尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年5月5日

法会の開始前、弟子が一人壇上に上がり、彼女の祖母が、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに済度をしてもらった過程を述べ、上師と仏の偉大な功徳と慈悲を褒め称えた。

2003年、台北寶吉祥仏法センターの雲林県斗六分会が成立した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、労をいとわず大変忙しい中、毎月特別に一日融通して斗六まで行き、法会を挙行し、中南部の衆生を助けた。台北から斗六まで車で片道少なくても3、4時間かかり、正午12時の法会の場合、朝7、8時に出発し、午後の法会が終了後、台北にすぐ引き返し、到着は早くても夕方の6時になる。台北に着いてから急いで宝石店に向かう。そこにはたくさんの苦しんでいる衆生が待っているからだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、全く休む暇がないのである。このようなスケジュールでは、若者は我慢できないだろう。その上、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、S型脊椎側弯症でありながら、仏法のため、苦しんでいる衆生のため、遠距離の車の揺れや往復の奔走にも耐え、自分のことは考えていない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが斗六道場を設立し、また労をいとわず斗六まで出向いて法会を挙行した事に、彼女は大変感謝した。そうでなければたくさんの中南部の衆生は、仏法の助けを得るチャンスも無く、彼女の家族も法会に参加するなど不可能な事で、彼女の祖母も、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの門下として、皈依する縁も無かった。これらの年配の人が南部から台北に来て法会に参加する事は、大変難しい。この場で彼女はこれらの衆生に代わり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

彼女は、いまだに祖母が皈依した日の事を覚えている。皈依で髪を切る儀式の進行中、祖母が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養をしている時、右手が不注意で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの手に触れてしまった。数日後、祖母は非常に喜んで彼女に話した。もともと祖母の二本の腕は一年中とてもだるかったが、右手が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの手に触れて以来、手はしびれなくなった。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩した。

彼女の祖母は、小さい頃からずっと貧しく、農業を営んでいて、字が読めず、田畑を耕作して、鶏やアヒルを育て、鶏やアヒルを殺し、魚肉を食べ、二回の流産を経験し、殺害無数を繰り返し、更に数十年もタバコを吸っていた。覚えている限りでは、祖母は喘息の持病があり、たびたび病院に連れて行かれた。彼女の祖母は、少なくとも年に2〜3回喘息がひどくなり、入院しなければならなかった。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してから、喘息の発作の回数と、入院の回数が大変少なくなった。論理的に言えば、年をとれば体の状態も悪くなるが、祖母は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下、体調は、皈依する前に比べてもっと良くなり、家族も祖母の変化を感じていた。

毎回法会に参加すると、祖母は特別元気になり、体の悪いところが少なくなる。彼女が、休暇で田舎に帰って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を助けた事績を話してあげると、祖母はいつも素晴らしいと言った。祖母は常に今はすべてどうでも良く、死んだ後阿弥陀佛のところに行きたいだけで、それを手伝えるのは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と庇護の下、祖母の晩年は、身体上、精神上とも頼りになるところがあり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できたのがお祖母さんの最大の福報だった。

ただ、祖母は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依してはいたが、伝統的な民間信仰も続けていて、お供えをして拝めば良いという心境で、拝んで福があれば何でも良かった。皈依したばかりの数年は完全な素食ではなかったが、亡くなる数年前になって、やっと素食を始めた。斗六の道場で法会があれば参加したが、台北の法会に参加するほどの意気込みは無く、家族も80歳の高齢で大変だと心配して、あまり勧めず、台北の道場に来たのは二回だけだった。

2005年になって、彼女の祖母の体の状態は下り坂になって、膣から不正出血があり、黒ずんでいて臭かった。出血の量は、時には非常に多量で、夜型のナプキンも全部濡れてしまった。時々出血状態が続き、1,2ヶ月停まらなかった。漢方医の話では、こんなに出血多量では意識不明になるが、祖母は意識不明にもならず、痛みが全くなく、自分がこんなに多量の出血が有るのも気がつかず、自分では尿失禁だとずっと思っていた。医者が癌を疑ったが、生体組織検査をしなければ確定できないので、家族は祖母がもう88歳で、これ以上手術で苦しませたくなかったので、それで生体組織検査をしなかった。その結果、彼女の祖母は、入院して手術したり、検査したりで苦しむこともなく、恐怖を感じることもなかった。これらすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のおかげである。この期間に何回か入院したが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェから頂いた貴重な甘露丸を服用していたので、順調に退院できた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは常に最高のものを弟子たちに与え、いくら弟子が不出来でも、見捨てることはなく、彼女はこの事に大変感謝した。

2008年3月、彼女の祖母は転んで坐骨神経を損傷し、検査を受け、三期の子宮頸ガンが発覚した。ガン細胞は非常に大きく、とても痛がった。祖母が亡くなるこの4ヶ月間、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、どのように祖母と家族をずっと支援してくれたかを話した。彼女の家族に対する開示の一字一句のすべてが、非常に貴重であった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示したことがある。私が見ているのはあなたの現在ではなく、あなたの未来で、未来永劫に関することである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは未来がどうなるか見届けていたが、愚かな彼女は、その時理解できなかった。彼女ここで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの信じられないほどの偉大な力と、知恵と、偉大な慈悲を賞賛した。

初めて、独自で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに祖母の支援を求めた時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を叱った。:「あなたのお父さんが来ないのに、どう加持すればいいのか?どう痛みを和らげればいいのか?」彼女はそれを聞いてため息をついた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に尋ねた。「ため息をついてもなんの役にも立たない。あなたのお父さんは、信じていないのか?」彼女は無言だった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示した。:「これもあなたのおばあさんの運命だが、おばあさんは以前、流産を2回したことがある。以後、あなたが法会に参加した時は、必ずおばあさんを観想しなさい。」

彼女はこの話を家族に伝え、父親に台北に来て接見するように説得した。一週間後、父親は家族に強制され台北に来て、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを尋ねた。出発の前に、彼女は祖母に言った。「私達は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを尋ね台北に行きます。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養すれば福報がありますが、私が代わりに供養しますか?」おばあさんは500元を、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養した。

彼女は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが祖母の供養を受け取ってくれたことに感謝した。厳しく父親を叱責し、「今ごろになってやっと来た!」その後、真言を唱えながら祖母を加持し、祖母の代わりに、施身法法会に参加するように、直接父親に言った。傍に膝まづいている叔母は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに、祖母が亡くなったとき浄土に行けるように助けを求めた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示した。「法会に参加した後で話そう。」

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが真言を唱え加持した後、もともと排便が不順で、浣腸をほぼ一年続けていたおばあさんが、自分で大小便できるようになった。翌日、彼女のおばあさんは、長期の多量な西洋薬による胃潰瘍で大吐血し、最後は挿管が必要になった。数十年の喫煙で気管がもろくなっていて、今回挿管すれば、抜く事はできなくなる。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、繰り返しタバコを吸ってはいけない、タバコは毒で、彼女の祖母が亡くなる前は、挿管で大変な苦痛を受けたと話した。

4月施身法の当日、彼女の父親は、帰りの高速鉄道に間に合うよう途中で抜け出した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、このような不恭敬な行動は深刻な結果になるとひどく叱責し、そして以後彼が法会に参加することを禁じた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て話したことがある。叱るのはあなたのカルマを解消する手助けになるのだ。彼女は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、彼女の父親を叱責した事に感謝した。父は後に、彼が道場を離れてすぐ、後悔し始めたことを彼女に話した。彼女はこのようなことが、どんな結果になるか考えたくなかった。一週間後、彼女は弟を連れて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを尋ね、祖母のためにポワ法を修めてもらえるようお願いした時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、父が途中で逃げた理由を尋ねた。そして開示した。:「あなたのお父さんが逃げてしまったので、ポワ法も逃げてしまった。」そして真言を唱えながら、一粒の甘露丸を加持し、祖母に飲ませるよう彼女に伝え、そして「早く行かせるように」と言った。この時、祖母は今回本当に亡くなることが分かった。彼女は後に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこのことが早くから分かっていて、「これはあなたの祖母の運命であり、法会に参加した後、話そう」と開示した意味が解った。たとえそうでも、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、まだ彼らにチャンスを与え続けていたのだった。

彼女の祖母の体は全身水脹れになり、ほとんど破裂しそうにまで腫れ、毎日多量の腹水を抜き取っていた。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝し、家族が祖母の死を受け入れ始め、急いで親族全員が祖母に会いに来るよう手配した。5月が終わり、6月になって、思いもよらずもともと水脹れだった祖母の腫れが引いていき、意識もハッキリしてきた。しかし、まだ挿管は続けていて、話せなかった。長期の寝たっきりで、身体の両側の筋肉が硬くなり、まるで木のように堅く、一本の足だけがわずかに動かるだけで、頭はほとんど動かせず、生きた屍のようであった。挿管は非常に不快なので、祖母が抜こうとするので、看護師はサックでおばあさんの手を固定し、彼らが訪ねて行ったときだけ、それを少し緩めマッサージした。これらのことで、お祖母さんが彼らのために、無数に殺生したこと、彼らが海邊に住み殺生し、たくさん海のものを食べ、カニをたくさん殺したことを思い出した。カニを捕まえると、足を縛り、更に目に箸を刺して殺し、実に残酷であった。彼女はお祖母さんに代わり、この場で殺生したすべての衆生に懺悔し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔して、彼らを済度するように尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに祈求した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示したことがある。負債は返済しなければいけない。今生で返済できなければ、来世で返済しなければならず、早く返済したければ、少なくとも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが居られるので、まだ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが援助してくれる。生きている時に返済した方が、死後地獄へ行くよりも良い。医者は彼女の祖母のような患者は、気道感染した場合、すぐに亡くなるが、感染しなかった場合は、抜管しない限り、長びくと言った。彼女の叔母が籤を引き、籤には祖母が長引き、たぶん新年になると書いてあった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示して:福報がなければ、死ぬこともできない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは早くから祖母が長引くことがわかっていて、それで早く行けるようにと言ったのだった。彼女は今になってやっと、この話の意味が解った。

6月のある日、私の叔母はもともと三太子爺で寿命灯を一つ点けていたが、こっそり灯をキャンセルした。もし灯がずっと点いていたら、祖母は死ねない。シャーマンは、母親を死なせたいのか?と私の叔母に尋ねた。叔母は、祖母が非常に苦しんでいて、どうすればいいかわからないと告げた。彼女は叔母を連れ、再度尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを尋ねた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲深く、叔母に一生お祖母さんの代わりに施身法法会に参加するように言った。一週間後、彼女は母親と一緒に施身法法会に参加したとき、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く答え、そして叱責した。:「ご主人は来ないのですか?ご主人とは関係ないですか?」母はすぐに「夫は参加します」と言った。彼女は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、母のために絶えず福報を蓄積する手助けをしてくれた事に感謝した。父親が途中で道場を離れた深刻な問題を起こしたにもかかわらず、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再三チャンスを与えてくれ、以前のことも問題せず、この度量は仏菩薩そのものです!彼女は父親に代わり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示したことがある。仏菩薩はいつも手を差し伸べて衆生を極楽浄土に引導していて、ただ衆生が望むか望まないかである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、仏菩薩であり、いつも勧めているのだ。6月施身法法会には、彼女の2人の叔母と母親が台北に来て参加し、父親は結局現れなかった。以前、彼の父が彼女に話したことがある。彼女の母親は、子供のころから嫁として育てられた人で、祖母に無理やり愛していない人と結婚させられたので、父親はとても苦しんでいた。それで高校の時に家を出て、一人で生活し、暇になると帰ってきた。もし尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが「これもあなたの祖母の運命である」と言わなければ、彼女はきっと父を怨んでいた。しかし、一番懺悔すべきなのは彼女自身であり、最大の過ちは、彼女の過ちである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した後、日常生活の中で仏法を実践せず、家族に仏法の偉大さを感じさず、真の親孝行をしなかったからだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示した。修行とは自分の行動を悔い改めることである。家族はあなたと一緒に生活しているから、あなたが悔い改めていないことは一番良く分かっている。彼女が変わらないので、家族は誰も仏教を勉強したいと思わない。彼女は祖母に害を与え、父親に害を与え、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにずっと苦労をかけた。彼女は懺悔すべきだ!

お祖母さんが何時亡くなるかは、かなり長い時間待ちであった。それは彼女の心臓や他の臓器がまだ健康で、肺だけが駄目だったからだ。叔母は、自分の母親はたくさんの人を助けたのに、なぜこんなに苦しむのか?理解できなかった。彼女は彼女の叔母に言った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て話したことがあり:「善と悪は2本の平行線で、相殺することはできない。」お祖母さんは良い行ないをしたので、90歳まで長生きし、体調もかなり良かった。しかし、彼女は農作をし、殺生をし、衆生をたくさん食べたので苦しみを受けている。彼女は、仏菩薩にお祖母さんが早く逝けるようずっと祈った。彼女は、お祖母さんの代わりに道場で五体投地をし、福報を蓄積させてくれた事を、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにもう一度感謝した。

7月お祖母さんの腫れが、かなりひどくなった。家族は、彼女の肌に触ることができず、まるで破裂しそうだった。つま先も、血が出ていた。これを見て、家族は心からお祖母さんが早く行けるように、これ以上苦しまないように望んだ。 7月末の施身法法会の翌日、病院は、お祖母さんがここ数日内に亡くなると告げた。彼女は慌てて宝石店に駆けつけた。それは土曜日の夜8時ごろだった。彼女のいとこが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを尋ねた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示は:「あと7日間ある。ポワ法は今応じられないが、観音菩薩にどうお願いするかだ。」続いて真言を唱えながら彼女の祖母に長い時間加持した。

彼女達が宝石店を出た後、観音菩薩にどうお願いすればいいかの家族と討論しなければと思っていたが、思いもよらず、その夜の11時過ぎに、彼女の祖母が亡くなった。穏やかな顔つきでまるで、眠っているようだった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て話したことがある。︰ほんの少しの人だけが、亡くなる前に彼の加持を得ることができ、それはとても少ない。もし尊きリンチェンドルジェ・リンポチェでなければ、彼女の祖母は更に7日間苦しみを受け続けるわけで、彼女は心からとても感謝した。

彼女の祖母は、亡くなる前の一週間、大小便ができなくて、最後は腹膜炎の感染で亡くなった。彼女は後で分かったのだが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが台北で真言を唱えながら祖母を加持した時、もともと昏睡状態の祖母が突然目を大きく開き、家族の談笑に答え、涙を流した。そして父親は早い段階で、もしお祖母さんがその時になれば、早めに逝かせて、旧暦7月にならないよう、観音菩薩に祈求していた。これらのことは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは早くから分かっていて、彼女だけが何も知らなかった。

彼女の祖母が亡くなる過程で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のもと、一般の人と比べ痛みが少なかった。もし尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの門下として、皈依していなければ、お祖母さんはどれだけ長引き、また更に苦しんだだろう。

三日後、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを尋ね、感謝し、供養して、そして祖母が亡くなったときの事を報告した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、施身法法会に参加してから亡くなったと話した。彼女は大胆にも口答えし:違います。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場ですぐ叱って言った。:「何が違うのか。あなたは参加しただろう?」彼女はすぐに答えた。:「はい、私の母も参加しました。リンポチェの加持の後逝きました。」尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示した。:「私が加持したから、お祖母さんは三悪道、地獄、餓鬼道、畜生道に落ちないと保証する。」

彼女は感謝に感謝を重ね、また更に感謝した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て話したことがあり、ガンになった人は、死後必ず地獄に行くことになる。それは、末期ガンは非常に痛み、痛みのために、怒りの気持ちが起き、怒りがそのまま続いていく。お祖母さんが三悪道に落ちなくて済むには、すべて上師に頼るしかない。二週間後、彼女は母親を連れて、宝石店へ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにお礼に行き、祖母の済度を祈求した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは答えた。:「既に済度している。」一瞬彼女と彼女の母親は非常に驚いた!何時かわからないが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、一言も言わずもう既に祖母を済度していた。彼女達は大変感謝した。葬儀の際、家族の顔に悲しみの表情はなかった。7日間凍らせた後、それを融かし入棺するとき、彼女は祖母の体の関節はまだ柔らかく、火葬後の頭蓋骨はカラフルで、いろんな色があった。その他彼女が述べた。:告別式の時、道場の兄弟子わざわざ台北、斗六から駆けつけてくれた。彼らが現われたので、親友の前で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの功徳を賞賛できた。また親友達は、この縁で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと寶吉祥の名前が聞けたのである。

彼女の話では:私たちは、自分の業が重いことが分かっているが、どんなに重いかは知らない。;我々は、リンポチェはすごいことがわかっているが、どんなにすごいのかは、知らない。ここ5年間、彼女の祖母が生きていた頃、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはとても良く面倒を見てくれた。;死んでからは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは済度してくれた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェから授かった多大な恩は、20分の短い時間では語りきれない。この道を歩いてきて、因果の恐ろしさ、上師の慈悲深さ、仏法の偉大さを体得した。彼女は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが絶えず縁を作ってくれたおかげで、彼女の家族は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと一面できたことに感謝した。彼女は、自分が仏法を勉強しないで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにずっと面倒をかけたので、更に懺悔しなければいけない。彼女は、仏法は実に素晴らしくて、上師は本当に慈悲深く、弟子達に何度も何度もチャンスを作ってくれているので、皆さんがそれを把握できるかどうかなのである。彼女は、ここで祖母代わり尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに言った。「リンポチェ ありがとうございます。!」

彼女が常に思うのは、祖母が亡くなった時、大変苦しんだが尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに助けてもらって、幸せだった。それだったら彼女の亡くなるときは?もし仏教を真面目に修行しなければ、業力が現実になったとき、全く抵抗できない。彼女はここで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに、今生は努力して仏教を学び、輪廻から解脱し、浄土に行くことができるように発願した。そして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康で、法輪を常に転じて、仏法の事業がますます盛んになり、一切の有情に利益し、直貢噶舉の旗が天下にはためくよう祈願した。

続いて、台北寶吉祥仏教文化交流協会理事長布達の話;尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが出題し、5名の出家の弟子に答えるように指示した。:一、戒体の意義と修行者にとっての重要性。二、守戒、持戒、開戒、破戒とは何か?それぞれ15分間が与えられた。

最初の出家した弟子は答えて、特に「この世の中は、自分の思うようにはいかない」の感がある。教師が出題したからには、学生は答えなければならないが、教師も点数を付けるわけでもなく、答えが正しいかどうかも教えてくれず、コメントもない。以前何回か話をした後、それを聞いた兄弟子が、彼女の話を聞くのが好きだと、後で彼女に言ったことがある。彼女は、これは上師がくれたチャンスだから、学んだ事を皆に話しただけなのだ。彼らは良いとか悪いか言っても、どちらにしても、とにかく兄弟子として、下に座って15分間これを我慢しなければならない。彼女はこれは「緣」であり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと我慢強く下に座って聞いている皆さんに感謝すると語った。その他に、彼女達の話はとても良い、と言ったその人が教師だとすれば、彼女はその学生になるのか?とある人は言う。だから、彼女達の話を聞くのが好きだとか、話がとても上手だとかの類の話は、以後彼女には言わないでほしい。学生の身分の彼女なので、自分の答えが正しいかどうか、どこを改善すれば良いのかだけを聞きたいのだ。このことは縁だけで、好き嫌いもなく、良し悪しもないのである。

最初の質問、戒体の意義と修行者にとっての重要性。戒体は姿形が無く、見たり、触れることができない、まるで風のようなもので、見ることも触ることもできないが、風が吹いてくると、それが風だと分かる。戒律を受け、戒体を得たかどうかをどう確認すればいいのか?2点から見る。:(1)夢の状況で分かる。例えば:夢の中で人に酒を勧められ、乾杯と言われたとき、すぐ気が付き、戒律を守って飲まなかったかどうか。;(2)日常生活で、現実に戒律を守り、悪を止め、善を行うことができるかどうか。この部分について、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示したことがある。皈依して、顕教学んだ後、リンチェンドルジェ・リンポチェに一緒に商売したいと言った人が居る。お酒を一杯飲むことだけが前提で、そうすれば数千万の契約が取れるが、あえて商売をしないで、誘惑を受けなかった。これがつまり戒体である。戒体の存在が有るかないかで、以後の仏教の勉強に障害が有るかないか関係してくる。戒体も、戒定慧を修習する基礎となる。

第二問目の質問、守戒、持戒、開戒、破戒について。仏陀の時代、お釈迦様は戒律を制定せず、弟子達は阿羅漢を修めるだけであった。後期になって後世の衆生のために、六群の比丘が不適切な行為をしたので、戒律ができた。皆それぞれ自分の累世の福報因縁により、戒律を受ける。例えば、五戒、在家菩薩戒、沙彌戒、……等。我々は尊重し、珍貴と思い、戒律を守護する気持ちで、戒律を守らなければいけない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て話をしたことがある。:「衆生、仏菩薩、護法を承諾する。」受戒の後、戒体が得られ、すべての条項に於いて開、遮、持、犯を理解しなければいけない。戒律上、もし受戒してから、戒律の条項の中で罪になるが分からない場合、「知らない者は無罪である」は通じない。それで、受戒後は、すべての戒律条項の内容を理解して、戒体を更に円満にすれば、持戒の功能が達成するのである。

開戒、破戒について、彼女自身の例を挙げて説明した。彼女は出家後、沙彌尼戒、式叉摩那尼戒と比丘尼戒を受けた。式叉摩那尼戒の段階で、厳格に六法を二年間守り耐えなければならないが、もし一条でも犯した場合、さらに二年間我慢しなければいけない。これが破戒で、再び受戒する事になる。六法の中に、「正午以降食事をしない戒」があり、正午以降 翌日の明け方になるまで、食事をしてはいけない。夜お腹がすいたらどうすれば良いのか?食べる事はできないが、黒砂糖水は飲んでも良い。黒砂糖水が開縁となる。この黒砂糖水は、必ず淨人に授けてもらい、更に式叉摩那尼,或比丘尼白文を受け、これが作持、つまり開戒の意味である。彼女は、正午以降食事をしない戒を続け守る時、春夏の時期に合わせ、毎日朝の授業の後、五穀粉を溶かして飲み体力を補充してから、一日を過ごした。日々は一日一日と過ぎていき、毎日同じ事をして過ごした。ある日、朝五穀粉の飲料を飲み、門を出た後にすでに秋冬の季節になっていた事に気付き、空はまだ明るくなく暗かった。その瞬間、「正午以降食事をしない戒」を破ったのではないだろうか?と思った。

台湾は本当に福報がある。中南部に戒律を専門に研究し、戒律を守っている道場が有り、たくさんの戒律の条文の分からないところを問い合わせられる。彼女はすぐに、某寺院に電話し、戒師に彼女のした事が、戒律を犯すことになるかどうか、新たに受戒する必要があるか?尋ねた。戒師は、五穀粉の飲料を飲んだとき、意識がもう夜明けだと思ったか思わなかったか、彼女に質問した。もしそう思ったのなら、犯戒ではない。彼女の心は、その時、空は既に明るくなったと、ずっと思っていたので、意識して犯戒したのではない。それで彼女は、式叉摩那尼戒を二年の満期まで続け、次に比丘尼戒を受けた。彼女が受けたい比丘尼戒の開戒道場は大変厳格で、式叉摩那尼を受けた人だけを受け入れ、なお電話の審査を受けて、やっと戒場で受戒できる。彼女は電話を受けた時、戒師は彼女に出家前、五戒を受けたか?と聞いた。彼女は答えた。:はい。出家前ボーイフレンドと付き合ったかどうか、肉体関係が有ったかどうか?彼女は:ありません。と答えた。質問が続いた。:私は現在式叉摩那尼であるが、夜中お腹がすいたらどうすれば良いのか?何が飲めるのか?やり方は?たくさんの質問があり、在家から出家して受戒したのが、法に適っているか、戒律を続けて守っているか審査した。出家する前、まず皈依し、五戒を受け、式叉摩那尼の段階で、戒律の止持、作持を理解し、合格してから、この佛寺で比丘尼戒を受けられるのである。

先ほど止持、作持について触れたが、少し補足する。戒律には止持、作持がある。止持はつまりしてはいけないことで、作持はすべきことである。「悪を止め善を行う」事である。例えば、「正午以降食事をしない戒」、正午を過ぎると食べてはいけない。これは止持である。:しかし、夜中お腹が空いたらどうすれば良いのだろうか?作持により補足できる。彼女はここでもう一つ例をあげた。出家者の戒律の中に、たくさんの条文があるが、その中の一条の「金銀を持ってはいけない戒」、出家者はお金を手にしてはいけない。しかし、現代社会では、門を出るとお金を使う必要が有り、出家者もお金を手にする。開縁の方法は:お金を取得した後、同じランクの出家者または自分よりランクが上の出家者に表白する。例えば、彼女は当時、式叉摩那尼戒を受けていたが、お金を取得した時、必ず同様の式叉摩那尼戒か比丘尼戒を守っている人に表白してもらえば、汚れた財がきれいな財に変わる。これは出家者に関することで、皆さんが理解できるかどうか?分からない。聲聞戒、つまり比丘、比丘尼戒は、もしたくさんの重戒を犯せばつまり破戒で、懺悔は通じず、俗人に戻るか、沙彌尼の身分で一生を過ごさなければならず、所謂 開戒はない。菩薩戒を犯しても懺悔でき、必ず菩薩像の前で懺悔し、受戒を誓い、佛の姿が見られたら良いので、例えば夢で佛に頭を撫でられたり、佛光を放ったりなどすれば、新たに戒律を得られた事になる。

彼女は以前戒を学んでいる過程で、疑問があった。男性は7回出家のチャンスがあり、女性は一回だけであった。それはなぜか?彼女は長い時間をかけ、この戒律の起源を研究し、戒律の経典に戻って見てみた。仏陀の時代、男女の出家者が出家後、また還俗し、その後また出家し、更に還俗する場合が有り、経典には回数の規定は無かったを発見した。唐の時代になって、道宣律師がこの条の戒律を制定した。その原因は、道宣律師は、仏陀の時代、男性が出家してから還俗し、また出家し、7回繰り返した後、阿羅漢果を証得できたが、女性の出家者が還俗後また出家しても、証果の例が無く、そこで道宣律師は、比丘は7回出家でき、比丘尼は還俗すると二度と出家できないように戒律を制定した。彼女が顕教寺院に居る時、出家した兄弟子がインドの黄教のダライラマの仏教学院で勉強している時、彼らは男性でも女性でも、還俗すると二度と出家できない。だから戒律は歴史の根源、文化背景と関係が有る。最後に、皆さんお聞きいただき、ありがとうございました!

第二の弟子が、説明を始めた。まず、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及び歴代伝承の上師、護法に感謝を述べ、そして尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが今回の出題に、出家者が回答するようにと理事長が伝えた時、彼女の頭の中は空白になった。以前尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの出題は少し答えることができたが、今日の戒律に関するテーマは、答えるのは難しいと感じた。彼女はとても恥ずかしくて汗が出て、また心から懺悔した。彼女は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、皆に話すチャンスを与えてくれたことに感謝した。毎回、自分の話は良くなかったと思ったり、うまく言えなかったりするが、そのおかげで家に帰ってから、自分でテープを出して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞きなおし、自分の足りないところを補っている。普段からよくテープで開示を聞いているが、聞いたその時は、はっきり分かっているつもりでも、話をする段になると、うまく話せないので、それで自分の知識の乏しいのがよく分かる。

彼女は、仏教の修行は必ず戒律を守らなければならなず、戒律がとても重要なことが分かっている。上師の話はつまり戒律で、上師が私達に言ったことえp、すべて聞き入れ、行動する。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示したことがあるが、もし戒律がなければ、定は生まれず、定が無ければ、智慧が開くことも無い。守戒の意義は、我々が衆生に利益する前に、まず衆生を傷つけないことだからである。破戒と開戒になると、いつも掌握するのは大変難しく、時には区別するのが難しく、ぼんやりとしていて、いったい破戒なのか開戒なのか、分けることは難しい。彼女は、動機が一番重要で、一番大切なことは、行動する時の動機は何か、どんな動機を用いるのかである。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、嘗て物語を開示したことがあった。一人の兵士が、修行者に1頭の羊を殺すように命じ、もしこの羊を殺さなければ、殺すと告げた。その結果、この修行者は最終的に自殺を選んだ。自殺は非常に重い罪で、五無間地獄に落ちる事になるが、彼は衆生を傷つけないために自殺を選んだ。菩提心を起したので、それで彼の罪は消えた。だから発心は大変重要である。

彼女は、更に皆に別の物語を話した。これも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示したものである。ある時、釈尊と弟子が、長い間 無人の空き家の前を通りがかり、中に入って休憩をしたいと思い、釈尊は弟子達に中に入って掃除をするように指示した。弟子達は中に入るとすぐ出てきて、部屋の中は衆生だらけで、掃除ができないと、釈尊に報告した。釈尊は、私は掃除をするようにあなた方に言い、衆生を殺すように言ったのではない。このことから分かるように、動機が大変重要である。環境衛生のために、掃除をしないわけにはいかないが、殺生するためではないのである。ここまで話した時、時間はまだ8分残っていた。彼女はあとの時間をどうすれば良いのか本当に困ってしまった。今回のテーマでは、過去に戒律の内容を充分に研究して理解してなかった事を反省させられた。それで話が出てこなかったのだ。彼女は、家に帰り、必ずそのテーマについてきちんと理解するつもりだと話した。彼女は、出家者の衣服を身に付けていながら、衆生に利益できず、とても恥ずかしく思った。この後、彼女は何を話せば良いのか、本当に話ができなくなり、理事長に残りの時間、五体投地の礼で懺悔して終わっても良いか尋ねた。しかし、上師の指示がなかったので、理事長はこの出家者に続けて話すように言った。彼女は、理事長が決定できることではないのが分かってはいたが、どうしても話しができないので、早く終了してしまった。

三番目の弟子は、このテーマは実に緊張させられ、どんな方法で話せば適切なのか分からなかった。《華嚴經》の中で:「戒律は無上の菩提の根本で、一心に淨戒を持つべきである」このことから分かるように、清浄な戒律を受持すれば、定が生まれ、智慧が開き、つまり仏道なのである。我々は受戒の後、戒体があり、五戒であれば25の護法神が護ってくれる。戒体を大切な物のように、うまく護持するには、必ず戒の意義と、どのように開、遮、持、犯するのか理解すれば、矛盾や障害が無くなり、また煩悩が増えないのである。

仏教では、比丘戒は250条あり、比丘尼戒は34条ある。ここに居る皆さんは、まだ出家していないので、彼女もここでは公然と話せない。在家者は、まず五戒十善を守り、八正道を実践し、懺悔を知り、慈悲心を生み、菩薩道を行う。リンチェンドルジェ・リンポチェは在家者ではあるが、出家者に関する戒律がたくさんある中で、通常の開示の中で弟子たちの言動を厳しく修正し続け、戒文から離れたことが無い。戒を正しく続ければ業を改善でき、災いを受ける事が無い。

彼女は以前、寺院に居る時、信者達に皈依を勧めたが、信者達は、守戒、持戒は一種の束縛で、多くの煩悩をもたらすと誤解していた。仏教の戒は、実は束縛ではなく、自由な解脱の道に邁進することで、一切の衆生を傷つけず、迷惑をかけず、そして慈悲心を修め、より多くの衆生に利益することができる。我々の累世の悪習は実に重く、貪、瞋、痴、慢、疑、嫉妒心で、身口意が作り、もし戒律の制約が無ければ、我々の心は放逸で、流れに任せ、自制できず、最後は三悪道に落ちる運命になる。

《大涅盤經》の中で:「仏は涅槃を望んでいた。弟子達は、仏陀が滅後、誰を師とすれば良いのか、アーナンダに頼んで、仏陀に指示を仰いだ。」仏陀の回答は:「戒を師としなさい。」仏教を勉強するには戒と、師の教えが無ければならず、そうでなければ邪道に走り、それにも気がつかない。仏陀が生きている時代とは無縁であるが、仏陀から受け継がれた戒があり、仏陀が居るように、一心に守り続けるべきである。我々は幸運な事に、徳を具え修行を重ね悟りを得た上師にめぐり会い、またその門下に入り、こんな幸運なことがあるのだろうか?なお一層貴重に思い、努力を重ねて、成功した年には、四重の恩を報告できる。

戒は暗闇から光明に向かう、かけがえの無い宝で、牢獄から抜け出すようであり、放蕩息子の改心のようでもある。戒は衆生の煩悩を菩提に変えることができ、自性を清浄な本体に回復できる。戒は第一の道であり、戒が無ければ、苦海に沈んでしまい、日の光が無く、暗闇で先が見えず、解脱の日もありえないのである。

《地藏經》の中で:「人間世界の行悪の衆生の業感は、かくのごとく業力甚大にして、能く須弥山に敵し、巨海より深し、能く聖道を障ぐ。この故に衆生、小悪を軽んじて、もって罪となすこと無かれ。死後に報いあり、纖毫もこれを受く。父子至って親しけれども、岐路各別なり。たとえ相逢うとも、あえて代わり受くること無し。」持戒は苦しいが、地獄とは比べ物にならないのは当然である。だからヤクが尾を守るように、戒を護持し、そうしなければ、必ず三悪道に落ちる事になる。

末法時代の衆生の業は重く、根器は鈍く、因果の道理を信じず、三宝を誹謗すれば、死を迎えたとき、人間に生まれ変われるかどうか分からない。人道のチャンスは「一握りのガンジス川の砂の如く、とても少ない」であるから、基本を守り五戒十善、八正道を修め、これが苦から解脱する方法である。8万4千の煩悩は、身口意三業の貪、瞋、痴、慢、疑、嫉妒である。それで我々は、五蘊に対する六根をコントロールし、汚れた環境に惑わされないようにしなければならない。持戒するには、時時心を観察し、振り返り良く照らしてみて、心を清浄にし、慈悲心を養い、菩提心を起し、一切の有情衆生に利益し、利己的になって人を傷つけたりしなけば、戒定慧が円満になるのである。

戒の開、遮、持、犯については、「心」が一番重要になる。すべての行為は、時間、場所、環境、国により異なり、一定不変のものではない。リンチェンドルジェ・リンポチェが、以前開示した例のようである。釈尊が修行中、500人の商人と同じ船に乗り合わせた。その船の船頭が、不相応にも彼らの財物を欲しがり、すべての人を殺し、彼らの所持品を奪おうとした。釈尊はそれを知り、先に船頭を殺した。殺害の罪は非常に重いが、釈尊はこの500人は将来の阿羅漢で、聖人であり、阿羅漢を殺した罪は、疑いも無く地獄に落ちることになり、そこで船頭がこんな重い殺業をするのを見かねて、自分でこの船頭を殺した。これば菩薩道を行うことになる。因果の道理に明るく、釈尊は知恵による選択をしたのである。

彼女はもう一つの物語を話した。老僧と弟子が、川を渡ろうとした時、急いで駆け寄る女性がいて、大事な用件で川を渡らなければいけなかった。その時船は無く、老僧がこの女性を背負って渡るしかなかった。弟子は疑いを持ち、川を渡った後、老僧に尋ねた。出家者は戒を守るべきで、男女は親しくしてはいけないのに、女性を背負っても良いのですか?老僧は弟子に答えた。:「私はもう既にこだわっていないのに、あなたはまだそんな事にこだわっているのか。」
この出家した弟子は、続けて話した。道理からすれば、老僧は戒を守るべきだが、この女性は困っていて、老僧の思いはこの女性を助けたかっただけで、これは菩薩道を行っていることになり、破戒にはならないが、別解脫戒の聲聞乘では、比丘戒を犯す事になる。

上記の例で、目で見たこと、耳で聞いたこと、口で言うことは、必ずしも真実ではない事を教えてくれ、必ず智慧で観察し、うわべだけのことで騙されて行動してはいけない。このことから上師や衆生に対し、自己の見解や、自我の主観的な意識から、他人を判断すると、罪を作る事になる。人それぞれ因果を担うべきで、因果の道理は明らかである。
人生は無常であり、今日は生きていても、明日の保証は無いので、それぞれ一心に精進すべきである。怠けたり、怠惰に寝てばかりいたり、勝手気ままになるのは慎まなければならない。夜は心を集中し、三宝を念じるべきで、無駄に過ごせば、無駄な骨折りになり、後の世で深く後悔する事になる。「一心に清浄な戒を持ち続ける。」話し言葉を良く護り、清浄な意志を持ち、諸悪を避け、身口意を常に清浄に保ち行動すれば、仏道を成就する事ができる。

四番目の出家の弟子が、まず上師の慈悲による加持で、話をするチャンスがあり、この恩に感謝を述べた。まず戒体の重要性を説明した。戒体は形体が無く、我々が受戒後、内心から尊重すれば、戒法を受けた後、生まれる保護の一種で、我々の破戒や悪事を防止する。習気が重く、煩悩も重く、智慧・福報が浅い衆生にとって、特に重要で、鬼神や怨者の災いを防止し、修行者が安心して修行できるように保護してくれる。戒は無常の菩提の基本であり、戒は一切の菩提の根本である。戒は我々が衆生を傷つけるのを防止してくれ、衆生を傷つけなければ悪業を重ねる事も無い。「戒」が無ければ、定力が生まれず、定力がなければ、智慧が生まれるはずが無いので、戒は一切の修行の根本とも言える。一条の戒律ごとに、戒律を護持する善神が誓願していて、つまり一条の戒律に、何名かの戒律を護る善神が、あなたを保護してくれるのである。

以前唐朝の道宣律師は、中国仏教の律宗の開祖で、守戒は非常に厳格であった。ある夜更け、中庭で一心に修行中、一瞬誤って転びそうに為った時、誰かが支えてくれて、転ばないように助けてくれた気がした。彼はとても驚き尋ねた:誰が支えてくれたのか?この時、声がして答えた:私は毘沙門天王の王子だ。戒師の持戒は大変清高で厳格なので、戒師の身辺で保護している。またある時、彼が心臓病を患い、長引き治らなかった。ある日の夜更け、彼が寝ている蚊帳の外に人がいるので、彼が尋ねた。:そこに居るのは、誰だ?相手が答えた。:私は北方の毘沙門天王である。戒師が心臓病で苦しんでいるのを聞き、特別処方箋を届けに来た。道宣律師は、処方箋の薬を飲んだ後、案の定完治し、この処方箋は今も受け継がれ、これが かの有名な「天王補心藥丹」である。これらすべて持戒により、天神が護持してくれる真実の例である。

次に、聲聞乘はつまり比丘・比丘尼の戒で、盡形壽で、犯戒がなくても、この戒体は死ぬまでで、死後は残らない。菩薩戒は永遠で、もし菩薩戒を犯さなければ、あなたの菩薩戒の戒体は転生して生まれ変わっても存在し、生生世世転生を繰り返し、仏教を続けて勉強する縁があり、成仏まで菩薩道を歩み続けるので、これは非常に重要な誘導システムである。菩薩でさえ、すべて隔胎の迷いがあるので、凡人の我々が仏教を勉強するには、仏道を成就したいと思っても、この戒体の牽引力がなければ、仏教の修行、成仏の道は更に遠くなり、三悪道に落ちたり、仏法から離れるチャンスが必ず増えてくる。金剛乘も三昧耶戒があり、犯戒が無ければ、あなたと上師の関係は、生生世世と継続し、上師はあなたが三悪道に落ちないように護ってくれ、浄土に生まれ変わり、佛果が成就する。その他に、菩提心戒がある。菩提心は一切の衆生を成仏まで利益し、これは一種の力量があり、更に大きな戒である。一般的にもし大きな戒を犯せば、例えば 殺、盜、淫、妄…等、この種の戒は懺悔が通じない。:もし比丘・比丘尼がこの大きな戒を犯せば、比丘・比丘尼の資格を失い、その上 修行が成就せず、死後必ず地獄に落ち、苦しむ事になる。但し、もし菩提心があれば、一切の罪が懺悔でき、この力量は一切の罪業を清浄でき、修行者に一切の悪を作らせないようにし、仏道を早く成就させる。だから菩提心は素晴らしい宝で、少しの偽りも無いのである!

戒律には、開・遮・持・犯があり、一条の戒ごとに、世間の法律のように戒相を規定していて、それは人、事柄、時間、場所、物…等の条件である。しかし、最も重要なことは、心である。戒を故意に犯したかどうか、身・口・意が戒相を犯して無ければ、それは守戒である;守戒を続ければ、持戒である。開戒とは、ある戒は開緣によるもので、先ほど触れた500名の阿羅漢を救うために、船頭を殺した物語が、開緣になる。菩薩戒を守るために聲聞戒を犯したのも、一種の開緣であり、菩薩戒は聲聞戒の上にあり、この時は戒を犯した事にはならない。三昧耶戒はまた菩薩戒の上にあり、三昧耶戒のために菩薩戒を犯したのであれば、開緣の範囲に入る。破戒は、戒相上の条件がそろい、心身共に戒規を犯せば、戒律を犯した事になり、如法で懺悔すれば、戒体を保持でき、戒神を護れる。そうでなければ「破戒」になる。

五番目の出家した弟子が話した。:彼女は実に浅学非才であり、非常に恥ずかしい。諺にもあるように、基準が無ければ四角や円形がかけず、家には家のルールがあり、国には国家の法律があり、これらは戒の延長で、戒そのものも私たちの生活の中にあり、ただ仏法の中の戒は、意味が更に深遠で、生生世世の輪廻に影響がある。

戒は、性戒と遮戒に分かれ、五戒の中の殺・盜・淫・妄は性戒に属する。性戒の意味は、あなたがこの4条の戒を受けるか受けないかどちらにしても、人間の基本として守るべきもので、来世で人間になれるかどうか、良いか悪いかはこの4条の守り方の良し悪しに関係している。これらの観念は、平常から尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが基礎を培ってくれているので、兄弟子が出てきて懺悔して、以前無知で衆生を傷つけ、会社の文房具を盗んだり等 話しているのを、私達はよく聞いたことがあるが、これらはすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが輪廻から離れる道程で良い基礎を築いてくれているのである。

彼女は以前、殺戒は知っていたが、このような細かいことまで知らなかった。寶吉祥仏法センターに来て、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聴聞してから、こんなにもこまかいとはとても驚きだった。彼女は以前仏教を勉強するには、素食を食べる必要があり、素食は慈悲心を育てる事を知っていたが、衆生の肉を食べる事は、すべての悪の始まりであることは知らず、《地藏經》の中に衆生の肉を食べると地獄に落ちると詳細に書かれていることは、もっと知らなかった。《地藏經》は既に数百回も読んではいたが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示がなければ、相変わらずよく分からなかっただろう。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、名相仏法の開示をたくさんは用いないが、私達に実際の生活の中で実行させてくれる。

開、遮、持、犯について、この弟子は、自分は戒を守らず、言う事をきかず、とても恥ずかしくて、実際話をする資格がないと言った。前の何人かの兄弟子が既に明確に説明しているが、ただ名前を出していなかった。例えば、犯戒の因は戒因と言い、犯戒の緣は戒緣と言う:既に戒を犯すと、戒法と言う。但し、必ず触れなくてはいけないところが一点ある。私達の生活は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持があり、もし死んでも、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが済度してくれるが、私達は自分で必ず福報を蓄積しなければならない。そこで五戒を必ず守り、特に妄語戒である。以前に彼女が仏門に入ったばかりの時、戒師が話した。:妄語戒の一条に50分を占め、さらに五戒のいずれか一条を守れば、来世は人間になる事ができるので、妄語戒の重要性が良く分かる。

我たちは、口は食べるためだけではなく、話すために使うのを知っている。「口を開けば、神気が散る」と言うが、口を開けば、心の状態、思考が現れ見えるので、人を理解したければ、話をするところを見れば良い。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは度々私達に開示するのは、思考のない行為、つまり妄語戒の重要性を述べている。《佛子行三十七頌》の中の第三十四條にも述べているが、「粗語で人の心を傷つけると、菩薩の律儀を失う事になり、他人が不愉快になる悪言を断絶するのは、菩薩の行動である。」

笑い話を言うと、バスに乗った男性は、バスがとても混雑していて、一番後ろまで押されてしまった。前から美しい天使のような少女が乗ってきたので、彼女の様子を見るなり、必死に前の方に押していき、やっとのことで彼女の前まで行ったが、彼女が話をするのを聞いて、気絶しそうになった。話をすると自然と気質が表れるのである。

前の兄弟子が話した慈悲心に合わせ、この出家の弟子は、ある物語を話した。唐朝時代、道宣律師は戒律を厳格に守り、感動した天人が食事を届けてきた。ある日、布袋和尚がわざわざ道宣律師を尋ねてきた。道宣律師は布袋和尚を見て、少し不愉快に思った。布袋和尚は身なりをきちんとしてないからで、戒律も厳守していなかった。道宣律師は布袋和尚に輝く天人が送ってきた食事はとてもおいしいと言うと、布袋和尚は居残り、天人の食事はどんな味がするか待って食べてみようと思った。昼から夜まで待って、天人は現れず、それで寝てしまった。翌日 道宣律師は布袋和尚がいびきをかくのでブツブツ文句を言った。布袋和尚は、昨晩は二匹の蚤が居て、その中の一匹は足を骨折し、もう一匹は押しつぶされて死んでしまったと道宣律師に言った。このとき道宣律師は、布袋和尚の蚤のことが分かる能力に驚き、尋常なことではないので、心の中に敬意が湧いた。その後、布袋和尚は、天人が送ってくる食事を食べられないので、山を下りて行った。正午に、天人がまた食事を送ってきたので、道宣律師は昨日はなぜ食事を送ってこなかったのか?尋ねた。天人は答えて:昨日は大菩薩のご光臨で、山中が明るい光で四方が照らされ、龍天護法が周りを巡り、それで食事を届けてこられなかった。この出家の弟子が言った。:これはただ可愛い物語ではあるが、菩提心をおこす事の素晴らしさを伝えている。最後にお聞きいただいた皆さんに感謝いたします。

その後、出家した弟子が、会場の信者を率いて六字大明咒を法会が終るまで唱え続けた。

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2014 年 11 月 26 日 更新