尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2011年12月22日

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで、殊勝な施身法法会を主催された。リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示された。先月は施身法法会を行わなかったので、今日参加する人はすでに1,400人を上回ったが、しかし来年(2012年)になってから、リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法を修めることを減らす。何故かと言うと、この数年間、このように多く修法しても、法会に参加する者はまだ因果を信じていなくて、依然として貪、嗔、痴がとても重くて、修めても無駄である。そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは年を取ったから、よく体を配慮しなければならなくて、そんなに多くの体力を消耗してはいけなくて、教派の内ではまだリンチェンドルジェ・リンポチェがやる必要なことが多いのである。

そなた達は本当に因果を信じていなくて、少し信じていないのではなくて、全然信じていないのである。釈迦牟尼仏は嘗て、将来に仏法が衰微すると予言されたが、というのは、末法時代の人々が因果を信じていなくて、仏の教導を受けないから。今日を例にして、今日参列する者の中に多くの人が状況がたくさんあって、身分識別証明を持ち忘れたのもいて、申し込むことを忘れたのもいて、或いは遅刻などの様々な理由がある。どうしてこんなに状況が多いのか。実は根本的にこの法会を重視しなくて、もし重視すれば、忘れないだろうか。きっと事前に自分の事を手配して計画しておいて、障害を排除して、時間を空けるはずであり、駆けつけて最後に間に合わないことがありえない。多くの者は自分がとても忙しくて、多くの事を処理しなければならないと思っているが、そなた達はどんなに忙しくても、リンチェンドルジェ・リンポチェより忙しいほどではなくて、皈依していない信者は比較的に了解していない。リンチェンドルジェ・リンポチェが忙しい程度はそなた達が想像しにくい。

仏法を聞くことは容易いことでそなた達が参加しに来たいと思って、来る事ができると思わないでください。これは縁があるためである。全世界の60億人口では、仏法を聞く事ができる人は何人いるのか。そなた達が台湾で生まれてとても幸せなので、仏法に接触する機会があるが、しかし台湾の2千3百数万人では、本当に仏法を受けられるのはもっと少ない。そなた達がこの人身を得るのは、前世に多くの善行をしたことがあるため、その故、人間に生まれることができる。この一世に仏法を聞くことが出来るのはすべて前世に縁があって、前世に嘗て仏法を聞いたことがあって、だからこの世に仏菩薩はやっとそなた達にもう一回接触する機会をあげるのである。しかし覚えてください。仏菩薩は私達に縁を継続するように手伝うことしかできなくて、直接にそなたに成仏させることができない。今日聞いて明日すぐ成就を得られるのではない。縁があった後にやはり自分で修行しなければならなくて、やっと成仏できる。特に金剛乗の法会は、参加できる者がきっと宿世の善縁が必要である。そなた達が全然広告をやってない寶吉祥仏法センターに来て、きっと累世は直貢噶舉、リンチェンドルジェ・リンポチェと縁があるのである。しかしそなた達も誇らしい必要はなくて、そなた達が別に何が特別ではなくて、ただすべての衆生の縁は異なるから。そなた達は因果を信じていて、仏法を受けることができるのは、そなた達の宿世の縁と関係があり、そしてそなた達が善根があるかどうか次第である。そなた達は善根がないと、それならきっと上師の言うことを聞かなければならない。そなた達は仏を学ぶのが人生の最も重要な1つの事だと思っていなくて、因果の恐ろしさを信じなくて、万事はすべてやった後にその結果を待つので、結局は却って因果がそなた達を恐れるようになる。多くの事はまずはやって見て、後ほどまた方法を考えると思わないでください。

仏法の特徴は教育であり、相手がどのように私達に対応するかに関わらず、すべては1つの教育の機会である。もし相手の行為は悪であれば、仏法で言えば、私達に反面の教育を示すので、私達にこのような事がしてはいけないように知らせて、だから彼も私達の菩薩である。もしそなたは他の人にとても良くしているが、しかし他の人はそなたに良くしていなくて、これはそなた達2人の以前の縁であり、そなたは相手がそなたにこの機会をくれて、今度の事を通して相手に返済することができることに感謝して、そうすると終わるから。仏を学ぶのは薫習の過程であり、絶えずに接触し、学習し、ようやく仏法を通してそなた達の既存の習慣を変えることができて、更に仏法を生活に用いて、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはあなた達に《仏子行三十七頌》を修行することを教えて、そなた達がこれに従って修行するように要する。何故かと言うと、そなたが教えに従って遂行する時に、物事が徐々にきっと良く転じるが、しかしそなたが悪を行うことを停止するため、その代わり、善行をして、そなたの事はきっと徐々に良い方向へ発展するはずである。

乳癌に罹ったある弟子は、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を加持する時、既に彼女にこれからの時間は彼女に仏を学んで修行して生死に解脱するようにさせると教えて、当時に彼女もリンチェンドルジェ・リンポチェに、彼女が精進して修行すると承諾した。リンチェンドルジェ・リンポチェは特に彼女に、執着を放下して、もう世の中の俗事を追求しないでくださいと気づかせたが、結果は彼女は話を聞いてくれないで、自分が自ら育てた弟と妹への責任がまだ終了していないから、引き続き働いてお金を儲けることを堅持する。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の執着することを知っていて、財産を良くアレンジしてから、リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁しに戻ってと言った。彼女が財産を弟と妹に配分して、もともとは弟と妹が彼女を配慮しに戻ると思っているが、結果は彼らがお金をもらった後に、全然人影は見えなかった。もともと彼女の病状はリンチェンドルジェ・リンポチェに加持された後に大幅に好転して、腕は腫れが引いて、もう痛くなくなってしまい、彼女に正常な勤務と休憩、睡眠をさせて、結果は彼女がそれから自分がよい生活を過ぎることができると思った。彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞いてくれなかった後、病状はまた再発して、彼女は人を怨み天地を恨むというようになって、法会に参加しに来るのさえも大変だと思って嫌で、最後の信心は崩壊して、法会に来なかった。弟と妹がお金を受け取ってからすべて彼女に配慮しなくなったことを発見した後に、彼女はやっと彼女にお金を受け取らないリンチェンドルジェ・リンポチェが最も良いことを知っていて、今また法会に参加しようと思っていた。

そなた達は法会に来た後、どんな事が良くなって、病気も好転できて、法会を参加し終わった後に無敵鉄金剛(マジンガーZ)だと思って何も恐くない、と思わないでください。このような考えがある人は今すぐ離れて。もしかすると、今日そなたは法会に来て、どんな利益が得られないかもしれない。仏法は因果を講じるため、そなたは法会に参加しに来て、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達の冤親債主を済度して、そなたと彼の間に恨みを無くして、しかしそなたの借金は依然として返さなければならない。法会に参加しにきていないと、そなたは元金、利息を返さなければならない。法会に来た後に、そなたはただ元金を返すことだけで、甚だしきに至っては元金を5割引にするのである。しかしやはり弁済しなければならない。もともとはそなたがすぐ亡くなるかもしれないが、そなたに1度の病気を罹らせて、或いは、家に帰った後に、旦那さんとか嫁さんとか1回口喧嘩させて、これらはすべて弁済するのであり、仏法にはいわゆる重報軽受ということである。受けることができない人も、今もすぐ離れなさい。

もしそなたの眷属はそなたが仏を学びにくることに反対するならば、彼と喧嘩しないでください。世の中はそなた達が彼らに廻向して、彼らがそなた達に来ることが許すように教えたが、実はこのようなやり方は誤った。そなた達も法会に参加しにくると、冤親債主を追い払うことができると思わないでください、このような考えがあるのは殆ど利己的であり、何故かと言うと、そなたは冤親債主がそなたを離れて、そなたの事を好転することができると望んでいるから。仏法は冤親債主を処理する方式は、彼らを追い払うのではなくて、多くの人は冤親債主を済度するのが彼らを追い払うのだと思っているが、実は法会により、仏菩薩と上師はそなたとそなたの冤親債主のため仲裁して手伝いにきて、お互いの恩讐を解消して、恩讐が軽減して、自然によくなると感じて、実は冤親債主が承認するのである。だから、持続的に加法に参加したら、事がきっと良く転じて良くなって、この道理である。どの法会はすべてとても重要である。多くの人は冤親債主がいることが好きでなくて、しかしもし冤親債主がいるのではないならば、そなたは自分が間違いがあることを知っていなくて、もし冤親債主がないならば、そなたは仏法と親しくすることができなくて、もし冤親債主がいないならば、そなたは自分が間違ったのがどのぐらい実際から離れるかを知っていることはできない。

多くの人は私がすでに菜食精進料理を食べ始めたのに、どうしてまた病気に罹ったのか。リンチェンドルジェ・リンポチェは今リンポチェの果位まで修行して、依然として風邪を引いて、ましてそなた達はなおさらである!この世に肉を食べたことがある者はすべて弁済しなければならない。そなた達は食べた肉がどこまで行ったかと思っているか。細胞の中まで入って行って、今の肉はほとんど人工飼育であり、どれだけの毒素を使ったか。そなたは今菜食精進料理を食べたが、しかし以前に肉を食べて残した毒素がまたそなたの体の中にあり、取り除くのはある程度時間が必要である。そなた達が風邪を引く時と同じようで、たとえ診察してもらって薬を飲んでも、数日の時間を立って風邪がようやく良くなり、急に回復するのではない。同様に、そなた達は法会に参加して、仏菩薩はそなた達のため冤親債主の恨みを度して手伝ってしまうが、しかし余勢はまたあって、まだ時間を必要として、その上そなた達は自分が修行して、本当にやらなければならない。が、リンチェンドルジェ・リンポチェは風邪を引いたが、しかし伝染することができない、同じく熱が出ていないで、ただ体はまだ数日の時間を必要として休むのである。

我々の寿命は減少するのは福報が減少するから。そなた達は法会に参加して、供養して、布施するのは全て福報を累積するため。福報が減少するとはそなたが100元を持って、肉を一回食べると少し使って、最後15元しか残らないと同じようだ。そなたは肉を食べないと、15元の福報しか残らない。しかし、福報は引き続きに消耗できるから、最後まで当然に足りない。15元なら、いつまで使えるだろう。若し引き続きに福報を累積しないと、福報を使い済みなら、寿命は無くなる。だから、努力に稼がないとできない。若し真剣に仏を学ばず、決心を持たないと、福報が増えるわけではいかない。

あるアメリカから台湾に帰った信衆たちは今日の法会に参加したいと望んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼達に参加させない。それは彼達は唯クリスマス休みが長くて、一月初めまで終わるから、台湾に帰る時ついでに参加するから。しかし仏法はついでに仏法が有るだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは「ついでに仏法」を与えられない。だから、このようなついでに参加する人は自然に彼達に行かせない。リンチェンドルジェ・リンポチェは現場の信衆に次の如く開示された。若しそなた達もこのような心を持って、今日の法会に参加すれば、この法会はそなたに役に立たない。数日後西洋のクリスマスなので、皆は忙しくて祝日を祝う。続いて来週は12月31日だから、皆は忙しくてカウントダウンする。カウントダウンする必要がないだろう。仏を学ぶ人として、自分を検討すべき、過去一年間に人徳は尚更にいいかどうか。人と付き合う方面は尚更にいいかどうか。此処に謂われた付き合うとは恋人の付き合う事ではない。自分がこの一年間に如何なる成長したかどうかや時間はいくら浪費したかを確実に反省すべきだ。

今日多くの人は始めて法会に参加して、ある人も試して参加する気持ちを持って、私はリンチェンドルジェ・リンポチェが何をするかを分からないと思った。勿論そなたは分からないが、リンチェンドルジェ・リンポチェの果位はそなた達が確かめられない。三種類の人だけリンチェンドルジェ・リンポチェの果位を分かる。第一、リンチェンドルジェ・リンポチェの上師である。若しある者は手を挙げて、自分がリンチェンドルジェ・リンポチェの上師と言えるなら、すぐ出てください。第二は仏菩薩である。現場に若しある者は自分が仏菩薩と言われるなら、リンチェンドルジェ・リンポチェは現場の医師弟子に依頼して、彼を精神科病院に送る。第三は鬼神である。人は死んだ後、敏感度は通常人類の百倍である。鬼道の衆生は誰は能力があって自分に助けを与える事をはっきりに分かる。そなた達はまだ死んでいないから、勿論鬼ではない。如何なる見えるだろう。リンチェンドルジェ・リンポチェは法席で勝手に話す勇気が無い。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは因果を怖れるから、そなたは因果に恐れられる。

最近間もなく選挙なので、多くの人はお互いに批判している。皆はこのような事を聞かない。それはこの批判の裏は実は金銭の利益のため、皆はこの番組を見る価値がない。そなた達はもはやある者がお互いに批判や弁論などを見るや聞かないほうがいい。此れは全て悪い。

来年も相変わらず局面はとても混乱する年である。アジア地区に於いて、台湾はとても福報がある所であり、皆は機会があって仏法を学べる。だから、大切にしなければならない。台湾に於いて、そなたは有る人が嫌いなら、叱りたいなら叱れる。少なくとも誹謗と言われて何千元の罰金を払われればいい。酷いなら数万元を払う。このような事は他の国で処罰がとても酷い。

来年も相変わらず動揺するから、皆にとって変動しないほうがいい。若し変わるなら、数年後変われればいい。リンチェンドルジェ・リンポチェは特定な人のため助けないが、唯現在台湾に於いて、人徳はいい人が必要であり、積極的に動く人ではない。台湾はとても小さいから、台北から高雄まで唯五時間にかかると到着できる。台湾新幹線に乗れば、二時間だけ着いた。だから、隠れる場所が無い。ある国のようにとても大きくて、東南西北中の中に隠れる場所があると同じではない。台湾に於いて、積極的に動けば、海に落ちる。一側は台湾海峡であり、他は太平洋であり、尚更にとても深い。だから、台湾は積極的に動く力が無くて、台湾は守る力がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは特定な政治家が好きではない。数年前にリンチェンドルジェ・リンポチェは主法する「阿弥陀仏無遮大超度法会」の時、この政治家は法会に参加したいが、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に行かせなかった。政党に関わらず、政治家として人徳があって汚職しない人なら、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼を助ける。リンチェンドルジェ・リンポチェは外地から来た人なので、政治を熱心しない。修行者も政治を熱心しない。若しリンチェンドルジェ・リンポチェは政治を熱心して、選挙すれば、少なくとも市議員になれる。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生が有る所でしっかりに仏を学べる事を望んだ。少なくとも国土平和で戦が無い。先日緑度母を修める時、法本の中に祈りがあって、遠近の国土とも安定できる。だから、ある所の平和を維持する事はとても重要である。そうすれば、仏法は機会があって引き続きに存続できる。皆も平和の所があってしっかりに仏を学べる。

仏法は顕密という二つ部分を分ける。顕教は理論、根本、基礎であり、文字の記録からそなた達に仏法の道理を知らせる。しかし、密法は方法であり、如何なる衆生を助ける方法である。密法の方法を使えば、顕教の速度よりとても速い。顕教が言われた方法で修行すれば、とても長い時間にかからないと成就を得ない。密法の方式を使えば、速度はかなり速い。此処に謂われた速いのは翌日にすぐ行えるわけではない。今年が修めれば、来年に行うわけではない。数年間に行えるわけではない。密法を修めれば、少なくともリンチェンドルジェ・リンポチェのように数十年間に修めれば、始めて少し成就がある。

先日リンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子の店を助けて法を修めた。弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの法席はエアコンの出口の下に置いて、少し位置を移すのを分からない。唯側にソファーを置いたから、弟子はソファーを運びたくないから。彼達はいつもエアコンの温度を調整して、リンチェンドルジェ・リンポチェは寒くないと思った。リンチェンドルジェ・リンポチェをマジンガーZとして見る。リンチェンドルジェ・リンポチェは法席に昇ると、法会が終わらないと席から降りない。たとえ死んでも法席に死んだ。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの事に対して何も言えず、弟子達に任せた。唯肉体はエアコンに三時間に吹かれたのは耐えないから、風邪を引いた。《寶積経》記載されたが、ある密法の修行者は成就を得た時、弟子は始めて多くなる。つまり、業障の始めだ。だから、出家衆を勧めて、弟子を多く取れば、必ずいい事とは限らない。弟子が多いなら、業も多い。

世間に多く間違い情報がある。ある者は信衆に言われたが、そなたは仏菩薩の周りの人で、此の世に来たのは神聖な使命を持ったから。此れは全て間違い。このように人になれたのは過去世に必ず仏菩薩と縁を結んだ。だから、誰でも仏菩薩の側にいる。若しそなた達は累世仏菩薩と縁がないと、この世に如何なる縁があって仏を学べただろう。

亡者のために読経するや沢山な人を依頼して助念すれば、亡者に済度されると思わない。若しこのような簡単であれば、読経機器を使えばいい。そなた達は病院のICU病室にベッドの後ろに読経機器があるのを見たが、読経機器は全く役に立たない。それは心がないから、同じで真言を唱えても、慈悲心で真言を唱えるかどうか、現れた効果が異なる。修行者は慈悲心がないと、たとえ多く唱えても役に立たない。更に亡者を損なうかもしれない。世間に助念団を依頼するのは流行っているが、団体の中に慈悲心があるのは少ない。亡者の敏感度はとても強いから、誰は能力があって、自分を済度するのをはっきりに分かる。慈悲心が無し助念すれば、かえって亡者に瞋恚を起させる。だから、成就者を依頼して亡者を助けるべきだ。

そなた達は法会に参加すれば、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたに菜食させる事を要求した。更にそなたに一生に菜食する事を要求した。何故なら、仏が我々に教えたから。仏経に衆生の肉を食べうと、慈悲の種を断つとある。仏法は慈悲と説かれた。他の宗教は天主教、キリスト教、道教など世界中に他の宗教は慈悲という言葉を言わなかった。唯仏法しか慈悲を説かない。此れは仏法が他の宗教と最大な違いだ。慈悲がないと、仏法が無い。慈は自分が最もいい物を他人が最も悪い物に交換する。何人ができるだろう。悲は衆生を助けて輪廻の苦海を離れる。この事を行えば、修法者は自分が把握して、自分が生死を解脱出来れば、衆生を助けられる。そなた達は出来ないなら、教えに従わなければならない。自分の人生経験法則で仏法を判断しない。

施身法の法本は始めて説かれたが、修法者は身につける御守りを取り外さなければならない。修行者は御守りを身につけているが、例えば仏像、護輪など。しかし、施身法を修める時、全てを取り外して、身に付ける事が出来ない。修法者は禅定観想を通して、自分の肉体が甘露に変わるのを観想し、上に諸仏菩薩に供養して、下に六道一切衆生に布施する。この心は慈悲心である。そなた達は法会に参加する時、冤親債主が利益を得る事を望んだ。一部分は私欲のためと言われたが、それは冤親債主が利益を得ると、そなた達に妨げないから。少なくとも彼達が利益を得るための心を持って参加したから。

多くの者は労働奉仕をすれば身の供養で、念仏をすれば口の供養で、心の中に仏法の意味を分かれば意の供養と思った。本当な身、口、意の供養とは、決心して仏を勉強して、一生懸命修行する次第に、生死を離脱する事が出来て、有情衆生に利益するのである。仏経の中に載せてあり、釈迦牟尼仏は嘗て肉体を切って鷹を食べさせた。虎穴に飛び入れて母の虎に食べさせて、彼女にミルクを有らせて小さい虎を飼ったことがあり、こんなもの物語が多くあった。施身法は慈悲の極致で、修法者は自分のお体を上の一切の諸仏菩薩に供養して、下の六道の一切の有情衆生に布施する。このように修法することを通じて功徳を蓄積して、はじめて衆生に生死を離脱するのを助ける事が出来た。

嘗てある修法者が患者のため修法する時、患者を地面に横にならせて、これは患者のお体を供養、布施するのである。実はこのようにしなければいけないとは限らなかった。今晩1,400人あまりが法会に参加しに来て、例えそなた達皆を横にならせると運動場のような大きさのグラウンドが必要かもしれない。そなた達は法会に参加する時懺悔心と慈悲心を用いれば結構で、是非横になるとは限られない。懺悔とは自分が生々世々に全て作った悪業を認めて、受け取って、過去世は言わなくてもこの一生だけには我らは既に多くの悪業を作った。今日が修めた施身法は一切苦しみ海の中にの衆生のためで、施身法は我らの輪廻の悩みを切断するのである。

法会に参加した後、夫の仕事が順調になる事が出来て、子供の成績が良くなると思うな。現在の子供は全部復讐しにきた。そなた達が良く考えてみてこの一生に幾らのいい事をしたか?どの根拠によって、1人恩返す子供を生むか?そなた達は不従順な子供が法会に参加した後割合に従順になったと思った。あれは法会に参加した後、子供の心があんなに多くの雑念がなくて、比較的に集中が出来て、成績が自然に良くなった。観世音菩薩は古仏で、英文が出来なくて、どのようにそなたが英語の試験を助けるか?また法会に参加して、子供が清浄な本性を回復して、仏法の教導を受け取りやすくて、一旦受け取るとそなた達の間の恩怨が減って、そなた達は当然に子供が割合に従順だと思った。復讐の方法は沢山種類があり、実は、本当の復讐は不従順な子供ではない。ある種類は生まれてから大変大人しくて、良く勉強が出来て、従順で、研究生荷なった後突然に無くなって、父母が痛んで、あの痛みこそ眞な胸を刺すような悲しみだ。子供が不従順する事は復讐とは限られない。かえって、子供が何時も不従順でそなたはあきらめたかも知れなく、子供が大人しくて、そなた達は執着して手放さない。まるで二つのりんご、一つは腐って捨てれば結構で、もう一つはとても良くて、捨てると大変もったいないと感じた。

リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は心臓に心律調整器を取り付けて、何年を過ぎて数日前また手術を受け手新しいのを取り替えた。手術は僅か半時間がかかって、手術が終わって病室に入るとはかった血圧は70と130だった。手術後、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は直ぐ食事が出来て、また急いで一つの碗のお粥を食べた。これは仏菩薩と護法の加持だ。さもないと彼女88才の高齢により、手術の麻痺した後こんなに速めに回復する事がありえない。一般な年寄りは数日間を休んでから食欲がはじめて回復する事が出来る。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は先週土曜日手術を受けて、水曜日が退院した。こんなに年を取った者は手術を受けた3日間後退院するわけが無いだろう、若い者さえも出来ない。この一切は全部彼女の息子がリンチェンドルジェ・リンポチェのためだ。リンチェンドルジェ・リンポチェが精進で仏を勉強して修行するので、仏菩薩と護法はリンチェンドルジェ・リンポチェの母親を保護して、それに、リンチェンドルジェ・リンポチェも母親を絶えずに加持していたのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは因果を信じて母親が殺業のためこの手術を受けるのを知った。そなた達が因果をかわりたいのではなく、リンチェンドルジェ・リンポチェは母親の縁によって、彼女を助けて、因縁に従って、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェのようなこの息子を持たないので、自分が一生懸命修行するべきだ。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの母親は肉体がこれ等苦しみを受けて、この一生が終わった後地獄への果報を返した。父母親が全てかかった病気に対してそなた達の考え方を調整するべきで、父母親を多めに生きさせることばかり考えるな。それに、人は何時かきっと死のうとする。そなた達は病気にかかった事を通じて、父母親に債を返すことが出来させるのを考えるべきだ。また一番大切のは父母親に往生する時苦しませないとのことだ。こんな方式で願いすれば、仏菩薩は是非そなたを助ける。これを求めば大変利目があった。

なぜ父母親が往生する時苦しまないと願いするか?それは臨終する時の苦しみは亡者を三悪道に堕ちさせるのである。そなた達は見て多くの亡者の顔付きが辛くなって亡くなって、眉をひそめて、全部大変痛かった。これは彼らが良くない道に堕ちたとの表われだ。亡者が三善道へ往生すれば、全て現れた顔つきも割合にすばらしくなった。リンチェンドルジェ・リンポチェの修法を通じて済度された亡者はお体の上には全部斑点がなくて、道理的に人が往生した1時間後お体の上に斑点が出るはずだ。また腹水があれば、リンチェンドルジェ・リンポチェの修法を通じた後消えてしまった。体外に排泄したのではなく、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが亡者を助けて冤親債主を全部一緒に済度したのである。それより表情が楽しいになって、大体が柔らかに現れて、亡者が浄土或いは三善道へ行ったから、亡者が地球の上に残った物質も変えようとした。

仏を学ぶには一番重要のはそなたが往生する時のあの瞬間である。人生はどうですかにもかかわらず死亡をに当面する。しかしそなた達は全部臨終する時、お医者に患者の命を暫く延ばさせて、暫く延ばさせてどうするか?そなた今はどうそなたの父母親をやると、そなたが往生する時、そなたの子供はどうそなたをやる。現在の人は死ぬ前全部全身にパイプを挿して、鼻パイプ、尿管、手の上にまた点滴のパイプがあって、気分が良いか言ってごらん。そなた達は父母親が全身にパイプを挿しいれるのを受け取れると感じすれば、自分がどうしてやってみないか?皆が仮想して、自分が病床に横になって、呼吸器を取り付けて、尿管を挿して、手の上にはまた脈搏測量器をつけて、こんな暮らしは大変苦しみではないか?

リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子に指示されて、ビルの下に法会に参加するためリンチェンドルジェ・リンポチェの承諾を恭しく待っていた乳癌にかかった弟子に伝えた:彼女が上がって法会に参加すればすぐ死のうとする。あまり待たせない。こうになっても彼女がまた望むならば、上がって法会に参加して、リンチェンドルジェ・リンポチェは申された:そなた達はこんな上師を聞いたことがないだろう!実は1人が良く死ぬと望めば福報がある必要だ。福報が足りなければ、パイプを挿されて、科学の怪人のようにやらせて、長く痛くてなかなか死ぬことが出来ない。

施身法に参加する時必ず懺悔心と慈悲心があるべきだ。そなたは過ちがなくて、懺悔する必要が無いと思わないで、多くの者は何時でもし間違ったが自分がまだ知らない。ある弟子のように、リンチェンドルジェ・リンポチェに退勤下後アルバイトをすると教えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に聞いた。彼のボスがこの事が知るならばどうなろうか?弟子が答えた:首になった。リンチェンドルジェ・リンポチェは仰った:これこそ因果を信じない。ボスがそなたがバイトをしても良いと思えばそなたに教える。彼が言わないのは、そなたが十分の精神を養ってよく働くと望んだ。そなた達は全部自分があの何千元が必要だと思った。お金必要のない者がない、しかし何でこの数千元のためこんな事をした。そなた達は全部自分の正しくない行為を合理化するため言い訳を探そうとする。

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な施身法を修め始めている。修法が円満した後、法本に記載される内容をわざと開示した。この中に、悪魔を消す奇妙法に言及した。そなた達は天魔を聞いた事があって、既に天道に着いているが、何で魔と称されるか?道教にとって、天道に至ると仙人になって、魔ではない。しかし、天界の衆生は同じく輪廻する事を要して、そなたに天界に向いて幸せに暮らす事が出来るように教えるけれども、そなたに輪廻を解脱する事を教えなかった。だから天魔と称される。仏法に曰く魔はそなたに悪事をする事を教えるのではなくて、魔と怪が異なって、魔もそなたに善事をして布施する事を教える。が、魔と仏が最も大きな分別とは、仏は人間に生死を解脱する事を教えて、魔がこのようにしないで、人間に輪廻を絶つ事を教える事も知らなかった。

当時、魔王は釈迦牟尼仏に「将来、私の子孫は貴方の弟子になって、衆生に輪廻を断つ事が出来させない。獅子の身にいつ虫のようにそれを嚙んで、獅子がそのように強くて、ほかの動物がそれを傷つける事が出来なくて、ただそれの身にいつ虫だけで出来る」と申した。釈迦牟尼仏は聞いても、仕方が無かった。鬼はそなたが一切が嘗て傷害していた衆生で、身体がなくなったので、鬼衆になっている。施身法に参加する事により、仏菩薩はそなた達に冤親債主の不満を取り除くように手伝って、そなた達に安心して仏を学ばせて、そして、生死を解脱する事が出来で、だから、悪魔を断つ奇妙法である。

そなた達はすべて因果を信じないで、少しでも信じる事がないである。一部の人々は「私は地獄が見えないで、死んでから何処に行く事も分からない」を言える。リンチェンドルジェ・リンポチェは「間違った。死んでから地獄におちるだけではなくて、そなたが往生した前に暮らしている生き方はそなたが死んでから百パーセントで暮らしている生き方である」と開示した。こちらの乳癌に罹る弟子は何ヶ月に食べられないで、寝付けないで、つまり餓鬼道の相を現す。彼女は苦しんで我慢できないと、また帰ってリンチェンドルジェ・リンポチェに求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の執着が分かるので、彼女に財産を割り当てた後に、また、帰って謁見して来させる。結局、彼女は全ての財産を割り当てた後、兄弟姉妹が全て消えてしまって、やはりお金を貰ってから彼らが安楽になって、自分の良い生活に暮らしていった。彼女はその時自分がいないなら、兄弟姉妹が生きられない事を執着していた。実は、誰にいないなら生きられない事がなかった。そなた達は「私の責任は未了していないので、死ぬ事が出来ない」を常に言っている。実は、そなたは死んでも、何か責任が未了していないこがない。彼女は「彼女は弟と妹を世話して、弟と妹が彼女に報いるべきである」とずっと思っている。お年寄りは中国が「恩恵を施して恩に報う事を求めない」という故事成語がある。これは我々に、そなたはあるいい事をする時に、何か恩に報う事を求めないと既に教えていた。しかし、我々は相手が恩に報わなければならない事と思っている。慈悲の心とは完全な与えて、如何なる報いを求めない。結局、そなたは今日彼らに良くて世話し、彼らが良くない事にて報いて、そうすると、そなた達の間の借金が完済するのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたに家庭を要らないで勤めさせない事ではなかっや。家庭がないならば、そなた達が成長する事が出来なくて、仕事がないならば、そなた達はこの身体を扶養する事が出来なかった。主に皆に「家族は縁法で、行き来する」と説いた。これは家族によくて対応する事のではなくて、例えばリンチェンドルジェ・リンポチェが母に親孝行をするべきである。重点的なのはこれらは因縁法で、永遠ではなくて、余り重視しすぎると自分の執着である。

また、家族のにそなたに仏を学ぶ事を影響させてはいけない。そなたの一部の冤親債主は生まれ変わりをしてそなたの家族になって、そして、そなたが仏を学ぶ事を障害させる。家族がそなたに障害させるのは、過去世にそなたは他人に障害させた事がある事を表す。もう一つの理由はそなたは決心がつかないで、自分に障害させる。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学ぶ以来、如何なる家族がリンチェンドルジェ・リンポチェに仏を学ぶ事を障害させる事が出来ないで、なぜならば、リンチェンドルジェ・リンポチェが決心がついている。仏菩薩はそなたが仏を学んでくる事が要る事を思ってはいけないで、仏菩薩がそなた達に要らないで、そなた達が全て臭いである。そなた達は仏菩薩が需要であろう。

今日、修める法本の中には、この妙法が太陽のように、時空を区別しないでずっと虚空を照らしている事が言及した事がある。太陽は何か妨げにならないでずっと絶えずに全ての太陽系を照らしていて、一日が24時間を区別しないで、時間が人間に作られるのである。地球はもし回していないなら、太陽がずっと同じな面に照らしている。太陽が照らしていない所は何を妨げられるわけである。仏光は太陽のように、ずっと衆生に照らしていて、停止した事がないで、しかし、何故仏光がそなた達の心に入られないのでしょうか?これはそなた達がそれを妨げたわけである。そなた達の貪瞋痴慢疑を以って仏光に妨げて、だから、真に仏光を照らしている事を妨げるのはそなた達である。

この法本には古仏から間に合わないで済度していない六道の衆生がこの法の助けが全部もらえる事に記載された。だから、この法布施の心量はとても大きいである。最も広く言うと、宇宙の中に全ての衆生はこの法の助けをもらえる。なぜならば、主法者は供養布施の功徳によりこれらの衆生が福報をもらえて、将来に仏果を修め遣り遂げられる。此処に皆に供養布施の重要性を再度教える。所謂「天命」がないで、天命を持っているので何をして、誰からそなたに授ける者がいない。そなた達の参列者は今日施身法の助けを貰えて、未来のある世にそなた達が必ず仏果を遣り遂げられるを示し、しかし、何時になる事とはリンチェンドルジェ・リンポチェも分からなかった。如何なる人間は誰に仏果になる事を授ける者がいないで、ただ仏だけで出来る。

いま、一部の人々は釈迦牟尼仏は若い過ぎて、だから、ある数億年前の大自在如来王仏を主になって、仏は本来とても自在である。この仏は仏経には確実に記載されているけれども、仏経に記載されるのはいま地球の法運が釈迦牟尼仏から伝える。これらの人々が言う伝承とはリンチェンドルジェ・リンポチェが仏経を何回目読んでも見た事がないで、だから、伝承が間違って、若し真に彼らが言う通り、仏経を見つけてください。既に現在地球の法運がは釈迦牟尼から伝って、この伝承によらないなら、宇宙人になろうか?しかし、そなた達が地球人で、だから、誤解してはいけなかった。仏像があったらつまり仏法があって、他の宗教も仏像があって、媽祖の側で観世音菩薩で、多くの外道も仏像も置いて、しかし、彼らは仏を学ぶのでしょうか?

もしお金を寄付したいなら、お金を再び基金会に寄付してはいけなくて、多くの基金会は全て多くの寄付金があって、そなた達のそれらの数百台湾ドル、数十台湾ドルが欠けなかった。もし寄付したいならば、内政部の社会司に寄付し、彼らはお金がとても需要である。内政部の社会司の官員は公務員で、彼らが給料を既にもらえていて、だから、そなたが寄付する百台湾ドルを完全に需要される人々に使えて、そなたも用途を指定する事が出来で、彼らも領収書を与える。彼らは公務員で、汚職の勇気がなくて、もし汚職をしたら、そなたは彼に訴える事が出来る。が、基金会か?理論的に言えば、そなた達は彼らの帳簿を調べることができて、しかし、そなたが彼らの帳簿を調べる勇気がないで、彼らが多くの会員が居て、そなたも彼らに訴える事も出来ない。訴えてから、相手は多くの人々がそなたを叱る。基金会は多くの費用支出があって、例えば人事の費用、場所の家賃。宣伝の広告費、支払がとても大きかった。寶吉祥仏法センターは広告と宣伝をしないので、これらの大きな支出が要らなかった。

布施供養をする時に、日常生活に見たらして行く。例えば、ある者はお金がないので授業をうけないで、棺を買うお金がないで、或いは診察のお金がないで、彼に助けて、自分の能力を尽くして十分である。テレビのニュースが何処に出資援助を必要する事を報道してから、皆が急に一緒に多くの物を送ってはいけなくて、例えば、日本の今回の災難、各地が多くの物資を送って、しかし、結局全て使っていないで、無駄になってしまった。

法会に参加したら縁がある事ではなくて、上師が仰った諭しはそなたが耳に入らないで、そのまましないなら、縁があるのではなかった。そなたは授業している時に、先生がそなたに教えるがそなたが聞かないで、物事を学ばれるのでしょうか?このようにしたら、ただ時間に無駄になって、上師の体力に消耗させて、そなた達が法会に参加する事も無駄になって、だから、もひ聞き入れないなら再び来る事も要らなかった。

今日、済度するべき死者は既に済度をもらえていた。その上、彼は今日とても速くて走って、リンチェンドルジェ・リンポチェの調子が悪くて体力がいない事がわかった。参列者の皆は口をそろえてリンチェンドルジェ・リンポチェが自身の調子が良くない事に気にしないで、殊勝な修法し、無数な有情衆生に利益する事に感謝した。

法会が円満した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは特にある信者の為1本の甘露水と2缶の植物性クリームを加持し、その上、如何なる使用を詳細で言い聞かせた。リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の疲れと負荷を気にしないで、一切の衆生に大きな布施の慈悲心を行って、参列者にとても感動させた。

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2012 年 03 月 01 日 更新