尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年5月25日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは京都寶吉祥仏法センターで「京都寶吉祥仏法センター開光五週年紀念法会」を主持なさり、殊勝な不動明王火供を自ら主法なさった。参会者は日本、インド、台湾の信衆25人と、日本と台湾の弟子183人、計208人であった。

午後2時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上られ、修法前に参会者に貴重な仏法の開示を下された。

「今日修めるのは不動明王の火供だ。仏法は『金剛部、仏部、事業部、護法部』の四部に分かれる。不動明王は金剛部の本尊である。金剛とは『摧毀できない』という意味である。顕教では、金剛は一切の煩悩と輪迴の因を摧毀することができるが、密教では、『衆生を済度させようとする行者の心は金剛のように堅固で、壊すことはできない』という。金剛部を修める密法行者の心は外界に動かされず、修行し成仏する心、衆生に利益する心は揺れ動くことはない。密法内部より説明すれば、金剛部の密法行者の心は、内在(つまり「意」)がいかに変動しようとも、その成仏と衆生に利益しようとする心には何ら影響が及ばない。そのため、金剛部密法行者の身、口、意は全く因果に背かず、衆生の利益に損害する事を行わない。

《大日如来経》中には不動明王についての記述がある。大日如来は密法の祖師であられる。経中では「不動明王は成仏したが、衆生に利益するため、衆生に利益することを発願したばかりの相に権化し、我々の面前に現われる」という。不動明王はすべての明王のトップで、しかも不動明王の真言は真言の王である。不動とは「心が世間一切の影響を受けず動かない」という意味で、全く煩悩を起こすことがなく、或いは何かの煩悩で動くこともない。仏は「人は八万四千種の煩悩を抱えている」と言われた。例えば、金がないといって煩悩を起こし、金があるといって煩悩を起こす。恋人がいないといって煩悩を起こし、恋人がいるといって煩悩を起こす。結婚していないといって煩悩を起こし、結婚しているといって煩悩を起こす。子供がいないといって煩悩を起こし、子供がいるといって煩悩を起こす。仕事がないといって煩悩を起こし、仕事があるといって煩悩を起こす。女性は、自分が美しくないと恐れて煩悩を起こし、そのためお金を使って化粧し、シャンプーやセットに通う。男性は権勢がなければ女性にもてないといって煩悩を起こす。そなた達は健康に不安があるといって煩悩を起こし、自分が早死にするのではないかといって煩悩を起こす。八万四千種の煩悩をすべて列挙するなら、一週間あっても足りないだろう。修行を積んでいない人はみな、煩悩と共に日々をすごしている。そのため、底なしに欲が深く、何でも欲しがり、その結果、煩悩はますます増しており、そればかりか、頭を働かせて悪事を行い、それによって多くの問題を生み出している。数え上げればきりがない。

不動明王が見せておられるのは忿怒相である。忿怒相とは、衆生の煩悩の心を降伏するもので、忿怒相を現さなければ衆生は話を聞かず、仏法を受け入れることはないだろう。不動明王は右手に剣を持っておられる。かつて日本では、戦いに勝利できると考え、戦いの際に不動明王像を携えることもあった。しかし実は、不動明王が所持する剣は仏の智慧を示しているのだ。智慧とは剣のように銳利で、一切の衆生の輪迴の煩悩を断ち切ることができる。不動明王の左手は降伏印を結び、手には金銀で編んだ縄を持っておられる。降伏印は不動明王の心に対応し、不動明王は心と能力で縄に加持する。縄には2個のカギがついており、一つは智慧を表し、もう一つは仏法事業を表わす。それが示すのは『仏は智慧、仏法、慈悲で、外に向う衆生の心を引き戻し、次に仏法と戒律で衆生の心を動かないように束縛し、こうして煩悩を断ち切れる』ということである。

人が病に罹るのは、考えすぎるからである。考えすぎてエネルギーを消耗し、健康を害する。例えば、喫煙は煩悩を減らすことができると考えるが、実は反対に健康に悪い。友人と酒を飲み、冗談を言って笑えば、煩悩を減らせると考えるが、健康を害するだけで、仕事にも集中できなくなる。過度なコンピューターやインターネットの使用も必ず後遺症がある。世間的な方法では、煩悩を圧伏或いは消すことはできないのだ。一つの煩悩を押さえても、別の煩悩が現われる。煩悩は永遠に生まれ続けるのだ。仏法を聞いても眠くなる人は、普段煩悩が多い人だ。こんなにも若いのに、しばらく座って仏法を聞くだけで居眠りし、元気がない。実に憐れだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは今年で66歲になるが、心拍数は今でも每分62回である。なぜなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは煩悩が少いからだ。欲が深い人は心拍数が速くなる。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んで修行を通して、どんどん健康になり、血行もよく、酸素も充分なため、一回の呼吸がそなた達の十回の呼吸に相当するのだ。

今日は不動明王の火供を修める。仏経中で火供の梵語は護摩という。《大日如来経》中では密法の火供には「息、懐、増、誅」の四種の修行法があるという。「息」とは一切の災難を鎮めることで、「懐」とは敵に恨みを抱かせないよう懐柔することだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは懐法修めることが少ないようだ。「増」では財富、権勢、健康を増やすことができ、「誅」とは殺で、仏法を毀壞する衆生を誅滅することである。

法本には「火供中では乳木を用いる」と記載がある。乳木とは汁がある木を指し、仏経中では大きさの規定があり、火供で用いる壇城にはさまざまな形状があると言う。今日修めるのは大壇火供で、壇城サイズは経典に基づいている。大壇火供は一般の出家衆が修められるものではなく、リンポチェレベルの行者でなければ修めることはできない。さらに水壇の火供というものもある。これは水を用いて修めるものである。また、木壇の火供もある。これは自分の面前に木でフレームを立てて修めるものである。

仏法は仏の仰せ、すなわち仏経に基づき行う。さもなくば、外観は仏法のようでも、実際には、仏法と関係がないものになってしまう。日本の仏法は唐代に中国から伝わった。唐代以後、中国に仏を学ぶ事に渡った日本人は少ないため、千年余りを経て、日本の仏法は仏経上の記載とは違っているところがあり、仏法を神のように参拝しているが、台湾でもこのような現象は見られる。

仏法とは、自分の欠点を改めるためにあるが、自分に欠点があると考える人はおらず、みな自分は素晴らしいと思っており、自分の誤ちを振り返る人はいない。仏法を用いて真に自己を変えられるなら、自分の未来がはっきり分かり、恐れや不安感はなくなるだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは36歲から仏を学ぶを始め、仏の教えの通りに生きている。そのため、自分の未来に対して何の恐怖も不安感もない。リンチェンドルジェ・リンポチェの仏を学ぶ歩みについて知りたければ、リンチェンドルジェ・リンポチェのHPを見ると良い。リンチェンドルジェ・リンポチェが著した書《快楽と痛苦》中でも、仏を学ぶ過程についていくらか触れている。

仏法は人類に聞かせるためのものだ。よって、人でありさえすれば必ず為すことができるのだ。この時、一人の日本の信衆が法会の最中に居眠りをしていた。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で彼女を立たせ、道場の後方で立って聞くようご指示になった。そして開示をお続けになった。「仏法とは人類だけのためのものだ。諸仏菩薩も人道から修められたものであり、言語が異なるだけである。インド人である釈迦牟尼仏が3000年前に語られた仏法は、仏の教導に従い行おうとする人なら、現在であっても必ず為すことができる。リンチェンドルジェ・リンポチェは一つの実例なのだから。

この信衆はなぜ居眠りするのか。それは海鮮と肉をたくさん食べているからである。そのため、血液が濃く、酸素が充分でない。しかも、彼女は仏法が自分に役に立つと信じていない。そのため、心を込めて耳を傾けるということをしないのだ。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが「仏法を1分聞けば百万あげようと」言ったなら、決して居眠りなどしないだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を立たせて仏法を聞かせている。こうすれば血行が良くなり、眠くならないだろう。立ったまま眠れるなら別だが。だから、彼女が寝てしまうかどうか、みなも注意しているように」

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは不動明王を修め始め、壇城までお越しになり、みなをお助けくださるよう、ご本尊に願った。真言を唱える時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊身を細かく振るわせ、眉根を寄せ、威猛無比なる金剛忿怒相を現され、会場全体を震え上がらせた。5分間の休憩後、リンチェンドルジェ・リンポチェは外で火供を修められ、しばらく後で皆も外に出ることができた。火供を修め終えられた後、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び室内に戻り、みな率いて護法と迴向を修められた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて、京都寶吉祥仏法センターの火供壇城前で法座に上られ修法を始められた。法会当日は陽射しが強く快晴、無風で、雨の気配もなかったが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に上られ法会を主持し始めると、突然強風が吹き始めた。火供壇城は京都寶吉祥仏法センターの庭に設置されており、本来は強い陽光下にあったが、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座に上り火供を修めておられる時には、あっという間に雲が湧き太陽を遮った。これにより庭は涼しくなり、それは火供が円満になるまで続いた。天候の急変はまことに不思議である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが火供を修めておられる時、龍の形をした雲がたくさん現われ、大きな鳥が二羽、火供壇城の上方で天空を旋回した。さらに鳥の群れが京都寶吉祥仏法センター周辺でさえずり、心地よいことこの上もなかった。種々の瑞相は極めて殊勝で、諸仏菩薩と天龍護法が共に護持にお越しになり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い修法と無数の衆生への利益を讃えていることを示しているのだ!

火供儀軌を行っている時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くも、参会者すべてが一人一人前へ進み出て、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法なさった供品を受取る機会をお与えくださった。そのおかげで、参会者は供品を自ら火中に投げ入れることができた。リンチェンドルジェ・リンポチェは労苦を厭わず、自ら3時間余りにわたり修法くださり、最初から最後まで全く休息をとらず、火供儀軌と真言を唱える事を続けて行われた。だれもが火供供品を受取れるよう、リンチェンドルジェ・リンポチェは右手でそれを取り、置くという動作を千回余りも行わなければならなかった。活力にあふれる若者でも一気呵成に行うのは無理なほどで、身体が負担可能な限界を超えていた。しかも、リンチェンドルジェ・リンポチェは66歲の高齢であり、右肩関節には軟骨組織がないという状態であられる。それなのに、真言を唱え、供品に加持し、参会者一人一人が手に持つ皿の中に供品を入れられる。これは、自分の生命を全く顧ず衆生に利益する行為で、金剛乗の密法行者殊勝の大菩提心を現している。大成就者が衆生に利益する願力は極めて不可思議で、天や地をも動かすほどなのだ!

続いて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの修法は、火神が壇城中央に降臨したように、火焔はさまざまに変化し瑞相を示し続けた。修法中の火供壇城の火勢は極めて猛烈で、火焔は二階の高さにまで吹き上がり、燃え盛る烈火は突然命が宿ったように激しい勢いを示し、密法の殊勝さは想像を遥かに超えていた。大慈大悲のリンチェンドルジェ・リンポチェは、その修行功徳と大能力で衆生に利益し、これにより無数の有情が法益を受ける。参会者たちには無比なる恭敬心が湧きあがってきた!

火供儀軌の進行時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持なさった供品を火中に投入する役目を仰せつかっていた弟子は、烈火に極めて近かったが、投擲の最中に全く熱さを感じなかったという。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持力は実に無比殊勝である!火供が終りに近づいた頃、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、今回交換した天馬旗を火供壇城中に投入するよう、弟子達にご指示になり、同時に真言を唱えて加持なさった。天馬旗は燃え上がり、濃密な黒煙が強風に煽られ周囲に散ったが、参会者は、煙臭さを全く感じなかった。庭は一面心地よい芳香で満たされ、皆は賛嘆と歓喜に包まれた!

火供終了後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは10分間の休憩をお決めになった。休息時間が終了すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは室内に入り再度法座に上られ、みなを率いて護法と迴向の儀軌を修められ、参会者に開示をお与えくださった。

今日そなた達は火供に参加した。因果を深く信じるなら、一切の善を行い、一切の悪を行わないがよい。そうすれば、この一世で必ず役に立つ。そうでなければ、今日そなた達が火供に参加し積んだ福報は、来世にならなければ用いることはできない。仏法と他の宗教との違いは、仏法を宗教にして迷信することをしないでください。中国には道教があり、日本には神道があるが、どれも神に保護を求め、神に願い事をする。実は、保護とは求められるものではないのだ。求めることができたとしても、別の物と交換しなければならないのである。

今日、リンチェンドルジェ・リンポチェはみなのために、多くの真言を唱えた。みなはこのような貴重な法会に参加できたことを大切にしなければならない。仏法は人生を徹底的に変える方法で、法本中には火供の種々の殊勝な利益について記載されている。火供に参加後、病気の人は健康を回復し、さまざまな事情も順調に進むだろう。けれども今後再び悪を行ってはならない。火供が特別なのは、長寿を阻む事柄を消し去ることができる点である。寿命が損なわれるのは、悪を行うためである。仏経には「長寿と健康が欲しいなら殺生し肉を食してはならない」とはっきりと記載されている。「火供を修めれば円満な長寿が得られる」と法本中では言う。円満とはなんだろうか?80歲まで生きたとしても認知症になれば円満ではない。長生きしたとしても、病気になれば、円満ではない。長寿、財力を得ても孤独であれば、これも円満ではない。つまり、この一生を円満にするには、仏法だけが助けてくれるのだ。

この他、火供は善事を阻む力を消すこともできる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、台湾に一人の男性信衆がいる。彼は非常に金持ちだが、不治の病にかかってしまったため、リンチェンドルジェ・リンポチェに助けを求めに訪れた。彼の金は高利貸で儲けたもので、このような方法で得た金銭は悪いものである。よって、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に、自ら病院へ行き、医者にかかるお金がない人に与えるよう教えた。これは必ず自分で行わなければならない。慈善団体や寄付を通してはならないとも指示した。これを聞き、彼は毎日病院へ通ったが、丸々一ヶ月通っても、お金がなくて医療を受けられない人を見つけることはできなかった。このように、収入の出所が悪ければ、善事を行おうとしてもできないのだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示くださった。今日は既に時間も遅いので、これ以上の開示は行わない。みなも疲れただろう。リンチェンドルジェ・リンポチェより疲れているようだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは日本の人達はもっとたくさん仏法を聞きたいと思っていると知っている。ただ、恥ずかしくて自ら言い出せないだけだ。しかし、仏経中では仏法を聞きたいと声に出すべきだと言う。リンチェンドルジェ・リンポチェは1997年より今まで弘法している。台湾には1200名の弟子がおり、十万人の信衆がいるが、リンチェンドルジェ・リンポチェから仏を学ぶよう、自ら呼びかけたことなど、これまで一度もない。なぜなら仏経では「弘法は衆生の縁に基づくもので、衆生に仏法に対して必要があるなら、上師は必ず教えるだろう」と言うからである。仏法は商売ではない。みなもこの事をよく考えるように。

今日の火供では、目に見えない多くの衆生が救いを受けた。火供の進行時、風が吹きつける度にまとまった数の衆生がやって来た。よって、みなも今日は福報と功徳を積むことができたのだ。みな今後悪を行わなければ、今日の修法はこの生に必ず役に立つだろう。

法会が円満となり、参会者は声を揃えて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な修法に感謝し、起立して、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りられるのを恭しく見送った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは今回、京都寶吉祥仏法センターで殊勝で貴重な「不動明王火供法会」を主法なさり、日本のために、日本国と国民の福報が増え、慈悲と智慧の法語甘露が広く衆生を助けるよう祈られた。衆生を苦しみから解き放つため、苦労しながら修法してくださる。こうして一切の有情はみな無量無辺の功徳と法益を得ることができるのだ!

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2013 年 12 月 01 日 更新