尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年6月17日

法会が始まる前に、弟子とするある夫婦は皆に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らを助けた経過を分かち合った。

分かち合う男性弟子は祖母が死亡する半年前に、彼が毎週祖母を見舞いに行った。彼は祖母の挿管治療を見る時に、息さえ1口吸い込んでも大変であり、痰を引き出すホース抜き出すと、その上にはすべて血走った細い線あり、顔が膨れて赤くなり、彼の心はとても苦しいと感じて、同時に人の生命がとてももろくて弱い、苦しい、助けることが無いと感じる。

2010年11月、この男性弟子の祖母は亡くなって、彼はとても寶吉祥兄弟子の助けに感謝して、彼にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに行かせて、施身法の法会に参加して祖母を済度するように願い出た。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼が菜食精進料理をもう食べたかどうかと聞いて、彼は、朝と昼ご飯はすべて菜食料理を食べているが、夜にあまり食べていないと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはもう一回彼に、そなたは一体菜食精進料理を食べるかと聞いて、彼は、はいと答えた。

2011年1月の正月期間、この男性弟子は胆嚢癌末期の友人を訪問して、彼の恐ろしさを強烈に感じて、彼は彼の友達にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来るかと尋ねた。彼の友達は2011年2月12日にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の友達を加持した後、突然方向を変えて彼にどんな仕事をするのかと聞いた。社長、或いは従業員であるか。彼が答えた後に、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に対して、「出会う要求は合理的に不合理に関わらず、すべて我慢しなければならなくて、損をするのは得をするのである。」と開示した。その時、彼もどんな事が発生するかと知らないで、ただずっと「はい!はい!私は必ずやり遂げる。」と答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは笑わせて彼を見ていて、「来て、来て、もうすぐ来る」と行った。

この男性弟子は彼の仕事を観察し始めて、何も異状が発見されていなくて、心の中が段々この事を止めてしまった。しかし彼はもう一つの身分があり、団地コミュニティの委員である。彼の居住している団地は1つの大型コミュニティであり、コミュニティ管理委員会の預金が多くて、彼らのコミュニティは1人の議員がいる。彼は議員がコミュニティの事務方面では多少異常なことを発見して、そこで議員とある程度言い争った。新しい委員はそろそろ任期満了なので、議員のことを認めない委員達は連合して、1人の正直な人を選出して主任委員を担当するようにさせて、結果、議員は法規などのいろいろな理由を提出して、この正直な人が主任委員を担当する資格を失った。が、彼は意外にも主任委員になった。主任委員になった後に、彼への攻撃は雪のように飛んで来て、急に彼が汚職したことがある、急に彼の妻が管理センターの資源を横領したと言って、もう1人の委員は彼が委員の名誉を破壊するから彼を訴えると言って、これらはすべてでっち上げの罪名である。

絶え間ない攻撃と侮りと罵りはコミュニティの会議にほとんどつけ続けることができなくならせた。かつて、議員はまた再度この男性弟子を攻撃して、彼はちょっと罵ってあげてから、すぐ散会すると言った。彼はその時に不満を吐いたが、しかし翌日彼が恐ろしいと感じて、報復されることを凄く恐れた。彼の妻は彼に気づかせて、リンチェンドルジェ・リンポチェが申した事はコミュニティの主任委員を担当する事ではないか。と言った。そしてリンチェンドルジェ・リンポチェに再び謁見して、何かいい方法があるかを教えることを願うように提案した。彼はやっとはっと悟って、彼が最もあわて恐れて茫然としている時、突然歩くことができる道が1本あるのを意識して、やっと2011年2月にリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した時が時、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に対して、そなたの事がもうすぐ来ると開示されたのを思い出した。

この男性弟子はその時に彼がひざまずいていたことを覚えていて、台頭してリンチェンドルジェ・リンポチェを仰いでのぞんだ。リンチェンドルジェ・リンポチェの表情と目つきは彼に教えのたは、リンチェンドルジェ・リンポチェが完全に彼の間もなく受ける苦しみを理解できるとのことである。彼はあれが菩薩の心だと感じる。お経には菩薩が無縁大慈、同体大悲であることを記載される。彼はたいへん震撼して、同じくとても感動すした。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが彼に与えた加持であり、もし加持を得なければ、いじめられる時、きっと方法を考えつくして正義を取り戻すので、ひっきりなしにあちこち闘う。たとえ闘われて崩れるとしても、内心もやはり責めて、報復を思っている。このようにとても馬鹿をみる様子はひっきりなしに悪な業をつくって、このような因果応報は充分に恐ろしい。なぜかというと、チェンドルジェ・リンポチェの加持のために、彼はやっとこの道に上がっていない。

この男弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが完全に自分の苦しみを理解して、頼られるのを考えた。更にリンチェンドルジェ・リンポチェは止らなくて自分を加持しているから、自分の心は憎みを持っていない。彼は自分が嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を約束した事を思い出した。遭った要求は合理であるかどうか全て我慢しなければならない。「損をするのは得をするのである。」だから、彼は必ずリンチェンドルジェ・リンポチェの話に従って、彼は我慢しなければならない。彼は嘗てこのような考えを持ったが、今他人に虐められたのは必ず前世自分が虐めた人だから、このような果報がある。彼達は私にリンチェンドルジェ・リンポチェに会った機会を与えて、自分に仏を学ばせたから、彼達を感謝しなければならない。

2011年7月2日、彼は再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、リンチェンドルジェ・リンポチェに報告した。この前に提示されたことが発生したが、彼は如何なる対応すればいいと教示を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼にどんなコミュニティを住んでいるかと聞いた。また彼に「もはや主任委員を担当しない。」と開示された。しかし、彼は心の中にそうすれば、一緒に努力する他の委員に申し訳ない気持ちがあると心配した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に「義を逆さにするのは何でしょうか。」彼は答えられないが、リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された。「義を逆さまに書くと、『我王八』だ。」リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の懸念を看破したそう。更に補充して、彼に開示された。「他人の業力は自ら解決する」彼の心の中にもはや懸念を持たず、しっかりに主任委員を辞める方向に進めて処理した。

この男弟子は当時8月、ちょうど頻繁に中国に出張して、コミュニティの主任委員の仕事に対して、手が回せないから、順調にコミュニティの主任委員の職務を止めた。彼は辞めた同時に財務委員も一緒に職務を辞めた。財務委員は彼に言ったが、このような厳しい争い環境の中に、彼達は全身退けるのは本当に奇跡だった。彼ははっきりに分かったが、全てはリンチェンドルジェ・リンポチェの加持及び加護があるから、円満にこの問題を処理できた。彼もはっきりに分かったが、生活で色々な所、いつもリンチェンドルジェ・リンポチェに行き届いて世話された。

道場を接触する前、この男弟子は眠れない状況があった。眠れない症状が発生した時、体及び心とも極めて苦しかった。しかし、今眠れないのは既に問題ではない。それは心身は落ち着いたから。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達夫婦だけではなく、彼達の家族も世話した。彼はリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、自分のお婆、父及び義理の父を済度した。彼の母は何回も施身法法会に参加した後、友達にリンチェンドルジェ・リンポチェを賛嘆して、人も昔より明るくなった。去年(2011年)年末、彼の妻は自律神経失調症に罹ったが、不断に法会に参加したから、状況も安定した。

2012年4月4日、彼達夫婦は道でバイクに乗るとき、後ろの車にぶつかれた。彼の妻の頭は直接地面にぶつかった。幸いヘルメットに保護されて、二人は驚いた以外他には怪我が無かった。無事なのは全て、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼達に与えた加持及び加護である。

2011年9月10日、この男弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依を求めた。彼の妻は今までも彼達の発生した事を全て見ていたから、彼は皈依を求める同時も一緒に皈依を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に「何故皈依を求める」と聞いた。彼は法会に参加したとき始めて学んだばかり、「輪廻か過患」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェ更に「貴方はどうするつもり。」と聞いた。彼は「私は頑張ります。」と返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、「貴方は如何なる頑張っても無駄だ。」彼はこの答えを聞いた後、いつも困っているが、どうすればいいか分からない。

その後、この男弟子はある日護法を修める時、突然にある考えが出てきた。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が如何なる如何なる頑張っても無駄とおっしゃったのは若し上師の加持がないと此の世に如何なる頑張っても輪廻を離れられないはず。彼の業障は重すぎ、貪、瞋、痴、慢、疑を全部持って、止らなくて作っている。特に瞋恚心、常に不注意に周りの人事への不満が表れる。常に妻に起こって、母に多く苦しめる。若し他人の話しや事情の処理し方は自分が考えるようにしないと、彼は黙っていたが、心の中に反発して受けたくない。若し家族の話や事情の処理し方は自分が考えるようにしないと、直接論議して争った。心はとても傲慢だった。

この男弟子昔、嘗て顕教を皈依して、ある時期に菜食していた。しかし、飲食の欲を貪るため、その後菜食を忘れて、誓いを破棄して、無数な衆生の肉を食べた。更に海鮮の商売の友達を協力して、海鮮を売った。よく考えると、この果報は本当に極めて怖ろしいだった。全ては彼は懺悔する必要だ。最悪なのは彼の懺悔は口が悪いが悪意はないから、危難に遇った時、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を祈った。事情がよくなった後、仏を学ぶ心は懈怠した。毎晩リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔の宿題も行わない。彼はよく行わずいつも自分のために言い訳を探した。自分の言行は他人の苦しみを起しても無視して、他人が自分の恩を自動に忘れて、いつも他人が自分に申し訳な所を覚えている。完全に懺悔心及び感謝心を持っていない。

彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが絶えずに彼らに教導、指摘と加持することを感恩する。また相弟子達に感恩し、彼らの護持と手伝いこそ、こんな清浄な道場があり、一緒に共修をすることが始め出来る。仏と上師は全部実語者で、彼らは感恩し、それにこの殊勝な得難い因縁を惜しんで、順従、教えに従って実行する。

引き続いて、もう1人の女弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが自分と家族を助ける過程を分かち合う。

2009年1月10日土曜日、彼女が妊娠して36週間に満ちた妊娠検査日であり、早朝起きて腹部がムッとして、かすかに痛んで、すぐ気にしなく、意外に検査を受けた時、痛みが増えて、下車した後出血する現象が始めあって、それに子宮が絶えずに縮み、急いで病院に駆けつける時、子供が間もなく生む事を始めて発見した。36週間を満ちたが、体重は不足で、超音波で検査したら子供の体重は約2,300グラムで前後300グラムくらいの誤差がある。お医者さんは言った一般的に正常な胎児が生まれた時少なくとも2,500グラムが必要で、2,500グラム以下は栄養不良との現われで、以降、子供には健康の配慮があり、保温ケースに入れ、体重が標準に達しまで残る必要だ。お医者さんはあの頃入院、安胎する必要と判断した。お医者さんは言った、正常な安胎は約一週間で子供が300グラムを増えることにより、1~2週間の入院が必要だ。

医者さんを見てから、彼女は出血の状況が相変わらず続けて、病室を待つところに、リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲な容貌を観想すると直ちに出血が止まって来て、ただ陣痛が絶えずにして、最後までに歩くさえも夫が支えなければ成らない。病室に入るとお医者さんは高分量の流産防止薬「マグネシウム」を35C.C.を決め、またくらくらして、熱があり、吐き気、することの、副作用に伴います熱が出て、吐き気がして、吐くなど副作用があると知らせた。しかし彼女の頭はかえって何時も非常にはっきりして、お医者さんが言った副作用の反応が全くなかった。これは全部リンチェンドルジェ・リンポチェの加持である。

翌日は日曜日で、共修法会があり、すぐ病院に休暇を取って外出し、その上、お医者さんにも法会に参加することを知らせた。お医者さんは元々許さなかったが、彼女の堅持と同意書をサインした後、やっと承諾した。昼ごろ道場に入る時、彼女はとても虚弱で、重くて、相弟子達の支えがやはり必要だった。当日リンチェンドルジェ・リンポチェは緑度母の儀軌を修め、法会が終わった後、お体が明らかに軽やかになり、自分が道場を出て近所に弁当を買った。夜、病院に戻って、隣ベッドの妊婦は(紅斑性狼瘡の患者で、妊娠8週間から流産防止し始め、マグネシウムを7c.C.注射して酷い眩暈、吐き気持ちとの副作用があり、毎日十数粒の薬を飲む。)彼女とあった後、彼女が聞いた:「なぜこんなに元気になったか?動作が速くて柔軟で、自分で手洗いへも着替えも出来て、朝出る時と結構差があり、少しも安胎が必要な妊婦が見えない?」

2009年1月13日火曜日の朝、超音波の検査を受け、意外に子供が既に2900あまりグラムに増えて、もう胎児が生まれた後体重の不足と栄養不良問題を心配することがなくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェでなければ、胎児が短い数日間で体重が600グラムが増えた。彼女は本当に大変リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着た。

お医者が評価した後彼女に「もう注射とか、薬を飲むとかする必要がない、退院して自然の生産を待っていれば結構だ。」と教えた。1月14日水曜日の昼頃に退院した。これは全て全部リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲な加持と世話をしてくれて、彼女に妊娠する時受けるべき苦しみを軽く受けることになり、安胎する時に全て注射した薬物は副作用が発生しなく、胎児に快速成長させ、皈依弟子と家族皆に子供の健康問題を心配することを減少させ、焦慮、悩みを減らして、同時に早めに退院が出来た。

リンチェンドルジェ・リンポチェは加持と世話が絶えずにして、毎弟子の世話をするだけではなく、家族さえも全部加護する。彼女のこともが生まれた後、法会に参加する因縁がないが、上師及び仏菩薩はやはり何回彼女の子供の命を救った。子供が生まれた3ヵ月後、ある日の朝6時過ぎて子供が床から下落したが、やはり引き続き寝て、影響を受けなかった。木製のベビーベッドは大きいベッドの隣にあり、その隙間はただ二枚のセラミックタイルである(約60センチ)。子供は丁度中間に落ちて、右側のおでこには少し赤くて腫れて、明らかではなく、幸いに小さい床とタイルの床板にぶつからなかった、さもないと想像するにたえないのである。

今年(2012年)2月、ある日に朝眠りの中で、彼女の主人は子供がもがく声に聞いてから驚かせて目を覚まして、子供の首は小さいベッドの側のおもちゃの縄に2周巻き付かれて、気分が悪いので引き止めて、結果、もうすぐ窒息になる。縄を解いた後で首に既に細くて赤い縛られる痕があって、しかし、子供が依然として寝て影響されなかった。今年の4月、供は遊んでいる時にパンを小さいボールに揉んで飲み込んで入るが、咽喉の口でまっすぐに止まられて、その場で手を絶えずに掘った。大人はすべて他のことを忙しくて、幸い家族の来客に発見されて、緊急でたたいた後で吐き出して、子供は同じようにその後続けて遊んで影響されなかった。彼女は懺悔しなけばならなくて、自分が責任を果たした母ではなくて、如何に子供と家族を世話する事を一心に考えなくて、上師に絶えずに依頼し、このようなことでもずっと上師に迷惑くれて、上師が他の衆生を助ける体力を消耗させた。彼女のうっかりミスなのに、家族に悩みと心配を起させて、本当に大変になった。が、彼女はこのように大変で、リンチェンドルジェ・リンポチェがずっと離れないで見捨てないで加持を助けてくれる。

2008年の冬、ある夜、彼女の父は便利の為に自制する電熱棒を脚の布団の上において寝付いて、が、父は27年前に脊椎に腫瘍があったので手術を行って切除した後、足の神経知覚と歩む能力を傷害されて、動作が活発していないのみならず、寒さ、熱さ、痛みに対して感じが何もなくて、父が変な状況を発見してから、脚が既にぶくれて、また、二つの大きな水ぶくれがあって、面積がとても大きくて、約3×7cmと6×16cmの大きさである。彼女は普段に上師を褒めてないで、また、宝円膏の素晴らしい使い方をおしえてないのに、父に宝円膏が使えると話したけれども、彼女の父はただ一回で使ってから、自分から他の軟膏を使って、傷口がくりかえして炎症を起こして、膿を生じて、4から5ヶ月にかかってからやっ瘡蓋を縮めて治されて、しかし、表面的に依然として大きな赤いづくれの痕があった。彼女は上師が皈依せず父に重い報いを軽くて受けることをとても感謝した。その時に、偶にお年寄りは天気が寒いので電気ストーブを間違う使うのに、火事を起きて厳重なふぐれをされて入院し、甚だしきに至っては殺されるケースもあった。が、彼女の父はとても幸運なただ一部の皮肉傷だけて受けて、その上、病状の厳重な状況が蜂窩ほうか織炎に至ることがないで、益々回復する事も出来る。

それから、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の母に助けてくれることを続けて言った。彼女の母は子宮筋腫の病状があって、毎年に全て定期的に再診した。2007年に再診する時、医者は母の卵巣が何かがあるので必ず手術を行わなければならないといって、また、数日後に入院して手術を行うなどを手配した。彼女の母はその場でとても恐れて、現実をうけて直面したくなかった。彼女の母はりんリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して助けを求めて、医者の診断を報告し、その上、手術を行うかどうかをお伺いを立てた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の母の手をスキャンした後で子宮の問題だと表して、また、「手術を行うかどうか、全てそなたに助ける」と非常に慈悲深く諭した。その場で、母の心は安定し迷わなかった。帰宅してから再度ほかの病院に検査し、意外にも子宮筋腫の問題だけあって、手術の必要がなかった。このような結果を聞いてから、母は安心になった。ずっと最近まで、医者が検査したご、子宮にある良性の瘤はずっと同じ大きさを維持して、また既に石炭化になると話した。この女の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェにとても感謝した。

この女性の弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに既に6年余りに帰依し、しかし、だらけて怠けている習慣がずっとなおしていない。上師に信じないのみならず、上師の功徳を褒め称えていないで、供養をしなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェに伝えられる法は精進な修めないで、死亡無常と輪廻過患を考えないで、両親と舅と姑に対して親孝行をしていない。自分のために両親に悪を行って衆生に傷害した。主人と喧嘩して忍辱心がない。子供を教養するのは根気がないで子供を世話することもできないて、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示したとおりに、ただ生まれて教えられない。如何なる事物は自分と関係がないなら根気ないで処理する。衆生に慈悲心と菩提心がないで、自分がした悪と傷害した衆生に従来通り懺悔しないで、自分の過失を直面する勇気がない。道場に委託される任務は承諾したが心を尽かして実行していなかった。毎日に業により動いて、悪に従っていって、日々を暮らしている。彼女はこの間の日々を考えて、全てのこと、知るか、白内科、全てリンチェンドルジェ・リンポチェの離れない世話と加持である。彼女は自分がとても愚かなことを知っていて、事を長くて発生したご、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大加持と恩徳を体得されてはじめて、が、感謝する事をずっと知らなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェがずっと彼女のような愚かでまた怠惰な弟子と家族を絶えずに助けてくれて一切な衆生に加持する事に感謝した。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に弟子を収めて、彼女に正法を聞く機会と仏を学んで修行して輪廻を離れることに感謝した。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに絶えずに彼女に加持する事を頼んで、彼女が輪廻を離れる信心を強めて、彼女が自分の行為を直させる勇気をもらって、彼女に自分がどこで間違いを知らせる。彼女にこの世に仏法を聞かれて、仏を学んで修行し、輪廻を離れることは如何なる障害と邪魔を再びがない。彼女も全ての衆生が因縁と福報があって仏法の助けを貰えて、仏菩薩の慈悲と偉大を体得されて、輪廻を離れて再び苦しまないことを祈っている。

それから、参列者は法会の終わりまで静かに胡座をしたのである。

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2012 年 09 月 13 日 更新