尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2012年1月1日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都寶吉祥仏法センターにて、自ら1セットの貴重な《龍蔵経》を開封して壇城の上で陳列して、しかも真言を唱えて加持された。その《龍蔵経》は合計で12カ大きな箱で、108函で、一冊ごとに全て貴重な紙を使用して印刷され、しかも重々しくて綺麗な包装表紙で保護して、その故、1つずつの函はとても重い。

午後1時30分、前日の法会の後で晩餐会の時に抽選された30数人の弟子は京都寶吉祥仏法センターに着いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは2時に仏法センターに到着して、すぐ男性の弟子が《龍蔵経》特製の本箱を壇城の左、右法座の後方に置くことを指示して、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら《龍蔵経》の紙箱を1箱ずつ開けて、そして包装が完備されている経書を1冊ごとに紙箱の中から取り出してはずして、更に4人の結婚していない男性の弟子が順番にきわめて貴重な経書を専用の本棚の中に並ぶことを指定した。箱を開けて、本を取って、包装を外す動作はたいへん体力を消費するが、リンチェンドルジェ・リンポチェがいとま請いをせず苦労して、30分を上回って自らすべてのプログラムを完成して、しかも過程に表情が荘厳で集中して、同時に現場に居合わせる寶吉祥弟子がその過程に六字大明呪を唱えるようにしじした。固定な位置付けを配列して置いた後に、そして自ら《龍蔵経》を灑浄して、これはリンチェンドルジェ・リンポチェチベットが寶吉祥仏法センターに収蔵されるこのセットのお経をたいへん重視する事を表す。引き続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは法座に上がって、寶吉祥弟子達に簡単で短くて殊勝な仏法開示を与えた。

今日リンチェンドルジェ・リンポチェが壇城の上に配列した《龍蔵経》は、康煕時代に製作され今まで伝われてきた《龍蔵経》の複製本であり、皆は既にこのように多くの冊が見られるが、実はこれらはただ濃縮したものであり、原版のはもっと多い。そなた達が今日ここに来て、そなた達に福田を植えさせることではない。そなた達にこの事がとても容易に完成することではないのを了解させて、そなた達は多分コピーしたらすぐできると思っているかもしれないが、実はその中に関連する問題がたくさんある。《龍蔵経》が世の中に現れることができるのは尊勝なる直貢チェツァン法王の大願力である。直貢チェツァン法王は2002年に台湾で初めてこの《龍蔵経》を見て、それから、直貢チェツァン法王は2005年に再度台湾に来たる時に、リンチェンドルジェ・リンポチェのアレンジの下で、故宮に行って再びこの《龍蔵経》に会う機会がある。

この《龍蔵経》はきわめて貴重で、全世界の唯一の1セットで、今まで公に展覧したことがなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェはわざわざ直貢チェツァン法王が故宮へこの経典を鑑賞しに行く事をアレンジして、当時の故宮院長の以下官吏はすべて出席し同行し、慎重に《龍蔵経》を保管の金庫の中から取り出して、直貢チェツァン法王のため陳列した。直貢チェツァン法王は《龍蔵経》を鑑賞し終わる後で、とても喜ばしくて、展示室を歩いて出る時、リンチェンドルジェ・リンポチェがデジタルカメラで《龍蔵経》の一ページごとに撮影して、直貢チェツァン法王は1部のコピーを保留させる。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指示に従って関連手配をする時、このことが実はきわめて困難なことを発見して、完成する可能性が低くて、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは依然として積極的に遂行している。

その後直貢チェツァン法王は台湾のトップの者と面会した時、相手は助ける事があるかどうかを聞いた。直貢チェツァン法王はついに《龍蔵経》の複本を印刷して欲しいとおっしゃった。だから、相手は故宮の林副院長を依頼して、協力した。その時副院長はこの件に関して、多くの助けを与えて、とても発心した。リンチェンドルジェ・リンポチェも副院長のため多くの物事を助けた。更にこの副院長は三ヵ月後に院長に昇進すると予言した。また、院長の任内に全ての事は順調に進めている。その後予言の通りに実現した。引退した後も争いは何も発生しなかった。

《龍蔵経》は此の世に現れたのは素晴らしい事である。仏法は住世の時間は尚更に長く続けると代表した。元々リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の願いを叶うため、弟子達にリンチェンドルジェ・リンポチェがこの事について、巨大な財力及び心力を全く知らせないつもりだ。唯現在ある者は《龍蔵経》が順調に出版できたのはリンチェンドルジェ・リンポチェの関係を分かったから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの由来を皆に開示された。

リンチェンドルジェ・リンポチェは開示した時、ある録画を担当する女弟子はビデオカメラを持って録画した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女が専念に開示の内容を聞いて欲しいから、彼女に録画する必要がないと指示された。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続きに《龍蔵経》の事を開示された。当時、故宮の経費は足らないから、この難しい計画を進める事が出来ない。直貢チェツァン法王はドイツの功徳主に2千万台湾ドルを募金したから、《龍蔵経》の複本を印刷する事は始めて順調に進めている。印刷する過程は極めて時間と力がかかって、《龍蔵経》の紙は一枚ごと極めて貴重であり、三百年の歴史がある。経文を全て写真を撮ると二年がかかった。2006年から始めて去年2010年まで全ての複本が完成できた。故宮は数セットの《龍蔵経》の複本を尊勝なる直貢チェツァン法王に送った。直貢チェツァン法王はまた《龍蔵経》の複本をドイツの功徳主に転送した。リンチェンドルジェ・リンポチェは主持する台北寶吉祥仏法センター及び京都寶吉祥仏法センターは今も各《龍蔵経》の複本を一セット持っている。リンチェンドルジェ・リンポチェも尊勝なる直貢チョンツァン法王に《龍蔵経》の複本を一セット送った。直貢チョンツァン法王はとても喜んでいる。

昔直貢噶舉教派の大修行者ユンカ・リンポチェは嘗て開示されたが、リンチェンドルジェ・リンポチェは往生した後、日本道場は引き続きに存在している。しかし、ユンカ・リンポチェは台湾の道場を言わなかった。今リンチェンドルジェ・リンポチェは日本の皈依弟子は余り多くないが、この事から見ると、日本道場は引き続きに発展している。今日尊勝なる直貢チョンツァン法王は自ら選んで、《龍蔵経》を開封する日である。ちょうどリンチェンドルジェ・リンポチェは日本にいて、この因縁があって京都寶吉祥仏法センターで自ら《龍蔵経》を開封した。今日台湾台北寶吉祥仏法センターの《龍蔵経》も同時に開封されるが、リンチェンドルジェ・リンポチェは自ら開封せず、弟子達が行う。

台湾の縁が悪いのは今回京都寶吉祥仏法センターへ法会に参加した台湾弟子達から見られた。昨日リンチェンドルジェ・リンポチェは京都寶吉祥仏法センターで殊勝な施身法及び長寿仏法会を主催された後、残って清掃した弟子達は仏法センターの扉を開いたままに自分が思った清掃をした。若しそなた達は家で清掃する時、扉を開くだろう。また、弟子は扉の外に大声で会話していた。リンチェンドルジェ・リンポチェは法会が終わってから離れた後、弟子達は自分が好きの通りに行うと思った。仏法センターは室内に暖房をつけたのに、扉を開いたままに外の冷たい空気に入って、暖房装置に尚更に強く運転させた。このような高い電気料金は誰が払うだろうか。リンチェンドルジェ・リンポチェである。気付いた人は一人もいないが、或いは如何なるするか分からないなら、主動に聞けばいいが、弟子達は完全に上師を尊重しない。

これらはいわゆる弟子は全て表面だけでしていて、全く弟子とは言えないで、ただ自分が仏を学ぶ事を思っていて、リンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に仕える事に比べたら、一万の一でも至らなかった。もう一つの例を挙げて、昨晩、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に今日の午後1時半に道場に着く事を指示し、しがし、一部の人々が恭敬すると思って早めに到着して、リンチェンドルジェ・リンポチェに罵られる事を恐れて、然し、そなた達が早めに道場に着いたら、暖房を開けるかどうか?ランプをあげるかどうか?増加の電気代が誰から支払うかを考えた事がなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェである。もしリンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に早めに着かせるならば、事前にそなた達に教えて、そなた達が言う事を聞く事でも遣り遂げないなら、仏を何を学ぶのでしょうか?如何に慈悲を学ぶのでしょうか?

ただ三恩根本上師の直貢チェツァン法王がする事であれば、弟子とするリンチェンドルジェ・リンポチェが必ず上師の願いを充たさなければならない。今回、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王が『龍蔵経』を印刷する願いを充たす事により、実は遣り遂げる事が極めて困難で、多くの複雑な政治原因に関連し、そして、巨大な経費と人脈を要して、その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは必要な経費がないが、この事を要する人脈も欠けるけれども、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師の願いを充たすため、少し退縮も無いで、そなた達であれば、必ず上師に「私が出来ない」と回答する。そなた達はこの一切な手配はとても簡単で、口で言うだけで十分だと思ってはいけなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの務めを遣り遂げる為、どれだけのお金と気力を払った事が分からなかった。誰かがリンチェンドルジェ・リンポチェが上師の願いを充たす事を阻止したら、リンチェンドルジェ・リンポチェも行動を取る。同様に、そなた達のこれらの弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが教派の発展に務める事を妨げるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェも行動を取ろう。

弟子達は昨夜法会が終わった後、道場の表門に開け放させて、室内に暖房をつける事を気にしないで、ただ法会に参加した後、既に功徳を貰って、道場を既に利用し終わって、自分が法会に参加してから気持ちがよいと思っていて、だから、何をしたいでもそのままして行って、上師に阿呆にならせた。その時、少なく20位の弟子達に出入りして、が、誰でも口を開いてこの件を管理していない、ただ自分がする清潔の仕事を気にするだけで、このような利己的な人であれば慈悲を学ぶ事が出来ない。京都寶吉祥仏法センターは表面的にリンチェンドルジェ・リンポチェのもので、実は皆のもので、これらの弟子は全て数十歳の年齢で、こんなに長くて勤めていて、心がこんなに寒くて、このように駄目である。

最後、リンチェンドルジェ・リンポチェは今日参加しに来る弟子達を気づかせて、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に『龍蔵経』を開封する事を参加させて、そなた達に福報を累積させる事ではなくて、そなた達に『龍蔵経』の印刷が実はそなた達が思うような容易ではない事を見させた。

そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは出家弟子に指示して衆弟子を率いて六字大明呪を15分を唱えていて、その上、護法を修めて、同時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶えずに真言を唱えて加持していた。修法が終わってから、弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェに法席を下りる事を恭しい見送って、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェに長くて跪いて懺悔していた。弟子達は声も立てずに泣いて、とても懺悔していた。弟子達が今回したのは上師リンチェンドルジェ・リンポチェに尊敬していないだけではなくて、上師の教導と指示を聞かないで、更に上師に悩ませて、上師の辛労と恩徳を全然気にしないで、弟子達は心から懺悔し、また、リンチェンドルジェ・リンポチェの頂門の一針に感謝した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは住所に戻って、弟子達がこんなに多くの過ちを犯したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは依然としていくつのお菓子を今日参加した弟子に分ける事を自ら指示し、弟子達は上師が慈悲深く与える食品を受けて、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に様々な関心する事に深く体得し、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に機会を与えて、弟子達にリンチェンドルジェ・リンポチェが『龍蔵経』を開封する盛大な事を参加させて、その上、苦労を問わずに弟子達に殊勝な仏法教導と加持を与える事に感謝した。

2012年1月1日

台北寶吉祥仏法センターで、二名の出家衆は寶吉祥弟子達を連れて《妙法蓮華経》を唱えた。

法会が始まる前に、ある女子弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩が彼らの一家を助けた経過に恩に着た。

彼女は2006年11月12日に皈依してから、今までもう5年余りが経って、 去年(2011年)11月29日に仕事がひけて横断歩道を通っている時に、突然目の前で黒くなると感じて、すぐすべてが真っ白になって、いかなるものが見えないで、リンチェンドルジェ・リンポチェがアキーの心呪を唱えている声が耳の中に入って、彼女がまだどんな状況がはっきりと知っていない下に、また体が衝突を受けたと感じて、ポン、ポン、ポンと3つの音で、目が物事が見られるようになった時、彼女は既に地の上で横たわって、やっと自分が交通事故が発生してぶつかられて飛びたったことを知っていて、彼女は口から「リンチェンドルジェ・リンポチェ、助けて」と言い出して、ちょっと時間が経ってから、警察と救急車は来た。その時、手、足と右片側の臀部はとても痛くて、救急車は彼女を病院まで送って、エックス線検査を受けて、医者は骨に全然ひびが入っていないと言って、ただ挫傷だけであり、リンチェンドルジェ・リンポチェ及び護法の助けに感謝して、 彼女が重い報いが軽くなったようにさせて、この命がリンチェンドルジェ・リンポチェに救われた。

彼女の子供は彼女に寶吉祥漢方診療所の調合した貴重な処方の寶圓膏を塗ってあげてから、笑って「お母さん、 1つ返済したから、おめでとうございます!」と言った。翌日、寶吉祥漢方診療所医へ診察を受けに行って、医師が筋骨の位置をずらすかどうかを詳しく検査しことを通して、ただ漢方薬をつけて、漢方薬を飲んでそして筋骨さえ調整すればいい。彼女は上師 リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子に仏法を教えるだけではなくて、弟子の慧命を救って、更に漢方診療所を設立して弟子達の肉体を救って、弟子達によく仏を学ぶ体力があるようにさせたことに感謝した。彼女も今度の交通事故に感謝して、彼女を更に深く人生が無常であることを感じさせて、生と死がただ何秒間の事であり、そして自分があまり仏をよく学んでいないことを深く懺悔した。

この事が発生した後に、彼女はこれが業報が現前したことを知っていて、もともと喜んで果報を受けるべきであるが、しかし率直に言えば、彼女は自分が1つ返済したので楽しく思う覚悟が少しも無くて、依然として彼女の体をとても貪愛して、ただ念頭を「私が痛い」に置いて、甚だしきに至っては彼女にぶつかった女性は、ずっと彼女と謝っていて、彼女もとても冷淡に、すべて法律に基いて処理すると表示して、もう相手の電話をつながない。彼女の先生は彼女の考えを見抜いて、彼女に、「相手は婦人の人なので、あなたにぶつかって、彼女もきっととても恐れる。あなたはすべて彼女の電話に返事しないで、彼女はたぶん非常に心配しているでしょう、あなたが彼女にどのようにするかと恐れるから。」と勧めた。

その時、彼女の心の中には1つの考えが出来た。「私はこんなに痛くて、 彼女に少し恐れさせても、別に問題がないだろう。」と思っている。しかし、心の中にすぐにもう1つの音は彼女に、「やばい。 私はリンチェンドルジェ・リンポチェの教えに本当に申し訳ないで、私は本当に憎らしい悪弟子である。」と教えた。《仏子行三十七頌》の中では、「諸衆生に恨む心がないように」と説かれているが、しかし彼女は彼女にぶつかった人に対して怨むことがあって、因果を深く信じていないで、もし彼女は以前に殺生の悪因を作らないと、どのようにこの果報があるのか。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示したように、「この世界では、意外という言葉がなくて、ただ因果だけである。」。ここを思い付いて、彼女はすぐにとても礼儀正しく相手に折り返し電話をして、心の中は彼女に対する怨むことが全然無くなった。しかも、相手は彼女を載せて寶吉祥漢方診療所に診察を受けに行きたいと表して、このようになると、またもう一人と上師を褒め称える機会が増えることができる。

相手は約束のどおり彼女を載せて寶吉祥漢方診療所にに行って、途中に彼女と子供がとても親しいことを称賛して、また彼女に薬を塗って手伝って、彼女は、自分の一家が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏法を学んでいるので、子供は自然に大人しくなり、そして引き続いて彼女にぶつかることは福があると言って、何故かと言うと、彼女が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェと護法の保護がかるからと答えた。もし他の人にぶつかったら、多分こんなに幸運ではないだろう。そして彼女は相手に、彼女の舅が2006年にリンチェンドルジェ・リンポチェの救助を受けた経過を分かち合った。

結局はあの女性の夫も3年前に脳卒中になって、現在右半身は半身不随であり、知力はただ10歳の子供の知力だけが残ってしまい、そこでこの女子弟子はまた彼女に、道場のある脳溢血した兄弟子が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの救助を通した後に、ごく短い3週間の内で自分で道場に歩いて入ることができることを分かち合った。同時に彼女に「阿弥陀仏無遮大済度法会」に参加するように誘って、彼らの家族が仏法の助けを得ることができるように望む。

他には彼女が上師リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の息子を助ける経過を報告した。去年(2011年)10月始め、末子は熱があって、口の周りは水泡が現れた。木曜日に小児科医に診療を受けたが、熱は相変わらず出ている。土曜日に耳鼻咽喉科の医師に診療を受けたが、状況は益々酷くなった。日曜日の法会に二人の医師兄弟子に診療を受けて、二人の兄弟子とも状況が余り良くないと思ったが、早めに大型病院に急診を受けたほうがいい。帯状疱疹は若し目に感染されると、深く診療を受けるはずである。

法会が終わった後、彼女は息子を連れて病院に検査を受けた。帯状疱疹は既に目を感染した事を確認して、すぐ入院した。一般帯状疱疹の患者は神経痛を起したが、彼女の子供は全く神経の痛みを感じなかった。更に入院期間に《快楽と痛苦》の本を読んで、第一ページを開いて尊き上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を見ると、うぶ毛が逆立ち、涙が止らないように流れた。最初彼は固体な食べ物を全く食べられなく、喉は針を飲み込むように、火に焼かれるように舌の表面は全部破れて話ができない。餓鬼道及び地獄道衆生の苦しみを深刻に体得した。日曜日に法会に参加した時、感染された目は突然に痛んで、黄色と緑色の液体を流した。これから目は再び他の分泌物と不快感を感じなかった。子供は一週間後退院したが、寶吉祥漢方医の細心に保養された。帯状疱疹の傷は二度熱傷の深さだけど、寶円膏のお陰で傷は順調に回復された。

続いて彼女は上師リンチェンドルジェ・リンポチェが舅を助けた事を感謝した。2005年冬、体調がいい舅は突然に高熱を出して、血糖値異常など症状が現れて、病院に送って、緊急手術を二回受けても、病状は相変わらず変わらなく、更に細菌に感染されたせいで、首以下は半身不随になった。手術を受けた数週間後、彼女達は病院で気管切開を受ける事を同意した。彼女達の愚かで舅に呼吸器に頼って呼吸しなければならない。また、数ヶ月後呼吸器センターに移されて介護を受けて自主呼吸訓練をした。最後は小型病院に転院して、長期の介護を受けなければならない。

2006年8月中旬、彼女の夫の姉の同僚の紹介で、ある大修行者が大能力、大慈悲心を具えて一切衆生を助ける。そして彼女の夫と姉は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはを拝謁した。信心不足なので、夫と姉はリンチェンドルジェ・リンポチェに厳しく叱れて、彼達に家へ帰って家庭会議を開かせる。一週間後再びリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁した時、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲に彼女の舅のため、真言を唱えて加持した。更に自ら病院に行って舅を加持する事を承諾した。更に夫及び姉に舅を代わりに法会に参加させる。

数週間後尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自ら病院に行って、重病な舅を加持した。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、舅はこのような病に罹ったのは過去世及び今世に多くの衆生を傷付けた。更に過去に鶏を殺した事があるから、気管切開を受けた果報を得た。舅はリンチェンドルジェ・リンポチェの助けを得られたのは、舅は最も貧乏の時でも報いを求めずに他人を助け続けた。リンチェンドルジェ・リンポチェは尚更に開示されたが、舅は心の中に既に亡き母を懸念した。リンチェンドルジェ・リンポチェは夫及び姉に舅に知らせて執着を放して、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を助けて全てを処理するから。

リンチェンドルジェ・リンポチェに加持された後、舅の病状は徐々によくなった。元々臀部で壊死した床擦れも徐々に新しい肉を生じた。舅の心も徐々に落ち着いた。舅は往生する数週間前、間もなくある者は彼を連れていくから、彼は恐ろしくと感じていなくて、却って十分に平静で平和だと感じた。舅は全ての医療人員に感謝して、彼達の後輩を祝福した。更に姑に懺悔して、此の世にうまく世話しなくて、彼女に多く苦しめた。

舅は往生前数日、彼女の夫に依頼して、髪の毛を剃らせた。亡くなった前の夜に彼は夫に自分のひげを剃らせて、夫に早めに帰らせると言われた。2006年9月22日朝、病院は舅が往生した情報を受けた。その時彼女達はちっとも悲しみを感じなかった。彼女達は病院に行って舅に会った時、舅は落ち着いて寝たように優しい顔が現れた。リンチェンドルジェ・リンポチェも慈悲に舅を助けて済度されると承諾した。舅は火葬した後、その頭蓋骨に明らかに紫色と赤色が現れた。彼女と家族もリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲の済度を感謝して、舅に悪趣に堕ちさせず、善道に往生させた。

彼女はまた上師が父母親を救護するのを恩に着た。しゅうとのため彼女と子供と姑と一緒に法会と殊勝な施身法法会に参加出来るように願った。彼女が尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの目の前に跪くと涙が止まれないほど流れていて、それに自分に:「母親は助かる!」彼女の母親は大変酷い憂鬱症の患者で、嘗て何度も自殺した。

彼女の母親は寶吉祥宝石店に入るとずっと泣いて全く話が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの目の前に跪くと彼女は尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに報告した:「母親は生きたくない!」リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で母親に仰った:「そなたは苦しくない、見てそなたの全身に金か玉かかけて、そなたがどこか苦しいか?もう文句言うな!これはそなたが他人に欠けたの、そなたは既に一生で返して、間もなく返そう!」また母親になにもかも他人のせいにして自分が全部間違わない。それに慈悲で母親が法会に参加するのを承知した。その後、母親は2007年4月に皈依して、皈依した後、お体も心理もますますよくなった。

2008年3月、彼女の父母は喧嘩して、母親は物で父親に傷つけて、父親は彼女に母親を台北へ連れて行くように頼んだ。あの頃、彼女は母親が父親に殴った事が悪かったと思って、また自分が正しいと思った。そうして母親に言った:「そなたはもう勉強に来ないで、仏を勉強しながら人を殴る」母親は本当に翌日法衣を返しに行った。しかし、その後また後悔して尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに願いに行った。リンチェンドルジェ・リンポチェ、上師は彼女が母親に言い返して、母親に悲しくさせたのを分かって、彼女を厳しく申された:「そなたは母親が悪かったと思った。子女として父母のことを指摘資格がない。」そうして彼女に青い法衣を着換えさせて3ヵ月後、母親にもう一度皈依させた。

兄弟子は彼女に教えた:「そなたの母親は一週全部苦しんでいて、只道場に来て僅かな数時間で仏法の助けを得て、彼女の心を安住させた。そなたは彼女に仏法と多く接触して、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに近くするのを手伝うはずだ。」彼女は自分が罪万死に値すると思った。独り善がりだ。今後もう父母の余計なお世話をしない、父母に対して只感恩で、良く仏を勉強して始めて父母の恩に報いることが出来た。

彼女はまた2009年2月始め頃、母親は法会終了後家に帰ろう途中に、バイクに乗って、向かいの回転する自動車に後ろから追いかけた。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの加護するの下に母親は只骨折れた。恩に着た。上師がまた申された、母親は今回が転重軽受だ。そうでないと母親の果報は地獄道に堕ちようとする。母親も自分の過ちを大変懺悔して、ある日発露懺悔するチャンスを与えるように望んだ。

2006年10月、彼女の父親は風邪と摂護腺が急に腫れるため病院に見てもらって、お医者は手術を受けて治療する必要とお薦め他。それに、前回の血液検査の報告の中に父親も糖尿病にかかったのを発見した。父親は非常に受け取らなくて、転院して血液検査を受けた後、意外に父親の血液の中に細菌感染されたのを発見した。レントゲン検査を通じて風邪が既に肺炎に変わったこと確認された。すぐ入院して治療を受ける必要だ。

翌日彼らは尊いリンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れて、リンチェンドルジェ・リンポチェは大変慈悲で父親を加持して、それに申された:彼女の父親はカニを食べて無名毒に中毒された。彼に今後もう海鮮類を食べないと要求された。今回命の危険がないが、沢山の悪い目をくった。やはりリンチェンドルジェ・リンポチェの仰った通りで、父親が入院する期間でインシュリンを過量注射されて数回ショックを起こした。看護婦が導尿管を換えると血液検査する時、全て何回を繰り返して始めて順調に完成することが出来た。父親は言った、彼はこんなに苦しい入院経験がなくて、彼女は上師の加持を感恩して、父親にある債を返すチャンスを有らせた。

退院した後に、彼女の父はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して行って、彼女は上師が父に加持する事に感謝し、その上、父に金剛結を与えて父に守った。何度も、お年寄りは殆どフォーリング‐ダウンになるが、非常に不思議で倒れないで、父親が「全てリンチェンドルジェ・リンポチェのお手伝いので、彼が危険を無事に乗り越えられた」と話した。2009年4月、父は家族が病気にかかったり、仕事が不順調になったり、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲深くて父に法会に参加させて、法会に参加した後、父がリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈大悲と身体を惜しまないで衆生に済度する心を深く感じさせられて、とても感動していて、常に家族と友達に分かち合っている。

2009年10月、彼女の父の右ひざは人工関節を替えなければならなくて、手術する前に、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに父に加持する事を再度祈って、リンチェンドルジェ・リンポチェは依然として慈悲深くて真言を唱えて父に加持した。今回、父は前回の苦しみを受けていないで、傷口もとても迅速に元に戻して、嘗て寛骨の関節を替えたので脚が太って靴を着る事が出来ない状況が無いで、医者さえ不思議だと言って、父に早めに手術する患者でもまた痛みを止めて輸血しなければならなくて、況して父が80歳の糖尿病の患者だろうか。この一切はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深くの加護である。

彼女は累世の悪業が深いのでこの末法時代に生まれて、39歳まで仏法を接触する事があって始めて、子供からカトリック教を学んで、正法を聞く機会がない事を懺悔し、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する因縁がないならば、この世が来る事が無駄になる。彼女は子供時代に常にチョウ、トンボ、セミをつかんで小さい魚と海老を谷川の中で囲んで、衆生に恐れて或いは家に養ってそれらに餓死させた。その上、村人は池を水を放せて魚を捕ったときに、彼女も池でからす貝の殻を取って殺生の共業に参加する事を懺悔した。

彼女は子供時代に犬を飼って、多くのノミ、シラミを殺して、甚だしきに至っては、木を持ってそれらを血だるまになっているまで押さえてぺちゃんこになった事を懺悔した。だから、彼女は16歳から26歳までこの10年間に胃が出血するので何度も入院し、これらが子供に犯した悪行に関することを信じている。子供時代、皮膚が良くないので、母が常に彼女に連れて蛇の肉を食べて、自分の悪根を深くて重いので、子孫まで災いを残す事を懺悔し、二人の子供の皮膚も良くないで、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は祖先が竜を傷つけた事があって、彼女は自分がその中の一人である事を信じている。

彼女は小学校から台所で肉食を料理し、ニワトリ、アヒル、ブタ、牛、カエル、魚、エビ、カニ、キジバト、ドブガイ、オイスター、カメを切って料理した事がある事を懺悔した。生きているイカと海老を冷蔵庫で生きているそれらを凍死した事を懺悔し、だから、この数年間にリューマチ性関節炎の因果応報を得た。他人に殺生させて自分の食欲を満たす事を懺悔した。小さいときから独りよがりで、よく弱い者に味方して、男のクラスメートを打った事があって、その上、おばさんを保護するので目上に頬に平手打ちをくらった事を懺悔した。子供時に不良書籍を読んだ事がある事を懺悔した。自分がとても親孝行をしないので両親に心配して悲しませた事を懺悔した。母が法会に申し込んだがまた参加しなかったことを阻止していない事が出来ないを懺悔し、母の累世の冤親債主にいま法会に参加させなかった事を懺悔した。自分が常に他人を嫉妬した事を懺悔し、悪口をして、貪瞋痴慢疑を常に犯す事を懺悔した。務めはよくに竜頭蛇尾に終わる事を懺悔した。大礼拝を心を尽くして礼拝した事をしないで、上師の諭しを努力してやる事が無いで、上師に完全な投降していないで、仏法ビデオを見てから、兄弟子達は青海の仏寺に至って、アチ仏母が微笑んでいる法相を見ると、心の中に比較の心を起こしてしまって、法相があまり綺麗ではなかった。自分の福報が浅いので、いままで 四分の一の供養を遣り遂げていないことを懺悔した。

彼女は多い悪行をした事を深く感じていて、、この業報身にて悪因の業果に返される事を祈って、生々世々に上師に依止する事を祈って、ある日に輪廻過患を解脱する事が出来る事を望んでいて、そして、衆生に利益する事が出来で、それにより、上師の恩徳に報う。同時に、彼女も上師リンチェンドルジェ・リンポチェは健康し、寿命がとても長い事を祈っていて、事業の旗幟が円満で盛る事を祈って、上師に離れていないで加持する事をもらえる事を祈っている。

午後3時、リンチェンドルジェ・リンポチェの指示により、弟子達は台北寶吉祥仏経センターの道場で箱詰めにする『龍蔵経』を一冊一冊を開けて、専用の本棚に置いた。きちんと置いた後、出家衆は寶吉祥弟子達に率いて『妙法蓮華経』を唱えさせていた。

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2012 年 03 月 01 日 更新