尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年8月16日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターで、観音菩薩灌頂法会を主催し、参列者は日本現地の信者22人、台湾の信者18人、日本と台湾の弟子98人を含んで、合計で138人が今回極めて殊勝で得難い法会に参加した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは午後2時に観音菩薩灌頂の予備法を修め始めて、慈悲に甘露水を加持して、すべての法会参列者が京都寶吉祥仏法センターに入る前に、先に甘露水を飲ませることができる。予備法が円満に完成した後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは午後4時に再度法座に上がって、真言を唱えて加持した後に、すぐマンダラを捧げる儀軌を行った。入場する時に自分で抽選されたマンダラを捧げる日本の信者は衆生を代表して、リンチェンドルジェ・リンポチェに法を請けることをお願いした。

観音菩薩灌頂を授与する前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは法会に参列した大衆に、貴重な仏法の開示をこう与えた。今日修める法は特別であり、灌頂を授与するのである。仏法の修行する方法は顕教と密教など2種類に分けられる。顕教はそなた達が日頃に見られる出家衆が読経したり木魚をたたいたりして、つまり仏教の理論と基礎である。しかし理論を学んでから、方法がなければ使わないから、その故に密法が必要である。密教を修習するため、先ずは必ず10~12年の顕教を学ばなければならなくて、初めて密法を学び始めることができる。釈迦牟尼仏は滅度した後の500年、密法が栄えているようになって、唐に中国に伝われて来て、「唐密」と称して、唐の時の密法も日本に伝われて入って来て、「東密」と称す。密法もチベットに伝われて入って来て、チベット仏教が保存されている密法は最も完全であり、日本の東密はただ密法の中の2つ部だけを保存したのである。一部の者は、チベット仏教では密宗があって、すべてのチベット人が密法がわかるのではないか、と思っている。実はさもなくば、ただリンポチェの果位を修め得る行者だけは密法ができるのである。

顕教と密教との最大の違いは灌頂ということである。昔のインドでは灌頂の儀式があって、国王が王子に王位を受け継がせる時に、彼の頭頂に清浄な水を注ぐ儀式を行って、この王子に権限を授けることを代表して、彼に未来に王位を踏襲する資格を与える。チベット仏教の中で、授権の灌頂を通して、灌頂を受けた仏を学ぶ者は初めてこの本尊を修める資格を持つということを表す。しかし、誰でも灌頂を授与できるのではなくて、リンポチェの果位ではない行者は灌頂を授与することができなくて、何故かと言うと、灌頂は上師が自身の功徳と福報を弟子に分かち合って、弟子に仏法を学んで修行する福報、因縁を与えるからである。それで、リンポチェ果位を証得できる行者だけはやっとやり遂げるのである。

灌頂の意義は別に何かを得るのではなくて、灌頂を受ける人に授権を得させて、はじめてこの法門を学び始めることができる。次第に修行していることを通って、本尊と同じような行為、思想と功徳をやり遂げて、更に衆生を利益することができる。法会に参加する時に、心の動機はとても重要であり、動機が清浄で、上師に対する心が恭敬で、法本の中にも言及されるように、無上甚深の密法灌頂を受ける時に、下記の傲慢な心、自信がない、法を求める心が無い、外散、内収、と疲れ厭きる心など6つの態度があってはいけない。

1. 傲慢な心である:傲慢は2つのレベルに分けられて、1つは自分は嘗て仏を学んだことがあるから、自分が何でもわかると感じて、上師に対して恭敬心が不足です。もう1つは、自分はお金を持って、地位があって、或いは世の中のいわゆる学問を累積していて、自分が上師より世の中の事がもっと分かっていると感じて、上師に対して傲慢な心が発生するのである。

2. 信心がない。特に正信仏法に信心が無い。和尚を頼んで家で読経して加護を求めること、或いは自分が家で読経することは全て正信仏法ではなく、唯助縁である。

3. 法を求める心が無い。自分は唯法会に参加して加護を求めるだと思った。此れは法を求める心が無い。

4. 外散である。心は専念していない。人は此処で法会に参加したのに、心の中に他の事を考えている。

5. 内収である。つまり、目、耳、鼻、舌、身、意この六根は全て内に向いて、外界の情報を受けなくて、上師を専念しない或いはぼう然とした状態に堕ちる。また、今現場に二人の子供が遊んでいるのも内収だと言える。

6. 疲れ厭きる心である。法会は自分と関わらないと感じて、上師が何故長く開示されているかと思って、厭きると感じて、法会はいつか終わるかと考える。自分は何故この法会に参加したか分からないなど。全て厭きる心である。

法本の中に説かれたが、正しい心の動機があった後、続いて殊勝な心を生起して、上師を本尊として、本尊と無二無別であり、また一緒に法会に参加する参列者を眷属としてみる。それは皆は一緒にこのような殊勝な灌頂を受けて、修行の過程の中にも眷属である。だから、現場で共同に灌頂を受ける参列者はお互いに家族と同じようである。法会に参加する時、正しい心があるべき、自分のために加護を求めるではなく、仏法を学んで生死を解脱して将来衆生を利益できるためである。心念が正しいなら、行動と言語が正しくなる。

そなた達は今日観音菩薩灌頂を受けた後、若し引き続きに仏を学ばないなら、法会を参加する事は唯そなた達を助けて仏菩薩と縁を結んだだけ。しかし、此の世の業力を転じて、業報を変えられなくて、そなた達に生死を解脱させる事が出来ない。仏を学ぶのは唯読経して、仏を拝んで、加護を求めるわけではない。読経、仏を拝む、経文を書き写すのは全て助縁だけである。仏を学ぶ目的は自分に生死を解脱させた後、更に一切衆生を助けて生死輪廻を解脱できるのである。

仏法を広める多くの人は法本のこの部分の内容を教える勇気がない。それは名聞利養を得られないのを恐がる。何故かというと、一部の信者は聞くと恐がるから、そうすると、仏を学ばなくて、供養をもしなない。だから仏法を広める多くの人は信者にとても優しくして、信者に仏を学ぶ本当な目的を知らせない。リンチェンドルジェ・リンポチェはそうではない。名聞利養のために仏法を広めるわけではないから、仏菩薩が教える内容であれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず教える。そなた達は今後仏を学ぶかどうか自分が決めるが、リンチェンドルジェ・リンポチェは説って教えて終わると、責任を尽くした。

続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは始めて観音菩薩灌頂の儀軌を伝授された。リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を率いてチベット語で法本を唱えて、本尊の加持を祈った。皆にこの殊勝な灌頂を受けて、確実にこの法を修める事を通して生死を解脱できて、未来観音菩薩果位を証する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは「身」の灌頂を授与する前に、参列者に指示して、真っすぐに座って、目はリンチェンドルジェ・リンポチェが持った宝瓶を見る、と言った。「身」の灌頂を受けた後、そなた達の累世「身」の垢、障碍、癖を清浄して、未来化身仏を証する因縁を具える。

続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは「語」の灌頂を行う前に再び参列者に真っすぐ座るように提示された。それで皆に「語」の灌頂を受ける時の観想の方式を指示して、更に参列者を率いて法本を唱えた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは大衆を率いて六字大明呪を唱えた後、引き続きに開示された。皆は「語」の灌頂を受けたが、若しいい話を話して、他人を賛美して、他人を助ける話を言えば、早めに善の功徳を累積できて、福報が早めに起こった。その代わりに、「語」の灌頂を受けた後、悪い話を話し、人を騙して、人を傷付ける言葉を言えば、悪い作用も早めに現れる。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアに言って、そなた達は先程リンチェンドルジェ・リンポチェに従って法本の内容を唱えたが、今は始めて騙されたと分かった。「語」の灌頂を受けた後、法に従う修行を透して、累世「語」の垢、障碍、癖を清浄して、未来報身仏を証する因縁を具える。

リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに参列者に「意」の灌頂を授与された。「意」の灌頂を受ければ、累世「意」の垢、障碍、癖を清浄して、未来法身仏を証する因縁を具える。観音菩薩の意念は上師と一致するので、上師が「意」の灌頂を授与する事を透して、そなた達に将来に修行を透して、観音菩薩と相応できる。リンチェンドルジェ・リンポチェの法机に置いたタルマは本尊の壇城であり、後程リンチェンドルジェ・リンポチェはタルマを上げて、皆を助けて、「意」の垢、障碍、癖を清浄する。

今日リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に観音法門身、語、意の灌頂を授与された。先程上師の観想を通して、そなた達に身、語、意は観音菩薩と無二無別させた。

続いてリンチェンドルジェ・リンポチェは詳しく七支禅定の方式を説かれて、皆を率いて、短い禅定を行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。禅定を行う時、そなた達の心に必ず喜んでいる。今日殊勝な身、語、意の灌頂を受けて、エゴしないで。常に禅定する人は頭がかなりはっきりにして、仕事もかなり順調で体も尚更に健康になる。常に禅定する人はアルツハイマー病に罹らない。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に65歳と言う高齢でビジネスする時常に人と打ち合わせしているが、ノートをする必要がない。そなた達は若し将来にアルツハイマー病に罹りたくないなら、常に禅定しなければならない。坐禅の時間は必ず長い必要ではないが、どんな事でも考えず或いは思想がないことではなく、自然に行う。

灌頂を受取った後、そなた達の仕事が良くなり、財産が増え、お体が丈夫になる。法本の中に言及して、観音法門を修行すれば、病魔、業障、邪魔と傷害を取り除く事が出来、行者の名誉と財産とも増え、一切の障碍を取り消し、菩薩の果位を証得出来る。しかし、観音法門を修行していろんな良い点がもらえて、行者に健康を齎して、また財産を増えさせ出来る事を知っても、そなた達はこれ等の利益を求めるために灌頂を取りに来るべきではない。お体が丈夫ではなければ仏を学ぶ事ができない、お金がなければ仏を勉強する気がない。だから、行者は生死より離脱が出来、未来に衆生を利益することが出来るために観音法門を修めれば、自然にこれ等の作用が生じ、行者に安心で仏を勉強して修行させる。

法本の中にも載せてあり、灌頂を受ける善の因縁と財産を上師と諸仏菩薩に供養するべき、そなた達がこうする時、功徳が起こられるようになる。そして上師と諸仏菩薩もこれらの善の因縁と財産をまたそなた達に与える。そなた達は一切の善の因縁と財産を上師と諸仏菩薩に供養する時、私利のためではなく、恭しく供えて福報をはじめて蓄積出来、また上師と諸仏菩薩の功徳と一緒になる。上師と諸仏菩薩は衆生を利益するべき、それで、そなた達に借りる事はしない。そなた達は既に上師と諸仏菩薩に供養し、上師と諸仏菩薩は更に多くの福報をそなた達に返して受用させる。

引き続いて、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは起きて法座を降り、苦労を問わずに会場を回り、手に寶瓶を持って一人一人の参列者の頭に灌頂して加持し、また甘露水を賜った。リンチェンドルジェ・リンポチェの右肩には軟骨がなくて、如何なる動作をしても、お体に対して全て極めて大きい負荷になるのに、相変わらず苦労と肩と骨と摩擦の不適を問わず、自らで寶瓶を持って慈悲に加持して、参列者皆に甘露水を賜った。参列者皆はリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に殊勝な灌頂を授与して、参列者皆に未来に衆生を利益する殊勝な善縁を開けることを感恩して、また感動されて涙を流れた。

宝瓶で参列者の一人一人に加持した後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは再度法席に戻って、参列者に仏法の開示を続けて与えた。法本に記載されているのは今日の灌頂によりそなた達の身語意をしばらく清浄することができて、そなた達が仏を学ぶ時に、障碍がないようにさせた。しかし、仏菩薩はそなた達の身語意の垢障と習気を清浄した後、そなた達が続けて悪を行って、今日に啓かれた善の因縁を延びないで、決心をして過ちを改正して修行することをしないならば、今日、灌頂を受けることがそなた達に対してただ縁を結ぶだけである。

法本にまた記載されているのは今日非常に深くて無上な灌頂を受けてから、観音法門を学んで修行することができる。行者は不共の殊勝な動機を生じるはずで、理と法の如く修行過程を通して、未来に観音菩薩の無二無別の果位を証することができる。「理の如く」とは仏が説く道理により、衆生が輪廻生死を解脱して修行することを助ける。上師の教導の如くこの法門を修行することができるなら、観音菩薩が護法と眷属を派遣させてそなたたち保護する。仏法はリンチェンドルジェ・リンポチェの身に作用を発生していないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェも仏法を以ってそなた達に教導しない、なぜならば、リンチェンドルジェ・リンポチェの自身が仏法の助けを受ける最もよい例だわけである。リンチェンドルジェ・リンポチェは本来47歳で死ぬはずで、1995年、リンチェンドルジェ・リンポチェが破産し、食事できない貧乏の程で、45歳にまた皮膚癌に罹って、が、リンチェンドルジェ・リンポチェが治療を受けていないで、仏菩薩を求めていないで、長期の仏法修行を経てから、結局、癌が何も医療をしないで治された。リンチェンドルジェ・リンポチェは持続的な密法を修行し、密法を修行して成就になる行者で、癌に罹っても、仏菩薩を求めることが要らないで、なぜならば、法本に記載されているのが諸仏菩薩が灌頂した後この法門を習う行者を保護することを承諾するわけである。

だから、今日、この殊勝な灌頂を受けた後で、皆はそんなに苦労して山を登って埃を拾う必要がなくて、なぜならば、観音菩薩の力がそれらの鬼神により大きいのである。今日、京都大文字祭りの五山送り火の日で、京都寶吉祥仏法センターの庭に、皆が「大文字」、「妙」、「法」を観賞できる。

そなた達は観音菩薩の灌頂法会に参加しに来られることがとても殊勝な因縁で、皆がこのような良い機会を大切しなければならなくて、人生がとても速くて暮らして、そなた達は自分がどのような人生を暮らすかを良く考えいて、仏を学ぶことで友達が出来ないあるいは商売が出来ないと思ってはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは世界各地で商売を常に行って、同じように仏を学んで修行することが出来て、その場で、多くの人々がすでに50歳を超えて、人生を暮らす意義を良く考えたことがあるのでしょうか?夏に冷たいビールを飲むか?あるいは多くのお金を稼がれるなら満足させるのであろうか?

そなた達は自分が前世と来世があり、この世に得たのが過去世でし、この世にするのが来世に影響することを知らなければならない。そなた達の過去世で必ず仏を学んだことがあり、今日が非常に深く密法の灌頂を参加することが出来る。そなた達はこの得にくい因縁が非常に無上な灌頂の因縁があって、殊勝な心構えを持つはずで、本尊がリンチェンドルジェ・リンポチェに灌頂することを授権し、そなた達に将来にこの法門を修められて、観音菩薩と同じ果位を証する。しかし、タバコをすわないで、お酒を飲まないとこれらの様々な利益をもらえられて、あるいは、今日の灌頂がそなた達に作用を起こされない。

法本に記載されているのは行者が観音法門の灌頂を受けた後で、累世の身語意の垢障と習氣を清浄し、仏になるまで、六字大妙呪を多くて唱えるはずのである。今日、灌頂を受けた後で、皆は真言を唱えられて、もし灌頂を受けていないで自ら真言を唱えるならただ助縁だけで、業を転じられない。今日、皆は善の因縁があってこの法会に参加し、観音菩薩の殊勝な加持と灌頂を得て、皆がこの得にくい因縁を大切するはずで、未来に観音法門を習う機会があって、自分の生死を解脱し衆生に利益することが出きらせる。そなた達は観音法門を学びたいなら、リンチェンドルジェ・リンポチェが法を伝えるをお伺いを立てられる。

今日法会が終わった後に、そなた達はまたビールを飲みに行ったら、それでは、今日灌頂法会に参加することが役に立たなくなる。今日、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に晩御飯を招待し、夜にビールを飲みに行かないで、準備の食事が肉がないので、そなた達が肉を食べられない。皆は晩御飯を多くて食べて、それでは、BBQを夜食になる必要がない。後で、道場の扉を開けて、もし、外に熱すぎるなら、入って冷気を吹いて晩御飯をすることが出来て、本来、道場に食べられないで、が、観音菩薩が慈悲で、そなた達が外で食事して熱すぎるので気分が悪いことを望まないで、そなた達がうれしいを望んでいる。

法会は円満になって、参列者はリンチェンドルジェ・リンポチェが非常に深くて無上な観音菩薩灌頂を殊勝な与えることに口をそろえて感謝した。参列者は京都寶吉祥仏法センターの庭にバイキング料理を食べて、その上、大文字祭りの五山送り火の盛況を観賞した。法会の前の日に、京都地区は大雨で災害となって、現地の住民が洪水の苦しみをひどく受けて、損失が酷くなった。気象観測の部門は雨の勢いが数日を続ける予告して、しかし、翌日から晴れて、法会を始める前の空に多くの変化が多くの雲があって、法会が円満になった後、天候が完全に変って、万里で雲がないし、天気がとてもよくてさわやかで、ただ明るい星を見えるだけで、リンチェンドルジェ・リンポチェが観音菩薩の灌頂を与えるときに開示したのように、一切の垢障を清浄させられて、現地の衆生も殊勝な灌頂法会なので利益をもらえられて、参列者がこの瑞相を見て、すべてとても歓喜を感じられた。

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2012 年 09 月 13 日 更新