尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2013年1月6日

法会が始まる前にある2008年11月2日に皈依した女弟子(彼女の母、妹及び義理の姉も皈依弟子だ。)は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、参列者に2012年リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の母、彼女、家族と同僚の経過を分かち合った。

彼女の母は今年(2013年)87歳だ。皈依する前に嘗て大溪の宮廟で米の占いをしてもらった。結果は2011年に母が亡くなる。母はこの事に対して、いつも心にかけていた。2011年母の健康は問題が出て、膝関節は悪化なので、再び歩けない状況になって車椅子で行動しなければならない。5月末に二番目の兄と一緒に住んでいる母は急に心臓が悪くて、息が苦しいと感じた。当時家に母しかいないから、母は壇城の前に歩いて、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真に頂礼して、リンチェンドルジェ・リンポチェとアキ護法の法写真に「若し時間になれば、私に離せて、若しまだだったら、私に引き続きに仏を学ばせてください。」話が終わった後部屋に戻って目を閉めて休んだ。その時突然に前にある人は黄金色の法衣を着て近づいた。前に着いた時、母は詳しく見ると、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェである。母はすぐ目覚めたが、目の前に一人でもいなかった。当時は母は心臓の不具合感が既に消えたと気付いた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の救護を感謝した。この女弟子は日本の法会から帰った後、母は彼女にこの事を言った。彼女達は感謝しか言えなかった。それは当時日本道場に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な上師供養法及び火供を修めているが、彼女は上師が仏を無二無別の大慈悲力と大願力を感謝して、母の慧命を助けた。

この女弟子は7月に元々母と家族と一緒に祥楽旅行社のチベットコースに参加するつもりだが、二人の兄は母が既に年寄るから反対した。彼女自分も福報が足りないから、チベットに入る管制にあるから、最後行けなかった。11月の時、母は腎臓の炎症を起して、高熱になった。病院にいる時母は相変わらず無事に彼女達に午後一人は家に寒くなったり、熱くなったりする状況を言った。医師は検査の結果、白血球はもう25000個に達したと知らせて、慎重に彼女達にすぐ病院を探して入院したほうがいいとアドバイスした。当日金曜日の夜なので、病院に運んでも何も処置してくれない。母の高齢により、如何なる苦しみを受けるだろうか。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感謝して、彼女に上師の開示を思い出した。道場の兄弟子は法界の眷属である。だから、彼女はすぐ兄弟子達に連絡意s手、医師を担当する謝兄弟子の電話を聞いた。彼女は謝兄弟子の助けを感謝して、彼女の母に最も短い時間に入院させて医師の介護を得られた。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の救護を感謝して、母は85歳の高齢と25000の白血球の指数により、入院する時も40度まで高熱した。第一日目(土曜日)は繰り返して高熱したが、日曜日の法会の後に徐々に下がった。若し金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持がないと、母は一週間に退院して他の合併症を起さないわけではない。

彼女の母は退院した後体の状況は少しよくなった。しかし、相変わらず車椅子を使わなければならない。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが12月31日に日本京都寶吉祥仏法センターで施身法及び長寿仏法会を主法する事を分かると、彼女は母を連れてこの殊勝で得難い法会に参加したい。だから、母と相談して申し込んで参加するつもり。スケジュールは既にアレンジした時、彼女の兄は突然にある霊能力者の友達に知らせて、母は今年はまだある劫があって酷い風邪を引く。兄は日本がとても寒いから、母は行けないという理由で彼女に申し込みをキャンセルさせた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが通常の教導と加持を感謝して、彼女の妹は彼女を代わりに兄に言って、彼女はちゃんと母を世話するから、兄は強く主張しなかった。出発する前に祥楽旅行社は彼女達に日本ではとても寒いと説明して、また特に今回このコースを参加する顧客に3Mの防寒用マフラーと帽子を贈った。当時彼女は心に感動の気持ちを溢れたが、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に考えた全ての事を感謝して、家族の心配も考えた。彼女は非常に感謝した。

2011年12月31日、彼女は日本京都寶吉祥仏法センターに向いて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが主催する施身法と長寿仏法会に参加した。晩餐会の時に、彼女は調子が悪いことを感じて、頻尿でずっとトイレげ行っていた。数年前に、彼女は仕事が忙しかったのに常に小便を抑えて、水も少なくて飲んで、尿道が感染して炎症を起こすことを招いた。それから、類似の状況があったら、再発しやすいのである。だから、彼女は身体が現した病状に対して知らないことがないで、心の中にまた再発する可能と考えた。しかし、また2日の日程があるので、また、母親に世話しなければならないので、彼女はとても心配し、病状が悪化にならないことをこっそりと望んでいた。その夜の晩餐会の中で、兄弟子達は籤を引くことを急に照会し、その時に、彼女の心の中に籤を引いてからなにをするのでしょうかと考えた。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは席を外してた後、籤を引いた36人の兄弟子は翌日(つまり2012年1月1日)に日本京都寶吉祥仏法センターで行って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの自ら貴重な『龍蔵経』を開封して陳列する儀式を参加することができることを照会した。彼らのこの机で、母親は自身と彼女に二つの籤を引いて、とても幸いで、二人ともこのような殊勝な得難い儀典に参加できることという籤を引いた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達にこのような殊勝な儀典に参加させられる機会に感謝した。ホテルに帰って、彼女の調子が一層に悪くなって、同時に、母親の身体の状況はまだ完全に治していなかったので、夜に、殆ど1時ごと起きてトイレにいくことが要って、彼女は母親に世話し、しかし、自分もうまく休むことが出来なかった。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝し、彼女はその日にすべて儀式に参加したが不適を全然感じたことがないで、夜にホテルに帰る途中まで、熱がある現象を始まって出た。ホテルに戻った後で、彼女は調子がとても悪いことを感じて、トイレへいって血糸もあって、彼女はこれが多分旧い病気で再発することを推測した。彼女は母親が心配させることを恐れたので隠して、翌日の夜に台湾に戻るので、また、自分のせいですべての計画を遅らせることを心配したので、夜にアチ仏母の法写真の前に自分のせいですべてのツアーの日程を影響しないで、また、祥楽旅行社の悩みを連れないで、すべてのツアーが順調な台湾に戻ることを祈った。

その夜に寝るときに、彼女は熱が出たので絶えずにうわ言をいって寒いといった。朝起きた後で、元気を出して母親に付き添って食事しなければならなかった。彼女の心の中に乗務員を探して身体の状況を告知したいと考えて、必要な時に恐らく診察してもらわなければならない。最初の名所についてから、ケーブル・カーを乗って上に登らなければならなくて、母親は車椅子に座るので、三日間以来に兄弟子に頼んであげて降りて、彼女たちは金剛兄弟子の配慮にとても感謝し、しかし、母親は兄弟子に再び面倒しなくないで、また、彼女の興味が終ろうとすることをみて、だから、彼女たちは山の下にとまることを決まった。子供から成長まで、彼女はずっととても元気で、風邪でもすべて少なくて、病気なのに入院したこともないし、hしかし、彼女は自分の身体の状況を発見すると、心の中の直感がやばいと思って、だから、台湾に電話をかけて、ご主人に頼んで彼女の状況を医者とする謝弟子に知らせて、また、入院を手配させて、飛行機を降りると病院に直行することができる。昼食の時には、彼女は始まって嘔吐して全身が力がないで、病状がすでに母親に隠すことが出来なくて、同行の兄弟子達も彼女の状況を発見し、次から次へと関心を与えた。数人の兄弟子は甘露丸を出して彼女に飲ませたくて、が、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教法に感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェの福報に感謝し、兄弟子は貴重な甘露丸が持たれて布施を惜しむことがない。彼女は甘露丸が命を救うことを知っていて、上師の加持も思い出して、果報を目の前に現す時に、愉快な心構えにて修行しなければならない。現時点、彼女は愉快なこころ構えにて使われないけれども、彼女は自分の因果を受けて、これらの病痛が受けたら問題がない。彼女は兄弟子の関心に感謝し、貴重な甘露丸をもっといる人に残って、だから、彼女は兄弟子達の好意を婉曲に断った。

彼女の体が高熱を出していることを始めるため、自分の事で精一杯な時すでに母親に世話することができなくて、この時に、兄弟子達はすべて彼女の助手になって、母親がトイレへ行って車を乗って降りるなどのすべての事を協力してくれた。彼女は尊き金剛上師りんちぇんどるじぇ・リンポチェの加持と殊勝な教法に感謝し、上師がないなら法界の金剛兄弟子がないで、金剛兄弟子達の協力がないならば、彼女は本当にどのようにするべきなことを知らなかった。

午後名古屋市の街区に着いて、彼女はすでに高熱が出ていて、ガイドは兄弟子達の日程に手配を済ませた後で、彼女を連れて病院を探してそして引率者に知らせた。1月2日はまだ日本の正月のお休みなので、多くの診療所が診察してはいけなくて、最後、ついにある診療所は診察することができて、だから、入って書留にして診察をみた。待っていた時に、ガイドは看護婦に彼女はその夜に飛行機を乗って台湾に戻ることを告知した。飛行機に搭乗する時に医者から証明を航空会社に提出しなければならないで、彼女はかかるのが流行性と伝染性の疾病ではないことを証明し、あるいは、彼女は飛行機を乗られない可能性がある。証明は大きな病院から提出しなければならないので、ガイドは彼女を連れで名古屋大学の附設病院に急診に掛かって、診察のときに、医者は彼女の状況に尋ねて、咳などの病状を含んだ。その時、これらの状況は彼女が全然ないので、医者に彼女は膀胱炎の病気の歴史があって、この前に頻尿の状況があって、だから、医者は彼女に血を引き出して小便を検査してスキャンにした。最後の診断証明は「腎臓炎と腎臓結石のようなこと」と書かれた。

病院を離れる時、時間はすでにとても緊迫して、観光バスは病院に運転して彼らをつないで、すべてのツアーの人もある車に待っていた。彼女は兄弟子の根気がよくて待って、また、彼女の母親に世話してくれることに極めて感謝した。母親の心配及びやきもきする顔をみて、彼女は自分が本当に親不孝だと感じて、母親に心配させた。同時に、彼女も祥楽旅行社の思いやりのサービスに感謝し、ガイドが全行程で翻訳して付き添うことに感謝し、また、寶吉祥日本支社にたびたび状況に報告し、後続の処理をするわけで、引率者の兄弟子がいろいろな連絡をして一切な事を順調な進行させたことに感謝した。彼らは決算して薬を持っていくときに、医薬費は2万6千円余りで、日本の医薬費は本当にとても高くて、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と加護に感謝し、もし彼女は台湾に戻られないなら、医薬費が本当に想像することが出来ない。空港に医者の証明があるので、通関と飛行機を搭乗することがすべて順調し、お正月の休みだが、飛行機の上に意外に満席ではないで、彼女に全程に横たわって体の調子が悪さを軽減させられて、台湾に帰って、彼女は兄弟子が布施する甘露丸に感謝し、その上、すべての金剛兄弟子の助けと協力に感謝した。

税関を出た後に、彼女の母親は兄のから迎えてきて、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝し、彼女の母親に風邪を引いていないで台湾に戻らせて、その上、彼女の母親は日本に帰ってから、身体がますます良くなっている。去年(2012年)3、4月以降に、車椅子が再びいることが要らないで、いま、歩む状況がとてもよいのである。2012年10月23日、彼女の母親は祥楽旅行社の昆麗のツアーに参加し、標高4,056メートル級の玉龍雪山の山頂に上がって、しかも高山病がなくて、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの絶えずに加持に感謝し、彼女の晩年の母親にこのようないい生活品質をあげる。

飛行機をおりた後に、彼女の夫は彼女を載せて病院にずっと奔走して、医師の兄弟子の手配に感謝して、その時は夜明け方だがm急診室の医師は依然として彼女のために初歩的な診療してもらうことをして、その後、病棟に入った。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝し、通関の時に彼女の体温が正常標準を降りたので順調な出られた。病室に入った後で、彼女の体温はすぐに38度以上にあげた。もし通関の時に発生したら、必ずまたもう一度苦しめて、彼女は感謝して再度感謝した。入院の翌日に、彼女は厳しい咳の現象が現れることを始めて、夜に咳をして寝られないほどで、医者の兄弟子は病室に巡視する時、彼女は風邪を引くかどうかを尋ねた。しかし、日本の診断証明は「腎臓炎と腎臓結石のようなこと」と書かれて、様々な検査と超音波のスキャンをしてから、白血球の指数が5,000について、腎臓結石を証明されることもできなくて、だた熱がでる状況をずっと降りられなかった。彼女はある夜に起きてトイレへ行った時に、意外に意識がぼんやりしないで2回目に倒れて、看護婦と息子が彼女にべっとまであげたまで、彼女はやっとはっきりしていた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝し、彼女が昏迷していたときに、意外に如何なるものをぶつかっていないで傷害しなかった。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加護と平日に面倒なのを嫌がらないくれぐれも言い聞かせるにとても感謝した。彼女は自分が罪業が深いことを知っていて、これは因果業報で、ただ直面して受けて、心の中に苦しまない。だから、入院の期間には、彼女の気持ちがとても安定し、心の中に常に「衆生の苦しみは自分代わって受けて、何も臆病がないことが仏子行」を考える。最後の診断は「腎臓炎が敗血症を合併する」で、彼女はただ普通な病院に10日間に入院してから退院した。医者の兄弟子の細かい看護に感謝し、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持にもっと感謝し、彼女に重い報いを軽くて受けて、敗血症はごく短い時間で全快して、彼女はとても感謝した。

こちらの女子の弟子は引き続いてもう一つの殊勝な事績を分かち合った。2012年11月22日、彼女は南に向いて台南の歸仁に会議に参加することがいるので、朝の6時10分に家から出発し、出発する前に壇城の前に頂礼し、頂礼した後起きて、急に心の中に不安で落着かないで、この時に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法席がいる開示を急に思い出して、だから、再度、壇城の前に跪いて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及びアチ仏母に「弟子はこれから台南に会議をして、このたびの行程にご無事をすることを加護してください」と報告した。

彼女の夫は運転して同僚をピックアップした後、龍潭の国道3号の交流道へ運転して行った。言ったら不思議で、普段に常に行く道は明らかに南に向くけれども、彼女のご主人は意外に北に向く車道に行って、結局、大渓交流道でおりて南に向く車道に回転し、この故に、数分の車で所要時間を遅らせて、会議に間に合うのために、彼らは時速の約110キロメートルで前進した。朝に5時に起きたので、車が竹東を過ぎた後で、彼女と同僚は居眠りして、その日の天気は朝からずっと雨を降っていて、その上、雨勢は段々大きくなって、約朝7時5分に頭份交流道の前に大体157.2キロメートルの所で、車道が地面に水が貯まってたので、タイヤが空回りすることを招いて、センター・ラインで運転する車は水切りのように、外側のガード・レールへ回転してぶつかっていた。この時に、車は回転の方式に左側の車体からガード・レールにぶつかっていて、それから、車尾の方向にガード・レールに従ってぶつかって再度反発してして外側の車道まで360度まで回転した。車が空回りしてガード・レールにぶつかる時、彼女と同僚は急に目を覚まされた。彼女はその時に、ただ車の頂部が頭の上に回転することをみえしかないで、目の余光は外のガード・レールも回転していることを見て、あの瞬間に、心の中の一つの考えが「事故が起きた」のである。二つの考えは「どのようにするべきか」のである。彼女の頭の中に急に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが法席にある開示を急に出て、「常に上師に思い起こす」のである。その上に、兄弟子は普段に法会の中の分かち合いを思い出して、その時に、心の中に「リンポチェ様、私に救ってしてくれる」という心構えを起こした。この「私」の言葉が終った時に、回転する車は瞬間に妙技のスクラムのように、急に車は中間車道の方向にて横で外側の車道の中央で止まった。

この時、彼女の夫は彼らを早く下車させて、後方に車に来てぶつからないようにして、非常に不思議なのはその時に意外にも全て車がなかった。彼女のご主人は再度車をあげて車が発動できるかどうかを確認し、結局、発動することができなかった。だから、再度おりて、故障標識を架設することを始めて、雨の勢いと風向がとても大きくて、視線がとても悪かった。彼女のご主人は傘をもって事故現場の前の50メートルで来る車を道を変って運転することを気づかせて、その後で、雨の勢いが大きくて、視線が悪かったので、その上、大貨車及びトラクターが絶えずに来て、他の車の事項を避けるのために、却って、100メートルの前に来る車に道を変えることを気づかせた。彼女はすぐにレッカー車に連絡して、その上、同僚に電話をかけて警察に通報してもらった。警察に連絡した後で、国道警察のレッカー車は先に現場で着いて、約10分後で国道警察が来た。事故現場をみると、警察も驚いて、なぜならば、現場の状況は極めて危ないで、二人の警察は他の車を安全なへることを引いた以外に、彼らに再度車を発動することを協力してくれた。車を発動した後で、損なうことが厳重なので、国道警察のレッカー車は前に道を引いて、パトロール・カーが後ろに連れで協力してくれて、警察は彼らに路肩に従ってゆっくりと交流道に運転させて、交流道が前の1キロメートルのところで、彼らは交流道に下りた後で、暗渠の下で止まって記録した。二人の国道警察の協力に感謝し、また、彼らに傷害を受けたかどうかを関心して確認し、彼らは車を修理して騙されることを心配するので、彼らに一番近い元の会社の修理工場の位置に話して、彼らに順調的に探された。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲加護に感謝、すべての意外は発生してから交流道を降りるまで記録をして大体30分で、もし尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがないならば、一切なのはこのような速くて順調な解決させることが出来ない。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝し、このような驚く意外は通勤時間の車馬の往来が盛んな国道3号で、彼女と彼女のご主人と同僚の命を助けて、更に、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲加護なので、他の意外を発生させて他の衆生の命及び財物の損失を傷害することがなかった。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く「世の中に意外という言葉がないで、ただ因果だけがある」という開示に感謝した。

彼女は自分が大悪人を懺悔した。記憶がある以来、数えられない衆生を傷つけて、自分の悪念でアリ、ゴキブリ、毛虫、ノミなどの衆生を殺したことがあって、また、二人の子供を抜いたこともある。彼女は飲食の貪りを求めるので、無数なエビ、カニ、魚、貝などを殺したことがある。彼女は成長した後で、独りよがりに親にたてついて、その上、心の五毒で様々な悪行をして、難しくて数されて尽す。皈依した後で、自分はどのように悪いことをやっと知っていて、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲に感謝し、彼女のような大悪人に重い報いを軽くて受けて、その後、また仏を学んで続けられる。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは『快楽と苦痛』という本の中に「応報は変えることができなくて、過去の様々なことを逃げて反抗することが出来なくて、逆に、直面して責任して、歓喜して受けなかればならなくて、果報がとても速くて取り除く」と開示された。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教法に感謝し、彼女に意外の発生の折に人生無常を悟らせられて、これは因果応報を知っていて、自分の果報を平然で受けた。彼女のご主人は皈依していない開けれども、週末の共修法会及び施身法会の中に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いて、因果応報を信じていて、これは尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼らに救ってくれたことを知っている。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの加持に感謝し、彼らに心の中に安定の力をあげて、冷静で危ない現場を直面することができて、意外を発生した後のすべて一環を処理することができた。逆に、彼女の同僚をみて、郷の事務所の重要な職務を担当したことがあるけれども、40、50位の部下が管理し、更に常に民衆の事件を処理することが要って、しかし、事件を発生する時に、警察に連絡する電話でも驚いたので忘れてしまって、午後で列車を乗って中壢に帰るまで、同じように驚きがまだ治まらなかった。彼女の同僚はとても納得できないで、なぜ彼らは如何なる事件を発生しないよになることかと疑惑しhた。たとえ車が10万台湾ドルにかかることを概算しても、この女弟子とご主人もお互いに不平を溢していなかった。彼女は会議の重要な後続のことを連絡して処理を完了した後で、やっと家族に連絡してリンチェンドルジェ・リンポチェが彼らを救ってくれた経過を告知した。この女弟子はこの意外に感謝し、彼女に同僚と友達にリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生を慈悲深くて済度する大願力を賛嘆させられた。彼女は今後ただ教法により従って、うまく仏を学ぶことと誓って、上師の恩徳を応えることができる。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。上師の慈悲深く済度がないなら、いまの彼女はどこにいることが分からない。2012年の2回目の事件は彼女に重い報いを軽くて受けて、車の修理費はいままで10万台湾ドルにかかってしまって、しかし、彼らはなにも傷害がないで、入院することも要らない。上師の絶えずに加持は弟子のために多くのお金を節約してくれた。彼女はとても懺悔することと感じていて、上師の恩徳はいかに応えること完了することが出来ない。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは一心に弟子達のすべての生活細部を配慮してくれることに感謝した。二つの事件の後で、彼女は寶吉祥漢方医診療所へ診察をして養生する。寶吉祥漢方医診療所の医者は注意深い診療に感謝し、皆にとても速くて健康を回復させた。皈依した後から、家族は寶吉祥漢方医診療所で診療をして、医者によく診察してもらいたくない長男も寶吉祥漢方医診療所に心から感服する。小さい息子は幼少から呼吸系についてよくなくて、毎回の風邪が必ず気管から始まって、毎日朝に起きてから耐えずにしゃみをして、また喉の中に痰がある。最初、寶吉祥漢方医診療所に診察を貰った時に、心拍の問題を診断されて、20年以来に多くの西洋医を見たことがあって、しかし、誰でも診察したことがなかった。寶吉祥漢方医診療所の薬を飲んでから、小さい息子の朝の過敏はすでに回復した。彼女の同僚はューマチ性関節炎と紅斑性狼瘡を患って、免疫のシステム機能が状況を出すことを招いて、そのために、固定的に大病院で診察をして、厳重な時に、医者は彼女に警告し、再び働きすぎて疲労したら、恐らく入院する。だから、彼女の同僚は固定的に帰って診察し、しかし、しばらく診察をしても、データがずっと下がることが出来なかった。彼女の同僚は寶吉祥漢方医診療所の漢方薬を飲んでから、帰って診察する時に、病院の医者はデータをみて彼女の同僚に「最近、どんな薬を飲んだことがあるのでしょうか」と尋ねた。同僚は漢方薬を飲んだことがある。医者は「食べ続けよう」と言った。うま、彼女の同僚の身体はとてもよいだ。同僚のご主人は蕁麻疹があって、すべての薬を全部塗るのはすべて無効で、一回、彼女は同僚に寶圓膏を使うことを紹介し、これからただ寶圓膏で蕁麻疹の不適感を改善することができる。彼女のもう一人の同僚は極めて悪性の鉄欠乏性貧血をわずらって、普段に鉄剤を補充して、しかし食べてから一定の時間が止まらなければならなくて、さもなくば鉄中毒になる。毎月に生理期が来る時に、彼女の同僚はとても苦しんで、甚だしきに至っては休暇を取って休まなければならなくて、彼女も同僚を紹介して宝吉祥漢方医診療所まで診察をして、漢方医診療所の注意深い診療のもとで、同僚の病状は改善を得て、月経が来る時もう辛抱することができなくなくて、最後はまた妊娠して男の赤ちゃんを生まれて、夫妻はすべてとても嬉しかった。彼女はまたある同僚の息子は秀姑巒渓に行って舟を浮かべて、結果、足が深刻な日焼けは水ぶくれができて、同僚は電話をかけて彼女のどうするのと尋ねた。彼女は同僚に寶圓膏を絶えずに拭くことを教えた。結局、二日に1缶の寶圓膏を使ってから治されて、また、何も傷跡を残していなかった。この女弟子は自分の周りにまた多くの寶吉祥漢方医診療所に世話されることと寶圓膏を使って成功のケースがあることを感じて、しかし、時間が有限で感謝のことが限りがない。

彼女は尊き金剛上師に本当にとても感謝し、衆生のためにしてあげる様々な済度だ。彼女は自分がひどく幸運を深く感じて、このような具徳で慈慧を共に修める大修行者に皈依することができて、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに永遠にしっかり従って仏を学んで、一心に布施を供えて、教法により従って実行して、浄土に往生して再び輪廻しないで、上師恩及び仏恩に応えることを誓った。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご身体が健康し、法輪を常に転じて、永遠に世にとまってることを祈願し、また、直貢噶舉派の仏法事業が円満で栄えていることも祈願した。

それから、領衆弟子は参列者を連れで『阿弥陀経』を唱えて、唱えて終った後で、六字大明呪を唱えて法会が終ったまでのである。

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2013 年 03 月 09 日 更新