尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2012年11月18日

法会が始まる前に、1人の女子弟子と子供は法会の参列者に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの全家族を助けた経過を分かち合った。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した縁起は2007年の初めである。その時、彼女の母親は逝去して、母親はとても深い恨みと不満を持ったまま死んでしまって、そこで彼女が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに母親を済度するよう祈った。二回拝謁した後に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に彼女の母親を済度することを承諾してくれて、そして彼女が菜食精進料理を食べて施身法法会に参加することを要して、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の母親を済度して、母親に執着の心を放下させたことに感謝する。

彼女は1990年に娘を生んだ後満1か月に病気で倒れてしまって、1粒の米さえも、1滴の水さえも口に入れることができなくて、食べるとすぐに吐き出した。漢方医が脈をとった後に、彼女の六脈がすべて虚だと言われたが、しかし西洋医の診断がただ不整脈だけであり、彼女はすでに彼女を救うことができる人がいないと感じて、その時、彼女は更によく腹が痛くて、彼女にナイフを持って自分の胃袋の中へ挿し込みたいと思っている。

1992年、彼女は再度妊娠して、ずっと漢方医で身体を強健にして、いやいやながら子供を生んだ。生み終わった後に、彼女の体が更に虚弱になって、半年を連続して1回1万元の漢方薬を飲んでいたが、しかし婦人科の脈拍の状態はやはりずっと上がってきていない。医者は処方箋を研究しようと言って、最後の処方箋は脱陰という処方を書いて、しかも彼女が再度生育することができなくなって、もし再び出産したら、彼女は死ぬと言った。また彼女がこの薬の処方箋をそのまま残ってください、なぜかというと彼女が年を取った時にこれらの病気が再発するから、と教えた。彼女は忽ち、やばい、この一生にこれたの病気に罹って亡くなると感じる。彼女は、彼女がよく養生して身体を強健にして、将来できるだけ息子と娘の負担にならないようにして、全力を尽くして子供を大きく育てて、息子と娘がすべて独立できるようになったら、彼女が離れる時だと思っている。だから彼女は漢方薬を服用して一回も中断したことが無くて、しかもすべて最もトップクラスの漢方薬の材料を使うのである。

2007年に至って、彼女は因縁があって尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに出会って、そこで寶吉祥漢方医診療所に体を調整しに行った。彼女は9月初めにちょうど皈依を申し込んで、10月初めに彼女の顔に赤い発疹が現れ始めたことを覚えた。そこで彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女が上師と仏菩薩に対して信心がないと開示した。一週間の後、彼女の顔の赤い発疹が治れたが、しかし彼女の指が潰爛し始まって、引き続いて体である。12に月、彼女の全身四肢の皮膚がすべて潰爛して、絶えずに水ぶくれが出来てその上非常にかゆい。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは医者が彼女に伝言して、最も主な病因が脾臓の濡れることであり、この病気に罹るのはもう長いが、治れることができて、しかしそんなにすぐに速いことではなくて、彼女が根気良くなると言いつけなさいと伝言するように要した。

2008年一月の初め、彼女は大体一ヶ月ぐらい全然出勤することができなくて、朝に1瓶の寶圓膏を塗り終わって、夜にもう1瓶を使い終わった。一部始終全部が2百数瓶の寶圓膏を使った。その時の彼女のうわべは枯れて黄ばんで痩せこけているから、家族と同僚はすべて彼女を議論していて、彼女が宗教を信仰して狂って病みつきになると言った。彼女は自分に教えて、彼女が時間と成果を以って、彼女が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して仏を学ぶことが正しいことを証明したい。彼女は毎週中断せずに寶吉祥漢方医診療所まで診察を受け続けて、ずっと端午の節句の当日まで、彼女の皮膚はついにもうかゆくなくて、良くなった。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの恩にとても感謝する。

引き続いて、彼女は彼女の夫の発生した事を分かち合った。彼女の夫は1987年に第1回の交通事故が発生して、顔の頬骨が手術を行った。1993年に第2回の交通事故が発生して、大腿骨が骨盆腔部へ押し合って、腹の回腸が破裂したから、その故に9センチメートルの回腸を切り落として、糞便がそのため胃部と肺部まで広がって、全体の腸が壊死したことを招いて、肺部の気孔も糞便をいっぱいに詰め込んだ。2001年にまた第3回の交通事故が発生して、その時頭部の頭頂葉人格区にぶつかって、毛細血管は血にしみて、胸部の前後の肋骨が全断し、気胸が発生して、肺部が変位した。2003年、彼女の夫は癲癇が初めて現れて、その後大体半年か八ヶ月ごとに一回現れて、彼らは夜中或いは明け方に常に救急車に連絡して彼女の夫を病院に送って、病院に出入るのは台所に出入るように頻繁である。

2008年1月6日、彼女は始めて皈依したばかり、彼女の夫は酒を飲んで気が狂く。仏机の法写真を壊して、彼女の皈依証及びアチ護法を破った。更に彼女に道場へ行かせなかった。彼女は恐くて怒って夫に言った。毎回彼は交通事故に遭って、病院は数えない危篤の知らせが伝えられて、全て彼女は全力を尽くして彼を介護した。彼女の母は深い憎みを持って亡くなったが、母の苦しみは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに済度された。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の母を救ったが、彼女はとても殊勝を感じて、断固たる決意を持って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する決心を伝えた。彼女の夫は聞いた後何も言わなかった。

彼女の夫は法写真を破った一週間後、夫は癲癇の発作を起して入院した。彼女は夫を連れて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、更に皈依証が破られた事を報告した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に開示した。「貴方の金が紛失しないが、仏菩薩の法写真は無くなった!」続いて慈悲に彼女の夫に仏像を壊すのは悪い行為だと言った。また、「此処に来て私は貴方を加持する。」と言った。彼女達は病院に戻った後、ベテランの年寄り医師は来て、はっきりに彼女の夫に必ず酒をやめると伝えられた。だから、夫はタバコ、酒、ビンロウをやめた。彼女の息子は可笑しく言ったが、数年間にお父さんは何回も病院を進出しているのに、酒をやめると診断されないが、何故今回始めて診断したか。彼女は息子に言って、此れは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得るから、彼女達はこの福報があって助けを貰えた。

2009年始め、彼女の義弟は無名の死体として、病院で二ヵ月後に始めて身分を判明した。当時義弟の顔色は赤い黒色で顔は凶悪だった。しかし、彼女は施身法法会に参加した後、彼女達は義弟の遺体を焼く前に、彼女達は再び遺体を確認する時、義弟の顔は非常に白くて綺麗になった。彼女の夫はすぐ泣き出した。それは彼女の夫は弟と付き合って40数年以来、弟はこのようなハンサムのを見た事がない。彼女はすぐ夫に言って、此れは尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは施身法法会を主法した後、義弟は済度された瑞相だった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェしかこのような大能力を持っていない。

2010年彼女の夫は菜食した。同年6月に彼女の夫は仕事で状況を発生して、同僚に虐められたが、生きる気持ちを持たず死にたがった。彼女は夫を勧めて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に開示されて、彼女の夫に同僚に謝らせた。暫くした後再び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する時、彼女の夫は思わずに言った。「リンチェンドルジェ・リンポチェ、私は貴方に従って修行します。」尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の夫に言った。「修行を言わないで。まず貴方の気性を修正しなさい。」彼女の夫はとても驚いたが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはは何故彼の気性が激しいと分かるだろうか。彼女の夫はようやく彼女が仏を学ぶ事を反対しない。同時に彼女も夫を連れて一緒に日本大文字祭りの法会に参加して、仏菩薩を親しくさせた。法会から戻った後、彼女の夫は毎週の共修法会に参加する事を求めた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲に同意した。

2011年1月30日、彼女の夫は仏門に皈依した。此れは彼女は一緒に永遠に考えられない事だ。彼女の夫の実父は薬を飲んで自殺したが、母は賭けて癖になった。彼女の夫は幼い頃から母に従って困窮して流浪の身となった。夫の母は継父と結婚した後、継父の数千万の財産を賭けてしまった。彼女の夫は幼いから、作り笑いをして、決して他人に家庭の背景を知らせない。今日彼女は夫の同意を貰ったから初めて分かち合った。

彼女はまだ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しない前に、彼女達は家にいる時常に殴り合いになって、子供は非常に恐がった。彼女は常に彼女達はほえる山荘に住んでいると形容して、毎日ほえている。彼女の家庭は丸で時限爆弾が何個あるようで、いつでも爆発して、一刻でも落ち着いていない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した後、彼女の夫は却って菜食して、仏門に皈依した。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェだけこのような大摂受力があると賛嘆した。

2011年7月ある一回、道場の法会が終わった後、彼女の夫は突然に癲癇の発作を起して、病院に運ばれて、体に三つのチューブを挿した。30分間酸欠及び激しい痙攣しているから、CPK値は10万になった。一般人は100以下で、運動選手は運動した後も約400や500くらいだ。医師は既に危篤の知らせを出した。一般はこのような高い数値なら、大量な水分を与える必要だ。しかし、点滴を注射した後、彼女の夫の尿液は益々少なくなって、手足は大変に膨らんだ。医師は状況は大変だと伝えて、腎臓はタンパク尿に詰められて、性能を失うから、人工透析を受ける必要だ。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを祈って夫を助けた後、夫は無事に危険期を過ごした。始めて彼女の夫の尿はこげ茶色で、二日後徐々に清めて薄い黄色になった。だから、医師は人口透析を受ける必要がないと言った。

彼女の先生は退院した時に、医者は彼女の息子に「あおなたのお父さんはとても幸運で、このような重症の疾病のようで、何回目の人工透析を受けなければならなくて、けれども、あなたのお父さんは一回でもしたことがなかった」と言った。普段に言えば、彼女のご主人が酸素をこんなに長くて欠けて、植物人間になるはずで、けれども、なることがなかった。彼女のご主人はただ記憶体だけで傷けられて、過去の18年の記憶を忘れてしまった。また、今回の入院は嘗てのように集中治療室にてはいることがないで、手術も要らないし、今回、彼女のご主人はただ薬物の治療を行っただけである。かつて、彼女のご主人は入院した時にすべてとてもいらいらして不安になり、すこしでも静がることもなかった。毎回、集中治療室にはずっと家族が残って彼に世話しなければならなかった。今回、初めて24時間に集中治療室で彼に世話することが要らなかった。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝し、寶吉祥漢方医診療所があって、その上、大量の野生のオニノヤガラと漢方薬で彼女のご主人の身体を養成した。ご主人の記憶力はすでに段々に回復し、いま、彼女のご主人の生活品質はとてもよくて、食べられて寝られて、一般にように、自由的な活動することが出来る。

彼女のご主人は道場に癲癇を発作した時に、幸い兄弟子達の助けてがあって、病院にいくことを処理した。彼女はすべての兄弟子の助けと苦労な世話に感謝した。彼女もその時に皆に恐がらせられたことを申しわけなかった。かつて、彼女はただ一人で処理しかなかった。いま、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及び道場の兄弟子達の助けがあって、彼女にとても安心させた。

彼女の息子は子供時代から騒がしい環境の下で成長するため、安心感がないし、内心も驚き恐れて、いつでも 武装している状況だ。彼女のご主人は道場に癲癇を発作したわけで、彼女の息子は因縁があって尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。彼女の息子は皈依した前に、腕白でいたずらをして、よくけんかして、遊びに夢中になって、真剣に勉強していなかった。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した後で、彼女の息子は再び喧嘩しなくて、真剣に勉強することも始めていく。最近、彼女の息子は彼女に話して、彼は急に家の中にとても静かだと感じて、彼は家で待つことが好きなようになった。これらの一切の変りはすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けに感謝し、彼女の家庭は地獄のような生活の中に離れられて、彼女は金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大慈大悲の済度に感謝した。

彼女は過去でしたことがすべて私利私欲を貪ったこを懺悔し、一切の苦難はすべて自業自得だ。彼女の父親は魚を売ったことがあり、家に三食が殆ど海鮮で、子供時代から彼女の父親が彼女に対してとても可愛がって、毎日に彼女を連れで映画を見に行って、子供から大人までだれでも打って罵っる人が居なかった。彼女は毎日にただ嬉しくて汚損で居て、ただ手と足を潰爛して皮膚がよくないことを心配し、無数な医者をみたことがあり、たとえ民間の処方を聞いて蛇のスープを飲んでも、同じように治されていなかった。彼女は勉強していたときに、両親は彼女に勉強させないことを責めて、怒ってから母親に話していなかった。彼女は彼氏を選んだときに、ご主人が賢くて素早くて、136の高智商があって、共に事業を作ることができると思って、またご主人の肌が白くきれいな皮膚をむさぼり求めて、彼女の自分の皮膚も良くなられると思っていた。ご主人と一緒に付き合ったときに、生育したくなかったわけで、ずっと子供を7回目に取った。彼女とご主人は極めて厳重な殺業を犯して、しかし、全然知らなかった。また、彼らは普段にたべて飲むことがすべて衆生を殺害することを言うまでもなかった。彼女は働くときに真剣ではなくて、会社の時間を盗んだ。彼女の内心に貪瞋痴慢疑の非常に熱い五毒を充満し、十善法も完全に違反した。彼女は深く懺悔し、性格が剽悍で、傲慢で無礼で、粗野で、愚かで無知で、注意深くない、いつも独りよがりで、因果を深く信じないで、自分の意欲に達成できないなら怒って、話し方が鋭い、正しいであれば向こうに許さなかった。更に大変なことは彼女は苦しみ教訓をとても忘れやすくて、ただ一切の逸楽と幸せを貪って、とてもだらけて、如何なることはやはりただ自分だけで考えて、私利私欲をむさぼる人間である。

彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの順序立てて上手に教え導く教戒、よく言いつけることを感謝し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈大悲に感謝し、衆生の苦しみを慈悲深く哀れんで、「仏門を広くてあげて、衆生を遍くどすづ」で、彼女に愚鈍な無明な弟子及び家族に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な教導に受けさせた。彼女は過去に思って考えていって行ったことがそんなに粗野でひどく傲慢で、いかに悪的なして、難しく制約られたことを急に発見した。彼女は自分がいかに愚かな無知で、代々に累積する悪習が深くて厚いことを恥じ入る。その上、彼女は自分が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの厳しい教導をいかに要ることを深く体得し、衆生はいかに仏法の助けがいることを深く体得した。

「上師に難しくてあえて、仏法を難しく聞こえる」で、彼女は寶吉祥弟子として、いつも自分を気づかせるべきで、仏法を学ぶ機会をとても大切しなければならない。「仏法は限りなくて、仏恩は浩瀚広大だ」。彼女は六道輪廻を離れられることを祈って、広大無辺の各々衆生はすべて仏法を助けをもらえて苦しみを離れて楽を得られる。最後、彼女は直貢噶舉派が仏法が栄えていることを祈願して、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご身体を健康し、仏法事業を円満で、法輪を常に転じて、永遠に世に止まって、一切な有情を祈願した。

引き続いて、領衆弟子は参列者を連れで1時間の六字大明咒を唱えて、真言を唱えて終ってから、参列者は法会が終ったまで静坐してである。

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2013 年 03 月 31 日 更新