尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年1月27日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台北寶吉祥仏法センターに於いて、プルバ金剛法会を主催した。

先ず、一人の皈依女性弟子が前に進み出て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の父を救ったいきさつを披露した。彼女自身、母及び姉すべてが皈依弟子である。

女性弟子と母、姉は、2006年から毎年尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが主催する大法会に参加した。2007年法会が終わった後、姉と女性弟子は菜食を始め、宝石店で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェから仏を学ぶことを望んだ。当時、女性弟子は恭敬心が足らず、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに大加持を行なって頂き、更に信心も足りなかったので、施身法法会に参加し続けなくて、仏を学ぶ因縁を結ぶのが遅れてしまった。

女性弟子の父は、2006年頃にはすでに認知症の症状が表れていたが、当時、家族にはその認識がなかったため、単に気性が悪くなり、疑い深くなったとしか考えていなかった。更に父は医者にかかることを嫌ったため、家族は大きな悩みを抱え、母の苦労を感じながらも手伝うことができずにいた。2010年、女性弟子の姉は、母と彼女を伴い、道場に来て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を望んだ。そして尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに対して父の健康が勝れないため、母が非常に苦労しているので、姉と彼女はリンポチェに大きな加持をしていただいた。娘でありながら母と共に悩みを分け合うことをわかっておらず、それが母を更に苦しめている、母は観世音菩薩を拝んでいて、観世音菩薩が彼女らを尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに会わせるように導いたのだと、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女らに開示した。同時に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の母のために慈悲を持って加持を行い、彼女らに母の体をいたわるように言いつけた。

当時、姉と彼女は、冷や汗が出るほどの対応であった。彼女らは仕事を言い訳にして家族の問題を考えることが非常に少なく、いつも自分のやり方を押し付ける方法で、両親に対し、自分は親孝行だと思っていた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに加持をしていただいてから、医者に診てもらうことを拒んでいた父は病院へ行って検査をし、医者は認知症と診断し、治療を始めることになった。

2010年8月、父は薬の量を間違え、集中治療室に移送された。女性弟子は、会社で姉からの電話を受け、医師がすでに危篤通知書を発行したことを知った。父は全身をチューブで繋がれていた。当時、彼女と姉はすでに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに施身法法会に参加することを求めていた。金曜日に、彼女らは施身法法会に参加した。生死は一生の大事であることは知っていたが、それをどのように対処すればいいのかわからないでいた。施身法法会が終了した後、彼女らは兄弟子に電話をかけ、父の状況に対してどのように対処すればいいのかを相談した。兄弟子は彼女らに二日目に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに面会し、甘露丸を頂いて父の舌下にそれを置くように彼女らに伝えた。

二日目、女性弟子の母、姉と彼女は道場へ行って尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、父のために慈悲深く加持をした後、父の寿命はまだ尽きていないため、まだ苦しみを受けなければならないと開示した。その後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示のとおり、父は三週間後に集中治療室を離れたが、ベッドに寝たままであった。女性弟子の母、姉と彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに日曜日の法会に参加できるようにお願いし、三人とも同時に皈依を望み、その後、2011年1月16日、正式に皈依して弟子となった。

2011年、彼女ら三人は、弟と父を連れて初めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深く父を加持し、彼女と姉に父のために大礼拝をさせた。その後、彼女らは道場で兄弟子が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにポア法を求めているのを見て、父にもポア法を行なって欲しいと願い、そのために再び弟と父を伴って道場へ赴き、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにポア法をお願いした。しかし、彼らの心は間違っていた。それで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの面前で大加持を行われた。二日目の日曜日法会に於いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは特別にこのように開示した。根機が悪い者は聞かなければならない。自分の考えで仏を学び私を持ち上げるだけでどうして恭敬心が養われるものだろうか?

道場の兄弟子は彼らと分かち合う。チベットに於いて、全財産を大修行者に供養として差し出したものでさえ、非常に貴重で殊勝なポア法を求め得る事ができるとは限らない。因縁福報が無ければポア法を得ることはできない。彼女は父の一生を回想してみると、父は幸せを享受する日々が多く、布施の機会が少なかった。また子どもたちも父に代わって十分な福報を積むことがなかった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに依る加持後、彼女らは心から深く懺悔した。

彼女の父は、幼少時代裕福な家庭に育った。彼女の祖父は上海でレストラン投資を含む商売をしており、多くの衆生を殺生したため、家族には心臓関係の病気が非常に多かった。彼女の父は、1947年に台湾に来たが、小さい頃から優雅な生活をしているので、収入は以前よりずっと下がったものの、相変わらず享楽、美食を好み、家には来客が多く、殺生も多かった。子供の頃、彼女の父はどじょう豆腐を彼女らに食べさせた。生きたままのどじょうを鍋に入れると、どじょうが熱さから逃れるために豆腐の中に潜り込み、そのまま煮込んでしまうという料理である。彼女の父は嘗て公金を流用し、仏法を信じず、必要がある時には、母に法事をさせていた。

その後、彼女の父は意識がはっきりしなくなり、再び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した時、彼らは懺悔心を持ち、ポア法を求めず、ただ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに父が日曜日の法会に参加できるように祈った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはそれには応えず、ただ慈悲深く父のために加持を行った。それからすぐに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは父は農暦11月前に危ないだろうが、全ては自然にまかせ、父を苦しませないようとおっしゃった。

昨年(2012)12月8日夕方6時に弟から電話があり、父が亡くなったと彼女に言った。家族ではすでに話し合いができていたため、救急を呼ばず病院へも連れて行かなかった。彼女は弟に早く父のために読経をするように言った。その日は土曜日で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは信者に謁見する。それで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りる前に到着できるよう、彼女は母と姉に急いで道場へ来るように連絡した。出かける前、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの写真の前で両手で合掌し、心のなかで彼女らを待っていて下さるよう、リンチェンドルジェ・リンポチェに祈った。彼女が到着した時、母と姉もちょうど到着したところだった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは父がすでに往生したことを知っていて、彼女に何を求めているのかを尋ねられた。彼女は心では父のためにポア法を強く求めたいが、どのように口に出せばいいのかわからないので、ただ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに父のために済度を求めた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが入定すると、彼らに父の体が動かされ、神識が乱れているとおっしゃり、更に父の枕が悪いので、父は気分が悪いと伝えた。彼女は以前に家族と臨終時に注意することを話し合っておかなかったので父の神識が乱れてしまったのだと懺悔した。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは父の神識を慈悲深く保護し、彼女らに施身法法会で父のために済度するように言いつけた。

急いで家に帰った後、彼らは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが父の頭上で父を加持していると観想した。一家揃って父のために呪文を唱えた。元々、父の顔色はやや黒く、口は開いていたが、呪文を唱えて8時間後、顔色は白くなり、口はゆっくりと閉じてきて体も柔らかくなった。次の土曜日、彼らは一家で道場へ赴き、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに父の告別式の日について尋ねた。二日目、彼らが冷凍された父を見に行った時、他の頭上には一片のピンク色が現れ、両目の下にはそれぞれ黒い印が記されていた。24日に火葬されると父の骨は非常に白く、いくつかの骨はピンク色になっていた。27日の海への散骨の日、弟が粉骨を海に撒いた時、彼らの心には悲痛な気持ちはなく、ただ父への懐かしさがあるだけだった。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感恩した。もしも、上師の加持がなかったら、彼女の父はこんなにも良く逝くことができなっただろう。彼女の父はベッドで二年間寝たきりになった。彼らは良い外国人介護者を雇い、外国人介護者のことで心を痛めることがなかった。彼女の父は往生前、外国人介護者がちょうど、痰を吐き出させ、体を清めた時、父はコトリと咳をして逝った。その上、その日に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受けることができた。リンチェンドルジェ・リンポチェが指定した告別式の日は、天気が非常に良く、天気予報では非常に寒い日ということだったが、太陽が顔を出した。告別式の時、寶吉祥赤ベストを着た金剛兄弟子を見かけ、彼女の心は更に温かくなった。もしも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがいなかったら、彼らは父の人生最後の道のりをどのように助けて上げればよいのか本当にわからなかった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと佛菩薩の導きは本当に不思議なことである。同時に、彼女は道場金剛兄弟子の助けを感謝している。

「人身は得難く,佛法は聞き難く、上師は会い難い。」ということを彼女は深く体得した。弟子たちは身体を得た幸せがあり、また何としても佛法を聞く幸せがあり、そして今生の最大の福報は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに出会うことができたということである。リンチェンドルジェ・リンポチェは、弟子たちから悪を断って善に向かわせるよう導き、仏に専心する他に、弟子たちの身内を保護し、加持を行い、そのために弟子たちに専心して仏を学ばせる。彼女は日頃の自分の仏を学ぶことに心がこもっていないことを懺悔し、怠惰の言い訳をし、常に自分の考えで佛法を聞き、毎日《佛子行37頌》に基づく修持を行わず、戒律を守り、十善法を修め、悪を断つことができずにいた。彼女は上師に対しての懺悔を自覚し、更に上師に根機が低劣な弟子たちに引き続き加持を行うことを請い、彼女は来世永劫尊きリンチェンドルジェ・リンポチェについて学び佛法を修め、いつか生死輪廻から解脱することを願っている。最後に彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体安康、法輪常転、佛法事業円満、一切有情衆生を利益することを祝福した。

続いて幼少の兄弟子からの話を共有する。彼と母(どちらも皈依弟子)は、今年(2013年)1月3日の日本寶吉祥仏法センターで開催された地藏菩薩祈福法会に参加した時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持を受けた。

当日、法会は午後二時から始まった。彼はレストランで昼食を取った後、用を足し、この後始まる法会前にはトイレに行かなくても良いと思った。が、その結果、法会が始まって一時間も経たずにトイレに行きたくなった。彼は「おしっこがしたいのだけど、どうしよう?」と母に言った。母は「がまんして。」と言った。そしてずっと我慢し、我慢し、母は彼がもう我慢できないことを見て取り、「我慢できないなら、リンポチェにお辞儀をしてからトイレに行きなさい。」と言った。

しかし、彼はそれができず、まだ我慢をし続けた。そして、最後には泣きだした。母は、「それなら心のなかでリンポチェに懺悔しなさい。」と言った。彼は心のなかでリンチェンドルジェ・リンポチェに「リンポチェ、私をおしっこに行かせてください。」と言った。一、二分後、リンチェンドルジェ・リンポチェは突如法座から「今、何時ですか?」と尋ねた。兄弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに報告すると、リンチェンドルジェ・リンポチェは「20分休憩する。」と言った。リンチェンドルジェ・リンポチェが法座から離れるのを待って、彼は大急ぎでトイレに駆け込み、用を足した後、「リンポチェはすごい!法座から説法をしている時に、僕がリンポチェを求める声も聞こえたんだ!」と母に言った。

今回のことで、彼は自分がいつも独りよがりであり、母の言うことを聞かなかったために起こったことで、母の言うとおりにトイレにいっておけば、このようなことは起こらなかったことを知った。彼は母の話を聞いて法会前に先にトイレに行くことが、リンチェンドルジェ・リンポチェ開示をしっかりと聞く準備ができること知り、以後、彼は母の言いつけを聞くようになった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、殊勝なプルバ金剛法会を主法し、法会に参加した大衆に貴重な佛法を開示して与えた。

本日修めるプルバ金剛は金剛薩埵の忿怒尊である。密続の中で衆生を利益する法門には四種に分けられ、息、增、懷、誅がある。息法はすべての災難、障害及び病気を沈めることができる。增法は財産、権力、世の中のすべてを増やす。懷法は懷柔であり、もしも戦争の発生、敵または累世すべての悪業が目の前に現れたなら、懷法を修めることで事情を変化させることができる。誅法は敵を殺す。本日修めるところの忿怒尊は誅法に属し、顯教は密教に忿怒尊があることに対して誤解を生み、誅法が殺す方法を用いることから無慈悲だと考える。また多くの信者がその意味を理解できない。佛菩薩が怒っていると考える。その実、顯教にも忿怒尊があり、あなた達の多くは顯教の水陸大法会に参加したことがあるはずで、内壇には一尊焦面大士がいて、それは観世音菩薩の化身であり、専門は鬼道を度して、面容は凶暴で非常に怖い。《観世音菩薩普門品》の中で,佛菩薩はいろいろ異なる衆生を済度するために、衆生と同類の相に化身して彼らを済度する。衆生が鬼、非人、妖怪に生まれ変わった時、佛菩薩も鬼や妖怪の相になることで、彼らも話を聞くようになる。焦面大士は鬼衆を済度するため、助けたい衆生と同じ相に化身しなければならない。佛菩薩は衆生の縁により異なる相で現れ、人を救う時には人の様相になり、鬼を済度する時には慈祥の相にはならない。同じく釋迦牟尼佛は累世で孔雀王、鹿王、ゴリラと熊等動物身に転生したことがあり、それはこれらの衆生を済度するためである。

密教には金剛部があり、「金剛」は即ち壊れないことで、世間八法によって衆生を利益することに影響を与えないことを指す。忿怒尊を修めるには凶暴になればよいというものではなく、世の中で密教を学ぶことが流行っているが、忿怒尊のまじないの言葉を学習するか、もしくは閉関で忿怒尊を修め、忿怒尊が非常に優れていると感じる。しかしながら、もしも修法者が慈悲心を修めずに忿怒尊を学ぶと、それは非常に危険であり、衆生を利益するか、傷つけるかは紙一重の差になる。多くの人は、忿怒尊を修めると敵を追い払うことができると思っているが、その実忿怒尊は主にあなた達を含み、話しても聞かない人に見せるのである。忿怒尊は見かけは凶暴であるが、中身は慈悲深い。まるで小さな子どもにしつける時の父母のようでああり、初めは顔だちは穏やかであるが、そのうちに子供が言うことを聞かなくなると、父母は忿怒の相に化身し、子供は怖いので、言うことを聞くようになる。忿怒尊もそれと同じであり、怒っているのではなく、あなた達はそのようにするから言うことを聞いて間違いを改めるのである。

昨日或ることがいくつか起こったのだが、それは、因果応報は非常に早くやってくるということを理解しやすいことだと思う。一人の弟子の母は或る日法会に申込ながら無断欠席した。昨日やって来てリンチェンドルジェ・リンポチェに引き続き法会に参加させて欲しいと請った。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に欠席の訳を尋ねなかったが、彼女が法会に参加するのは、単に仏の加護を求めているだけで、仏を学ぼうとは思ってない。そこで彼女に他の佛寺を紹介するよう出家弟子に指示した。後日、出家弟子が知らせを持ってきた。先日の女性信徒は麻雀をしていて法会に来られなかったという。麻雀が重要か?それとも法会に参加することが重要か?リンチェンドルジェ・リンポチェから見ると、それはもちろん、法会に参加することのほうが重要である。しかし、この信徒はそうは思わなかった。寶吉祥仏法センターは真の修行の道場であるため、もしもお参りをして、加護を求めるだけならば、リンチェンドルジェ・リンポチェは出家弟子に言いつけてあなた達に他の所を紹介させることだろう。そういうところでは、あなた達は修行をする必要はないし、あなたが行けばいいだけであるから。

更に、或る夫婦と母が、昨日リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見を求めてきた。前回の綠度母法会の時間が午前に繰り上がったのだが、不思議なことに彼らは時間が変更されたことを知らず、法会に参加できなかった。一千人余りの参加者がいて、彼らだけが時間の変更を知らなかった。そしてなぜ法会の時間が変更されたことを彼が知らなかったのか、その理由がわからずにいる。その妻は初めの頃、皈依した夫が仏を学ぶことに反対し、夫が供養することを止めさせた。この事を男性弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェには報告しなかったが、リンチェンドルジェ・リンポチェはすべてを知っていた。そして、その場で彼らにそのことの因果を開示した。その他、彼の母も嘗て人に仏を学ぶことを妨害したことがあるのを話したことがあったので、彼女も法会に参加するのを妨害されたのだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは一人の出家弟子に答えるよう指示した。綠度母を修めるのは何のためか?出家弟子は、綠度母は修法者に痛み等々仏を学ぶ障害を消すことを祈るためであると答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示した。だから因果応報は思ったよりもずっと早いのだ。来世を待つことなく、この世で応報を見ることになる。

その他、最近或る一件が起こった。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て何度も開示した。リンチェンドルジェ・リンポチェがポア法を修めることを了承しても,亡者がもしも福報因縁を備えていなかったら、往生した時にリンチェンドルジェ・リンポチェが彼のために修法していることができない。或る弟子の岳父は,リンチェンドルジェ・リンポチェからポア法を修めるのを承諾されたが、往生した時、朝の6時過ぎだったため、彼らはどのように対応すれば良いかわからず、連絡を請け負った弟子は10時過ぎにこの事を知った。そしてその時、リンチェンドルジェ・リンポチェは飛行機の上にいて、連絡することができなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは、個人のチャータ便に乗っているのではないので、どうやってリンチェンドルジェ・リンポチェに連絡して彼の岳父のために修法できるというか?この事からも分かるとおり、彼の岳父は福報因縁を備えていなかった。この弟子はポア法を求めれば必ずリンチェンドルジェ・リンポチェを見つけられると思っていたが、彼の岳父に代わって副報を貯めていなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、毎日1200回の大礼拝を行うことが父の往生時の障害を取り除くと、この弟子の妻に開示していた。彼ら夫婦は、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ話しただけだと思っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは常にあなた達に開示している。《阿彌陀経》では浄土に往生するのには、福德因縁をたくさん積んだ善男、善女ではなければならないと言っている。しかしながら、浄土に往生するのにはこれらの条件が必ず合わなければならないことをあなた達は信じない。

各人はみな人の話を聞かず、一生懸命に修行をしない、それなのにどうして福報が来ると思うのか?今朝早くに、弟子から電話がかかって来た。そして90余歳の母にポア法を求めた。何と電話で法を求めると言うのか!?あなた達は多くの人がポア法を求めていただいたから、そして当然のように自分もそれを得られると思っているのか?あなた達はどんな善事をしてきたというのか?どのような福德因縁を積んできたのか?なぜ自分はポア法を得られると思うのか?岳父が往生した弟子は嘗て上師に対して事細かに計算していた。あなた達は毎日アチ護法を祈れば、得られると思っているが、アチ護法はリンチェンドルジェ・リンポチェが伝授したもので、あなた達は上師の開示に対して自分の考えを持っている。なぜアチ護法があなたを護るのか?あなた達はただ念仏を唱え、礼拝をするだけで加護があると思っているが、各仏典の中には仏を学ぶ人が佛菩薩、上師と善神の助けを必要としていて仏を学ぶ心が強くなるが、条件は修法者本人が十善法、福報、素直に聞くことを修めて初めて得ることができ、あなた達がただ礼拝をするだけで加護があるわけではないのである。それはまるで麻雀のために法会に参加しなかった信徒のようで、その人は絶対に佛菩薩の加護はない。その信徒はその日、麻雀をしていて法会に来なかった。麻雀は最後まで負けるか勝つかとなるのである。もしも最後まで負ければ彼女は当然そこを離れたくはない。もしも勝てば、みんなは彼女に席を立たせたくない。

あなた達は、構わない、佛菩薩は慈悲を持って私を許してくれるといつも考える。あなた達は自分が正しい、十分にしている、よく話を聞いていると思っていて、問題が自分の頭にぶつかるとやっと自分が間違っていたことを知る。法会の時間が変更したのを知らなかった三人のように、自分は普段非常に信仰心があついと思っている。しかし、果報はすぐに現実になって現れ、彼らは法会に来ることができず、男弟子の妻は自分が人に対して仏を学ぶのを妨げたことが原因だと知った。彼女は嘗て夫の供養を差し止めた。財産が惜しかったのだ。だから、今、体は病気になり、お金は身近に留まらない。結果やはり使わざるを得なかった。彼女は嘗て夫が法会に参加するのを妨げた。そのため今は、自分が病気になり、法会に参加するのを妨げられている。上師は怒っているわけではなく、また皆に罰を与えているわけでもない。すべてはあなた達の自分の因縁と因果であり、アチ護法が対象を選び、あなた達の問題を選び、あなた達に自分の因果を見せ、多くの人に佛法で話したことはすべて真実なのだということをあなた達は知らなければならない。もしもアチ護法が選ばないならば直接淘汰し、それはまるで寶吉祥仏法センターの門外と階下で待つ人のようである。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲はみなに濫用するものではない。話を聞かない人は縁がなく、リンチェンドルジェ・リンポチェも助けることができない。あなた達は、誰もがみな同じであり、いつも問題が起こるとやっとやって来る。人が往生すると、やっと供養し、やっと求め、やっと礼拝して、リンチェンドルジェ・リンポチェの普段の開示を少しも聞いていない。

あなた達は佛の教えを聞かない。リンチェンドルジェ・リンポチェは、今日プルバ金剛を修め、それは忿怒尊の獰猛さを借りてあなた達が改めるのを助けるためである。プルバ金剛は金剛薩埵の忿怒尊であり、一般的に、あなた達が見ている仏像は寂靜尊で、容貌は見たところ非常に優しそうである。また忿怒尊は言うことをきかない、聞き分けがない衆生を済度する。密教を長年に亘って学んでいる多くの人は、忿怒尊を学ぶと素晴らしいと思う。しかしながら、修法者が大手印の離戲瑜伽のレベルまで証得しなかった場合、この種の法を修めるのは危険である。なぜなら忿怒尊のパワーは非常に大きく、気をつけないと必ず間違いを犯すので、修法者は大手印の離戲瑜伽のレベルまで証明しなければならなくて、やっと修めることができる。もしもあなた達が聞いてわかる話で、離戲瑜伽のレベルを説明すれば,それは修法者が少しも執着していないことを指し,すでに空性を悟っていて、空性の作用が何処にあるのかを理解していて、真の慈悲心で衆生を利益する。本尊が忿怒相を現れるのは怒ってあなた達を罰しているのではない。また忿怒の様子を持って、衆生すべての妄念に降伏した後、衆生の真如本性を表させて、やっと佛菩薩の加持を真に得ることができる。

多くの人は佛菩薩の加持があると、病気にならない、富が増える、麻雀に強くなると思っている。しかし、麻雀のために法会に参加しなかった或る信徒は、きっと失望することになるだろう。加持は、修法者の真如、法性を加持するのであり、修法者自身にもともと備わっているエネルギーを強くして、佛法を学習し、衆生を利益することに用い、世間の事に用いるのに適さない。ある人は密教が誅法を使うことに疑問を呈するが、実は誅法は仏典の中でも取り上げられている。例として《孔雀明王経》と多くのその他の経典で取り上げられている。もしも衆生によって佛法を破壊したなら、佛はその頭部を7片に切る。それは即ち誅法である。なぜ7片に切り刻んだのか?なぜ8片ではなかったのか?つまり、それは密教と関係がある。その実は、7片に切り刻むのは困難であり、初めは2片に分かれ、次には4片になり、更にその次には8片になる。どうやって7片に刻んだのか?事実、本当は7片に切ったのではなく、それは密教の誅法である。我々の外見はすべてカルマ(業力)が集まったものである。何重にもカルマ(業力)に包囲されているので、我々の本性を外に表すことができない。佛は衆生の頭を7片に切った。それはつまりカルマ(業力)の包囲を打ち砕いて衆生の本性を表に出すためであり、それによって真の佛法を受けて済度を得られる。

すべての衆生、鬼、魔等を含んで、外には眼、耳、鼻、舌、身、意及び能力は実は、それはすべてがカルマ(業力)の集合である。我々のすべての外見の形態は業報身であり、それは我々が業報身に拘って離さないということである。或る人は顔の美容、化粧を重視し、それは「わたし」の顔である。実際の所、顔は細胞、細菌、虫等の組み合わせに過ぎない。あなた達は、顔の手入れはただのこれらの細胞、細菌、蟲に栄養を与えるだけであり、それはあなたの顔なのだろうか?我々は過去にしたカルマ(業力)によって身体が成りたっている。また外見の様子に執着すると、良いカルマ(業力)と悪いカルマ(業力)を作り出し、輪廻の中に堕ちてしまう。そのため、誅法は衆生が累世で行った業報身を切り刻み、衆生の本性を露出させる。それによって、世間の一切事の因果を理解することができ、衆生が知るすべての怨恨、業果、情仇は、事実すべて偽物であり、すべては空性であることを理解した後、自然に佛菩薩の導きを受け入れることができる。

修誅法を修めた修法者が、もしも済度の能力が無ければ、修法は問題が発生する。多くの人は忿怒尊が灌頂を受け入れて忿怒相を現して、冤親債主に怖くさせて、彼らを追い出し、彼らに騒がないようにさせたとと思っているが。その実、そうすることで、反対に彼らをあなたよりも怒らせることになった。まるで癌細胞のようである。あなたは凶悪であり、癌細胞はあなたより更に凶悪である。あなた達はこんなにも多くの衆生を食べ、生きものを殺し、生きものを潰し、生きものを噛み、すべてを皆殺しにする。結果、生き物たちは癌細胞となり、あなた達の体に取り付いてあなたに噛み付く。彼らにとっては仕方のないことである。冤親債主が累世して連れてきただけであると思わないことである。あなた達はこの世に殺生がこんなにも多く、あなた達この世でも因果を見ることなり、直接自分の身に起こって見ることになる。

チベット仏教の中では修法者は必ず息法を円満成就に修めなければならない。即ち、修法者は慈悲を修め、空性を体得することで、済度でき、誅法を修めることができる。もしも修法者が空性と慈悲を証明することができないと、閉関時に本尊がお出でになっても驚かすことになってしまう。本尊がいらっしゃる時、それはあなた達が想像するただ面前に出現するということではなく、あなた達がここに座っていると、突然空中に巨大な雷が鳴り、あなた達はきっと非常に驚いて飛び上がることだろう。この種の情景はあなた達ではなくても想像が着く。もし修法者の慈悲心が表れ出て離戲瑜伽のレベルまで禅定し、更に空性を悟ったなら、本尊が姿を現した時、修法者は法喜で満たされ、少しも恐怖を感じない。もしも、あなたが忿怒尊を見たなら、心には恐怖が生まれると感じるならば、あなたのカルマ(業力)が重いだろう。それはまるでリンチェンドルジェ・リンポチェに怒られるのを恐れている人のようであり、それは最悪である。リンチェンドルジェ・リンポチェは、今までも尊勝なる直貢チェ・ツァン法王に怒られるのを恐れたことがない。あなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェに怒られるのを恐れるのは、あなた達のカルマ(業力)が深く重いからである。

多くの人は、忿怒尊の灌頂を受けるのを喜ぶ。実はそれは厳しく言うと、危険なことである。もしもこの法を濫用すれば、衆生に害を与えるだけでなく、自分も傷つける。尊勝なる直貢チェ・ツァン法王は、嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェに言ったことがある。有る在家のヨガ修士が忿怒尊を修め非常に激しかったのだが、毎日のように人々に修法していたが、最後に急死してしまった。もしも修法者がただ修法を相応するだけなら慈悲心が現れず、済度の能力も現れず、自分に対しても被害を受けることになる。法典ではプルバ金剛を修めるとすべての妨害する敵を倒すことができると説いている。古代では大事があると修め、一般人のため単独で修められず、必ず教派または国家に影響を与える大事のために修めた。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達に個別にプルバ金剛を修めたりしない。一年にただ一度だけ修める。今日の修法も皆と縁を結ぶためだけであり、あなた達に将来も機会があれば、この本尊の助けを受け、あなた達が仏を学ぶ障害を取り除く。

今日リンチェンドルジェ・リンポチェはプルバ金剛を修め、忿怒尊は、巷で言われているような、怒っているから、懲罰を与えるから怒った形相になるのではないことを皆に理解させた。その実、忿怒尊は慈悲の極致であり、慈悲心を持って衆生を利益する。密教の法門は、事部、行部、瑜伽部と無上瑜伽部に分けて衆生を利益する。プルバ金剛は、行続の中では金剛手菩薩の忿怒尊であり、金剛手菩薩はすべて金剛の首であり、即ちすべての金剛は彼が管理する。プルバ金剛が事続の中では、打ち破る金剛である。「打ち破る」とは即ちすべての妄想と煩悩を打ち破って佛果を悟る。旧続の中では、プルバ金剛は阿弥陀佛、文殊菩薩、金剛手菩薩、大勢至菩薩及び大威徳金剛への化身を意味する。以前蓮華生大師はネパールの岩穴で閉関した時、プルバ金剛を修めて護法とし、鬼神及び魔障のすべての妨害を消去した。プルバ金剛は佛事業の本体となり、佛すべての事業の代表となり、そのため、プルバ金剛を修めた者は、淨土に往生し、三悪道の苦から解脱することが出来ることが確実である。

法典の中には、プルバ金剛を修めた修法者は吉祥、具徳、長寿、富裕、一族円満、政教発達、威力無窮、すべてが円満となる。「具徳」の徳とは、功徳を指し、道徳を指しているのではない。道徳は異なる民族、文化、時空の下で、人類に対する行為の模範となる。佛法では功徳を指し、自分が生死を解脱でき、更には衆生を助けて生死を解脱させることができるのが具徳である。「一族円満」は指すのは、弟子のことが多い。法典ではプルバ金剛を修めて成就した修法者は以上種々の条件を備える。リンチェンドルジェ・リンポチェユーモアを持って話す。だからあなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェを怒らせることができないでしょう。

プルバ金剛はたくさんの法典がある。今日リンチェンドルジェ・リンポチェが修めたのは、「祕密無上了義如意寶」の法典で、この法典は門外不出である。祕密は不公開で教派の弟子で且つ上師の認可を得た場合の時だけ、この法を伝授することができる。今日修めたのは岩傳法であり、釋迦牟尼佛が伝承したのは顯教である。顯教は佛法の根本的道理であるが、釋迦牟尼佛の法を広げる時間は不足しているために多くの密教を伝承する事ができなかった。そのため、佛菩薩、空行母、護法は、密教法典を山の洞窟、水中、時には空中に隠した。その後、伏藏法門を修める修法者が探し出したものが岩傳法である。岩傳法の法典が本物か、偽物かどうやって判断するのか?もしも探しだした法典の内容が仏経の仏の教えに背いていて、衆生が輪迴生死を解脱することを教えてないなら、それは偽物の法典である。チベット仏教の四大教派にはすべて、今は伏藏師がいなく、世間の衆生の福報は益々少なくなっていることを表し、たくさんの伏藏師が存在した時代は衆生の福報は大きかったことを表し、たくさんの法門が伝え出た。釋迦牟尼佛が伝えたのは、すべての宇宙の根本道理、理論であるが、仏典中にはどのように各本尊を修めたのかは触れておらず、岩傳法の中には本尊を修める方法がある。一般的に、岩傳法の加持力は特に大きいため、それは佛菩薩本尊が自ら伝えた法である。

今日修めたプルバ金剛法典は、伏藏大師ラトナリンパが見つけた法典であり、直貢噶舉派第二十九代法王卻吉嘉稱によって整理された。本日修法されたのは、尊勝なる直貢チェ・ツァン法王が自らリンチェンドルジェ・リンポチェのため灌頂して伝授されたもので、更に、リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て閉関時にこの本尊を修め、相応に成就した。

本尊の呪を修めるには少なくとも閉関中に十万回以上唱えなければならない。更に密教に於いて、如何なる法門を成就するのもすべては金剛部本尊の助けを得る必要がある。プルバ金剛に願をかけると、金剛乘の修行者すべての障碍を消すのである。修法者はすべての本尊を修めて、もしも、プルバ金剛を護法とすることができるなら、閉関は順調に進み、途中まで行なって止めなければならないことは起こらない。リンチェンドルジェ・リンポチェは今までに何度も閉関しているが、いつも順調であり、それは歴代上師と尊勝なる直貢チェ・ツァン法王の庇護、及びプルバ金剛を護法としているお陰であり、閉関時の障碍と魔障をすべて取り除いて下さるからである。

多くの人は、魔物はきっと醜いと想像しているが、実はたぶん見かけは良いだろうと思われる。試しとして釋迦牟尼佛の仏になるのを邪魔したい魔物は非常に見かけが良い。佛と魔物最大の差は、仏は衆生に輪廻を解脱することを導き教えるが、魔物は衆生が輪廻を解脱するのを望まない。しかし、魔物はあなた達に悪事をするのを教えるだけではない。魔物も衆生に善事をする事を教えるが、衆生がどうやって輪廻を解脱するのかを教えない。その他、宗教も人々に善事をすることを教えるが、仏が教える輪廻解脱の観念とは異なり、仏の見かけがあっても、全ては偽物である。なぜ、あなた達は仏を学ぶのに邪師に出会うのか?それは即ち、仏を学ぶ前に邪見があるからである。もしも名声と富を求め、加護を求め、自己の性格を改めるために仏を学ぶのなら、それは邪見である。邪見で仏を学ぶ人は、修行をしても成就できず、将来もまた邪師に出会い、仏を学ぶ障害となる。多くの人は、自分の感覚のために仏を学ぶがそれは邪見であり、何故かと言うと、輪廻生死を解脱するために仏を学ぶのではない。リンチェンドルジェ・リンポチェのように正法を広める上師は非常に得難く、全ては佛法にて行い、信者におべっかを使わず、このような弘法する方式を用いるのは非常に大変なことである。

続いてリンチェンドルジェ・リンポチェはプルバ金剛法会に参加して得る利益を開示した。

一、精神、情緒、脳の疾患及び内分泌に対して効果がある。

二、鬼、怪、龍、神が引き起こすすべての無名病と癌を駆除する。

法典にはこれらの利益が書かれていて、この法を修めると必ず有効であると表示されている。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは個人の利益のためにプルバ金剛を修めない。一年にただ一度だけ修める。修法の作用はあなた達の因縁によって定められる。なぜリンチェンドルジェ・リンポチェはその時に癌を患い、医者の治療を受けないのに、治癒したのか?それはつまりリンチェンドルジェ・リンポチェとプルバ金剛を本尊と修めたのであり、更に閉関に於いてプルバ金剛を修めて成功したのも関係している。

世間の鬼妖怪の大部分は、すべてあなた達によって殺された衆生である。あなた達は、自分は殺生をしていない、自分は良い人であると思っている。まるで昨日一家でリンチェンドルジェ・リンポチェに会いに来て、家中の人に健康問題があり、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼の祖先のカルマ(業力)が重いからと開示した人のようである。彼はすぐに父は良い家を建てたと答え、家族の誰もが自分は間違いをしていることを認めない。彼の父は建築に従事し、台湾で工事を始める時、必ず殺生をして鬼神を祭った。建築業も同じで、土を掘ることも殺生であり、それは即ち悪行である。密教ではもしも工事を始める時には、必ずその土地で修法を行い、三悪道の衆生が早く解脱するのを助ける。もしも、寿命が終わっていない衆生がいたならそこを離れ、更に彼らの済度を助け、このように修法が完了した後工事を始めれば後遺症は起こらない。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て転生したリンポチェの顔に白癬ができた人にあったことがある。リンチェンドルジェ・リンポチェは寺の中で、最近たくさんの石を移動したか、その中に非常に大きな石があったかどうかを尋ねた。そのリンポチェは確かにそうだと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのリンポチェが白癬になったのは、龍に邪魔したからだと開示した。そのため、このことでわかるとおり、転生したリンポチェが如法に修行しないと、同じように問題が起こる。

三、年沖、月沖、日沖及び時沖等に拠って引き起こされる事故を避ける事ができる。

「沖」とは、あなた個人の磁場と或る年、或る月、或る日、或る時の磁場が衝突するということで、それに拠って事故が起こる。各人にはみなこのような状況がある。もしも今生の悪い行いが多く、肉を沢山食べていると、年、月、日、時の沖の情況が多くなる。佛菩薩の教えを聞いて修行する人は避ける事ができ、出会ってもその人にとって大事とならない。

四、星座の変化によって引き起こされる水、火及び地震等の天災を避ける事ができる。

多くの天災はすべて星の変動と関係があり、プルバ金剛を修めることで、星の変動に拠って引き起こされる水害、火災、地震等々の災害を避ける事ができる。

五、他人が行う呪詛に依る障碍を防止することできる。

六、累世のカルマ(業力)を消すことができる。

修法前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが皆に対して修法している時に心を乱すことがないよう注意を与え、出家弟子が代表してマンダラを捧げて請法することを慈悲深く受け取った。続いてリンチェンドルジェ・リンポチェはプルバ金剛の修法を始め、本尊の呪文を唱えるる時、大衆は背筋を伸ばして座るように促した。リンチェンドルジェ・リンポチェが本尊呪を唱える時、猛々しい表情が現れ、顔の眉は立ち、目をむき、口を一文字に結び、顔型は方形のようになり、それはまるでプルバ金剛の忿怒尊の面容と全く同じで、本尊に相応する殊勝な象が現れた。修法して真言を唱えることを行なっている時、リンチェンドルジェ・リンポチェは数度、雷鳴のような極めて低い声を発し、極めて厳しい目で凝視し、腕は微かに回り、尊身は瞬間プルバ金剛に化身して極めて法相は、非常に不可思議であり、決して凡夫ではないことが表れた。

修法時、リンチェンドルジェ・リンポチェは、会場の大衆の守りたい人の名前を慈悲深く発し、引き続き修法した。修法の過程で何度もプルバ金剛忿怒相が現れ、そのパワーは比べるものがないほどで、会場の大衆は皆プルバ金剛本尊降臨の震撼威力パワーを自身で感じた。会場には一千余名の法会参加者、中には多くの子供を含んでいるが、リンチェンドルジェ・リンポチェの修法期間の間、法会に集中して参加し、走り回ったりすることはなく、リンチェンドルジェ・リンポチェの巨大な他と比較できない摂受力を表している。

その後、薈供の儀軌を行い、法会参加者は各人すべてが一人分ずつリンチェンドルジェ・リンポチェ加持した供物を頂き、法会の中で佛菩薩と共に食した殊勝な因縁を得ることができた。

修法後、リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続き慈悲をもって開示した。先ほどの法典は本尊の到来を祈祷する他に、供養及び済度の部分も含む。一般修法者でこの法を修法するのは非常に少ない。なぜならこの法会を修めると修法者の多くの福報が消耗し、通常は修法後に少なくとも一個月間閉関しなければならず、済度能力がないのに、この法を修法すると、必ずや何かがある。忿怒相になって衆生があなたを怖がると考えてはいけない。多くの鬼神はあなたが忿怒相になっているのを見ると、ただ一時的に避けるが、しばらくしてあなたの福報が尽きると、あなたと片をつけようとする。あなた達は脅かす方法で他人に対して脅かす必要はなく、仏を学ぶ人は慈悲を持って人に対するものである。プルバ金剛は法会参加者及び関係有るすべての衆生を助けることができ、少なくとも今生を終えた時に三悪道へ堕ちることはなく、他に思わぬ時に死ぬことがない。但し、あなた達が多くを享受するのではなく、あなた達に仏を学ぶ時間を与えるのである。

修法が終わった時、リンチェンドルジェ・リンポチェの傍で儀軌進行を助ける弟子は法会に参加する大衆を代表して、リンチェンドルジェ・リンポチェに金剛杵で大衆一人ひとりに加持することを跪いて求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、ここ数年皆を加持しても意味がないと開示した。あなた達はやはり何も変わらない。たとえ、リンチェンドルジェ・リンポチェの手が加持で折れてしまっても、あなた達はやはり変わらない。何の意味があるのだろうか?先ほど例に出した岳父が往生した弟子であるが、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの会社で仕事をしていたので、自分の岳父は必ずリンチェンドルジェ・リンポチェのポア法を得ることができる、絶対に問題ないと思っていた。彼と妻は、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して久しいが、相変わらずいつものようで、いつもリンチェンドルジェ・リンポチェが叱った時、自分のことではない、それは別の人の話であり、自分の身の上に起こらないと思っていた。彼の妻は以前もリンチェンドルジェ・リンポチェに批判されたことがあるが、それは十数年前のことだが、リンチェンドルジェ・リンポチェはまだよく覚えている。しかし何も語られていない。我慢して彼らの因縁が至るのを待ち、その時、彼らはこの果報を知ることを待っていたのである。彼の岳父は以前警官で、嘗て貪欲であった。親子の血縁関係があるため、自然に子供もケチで貪欲になった。彼らの娘が結婚する時、やはり、リンチェンドルジェ・リンポチェに対して、あれこれ計算していた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の妻の以前犯した間違いを覚えている。恨んでいるのではなく、機会を待っていてあなた達に自分が蒔いた種がどんな因なのか、それがどんな果になるのかを理解させようとしている。あなた達は、仏典上の話を信じない。衆生が心を起こして念を動かすものはすべてカルマ(業力)であり、全ては罪である。

なぜ仏を学ぶ人は、真に孝行なのか?父母が因縁、智慧、仏を学ぶ能力がないなら、子孫に頼り、子孫がした悪と善はすべて父母に影響する。なぜなら、あなた達が仏を学べば、あなた達の祖先も利益することができる。反対にもしも子孫が良く学ばないのなら、祖先が上品上生でも下品下生になってしまう。あなた達は8等級の差が大したことがないと考えてはいけない。事実、下品下生であれば、12小劫の時間修めてやっと、花が咲いて仏を見ることができる。それは億万年の時間なのである。

或る弟子の義母が亡くなった。彼女は夫を連れて済度をお願いに来た。しかし、彼女の夫は菜食をしないという。そのため、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼にお金を出すだけでよく、彼に菜食を要求しないところを紹介するように出家弟子に指示を出した。菜食を肯定しない人がどうして慈悲心を持てると思うのか?あなた達は自分が犯したカルマ(業力)が非常に多いことを信じず、自分の父母も嘗て悪行を行ったことを信じない。あなた達は自分の父母は良い人だと思っている。が、誰の親が良くない人だというのか?《地藏経》は亡者のために広く佛事を行うことを説いていて、広く佛事を行うとは、多くの寺へ行って事をするということではなく、亡者の身内が心を広げ、佛法を受け入れ、佛法によって事をすることを指している。あなた達は、一回法会をすれば父母を済度できると思っているが、もしも、あなた達が法会に参加した後、引き続き肉を食べたなら、一回悪事をすることになり、父母に影響を与える。この仏典では衆生が佛菩薩の助けを得た後もやはり恩を知らず、またもや悪行を行う。だからあなた達がもし菜食を望まないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達にお金を払うだけで自分を変える必要がないところを紹介するように、出家弟子に紹介してもらおうと思う。

仏典上にあるように、すべての亡者の身内は、世の中で良い行いをする。七分の六は生者が得られ、七分の一は亡者が得られる。なぜ七分の六の功德は生者が得られるのか?それはこの縁は生きている身内が起こすからである。亡者の果位が良ければ良いほど、後代も益々良くなり、後代の子孫もきっとよい。だから以後、あなた達が他人を施身法法会参加に紹介するのなら、先ずこれから一生菜食ができるかどうかを聞いてみなければならない。もしも、その人が菜食できないならば、リンチェンドルジェ・リンポチェに彼を法会に参加させるように頼まないことである。そうすれば皆が困った事になるのを省くことができる。密教は肉を食べていいと誰も説いていなし、仏典にも書かれていない。リンチェンドルジェ・リンポチェがその場で出家弟子に指示し、もしも菜食ができない信徒が他のところへ行くように紹介し、彼らはただお金を払えばいいだけならばそれでよく、彼らに修行を要求する必要もなく、むやみに良い人にならなくてもよく、人を廣欽老和尚に紹介して面倒をかける必要もない。

なぜ、リンチェンドルジェ・リンポチェは、あなた達が施身法法会に参加するのなら、必ず一生菜食でなければならないと要求するのか?あなた達は理解できず、たった一回の法会に参加するだけで、以後ずっと肉食はいけないとはなんと厳格なのであろうか?と思う。父母の遺伝子とその子女の遺伝子は同じであることは知っているか?そのため、虚空の中であなた達が行った善と悪は、必ずあなた達の父母と相応している。あなたが法会に参加した後、引き続き肉を食べれば、それは悪行であり、あなた達の父母に影響を与え、彼らの福報を消耗する。「佛在心頭坐、酒肉穿腸過」この種の謬論を決して信じてはいけない。外国人も遺伝子が次世代に影響を与えると知っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示したことがあるが、科学者がスコットランドで9千年前の骸骨を見つけ、その遺伝子を発見し、当時の村民の中に後代の者を見つけた。あなた達は佛法を軽く見てはならない。法会に参加した後、何事もないのではない。あの男性弟子の岳父は、生前警察官であり、貪欲であった。それが彼の往生時の障碍として残っている。

あなた達は本日、福報を得て、金剛乘の上師が密法を修めることに会うのは簡単ではない。今日のプルバ金剛法会に参加するのは得難く、この機会を利用して自分が仏を学ぶ態度を検討し、一年また一年をムダにしないでほしい。男性弟子の岳父が往生するとき、リンチェンドルジェ・リンポチェと連絡が付かずにポア法を修めてもらえなかった。それは彼ら夫婦が上師に対して全部投降していないからであることがわかる。もしも、亡者の娘がリンチェンドルジェ・リンポチェが言った指示どおり、毎日1200回の大礼拝をしていたなら、亡者の福報は必ず立ち、リンチェンドルジェ・リンポチェの修めるポア法を見つけることができたはずである。あなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが言ったことを私が「だいたい」やっていると考えているが。よく聞きなさい。だいたいは、100%ではない。皆はだいたいの男性と女性であり、仏典ではよく読経するか、悪く読経するかと言わない。また徹底的に改めるという。そうでないと例え、リンチェンドルジェ・リンポチェが皆に代わって手が折れるほど加持をしてもやはり、意味がない。ショーメールを打ったり、電話でポア法を得られると思わないでください。何の福報もなく、縁もない。今生に於いて、全身全霊で上師に供養しないなら、たぶんポア法を得ることはできない。供養は非常に大切である。しかし、供養の大切な点は、金額ではなく供養の心であり、よく話を聞くことが供養である。嘗て脳の癌に罹った弟子は、非常に貧しく、供養のお金を持たなかった。特に最期は、彼の生活をリンチェンドルジェ・リンポチェが見た。しかし、彼が全身全霊で供養を行ったので、ポア法を得ることができた。あなた達は弟子の誰もがポア法を得ることができると思ってはいけない。前世にリンチェンドルジェ・リンポチェに供養したか、リンチェンドルジェ・リンポチェが借りがある人か、完全に教えに基づいて実行した人だけが、リンチェンドルジェ・リンポチェがその人のためにポア法を修めるのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、有ることを弟子に気づかせなければならない。加持のような事は、気づかせる必要がない。もしも、上師が心動いたなら加持をして、心が動かなければ加持しない。あなた達はすべて何事もないと改めない。あなた達はもう少し大人になるように。子供のようではいけない。そして話をよく聞くことが改めることができるのだ。前回リンチェンドルジェ・リンポチェ著作を添削するのに参加した弟子は、懺悔発露し、彼女は、皈依してこんなにも長年経ているのに、未だに人の話を聞かない。あなた達をこんなにも多く加持してきたが、あなた達はやはり改めない、更に加持をしても何の意味があるものだろうか?

寶吉祥仏法センターは、台湾全土で最も安価な道場であり、リンチェンドルジェ・リンポチェは法会ためにオーダーコードを付けずに皆に無償で来てもらっている。出家衆がこの道場が非常に得難いものであることをよく知っている。あなた達は自分を変える決心をしなければ、学ぶことはできず、何度やっても意味がない。あなた達一人ひとりが一日頭を働かせ、リンチェンドルジェ・リンポチェにどのように対応するかを考えている。リンチェンドルジェ・リンポチェは、すべてはっきりしていて、ただ行動に移さないだけである。リンチェンドルジェ・リンポチェは忍辱に非常に優れている。六波羅蜜の忍辱を修めるとは、様々なことを耐え忍ぶことを言う。その実、上師と佛菩薩は傍であなた達の演技を見ているだけである。あなた達は頭を働かせなくてもいいし、リンチェンドルジェ・リンポチェに対応する必要もない。あなた達は、来ても来なくでもどちらでもよい。リンチェンドルジェ・リンポチェが死んだなら、もう一度この世には来ないだろう。なぜならリンチェンドルジェ・リンポチェはすでにこの世に飽きてしまった。リンチェンドルジェ・リンポチェは大衆を済度したくないと思うのではなくて、あなた達の縁も足りない。
今日リンチェンドルジェ・リンポチェは皆とプルバ金剛を修め、皆が引き続き悪行をしないことを望む。あなた達は、自分が悪行をしていないと思ってはいけない。自分は起心動念は悪であると信じない。ただ如何なる貪、嗔、痴の思いを起こしても善、悪業の牽引があるため、輪廻を解脱することはできない。あなた達は聞き分けがなく、言っておいて行動しないのはいけない。自分が間違いを犯してもすぐに忘れてしまい、人に対しての恩もすぐに忘れてしまう。あなた達がもしも改めないのなら、リンチェンドルジェ・リンポチェもどうもすることはできないのである!

法会は、円満に終了し、法会に参加した大衆は起立して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座を下りるのを送り、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な修法と慈悲深く開示した貴重な佛法に感謝を述べた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、心力のすべてを使い尽くして、衆生に懺悔を教え、大きな慈悲の心で教え導き、衆生が正法を学ぶのを導き、様々な事を端的に指し示す方式で、衆生の離苦を助けた。法会に参加した大衆は甘露法語を受け取り、自身の仏を学ぶ態度を深く考え直し、更にリンチェンドルジェ・リンポチェの素晴らしい教えに感激した。

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2013 年 03 月 27 日 更新