尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年5月6日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催された。

法会が始まる前、弟子6人及び皈依していない1人の家族は一緒に壇城の前で、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの一族を助けたことに恩を着た。まずは皈依する男性弟子は皆に報告して、彼の三番目の姉が既に先週の5月2日に往生して、今日彼と三番目の姉の息子が三番目の姉が浄土に往生した過程を分かち合ったと言った。

彼の三番目の姉は発病から往生まで、約20ヶ月たって、三番目の姉は彼に、「この一世が本当に大変であり、きっと私のためポワ法を求め得るように助けてください。」と言った。しかし同様に輪廻の苦しみの海の中にいる彼らがやれることは本当にとても有限である。嘗て兄弟子は彼らに、「大供養をして、しっかり上師に従って、特に上師が外国へ弘法をしに行く時、できるだけ毎回参加したほうがいい」と教えた。三番目の姉は家計にあまり余裕がなくて、長年以来、一人の看護婦の給料で3人の子供を養っているから、生活がとても苦しいが、しかし、彼女もすべての海外法会のツアーに参加したのである。

ツアーに参加している期間、彼の三番目の姉の体はちょっと変化が起きて、去年(2011年)5月に日本での不動明王火供法会に参加した時、車椅子を押されて行った。彼らの家は二台の車椅子を使って、一台が三番目の姉の、もう一台が母親のである。彼らの全家族すべてリンチェンドルジェ・リンポチェと祥楽旅行会社にとても感謝して、このように煩わしくても、ただ上師が何もこだわらないで弟子達の願望を満たしてあげる。その時の日本法会に、三番目の姉は車の上で足が膨れて痛くて頭を下げてすすり泣いたが、しかし日本京都の寶吉祥仏法センターで、リンチェンドルジェ・リンポチェの撮受加持の下で、彼女は火供会場を数回も回ることができて、最後は杖がどこに置いたかとのことさえも忘れた。

去年9月にチベット聖地巡礼の旅に参加して、あれは三番目の姉が初めて、あれも最後に祖寺まで聖地巡礼をしたので、出発する前に彼女は後事をすべて子供に引き継いで、聖地巡礼が完成してから往生する福報があるよう望んでいる。その時空港で見送る時、三番目の姉の次男は、「叔父さん、母さんのことをあなたに頼みます。」と言った。その語調、目つきから見ると、彼が見送りの人らしい。実は彼はただ三番目の姉に上師との因縁を繋げて手伝って、ただ走り使いだけである。あの聖地巡礼の旅には、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持が十分に三番目の姉の体の上に反映して、多くの兄弟子が高山病にかかったが、三番目の姉はあちこち行くことができた。祖寺に着いた後に、金剛兄弟子の助けを受け、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに従って上から下まですべての正殿を歩いて、最後にリンチェンドルジェ・リンポチェの護持される金頂の蔵経閣まで行った時、三番目の姉は感動して声を張り上げて激しく泣き叫んだ。チベット高原では、正常な人さえ我慢できないが、三番目の姉はすべてのコースを円満に完成することができる。

2ヶ月あまり前、祥楽旅行会社は5月末に日本法会の旅を催すことを宣言して、この男性弟子の三番目の姉は自分の体がもう再びリンチェンドルジェ・リンポチェに従って海外へ弘法しに行くことがあり得ないことを知っているから、彼女は上師に祈って、「私は自分の体がもう段々駄目になったことを知っていて、5月末の時、多分私も亡くなるかも知れない。しかし上師が私このの皈依していない息子が私のかわり日本の法会に参加するのを承認するよう」とお願いして、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に承諾した。

1ヶ月あまり前に、この男性弟子の母は帯状疱疹に罹ったから、全家族はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の母親を加持した後、転向して彼の三番目の姉に、「そなたは放下した?もう準備できたか?」と開示した。三番目の姉は1つの字も答えることが出来ないで、リンチェンドルジェ・リンポチェはまたこう開示して、「放下しないとそなたに取り合わないで、最後は苦くなるのがそなたの自分だよ。」と言った。

この男性弟子の三番目の姉が放下できないのは子供と母であり、子供三人がすべて大人しいと言えるが、しかし病気にかかって長くなると、皆のお互いのインタラクティブも段々疲れて何の気なしになって、子供は母親がまだ生きている短い時間を大切にしなくて、いつもそれぞれ自分のため忙しい。彼女も子供が社会の競争に直面することができないことを心配していて、彼女の心はまた俗世間の中につかまれた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、「家族の因縁はこの1世だけであり、蒋(介石)大統領が死んでしまったが、台湾がまだ良いじゃない。」と開示した。1週間後、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに回答して「私はもう放下して、同じく準備できた。上師が私を助けるように祈ります。」と報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、「今日か、明日かと思わないでください。時間がくる時、そなたは知ることができる。そなたは今体が悪くなったと感じるべき。ただ六字大明呪さえ多く唱えれば、私はきっとそなたを助ける。」と開示した。

その後のある日、あの男性弟子の母親は具合が悪くて緊急に病院に送り込まれて、急診室の病床の上で、母親はリンチェンドルジェ・リンポチェが何度も現れて加持し他事を見て、急いで合掌して恩を着た。彼の母親と三番目の姉は同一の病棟に住んでいて、母親が入院している期間、三番目の姉にとってとても苦しんで、自分が既に末期ガンの患者であるが、まだ隣のベッドの母親とする兄弟子に関心を持たなければならない。幸いなのはリンチェンドルジェ・リンポチェが加持されている下、2週間以降に、彼の母親が退院した。リンチェンドルジェ・リンポチェも、三番目の姉が臨終になる前に子女とする責任を尽くすことができるように助けて、同時に彼の母親に自ら子女の病気の痛みを感じさせて、母と娘の2人にすべて互いに放下させた。

そして、この男性弟子の三番目の姉の次男は分かち合った。次男は母親が病気にかかった後期には痛くて目が覚めて、たとえ麻酔剤を噴き出しても、せいぜい1時間しか寝ることができなくて、ほとんど坐っているままでやっと少し寝ついた。彼の母親の首には1粒の野球と同じ大きさの腫瘍があり、口腔の中には1つ卓球と同じ大きな穴があり、その大きな穴の中には更にもっと深い小さい穴があったが、しかし彼の母親はいかなる不平を言わないで、痛い時に我慢して、麻酔剤を噴き出して、薬を飲んで、冷湿布でつけて、すべての食事は全流質の食品であり、ほとんど麻酔剤をあわせて食事をするのである。

次男は母親が往生する前の日、朝は痛くて目が覚めた時に、いつもと違って、ただ立ち上がって薬を飲んで、噴霧の薬を噴出してたが、しかしお腹が空いてない。昼ごろまで彼女はまた痛くて目が覚めて、彼女にお腹が空いてないかと聞いた。彼女が頭を振って空腹にならないで、薬を噴き出し終わって、彼女は引き続き寝てしまい、午後6時ごろまで寝て、痰で塞がれて咳をして目が覚めて、その日は彼女が最も長く寝たのであった。彼女に何か食べるかどうかを聞いて、彼女はやはり頭を振って、丸1日何も食事しなくて、お腹が空いてない。その後、彼女は再度咳をし始めて、その上必ず抽痰装置を用いて抽痰しなければならない。彼の母親は病体がもう1つの境界まで発展したことを知っていて、その故、彼は叔父さんに病院に来ることを知らせた。

5月2日朝3時過ぎ、彼は母親の音に従って立ち上がって、母親は手で1を表示し、それは彼女がトイレに行きたい事を代表し、彼女を支えて簡易便器に座りに行った。ただ数分間だけでも、彼は依然としてちょっとまどろんだ。母親の点滴をつるす手が血を噴き出していることを夢見て、驚いて目を覚まして、心の中は少し狼狽し混乱して、大事が発生するように感じる。母親はベットに戻って横たわってきて、すでに4時すぎであった。自分が意外にも少しも眠気がなくて、ベッドの辺で静かに母親を見ている。母親が一日一日痩せていることを見て、ただ骨と皮ばかりだけが残るように痩せて、首の上の腫瘍もますます大きくなって、体つきが段々つり合いが取れていなくなる。母親の臀部はすこしの肉しか残らなくて、だから彼女はよく寶圓膏を用いて彼女の宝物の臀部を保養したのである。

この息子は、その時に思っているのが、母親が高速に四大分解を経歴していて、母親がもうすぐ他界するかもしれない。彼は母親の意識が段々ぼうやりとなることを観察して、時間午前5時すぎであるが、しかし彼がやはり叔父(即ちはじめて分かち合った男性の弟子)に電話して、叔父が速くて病院まで来てもらうように要した。彼は一方で六字大明呪を唱えながら、そして母親にリンチェンドルジェ・リンポチェを観想することを気づかせてた。母親はとても明らかに「リンチェンドルジェ・リンポチェ!」と対応した。その時の時間は6時12分で、「リンチェンドルジェ・リンポチェ」は母親この生涯の最後の祈求である。暫くした後、母は始めて手が彼方此方へ振りながら、足も彼方此方へ蹴った。体は斜めに傾け、すねもベッドから外れて、赤ちゃんのように呟いた。「リンチェンドルジェ・リンポチェ」以外、彼は母が言った言葉を完全に分からなかった。彼はすぐリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を母に見せて、更に一粒の甘露丸を母の口に入れた。間もなく母は徐々に落ち着いて、目は大きく開いて、リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真をじっと見詰めた。自分が法写真を手に握ったのを確認した上、彼女はやっと安心して落ち着いて、彼方此方に動かなかった。

彼の叔父は病院に着いた後、法写真を元の場所に置いたが、母の目は一刻でも離せなくて、少しの距離があるけど、相変わらずじっと法写真の方向を凝視した。母の息はとても弱いから、人の目は母がまだ生きているかどうかを判断できない。だから、看護婦はすぐ連続心拍出量測定装置を使った。心拍数は始めて90だけど、暫くして始めて110ぐらい昇った。間もなく早めに150に昇った。母が急いでいると感じたが、また我慢して兄と弟が来るのを待っているらしい。兄と弟が着いた後、母の心拍数は100に戻った。全家族は母の側に集まって、六字大明呪を唱えた。更に母にリンチェンドルジェ・リンポチェを観想する事を提示した。

彼は母が本当に急いでいた。短い十分間に心拍数は100から40に下がった。また早めに止った。心拍数が止ったのを確認した後、叔母は兄弟子に電話をかけて報告した。また、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに法を修める事を請求した。

彼の母は息を止めた後、目と口が全て開けたままだった。彼は六字大明呪を唱えても、心は相変わらず慌てた。若しリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲なポワ法を求めないと、母は何の道へ堕ちるのを本当に想像できない。彼の叔父は皆に跪かせて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに祈って、母のために法を修める。兄弟子から電話を貰って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは今空港のVIPルームで母のためにポワ法を修めた。その後、兄弟子はまた電話をくれて、既に法を円満に修めた。また、皆に提示して自らポワ法の瑞相を感じさせた。リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に修法した事を感謝した。母の体は冷たいが、頭の上の梵穴は暖かくてた。手足は柔らかくて、全身が水腫の症状はほぼ消えた。皮膚はピンクで白い色と現れて、黒斑も全て無くなった。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、母に殊勝なポワ法を得させた。母は皈依して仏を学んだ以来、婚姻及び健康の挫折を向き合った時も仏法の支えを得られた。彼の両親は離婚した前後、家に大きい衝突は発生しなかった。母も常に彼達に知らせて、父を親孝行して、自分を代わりに父を祝福した。「全ては過去のことなので、貴方に幸せのように祝福した。」母は嘗て彼に言ったが、若しリンチェンドルジェ・リンポチェが伝授した仏法がないと、自分がもはや崩れた。

彼の母は言ったが、彼の母は生前に繰り返して彼達に話したが、「仏を学ぶことしか貴方達を助けない。」リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感謝するため、両親に育てられた恩を報うするため、彼は必ず頑張って仏を学ばなければならない。昨日も既にリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する事を求めたが、弟も施身法に参加するのを求めた。未来に彼達はしっかりにリンチェンドルジェ・リンポチェに従って一緒に浄土に行って、母及び兄弟子達と集まるように望んだ。

始めの男弟子は続いて報告したが、彼の三番目の姉が心拍数は急速に下がって、急いでリンチェンドルジェ・リンポチェに極楽世界へ済度されるようだった。若し同時彼女は懸念して数文間を延ばすと、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に飛行機に乗ったが、その時苦しいのは彼女自分だった。当日朝四時間頃、姉はまだ意識がはっきりにしたが、九時半に亡くなってポワ法を求めた時は十時過ぎだった。彼女は苦しみを受ける時間は長くないが、過程も順調だった。彼と家族は十分にリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、上師が慈悲にポワ法で姉を浄土に行かせた。

彼の三番目の姉は病気に罹った後期、いつも機会を把握してリンチェンドルジェ・リンポチェを賛美するのを望んだ。しかし、彼女ははっきりに言えず、文章を書く体力も無いから、彼に自分を代わりに報告させた。前後数ヶ月間にかかって原稿をまとめて、また3月25日共修法会と4月29日施身法に二回で公開に金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して賛美する機会があって、自分及び一番目の姉は受けた上師の恩徳を感謝の気持ちで報告した。

リンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修めた後、彼達の家族に開示された。彼達の家族は嘗てある世に漁村で魚を捕って、稼いだ金は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに供養して仏像を造った事があったから姉はポワ法を得る殊勝な因縁があった。

彼の一番目の姉は亡くなった時、翌年二番目の姉の癌に罹った。更に翌年三番目の姉も癌に罹った。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、彼の一番目の姉と三番目の姉は全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに慈悲なポワ法で済度された。彼達は累世の殺業のために深く懺悔した。昨日全家族は道場に行って、リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した時、三番目の姉の二番目の息子は皈依を求めて、末子も施身法に参加する事を求めた。この男弟子も言ったが、彼の母は白髪人送黒髪人(親よりも先に子供が死ぬことは不幸の最たるもの)となったけど、唯惜しいと感じて、全然悲しくなかった。更に彼の母はリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した後、同時にリンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝なポワ法を求めた。

彼達はこの殺業が深い家族にとって、若し尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに出会わないと、未来に対して本当に想像できない。彼達は必ず教えに従ってしっかりに上師に従って仏を学んで上師の恩を報う。最後彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに法輪は常に転じて、体の健康、長く此の世に存在する事を祈った。

続いて他の女弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩を感謝して、自分に機会をくれて公開に発露懺悔させた。

彼女は今まで皈依してから五年過ぎでだけど、福徳因縁は不足で尚更に自分の懺悔心と供養心が足りないから、自分の累世と今世の悪業を転じられない。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、何故癌に罹っただろうか。仏法から見ると、沢山な衆生の肉を食べて数えられない衆生を殺生したが、勿論果報がある。彼女は一つの例である。一般人の目から見ると、彼女は最も癌に罹らない人だった。

1996年から始めて、彼女は健康のために菜食していた。生活に非常に養生を重視して、有機野菜を食べたり、健康食品を食べたりした。更に健康のために運動して、一年間に風邪や病気に罹る事は珍しい。平日に体が健康だけど、体調が悪くと大変だった。25歳の時ヘルニアになったから、手術を受けて、27歳の時右の卵巣を取られた。42歳の時子宮頸の近くに子宮筋腫があるから、手術を受けた。今年51歳で2月20日に腟が止らなくて出血した。4月23日子宮内膜掻爬術生検組織診断を受けた。4月27日報告を見るとき、子宮内膜がんに罹ったのを分かった。4月30日CT検査を受けて、結果はがん細胞は既に転移して、腹部は積水がある。此れは全てリンチェンドルジェ・リンポチェが常に開示された「因果法則」である。因を撒くと、その因により果を得られる。自分が累世の悪業及び今世の悪行を含めて、因縁が成熟すれば、如何なる逃げても逃げられない。

彼女は家で沢山な鶏を飼った。彼女は手伝って鶏の首の毛を取って、鶏の首を切って、ゆっくりに血が流れて死ぬまで様子を見た。彼女は最も好きな食べ物は柔らかいな鶏の卵子と睾丸だ。大人になった後、毎回生理が終わると、血を補うや体に栄養を補充するため、市場で血まみれの豚の肝、腎臓、脾臓を買って食べた。子宮内膜がんとは子宮は止らなくて血が流れた。

子供の時に、彼女は面白いのため、バッタの足を抜いてしまって焼いて食べにきたことがある。だから、自分は右手が脱臼したことがあって、右手首が傷つけて、右足首が折り曲げて傷つけたことがある。魚を釣るため、ミミズが1が小さく切れて釣りのえさにさせた。無数なアリ、ゴキブリ、クモ、ハエをも殺したことがある。その上、数え切れない衆生の肉を食べたことがある。鶏肉、ブタ肉、牛肉、ヒツジの肉、魚の身、トノサマガエルの肉、エビ、蛎、多くの海産物など、甚だしきに至ってはワニの魚の身をも食べたことがある。彼女は無数な苦難を受ける衆生の肉を食べたことがあり、それらの骨を齧って、それらの血を飲んだことがある。殺業がとても重くて、体の細胞の中に衆生の苦しめと恨みを満たしていて、もちろん癌にかかっている。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、癌にかかるのがただ花が咲いて果実になっていない、本当の実りが地獄にいる。本当に懺悔する者は自分が間違って永遠な相同な錯誤を犯さない。最も重要なのは誠心誠意で因果応報を受ける、と開示されたことがある。彼女は彼女に傷害された無数な衆生に深くて懺悔していると表示した。彼女は法界の一切の有情衆生に代ってリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加持力に感謝した。彼女は恐れないで、怖くないで、絶えず血を流しているが、血を流したら流しましょう。自分の身体が返済される時に歓喜心により弁済する。地獄に至るまで弁済してはいけない。

彼女は自分が深刻に殺生戒を犯すを除いて、無数な悪行も犯したことを懺悔した。不偸盗の戒律を犯した。出社の時間で自分の事をしていて、給料をもらったけれども心と力を尽くして働いていなかった。会社と学校の電話を使って、業務に関係ない私人の事を処理した。学校の印刷機を使って私人のことを使用し、海賊版の商品を買った。不妄語と不悪口の戒律を犯し、いうべきない話をいって、他人に苦しませた。両親に親孝行をしていない、両親に心配させた。舅と姑に一心に仕えていなかった。愛と根気を使って学生をおしえていない、ただひたすら自分の考えにより学生を教えて、人に応じて適切な教育をして学生をうまく教えていなかった。我執心はとても強くて、独りよがりで、分別心がとても重くて、慈悲心がないで、平等心が無いで、貪、瞋、痴、慢、疑という五毒を彼女の身にすっかり現れて、全く罪悪があげきれぬほど多いのである。

最も許されないのはリンチェンドルジェ・リンポチェに供養心が完全になかった。本来、因縁福報があってリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、一心して仏を学んで、仏法を本当に日常生活に運用して、この世に生死輪廻を解脱し、浄土に往生し、帰ってから衆生に利益する事ができる。けれども、自分はこの世に最も大切な珍宝と仏法を学ぶ殊勝な因縁を放した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された事がある。仏を学ぶことが最も重要なのは心構えの変わるのである。もし心構えを調整できるなら、もうすこしの儀軌を協力して、人生にとても大きな転換に発生させられる。もしこころが変わられないなら、再び多くのお経を唱えて、多くの仏に礼拝をして、多くの儀軌をしても、なにも効果がない。彼女は例である。仏を学ぶのは加護を求めて、健康を求めるだけである。リンチェンドルジェ・リンポチェが教えてくれる宿題は平日いい加減にして、11万回の大礼拝を完了しても、出発点が私利私欲の考えだけで、とても苦しみ衆生のために誠心誠意な懺悔で大礼拝をするわけではなくて、ただ運動して健康を保つことをしている。リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法事業をまた、心と力を尽くして護持していないで、完全にリンチェンドルジェ・リンポチェに利用して、道場を利用している。

彼女は自分が本当にとても悪な人間だと懺悔した。リンチェンドルジェ・リンポチェの諭しを完全に聞かないで、教法により従わなかった。毎日寝る前に自分の今日の身口意が清浄するかどうかを反省していなかった。五戒と十善を行わないで、『仏子行三十七頌』をいうまでもない。彼女は自分が仏弟子をする資格がないと懺悔し、ただ仏の信者である。自分はリンチェンドルジェ・リンポチェに仏を学ぶ殊勝な因縁を大切をしてなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加持力がどこでもあって、全ての宇宙虚空を満たして、自分はリンチェンドルジェ・リンポチェに完全供養こころがなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェに遠くて離れるわけである。

4月27日、彼女は一人で病院に向いて切片報告を見た。医者は彼女に「ご主人が来ましたか」と尋ねた。彼女は主人が用事があって来られなかったと回答した。医者は中断してから「癌に罹って手術を行って治療する」といった。彼女は医者に「自分が手術して治療することをしない」と直ちに回答した。医者の話は彼女に驚かせない、却って彼女の話を医者に驚かせた。なぜならば、彼は30数年以来に医者を勤めて、患者が彼女のような反応がなかった。いま回想して、癌に罹って激しく泣き叫んだことがないで、悲しさを感じないで、ただ平静な受け入れた。このような落ち着く力がどこからくるのでしょうか?これはリンチェンドルジェ・リンポチェの尽くさず慈悲深く加持力だ。彼女は法界の一切な有情衆生に代ってリンチェンドルジェ・リンポチェが平日にいとま請いをせず苦労し、老婆心から繰り返し忠告して、頑迷で効き目がない衆生に仏を開示して助けることに感謝した。

仏法を学ぶのは本当に長い間少しずつ積み重ねて、絶え間ないで薫陶することに頼まなければならない。いままで5年余りに皈依し、彼女のような格好が悪くて完全に供養心がない悪弟子が意外にリンチェンドルジェ・リンポチェの加持力を貰えて、すづに心を落ち着かせられた。この病気に罹るので、彼女に傷害された衆生に彼女がいまから弁済することを知らせた。もし彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依しないなら、彼女は必ずただ他人のせいにするでしょう、悲しんで恨んで、因果法則を受けないで、人生無常を受けないで、死亡の時間が定まらないことを受け入れない。彼女も医者の薦めを受け入れてすぐに手術を行って、化学治療をして、電気治療をして、癌細胞と必死な戦争をして、いま病院に横たわるべきで、尽きることがない医療の苦しみを受けて、恐れて恨んで死亡を直面し、最も大変なのが地獄道に落ちて、永遠に離れられない。

彼女は法界の一切の衆生に代って、リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔し、彼女は間違った事を知っていて、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女の懺悔をうけることを懇請し、彼女は歓喜心にて身に発生する一切な果報を受ける。慈悲心を育成し、菩提心を発して、衆生に利益して、仏法を日常生活に真に応用し、精進な仏を学んで、リンチェンドルジェ・リンポチェの諭しを完全に聞き入れて、自分の心構えを改正し、仏を学ぶのは法界に一切な有情衆生に利益するわけである。同時、教導により従って、毎日寝る前に反省して検討し、自分の身口意を清浄させる。五戒と十善と行って、『仏子行三十七頌』を一心に行って、本当の仏弟子になって、仏の信者ではない。彼女は法界の一切の衆生に代って、リンチェンドルジェ・リンポチェの恩徳に感謝し、その上、法界の一切の衆生に代って浄土に往生することを発願する。生々世々にリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、生々世々に直貢噶舉派の本当の弟子になることを望んでいる。

彼女は法界の一切有情衆生のかわり、各位の金剛の兄弟子と大徳達にお願いして、彼女を鏡にして、同じ誤りを犯さないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェの話を完全に聞いて、教導により従う。果報が目の前に現れたら、重病を得てから、リンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔してはじめることを恐らくもう遅くなる。最後、法界の一切の衆生に代って、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの御身体を健康し、法輪を常に転じていて、仏法を常によに留まることを望んでいる。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上って、大衆を連れて六字大明呪を長く唱えて、唱え終わった後に、ある女子弟子がどうしてさっきある子供に従ってお手洗いに行ったかと説明して、あの女子弟子は自分が医療チームのボランティアだと表して、いまさっきある信者に随行して彼女の子供を連れてオムツを交換しに行ったのである。そして、この信者は、自分の子供が脳性麻痺の患者であり、子供がトイレに行きたいから、彼を連れてオムツを交換しに行ったと説明した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの信者に開示して、彼女が法会に参加していて、もしこのように子供が状況があることを心配するならば、子供を連れて病院へ医者に彼を配慮させて行くべきだと言った。さっき、リンチェンドルジェ・リンポチェは法会に出席した1千2百数人を連れて一緒に六字大明呪を唱えている時、座席を離れた人が一人もいなくて、呪文を唱えるのはこんなに重要な事なのに、彼女は子供を連れて便所に行って半時間かかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて1人の医者とする弟子に尋ねて、もしこの信者がすぐ子供を連れてオムツを交換しに行かなければ、子供は何か状況があるのかと聞いて、医者とする弟子はないと答えた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは、もし上師と諸仏菩薩に対して信心と恭敬心がなければ、次回もう来る必要がないと開示した。もし仏法に対して恭敬心があったら、唱え終わってから立ち上がって行くのである。これから見ると、彼女が法会に参加しに来るのは上師と仏菩薩を利用するのである、ここは子供の病気に役立つことが出来るかどうかを見て、もしあったら良くて、役に立たないと別のところを探す。道場の中で病気にかかった子供は決して彼女の息子だけでないが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは大衆を連れて唱えている時、気の向くままに席を離れた人が一人もいない。そなた達はすべて一回の法会に参加すると、すぐに役立つ効果がほしいが、しかし仏法はそなたに何かをあげることができなくて、同じくそなたに何かを取り除いて、業障を取り除いて手伝うことができない。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女が法会に参加する必要がなく、しかも直ちに道場を離れるように指示した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示された。彼女のこのような心構えで法会に参加して、もし子供の体はちょっと状況があるならば、彼女は多分法会に参加したためだと思っていて、そして仏を謗り始めるであろう。

さっき法会開始前に分かち合った男性弟子は、彼の姉が往生する前に心拍数が40回から直ちに停止したと言って、それは時間を急いで上師が修法させるのである。このひと言から、彼が誇らしいことを聞こえて、恭敬心と懺悔心がなくて、彼の姉がよく修めていて、上師に恭しいから、その故殊勝なポワ法を得られると思っている。実は、もし仏菩薩の加護、上師の承諾及び護法の保護がなければ、彼の姉は往生する前にこんなに順調に進むことがあり得なくて、そして上師のポワ法で浄土まで済度されてもらった。もともと、彼の姉はもっと多くの病気の苦難を受けて、往生する前にもとても苦しいはずである。と言うのは、過去世の殺業のため、それに彼女が往生する前に依然として3人の息子に気になっているから、彼女の息子達は実は彼女の冤親債主であり、とても親孝行ではない。この3人の息子達は母親のかわりに彼らに道場で大礼拝させるということを求めに来たことがあって、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に許したが、結果はただ2、3ヶ月、彼らが状況が出きて、遅刻した後にもう大礼拝をすることが出来なくなって、これは冤親債主が障害するので、息子とする者はとても親孝行のようなことをするらしく、結果は彼らの母親が臨終までやはり彼らを気にしているのである。

子女が両親を連れて病院へ診察を受けに行ってあるいは遊びに行くのは、親孝行だとと思わないでください。これらはすべて表面の親孝行であり、本当な親孝行の心がけを出さなければならない。本当に親孝行なのは仏を学ぶ人であり、母親は3人の息子がすべて仏を学びにくるように望んでいるから、彼らが学びに来ないと親不孝であり、彼らの母親は最後まで依然としてこの息子達を放下することができなくて、もしリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を注意していなければ、彼女が臨終になる時に、きっと息子達に気にかかるためとても苦しく亡くなるであろう。

この前には、ある弟子の妻が往生して、彼女の遺願は2人の娘もリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学ぶことができるようと望む。最初、この2人の娘はまだ仏を学びにくることを承知しなくて、幸いなのはそれから皈依して法会に参加していて、さもなくばこの2人は今とっくに意外のため無くなったであろう。

さっき分かち合ったあの家族は、彼らの往生した三番目の姉が仏法と上師に対して恭敬心と懺悔心が起きたから、因縁福報は十分に備えて、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは今回修法する時、彼らのこの家族が過去世に同一の漁村の村民であり、魚をとって生計を立てて、同じくこのような殺業のため、この家族は今生病気にかかって、癌に罹った人が多くいる。家族の中の人は病気にかかって、他の人も楽ではない、一緒に苦しみを受けるだけではなくて、さらに多くのお金を使う。お経が仰ったように、衆生の肉で金を儲けて、財が集まることができない。しかし、この家族が過去世にほんの少しのお金を持ってリンチェンドルジェ・リンポチェに供養したことがあり、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェはこの供養金を用いて仏像を造って、だから彼女は今生リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女にポワ法を修めてもらう因縁福報があるのである。そして彼らが過去世に供養した金額があまり多くなくて、古代には魚をとって生計を立ててお金を儲けたのは満ち足りた衣食よりもう少し多いだけ、別に多すぎる銭を供養することがあり得ない。ただちょっとしたお金を供養したが、しかし彼らが誠心に恭しく供養したため、今生この因縁を得て仏法の助けを貰える。これもそなた達に教えるのは、善行をして善果があり、悪を行って悪の報いがある。善悪は相殺することはできなくて、彼らのつくった殺業は彼らを病気にかかって苦しみを受けるようにさせたが、しかし供養した因縁福報は彼女に今生リンチェンドルジェ・リンポチェと会わせて、且つ恭敬心が起きた。上師は絶え間なく彼女が仏を学ぶのを監督することを通って、彼女の執を打ち破って、彼女に因縁福報を累積するように助けて、やっと浄土に往生することが出来る。

リンチェンドルジェ・リンポチェはどうしてそなた達を連れてチベット、青海へ聖地巡礼をしに行くのか。別にツアーのメンバーが足りなくて、或いは旅行会社がお金を儲けたいためではなくて、《阿弥陀経》の中に仰ったことがあるように、福徳因縁が不可欠なのである。そなた達の福はすべてとても浅くて、法会に参加するのはただ1度の法会だけに参加したのではなくて、すべての法会が持続的に参加しなければならなくて、やっとずっと絶え間なく自分に福徳因縁を累積して助ける。さっきあの一家は最も大きい姉が殊勝なポワ法を得たため皈依して仏を学んだが、しかし彼らの家族は仏法を信じなかったので、もともとはあまり供養していないで、最近家の中の状況が変化したに至って、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを貰って、彼らに信心が起きさせて、はじめて、すこしの供養し始めた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは法会前に分かち合った男性弟子に、彼らは最初リンチェンドルジェ・リンポチェを信じないのか、と聞いた。あの弟子は自分がちょうど皈依したばかり仏法を理解していなくて、いつもぼんやりしていると報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは、ぼんやりとすると言うような文人の言葉遣いを使わないでくださいと開示した。そしてある出家の弟子が直接にこの弟子の犯した間違いを説明することを要した。出家の弟子はこの弟子が上師と諸仏菩薩に対して信心と恭敬が不足であると表した。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続き、皆がよく「私が知っていない、私がよく分からない」とこのような責任を逃れた話を言って、今まで誰かが自分の根器が足りないとのことを聞いたことが無い、と開示した。どうして、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王に会うと、直貢チェツァン法王に百パーセント投降したのか。リンチェンドルジェ・リンポチェはあの分かち合った男性弟子を叱責し、どうして法会前の分かち合う時に彼の母親が魚を見る事を言わないかと言った。男性弟子はそこで、母親が入院する期間に確かに一方で手を振りながら、一方であちらに魚がいると言った、報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いてこう開示された。今度の手配はとても巧みであり、この家族の年上の母親は先に病気にかかって、入院する時にたくさんの魚を見て、そしてリンチェンドルジェ・リンポチェは彼らの家の三番目の姉を済度して手伝う時、彼らが過去世に魚をとった共業があることが分かった。同じくそのため、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの家族にこのことを教える時、もともと仏法を信じない1家は仏法に対して信心が起きた。

以前は、この家族の一番目の姉も癌で死んで、且つリンチェンドルジェ・リンポチェのポワ法で済度されてもらったが、しかしリンチェンドルジェ・リンポチェはどうしてその時この家族が過去世の因果を知ることができないのか。何故かというと、一番目の姉がリンチェンドルジェ・リンポチェと法縁だけがあって、三番目の姉とリンチェンドルジェ・リンポチェとの間に福があって、彼女は上師と仏法に対して恭敬心が起きて、これは本当に福報がある。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェは三番目の姉を助ける時、やっと彼女が上師に対して誠な恭敬のため、はじめて彼らが過去世の因を見ることができる。お経の中にも仰ったことがあって、仏はどの菩薩の過去世の事をを開示する時に、この菩薩が絶対的に恭敬を持ち、しかも衆生を利益するつもりで、且つ衆生を利益する資格があってから、はじめて仏はその前世を開示されて、さもなくば気軽に仰らない。というのは、言っても役に立たないから、気軽に自分の前世を伺いを立てて、仏陀が教えるのではない。

そなた達は仏経を読めば、発見できたが、仏は唯地蔵菩薩、観音菩薩及び普賢菩薩の過去世を開示された事がある。特に地蔵菩薩の過去世を最も沢山に詳細に開示された。仏経に前世因果を説かれた部分は余り多くないが、《地蔵経》の中に地蔵菩薩は川の側にいる時、嘗て鬼衆は自分の前世因果を話したのを聞いたとある。他には《華厳経》にも龍女の過去世を説かれ、その龍女は男に転生したとある。仏だけ大能力があって衆生の過去世、全ての因縁を分かる。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分がまだ仏果を修めないが、大能力を持って全ての衆生の過去世を分かるわけではない。たとえ前世リンチェンドルジェ・リンポチェと縁がある衆生は恭敬心を起せば、リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて彼達の過去世の因縁を分かる。

たとえ《地蔵経》の中に仏も少しだけ数尊の菩薩の過去世を説かれた。それは当時仏は阿羅漢に説いたから、阿羅漢は聞くとすぐ入定して見えた。しかし、そなた達は聞くと、此れは本当なのかと思って、仏が説かれた話に対して疑った。そなた達は自分の考え方で仏法を見て、自分の方式で学んだ。こうすれば全く学べない。例えば、現在はっきりに釈迦牟尼仏の法運であるのに、ある者は却って他の仏を探した。

そなた達は誰でも因果を信じない。そなた達は口頭で自分が因果を信じると言ったが、真に因果を信じない。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて直貢チェツァン法王を見る時完全に降伏して、自分の考え方は一切なく、完全に直貢チェツァン法王の教えに従って学んだ。そなた達は全て仏経に説かれた通りに上師に百パーセントの恭敬心及び因果を信じる心を持っていない。自分が修めていると思って、自分が良く修めたと思った。先程自分の姉は急いで、リンチェンドルジェ・リンポチェに自分のためにポワ法を修めた弟子も我慢貢高である。とても傲慢で独り善がりだ。自分は上師の開示を聞いた後、弟子は自分に頼れば、修められると思った。そなた達は上師に頼らないと、特にある金剛乗の上師の金剛力やそなた達に与えた加持及び加護がないと、如何なる仏を学んで修行できるだろう。

そなた達は完全に敬うのを行えない。それはそなた達はまだ因果を信じないから。龍樹菩薩は一匹のありの命でも返済する必要があり、釈迦牟尼仏は成仏する時相変わらず九個の難があったが、そなた達も言うまでも無い。そなた達は自分が過去世に悪業をいくら行ったや何人の命を返済する必要だと信じない。若しそなた達は悪を行わないなら、此の世に再び人として転生しない。心は転じず、自分の考え方に従って物事を処理して、仏菩薩を信じず、上師を信じないなら、此の世に悪業を転じる事ができない。

現在たとえそなた達は皈依して仏を学んでも相変わらず引き続きに自分を勝手にさせて、自分を事なかれ主義の人に成れた。リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て開示されたこと、事なかれ主義の人になっても地獄に堕ちるかもしれない。そなた達は自分が仏を学んだからいい人だと思った。過去世に行った悪業はそなた達は此の世に転じるのができない。百パーセント上師の教えに従って修めて自分の考え方を持ってない限り。そなた達は此の世に行った僅かな福を累積するのはそなた達にいい日々を過ごせない。ある福はそなた達に往生した後、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得て浄土へ行けるために使う。

若し顕教の方式で修めれば、とても長い時間にかかる必要なので、後期釈迦牟尼仏は阿弥陀仏を紹介して、そなた達に発願して浄土へ往生させて引き続きに修行できる。しかし、《阿弥陀経》に説かれた通り、この法門は難しく信じる法である。阿弥陀仏或いは阿弥陀仏の浄土は人に難しく信じるわけではなく、末法時代の衆生は業がとても重くて、福報はとても少ないから、十分な福報を持って仏法を信じるや自分が出来ると信じる、上師がそなた達を協力して起せるなど信じない。そなた達は全て自分の心が変わればOKになるのを信じない。

この前の法会でリンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てわざわざある出家弟子を指示して、「見濁」を説明したが、そなた達は聞いてもまだ自分を警告せず、相変わらず自分の考え方で仏を学んだ。顕教の方式で修めないわけではないが、しかし、とても長い時間にかからないとできない。それは学んだのは唯理論である。リンチェンドルジェ・リンポチェはある出家弟子に指示して、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依する前に顕教を学んだ状況を説明した。出家弟子はそう言ったが、彼女は他の出家弟子は昔顕教を学んだ時、とても頑張って学んだけど、貪・瞋・痴の問題は相変わらず大変で仏経に説かれた境界まで行えない。結局仏を学んだのに他人を軽視して、目は頭の上になるように分かるけど行えない。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、顕教は《百法明門論》があるけど、唯理論の範囲になって、顕教は良くないとは言えないが、顕教を学ばないと密法を学べない。しかし、密法は本当に仏法を確実に実行して行う方法である。現在沢山な人は仏を学んだけど、理論を学んでも行えない。この出家弟子も言ったが、彼女は確かに嘗てこの問題に遭った出家衆を多く見た。だから、多くの人は却って南伝仏法を学んだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェ引き続きに開示された。現在の社会状況により、南伝仏法を学ぶのはこの人たちに相応しくない。それは南伝仏法を学ぶのは一切煩悩を断ち、料理せず、手は女に触る事が出来ず、金も持たず、数珠もつけない。自分を完全に外界と隔離された。現在台湾の環境はできないが、若しそなたは信者の供養を受けないなら、信者はそなたに慈悲ではないと言った。寺院でそなたも料理や事務を処理しなければならない。齋僧大会(斎食を施された)の時、そなたは食べないと、人もそなたが衆生と縁を結ばないと批判した。このような環境で南伝を学ぶ事は相応しくない。ある者はインドに行って四加行を学んで、自分は密を学ぶのを思った。金剛乗の修行はこのような簡単ではない。灌頂を受けるや手印をするのは金剛乗を修めるわけではない。若し自分の考えがあって、上師に完全に信心を持たないと、金剛乗を修められない。

実は金剛乗は釈迦牟尼仏は全ての教法の濃縮であり、行える方法である。金剛乗を修める方式は顕教より早い。それはそなたに遠慮しないから、お互いに遠慮すれば、時間も無駄になる。直接そなたに面倒して、そなたの欠点を指摘する。そなた達は毎日仕事して、修行できる時間はとても少ない。リンチェンドルジェ・リンポチェのように何回も閉関修行して、24時間に修行できるように行える。そなた達は上師に時々刻々に監督される必要だ。しかし、今まで相変わらず沢山な弟子は引き続きに過ちを犯した。若し改めずしっかりに落ち着いて、はっきりに自分の問題点を向き合って、自分の問題を検討せず、相変わらず自分は間違いではなく、他人の過ちを見れば、リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に離れる。そなた達はこれ以上ぼんやりして日々を過ごさないで、自分に何のために仏を学ぶを聞いて、如何なる学ぶや如何なるするなど考えなければならない。自分の考え方で仏を学ばないで。何のために仏を学んだだろう。仏を学ぶのは生死を解脱するため、そなたに時間を多く与えていい日々を過ごせない。

今回あの往生する女弟子にポワ法を修める時、リンチェンドルジェ・リンポチェは空港のVIPルームにいて、法を修める時声を出さなかった。若し通常のように法を修めてとても大きい声を発すれば、恐らく沢山な警察はVIPルームに来て大したことが発生すると思うかもしれない。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いてある出家弟子に聞いて、何故リンチェンドルジェ・リンポチェは声を出さなくても成功に法を修めただろう。この出家弟子は意念に頼ると返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示されたが、意念ではなく、意念はまだ我々意識田の中にいて、全ての人は意念がある。若し意念によれば、何故そなたは行いたくても行えないだろう。出家弟子は意念は散乱過ぎだと返事した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、声を出せず成功に法を修めたのは意念に頼らなく、意念は勝義菩提ではない。此れは菩提心を行ったから。菩提心を発する前、先に慈悲を培養しなければならない。続いて戒、定、慧を修めて、智慧が開くまで世俗菩提と勝義菩提の力は現れるから、始めて衆生を利益する事を成辦できる。成辦とは成功に衆生を利益する事を処理する。例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは声を出せないままに相変わらず円満にポワ法を修めるのは衆生を利益するのを成辦した。菩提心を発すのは考えなくて、仏法に従って次第に修めて、空性の慈悲を証した。勝義菩提心を修めれば、力があって衆生を利益できる。この話は出家弟子のために開示されたが、在家弟子に向け話さない。それは出家弟子は聞いても分からない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは二週間前にそなた達に《地蔵経》を唱えさせた。ある人は喜んで唱えたと思って、業を消す事が出来る。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に仏法を開示しないのに、そなた達にうれしいことに値しないわけではないだろう。そなた達は唱えただけ、真剣に仏経に説かれた内容を読んでいない。《地蔵経》を唱えるのはそなた達に因果の恐ろしさを知らせて、そなた達が思ったように業を消すや悪い事は全て発生しないことではない。真に業を消すのはそなた達を助けて、仏を学ぶ障碍を除く。それは善業或いは悪業を問わず、業があれば、仏を学ぶと修行を妨げる。昨日リンチェンドルジェ・リンポチェは信者を接見した時、ある者は教示を求めて、何故この病気に罹ったや自分は何を間違いに行った事を聞いた。このような質問した人は因果を信じないと現して、自分は過ちがあるのを信じなく、懺悔心も持っていない。

先、この出家する弟子が言った状況は多くの人々があって、これは顕教がただそなた達に理論を教えて、しかし、如何に修めることをはなしていない。『華厳経』により、お経に記載されているのは全て本当で、しかし、現在の末法時代の人類が遣り遂げることが無理である。『華厳経』に記載されている十信、十住、十行、十回向がこれらの境界を完全に遣り遂げるなら、少なくとも800歳で生きて遣り遂げる可能で、仏経に記載されているのが嘗ての人々がこのような長寿があって、しかし、現在が無理で、なぜならば、人間の寿命が減らしている段階で、現代人が最も長寿がただ100歳あまりに生きている。

『華厳経』の「華」は衆生の表相が様々な異なる顔たちがあるので、花が咲くのようで、花が咲いて枯れて、縁が起きて消える。「厳」は修行して清浄な本性を回復し、衆生に様々な万相を影響されない。『華厳経』が教える一切なのはそなた達にこのように従ってすることを教えて、ますます心を影響させない。『華厳経』の修行方式により、そなたの全ての動作を経文により従ってして、衣服を着けても回向を唱えなければならない、水を飲んで食事をすることも少しの経文を唱えて、そなた達がこのように遣り遂げるのでしょうか?多くの人々は『華厳経』を修めて、結局、遣り遂げないので妄想をして、甚だしきに至っては外道の助けを求めて、そのため状況を出た。

何故『華厳経』は竜樹菩薩が竜宮城へ向いて求めてくるお経を伝説をするのでしょうか?これはこれを人々に修めるのではない、『華厳経』を修めるなら足りる時間が必要わけで、現代人の寿命があまり短くて、修めて貰えない。その上、、『華厳経』はそなた達の五濁悪世に生まれる地球人類が遣り遂げるのではない、これはそなた達の我執が重い過ぎる。仏になるのために学ぶことも間違って、学んでから衆生に済度することも間違って、自分が修め出てから他人と違うと思って、これらが我執で、我々の清浄な本性に影響させられる。

我執はどこから来るのでしょうか?つまり、五濁から来るのである。仏経にこの五濁悪世に衆生は見濁と痴濁の欠点があると記載されている。前回、開示したばかり五濁の中の「見濁」を開示したばかり、地球の人類の見濁がすべて深くて、そなた達は同じようにそなた達の知見にて一切の事物をみて、そなた達の見濁はそなた達に修行させない。しるけれどもできない、これも執着があるわけである。だから自分の力により修めることが出来ない、他力にて修めることが必要し、「他力」とは仏菩薩の加護と上師の加持力である。

それから、仏は『阿弥仏経』を紹介し、そなた達に真言を唱えて、仏号を唱えて、願をかけて往生することを教えた。浄土宗は末法時代の我執がとても重い衆生の為に紹介させて、輪廻の力を生じない執着を以って本来衆生が輪廻の力を生じる執着に代わった。例えば浄土に往生することが願をかけて、仏号を唱えるなどで、じつはこれもある執着で、しかし、執着を取り除くので、そなた達の執着をこの方向をさせた。浄土に往生する執着は修行して仏になるわけで、我々に生死輪廻を解脱させて、これはそなたたちが子供を思うという執着により良くて、子供を思うような執着がそなた達に輪廻させる。

もしかするとある人は自分がすでにとても守ると感じて、どうしてリンチェンドルジェ・リンポチェがまたののしっているかと思うかもしれない。しかし、自分の良心に尋ねてみて、そなた達は本当に完全ないうことを聞くのでしょうか?さき分かちあったばかり弟子は、一言はリンチェンドルジェ・リンポチェに彼が依然として高慢することを見られた。

あなた達が仏号を唱えるが功徳がない、なぜなら、仏経の条件を遣り遂げることがない、人間とする条件でも遣り遂げなかった。なぜチベット人は六字大明呪を唱えて阿弥陀仏の聖号を唱えないのでしょうか?これはチベット人は多くの人々が放牧し、多くの動物を養って、殺業がとても重くて、仏号を唱える福報が足りないので、観世音菩薩の心呪を唱える。六字大明咒の効果はすべての六道の一切の有情衆生を含める。直貢噶舉派は前にある大修行者のジュワン・リンポチェは信者に説法をしたことをしないで、ただ皆が六字大明咒を多くて唱えることを励んだ。なぜならば、彼は説法をしてもだれども本当に信じて聞き入れることを知っていて、だから、六字大明咒だけで唱えさせる。

お経には億万仏を供養することを記載されていて、が、どのようにするのでしょうか?如何に億万仏を供養するのでしょうか?一軒の大きな部屋を作って、その中に、億万仏の仏に置いて供養するのでしょうか?無理でしょう。もし一つ一つで供養したら、とてもながい時間にかかって、観想にて供養するのではない。もし観想にて供養したら、釈迦牟尼仏は仏経で億万仏に供養することを「観想する」と諭された。仏法は漏れないで、仏が如何なる物を漏れないで、これは仏が自性の中に、法性の中に仏法を諭す。仏は『地蔵経』に説いたことがあって、どちらさまの菩薩が億万仏に供養する功徳ですので衆生に利益することが出来で、これにより仏菩薩になったら、億万仏に供養しなければならない。そなた達は億万仏に供養したことがあるのでしょうか?ないならば、如何に菩薩になるのでしょうか?遣り遂げないなら、密法を修めえなければならない、既に密法であれば、今日、説く事ができない。

そなた達は菩薩をおさめていないで、何に基づいて仏の法身を供養するのでしょうか?全ての仏の法身が相同で、しかし、願力が異なる。菩薩と仏に相応したいなら、自分の考えと見識がないと相応することが出来る。そなた達は仏の法身に相応することができなくて、最多で仏の願力に相応することを遣り遂げる。仏の心咒は仏の願力で、少しの心咒を唱えるなら功徳だると思ってはいけない、これらは上師と仏菩薩の助けにより、そなた達に仏菩薩に少しで縁を結ばせる。菩薩道を行うのは最も重要のが衆生に縁を結ぶ。

法会が一寸始める時に、そなた達が唱える七支供養は顕教の範囲を含める。また、密法の七支供養はそなた達に聞かせることが出来ない。その一つの中には衆生が上師の相をみて、未来世に済度を貰えることを修める。往生したばかりのこの弟子はこの例である。そなた達は生々世々にリンチェンドルジェ・リンポチェに従うことを思ってはいけない、未来世にそなた達もリンチェンドルジェ・リンポチェに見付からないで、なぜならば、リンチェンドルジェ・リンポチェがこの世に自分が知る仏法を皆に教導し、そなた達に弁済し、そなた達に完済し、そなた達は受けるかどうか、するかどうか、そなた達の事で、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に再び欠けないで、そなた達も来世にリンチェンドルジェ・リンポチェに従う事も出来ない。

教派の大成就者はもっと前に予言があって、リンチェンドルジェ・リンポチェがこの世に完済してから再び来る必要がない。リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず死なない、必ずそなた達の為に修法すると思ってはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは死亡無常と信じていて、いつに死ぬことが分からないで、もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが死んだら、そなた達を気にする人がいない。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの足どりを従うことができない、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェと同じように修めるとは限り、多くの差異があったら従うことが出来ない。尊勝直貢チェツァン法王は「リンチェンドルジェ・リンポチェと一緒に師弟の二人が仏法で衆生に利益する道に絶えずに前進する」を公的に諭した。直貢チェツァン法王はただリンチェンドルジェ・リンポチェと一緒にことを諭したことがあって、他人と一緒に仏法を広めることを諭したことがない。また、近年に諭すだけで、昔で諭したことではない。そなた達は誰でも上師に完全な恭敬と因果を深くて信じていることしないで、が、リンチェンドルジェ・リンポチェがした。

私たちは仏を学ぶことが「生死を解脱」という一つの大事のためをはっきりしらなければならない。ある者はそれでは自分が何も下ろして、何もいらない、このような観念も間違った。『宝積経』に記載されているのはこの世に眷属縁がある者であれば、必ず受ける。ただこの縁が他人に傷害しないなら、避けることが出来ない。もし出家衆であれば、男女慾が絶対にできない。ある者は男女慾がないなら、より高い境界に修められて、この説法が正確だと言えて、正確ではないと言える。禅修には、男女慾がないなら所謂無色界天を修められて、無色界天に生まれる衆生も男女慾もない。これは密法と関係があって、往生に関係があって、ひたすら禁止する道理もない、原因は何でしょうか?今日、開示しない。

禅定は外道禅があって、仏法の禅もある。仏法の禅定は自分の心を制御して、妄想を減らすのため、とても落ち着いて、とても心地良いことを感じるのではなくて、それから、所謂禅悦の境界を享受し、これも執着わけである。仏を学ぶことは加護を求めるのではなくて、法会に参加したら加護があると思ってはいけない、リンチェンドルジェ・リンポチェはただそなたに仏を学ぶことを加護し、そなた達は時間を無駄して聞いてみて考えてみるをしてはいけない。寶吉祥仏法センターは修行のところで、そなた達がただ見るだけで、リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達に目でみるだけで、心に置かないで、目でみたら、そなた達はただ仏の信者で仏の弟子ではないと表示する。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今月四加行を伝えない出家弟子に伝えて、そして、もう一人の出家弟子に伝法をどこで伝えるかと尋ねた。この出家弟子はマンダを伝えて、上師相応法をつたえていないと回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はそなた達がいうことを聞かないので勿論伝えないのである。

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2012 年 07 月 13 日 更新