尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年3月3日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台北寶吉祥仏法センターに於いて、自ら金剛薩埵灌頂法会を主催された。法会の開始前、インド法会団に参加した弟子が、自分の犯した過ちと、リンチェンドルジェ・リンポチェが授けた貴重な教えを、会場の人たちに説明した。

法会に参加した一日目の朝食時、弟子達は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの深刻かつ貴重な叱責を受けた。その中の32名の兄弟子達は、リンチェンドルジェ・リンポチェが尊勝なる直貢チェツァン法王に謁見することに、付いて行けなかった。その日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと弟子が一緒に朝食をとっていた。皆はほとんど食べ終わっていたが、リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ席に居て、乗車時間までまだ20分あった。一人の弟子が彼女のところに駆け寄って行き、部屋に戻り荷物を準備したいが、リンチェンドルジェ・リンポチェに頼まれて保管しているものがあるので、彼女に預かってほしいと言った。彼女は、快く荷物を預かろうとした。荷物を手渡した弟子が恭しく合掌し頭を低く垂れ、ゆっくりレストランから出て行こうとした時、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子を呼び止め、リンチェンドルジェ・リンポチェがまだ座っているのに全く無視していたので、雷灌頂の如く叱責した。リンチェンドルジェ・リンポチェが未だレストランを離れていないのに、自分勝手に出て行こうとして、全く恭敬心がない。預かり物の受け渡し時間になったのですか?、そんなに急ぐことがありますか?リンチェンドルジェ・リンポチェに叱られた荷物を預かっているこの弟子は、もう一人の弟子と大変親しくしており、彼女に保管を頼めば安心できると思ったのだ。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの物は、預かった人が全責任を負うべきで、どうして別の人に頼めるのだろうか?続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、荷物を頼まれた弟子を叱った。皈依して長年たっているのに、相変わらずおせっかいで、リンチェンドルジェ・リンポチェの物を持っているように頼みましたか?頼んでいないのに持とうとするなんて!もし又同じ過ちを犯せば、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を追い出すだろう。彼女達は皈依して最も古いのにもかかわらず、このような過ちを犯し、皈依してから長ければ長いほど、問題を起こし易く、全く修行をしていないのと同じだ!とリンチェンドルジェ・リンポチェが言われた。

リンチェンドルジェ・リンポチェはその後、話題を変えた。今朝のリンチェンドルジェ・リンポチェとの食事の時、遅刻したり、来ないのがいたり、起こしに行ってやっと来て食べたり、まるで観光旅行に参加していると思っている。やりたい放題で、大きな団体だとは考えないで、旅行者に連絡事項がないと思っているのだろうか?来ないのが居たり、どこかへ行ってしまったのが居たり、一人一人に電話を掛けて連絡しなければいけないですか?これは法会団体で、旅行団体ではない。食べ終わったらトイレに行き、部屋に戻って荷物を取りに行く人がいるが、早めに荷物を準備してレストランに持って来る事はできないですか?時間が充分有るから、もう一度戻って荷物を取りに行けると思っている。一般の旅行社が、インド巡礼に行く団体の場合、費用は少なくとも数十万かかるが、今回の旅行社は、良い食事、良いホテルを手配し、その上法会に参加しても、少しの費用しか掛からない。自分でお金を払うから偉いなどと思わないで、何のために今回インドに来たのか、はっきり分かっていない。

リンチェンドルジェ・リンポチェが未だ座っている時、トイレに行く弟子がいたり、部屋に戻って荷物を取りに行く弟子がいたり、早めにレストランを離れる弟子がいたり、全く上師を恭敬しないで、上師を透明人間のように思っている。早めに離れたいなら、先に指示を仰ぐ事はできないですか?リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子命じこれらの人たちを全部記録させ、直貢チェツァン法王に会わせなかった。全部で32名だった。この後この32名の弟子達は、ホテルの入り口で膝まづいて懺悔し、リンチェンドルジェ・リンポチェが車で離れるのを恭しく見送った。罰として直貢チェツァン法王会うことを許されなかったが、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは、彼らを自力でお寺に行かせ、法会に参加させた。彼らは心からリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教えに大変感謝した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を連れて、尊き直貢チェツァン法王に拝謁した時、直貢チェツァン法王の傍で細心に気を配り、直貢チェツァン法王の一切を注意深く見ていた。尊き直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子達に慈悲深く《隨念三寶經》を口伝し、更に御慈悲で一人一人に加持された。弟子の数は多いので、リンチェンドルジェ・リンポチェは、直貢チェツァン法王が疲れないよう、皆に頭を低く、近づかせ、膝まづかないよう、動作を迅速にするように特別指示した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、何回も注意したが、やはり一部の弟子は膝まづいてしまった。この点から観て、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に対して、どれ程恭敬心があり細やかであるかがわかる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、直貢チェツァン法王が口にする前に気がついて、すぐその通りに行う;弟子達は、リンチェンドルジェ・リンポチェが話した後でさえ、やはり間違いを犯し、何度言っても、同じ間違いを繰り返す。続けて間違いを犯すのは、皆の心は上師の上にないのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自ら弟子として如何に恭敬して上師に仕えるか、模範を示されたのである。

二日目の法会終了後、特別晩餐会が按配され、参加した弟子は全員、リンチェンドルジェ・リンポチェと一緒に夕食を共にした。このようなチャンスを与えてくれた上師に大変感謝した。チベットでは、一般の人は大修行者を遠くはなれたところから見るだけで、大修行者と同じひとつの部屋で、更には一緒に食事するなど考えられない事であった。そして上師のような大修行者と一緒に夕食を取る福報を与えてくれた事に、重ねて感謝した。晩餐会で、リンチェンドルジェ・リンポチェは、また更に弟子達に殊勝な開示をした。リンチェンドルジェ・リンポチェが今回直貢チェツァン法王に供養するのは、大変珍しく貴重なラピスラズリの青い鉢である。10年前に、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような鉢を直貢チェツァン法王に供養したいと思っていた。ラピスラズリの珍しく貴重なこと、鉢は伝承の意義があること、どちらも大変殊勝な開示をされた。彼女は、これらの話を、リンチェンドルジェ・リンポチェがもう一度皆に開示してくれるように懇願した。もしリンチェンドルジェ・リンポチェが自ら開示されたら、弟子の上師に対するあの種の完全な恭敬と供養心が、皆を更に深く感動させるからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのよう貴重な宝物を供養する前に、まず直貢チェツァン法王にお伺いし、直貢チェツァン法王が大変喜ばれたからこそ、供養したのだった。この鉢は、作るのが難しく、半年掛かってやっと出来上がり、35キロのラピスラズリを使用して、やっとあの小さな鉢が出来上がり、1千万元以上の費用が掛かった。だからリンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子達が供養しないと、たびたび言うのである。本当にその通りで、このように上師が直貢チェツァン法王に対する供養を聞けば、あのような恭敬な供養心と感謝の心とを比べて、弟子達は全く供養をしていないのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェが供養するものはすべて、直貢チェツァン法王が喜ばれる物であり、上師が好まれる物で、心を込めて供養するのだ。恥ずかしい話、弟子達は自分が不要な物を上師に供養し、すれば良いと思い、ひどいのは自分はたくさん供養しているといつも言っている。リンチェンドルジェ・リンポチェの今回の供養は、このように殊勝で貴重なもので、言うまでも無くリンチェンドルジェ・リンポチェの毎回の供養は、全て非常に貴重な物ばかりである。リンチェンドルジェ・リンポチェは、たびたび供養をしなければ、福報の蓄積はできず、福報が充分でなければ、仏教を学ぶ上で、障害が大変多い。弟子達が、リンチェンドルジェ・リンポチェにする普段の供養のすべては、供養をすることで福報を畜積するチャンスを、リンチェンドルジェ・リンポチェが作ってくれているのであり、弟子達は心からリンチェンドルジェ・リンポチェに供養すれば良いのである。直貢チェツァン法王に供養すべきだと思わなくても良い。リンチェンドルジェ・リンポチェが居なければ、私たちは直貢チェツァン法王に会える福報は根本的に無い。私たちはリンチェンドルジェ・リンポチェを供養するだけで、上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、我たちのために手配してくれるのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェの供養の心が、リンチェンドルジェ・リンポチェに大きな福報をもたらし、この貴重なラピスラズリの鉢を供養することができた。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示によると、空の鉢は供養できないので、その中に貴重なさんご、真珠と十両の黄金を納めた。直貢チェツァン法王はご覧になられて特別喜ばれた。

リンチェンドルジェ・リンポチェも開示されたが、以前直貢チェツァン法王は疲労で、体を壊され、リンチェンドルジェ・リンポチェはそれが分かると、何も言わず、直貢チェツァン法王を三ヶ月安静のため台湾に呼ばれた。そして直貢チェツァン法王の体調を整えるため、最高の漢方薬を使用し、飛行機のチケット、宿泊などすべて、リンチェンドルジェ・リンポチェが供養され、リンチェンドルジェ・リンポチェは、このことを誰にも話さず、只黙々と行われた。今直貢チェツァン法王の体はずいぶん良くなられた。続いて、昨年(2012年)リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を伴い、24時間直貢チェツァン法王のために長壽佛を念じられた。もともと全ての事はリンチェンドルジェ・リンポチェが早くから細心に気を配り按配し、一歩ずつ進め、全て上師が考えたり話す前に、リンチェンドルジェ・リンポチェはもうすべて行い、その上に心を込めて最高に尽くすのである。彼女の発言によると:違った角度から見ると我々は、上師が考えたことを手伝ったことがあるのだろうか。自分の事、自分のうちのことを考え、たとえ上師や道場のために奔走した事でさえも、ただこうやれば叱られないかと思ったりして、上師の立場に立ってした事は無く、それでいつも叱られたり、リンチェンドルジェ・リンポチェに迷惑をかけたりするわけである。彼女は呼びかけて、皆さんは本当に心から懺悔すべきです。

彼女は、巡礼に行くたびに、リンチェンドルジェ・リンポチェが、真に厳しくて、また慈悲深い優しい父だと深く感じると述べた。朝法会に参加する前は、厳しい父親で、行動する前にチベット人に笑われないよう、弟子が上手くできるように厳格に教育する。:晩餐会の時、殊勝な開示では、まるで慈悲深くて優しい父親のようで、良く言い含めるのである。このような感覚は、自ら参加して、初めて深く感じられる。毎回巡礼に参加している兄弟子は、本当に深く感じ入り、「我々がリンチェンドルジェ・リンポチェにつき従えるのは、実に素晴らしい事だ!」

長寿仏法会中、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた弟子達が福報を蓄積し仏教を続けて学べるように開示した。今回来なかった弟子達については、リンチェンドルジェ・リンポチェの会社の手伝いで来られなかったり、お金が無かったり、家族の反対が有ったりなど、いろいろ複雑な原因がある。しかし、法会で回向をしている時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、常に全ての弟子達のことを考え、参加した弟子達に、来られなかった弟子達に代わって法会に参加している気持ちを持つべきだと注意を促した。

この弟子は、皆を励まし、次回巡礼のチャンスがあれば、考えすぎないで、申し込んで参加すれば良い。それはどんなに説明しても、そのときの感覚は表現できない。帰ってから弟子達は、更にリンチェンドルジェ・リンポチェに付き従う心を堅固にし、自分はすでに何度も行ったとは言わないで、しっかり上師の歩調に合わせ付き従う事が、弟子達が永遠にしなければならないことである。

続いて、ある弟子が今回インド長壽佛法会に参加した殊勝な事跡を述べた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、今回デラドゥンにあるヂャンチュウブリン寺(菩提寺)で挙行された長寿法会の縁起は、事実上去年(2012年)直貢チェツァン法王誕生日の時長寿仏を修め、尊勝なる直貢チェツァン法王の長寿を願ったことであり、台北寶吉祥仏法センターの弟子達を率いて、24時間途切れず長寿仏真言を唱えた。今回ヂャンチュウブリン寺の長寿法会を計画施行する索南(ソナン)ラマ僧は、当時台北寶吉祥仏法センターの法会に参加していて、その後インドに戻り計画施行を始めた。それで今日この尊勝直貢チェツァン法王のために挙行された長寿法会があるのだ。この法会の始まりは台北寶吉祥仏法センターであるので、締めくくる時台北寶吉祥仏法センターの弟子達を連れて参加したのは、この法会を円満に終らせるためでもある。

今回の法会を主催する委員の中の下部の人員は、出家者ではなく、一般のチベット人で、学問がある人もいて、留学した人もいるが、彼らは中国人に対して誤解があり、中国人が
大リンポチェ果位【仏道修行によって得られた悟りの位】を証したのが許せなかった。今回のインドのデラドゥン行きは、弟子達は23日に出発するが、計画施行委員会は21日になって初めて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのスケジュール及び弟子達の宿泊先の手配が済んでいるかどうかの問い合わせをし、続いてやっと尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと弟子達の二日間の法会の昼食の登録をすべきかどうかを尋ねた。彼らは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェのデラドゥンにおいての関係を知らなかった。部屋数の多少に関わらず、ホテルの手配は万端で、ずいぶん前に手配済みだった。チベット仏教では必ず大リンポチェが一番先にマンダラを献上する順序になっている。しかし計画施行委員会がマンダラ供養の詳細部分の交渉時に、彼らは公平性を強調し、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず抽選の方法をとるようにと固守し、ひどいのは抽選に同意しなければ、法会のマンダラ供養は全部取り消すとの文章を書くよう要求してきた。同時に交渉中の委員会の中の2名の決定委員が交渉中、リンチェンドルジェ・リンポチェを顔リンポチェ【リンチェンドルジェ・リンポチェの俗名】と呼んだ。これは彼らは直貢チェツァン法王を尊重していない事である。それはリンチェンドルジェ・リンポチェの法号は、2007年リンチェンドルジェ・リンポチェがラキ雪山に於いて閉関修行を円満に終了された時に、尊勝なる直貢チェツァン法王から賜ったものだ。ひどいことには彼らはチベットの一つの名前にしか過ぎないと言い、以外にもそれが殊勝な法号とは知らなかった。それ以外に我々は抽選をせず最後に一つマンダラを捧げた。主催者側は、自らの意思で最後にステージに上がることを表明した文書を、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに要求してきた。それは罵られるのを恐れたからだ。だがリンチェンドルジェ・リンポチェはこの文書を書かなかった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子達を率いて最後になってマンダラを献上したとは言え、中国人には一句がある。:素晴らしい出し物は、最後にもってくるフィナーレ(ハイライト)である。

しかしその後リンポチェが一同ステージに上がりマンダラを献上すると決議したことを、委員会が25日法会の当日に初めて告知し、事前に知らせなかった。当日になって初めて、他のリンポチェと一緒にマンダラを献上するかどうか、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに問い合わせをしてきた。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を率いてマンダラを献上した。リンチェンドルジェ・リンポチェは教派、法王、弟子のためにずっと忍耐したのである。

25日の午前中、法会に行く前に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、マンダラをどのように献上するか、各々の動作の細かい部分、各時点を軍事策略の如く明確に教えたが,弟子達はまた聞き間違えたのだ。弟子達は本当に懺悔すべきである。

25日法会開始前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を率いて、列を成して、尊勝なる直貢チェツァン法王を出迎えた。音楽が始まり、尊勝なる直貢チェツァン法王が現場に到着してい無い時、すばやく大門まで近づいて恭しく出迎え、それかr尊勝なる直貢チェツァン法王の傍に付き従った。マンダラ供養時、204名の弟子達は、皆一本のハタを捧げて広がり、壇場に向かい、前の通路の油灯を並べた机の前に分かれて並んだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、旗を手にした弟子及び三名の僧侶の弟子を率いて前進し、尊勝なる直貢チェツァン法王に、アフガニスタンの大変貴重なラピスラズリで作った釈迦牟尼仏鉢を供養した。リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に供養する時、弟子全員が壇場に向かい直貢チェツァン法王に供養した。会場のチベットのラマ僧はリンチェンドルジェ・リンポチェが寶吉祥仏法センターの大勢の弟子を率いて、遠く台湾からインドまで来て、尊勝なる直貢チェツァン法王にマンダラを献上しているのを見て、特別賛嘆し、その賞賛する場面は壮観であった。今回の長寿仏法会の花、米、油灯、多瑪はすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが護持し、リンチェンドルジェ・リンポチェは、更にこの長寿仏法会に参与する総勢600名に近い僧侶尼僧に供養を手配するよう特別指示した。法会終了前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、阿尼寺に18萬1千元のルピーを寄付するよう理事長に指示した。ディクン・カジュ学会桑丹林尼寺の総括及び規律主任は、桑丹林尼寺に慈悲深く護持した事に対して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを極めて賛嘆し、感謝し、また法会中、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法座の前まで行き、リンチェンドルジェ・リンポチェにハタを捧げ敬意を表した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩したのである。

直貢チェツァン法王の秘書(Kinley)ラマ僧は、松贊図書館の最上階の千手千眼觀音聖像を祭ってある殿堂の中で、直貢チェツァン法王の開示を代わりに述べ、直貢チェツァン法王は特別皆に話すよう言いつけた。:直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子を率いてインドの強久林寺に来て、今回の法会に参加した事は大変喜ばしく、この法会は直貢チェツァン法王の長寿と健康の助けとなった。(Kinley)ラマ僧も皆が慈悲心を養い、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに付き従う様にと最後に表明した。

その後医者である弟子が今回参加したインド長寿仏法会の時のリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な事蹟と開示を述べた。

同行した一人の弟子は、声がかれて呼吸の音しか出せず、8日間話ができなかった。インドで二日目の夕食時、リンチェンドルジェ・リンポチェがこの弟子の水にマントラを唱え加持すると、水を飲んで3秒も経たない中に話ができるようになった。リンチェンドルジェ・リンポチェは、医学の見地からこの現象を解釈するように彼に指示した。彼が説明するには、西洋医学がこのような状況に遭遇すると、炎症、腫れまたは神経麻痺だと判断し、治療は、ステロイドを服用し、3~7日後にやっと改善し、治癒には数週間かかる。リンチェンドルジェ・リンポチェのその場での開示では、この弟子は話ができないのはアフラトキシン中毒だが、水を飲んでから、3秒も経たない中に話ができたのは、医学上解釈できないと彼は話した。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェはまた彼に続けて質問した。人類の脳部の骨格は成人してからも変化がありますか?彼は答えて、人類の脳部の骨格は誕生後、縫合が閉じ、その後は変化しない。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェの前頭骨は突起し、耳朶の上の側頭骨は相変わらず変化し続けていて、医学上では解釈できない。当時リンチェンドルジェ・リンポチェの開示では、人類の脳部は最高で30%から40%までしか開発できず、残りの60%、70%がどうして開発できないのかは、人類がexperience(經驗)の法則から行動しているからであり、つまりは前人或いは他人が蓄積した経験法則である。その上考える事行動する事は、全て自己と周囲の親族の利益ためである。だが本当の修行者は、knowledge(知識)に基づいて行動するのであり、すべては他人のためであり、自分ではない。それで、修行者の脳部は100%まで開発できるのである。修行者は衆生のため、心は広く大きいので、knowledge(知識)も広く大きいのである。しかし、関連する知識を学習していなくても、簡単な説明を聞けば、リンチェンドルジェ・リンポチェは自然と行程を理解でき、結果が分かるのである。この医者である弟子は、続いて自分がリンチェンドルジェ・リンポチェの開示のこの部分しか覚えておらず、これは上師を恭敬せず、集中して話を聞いていないので、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を完全に覚えられなかった。医者の弟子は続けて、リンチェンドルジェ・リンポチェが尊勝なる直貢チェツァン法王に対して供養したのを見た後、自分は根本的に供養をしておらず、更に恥ずかしく感じたと述べた。

続いて寶吉祥仏教文化交流協会全体の理事と監事が一歩前に出て、その中の理事が今回参加したインドの法会で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェから助けられた過程を説明し、今回参加した法会団の弟子が犯した罪を指摘した。

彼女がインドに行く前、喉は訳が分からず声が出なくなり、話すときは息の音しか出せなかった。彼女は声が出ないので、携帯のメッセージで自分の状況をリンチェンドルジェ・リンポチェの傍の弟子に伝えていた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示では:彼女は絶対間違った物を食べたているはずである。彼女はうそをつけなかった。自分は確かにピーナッツ汁を食べたと認めた。数日前六字大明咒を2時間唱えた後、自分に褒美をあげようと思い、有名なデザート店でピーナッツ汁を食べた。ピーナッツは収穫後即加工しないと、短時間でアフラトキシン産出される。彼女はそれで声が出なくなり、原因ははそのピーナッツ汁であった。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は、彼女がガンを患ったことがあり、中毒を起こしやすい体質なのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女がピーナッツ汁を飲んだ事が分かり彼女を叱った。お金がありながら、寶吉祥コーヒー店の品質の良い飲料を飲みに行かないで、ピーナッツ汁を飲みに行き、その結果自己中毒で声を失った。

インドで、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達と一緒の晩餐時、彼女は声を出さず微笑してうなずくだけなので、レストランのウェイターは、この東方の女性はとても優しいと思ったであろうと、リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモラスに語った。食事中、リンチェンドルジェ・リンポチェは、いきなり彼女に水を持ってくるように要求し、リンチェンドルジェ・リンポチェがなぜ水のコップを要求するのか分からず、一瞬いぶかしく思ったが、その後すぐにリンチェンドルジェ・リンポチェに水を持っていった。その時、もう一人の弟子は彼女がコップを運ぶのを見て、一生で誰にも水を上げたことが無いに違いないと言った。彼女は確かにこのようなことをしたことが無く、本当に親孝行でないことが良く分かる。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、コップの水にマントラを唱えている時、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが助けてくれているのがやっと分かり、その場で感動し涙を流した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは加持後、彼女にすぐ飲むように指示した。彼女が飲んで3秒も経たないうちに、意外にも声が出て話せるようになった!

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、引き続き彼女に頂礼するように指示し、彼女は慌しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、その場で医者である弟子に尋ねた。声が出ないのはなぜですか?医者の弟子は、声が出ないのは、喉の炎症、腫れ、麻痺などが原因でしょう。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはこの医者の弟子に尋ねた。もし声が出なかったら、どれぐらい治療すれば声が出て話せるようになるのですか?3秒以内に話ができるようになる可能性がありますか?医者の弟子は、それは不可能だと表明し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大能力を褒め称えた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがコップの水を加持し、彼女がそれを飲んだ後すぐ声が回復した。これは少なくとも八地(菩薩の階位)菩薩以上の能力が無ければできない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、任運自在【自然に任せ自在である】隨順諸法不造作【諸法に合わせ意識してつくりだすことがない】無功用【意志的な行為を超越して自然のままにまかせること】などを超えており、これは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが八地以上の菩薩であることを表している。この弟子は皆に呼びかけ、皆さんは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに多数の助けを受けたと認めていながら、なぜ供養はこんなに少ないのでしょうか?皆さん良く考えてみましょう。毎週台北寶吉祥仏法センターで座について皆さんに説法するリンチェンドルジェ・リンポチェは、八地以上の菩薩で、私達はリンチェンドルジェ・リンポチェに供養しなければ、いったい誰に供養するのでしょうか?彼女は自分の知っている一般の状況を皆に話した。皆に是非知ってもらいたくて、どうしても言いたいのである。一般的に法師に付き従って国外巡礼する場合、団体費用以外にその他の支払い項目があり、それは団体を率いる法師の取り分であり、それ以外に更に供養をするので、全部で少なくとも数十万元掛かる。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法会団を率いて出国する際、一般的なその他の支払い項目はまったく無く、皆さんは単純に法会団の旅費を支払うだけで良いのに、皆さんは貴重だとは思わず、供養もしない!

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女に加持したのは、彼女がいくらか供養したからだと開示した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは既に開示しているので、彼女はここで話すことができるのである。彼女がまだ皈依する以前、台北寶吉祥仏法センターの法会に初めて参加した時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、15、16歲の肺腺がんで亡くなった弟子のために、ポワ法を修めた事を聞いた。彼女はその瞬間非常に驚いた。何十年もの間他の宗派に居たが、既に伝承されていないとは認めないが、以前は修得するのは不可能だと思っていた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、死者にポワ法で済度し、円満に終了後死者の頭蓋骨に丸い孔の殊勝な瑞相が現れ、そして皆に開示した。:あなたがたはポワ法を修めるのは、簡単な事だと思いますか?ポワ法を修めるには、修法者の功德、福報、寿命を消耗し、死者を助けるのである。この言葉は彼女の頭の中に深く刻まれ、もしこのような大変稀有な大修行者に供養しないのなら、いったい誰に供養すれば良いのでしょう?そこで、その場で彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養することを決めた。彼女は自分の健康のため、ガンが良くなるように、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ供養するのではない。それは初めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めた時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、自分の病が良くなるようにと願い、台北寶吉祥仏法センターに来るのではないと開示したからである。

先程医師の弟子の話した内容が、一部漏れていた。彼女の前の道場の本尊は蓮花生大士で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが頭蓋骨が変化して、前頭部が突き出すほどに修したのは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ既に氣脈明點を円満に修得されたことであり、蓮花生大士と同じように前頭骨が突き出ているのと同じなのだ。医師の弟子の話したように、人は誕生してから二度と頭蓋が変化しないが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは修して頭蓋骨が変化するのは、本当に修行が成就されたことであり、正真正銘のリンポチェである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示した事がある。一般人の脳は30%から40%しか開発されておらず、完全に開発されていないのは、凡人が自己の人生経験、私利私欲から日を過ごしているからである;一生懸命仏教を学べば、脳が完全に開発される。もし慧根【煩悩(ぼんのう)を抑え、悟りを開かせる働きのある智慧(ちえ)】が無く仏教を学ぶ事ができなければ、素直になり上師に依止【力や徳のあるものに依存し、それを頼みとすること】すべきである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの脳は既に完全に開発されているので、物事の原因結果、始まり、過程、結末が良く分かっているが、凡人は物事の始まりが分かっているだけで、それをどう締めくくれば良いかわからない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、つまり修得できたので、脳はすべての理に通じているのである。

今回、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子達を率いてインドの法会に参加した。二日目マンダラ供養の前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、他のリンポチェと一緒にマンダラを献上するか、或いは弟子達をつれてマンダラを献上するか、ラマが支持を仰いできた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは思考して:もし自分が他のリンポチェと一緒に果位の順序でマンダラを献上した場合、チベット人の中国人に対しての誤解を考慮して、もしリンチェンドルジェ・リンポチェが一番目の順序であれば、チベット人は不愉快に思うであろう。;但しもしリンチェンドルジェ・リンポチェの順序が後ろであれば、弟子達にしてみれば面白くないだろう。マンダラ供養は殊勝な儀式であるが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが皆が喜ばない事は望まないので、リンチェンドルジェ・リンポチェはチベット人のマンダラ供養が終ってから、再度別に弟子達を率いてマンダラを献上した。好酒沉甕底【甕の底の酒は一番良い香りがする】喩えどおり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは最後に弟子達を連れ、別にマンダラを献上した。台北寶吉祥仏法センターの大旗を先頭に、寶吉祥の弟子が二列に並び、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ弟子達を率いて、尊勝なる直貢チェツァン法王にマンダラを献上した。隊列は極めて壮観であり盛大で、会場を震撼させた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはマンダラを献上する時、尊勝なる直貢チェツァン法王にラピスラズリの鉢を供養した。鉢の中には、10両の黄金、真珠と最高の赤サンゴが盛られていた。片手に持ったラピスラズリの鉢を切り出すのは、大変難しく、35キロのラピスラズリを消費し、このラピスラズリの鉢は前例が無く、将来的に再現することは困難であり、唯一の物と言え、価値は1000万元以上である。尊勝なる直貢チェツァン法王は、非常に満足され、特にマンダラ供養後、即収蔵するよう文書で指示し、そしてピスラズリの鉢はチベットの五大宝の一つであると開示した。

続いてこの弟子は、今回の法会団の弟子達が犯した罪を指摘した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、法会団に参加する際の心理状態に注意を払うよう、はっきり開示しているのにもかかわらず、法会参加の団体行動をとらず、結局旅行社が彼らを連れてスカーフとお茶を買いに行った。決められたスケジュールでは無いので、旅行社が変更するには、全員の同意書の署名が必要だった。署名したくない人もいたが、発起人は全員の共同同意を無理やり取ろうとした。この弟子は、今回の尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子を率いてインドに行く目的は、法会に参加するためで、観光ではないとはっきり主張した。:旅行社はもう既に皆にスカーフをプレゼントしているのに、もし皆がもっと買いたければ、旅行社に代理購入を頼めば良いし、貿易会社に頼んで輸入できるし、1コンテナーで輸入しても良いし、また自分がグループ旅行に参加して買えば良いので、なぜ法会に参加するスケジュールの中で買い物をしなければならないのでしょうか、また全員を連れ悪い道に引き入れるのでしょうか?尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはもう既に開示し、今回弟子を率いて法会に参加したが、一部は言う事を聞かず、自分の心を放任するのでは、軽率ではないのだろうか?寶吉仏教文化交流協会の監査役理事は、この件について、どのように処理するか会議で決議する。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、法座に上られ、自ら金剛薩埵灌頂【頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結び、種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とする為の戒律】を授け、参加者に珍貴な仏法を開示された。

今日皆に金剛薩埵灌頂を授ける。世間で密教を批判する人は、釈迦牟尼仏は灌頂について語った事は無いと言うが、《華嚴經》の中では灌頂について触れており、續部の中にも灌頂は大変重要であると述べている。経典に記載されているが、修行者が十地菩薩の果位を証する際は、十方一切の諸仏、菩薩が修行者に密教を学ぶ事を勧め、灌頂を授ける。修行して仏果【仏道修行の結果として得られる、成仏(じょうぶつ)という結果】を得るためには、単に顕教【密教以外の仏教のこと】に頼るだけでは十分ではなく、密教を勉強しないで仏果を得ることは、ほとんど不可能な事である。

密教を批判する人は、釈迦牟尼仏は密教を説いてないというが、多くの経典の中に、もし細心の研究をすれば、かすかな手がかりが見え、ただあなたがたには見ても分からないだけである。密教は公開して説いているのでなく、非共通であり、根器【仏の教えを理解・実行する性質・能力】が無ければ、教授を受けられず、学ぶ事もできない。それで、一部の人は密法は無いとか、奇妙な理由で密法を攻撃する。現在世間では、勝手にいろんな呪文を公開して、自分は密教の法王だと公言しているが、皆さんは注意すべきである。

なぜ灌頂は必要なのだろうか?チベット仏教の中では灌頂は非常に重要で、修行者に授権する事を表していて、行者に某法門を専念して修行させる。灌頂の由来は、古代インドの国王が王子に地位を譲る時、大変貴重な材質で作られた瓶に清浄な水を入れ、国王から王子の頭頂に注げば、彼が未来の継承者であることを意味し、灌頂は彼に国家統治の権力を授与した事を表す。

チベット仏教の修行の法門は、行者が某1尊の本尊を修習し、本尊の呪文を唱える前に、灌頂を経なければならない。必ず灌頂を受けなければ修することができない。灌頂を受けていなければ、いくらマントラを唱えても本尊と縁を結ぶだけであり、修行を成就できない。多くの人がいくら大悲呪,往生呪,十小呪,宝号等など、を唱えてもなぜ効果が無いのだろうか?自己の業力【果報を生じる業因の力。善業には善果を、悪業には悪果を生じる力】を変えることはいうまでも無く、自己の心さえコントロールできないのは、つまり灌頂を経ていないからだ。行者がもし灌頂を経ていなければ、授権を得ていなければ、唱えているマントラは普通の人が唱えているだけで、いかなる願【所期の目的を成就しようと願いを求めて決意すること】を起こしても、たとえ更に大きな願であっても同じで、やはりただの普通の人に過ぎないのである。

密法の修行の方法は、果地【阿羅漢果、仏果など、果としての悟りを得た位】から修行を始める。それは仏の説くところによれば、全ての衆生は、それぞれ仏になる条件を備えており、それぞれの衆生は仏性【すべての生き物が生まれながらにもっている、仏となることのできる性質】を備えているので、全ては未来の仏であり、それで密法の教えは、直接仏の領域から修行を開始し、比較的迅速に仏果【仏道修行の結果として得られる、成仏(じょうぶつ)という結果】を修行により成す。顕教の修行の方法は、普通の人からはじめゆっくり一歩一歩ずつ修行し、仏果を成すにはかなり長い時間が必要である。顕教の修行の方法で仏果を証得【真理などを悟ること。体得すること】するには、仏経上では三阿僧祇劫【無限に長い時間】が必要で、つまりは地球が経験してきた成住壊空【世界が成立。成立した世界が持続し安定。世界が壊れていく。すべてが壊れてしまい、なんにもなくなった状態。】の過程を何回も繰り返し、この時間は数十億万年よりももっと長い。

金剛薩埵は密教の大変重要な本尊の一尊であり、密法を学ぶ行者は必ず金剛薩埵を修めなければならない。もし金剛薩埵を修めなければ、密法修行を成就するのは非常に困難である。普通の弘法【仏の教えを世間に広めること】人は誰でも灌頂を授与できるわけではなく、灌頂を授与できる上師は必ずリンポチェでなければ為らず、その上修行に成就していなければならない。かつて本尊に依り閉関修行し、本尊と心が結合するまで修行を修め更には法本に記載されている兆候が現れ、これらの条件を備えてこそ灌頂を授与できる。灌頂を経た後、この本尊を修持し、多くの衆生に利益できる。もし閉関修行が成就できなければ、自己のみが修行するだけで、衆生を助ける事はできない。;閉関修行が成就してこそ、衆生に利益できるのである。世間では多くの人が好んで大悲呪を唱え人の業を消し病を治す助けをしているが、上師口伝の大悲呪を経てなかったり、口伝の上師本人が大悲呪と心が結合してなければ、大悲呪を唱えている時、宗教的な神秘的な感覚があったとしても、何の効果もないのである。

現在一部の人々は、好んで数珠で信者の体を叩き、こうすれば病気を治す事ができると言う。密教から言わせれば、修行者自身の数珠は他の人に接触させてはいけない。念誦で体を叩くのは比較的道教の方法に近く、仏経ではこの事に触れていない。もし数珠で叩いて病気が治ったり、業障を解消したり、怨者を追い払ったりできれば、あまりにも簡単すぎる!もし行者が修行を通して、自分が蓄積した功徳と福報で衆生の怨者を感動させないのに、彼らが離れるはずがあるだろうか?金剛薩埵を修習すれば、本当に我々の善と悪の業力を解消でき、これらはすべて我々が仏教を学ぶ上での障害である。本日授与する金剛薩埵灌頂は、リンチェンドルジェ・リンポチェが長時間閉関修行を経た上で成就できた本尊である。長時間と言うのは一回の閉関修行が長いと言うのではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェが長年何回も閉関修行した事であり、時間と精力をかけ、気力と体力を費やし、自分でこの本尊の修行を成就したので、この本尊を修めて衆生を度する事ができるのである。

ある年、尊勝なる直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェに大手印【手の指で印を結ぶこと。また、その指の形。仏・菩薩(ぼさつ)の悟りの内容や誓いを象徴する】の口訣【文書に記さないで、口で直接言い伝える奥義・秘伝】を伝授すると告げた。;リンチェンドルジェ・リンポチェは自己の業がまだ完全に清められてない事を心配し、清浄な身口意【動作を行う身と、言語表現を行う口と、精神作用をなす心】で貴重な口訣を領受するため、まず20日間の閉関修行で金剛薩埵真言を10万回唱えた後に口訣を領受できるよう、尊勝なる直貢チェツァン法王に許しを求めた。尊勝なる直貢チェツァン法王の承諾を得た後、リンチェンドルジェ・リンポチェは、閉関修行に入り、20日間10万回百字明呪を唱えた。百字明とは、金剛薩埵の長いマントラで、全部で百の文字があり、百文字を10万回、全部で1千万字あり、時間が無いからと言っていい加減に読んでは駄目で、定【心を一つの対象に集中し散乱させない精神作用、およびその状態をいう】の状態で唱え、気持ちがたるんだり、もうろうとしたり、興奮したり、緊張してはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、10万回百字明呪を唱えた後、やっと尊勝なる直貢チェツァン法王口伝の大手印口訣を領受できたのである。

大手印の口訣は皆が考えるようなたくさんの法本、たくさんの手印があるわけではなく、実のところいくつかの文に過ぎない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、20日間閉関修行したのは、尊勝なる直貢チェツァン法王のほんの短い数分間の伝法のためだけであり、誠実な心がなければ法を受け継ぐ事ができないからである。仏法を聴聞するには十分な福報が必要であり、もし修行者の業がまだ清らかになっていなくて、福報が不十分で、身口意が清浄でなければ、法を聞いたとしても、法を伝授されたとしても、習得できない。あなたがたにしてみれば、結局のところいくつかの文にしか過ぎず、かえって20日間の時間を浪費したと思うかもしれない。このような心の状態は、つまり傲慢で、うぬぼれ自大であるのだ。昔の修行者や現在のチベット人は、一句の仏法を聴聞するために大変長い時間困難な道程を乗り越えて法会に参加するのであり、彼らは仏法を充分珍重したのである。恭敬心があればこそ福報があり仏法受け入れる事ができ、あなたがたが思うように勉強したいと思えばすぐ叶い、テレビをつければ仏法を聞け、自分で聞けば修めることができるわけではない。;リンチェンドルジェ・リンポチェは、たびたびどんな法が良いのか、何を唱えれば良いのか?指示を仰ぐ人に遭遇するが、仏教を学ぶ事でさえ自分の好みの法門を選び、修行者は衆生を済度すべきで、伝法するのは当然だと思っている。しかし自分の業が清らかであるかどうか考えないのだろうか?充分な福報がるかどうか考えないのだろうか?身口意が清浄なのだろうか?このような心の状態は、つまり傲慢で、謙虚ではないのだ。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが二回目の閉関修行の時、修した本尊は金剛薩埵であった。法本上には、この法を修めて、もし火を見たならば行者は将来この法を修して隆盛を極め、たくさんの衆生に利益できる。この種の火は、人為的に点けたのではなく、オイルランプの火でもなく、特殊な因縁があり火が見えるのである。リンチェンドルジェ・リンポチェが、閉関修行中のある日の午前11時に、修行が一段落終ってトイレに行ったとき、何気なく窓から外を見たとき、土塀の外の草に火が付き、その上火勢はますます強く、土塀より高くなり、尼僧房の方向に向かっていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、気が急き、火勢がそのまま続けば、尼僧房が燃え上がり、そうなれば損失は過大で,僧坊を再建するには多大な費用が必要になる。しかし、行者が閉関修行の時、話、メモを渡す事、ドアをノックする事、電話することも禁じられているので、リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分が金剛薩埵になり足で火を消す事を観想すると、すぐ火は本当に消えてしまった。そのときのインドの天気は、日照りで雨が少なく、全く一滴の雨さえも降らなかった。それ以来、リンチェンドルジェ・リンポチェが金剛薩埵を修する時はいつも順調で、たくさんの衆生を助けられるのである。

続けてお経を唱え、ずっと続けて拝むだけで成就できるわけでは無く、成就するためにはいろんな因縁が必要で、最も重要な事は、上師に対して完全に投降すべきで、例えば上師が閉関修行するように言えば、上師に自分が閉関修行する目的は何かと反問せず、閉関修行後どのような成就を得られるかとも聞かないのである。チベット仏教では、密法を修習する前に不共【共通でない特殊】四度加行【密教で、伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受ける前に行う、十八道法・金剛界法・胎蔵界法・護摩法の四つの修法】、五体投地【五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ伏して、仏や高僧などを礼拝することである。仏教において最も丁寧な礼拝方法の一つとされ、対象への絶対的な皈依を表す】、金剛薩埵の長いマントラを10万回唱え、これらを円満に終了しなければならない。一部の弟子は不共四度加行を既に伝承されているが、金剛薩埵の灌頂は、まだ領受していない。;上師が灌頂,口傳,及び教法を授与して、初めて本尊を修習できるのである。

あなたがたが、上師の灌頂及び伝法を授与された後、上師対する誓いの宣誓、本尊対する誓いの宣誓、及び衆生に対する誓いの宣誓に背いてはならない。それは三昧耶戒【仏と衆生とは平等一如であるという三昧耶の理により、伝法灌頂を授ける直前に授けられる戒】を破ってはいけない事で、そうしなければ将来仏教を学ぶ上で、深刻な障害となる。密法,マントラを伝授する上師に対して弟子の恩徳は、顕教の上師に対する恩徳に比べて更に大きく、それは密法を伝授する上師は、弟子を輪廻から解脱させ、修行を成就させ、成仏(仏となる)まで未来永劫に弟子を加持するためである。;顕教の上師は仏教の勉強に入門させるが、この世の生死の解脱はできない。あなたがたは、本日金剛薩埵灌頂領授した後、もしまだ極わずかでも上師に対し疑いがあり、恭敬でなければ、修行は絶対成就できない。リンチェンドルジェ・リンポチェは《地藏經》を何回も唱えている出家した弟子に説明するよう指示し、もし因果の道理を信じず、三宝【仏と、仏の教えである法と、その教えをひろめる僧】を軽視し、三宝に対して懐疑心があれば、《地藏經》によればどんな果報を受けるのだろうか?出家した弟子は答えた:そうであれば、無間地獄【地獄の一つ、阿鼻(あび)地獄のことで、猛火で肉体を焼かれ、絶え間なく叫び続ける、最も苦しい地獄とされる】に落ちる!

三昧耶戒を破る事は大変深刻な問題であるが、一部の人はチベット仏教は、三昧耶戒によって信者を威嚇すると誤解している;仏菩薩は脅かし威嚇するのではなく、戒めを破り果報を受けるのは、自業自得で、仏菩薩とは全く関係ないのである。なぜ三昧耶戒を破る事は大変深刻な悪報を受けるのか?理由は非常に単純である。善行を教え導いてくれる人に、かえって良くない人だとか、疑ったりとか、拒否したりとか、この種の人間は充分悪いと思いませんか?懺悔が分からず、自分の心をコントロールできず、仏法の助けを得た後も、まだ心に悪念があり、つまり恩を忘れ、道に背く事をする。;恩知らずの人は仏教を勉強する上だけでなく、世間でも生存するのは難しく、どんな事をしても順調にいかない。仏の定めた戒律を受けた後、本来は戒を堅く守るべきである。顕教の在家の信者は五戒【在家の信者が守るべき五つの戒め。不殺生(せっしょう)・不偸盗(ちゅうとう)・不邪淫・不妄語(もうご)・不飲酒(おんじゅ)の五つ】を受けた後、同様に戒を堅く守るべきであり、それに五戒を破れば、地獄に落ちるだろう。戒律にも段階があり、五戒は在家の信者が守る物で、出家者には出家者が守る戒律があり、チベット仏教の三昧耶戒は菩薩が守る戒律である。三昧耶戒を破った人は、修行上成就するのは、ほとんどありえないのである。

密教の教えを受けた後、なぜ三昧耶戒を破った果報は特別重いのだろうか?別の観点からすれば、灌頂後もし上師に対して完全に恭敬し投降し、従順であれば、向上するスピードは大変速くなる。;反対に、もし上師に対して恭敬でなければ、すぐに三悪道に落ちるだろう。登地菩薩【菩薩修行の階位である歓喜地(初地)に登った菩薩】と二地菩薩との功徳は、1+1=2の方式で増えるのではなく、倍の数で成長する。もし上師の教えの通り法に従って修行すれば、向上するスピードは大変速くなる。最も重要な事は、この願力と決心で、上師に完全に投降すれば、修行が成就する。;灌頂後も悪行を続け、怠ければ、非常に重い果報になる。例えば、一台の車がもし時速10キロで走れば、事故は発生しにくく、事故が発生したとしてもひどくはならないが、目的地に到着するには大変時間がかかる。;ただし、一台のスーパースポーツカーであれば、すぐ目的地に到着するが、事故が発生すれば、非常に深刻になる。ある人の考えでは、このような事になるのであれば、灌頂を受けたくないとか、この法を修めたくないとか、ひどい結果になるのを避けたいためだ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、もし自分の心をコントロールすることを学べるのなら、なぜそれを学ばないのですか?世界でスーパースポーツカーを運転する人が少ないのは、決して買えないためではなく、運転する勇気がないからで、自分が車をコントロールできないのが怖いからである。スーパースポーツカーをコントロールできる能力があれば、どこかに行きたければ急速で到着できる。修行者が自分の心をコントロールすることを学べば、たとえどんな法門でも迅速に成就でき、自己に利益でき、1歩進んで衆生に利益し、衆生が生死の輪廻から解脱するのを助けるのである。

寶吉祥仏法センターでは頻繁に灌頂法会を挙行しないのは、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが簡単に灌頂を授与しないからである。必ず因縁を備え、本当に衆生に利益できなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェは灌頂を授与しない。灌頂は縁結びの灌頂と、修行の灌頂に分けられる。世間では、簡単に衆生に灌頂するが、彼らは信者が修めたかどうかは責任を持たず、信者が教えをどう修めるか考えておらず、これは縁結びの灌頂に属し、三昧耶戒とはあまり関係が無い;一旦灌頂の上師が仏の教えを口伝し授与すれば、灌頂を領受した弟子は絶対三昧耶戒を破ってはならない。あなたがたは良く考えて、今出て行くのなら、まだ手遅れにならない。ある人は、三昧耶戒の結果がこんなに深刻ならば、少し簡単に修めるだけで良いので、阿弥陀の宝号を唱えれば良いと思うかもしれない。あなたがたは、淨土宗が比較的簡単だと思っているが、これは間違った観念で、《阿彌陀經》の中で福徳の因縁を必ず備えた善男子【仏法に皈依し、正しい信仰を守る男子】,善女人だけが浄土に往生できるのであって、条件を満たしてなければ行くことができない。自分自身に聞いてみなさい。条件に達してますか?。

灌頂を受けた後、この本尊を修習する権限を授けられたことを示す。灌頂を受ける前に、まず三宝に対して恭敬できるかどうか?自分自身に問いなさい。三宝に対して恭敬できなければ、今すぐ立ち上がって出て行きなさい。叱られるのを恐れることはない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、相変わらずあなた達を法会に参加させるくれる。世間ではリンチェンドルジェ・リンポチェのように、追い出す人はいない。皆人が多ければ多いほど良く、あなたがたが参加できるなら、参加させる。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは、因果の道理をはっきり理解しているので、あなたがたが悪因を植え、将来悪報の苦を受けるのを望まないのだ。金剛乘の教えを領受した後、三宝に対し、ごくわずかでも疑いがあったり、恭敬心が無かったり、よく懺悔して自分の心の状態を調整しなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、あなた方を追い出すであろう。なぜこんなに厳格なのですか?それはリンチェンドルジェ・リンポチェの願と地蔵菩薩の願「地獄不空,誓不成佛」(地獄を空かないと 成仏しないと決意する)は同じで、衆生の誰一人地獄に落ちるのを見たくないのである。

仏教学ぶ上で最も重要なことは、自分の心をうまく管理することである。そこで上師はいろんな法門で、あなた方自身の心を管理できるように手助けしている。;これらの法門は工具のようなもので、密法は比較的厳格な工具であり、効果が非常に明白である。それに相対して、金剛乘の上師は比較的厳格で、それはあなた方の累世の習気【煩悩を起こすことによって心の中に印象づけられた慣習的な気分、習性】が大変重いので、厳しい教えでなければ、あなた方を変えることは難しい。あなた方は仏教に対していろいろ個人的な考えがあるが、これらは全て快適な生活を過ごすためであり、修行とは全く関係が無い。もし仏教を学び、修行をするには、仏教の教えに従い、信用し疑いをもってはいけない。あなたがたがなぜ邪念が生まれ、仏教を学ぶ障害となるのは、つまり人は自分の心を管理できないからで、そこで上師はいろいろな規則を用いて、規範を授けるのである。

今回リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子を率いてインドの法会に参加したが、マンダラ供養の際、紆余曲折があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは、なぜ我慢したのだろうか?それは法会に参加する事は大変殊勝なことであり、リンチェンドルジェ・リンポチェは法会に参加した衆生を困らせたくなかった。更には少しの誤解で法会が円満でないのは望まないからであった。チベット人は、リンチェンドルジェ・リンポチェに対して誤解があり、リンチェンドルジェ・リンポチェが脚光を浴びるのを好まなかった。そこでリンチェンドルジェ・リンポチェは目立たないよう、彼らの意に沿い、彼らが喜ぶだけで良かった。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生を悩ませるのは望まず、衆生にあわせたのである。

今回あなた達を連れて法会団に参加したが、あなた方は買い物のスケジュールが無い事がはっきり分かっていながら、スカーフやお茶などを買いに連れて行くよう、旅行社に要求した人がいる。旅行社のスケジュールではショッピングセンターに行かないので、スケジュールを変更するには、全員の同意書のサインが必要になる。その結果、一部の人がサインを拒んだので、発起人は強引に全員の合意を取ろうとした。今回のインドへ行く目的は、法会に参加するためであり、観光ではないことが分かっているはずだ。あなたがたは、外国人でもないのに、外国人はどんなプレゼント、記念品を買うのか、勉強したいのですか?お金を使って出国したからには、何か必ず買って帰りたいのだろう。:旅行社は、もう既にこんなにたくさんプレゼントをしているのに、もっとたくさんほしいと思うのは、つまり貪【貪欲】である。もし事前にリンチェンドルジェ・リンポチェが開示していなければ、あなたがたはもしかしたら言い訳を探し、知らなかったといえるかもしれない。しかしリンチェンドルジェ・リンポチェは、法会に参加する際の心構えについて注意をしたばかりなのに、一部の人は話を聞いていない。協会の理事や幹事たちは、このことをどのように処理するか討論で決議する。これらの人は、今後道場に来なくともかまわない。話を聞かないのに、まだどんな仏について勉強するのですか?

今日リンチェンドルジェ・リンポチェが授与する灌頂の本尊は金剛薩埵である。金剛薩埵は普賢菩薩の報身仏であり、菩薩を済度するのだ。それで、あなたがたがもし、行為,思想の上で菩薩のようでなければ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、もちろんあなたがたを叱る。今回の法会の全ての花,米,油燈,多瑪はすべてリンチェンドルジェ・リンポチェが供養したものである。あなたがたはこれまでに、リンチェンドルジェ・リンポチェに供養していれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは回向する際、あなたがたも共に功徳を享受できる。あなたがたがこんなに殊勝な法会に参加できるのに、まるで観光ツアーに参加している気分でいる。実に仏経の述べるとおりである。:凡人の起心動念は全て業であり、全てが罪である。灌頂を領受した後は、菩薩の果位【仏道修行によって得られた悟りの位】から修行を始め、思想、行為は一般の俗人と同じではいけないことを知るべきだ。;灌頂を領受した後、戒律に背き、続けて悪行を重ねると、灌頂のときに得た加持も消失する。リンチェンドルジェ・リンポチェは、本日金剛薩埵灌頂を授与する。金剛乗を修行する行者は、この本尊金剛薩埵を必ず修める必要が有る。;もし金剛薩埵を修めなければ、この世で生死から解脱するのは難しく、未来世で相変わらず業力に従い、戻ってくる事になる。灌頂を領受した後は、仏の教法にかなった修業をし、いつ修められるかが問題ではなく、重要な事は発願し、決心することだ。もし因縁が成熟し、条件が具われば、寶吉祥仏法センターも閉関修行を挙行する。

灌頂の前に、皆の心を安定させなさい。もし受けたくないとか、好まなければ、今すぐ出て行きなさい。灌頂を授与する上師本人は、必ず先に閉関修行で、本尊と結合できるまで修行を成就し、その上上師の許可を得てから、初めて灌頂を授与することができる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、金剛薩埵灌頂を授与するために、まず道場に来て予備法を修めた。行者は、まず前行としてまず自己を灌頂し、本尊と伝承の上師の加持の下、まず自己のエネルギーを増加させ、福報を蓄積してから、午後あなたがたに灌頂を授与できるのである。あなたがたから見れば、これらはただ儀式だけかもしれないが、チベット密法から言わせれば、灌頂の時、行者は自己の功徳、福報、エネルギーを人々に与えるのだ。;もし行者の福報が足りなければ、授与された灌頂の加持力も足りず、あまりあなたがたの助けにならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、あの失声の弟子を助けたが、コップの水にマントラを唱えただけで、彼女に水を飲ませると、すぐ声が出て話ができ、息を吹き付ける必要も無かった。マントラを唱えるだけできたのは、つまりリンチェンドルジェ・リンポチェが、彼女に福報を与えたからで、それで迅速に回復したのである。修行者が十分な功徳、福報とエネルギーを備えているからこそ、清浄な身口意で人々に灌頂を授与できるのである。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは続いて、金剛薩埵灌頂を授与し、会場の参加者にに殊勝な仏法を開示した。

寶吉祥仏法センターの仏龕に、金剛薩埵が祭られている。金剛薩埵は左手に鈴を持ち、右手に杵を持ち、髪は紺色である。法本の中に灌頂を授与した上師と本尊は全く同じだと見るべきで、一歩進めて道場内であなたの周りに座っている人は本尊だと見なしなさい。金剛薩埵灌頂を得た後、今から仏果を証得できるまで、常に金剛薩埵を本尊とし、つまり成仏になる前まで、金剛薩埵を本尊として修持しなければならない。密教の行者は一人の本尊だけではなく、その因縁により多くの本尊を修持できるが、本日領受するのは金剛薩埵灌頂なので、金剛薩埵が本尊となる。

灌頂を受けた後は、人を叱ったり批判をしてはいけない。それはマントラを唱える始めた後は、話の力量も増強するので、もし人を叱った場合、マイナスの影響も増大する。前の部分で修めたのは、菩提心を起こしてこの法を受けるのであるが、もし菩提心を詳しく開示するには、大変長い時間が必要になる。簡単に言えば、本日あなたがたが受ける灌頂は、もっと良い生活にするためではなく、修行を強めるためではない。灌頂を受けた後修行を迅速に成就させるためで、まず自己に利益して生死の世界から解脱し、更に進めて衆生に利益し、すべての衆生を生死の世界から解脱させ、成仏に至るように助けるのである。菩提心を起こすことは、必ず行動で示す事を指すのでは無く、衆生が利益を得たのを見て、いつも衆生のためになるように絶えず考えることで、今回の参加したインドの長寿仏法会の萬供のときのように、リンチェンドルジェ・リンポチェが観想して、法会の功徳をすべての衆生と、かつてリンチェンドルジェ・リンポチェに供養した人たちに回向した様にである。

経典の記載によると、灌頂の時は、いろんな誤った心の状態、例えば慢心、懐疑、自分の考えなど避けるべきである。灌頂後続けて修持せず、全く仏法を聞かず、仏法に対してまったく反応などが無いなど、これらは聞法の際の病気である。下記を含む:法会の最中にあちこち体を動かしたり、しなを作ったり、髪を弄くったり、など。;高座に座り、自分は他人より優れていると思ったりする。;灌頂を受けてから、仏法を自分の生活に取り入れないで、相変わらず貪欲、怒り、無知で過ごしている。;仏法に対して、希求する心が無い。上師から勉強をしたいと思えば必ず教えるべきだと思うのは、これは驕りであり、仏法は希求する気持ちが無ければ、得ることができない。まわりの環境によって、六根【眼(げん)・耳(に)・鼻・舌・身・意】がたるんでいて、つまり上師が灌頂を授与しているときも関係ないことを考えたり、心が浮ついている。気が緩み、もうろうとして、居眠りをしている。;上師の授けてくれる法は実行が難しいので、簡単なことを勉強したいと思っている。

我々は、難しい法は、修行したくないとは思うべきではない。法には特別難しいとか簡単だとか、また大小の区分も無い。すべてはあなたの決心と因縁による。阿弥陀仏を唱えたり、浄土仏教を修行する方が簡単だと思う人がいる。また修持するのが難しい法門、例えば禅宗を修行したいと思う人もいる。その方が優れていると思うからだ。どの法が他より優れているとかは無い。大法会とは、たくさんの人の努力と献身が必要である。またたくさんの衆生が利益を得られるよう、このように話すのである。上述の仏教を修習するときの障害は、全て捨て去るべきで、これは三乗【大乗、小乗、密教】共同の威儀である。

もし聞法が、人に対処する方法を変えるためで、仏教を勉強した後、敵がいなくなるようにと望むのも、正しい心構えではない。リンチェンドルジェ・リンポチェが、あなたがたに灌頂を授けるのは、あなたがたが福報を蓄積させ、仏教を学ぶ障害をなくすためである。リンチェンドルジェ・リンポチェは、特別出家者に開示した。業障を無くすと言うのは、果報を消滅するのではなく、仏教を学ぶ障害となる業力を無くすことである。障害は自分の累世の業が作る物で、名声と富裕も含め傷害である。もし自分を改善し、心の中に再び悪念が湧かない時、三宝を尊重し、威厳のある容貌や振る舞いが自然に現れる。これは故意に作ったのではない。;心構えとして三宝を敬い、またすべての衆生も敬えば、仏教を学ぶ上の障害が自然と無くなる。自分が灌頂を授けられたからと言って、まだ受けてない人より一ランク上だと思うのなら、それはおごりである。実際は、灌頂を領授した後、普通の衆生に比べて一ランク上ではなく、かえって一段と低くするのは、忍耐が必要なからだ。まだ皈依していない信者は良く考えなさい。法に貪欲になってはいけない。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、金剛薩埵灌頂の儀軌を進めた。灌頂を求め、身語意灌頂の次第に成熟するため、人々を率いて祈請文を唱え、そして上師の愛顧を願った。仏菩薩と歴代の開祖の愛顧が無ければ、この法を修持できないからである。続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは、身語意灌頂を授け、開示された。

身灌頂を得てから、将来悲空雙運を修するチャンスができ、体に蓄積された垢や習気が清浄になり、化身仏の縁が成就する。まだ身灌頂を得る前は、普通の人が修行しているのと同じで、効果はあまり無い。我々の体は業の報身で、一切の垢や習気で充満している。業は善の蓄積でもあり、灌頂を通して体の習気がきれいになり、あなたがたの清浄な本性が明らかになり、仏教を学ぶ上の障害が少なくなる。灌頂を得た後、自分を化身仏だと誤解してはいけない。法本では、化身仏に成就できる「縁」を得たのであって、将来化身仏に成就する因縁ができたのである。

次は、語灌頂である。リンチェンドルジェ・リンポチェは、数珠を手に持ち、弟子に特別の観想に導いた後、語灌頂を進行した。語灌頂を得ると、将来習性空雙運を修するチャンスができ、言葉の面で蓄積された垢や習性が清浄になり、報身仏の緣が成就する。語灌頂を得た後、動物の化け物の類の悪口は、二度と言うべきではない。語灌頂を得ると、言葉の面の習気が清浄になり、マントラの効果が現れる。念力も増強し始めるので、これ以上口が悪くならないように、身勝手に批判してはいけない。もし悪口を言ったり批判したりし続けると、業の報いは灌頂を受ける前に比べて重くなる。考えてから話しなさい。考ええずに口から出る、こんなことが無いようにしなさい。いい訳を探し悪気があったわけではないとか言ったりしないで、人間であれば思考があり、こんな考えがあったからこそ口から出たのである。良く考えてから行動しなさい。口から出た全ての言葉は、空間にエネルギーが産出される。だから仏は褒め称えたり、良い話を多くしなさいと言うのである。上師を褒め称えた時、そのエネルギーが空間に存在する。コンピュータで字を入力するように、間違えたら削除すれば良いというわけではない。口は悪いが悪気が無いと言う人もいるが、口でそう言っていても、心中はそんな考えではない。実のところ、もし心の中でそう考えてなければ、口から出るはずが無い。;コンピュータでさえ先に入力してからこそ字が出てくるのだから、人間なら尚更の事である。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示:身語意灌頂を領授した後は、如法で修持しなさい。自分の力で修得できるとか、上師の伝法を利用するだけだとか、自分で念じれば成就できるなどと絶対思ってはいけない。少しの成就があったとしても、それはあなたが念じて得たのではなく、上師に祈願し加持してもらったからこそ、得られたのである。十地菩薩になったとしても、やはり上師に祈願する必要が有るので、あなたたちなら尚更である。すべては、歴代の上師、今生の上師、及び仏菩薩の加持のおかげで、今日の伝法があるのである。あなたがたは上師の伝法に感謝すべきだ。法本の中で触れているが、上師を本尊と見るべきであり、目に見えるのは凡人の姿であるが、心は凡人ではない。上師の心は本尊と同じで、心はつまり仏菩薩で、もしあなたがたが、上師を本尊だと思えば、本尊の力量の加持を得られる。;もしあなたがたが、上師を凡人だと思えば、凡人の加持を得る事になる。

化身仏が済度するのは凡人で、報身仏が済度するのは菩薩である。それで上師は法身仏と歴代の上師に代わって伝法をするのである。もし上師の伝法の後、自分の能力で修行ができたと思うのなら、このよう傲慢な心では、絶対成就できない!前回皆さんが見た《地藏經》で触れているが、地蔵菩薩はどのようにして成就できたのだろうか?弟子の答えは、仏の威神力を承けるからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは続けて開示して、地蔵菩薩は仏の威神力を承け、無数に化身して衆生に利益したのである。地蔵菩薩はすでに仏果を証得しているに、まだ上師の威神力を承け加持を必要としている。あなたがたは、傲慢な心で上師の加持を祈願しなくても修得できると、なぜそう思うのですか?もし仏の威神力、上師の加持がなければ、仏法は現在まで広く世に伝わる事が無く、また法もありえず、行者も成就するのは不可能だ!自分は今修業しているなど、高慢になってはいけない。

マントラを念じ始めたら、葱、ニンニク、韮を食べてはいけない。もし自分がはっきり相手に言わないで、食物の中に葱、ニンニク、韮が入っていたら、それを取り除いて食べなければ良いので、文句を言ってはいけない。人に言わなければ、相手は当然わからない。しかし閉関修行中は、絶対食べてはいけない。

意灌頂を得てから、将来明空雙運を修習するチャンスができ、体に蓄積された垢や習気が清浄になり、化身仏の縁が成就する。リンチェンドルジェ・リンポチェは、意灌頂の時、開示の観想は密法なので、記録してはいけないと特別指示した。灌頂を受けた後、誠心誠意身、口、意は悪を断ち、尽力で善行を行い、宣誓は如法で受持し、自分の財産と善根を本尊と上師に供養すべきである。リンチェンドルジェ・リンポチェのような行者は、自分の財産、善根と功徳を上師に供養する。あなたがたには、できないことである。祈願文の中に自身の富、福報、善根のすべてを供養するよう述べているが、後ろに一句があり:「祈留部分行己意」本尊は慈悲深く、あなた達が自分で運用できるよう一部分残している。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎回閉閑修行を終えると、今回の閉閑修行の功徳をすべて直貢チェツァン法王に供養すると、尊勝なる直貢チェツァン法王に報告する。閉閑修行はこんなに苦しいのに、すべての功徳を供養してしまえば、自分は如何すれば良いのだろう?とあなたがたは考えるかもしれない。我々の福報は、大変浅く薄い物で、上師に供養した後、上師は更に彼の上師に供養すると、歴代伝承の上師の功徳の大海と一緒になり、あなたがたは広大な功徳を共同で受けられる。昔の高僧は代々こう教えてきた。考えて見なさい。古代門弟になるためにも供養しませんでしたか?古代密教を学ぶには、黄金を手にして法を求めたのである。供養は我々に手放す心を教え、我々の執着を破り、物質的なものを差し出すことにあるのではない。供養は金銭の多少に関係なく、我々の心が大切なのである。上師はあなたがたの功徳を必要としていると誤解してはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、真にあなたがたの功徳を必要としていないが、法本にはこう書いてあるので、リンチェンドルジェ・リンポチェはその通り教えるのであり、あなたがたに理解させるため、必ず話さなければならない。

今回インドの長寿仏法会に参加し、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ラピスラズリの長寿仏の鉢を、尊勝なる直貢チェツァン法王に供養した。リンチェンドルジェ・リンポチェが8年間かけて準備したと、直貢チェツァン法王に報告すると、直貢チェツァン法王が驚かれて、リンチェンドルジェ・リンポチェがこんなにも長い時間をかけたとは思いもよらず、誰もこんなに忍耐強くはない。リンチェンドルジェ・リンポチェがこの貴重な宝石を8年かけて捜したのは、すべては因縁によるもので、ちょうど長寿仏法会に円満に供養できた。もし福報が足りなければ、いくら供養をしたくても、物が出現しない。だから、あなたがたは供養したいと思えばすぐできるのではなく、福報が足りなければ、根本的に成し遂げることができないのである。

金剛薩埵の身、語、意灌頂を得ると、病気の障害を取り除く加持を得られる。リンチェンドルジェ・リンポチェは金剛薩埵を修めているので、薬を飲まなくてもガンが治癒した。金剛薩埵は、我々を害する悪魔を消滅するよう加持してくれ、我々の富と名声を高めるよう加持してくれ、仏果を早く証するよう加持してくれる。しかし、恭敬して依止し、上師の話を素直に聞き実行してこそ有効で、金剛薩埵の加持を得られなければ、密法は絶対得られない。金剛薩埵の円満な灌頂を得た後、もし承諾を守らず、悪口を言い、他人のお金は自分の物だと思ったりすると、これらの罪は一段と重くなる。本尊の教えのすべては、必ずその通り行うべきである。本来は後ろにマントラと禅定の儀式があるが、本日は時間が十分ではないので、行わない。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、本尊の多瑪は、金剛薩埵の身、語、意及び宮殿を代表すると開示した。続いて弟子を率いて金剛薩埵の真言を唱えながら、自ら金剛薩埵の多瑪を手に持ち、1200人の弟子に一歩ずつ壇城に上がり加持を受けるよう指示した。今日参加した信者で縁結びだけであれば、壇城に上がらないように、弟子達が加持を受ける時、本尊の多瑪に触れる必要は無く、お辞儀をするだけで良いと、リンチェンドルジェ・リンポチェは開示した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは労をいとわないで、弟子達に殊勝な加持を授与され、弟子達はその恩に大変感謝し、順番に並んで壇城に上がり、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに敬礼してから席に戻った。リンチェンドルジェ・リンポチェはその過程で本尊のマントラを念じながら鈴を鳴らし続け、前後35分間であった。

法会が円満に終了し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い灌頂と貴重な仏法の開示を授与された事に対して、参加者は声をそろえて感謝を述べ、起立して合掌し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りるのを恭しく見送った。

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2013 年 06 月 09 日 更新