尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2012年10月21日

2012年10月21日に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、日本宮城県石巻市観光協会の懇切な祈請に応じて、初めて石巻市の石巻グラントホテルで殊勝な「チベット仏教直貢噶舉派 阿弥陀仏無遮大済度法会」を自ら主催して、2011年に日本東北大震災及び津波で苦しみを受けて亡くなった有情衆生を済度した。この法会は日本人の信者6人、台湾人の信者5人、日本人と台湾人の弟子113人、合計で124人が参加した。祖師 ジッテン・サムゴン、歴代伝承上師、尊勝なる直貢チェツァン法王、直貢チョンツァン法王、及びアチ護法の加持と加護の下で、法会は清浄で円満に完成され、功徳が無辺の衆生に広く被って、法会に参列した衆生が法喜を満たした。

今度の法会の縁起は、リンチェンドルジェ・リンポチェの日本弟子、信者、及び石巻市観光協会後藤宗德会長及びの懇切な祈請で、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが初めて日本東北地区で主催した大済度法会である。リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生の求めに応じて、2011年3月11日の日本東北地震と津波での遭難者を助けることを慈悲に承諾して、今度の法会も石巻市で初めて催した大済度法会なので、現地の苦しみを受けている広大な衆生に無量無辺で有益な助けを与えただけではなくて、直貢噶舉の法脈を京都から日本東北地区まで拡張させて、本当に直貢噶舉の殊勝で盛大な事である。

法会の当日、日光があまねく照らして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが搭乗した飛行機が着陸するところ、空にまたがる2本の虹が現れた。しかも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは空港に着いた時、空は甘露妙雨が数分間も降っていた。そして、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは会場に到着する前に、会場の上空にはめったに見ることが無く大きな鳥が現れて、ひっきりなしにぐるぐる回っておいて、大修行者の到来を迎えて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが到着した後に、大きい鳥が消えてなくなって姿に会わないで、きわめて不思議である。このように様々な殊勝瑞相は再再、大修行者の到来が現地の無数な衆生に利益することができるのを明らかに示すのである。

法会が始まって、法会に参加する大衆が恭しく起立して合掌して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが法座に上がることを恭しく迎えた。法音楽の中、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは経幡、薫香炉の先導及び宝傘の護送の下、八吉祥図が印刷されて花弁を撒き散らしている白いじゅうたんを歩いて会場に入った。リンチェンドルジェ・リンポチェは恭しく諸仏菩薩に頂礼して、そして尊勝なろ直貢チェツァン法王と直貢チョンツァン法王の如意宝法座にハタを捧げて、点灯して仏に供養して、そして法席に上がりました。

法を修める前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは法会参列者に貴重な仏法の開示を与えた。

今日修めるのは「阿弥陀仏大済度法」であり、仏法は衆生を利益するためであり、有名になること或いはお金を儲けることに用いるのではない。今日「阿弥陀仏大済度法」を修める因縁は、日本人弟子 中森光彦と石巻市観光協会後藤会長と小野寺さんが北京寶吉祥仏法センターに来て、リンチェンドルジェ・リンポチェに2011年3月11日に日本東北地震による津波で遭難した亡者を助けることを懇切に祈り求めた。仏法は因縁を講じるから、衆生が仏法の助けを恭しく祈請しさえすれば、仏菩薩と上師は衆生の祈り求めに応じるのである。

仏法には、修行する方法が2種類あり、一つは顕教で、もう一つは密法である。顕教は日本人がふだん読経したり、念仏を唱えたり、座禅をしたりする方法である。仏を学ぶ者は殆ど顕教であるが、ただ少数のある条件を備える者は密法を習うことができる。密法はインドから中国に伝われたのであり、中国に入って来た後に、一派がチベットに伝わってきた。日本には東密もあり、中国の唐の時に伝われてきたのである。しかし今には中国に伝われた唐密がすでに伝承が絶えたが、日本に伝われた東密が保存された密法が4つの部分の2つしか残っていなくて、チベットの密法はこの4つの部分がすべて完全に保存される。チベット仏教には、ゲルク派(格魯巴)、ニンマ派(寧瑪巴)、サキャ派(薩迦巴)とカギュー派(噶舉巴)など四つ伝承があり、リンチェンドルジェ・リンポチェの所属する伝承はカギュー派(噶舉巴)の直貢噶舉派である。

顕教は仏が諭された一切仏法の道理である。密法は使用して、自分と大衆に成仏するように助ける方法である。リンチェンドルジェ・リンポチェは1つの簡単な比喩で皆に理解させて、顕教はそなた達が幼稚園から高校まで勉強した資格と経歴で、密法は大学、修士、博士を勉強して最後に教授になるようである。

今日修める「阿弥陀仏大済度法」は密法である。「阿弥陀仏大済度法」はチベットから伝わってきたので、阿弥陀仏は蓮花生大士に自ら伝授された済度する方法である。阿弥陀仏大済度法を修める主法者は必ずリンポチェの果位まで証得した行者でなければ修めることが出来ない。「リンポチェ」の意味は宝であり、世の中の宝である。済度とは二つの事である。「済」は仏法の慈悲の力を以って三悪道(地獄道、餓鬼、畜生道)の衆生に三善道まで、甚だしきに至っては浄土まで行くように助ける。「度」は衆生に彼岸、仏の国土に行くように助ける。済度することはちょっと読経してやり遂げることではなくて、こんなに簡単なことではない。

済度の意味は亡者を一つの所からもう一つの所まで引率するのである。例えば、そなたは東京に行きたいと思うが、もし行ったことがなくて、どのように行ったらいいか知っていない場合であれば、一部の人がそなたにどこで車に乗ったほうがいいと教えてあげて、これが一部の人が亡者のためにお経を読経したり経文を書くと同じように、しかし亡者がきっと仏の浄土まで着くことができることを保証しない。ちょうど東京に行きたい人は、自分がお金がなくて、或いは行くことを決心していないと、最後は東京に到着することができない。一部の人はよりよく修行していて、お金を出して乗車券を買ってそなたを乗車まで見送るが、やはりそなたが自分で車に乗らなければならない。しかし、そうしても、そなたが行けることを保証しないで、そなたは車の上で寝坊してしまうかもしれない。或いは駅名を聞き間違って違った駅で車を降りるかもしれない。結果はやはり着くことが出来ない。最も良い方法はある人が自らそなたを連れて行くのであり、その上彼は自分で行ったことがあって、あなたを連れて行く能力もある。これはただ密法の行者がやり遂げることができる。だから法本が言及されるように、阿弥陀仏大済度法は「速証」であり、最も急速に成就することができる方法である。

チベットで、この法はもともと1日中修めなければならないが、しかし今はビジネス社会で、皆さんはとても忙しくて、落ち着いている心で1日中法会に参加することができない。それはそうであるが、そなた達は1日かかって酒を飲むか旅行することができる。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分で大変にして、体力を消耗して皆のために速く修めてあげて、法を少し速く修めても、しかしそのため内容を減らすことがなくて、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが禅定の中で法を修めるから。

今日来る信者はすべて一つ慈悲な心と過ちを改正する心を持って法会に参加するように、日本の津波の中ですべての苦難をうけている衆生を代表して法会に参加して;それに慈悲な心を持って、この30数年来この地区で食べられて殺害された衆生を代表して法会に参加するように望んでいる。これらの殺害された衆生は恨みを起こしたから、そなた達は彼らを代表して法会に参加して、彼らがすべて仏法の助けを得ることを祈って、今日の法会は人を助けるだけではないから、同じくそなた達が殺害した海鮮と動物を含んで、だからそなた達が法会に参加して、慈悲の心と過ちを改める心がある。

そなた達は仏の助けを祈り求めたら、仏の教えにも従うべきである。お経には、世の中の災難、戦争と意外はすべて、殺生して肉を食べることによる因果応報である。今日この地区はこのような災難が発生して、ここの人達は嘗て多くの衆生を傷つけたことがあるから。今日参加しに来る現地の信者は多くないが、しかし苦しみを受けている衆生を代表して法会に参加することができて、苦しみを受けている衆生に機会があって仏法の助けを得させる。そなた達は法会に参加する時、元気を出して、とても疲れるか眠いと感じないでください。このようにすると、亡者に対して敬しくないから。

リンチェンドルジェ・リンポチェは法を修め始まって、まずはこの壇城を祈請し清浄する儀軌をを行って、そして阿弥陀仏がここにいらっしゃるようにお祈請した。引き続いて、本尊阿弥陀仏を供養する儀軌を行った。次の儀軌は主法者に本尊と合わせて1つとなって、無二無別となってから、阿弥陀仏を供養して、そして阿弥陀仏、観世音菩薩、大勢至菩薩を賛嘆した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、これから修めるのが密法なので釈明しないと開示した。法を修めている過程に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法を修める儀軌の内容と意味について一段ごとにごく分かりやすく開示した。参列の大衆は皆、仏法及び尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに比類がない恭敬の心を生起して、そして仏法が衆生に対する助けがどこにでもあることを深く理解した。同時に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェも法会に参列する大衆を率いて阿弥陀仏の心呪を長い間唱えていて、法会参列者に諸仏菩薩の広大で無辺の加持を得させた。

そして法会に薈供を行って、本尊を供養した後、参列者に諸仏菩薩と共に受用して仏を学ぶ資糧と福報を累積する殊勝で得難い機会を与えるためである。そして、済度の儀軌を行って、出家の弟子は済度の名簿リストを持って壇城の上の主法上師リンチェンドルジェ・リンポチェに五体投地で三回礼拝した。済度する儀軌を行う時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは数度も法会に参列する大衆が済度したい衆生の名前を言い出して、そして参列者が起立して壇城に三回辞儀をするように指示しました。法会参列者は皆、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲な大能力で衆生を済度したことを受領して、現場はきわめて厳かで荘厳である。

法を修める時、法会参列者は皆、地が震動してごろごろという音を立てた瑞相を感じて、しかも、リンチェンドルジェ・リンポチェは米粒と花弁を撒き散らして、一切衆生を代表して諸仏菩薩を賛嘆して供養する時、撒き散らした米粒と花弁がすべて空中に滞留して、そしてゆっくりと落ちて、きわめて見事である。米粒と花弁が空高く至る所にあって、その位置がよく見えた。この殊勝な瑞相は十方の諸仏菩薩がこの賛嘆と供養を受けることを表して、大修行者の無量の修行成就をも代表する。

▲ 米粒と花弁は空中に滞留して、そしてゆっくりと落ちた。

▲ リンチェンドルジェ・リンポチェはすでに手をおろしたが、しかし米粒は依然として空中に滞留してて落ちていない。

修法が円満に終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに参列者に開示を与えた。今回法会の縁起について、後藤会長と小野寺さんに感謝して、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの土地が全て吉祥であるのを望んでいるが、ある重要な条件はもはや衆生を傷付かない。

今日法会の中にある弟子が年寄りなので、順調に事を遂行しなかった。皆が見たが、壇上に全ての部品は台湾から運ばれて、部品は47箱であり、荷物は9件であり、合計56件である。弟子達はおとといに東京を到着したばかり、昨日石巻市へ移動して午後始めて壇場を配置した。夜11時過ぎに会場の電気が切れて、翌日朝弟子達はまた引き続きに仕事をしているから、今日少し疲れたかもしれないが、小さいミスが起こって、完璧に行わなかった。

仏法の中に、人は、国、宗教によって差別がない。この台湾から来た弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学んで、金を出したり、力を出したり日本に来てこの地方のために僅かな貢献を行った。今日日本信衆が数人しか来なかったけど、参加の人数が重要ではない。最も重要なのはこの土地のため少し行えるかどうか。今日来た日本人が仏法に正しい理解できるように望んで、仏法はこの土地で尚更に助けが必要な衆生を助けるように望んだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは先修法の間に鈸(はち)を打った弟子に立たせると指示して、彼に何歳を聞いた。弟子は「62歳です。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に65歳であるが、しかし、この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェより老けて見えた。先程彼は鈸(はち)を打った力が足りないのは彼が密法を学ばないから。

殊勝で円満に修法した。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に一切順調で吉祥を祝福した。法会が円満に終わって、参列者は起立して恭しく合掌してリンチェンドルジェ・リンポチェを見送って、リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して殊勝に修法した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自分が累積した広大な功徳で法性の定境の中に修法した。だから僅かな三時間過ぎだけ、円満に修法した。リンチェンドルジェ・リンポチェは名聞利養のためではなく、無私で仏法を広めて衆生を済度して、自身修行の大成就で無数有情衆生を利益した。参列者は皆今回法会の荘厳と殊勝を深く感じた。皆も賛嘆して感謝した。

法会が終わった後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは特に開示された。大済度法は円満に修法した後、日本は去年(2011年)311津波後に今まで見つけられない被害された船及び遺体を見つける。リンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたとおりに10月25日リンチェンドルジェ・リンポチェは円満に修法した第4日目、日本はニュースを報道して、被害地に遠い所で既に311津波の中に被害された船と遺体を見つけたことを証明した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、不思議な大功徳力で無数な有情衆生を済度して、衆生に苦痛から抜け出した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの広大で無辺な大成就を賛嘆して、無比で強い慈悲な願力で衆生の懇切の要請を応じて、自身の修行の無量功徳で虚空中に無数な衆生に無量で清浄な仏法の利益を得させた。

同じな時間に台北寶吉祥仏法センターでの法会が始まる前に、ある男弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは家族に広大な恩を感謝して、今回彼は先に父と自分が上師に助けられた経過を分かち合った。

彼の一番目の姉、姉の夫及び二番目の姉は全てリンチェンドルジェ・リンポチェの皈依弟子である。彼は始めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁したのは1999年だった。当時彼はまだ中学生であり、唯会ったのは素晴らしい修行者しか分からない。当時彼は問い合わせした事は全て仏法に関わらなくて、仏を学ぶ機縁も把握出来なかった。高校の時、彼の姉は引き続きに法会に参加して、更にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。しかし、彼は却って中途半端にして施身法法会に参加した。唯法会に得た福報を貪って、仏を学ぶ心はちっとも持っていない。4年前に(2008年)彼の祖母達は次々に亡くなって、リンチェンドルジェ・リンポチェに殊勝なポワ法及び施身法に済度された時、彼は始めて決断してリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して仏法を学んだ。

まず、彼は懺悔して皈依した後、供養の心を持っていない。せっかくリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて法名を賜る機会を得たのに、恭しく供養しなかった。皈依した後、法名を持つだけではなくて、寶吉祥仏法センターの赤いベストも持たなかった。唯青いベストしか持っていない。ある一回共修法会で彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに叱られて、「デートのために金がかかったけど、供養の金がない。」リンチェンドルジェ・リンポチェの大きい加持を得たから、彼は毎週の火曜日、木曜日、土曜日に授業が終わった後、バイクで桃園から台北へリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔した。懺悔のお陰で、自らリンチェンドルジェ・リンポチェは如何なる慈悲に様々な法門で全ての衆生を助けたのを見た。健康、仕事など様々な難問に関しても、リンチェンドルジェ・リンポチェは苦労を厭わなくて、助けを与えた。彼は尚更に理解して、供養の心がないと、三宝を敬わないと同じであり、仏を学ぶ事は言う事もない。

心から考えを変えた後、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の心を透視できるように慈悲に彼を呼んできた。彼に自分の過ちを分かるかどうかを聞いた。彼は「三宝を敬わなくて、供養の心がないです。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェはため息をついて、彼に何歳を聞いて、彼に大人になって、もはや子供のようにしないと勧めた。それで慈悲に彼に法名は「定悔」をつけた。彼は今から考えると、リンチェンドルジェ・リンポチェの教法が本当に不思議であるのを深く賛嘆した。リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、父のように自分を教導した。

続いて彼は引き続きにリンチェンドルジェ・リンポチェが自分の父を助けた経過を分かち合った。幼いから大人になるまで、彼は父を尊敬して憧れた。父は風水、八字、姓名学など研究する事が好きで、友達が沢山にできるから、家族より友達に優しく対応した。殆ど毎日友達が家にお茶を飲みながら雑談した。だから彼の父は占い、風水を見る事を職業として金を儲けた。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された仏法を聞いた後、始めて占いが非常に悪い仕事を分かった。それは全ての事は因と果の現れなので、悪果が現れるのは必ず前の悪因がある。占いは他人を助けて次第に良くなるのは避ける凶悪である。若し占い師は本当に元々の悪果を避けるなら、根本に解決出来ない悪因は必ず占い者が背負う。だから、彼の父は体が悪くて、糖尿病と心臓病に罹った。

2002年つまり、彼の二人の姉が皈依してから二年後、ある施身法法会が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に彼の姉に父の体調を聞いた。当時彼の姉は完全に父の体調を分からないから、「悪くないです。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは却って彼に「お父さんに自分の心臓を注意しなさい。」とおっしゃった。彼達は唯父があの頃常に中国に行って、風水を見て占って、往復しながら非常に忙しいだけ分かったが。父の体調が全く分からなかった。帰宅後、彼達は父が不断に手で心臓の所を揉んでいるのを見た。更に父に聞いて、父の心臓は極めて不具合だと確かめて、数日後に病院に検査を受けるつもり。

彼の姉は父に言って、リンチェンドルジェ・リンポチェは父に心臓を注意しなさいと伝えた。父もその時驚いたが、彼達に依頼して「リンチェンドルジェ・リンポチェの関心を感謝します。」と伝えた。母も驚いて、彼兄弟に聞いて、彼達はリンチェンドルジェ・リンポチェに父の心臓が不具合だと言ったかどうか。更に常に父と付き合って、所謂「神通が有る」友達達も全く父の体調が不具合だと分からない。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは唯姉を見るだけ、父が子供を関心するように主動に提示した。

週末の法会が終わった後、彼の姉はリンチェンドルジェ・リンポチェに父の心臓は本当に不具合のを報告して、更に父がリンチェンドルジェ・リンポチェへの感謝を伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは深くて長くてため息をついたが、彼達兄弟に帰った後父に「人を助けて占いが、ある時分かっても必ず言う必要がない。あの恭敬心、懺悔心がないように見える人は分かっても分からないふりにしなさい。金を儲ける機会が有れば、必ず儲ける必要がない。家を帰って甘露丸を父に食べさせる。今回貴方の父が命に関わらない。」彼達はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いた後、心の中にとても激動して言葉を話せないが、感謝しか言えない。

その後、彼の姉は若し父に自らリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁するのは最もいい方法だと思った。だから、父に甘露丸を食べさせた後、父にリンチェンドルジェ・リンポチェはとても父の体を関心するのを言った。更に父に聞いて、一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁するかどうか。ようやく父が頷いて同意した。だから、土曜日の午後に彼達兄弟は父を連れて一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の父を見ると、彼の父に「今日せっかく来たから、友達のように雑談しましょう。」とおっしゃった。それは防備心を持った父は瞬間に防備を卸した。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた彼の父に直貢噶舉祖寺の甘露丸を一つ与えて、父にすぐ飲ませた。また彼の父に此れは彼にとても大きい助けがあるとおっしゃった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の父に老婆心からおっしゃった。「そなたはもう年寄りなので、自分の生死のことを考えるべき。しっかりに修行を集中して、自分の未来のために準備して、子供を心配しないで。貴方の二人の娘は私の弟子であれば、私は自分の命を尽くして彼女達を世話します。若し貴方の息子も皈依すれば、私も彼を世話します。貴方はもはや子女の問題を気配しないで。しっかりに修行するべき。」彼は今から考えると、当時機会を把握してリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学ばないのは自分が本当に愚かでエゴだった。

彼の父はその後病院へ心臓を検査して、結果は全て正常であり、問題を見つけなかった。彼の父は長年の糖尿病もリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得るから、今まで飲食でコントロールして薬を飲む必要がない。更に去年(2011年)病院で検査した結果、グリセミック指数は正常な人と同じであり、医師もとても驚いた。この事を通して、更に彼達に深く感じされた。占いは本当に一人の未来を変えられない。父のように宣伝をしなくて有名な占い師でも自分の運命を占って変えられない。リンチェンドルジェ・リンポチェのような大能力を具える修行者しか父にこの難関を乗り越えさせた。リンチェンドルジェ・リンポチェがないと、彼達はもはや一生に苦労して彼達を育てる父を失うかもしれない。彼は再度リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な仏法加持及び助けを感謝する。

彼は懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を教えて常に死亡無常を念じて、止まらなくて自分を検視して、自分の過ちを修正する。自分が修正すれば、家族に仏法の殊勝及び偉大を感じられる。しかし、皈依して以来、彼は仏法を生活の中に活かせず、自分の一切の悪習を修正しなくて、両親を親孝行しなかった。相変わらず成長できない子供のように両親を頼って、両親に自分を心配させて、両親に真にリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示の殊勝を感じさせなくて、一緒に仏を学べない。

彼は懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェは命で弟子を世話したが、彼は相変わらず貪欲で仏法を学んで、百パーセントに教えに従って奉じることを行わなかった。生死を解脱できないだけではなく、両親及び全て苦しい衆生を助けられない。彼は決断して、今後必ずしっかりにリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学んで、百パーセントに教えに従って奉じる。彼は再びリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、彼達への助け及び止らなくて加持と教導をし続ける。最後彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの体のご健康、法輪は常に転じて、仏法事業が円満で一切有情衆生を利益する事を恭しく祈った。

続いて、他の男の弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達一家を世話して、息子が殊勝なポワ法の経過を分かち合った。

彼達一家は2008年11月2日に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。彼の息子はリンチェンドルジェ・リンポチェに会う前に目は既に見えなくて、脳卒中に罹って左手、左足は不随である。脳に失敗な排液チューブを置いた。更に同時に脳室に脳圧、水頭症、脳室非対称など酷い問題を存在して、極めて重度多重身体障害者手帳を持った。当時息子は唯一歳過ぎだった。

彼の息子は生まれたから一年以来、彼達一家は人間地獄にいるようだった。医師は息子のために沢山な入院検査を用意して、核磁気共鳴、CT、X線撮影、心臓超音波、何回も尿道カテーテルを挿入して、何回も血液検査を受けるのを含めた。(赤ちゃんにとって、採血は本当に悪夢であり、常に妻は息子を抱いて一緒に泣いていた。)それで肝脾超音波、視神経、角膜、誘発電位、遺伝子の検査である。また小児神経内科、小児脳外科、血液内科、遺伝科など様々な異なる科の専門検査を受けた。しかし、いくら検査しても同じな回答を貰った。医師はいつも検査結果は正常であり、病気の原因を見つけないと言われた。

彼達は卦算、神頼み、運を補う、星を祭る、米の占い、占い、済公、三太子、関羽、娘娘、玉皇大帝、道教、キリスト教など様々な神頼みや占いにすがる方法を試した。宜蘭、雲林、嘉義、桃園など台湾各地に止らなくて往復して尋ねた。ある者は導くと、彼達は全て試しに行った。しかし、何も役に立たない。当時既に死に瀕している息子はまだ二回に大きい手術を受ける。一回は医師は息子の難病を治療するため、リスクをもって幹細胞移植を行う。もう一回は脳圧の問題を解決するため、医師は再び息子の脳室に手術を受けることをアドバイスした。

入院の当日、ある親友は妻に電話をかけた。この友達は嘗て何回も「阿弥陀仏無遮大超度法会」に参加した事があって、彼達に手術を受ける前に先にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁するのをアドバイスした。彼の息子の事は此れから始めて変化が起こった。

始めてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達に「何の用件ですか。」と聞いた。妻は丁寧に報告したが、息子は難病-大理石骨病に罹って、同時に泣きながら息子が経歴した複雑な医療過程を説明した。この時リンチェンドルジェ・リンポチェは妻の手から子供を抱いて、始めて真言を唱えて長く加持した。当時彼は全く知らなかったが、此れは仏菩薩の大慈悲力であり、この加持は息子を地獄の入り口から救った。彼達は病院に戻って、翌日検査を受けた後、医師は奇跡が起こったと言った。息子の脳室はもはや手術を受ける必要がない。此れは彼の息子は生まれた以後、彼は始めて聞いたいい情報である。その後兄弟子も病院へ息子を見舞った。同時に彼達にリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲で衆生を済度する事跡を沢山に知らせて、彼達に此の世に本当に報いを求めない仏菩薩が存在しているのを理解させた。

彼はまだ覚えているが、ある一回リンチェンドルジェ・リンポチェは息子に加持した後、彼達は車に戻って、息子の帽子を取った時、妻は涙が溢れながら驚いて言った。息子が今まで膨らんでひよめきは突然に凹んだ。更に柔らかかった。前回息子は脳の手術を受けた後、医師は言ったが、脳室腹腔短絡術を受けた後、一般の患者のひよめきは凹んで柔らかくなる。しかし、息子は既に手術を受けてからもはや二ヶ月になるのに、ひよめきは相変わらず膨らんだ。医師もこの状況を解釈できない。ひよめきは凹んで柔らかくなったのは脳圧は安定して下がると表した。息子が膨らんだひよめきは既に長い間に彼達に困らせたが、リンチェンドルジェ・リンポチェに開示された後、僅かな十分後に凹んだ。彼達は再び奇跡を見た。

ある一回朝目覚めて、彼は立った時不注意に息子の足首を踏んで、「カ」という音を発した。息子は始めて泣いていたが、彼は大変だと思った。医師は指示したが、息子の骨が絶対に問題を起せない。若し骨折なら、難しく処置する。彼は自分の過ちを責めて、息子を抱いて一緒に泣いた。妻も泣いている。当時彼の心は本当に痛かった。彼は壇城の前に跪いて一心にリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を祈って、また自分の不注意を責めた。続いて、息子の足首に寶円膏を塗って、速めに病院に行った。X線撮影を受けた後、医師は骨折しなくて、出血しなくて、膨らみもなかった。全ては何も起こらないように息子もいつもの通りに歌を唄った。此れは本当に不思議である。彼達はもう一回リンチェンドルジェ・リンポチェが一切苦難を救える慈悲力を見た。

リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下に、彼らは息子が極めて重度で多重障害の身体障害の手帳をもらっためったにない疾病の児童を忘れてしまった。普通な人は脳圧と脳水腫或いは脳室が不平均になるという三つの問題の中に一つがあれば、入院しなければならない。彼の息子は同時にこの三つの問題があって、2年半ぐらいの時間を維持して、しかし、いつも嬉しくて歌を歌って、特に毎回道場に入ったときにずっと嬉しくて歌を歌って、甚だしきに至っては何度も外国へいって法会に参加することができた。皈依後、彼の息子の重病は身の回りの人々に多すぎ煩悩をあげていないて、特に歌を歌っていた時に可愛い模様は身の回りの人々にとても嬉しさをあげた。家の中にこのような病重の幼児がいたけれども、常に楽しい一家団欒をもらっていた。彼らの全家族の心はすべてリンチェンドルジェ・リンポチェにうまくて置かれた。

それから、彼の息子の生命はゆっくりと萎れていることを始めた。リンチェンドルジェ・リンポチェに開示された四大分解のように、歯を落としたり、皮膚を乾燥したり、身体が寒かったなどで、そして、歌を歌うことをしなかった。ある日、彼の息子は自ら「リンチェンドルジェ・リンポチェ長寿祈請文」を歌っていて、とてもはっきりして、その上、数日に持続して、その後、息子が歌を歌っていることを少なく聞いた。彼と奥さんはリンチェンドルジェ・リンポチェが彼の息子への加持にとても感謝した。往生した前の日に、彼の息子はいつもの通りに、リハビリの歩く訓練を行って、ある左手、左足の片側の脳卒中の子供は意外にこのように能力があって、記録を超えてブースターの上で自分で15分に歩んだ。その日の夜に、彼の息子の呼吸はとても重くて、しかし、意識が明らかだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧と大慈悲願力に感謝した。彼の息子は往生した半年の前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の福報が短くて薄かったことを慈悲深く憐憫し、彼らの夫妻に毎日の朝課に道場に入って大礼拝をさせて、息子のために浄土に往生する福報を累積した。彼の息子は往生したその日の朝に、彼はいつもの通りに道場に行って大礼拝をして、彼の奥さんは家に息子に同伴した。7時ごろに、息子は奥さんの胸の中に、家の壇城の前に往生し、如何なる挿管の治療がなくて、往生の過程がとても落ち着いていた。彼はしばらく病院に駆けつけた後、リンチェンドルジェ・リンポチェはすでに息子にポワ法を修めてくれた。右手とてっぺんの梵穴は暖かくて、その結果、彼のお母さんは一度孫がまた生き返ると思っていた。彼のお母さんもリンチェンドルジェ・リンポチェに第賛嘆を起こして、不思議を言っていた。翌日、彼の次兄と長姉は葬儀場まで子供をみて、その時に、ご遺体保存用冷蔵庫がないで、ご遺体は臨時的なベッドに置かされた。本来、彼の兄弟の気持ちはとても重くて、しかし、ご遺体を見た後で、子供の落ち着く様子は全家族に安心させた。全家族は同時に仏法の殊勝と偉大を証言した。皆はこれが子供がいいところへ行った瑞相を信じていたので、心の中に多すぎ悲しみを持っていなかった。

彼と奥さんはすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝なポワ法の加持に感謝した。彼の息子は往生した時にとても落ち着いていて、普段に寝付くよりさらに落ち着いていた。もし上師に拝見していないなら、彼の息子は早目に様々な医療に苦しめて殺されるはずで、たとえ生きていても、血が換わる生活を暮らすはずで、生きていても死ぬほうがいい。去年、彼らの夫婦は彼の息子と同じような大理石骨病にかかる子供をあって、同じような目を見えないで、すでに7歳けれども、うまく座られなかった。そのとき、大理石骨病にかかる子供はに病院に血が換わって、一周間に2回で、両手がすべて針の穴だ。彼は長くて悲しくて、何回目でこの大理石骨病にかかる子供の母に子供を連れて上師に謁見することを薦めて、しかし、いつも因縁が足りないで、その子供は数月後に病院のアイシーユー病室に往生してしまった。

彼と家族はすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧と大慈悲願力にとても感謝した。リンチェンドルジェ・リンポチェが救うのは彼の息子の慧命を救うだけではなくて、更に彼らの全家族だ。同時、彼は皈依の初期に仏菩薩の信心に足りなかったのに、常に子供を連れでリンチェンドルジェ・リンポチェに強請して求めたことを懺悔した。彼は自分の貪欲で飽くことを知らないことを懺悔した。一回、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに彼の息子の目に加持することを求めた。上師の開示は「ゆっくりしよう。命はすでに拾って帰って、なんとなく時間にかかって、そんなに速くない。法会に多くて参加し、ある日まで目が見える」のである。この開示は彼の心にたちまち落ち着かせた。彼はずっと息子が将来に見えないとどうするの、未来に如何に暮らすかを心配していた。彼はそれからこの開示が仏菩薩の無漏智慧がやっと分かった。

往生後の翌日に、彼の隣近所は彼の息子がいつも通りに嬉しくて歌を歌っていることを夢見て、隣近所に彼が大丈夫と言った。彼らの家族の心は仏菩薩にうまくて置かせた。息子は3ヶ月に往生した後、彼はやっと始めて息子を夢見た。彼は彼の奥さんが始めて息子を連れで外国の法会に参加し、ただ台湾を2日間を離れて、彼はすでに息子を思い出したことをまだ覚えていて、が、今回、3ヶ月を経て、彼はやっと息子と夢の中に出会った。

夢の世界は大題このようなである。彼は大きなバスを乗って、途中に多くの人々が上げて降りて、急に、あるステーションに証明書を検査しなければならなくて、彼は如何なる証明を持っていないので、降りさせることを心配するので、上師に観想し、結局もちろん問題ないで、車を続けて運転し、それから、運転手も降りて、しかし、車は依然として続けて前に運転した。最後、停止し、彼は間もなくて下車し、彼の息子が歌を歌っていることにあって、いつもの通りに嬉しくて遊んだ。彼は息子の傍に歩いて、急に、息子はわざと左手で彼を捉えて、また、目で彼と見て、それから、立ち上げて傍に歩いて遊んで、それから、目が覚めた。その時に、彼はてリンチェンドルジェ・リンポチェの大智慧の開示をやっと深く分かった。彼が考える永遠はただ目の前にこの短くこの世で、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を世話するのが生々世々である。彼はと絶え人類のベストの言語を使っても、リンチェンドルジェ・リンポチェの感謝に完璧な表現することが出来ない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修め終わった後、彼らの夫妻にとても感謝し、兄弟子に彼らが毎日に道場に大礼拝をして止まることができないことを伝えさせた。彼は自分が持続力がないで貪欲と懈怠の心を起きたことを懺悔し、毎日に衆生に返す資糧という承諾を中断してしまった。彼は自分が三昧耶を破ったことを懺悔した。彼はこのような多くの仏菩薩の慈悲と仏法の偉大を見たけれども、彼の貪欲を消えていなかった。

彼はボランティアを担当する時に誇らしくて、難しい疎通で、我がままなことを懺悔した。彼の職業は様々な活動の実行と企画を従事するのである。道場のボランティアを担当する時、常に高慢な心を連れで事をして、ただ他人に批評するだけで分かって、衆生に感謝して上師に感謝することをしたことがないで、ずっと自分の仕事の内容を計算し、自分の利益を計算して、私利私欲を貪った。

2008年、彼は初めてドームで主催した「阿弥陀仏無遮大超度法会」に参加して、法会の無比な荘厳と殊勝を感じた。その時に、彼は従事員の親切な態度及び専業なサービスに感心した。万人ぐらいの活動は会場に入って離れる動線の手配は一番難しくて、しかし、その日に、信者はすべてとても速くて自分の位置を探されて、実行単位は企画した時に必ずとても心を尽すことを明らかに感じられた。このような管理規律は彼がただ軍隊に見たことがある。彼らの同業者はすべて「阿弥陀仏無遮大超度法会」が全国の人数が最も多くて大きな法会を知っている。彼はボランティアに参加していないなばら、このような学ぶできる環境がない。彼は自分の高慢と無知と利己を懺悔し、今後、謙遜な態度を以って、道場にサービスすることができる機会を大切にすることを望んでいる。なぜならば、これはリンチェンドルジェ・リンポチェの智慧にて率いて、彼はただ走り使う人だ。

彼はリンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝し、彼は心から仏菩薩に祈願して、心からすべての因果応報を受けて、因果を深く信じて、累世に犯した間違いを引き受けて、この世に完済することを願って、生死を解脱し、輪廻を止める。彼は子供頃から山に行って鳥の巣を探すことが好きで、それから残忍成長していない幼い鳥が捕えてくるのが家で育てて、どれだけの家庭を離散させたが分からないで、ただ自分の私欲を満足させるためのである。彼は自分がいまの果報を受けられて、誠実にこれらの鳥類の衆生に懺悔した。彼はミツバチ、アリの巣を攻撃したことがある、無数な魚介類を捕えて、同時に無数なセミ、トノサマガエル、蛇などの動物を殺害して、彼はこれらの昆虫、動物に懺悔した。

彼は過去に得意先に騙して、偽者を販売し、利潤を貪ってと求めて、タバコを吸ってお酒を飲んで、麻薬を濫用し、盗んで賭けて騙して、他人のお金を騙して取って、無数な衆生の肉を食べて、彼はいつまでも再び犯しない。彼は過去に責任を負わないで、奥さんに4人の子供をとってしまうように強制して、殺生する罪業を犯して、罪は万死に値す。彼は殺業の果報を受けられる。心からリンチェンドルジェ・リンポチェに罪がない赤ん坊の魂のために済度することを祈って、彼は過去にずっと高慢で悔い改めることが分からないことを懺悔した。

最後、彼は永遠で累世で尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに追随することを願をかけた。彼は心から尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのご身体が健康し、法輪を常に転じて、仏法を世に常住することを祈っている。

それから、参列者は皆、法会が終るまで静座した。

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2012 年 11 月 10 日 更新