尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示 – 2012年9月23日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで皈依法会を主催して、53名の信者が皈依したことを承認されたのである。

法会が始まる前に、ある男性の信者は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、法王、諸仏菩薩、冤親債主とすべての衆生に感謝して、彼に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼を助けた過程を分かち合う機会を得させたからである。

彼は10年前に上師に背離して、最近癌に罹ったから、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔しに戻って来、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに助けてくれることを祈り求めた。彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが広大な慈悲心と仏様と無別な大威徳力を以って一切衆生を利益していて、彼もこの上ない恩沢を受けた人達の1人である、と賛嘆した。彼は総胆管癌というめったにない癌に罹った。胆管癌は胆管の上皮の細胞からできる悪性腫瘍の1種である。いったん胆管癌が診断されたら、外科の手術を受けることがよく優先的に考慮する治療方法であり、医師が通常腫瘍とその近くの病巣をできるだけ切除するが、しかし血管と神経の分布がとても繁雑なので、手術の難度も非常に高い。

最終的に胆管癌だと診断しさえすれば、医師は患者に手術室に入って少なくとも12時間以上の手術を受けることを提案するだけではなくて、また家族に心構えがあるように気づかせた。手術を受けた後、患者の生活品質は下がって、甚だしきに至っては、看護婦を雇用して生活の世話をしてくださいなければならない;もし手術を行って腫瘍を切除しないならば、患者は通常ただ半年から1年ぐらいまでの寿命だけに残って、甚だしきに至ってはもっと厳しくなるかもしれない。このような病気に罹った患者は、皮膚がかゆいこと、黄疸、上腹部が痛いこと、熱が高いこと、食欲不振体重が軽減すること、貧血、腹水が現れるなどの病状がよく発生するのである。彼は妻が彼に、リンチェンドルジェ・リンポチェが数年前賜った宝物--甘露丸を与えたことにとても喜んだ。彼が甘露丸を食べた後に、皮膚がかゆいことと黄疸のこの2つの病状を除いて、病気の痛みが全然と感じていなかったのである。

入院する期間、肝胆胃腸科の医者は彼にすぐ手術を手配すると言って、手術を行わないならば、腫瘍が悪化して、さらに広がる、と教えた。彼は身の上に発生した因果を受けて、そして自分が断固に医師に手術を受けないと答えた。医師は彼に鼻胃管の装置を作ったり、或いは腹の側に穴を掘って、胆汁を体外まで流させるように提案した。手術室に入って、医師の検査を受けた後に、感染していなくて、熱が出ることもないだけではなくて、直接に胃視鏡で支柱を入れて胆管を支え始めさえすれば、胆汁を体外に流させて、3ヶ月の後に再び病院に戻って金属の支柱を換えたら大丈夫になる。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの恩に感謝して、この予想外な順調さがすべてリンチェンドルジェ・リンポチェの加持のため、彼にたくさんの苦しみを受けることを免除させたから。

退院した三日後、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見することを申し込んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはとても慈悲に弟子を通じて彼に伝達して、「リンチェンドルジェ・リンポチェに会う時、リンチェンドルジェ・リンポチェが容赦なくそなたを責めて指摘して教えるから、そなたがリンチェンドルジェ・リンポチェにごく僅かの悪念を一つも起こしてはいけない、もしできないならば、会いに来ないで。」と言った。彼はこう懺悔した。以前、妻が間違いの事を犯して、リンチェンドルジェ・リンポチェに叱責されて、彼はその時妻が叱責されたことを捨てないから、心の中には悪念が起きて、その故にリンチェンドルジェ・リンポチェに恭しくなくて、この時からリンチェンドルジェ・リンポチェに背離してしまった。今リンチェンドルジェ・リンポチェは彼をどのように練成しても、彼はすべて受けて、そして心には恭敬と懺悔を保存する。彼は慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェが彼がまた悪事を犯すことを心配して事前に指摘して与えて、彼に悪事を行う機会を得させないことに感謝した。

彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに会う時に、リンチェンドルジェ・リンポチェに自分の過ちを懺悔した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは彼らが事故が起きてから初めて謁見しにくると思い付いたことを叱責して、そして慈悲に彼にどうしたんですかと聞いた。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに自分が胆管癌に罹ったと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて開示して、「仏菩薩が急のを救うが貧を救わないのであり、既にそなた達を一回救ったことがある。(彼の妻の先天性脊椎と寛骨の異常のため、もともとは歩くことができない、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持と加護の下で、妻が歩けるようになった。)どう処罰するのか。」そして、彼に200回大礼拝すると開示する。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの加持力がこのように殊勝で強大であると賛嘆した。彼は200回大礼拝をし終わった時に、皮膚がすぐかゆくなくなった。

彼は慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェが彼が法会に参加することを承諾して、彼に発露懺悔する機会を与えて、彼に絶え間なくて福報を累積させることができることに感謝した。今、彼は毎日心の中の最も重要な三つの事は懺悔、感恩及び供養である。(リンチェンドルジェ・リンポチェがずっと彼の供養を受け入れないが)。彼は以前供養を惜しんで、もしリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に彼を救度して彼に福報を累積する機会を与えるのでなければ、彼は今多分病院で横たわっていて、パイプを挿し込まれて胸を開かれて腹を切られて、さらに肝臓、胆嚢、すい臓、十二指腸を切除しなければならなくて、すべての医療の苦痛を受け尽くすべきである。

先月彼は病院に戻って血液の検査を受けて、医師は驚いて彼のこのような患者と会ったことが無いと言って、やっとごく短い1ヶ月あまり、肝臓の指数、黄疸の指数、癌の指数はすべて下がって、正常な人と同じに、全然に癌末期の患者とみたいではなくて、そして絶えずにリンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆した。医師はもとは彼に今月入院して金属の支柱を組み立てることを手配するが、今手術をキャンセルして、手術を行う必要がなくて、ただ毎月定期的に病院に戻って血液の検査さえ受ければいい。今度の再生はすべて、仏様と無別な金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが賜ってくれた大恩恵のためである。もし尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲に救度と福報の庇護がなければ、どの人がこのように幸運になるのか。彼は仏様と無別な金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、と宝吉祥漢方医診療所の医師とすべての社員に深く感謝して、それに自分がこの病気に罹ったことにも感謝して、彼を悟らせて直ちに改心させるから。

最後、彼は仏と無別の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェのの御身体が安康で、法輪を常に転じるよう恭しくお願いした。そして、彼は懇切に仏と無別の金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に彼が再び皈依して仏法を学習することを許してくれるよう祈った。彼はよく修行して、絶対にもう輪廻の海に落ち込みなくて、上師の恩を報いると発願した。

そして、ある女性の信者は発露懺悔して、及びリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を助けたことを分かち合った。

この信者は実は1999年にすでにリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したことがあるが、今なおすでに13年が過ぎて、しかし今年(2012)の年初に間違いを犯して、現在信者の身分となるのである。彼女が最初に上師に謁見したのは、主人の初回目の不倫のためである。上師に拝謁した後、この事が急速に解消された。13年来、リンチェンドルジェ・リンポチェがいなければ、とっくに彼女の存在が無くて、彼女は御恩に感謝することが分からないで、積極的に仏を学ぶことが分からないで、安逸で怠けている。彼女は自分が貪、嗔、痴、慢、疑に集まっていることに懺悔して、少しも進歩的になっていなくて、彼女は非常に恥じ入ると感じる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示したように、「仏を学ぶのは1年、2年経って成就を獲得できるのではなくて、在家衆の生活は誘惑を満たすから、もし持戒しないならば、自分の行為を放縦して仏を学ぶことを懈怠しやすいようになる。累世の習気は悪い習慣と同じように、時間と気力がかかって、仏法の薫陶を通してやっと漸次根絶するのである。多くの時間も仏法を聞いたが自身の過失を検討しない者は、貢高我慢の心構えが発生しやすくて、このような人は仏法を聞かない人よりもっと憎らしい」と諭した。彼女はこう懺悔した。長年も皈依したが、ただ絶えずにリンチェンドルジェ・リンポチェの福報を消耗して、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を執着して貪り求めていて、だからようやく今年リンチェンドルジェ・リンポチェが陰暦の元旦に三十五仏懺を修めることを伝える時に、兄弟子達が一緒に跪いて、リンチェンドルジェ・リンポチェが法を修めることを求めると望むという念を起こした。彼女は、仏を長年も学んでいることを言ったが、内心には貪念を満たしていて、仏法を使って生活を過ごしていなくて、無常と死亡を観修しなくて、上師に対して清浄な信頼と全然の恭敬がなくて、ただリンチェンドルジェ・リンポチェの福報の加護の下で、安逸に暮らしたいと思っていることに懺悔した。自身の過失を真剣に思考することが分からないで、本当に懺悔する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたように、三十五仏懺がすでに菩薩道を行なっている仏弟子に修めさせるので、弟子達が菩薩道を行なっていないから、その故に今年修めない。真に菩薩道を修める修行者は実は金剛乗なので、金剛乗の方法を以って修行したら比較的に速くて、しかし行者は完全に自分がないことをやり遂げて、上師と仏菩薩の教えに対して完全に投降して、人生の経験法で仏法を点検してはいけなくて、そして勇猛に精進に修行することを、彼女が全然やり遂げることができない。彼女は何も修行が無くて、仏の信者とさえ言えない、仏の信者として少なくとも因果を信じなければならないが、彼女は依然としてすべて信じない。菩薩道を行なっていないから、三十五仏懺を修める資格が全くない。

彼女はすでに一人の大修行者--リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して仏を学んでいるのに、意外にもまたどの法が自分に対してよりよいことをはかってしまった。これは、分別心があって上師の話を聞き取らないのである。彼女は三十五仏懺を修めた後に、ただ懺悔すれば、どんなによくない事がすべて発生しないと思っている。これは比較する心を使って仏を学ぶので、ある法が比較的に役に立つと思って、このような心構えを持つのは上師の手配を信じない。法を求めるのは大供養をしなければならないのであるが、しかし彼女は供養する心がない。彼女は縁が無くて福報がなくて、上師が全く助けてあげることができないと知っていない。

13年来、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を救ったり助けたりした回数が数えても数え切れない。彼女の娘はちょうど生まれた2週間に重病のためICUに入院した。娘の病症は数え切れないほど多くて、脳膜炎、敗血症、輸尿管を二つセット手術して、輸尿管の肥大、深刻な尿液の逆流、輸尿管の拡張、水腎症、血便など、医者が言ったようで、別の赤ん坊がもしその1種だけに罹ったらとても深刻なのに、彼女の子供は全身で多種の病症に集まった。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェがいなければ、彼らはどのようにこのように多重の打撃を越えるべきか分からなくて、彼女の娘はどのようにこれらの難関を越えるか分からない。たとえ病症がこんなに多くてもこんなに深刻になっても、しかしすべての過程は、上師リンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたように、「大丈夫、ただすこし苦しみを受ける。」と同じである。彼女の娘が入院から退院まで、リンチェンドルジェ・リンポチェの大能力は彼女の娘が無事に一切を越えただけではなくて、その上たくさんの彼女の娘の受けるべきな苦しみを減らしたように助けてあげたのである。

彼女の娘の成長過程の中、ある日に海鮮を食べてしまって再び発病したから、医者は彼女に「すぐ」入院して手術を受けると要して、彼女は娘を連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しに行って、娘は自分でリンチェンドルジェ・リンポチェに、「私は注射を受けたくない。」と言って、リンチェンドルジェ・リンポチェは、「ちょっと抱いて、注射する必要がない。」と答えた。結果は、ただ宝吉祥漢方医診療所の漢方薬を数回だけ飲んでから治れて、入院する必要がなくて、手術を行う必要もない。子供はいつも、リンチェンドルジェ・リンポチェに配慮されていて、彼女は心配もなく、恐れもない。

実は、数年前に、彼女の姑の甲状腺癌はリンチェンドルジェ・リンポチェが加持された後、もともと医者に診断された悪性腫瘍が手術した後に良性になることを発見された。しようがなくて、その時彼らと家族が無知で、姑に悪性腫瘍に罹ったことを隠して告知しないで、かえって姑にその時仏を学ぶ機会を逸するようにさせた。

が、リンチェンドルジェ・リンポチェはいつも彼らの一家をよく教導したりねんごろに配慮したりしたが、彼女と彼女の夫はすべてよく言うことを聞いて朝晩の勤行と大礼拝をちゃんとしていないで、いつもやり始まって止めて、ただのんびりに暮らすことだけをと思っている。彼女の夫が皈依した後の1年余り、彼女たちの全家族はとても良い生活を過ごしていたと言えて、いっしょに法会に参加して、家もとても和楽する。彼女の夫はとても良い新しい仕事に換えるだけではなくて、また兼職して古い仕事の半分給料を保留したのである。

しかし、新しい仕事に就職した十日間ぐらい、彼女の夫は不倫して、対象が彼がただ10日知り合った同僚であり、考えてみるとする分かるのは、彼女が生活上に最も順調な際に、ごく短い時間の内、すべてが急変して、彼女がなんと受けにくいのである。もっとも大変なのは、彼女がこの事を発見した後の2週間、彼女は意外にも自分が妊娠したことが分かった。そして、懐胎する九ヶ月間に、彼女は「むごたらしくて目も当てられない」生活を過ごして、彼女はほとんど寝つく夜が一日も無くて、大部分の時間にはいつも泣いて、あるいは電話をかけて彼女の夫を罵った。当然、事後に思い出したら、彼女は自分がとても愚かだと感じて、時間を利用して大礼拝をすることが分からないで、時間を浪費して絶えずに貪、嗔、痴にふけた。

リンチェンドルジェ・リンポチェの教えをやり遂げていないから、子供が生まれた後に、更に扶養することがとても辛い。子供が食べ物を食べないで、水を飲まないで、彼女がいつも自分の口でタオルをかんで、子供に乳を強制に飲ませて、子供の涙、彼女の涙、汗、その上溢れた牛乳で、全身にかけてしまった。彼女は強制に乳を入れて情に負けて手が鈍るようになって、毎日5-6回えさをやって、精も根も尽き果てる外、彼女は目を張って無辜に彼女が彼らにちょっと関心と愛をくれることを待っている子供が2人もいる。その上夫の事が絶え間なく苦しんで、本当に生活を過ごすのはとてもまずい。しかし実は彼女はとても明らかで、よろめいてい歩いているが、リンチェンドルジェ・リンポチェの話がやはり絶え間なくて彼女を支持して、リンチェンドルジェ・リンポチェは「怨みと恨みがなくて我慢する」、「心配しないで、一切を仏菩薩に渡す」と言った、全ては彼女が歩いていけない時、彼女を支えて歩くべきな道に帰るのである。

ある日彼女は突然に兄弟子の電話を受けて、リンチェンドルジェ・リンポチェの伝言を伝えた。「若し経済状態が悪いなら、腕輪を宝石店に返してもいい。」彼女は如何なるリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝するのは分からないが、号泣しかできない。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような多くの弟子が有るのに、いつまでも全ての弟子を世話している。最も教えに従わない弟子として彼女は経済状態が悪いことをリンチェンドルジェ・リンポチェが分かった。彼女は自分の状況を誰にも教えなかったが、最も親しい姉でも知らせなかったが、リンチェンドルジェ・リンポチェは却って分かった。リンチェンドルジェ・リンポチェの世話のお陰で、早めに困難を乗り越えた。ある一回、彼女は道場で早課をする時、リンチェンドルジェ・リンポチェの法席を見て、諸仏菩薩は極めて慈悲だが、そうしないと、世間にある生き菩薩を残っているだろうと考えた。彼女は本当に怖れがあるが、この生き菩薩を失うことが怖い。

末子を妊娠して七ヶ月の時、長期に夜中に娘を抱いて負担が重すぎるから、胎児は予定より早めに下へ向いて、彼女の両足の神経を圧迫して、彼女が完全に歩けなかった。横たわっても苦しかった。二人が支えないと、医師に診察されなかった。医師は無理で治れないと言った。出産した後治れるかどうかを期待しかできない。しかし把握もなくて、永遠に治れないかもしれない。当時彼女はまだ子供を二人世話しなければならないが、仕事を失う権利もない。そして、彼女は我慢してベッドから起きて、ベッドの側にリンチェンドルジェ・リンポチェを観想して、始めて大礼拝を拝んで、極めて痛くて苦しいから、号泣した。しかし、翌日に彼女は自分が歩けて、出勤できた。

妊娠して八ヶ月の時、市場で菜食食材を販売する人は主動に彼女に言って、彼は赤ちゃんは何月何日に生まれると断言した。彼女は唯微笑んで頷いた。あの人は彼女が信じないと思ったが、また言った。「本当です。八時過ぎ生まれる。」結局彼女はあの人に言われた日に出産して、5時に手術台に運ばれて、毎回陣痛の間隔が短い時、看護婦は彼女に全力を尽くした後、陣痛は突然に消えた。何回も繰り返して、看護婦も既に耐えなくて、始めて電話をかけて弁当を手配して、彼女を無視した。彼女はこのような陣痛を伴い、絶えずに力を出せば、彼女は八時過ぎになると手術台に麻痺されるはずと思った。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェを観想して、心に「リンチェンドルジェ・リンポチェ、八時にならないと、私に出産させないようにお願い。」と考えた。彼女は観想して終わった後、再び力を出すと、赤ちゃんが生まれた。看護婦達は完全に手を打つ暇がなかった。医師も慌てて産室に入った。若しリンチェンドルジェ・リンポチェの加持がないと、産室の外に待っている姉はもはや彼女親子を見えないかもしれない。

末子は幼い頃難しく育てた。常に泣くと、全身が紫色になって気絶した。数えられない場合にリンチェンドルジェ・リンポチェは主動に呪文を唱えて彼を加持した。彼女ははっきりに分かったが、若し上師がないと、彼女の息子は順調に成長できない。

彼女の父は膝関節退化なので、痛くて難しく曲げられないが。彼女の祖母の重病のため、台北へリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは加持された甘露丸をしっかりに包んで、自ら父のシャツの胸の袋に入って、親切に彼女の父に昼と夜も祖母に食べさせるのを伝えた。彼女の祖母が往生する時、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得て、顔は落ち着いて白くて、体も柔らかかった。彼女の父も恭しく上師に跪いて求めた。膝の痛みは却って緩和した。長年に経っても、畑に仕事できた。数年前、彼女の父は胆嚢結石なので、医師は腹腔に粘りがあるから、大きい手術を受ける必要だと言った。それもリンチェンドルジェ・リンポチェの加持があって、リンチェンドルジェ・リンポチェの賜った甘露丸を二粒飲んだから。医師は唯腹腔鏡手術を行ったから、父の胆嚢結石の問題を処置した。彼女の同僚は父と同じな病症だが、同僚は唯四十歳過ぎなのに、大きい手術を受けた後、健康に回復できない。仕事を止めて休養してもだめだ。数年後再び手術を受けた。此処から見ると、このような大きい手術は若し75歳の老人が受ければ、どのような結果を想像できる。

彼女の夫は中国から台湾へ転勤したいけど、会社の許可を得なくて、数年間にとても苦しい日々を過ごした。上師の加持がないと、彼は引き続きに毎日大礼拝をして、会社が彼を台湾へ転勤するまで我慢できない。早めに仕事を止めて台湾に戻るかもしれない。若し上師がないと、彼は当時の苦しみを我慢できなく、尚更に多くて苦しいや失業の苦しみは彼や彼女一家に受けさせるかもしれない。

彼女の子供のベビーシッターは二年前にリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法を得て済度された。夫の祖母は去年にリンチェンドルジェ・リンポチェの施身法を得て済度された。姑は今年お正月前に交通事故に遭って、リンチェンドルジェ・リンポチェの世話を得て、他人より早めに回復した。彼女は自分も二年前に二回交通事故に遭ったが、体は無事だけではなく、相手と紛糾しなかった。彼女に影響を受けなくて、三人の子供を世話する能力がある。

彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの恩に借りがあって、本当に数えられない。リンチェンドルジェ・リンポチェがないなら、この道場がないなら、もはや彼女がいない。しかし、彼女はこの得難い福を大切しなくて、教えに従わなくて、毎日自分の悪、自分の貪を検視していない。

幼いから、彼女は頑張って自分を守って、損失を恐がって、数え切れない偸盗の悪を犯して、貪欲が止らなくて出てきた。数えられなく色々な動物を食べた事がある。リンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたとおり、彼女は作った悪は若し固体であれば、虚空の大きさでも容れきれない。幼いから、母は最も彼女を可愛がって数え切れない鶏、ブタの心臓、泥鰌、魚など衆生を料理した。唯彼女の体を保養するため、結婚した後、彼女は尚更に無数な鶏、豚、魚などを料理した。現在常に市場で魚屋を通しても頭がくらくらして吐き気がある。彼女は自分の無数で重い殺業に後悔して、如何なる計算してもはっきりに分からないが、返済する事も言うまでもない。自分がこのような多い悪を作るからこそ、上師に従って、三十五仏懺を拝めば、解決できると思った。だから、法を貪って、執着した。

二年前年初、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に法席に彼女を加持して、彼女に夫が道場に戻って仏を学ぶことを執着するのを叱って、彼女に進歩しないと責めた。思わず、今年彼女も相変わらず同じなことを加持された。彼女は自分が本当にだめで見込みがない人だと思って、上師の体力と時間を浪費した。彼女は自分の心を放任する事を懺悔して、真に発願して輪廻を解脱しないから、自然に引き続きに過ちを犯して悪を作っている。彼女はいつも理解できなくて、夫に積極的に仏を学ばせることを望むのは間違いだろうか。今回まで彼女はベストを抜けさせて、法本を返させて、道場の階下で法会に参加できなくて、上師に会う機会がなかった。四、五ヶ月以来、彼女は完全に「未来」を考える勇気がないが、日々は自分が不治の病に罹ることを分かるより悲しい。この時彼女は始めて体得したが、仏を学ぶのは真の心が大切である。ある日彼女の夫及び他の家族は若し真の心で仏を向くなら、自然に心から積極的に仏法を学ぶ。彼女の独り善がりは却って彼達に真の心を検視する機会を失うかもしれない。却って助けではなく障碍だ。例えば、子供を保護過ぎるなら、子供は却って成熟できない。

彼女は此処で懺悔して、自分が上師の大福徳を依頼すれば、此の世、累世の悪業は全て解決できると思った。積極的に頑張って、教えに従って奉じることを分からない。彼女は此処で懺悔して、自分の妄念、貪念は雪の花のように多くて、念は実体の悪ではないと思って、すぐ懺悔する事を分からなくて、毎日検視する事を分からなくて、此れを放任して生長した。彼女は此処で懺悔して、毎日ぼんやりして過ごして、常にぼうっとしている時功課をして、更に寝ていい加減にしている。長年に仏を学んでも清浄な供養心がなくて、上師の教えに合わせる顔がない。

この前、ある兄弟子は道場を離れたがったから、彼女に依頼してベストを返した。この報告した女弟子はあの兄弟子と仲良くするから、兄弟子に戻るのを勧めると思った。だから、兄弟子に離れる原因を聞かれた。勿論彼女は戻らせる能力が無い。この事について、彼女はいくつとても大きい過ちを犯した。彼女は此処で深く懺悔した。まず、彼女は執着した。完全に無常を受けなくて、一心にあの兄弟子に戻ると考えて、上師が教えた仏法を完全に忘れた。完全に仏法で思惟して判断しなかった。執着の念を起すと、自分の貪欲しか集中して、あの兄弟子の考え方を全く考えなかった。言行は既に上師の教えに大変にずれた。

第二、彼女は因果を信じない。大変な事なので、組長に報告しなければいけないと分かった。しかし、組長に報告した後、彼女はとても苦しかった。あの兄弟子は自分が戻らないのが全て彼女のせいだと言った。彼女も自分を責めて、自分が聞かないや言えないなら、あの兄弟子が頼りを失うわけではなく、またリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学べるかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、ある兄弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが土曜日に信衆を接見した実例を運用して、彼女に若し麻薬を吸いやヤクザに参加すれば、摘発しないとあの人にいいだろうか。彼女は始めて悟って、自分が因果を信じなくて、偽善者だ。唯悪くないいい人ではなくて、十分の悪人であり、糖衣で覆って悪を行った人だ。若し因果を深く信じて、上師の教えを深く信じないなら、必ずあの兄弟子が大変に地獄の道に歩いていて、麻薬を吸う結果より尚更に酷いと確信した。彼女は自分を責めて、つらい思いを感じるわけではない。彼女は因果を深く信じなくて、果報の恐ろしさを深く分からない。

第三、彼女は独り善がりで自分が影響を受けないと思った。十数年前に彼女を紹介して、寶吉祥仏法センターに来た同僚は道場を離れて、偶にはあの同僚は用事があるから電話をかけて、彼女達はいつも合意して道場を話していない。しかし、嘗てある一回にあの同僚は呟いたが、自分が「リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢噶舉公式サイトで公開に認証された伝法上師である。」と返事してその後、話題を終わった。あの事件が起こった後、彼女は始めて自分の性格を分かって、自分を不断にこのような危険に現れて、唯偽善者になって、喧嘩したくなくて、上師を第一優先しなくて、本当に感謝の気持ちを持たなくて、上師を守る行動力がない。上師の恩は天より大きいだが、彼女はちっとも守るや行動をしなくて、本当に畜生だ。

彼女は表面に仏を学んで、いい学生ように見えたが、仏を学ぶ多彩の服を着て、口から多くの仏法の名詞を言った。しかし、上師の教えを心に融和しなくて、真に生活の中に実現しなかった。上師が教えた事を分かるようだけど、実際に「行う」と「心」は距離がある。例えばどんな場合にどんな服を着るやどんな話をするやどんな事を行うのを分かったけど、真にこの中の真義を理解できない。彼女は常に子供に数学を教えて、子供の反応は少し遅れなら、彼女は彼が用心しないと感じて、腹を立てて教えられない。思わずに仏法に於いて、彼女は愚かで上師に耐えない学生だ。13年間に学んでもこのような質だ。彼女は痛心に懺悔した。

リンチェンドルジェ・リンポチェの処罰を感謝して、彼女にベストを抜かせて尚更に彼女に道場の階下に残させて、階上に上がれない。道場さえ見えない無力を体得させた。階下で恭しく待つ時、リンチェンドルジェ・リンポチェの車が来る前に多くの兄弟子は繰り返して周辺の道路の状況を巡視するのを見た。外場のスタッフ兄弟子達は寒風の下にスタンバイして、柱を探して寒風を抵抗できないのを見た。兄弟子達の貢献を見ると、始めて自分のエゴに恥ずかしかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を開示して、善知識を依止する及び上師の十箇条件に関して、彼女は一条でもしっかりに行わなかった。

彼女は頑張って自分を修正するのを誓って、再び新しい憎み、貪欲、悪業を増やさなくて、しっかりに上師に従って積極的に此の世に頑張って債務を返済する。清浄な心で上師を敬って、上師の教法に従って決心して行って、決心に修正する。

彼女は再びリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、自分に発露懺悔する機会を与えた。未来の道で彼女は生々世々にしっかりにリンチェンドルジェ・リンポチェに従うことを誓った。尚更に諸仏菩薩を祈って、リンチェンドルジェ・リンポチェが既に力を尽くした体を守る。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで皈依法会を主催されて、信衆53名の皈依を受けた。皈依儀軌を行う前、リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者に貴重な仏法開示を与えた。

ある信衆はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したいから、今日この人のために皈依儀軌を行う。「皈依」という言葉は仏法の専有の名詞であり、ある宗教も皈依という言葉を使うけど、適切ではない。皈依の定義とは黒から白に変える。黒業から白業に変えて、輪廻生死を離れる。人身を得るのは難しいが、此の世に転生して人身を得るのは累世は嘗て十善法を修めた事を表した。しかし、此の世に人になるのは同時に累世に嘗て悪業と善業を作った事を表した。だから相変わらず六道の中に輪廻している。仏経にある比喩で人身を得る機会を極めて珍しいと形容された。例えばある海亀は茫々たる大海の中に百年に一回だけ水面に浮かんで呼吸できる。更に丸い穴がある木を一本見つけて、亀の鼻はこの丸い穴をとおしないと、呼吸できない。このような因縁があるのは非常に難しい。茫々たる大海で木を一本見つけるのは既にとても簡単ではないのに、この木に丸い穴がないとできない。更にこの丸い穴のサイズはちょうどこの亀の鼻と一致しなければならない。この機会は極めて得難いではないか。

そなた達は人身を得た後、完璧な体がないと仏法を学べない。何故完璧な体が必要だろうか。若し耳が聞こえないと、上師の説法を聞けない。若し目が見えないと、上師及び仏菩薩の荘厳の法相を見えない。若し四肢が健全ではないと、仏を礼拝できないや大礼拝ができない。大礼拝をする事ではなく、合掌してもとても不便だ。そなた達は合掌とは唯小さい動作だけと思わないで、此れは仏菩薩への恭敬であり、累世にとても大きい功徳を連れる。

皈依した後、黒業から白業に変える。黒業とは悪業であり、白業は善業である。此処に言われた善は世間の善ではない。世間の善は全て有漏である。仏法の善だけ出世で無漏である。有漏善はそなたに煩悩を起して、輪廻業力を生じた。世間の善とは代々人は自分がいいことを感じた。例えばそなたが金を寄付して、他人が助けを受けたのを見ると、自分の心にとても喜ぶと感じて、自分が善事を行うと感じた。このような感覚は善を行う果報が既に実現した。このような善行は唯金で楽しみを買うだけ、ある感覚を買う。このような善は有漏であり、自分が善を行う事を執着するから、業力が現れて、輪廻の動力になる。

多くの人は仏を学ぶ前に全て自分の感覚で善と悪を区別して、自分にいいのは善であり、自分を傷付けるのは悪である。また、善を行った後も報いを要求する。皆は自分が他人に優しく対応すると思ったが、此れは唯自己感じがよくて他人に対応するだけ。例えば、夫婦の間及び姑と嫁の間に常にこのような問題がある。嫁は姑の反応を気になって、姑の歓心を買う。しかし、実は姑が何か報うと望んだ。嫁は自分が姑にいいと思う事をすれば、姑は嫁に不満な言葉を言うと嫁は瞋恚の心を起す。少しいい事を行えば、相手はそなたに報うと望んで、若し相手はそなたに報わなくて、却ってそなたを傷付くと、そなたは相手が恩義を忘れると批判する。世間の善を執着すれば、煩悩を起す。五毒があれば、悪業を作って、輪廻生死を解脱できない。実はリンチェンドルジェ・リンポチェが常に恩義を忘れる人に出会っているが、却って気にしない。多くの人は助けを得た後、口頭でリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝すると言ったけど、仏を学ぶと言うと、姿が見えない。此れは彼達が一旦仏法を利用した後、仏法を存在しないと思う。

我々は此の世に食事、寝る、仕事など出来るのは、全て前世善を行なって累積した福徳を使う。しかし、福徳はいつか使い切って、終わると我々の今世も終わる。世間の善は全て有漏である。我々は善を行って累積するのはほぼ人天福報なので、いつか使い切る。更に此の世に行った善は未来世しか使えない。出世の善は累積するのは功徳であり、功徳は生々世々に使い切れないが、無漏善である。過去世で累積する善業と悪業は我々に引き続きに輪廻して、今世になる。仏は嘗て此の世に受けたのは過去世で作ったが、未来世で受けるのは此の世で作ると説かれた。仏は因果を変えないから、若しそなた達は仏を学ぶのはそなた達が現在の事を変えるのを望むなら、つまり、そなた達が過去で作った果報を変えると現した。このロジックから推測すると、今日仏を学んで起した因縁は未来の果報を累積しないだろうか。若しそなた達は因果法則を信じないと、仏を学ぶ必要がない。だから、そなた達の未来世はどうなるのか未来まで分からない必要がない。この世にそなた達が如何なる行えば、未来世はどうなる。それは未来世の果報は現在世で撒いた因である。

そなた達は今日人道で生まれたのは昔に嘗て悪業を作ったと現した。若し純粋な善なら、既に浄土へ行って人道で苦しみを受けるわけではない。人道に於いて、苦しみが多くて楽しみが少ないから、そなた達に動力があって仏を学びたい。そなたは悪業が善業より多いとき、死んだ後すぐ三悪道に堕ちる。若し悪と善は半分の人は始めて三悪道に堕ちて、数百世に経った後善道に行く機会が有るかもしれない。しかし、累世はまた悪の力を存在しているから、再び人道で生まれてもとても多くの障碍がある。ある者は私がまだ死んでいないから、地獄に堕ちるかどうかを分からないと言うかもしれない。どうせ昔に三悪道に堕ちたかどうか、今も分からなくて、未来に三悪道に堕ちるなら、未来の事なので、現在は何も感じない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、実はそなたが死んだ後まで死んだ後の苦しみを分かる必要がない。人は亡くなる前に受けた苦しみは既に三悪道に堕ちる相を現す。例えば、死ぬ前に昏迷して意識を失うのは死んだ後畜生道に堕ちる。死ぬ前、眉をしかめて苦しめる様子なら、地獄道に堕ちる。死ぬ前、執着して懸念して自分の財産がまだ適切に配らないと考えると餓鬼道に堕ちる。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが修法して済度した亡者は顔が落ち着いたと分かったが、表情はよくなったのは自分がいい所へ行ったのを分かるから。そなた達は亡者のために助念団を依頼すると、必ず亡者を済度できると思うだろうか。若し亡者は《阿弥陀経》に浄土を往生する条件を満たさないと無理だ。たとえ亡者は大修行者に出会って彼を助けないとできない。しかし、全ての人は好運で真の修行者にであるわけではない。そなた達が運と言ったけど、修行者は因縁と言った。

済度を行うのは修行者は必ず慈悲を証しなければならない。そうすれば、亡者の苦しみを分かって亡者に助けを与える。若しある者は助念の方式で亡者を済度したいが、亡者の心の執着及び懸念を分からないと、如何なる唱えても亡者は済度を得られない。助念団の助念は亡者に役に立つと信じないで。功徳がなくて、福報がなくて、慈悲がない人は亡者を済度出来ない。《阿弥陀経》、《無量寿経》、《観無量寿経》の中に全て「助念団」という言葉を説かない。「助念」とは亡者が生前に既にあるレベルに修行を具えるから、唯僅かな決心を足りないから。そうすると、同じな道場で同じな上師が教えた一緒に仏を学ぶ同修は唱えて、亡者を助けて、彼の心を固める。そうすれば、役に立つ。他には亡者に助けがある状況は大修行者が唱えれば、役に立つ。慈悲を修めなくて、功徳が有っても衆生を済度できない。慈悲があり、功徳がない人は衆生を済度出来ない。功徳があって慈悲がないと、我慢貢高で衆生の苦しみを理解できなくて、衆生に助けを与えない。慈悲があって功徳を修めないなら、抜け出す力も無い。若し今日衆生を済度する人は功徳及び慈悲を修めないと、ちっとも役に立たない。10時間、100時間、1000時間を唱えても役に立たない。家で数年を修めれば、功徳及び慈悲があると思うわけではない。自分が仏菩薩と相応すると宣言すればその通りではない。上師の監督の下で仏法を学んで、仏法に従って修行すべき。

亡者のために助念するのは実は出家衆がすべき事だ。しかし、現在却って在家衆が集まる団体は変わった。在家衆は自分が亡者を助けて助念できると思って、自分が功徳を累積するのを望んだ。そうすれば、今後この因縁があって、他人が自分のために助念して、自分が浄土へ行けると思う。しかし、此れは実は人を害し己を害し考え方だ。若し唱える人は亡者を助ける能力が無いと、亡者は助けを得られなくて、瞋恚を起す。瞋恚を起すと、悪道に堕ちる。多くの人が助念するとは実は亡者を妨げるが、亡者を助けると思う。亡者は済度を得られないと、助念の人に対しても悪い。

だから、自分が死んだ後、他人の助念に頼って浄土へ行けると思わない。仏を学ぶは外道と異なる所は仏を学ぶ人は中へ求めて外へ求めるではない。他人に頼って助念するより、自分が修めたほうがいい。そなた達は現世の生活の中に如何なる偉いやいい背景或いは素晴らしい学識を持っても、この知識と背景はそなた達が生死大事に向き合う時役に立たない。そなた達は相変わらず徳を具える金剛上師が連れる必要で、上師が絶えずに監督して教導すれば、そなた達を助けて此の世に輪廻生死を解脱できる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは世間に言われた分身がない。しかし何故沢山な弟子は危難に陥る時、嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェの姿を見て助けを与えただろうか。彼達は見たのはリンチェンドルジェ・リンポチェの肉体から変化した分身ではなくて、慈悲の化身である。慈悲の化身とは何だろうか。つまり、慈悲の力は何処でも存在している。そなた達は表面にリンチェンドルジェ・リンポチェが現れてそなた達を救ったのを見たが、実際にはリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の化身はそなた達に助けを与える。慈悲の力を修める化身しか衆生を済度できない。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような多くの事があると見たけど、とても忙しいと感じない。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは24時間に衆生を済度するから、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが特に忙しいと思わない。世間は毎年三つ大きい行事で集中して行うから、彼達はとても忙しい。

若しある者は今日皈依した後、運がよくなって、体が健康、家庭平和、夫は自分の話に従って、子供の試験の結果がよいなど、このような考え方がある人は皈依する必要がない。そなたは体の健康を望めば、仏を学ぶ必要ではないが、外道でもそなたを助ける。健康を求めば、そなたは自分の金を全て寄付すればいい。或いはそなたは部屋を売って寄付すればいい。たとえそなたの体調が好くならなくても、そなたの病気はそなたに苦しめない。そなたは子供が話しに従うを望めば、他の老人に親孝行すればいい。自然にそなたの子供も親孝行して話しに従う。家庭平和と望むもとても簡単で、全ての事は我慢すればいい。我慢すれば運を変える。

そなたは言われたDVは実は因果がある。若しそなたは前世で人を殴らないなら、此の世に殴られただろうか。DVは必ず男性は女性を殴るわけではないが、ある女性も男性を殴る。唯男性は面子を重視するから、言えないから。リンチェンドルジェ・リンポチェのある女弟子は昔も夫を殴ったが、今はないから、彼女の夫はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝している。そなた達は恋愛で付き合う前に仏菩薩に聞かないが、そなた達は楽しくて仲良くする時も仏菩薩に関わらないが、何故問題が現れて、悲しい時に仏菩薩に関わって、仏菩薩に聞くだろうか。

あなた達は欲求をもって仏を学ぶことをしてはいけない。仏を学ぶのはいいご主人、いいお嫁さんを探すことができることと思っている。そなた達が所謂良さとは実は相手がそなたに欠けて、この世にそなたに返しに来て、つまり因縁である。もしそなたが思うとてもいい人に出会って、毎日に朝御飯をつくってそなたがたべることを待って、いつもそなたに一心にする人であれば、ある日相手が死んだら、そなたが難しくて適応し、その時に、執着があって、気にすることがあって、生死を解脱することが出来ない。逆に、そなたが思う良くない人に出会うなら、彼が消えてそなたはただいいよと思っている。そなた達は人間関係がいいことをほしいなら、外道がそなた達に人間を愛することを教えて、ただ人間を愛することを十分である。しかし、注意深く考えて、愛はなんでしょうか?愛は最後まで実は占有で、そなたが愛する人にとって考えて、ある占有の感じが要るかどうか。だから、仏法を愛を言わない。仏法はそなたのよりではなくて、もしそなたは上師によって仏法を学んだら、このようなよりができて、しかし、ただ仏法により慰めを求めて、仏法を利用してそなたの世間事の欲望を満足したら、それでは、皈依しないで、さもなく将来に必ず煩悩がある。

仏法はそなたにチャットさせるのではない。リンチェンドルジェ・リンポチェはいままた一部の弟子は法会にすこしの仏法を聞いて、帰ると自分がこちそちをプラスして、それから、他人を言うことを知っている。これも皈依戒を破ることを含める。一部の人々は皈依戒を破ることがかまわないと思っていて、縁に従う皈依だけだ訳である。多くなくても皈依証を与えて、そなたのために法号をつけて、そなたに朝夜課が何をすることを教えて、これから終わって、その後、本当に仏法を教えていないで、これはただ縁に結ぶ皈依を含るだけだ。一回、直貢チェツァン法王は法会に主催する時に、信者は直貢チェツァン法王に皈依したいと言って、直貢チェツァン法王は外に皈依証があって、自分で書いて十分だと仰った。これも縁に結ぶ皈依である。しかし、一部の人々はこのように直貢チェツァン法王に皈依になることがとても素晴らしいと思っている。もし本当に皈依して仏を学ぶなら、そなたに弟子として教えるなら、それでは、必ずとても厳格だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に皈依するように、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに仏法に関する教導がとても厳格で、様々な方法によりリンチェンドルジェ・リンポチェに仕上げた。直貢チェツァン法王に皈依になると、直貢チェツァン法王に世話されることがあると思っていはいけない。もしそなたは仏を学ばないで、自分が修めてないなら、上師がどのように素晴らしいでも役に立たない。

坊間に仏を学ぶ者は発願して再びくることを流行し、仏菩薩は確かに我々に発願することを教えて、しかし、そなたのこの世に菩薩の果位を認めてないなら、いかに未来世で菩薩の果位にて願により再びくるのでしょうか?菩薩の果位を認めないなら、それでは、業に従って来て、願に従ってくるのではない。発願は実は自分が随意に発願をしたら有効と認めるのではない。ある者は数世後自分が前世で印刷して助ける仏経を再び来てみえて、それでは、とてもうれしいと感じることを発願した。これも正確な発願ではない。またある者は発願して衆生を度することを言って、しかし、自分事でも解決できないで、いかに能力があって大衆を度するのでしょうか?

また、弟子が人間とすることがとても嬉しくて、その後また帰られて人間とすることを望んでいることがある。このような心構えを持っている人間は学んで修める功徳がすべて天人福報に変って、だから、功徳がないので業を転じられない。もしただ人天福報がほしいなら、仏を学ぶことがいらなくて、他の宗教はそなたに人天福報を遣り遂げさせられる。人生の本質が苦しいことを知ってはいけない。仏を学ぶことに対して、人天福報はよくないで、業力が分かられないわけである。人天福報は来世にしか使えないで、その上、使い尽くされるのである。もし仏を学ぶことはただ嬉しさことがほしいなら、累世で修行する功徳が人天福報になる。

みんなは梁武帝のストーリを聞いたことがあることを信じて、梁武帝はどれだけの慈善事業をして、どれだけの仏寺を作って、どれだけのお経を印刷して、彼が皇帝なので、能力があって多くの出家衆を助けて、出家衆が菜食しなければならないことが彼から始めて厳格な規定になった。梁武帝はそなたの参列者がする善事に比べて絶対にとても多くなって、しかし、梁武帝は最後で餓死になった。達摩祖師は梁武帝は功徳がないことを仰ったことがあり、なぜ功徳がないのでしょうか?梁武帝は自分がすでに多くてすると思っていて、自分がしていることを執着し、彼はすることが輪廻を止めて衆生を利益する為にすることを思っていなかった。だから、功徳がないで、功徳がないと自分の業力を転換することができない。

もしただ俗世間の事のためならば、本当に皈依する必要がない。皈依する目的はただ一つだけdえ、つまり輪廻を解脱するのである。そなた達は仏菩薩が苦難を救うのではないかを言う。仏菩薩が救うのは輪廻の苦しみで、そなた達のそれらのすこしの世間の苦しみのではなくて、皆の苦しみは自ら招いたのである。「妙法蓮華経」には衆生は火宅にいるように記載された。火宅は輪廻で、皈依儀軌の中に火坑を言い、ただ仏を学んで修行することが火坑のように輪廻の苦しみを離れられて、それから、生死を解脱になる。

皈依するのは三寶の仏法僧に皈依する。仏に皈依し、仏そなたに偶像崇拝になるのではくて、仏は輪廻の苦しみを了悟し、輪廻を解脱する方法を深く知っているので、真に衆生に度することができる。法に皈依し、この世に多すぎ悪業があって、どんな方法があって対治することがわらないので、だから、仏が修行して悟る方法によることがいって助けを与えて、本を読むことも読む方法もあるように、皈依してから仏法の法門により自分の問題を対治することができる。僧に皈依し、外道の人に依止しないで、外道が悪い名詞のではなくて、却って、することがすべて外に求めて、ここに言う僧は単純な出家衆を言うのではなくて、却って、ある特定な程度を修行する修行者を言う。仏経に言った僧団の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷は全て梵語で、漢語を通訳していないで、これらの名詞は多くの意味を表示し、だから、漢語を直接に通訳していない。だから、優婆塞は単に在家で修行する居士のではないで、ある程度を修めえる修行者を言う。末法時代の衆生は福報がないで自ら仏の教導をうけることができないで、もし今日如法の上師は仏法を教導していないなら、この世に輪廻を解脱することができない。

自分が家にいて読経して修行して仏菩薩を見えることを思ってはいけない。「地蔵経」に記載されているのは地蔵菩薩はあるよに自分の亡くしたお母さんがどの道に生まれることを知りたいので、全部の家産を売って供養し、斎戒して入浴して仏に礼拝し、全身が血まみれで礼拝し、これらの条件を遣り遂げて、仏が現れて彼のお母さんがどの道いに生まれたことを諭した。もし、誰かがリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見し、家族が往生した後どの道に生まれることを知りたいことを言ったら、リンチェンドルジェ・リンポチェは回答しないで、如法しないわけである。

読経して拝懺をすることはただ助縁で、そなた達にチャンスがあって仏を学ばせる。そなた達は仏縁がとても薄い人で、もし仏菩薩の縁とずいぶん深いなら、人間にまた生まれることがないで、早目に浄土にいて、また、したに座って罵られるのでしょうか?少なくともリンチェンドルジェ・リンポチェのような果位を修める。リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら立派な修行者を謙虚で言い、しかし、皆はこのようなさえ出来ないで、そなたたちは仏との縁が本当にとても薄いを表示する。仏光は十方遍く照らして、仏はずっと皆に加持していて、しかし、そなた達は無明がまだあるので、仏光はそなた達への加持を遮った。ある能力がある上師は如法な皈依弟子に生死を解脱することを助けられて、仏の方法に従わないなら生死輪廻を解脱することができない。そなた達は自分が仏菩薩の縁と薄い一層を残るこを知っていて、そなたに今日また縁があって仏法を聞かせられて、だから、さらに大切して把握しなければならない。

金剛乗の教法の中に、ただそなたは決心をしてある如法に修行する上師に依止し、この世に絶対に成就がある。ここに言う成就はそなたがこの世に仏になるのではなくて、却って、この世に必ず生死を解脱することが出来る。寶吉祥仏法センターにはすでに多くの例があって皆に見せた。例えば前に開示したのは仏門に入った者が臨終になる時に三つの状況があり、数回目の法会の中に言った游氏弟子が、この游氏弟子は福報があって、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に彼を言って、さらにまして彼はとても厳重に間違って再び改心する弟子だ。彼は往生する前に自分がいつに去ることを知っていて、また、如何なる苦しみがないで、直接に浄土について、中根器の仏を学ぶ者で、まだ上根器の人のではない。上根器の人は往生する時にこの世の業を完済することを知っていて、とても嬉しくて離れるのである。

この世に官位が高くなって、金を儲けることができて、半分の原因は能力で、しかし、最も主要なのは福報と大きい関係がある。皆は「幸運になれば心の働きもよくなる」を聞いたことがあり、皆は多くの例を見たこともあり、福報がある人は気軽にして、ことをうまくしてあるいはお金を稼いで、が、一部の人々はいくらしてたとえ疲れてチンのようにでも、仕方がないで、つまり福報が足りないわけである。

福報がないなら仏を学ぶこともできないで、福報がないなら仏法を聞き間違って、甚だしきに至っては耳に聞いても仏法の意味を誤解になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは法会が一寸始まる時にすべて短マンダラを修めて、衆生に功徳と供養と福報をあらせて、それから、仏法を受けられる。福報がない人であれば、事が間違ってして、言うことを聞くことも聞き間違って、事を見ることも間違ってみて、修行者があることをすることをみても間違って考えて、彼の目に違ってなった。上師に開示される仏法は彼の耳に聞き間違って正しくならない。甚だしきに至ってはただ仏像だけみても良くない考えがある。そなた達はすべて「自分が正しいと思っている」にて仏を学んでいる。なぜ「独りよがり」を言わないで、「自分が正しいと思っている」を言うのでしょうか?そなた達に対して、ただそなたの欲望を合えるなら、正しいと思っていて、間違っても、そなた達も正しいと思っている。よいと良くないはすべて自分の欲望で、ただ自分の欲望により皈依したら、必ず問題があり、必ず煩悩と障碍が現れる。いかに如法の上師に依止して、さらに生死を解脱するのでしょうか?皈依の心構えはとても重要である。

そなたは皈依した後、自ずから三寶の保護をもらって、そなたの身が光があって、ただ自分が見えないで、諸仏菩薩及び護法はそなた達の身の回りで保護している。諸仏菩薩はそなたが危難にあって過ぎられない時にそなたに救って、しかし、護法が同じように人間の習慣があって、そなたが皈依した後、また外道を探すならば、護法がそなたに離れて、が、外道の天神はそなたの身の光をみると、そなたに近くてしないで、結局、誰でもそなたに保護していない。どちらの神でも同じように輪廻し、自分の自身が済度されることが必要である。ある霊験な宮と寺はリンチェンドルジェ・リンポチェが行ったら、霊験しないで、なぜならば、その中にいる鬼と神はすでにリンチェンドルジェ・リンポチェに済度されるので、霊験にならなかった。これにより、鬼と神はそなたが輪廻を解脱することを助けられないことを知っている。もし皈依した後、また求めるならば、皈依戒を破るのである。その他に、そなたにどのぐらいお金を与えても、あるいは、そなたの命にどのぐらいの脅しがあっても、皈依戒を破られない。

ある人は「皈依すると祖先に礼拝することができるかどうか」を尋ねる。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は仏が祖先に礼拝することができないのを言ってないで、しかし、「求める」をしない。祖先に求めてそなたの子供がよく勉強になって、テストがよい成績をとることを再び求めてはいけない。一部の人々は祖先に帰って子供に勉強を教えてくれることを求めて、しかし、祖先が古い時に、幾何学、代数或いは英語を学んでいないで、如何に子供を教えるのでしょうか?もしそなたに鬼にそなたの子供に試験をうまく点数を取らせることを求めるなら、鬼が試験場に従って入って、が、他の人も鬼に彼らに助けてくれることを求めるなら、試験場に鬼が鬼と喧嘩するのでしょうか?

ここにある例を挙げる。リンチェンドルジェ・リンポチェの母方の祖父は、第2次世界大戦の中で日本軍の爆弾に砲撃されて死んで、しかし、彼の神識を離れていないで、また家に残っていて、ただ家に誰かが重病に罹ってあるいは間もなく事件を発生する予定であれば、リンチェンドルジェ・リンポチェの母方の祖父は現れて母方の祖母に見せて、本当に見せた。かつて、リンチェンドルジェ・リンポチェの母方の祖母は字花(香港の宝くじ)を遊んでいた時に、リンチェンドルジェ・リンポチェに母方の祖父の霊前の前に数字を引き出させた。母方の祖母は母方の祖父がこの孫を一番可愛がると思っていて、最初、リンチェンドルジェ・リンポチェは母方の祖父の骨灰を新界から家にまで持って帰って、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはその時に引き出した数字が一回で当てたことがないで、どんな原因に関わらず、しかし、これも鬼が本当に我々に助けてくれないことを表示した。また、当時に、ある家族は重病があったら、リンチェンドルジェ・リンポチェの母方の祖母が往生した母方の祖父が現れること見えて、しかし、訳が分からないで、ただ事件があって、しかし、どの事件が分からないので処理できなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの父は往生する前の前週に、母方の祖母は毎日に母方の祖父が家に現れて、母方の祖父は家に間もなく大事件を発生する予定を知っていたけれども、いえないことを苦しんで、家族に助けられなかった。だから、そなた達は祖先が現れることを夢見ることがいいこととはいえないで、祖先が苦しんで暮らすかもしれないし、或いは、家の中になにを発生するかもしれない。

皈依した後で必ず菜食しなければならないで、便利な菜食或いは葷邊菜食(肉食と混じる野菜を食べる)をしたらと十分だと思ってはいけない。もしそなたは便利な菜食を食べるなら、もらうのは便利な仏法で、葷邊菜食を食べるなら、葷邊仏法をもらって、上師がそなた達の縁と相応するわけで、そなたはいかにしたら、上師がいかにそなたに返す。一部の人々はチベットにあるラマ僧も肉食をするを言うかもしれない、それはかつて青海あるいはチベットに一部のエリアは草さえ生えないので、仏菩薩は神力にて神識がない牛羊が化けて、現地にもうすぐ餓死させる人に食べ物があって食べられて、しかし、これらの動物が神識がないで、だから、食べられる。

リンチェンドルジェ・リンポチェはラチ雪山に閉関したのように、現地の厳しい高山気候の条件で農業に従事することができないで、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに順調な閉関して修行させるのために、現地のヤクの牛乳にて栄養を補充することを準備した。直貢噶舉の歴代の伝承上師はすべて菜食し、直貢チェツァン法王及び直貢チョンツァン法王及びリンチェンドルジェ・リンポチェはすべて菜食し、そなた達はこの伝承の中に仏法を学びたいなら、いかに肉食をするのでしょうか?リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指示により直貢噶舉の教法を広めて、肉食していて寶吉祥仏法センターに来て法会に参加し続ける人は護法が自ずからそなたにくる因縁がない。

南伝の小乗仏法となると、例えばタイ、スリランカなどの現地の出家衆は煩悩を断って、ご飯さえ料理しない。ご飯を炊くことは彼らに対して煩悩を含めて、彼らは毎日に外出して托鉢をして、なにがあったら何を食べて、だから、偶には肉を食べた。仏経に「三淨肉」という言い方があり、そなたは自ら動物を殺すことができないで、他人が殺すことを見えないで、他人に殺させることができない。また、「九淨肉」を言うのがさらに詳しいことに言及し、タカに食べられる腐っている肉或いは偶然にあってすでに死んでいて、或いは私のためにしぬのではないこと確定であれば、これらの肉を食用することができて、仏経にとても詳しくて記載されている。このようにけれども、そなたたちが学ぶのは小乗仏法ではなくて、衆生に助けるために生死を解脱する金剛乗及び大乗仏法で、いかに再び衆生の肉を食べられるのでしょうか?その上、台湾でそなた達は1万パーセントの条件があって菜食することができて、再び口実と理由を探して菜食しないことをしないでください。

皈依した後、できるだけ一切な六道有情衆生に傷つけないで、この観念が最も重要なのは心で、そなたの心構えで、動作ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェはここに先に注釈をして、さもなくそなた達は蚊に殺すことが出来るかどうか、蚊の明かり問題が消えることができるかどうかを聞くことを始める。実は、ただ日常生活をする環境は綺麗に掃除したら、これらの生物の出現を減らことができる。もし、家の中にヘビ、サソリの侵入があるならば、ここに住んでいる人間は純善を行わないことを示して、心がまだ悪だ。仏経に記載されているのはそなたはヘビ、サソリなどの毒虫に傷けられたら、これもそなたの因果応報で、過去世にそなたは衆生に傷つけたことがあって、だから、この世に毒虫に生まれてそなたに傷つけてくるわけである。

どうして菜食してはいけないのでしょうか?菜食をするなら、衆生に悪縁を結ぶ機会を減らして、そんたのために死ぬ衆生を少なくなる。工夫を凝らして動物をかって放生することが要らないで、今日、この動物が殺されて、それに借金を返させられて、しかし、そなたはそれを買ってそれに借金を返させられないで、別の方式にて借金を返さなければならない。だから、そなたは放生をしたいなら、そなたがまたそれを済度されなければならない。菜食する後、殺生する機会を減らして、ますます慈悲の心を養成することができで、やっと生死を解脱することができる。

釈迦牟尼仏は数人の弟子と一緒に道中に歩いて、道中に数羽のハトがいて、仏はこれらのハトの前に通るときに、ハトは飛び離れていないで、仏の弟子はすでに阿羅漢で、しかし、弟子達は歩く時に、ハトは飛び離れた。弟子達は仏になぜでしょうかをお伺いを立てた。仏は「そなた達は殺生の行為がないけれども、累世の殺す習慣及び殺す業力がまだ残っているので鳥と相応し、だから、鳥が飛んで離れた。しかし、仏はこれらの習気がないでの、鳥が飛んで離れない」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「実は最も重要なのはそなたはまだ殺す考えがあるかどうか」と開示した。女は心中にある者がいつに運が悪いことを見て、ある者がいつに死ぬことを見たいかもしれない、これも殺すのである。男はある者がいつに失敗になるなどを見たいで、これもある殺すのである。そなたは他人が良くなくなることを望んでいるなら、つまり有情を傷つけて、そなた達の人々はこのような考えがあったことがある。

この間に、ある女の弟子は彼女の結婚相手と両方の家長を連れでリンチェンドルジェ・リンポチェに結婚の日取りを与えることを祈ってきて、リンチェンドルジェ・リンポチェは承諾しないで、なぜかというと、リンチェンドルジェ・リンポチェは男性をみると菜食宴会をする可能性がないが分かっていた。矢張り男性は事前に女性に三つ菜食のテーブルを準備することを承諾し、残りのテーブルはすべて肉食だ。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はこのような人でも結婚して、結婚のために肉食宴会を準備し、つまり有情を傷つけて、婚期をお伺いを立てる勇気があるのでしょうか?多くの女と男は「いいんじゃない、私は先に相手と結婚し、それから、彼にますます影響し変る」と言う。しかし、婚前に相手に変らないと、結婚する後で相手に変えるのでしょうか?多くの人々は相手から聞いたことがあって、結婚してから私は必ずお前のために自分が変る。結婚した後で、騙させられたことを発見する。だから、何か相談することがあれば、結婚する前にはっきり書いて、相手に署名して確認させてから再び結婚していく。あるものは全世界の男女の人数を統計したことがある。結局、実はこの世界の男女人数の割合は1対1で、ほぼ同じで、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はこのようであれば、そなたは絶対に付き合う相手を見付かられて、この世界の中に必ず誰かがそなたと縁があって、ただそなたは好きかどうかによるのである。

結婚で菜食宴会を行うのはリンチェンドルジェ・リンポチェがこの点をとても堅持し、もしこれさえ出来ないならば、結婚する必要がない。ある宗教は甚だしきに至っては同じ信奉する人とただ結婚するだけで、しかし、そなた達は雑婚になる。ある者は仏弟子が結婚することも出来ないと感じるかもしれない。実はこいう意味のではなくて、自分は自分の原則を堅持しなければらない。他の宗教の信者はなにを食べないを言うならたべない、ある宗教は豚肉をたべないで、そなたたちは彼にたべさせるなら、彼らはそなたと喧嘩し、そしられる時すぐに一斉に立ち上って抵抗して、自分の立場を堅持して、自分の宗教を守って保護する。

そなた達は仏を学ぶ者が平和を重んじるべきのではないかをいえるかもしれない。ここの意味はそなたたちに闘って争わせるのではなくて、少なくとも態度を表明しよう。そなたは原則があって如何なることをすることができるならば、時間を経ると、他人も知っていてそしてそなたに尊重し、これは人間とする格調である。仏を学ぶのは格調を学んでいて、自分が菜食することでも言う勇気がないで、格調がない。そなたの心は固められると、自ずから、多くの仏を学ぶ障碍を減らして、甚だしきに至っては無くなって、菜食することが問題があることがない、まして、仏を学ぶ者は本来自分の飲食習慣を変えるべきだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェの性格はあることがよいことを知ると、何をも顧みないでして、そなた達が家庭と友達がいらないのではなくて、相手に自分がこの様子を知らせて、もし相手が受け入れないなら、さようならを言うしかない。他人に自分が変な人を感じさせないで、リンチェンドルジェ・リンポチェは外にいて、誰かだ変だと感じない。リンチェンドルジェ・リンポチェも相手に干渉しないで、ただ相手に自分はどんな習慣があることを知らせて、他人に影響しないで、他人に変らせないで、他人が自ずから受け入れて、そなたの個人の原則を尊重する。リンチェンドルジェ・リンポチェのお母さんは5年前に始めて菜食し、その上、自ずから主動的に菜食し、この前に、リンチェンドルジェ・リンポチェはお母さんに強くて菜食させていないで、一切なのは縁に従って、ただ自分がよくして、浴改正して、身の回りの人々が自ずからそなたに従って何を変る。リンチェンドルジェ・リンポチェはうまく改正になって、お母さんは見たので自ずから受け入れられる。

仏を学ぶのは直販をするのではなくて、仏法を学ぶことを通して自分の行為を変えて、他人にそなたに従って同じ事をするように強要するのではない。習慣の上で、中国式の食事を食べる時に、皆は料理を分ち合うことをして、誰かが菜食することを知ると、皆は料理を注文する時に気掛りがあって、しかし、洋食は各々注文し、自ら食事を選択して食べて、他人に影響しない。そなた達は他人と一緒にデートする時に、洋食を食べるのほうがより便利で、それぞれ食べて、揉め事も無く仲良く暮らす。自分の胃腸がよくないことも言えて、或いは減食して減重するので食べない。そなた達に騙させるのではなくて、時には自分の原則のために必ずいい方法を考えて、他人に煩悩をあげないでください。

「僧に皈依、これより悪友に従わざるべし。」ここに言う悪友は外道を言うのではなくて、一切なそなたに輪廻をし続けさせる人で、所謂仏につける外道を含める。

因果を信じなければら無い。ミラネバ尊者は開示したことがあって、ただまた輪廻にいるなら、必ずある世に地獄に堕ちる。だから、本当に決心してうまく仏を学んで、生死を解脱して始められて、さもなくずっと輪廻の中に苦しみを受けている。いままでまだ多くの弟子は自分が間違って、ただ出て懺悔したら無事になると思っている。懺悔はそなたにチャンスを与えて再び仏を学んで、懺悔をすると果報がないのではなくて、果報が同じようにあって、しかし、程度の大小と時間の長短は各々違って、そなたの懺悔心と修行による。そなたは懺悔しないで、或いは懺悔をすることがただ自分の良さのために、それは必ず効果がない。懺悔とはそなたの業力の果報をすぐに成熟させて、そなたのことを発生させないのではない。

仏経に記載されたことがある。ある者は生前に一匹のクモを救ったことあって、それから、彼は殺人の悪業をして、死んだ後で、地獄に落ち込んで、しかし、地獄に堕ちると一本の糸が上から垂れて下りてくることを見て、これは彼は臨終になる時に懺悔心を起こすわけである。彼は懺悔したけれども、この因の果報を変えないで、同じように地獄に堕ちなければならなくて、しかし、死ぬ前に懺悔の力も善の業力をすぐに作用を発生させて、だから、地獄に堕ちた後で、クモの糸を垂れて下りてくることを見て、彼をこのクモの糸に沿って上へ登ることができて、天道に生まれることができる。因果は消えないで、悪業の果報を変えないで、同じように苦しみを受けて、しかし、彼は懺悔心を起こすので、善の業力も同時に作用を発生し、地獄に堕ちる時間を短縮させて、すぐに出で来た。かつて善因をしたので、彼にクモの糸が降りて彼に助けるチャンスを与える。このストーリは私たちに果報が必ずあり、しかし果報は発生する程度と時間が各々違うことを教える。そなたは仏を学んで修行して、善事を行って、それでは、救われるチャンスがあって、つまりそなた達が所謂「和解する可能性がある」のである。

皈依した後で、緊急な状況あるいは困難にであうので皈依戒を捨てはいけない。便利のために再度悪事を行うならば、してから仏菩薩に再び懺悔すると十分だと持っているなら、これで皈依戒を破って、戒を破ると補うことがとても難しいだ。皈依した後で、そなた達は仏菩薩の保護を受けて、どこに行っても仏菩薩及び護法に報告するはずである。昨日ある信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した。この信者は彼の友達が癌の末期でリンチェンドルジェ・リンポチェが「快楽と痛苦」の中の法写真をみて、歓喜心及び恭敬心を起こして、臨終になる時に、普通な癌の患者と違い、完全に如何なる苦しみがないで落ち着く往生した。リンチェンドルジェ・リンポチェは本来このことを知らないで、入定をしてみると、彼の友達はすでに天道にいて、その時に、彼の心の中にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依したい考えがすでにあった。

引き続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは五戒を伝えた。一、不殺生。二、不偸盗。自分に属しないお金を持つことも含める。三、不邪淫。四、不妄語。不悪口、不誑語、不綺語、不両舌を含める。五、不飲酒。タバコと麻薬を吸わずこと及び如何なる麻酔品を使えずことを含める。不綺語は生死を解脱することと関係ない話を言わない。これらのはそなた達は毎日犯して、自分が戒律を破れても、まだ分からない。悪口は上師に批評することを含めて、そなたに恩がある者も批評したら、他人に必ず批評し、これらは悪口の範囲で、上師に批評することが最も最悪である。

多くの法会に参加することが出来ない弟子は道場の階下で待って、つまり戒律を破って心が間違うわけで、リンチェンドルジェ・リンポチェに駆けられて、懺悔すると大丈夫だと思っていて、これらの心構えが正確ではない。いままで、すでに百人で、一つ或いは二つの道場に支えることが出来る。そなた達は上師に「慈悲深くて仏法を教導するのではないか?衆生はいいか悪いかに関わらず、助けるはずのではないか」を尋ねるかもしれない。このように言うが正しいけれども、しかし、もし縁が無いで、言うことが聞かないで、心はまだ悪だを表示し、悪な人は彼らに続けて福報を累積させるなら、将来にもっと大きな悪をする機会がある。それらのとても大きな悪行をする人間は全て大きな福報があるので悪を行う力がある。ある泥棒は如何に盗んでも捉えられないで、ある者は一回で盗んで捉えられて、これも福報と関係がある。

実はリンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲過ぎで、これらの心がまだ悪な人に仏法を聞いて或いは上師にみることを入らせないで、なぜならば、仏法を聞いて、修行者と仏像をみると、福報もあって、悪事を行う人間は福報があったら、もっと大きな力があって衆生に傷つけて、先に彼らをすこし断絶するほかなくて、将来に因縁が来て、彼らは自分が間違って、上師は彼らが懺悔することを知ると、再度彼らに助けて、このようにしたら本当の慈悲である。

皈依後我々は八つの利益を得る。
(1) 仏教徒になったことだ。
(2) 一切戒律の拠り所になる。
(3) すべての非人が危害を加える事が出来なくなる。
(4) 一切の罪悪が軽くなり、さらには消すこともできる。
(5) 心に広大な福徳資糧が増える。
(6) 死後悪道に堕ちない。
(7) 私達の心には殊勝な道が生じる。
(8) 絶えずに学んでいて、最後に無上菩提の証を得て、有情に利益する。

皈依するべきな心構えとするはずことを開示した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは53位の信者に皈依の儀軌を行って、その上、皈依証の意義を開示した。皆はチベット仏教直貢噶舉派リンチェンドルジェ・リンポチェの門下を皈依する。リンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師は第三十七任の直貢チェツァン法王である。皈依証の上に祖師ジッテン・サムゴンの法写真、第三十七任直貢チェツァン法王、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真がある。皈依証はとても大切し、無くさせることができないで、そなた達の一生に従って、失くすなら無くなる。

そなたたちの法名は来週の土曜日に再びリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する時にまたそなた達に直すようにする。リンチェンドルジェ・リンポチェは皈依証にある皈依文を口伝し、皈依弟子に毎日に少なくとも7回目の皈依文を唱えさせた。皈依文の最後の内容は「是が諸々の仏の教えなり」で、仏教を言うのではなくて、却って諸仏菩薩が教導するのである。そなたたちは仏を学びたくないなら、この道場はそなたに適しないなら、黙って離れることができて、しかし、仏を謗らないであるいは他人を批評してはいけない、ただそなたはリンチェンドルジェ・リンポチェ及び寶吉祥仏法センターと縁が無いわけである。

皈依した後は、必ず幾つかの事に注意しなければならない
(1) 天神に頂礼してはならない。皈依した後は、他の天神に頂礼してはならない。それは如何なる廟、神、他の宗教を含む。
(2) 有情を傷つけない。皈依した後は、一切の有情衆生を傷つけてはならないと教える。もちろん菜食しなければならない。
(3) 外道に依止してはならない。
(4) 三寶を見ると恭敬になる。
(5) 特別な事に遭遇しても、方便を求めよう皈依戒を捨てられない。
(6) 時間通りに供養する

皈依した後、時間通りに供養し、道場に護持するのは使用者が料金を支払う道理である。道場の水道料金、電気代などの費用はすべて弟子から護持し、また、毎年に主催する大法会も弟子から護持する。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの道場を成立した時に、社団法人の名義で寶吉祥仏教文化交流協会を成立し、悪い考えを持つ人に寄付の名義でマネー・ロンダリングに来させないで、功徳主とするのは名声をもらえて或いはお金により道場を制御することを思わさせないで全ての弟子は毎月に時間通りに道場に護持し、お金の多少が重点ではなくて、5台湾ドル、10台湾ドル、千台湾ドルでも構わないで、自分の能力の範囲に遣り遂げる。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの道場が余りに金が有りたくなくて、弟子はすぐに百万台湾ドル或いは数十台湾ドルを護持することを望まないで
道場の経費が一寸使えることが十分だ。対外の大法会を主催することと限らないで、より多くの費用がある。

リンチェンドルジェ・リンポチェは続けて開示した。新しき皈依弟子は各々抽選してグループに分けて、いま8つチームがあって、全てのチームは組長と連絡者がいて、いま人々が多すぎるために、連絡者から情報に連絡することがいるし、組長と連絡者は皆に管理するのではなくて、数年以来の道場の習慣及びやり方は皆に話して、籤引きの方法によりグループを決めてから皆に知らせる。

仏教の皈依の儀軌はとても簡単で、しかし、意味は極めて深遠で、それから、皈依の髪をカットする儀軌を行って、髪を切るのは出家を代表し、ここにいう出家は出家相を現るのではなくて、却って、三界の輪廻の家を出離を言い、そなた達は未来にある世に因縁があって出家することができて、浄土に修行する機会があることを代表する。

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2013 年 01 月 20 日 更新