尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年2月5日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、皆のために死亡を開示された。

法会が始まる前に、ある男性弟子は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩に恩に着て、彼に機会があって公に発露懺悔して且つリンチェンドルジェ・リンポチェが彼の家族を助けた経過を分かち合うことができるようにさせた。彼は2009年3月22日に皈依して、彼が先ずは自分がとても誇らしくてとても利己的な人である事を懺悔し、以前には多くのよくない事をして、小さい時にに多くの蟻を殺した事があり、多くの蜜蜂を遊んでそれで死んだ事があり、多くのコオロギを落として死んだ事があり、とても多くの海老を食べた事があり;他の人は海岸で白いタチウオを釣っている時に、彼は傍でとても嬉しくどのように油揚げて食べる事を話し合った事があり;小さいタコを釣って、彼はどのように生で食べる事を待っていた事があり;他の人は魚を殺して、彼が包丁で魚を打って意識がぼんやりさせて手伝って、彼は深く懺悔する。南方澳にある海鮮料理屋で、生きている海鮮を注文して、更に生きている貝に火をつけてそれを焼けて食べるように店員に求めて、それが非常に熱い油の上で、もがいている事を見て、また新鮮で美味しいと言って、彼はとても懺悔する。大学二年生の時に、太平山で他の人が翠峰湖の保護区で魚を釣ることを見て、彼も他の人に釣具を借りて、一匹の1メートルぐらい大きな草魚を釣ったことがあり、その時は1500メートルの高山の上で運転して、ブレーキが故障してしまって、10センチメートルの距離で止まって谷間に転んでいなくて、1車の9人はもう少し落ちて死ぬ事があり、彼はとても懺悔する。今依然として絶えずに嘗て様々な悪業を犯したことを思い出して、本当に罪は万死に値して、いくら返済しても完済できない。

彼は小さい時から、死亡に対してたいへん恐れて、幼稚園の年長組を卒業して小学校に行く1日目、母親は往生して、葬式の当日には母親が棺おけの中に横たわる様子を見て、とても驚き恐れて、様子がとても怖くて、彼はたいへん懺悔して、その時にまた弟とのんきに棺おけの辺を巻いて追いかけっこをした事がある。翌年、祖父の母親(曾祖母)は往生し、曾祖母の往生した様子を見て、とても驚き恐れて、頬がくぼんで、口が開けて、顔色が青白い。中学校の一年生の時、家で家政婦の廖ママが、夜にまた家族に晩ご飯を料理して手伝ったが、夜中2時に心筋梗塞で死亡して、彼女は往生する前にまた彼の部屋の扉をたたきにきて、彼女がとても苦しくて、もう死にそうだと言ってしまい、死亡する叫び声はとても苦しいと聞こえて、彼は依然として今なお記憶に生々しい。彼は小さい時から、死亡に対してとても凄く恐れていて、亡者の驚き恐れた顔、合わない口、青白い顔について、言い表せない恐れがある。

彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが彼に仏法を学ぶ機会があることに感謝して、リンチェンドルジェ・リンポチェは人の死亡の様々な過程と死亡に対する準備を開示してもらって、彼の小さい時の陰影及び心の中の疑惑を解かせて、そして未来の人生に対して明るい方向がある。

2008年8月、彼の父親はリンパ浮腫のため入院して、医者はもし化学療法を受けないと退院すると言って、彼は父が化学療法を受けることを望まないで、弟と妹を説得できる能力がなくて、彼はとても助けることがなくて知恵もないと感じて、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に開示して、「弟と良くて説明して話し合いに行く。」と教えた。彼は普段法会に参加して、教えに従って遂行していないで、一心不乱ではなくて、専念に学習していなくて、自分がまたよく直していないで、どのように弟と妹を説得して、父に化学療法を受けさせないようにするのかと懺悔する。リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法で父親を済度して手伝ったことに恩に着て、父は葬儀場で1ヶ月以上冷蔵保存して、葬式当日父は顔が赤くてつやつやしていて、容貌が落ち着いていて眠っているみたいで、彼がすぐ感動して涙を落下した。大修行者リンチェンドルジェ・リンポチェに済度された亡者は、死亡した後の顔が、本当に異なって、彼の小さい時の脳裏の中の影と心の中の疑惑をすべて解いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは貴重な仏法を開示して教えることに感謝し、彼はきっと努力して自分を改正して、教えに従って遂行しなければならない。

彼は仕事の関係で、2年間ぐらい景美の義理両親の家に住んでいるので、ふだん仕事の圧力と家族と付き合いが自重しないので、長期にわたり、ついにある日曜日の朝、義理の父親は彼を拳で殴って、全家族人は不安な雰囲気の中で数年間を過ごした。2009年、リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学ぶ第一の法門が懺悔を学ぶことを開示された。彼が自分があまりに利己的で、分別する心があり、平等心が無く、比較心があまりに重いのを発現した。

彼が当時とても不満なのは妻の兄は長期に中国で仕事している。兄の妻は夜中に出産した時、彼は病院に運ばれた、土曜日と日曜日、休まず姪を連れて郊外に遊びに行った。義理の父と母を連れて外出したなど、最後家族の苦しみ及び仲良くしない関係を起した。リンチェンドルジェ・リンポチェの仏法開示を感謝した。彼はその後義理の父と母を実の両親として見て、姪を自分の子供として対応した。自分の父は既に往生したが、道場にいる時多くの年寄り兄弟子は自分の父のように見た。多くの幼い兄弟子は自分の子供のように見た。その後、彼は義理の父と母に懺悔して当年の過ちを話して、彼達に悲しませた。その時、義理の父も彼に自分も彼に懺悔すると言った。全家族は当時とても感動した。今義理の父と母も徐々に菜食して、二人の姪もリンチェンドルジェ・リンポチェ及び直貢チェツァン法王にとても敬った。全家族も毎年必ず大法会に参加していた。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

去年(2011年)彼は常に目に炎症があって、眼科に診察されて薬も飲んだ。しかし、状況は良くなったり悪くなったりしていた。ある日寶吉祥食品クコをお湯に入れて食べると、目はとてもいいと感じた。続いて数日間もそう感じていた。炎症も徐々に消えた。その時思い出したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達が最も需要な物を分かったから、弟子達に与えた物は全て最も需要だ。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、与えた物は全て最もいい宝物だ。

彼は引き続きに報告した。去年(2011年)5月日本京都に行って法会に参加した時、観覧バスに兄弟子に報告した。彼は長期に台北で仕事しているから、高雄の部屋に関して、若し機会が有って売れるなら、寶吉祥宝石店に指輪を買いたい。台湾に戻って15日後、部屋は順調に自分が思った価格で売れた。9月に寶吉祥宝石店へ行って、新しい指輪をつける時、心の中から突然に感謝の気持ちを起した。それは指輪をつけると、一瞬に手が白くなると感じて、自分の定めも変わったと感じた。彼の妻は常に自分の手は労働者の手のようだと言った。あの一瞬間、皆とても喜んでいる。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた彼に最もいい宝物を賜ったのを感じた。指輪を手につけた後、毎日指輪を見て、まるでリンチェンドルジェ・リンポチェは毎日自分を加持して、頑張ってしっかりに仏を学んでいるらしい。リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

去年(2011年)5月日本京都に行って、上師供養法法会及び不動明王火供法会に参加した。当時雨が降っていて、彼はリンチェンドルジェ・リンポチェの側に立って、天蓋形のひさしを支える仕事を担当した。長時間にリンチェンドルジェ・リンポチェの側に立ったから、リンチェンドルジェ・リンポチェの髪の毛が白くなって、ひげも白くなった様子を見て、心が痛くて悲しいと感じた。彼は懺悔したが、2010年大法会のボランティアを担当して、リンチェンドルジェ・リンポチェの電動車が灑淨する動線を設計した時、今まで一切考えなかったが、最もいい動線を設計できるかやリンチェンドルジェ・リンポチェに苦労に灑淨する時間を短くさせて、全ての信衆に加持されれば、リンチェンドルジェ・リンポチェも苦労を少し減少できる。彼は恭しく2010年6月6日祖師ジッテン・サムゴン793年記念大法会のDVDを放送する時、リンチェンドルジェ・リンポチェが法王身辺の世話を致して、法王を世話する事を細かくて注意した。リンチェンドルジェ・リンポチェの目も法王の動きに追随して、深く関心を持って注意した。彼は懺悔したが、しっかりに上師に仕えず、仏法を生活の中に運用しない。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、諸仏菩薩、アチ護法及び六道衆生に感謝して、自分に機会をいただいて、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学べて発露懺悔できる。兄弟子、大徳各位、及び一切有情衆生が浄土に往生できて、尚更に多くの六道有情衆生を利益できるように祈った。

続いてある女弟子は2011年年末に殊勝な日本大法会に参加した体得を報告した。更にリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、自分に機会を与えてこの殊勝な道場で上師を賛美して、自分の身口意が犯した罪業を懺悔させた。

まず、彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが12月31日に日本に主法した施身法法会及び長寿仏法会の体得を報告した。彼女は出発前にリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を感謝して、始めて自分が如何なるエゴする事を分かった。唯時間と金を節約して、行った事がない国や参加した事がない法会に参加したかった。愚かな心は分からないが、全ての法会の因縁は唯一である。

今回の法会に彼女は道場の玄関に参列者が靴下の履き替えを引導や靴袋を提供する仕事を担当した。彼女は観察したが、日本の信衆は無比の恭敬心を持って、道場に来た。態度及び気持ちは穏やかで集中し、服装は綺麗で正式である。彼女も日本の兄弟子が道場に入る喜び及び大切な気持ちを感じた。此れも彼女にとても懺悔した。彼女は殆ど自分が始めて皈依する事このような態度を抱いた事を忘れた。今彼女は道場に入る時、家に帰る感じを感じて、喜んだけど大切しなくて、尚更に穏やかではなかった。常に慌てて道場に入って、落ち着く気持ちを忘れた。彼女は分かったが、若し心が変わらなくて、道場を自分の責任として見なくて毎回法会に参加する機会を大切しなくて、無常を深く信じないと、彼女は頼りを失う結果を受けなければならない。

法会が終わった後、彼女は一番最後に道場を離れたグループの1名で、彼女は暖気をずっと流させないように道場のドアを閉めるべきとの事を思わなくて、自分が確かに憎らしいと感じた。これは彼女を思わせて、何時も組長のご指示だけに従って、頭を使って他の細かい事を注意して手伝うのはしなかった。表面的に見ると、彼女は標準的にご指示によってしたが、実は彼女は自己的で、罰される事に恐れた。彼女はこんな考え方がとても憎くて、これから彼女は細かい事を注意するのを手伝って、道場を自分の家のようにお世話をする。同時に、彼女も道場このビルの全ての住み者に感謝して、彼女は良く考えていて、例え彼女の家の上階にはこんな大きいグループがあって、週に千人以上が来て、彼女の気持ちはどうなるだろうか?彼女は知っている。彼らが幾ら事をして、どんなに親切でも彼女はやはり下に多くの者が集まる事を大変困ると感じた。そうであれば、彼女は彼らの包容を感謝しなければならない。彼女らの排斥に対して怒るわけが無い。彼女は信じて皆の心には深く感謝する気持ちを持っていれば我らの家ははじめて安全になった。

行程の中に車上ではある労働奉仕の相弟子が分け合い、彼らは大変すまないと言った。それはある弟子が表れた、信者だった時労働奉仕相弟子が全部とても親切だったが、皈依した後労働奉仕相弟子が彼女らに対して大変機嫌が悪かった。彼女は懺悔して、彼女も嘗てこんな考え方と文句があった。しかし、皆が全部戒律を守る寶吉祥弟子はずなのに、なぜ労働奉仕相弟子に絶えずに勧誡させたか?皆は全部自分をよく管理すれば、労働奉仕相弟子は道場のためにもっと手伝うことが出来る。道場では友達と付き合う場所ではなく、更に皆は金剛相弟子で、生々世々に離れる事はしない。彼女は懇切的に皆相弟子にお願いして一つの感恩、惜しむ心を抱いて、自分と約束をして、お互いにも注意させて、相弟子の態度が悪い時、すぐ自分の誤りを懺悔するべきだ。実は皆に注意させる相弟子の心の中には悲しい、彼らも大変悔しくてなぜ寶吉祥弟子として自律する事がまだ知らないか?

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て申された、「依」とは依頼だ。皈依してから、彼女の一生に心がこんなに定める事がなかった。彼女は知っていて、家族の安危、父母の健康を心配する必要がなく、仕事、友達がなく、年寄りが孤独になる或いは人生には発展することを心配する必要がなく、これは全てリンチェンドルジェ・リンポチェが加持したから。しかし皆はリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に与えた家をどう守るか?今回日本で、抽籤した後、相弟子が翌日道場に来る集合時間を発表した時、彼女の一番目の考え方はかえって飛行機がどう手配するか?彼女の心の中に意外に日本道場のことがなくて、まるで旅人だった。彼女が分かった、自分がこのような考え方があり続けて道場がなくなったらどうするか?家さえがなくなったらどうするか?リンチェンドルジェ・リンポチェが重視することは即ち弟子が重視するべきで、リンチェンドルジェ・リンポチェが居る所こそ弟子達の家である。

彼女は懺悔して、復路の空港で飛行機を待った時、彼女は1人の出家衆相弟子の目の前に行っていろいろを聞いて、この相弟子は笑って、彼女が好奇な赤ちゃんと言った。台湾に戻って来て2日目に、彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェが開示する懺悔とのテープを聞くとリンチェンドルジェ・リンポチェが仰った修行者に対して好奇しないべきと聞いた。彼女もここで懺悔して、あの相弟子に許すと願った。彼女は表示して、リンチェンドルジェ・リンポチェが皆に与えたテープは本当に大変不思議で、何時も丁度いいな所に過ちを犯さないように、彼女を注意させた。だから、彼女は皆に必ず繰り返して聞くと呼びかけた。

彼女は引き続いて2012年1月14日普巴金剛法会に参加した後の気持ちを皆と分け合った。1月14日は大統領の総選挙で、前の天気予報によると終日雨だったが、当日はかえって晴れですこし暖かくて、投票率は7割を超えた。道場を離れると家族より電話があった。彼女の父母は絶えずに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが示現した不思議な力を感恩した。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に安定な仕事と生活環境をさせるため、多くの苦労していろんな力を使って台湾を助けて、皆は必ず機縁を掴んで、家族に仏法を深く信じるチャンスを有らせる。

法会の中に、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが半分の傾いている体で一人一人で加持する事を見て、彼女はそのような姿勢がどんなに大変な事が分かって、背中がそのように気分が悪くて、絶対に苦しかった。加持の隊列の中で、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの娘を見て、それは父とする人が娘の為にただ一つを多くしすぎるのである。彼女の心はとても恥ずかしかった。各々弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの多すぎる時間を占めて、が、彼女は依然として過ちを改めることが分からないで、本当にリンチェンドルジェ・リンポチェの家族に謝った。

法会の終わり、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は今年の旧正月の一日に三十五仏懺を修めないと開示された。彼女はその時に自分の心の中に二つの疑惑を懺悔した。最初の疑惑は子供が飴を求めるように懇切な求めるかどうか?第二の疑惑はこれは上師の決定で、弟子達が言う事を聞く事をしたら正しいでしょうか?上師は正月の一日の慈悲深く加持に感謝し、彼女に全く間違う事を知らせて、開示を聞く事を完全に分かってないで、その上、無知的な疑惑を生じた。彼女は更に恥ずかしくて、ただ懺悔を利用して自分によくて暮らさせて、自分の業障を消えさせて、年度の授業を完成する事として、上師が決定する事が言う事を聞く事をしっかり覚えていて、如何なる執着を放れて、いつも『仏子行三十七頌』を以って毎日に自分を反省して、リンチェンドルジェ・リンポチェに毎年に懺悔法会を修める事を依存していなかった。

去年(2011年)の年末の全ての法会に、彼女は毎回で泣いていて、兄弟子は彼女に何を泣く事を尋ねた事がある。彼女は自分がリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を受ける資格が無い事を感じた。自分は何故再び業を作って、詰らない煩悩を作って、リンチェンドルジェ・リンポチェに絶えずに弟子達に業を消えて障りを消えて煩悩を去るに疲れさせた事を恥ずかしくて痛んた。リンチェンドルジェ・リンポチェが焦って、自分の年を取って、弟子達はこのようにどのようにする事を心配する事を聞いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは家族への加持を見て、彼女はとても心が咎めた。リンチェンドルジェ・リンポチェが離れてから、道場が再度市場取引センターになって、彼女はどのようにするべきな事を知らなかった。もっと多い泣くのは無限な感謝で、自分が何世を経るのでこのような珍しくて得難い上師に探して、が、彼女のこの世にこのようなだらけて、どのぐらい時間があってここに座られる事を心配している。

彼女は各位の兄弟子に分かち合って、チャンスがあったら、此処に立って上師に褒め称えて、発露懺悔する機会を取って、皈依の初志を忘れないでください。年前に数位兄弟子は此処に立つ事を見て、結局、最後の懺悔になって、だから、各々兄弟子は毎回に残っている機会を把握しなければならなかった。

最後、彼女は当時寶吉祥宝石店に指輪をお伺いを立てる時に決心がつかないで、宝石店の兄弟子は突然にある指輪を取り出して、これが今唯一の小指の指輪で、彼女が一目で見るととても好きで、指輪のサイズでも直す事が要らなかった。翌日、つけて道場の行って、多くの兄弟子につけて試みさせて、が、指輪のサイズが大きい或いは小さくなって、皮膚の色に合わないで、或いは、指の長さが足りなかった。皆は全てある感じがあって、つまり、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆の為にある宝物を用意して、皆が速くてお伺いをたってください。出国の時に、兄弟子は分かち合ったがあったので、リンチェンドルジェ・リンポチェはずっと弟子の事を考えて、弟子達の福が薄くい事を知るので、弟子達に身に宝物を付けられることを望んでいて、自分の運命を高くなって、仏を学ぶ資糧を増加し、だから、最初、心を動いて宝石店を開いた事を知った。寶吉祥弟子とするのは本当にとても幸せ、彼女に仏を学ぶ事と彼女が本来見て考える事が異なるを知らせている。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、直貢チェツァン法王、祖師、アチ仏母、諸仏菩薩に感謝し、彼女に此処にたつ機会を与えて、彼女の去年の初めの心理状態が間違って、分かち合う時に懺悔が分からなくて、感謝が分からない、上師に感謝して彼女に再度機会を与えて自分の心を点検させた。

彼女は此処で懺悔を要して、彼女は多くの多くの悪行を犯したがある人で、皈依する前に、衆生の命で彼女に運命を続けてくれて、ぺっとをかって彼らの家庭を離散させて、他人に易くて怒って、他人の美点を見えないで、会社とけちけちして、両親に盾突いて、上師に盾突いて、全ての事が他人の身に押して、高慢自大で、貪瞋痴慢疑を犯して、会社の時間を盗んで自分の事をして、メーカーのリベートを持った事があって、少しの病痛を家族に困らせた。彼女は間違いを犯しても分からないことを真に恐れて、上師の慈悲深く加持を頼んで、彼女は上師が彼女に対して一切の手配と加持を受けられる。彼女は過去の一年以来、仏子行が如何に難しくて修める事をようやく分かって、「病気を道の為に換わって使う」が如何に難しくてやることをようやく分かった。彼女は過去の一年以来社長さんが彼女に対して頂門の1針が感謝し、過去一年に身体の調子が悪い事に感謝し、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に弟子達を放棄しないで、弟子達に多くの機会を与えて自分を修正させる事に感謝した。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは体を安康し、法輪を常に転じることを望んでいて、直貢チェツァン法王が身体が安康する事を望んでいて、直貢嘎舉派の仏法事業が盛んなことを祈っている。

リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上ったばかり、すぐ寶吉祥仏法文化交流協会の理事長に尋ねて、先週の日曜日に皆が唱えた《地蔵菩薩本願経》はどこに頼んでもらったか。相手に返礼したか。理事長はある皈依の出家弟子が1つの精舎に借りてきたのと答えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは厳しく叱責して、仏法の名詞を使って、お経は頼むのであり、借りるのではなくて、仏法は借りることができないのである。私達はこの精舎にお経を頼んできて、相手に返礼したか。相手に供養金を用意するのか。全然しなかったと答えた。そなたは出家衆をいじめるのではないか。身を処することを知っていないか。たとえ精舎に供養金を捧げなくても、少なくとも果物を一箱送ってもいいではないか。甚だしきに至っては一枚の感謝の手紙さえ書かない。そなた達のすべては社会に出てこのように長年であるが、この身を処する礼儀作法さえも知っていないか。そなた達は社会で人に助けてもらう時、返礼してお礼を言うのではないか。或いはすべてが当然だと考えているか。理事長に気づかせる理、監事が誰もいなくて、1千余り弟子では思い付いた人がいない。そなた達は全て口実を探して、リンチェンドルジェ・リンポチェが言わなかったからと答える。

この道場がリンチェンドルジェ・リンポチェのではなくて、道場の不動産もリンチェンドルジェ・リンポチェの名義で登録するのではないを知っていて、すべては協会の名義で、お経を唱えるのはそなた達が唱えるから、リンチェンドルジェ・リンポチェが唱えるのではない。そなた達のすべての人は読み終わって皆もうれしくて「地蔵菩薩と縁を結ぶ」と言って、衆生の縁とあまりうまく結ぶことができないから、どのように菩薩と縁を結ぶことが出来るか。皆はすべて自分ばかり思っていて、何を修めるか。物事の経緯を少しも考えなくて、恩に着る心は少しもなくて、お経をそのまま完備されて、向こうに返すさえすればと思っている。そなた達は真な仏を学ぶ人ではなくて、他の人はそなた達に1千余り冊のお経を運んで手伝ったが、恩に着ることが分からないで、自発的に運びに行かないで、出家衆はそなた達に運んでくるように手伝ってもらって、便宜を図りたい。そなた達はただ加持を得ることを望んで、こちらは皆にどのように身を処するか、どのように仏を学ぶかと教えている所であるから。皆に気軽にさせるが、皆が気ままにしてしまって、経書がどのように来たかと思わなくて、すべては私利私欲であるから、長年に法会に参加するのはただ自分のためである。

そなた達はこれがただ出家衆の事だと思って、彼女が一人で処理したらいいと思って、それでは次回だれかを交替させてする。この出家衆は既に2度借りたから、これから彼女はあの精舎に直面して身を処しにくい。次回、リンチェンドルジェ・リンポチェは無作為に点呼して、選ばれる人が責任を負って1千冊のお経を借りて来る。さもなくばそなた達は皆お金を出してお経を買って、買わなかった者或いは借りていない者であれば、唱えることができない、お経が無くて皆が道場で2時間座って、時間がたってから帰る。そなた達は出家衆が借りることができたらもう大丈夫だと思ったが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが皆に、3日続く唱える《華厳経》を指示するかもしれなくて、或いは1ヶ月も続いてようやく読み終わる《大般若経》を指定するかもしれない。その時、そなた達は経書を取得することができなくて、出家衆もそなた達を気に止める必要がなくて、自分で唱えたら良いのである。

このままは既に二回で、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達がどのようにこの事を行なうことを見ていて、結果は提出する人は誰もいない。大きな事でも、小さな事でもすべて、リンチェンドルジェ・リンポチェは言い付けしなければならない。そなた達はただリンチェンドルジェ・リンポチェを搾って利用して、道場を利用している。身を処する道理も知っていなくて、人道が成ってから仏道がやっと成る。するべきという字がなくて、二回運んだが、ありがとうございますさえなくて、他の人は我々に借りがない。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に対してこんなに多くの仏法を開示したが、また何か効用があるか。そなた達のすべての人は自分が既にとても利口になると思って、ただ仏を学んでよい生活を過ごしたいと思って、道場の事に関心を持っていない。そなた達の心がこんなに寒いから、道場は今日ようやくこんなに多くの事が発生した。更にある人は仏経を唱えて気持ちがとても重いと感じると言って、何故かと言うと、リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達が密法を学ぶ材料ではないということを思い出したから。そなた達は顕教さえもうまく学べないから、そして密法を学びたいと思っている。そなた達は帰ったほうが良くて、リンチェンドルジェ・リンポチェも帰ったほうがいい。なぜ正法を広めるのは困難であるか。というのは、人の心が不正であるから。

そなた達は顕教の法師を見くびって、顕教の法師は私達が皈依したリンチェンドルジェ・リンポチェより酷くないと思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェがよく修行しているのはリンチェンドルジェ・リンポチェの事であり、顕教の法師がよく修行しているかどうか、彼の事であり、そなた達と何の関係があるのか。少なくとも人は彼氏は出家の様子を現して、清浄戒を守って、そなた達はやれるか。そなた達とたくさん多く言ったが、顕教がないと密法がなくて、根本十四堕の中の1条は顕教のことを見くびってはいけない。能力があれば、みんなは丸坊主にして、そなた達は心の奥底の中から人を尊重しなくて、誇りでない。密法は慈悲を学ぶのであり、誇りを学ぶのではない。

今日は皆に開示するのは死亡である。中国人の習俗として、お正月の期間に死亡を論するのが、忌諱する話題である。その他の各種の宗教はあまりみ死亡について、深く探求し、研究して、或いは認識していない。医学上、死亡に対する認識は実は別にそのようによく知っていなくて、人の心臓が跳びなく、呼吸が停止し、脳死すると、それは死亡だ思っている。どうして人の心臓は跳びないか、呼吸しないか?どうして病気にかかる部位は他の地方にあるのに、どうして最後はしかし機能の正常な心臓w影響して脈打たないくて、或いは問題がない肺部に呼吸を停止させて、死亡を招くかか。?医学上、どうして動悸、呼吸について停止するかすべて解答がなくて、しかし仏法は解答がある。

厳格に言えば、仏教は宗教ではなくて、仏陀は宇宙の真実な存在の因果関係を私達に教えるのである。因果は仏が定義されたのではなくて、仏陀は宇宙の真理を私達に教えて、この世界は何に創造されて或いは支配されるのではなくて、自然に存在する宇宙の因果の法則に従って発生した現象である。しかしカトリック教、キリスト教、道教はすべて皆に教えて、宇宙の存在は1人の支配者がいて、この支配者が世界を創造してそして人を創造したので、もしこの支配者に背いたら罪があって、よくない結果を得る。しかし仏陀は私達に教えて、そなたはこの一生すべては過去にしたので、未来のすべてはそなたが今するので、ある人にコントロールされるのではない。

どうしてその他の宗教が外道だと言うのか。別に軽視の意味ではなくて、彼らはすべて外に求めるので、主(神様)に私達にどんなものをくれることを求めるが、しかし仏教は私達が内に向いて、自分の心と行為を見る事を要する。外道は因果の観念をあまり討論しなくて、最も因果と関係があることを言及するのは、そなたは主(神様)を信じて、主(神様)はそなたを守ってくれる。いかなる事は宇宙で単独で発生するのではなくて、因縁は熟して、果実が自然に熟して、果報は現れて、事が終わったように代表しないで、恐らくもう一つの因がも現れるかもしれない。この新しく出現した因はまだもう1つの他の果報が発生するから。私達は何故病気にかかったかを探求しないで、どの器官が駄目になったということを探求して、これは解答を探し当てることができない。現在科学は発達していて、すでに遺伝子を探し当てたが、しかし遺伝子の組合せは誰がくれたのか。別の宗教の説明は主(神様)の手配である。どんな力と原因は遺伝子を良くから悪くさせることか。科学は答えることができなくて、人類が物事の起因に対してすべて確かに了解していないようになったのである。

一部の人は生まれて、体に癌細胞が既にあったが、しかしそれから癌に罹らなかった;一部の人は生まれた時に癌細胞がなくて、それから癌に罹った。原因は何なんであるか。医学の上でも解答を説明できない。医学は癌に罹る原因について、ただ飲食、生活習慣、と遺伝子から解釈する。遺伝子の認識について、医学上、ただ観察されたのを持って解釈して、原因はあまりに知っていない。遺伝子はどうしてこのように組み合わせるか。どんな原因で形成するか。単独の1つの精子と1つの卵子が結合して、どうして両者に携帯している遺伝子を結合させるか。どうしてこのように微小な精子はこんなに多くの遺伝子を携帯することができるか。どうして精と卵が結び付けた後に、こんなに小さな遺伝子組合せは最後にこんなに巨大な個体になるか。医学上で、ただ細胞が絶えずに分裂していて、どうしてずっと分裂しているか。どんな力が1つの小さな受精卵に絶えずに分裂させるて、こんなに大きな人間に成長するのか。医学上、今なお依然として解答を探し当てていない。

ある科学的報道により、スコットランドのある村の中で、一組の9千年前の骨骸を探し当てたことがあり、彼の遺伝子は意外にも現在の地元の一部の人と同じである。どんな力がこの遺伝子を伝わってこさせたか。まさかただ1つの精子と卵子はこのように大きな転換を発生するか。現代医学はすべて標準的な解答がなくて、すべて当てるのである。1つの精子はどうして私達を一人になることができるのか。全然解答がない、だから私達の人生に対して疑惑だと感じる。医者をする一人の弟子も説明して、医学がただ遺伝子は遺伝を通して伝われることだけを知っていて、しかし一卵性双子の遺伝子が同じであり、これからの個性と発展はすべて異なって、医学でもどうしてこのようになるかを釈明することができない。

だから、どうして人は釈迦牟尼仏が医王だと称すか。医王とは釈迦牟尼仏がすべての病気を治療できることを指すのではなくて、病因についてとても明らかに知っていて、病気にかかるのも因果の法則の中である。だから仏法の中で「転疾病為道用(疾病を修行の道具と転じる)」に言及することがあって、その意味は、病気の顕現が人々に教えるのは、これは因果法則であり、自分に気づかせることができて、以前は何の因を作って、だからようやくこの病気の果を得る。この病気に罹るため、自分に傷つけられた衆生に自分が今弁済し始めた事を知らせた。仏法を学ぶことを通して改変することができる。現在は漢方医あるいは西洋医学に関わらず、すべては人の情緒と心理が生理、更に病状に影響することを発見された。

もし一人は情緒がよくないならば、全て体の健康に影響して、ある人がたとえどんなよくない遺伝子があっても、しかし癌になるとは限らない。現在の言い方はたくさんであり、水を飲むのさえも癌に罹る恐れがある。人類の科学が進歩するが、また最も簡単な原因が探し出せない。人は自身の構成について解答することができなくて、そのため人は未来に対して不安定感があって、何故かと言うと、解答無しの問題が多すぎて、解答がなくて、ただある原因がそれを転じて癌となせると言って、しかし依然として精確な解答がない。

今日は死亡を話す。そなた達は仏を学んでそなた達に良い旦那さんを探し当てるように手伝うことができると思って、仕事上で同僚達がそなたが好きようになって、これから良い生活を過ごすことが出来ると思って、実はこれらは仏を学ぶ目的ではない。仏を学ぶのは実は死亡する前には多くの準備する作業をするためである。正月に15日を過ぎていないで、死を言うことは、別の宗教でこのようにしないが、しかし、生があってきっと死がある、死があってきっと生がある。

事実上、私達は自分がどうして空腹するかということもよく知っていない。医学で説明すれば、何故おなかが空いたと感じるのか。何故かと言うと、胃の中で物がなくて、だから神経を通して大脳まで伝達して、大脳はそなたにものを食べるべきなことを教える。そうすると、神経を切って大脳の情報を遮断したら、お腹が空いていないか。直貢噶舉派のあるラマ僧が閉関センターの導師であり、食べ物を食べる必要、水を飲む必要がないまで修行して、同様に彼の肉体を養うことができて、その上、チベットからインドまで歩いて、直貢チェツァン法王に謁見に行った。直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェと、このラマ僧を言及したことがあって、リンチェンドルジェ・リンポチェも自らこのラマ僧に会ったことがある。何も食べない状況の下で、どのようにこの肉体を維持することができるのか。しかし実はすべての人は全部やり遂げて、閉関修行して1つの法門さえ一段の期間以上修めれば、この境界まで達することができる。

閉関修行する時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは食べる量がとても少なくて、そなた達は閉関する活動量が少なく、だから食べるのも少なくなると思うが、しかし事実上閉関する時に消耗するエネルギーはふだんより非常に多くて、午前4時から夜10時まで、途中はひっきりなしに続くので、活動して休んでいない。これも医学が釈明することができない。

そなた達はすべて小さい時にとても黒を恐れるであろう。多くの人は小さい時に黒々とした部屋に閉じ込められた経験があって、第一の考えは突進していきたくて、或いは大いに泣くのである。どうしてすべての人は黒を恐れる経験があるか。皆は黒が好きではなくて、光が好きであるのか。そなた達は黒を恐れるのが幽霊を恐れるかと思って、実はそうではない。幽霊があるためではなくて、幽霊はただ暗黒の中で出現することではなくて、太陽が正午さえ過ぎれば、福徳が持っている幽霊は現れて、一部の悪魔が太陽が出て太陽に従って現れてくる。だから黒くなって鬼が現れるのではなくて、人が黒を恐れるのは決して幽霊を恐れるのではなくて、死亡と関係があることで、だから人として何回も生まれ変わってもすべて死亡の過程を経験したことがあって黒を恐れるからである。

人は死亡する過程の中に、1つの黒い洞が見える。そなた達は皆全部死亡を経歴した事があったので暗いに恐れる。ある者は前世と未来世がないと思って、これは全部邪見だ。黒い洞を見た状態も黒成就心と呼ばれていて、これは密法と関係がある。元々密法であれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは簡単に伝授しないが、前にある弟子が脳出血で中風して、死亡の過程を経歴して、あの時彼は1つの黒い洞を見てて、彼がこの黒い洞に入る時リンチェンドルジェ・リンポチェが後ろより彼を引っ張って彼の命を救った。この弟子はこんな経歴があって、この過程を言い出して、この縁起があった。これこそ、リンチェンドルジェ・リンポチェが開示して、弟子達に死亡の過程を知らせる事が出来るとの表れである。

この弟子が累世に全て作った悪業はちょっと年沖にあって、元来非時死亡になるが、事件が起こった時懺悔する事が分かって、それにリンチェンドルジェ・リンポチェの様子を覚えているので、命が救われて来た。また彼が前に撮影組の労働奉仕で、何時も近距離でリンチェンドルジェ・リンポチェを撮影したのでリンチェンドルジェ・リンポチェの容貌がとても覚えておいた。彼の命を助けたのは彼に子供を生ませて、昇格して良い日を暮らさせるのではなく、彼に十分の福報を蓄積する時間を与えて、以後浄土へ往生させ出来るのである。

医学には何故人が暗いに恐れるかとの解釈がない。例え暗いに恐れるのが心理障害であれば、どうして皆が全部同じだろうか?密法の中に解釈がある。ニンマを修習する者は閉黒関を聞いた事があるべきで、実はこれと関係がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは1人の前二ンマを勉強した弟子に聞いた事があるかと聞いて、また前の上師は解釈したか?この弟子は聞いたと答えたが、前の上師が何故閉黒関をするか教えなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:二ンマの黒関は弟子達に黒成就心を経歴させて、死亡する時にはじめてこの関を渡すことが出来る。しかし直貢噶舉の修行方式は閉黒関する必要がなく、直貢噶舉のポワ法の修行する過程の中に直接死亡の過程を経歴して、修め得た者は一番恐ろしい死亡さえも経歴したのにまた何か恐れる事があるか?

全ての人は息を止める後、黒色の穴を見る。医学に於いても例がある。死に瀕した経験の患者は言ったが、自分は黒い穴を通した後光を見た。黒色の穴は我々の体調に関わる。我々は生々世々に何回目死んだから、今世は決して第一世ではない。医学では長年の記録があって既に証明したが、多くの人は前世の事を覚えた。彼達は死亡した時、皆黒穴を通した。ある医師弟子も証明したが、アメリカも多くの文献記載がある。ある者は今まで行ったことが無い所に着くと、非常に熟知している。此れは全て前世の記憶だ。

仏法に於いて中陰身を詳しくはっきりに説明した。人は死亡する時、目の前にある黒穴を見えて、この黒穴に入って通すと、光があって、中陰身に入る。その時、とても楽と感じて、どんな煩悩でも無くなるらしい。実は光に入ると、真の死亡である。続いて七日ごとそなたと縁がある本尊が迎えに来る。他の外道は天使が迎えに来た。七七四十九日まで毎回異なる本尊が迎えに来る。しかし、若しこの人は生前に修行しなくて、本尊を知らないなら、彼は恐がって、本尊に従う勇気が無い。それは本尊は現れる時、とても強い光がある。亡者は中陰の状態にいてこの強い光を恐がって黒い場所に隠す。一旦隠すとその中陰身は始めて眠って、次の七に再び目覚めて、第四十九日後まで迎えに来る本尊がいない。その時始めて彼は累世で行った業力に影響されて六道の中に輪廻する。

この事に関して、リンチェンドルジェ・リンポチェは経験があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて顕教に皈依する当日の夜、明け方頃にある夢を見た。自分がある寺の大殿に入って、扉を開くと、中に釈迦牟尼仏がいて、大殿から極めて強い光を発した。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めの反応は少し怖ろしいと感じて、後ろに一歩後退した。続いて顕教の皈依師父がリンチェンドルジェ・リンポチェに言って、恐がらないで大殿に入りなさいと聞かれた。リンチェンドルジェ・リンポチェはその時に大殿に入った。続いての夢は詳しく説明しない。それはリンチェンドルジェ・リンポチェの事なので、そなた達と関わらない。

なぜ本尊を恐がるだろう。それは本尊は極めて強い光があるから。例えば、ある乞食は金持ちが目の前に立つのを見ると恐がって、金持ちに近づく勇気が無い。そなた達は乞食だと言えないが、唯の比喩だ。言い換えると、そなた達は嘗て仕事していたが、社長に突然に呼ばれると、そなた達は必ず慎重で恐れと感じた。少なくとも思わず一歩を後退して、社長は何のために社員を呼んだのを推測して、尚更に一歩後退した。それはレベルが違うから、怖れを感じた。

他の宗教について、例えばカトリック教或いはキリスト教は唯主を信じれば、死んだ後天使が彼達を天宮へ迎えに来る言われた。しかし、前提は十戒を守らなければならない。実は十戒は仏法の十善法ととても似ている。だから、十戒或いは十善法を守る人は善の人なので、死んだ後善の所に行く機会が有る。しかし、若し十戒を守らないなら、どうなるか。嘗てカトリック教徒の弟子が二人とも報告したが、十戒は確かに十善法と似ている。ある一回に神父から聞いて、主を信じれば天国へ行ける。当時この弟子は若し十戒を守らなくても行けるかと聞いたが、神父は黙っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を聞くと、始めて十戒を守らないなら、天国へ行けない事を分かった。

仏法は皆に十善法を教えた。この標準を行えば、仏はそなたをいい所に連れた。しかし、仏法の観念はそなたに行うのを教えた。何を行えば何を得た。ほぼの人は往生後八時間以内、神識或いはそなた達が言われた魂はまだ体に残っている。大福報がない限り、死んだ後すぐ天国や浄土に行ける。或いは大悪を行った人はすぐ地獄に堕ちた。そうしないと、往生した後8時間、あるのは12時間に経っても神識は相変わらず肉体の中に残っている。人は始めて死亡して約1時間後、全身は硬くなった。しかし、ポワ法を得た後、とても柔らかくなる。それは彼達は始めて死亡する時、とても緊張して怖ろしいと感じたから。人は緊張して怖ろしいと感じると全身は硬くなる。しかし、ポワ法を得て済度された後、浄土に行くと人よりいいと分かったから、リラックスして柔らかくなった。

更に何故人は死んだ後口が多く開いただろう。それは彼はまだ自分が間もなく死ぬ事を分からず、引き続きに呼吸したいが、続いて呼吸できないから、口が多く開いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て新聞でインドのマザー・テレサが死んだ後の写真を見た。第一枚は亡くなったばかり、口がとても大きく開いた。第二枚の写真の中に始めて見たが、彼女の頭を白い布で縛られて、彼女の口に閉めさせた。若し真に仏法を学ぶ人は往生する時口が大きく開かない。そなた達もこの例を多く見た事がある。

人の寿命は決められないが、福報の現れである。昔嘗て多くの占い師はリンチェンドルジェ・リンポチェを占いをした。彼達は皆45歳まで占いをしなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて自分が45歳になると、引退できて幸せできると思った。その後45歳の時皮膚癌に罹ると、始めて元々自分が45歳までしか生きられない事を分かった。始めて皮膚癌に罹る時、ある医師弟子はとても関心して心配した。引き続きにリンチェンドルジェ・リンポチェを勧めて、医師に診察されて欲しい。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場でこの医師弟子に当時の状況を聞いた。この弟子は以下で報告した。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時おでこの左側に黒色の腫瘍があって、その後拡大して色が変わった。此れは黒色素皮膚癌であり、皮膚癌の中に最も悪性の一つだ。嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェを勧めて、医師に診療されて、手術を受ける或いは他の治療方式を受けたほうがいいが、リンチェンドルジェ・リンポチェは当時医師に診察されなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェも直貢チェツァン法王に知らせなくて、仏菩薩に求めなかった。唯不断に修行して、最後2007年にラプチ雪山に三ヶ月間閉関修行した時まであの皮膚癌のかさぶたが取れて、皮膚癌は完全に治った。現在も既に65歳になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは45歳に皮膚癌に罹って、閉関修行するまで始めて問題を真に解決して、その間にかなり長い時間に経った。皆は自分の問題を一気に解決できると望むわけではないだろう。

リンチェンドルジェ・リンポチェは1995年から始めて多くの人を助けて、他人の寿命を話すと、ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェが言った時間まで生きたが、ある者は当たらなかった。此れは全てこの人たちが行った事に従って変化があるから。

仏経に説かれたが、我々は人として体が地風水火という四大の結びである。骨と肉は地であり、風は気であり、水は体内の液体で内分泌を含めた。火はエナジーである。若しこの四大はバランスを失うと、病気に罹る。例えば、地は大幅に減少するとき、体は病気になった。若し引き続きに減少すれば、他の三大に影響される。最後は死亡になる。そなた達は病院で嘗て有る年寄りはとても暑いと言われて、クーラーはとても強く開いても、服は下着しか着なくても、扇風機を開いても相変わらず熱いと言われた。或いは引き続きに寒いと言われて、布団を何層被っても十分ではない。この現象は火大は始めて分解した。ある人は引き続きに枕を追加して頭に高くさせて、何個を追加しても足りないと感じた。尚更に全ての病床を高くさせても高いではないと文句した。此れは彼が言えないが、唯頭が引き続きに沈んでいると感じた。実は此れは地大の分解である。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場の人に聞いて、嘗て家族がこのような経験を持った。現場に多くの弟子は手を上げて確かにあると返事した。

死亡する時、地大の分解は頭がとても重いと感じた。火大の分解は寒くなったり、熱くなったりと感じた。水大の分解は水を飲むや水を飲まない。或いは排尿出来ない。ある者は尚更に利尿剤で排尿する。利尿剤を多く使えば、他の器官に影響される。気大の分解になると、間もなく死亡する。そなた達は常に人に三長二短と聞かれたが、なぜなら皆を教えて、真言を唱える時必ず少なくとも三回を唱えるだろう。それは人が死んで息を止める前の呼吸は短気が二口続いて一口の長気した後死んだ。

人は死ぬ前から始めて四大分解する。ある者は死亡前の一年から始まった。ある者は四大分解は数ヶ月にかかる。有るのは二三日、ある者はとても短くて、午前中までかかる。修行している人は一秒で解決できる。時間は未定なので、この人の福報によって決まる。例えばポワ法を修める人は一瞬に分解完了できる。四つのエナジーは分解すると、肉体は無駄になる。エナジーがナイト活動を起せるだろうか。仏法はとても簡単に要点で人の体は如何なる生じて、四大因縁が肉体を結んで、徐々に消耗した後肉体が消える。死亡は未定だが、つまり福報はいつか使い済みを分からない。昔儲けた金、所謂福報である。此の世に使って、使い済みなら無くなった。若し福報がないと、死んだ時にとても苦しい。福報があれば、四大分解の時苦しくない。修行しない人はこの間に医師を探して治療を受けて、多くの医療の苦しみを受けているが、とても苦しい。

人の心臓が止るなら、人は死んだと現れる。しかし、何故心臓は引き続きに動いているだろう。医学はそなたに答えを教えられない。仏法は我々に知らせて、心臓は過去世に修める福報である。心臓が悪くと、つまり福報が足りない。多くの人は生活が正常なのに、心筋梗塞で亡くなる。つまり福報が無くなった。先日スポーツ選手は心筋梗塞で亡くなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に65歳とは言え、心臓の機能も相変わらずいい。心拍数は約一分間に62回だ。

死亡無常なのである者は早めに自分の命を終えたいと思った。この考えはあるべきではない。顕教の観点から見ると、我々の体は両親が与えたから、体を壊すなら不孝だ。不孝な人は如何なる仏法を学べるだろう。密法に体は文武百尊の壇城であると考えた。それは我々の体は衆生が集まって生じたから、仏法は全ての衆生が未来仏であると思って、そなたは何を行っても体内の衆生はいつもそなたと一緒にいる。だから体は文武百尊の壇城である。そなたは若し自殺すれば、彼達の壇城を壊すから、非常に大変だ。ある病気に罹る人は早めに解脱して、他人の足手まといになると思ったが、此れは実は自殺の考えだ。実は足手まといという事がない。そなた達は二人が一緒にいれば、そなたは彼に借りがないと、彼はそなたに借りがある。ある者は発願して早めに離れると言ったが、若し衆生のためではないといけない。そうすれば仏菩薩を求めて、早めにそなたに浄土に行って修行してから、また戻って衆生を利益する。菩薩のようにいける。

ポワ法を得て済度された人は元々開けた口は自動に閉まった。しかし、人は死ぬと口が如何なる閉まるだろう。医学に於いて人は何故死んだ後死斑があるのを説明しない。亡者は亡くなった1時間後死斑が現れる。医師は血液の堆積と言われたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは以下で開示された。実はそれはそなたに食べられて殺された衆生はそなたの体にいて、そなたと一緒に三悪道に行く。若しリンチェンドルジェ・リンポチェの修法を得て済度された後、死斑は消えた。それは亡者の体内にいる衆生は亡者と一緒に済度されたから。

腹水は如何なる起しただろう。西洋医学も精確に解釈できない。リンチェンドルジェ・リンポチェは次の通りに開示された。それは実は食べた肉だ。ある患者は腹水あgあるが、どんな病気に罹っても腹水がある人は死んだ後必ず三悪道に堕ちる。それは腹水がそなたの腹部に押さえて、そなたに死ぬ時気脈が上げられず下に歩くしかない。そうすると三悪道に行った。死んだ後、腹水は排出する。現場にいる看護婦弟子は確かに嘗てこのような状況を見た。ただし、リンチェンドルジェ・リンポチェに加持された亡者は腹水が消えて、体外に排出するわけではないが、冤親債主はリンチェンドルジェ・リンポチェに加持されて離れたから。

そなた達も見たが、あの病気に罹って危篤な人は亡くなる前に手が彼方此方に振っている。それは彼が既に亡くなった親族を見て、自分を連れて行く。彼は彼達が現れたのは自分を連れて行くのを分かったから、彼達を追い払いたいから、手が引き続きに振っている。医師は彼達が医療拒否と勘違いして、患者に手を振らせなくて、しっかりに治療を受けるように患者の両手を縛った。病床に縛られたのはとてもかわい事なので、実は彼達は真に亡くなった家族を見て彼を連れて行く。

また、ある者は亡くなる前に強心剤を注射された。強心剤を注射された人は亡くなった後、リンチェンドルジェ・リンポチェの済度を得る時、必ずリンチェンドルジェ・リンポチェに言って、自分の心がとても痛い。亡者に対して、強心剤を注射されたのは彼達に生死の事に尚更に執着させて、大きい助けが無い。そなた達も発見したが、応急手当を多く受けた人は死ぬ時顔色が悪い。それは彼はそなた達が自分を助けると思って、執着して死にたい心は尚更に強い。仏を学ぶのは何故死亡無常を教えるだろう。そなたは自分を助ける人に対して、感謝の心がないと、地獄に堕ちる。死んだ後顔は歪んで眉も緩めない。それは執着の心は自分をしっかりに捉まって死んだ後三悪道に堕ちる。勿論そなた達も強心剤を注射されて助けて、また十年や二十年頃生きられる事もあると聞かれた。しかし、一概に論じない。若し年寄りなら、体が全ての器官は既に使えないと強心剤を注射すれば、彼に尚更に苦しんだだけ。

ガムポパ大師が申された:「こんな思択によって、我らは自分で見当たるべき:『我は必ず死に、また時間が不定で、我は死になる時、出来る者が無い。そうであれば、我はなぜまだ善行を置いたままで、散漫で日を暮らす時間があるか?それより我は時間を掴んで学修するべきだろう。』我らはこのように考えべきだ、『この一生には一切全部実義がない』との淡薄な考え方で、心の底の深いところより、切迫で仏を学んで修法する。」

自分が是非死になり、それに時間が決まらなくて、死ぬとき何も連れて行けない。この一生にそなたにはどの良い名誉、多くの財産、高い学問があっても一つも持ち行けない。だからまだ何か驕りがあるだろう?まだ何かあなたがいないといけないのがあるか?ない!世界が相変わらず回っている。誰でも死ぬ時は全部同じで、必ず四大分解を経て、どの宗教を信じても全部同じだ。一切有情衆生であれば、全てこの四大分解を通じて、畜生道も含んで同じだ。

この一生に全て発生した事は全部因縁、因果で、過去世に全て作った因で、今世に得た果で、永遠に自分に属するものはない。過去世に全て作った縁で、今世の業が生まれて、善と悪を問わない。業は1つのエネルギーで、この一生がはじめて暮らすことが出来る。それより有ると失うことはポイントではない。仏を勉強するには一番重要のは死亡を学ぶのであり、そなたに良い日を暮らさせるのではなく、そなたに後代を有らせるのでもない。リンチェンドルジェ・リンポチェの児女が結婚するかどうか、後代があるかどうか、リンチェンドルジェ・リンポチェが全部関係ないと思った。例え、後代がないならば、今後彼らを済度しに来る迷惑を掛からない。

昨日1人信者が骨癌のためリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を求めに来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に仕様がなく、もう遅いと仰った。この信者は3年前からリンチェンドルジェ・リンポチェの主催の「阿弥陀仏無遮大超度法会」に参加し始めた。そなた達が知っていて、リンチェンドルジェ・リンポチェが大法会の中に何時も皆に菜食すると勧めたが、この信者は菜食をせずに、現在骨癌にかかって、またリンチェンドルジェ・リンポチェを脅して強要した。家族のお世話をする必要で、責任がまだあって死ぬ事が出来ないと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは問い返した。リンチェンドルジェ・リンポチェは老母、児女があり、また百名あまり従業員、千二百名あまり皈依弟子があって誰が割合に忙しいか?信者が答えた:リンチェンドルジェ・リンポチェの方は比較的に忙しい!そうであれば、リンチェンドルジェ・リンポチェは死ぬ事になるのに、そなた達は何の根拠で死なないか?リンチェンドルジェ・リンポチェも何時も冗談して、自分が明日まだいるかどうか分からない。リンチェンドルジェ・リンポチェが開示された:世界中には2つの仕事が一番危ない、1つは上師、もう1つは医者で、全部何時も人様に脅迫、恐喝される。医者弟子も表示した。患者がお医者に必ず彼を治すと言うことを良く聞いた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは何時も申されて、自分が何時か死になり、またこの信者に、彼と話して1分間後リンチェンドルジェ・リンポチェが死ぬかもしれないと仰った。我らは死亡無常が必ず発生するのを受け取るとはじめて執着を起こさない。他人がそなたに対して悪い事にも執着せずに人間関係も良くになった。そなたが毎日が無常と死亡を観修すれば、他人の話はそなたを非難するか?彼の話はそなたを刺すとやはり思うか?

数年前、1人SARSに感染されてリンチェンドルジェ・リンポチェに救われた弟子がもともと死ぬものなのに、かえってお金をもうける事に執着して、全てのお金を投資して全部損した。すでに死ぬもの、なぜあんなにお金に貪欲するか?お金を蓄積してお嫁さんをもらうのでもなく、まさか金の棺を買うか?金の棺が焼く事が出来なくて、屍体が火葬する事が出来ない。

寶吉祥仏法センターはとても厳しい道場で、リンチェンドルジェ・リンポチェは正法を広げる。今日何のため仏を勉強するか?死亡無常のため学びに来るのは正法で、お体が健康して良い日を暮らすため仏を学べば正法ではない。当時、リンチェンドルジェ・リンポチェの先父が亡くなる事がリンチェンドルジェ・リンポチェに大変な影響を与えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはあの頃唯17才で、連絡を取って急いで病院に着いたら既に2時間を過ぎた。自分の目で見た、先父が元々開いたまま両眼はリンチェンドルジェ・リンポチェの声を聞いた後いくつか粒の涙を流れた後はじめて瞑った。人が死んだ後なぜまた涙が流せるか、あの時は昼間で、リンチェンドルジェ・リンポチェが見間違ったとはありえない。これより、人が往生した後、意識がまだ自分の肉体に存在している。また見た、そなたが生前どんなに立派になっても死んだ後死んだ豚のように側に捨てられた。大体より腐ったにおいが出て印象が大変深刻だった。先父は亡くなった事はリンチェンドルジェ・リンポチェに考え始めさせた、人様が死んだ後どこかへ行くか?死亡は人生の中に非常に大切な課題と感じた。

民間には、ある習慣は人が死んだ後、一部の者が杯筊(ポエ)を放り投げて、これらは全部偽りだ。ある時関白な鬼が通って彼の力は亡者のより大きくて、勝手にそなたの杯筊(ポエ)をちょっと弄って、そなたがまた真と思った。

人が何故死んだら天へ上るか?仏は実は人が最初光音天からこの地球に降りて来たと説かれた。それである宗教或いは古代の者は死んだ後天に帰ると思った。実はそれが我らの祖宗が光音天より来たから。全ての宗教は我らを天或いは天庭に帰らせて、只仏法がこのように仰らない。天さえも層次に分けてある。天道まで修め得ると、欲界天、色界天と無色界天とわけて、玉皇大帝も欲界天に居る。男女欲を断つ者は色界天ひいては無色界天まで修め得る事が出来て、生前男女欲を断たなければ多くとも欲界天まで修め得る。カトリック教は男女欲を断って修めて、人群れを離れて山の上で修めるのもそうである。色界天まで修めえるのは欲界天の境界より一層高くなり、無色界天はまた色界天よりもっと一層高くて、無色界天は禅定の良く修めて者が行くのである。

ガムポパ大師が申された:「我等は既に純真な正法を修めれば、我等は身心が相続する中に「死亡無常」こんな体験感覚を生じるのもやむを得ない。分かるべきで、この一生は本当に無常だ。既に生があり、死なない事が出来ない、それで我等ははどうしても全部『是非死ぬことには疑いがない。』のである。」

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示された、「真」とはそなたが全て修めるのは全部生死より離脱するためで、衆生の欲望に合わせるため説いた仏法ではない。「純」とは外の宗教を言わないのではなく、今日リンチェンドルジェ・リンポチェがカトリック教などを話して不純になったか?実は「純」とは全く仏陀教法の観念で、外の価値観をその中に混じらない。そなた達の価値観は全部自己の利益で、純真な正法は衆生に利益する事が出来るのである。仏が全て説いたのは全部人の未来世のため、釈迦牟尼仏は49年間で法を説いて、一切の有情の衆生に生死より離脱するのを教導するのである。

既に生があり、死なない事が出来ない、それで我等ははどうしても全部『是非死ぬことには疑いがない。』。人はなぜ死になるか?医学により病気にかかったから。そうしてなぜ器官が病気にかかったのに、心臓が止まったか?呼吸が断つか?医学も我らに原因を教える事が出来ない。人は必ず死ぬ、生老病死は人生必ず経る苦しみである。例え病の苦しみがなければ、将来きっと年を取る事になり、年を取ると老の苦しみがある。まるでリンチェンドルジェ・リンポチェの母親が既に九十歳になり、現在老の苦しみに向かっている。生活の方はまだ自分が出来るが動作の方は若い時と比べたら既に大変緩慢で、起きて座りもとても遅い。そなた達も見える、寶吉祥道場の中にある年寄り達も老の苦しみに向かって、動作もとても遅くて、彼らもこうになりたくないが仕様が無い。そなたが年を取った時、福報がずっと降りて、健康もずっと降りて、我等は毎日全部福報を減損する日を暮らしている。皆は全部100才まで生きたい、しかし老の苦しみを見るとそなたも生きたくなくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェは数日前テレビの番組で1人リンチェンドルジェ・リンポチェと同じ年の日本人を見た、あの人の様子が既に人を嚇かすくらい老いだった。

現在世であれば過去世が必ずあり、未来世がはじめて有り、そうでなければこの一生が無駄に来た。過去世が全て作ったのはこの一生を影響した。今世に全て作ったのは未来世を影響する。例えお互いに影響しなければ、悪行をする者が絶えずに悪行して、我らもずっと善行する必要がなく、全世界がめちゃくちゃになる。生があるこそ、死があり、死があることまた生がある。そなた達は全部自由自在が欲しいと言った。人には自由が無い、生々世々には業の牽引を受けて動く事が出来ない。

我等は輪廻を断つ事が出来るとはじめて生死のことを止まって、更に自分に支配出来させる。生死自在とはそなたが既に生死より離脱出来るまで修め得て、自分が何時か行くのを知ってまた決める事が出来て、それにどこへ行くかのも知ってそれに決める事もできる。菩薩の自在とは気持ちが大変愉快ではなく、彼が生まれる時願力によって苦しみが無くて、縁が尽くすと彼が行ってしまった。死亡さえ既に支配できる者は世間の他の一切ものに対して恐れるものがまだあるか?自然に大変自在と感じた。心の中に生死輪廻に対して自在するこそ本当に離脱するのである。

ガムポパ大師が仰った:「同時にも覚えておき、我らの命は確定の量度がない。現在死亡に遇って、或いは未来の何時かに亡くなり、全部が決まらない。それで「死時不定」だ。もう1つ見方を言うと、お体は(四大仮合の産物)割りやすくて不実で、これより、これも「死時不定」が起きられた要素の1つである。

我等は必ず死ぬ、何時か死ぬか、誰も知らない。人の命は決まる量度がない、即ち「死時不定」である。リンチェンドルジェ・リンポチェは何時も仰った。、ある日自分がもう遊びたくなくなると行ってしまうかも知れない。行ったとは他の世界に行って他の衆生を済度する。人のお体は割りやすくて不実で、交通事故にあって死ぬとは言わず、ちょっとぶつけるとそなたも青くなった。1つ顕微鏡さえも見えないインフルエンザのウィルスがそなたを死なせる。医学により、ウイルスが人の細胞組織の中に入って破壊するのである。しかし医学ではウイルスが骨も、お体も無いのになぜ現れたか解釈することが出来ない。ウイルスには頭が無くて考えも出来なくて、なぜ人の細胞を破壊することが出来る?医学では只暫くに本能で説明して、70%の解釈は全部推測で、1つの確定な回答がもらえない。まるで人は1つの細胞より二つの細胞に分裂して、細胞がまた分裂して最後にこんなに大きい人になった。なぜ細胞が分裂するか?医学では答えがない。

ウィルスはどうして私達に亡くならせるのでしょうか?仏経に記載しているのはウィルスが龍の涎で、また、鬼と魔の大、小便である。龍と鬼と魔がこれを捨てるのは人間に恐怖心を起させて、人間に死なせる。もしある地区の人々は多くの善行を行うならば、流行病が発生しなかった。毎回、人々が癌に罹ってから世界の最後の日だと思っているのでとても苦しむ事を見たら、リンチェンドルジェ・リンポチェは常に悲しいと感じていて、実はインフルエンザは癌により恐怖する。医者弟子も報告して、癌に罹ってから二日、三日間ですぐに死ぬ事を聞いた事が殆どながった。癌に罹る患者はすぐに死ぬ事とは限らなくて、一部の人々が3、5年間ぐらいにかかってから死んで始まって、しかし、インフルエンザに罹る患者が数日間に死ぬ可能である。何故皆はこのように癌を恐れるけれども、インフルエンザを恐れないのでしょうか?癌に罹る患者は病院に就いたら、医者は患者に手術を行ったり、何処で切ったり、或いは化学療法を要する事を言った。インフルエンザであれば、医者の収入はこのように良いのではなくて、手術を行って化学療法を行う事が出来なくて、その上、速めすぎて死ぬ。多くの人々は小さいインフルエンザでベッドの上で横たわって、2、3日目で死ぬ事を考えない。その上、インフルエンザに罹るなら、隔離されて家族と顔を合わせることができなくて、癌に罹るなら、隔離される事が要らなくて、家族もそなたを抱くことができて世話する事が出来る。癌は本当にこの世界の中に最も恐ろしくない病気である。

数年前、SARSが流行っている期間、多くの団体は、一切の活動を停止して、彼らは信者の健康の安全為に信者に接触しない事を言った。ただ寶吉祥仏法センターの法会は依然として開催し、リンチェンドルジェ・リンポチェは台北の各地で法会を続けて行って、絶えずに修法して、仏法を消えてなくならせないで、最後、この流行病を消えて無くならせた。SARSも復讐しに来て、人々に恐れが起きさせて、人間と人間の間の関係と信頼感もあわせて消えてなくなった。そなたは病気で死ぬ事が無いでも、そなたが恐れの心が起きたため、これから、身体も自ずから悪くなった。

腸内ウイルスにて例を挙げて、肉食する子供は腸内ウイルスに感染しやすくて、医学には既に説明させて、肉を食べて体の中に毒素があるので確率が高さがある。あれらの「胎裏素(胎児から菜食する人間)」、或いは、生まれてから菜食する子供は腸内ウイルスにかかる確率がちょっと低くて、腸内ウイルスに罹っても、このゆえに死ぬ事が無い。仏は我々に菜食する事を教導し、衆生を傷つけない以外、私達の為に良いのである。お年寄りは孫が肉食をしたくて、菜食したら栄養がない事を再び言ってはいけなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは常に皆に開示して、病気を道の為に使える事が変わる。そなた達は病気に罹っている時に、自分が過去世でした悪の因なのに貰える因果応報を受けなければならない。癌に罹るので全部の家族にそなたを譲歩させることが出来なくて、一人で全部の家族の生活を影響させる事が出来ない。癌はインフルエンザのような恐ろしくないで、しかし、そなたは癌に罹ったら、全ての人々がそなたに同情して、なぜそなたはインフルエンザに罹ってすぐに死ぬ人間を同情しないのでしょうか?人間は幻の世界で生きている。仏陀は開示した事があって、すべての人々が正しいと言ったら、そなたが智慧により見るべきで、これが正しさが錯誤があるかどうか。全ての人々はこれが錯誤と言ったら、そなたは智慧により見るべきで、この錯誤が正しいかどうか。智慧とは因果応報の方式にて見て、価値観により見るのではない。

全ての宗教は全て病気を治されて、カトリック教も病気お治すことが出来で、聖母マリアも病気を治すことが出来で、神父は『バラ経』をよく唱えるなら、戒律をうまく守るなら、病気を治す事も出来る。然し、仏経はただ病気を治す事ではない。仏法と他の宗教と同じように、我々に善行を行う事を教えてくれて、異なるのはただ仏法だけで我々に生死苦海を解脱する事が出来で、他の宗教が皆に生死を解脱する能力が無かった。

今日また旧正月期間だが、リンチェンドルジェ・リンポチェが死亡無常を開示するのは皆に不運を望まなかった。仏を学ぶ事が最も重要なのは心構えの変わりである。もし心は調整する事が出来るなら、その上、少しの儀軌を加えて、そなたの人生に対してとても大きな転換に発生する事が出来る。もし心は直す事が出来ないなら、例え多くのお経を唱えても、多くの仏に礼拝しても、多くの儀軌をしても、役に立たない。おおくの人々は皈依してからリンチェンドルジェ・リンポチェに「どんな授業をするほうが良い」を急いで尋ねた。そなたが死亡無常の心構えを改正する事とはそなたの宿題である。心構えが正しいなら、そなたが100万回の真言を唱えるにより役に立つ。今日、一年の初めので、仏法の開示を聞き入れられるならば、今年がとても良い事である。仏がこの世に来る事とはただ一つ為に、一切の衆生に生死を解脱する事を助けて、そなたは輪廻を解脱する事を求められるなら、仏菩薩がとても喜んで、何故なら、これは仏菩薩の願力である。

いかなる物事は永遠で変わらない事が無い。リンチェンドルジェ・リンポチェは去年に今年がとても寒い事を予言した事があって、が、多くの人々がすべて信じないで、地球が暖化になるので、特別な寒くなる事が不可能である。何故リンチェンドルジェ・リンポチェが予言する事が出来るのでしょうか?これはリンチェンドルジェ・リンポチェは無常を信じているわけである。輪廻苦海にいたら一切が変わられて、無常を受けないなら、多くの苦しみを表す。変わらない事が無いで、病気の苦しみを執着したら貪念があって、因果応報を信じていない心により一切の仏法を懐疑するならば、我々に病気に罹らせる。受けるなばら、お年寄りの苦しみを感じていないで、病気に罹っても病気の苦しみを感じていないで、自分の未来を掌握することができる。なぜそなた達に布施させるのでしょうか?上師と仏菩薩はそなた達のお金を要するのではなくて、そなたは利己的な考えが放棄することが出来るならば、徹底な放棄することが出来る。リンチェンドルジェ・リンポチェが皮膚癌の応報を受けるのように、皮膚癌で作られる苦しみがないけれども、重い応報を軽くて受けて、しかし、果報が消してしまう事が有り得なくて、リンチェンドルジェ・リンポチェに破産させて、お金がないので食べられないで、婚姻が失敗するなど他の形態で現れに来た。

ガンポバ大師は下記のように開示された。「その上、死亡を引き起こす可能の因縁は多いのを知らなければならない。例えば、食べ物は我々の身体に養成させる事が出来で、しかし、一部の人々がそれにのどが詰まられて、死亡の原因になる。衣服と布団でしょうか?本来我々の身体に保養させる事が出来るけれども、一部の人々がそれを閉じこもって、死亡の原因に引きこして、様々なこのような、全て例を挙げることが出来ない。が、全てのこれらの我々身体に養成させる『順調な縁』でも、特定な時期には、死亡の原因になる事が出来るなら、それでは、ほかの類似の事が、例えば急に相手で頓死して、或いは水の中に死んで(純粋なな逆縁)で、言う事が言うまでも無い。これにより、我々に死亡させる因縁は確かに多くて、だから、これも『死亡の時期が不定になる』の原因の中の一つのである。」

食べるとは我々の身体を養うことが出来で、しかし、食べ物なのにのどが詰まって、或いは毒されて死んで、こうなると、我々はまた食べるのでしょうか?布団をかぶせて、衣服を着て、我々に暖かいことができて、しかし、そなた達も赤ん坊が布団に閉じこもることに死なれる事を聞いた事があって、こうなると、我々が布団をかぶせるのでしょうか?すべての我々に保護する順縁でも、特定な時期に死亡の原因になって、これも死亡の時期が不定になる原因の一つである。

インドに蓍那教という宗教がある。信者たちは菜食し、彼らは全て脱いで服を着ないので、その宗教が今まで全てまた存在し、多くの信者がある。出家する時に、かみそりで髪の毛を剃るのではなくて、上師に1本1本で全部の髪を抜かされるのである。

ガンポバ大師は下記のように開示した。「既に『死ぬ時が定まらない』なら、それでは、死ぬ前に来たら、如何なる我々に助ける人間があるのでしょうか?いいえ。絶対に無いです。死ぬ前に如何なる事物が我々に助ける事がない事を絶対に覚えなければならない。自分は大変な蓄積の財宝が何か助けがないで、お金持ちの巨万の富が黒面閻魔に騙されないで、死ぬ前に、彼も仕方が無いでこれらの捨てなければならない、そして、何も持たないで独りぼっちで去る。多くの親戚、眷属が側に周っても、懇ろに私達を世話しても、死亡の時期が来る一瞬、彼らが何も助ける事が出来なくて、逆に、我々に危害を増えていて、それでは、自分のこの身体が命根を持っていて、死亡のときに我々に何か助ける事があるのでしょうか?身体はただ四大假合の物で、何も覚知が無いで、だから、死ぬ時に何も助けが無い。上記の原因により、我々は死亡の時期が来る前に、例え身体などで、全てのこれらの物で、どんな物でも何も役に立たない。」

リンチェンドルジェ・リンポチェは当年に皮膚癌に罹っていた時に、直貢チェツァン法王に自分を救う事を求めないで、その上、直貢チェツァン法王にこの事件を知らせなかった。上師に自分の為に修法してくれるのではなくて、上師に心配させたくなかった。自分はとても微かで、上師に微かな自分に心配られて、多く力を使う事を望まなかった。

皆はいま身体が健康のうちに、出来るだけ早く死亡に直面する事を学んで、死亡の為に準備しておくのは最も重要な課題である。これは悲観的な考えではなくて、死亡が逃れることができないのである。死亡の過程はそなた達が想像するとても複雑ではなくて、複雑なのはそなたの考え方である。そなたは死ぬ時に、如何なる人間、如何なる事物がそなたに助ける事が無いで、ただ自分の一人で孤独な直面する。息が絶える時、たとえ周囲のたくさんの医者、たくさんの家族がめぐりますとしても、誰でもそなたに手伝う事が出来なかった。眷族はそなたの身の回りに泣くとはそなたが福報があるのではなくて、逆に、そなたに執着させて、そなたに更に苦しませる。そなたは死亡の時期が不定になる事がはっきり分かると、本当の仏法を了解すると、死亡の方向を知って始まって、未来世の福報を少し生じる。そなたは息が絶える時、ただ上師と仏菩薩がそなたに依頼させられる。上師と仏菩薩の教導により、この人生が必ずへる過程と存在の事実をはっきり直面する事が出来で、逃れる事が出来なかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような仏法を広める方式がとても大変で、第一、そなた達のこのような多く弟子の行為を随時に注意しなければならなくて、そなた達が錯誤を犯してもまだ分からないことを心配する。第二、供養もとても少なくて、なぜならば、信じていない人が再び来る事がない。第三、このように多くて説いて、このように多くて勧めても、そなた達は依然として聞き入れなかった。本当に受けられる人間が少ない。寶吉祥仏法センターは出世仏法を教えて、生死を離れる仏法を教えて、リンチェンドルジェ・リンポチェは毎日に皆が間違いを犯すかどうかを見るので、とても大変苦労する。

ある長年で出家した弟子は下記のように報告した。嘗て『菩提道次第広論』を学んでいた時に、上師は死亡無常を説いた事があるけれども、リンチェンドルジェ・リンポチェがこのような微妙な開示する事が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は、他の上師がこのようにしたくないのではなくて、彼は死亡を経る経験がないので、言いたいでも言えなかった。人生はとても奇妙で、我々の過去世、この世に生きているために、子供から大人になるまで幾らを学ぶ事を計算出来なくて、多すぎる学ぶので、これらの学んだ物をそなたにいっぱいに詰め込んで、そなたに他の物を入られなくて、自分が輪廻するべきでない事を忘れてしまった。だから、死亡が表す時に、如何に対応する事が知らなかった。禅を学んで、顕を学んで、密を学んで、全て死亡のためである。

ガンポバ大師の開示は「本当の実修者にとって、彼はこの世の一切が暫く計画しないはずで、全て忘れて、そして、ある資格を備える上師に依止してくる」である。

リンチェンドルジェ・リンポチェは再度皆に気付かせて、仏法がそなたの仕事を影響しないで、そなたの生活も影響しなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆と同じように家庭があって、事業があって、仏を学ぶ事が日常生活を影響させない。仏が我々にこれらの事を教えるのは仏教が多くの弟子が要らなくて、却って、仏が人生の苦しみを見て、我々にこれらの絶対に発生する事を教える。歴史に記載されているのは仏教が小さい論争があったけれども、相手に仏法を信じられるのに大きな戦争を引きこした事が無い。なぜならば、仏法が思っているのはそなたがいま私を信じていでも、以降に信じてない可能があり、そして仏法は衆生の縁に従うのである。

仏法は皆の心に対応するので、心構えが調整する事が出来るなら役に立って、そなたは死亡を受けるならば、人生のほかの事がそなたに障碍しない。事件を発生しても、これが過程を知っていて、絶対に経ることが分かって、そなた達が言う「化解」ではなくて、このようにそなたが執着して苦しむ事を有り得ない。人間の一生は弁済しにきたので、苦しみが多くて楽しみが少ない。人間の一切はどのぐらい苦しみがあっても、そなたが息が絶えた後で8時間で、一部の人々が12時間、自分の未来に何処に生まれる事を分からない苦しみが無かった。六道の輪廻がとても苦しんで、リンチェンドルジェ・リンポチェは2007年にラチ雪山に閉関していた時に、自ら六道輪廻の苦しみを見て、苦しむ程度を言えなかった。多くの医者は多くの死体を見た事があって、一部の修行者が死亡を知っているけれども、自らの経歴がないなら、死亡が来る時に、依然として恐れて狼狽する。

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2012 年 03 月 01 日 更新