尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年7月23日

今日は尊勝なる直貢チェツァン法王の誕生日である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで殊勝な長寿仏法会を主催し、そして1011人の皈依弟子を率いて、24時間で中断せずに長寿仏心呪を唱えていて、尊勝なる直貢チェツァン法王に供養して、直貢チェツァン法王が常にこの世に住世していて、仏法の事業は円満である事をご祈願した。寶吉祥仏法センターの皈依弟子を除いて、直貢噶舉派の南珠(ナンジュ)ケンポス及び達旺(ダワン)、滇真(デンシン)、索南(ソナン)など三名のラマ僧も共に今回の法会に参加した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がって、長寿仏儀軌を修め始める前に、まずは法会に参加する大衆に以下のとおり殊勝な開示を与えた。

尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの三恩根本上師であり、直貢噶舉伝承怙主である。直貢噶舉派には現在、尊勝なる直貢チョンツァン法王と尊勝なる直貢チェツァン法王など2名の法王がいる。2名の直貢法王の加持と努力のため、ようやく直貢噶舉法脈が再度盛んになることを促した。当時、直貢チェツァン法王は中国を離れてインド北部に向かう時に、すべてはゼロから始まって、たいへん苦労して何も無い空き地で仏寺を創立して、その後持続的に絶えず世界各地まで直貢噶舉派の伝承を発揚している。もし2名の法王が全力を尽くして努力しなければ、直貢噶舉の教法が衰微から栄えていることに変わることはありえない。

実は2名の直貢法王は教派のためとても大変であり、一心にすべて教派と仏法のため努力して、一度も休んだことがない。直貢チョンツァン法王はチベットに住んでいて、すでに71歳になって、依然として絶えずに直貢噶舉の法脈を発揚して努力して、最近にも遥かにチベットから青海まで巴麦(バマイ)仏寺の開眼式を主催しに行った。直貢チェツァン法王はこの世が第7世に直貢法王に転世して、大功徳と大福報を具えるから、ようやく法脈存続の大任を担うことができる。直貢チェツァン法王はこの世界に来て三つの重要な事がしなければならない。1つは教派の法脈を続くことであり、次は教派の中の転世されるリンポチェを探して認証することであり、もう一つは教派に対して役に立つ信者と弟子を探して、彼らに修行することを教えて、そして伝承法本の整理に力を尽くすのである。

直貢チェツァン法王は以前チベットのラサにいた時、中国語の能力は書くことも、読むことも、話すことなど方面も、その成績が全部クラスで最も優秀であり、そのためまた政府に任用されて翻訳のことを担当して、その時、多くの資料は直貢チェツァン法王が中国語をチベット語に翻訳されて、或いはチベット語を中国語に翻訳された。その故、 直貢チェツァン法王の素晴らしい中国語の能力で、やっと直貢噶舉派の教法を台湾まで広めることができる。以前は、別の地方で、特に台湾では、これまで直貢噶舉派を聞いたことがないが、しかし、直貢チェツァン法王の弘法のため、直貢噶舉派の法脈を台湾で発揚させることができる。

多くの人はチベット仏教と密宗に対して誤解があって、密宗が偽物で、仏陀が仰ったのではないと思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前顕教を学んでいた時、顕教の法師が密宗に対して同様にある程度誤解するから、それで、リンチェンドルジェ・リンポチェも密法に対して先入観を持っていたのである。

直貢チェツァン法王は1981年に初めて台湾にご光臨なさって、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは1983年に直貢チェツァン法王が二回目台湾に来る時に、はじめて大福報があって、直貢チェツァン法王に拝謁した。その縁起は、リンチェンドルジェ・リンポチェのある往生した親友がリンチェンドルジェ・リンポチェに、一名のチベット仏教の中国語が出来る直貢チェツァン法王が台湾に来て仏寺を建設するために募金することを教えたのである。

供養してあげて、別に直貢チェツァン法王との面会を手配する必要がない、と友人に答えた。しかし、友人が極力に忠告して、そして友人の手配の下で、直貢チェツァン法王が自分の家までいらっしゃることを恭しくお願い申し上げた。もし、その時に直貢チェツァン法王に拝謁しなかったら、リンチェンドルジェ・リンポチェのこの一世が無駄になっただろう。

一般にはリンポチェか上師は信者の宿泊所まで行く場合、多くのはお茶でも飲んだり、ちょっと挨拶したりして、せいぜい家の中の壇城にハタを捧げて、或いは頭に触ってちょっと加持するだけである。しかし、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの家の中に着いて、たくさん多く特別な事が発生した。その時、直貢チェツァン法王は自分の数珠を取り出して、そして数珠を小さな丸い形と巻いて、リンチェンドルジェ・リンポチェが一緒に数珠を持っているように要した。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェはまだこの動作の意味を知っていなくて、その後やっと本当によく知っている。

最初、リンチェンドルジェ・リンポチェはただ尊勝なる直貢チェツァン法王が加持してくれることだけと思っているので、数珠を持ってひざまずいた。直貢チェツァン法王も数珠を持って呪文を唱え始めて、しかも長く唱えていた。リンチェンドルジェ・リンポチェはただ一段のとても長い呪文を唱えたと感じて、それからはじめてあの呪文が金剛薩埵の百字明呪が分かった。直貢チェツァン法王が呪文を唱えている時に、リンチェンドルジェ・リンポチェが非常にはっきりと感じたのは、ある熱い気が手からずっと自分の心まで流れたことである。それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王を離れることができないようになった。直貢チェツァン法王はその後1言も言わないでリンチェンドルジェ・リンポチェの家を離れた。そして、直貢チェツァン法王は米国に行ってしまった。

直貢噶舉派は台湾で長期に駐在するリンポチェがいなくて、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが不共四加行を修行する時に、2部分を分けて修めた。前半はニンマ派のを学んだが、しかし上師相応法を修める時になると、リンチェンドルジェ・リンポチェは学ばないで、しかもあちこち直貢チェツァン法王を探した。それから、直貢チェツァン法王が米国にいる事が分かって、電話かかって直貢チェツァン法王に法を伝えてくれるように祈り求めた。上師相応法はもともと電話にて法を伝えることがあり得なくて、何故かと言うと、灌頂、口伝など儀軌をしなければならないから。しかし、直貢チェツァン法王はすぐ慈悲に電話の中で直接にリンチェンドルジェ・リンポチェに上師相応法を伝えて与えた。

この時、三恩根本上師の恩徳を思い起こして、リンチェンドルジェ・リンポチェは数度も涙にむせんで言葉を言いにくい。上師を慕っている真心の情けが自然に現れて、弟子達もこのために感動させて、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に恩に着る事を深く感銘できて、同時に同じくリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に教導し救度してくれることに感謝して、思わず涙を落ちた。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示した。1997年に、尊勝なる直貢チェツァン法王は初めてリンチェンドルジェ・リンポチェが閉関修行しに行く事を指示して、しかもわざとリンチェンドルジェ・リンポチェの友人が勧めてあげることを要して、そしてその友人が、今回閉関修行することがリンチェンドルジェ・リンポチェの当時及び将来に仏を学んで修行する重要さを伝言するように要した。が、その時友人はこの話を伝言することを忘れたが;しかし、今まで、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師の諭された話がきっと自分にとって助けがあると思っていて、ずっとすぐにやって、だからその時迷いもなく閉関修行しに行った。

リンチェンドルジェ・リンポチェは1997年に初めて閉関修行した後、毎年も閉関修行しに行って、且つ、直貢チェツァン法王もずっとリンチェンドルジェ・リンポチェに手配して計画する。2007年、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェがラキー雪山へ閉関修行しに行く事を指示して、閉関修行している時、同じくよくお付きの者のラマ僧にリンチェンドルジェ・リンポチェの食事の状況を尋ねて、もし食べていないならば、病気にかかったことか亡くなったという事を代表する。直貢チェツァン法王はまたお付きの者のラマ僧がリンチェンドルジェ・リンポチェの排泄物を見ることを言い聞かせて、非常にリンチェンドルジェ・リンポチェが閉関修行する時の体の状況を関心している。。これらは直貢チェツァン法王がすべて直接にリンチェンドルジェ・リンポチェに言及していなかった。というのは、上師はいつも様々な方法を使って弟子を関心を持って、配慮しているから、別に弟子に知らせる必要がない。

事実上、2007年にそラキー雪山で閉関修行する数年前に、直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェの閉関修行する事のため事前に様々な手配をした。現地で牛隻に餌を食わせる食品がよくなくて、直貢チェツァン法王は前もって数頭の牛を買って餌を食わせて、それにて、リンチェンドルジェ・リンポチェが閉関修行する時に品質が良い牛乳を飲むことができるようにさせた。それ以外に、リンチェンドルジェ・リンポチェが閉関修行する事を準備するため、直貢チェツァン法王は前もって2度もラキー雪山に行ったことがある。さらに地元の人に法を修めて助けたことがある。そして現地の寺院を修復して、彼らにうれしくさせて、順調に閉関センターをうまく建設することができる。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェが都会人だと知っているから、わざわざ1つの便器をも買って運び上がって、これは全体のラキー雪山地区の唯一の便器であり、ただ沖水の系統がないだけ。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王がその根本な弟子のために行き届いている手配を考えて、上師に対して心をもて恩に着る気持ちがなかなか言葉で説明できないし、弟子達は全てこのために感動させた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、今日は尊勝なる直貢チェツァン法王のお誕生日である。仏経に誕生日は母が受難する日と説かれたが、元々祝うわけではない。しかし、直貢チェツァン法王は一般人ではなくて、仏菩薩の化身である。我々は今日長寿仏を修めて供養するのは一つの貪欲とは言え、直貢チェツァン法王のご健康、長生きと祈る。そうすれば、直貢チェツァン法王は引き続きに我々に加持を与えて、我々に仏を学ぶ道の障碍を減少させる。但し、そなた達が今日法会に参加するから、福報があると思わない。今日修める上師供養法は主なのは直貢チェツァン法王を供養するため、直貢チェツァン法王及び伝承諸上師は我々に止らない加護を感謝する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者に開示された。決して自分の利益のために法会を行うや各の名義で法会を主催して金を儲ける事が許せない。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に65歳なので、直接に話せるから。ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェに何か行動をするのを構わない。リンチェンドルジェ・リンポチェは次の通りに開示された。昨日ある「台湾直貢噶舉総会」と称した団体は直貢チェツァン法王の誕生日の名義で法会を主催した。しかも宣伝の方式で金をいくら払えれば、宝傘を買えるなど売買行為をした。この「台湾直貢噶舉総会」は直貢チェツァン法王の同意を得ないまま設立した。更に教派の公式サイトもこの団体を掲載しなかった。それは当年彼達は直貢チェツァン法王の教示を求めて、台湾で総会を設立できるかどうか聞いた時、直貢チェツァン法王は既に必要がないと表した。しかし、彼達は相変わらず直貢チェツァン法王の指示を違反して、この総会を設立した。既に直貢噶舉派があるのに、所謂「台湾直貢噶舉総会」を設立するわけではない。若しかして他の法王を薦めるだろうか。

多くの人はこの「台湾直貢噶舉総会」の設立状況を分からないが、リンチェンドルジェ・リンポチェが誰よりもはっきりに分かった。2008年に直貢チェツァン法王は台湾で祖師ジッテン・サムゴン記念法会を主催したいと表した。直貢チェツァン法王は2009年に台湾にいらっしゃた時、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の側にいて身辺の世話をして、全台湾各直貢噶舉センターをご光臨された。直貢チェツァン法王は全台湾の直貢噶舉センターを結んで一緒に祖師ジッテン・サムゴン記念法会を行ないたい。今までは異なる教派の法王は台湾で主法する法会は参列者の人数は5000人を超えないが、2002まで年直貢チェツァン法王の指示と主法の下で、直貢チェツァン法王はは始めて台湾桃園体育館で主法した法会は既に一万人を超えて参加した。それもこの万人大法会の主催のお陰で、台湾で尚更に多くの人に直貢噶舉派を知らせた。その後直貢噶舉派は台湾で発展し始めた。2002年の万人大法会は寶吉祥仏法センターが主催した。直貢チェツァン法王は分かったが、寶吉祥仏法センターが能力及び経験があって、祖師ジッテン・サムゴン記念大法会を行える。だから、2010年リンチェンドルジェ・リンポチェは円満に閉関修行した後、リンチェンドルジェ・リンポチェを指示して、責任を取って祖師ジッテン・サムゴン記念大法会を主催する。リンチェンドルジェ・リンポチェは上師の指示を受けた後、すぐ着手して手配した。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の教示を求めて、直貢噶舉派は主催者として、行えるかどうか。それは全ての教派の記念法会であるから。寶吉祥仏法センターの協力の基で行われるかどうか。この教示は直貢チェツァン法王の許可を得たが、実際は寶吉祥仏法センターは責任を取って、この記念大法会を催した。

2010年に直貢チェツァン法王が主法した祖師ジッテン・サムゴン記念大法会は順調に台北アリーナにて催されて、一万四千人余り参加した。2011年及び2012年、この殊勝な伝統を延続するため、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に引き続きに祖師ジッテン・サムゴン記念大法会を行なう事を求めた。その後、直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェを指示してこの法会を主催した。この二年間リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指示に従って、記念大法会を主法して、参列者は僅かな三千人余りだった。直貢チェツァン法王が主法した時、14000人が参加したから、弟子として、主法する祖師ジッテン・サムゴン記念大法会は上師が主法する時より盛大できない。能力があっても行えない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て弟子達を開示されたが、若し人が足りなくて、金が足りないなら法会を行なわない。更に参列者に一切の料金を取らない事をしなければならない。たとえ二万人の大超度法会でも寶吉祥仏法センターが独自で負担して外に他に募金をしない。入場と済度も一切如何なる料金を取らない。催したのは清浄な法会である。何故リンチェンドルジェ・リンポチェは一切料金を取らないことを行って、万人の法会を催せるだろうか。それは直貢チェツァン法王及び歴代諸上師の加持を得るから。「台湾直貢噶舉総会」は何故金を欠けて法会を行なっただろうか。それは上師の教えに従わないから。若し本当に衆生を利益して法会を行なうためなら、天竜八部は皆協力する。しかし、「台湾直貢噶舉総会」は金を儲けるため、法会の時に直貢噶舉派の名義、直貢チェツァン法王の名義で売買行為をして、尚更に台湾の大衆に直貢噶舉派に誤解させる。この方式は仏法を中傷する。若し教派の領袖直貢チェツァン法王の指示を違反すれば、チベット人のリンポチェとしてもやり方が間違い。リンチェンドルジェ・リンポチェは此処である観念を伝えたいが、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の根本弟子であるが、直貢噶舉派の伝承に於いて、直貢チェツァン法王は全てリンポチェ、ラマ、及び全ての弟子の根本上師である。たとえ皆は自分の伝承の上師があっても、皆も全て直貢チェツァン法王の根本弟子である。此れは直貢チェツァン法王は直貢噶舉派教法の所有者である。この法脈は直貢チェツァン法王の維持で伝承したから。たとえそなたは別の教派に属するなら、別の話である。

教法に於いて、法王は法の所有者である。しかし、管轄権を持っていない。法王はリンポチェ及びラマがどんな事を禁止するや彼達が過ちを犯すと罰を与えない。しかし、リンポチェとラマにどんな事をすべきと指示する。若し彼達は教えに従いたくないと、一切彼達の因縁に従う。そなた達もよく見たが、他の教派が内部の混乱のせいで、全ての教派に衰えた。今日ラマがいるから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの事を話して、文句ではないが、唯今リンチェンドルジェ・リンポチェの弟子は益々多くなるから、皆も色々な人を多く接触できるから。今日この事を明らかにして、弟子達に誤解させることを免じるため。今回「台湾直貢噶舉総会」は本当にやり過ぎた。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日話した後、彼達は如何なる自分を対応するかを構わない。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に65歳になって、一生もよくて、台湾で快適に住んでいて、彼達とお互いに関わらない。最悪は引退すればいい。

過去リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て直貢チェツァン法王に教示されたが、自分はチベット語を勉強する必要かどうか。直貢チェツァン法王は必要が無いと言った。第一、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に忙しくて、時間も足りない。年寄るから、チベット語を勉強すればとても大変だ。第二、今多くの法本は通訳版があるから、通訳版によって唱えればいい。これもリンチェンドルジェ・リンポチェの福報及び因縁である。ある中国語をしゃべられる上師尊勝なる直貢チェツァン法王に皈依できる。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに法を伝授する時、常に中国語で英語を混ぜて言った。

チベット仏教の伝統にとって、チベット人は漢人が密法を学ぶ事を納得しにくい。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てインドで直貢チェツァン法王の従者に聞いて、自分が何故多くの弟子を取っただろう。直貢チェツァン法王の従者はそれはリンチェンドルジェ・リンポチェは中国語をしゃべられるからと返事した。しかし、その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは発見したが、多くのリンポチェの中国語はリンチェンドルジェ・リンポチェの広東弁の中国語よりいい。実はリンチェンドルジェ・リンポチェはこのような多くの弟子を取るのは一切直貢チェツァン法王の教えに従うから。直貢チェツァン法王の思想はかなり開明であり、仏法に於いて、衆生は全て平等だと思うから。特にリンチェンドルジェ・リンポチェという修行者の見本を教える。そうすれば、皆に仏を学ぶ事はチベットや漢を分けず、皆は全て平等である。

リンチェンドルジェ・リンポチェは常に直貢チェツァン法王と話していた。リンチェンドルジェ・リンポチェは分かったが、直貢チェツァン法王にとって、命は仏法であり、教派である。直貢チェツァン法王は寺院を建てた後、今トリサブ・リンポチェに渡して管理させた。直貢チェツァン法王は各地に仏法を広める。直貢チェツァン法王の年齢はリンチェンドルジェ・リンポチェより二歳を年上だが、こうすれば非常に大変である。一般人は自分が建てたから、他人に渡せないと思うかもしれない。しかし、直貢チェツァン法王はそうではない。それは行った全ては自分のためではないから。

リンチェンドルジェ・リンポチェは申された。法会を行おうとして財力の不足事があれば、マンダを随分修めないとの現われで、資糧がはじめて足りなくなる。リンチェンドルジェ・リンポチェはラーキ雪山で閉関する時、直貢チェツァン法王はいつも火供を修めていた。リンチェンドルジェ・リンポチェが出関した後、直貢チェツァン法王もリンチェンドルジェ・リンポチェを引き連れて火供を3日間修め続いた。あの時、直貢チェツァン法王は特にとても大きいマンダを注文して、毎日マンダを修めて手指が全部傷を受けた。結局やはりリンチェンドルジェ・リンポチェが医者弟子を指示して直貢チェツァン法王を治療した後、傷口はやっとよくなった。これらの事はそなたが見ることが出来ない。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の根本弟子なので、近く従って始めて見た、直貢チェツァン法王がこんなに多くの事をした。直貢チェツァン法王は是非自分が財を求めるため火供とマンダを修めるのではなく、現在直貢噶舉派が始めて清栄になって、人がますます多くなって、全てのリンポチェとラマは全部資糧が必要で、はじめて仏法を修行し続いて衆生を助けるのである。

直貢チェツァン法王はそなた達を見る時にいつもにこにこして、実は直貢チェツァン法王の心には心配とは言えないが、何時も自分が多くのことと責任まだ完成しないと思っている。現在直貢チェツァン法王は在家衆の方が段々芽生えて、人がますます多くになるのを見て、割合に心配しない。現在出家衆の人数が減らす中とのことを一番関心をもって、出家する者が大変少なくなったから。

直貢チェツァン法王は直貢噶舉派の法脈を引き続くため、絶えずに多くのするべき事を考えていて、絶える事がない。金剛乗の上師は修行、仏法を修習する事は全く自分のためではない。直貢チェツァン法王の加持と支持でリンポチェが今まではじめて少しの成就があった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の成就に対して誇ると思わない、誇らしい者は修め得ないだ。自分が修めていると思わないで、上師がそなたを教導して、そなたが自分で修めえる事が出来ると思わないで、上師の伝承と諸仏菩薩の加持がなければ、そなた達にはどの成就もありえない。

多くの事はリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に知らせなかった。台湾教派の中に多くの寺院とリンポチェは嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを受け取ったことを含んで、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が助けた事を弟子達に教えない。それは何時も直貢チェツァン法王のご指示で、リンチェンドルジェ・リンポチェにあるリンポチェを助けに行かせた。リンポチェは上師のご指示に従ったのである。数年前羅貢桑仁リンポチェは台湾で発展する時、直貢チェツァン法王は左手と右手それぞれリンチェンドルジェ・リンポチェと羅貢桑仁リンポチェの手を握って、羅貢桑仁リンポチェに台湾で手伝い必要があれば直貢チェツァン法王の弟子リンチェンドルジェ・リンポチェにいい、リンチェンドルジェ・リンポチェと羅貢桑仁リンポチェと因縁が足りないかもしれない、その後、羅貢桑仁リンポチェがリンチェンドルジェ・リンポチェを探す事がない。

リンチェンドルジェ・リンポチェはもう一度参列者皆に申された。上師に供養するのは福報を蓄積する一番速い方法だ。しかし今日皆は法会に参加する時、自分が上師に供養して福報を得るだけを考えないで、直貢チェツァン法王は歴代法王と諸仏菩薩の代表として、そなた達の供養を受け取りに来て、法脈の引き続くことに役に立った。仏法が世に長くいてはじめてもっと衆生に得難い仏法を聞く事が出来させて、次第にもっと衆生を利益することが出来る。我等は上師に法を供養するのは一番いい。

長寿仏を修める前、今日先ず千手千眼観音仏像の開光儀軌を行う。皆は壇城の上に一尊の新しい仏像が見えた。これは即ち千手千眼観音である。この仏像は本来1人顕教出家衆が祭るのであり、この出家衆が往生した後、彼の信者が現在リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェにこの仏像を安置するように願った。それでリンチェンドルジェ・リンポチェはこの千手千眼観音像を見るチャンスがあった。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの千手千眼観音仏像が多少破損することを見た。修行者として、仏像の破損を見ると必ず修復する。だからリンチェンドルジェ・リンポチェは改めてこの仏像に金箔を貼って、そうして南珠ケンポスに頼んで仏像に装臓して、寶吉祥仏法センターで奉る。ちょっと尊勝なる直貢チェツァン法王の誕生日にあった。直貢チェツァン法王は即ち観世音菩薩の化身だ。そのため、今日先千手千眼観音像を開光して、千手千眼観音を寶吉祥仏法センターまで出迎え、直貢チェツァン法王を加持するように願った。

今日現場にいる数名ラマ僧は話が多くないが、彼らは全部教派の中に修行の大変良いラマ僧で、直貢噶舉派の伝統的な閉関を三年した。その中に達旺ラマ僧もラーキ雪山で閉関することがあった。関房の海抜の高さはリンチェンドルジェ・リンポチェの関房より500メートルを高かった。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアをして彼は割合に若いので、走ることはリンチェンドルジェ・リンポチェより速かった。続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェはケンポス、ラマと出家衆を引き連れて、千手千眼観音像の開光儀軌を行い、終わった後、すぐ長寿仏を修め始め、また弟子達を引き連れて長寿仏心呪を唱える。

呪文を唱える前、持つことを始める前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは仰った:「今日合計1011名の弟子が長寿仏心呪を唱え、弟子皆が一万三千遍を円満に読み終われば、合わせて千三百万遍長寿仏心呪で、直貢チェツァン法王に供養する。皆は呪文を読む時眠りたいならば、壇城をみて、清浄な心で呪文を唱えて、自分のことを考えないで、心の中に全て読んだ呪文を思えば全部直貢チェツァン法王に供養することが出来る。」

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2012 年 09 月 13 日 更新