尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年2月11日

旧暦の正月二日、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターの法座にあがり殊勝な法会を主催され、午前に黒水財神法門を、午後に大象財神及び上師供養法(グルプージャ)を修法された。

午前中の法会が始まる前に、ある男性弟子によって、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに助けて頂いた経過が分かち合われ、並びに感謝が述べられた。

事件は2013年2月1日、朝8時過ぎに発生した。彼は自転車でショッピングセンターへ買い物に行ったが、その途中で、出勤を急ぐバイクの若者に後方から物凄いスピードで衝突された。彼の自転車は衝撃で変形し、人も道路に投げ飛ばされ、全身地べたにうつ伏せとなった。幸いに後方から来る車は多くなかったが、もしそうでなかったら結果は想像を絶するものであっただろう。若者自身も地べたに倒れた。ここからも、その衝撃の大きさが理解される。若者は彼を支えて路肩に連れて行き、怪我はないかどうか聞いた。その時、彼の左足の膝は三箇所擦りむけ、右足の一箇所も擦りむけ、顔の擦り傷一箇所からは鮮血が流れていた。彼は少しの間静かに座った後、骨折はないと感じ、頭の意識もしっかりしていて脳震盪もなく皮膚だけの傷であったので、ほっと胸をなでおろした。

その時、若者は、治療と検査のために男性弟子を病院へ連れて行くと言い張った。道行く者が119に電話をし救急車もすぐに現場に駆けつけた。医療人員は彼の怪我をみて、無理やり治療のために病院へ連れて行こうとしたが、男性弟子は断った。ただの皮膚と肉だけの傷であったし、皮膚の傷口を治療する薬なら、寶吉祥中医診所(漢方医院)の「寶圓膏」は他の膏薬よりもずっと優れた効果があったからだ。その男性弟子は過去に手を怪我した時にも寶圓膏を傷口に塗り、非常に早く回復し傷跡を残さなかったので、寶圓膏をとても信じていた。彼は家に帰ると自分で寶圓膏を塗って治療した。午後になって足の膝の転んだ時の傷はまだ青あざができ腫れており、歩く時びっこをひいていた。しかし、二日目になって薬を取り換えた時、皮膚の傷口は既に半分以上が良くなり、歩く時も膝も大きな問題ではなくなっていた。顔の擦り傷は三日間、寶圓膏を塗ると自然に皮がむけて、よく見なければ傷跡もはっきり見えない程であった。彼は寶圓膏の非常に優れた薬効を発見し、皆に極力推奨すべき聖薬だと感じた。

今回の事故を回想すると、既に70歳余りの彼が、このように大きな衝撃を受けた事故で皮膚と肉だけの傷しか負わなかったのは実に不幸中の幸いである。通常、事故に遭ったなら、骨折でなければ内臓の損傷である。彼は、今回の事故では、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの福徳、慈悲、願力、庇護、及び加持がなければ、彼の怪我は絶対にこんなに軽く済むことはなかった事を十分に理解していた。単なる重報軽受であっただけで、本当に不可思議な事であり、殺生の借りを一つ返すことができた。彼は、今世において、正真正銘、実修実証の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依できたことがどれ程幸せであるかを感じていた!

彼は自分が皈依して既に7年余りであるが、通常は十善法をよく修していないことを懺悔した。「仏子行三十七頌」も着実に実行しておらず、話を聞かない悪弟子だった。金剛上師 リンチェンドルジェ・リンポチェが法座上で説かれる「人身得難し、仏法聞き難し、上師遇い難し」、「人生は無常なり」等の法語はすべて真実であり、実に謹んでそれに遵い、上師の教えを常に観じて修さなければならないと感じた。

それと同時に彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、諸々の仏菩薩、及び一切有情衆生に対して懺悔をした。

一、幼少の頃、彼は田舎で生活していたが、自分で無数の鶏、アヒル、魚を殺し、火でネ
ズミを焼き殺した。手段は残忍であった。特に田畑を開墾し、各種の無数の昆虫を傷つけ、ガソリンで巣にいる蟻を毒死させたこともある。
二、彼は六種類の畜生道の衆生の肉及び蛇、魚、エビ、カニ、スッポン、カエル等の海鮮類の衆生の肉を食べた。
三、彼は子供を二人おろしたことがある。これは自ら肉親を殺したのに等しい。
四、彼は小さい時に人が植えた果物を盗んだことがある。社内で承諾を得ないで他人が所有する財物を使ったことがある。
五、彼は営業を担当し、妄語、悪口を言った。
六、彼は皈依前に飲酒し、タバコを吸っていた。
七、彼は非常に高慢で、自分勝手である。

彼はこの場で、以上の一切の悪業を心から懺悔し、永遠に二度と犯さないことを誓った。彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大きな福徳と庇護のおかげで更に大きな災害の発生を免れたことを再び感謝した。これら一切は皆、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが授けて下さったもので、さもなくば更に多くの挫折と障害に出遭い修行にも影響を及ぼしたことであろう。彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲と加持、絶え間ない彼への導きと、家族への世話を深く感謝した。彼は、今からさらに努力をし、話をよく聞いて金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェについて仏法を学び、上師の教えに背かないことを誓願した。最後に彼は、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体安康、法輪常転を祈り、苦海から早く逃れ、輪迴から解脱できるように更に多くの苦難の有情衆生を利益してくださるよう願った。

続いて、皈依した男性弟子が舞台にあがり、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにより救われた経過を分かち合った。本人と妻はいずれも皈依弟子である。

この男性弟子の家庭は2004年前後に密教に初めて接触した。チベット仏教の他の教派との結縁であり、長年たくさんの本尊の灌頂と真言を受けていたが、彼は仏法を学ぶ上で彷徨し、力なく苦悩する中で、2011年の年末に適当な道場はないかとネットで探していた。2012年3月、彼は右目の白内障手術のため訪れた病院で看護師をしている兄弟子と出逢った。看護師の兄弟子が彼の首に掛けていた金剛結(御守)を見たことで知り合いとなり、二人は話をし、兄弟子は電話番号をあげた。彼は4月7日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め、午後3時半前後に道場に到着した。こんなに多くの兄弟子達が非常に熱心に親切に接待してくれ、またこんなに大きく荘厳な道場を拝見し、彼は非常に驚き、縁があってここで仏法を学ぶことができたなら、人生は白黒でなくカラーだと思った。

最も喜ぶに値する大きな出来事は、道場に座った後、彼は、来たのだから落ち着こうと思い静かに座った。頭の中は真っ白だった。彼が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めた時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く「何の用か?」と彼に尋ねられた。彼は恭しく報告した。「私は他の教派の弟子だが、仏法を学ぶ上で障害があり、煩悩もある。この金剛結(御守)が起因してこちらの道場の皈依弟子と縁を結んだ。」続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは彼の頭の上から少しの間、加持を与え、彼に菜食かどうかを聞いた。彼は「していない」と答えた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、菜食してから再度来るようにと答えられた。これは彼が初めて「菜食」という二文字を聞いた時であり、晴天の霹靂、夢から醒めたようであった。帰宅し、謁見の経過を家族と話し合った後、4月21日、家族は菜食を始め、5月21日、彼は再び尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求め、菜食を始めたことを報告し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのおかげで施身法の法会への参加の許可を頂いた。6月10日、さらに共修法会への参加を許可していただき、2012年9月23日に皈依をした。謁見の過程において、彼は、多くの兄弟子の親切な関心と指導を特に感謝し、彼らのおかげで、彼と妻は皈依までの過程を一切順調に行なうことができた。また、最も重要なものは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深い加持と加護であることを深く感じた。

この男性弟子の描写によると、彼が以前皈依した道場で施身法を修した時、彼らは如何なる宝物も身につけてはならなかった。灯りを消して床に横たわり、上師が法座上で20分間修法してから灯りをつけて起き上がることができた。しかし、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の身の危険を顧みずに力を使い、衆生の利益のために修法した。具徳の修行でなければなぜこのような殊勝な法門があるのか。その時彼は涙をためて恭しく尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに何度も感謝した。

以前皈依した道場でプルパ金剛を修した時は、略式儀軌の法本で修法し、並びに灌頂し真言を唱えた。その時、自分はすごいと感じていた。だが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが入定し忿怒尊を顕現しての修法は、再度彼を震撼させた。次の長寿仏の法会では、以前皈依した道場ではやはり略式儀軌で修法し真言を唱え、自分は寿命を延ばせるといつも思っていた。だが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、皆に少しの時間を延ばして仏法を学ばせ、衆生を利益し、生死輪廻から解脱させるためであると説かれた。

彼は以前皈依した道場が開催した共修法会に参加したことがあるが、場所は約30坪、ほぼ50人前後が参加し、舞台下にいる弟子達はおしゃべりし、携帯電話は勝手に鳴り響き、規則は守らていなかった。だが、寶吉祥仏法センターの法会は、列席者が千人余り、静粛し、話す者もなく、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの修法、説法を恭敬と感謝を込めて拝聴していた。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に一文字一文字説き、面倒を厭わず説法を続け、皆に加持を授け、生死輪廻から解脱するよう衆生を利益した。彼は以前皈依していた道場で、ほぼ百に近い本尊を受け入れ、それには無上瑜伽タントラの灌頂や真言も含まれていた。彼自身も約20の本尊の真言、100万回以上の真言を唱えていた。しかし、すればする程、心は彷徨し力がなくなっていくのを感じていたので、急いで道場を探していた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて「縁起縁滅」と説かれた。彼は、寶吉祥仏法センターでの殊勝な法会に一度参加しただけで、彼が以前皈依した道場での数年に渡る平淡な法会に勝ると感じた。これは決まっている事実だ。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは実にすごい。彼は讃嘆し心服した。彼は自分の未来の日々の中で必ず素直に話をよく聞き、仏法を聴聞し、上師に依止することを祈願した。

この男性弟子は今年72歲、自動車業界において三十数年の青春を虚しく費やした。昨年縁が生まれ、菜食するよう尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの教えを受けた後に、自身に僅かな変化が起きた。彼は60年代に小型トラックを売り始め、その期間、分からない位の衆生の肉を食べた。しかも騙しあい、知らない間に沢山の罪悪をなした。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの説法を聴いた後、彼は自分が極めて大きな過ちを犯したことを知った。彼は深く懺悔した。肉を貪り食べ、血管がつまり、左足の大動脈には2011年10月に手術をしてステントを入れた。彼は魚が大好きで、特に頭の部分を好んで食べた。結果、彼の右目は白内障の手術が必要になった。頚部の血管のつまりは、昨年8月の超音波検査では、70%以上のレベルに達していた。彼は道場での修業歴は浅く幼稚園クラスであったが、それに向き合うこと、執着を離れることを理解した。自分が以前になした悪因によることも理解した。だが、9月に脳の磁気共鳴画像検査を行なったところ、血管のつまりは何と50%以下にまで低下していたのだ。奇蹟が起きた!彼は、深々と恭敬と感謝を込めた心で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに最高の敬意を示し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェによる加持に感謝した。彼は、「人身得難し、生命は無常なり、仏法聞き難し、上師遇い難し」を深く感じ入った。最後に、彼は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体安康と法輪常転を祈った。

法会の主催者である尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、法座にあがられて殊勝な黒水財神法門を修法され、列席者に貴重な仏法を説かれた。

本日午前中に、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために黒水財神を修法する。修するのは聖黒財神水供養法門である。チベット仏教の密法では財神法を修するが、これに対して顕教は誤解を生じさせて批判した。仏道は四大が皆空であるべきで、何も要らない、銭財から身体の外の物も不要だ。なぜ密教は財神法を修するのか?これは仏法を学ぶ者の貪念を助長させるのではないか?このような誤解を持つ者は経典を完全に理解していない。多くの経典に記載されているが、生命を構成するのは二大元素である。寿と財。人が死亡する時の状況には四つある。寿あり財なく死ぬ。寿なく財あり死ぬ。寿なく財なく死ぬ。寿あり財あり死ぬ。要するに、人は皆、死亡する。ただ、逝く時にどんな状況であるのか、福徳が尽きて死亡する。ある者はまだ寿があるが財が足りず、貧困のために死ぬ。寿があり財があり死ぬのは、押し流されて非業の死を遂げる。

お金があるのは財があるのとは異なる。財の定義は広い。福徳もまた財の範囲内である。身体で受用する、食べる物、住む所、使う物、着る物、身体を支えることができる一切、身体を利益するものは全て財に属する。今世の財は過去世で行なった布施、供養によって得られたものだが、もし布施、供養後に後悔の念が起きたなら、布施、供養で得られた財は用いることができない。経典にかつてこのような話があった。大まかに言うと、あるところに8万両の黄金を持っている者がいた。彼は一生、破れた衣服を着、古い靴を履いていた。死後、黄金は全て国に没収された。ある弟子が仏に「この人は何故にこうであるのか」と尋ねた。仏は「この人は過去世で出家者に供養したが、供養後に後悔したため、今世では財があっても受用できないのだ」と説かれた。

現在、私達もこのような多くの例を見ることがある。例えば、生きている間の多くの時間を病気に費やし最後にベッドに横たわり食事することもできない者もいる。お金はあるかもしれないが使えない。点滴で栄養を補給できるだけで実際には食事できない。これは食べる福徳がないのだ。あなた方は、年を取り病気をしたら自然にこうなると言うだろう。実のところ、これは福徳がないのだ。福徳があるなら、年をとってもこのような苦しみを受ける必要はない。テレビで報道されていたが、ある大地主は最高1万元前後の背広を身に付け、たくさんスリッパを持っていて、自転車に乗って家賃を集めに行く。このような人は皆、前述の類だ。お金があるのに何故そんなに苦労するのか?あなた方はお金を使うのを惜しむ。一生苦労して、細かく計算して、更に多くのお金を貯金して、最後には持っていけない。政府に納税するのでなければ、残した次の代で使い切ってしまう。このようにする必要はない。お金を稼ぐのは使うためだ。何に使うかだけは考えなければならない。あなたが使えるものこそがあなたのお金だ。お金を善行に使い、布施や供養を行い、累積する福徳もあなた方が未来に自分で使うことができる。あなた方は使うのを惜しむが、やはり必ずや、あなた方に使い切らせる方法があるだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェは本日、黒水財神を修法する。あなた方の運命に財があるならそれを取得できる。修法が終わったらお金が儲かるのではない。あなた方が元々所有すべき財を取り戻すのを助ける。あなた方に財を持たせるのはあなた方に享受させるためではない。仏法を学ぶのに使わせるためだ。出家者が仏法を学ぶのにも資糧が必要である。「四大は皆、空なり」とばかり言えない。この身体を維持しなければならないからだ。小乗を修するのであれば数珠さえも不要であるが、現在、台湾の商業社会形態において小乗を修するのは不適当だ。財神法を修法すべきでないと言う者もいる。だが、『宝積経』の中では明らかに修行者が財を求めたことが説かれている。経典に記載されているものを、「ない」というなら、この者は仏を誹謗したことになる。

あなた方の今世の財は皆、前世で供養、布施したものだ。いくら持てるかはほぼ固定している。リンチェンドルジェ・リンポチェのように成就を得たなら、恐らく増えることもあろう。あなた方は社長がくれる給料が少ないと批判してはならない。実のところ、給料が少ないのはあなた方自身が作り出したものだ。自分が過去世に供養、布施をしなかった故に、今世での福徳が不足して気前のよい社長に出会えない。もしあなた方にこんな状況があるのなら、今世でたくさん善行をして、たくさん供養、布施をしなさい。例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェの会社の忘年会での籤引きの一等賞は30万のダイヤの指輪だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは気前がよく、職員への労いをケチらない社長なので、福徳のある人こそがリンチェンドルジェ・リンポチェの会社で働くことができる。

財には「世間財」と「出世間の財」がある。世間財は世間で受用する財を意味し、単に銭財だけを指す。我々の色身に滋養を与え維持させるのに必要な一切の物で、あなたが着る服、靴、住居、食べ物等を全て含む。あなたが今世で所有する世間財は全て、過去世で供養し布施して得られたものだ。また、出世間の財は、修行者が修行で一定の果位を得た後に、仏法事業を行なうために心念が動いたなら、諸々の仏菩薩と護法がやって来て彼を助け、財は自然に具足し、衆生を利益できる。出世間の財は虚空の法界財より取り出す。あなた方が用いる世間財のように固定していない。あなた方の過去世の因果によるものだからである。経典にとりあげられている通り、修行のよくできる修行者は、自然に富や宝石等の一切のよい物が出現し、彼の身の上に集まる。修行者が成就を得ると、全てのよい物が自然に出現し求めなくても自然に得られる。経典には菩薩の身は諸々の宝石で荘厳されると説かれる。「瓔珞」とは宝石である。出家者は絶対に宝石を身につけてはならないが、在家者はよい。出家者は一切を捨て去り、一生仏道修行に専念するため、成就は比較的速い。在家者は世間の物質を比較的多く受用できるが、煩悩も比較的多いため、修行上の障碍も出家者より多い。

本日、リンチェンドルジェ・リンポチェが皆のために修法する黒水財神は、既に八地を証した菩薩である。黒水財神が現すのは忿怒相である。財神は全て護法部に属し、まだ少し人の習性が残り、少し執着がある。だから、あなた方が話を聞かないのであれば、財神はあなた方を相手にしない。修法者は怨親者のあなたに対する瞋念を一時的に止め、彼らの済度を助け、障碍を取り除いてくれる。これにより、あなた方は元々あなた方に属する財を取り戻すことができるのだ。

あなた方が元々運命の中で手にすべき銭財は、自分の肉食や破戒等の悪行によって盗まれ、損失した。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方のために修法し、あなた方に一部を取り戻させ、あなた方が安心して仏法を学び、善行できることを望む。本日はたったの千人余りが参加した法会であるが、この千人余りの者が善行を積むことができたら、これは善を起こす因縁となり、台北を善の方向に向かわせるように影響を与え、さらには台湾、全世界へと影響を及ぼすことになる。これにより、土地の災難は減少し、和気藹々となり、仏法は弘揚し、衆生は苦しみから離れる機会が得られるであろう。仏法によってあなた方を助けることは後遺症を残さない。一般社会でもその他の方法で財を求める。例えば、道教でも財神を修する。正統な道教の方式はあなた方の未来の財を現在に移動して先に使わせる。この方法はまだいい。あなたの福徳を損なうことはない。あなた方が他の外道の方式で富を増やそうとするなら後遺症が残る。例えば、あちこちのお寺や廟へ行ってお参りし、財を鬼神に求める者もいるが、これは必ずある物を交換しなければならない。例えばあなたの健康等である。あなたにみすみすと手に入れさせることはない。

例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェが以前話した例がある。不動産業の人がグループで台湾・北部で有名な「陰廟」で財を求め、彼らの為にある土地を売ってもらいたいと願った。願った後に、その土地は本当に売れ、皆でお金を分け合った。ところが、その後、その内の利益を得た者に、身体に問題が出たのではなく他の状況が発生した。リーダー格の彼の息子は2~3歳であったが、身体は正常であったのに突然死んでしまった。だから、気の向くままに鬼神に財を求めてはならない。あなたが求め得たとしても、あなたの福徳を減らすことになり、あなたは別の物を失うことになる。

本日、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方のために修法し、あなた方に持つべき財を手に入れさせる。あなたは財を得た後に、自分の色身が基本的に必要とする物に使い、次に、この財をどう使うかを理解しなければならない。布施、供養は、あなた方が呼吸を必要とするのと同様に、必ずしなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは布施、供養の重要性をさらに強調した。あなた方の福徳は非常に薄いので、これによって、あなた方は福徳、資糧を得られ、仏道上に障碍なく続けて仏法を学ぶことができる。あなた方が供養する時は細かく計算しなくてよい。いくら供養したいという最初の考えに沿ってすればよい。供養後に後悔してはならない。他人の行う布施、供養を阻止してはならない。布施、供養の財物は、人を脅したり恐がらせて得てはならない。例えば、仏像を作る寄付をしないなら悪い果報があると他人に言うことは、脅しであり恐がらせることだ。自分の能力の範囲内で、自分のお金で布施、供養をすることがよい。奥さんでヘソクリのある者もいる。現在の夫もヘソクリがある。ヘソクリなら自分で運用できる。

供養する時は人に聞かなくてよい。あなたがいくら供養するかは自分で決めればよい。他人に聞く者は、自分があげすぎるのを恐れるか、少なすぎて申し訳ないのを恐れるからだ。すごく薄い供養金を持ってきて、口で、これはほんの気持ちだと言い、リンチェンドルジェ・リンポチェに受け取ってもらいたいと言う。ほんの気持ちなら必要ない。仏法を学ぶ際にはお金が必要だと誤解してはならない。仏菩薩はあなたのお金は不要だ。いくら供養するかは重要ではない。重要なのはあなたの供養の心だ。心で供養しなければならない。もし人に、如何に供養するのかを聞かれたなら、親しい人には当然リンチェンドルジェ・リンポチェの説法を伝え、あまり親しくないのなら、自分で決めればよいと告げるだけでよい。リンチェンドルジェ・リンポチェは通常、皈依弟子の供養しか受けない。それは弟子には仏法を伝えるからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは信者の供養を受け取ることは少ない。皆に申し訳ないと思わせたくない時、真に恭敬心をもって供養する際にだけ受け取る。あなた方がリンチェンドルジェ・リンポチェを供養することは、リンチェンドルジェ・リンポチェはずっと衆生を利益する仏法事業を行なっており、あなた方に福徳を積ませる機会を与える。あなた方が法会に参加する費用は不要だ。法会で供養を必要とするかさえも、リンチェンドルジェ・リンポチェは決めておらず、あなた方が自分で決めればよい。

経典に取り上げられていることは、子女の父母に対する四つの供養だ。食べるもの、住むところ、着るもの、薬だ。もし四つの供養をする能力がないなら、できる限りすればよい。少なくとも、実際の状況に応じての手助け、両親への思いやり、両親に感謝する気持ちを持たなくてはならない。あなた方は、両親はあなたのお金を受け取らず、自分で貯金するようにと言う、と言うかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアを交えてこう言った。実のところ、大部分の両親は口でこう言っても、心ではこう思ってはいない。だから子供としてすべき事はやはりしなさい。特に、両親に能力がなく、子供に能力がある場合は、必ず四供養を行なわなければならない。両親は子供に期待してはならない。現在、多くの子供が借金の取り立てに来ていて、恩返しは非常に少ない。あなたは今世でどれほどの善事を行なったのか考えてごらんなさい。恩返しに来る子供を得る福徳がどこにあるのか?

昨日、皆で読誦した『地蔵菩薩本願経』にもはっきりと説かれていた。地藏菩薩は前世で自分の亡くなった母親がどの道に行ったのかを知るために、すべての財産を売り払って布施、供養をし、母親に福徳を積ませた。あなた方は一人として経典に説かれたことをしていない。リンチェンドルジェ・リンポチェに両親の助けを求めに来る時、自分は親孝行だと二度と言わなくてよい。経典上に説かれる内容に符合することこそが真の親孝行だ。経典に説かれる死者のための供養は全て、死者に替わって最も愛する物品を用い、しかも一切を捨てて供養する。だが、あなた方はしていない。以前、リンチェンドルジェ・リンポチェにお酒の割引券、統一発票(籤付きレシート)、南太平洋の土地を供養した者がいる。これらの行為は、自分が不要な物を供養したのであり、すべき行為ではない。供養は心を込めなくてはならない。あなた方は『地蔵菩薩本願経』に説かれた供養の方法を実践できない。話を聞いて仏法を学ぶことこそが必要だ。

皆は今は不景気だからお金を使うのは勿体ないと言い、貯金する。ただお金を銀行に貯金するだけなら、たくさん貯金したとしても本当にお金があるとは言えない。なぜなら自分で使えないからだ。苦労してお金を貯金しても、突然、政治的或いは社会的な原因であなたのお金があっという間に全部なくなることもある。布施、供養を行なうことを学びなさい。善事を行なうことを怠けてはならない。自分でしなさい。お金を自ら、病院へ行くお金のない人、勉強するお金のない人、お棺を買うお金のない人にあげなさい。基金会に寄付すれば布施したと思ってはならない。あなたが寄付したお金は、実際に100元の内恐らく20元だけが助けを必要としている人に使われる。基金会もまた人事費用の支出があるからだ。一般の基金会は雇った人に5万元以上の俸給を与える。会員の身分を有する両親だけが自分の子供を紹介し、就職できる。あなた方も入りたいなら、少なくとも両親がまず数百万を寄付してこそ機会が与えられる。

現在、多くの人が株式を買って儲けようとしている。リンチェンドルジェ・リンポチェは今迄、株式投機をしたことがない。これは株を買ってはいけないという事ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェも株を買うが、長期的において少しの配当金をもらう。投機ではない。チャンスを狙ったり、働かないで得ようという気持ちでやってはいけない。毎日モニターを見てグラフを研究し、グラフの起伏に従ってその中から利益を得ようとする。二度と自分の行為を弁解しなくてよい!苦労なく得たお金は最後にはやはり手元に残らない。テレビでは多くの能弁な専門家がグラフを分析して、できる限りの言葉を使って人に影響を及ぼそうとし、自分はその中から利潤をつかみ取る。これは実に、計ってお金を儲けるということだ。あなた方は二度と投資の大先生、株の神様を羨ましがらなくてよい。彼らは今、沢山お金を儲けているように見えるが、あなた方は彼らの未来の果報を知ることはない。悪行をなした最期は悲惨な結果となる。『華厳経』には「心動し機関する者は天さえも許さない」と説かれる。お経の中の「機関」とは即ち、はかりごとだ。株式投機をする者はその中から利益を得る為に、不実の情報を広めある株価を上下させる。自分が利益を得るための計略だ。経典には天のことはあまり取り上げられない。ここでは因果さえも語らず、直接、天のことを言っている。天さえも見続けられない。なぜなら、ある者が日々を恙無く過ごしているのは明らかだが、あなたが謀をしようと心を動かし他人を不安にすると、天さえもあなたが続けて悪をなすのを妨げる。

一日中お金を計算するのが好きで、他人があなたのお金を儲けるのを恐れる者もいる。こんな奇妙な気持ちを抱いてはならない。社長になってビジネスをするのは、当然、お金を儲けるためだ。あなたは社長に金儲けさせないなら、社長が損するのを喜ぶのか?あなたが代わりに社長になったなら、損するビジネスを望むのか?もし自分がビジネスをしている時に、あなたは少しのお金も人に儲けさせず、無理やり他人とトコトンまで争い、相手が本当に儲けないことを同意したなら、心の中には必ず怒りがあり、心の中であなたを呪っているだろう。もし他人があなたに恨みを持ち、呪うのなら、あなたはどうして、日々を恙無く過ごせるのか?実際には、私達の毎日の生活では、目を開けた時から他人に金儲けさせている。水を使い、電気を使うことは全てそれだ。そんなにケチケチしなくてよい。特に、食べ放題のレストランに行って吐くまで食べる人は、死後は恐らく餓鬼道に堕ちる。

今の人はとても奇妙だ。ニュースでお茶を売っている二軒を比較し、このお茶の方があのお茶よりも分量がほんの少し少ないと分かったら、「怒り!」の文字を打ち出していた。商人の中には悪賢い者も実際にいるが非常に少数だ。ビジネスをする者の多くはやはり自分のビジネスが長く続くことを希望している。人として、こんな風に少しの損失があっても食べないという必要はないだろう。一口少ないからといって、どうという事はないだろう。あなた方は次の世代に、損してはいけない、細かく計算しろと教育してはならない。現在、ある子供は自分の両親に対してさえも打算的だ。子供に100元借りる時に、なぜ借りるのかと聞く。お金を返したなら利息を計算すると言う。こんな子供を生んだのも両親自らの問題だ。

あなた方は今世で悪行をしたために、元々あなたに属する財は減少した。あなた方が占いに行きどれくらいの財を得られるかを計算した時に、結果が割り引かれている経験があるだろう。例えば、あなたは今年1000万稼ぐだろうと占われたが、結果、たったの500万であった。これは、悪行のために財が損失したのだ。あなた方が母親のお腹からスタートし、出生し、成長し、結婚するまで、どれ程食べ、どれ程の殺生業を行なったか、あなた方の両親はあなた方のために殺生し、多くの悪業をなした。この他、当初、あなたの御主人にあなたを娶らせる為に、あなたはどれ程の謀をしたのか?当然ながら、男性が妻を娶る時も同様だ。あなた方は今世で福徳を減らし続けている。財は福徳の中にあるので、財が減る。本日、黒水財神を修するのは、あなたの富を増やすためではなく、あなた方の減ってしまった財を取り戻し、元々あなたに属する財を得させるために行なう。

私達は毎日、自分の福徳を消耗している。多くの両親が子供を遊学させること等も福徳の減少である。子供は可愛がってよい。だが、自分の子供を放縦させ、可愛がり過ぎて我が侭にしてはならない。現在、海外へアルバイトに行く者も多いが、外国人がしない仕事をして、あそこで稼ぐお金は比較的多いと言う。当然多い。それは、彼ら自身がしたくない仕事をし、当地の物価水準が比較的高いからだ。なぜ、現在、多くの台湾人が国外でアルバイトをし、労力を使う仕事をするのか?これも因縁だ。彼らに借りがあるからだ。子供に苦労させたくないからではない。これは、人の奴隷になることだ。台湾でもよい。少なくともあなた方の近くで、少なくとも子供が見られる。国外では様々な状況が発生する。子供にアルバイトをさせたり、遊学させなくてもよい。

現在、多くの両親は子供のために結婚資金や教育資金等を貯金している。リンチェンドルジェ・リンポチェは計画に反対するのではなく、計画は最後に成し遂げられてもよいし、成し遂げられなくてもよい。結果と予期するものが異なるからと、苦しまなくてよい。計画の実行は、能力の範囲内であるべきだ。ある両親は、子供の貯金のために食事も取らない。こんな風にするのは、自分の能力の範囲を超えている。リンチェンドルジェ・リンポチェは今迄、子供のために計画をしたことはないが、数人の子供はよく成長した。これもまた彼らの福徳だ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今迄、収支を記帳したことがない。稼いだお金は使うべきだと思っているからだ。あなた方は使うのを惜しむから、あれこれと計算し、最後にはやはり、人があなたの為に使ってくれる。リンチェンドルジェ・リンポチェは、仕事を始めた若い頃に記帳したことがある。香港での初仕事の給料は200元香港ドルで、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎日、7毛(=0.7元)だけを使っていた。往復の交通費プラス新聞一部。昼食と夕食は会社が提供してくれた。一日の仕事時間は12時間。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時、このようではお金は貯まらないことを知っていたので、努力して学ぶことにした。リンチェンドルジェ・リンポチェが当時努力して学んだのは、お金を儲けることではなく、学位や証書の類を取得することでもなく、いい人になることだった。この人達が構成する社会の中で、必ず、人と人との多くの関係に向き合うことになる。この中から学ぶことは沢山ある。

本日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために修する黒水財神は「宝雨資障除財神法」の法本であり、この法は必ず午前中に修さなければならない。この法本はパドマサンババが洞窟の中に隠して伝えられた岩伝法であり、その力は特別に大きい。リンチェンドルジェ・リンポチェは財神法を修して成就を得たが、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分のビジネス上で困難に出遭った時にも、自分のビジネスがスムーズにいくように財神を修したことはない。あなた方はリンチェンドルジェ・リンポチェを供養したことがあるので、今日は皆の為にこの法を修法する。皆が続けて供養、布施をし、福徳を累積でき、仏法を学ぶ上での障碍を減らすことができるように。皆が財神法会に参加する際の心は、一切衆生が困窮の苦しみから抜け出せるよう願うべきである。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは黒水財神法門の修法を始めた。まず最初に、出家弟子が代表してマンダを捧げて供養し勧請し、全宇宙一切の最も殊勝な聖物を主催の上師に供養し、上師に仏法で衆生を救ってもらえるよう祈る。修法の過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは、至高の慈悲で会場の列席者に皆の願いが叶うよう黒水財神に祈らせた。修法が終わり、続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは会場の列席者に向けて貴重な仏法を説かれた。

財神法を学ぶ前に、まず、伝法の灌頂を受けなければならない。灌頂を受けた後は、本尊と相応する象徴が現れるまで、少なくとも1,000回、更に多くは10,000回、或いは100,000回も修さなければならない。こうしてこそ、自分に利益し、衆生にも利益できる。もう一度、皆に忠告する。本日皆のために修した財神法は、あなた方に多くの財を与えるものではない。あなた方の財源を広範に収入が得られるようにするものではない。あなた方の財源を安定させて、引き続き仏法を学び、供養できるようにするものだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前、御飯を食べるお金がない時もあったが、仏菩薩を供養する物を減らしたことはなかった。花、線香、果物は全て最良の物で諸々の仏菩薩を供養した。現在、リンチェンドルジェ・リンポチェの生活は普通になった。これもまた、真心からの供養によるものだ。供養の重要性を知ったので、今日は皆のために黒水財神を修法する。あなた方が更に供養を続けられ、福徳を累積し、仏法を学ぶ上での障碍を減らすことができることを願う。

かつてインドでは貧しい者は本当に貧しかった。経典に説かれるとおり、当時、非常に貧しい女性がおり、残されたのは、たったのひときれの布で、それを身体に巻きつけていた。だが、釈迦牟尼仏が通り過ぎることを聞いた時、身体に残された布を門外の泥の地面の上に置き、釈迦牟尼仏を通らせた。彼女は真心、恭敬心、及び懺悔心によって供養した。何も求めない供養であった。彼女にとり、この布は彼女の最も貴重な物であった。彼女は供養後に現世で福徳が増長し、しばらくの後、国王に妃に選ばれた。彼女は妃になった後、再び釈迦牟尼仏を供養することを願ったが、身分が異なるので、準備した物は当然ながら非常に貴重な物となった。だが、その時、釈迦牟尼仏は受け取らなかった。弟子がこれについて世尊に問うと、釈迦牟尼仏はこう説かれた。彼女の今回の供養は、その富を見せびらかす供養であった。供養は、富がどれ程であるかを示すものではなく、心を込めた供養でなければならない。彼女の初めての供養は、たった一つ身に付けていた物、全ての供養であり、真心の供養であったので、功徳は非常に大きかった。

経典にこう説かれる。ある寺院の住職は信者の供養金を受け取った。当初、信者はこの供養金で仏像を作ることを指定したが、住職はそれで宿坊を建ててしまった。自分で使ったのではなかったが、供養金を他の用途に使ってしまったので、その果報はやはり地獄行きだった。よって、あなた方が供養する際は、特別に用途を指定してはならない。

修行者が財神法を修する際には、必ずまず先に諸々の仏菩薩と本尊を供養しなければならない。黒水財神の本尊は観音菩薩である。修法の修行者は必ず空性と慈悲を修し得てこそ、本尊と相応する。観音法門で成就を得てこそ、財神を修することができる。なぜなら、財神は観音菩薩の護法の一人だからである。相応するまで修してこそ衆生を利益できる。黒水財神は、八地菩薩の果位をすでに修証しているが、まだ人の習性が残り、衆生が悪行をなすのを見ると怒る。よって、法本の中では、不動仏が黒水財神の相続を調整する。あなたが言う事を聞かずに依然として悪行をなすのを見ると、黒水財神はあなたを無視する。仏菩薩は慈悲深いので、財神を慰め、衆生が助けを得られるようにする。

黒水財神の法会は円満に終了した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、午後2時15分に法会を引き続き行い、皆のために、大象財神(ガネーシャ)と上師供養法(グルプージャ)を修法することを告げた。午前中に修法した黒水財神の条件は比較的厳しいので、話を聞かないなら黒水財神が助けることはない。また、午後修法する大象財神は、皆を少しリラックスさせることだろう。皆も仏法を学ぶ上での十分な資糧を求められ、供養できる。会場の列席者は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが、苦労を厭わずに長時間の修法と説法をして下さったことに感謝し、起立して、法座から下りられた尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを恭しくお見送りした。

午後2時15分、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは再び法座にあがられ法会を主催し、殊勝な大象財神と上師供養法を修法され、並びに会場の列席者に向けて貴重な仏法の説法を授けられた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは午後、皆のために大象財神を修法された。大象財神はホワイトマハガラの護法である。マハガラは元々一人の威力の強大な鬼王であったが、その後、観音菩薩に降伏した後、護法となった。四大教派はすべてマハガラを護法としている。マハガラの誓願は、正法を修持する寺院と修行者を護持することにあり、忿怒相を現す。また、ホワイトマハガラはマハガラの報身の一人である。

大象財神はホワイトマハガラが降伏した内の一人の護法である。大象財神の前世は、大金持ちの王子であった。多くの布施を行ない、誰かれ構わず、彼にお金を要求する者があればあげた。相手がそのお金で悪行を犯しても構わなかった。それは、王子は常に無条件の善人であり国家の発展に影響を及ぼしたので、マハガラが彼を殺した。彼の頭を切り落とした後、大象の頭をくっつけた。だが、王子は生生世世、多くの供養と布施を行なってきた為、やはり福徳があり、大象財神はホワイトマハガラの眷属の一人となった。

ヒンズー教でも大象財神を修するが、仏教の中での財神法と外道が自分に物をくれるよう神を求めるのとは異なる。チベット仏教の中では、大象財神を修法する前に、まず最初にホワイトマハガラを修法する。よって、観音法門で成就した修行者だけが大象財神法を修することができる。マハガラは観音菩薩の護法の一人だからである。もし、修行者が観音法門を成就していないなら、観音菩薩の眷属であるマハガラは来ない。マハガラが来ないなら、その眷属である大象財神も来ない。大象財神が来ないなら、眷族である猿財神も来ない。猿財神が来ないなら、眷族であるネズミも来ない。これらは皆関連している。仏法を学ぶには階梯がある。学びたかったらあるのではない。ただお線香をあげて参拝すれば財神が来ると思ってはならない。この考えは間違いだ。もし、階梯のない修行なら、自分を利益できないだけでなく、他人を利益することも不可能だ。

財神法は密法の四つの法門に属する。息、懐、増、誅の内の増法である。通常、増法の本尊は護法部及び金剛部に属する。あなた方は財神法を修するのは簡単で、法本を手にして、ちょっと読めば効果があると思ってはならない。上師の確認、伝法、灌頂の他、もし修法者が本尊の閉関を相応するまで修していないなら、財神法の修法は自分感覚的に良いと感じるだけになる。法本上の徵兆が現れるまで修し、上師が確認して初めて数に入れられる。大象財神法と午前中の黒水財神は少し異なる。午前中の黒水財神の方が少し厳しい。もしあなた方が急を要し、例えば学費を払うお金、病気をみるお金がなかったら、大象財神に求めてもよい。大象財神を修することは役立つ。今世で、法に沿って仏法を学びたいなら、財神法を修すれば、あなたの財を守ってもらえる。これは守銭奴を意味するのではなく、あなたの財を集め、あなたに布施、供養する財を持たせるのである。修法によってあなた方に福徳を積ませる。あなた方に恙無く日々を送らせるためではない。あなた方が安心して仏法を学べるようにし、あなた方の財を補充する。ビジネスをさせる為ではない。あなた方に家を買わせたり、ローンを返済させる為ではない。あなた方に財を持たせてこそ、たくさん供養できる。福徳を累積し、仏法を学ぶ障碍を減らす為だ。

新しい一年がスタートした。皆が「安居楽業」であることを祈る。「安居」とは生活する場所が安定することを意味する。よって、昨日、皆のために修法した地藏菩薩は『地蔵菩薩本願経』の中で、皆が因果を知り、止悪行善をし、如法の修行をすれば、自然に善神があなた方の住まいを守ってくれると説かれた。「楽業」とは、あなた方に福徳を積ませ、収入を安定させることを意味する。よって、今日は皆のために財神法を修する。あなた方の中には、自分にはもうお金が沢山あるので今日の財神法の法会に参加する必要はないと思う者もいるだろう。だが、昨日の地蔵菩薩の法会は、仏法を学ぶ際の心理状態のどこに間違いがあるかを自分に見せ、自分の行為を改めさせるものだった。今日、あなた方のために修法する増法は、あなた方の障碍を減らし、福徳を累積させるものだ。増法を修法するのは、皆の福徳が不足しているからだ。福徳が不足していると仏法を学ぶことはできない。

多くの人は読経し参拝すれば福徳は生じると思っている。実のところ、それらの福徳は非常に僅かだ。しかも来世で初めて得られる。また、多くの人は禅七(七日間の座禅)や八戒をすれば沢山の福徳が積めると思っているが、これらも未来世で用いるものだ。八戒は、あなたに今世で一日の清らかな出家生活を過ごさせるものだ。出家者がもし今世で如法の八戒を行なうことができたら、修行して浄土に往生するのに役立つ。在家者がもし今世で八戒を行なったなら、未来世で必ず出家する因縁が熟し、しかも今世で浄土を修するのも比較的簡単に成就する。一般の八戒は団体方式で一緒に行なう。例えば、一群の者が大型の活動センター内で共に行なう。これは法に遵わない方法だ。チベット仏教の閉関は閉関であり、必ず非常に厳しく謹んで行なわれる必要がある。必ず、一人一部屋で、一部屋に二人はない。夫婦同室も不可能だ。一般では、主人と妻が「同修」であると言うのが流行っているが、これはいい加減だ。仏法用語を乱用してはならない。八戒は、巷で行なわれているように、沢山の人が運動場に集まり一日話をしないのではない。朝4時に起床し、読経を始め、その後、運動場に沿って周囲を歩く。彼らはこれを禅を行ずると言い、午後まで行ない終了する。この種の八戒の方法は正しくない。ただ八戒と結縁しただけだ。

なぜホワイトマハガラの相を現しているのか?ホワイトマハガラは、一切の仏法を学ぶ上での障碍となる鬼怪を消失させるからだ。所謂、増法は、突然に大きなお金が増えるのとは異なる。あなたが元々手にすべきものを取り戻し、あなたが人に騙される機会を少し減らしてくれる。二度と、自分は人を見間違ったのだと言わなくて良い。見間違ってはいない。ただ貪念があるのが間違いだ。人に騙されるのは、自分の心が動き、貪念が起きたから騙されるのであって、見間違ったと二度と言わなくて良い。目がどこへ行ったのか?あなた方は相手を見間違うのは、自分の貪欲が起きたからだ。ただ、あなたが貪欲を抱いたのは何なのか。貪欲が重いため、あなた方の福徳を減らしている。この増法の法会に参加すればあなたに福徳を積ませてくれ、あなた方がよく仏法を学べるようにする。しかし、キーポイントはあなた方がよく話を聞き、上師を恭敬することにある。あなた方が上師に不敬を払い、話を聞かず、伝えた法を修せず、改めず、あなたに礼拝をするよう言っても礼拝しない。これは皆、あなた方の福徳を害することになる。多くの人は、こんなに深刻な結果になるのかと疑うが、実際にはこんなにも深刻だ。

多くの人は、因果を信じないことがどれ程深刻な事なのかを知らない。地蔵菩薩の母親は因果を信じず、邪見があった。少し信じてもまた信じなくなる。だから悪道に堕ちて苦しみを受けた。昨日すでに見たお経に説かれるとおりだ。実際のところ、列席者の各人がこうだ。ちょっと信じては、また信じなくなる。自分がそうではないか深く考えてみなさい。本当にこうだ。まるで『心経』上に説かれる「顛倒夢想」である。あなた方にとって良いものが、却ってあなた方は障碍だと感じる。あなた方に悪いものを、あなた方は却って好む。または自分はもういいと感じ精進しなくなる。目下、多くの人がこの病気を犯している。数人の癌患者の弟子は、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で彼らの病気を治してくれたと思い、彼らは自分の事や子供の事等をきちんと計画している。実際に彼らには元々命がなく、福徳がなかったのだ。仏菩薩は彼らを助けてくれたのだから、彼らは精進して仏法を学び、自分の浄土へ往生する福徳を積み上げるべきだ。精進は仏法を学び続けることで、自分が過ごすべき生活を過ごし続けることではない。自分はさらにどれ程の計画が立てられると思うのか。

彼らは話を聞かず、病気になったら直ぐに戻ってくる。祖師ジッテンサムゴンはこう説かれたことがある。もしあなた方が仏菩薩の助けを受けた後に仏法を学ばないなら、病気はまた戻ってくる。即ち、このような人を指す。仏菩薩が怒って彼らを処罰しようとするのではなく、彼らは元々死ぬはずであり命は取り戻されたものの、福徳も使い切った。その後、福徳は自分で累積し戻さなければならない。ガムポパ大師は福徳を累積する最も速い方法は上師を供養することだと説かれた。供養はお金ではない。完全な恭敬である。恭敬とは自分の考えがないことで、話を聞いて行うことだ。供養する時にまだ求めるものがあり、さらに特定の用途を指定する。これは恭敬心がないことになる。ガムポパ大師は嘗て、供養は仏法を学ぶ者にとって非常に重要だと説かれた。『観世音菩薩普門品』の中にも、いかに供養すべきかが説かれている。

恭敬とは話を聞くこと、上師及び諸々の仏菩薩の教えを聴くことだ。本日は財神法と上師供養法を修法する。すぐに参加者が数十人減ったのは、彼らが自分とは関係ないと考えたからだ。自分には既に財があるので不用だと思ったからだ。実のところ、説法を聴き終えて、財神法はあなた方が思うような只単にあなた方に財を持たせるだけではないことが分かった。上師は皆と無関係なことをしない。昨日は地蔵菩薩を修法して皆に因果をはっきりとさせ、懺悔心を起こさせた。今日は皆のために福徳を増やしてあなた方が新しい一年の中で仏法を学ぶ際の障碍を取り除いた。皆は仏法を学ぶ際に、好きな箇所を選んで聴き、好きな法を選んで聴き、自分の便利な時間を選び、自分に時間ができるまで待たなければならない。あなたに時間ができた時には仏菩薩は忙しくなっているかもしれない。仏菩薩はいつ何時でも衆生を利益することに慣れているので、一刻も停まることはなく休暇もない。自然に時間があるかないかを分ける事もなくなる。あなた方は自分には時間はなく、新年にはやらなくてはならない事が沢山あるから法会に参加しないと言う。あなた方にやっと時間ができた時には仏菩薩にも時間がなくなる。あなた方はこれが合理的だと思うのか?

あなた方は自分に時間がないと感じると、自分を放縦する習慣がある。継続的に仏法を薫習するのが非常に重要な事であると思わない。あなた方に時間ができた時は、通常、福徳をほとんど使い切った頃で、問題が出て、再び仏菩薩を探して助けてもらおうとするが、困難である。もしあなた方が通常、話を聞く習慣があったら、仏菩薩と上師は自然に多かれ少なかれあなたの面倒をみ、あなた方は沢山の問題を乗り越えられる。仏菩薩と上師は身、口、意の全てでずっと衆生を利益している。もしあなた方が常に上師に親しみをもって近づくなら、あなた方をただ一目見ただけでも、あなた方は非常に大きな助けを受けることができる。実は、上師が修めた法は全てあなた方が必要とするもので、あなた方が仏法を学ぶ未来に大きな助けを与える。あなた方は分別心を持ってはならない。

あなた方は、自分が一切のスケジュールを立てて、時間ができた時に仏法を学びに来ようとするが、そう思ってはならない。普賢菩薩は、仏法を学ぶ事は救うために頭を燃やす如しと説かれた。またはあなた方も試してみたら、どれ程急を要することなのかが分かる。経典上の形容は非常に適切だ。あなた方は、自分が仏法を理解できたら修し始め、改め始めると思ってはならない。仏法と人生経験法は異なる。衆生は仏法を知らないので、仏は仏法を説いた。あなた方が分かってから修するというなら、もう既に死んでしまっている。その時あなた方は、元々仏法は生死の大事のためにあることを知る。だがもう何もかもが遅すぎる。因縁がなければ、成就を得た人に助けてもらえない。あなた方は業力に従って輪迴に堕ちて行く。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てこう説かれた。リンチェンドルジェ・リンポチェの会社内の管理職の奥さんが病気になり、医者は癌だと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女が長期的に飲用している水質の中に良くない成分が入っていて中毒になったのだと言ったが、最後に彼女は化学療法を選び、その結果化学療法を受けた後に死んでしまった。幸い彼女には福徳と因縁があったので、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女のためにポワ法を修法し済度してもらうことができた。リンチェンドルジェ・リンポチェが修法すると、彼女の神識はすぐにリンチェンドルジェ・リンポチェの前にやってきた。激しく泣いていたが、その時彼女は初めて自分の過ちを知り、自分が当初、上師の話を聞かなかったことを懺悔した。あなた方は仏菩薩と上師の教えを聞かず、仏法を信じず、死んでやっと自分の苦しみを知り、その時に初めて仏法を受け入れる。

具徳の上師はあなた方の時間が多くないことを知っていて、早く仏法を学びに来るよう勧め、精進するよう勧める。だが、皆はやはり聞き入れない。日々は一日一日と過ぎて行く。一年一年と過ぎて行く。時間の過ぎるのは非常に早い。修行者にとり24時間はいつでも仏法だ。通常の日々はただの縁の集まりだ。皆の心は容易に集中できなくなり、容易に弛んでしまう。リンチェンドルジェ・リンポチェは沢山の状況を見ているので、事前にあなた方に注意を促す。だが皆は聞き入れない。ある弟子は乳癌にかかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らが供養を惜しむので、彼女の二人の娘に母親の代わりに五体投地をするよう言った。二人の娘は、母親が少し良くなれば問題ないと思い、怠け始めた。たくさん口実を設けて礼拝を続けることを拒んだ。彼女の母親もまた娘に無理やりさせたがらなかった。結果、現在彼女の病気はまた再発した。手はひどい水ぶくれ、痛みもある。彼女達は自分でもうやったので福徳が生じたと思った。あなた方は『地蔵菩薩本願経』を見て、如何に供養すべきかを知った。あなた方は一人も実行できない。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆ができないのを知っているので、恭敬心をもって話を聞くことだけを要求する。いろいろ話したが皆はやはり話を聞かない。やはり自分の方式で日々を過ごす。正にお経に説かれている「剛強」だ。あなた方は皈依し仏法を学ぶが、因果を信じずに仏法を受け入れようとしない。これは仏教徒と言えるのか?

また、ある男性弟子は通常はリンチェンドルジェ・リンポチェを非常に敬っているが、最近リンチェンドルジェ・リンポチェは彼をテストしたら、彼の本性が直ぐに現れた。この男性弟子の妻はリンチェンドルジェ・リンポチェの経営する宝石店で働いていた。彼女の仕事のやり方はいつも不適当であった。以前、彼女はお正月前の最終日になってやっとセキュリティボックスの証書にサインをもらうためにリンチェンドルジェ・リンポチェに申請した。銀行はもう既に閉まっていたので、その後、彼女はお正月休みの期間、店内で留守番し宝石を管理しなければならなかった。今年、彼女はお正月休みの二週間前に書類を申請した。何度も却下されたが、彼女は何度も書類を申請した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの件について、毎日電話をかけて彼女の主人に聞いた。最後に彼女の主人は耐えられなくなって妻を弁護した。「違うんですよ!彼女は忘れてしまうのを恐れて、間に合わなくなるのを恐れて、早めに申請したんです」だが、彼女は気付かなかった。一旦セキュリティボックスの証書にサインをしたら、物は誰でも取り出せることを。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、男性弟子はこのように答えたが、上師はどんな過ちを犯したのかを会場の出家弟子に說明するよう指示した。出家弟子は、この男性弟子は自分の妻を可愛がり、上師に対して不敬を働いた。彼がこのように妻の為に解釈することは上師が間違っていると思ってのことで、これが続いていくと、生死の瀬戸際で堕ちることになるだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を叱責した。あなた方は出家弟子の說明を聞いた後に笑うべきではない。実にそんなにも深刻なことだ。この出家弟子が言ったことをよく覚えておくように。上師の話を聞くことと敬うことを日頃から訓練することの最重要性は、あなたの生死の瀬戸際に用いるからだ。これは冗談ではない。もし日頃、100分の100、話を聞き敬えば、0.1の差があったとしても堕ちることはない。あなた方は皆、表面的な恭敬だ。リンチェンドルジェ・リンポチェの直貢チェ・ツァン法王に対する真の恭敬のように、完全に上師の教えを聞き入れて、自分の考えがないのとは違う。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの男性弟子には多くの病気があることを知っていた。だからわざと彼をずっと迫いつめた。こうすることで、彼に自分の問題がどこにあるかをはっきり見せようとしたからだ。

仏法を学ぶということは、三宝に対する恭敬心と信心を訓練することだ。しかし、男性弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェはもうお爺さんの年齢に達したからだと思っていたように、リンチェンドルジェ・リンポチェの心が非常に繊細であることを知る者はいない。
皆が、リンチェンドルジェ・リンポチェの叱責は私に対する加持だと言うが、リンチェンドルジェ・リンポチェは叱ったのであり、加持したのではない。あなた方は使う言葉を正しく使わなくてはならない。そんなに多くの誤りを犯したのだから、叱るのも間に合わない。さらに加持をする?仏法を学ぶ者、修行する者、生死から解脱しようとする者を上師は必ず加持する。お経には、未来菩薩、未来仏になる準備をする者は仏菩薩の加持が得られるとある。叱ることは叱ることだ。二度と加持だと言ってはならない。あなた方が再び言い間違ったら、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方を加持し、ここから去らせるだろう。自分がした事をよくできたと思ってはならない。自分がよくできたと思うのは、即ち、よくできていないという事だ。良い又は悪いはない。自分が仏法及び三宝に対してどれ位、恭敬心があるかを見る。自分が仏の説いた話を、上師の教える仏法を聞き入れたかどうかを見る。完全に受け入れたかどうか?ただ、仏法を受け入れるのと、仏法を受け入れない差があるだけだ。その差0.1が問題を生じさせる。

『地蔵菩薩本願経』には、衆生は菩薩の助けを得て苦しみから離れた後、又再び悪をなすと説かれる。『妙法蓮華経』にも、諸々の仏菩薩が衆生を火宅から救い出したのに、衆生はまた戻ってしまったことが説かれる。よって、仏菩薩は衆生を済度しきれない。これは地球の衆生は話を聞かず、「剛強」だからだ。お経上には、仏法を学ぶ事は「大丈夫」の行為だと説かれる。大丈夫でないなら、勇猛な心がなく仏法を学べない。大丈夫とは、如何なる困難、障碍も恐れないことを意味する。仏法は、困難を恐れず勇敢に前進してこそ学び得られる。

もし、あなた方が心を改めていないなら、上師は、如何なる方法でちょっと試すだけで、あなたが心を改めたかどうかを知ることができる。妻の為に言い訳をした男性弟子のようにだ。この男性弟子は結婚以前非常に妻を愛していたが、結婚後はどんな事でも妻が不機嫌になるのを恐れ、どんな事も妻の考えに従っていた。妻が愛していないという事ではない。男性が女房を大切にしないのは男ではない。だが、夫婦間には互いに尊重しあう関係が必要だ。溺愛や放縦ではない。広東語ではこう言う。「子供が生まれたら直ぐに教え、嫁が家に来たら直ぐに教える」管理ではなく教えるのだ。夫婦は元々異なる二つの家庭から来た。幾らかの生活習慣、方式等の違いもあるだろう。よって、女房を教育しなければならない。もし教えなかったら最後になって自然と問題が出てくるだろう。女房の間違いを彼女の為に説明し、上師と衝突するのは絶対にダメだ。言い訳を探す者は自己中心的である。この様な人は自分勝手で、慈悲心を修し得ることは不可能だ。この男性弟子は眼科医師であり、彼は以前、リンチェンドルジェ・リンポチェの目は一般の66歲の人と全く異なると言ったことがある。しかし、今回彼は、リンチェンドルジェ・リンポチェが一般人ではないことを忘れてしまい、口を開いて弁解した。リンチェンドルジェ・リンポチェはなぜ、この様にあなた方を追い詰めるのか?それは、あなた方の自己中心的な処を打ち破る手助けをする為だ。こうして初めて、慈悲を修し得られる。

慈悲がなければ仏法もない。一旦慈悲心が修し得られれば、自然と菩提心も修し得られる。慈悲は全ての仏法の基礎であり、修習せず慈悲心を培わなければ、菩提心を発こすのは難しい。毎回法会で皆をリードして唱える「祈願文」の中で「菩提心妙宝」という箇所を読んだ。菩提心が妙宝であるわけは、仏法を学ぶ者が菩提心を発こすと修行の道上に如何なる障碍もなくなることに起因する。もし菩提心を発こし菩提願を行ずれば、懺悔をしなくても同様に修することができる。それは行為の一切が全て衆生利益にあり、他の考えが何もないからだ。

仏法を学ぶ者は、どんな事も仏法から出発しなければならない。自分の為ではならない。先程リンチェンドルジェ・リンポチェが挙げた例は、世間法または出世間法のどちらにも適用する。試しに考えてごらんなさい。例えば一つの会社の中で、それぞれが間違いを犯し自分の過ちを認めず、自分に過ちがないことを弁解するなら、問題は必ず益々深刻になるだろう。もし職員であるあなたが間違いを犯し、社長にずっと弁解するなら、最後に社長は直接、あなたを会社から去らせるであろう。もしあなたが上司で、過ちを犯した部下が一日中あなたに弁解をするなら、あなたは彼を会社から去らせないか?リンチェンドルジェ・リンポチェが厳し過ぎるのではなく、全てはお経に説かれた内容、仏菩薩と上師の教えに基づいて行なっている。皆が話を聞かないなら、どうやって実行するのか?

仏法を学ぶ事は、リンチェンドルジェ・リンポチェが強制して皆に仏法を信じさせるものではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは36歲から仏法を学び、自分を改め始めた。そして、徐々にお経に説かれる境地に入った。あなた方一人一人は現在に至るまでやはり只の門外漢だ。それは非常に自己中心的で、自分は修している、自分は礼拝していると思い込んでいるからだ。皈依し仏法を学び始めてから、リンチェンドルジェ・リンポチェは、ある日自分がリンポチェになることを考えたこともなかった。また、自分が法座にあがって説法することを考えたこともなかった。只、仏法を学ぶ事は自分を利益し他人を助ける事だと知っていたので努力した。あなた方は皆予め立場を設定し、仏法を学んだ後に何を得たいかを希望する。仏は皆にいかなる物もあげない。只、皆に仏法と因果を教え導くだけだ。皆は限りを尽くし、改める決意をしなければならない。絶対に、自分の状況が少し良くなかったと感じて怠けてしまわないように。それはまるで、ある期間ちょっと修行して話を聞き、暫くすると病気が出て過ちを犯すようなものだ。

仏は皆に家庭生活があることを反対したり拒絶したりしない。或いは皆がビジネスすることを禁じていない。これらは経典には説かれていない。実のところ、お経の中には夫が妻に如何に対応すべきか、妻は夫に如何に対応すべきか、嫁は如何に姑との関係を築くべきか、姑は如何に嫁との関係を築くべきか等について、非常にはっきりと説かれている。お経にも常に、「長者」「居士」等の言葉が出現し、これらが意味するのは全て商い人である。仏が皆に家庭生活がありビジネスすることを反対するなら、これらの話はしないはずだ。お経には、菩薩は異なる身分に化現すると説かれる。どんな身分と縁があるかによってその身分の人々を救う。本日リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために増法を修する。だが、皆がもし改めないのなら、増法の修法はあなた方に効果をもたらすことはない。

リンチェンドルジェ・リンポチェの二日間の説法を、あなた方は帰ってからよく考えるように。何が人生なのか?只、勉強、仕事、結婚、出産だけなのか?人として、人の義務と権利はある。今世で人となれたのは、過去世で沢山の善行を行ってきたからだ。一旦人身を失ったら、再び人にはなれない。あなた方が考えるように、死んだ後に数年経ったら再び人になれるのとは違う。人に生まれ変わるのは非常に難しい。一旦地獄に堕ちたら、最低1000年以上待ってやっと離れられる。地獄を離れたら、鬼道から始まる。続いて畜生道、先ず昆虫から始まり、その後ゆっくりと上へあがる。例え人になれたとしても非常に卑しいレベルで非常に苦しむ。『地蔵菩薩本願経』に説かれていたが、地蔵菩薩の母親は悪をなしたために、悪報が尽きて再び人となっても、地位は低く寿命も非常に短かかった。これはお経上に記載されている真実の話である。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方を脅迫しているのではない。上師と仏菩薩はあなた方の機根が十分でなく、輪廻の苦しみをまだ受けているのを見て焦っているのだ。仏菩薩と上師は、いかなる衆生をも放棄するのを忍びなく、分別心をもって誰を嫌って誰を好むということもない。あなた方は、すべきでない事をしないという事を学ばなくてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは毎週、苦しみを受け困難に出遭った多くの衆生に会い、長い間弘法してきたがまだ会い切れず、済度し尽くせない衆生がいる。よって、皆にはリンチェンドルジェ・リンポチェが諄々と説かれる話を聞き入れることを望む。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは大象財神法の修法を始めた。まず、出家弟子が代表してマンダを献じて供養し勧請し、全宇宙一切の中で最も殊勝であることを象徴する聖物によって主催上師を供養し、上師に仏法により衆生を救って頂くことを祈った。修法過程において、リンチェンドルジェ・リンポチェは極めて慈悲深く、列席者に何度も大象財神に向かって祈らせ、皆の願いが叶うよう祈祷した。修法が終わり、リンチェンドルジェ・リンポチェは列席者に向かい貴重な仏法を説き続けた。

大象財神及び黒水財神の修法はいずれも観音法門の成就を得た後に初めて行なえる。この二つの財神は観音菩薩の護法眷属だからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが今日修法する大象財神法は、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢噶舉派の既に往生された大成就者ヨンガリンポチェ(?読み方)から直接伝授されたものだ。この法本は岩伝法であり、パドマサンババが洞窟の中に隠して自ら伝えた密法である。この法を修習する修行者の先決条件はすでに観音法門で成就を得ていることである。ホワイトマハガラは不動明王の化仏であり、不動明王は観音菩薩の化仏である。丁度この二つの本尊をリンチェンドルジェ・リンポチェは修したことがあり、閉関して成就を得た。ヨンガリンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェが観音菩薩と不動明王を閉関し修したことを知っていたので、大象財神をリンチェンドルジェ・リンポチェに伝えた。もし修していないなら、この二つの本尊とは相応せず、大象財神法を修しても相応しない。

今日修する財神法の法本中に沈香を供養するようにとある。沈香の香りは身体の健康に非常に役立ち、血液循環を促す。現在沈香の価格は益々高くなり、一斤当たり数十万元もする。列席者の弟子で数十年、御香の卸売りに従事している者がリンチェンドルジェ・リンポチェのお話は確かに実情だと語った。リンチェンドルジェ・リンポチェは説法を続けられた。本日修法する過程において大象財神に供養する沈香は少なくとも2万元である。沈香が益々高くなることは、大象財神の福徳も益々大きくなることを意味する。これは、大象財神がいい御香を用いることに執着しているという意味ではない。尚、沈香は衆生の悪念を善念に転じてくれる。戒をよく守る者は、身体から自然に香りが出てくる。よく修行する者は分子の形態を変化させることができる。身体からは自然に臭いがなくなり、他人の反感を引き起こさなくなる。

お経の中に通常取り上げられる「燃香供仏」は、最も良い御香で仏を供養しなければならない。いい加減に買ったものではならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を学んで以来、自分が御飯を食べるお金もない程貧乏になっても、仏菩薩に捧げる花、御香は絶対に減らさなかった。しかも最も良いものを用いた。ある年、財神法を修法する際、リンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子に沈香を買ってくるよう言い付けた。この弟子は最も安い御香を買って帰ってきた。その結果、リンチェンドルジェ・リンポチェに何度も叱責された。私達は自分の能力の範囲内で、最もよいもので仏菩薩を供養すればよい。因果から簡単に説明するなら、あなた方がよい物で仏菩薩を供養すれば、戻って来るものは良いものだ。いい加減なもので仏菩薩を供養すれば、戻って来るものはいい加減なものだ。偽物を供養すれば、戻って来るものも偽物だ。

現在、市場の多くの御香には化学物質が含まれている。天然の木材を少し用いるものも、やはり化学成分を加えて粘着を助ける。化学成分を加えたお線香に火をつけると、一回、二回はいいのだが、長く使うと病気になってしまう。古代の御香製造法は、自然に太陽の光で乾かした。こうしてこそ御香の材料が粘着したからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが輸入したお線香はチベットで製作したもので、歴代祖師及び護法が書き残した配合法と成分による。用いた材料は薬材と天然のミネラル物質等であり、全く化学成分を含まない。リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた方に伝えたのはビジネスのためではない。只、あなた方に実情を知ってもらいたいだけだ。チベットのお線香の中にも古い方法で製作したのではない物もあり、やはり化学成分を添加している。たくさん使うと病気になる。よい御香は私達の心身に益をもたらす。御香は悪い臭いを取り除いてくれる。それは、よい御香は環境の中の悪い分子を浄化するからで、よい分子が悪い分子を消してくれると自然に空気を浄化する作用が起きる。

もし化学のお線香で仏菩薩を供養するなら、使わない方がよいだろう。いいお線香は身体に良く、修行にも助けになる。本当によいお線香を買うお金がないのなら、安物買いをせずに心を込めて供養すればよい。恭敬心をもって礼拝することも所謂「心香」である。もし「仏を供養します。仏が私のビジネスをうまくいかせてくれますように。」或いは「御花で仏を供養します。仏が私を美しくしてくれますように。」この様な交換条件の心持ちで供養するなら、それは全て真心からの供養ではない。お経に説かれる「聞香」(空行母)とある鬼道衆生は香りを食物としている。あなたがお線香に火をつけた時、窓を閉めていたとしても香りは外に放出される。彼らは良い香りを嗅ぐと感激し自然にこの場所を保護するようになる。もしあなたが良くないお線香に火をつけると、これらの衆生は香りを嗅いで病気になる。

人に良くない御香を嗅がせるのにも良くない果報がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは何れの商品の輸入、販売も非常に慎重である。それは因果を信じているからだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはビジネス上で絶対に騙さない。横領もしない。他人の横領を手伝うこともない。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前、国外からのビジネスをする機会があった。だがリンチェンドルジェ・リンポチェは相手がリベートを要求したので、敢えてビジネスをしなかった。他人の横領を手伝わなかったのだ。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェに「このビジネスでは構わない。どうせお金を取得するのはリンチェンドルジェ・リンポチェではないし、このビジネスをすればやはり利益が得られる」と勧める者もいた。だが、リンチェンドルジェ・リンポチェは深く因果を信じている。横領する者は地獄に堕ちる。他人の横領を助けたなら、他人が地獄に堕ちるのを助けるのと同じだ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはしなかった。当時、ビジネスをしなかったのは幸いだった。さもなくば、現在リンチェンドルジェ・リンポチェは一つの国に二度と行くことはできなくなっていた。

あなた方が良くない事に出遭うのは、その前が不注意で、慎重でなく、先に行動してから考えようと思い、事が起きたら考えようと、完全に因果を信じていないからだ。現在、人はパソコンでコミュニケーションをとるのを好む。「アプリケーションを送る」の類は、一種の習慣だ。打ち間違ったら直接、削除を押せばよい。責任もない。だが、一言口にすれば、必ず果報がある。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアを込めて話した。「文字を打ってコミュニケーションするのはひやっと冷たい感じがあって癖にはならない。コミュニケーションする時は直接面と向かって話すか、或いは少なくとも電話にしなさい。特に上師が弟子の誤りを叱責する時に比較的力となる。」

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは労苦を厭わず、皆のために上師供養法(グルプージャ)を修法した。この一年、歴代伝承上師による皆に対する加持と庇護に感謝する。まず最初は祈願文である。仏法を学ぶ我々に障碍を与える邪魔と虚空の一切有情が、全て仏法の助けを得られるよう祈り、彼らが一日も早く仏法を学び生死輪廻から解脱し成仏して衆生利益ができるよう願う。次に、仏菩薩を勧請し、七支分の供養を行なった。その後、禅定灌頂の儀軌を行った。まず直貢噶舉派・祖師ジッテンサムゴンに頂礼する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲をもって説かれた。「禅定灌頂」はチベット仏教にしかないもので、ある灌頂は即ち権利を授けるという意味で、あなたは後に禅定法門を学ぶ機会が与えられたことになる。一般に禅定とは、足を組んでそこに座って動かないことが禅定だと思われている。自分ですでに長い間、禅を学んでおり、座ったら数時間でも動かずにいられるから、禅定をよく修したと思っている者もいる。実のところ、こうではない。如何なる法門を修習しようと、上師の教えと授権してこそ役立つ。上師の監督を経ずに自分で修するのは不可能だ。以前の正法時代では可能だったかもしれない。なぜなら当時の衆生は機根が備わっていたので仏法を聞いたらすぐに悟りを開くことができた。現在の末法時代の衆生はこの種の機根を有する可能性は少ない。

禅定を学ぶには閉関して禅定の本尊を修する必要がある。修法過程において唱える迴向祈請文は、即ち、以後覚りを開く機会が得られるようにとあなた方のために植える種である。灌頂したから直ぐに修することができると思ってはならない。顕教経典には「一歴耳根,永為道種」と説かれる。この句は、耳で聞いたなら悟りを開く仏道の種を植えたことになるという意味だと思う者もいるだろう。この解釈は実は正しくない。必ず今日の修法のようでなければならない。前行、発心を経て迴向してこそ、未来に殊勝な道を修行する種を植えることができる。聴いたらすぐに道の種が植えられるのではない。こんなに簡単なのであれば、リンチェンドルジェ・リンポチェもこんなに苦労して修法する必要はないだろう。よって、今日は先ず最初に本尊を勧請し、次に七支分の供養を行い、その後迴向し、あなた方に未来で修行する種を植えさせる。経典に説かれている事は、絶対に文字面から解釈することはできない。現在見られるお経に用いられている字はこんなに簡潔なのか?あなた方はちょっと前にテレビで放送されていた時代劇を見て、劇中の人物が用いる言葉はとても簡潔だと感じたことだろう。それは、唐朝以前の人の話す方式はまるでお経上に用いられる文字の如くであったので、当時、お経の内容を訳す際に使用されたのもその時代に通常使用された言語だったからだ。

古代人がお経上の「一歴耳根,永為道種」を見たら、如何に修行すれば道の種となり得るのかと更に深く思惟したことだろう。困難に出遭った時も上師に伺いをたてる。だが現代人はこの二句を見た時に、深く考えもせず、聴いた後に種に成ると考える。現代人の習慣は思維しないことだ。ただパソコンを開いて何か情報があることを望み、一般常識さえもない。覚えない、学ばない、思維しない。現在の子供は人の話を聞く時、いつもこっちの耳から入って別の耳から出て行く。彼らに何かを聞いても、通常の答えは「知らない」だ。彼らは既に随時iPhone、iPadで検索する習慣を培っていて、さもなくば、パソコンを開いてネットで検索する。現代人は生活は科学的だと感じるが、実は全く科学を知らない。科学よりも更に進歩している仏法を学ぶこともあり得ない。現代人は電子機器に依頼する習慣を身につけ、学生或いは会社の職員に限らず、仕事する際には他人に詳細を非常にはっきりと言わせようとする。自分の脳でどうしたらよいのかを考えようとしない。仏法でさえ、パソコンで検索できる。一つの名詞を入力すれば説明を見ることができる。だが、説明だけで、どうやって修するかは分からない。なぜ現代人はお経に対してこんなに多くの誤解を生じさせるのか?それもまた科学技術の発達が招いた禍である。お経上に書かれている簡単な概要は、只、大きな標題であるだけであるから、内容は思維し、修しなければならない。もし難関に出遭ったら、上師に意見を求めるべきである。自分勝手な解釈をしてはならない。だから、パソコンがある事は人類にとって良い事ではなさそうだ。

本日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に禅定の灌頂を授ける。あなた方は今日禅定の灌頂を受けたからといって、帰宅したら自分で家で禅定を修することができると思ってはならない。今日は単に、あなた方と禅定の本尊とを結縁させるだけであるので、法会に参加した功徳を迴向しなければならない。迴向は自分の為ではなく、法界一切衆生が皆仏法を修習する機会を持て、悟りを開いて成仏する事を願う為にある。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方に特定の対象に迴向せずに菩提に迴向するよう教えている。今日はあなた方に禅定の灌頂を授け、仕事の準備をさせ、迴向する功徳が開悟の種となるよう願う。すぐに開悟はできないが、自分が数年座ったら、自分が長時間動かずに座っていられたら、よく修することができたと思ってはならない。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、列席者に身体をまっすぐに伸ばしてきちんと座るよう指示し、短い禅定を行なった。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師供養法を続けて修法し、暫く修法した後に茶の供養の儀軌を行い、供物を配る指示を出した。列席者には仏菩薩と共同で供物を受用する得難い機会が与えられ、皆のために善の因縁が作られた。

続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く、20分間休んでから法会を再開すると指示し、列席者は恭しく起立してリンチェンドルジェ・リンポチェが法座から下りられるのを待った。休憩後、リンチェンドルジェ・リンポチェは再び法座に上がられ、殊勝な上師供養法を主催された。その後、「供飯文」「八供女献唱」等の儀軌を行い、列席者に貴重な仏法の説法が与えられた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは上師供養法を修法し、あなた方が清らかに仏法を学ぶ心が得られ、次の一年において仏法を学ぶ際の障碍を取り除くよう助ける。法会前に分かち合った弟子は、自分は嘗て沢山の灌頂を受けたが、修することができなかったと語った。だが、彼は嘗てそんなに多くの灌頂を受け、少しの福徳を累積したので、今日は因縁が熟し、リンチェンドルジェ・リンポチェの下で皈依することができた。リンチェンドルジェ・リンポチェは金剛乗を修し、業の重い衆生を済度することが専門だ。あなた方の多くの者も他の場所で沢山のお金を寄付し、お金もほとんど使ってしまっている。何かが起きたら解決できない。よって、仏菩薩はあなたをここに送って来た。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェも格別苦労する。供養を間違ったということはない。皆は以前、法師に供養する際、法師があなたに一言言うのを聞いたことだろう。「仏菩薩を代表してあなたの供養を受ける」。ただ相手があなたにこの言葉を言ったなら、あなたの供養は役立つ。仏菩薩はあなた方に借りを作ることはないからだ。仏法はもし上師の伝授がないなら、ただ自分がテレビをつけさえすれば学べると思う。実際には役に立たない。禅宗の根本経典には『金剛経』『楞厳経』『楞伽経』の三部がある。この三部を離れたなら、禅宗を修しているのではない。最近テレビで、自分は禅宗第何代だと言い、皆に身体上の各所に輪があり光を放っていると言っている者がいるが、これは仏法ではない。あなた方は好奇心を持ってはならない。絶対にこれに基づいて学ばないように。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、あなた方の為に二日間の修法をし、あなた方に沢山の福徳を稼がせたと説かれた。お正月前には「点灯」の意義と利益について説かれた。今日の法会には点灯があったのではないか?あなた方も慌ててあちこちに行って点灯する必要はないだろう。あなた方が自ら点したのではないが、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆を代表して点すのは、あなた方が自ら点すよりも功徳が大きい。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方を他の寺院に行かせないのではない。ただ、あなた方は直貢噶舉派に皈依したのだから、仏法を学ぶことを一心にやるべきであり、まだ成就を得る前にあちこち行くのは不適当である。このようではあなた方の心は散乱して修行が難しくなる。

リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法を学ぶ道は非常に単純だ。顕教を学んでいた時はただ一人の皈依師に師事し、チベット仏教では尊き直貢チェ・ツァン法王に皈依した。密法を学び始めてから、数人の上師がリンチェンドルジェ・リンポチェに法を伝えたが、これは単に法縁である。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェ・ツァン法王に皈依した後、ある期間、直貢チェ・ツァン法王が台湾にいなかったため、リンチェンドルジェ・リンポチェはサキャ派のニンマパ上師の法会に参加したことがあったが、不共の四加行の最後の階段で上師相応法まで修した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊き直貢チェ・ツァン法王に口伝してもらう事を決意をした。あなた方は今日、縁があってここに来た。仏法を学ぶ心も単純で一心であるべきだ。複雑になってはならない。

なぜ、先ほど分かち合いをした弟子は沢山の灌頂を受けたが修することができなかったのか?それは、灌頂には結縁の灌頂と修行の灌頂があり、多くの灌頂は結縁の灌頂であるからだ。灌頂は、あなたがこの法を修する権利を上師が授けるものだ。今日の禅定の灌頂は、多くの儀軌を比較的必要としない。禅定したばかりの時、皆がすこしの間静かに座る。実のところ、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に観想を通して、あなた方のために多くを修法しているが、これは密法であるので、あなた方に告げることはできない。もし本日の法を伝える上師の禅定が不十分であったら、この灌頂はただ唱えただけになる。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方のために修法し、あなた方のために善縁を結び、仏法を学ぶ因を植えてくれる。あなた方は、今日法会に参加した後には、一人の好漢になれると思ってはならない。話を聞く決意をしてこそ、今世を無駄に浪費することはない。如何なる自分の考えで仏法を学んではならない。或いは、仏法に対して懐疑心を持ち、抵抗する念頭を持ってはならない。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが名聞利養のために仏法を弘揚しようとするなら、この二日の修法だけで、あなた方一人ずつから10万元受け取っても取り過ぎることはない!

法に基づいて修行する弟子が仏法を学ぼうとするなら、上師は必ず伝える。だが、もしあなた方が学びたくないなら、上師も法を伝えることはない。既に皈依した弟子、或いは未皈依の信者にかかわらず、仏法を学ぶ事は参拝や庇護を求める事だという観念を捨て去りなさい。参拝なら何処でもできる。あなた方が行くだけで彼らは喜ぶ。お寺によってはお払いをしてくれる所もある。こういう所はあなた方に修行させることはないので、行っても良い。仏法は、あなた方の生活の中の種々の間違った心を変化させなければならない。逆境であれ、順境であれ、仏法を学ぶ者は、仏法に背いて生活してはならない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今世で多くの苦難に遭遇した。だが、累世の善根によって凶を吉に変える事ができた。本日、皆は寶吉祥仏法センターに来てリンチェンドルジェ・リンポチェの下で皈依をした。これは実に、あなた方の大きな福徳である。階下にあと100人余りが並んでいる。彼らは法会に参加することはできない。あなた方には今世でこんなにも得難い因縁があったのだから十分に把握しなさい。あなた方が完全に敬って話を聞くことができたのなら、即刻、その状況に入る事ができる。完全にあなた方の一念の差だ。毎回の法会は、あなた方が未来に仏法を学ぶ際に非常に大きな助けとなる。あなた方は自分にどんな利益があるのかを知ることはないかもしれないが、必ず助けられている。

リンチェンドルジェ・リンポチェは既に66歲を迎えた。衆生のために全心全霊を尽くして修法する。苦労があっても、し続ける。どの位長くできるかは分からないので、皆には十分に大切にしてもらいたい。仏法聞き難し、上師遇い難し。小さな女の子が「春聯」をリンチェンドルジェ・リンポチェに捧げた。リンチェンドルジェ・リンポチェは喜んで受け取った。子供の供養の心は無邪気で、求める物がない。ただ自分が思う最も良い物を供養したいと思う。リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなにも沢山の仏法を教え、こんなにも沢山の説法をしたが、皆はやはり聞き入れない。自分がどうやって修したらよいのか分からない。リンチェンドルジェ・リンポチェをじっと見て、上師の心中にあなただけがいて、他の人がいないことを望む。あなた方はそんな事をしなくてもよい。リンチェンドルジェ・リンポチェの心中にあなた一人しかおらず、その他の衆生がいないはずがあろうか?本当にそうであるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはもうリンポチェではない。

最近あなた方はリンチェンドルジェ・リンポチェにあまり手紙を書く必要がなくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは沢山の文書を見て、沢山のメールの回答をしなければならない。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアを込めて言った。自分の視力が最近衰えた。眼科に行かなければならないだろう。詩をリンチェンドルジェ・リンポチェに送らなくてよい。最近、ある者がリンチェンドルジェ・リンポチェに「いかにしたら明心見性に至るのか?どうやって自分の主人に仏法を学ばせて共に学ぶ仲間となったらよいのか?」とメールして来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは、自分の主人にさえも執着を手放せないのに、さらに明心見性?今迄ずっと、ただ教派と関係があるもの、直貢チェ・ツァン法王と関係あるものだけであったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェ・ツァン法王に、その他の事を自分で処理してよいかと伺いを立てた。

この二日間の法会において、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために多くの福徳を累積した。密法を学んだことのある人なら、リンチェンドルジェ・リンポチェがあなた方のために何をしているかを知っている。2013年、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に忙しい。リンチェンドルジェ・リンポチェは今は何が忙しいのか分からないが、自分は今年とても忙しいという事だけを知っている。リンチェンドルジェ・リンポチェはこんなに多くの仏法を説き、あなた方のためにこんなに多くの法を修し、こんなに多くの法を伝えた。あなた方は、どうやって自分の世話をしたら良いのかを理解したはずだ。もしあなた方が依然として如何なる事もリンチェンドルジェ・リンポチェにお願いするのなら、あなた方は仏法を聞いていないことになる。仏法を学ぶ際の心の状態を修正しておらず、リンチェンドルジェ・リンポチェに対する信心がないことになる。リンチェンドルジェ・リンポチェに慈悲がないのではなく、あなた方がリンチェンドルジェ・リンポチェに対して慈悲深くならなくてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェに対して十分な信心を持てば、逝く時、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ずあなたを助ける。

リンチェンドルジェ・リンポチェは人の脅威を恐れない。自分が病気になって死にそうになった時に、リンチェンドルジェ・リンポチェに彼の欲望を満たしてくれるよう強く求める者がよくいる。本当に死んだら、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の済度を手伝う。リンチェンドルジェ・リンポチェの仕事は済度だ。なぜなら、生死は修行者にとって非常に簡単なことであり、人生には必ず発生する事で、肉体があるなら必ず死ぬ。あなた方はリンチェンドルジェ・リンポチェに向かってあなたが無常や死亡を受け入れないことについて不満を言う。今日、一人の上師がこんなにも沢山の時間を割いてあなた方のために説法し修法した。あなた方が受け入れないのなら仕方がない。あなた方は上師を恭敬しなければならない。恭敬するという事は話を聞き、身体で実行し、それができたら本当に話を聞いたことになる。口で言っているのではない。あなた方が今、ほんの少しの苦しみを受けるのはどれ程のことなのか?考えてごらんなさい。あなた方が殺生した時に衆生が受けた苦しみを!あなたの苦しみは地獄の衆生の苦しみと比較したら全く数に入らないものだ!業力こそが苦しい。あなた方に苦しみがあるなら、修行にも力が得られる。苦しみがなかったら修行は不可能だ。

今日は旧暦の正月の二日だ。リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方と家族を離れさせて法会に参加させたが、この二日で皆も沢山の福徳が得られた。2013年は非常に忙しく複雑な一年になるだろう。全世界の形勢の変化は、あなた方が想像できるものではない。あなた方は統治者が悪いと責めてはならない。これは皆の共業だ。現在皆は台湾にいるが、一日中あの政治を論じる番組を見て、弁の立つ者やメディアに扇動されて政府が無能であると罵り続ける必要はない。政府がうまくやってもやらなくても、少なくとも私達を「安居楽業」させてくれる。あなたに福徳があればここに生まれることはない。しかも、あなたに能力があって実行できたことだけを人に話す資格ができる。あなたに能力がなく実行できなかった事を批判してはならない。統治者がうまくやるかやらないかは、因果、因縁と関係がある。少なくとも汚職がないこと!汚職罪は最も重い。身内の汚職は関係ないと思ってはならない。この様に分けて対応しなくてもよい。汚職の果報はどのようであろうか?自然に全身が不快感を感じるだろう。もしある人が心で納得せず、望まないのに人にお金をあげたとしたら、彼の心には怨念はないだろうか?

少なくとも台湾にはまだ統治者がいる。もしあなた方が統治者が悪いと嫌うのなら、あなた方はそれに代わって自分が統治者になったらどうなのか?イラクを例にとると、数年前、統治政権が悪いと政権が倒された後、現在に至るまで統治する政府がなく、国民全体はやはり苦しみを受けている。以前政府があった時は悪かったが、少なくとも人民はまだ生活ができた。台湾はもっと悪くなったとしても、その他の多くの国より良いだろう。少なくともその他の場所よりは悲惨ではない。あなた方がこの土地の上で生活できるのは非常に福徳がある。台湾では仏法を学ぶ事は非常に自由で、仏法は盛んであり、ここ数年は深刻な災害、戦争、革命、謀反もない。深刻な伝染病もない。

他人が景気が悪いと言うのを聞かなくてよい。物価は高騰し続け、他人と一緒になって政府を罵る。元々良かったのに、あなた方に罵られ続けて悪くなった。以前、地球の人口は30億であったが、現在では60億になった。物価は元々高騰するものだ。ニーズが高まると価格は必ず上がる。物が益々高くなるのは正常だ。生活できれば良い。悪化していないことは良い事だ。欧州、米国は現在不景気である。リンチェンドルジェ・リンポチェの会社が欧州人を募集した際、インターネットに募集広告を流したら、すぐに十数名の欧州人、米国人が履歴書を送ってきた。現在、大陸で多くの欧州人がアルバイトをしている。欧州人、米国人の生活がいいと思わなくてよい。現在、欧州人、米国人の生活状況も以前とは異なる。

私達がこの土地に生まれ、望んでいることはただ「安居楽業」だ。即ち、安定した生活である。リンチェンドルジェ・リンポチェは誰かの為に話をしているのではなく、因果因縁の角度からみている。もし、あなたが因果因縁の角度から物事をみるのであれば、まだ怒り、怨むことがあろうか?もしあなたに福徳があるなら、自然に良い場所に生まれる。だから、二度と怒ってはならない!仏法を学ぶ者は、他人の問題を見るのではなく、自分を改めなければならない。本日、一千余りの人が法会に参加した。各人が10人に影響を与え、この10人がさらに別の10人に影響を与えたら、この数字は価値ある数となり、社会は徐々に和気藹々となるだろう。

悲観的になりすぎて消費しないことは不必要だ。現在は農業社会、工業社会でなく、商業社会である。皆が消費しないなら、多くの店は潰れてしまう。消費してこそ皆には仕事ができ、社会を前進させられる。皆は景気が悪いというが、昨年、台湾地区の銀行貯金総額は増加していた。郵便局の保険を購入する人も徐々に増えている。これは実際には心の問題だ。多くの事は心のあり様に関する。あなた方は能弁な専門家に影響されるが、リンチェンドルジェ・リンポチェには影響されない。沢山の人が騙されている。毎日、政治番組を見なくて良い。能弁な専門家はテレビに出てお金を受け取れるが、あなた方はお金をもらわずに盲目的に彼らにくっついて行って踊らされる。多くの者はテレビを見たら影響を受けて、労働保険の退職金を引き出し、現在は後悔している。

あなた方はずっと不景気だと言っているが、沢山言うとあなたの念力になる。台湾は福のある土地だ。皆はこの土地を大切にしなければならない。こっちを見ては気に入らない、あっちを見ては気に入らないと、罵ってばかりではいけない。本当にそうならば移民すればよい!この二日間、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた方の為にこんなに多くの法を修法した。あなた方の心を落ち着かせ、人に踊らされる事のないようにし、自分が過ごせる日々を大切にしなさい。恋愛については、リンチェンドルジェ・リンポチェは意見は言わない。全てあなた方の因縁であるだけだ。縁に随って日を過ごし、自分の縁に随って仕事をしなさい。あなた方が努力して目標を達成しようとするのはとても良い事だ。だが、結果に執着してはならない。あなた方が本当に決意をして仏法を学ぼうとするなら、時間を引き延ばしてはならない。リンチェンドルジェ・リンポチェは1981年に台湾に来たが、一年一年が非常に早く過ぎていった。時の経つのは早い。皆も最後にはリンチェンドルジェ・リンポチェと同じようにお爺さんになる。

本日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆のために、黒水財神法と大象財神法、上師供養法を修法した。それは全て、皆が福徳を累積できる法だ。だから、それらは自分には不要だと思った者は実際に後悔するだろう。今日、あなた方は帰宅したら、リンチェンドルジェ・リンポチェの説法を考えなさい。あなた方が説法について考える時、自分がリンチェンドルジェ・リンポチェの説かれた仏法を実行できるかを考えるのではなく、自分の思惟方式が仏法に近づいているかどうか、又は仏法に背くかどうかを考えなくてはならない。お経の中に説かれているが、仏が仏法を説く時、いつも「諦聴、諦聴」と言う。「諦聴」とはどういう意味か?最高の恭敬心をもって一心に聴くことである。仏法は言語の精髄であり、全世界中の至宝である。この二日間、リンチェンドルジェ・リンポチェが皆のために説いた仏法は、あなた方の未来に十分助けとなり、皆はこれによって自分の心をコントロールできるようになるだろう。あなた方の心が彷徨い、憂慮する時、この二日間、あなた方のためにリンチェンドルジェ・リンポチェが説いた内容をよく思惟しなさい。あなた方が一年をよく過ごすことができるよう願う。

法会は円満終了し、列席者は起立して、法座から下りられる尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを恭しく見送り、本日皆のために殊勝な黒水財神、大象財神、上師供養法を修法して下さった尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに声を揃えて感謝した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法を弘め衆生を利益するために、自身の功徳と福徳を費やし、密法で成就した大能力によって衆生のために修法及び説法をされた。列席者は敬意をもって尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの広大な恩沢を浴した。また、上師が、輪廻の苦しみから離れられるよう衆生を救済し、自分の生死を顧みずに、自分を全く考えずに、苦労して修法された事を深く理解し、衆生に諄々と教えを授ける上師の深い愛護の心を、列席者は皆、心から何度も感謝した!

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2013 年 06 月 08 日 更新