尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2012年10月7日

法会が始まる前に、1人の女子弟子は法会に参加する大衆に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の母を助けた経過を分かち合った。

彼女の母は今年(2012年)73歳で、6月下旬ごろ下背と右足が痛くて、体の活動に悪い影響を齎して、だから病院の骨科まで診察を受けた。X線の検査を受けた後、腰椎が骨増殖体に圧迫されていて、及び骨粗鬆症のため、必ず手術をしなければ神経の圧迫の病状を減少できないことを発見された。彼女の母はその時医師の手術を行なうとの提案を受けていなくて、ただ薬を取って家に帰った。帰った後に、右足の神経が圧迫されたから、右足が力がないようになって、家で2度もつまずいて転んで、腰椎の状況に泣き面にハチ、ついに通行困難になっとことを招いた。7月2日に彼女が再度母親を連れて病院まで診察を求めて、そして入院して手術を受けることを待ったのである。

彼女と娘が2004年8月に皈依して仏を学んでから、彼女の母親は彼女たちと一緒に菜食精進料理を食べていて、寶吉祥仏法センターが毎年開催される「阿弥陀仏無遮大済度法会」と「祖師ジッテン・サムゴン記念大法会」にも参加した。8年来、彼女の母親はずっと彼女と娘がリンチェンドルジェ・リンポチェに追随して仏を学ぶことを支持して、彼女たちに仏を学ぶ道に障害がなくなるようにさせたが、しかし母親は道場へリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しに来るつもりが無い。母親は糖尿病と心臓病に罹っていて、その上高齢の関係で、麻酔に極めて大きなリスクがある。入院した後に、彼女は直ちに母に1粒の甘露丸を食べさせて、手術を受ける前の日にも、再び母に1粒を食べさせて、母がリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を得られるように祈り求めた。母親の腰椎は4つの節が破裂し崩壊したから、医師は手術が比較的に複雑で、手術時間が6時間掛かって、もう一人腰椎手術を専攻する医師がいっしょに手術を行なうように手配する、と表した。手術する前の日、愚かで無知な彼女はやっと母親が抗凝固剤(抗血栓剤)を使っていることを発見して、先に薬を止めてから1週間後に手術をするべきで、さもなくば出血して止まらないリスクが増加するから。しかし、手術の期日がもう決めたから、彼女が医師と打ち合わせた後に、依然として予定のとおり手術を行なうことを決めたのである。

母親が7月6日午前10時に手術室に送り込まれて、ずっと午後6時まで、麻酔医師は突然に彼女が回復室に入って母に付き添うことを要した。医師と麻酔医師は彼女に、母親の出血量が少し多いが、しかし手術の過程が順調であった、と教えた。回復室にいる時、麻酔医師が母親の回復状況が良好であることを見て、そこで呼吸のチューブを抜き取ってしまった。抜き取ったばかり、血の酸素の濃度、呼吸の状況がすべて更に悪くなくて、もともとすでに母を病棟に送って帰ると思っているが、10分後、突然に母親は呼吸が停止して、唇は酸欠のため紫色になって、ちょうど麻酔医師に見えられて、緊急に呼吸のチューブを再び繋がる。麻酔医師は恐らく母親が年齢がわりに大きいため、その上糖尿病で麻酔剤の代謝が遅れることを招いたから、その故で呼吸を抑えたと説明した。そして彼女が母親の身の回りで母に声を出して叫んで母親を速く甦るように要した。母親は彼女の音を耳にすると瞳を開いて、そして10数分間の後で呼吸が回復した。医師はすぐさま母に呼吸チューブを抜き取ってあげた。

実は彼女も看護婦で、かなり手術室と回復室の作業の状況をよく知っている。普通な手術の患者は回復室で呼吸が回復して、呼吸チューブを抜き取った後で、いったん呼吸状況が良好であれば病棟に帰るのである。麻酔医師と看護婦は病室と仕事の引き継ぎなどことを連絡しに行って、患者の身の回りで待っていることがありえない。彼女の母は呼吸が停止する時、麻酔医師が母の身の回りにいて、しかも直ちに母親のために再度呼吸チューブを繋がってあげて、これはたくさんの病院の同僚に不思議だと感じさせた。再度挿管するのは患者が植物人になる確率が増加させるが、しかし彼女の母親はあれらの酸欠による後遺症がないのである。

もうチューブを抜き取った母親が依然として、ICU病棟に送り込まれて2日間観察して、しかし回復の状況が非常によい。手術の翌日に排気してそして自分で食事できるようになって、ICU病棟を出た翌日床を離れて立って、5日目にすでに歩くことを練習し始めた。母親は手術を受けた後、右足が力が全く無くて持ち上げられなくて、もともとは立ち上がることさえも困難なのに、歩行補助具器を使って病棟の入り口まで歩いてつくことができて、快復の情況は医師さえ不思議だと感じさせた。

彼女の母は一般病棟に移した後、再び母に甘露丸を一粒食べさせた。更に手術後回復室で発生した事を母に知らせて、若しリンチェンドルジェ・リンポチェの加持がないと、このような順調に回復できない。彼女の母は突然に彼女に言って、退院した後、道場へリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、自らリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝したい。更にリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学びたい。彼女の母は言った。「私は手術を受ける時、とても気持ちが悪いと感じて、目覚めようだけど目覚められないです。突然にリンチェンドルジェ・リンポチェが法衣を着て、法帽をかけて空に浮かんで私を見るのを見ました。私は心の中に止らなくてリンチェンドルジェ・リンポチェに助けてくれると求めました。目覚めた後、貴方が私の側にいるのを見ました。リンチェンドルジェ・リンポチェは私を救いましたから、私はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝します。」

母の話しを聞いた後、彼女は始めて分かったが。母は回復室で息を止める時リンチェンドルジェ・リンポチェに会って、更にリンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び救護を得るから、因縁があって救われた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの大威徳力の加持力に感謝して、母に手術を受けた後一切順調にさせて、機会を与えて仏を学べる。7月21日即ち退院した後土曜日に彼女はすぐ母を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した。彼女の母はリンチェンドルジェ・リンポチェに会うと、涙が流れた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに母が手術を受けた後に発生した状況を報告して、その時母が皈依を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に同意して、母の供養を受けて、彼女の母に機会があって福報を累積できる。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの恩に感謝する。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を関心して守るだけではなくて、弟子の家族も世話した。彼女の母は手術前にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しないけど、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の願力も母を救った。9月23日、彼女の母はようやくリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。母の喜びが言葉や表情に現れた。

彼女は上師の恩に報いるものがないのを深く感じたが、唯決断して真剣に仏を学んで自分の悪行を修正しないと、上師の恩、仏菩薩の恩、両親の恩及び衆生の恩を報えない。

続いて、ある女弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが声を聞き苦しみを救って、彼女の甥一家を救って、彼女の祖母と友達を済度して、自分の母と自分を助けた事跡を分かち合った。

今年(2012年)8月16日夜11時頃、彼女の従兄弟の長男はバイクに乗って、自動車とぶつかった。当時皆は傷の程度をはっきりに分からないが、彼は追越車線に乗るかもしれないが、また走行速度が速いから、交通事故の後ICUににいる時彼女の甥は意識不明だった。第一週目のGSCは3点から5点の間に動いて、彼女は甥を見舞った時、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが子供の頭の上に加持するのを観想した。更に優しくて甥に言った。「遭ったから、勇敢に受けて恐がらないで、憎まないで。おばさんはリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真の前に跪いて、そなたにリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を祈って、そなたの心身の苦しみ、心の怖れ及び不安を軽減する事を祈ります。」彼女はまた甥に「貴方の母は8月26日に必ず尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが主法する『チベット仏教阿弥陀仏無遮大超度法会』に参加します。」と知らせた。

大法会が円満に終わった後から9月1日まで、彼女の従兄弟がリンチェンドルジェ・リンポチェに求める間に、子供のGSCは7点から9点の間に上がった。9月1日、彼女の従兄弟がリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する時、リンチェンドルジェ・リンポチェは当面に「子供は死にません。」とおっしゃった、また、子供の右側の脳は裂傷があって、胸前の肋骨が全て折れた。右大腿骨は開放性骨折になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いておっしゃったが、「時間が必要なので、徐々によくなって、子供は若いから速めに回復できます。」リンチェンドルジェ・リンポチェが甥の傷の状況の説明を聞いた後、すぐ彼女の従兄弟に安心させた。9月中旬の前に彼女の甥はICUから一般病棟に移して、今は引き続きに治療とリハビリ中だ。

彼女は従兄弟に知らせて、リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示された。「ICUは人間地獄です。」彼女の従兄弟は子供がICUの時に子供が苦難に苦しめている姿を見ながら、心に悲しくて苦しかった。更に家族の祖先たちは相変わらず地獄に苦しみを受けていると体得した。だから、彼女の従兄弟は9月22日に再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、リンチェンドルジェ・リンポチェが子供を救った恩に感謝して、また自分に機会を与えて法界衆生を代わりに施身法法会に参加する事を求めた。それはリンチェンドルジェ・リンポチェの許可を得た。

10月4日朝、彼女の甥の脳に六箇所が積水するから、再び手術を受ける必要だ。右足骨膜も同時に手術を受ける。その夜、彼女は病院に甥を見舞った時、見舞い時間を間に合わないから、ICUに入られなかった。ちょうど病室の外に甥を介護する看護者に遇った。彼女は看護者に甥が手術を受けた後の状況を聞いた。看護者は彼女に言って、彼女の甥は麻酔剤が既になくなって、目は元気に見えて、人も分かって、しっかりに看護者の手を引いて、彼女に離れさせたくない。手術を受けたばかりなので、ICUに引き続きに観察されて、翌日朝まで一般病棟に戻るかどうか判断しかできない。翌日朝11時過ぎ、彼女の甥は既にICUから一般病棟に移した、

看護者はまた彼女に一つの彼女に非常に怪しませる事を分かち合った。彼女の甥は第2回の手術をまだ行っていない前に、彼の手がすでにペンを持って字を書くことができて、その上頭を振ったり、うなずいたりすることができて、或いは手を振って、いい、よくない、要る、要らない、さようなら等の動作をうまく表現できる。その時彼女は猜疑の目で看護者を見て、彼がゆっくり一つの字を書くことができるかどうか、その上字がゆがんでいるのか、と聞いた。看護者は、「彼は多くの字を書ける。しかしあなた達は全然信じない。」と答えた。甥の学友達が見舞いにくる時、彼女は甥に聞いて、これらの学友の中では、あなたは誰に字を書いて彼に見せたいか、あなたは書いて皆に見せよう、と言った。彼女の甥は本当に学友の名前を書いて、従妹、従妹婿と来訪の学友が見てから、すべてが驚いて非常に不思議すぎると思っている。

この弟子は大慈大悲な尊金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの聞声救苦と不思議な大加持に感謝した。彼女も多くの兄弟子にお礼を言って、なぜかというと、彼女の従妹に出会う時に、次から次へと激励を与えて、そして口をそろえて、早く尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを祈り求めるようと、彼女の従妹を気づかせたから

去年( 2011年) 11月6日、 彼女の親友は癌のためホスピスで病死した。彼女は友達の家族に告知された時、彼女の友達が既に約1週間往生した。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェがインドで法会に参加して及び閉関修行をしている期間に当たった。約2週以降、彼女の友達の夫と子供はやっとリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁することができた。リンチェンドルジェ・リンポチェは亡者の問題が胸部にあると開示された。彼女の友達の夫は、「はい。乳癌です。最後は全部拡散しました。」と答えた。慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて家族に開示して、「単に自分の個人の力で一心に阿弥陀仏の浄土に往生することを求めるのは、もし具徳な上師を依止とすることがなければ、浄土に往生することがありえない。」と教えた。

その時、彼女の友達の夫はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いた後、急いで妻のために釈明したいと思って、彼の妻の心がなんと固めると説明して、一心に西方の極楽世界に往生するように求めた。彼女の友達は入院している時、彼女の病床の向こうの壁に、1枚とても大型の阿弥陀仏の法照を掲げて、いつも自分に気づかせて、そして自分の心を安住させるためである。彼女の友達が入院する時に何度も医者と疎通して、もし罹った病気が業障、因果病であれば、彼女は喜んで受けて、化学療法を受けたくなく、薬を飲まないで、対治しないとと表明したのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の友達の夫がせっかちにならないで少し落ち着いてくださいと要して、そして「あなた達に開示した同時に、亡者のためにも開示しているのです。」と開示した。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続き指示して、亡者のその時の念仏する心のため、仏菩薩は彼女を捨てていないで、依然として彼女に、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁してさらに彼女に助けてくれる縁を与えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて再び友達の夫に、「家の壁に掲げられている物は何ですか?」と聞いて、彼女の友達の夫は、「妻がチベット仏教の法王に皈依する時の皈依境です。」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは家族に、「先ずは亡者の神識を皈依境の中に保護する。」と言った。

彼女の友達の夫はほろほろと涙が流れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに頂礼して、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に開示した恩に感謝して、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに祈って、彼に殊勝な施身法の法会に参加させて、彼の妻がリンチェンドルジェ・リンポチェの済度を得ることを望んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは再び彼女の友達の夫と子供達に、「あなた達は誰が施身法法会に参加するか。」と聞いて、彼女の友達の夫は、「子供達は現在因縁を備えていないで、先に米国に戻って引き続き入学しなければならなくて、今度卒業してから台湾に帰る時に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しに来るから、その故に先に彼のほうが施身法法会に参加する。」と答えた。

この弟子は大慈大悲な尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが亡者に与えた助けに感謝して、友達の神識を彼女の皈依境の中に保護して三悪道に堕ちさせないで、しかも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの施身法の済度を得たから。

彼女は去年(2011年)9月11日尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。皈依した後で彼女のこの世にどのような幸いで耳順年に近く時に、このような具徳し、大慈大悲で、大威徳力で、大摂受力で、大修行の金剛上師に依止することができることを常に考えている。2011年6月、友達の薦めにより寶吉祥仏法センターにリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して始めた。この前に、数回目のほかのチベット仏教の施身法法会に参加したので、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に「何の用件でしょうか」と尋ねる時に、彼女は直接に智慧がないで「施身法を了解したい」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェはその場で「施身法はそなたに了解できないのである。そなたは三寶を恭敬しないで、仏菩薩に恭敬しない」と開示した。彼女はすぐに涙を流れたくて、涙を我慢して、目をぴったり閉めた。彼女の心の中に「リンチェンドルジェ・リンポチェは開示し、私の態度を指摘する」と考えていた。彼女は叱責だと感じなかった。その後、その場で流れた涙は心が懺悔を起こすことが分かった。慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェは「よし、もし行きたいなら、来週に行けます」を続けて仰った。

その時、彼女は用事があったの外国へ行って、リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見することを申し込んでいなかった。8月14日まで、「チベット仏教阿弥陀仏無遮大超度法会」に参加し、因縁がようやくあって尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに再び会えた。それは彼女は始めてこのような殊勝な済度大法会に参加し、大きいスクリーンにて放送するDVDがリンチェンドルジェ・リンポチェがチベットで仏法を広める日程を紹介し、笑みをたたえてチベット族に加持したことを見ると、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲を感じた。リンチェンドルジェ・リンポチェが「上師を思い起こす」を唱えることを聞くと、とても感動し、涙がまた何も理由がないで流れた。

大法会が円満になったの後ほど、ある道場の兄弟子は彼女の妹の家に上師の様々な信者を度する事績を分ち合って、また、上師の功徳を褒め称えた。彼女のお母さんはその場で涙を流れて、そして、彼女のおばあさんはすでに10年に往生し、恐らくまた苦しみを受けるかもしれないと言った。その兄弟子は彼女のお母さんにリンチェンドルジェ・リンポチェに彼女のお母さんに済度してくれることを祈られることを言った。だから、9月の初め、彼女はお母さんを連れでリンチェンドルジェ・リンポチェにおばあさんに済度してくれることを頼んだ。慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女のおばあさんを済度することを助けることを同意し、また、彼女のお母さんにとても長くて加持し、同時に、彼女たちに殊勝な施身法法会に参加されることを同意した。リンチェンドルジェ・リンポチェは再度彼女に「また用件があるのでしょうか?」と尋ねたときに、どこからの勇気が分からないが、彼女は突然に皈依をお伺いを立てた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは「あなたはそこでいて十分で、私はとても厳しくて、人を罵るよ」と笑って仰った。彼女は「怖くない」と回答した。実は、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する2年前に、すでに顕教の道場で仏を学んで、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女がそこに残すっことが十分だと仰った。リンチェンドルジェ・リンポチェは「菜食をしようよ」を続けて強調した。彼女は「分かった」をすぐに承諾した。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の仏を学ぶ道を啓くことを感謝し、さらに、リンチェンドルジェ・リンポチェはお母さんの供養を受けることをもっと感謝し、彼女の目上に福徳因縁を累積させられた。

日曜日ごとにの共修法会の中に、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示及び世間法の教導を聞いて、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェがどのように90歳のお母さんに仕えることを聞くと、彼女はとても恥ずかしかった。未婚の時に、彼女はお母さんに心配させて、彼女は外でよい食べていないで、偶には、昼食を作って彼女の勤める会社に送った。性格が独立するお母さんは高齢ですが、子供たちは生活と家庭のために忙しくいことを思いやって、末の弟と住んでいるけれども、自分が処理できることを絶対に家族に面倒しないで、常に一人で自分の日常生活を処理する。彼女はお母さんを仕えることをあまり心と力を尽していないことを懺悔し、電話で挨拶することが十分だと思いきや、本当に親孝行しなかった。

小さい時に、彼女は田舎に住んでいて、家族のお年寄りのお金を盗んで、嘘をついて、誠実をしていない、学校をサボって外で遊んだ。昆虫、トンボ、コガネムシ、セミ、小さいテントウムシ、ホタルなどの衆生をおもちゃにして観賞して遊んだ。彼女はまだミミズを掘って餌としてカエルを釣って、が、ヘビを釣った。彼女はかつて水を洞穴を入れて、アリに逃げ出すように強制し、あるいは、バッタに飛び出すように強制した。彼女はこれらの悪行を懺悔し、彼女は彼女に傷つけられた衆生に懺悔した。

彼女は累世の食欲なので、衆生の肉を貪って食べた。これらの衆生はニワトリ、アヒル、魚、ガチョウ、ブタ、牛、羊を含んだ。彼女も様々な海鮮を食べたことがあり、ベロー、カニの種類、エビの種類などを含んだ。彼女の小さい時にまたヘビのスープを飲んだことがある。中学校の時に、彼女の性格は反逆で、勉強が思うか思わないで勝手にし、常に祖父母、父母、父方の叔母さん、おじさん達に神経が疲れて心配させた。彼女は様々な悪行に対して、利己的な考えと純正しない考えに対して、貪瞋痴慢疑の心を懺悔して止まないで、彼女は全ての衆生に許すよてに懇願した。彼女は自分が間違ったことを知っていて、そして、直ちに正すことができることを望んで、決して再び犯さない。もし改正が足りないならば、引き続けて改正して、完全に改正するまでになる。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に納めて皈依弟子にすることを叩頭して感謝した。彼女は言うことを聞いて、教法によりしっかり実行し、真剣な仏を学んで上師の恩徳を報うことを誓った。最後、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が健康し、法輪を常に転じることを恭しく望んでいる。その上、直貢噶舉の法脈は盛んで、一切な有情衆生に利益することを祈っている。

そして、参列者は法会が終わるまで座禅を組んでいた。

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2013 年 01 月 20 日 更新