチェを寺院に迎えたのを聞いたであろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは、意外にもこの事に注意した者がいなかったので、弟子達を叱責した。この様な弟子はどうやって密教を学べるのか?この様では学び得ることは不可能だ!

よって、金剛乗を学ぶには、必ず一人の正しく伝える真の上師が必要となる。これは非常に重要だ。今回、皆をインドに行かせ、あなた達にはっきりと理解させ、再度確認させたのは、新しく皈依した者達がまだ明確に理解していなかったからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェがすごいから、リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学びさえすれば良いと思っている。あなた達に、リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を学ぶ背景をはっきりと理解させ、あなた達にはっきりと見せ、理解させなければならない。何れかの上師が仏法を学ぶ背景をはっきりと伝えておらず、彼が自分はどの一世であるかと言ったとしても、彼の上師が他界した以外、あなたが嘗て彼の上師を見たことがないなら、多少の疑いを持つべきだ。彼の上師が他界していたとしても、教派にまだ人がいて、語ることができるのなら、これは非常にはっきりした事であるが、自分勝手にあなた達に告げることはない。

例えば、2007年、直貢チェツァン法王は自らリンチェンドルジェ・リンポチェを連れてネパールで閉関した事をあなた達に知らせたのは、指示であった。なぜ、これらの事を指示されたのか?それは、あなた達の心に、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに特に良いのではないか、だから、修さなくてもリンチェンドルジェ・リンポチェを与えたのではないかという懐疑心が生じるのを恐れたからだった。そんな良い事があろうか?2007年、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェが死ぬ事、関房の中で事故がある事を明らかに知っていたが、チェツァン法王は、ドアをノックして、リンチェンドルジェ・リンポチェは死んだかとは聞かなかった。ただ、侍者に、リンチェンドルジェ・リンポチェは食事したか?とだけ聞いた。食事しているなら、まだ死んでいないからだ。直貢チェツァン法王はドアをノックしなかった。なぜか?あなたが乗り切れるかどうかは、自身の修行によるからだ。上師はあなたを加持し、あなたに教えるだけだ。乗り切れるかどうかは、実は、あなたが法に基づき上師の教えに遵って修したかどうかに依る。昨年、二人のラマが、その他の小物のリンポチェを代表し、リンチェンドルジェ・リンポチェの事を、直貢チェツァン法王に密告しようとしていた。一人のラマは皆が知っているラマで、もう一人は直貢チェツァン法王の侍者であった。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェが閉関を終えて出てくると、彼は直貢チェツァン法王に向かって懺悔をし、泣きながら、一人の修行者に対してすべき行為ではなかったと言った。なぜなら、彼らは自分の目でリンチェンドルジェ・リンポチェの修行を見たからだった。あなた達は簡単に思うであろう。来年(2009年)、リンチェンドルジェ・リンポチェは数人を連れて、インドで五日間の閉関を行なう。あなた達が簡単に感じるかどうかを見てみよう。インドへ着いたら、既に良い日々が送れる。インドは、閉関者にとって六つ星ホテルのようだ。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆が我慢できないと確信している。

だから、必ず、正確で、伝承を受けた、正真正銘の上師による指導が必要だ。これをグルと呼ぶ。グルは、上師という意味だ。よって、正しい上師に皈依後について、今日は一つの重点を言う。あなた達は「上師五十法」を行持なければならない。即ち、あなたの上師の身、口、意に対してこう行なうべきである。以前、リンチェンドルジェ・リンポチェはこれを語った事はなかった。なぜ、今、語ったのか?それは、来年(2009年)より、リンチェンドルジェ・リンポチェは密法を沢山伝授するからである。前回、あなた達に少し伝えた「根本十四堕」は、即ち、あなたが金剛乗を学んだ後に、この14の事を犯したなら、金剛地獄に堕ちることになるというもので、顕教で語る五無間地獄と同様だ。今、伝法が始まるが、あなた達は、直貢チェツァン法王の大手印を聞いた事があるからと言って、自分は字を見て修せると思ってはならない。はっきりさせなければならない。中国語の翻訳と英語の翻訳とではかなり差がある。例えば、あなたが前の中国語の翻訳に基づいて修したのなら、必ずや、頭がおかしくなるだろう。英語の翻訳に基づいて修したのなら、やはりうっかり間違うことだろう。だから、必ず、上師が改めて口伝する必要がある。

よって、上師の五十依法は、あなた達が若干理解し体得すべきものである。金剛上師は一切の密法を成就する根本となる故、我々は不敬を捨て、心に恭敬心を持たなければならない。上師を喜ばせる事は一切を成就する為の入門口となる。あなた達が皈依した時に話したが、上師に怒りを感じ、上師と争論してはならない道理はここにある。例えば我々は金剛上師の戒が不足し、自分で金剛成就を得る重要部分が不足している。即ち、あなたが金剛上師に対して守るべき戒を守らないなら、金剛乗の成就で最も重要な部分を得ることはできない。ここで説く「上師五十法」は、実際に、多くの経典の中で詳しい説明がなされているが、便宜的にまとめて《上師五十頌》と呼ぶ。

いかなる金剛上師であろうと、灌頂等を含める全ての伝法の前には、いくつかの重要な事柄を行なわなくてはならない。一つ目は「前行」である。即ち、我々が言う準備法だ。二つ目は「本尊が修した法」、三つ目は所謂「円満」である。円満とは迴向のことだ。《戒来経》には、「離師無法、離法無成」と説かれている。即ち、あなたがあなたの上師を離れたら仏法はなく、仏法を離れたら成就できない。よって、上師は非常に重要である。仏法を学ぶ為に、第一に最も重要な事は先ず上師に皈依することだ。

金剛とはどんな意味か?それは、第一に、どんな物もそれを破壊することはできない。即ち、あなたが仏法を学び、成仏して衆生を利益しようとする心と菩提心は、どんな物であっても壊滅できない。第二に、この金剛心を有するために、どんな障礙も、あなたが仏法を学ぶ上で障礙となる事を壊滅できる。よって、金剛乗を修習する者は、五智を分けずに修習するため、礼儀をもって恭敬心によって、この殊勝な法要を聴き入れなければならない。ここでは大概、二つの部分に分かれる。仏法を聴聞する前に、第一に、上師を恭敬し供養をする。第二に、仏法を授けられる前に如何に供養するか。なぜ、あなた達にいつも供養するよう言うのか。例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは大手印の口訣を受ける前に、まず、十万回の百字明咒を修した。これも供養である。懺悔心、恭敬心によって真言を唱えて上師の供養を行なう。

供養者と供養を受ける者の区別は、上師に皈依する際の最低の限度である。随時、するべきかどうかを先ず観察する必要がある。これについては、以後、解釈を行なうことにする。他人がよくない行為を改めるのを助けるには、いつ特殊な許可があるのか、簡単に総括する。第一に、それは、必ず上師を頂礼するべきである事を我々に喚起する。経典には、東方の全ての十方世界の中の一切の諸々の菩薩が、毎日、朝、昼、晩と、何時もあらゆる金剛上師を供養し礼拝すると説かれている。なぜ、これらの諸々の仏菩薩が上師に礼拝するのか?これらの金剛上師は彼らの上師なのか?違う。金剛上師の伝法がなくては、輪廻に堕ちる衆生が益々増えるからだ。金剛上師の伝法があってこそ、輪迴苦海に堕ちる衆生が少なくなる。よって、金剛上師の恩徳は仏より重要であるのではないか?例えば、先ほどの、ガンで亡くなった者にリンチェンドルジェ・リンポチェの助けがなかったなら、彼女は地獄道に堕ちる事になるのではないか?恐らくそうであろう。彼らは苦しみの深淵に堕ちるのではないか?恐らくそうであろう。仏が来て助けてくれるのか?仏が来ないのではない。あなたが仏に祈るのなら、非常に大きな供養が必要である。これはお金を指しているのではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは改めてこの点を強調する。だが、上師はあなたに生々しく見せてくれるので、あなたの信心をさらに強くし、大幅に高めてくれる。仏をあなたは絶対に見ることはできない。なぜ仏がこれらの上師に頂礼するのか?それは、これらの上師が仏に代わって仏法を行ずるからだ。よって、我々凡夫は更に、我々の金剛上師に礼拝し供養しなければならない。

《光明灯宝王経》に説かれる通り、金剛上師は世尊を代表する。真に密法を伝えるリンポチェは、世尊を代表する。なぜ、あなた達のハタを献上する際に法帽をかぶるのか?それは、仏と一切の上師を代表してあなた達の供養を受けるからである。金剛上師は即ち仏を代表する。よって、我々は恭敬心をもって上師に礼拝し、供養しなければならない。例えば、先ほど分かち合いをした弟子は、気分が悪くなった時に上師の姿を観想し、六字大明咒を唱えたら加持が得られて、効果がすぐに現れた。あなた達は、仏がどんな姿をしているのかを知らない。仏像を見て、この様であると思ってはならない。これは人の考えに基づいて出来上がった物であり、変化する。チベット仏教の仏像と顕教の仏像が異なるようなものだ。タイの仏像も違う。よって、我々が一つの目的を探し出して考えるのは非常に困難だ。だが、金剛上師は仏を代表する。金剛上師を信じさえすれば、仏はあなたに加持を与える。なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェの姿を思って真言を唱えると加持が得られるのか?あの弟子は非常に神秘的な事だと感じていた。実際のところ、密教を修する者にとっては少しも神秘的ではない。些細な事だ。なぜ、すぐに効果が現れたのか?それは、リンチェンドルジェ・リンポチェがGuru(上師)の果位に至ったからだ。よって、仏に代わって衆生を助ける能力がある。だから、なぜ、常にリンチェンドルジェ・リンポチェの姿を観想し、あなた達の法号を覚えているよう言うのか。今日は、それについて解釈をした。これは迷信ではない。このリンポチェでなければならないと、盲信することになるのではないかと問う者もいる。実際には違う。あなたが何れかのリンポチェと縁があり、このリンポチェが既にこの果位に至っているのなら、同様に効果がある。しかし、この果位に至ったリンポチェは少ない。本当に少ない。非常に大変なことだ。

我々は上師を敬い、礼拝し、供養しなければならない。仏法を受ける前に如何に供養したらよいのか?あなた達が今回インドへ行った時に見たが、なぜリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王にハタを献上することをしたのか?我々は如何なる法をも受ける前に必ず供養しなければならない。ハタを献上するのは最高の恭敬であり、最大の供養である。身口意及び自分の最も貴重な物を供養する。なぜ、仏法を学ぶ前に供養が必要なのか?我々は生々世々、様々な事をしてきた。自分でも分からない。ただ仏だけが知っている。どの様にしたら我々が仏法を学ぶ過程での障礙を減らすことができるのか?それは供養である。リンチェンドルジェ・リンポチェが話すことを理解できないと多くの者が言う。私はリンチェンドルジェ・リンポチェが説かれることを理解できると言う者もいる。なぜこの様に大きな開きがあるのか?それは、福徳が異なるからだ。我々は常に「福至心霊(福は心に至る)」と言う。あなたの福徳が充分である時、心の中にある、こんなにも多くの奇怪でおかしな考えはなくなる。ハタを直貢チェツァン法王に献上する事は、自ら直貢チェツァン法王の説かれた事を理解できるようにする為ではない。自ら直貢チェツァン法王に供養をすることにより、直貢チェツァン法王の口伝後、上師は初めてあなた達に教える機会が与えられる。あなたに福徳がなければ、あなたに教えても、あなたは理解できない。直貢チェツァン法王の説かれる事を理解できないという者がいるが、理解できないのは当然だ。それは福徳がないからだ。本日、若干の福徳があり、あなた達に「聴」をさせることができた。まだ「聞」には至っていない。聴と聞は二つの事である。以後、何が聴で、何が聞であるかを解釈しよう。

いかなる法を受け入れる前にも必ず供養しなければならない。お金がなくてもお金がない供養の方法があり、お金があるならお金がある供養の方法がある。実際に、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を学び始めたその日から、供養を止めたことはない。あなた達も多くの御経にこの様に説かれているのを見た事だろう。例えば、《普門品》には、「無盡意菩薩が観世音菩薩に供養を捧げ、観世音菩薩はさらに釈迦牟尼仏に供養を捧げる。私はもうしたから、もうやったからとは言わない。この様な観念は間違いだ。現在に至り、リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェの果位を証したが、直貢チェツァン法王を見るとやはり供養を捧げる。薄い物ではない。非常に厚みのある物だ。あなた達から頂いた物は全て供養する。法を受け入れる前には必ず供養しなければならない。自分の恭敬心をもって、見返りを求めずに供養することにより、あなたの累世の怨親者はこの供養によって感動をし、あなたの仏道修行を妨げることなく、あなたが仏法を聴聞するのを妨げることもない。この様にあなたは初めて因縁福徳をもって聴聞し、修行することができる。よって、これは非常に重要な事だ。法を受ける前には供養を捧げなければならず、供養は普通と特別とに分けられる。法本によると、各種好みの宝物の供養を捧げ、ハタを両手で無上宝上師に御供養する。もし、この様に供養を捧げたのなら、若干の成就が得られる。なぜ、この様に供養を捧げ頂礼をすべきなのか?無智(智慧のない人)の誹謗中傷を遮断する為である。天性、仏法と敵対している様な者がいる。供養したり仏法を学ぶ人を見ると、いろんな事を言い出す。我々仏法を学ぶ者は、一切衆生が如何なる悪因をも作らないことを望む。今日、もし我々仏法を学ぶ者によって他人が口業を為す事は、最も起こるべきでない事だ。だから、なぜリンチェンドルジェ・リンポチェはいつも、もしあなたの夫が、あなたが仏法を学ぶ事が原因であなたと喧嘩し、あなたが仏法を学ぶのを阻止するなら、先ず来なくてもよいと言っている。あなたがあなたの夫に口業を作らせるからだ。あなたは自分が仏法を学ぶことで他人に口業を作らせてはならない。

我々の供養、礼敬は、彼に、今日、我々の仏法に対する、上師に対する恭敬心を見せることになる。彼があなたに行くなと言い、あなたは行かなかったが、家の中でやはり供養を捧げる。上師の御写真に対して供養を捧げ、礼敬する。すると、夫はゆっくりと誹謗中傷を止めるだろう。これは最も良い阻止法だ。愚痴をこぼす必要はない。多くの者は愚痴をこぼすのを好む。リンポチェは一人の弟子に、彼の兄の事で愚痴をこぼしてはならない、話してはならない、彼に従うようにと教えた。なぜなら、しゃべると、皆が互いに口業を作ってしまうからだ。彼が信じるか信じないかは、全て彼の因縁による。我々はどうやったら他人を変えることができるのか?上師を更に恭敬する必要がある。更に供養を捧げる必要がある。ある日、夫は必ず聞くはずだ。なぜ、そんなに上師を敬うのか?と。その時、あなたは上師が行なっている一切衆生に対する利益について、彼にゆっくりと話しなさい。他の上師には、こんなにも多くの話はない。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェの所の例は非常に多い。

それはまるで、先ほど分かち合いをした弟子のようだ。あなた達は話を聞き感動したのではないか?元々、仏を信じない人が仏を信じる人となったのだ。彼の妻が以前、顕教を学んでいた時も、彼はついて行かなかった。仏を信じない人が仏法の偉大さを感じ取った。これは、上師が作り出したものではないのか?だから、あなた達が常に上師を褒め称える事は衆生への助けとなる。なぜ、上師の言った事に注意しなければならないのか。上師の日常生活には注意しなくてもよいが、衆生を利益し、教派を助ける事に注意を向けなければならない。あなた達が心を込めて見、心を込めて知ることもまた供養である。供養は、沢山のお金を出すこととは限らない。あなたが常に上師を褒め称え、他人に仏法に対する恭敬心を起こさせる事、これも供養である。我々は、あなたが間違っている、私が正しいと、人と論争する必要はない。行動を彼に見せればよい。例えば、あなたの友人、親戚が上師や仏を誹謗中傷するなら、彼と論争する必要はない。あなたは只、供養を続け、礼敬を続け、実行していけばよい。彼があなたに何故か?と聞くなら、あなたは上師の衆生利益についてを少し話せばよい。彼は沢山聞くと、奇妙に感じることだろう。なぜ、この人は成し遂げられたのか?と。彼はゆっくりと変化し始めるだろう。なぜ、多くの人が仏法を誤解するのだろう。それは、多くの者は話せるだけで、実行していないので、自然に人に誤解されるのだ。

先ほどの例では、元々、顕教も沢山礼拝し、供養もしていた。彼らは、なぜこの様な病気があるのかと疑いを生じさせる。だから、皆はしっかり聞きなさい。お金を受け取るのは仏菩薩ではない。だが、仏菩薩は衆生にいかなる物も借りることはない。お金を受け取った者は彼らの為に何もできなかったが、仏菩薩はやはり彼らをリンチェンドルジェ・リンポチェの所に送ってきた。彼が最も助けを必要とし、最も苦しんでいる時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは現れた。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェも非常に苦労する。前半のいい所は分配されず、後半の苦しみはリンチェンドルジェ・リンポチェが後始末をする。この様に、リンポチェは非常に苦労する。だが、これは重要ではない。重要なのは、皆は供養、恭敬の作用を明確に理解することにある。作用は、あなたに福徳を積ませるだけでなく、他人の仏法に対する見方にも影響を及ぼす。一般に言われている様に、懺悔の礼拝を沢山し、御経を沢山読んで彼に迴向すれば、彼はあなたの話を聞くようになる、というのではない。これは巫女だ。真の仏法は、供養、恭敬から現れる。あなたがずっとこの様に行い、捨て去ることがなく、あなたのしている事に無理があると人に思わせてはならない。彼が「キチガイか、毎日そんなに拝んで」と言うなら、あなたはただこう言えばいい。「そう。私はキチガイで、ちょっと運動をしているだけ」と。人と論争したり、人に、私は運動をしているのではないと言ってはならない。この様にすることも運動だ。ただ心の中で自分が上師を供養し、恭敬し、礼拝している事が分かっていればよい。他人があなたに聞いたら、あなたは、私は運動をしていると答えればよい。五体投地も全身運動だ。毎日行なえばお腹が小さくなる。お金を使わなくてもよい。数十万かけても少ししか痩せない。仏法を学ぶ事は非常に良い。あなたの為にお金を節約してくれる。

また、この「供養」には言うべき事がまだある。金剛弟子であるからには全て、できる限り、座ることを供養する。上師がどこに行っても、上師に座らせる。立つ礼儀等によって上師を待つ。インドにいる時、皆は見たことだろう。直貢チェツァン法王が法座に上がる時と下りる時、リンチェンドルジェ・リンポチェは真っ直ぐに立っていなかった。必ず腰を曲げていた。これは立つ時の礼儀である。なぜなら、上師が法座に上がられる事は仏を代表する。あちこち見回して、ふらふらするのは、礼儀がない事になる。

行なうよう上師が指示した事は、個人の力を尽くして行ない、尚且つ、尽力して供養し、マンダラ供養等を行う。行なうよう上師が指示した事は、成し遂げられない物はなく、間違うこともない。なぜ、成し遂げられず、間違うのか?それは、自分の力を尽くしていないからだ。自分の力を尽くすという事は、注意を怠らず、いい加減にやらず、自己満足せず、自分勝手に行なわないことだ。この様に行えば成し遂げられる。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に皈依してから現在に至るまで、直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに行なうよう指示したことを、すべてやり遂げた。なぜできるのか?簡単なことだ。自分の力の限りを尽くして行なうからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分の力の限りを尽くすだけでなく、自分の命をかけてするので、当然ながら成し遂げられる。しかも、尽力で供養する。これは、密教を学ぶ金剛弟子が毎日しなければならない事である。

金剛乗の中では、上師の足を洗ってあげる事さえある。これは、漢人にはあまり見られない伝統であるが、チベットにはある。上師の足を洗ってあげるだけでなく、先ず頂礼をし、頂礼が終わったらお湯で上師の足を洗い、拭き取り、さらに頂礼する。なぜ、頂礼が必要なのか?それは、上師が我々に福徳を作る機会を与えてくれたので、我々は感謝しなければならない。しかし、漢人にはこの種の規則はない。よって、話さないが、チベット人にはある。ここでは更に、勇敢で智慧のある伝法上師と言う。勇敢とはどんな意味なのか?喧嘩ができる人ではなく、衆生を利益し、仏法を保護する勇気と、仏法を学ぶ勇気のあることだ。非凡の人には成し遂げられる。

例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは、2007年6月にネパールへ行き三ヶ月の閉関を行なったが、関房の中で心臓はずっと止まっていた。だが、上師、仏菩薩に救いを求めなかった。本尊が私の事を衆生に役立つと思うなら、自分を留まらせ、さもなくば連れて行ってもらいたいとだけ願った。あなた達のようではない。この時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、座っている姿勢が不敬の者を叱責した。所謂「勇敢」とは、喧嘩ができて死を恐れないものではない。だが、我々、仏法を学ぶ者は、真に生命をかけて学ばなければならない。衆生を利益する心は常に勇敢である。リンチェンドルジェ・リンポチェが今回、シーク教の地で弘法したようなものだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの保安主任は非常に緊張していた。なぜなら、シーク教の地の人は、殺人を平気でするからだ。もしあなたと彼らの宗教が衝突したなら、彼らはあなたを始末する。彼らは現在に至っても尚、騎馬の訓練をし、盾を手に、刀を持って喧嘩する。出て来た兵隊は、矛と銃を持ち両脇に立っていた。以前、インドのガンディー首相夫人のボディガードがシーク教徒に銃で撃たれた。彼らはシーク教を圧していたからだった。今回行こうとした時、保安官も皆、恐がった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らに告げた。「恐がらなくていい。あなたとは関係のない事だ。」だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは全く恐がらなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生の為に、衆生が求めたので、命も惜しまずやり遂げる。

当日の施身法の修法は、実に命知らずであった。理事長は先ほど、また言うのを忘れた。その日、修法を半分行なった後、テントの灯りが突然消え、外も暗くなった。雷が鳴り、大風が吹いてテントに入ってきた。この有り様は、まるで、衆生の兄弟達が皆やって来た様なものだった。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアを込めて言った。「インド人はとても黒いので、その日は特に黒かった。もしアメリカでの修法だったら、白人はこんなに黒くないだろう。」修法の過程では、沢山の、沢山の衆生が来た。なぜなら、その地区では嘗て施身法を修したことがなかったからだ。修法を終えると、星、月が皆現れた。雲一つさえなかった。施身法について言えば、これは最も殊勝な事であった。あらゆる済度の必要な衆生が即刻済度された。もしあなたが恐がるなら、半分修法したところで灯りが消えたら、衆生が来た事を知り、すぐに恐怖を感じたことだろう。

もし、あなたが「勇敢」でないなら。「勇敢」とは、衆生を利益する為に、自分は全く損得に拘らないことであり、その日の修法で相手に全てを食べられても気にならない。この種の「勇敢」な上師に出逢うのは非常に難しい。しかも、智慧も必要だ。「智慧」の意味は、最も少なくとも、空性の本質が何であるかを体得していること。勇敢であるが智慧がなければダメだ。智慧があっても勇敢でないのもダメだ。両方とも必要である。例えば、最近、ある者が前首長にひどくコントロールされ、この人が手紙を書いた。「彼の慈悲は偽物だ。他人が改める事を望んでいるが、彼には智慧がない。」現在、外ではある事が流行している。「できる限り済度する。悪人でも助ける」リンチェンドルジェ・リンポチェはこう説かれた。「そうだ。我々は悪人でさえも助けなければならない。だが、条件がある。彼が懺悔することだ。もし懺悔することを拒むなら、あなたがいい加減に仏法を使って彼を助けても、助けられないばかりか、却って彼に損害を与えることになる。だから、沢山の人がリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来た時、リンチェンドルジェ・リンポチェは最初に、相手は懺悔しているのかと聞く。もし相手が懺悔をしないなら、彼に出て行ってもらうしかない。彼が懺悔を拒むという事は、リンチェンドルジェ・リンポチェに彼の心中の欲望を叶えてもらいたいという希望を意味するからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが成し遂げられなかった時、彼は恐らく仏を誹謗し始め、仏法を傷付けかねない。だから、智慧が必要だ。その人には智慧がなかった。一般に言われる仏教の弟子と同様だ。人に対して善をなし、相手が改めたいと思うなら機会を与える。智慧がないなら、相手が改めたい事をどうやって知ることができるのか?また、この手紙を書いた人は、若干、自分の為となる考えがある。智慧には自分が得しようという考えはない。全て衆生を助けるためだけにある。

この様な上師と密法を学ぶことを願う受法の弟子とが出逢い、金剛乗の仏法を伝えるが、受ける前には、お互いに審察する必要がある。それは慣例では3年だ。如何に審察するのか?リンチェンドルジェ・リンポチェに対しては非常に簡単だ。リンチェンドルジェ・リンポチェがどの様に修し成就したのかを見ればよい。よって、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を連れてあちこちに行き、弟子達に見せる。ここ数年、リンチェンドルジェ・リンポチェがどの様にして衆生を利益するのかを、皆に充分に見せてきた。それでは、上師はどの様にして弟子を審察するのか?弟子のあらゆる行為、言葉、上師に対する事等をずっと見ている。もし、お互いに根器を審察していなかったら、伝法の上師と受法の弟子は同様に金剛大罪を犯したことになる。

なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェは今に至るまでまだ密法を伝えていないのか?それは、恐いからだ。実際に、密法を学ぶ資格のある者は数人しかいない。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは法を用いてあなた達を助ける。ずっと伝えることを拒んでいるのは、これが非常にすごい事を知っているからだ。なぜ、伝法者がいい加減に伝えると大罪を犯したことになるのか?それは、金剛乗の法と一本の刀とは同じであり、刀を使い間違えると殺人となる。同様に、一本の刀で野菜を切ることもできるし、殺人の道具にもなり得る。もし、弟子の根器が正しくないなら、変な考えを起こす。死ぬのが恐くて、問題を上師に投げ返した、先の弟子のような者は、金剛乗を学ぶ資格はない。彼が上師にいかに敬おうとも役に立たない。寺院で人の物を持って帰った二名の弟子も学ぶ資格はない。なぜ、こんなにも厳しいのか。それは、あなた達が現在皈依した上師は、戒法一つ一つを明確に理解しているからだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは長い間、皆に見せてきた。あなた達は、リンチェンドルジェ・リンポチェの行なう全ての事が自分の立場を考慮に入れていないのを見てきた。この道場が最も簡単な例である。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが購入する時、自分の名前を書こうとしたならできたはずだ。現在、この道場は非常に値打ちがある。リンチェンドルジェ・リンポチェが購入する時、一坪17万、一銭のお金も加えずに直接道場にあげた。当時の市場価格ではこの道場は一坪23万であった。23万と言わなくとも、20万でいい。それなら、300坪でいくら儲かったのか?もし、その時、リンチェンドルジェ・リンポチェが自分の名前を書く事を主張したら、現在、この道場はいくら儲かったのか?これだけで充分だろう?リンチェンドルジェ・リンポチェは毎月道場で一銭のお金も受け取らない。あなた達個人がリンチェンドルジェ・リンポチェに供養を行なう場合は、個人が決定する。リンチェンドルジェ・リンポチェは現在、こんなに多くのビジネスをしているが、今迄、「こっちに来なさい、加持があるから。」という言葉を言ったことはない。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に言った事があるかと尋ねた。列席者は異口同音に「ない!」と言った。中医診所(漢方診療所)でも語ったことはない。

ここまで説かれると、リンチェンドルジェ・リンポチェは思い出し、皆の注意を促した。現在、台湾には一軒の販売店がある。皆は行ってはいけない。彼が直貢チェツァン法王の名を使ってビジネスをしているからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に、直貢チェツァン法王に報告した。直貢チェツァン法王は法的行動を採ると言っておられる。仏法は商売ではない!もし、あなた達がこの店に行って買い物をしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなたを追い出すだろう。なぜなら、この人は仏法を尊重せず、仏法を利用して金儲けしているからだ。もし仏法を利用したいと思うなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは最初に利用するのではないか?だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは全くこの様ではない。あなた達がどんな物を買っても、リンチェンドルジェ・リンポチェは加持があるとは言った事がない。直貢チェツァン法王が加持をしたとも言った事がない。全くない!仏法は、利用する道具にはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェの身分であるので、利用したければ簡単に利用できる。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは今迄嘗て、皆に仏像やその他の物を買わせたことはなかった。全くない!これもまた、皆にリンチェンドルジェ・リンポチェの一部を観察させられる。よって、互いに観察し合うとは、あなた達が上師を見て、上師が仏法を学ぶ過程を見、上師がどうやって徐々に修してこれを成就したのか、どんな理由によって上師はリンポチェになったのか?を見る事が非常に重要である。この事をはっきりと、あなた達に話しておく。

よって、ここで話すが、心から密教を修したいと願う弟子は、上師に皈依する前に必ずはっきりと調査すべきである。この上師には上師になる資格があるか?真の伝承であるか?彼は金剛乗で説かれる一切の条件に符合するかどうか?これにより、ここ十数年は、皆に調査する時間を与えた。調査は充分であろう?直貢チェツァン法王も公に、リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェであると語ったことがある。これで充分であろう!もし金剛乗の条件がないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはリンポチェにはなれない。「金剛乗」とは何か?以後、皆に解釈する。

例えば、自分で「金剛大阿闍梨」と称する偽上師がいて、弟子が彼について偽密法を学んだ。それは、成就できないばかりか、師徒は共に金剛大罪を犯したことになる。自分は金剛上師だというこの者が、例えば若干の仏法を盗み、若干の金剛乗密法を盗んだとしても、彼の伝承が清らかでなく、公で承認されたものでないなら、あなたが彼について学ぶと、やはり問題が出る。例えば、直貢噶舉教派は非常に明確であるが、直貢チェツァン法王が承認した伝法のできるリンポチェは全て、直貢噶舉派の公式サイトに列挙されている。リストにないなら数に入れない。たとえ彼が直貢チェツァン法王から手紙をもらった事がある或いはその他の事があったとしても、数に入れない。それは、直貢チェツァン法王が承認していないからだ。なぜ、直貢チェツァン法王が言って初めて数に入れるのか?それは、直貢チェツァン法王は直貢噶舉全体の法脈を代表するからであり、法王の仕事は直貢法脈の継続にある。二つ目の仕事は、伝法できる一切の金剛上師の認定である。詐欺ではない。もし、あなた達にまだ若干でも懐疑心があるなら、とっとと出て行きなさい。残ってもあなた達に良い事はない。リンチェンドルジェ・リンポチェに悪いのではない。

よって、伝法の上師もまた、伝法する以前に、弟子に対して、彼が弟子となる根器があるか否かを明確に審察しなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子となるのは非常に簡単だ、願えば皈依できると思ってはならない。あなたに皈依させても暫くの間見る必要がある。これには根拠がある。リンチェンドルジェ・リンポチェが発明したのではない。だから、好まないならすぐに離れなさい。他の所は比較的簡単だ。懺悔の礼拝をし、名前を書き、少し寄付をすれば、人はあなたを発心だと言い、あなたを菩薩と呼び、残らせて何か食べさせてから帰らせる。ここではその方式はない。御飯も食べられない。また、金剛乗で語る弟子となる一切の条件に符合するか否か。あなた達はどうやって、自分にその条件があるか否かを知るのか?リンチェンドルジェ・リンポチェが如何に直貢チェツァン法王に接するのかから知ることができる。様々な事があったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは話したことはない。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェが如何に直貢チェツァン法王に接するのかを見れば知ることができる。直貢チェツァン法王は今回、ある事を話された。先ほど理事長も取り上げなかった事だ。直貢チェツァン法王は「ただ直貢噶舉派がリンチェンドルジェ・リンポチェを必要とする時、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず助けてくれる!」この言葉は大きな意味をもつ。即ち、教派がリンチェンドルジェ・リンポチェを必要とする時、リンチェンドルジェ・リンポチェは一切の力を尽くして行なう。

もし、上師がうっかりして弟子の根器を審察せずに弟子にして無責任に伝法し、弟子も相手が真の上師であるか否かを明確に区別せずに、いい加減に皈依し受法したとしたら、この様に密法を伝える災いの上師と、密教戒を遵守しない弟子は同様に、密教大戒を破戒したことになり、師と弟子は共に金剛越法大罪業を受けることになる。驚いてはならない。実際にこの様である。よって、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に追随して二十余年、直貢チェツァン法王が自ら聖地に連れて行き閉関したのは、現在に至る迄、リンチェンドルジェ・リンポチェが初めての人である。閉関は皆が想像するような御経を見て真言を唱えるものではない。密法は四つの部に分かれ、これは最も重要で、最高レベルの部である。この部を修し成就できたなら、一切は非常に簡単であるが、必ず上師によって導かれなければならない。直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェを十数年間ずっと観察し、リンチェンドルジェ・リンポチェが根器のある弟子であることを見てとって初めて、最も秘密の法を伝えた事からも分かる。また、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを長い間見ていて、リンチェンドルジェ・リンポチェが学びたがっているのを理解し、ずっと観察し、一昨年突然、2007年に閉関すると言ったのである。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに閉関させる為に、自分で4年間準備した。それは、そこは誰も住んでいない場所であり、第二に、そこへ行く交通手段がなく、第三はそこは国境に近く、山を越えたら中国であるため、政治的に非常に複雑で、危険度も高かったからだ。また、食べる物の問題もあった。だから、直貢チェツァン法王は、弟子を育てる為に、4年前から準備を始めた。よって、今日、あなた達が上師に出逢えるのは非常に難しい事だ。しかも、上師がよい弟子に出逢えるのは更に難しいことだ。直貢チェツァン法王が台湾での20余年、育てあげたのはただ、リンチェンドルジェ・リンポチェだけだという点から、非常に困難である事が容易に推察される。

《金剛珠経》には「宝貝要仔細摩判断」と説かれている。即ち、宝物は注意深く触り判断すべきだ。「所以要収金剛子,仔細判断12年。(よって、金剛子を弟子にするには12年かけて詳細判断すべきである)」リンチェンドルジェ・リンポチェは1997年に弘法を始めてから現在迄、たったの11年である。よって、あなた達が理解するのは非常に困難である。困難とは、密教を学ぶことは、あなた達が想像するようにそんなに簡単な事ではない。よって、リンチェンドルジェ・リンポチェは、この十数年、ずっとあなた達に代わって基礎を築いてきた。なぜ、あなた達にこんなにも厳しいのか?あなた達が金剛乗の弟子を成し遂げていないので、リンチェンドルジェ・リンポチェは伝法をする勇気がない。皆から傷つけられるのを恐れているのではない。皆を傷つけるのを恐れているのだ。だから、なぜ皆に要求するのか。今、あなた達はやっと理解した。経典には「仔細判断12年。」と説かれる。簡単ではない。直貢チェツァン法王もまた長い間準備されてから伝える。

ここでも言っている。「智慧のある弟子は、衆生を救済しようという慈悲心のない者を捨て去るべきである。更に、真の伝承がなく、心が黒く憤怒の人、及び弟子を指導する智慧がなく、高慢で気をもむ等の心が散乱する人を捨て去るべきである」。一番目について先ず言うが、衆生を救済しようという慈悲心のない者。ここでは特に「救済」についてを明確にする。彼を喜ばせ、好運に転じ、健康である事を「救済」というのではない。仏法が語る「救済」は、他人を輪迴の苦海から解脱させる能力があるか否かである。これを「救済」という。よって、ここ11年、皆はリンチェンドルジェ・リンポチェが何度もポワ法を修法するのを見、リンチェンドルジェ・リンポチェが何度も施身法を修法して元々輪廻すべきの沢山の衆生を助けた事を聞いた。この様な事は、普通の人ではできない。例えば施身法であるが、直貢噶舉教派について言えば、現在に至るまでで、数百人、何千人とこの様に施身法を修法するリンポチェはいまだ嘗ていなかった。あなたに慈悲心がなかったら、これらの衆生があなたを生かしておくはずはない。例えばインドで、特に初めて施身法を修した時、入ってきたのは全て、怨念、恨み、怒りの非常に強い衆生であった。もし慈悲がなければ、それらの衆生はあなたを相手にしなかっただろう。あなたの話を聞かないばかりか、傷つけることさえもある。

リンチェンドルジェ・リンポチェが初めてシーク教区に赴いた時、あの大物が開いたその地区で最大の病院では、リンチェンドルジェ・リンポチェのボディーガードは警棒を身に付け、大物についている10余名のボディーガードは、全員、軽機関銃を携えていた。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに病院へ行き加持を与えてくれるよう願った。病院の中には様々な異なる宗教の祭壇があり、当然ながらシーク教のもあり、リンチェンドルジェ・リンポチェも入っていった。シーク教には特別な風習があり、廟に入る人の頭上に一枚の布を必ず置いた。リンチェンドルジェ・リンポチェも彼に置かせ、中に入って合掌した。この大物は、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼の神に対して非常に慇懃であると思っていたが、実はそうではなかった。かれらには鬼神がいた。リンチェンドルジェ・リンポチェは見えたので、彼らの神に告げた。「もし、あなたが善神なら、あなたの人民達に私の助け、仏法の助けを受けさせてもらいたい!」奇妙な事に、その日の晩、彼らの学校で催しがあり、学校側は招待していないのに、その大物が突然現れ、彼は、突然舞台に上がり演説を始めた。話した事は皆にとって信じ難いものであった。その大物は、「この世界のあらゆる一切の紛争、紛糾、戦争は、ただ仏法だけがその問題を解決できる。私はここで表明する。あなた達は毎年、このリンポチェを要請すること!」と言った。列席者は皆共に拍手をし、リンチェンドルジェ・リンポチェの大摂受力を讃えた。

よって、リンチェンドルジェ・リンポチェは、2007年及び2008年に彼らの要請を受けてインドへ行った。今年も要請があり、もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが再び赴くなら、彼らは1000人を保証している。なぜか?それは、リンチェンドルジェ・リンポチェは、当時、到着した初日に、動き回っている彼らの女神を見たが、施身法の時にリンチェンドルジェ・リンポチェによって済度されたからだ。施身法を修法した日の夜、彼らの催しがあり、この女神がいかに彼らを救ったかについて演じられた。彼らの神と台湾で拝まれている神とは同類であった。よって、所謂、智慧のある者であっても盲信してはならない。彼は転生者だから、彼は大寺院の者であるから、彼は教授であるから、或いは彼には沢山の信者がいるからと、信じるような事があってはならない。盲信してはならない。彼に究極的に、救いを必要としている一切衆生を助ける慈悲心があるか否かを見分けなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェがインドへ行く事は、リンチェンドルジェ・リンポチェにとって必ずしも利点はない様であるが、今年初めて、供養を始めた。彼らにとっては、この供養は非常に大きなものだ。それは、我々は彼らの宗教ではないからだ。よって、この上師が慈悲心をもって途絶えることなく衆生を救うかを見ている。

只、あなたに恭敬心があり、縁があるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ずあなたを助ける。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を助けることを嘗て拒んだことはない。かれにただ懺悔心があるなら必ず助ける。また、この上師に真の伝承があるかを見なければならない。即ち、彼の伝承は歴史的に明確であるか否か、彼が誰について学んだかをあなたに説明することができるか否か、これらははっきりしている必要がある。もし、この上師が、黒教の何者であるとか真仏の何者であるとか言うなら、これらは偽物だ。もし彼が自分は真仏だと言うなら、我々が現在礼拝しているのは偽の仏になるのか。ある者は本を読むのが好きで、読んでいるうちに盲信してしまう。これも良くない。腹黒く、怒りに燃えている人は、自己の利益のために黒くなる。例えば、修法をして、人を懲らしめ、怒り、弟子を指導する智慧がなく、傲慢で、無秩序な者に、我々は近づく事を止めなければならない。彼には伝承がないばかりか、密法のやり方もなく、法を学んだ事がないからだ。名聞利養の為に、貪心は満足することなく、いい加減に偽法を伝え、金剛乗で言われる上師の資格も符合しない。この種の者は、師として依止するべきでない。弟子となる者は自分の智慧によって上師を選択しなければならない。これで、あなた達ははっきりしただろう。ぼうっとしていてはいけない。

世の中には、突然感応し、成就した上師は一人もいない。例えば、観音菩薩が夢の中で教えてくれたとあなたに語る者がいたとする。密教にはあるが、これはリンポチェ級のことだ。一般人ではない。最短で12年の修行をし、さらに約20年から30年を経過してリンポチェを証したならその機会もある。もし、彼が以前、この過程を経過しておらず、突然出て来たのであれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは、あなたに早く立ち去るよう勧める。絶対に彼に近づかないように。御経には「一盲衆盲」と説かれている。即ち、一人の盲人が沢山の人を引き連れて道を歩く。全員盲人だ。道案内が道を間違い、落っこちたなら、皆も一緒に落っこちてしまう。御経にはこう説かれる。もし、あなたが一人の邪師について仏法を学んだら、あなたは今世で地獄に堕ちるだけでなく、生々世々、正法の上師について仏法を学ぶ因縁がなくなる。よって、なぜある者は非常に奇怪な所に行き着くのか。あなた達もその内に含まれるが、以前、なぜ、奇怪な所の事を聞いたのか。それは、あなたが過去の一世でつき従ったことがあるからだ。今日は、非常に明確に話した。もし、あなたが以前聞き、あなたが真実だと思っていたものであっても、二度と繰り返さなくてよい、離れてもよい。もし、あのリンポチェは本物か偽物かと、あなたに聞く者がいて、あなたに少しでも懐疑心が起きるなら、離れるべきである。なぜあなたに離れることを勧めるのか?リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達を地獄に堕としたくない。ある一つの戒では他人を批判する両舌について語っている。それは、死んだら地獄に堕ちる。ましてや、あなたが批判したのは、正真正銘の成就を得たリンポチェである。あなたがリンチェンドルジェ・リンポチェに何らかの懐疑心をもち、まだしっかりと懺悔していなくても、何事もないと思っているのか?リンチェンドルジェ・リンポチェがあなたを罰するのではない。あなたが自分の福徳を使い切ってしまうのだ。原理はこの様である。あなたが一人の小物を批判しただけでも地獄に堕ちる。ましてや、一人の福徳の大きな人に対してである。簡単に言おう。あなたが道路で浮浪者を殴っても、せいぜい、あなたは傷害罪で訴えられて罰金を払うだけであろうが、大統領を殴ったらどうなのか?まず叩きのめされ、続いて牢屋入れられるだろう。同様に殴っても得られる結果が違う。因果はそんなに複雑ではない。仏があなたを罰するのではなく、上師があなたを罰する。あなたはこの上師が正しいと知っているが、あなたに懐疑心があるなら、離れた方がよい。例えば、あなたはこの上師が正しい事を知っているなら、自分はいい加減な事を言ってはならない。この様な解釈で、はっきりした事だろう。

名聞利養のために、例えば法会を開く等をしてはならない。法会では一億二億を稼ぐことができる。説法が正法であるか、正法でないかにかかわらず、何れも名聞利養である。瞋はこんなに沢山のお金で何をするのか?例えば、寺院の支出が大きいなら、削減すればよい。現在、企業は皆、五万人余りを首切りする。寺院は一つ、二つを閉じることはできないのか?なぜ、そんなに沢山のお金を集めるのか?寶吉祥仏法センターは大法会を開催しても儲からず、損失が出る。元々こうすべきでないと言うのは、名聞利養である。彼が集めたお金で善事をするとか誰に寄付するとか言っても、これは全て名聞利養である。なぜ、政府に寄付しないのか?もし、政府さえも信じないのなら、ここに住んで何をしているのか?移民すればよい。政府にはお金を必要とする部門が沢山ある。多くの福祉団体がお金を必要としている。当然ながら、政府が本当にしているかどうか?騙していないか?を誰が知ろうかと言う者もいる。それに対し、リンチェンドルジェ・リンポチェは一言返した。あなたは世の中の団体が騙すことはないと、どうやって信じるのか?あなた達はやはりその団体に寄付をする?支援団体について言えば、あなたがお金を寄付すると、100元の内、40~50元が支出として使われ、残った50元をあなたに代わって寄付する。だが、政府は違う。政府の職員は全て給与であり、政府が与えるべきものだ。よって、我々が寄付した金額を政府は必ず使う。毎日電話をして監督してもよい。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎年、数百万を寄付し、一人の弟子に毎月政府の社会福祉部門にこのお金を何に使ったのかを尋ねさせ、政府に報告させている。世間の団体にあなたは尋ねられるのか?絶対に無理だろう。なぜ無理なのか?罵られるからだ。だから、物事を行なうには智慧が必要である。愚かではいけない。自分ではまだ、いい事をしたと思っている。よって、智慧のない上師がいなくては、あなた達は間違いを犯すのだ。

今日は、上師に如何なる条件が備えられるべきかについて、皆に明瞭に説明をした。観察してみてごらん。なぜ、仏法と関係のある全ての事をリンチェンドルジェ・リンポチェは先ず直貢チェツァン法王に報告するのか、その道理はどこにあるのか?全ての法は清らかで、根拠がなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェが発明したものでも、リンチェンドルジェ・リンポチェが言ったものでもない。なぜ、今回、インドの大手印の法会に弟子達を連れて行ったのか。それは、寶吉祥のこの道場に大手印の伝承を得させるという縁起によるものだ。あなた達二百人の弟子ではないので、誤解しないように。必ずあなた達の身上に発生すると思ってはならない。そうではない。直貢噶舉の教えを、この縁起を導くためだ。実際には、リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた達に教えることができるなら、こんなに苦労してインドへ行く必要があるのか?実に、この伝承の正確性、真実性を作り出すためだ。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが発明したのでも、リンチェンドルジェ・リンポチェが言ったのでもない。伝承によるものだ。尊き直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに伝えた時、あなた達は見ていなかったが、多くの人が本当かどうかと疑った。今は、あなた達には疑わせない。リンチェンドルジェ・リンポチェがまだ上に座っているのは、リンチェンドルジェ・リンポチェが求法したからだ。元々、直貢チェツァン法王は、16日まで説法することになっていたが、我々が16日に出発するのを知り、濃縮して、15日に全ての説法を終えた。直貢チェツァン法王はやはり口訣を伝えただけであったが、内容は非常に豊富であった。あなた達が学ぶには、まだ早すぎるものだ。

「真に基準に適う金剛上師は心身が安定していなければならない」この言葉をどう解釈したらよいのか?通常、あなたは上師の心身が安定しているか否かを見ることは恐らくできないが、法会では見て取れる。あなた達は皆、見て取った。リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がると5、6時間だ。ジャンチュブリン(Jang Chub Ling)では、多くの者が身体をこっちに曲げたりあっちに倒したりしていたが、リンチェンドルジェ・リンポチェはやはり真如の如く動かずにそこに座っていた。なぜ、心身安定が必要なのか?この人は絶対に求めるものはない。あったとしても、全て最も基本的な生活上の要求である。彼は衆生に対して何も求めないので、飛び回ることがない。リンチェンドルジェ・リンポチェについて言えば、自分の休暇はほとんどない。出国も全て衆生の為、道場の為である。あなたは、リンチェンドルジェ・リンポチェがあそこは面白いから皆で行こうというのを聞いたことはないだろう。心身の安定とは即ち、彼の禅定が充分である事だ。こうして初めて心身が安定する。施身法を行なうのを簡単だと思ってはならない。心身が不安定なら、修し成就することは不可能である。

「言語明晰」とは、上師の発音が標準的か否かという意味ではない。上師が伝えた仏法が明瞭か否かである。あなた達は聞いてすぐに、上師が言いたい事は何かを理解できる。話していることが曖昧で、まるで理事長の話をあなた達は聞いているが理解できないようなものだ。はっきりしただろうか?彼が話した事をあなた達は明確に理解したか?やはりはっきりしない。なぜはっきりしないのか?彼は自分の感情を中に入れておらず、ただ物語を語っているだけだからだ。

「智慧があれば、真法か邪法かを判断できる」よって、あなた達が物事を尋ねた時に、リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐに、この様に、或いはあの様にと説くことができる。真法とは、この仏法があなたを生死から解脱させられるか否かであり、その逆であるなら例え仏法を語っても邪法となる。意味は、我々は仏法を学ぶ過程において、各ステップ全てが自分と衆生を輪迴の苦海から解脱させるものこそが正法であり、真法と呼ばれる。多くの者が、八正道を不殺生を正業とすると解釈しているが、間違いだ。この業は一種の能力である。人類は地球上に生まれ、六道の中の如何なる衆生と身口意を一緒に作用させて、業を起こす。業は善業と悪業に分かれる。仏法を学ぶ者は当然ながら悪業が減り、善業が成長する。だが、修行者にとって、善の業もまた障礙である。彼は、善の業を彼が生死を解脱できる能力に変えようとするが、これは非常に微妙であり、上師に助けてもらう必要がある。もし、上師の助けがなければ、あなた達は不殺生を正業とすると思う。自分が毎日菜食し、毎日御経を唱える事を正業であると言う。間違いだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、顕教に長く皈依している弟子に、以前学んだのはこうではなかったかと尋ねられた。この弟子は、全てはリンチェンドルジェ・リンポチェが説かれた通りであると答えた。彼が以前聞いた仏法の教えは、人は正当な仕事を持ち、殺生しないことを正業としたと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて、世の中の人は業を明瞭に解釈しておらず、彼らは業はあなたが行なった事、事業だと思っていると説かれた。

業は、仏法の概念ではエネルギー、一種の能力、一種の牽引する力である。ただ我々が話をし、何らかの動作を行ない、何らかの思想を持てば、引っ張られてこの力が生じる。どうやって、この力を生死から解脱させる力に変換させるのか。これには、上師のガイド、上師の教導が必要である。あなたがこの様にすることを決めたからできるものではない。上師だけが、現在あなたがした事が善か、悪か、或いはあなたが生死の業を断つのを助けるものかをはっきりと分別できる。八正道を多くの者が間違って解釈している。なぜ間違って解釈しているのか?簡単な事だ。法を説く者には、自分を生死から解脱させる能力がまだなく、この輪迴世界を出離する決心をまだしていないからだ。あなた達は恐らくこう言うだろう。私が仏法を学んでいるのはこの為ではない。仏法を学ぶのは自分を喜ばせる為だ。それなら、あなたは間違っている。もし、仏法を学ぶ事がこれを学ぶ為でないなら、更に100万年聞いてもやはり煩悩がある。あなた達が言うように、境界に遭遇し心がコントロールできない様なものだ。一旦、出離を決意した心があり、菩提心も発こしたら、八正道をあなたは成し遂げられる。これは非常に重要なことだ。よって、心身の安定、言語明晰、真法と邪法を判断する智慧があったら、ただ、上師だけがあなたを助けられる。

「仏法の発揚のために苦労でき、非常に忍耐力がある」。リンチェンドルジェ・リンポチェは列席者の皆に、リンチェンドルジェ・リンポチェは成し遂げられるか否かを尋ねられた。列席者は皆、異口同音に深く肯定した。

「真事、公正、正直」。リンチェンドルジェ・リンポチェは再び、列席者にリンチェンドルジェ・リンポチェが成し遂げられるか否かを尋ねられた。列席者は再び異口同音に深く肯定した。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の安全を守るために、喧嘩をしたがらない、喧嘩できない弟子によって直貢チェツァン法王を保護するよう指示された。どれ程危険であるか理解できるだろうか?寺院には100~200人のチベット人がおり、下のチベット村にも2000余人いる。彼らがホイッスルを吹けば全てがリンチェンドルジェ・リンポチェを包囲する。なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェは恐がらなかったのか。理由は簡単だ。リンチェンドルジェ・リンポチェが行なう事は、教派のため、直貢チェツァン法王のためであるので、絶対に何事もないことを知っていた。よって、あの男性弟子は中に入ってきて慌てて誤解を取り除こうとさえした。「私は彼を殴っていない。彼は私が殴ったと言ったが、私はただ相手を遮っただけだ。」彼はこんなに度胸がないのに、どうやって金剛乗を学ぶのか?

「諂い歪曲する心を生じさせない」とは、名聞利養のために歪曲し、ある人達、ある事にへつらうことだ。あなた達は非常にはっきりと、リンチェンドルジェ・リンポチェが成し遂げられる事を見て取れるであろう。

「しかも、金剛乗密法の途絶えることのない伝承を有さなければならない」直貢噶舉は、祖師ジッテン・サムゴンから始まり今日に至るまで、全ての伝承は途中で中断したことがない。中断とは、法王が他界し次の法王が出現する前、この教えを伝える者がいないという意味だ。直貢噶舉はこの様な事がまだ発生したことはない。なぜ摂政王がいるのか?それは、法王が他界し次の法王が出現する前、この数名のリンポチェが法脈をずっと伝えて行くためだ。なぜ法脈は途絶えないのか?この道理は簡単だ。先ず仏法ではないが、ある種の学問、ある種の工芸は、ある期間に教える人がいなければ、継承できなくなるのではないか?継承を失なった後、新たに学ぶのは非常に困難ではないか?仏法の道理も全く同様である。直貢噶舉の祖師・ジッテン・サムゴンだけが自ら語られたことであるが、我々のこの法脈は非常に力があるものとなる。つまり、加持力が非常に強く、尚且つ非常に清らかである。何を意味するのか?即ち、ずっと途絶えないという事である。

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2014 年 02 月 06 日 更新