尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年4月22日

台北寶吉祥仏法センターで、出家衆は寶吉祥弟子達を引き連れて《地蔵菩薩本願経》を唱えた。

法会が始まる前に、ある女子弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩が、彼女と彼女の家族や友達を助けた経過を恩に着た。

彼女の母親は一番早く尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した弟子の一人であるから、母親の関係で、彼女と彼女の家族ははじめて尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られる因縁がある。

2001年、彼女はある輸入の美髪専門製品会社で教育マネージャーを勤めて、平日には接触しているのはすべてシャロンデザイナーであり、ある日、1人のデザイナーはとても神秘的に彼女に、「先生、あなた達の会社の3階には悪霊があって、そして女性の悪霊であり、彼女も以前先生であり、ここで亡くなったが、しかし彼女は悪意がなくて、ちょっと懸念している事があって落ち着くことが出来ない、あなたが彼女を助けてほしい。」と教えた。彼女はすぐ、3年前に、一人の以前の同僚にこの会社に講師として就職することを紹介したのを思い付いた。授業の当日、あの同僚は演台で十分間も行かなくて、なんと突然意識がぼんやりした。現場では直ちにある人が心肺蘇生法(CPR)をやって助けて、そして救急車に連絡して、彼女が同僚に付き添って救急車に乗って病院に行って、同時に電話をして同僚の家族に知らせて、同僚の家族はいずれにしてもきっと医者に応急手当をしてほしいというように願い出て、家族が来る前に放棄しないでください。急診室で応急手当をしたところ、彼女が非常にショックであり、医者は心臓電撃器で心臓を刺激して、毎回の電撃は人に跳ね始めさせて、彼女は初めて人の生命が1枚の紙と同じように薄いと感じて、その上応急手当を受けている時は全然尊厳がないのである。家に帰った後に、彼女はすぐ家族に、もしこれからどんな状況があっても、彼女に対して応急手当をしないでください、と要求した。

彼女はこの情報を聞くと、すぐ電話をかけて母親に知らせた。母親は彼女が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁することを要したした。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に「何の用ですか。」と聞いて、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに状況を報告した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。あの同僚はこの前に嘗て友達と釣りに行った。彼女は釣らなかったが、側に見た。今彼女は最も懸念しているのは彼女の年寄った両親であり、特に母親である。彼女はあの同僚は非常に親孝行する娘であることを知っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは続いて開示されたが、当日あの同僚は彼女に従って、扉の前に着いたが
、しかし、彼女は入られなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に施身法法会に参加させればいい。当時彼女は施身法の殊勝さが分からず、あの同僚の家族を誘って一緒に参加したほうがいいかと教示を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、家族は参加しに来ても、来なくても構わないと開示された。彼女はまた同僚の妹を誘ったが、妹は彼女達が当日家で彼女を済度するから、施身法法会に参加しないと言った。彼女も同僚の妹に尋ねて、あの年の三月にあの同僚は確かに友達と一緒に釣りに行った事を証言した。

あの女弟子が言ったが、施身法法会の当日、リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示された。その日に来た衆生はどんな状況や容貌なのか、尚更にあの同僚が亡くなった当日の服装も話したが。しかし、当時の彼女は本当に無知であり、その後、あの霊能力者のデザイナーに、あの同僚は相変わらず自分に従っているかどうか、と聞いた。デザイナーはないと回答したから、彼女は安心した。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは金を一銭でも貰わず、あの同僚を済度した大修行者の風格を敬服した。だから、彼女は続いて法会に参加した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが広東弁の北京語を聞いてよく分からなくて、且つ法会中にいつも居眠りをしていた。その後仕事が忙しいから、もう引き続きに法会に参加しなかった。

彼女は此処で深く懺悔して、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが慈心で衆生を憐憫したが、しかし彼女は当時仏法に敬わず、唯リンチェンドルジェ・リンポチェに自分を助けて問題を解決することだけを求めた。だから、因縁福報が無くて、真の仏法を聞けなかった。

2003年11月、彼女の姑はアメリカで銃殺された。日頃には彼女達姑と嫁の感情はとても良くて、急にこの悪い知らせを聞いて彼女が苦しくてどんな事でも出来なかった。彼女はアメリカにいる母親に長距離電話をかけて、母親はすぐ相弟子に電話かけて、彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し込むとの手配を頼んだ。彼女と夫とリンチェンドルジェ・リンポチェに伺った時、リンチェンドルジェ・リンポチェは非常に慈悲で、姑の名前と生まれ年を聞いた後、彼女の姑が死んだ時に少なくとも3発を打たれたと仰った。それに、姑が殺人者と前世の因であると申された。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に彼らに殺人者の名前も一緒に施身法の亡者のネームリストの中に登録させた。続いて彼女の夫に1つ粒の甘露丸を与えて、彼に母親を見た後、甘露丸を母親の口の中に入れるように要された。また必ず金曜日に戻って来て施身法に参加すると要求した。彼女の姑を銃殺したのは幼いより彼女の夫と一緒に成長した友人である。彼らは姑が銃殺されたことしか知らないが、何発打たれたか知っていなくて、彼女の夫がアメリカに行って始めて分かった。殺人者は5発を打ち、彼女の姑は3発を打たれて、1発は壁に、もう1発は彼が自ら自殺したのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェに伺った後、彼らはもともと慌ててどうしようもない心は引率されるように、すぐ全く落ち着いた。姑の後事もとても順調で、姑が住んだ部屋さえも大変早く売ってしまい、彼らがすでに買主にあの部屋には嘗て凶悪事件があったのをお知らせでも。喪中の間、彼らは友達に教えなければ、友達は殆ど彼らが喪中することに気付かなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て申されたように、亡者が死んだ後、仏菩薩浄土へ行けば世間の家族が悲しいと感じない、亡者のことしか考えない。ある日9才の末子は彼らにお祖母さんが死なないと教えた。彼女は特に末子に、「祖母さんがあなたに教えたか?」と聞いた。末子は「祖母さんは言わなかったが私はなんとなく知った。」と答えた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが姑を浄土へ行かせて助けたと信じた。

あれから、法会さえあれば、彼女は必ず事前に時間を割いて参加する事になった。法会に参加しても居眠りをせず、リンチェンドルジェ・リンポチェの広東弁の北京語もとても良く聞いた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法教導を深く感恩と感心した。身をもって仏法を生活の中に用いる事を教えて、本当に得難く立派な大修行者である。

2004年5月、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。子供から彼女は臆病で安全感がなくて、一人で留守する事ができなくて、黒さを恐れて、悪霊を恐れて、他人が自分を軽蔑することを恐れるなど、何でもかんでも恐れた。が、皈依してからリンチェンドルジェ・リンポチェの加護をもらって、心の中に疑問があるときに、法会の中にリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞いて、そして、すぐに解決されて、如何なることが拠り所があるように。ところが、彼女は弟子の職責をしっかり行わなかった。

2009年にH1N1の疫病を発生した。リンチェンドルジェ・リンポチェは風邪に罹る者が法会に参加する時に全てマスクをさせて、道場の一番後ろに座らせて、病気に罹らない兄弟子と区別させる、と指示した。だから、本来の車椅子区の信者と兄弟子は位置の手配をやり直るはずだ。彼女はその時法会会場の企画を担当したが、とてもいい加減で全ての車椅子に座る男衆と女衆が全て女衆の最も後ろで手配させた。寶吉祥道場はとても清浄な道場で、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェは戒律がとても厳格な大修行者である事を気にならなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは初めて是正した時、彼女はすぐに過ちを改正していないで、リンチェンドルジェ・リンポチェは再度是正した時、やっと慌ただしく車椅子に座る男衆の兄弟子を男衆のエリアに移した。彼女はここで発露懺悔し、独りよがりで、自分はリンチェンドルジェ・リンポチェが指示されることにとって周到に熟考していないで、大修行者に恭しくないのみならず、仏法に恭しくないで、道場の清浄も維持していないで、本当に罪業が深刻である。彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの頂門の一針に感謝し、その上、彼女に対して離れないで見捨てないで、彼女はきっと教誨をうまく覚えていて、身口意から徹底的な改正し、永遠にリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学ぶ。生々世々に彼女に障害される衆生は済度を貰えられることを望んでいて、この世に輪廻を止めるのを望んでいる。その上、上師の御身体が安康で、法輪を常に転じて、仏法事業が栄えていて、常住在世であるよう祈願する

午後2時、出家衆は寶吉祥弟子達を引き連れて《地蔵菩薩本願経》を唱えた。

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2012 年 05 月 08 日 更新