尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2011年11月27日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、前回に布施供養で我執を破るという教導を引き続いて、供養布施の重要さを開示し続けた。

共修法会が始まる前に、ある女子弟子は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに発露懺悔をした。

この女子弟子は乳癌に罹って既に全身に蔓延しているから、もともとは医者は彼女がいつでも死亡する心構えが必要だと言ったが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝な加持のため、彼女はやっと共修法会の前に発露懺悔することが出来るようになって、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女にこの機会を与えたことにとても感謝した。

彼女は幼い時から、嘉義の農村で成長して、家庭の生活が貧困であり、父母は労働力にて4人の子女を扶養して、彼女は1番目の子供であるから、両親の有能な助手である。雨が降った後に、よく肥えたタニシは彼女の家の料理になって、溝の中の蚊絶やし魚、蝦、貝殻も逃げることができないで、彼女はまたリス、ノネズミ、田圃の虫を傷つけたことがあり、蝶を捕らえて商人に売って標本と作って、そして豚、羊、鶏、アヒル、魚を養って売って、子女が勉強しに行くための金に換えたことがあり、新年、祝日を祝う時に、彼女は母親の台所での助手であり、更に他の人が蛇を殺したことを見たことがあって、弟と妹を連れて隣近所の果物を盗んで食べたことがあり、彼女は衆生の家庭を破壊して、衆生に一家が離散して帰る家が無くなるようにさせた。彼女は自分のこれらの行為に1つずつ懺悔した。

2005年4月に、彼女が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見できる縁があって、その時彼女は風呂場で転んでしまったので、左の手の平は11針も縫って、心の中は自分が身体障害者手帳を受けるようになると、彼女の子供はすべて授業料に関する特恵を貰えると考えている。彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェの目の前に跪いた時に、彼女はまだ口を開いていないが、リンチェンドルジェ・リンポチェが確かな語気で彼女に、「そなたは身体障害者にならない。」と教えた。彼女は「凄い修行者である。なぜ私の心では何を思っていることを知っているか?」と思って、そして、リンチェンドルジェ・リンポチェは、彼女が衆生の命を殺害して手伝ったため、その故やっとこの果報を得ると開示した。彼女は心の中で、そうすると、それでは主犯は自分の母親ではないかと思っている。その時、頭が一面の空白であり、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女への開示について彼女がすべて聞こえないで、心の中では、「母親はどうしたらいいのか。」と考えていて、その後、彼女は傷口を縫い合わせる治療過程に、リンチェンドルジェ・リンポチェの助けのもとで、順調に完成されて、彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに非常に感謝した 。

同年、インドで喜金剛灌頂法会を開催されて、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの許可を貰って、今回の殊勝な法会に参加することができて、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢チェツァン法王に恭敬することが見えて、上師を父親とするように配慮して、彼女は自分がどうしてできないかと聞いてから、はじめて自分が分別心があってやることができないことを知っていて、その故彼女もリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔した。

2006年に彼女の夫の祖母は2度も脳卒中で入院して、皆が手の施しようがない時、彼女の舅はリンチェンドルジェ・リンポチェに病院まで患者を加持することを求めに来た。リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らに、患者が心臓衰弱で逝去するが、これからの日々は患者がとても穏やかで順調に過ごすことができることを教えた。その年、寶吉祥弟子達はインドに向かって尊勝なる直貢チェツァン法王にお誕生日をお祝いをするを準備していて、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に福報を累積する機会を与えたのであり、彼女はこの時に非常に思い上がっていて、旅行会社が部屋を手配する苦労が分からないで、5百数名のメンバーが同一の地方に向かうことを手配するのは、非常に容易なことではなくて、彼女は自分の好悪により、他のメンバーと部屋を交換して、旅行会社にとても大きく悩みをもたらして、兄弟子の間に不愉快な事を齎して、彼女は自分が旅行会社の立場で考えていなくて、本当に極悪非道である。

ホテルにいる時、彼女は夜中の時にホテルのスタッフに、彼女たちにお茶を飲んで世間話をするようにさせる事を要求した。少しもホテルの立場に立って考えていなくて、ツアー団体の到着時間がとても晩いから、ホテルのスタッフは既にとても大変であるが、彼女はまたこのような要求をした。それ以外に、彼女もあまり周到に熟考していないで、ホテルがリンチェンドルジェ・リンポチェのメンツのため、ようやく寶吉祥弟子を受け付けたくなると思い付いていないで、彼女の行為はリンチェンドルジェ・リンポチェに悩みを齎して、彼女は本当に罪万死に値するのだと感じる。台湾に帰って法会に参加した時、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示を耳にして、彼女はやっと自分がどのように間違ったことが分かって、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェのご叱正と懲罰を受けたくて、そのため道場で大礼拝をやり始まった。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に福報を累積する機会を与えて、やっと彼女の両親と叔父に北上してリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来るようにさせたことにとても恩に着る。

で法会にも参加しに行きたいと表した。彼女が聞いた後に、もしチャンスがあれば、夫に参加する事を申し込んで手伝うように承諾して、彼にリンチェンドルジェ・リンポチェが出国して弘法するのがなんと殊勝な事であるのを知らせる。2007年の初め、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本京都の嵯峨野の観光コッロク車の上で施身法を修めることや、皈依していない信者達も参加できると開示した。そこで、彼女は夫と彼に申し込んであげると言って、甚だしきに至っては旅費さえも彼に準備しておいたが、しかし最後の一刻まで彼はやはり行かなかったが、幸いにも阿奇護法の巧みな手配とリンチェンドルジェ・リンポチェの加持で、彼女の母を最後に彼女の夫に代わって日本に向かって初めて施身法に参加した。

彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、彼女に2009年3月にインドへ行かせて閉関修行を学んだ。彼女は懺悔して、しっかりにこの事を行わず、閉関修行した後、まだ自分が行った事を分からなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの苦心と直貢チェツァン法王の細心の手配を浪費した。彼女は自分が本当に罪は万死に値すると感じた。同年済度大法会の前日、彼女の祖母は危篤に陥った。彼女は両親と二人の叔父を誘って台北へリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁させて、患者に苦しみを軽減して浄土に往生できる。リンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下で、彼女の祖母は当日に亡くなった。「阿弥陀仏無遮大超度法会」と施身法法会で済度を得られた。彼女はとても尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した。

2011年彼女の夫の祖母は危篤に陥って、彼女は夫に依頼して、リンチェンドルジェ・リンポチェに危篤な祖母を加持する事を求めた。しかし、彼女は自分の行為を確実に修正しないから、夫に影響できない。かえって彼女の義理の姉と義理の弟はリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、自分の祖母に苦しみを離せる事を願った。7月始め、彼女の夫の祖母は亡くなった。彼女は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、施身法で亡者を済度した。亡者の顔は非常に落ち着いたが、家族の心も祖母に懐かしい気持ちを持って、余り悲しくなかった。

2011年8月、祥楽旅行社は直貢梯寺へ行く日程がある。彼女は両親及び妹のために申し込んだ。彼女の父は高山鉄道に乗りたいが、彼女はかえって両親が直貢梯寺へいけると望んだ。彼女の母はチベットにいる時、血中酸素濃度は38まで落ちた。しかし、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持の下で母は精神状態はとてもよかった。一般人であれば、既に昏迷した。彼女の母は皆と一緒に大殿に参加して頂礼したり、金頂を参観したり、アチ護法の関房に行った。更に多くの殊勝な法器を見た。彼達は寺に国賓として待遇された。此れは全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが賜れた物である。

2011年8月、彼女は供え物を包む事を担当したが、彼女が専念せず、うかつなので、精神で全てのステップに集中しないから、供え物を間違いに包んで、同じな供え物を二つ入れた。参列する信衆に平均に寶吉祥の日本食品を食べられない。彼女のせいで、兄弟子に苦労して改めて調整した。彼女はこの事に関して、非常に懺悔だと思った。

2011年9月、彼女の左乳房は始めて変化を起した。彼女は心の中に自分が必ず輪廻を断ち浄土に往生しなければならないと決めたから、余り気にしなかった。元々小さい硬い塊だけど、彼女は徐々に大きくなると発見した。同時彼女の夫も発見したから、始めて一連の医療検査を受けた。検査のレポートが出ると、既に転移したと発見した。彼女は西洋医学の治療を一切受けないと主張して、漢方薬診療所に薬を飲んだ。親戚や友達の密方は止らないように貰ったが、彼女は漢方薬と合わせて飲んだ。結局彼女は病気が益々悪化しているから、再びリンチェンドルジェ・リンポチェに求めた。彼女は自分が個人的な問題をリンチェンドルジェ・リンポチェに投げるべきではないと分かったが、長年に仏を学んでいたのに、自分の事をうまくしなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェに自分を助けて、家庭の事を解決させた。リンチェンドルジェ・リンポチェにの開示によって、彼女に必ず夫の話を聞いて治療を受けて、反抗させない。

彼女はこうして引き続きに病院を変更して、不断に検査していた。外科医の判断を通して、彼女の状況は余り良くないが、彼女の家族は諦めず、色々な関係を通して、有名な医師を手配して、病院に検査を受けた。彼女は夫に言ったが、自分が一旦入院すれば、出られないと心配した。入院した後、医師は唯鎮痛剤を与えて、栄養剤を注射して、酸素を吸入させて、輸血した。他の医療チームも皆は手の施しようがない。最後医師は彼女にアドバイスして、外出した後退院の手続きをして、家に近い病院に転院する或いは家に留まる。彼女は意識がはっきりにある時、医師は彼女に聞いて、治療、応急手当と挿管を諦めるどうか。彼女は勿論だ。このような事をしないと返事した。彼女は医師の優しさを感謝して、心の中に自分が輪廻を断ち浄土に往生する事を決めると考えながら、此れは全て余計な事だから。

彼女は一心にリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する事を考えた。しかし、組長兄弟子は再三に提示したが、家族の考え方が変わらないなら、リンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞かないと同じだ。また再び問題を尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに投げるべきではない。彼女は再三に夫に話し合って、「貴方は私が道場に行く事が好きではないなら、私が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁する事を見たくないなら、私は行かない。貴方の話を聞いて介護される。貴方にお願いします。」と言った。彼女の肝臓機能指数は入院した時の22から、翌日23に上げて、更に翌日に27まで上げた。彼女の全身の痛みが増えたが、何処に痛むのを分からない。彼女は夫に自分がとても気持ちが悪くてとても痛かった。しかし、何処に痛いのを分からない。夫に自分を助けるかどうかを聞いたが、彼女の夫は唯彼女を見て、相変わらず手の施しようがなかった。

指数が上がったので、病院もどうすればいいか分からなくて、それより、彼女の家族は全部リンチェンドルジェ・リンポチェに面会を申し入れて彼女を加持するように求めに来た。彼女の父母親も南部から台北に来た。彼女は父親が涙流れたのを見て、非常に悲しく感じた。自分が大変不親孝行で父親に申し訳なく、父親が彼女を許すように望んだ。彼女の母親は夫と暫く話して、彼女の夫にやっと少し変えさせた。そうして、彼女と父母親、夫、二人の息子は全部順調に尊いリンチェンドルジェ・リンポチェとの面会を求め得た。

彼女はとてもリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝して、彼女の夫に開示された。更にリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩して、彼女に承諾を与えて、彼女の心に大半下ろさせた。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた彼女に申された、痛く感じるならば、六字大明呪を読んで、何も考えないで、一回痛く感じたら、1本債を返済した。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に夫の話しを従順させて、ポワ法を修めてやると承知して、それに彼女の夫に仰った:「そなたは求みに来なくでも、我も彼女を助ける」最後に、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに供養しようとした時、リンチェンドルジェ・リンポチェはかえって一銭も受け取らなくて、申された:「そなたが我に供養するのは一つの利益交換なので、我は受け取らない。」彼女は仏恩を仕返すことが出来難くて、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェの大恩大徳を仕返すことが出来ない。彼女は尊勝な直貢チェツァン法王、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェ、アキ・ドロルマと歴代祖師を感恩して、また全て彼女にお世話をした相弟子と大徳を感謝した。

彼女は土曜日時もともと全身が虚弱で、まだ酸素を使ったのに、リンチェンドルジェ・リンポチェが加持してから、今日既に全く酸素を使う必要がなかった。元来彼女は病院へ行く問題を心配したが、リンチェンドルジェ・リンポチェも彼女のため解決して、彼女に家にいてと仰った。また1人彼女の家に近く住む相弟子に彼女が法会への送迎するのを手配させた。彼女は大変尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに感恩した。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て申された、家族が彼女に連れて仏を学びに来るのが全部彼女が自分良く出来なくて、家族に仏法が衆生に対しての助けを分からせなかったから。彼女もこのため、非常に懺悔した。

続いて一人女弟子は皆と今回尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに従ってインドへ全ての見聞を分け合った。

2011年11月8日尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは二百名あまり寶吉祥弟子を引き連れてわざわざとインドのニューデリーへ行った。11月10日インドのジャーランダルにて殊勝な普巴金剛法会を催すつもりだった。また弟子達を率いて12日と13日2日間ヂャンチュウブリン仏学院に行う冬法会に参加した。

11月9日早朝、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を引率してインドのニューデリーより出発して、ジャーランダルまで走ってくるまで約10時間をかかった。ジャーランダルに着いて、途中にある重要な道路、弟子達が食事をするレストランと宿泊ホテルの出入り口に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大幅な法照が見えた。全ての法照は人より一層高くて、これ等は全部地元の信者が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを歓迎するため配置したのである。

ジャーランダルに着いて、翌日11月10日、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは自分の疲れを問わず、殊勝な「普巴金剛」法会を主催した。あの日は木曜日で、週末ではないが、やはり三百名あまりインドの信者が喜んで法会に参加しに来た。法会に参加するインドの信者の着物が全部とても正式で、大変派手で、それに綺麗な真珠宝石とアクセサリーをはいて、彼らがこの法会に対して重視することを感じさせた。法会の中に、インド信者も全部大変静かで、敬って法会に参加した。法会が円満に終わった後、インド信者も全て次から次へ起立して、リンチェンドルジェ・リンポチェが法座を降りるのを丁寧に送った。同時に全て法会の会場が十分に荘厳に飾って、心から尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの大能力を賛嘆させた。また相弟子達が出した力と祥楽旅行社の手伝いを感恩した。そんな多くの器材を台湾よりインドへ持っていくのは眞に大変簡単ではなかった。その中に幾らの心血をかかるか、事前にどのお手数がかかって、幾らの困難を克服して、やっとこの法会に円満にさせて、本当に大変感動させた。これ等は全部尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが衆生に対しての慈悲ではじめて出来た。

11月12日午前、リンチェンドルジェ・リンポチェは慈悲で弟子達に先桑丹林尼寺へ行くと指示された。弟子達に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの閉関の関房を自らで訪ねる事が出来させた。それにアキ護法の関房を頂礼して、勝楽金剛壇城を回る殊勝で有り難いチャンスを有らせた。あの日夕方法会が終了後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に尊勝な直貢チェツァン法王が創建される松賛図書館を見に行くチャンスを有らせた。もともと土曜日松賛図書館が営業しないが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの関係で、やっと特別に寶吉祥弟子に参観させて、また松賛図書館の館長がご自身で解釈して、多くの貴重な集めた多瑪を楽しみ見る事が出来させた。

11月13日に、ヂャンチュウブリン仏学院が行う冬季の法会を参加した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥弟子達に連れで尊勝なる直貢チェツァン法王に謁見して行った。直貢チェツァン法王が参列の寶吉祥弟子達に加持させる金剛結を与えた。直貢チェツァン法王は自身の疲労を気にしないで依然として寶吉祥弟子達に珍しい開示を与えた。「リンチェンドルジェ・リンポチェはこの20数年余りに教派に対してとても忠実し、教派に対して多くの貢献があった。皆は上師に上手くて従って、上師の諭しを聞かなければならなかった。」尊勝なる直貢チェツァン法王が開示させた珍しい開示を聞いてから、皆は全て努力してうなずいて応対して、心の中に直貢チェツァン法王の指示にとても感謝した。その後、寶吉祥弟子達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの指示により尊勝なる直貢チェツァン法王の住所を順番に離れた。当日の夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは関房をすぐに入って、ヂャンチュウブリンで閉関を始めてした。

今回、インドの旅、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に何回目の上師と一緒に食事する機会を与えて、弟子達に福報を累積する事を助けさせた。日程の中に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥弟子達にずっと関心して、食べ物を常に加持して弟子達に食べさせて、また、弟子達に全ての事を用心深い手配させた。ヂャンチュウブリン法会に参加した後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは全ての今回の法会に参加する寶吉祥弟子達に貴重な甘露丸を特に与えた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に多くの殊勝な因縁に造ってくれて、弟子達にもっと多くの仏を学ぶ資糧を累積させられた。今回の旅の中に、多くの参列の兄弟子の分かち合いを聞いて、弟子達に利益を受けさせた。此処に皆に分かち合うのは、参列の兄弟子が「『慧根』がないけれども、『従う』事が分からなければならない」というとても適切な話を分かち合った事のである。また、もう一人の兄弟子の分かち合いを聞いた。嘗て、彼は他の道場にある上師が数百人の弟子を連れて出国することを聞いた事が無くて、況して多くの弟子が癌或いは不治の病に罹った。これは全て上師の慈悲である。上師が自身の苦労を注意しないで、いつも弟子達に考えて、弟子達に生死を解脱して輪廻を離れる事を助けてくれた。

それから、ある男の弟子は今回インドで尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが関房を出る事を迎えた時に見た瑞象を報告した。

彼はまず上師と諸仏菩薩に感謝し、彼に今回福報があって衆生に代表して関房を出る事を迎える日程に参加させられた。当日の明け方、兄弟子はデヘラードゥーン(Dehradun)から出発し、ソンツァン図書館に向いて関房を出る事を迎える事を準備しておいた。いま、インドに既に干害の季節で、しかし、関房を出る事を迎える日の朝の7時余りに関房を出る事を迎える場所について、空に白くて厚い雲を敷き詰めて、関房を出る事を迎える2時間の過程に様々な瑞象を満たして、とても殊勝である。全ての過程は彼に『妙花蓮華経』に仏が開示させる「無垢清浄の光あって。慧日諸の闇を破し。能く災の風火を伏して。普く明かに世間を照らす。悲体の戒雷震のごとく。慈意の妙大雲のごとく。甘露の法雨をそそぎ。煩悩の焔を滅除す。」のような事を深く感じさせた。

この弟子は下記にて報告した。日光は雲の中から出てきて、とても殊勝な景色を現れて、本当に無垢な清浄の光で、慧日諸の闇を破巣のようである。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示した事があって、ある大修行者が関房に出る時に必ず瑞象があって、この全ての瑞象が真に仏経に記載される事と同じて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示させる事と同じで、仏経に説く内容が全て本当である。

彼は下記のように分かち合った。2時間余りの中に、全ての空の変化を経て、最後に至ると、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示した「慈意の妙大雲のごとく」のように、彼に仏菩薩の慈悲を感じさせて、大きな雲のように空を覆いて、衆生に利益した。因縁が円満して終わる時に、この大きな雲も虚空に消えて逝いて、参列の兄弟子が全てとてもはっきりして明らかに全部の過程に見た。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子に接見する時に、全ての空が晴朗で、太陽がとても大きいけれどもそんなに明るくでは無くて、これは全ての雲がすべて霧になるように彼たちの周りに消えて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示した事のように、因縁が円満する時に、仏菩薩の心も空性に消えるの要である。この弟子はこのような殊勝な現象がただこのような大きな修行者に従うのでこのような福報があって、衆生に代表してこのような殊勝な円満な因縁に参加する事が出来る事と分かち合った。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは全ての弟子に成就させるの為、いつも全ての最も良いのが弟子に残させて、全ての弟子はいつも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの世話をもらえた。彼はこのような旅に参加する事が出来で、感謝すること以外にまた懺悔があって、言う事を上手く聞いて、努力して教法に従って実行して行って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達への苦心に背かなかった。此処に金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康し、法輪が常に転じて、直貢噶舉の法脈を永遠に伝えている事を望んでいた。

法会が始まると、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは前回に供養布施で我執を破る教導を継続して、今日引き続き供養布施の重要さを開示した。もし我々は我執を持って布施すれば、自分の修習する法門を了解していないだけではなくて、生々世々にも生死に解脱することができない。時下の者は仏陀に求めることがある時、供養することと思い付くが、事情が過ぎたことを待って、よい生活を過ごし始めてから、何も忘れて、供養しない。仏を学ぶのはお金を要するのではなくて、上師と仏菩薩はそなた達のお金を要するのではなくて、そなた達が福報が必要であるので、ようやく仏を学ぶことができる。福報がないと、仏法を聞く機会さえもなくて、甚だしきに至っては上師の開示した仏法を聞いても分からなくて、上師の開示した仏法を自分の選択で受け取る。そなた達は仏法を聞くのが、自分に利益があって、自分の考えを満足して、自分に受けさせることができれば、やっと聞くと思っているが、そなた達の考えと違うと、聞いてくれないようになる。これは布施供養がないのである。もし布施供養がやれなければ、自分の欲望と要求で仏法を聞くことになる。福報を累積するのはひっきりなしに布施供養をしなければならなくて、この前で何度もリンチェンドルジェ・リンポチェが開示されたように、供養布施が私達の日常生活に呼吸を必要とすると同じように、そなたは呼吸しないと死ぬのである。

皈依する時、「皈依仏両足尊」という一言がある。それは福慧双修ということを指して、福と慧を一緒に修行しなければならない。福は2種類に分けられて、一つは人天福報の福であり、これは来世になって使うことが出来るのであり、もう一つはそなたにこの世に業力を転じることが出来る福であり、この福を修行して功徳に換わってそなたに生死に解脱するように手伝う。そなた達が今修行するのはすべて人天福報であり、計較する心にて供養するのは業を転じることができないので、このような人はたくさんいる。そなた達はもしこの世に本当に供養布施の法門を修習することができるならば、来世にきっとお金があって、よい生活を過ごすことが出来て、これは工夫を凝らして求めるのではなくて、そなたがこの世に布施供養を修行して生じる副産物であり、すべては因果であり、もしそなた達は因果を深く信じるならば、きっと努力して布施供養を修行しなければならない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今日どうしてまた特に供養布施を指示するのか、というのは、あなた達が状況が出たのを見たから。今度、リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子を連れてインドに行く時、直貢チェツァン法王は寶吉祥弟子に開示して、皆に仰ったのはリンチェンドルジェ・リンポチェがこの20数年以来ずっと教派と上師にとても忠誠であり、そしてたくさんの貢献をして、みんながリンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞いて素直に従う事を要された。直貢チェツァン法王は決してリンチェンドルジェ・リンポチェが供養した金銭がたくさんあるから、このように言うのではなくて、供養する心が正しいから。この意味はつまり、リンチェンドルジェ・リンポチェが本当に心で上師を供養しているとのことである。直貢チェツァン法王はその時体の気分が悪いが、やはり何度もそなた達の弟子達が上師を聞き取るように気づかせて、というのは、第1がそなた達が話を聞いてくれないことを知っていて、リンチェンドルジェ・リンポチェこの弟子の苦労及びそなた達のこれらの見込みがない弟子があることをかわいがるから。第2はリンチェンドルジェ・リンポチェが既に果位を修行できたことを承認して、その故、そなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞いて素直に従う事を要された。それ以外に、直貢チェツァン法王はただリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子だけに話を聞いて素直に従うように言って、なぜかというと、そなた達が本当に聞いて素直に従うではないから。話を聞くのはすべての話を全部聞きなければならなくて、言い換えると、たとえ、リンチェンドルジェ・リンポチェが息を吐き出しても、そなた達も同様に聞かなければならないのである。仏を学ぶのはとても簡単であり、聞いて素直に従うことであるが、しかし聞いて素直に従うことが本当にやり遂げにくい。

リンチェンドルジェ・リンポチェは普通な果位のリンポチェではない。リンチェンドルジェ・リンポチェに追随してインドのドラドンへ法会に参加しに行った弟子達がとても明らかに見えたのは、リンチェンドルジェ・リンポチェが法会で壇城の上でとても重要な位置に座ったのである。

供養布施をすることができる者は話を聞いて素直に従うのである。リンチェンドルジェ・リンポチェはこれまで供養布施を停止したことがなくて、ずっと今までまだ同じである。ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェに供養した時、ひと重ねのお金を取り出して一枚ずつ計算してリンチェンドルジェ・リンポチェに見せて、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼の供養の金額が分かるように望んでいて、これは全然必要なくて、供養布施するのが最も重要なのは自分の心であり、金額の多寡に関わらない。そなた達の中はただ一人か二人が7桁の数で供養して、3桁か4桁の数のほうが多くて、5桁の数ならまあまあいい。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェが供養布施するのは9桁の数であり、すべては億単位である。上師は仏陀を代表して、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に恭しく供養して、上師にひと言で賛嘆されたら、そなたは福報が立ち上がることができるだろうと思うか。

リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたがいくら供養するかを知っている必要がなくて、そなたの供養する心は正しいかどうかを見て、正しければ、ようやく収める。そなた達がこのように計較的に供養する方式は、業を転じるすることができなくて、このような心構えがある者が非常に多くて、しかし供養の多寡は仏菩薩と関係が少しもなくて、なぜかというと、供養布施する人は自分自身が利益を得るからである。リンチェンドルジェ・リンポチェは常に皆に、供養の量は重要ではなくて、重要なのは供養の質であると教えた。

その日、直貢チェツァン法王の寓所の前で、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の苦労を共感して、特にすべての弟子を招集して、これから直貢チェツァン法王に会う時には、お礼を言わないでください、音を出さないでくださいと指示したが。しかし一部の弟子は依然として直貢チェツァン法王の与える金剛結をもらった時、口をついて出てお礼を言ってしまった。これは言うことを聞かないのであり、、どうしてこうしたのか。というのは、平日供養布施をしていないから、ようやくコントロールできない。供養布施はお金ばかりの話ではなくて、言うことを聞いて素直に従わないのは供養がないことを表して、上師に恩に感じていないで、だから独りよがりで口をついて出てお礼を言ってしまった。

或いはある者は直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェの上師であるから、リンチェンドルジェ・リンポチェの地位より高いと思っているから、リンチェンドルジェ・リンポチェが既に皆を連れて部屋に入ってきたから、頭が全然忘れて、もし自分が音を出ないならば、直貢チェツァン法王が自分の心の中の恩に着ることを知らないと思っている。しかし、そなた達は誰がそなた達を連れて直貢チェツァン法王に会いに行く事を忘れた。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達を連れて行かないならば、そなた達は直貢チェツァン法王と謁見することができるのか。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが当日にこのような要求が間違いであれば、直貢チェツァン法王は指摘するのである。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェは事前にこのように求めていないで、そなた達がお礼を言っても構わない。絶対的な正確或いは間違いがないが、しかし上師はこう言ったことがあるから、そなた達は従っていないから、言うことを聞かないと、それは間違いである!これらの人達も日頃上師に百パーセント恩に着るのではないだろう。その日に居合わせて音を出してお礼を言った弟子は、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼が恩に着る心がないと言える。今度インドに行くすべての功徳は全部無くなった。

法会前に、報告したあの乳癌に罹った弟子は、どうしてまた泣いたのか。リンチェンドルジェ・リンポチェは過去何回も疾病を道用と転じることを開示したことがあって、もし仏弟子であれば、病気にかかって苦しい感じがあるべきではなくて、この一生に衆生を殺害したのは、まさか返済する必要がないか。この一世に肉体で返済することができたら、返済するようにしよう。どうして、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の供養を受け入れないか。彼女が普段供養していないから、用事があってからやっと供養する。リンチェンドルジェ・リンポチェは普段非常に多くの人達に助けてもすべて供養を受け入れないから、彼女のを足りないか。供養は金銭の多寡にあるのではなくて、心にあるのである。その上、彼女の供養を受け入れないのも彼女の夫に仏を学ぶのがお金が掛かると思っているから口業を起こすようにさせないためである。彼の夫は営業をするので、営業をする人はどこが有利であればどこに行くのである。以前は医者が彼らを手伝うことができると考えて、だから医者を探す。今医者が駄目だと考えて、やって仏菩薩を探しにくる。

この乳癌に罹った弟子は今まで普段家族と上師を褒め称えなくて、仏を学ぶのは彼女の個人の事だと思って、夫に口業をつくらないようにして、自分で学んだらいいじゃない、彼と多く言う必要がないと思っている。彼女の夫は彼女が仏を学びに来る事を承知してくれれば、彼女の夫は聞く必要がなくて、仏をそしることを免れるから。その故どうしてこの前に彼女の夫は彼女が外国へ行って聖地を巡礼することを耳にする時に、すぐ一緒に行きたいと言って、彼女が彼女の夫に一緒に行くことが出来ると教えた時、彼女の夫はまた行かないと答えて、それは彼女がはっきりと説明していないから、彼女の夫は、彼の妻が外国に行って何をしているかを知っていなくて、彼女が浮気をすることを心配しているから、その故申し込んだ後に、この弟子が外国に行って聖地を巡礼することが確実なことを知っていると、後悔してツアーで旅行に行きたくない。その他に、どうして部屋を交換するような事さえも弟子に過ちを改めるように気づかせなければならなくて、相弟子の兄弟子と一緒に行くから、もし兄弟子に対して分別心が起きるならば、大衆に慈悲心がある可能がないだろうか。

そなた達の多くの人は殆どこのようなに、ここに仏を学びに来て、自分の夫、妻とはっきりと説明していない。どうしてそなた達が上師をほめたたえるように要するのか。上師をほめたたえるのも供養の1種であるから。というのは、リンチェンドルジェ・リンポチェはふだん既に供養布施を修行していて、衆生に利益するのは少しも自分のための心がなくて、信者を貪って求めないで、他の人が自分がとても慈悲だと思うことを貪って求めない。だから、この弟子の夫はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに来る時に、たとえ彼が表面上で、リンチェンドルジェ・リンポチェに彼の妻がもっと多く4、5年間を過ごすことをさせるようにとても恭しく求めても、リンチェンドルジェ・リンポチェの近い辺で仏を学ぶため。リンチェンドルジェ・リンポチェが一目で見ると彼が人をだましていることを知っている。もしもそなた達ならば、だまされるかもしれない。すぐ約束して、或いは彼の妻に点灯して手伝うと言う。そなたが承諾すると言ったことを待った後に、もしも何か事が発生したら、彼はきっとそなたに非難するから、仏法センターの看板さえ大胆に破壊しにくる恐れがある。

リンチェンドルジェ・リンポチェは日頃供養布施を行って、貪念がなくて、だから彼女の夫の意図を知っていて、その場でこの女子弟子に夫の話を聞いて治療を受けるようにさせて、彼女の夫にも教えて、もし彼が仏菩薩に、彼の妻に4~5年の寿命をくれることを求めるならば、それではちょっと公平にするべきで、医者に彼女に4~5年の寿命をくれることを要求しなければならないと言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは信者を貪っていないから、その後やっと無事である。だから「リンポチェ」は世界の最も危険な仕事であり、もしリンチェンドルジェ・リンポチェの心がすでに貪念がないから、もう一人の信者を貪っていないならば、そなた達に換わるならば、彼がこのように恭しく求めにくることを見れば、きっと騙される。《寶積経》には曰く、一名の上師が20ヶ条件をやり遂げないと法座に昇って法を講じることができないことに言及して、末法時代に衆生を度することがとても難しくて、1名の上師をしているのはとても危険なことであり、とても気をつけていなければならなくて、もし行者が空性と智慧を修め得ていないと、見分けることができなくて、容易に利用されるのである。

この女子弟子の夫はリンチェンドルジェ・リンポチェに、彼女に寿命をくれる事を求めるが、これはあり得ない事である。リンチェンドルジェ・リンポチェがそなたに寿命を延長するように手伝うことができなくて、寿命は他の人にくれることに頼るのではなくて、自分で修行するので、供養布施を行なうのはどうして寿命が延びることができるか。なぜかというと、供養布施は福報を累積することができて、寿命は福報の一部分であるから。上師がそなたの供養を収めるのは、そなたに福報をあげるのではなくて、そなたの冤親債主者に返済するように手伝うので、そなたに時間があって自分の問題を発見させて、ちゃんとよく改正させる。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの女子弟子の供養を受け入れないで、彼らが商売して交換する心構えがあることを知っているため、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の夫に、求めにくるかどうかに関わらず、リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず彼女を助けて、なぜかというと、彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子であるから、と言った。

それから、この弟子は手術を行ってあげることが有名な病院に行って、この病院は癌の患者なことさえ耳にすれば、すぐ手術を行うことを手配して、患者と家族に考慮させる時間さえあげない。しかしこの弟子はこの病院で検査を受けた後、医者はある指数を見て、訳が分からなく彼女に手術を行って手伝う勇気が無いで、これは上師と護法が助けているのである。しかし、たとえリンチェンドルジェ・リンポチェはこの弟子にポワー法を修めて手伝うことを承諾しても、もし縁、福報がないならば、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女のため法を修めることを探し出せないで、そなた達も多くのこのような案例を聞いたことがあって、たとえ紙の上に書いても、探し出せないのは探し出せないので、縁がない者は仏菩薩が手伝いたくても手伝う事が出来ない。この弟子は依然として自分の死亡のため多くの準備をしなければならない。

この弟子は2005年から皈依して今に至って、リンチェンドルジェ・リンポチェを利用していて、用事がある時にリンチェンドルジェ・リンポチェに求めに来て、普段彼女が供養することを見ないで、家族が病気にかかったことをあったら求めに来る。リンチェンドルジェ・リンポチェはこれまで彼女をののしったことがなくて、というのは、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても根気良くて、彼女が事が発生したことを待って、全部は一回で彼女に教えた。リンチェンドルジェ・リンポチェはもし根気良くなければ、我慢することができなくて、どのように3ヶ月も閉関修行して人に会わなくて、入浴しないことができるのか。だから、もしそなたは全然リンチェンドルジェ・リンポチェに罵られたことが無いと、それもあまりよい事ではない。

そなた達が皈依する時、そなた達に上師の功徳を褒め称える重要さを気づかせたことがある。どうして上師を褒め称えるのか。これも供養布施である。そなたが上師に恭敬する時に、福報を累積することができて、ようやく仏を学ぶ障害を取り除くことができる。どのように上師を褒め称えるのか。ちょっと言って、相手が耳に入らないと、もう言わない、と思わないでください。相手は聞いているか聞いていないか、実はやはり聞いている。そなた達の女はふだん時にはいつもくどくど言っていて、完全に夫が聞いているか聞いていないかに関わらず、ひたすら独り言を言っているのではないか。彼に聞かせるから。だから、そなた達は夫がテレビを見る時を利用して、彼の傍でずっと言っていて、彼は多少耳にして、段々少し了解できるようになるのである。もし、彼はまだ聞いてくれないならば、それは彼の自分自身のことである。

また、ある台中に嫁がれた女弟子があって、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を多く助けた。通常に彼女は供養するお金がないのに、数百万があって部屋を買えた。結局彼女は自分が死ぬほど愛している夫が嫁いだが、夫に資金を援助しなければならない。この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが夫に仏を学ばせると思ったが、昨日彼女は夫を連れて台北に来て法会に参加する事を求めて欲しい。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼が妻に要求されてきたから、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に言った。台中に多くの寺、道場に行けるので、必ず台北に来なくてもいい。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の夫に聞いて、今年既に四十歳なのに、自分の妻、子供に対して責任を取らないと、男として失格ではないか。結局この女弟子の夫は聞いた後、ぼんやりした。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような弟子がいらない。如何なる話しても聞かないから、彼女の夫は話を聞くわけではない。因果はとても面白いが、この女弟子は供養を惜しんだから、かえって彼女にお金がなし自分の援助が必要あって、とても愛している男を見つかせて、夫になった。彼女はまた彼と一緒に生活する事はとても愉快だと思った。この弟子は自分の夫を援助したのに、何故ならリンチェンドルジェ・リンポチェに供養する事を考えていない。少なくとも福報を累積できる。

男は女の金を取るべきではない。仏経に女は受けた苦しみは男より多い。たとえ西方に男女平等と提唱したが、まだladies firstと言われて、女性を礼譲する。それは女は如何なる男と比較すれば、弱者に属する。仏を学ぶ人は速めに弱者を助けなければならない。しかし、そなた達は全てgentlemen firstである。通常に供養布施しない人はこのようにする。男は男らしいが、女は女らしい。更に仏経に何故男は女を礼譲する理由とあるが、今日はそこまで言わなかった。

まだある医師弟子は2003年にSARSを感染して、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の命を救った。更に後遺症は残らなかった。今回リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を連れて直貢チェツァン法王に拝謁した時、この弟子が遅れて到着した。この弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェより若いけど、彼は喘ぎながら走って、顔色は白くなった姿を見ると、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても悲しいと感じた。この弟子は命をリンチェンドルジェ・リンポチェに救われた後、相変わらず供養を惜しんだ。金を彼方此方に投資していた。結局彼はどんな投資しても全て失敗した。彼は不動産や基金を投資しても損失した。通常によく計算したが、更に可笑しいなのはこの投資は全て女のアドバイスに従った。この弟子は自分は既に一回を死んだから、死亡は何も怖れがないと思うかもしれない。彼は唯自分はお金がないのを恐がって、死亡無常はいつまでも存在する事を思わない。彼は一切考えなかったが、たとえ病気が治ってもその後のリハビリと介護、栄養食品などとても莫大な金額をかけると思わない。彼は元々金がないはずなので、金は如何しても残られない。そなた達は因果はとても巧妙で面白いではないか。

ガムポパ大師開示した。「真純正法の修行者にとって、今世変動の無常性を分かる事を通して、自分は余り時間がなくて長くこの世に存在できないのを認識した。だから、外物をむさぼるべきではない。そのため、自分が持っている物、最も惜しい物でも迷わずに布施するべきだ。」

「真」とは仏を学ぶのは生死を解脱するためだ。何か真の仏法だろうか。何か偽の仏法だろうか。仏は49年間に仏法を説いたのは衆生を助けて生死を解脱させる。だから、若し生死を解脱する事を説かないと、真の仏法ではない。世間に有る団体は人に教えて願に乗って再び来るが、そなた達は菩薩ではなく、行えない。だから、唯業に乗って再び来るしかいない。仏経にこのようなタイプは仏を附着する外道であり、つまり仏法に附着する外道である。若しそなたに金をあげればいいと言われても、偽仏法だ。しかし、市場に全て偽仏法が必要だ。だから、現在かえって偽仏法は主流になった。そなたは事故に有ると、そなたに灯を点す事を教えて、そなたが金を出せばいい。尚更に全ての灯塔を点しても構わない。間違い事をしてもそなたを叱らない。仏を学ぶのはそなたに気性を直して、いい気性になるわけではない。他の宗教を学んでも行え、聖賢の著作を読んでも行える。現在多くのは市場の需要のため。真の事を偽に変えて、偽を真に変える。

「純」とは外道の思想を混ぜない仏法である。外道を混ぜると言われるのは求めがある方式で、加護を求める。外道の考え方は生死を解脱する事ではなく、唯体がよくなると望んで、いい日々を過ごせると望んで、神は何も私にくれると望んだ。助念すれば浄土に往生できると思わない。若し亡者は生前に修行しないなら、彼を助けて唱えれば、彼に浄土に往生できない。唯若し亡者の家族は自分自身唱えれば、亡者の怖れを減少させる。しかし、修行者の助けがないと、済度されない。一般の外道は話した事は全て仏法に関わらない。それは一般の外道は第一、生死を解脱する事を求めない。第二、因果を信じない。第三、自分が行った事は業力を起す事を信じない。第四、唯いつも彼達の主或いは神に求めて、彼達に物を与えるが、徹底的に懺悔せず、自分の行為も修正しない。

「正」とは自分のためではなく、衆生のための心である。人は最も愛している物は何だろう。財ではなくて、この肉体である。そなた達は自分がまだ若くて、日々はまだとても長いと思わない。毎日20歳や30歳余り死んだ人がある。そなた達は自分が病気に罹る事を恐がるなら、純粋な供養布施の心を持っていない。果報を信じないのは真の仏法を学び感謝の気持ちを持つ人ではない。つまり他人が自分への恩徳を分からない。若し供養布施を行う仏を学ぶ人であれば、上師は自分への恩徳を分かる。感謝を分かる人は如何なる破戒するだろう。破戒する人は全て通常に布施供養を惜しんだ人だ。仏を学ぶのは必ず仏教徒は何だろうを分からなければならない。《仏子三十七頌》に説かれた事に満たすなら、仏教徒と言える。

リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んで、第一の法門は懺悔と布施である。供養布施の基礎がないと、どんな法でも修められない。多くの人は事故に遭えば、始めて供養布施する。此れは供養ではない。修行者はそなたにほどこしをさせるわけではない、供養の真心はとても重要である。若し供養心が正しいであれば、たとえリンチェンドルジェ・リンポチェは唯寄付金の封筒を触っても、同じでそなたに福報を累積させる。若し供養心が間違いなら、供養を受けない。昔嘗て有る人はリンチェンドルジェ・リンポチェに部屋を供養した事があったが、同じで返却して受けない。

自分に何のために仏を学ぶのを聞かなければならない。心は正しいかどうか。十分に行ったかどうか。用心にしたかどうか。若し物事の成り行くままに従えば、仏を学ぶのは「真」、「純」、「正」を行わなくて、唯拝んだだけ。リンチェンドルジェ・リンポチェは始めて仏を学んだ以来、行った全ては供養布施していた。多くの人はリンチェンドルジェ・リンポチェは何のために閉関修行しただろう。大した事がないが、供養布施して、閉関修行した全ての功徳を上師に供養して、一切有情衆生を布施する。リンチェンドルジェ・リンポチェは閉関修行するのは供養布施を修めて、行った全ては布施のためだ。円満に閉関修行した時、修めた薈供の供え物は全て閉関を迎えた弟子に与えた。此れは布施である。加持も布施である。若しそなた達は上師に供養の心を持たないと、上師はそなたへの布施は役に立たない。引き続きに皆を教えたが、我々の体は債を返済するため、しかし昨日またある年寄った弟子は自分の体が悪いと苦情を言って、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の要求に応じて、加持を賜った。しかし、彼女が抱いた気持ちにより、たとえリンチェンドルジェ・リンポチェは加持を与えても彼女に役に立たない。それは彼女は供養布施の心を持っていないから。

そなたは始めて供養布施の法門を修めると、全ての貪、瞋、痴、慢、疑はそなたとそれぞれ自分の道を歩いた。それはそなたは一切を捨てられて、最も大切な物事さえ布施できるなら、煩悩を断たれて、自然に貪、瞋、痴、慢、疑の考えを起さない。そこまでできるなら、生死を解脱できる。供養の時、どんな物質を供養するのを見なくて、心は正しくないとできない。菩薩は供養布施を行って、最も重要なのは如何なる貪、瞋、痴を捨てる功徳である。そうすれば、業を転じて成仏できる。福報は自分が享受するためではなく、衆生を助けて、供養布施して、何も求めず止らない。

2007年リンチェンドルジェ・リンポチェはラプチ雪山に閉関修行した時、6月ある夜に寝ている時に自分の心拍と呼吸も止まった事を分かった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはちっとも怖ろしい或いは悔しい心を持っていない。心はとても落ち着いた。ある真純正法を修める修行者は長い時間に此の世に存在しないのを分かって、自分がいつでも事故にある事をはっきりに分かった。それは無常を信じるから。そなた達を代わると、そなた達は考えるかもしれないが、直貢チェツァン法王は自分がまもなく死ぬ事を分かるかどうか。若し私が死んだら、会社はどうする。まだ遺書を書かないが。リンチェンドルジェ・リンポチェの心は自分のためではないから、唯一つの考えを起こした。「若し私の肉体を残って、衆生に役に立てれば、私に残させる。」だから、アチ護法はリンチェンドルジェ・リンポチェに甘露丸を一粒与えて、リンチェンドルジェ・リンポチェを救った。

若し無常を信じないと、死亡が来る時とても苦しい。そなた達は現在行ったのは全て助縁であり、そなた達を助けて仏菩薩と縁を結んだ。若しこの20数年以来、リンチェンドルジェ・リンポチェは完全に教派に奉献しないと、此の世に業を転じられない。自分は無常をはっきりに分かって、自分は長くこの世に存在しない事も意識すれば、本当の仏法を学ぶ人であり、心は獅子のような勇猛で修行は力を得られる。獅子はどんな心だろう。獅子は獲物を捕らえる時、何も考えず、完全に得られる或いは自分が傷付けるかどうかを考えない。仏を学ぶのはこのような勇猛な心を使わなければならない。

寿命に対して、自分の時間が足りないと深く感じる。顕教から見ると、三大阿僧祇劫に至るまで仏果を成らない。しかし、密法で修行すれば、17世に至るまで成仏できる。若し一世50年であれば、16世は約800年以後始めて仏果成れる。しかし、この間にどのような多くの因縁変化があるだろう。自分は仏を学んだと思って、来世でも仏を学べると思わない。若し累世の共業により、悪業が多い所に生まれればできない。例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは此の世に若し直貢チェツァン法王に出会わず、仏を学んで修行しないと、此の世にも無駄に来た。若しリンチェンドルジェ・リンポチェは若い時の計画によって、オーストラリア、カナダに移民したかったが、因縁なので行かなくて、結局台湾に来て、幸い直貢チェツァン法王に出会って密法を学べた。そうしないと、リンチェンドルジェ・リンポチェは此の世にまだ仏を学ばないまでに多くの悪い事を行って、海鮮を食べる事も好き、来世は必ず地獄道に堕ちて苦しみを受ける。

だから、我々は外物を貪る事が出来ない。外物とは財など物質だけではなく、体も含めた。自分の体を貪らない。自分が悪を作って苦しみを受ける時、自分が苦しいと思わないで。此れは全て業報だ。体は病気に罹る或いは傷をつけるが、清浄な本性は変わらない。若し体は報いを受ける時、そなたは全く受けないと、来世は相変わらずこの報いを受ける。病気或いは怪我なら、この貴重な体があって報いを受けられる事を感謝しなければならない。そなたは病気になったとき、肉体を布施すればいい。若しリンチェンドルジェ・リンポチェは癌に罹らず、脊椎は大変に曲がらないと癌の苦しみを理解できないかもしれない。45歳の前にリンチェンドルジェ・リンポチェも高血圧に罹った。糖尿病に罹らない以外、そなた達が罹った病気はリンチェンドルジェ・リンポチェも罹った。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは癌に罹った時の考えは若し癌細胞は食べる事が好きなら、勝手に食べさせる。体が一回に痛めば、債務を一件弁済した。我々はまだこの肉体を持って債務を返済できる時、喜ぶべきだ。

嘗てある者はリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて、自分に癌に罹っても痛まない。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼に言って、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたに痛ませないが、果報は地獄に堕ちて弁済する。そなたは地獄に堕ちるとき、神識は債務を弁済して報いを受けた。神識が痛んで、肉体の苦しみより、神識の苦しみは極めて苦しい。肉体の痛みはまだ止まるときがあるが、神識は地獄の中に受けた苦しみは繰り返して、一分一秒でも永遠に止らない。

我々は体を供養しなければならない。多くの人はとても惜しんだ。此れは感謝の気持ちを持たない人だ。そなたは頑張って得たのは持つべき、感謝の気持ちは必要がないと思わない。若し他人はそなたに機会を与えないと、いくら頑張っても報酬をもらえない。会社に仕事をする時も同じだ。自分は仕事しているから、給料を貰うのは当然で社長に感謝しないと思わない。若し社長は頑張って事業を経営しないと、皆に給料を与えられない。菩薩道を修める人は感謝の気持ちで仕事をして余り高調ではない。しかし、一般人はこのように思わないが、自分は頑張って仕事しているから、必ず報いを得るべきと思った。菩薩道を修める修行者さえ衆生に感謝するのに、衆生がないと菩薩があるわけではない。仏があるわけではない。この世間は単独に存在する物ではないが、全ては他人が有ればそなたに行った事を成就できる。感謝の気持ちを持たない人は必ず布施の法門を修めない。慈悲心も持たない。慈悲は一切仏法の基礎であり、慈悲がないと、どんな仏法でも成就を修められない。

そなた達は現在唯上師を利用して、上師は慈悲でそなたを助けるべき、上師は仏法を開示すべきだと思った。このような考え方を持たないべき。教えに従うべき、上師を感謝しなければならない。若し感謝の気持ちを持つと、上師の話に聞く。直貢チェツァン法王に拝謁する時、リンチェンドルジェ・リンポチェは既に事前に弟子を指示して、有難うを言わないと言ったが、弟子達は拝謁する時も声を出して直貢チェツァン法王を感謝した。それは上師の話を聞かない。つまり、真純正法を修めなく、自分の時間はとても短いと信じなくて、執着過ぎ、通常の時に上師に百パーセントに敬わないからこの行為がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んだ最初の一秒から、上師に完全に降伏されたから、外物を貪らない。そなた達は通常に供養布施を惜しむと、貪る心があり、外物を貪って、自分の時間が短いと信じない。若し供養布施を分かると、貪らず、自分が最も大切な物でも迷わず布施する。例えば癌に罹って受けた苦しみは自分の体で行った布施だ。上師の話を聞かない人は供養布施を分からない人である。

昨日ある皈依弟子一家はリンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、彼達の爺のためポワ法を修めた。何回を求めた後、昨日再びポワ法を求めたけど、求めない。一番上の孫は突然に口をついに出て、リンチェンドルジェ・リンポチェに聞いて、「如何なる爺のためにポワ法を求めて得られるだろう。」それは彼はいらいらしていると感じた。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのように話したのは破戒だ。この家である人は皈依した後、相変わらずタバコを吸い、酒を飲み尚更に肉を食べた。更にこのようにいらいらして求めたが、そうすれば此の世に如何なる求めても得られない。

この時ある信衆は居眠りをして、両足を抱いた。リンチェンドルジェ・リンポチェはすぐこの信衆に退場されるを指示した。彼女は今日説かれた仏法が自分に関わらないから、聞く必要がないと思った。だから、居眠りをした。また、通常にリンチェンドルジェ・リンポチェに指摘されて退場された信衆はこの後再び来なかった。

《寶積経》の中に仏が申された、供養するものは自分が支配出来る財産、自分の名前に属する者である。絶対に脅かして、恐喝、騙し或いは借りて、他人の財産を奪って布施することがいけない。なぜ貸し借りがいけない、それは貸し借りであれば、そなたは圧力があり、その後、そなたがお金の困る事があると「とっくに分かれば供養しない」との考えが起きられて、これは謗佛である。上師の話を従順しない者は布施供養の事も分からない。夫がそなたにあげた家用なお金も使ってはいけない。その中より少しを誤魔化して供養にも使ってはいけなく、夫は特にこのお金の用途を言わないには限られない。夫がそなたに与えたお金の用途を指定すれば夫の賛成を貰わずに勝手に流用してはいけない、夫はそなたが自分で用途を決めてもいいとは限れない。

実は内緒のお金というお金がない、例えば、夫が妻にお金を与えて、どの事を処理させたが妻が半分を事の処理に、もう一つの半分を他の用途に流用して全部窃盗と言える。夫ははっきりにあのお金をそなたに使わせるには限れない、さもないと自分が勝手に使ってはいけない。そなたが既に夫にお金をどう使うかと教えて、その後かえってあんなに使わなければ、戒を破った。それは嘘をついたから。前既に開示された、ある寺院の住持は供養を受けた。信者はこのお金の用途が仏像の使いと指定したが、あの住持はかえって寮を建てることに使って、最後にやはり地獄に堕ちた。この住持は自分のため使わなかったがやはり因果があった。

不当な方法で稼いだお金を供養として持って来れば、リンチェンドルジェ・リンポチェも受け取らない。お金の来歴が良くなければ、布施してもただ悪果を作った。功徳を貪欲しないで、福報を貪欲するな。最近があった争論のようで、ある者はばくちで儲けたお金を寄付して他人を助けた。しかしばくちは悪果を起こす。善と悪と相殺する事が出来ない。ある者は自分が不当な事をして、儲けたお金の一部を寄付すれば、悪い事がないと思った。こんな考え方がまちがった。このようにお金を寄付しても無駄だ、寄付した者が既に過ちを改めてもうこんな事をしないとは限れない。

十数年前ある女信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに夫と不愉快になったと話した。それは南部にはある寺院の出家衆は彼女に500尊の羅漢の仏像を作るチャンスがあるのを教えて、この功徳が大変大きくて、彼女に1人で他人にやらないと完成させた。1尊の羅漢は少なくないお金がかかり、500尊ならさらに若い数のではなく、彼女が1人で完成出来ないので、夫と相談してハウスを売って仏像を作ると希望した。彼女の旦那さんは賛成ではなかったので不愉快になった。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェにこの事を伺った時、リンチェンドルジェ・リンポチェが仰った:「夫が賛成しなければ、この仏像をしなくても良い。」南部の寺院の法師はこの女信者が大変お金持ちと思ったかもしれなく、この女信者の経済状況を分かれら、彼女に1尊或いは2尊の羅漢を作ると薦めれば結構で、同じ功徳があった。

功徳は大小と分けなく、蓄積するより砂をためて塔になるのである。一件大きい功徳をして、そなたの心の中に少し傲慢を起こせば、大功徳でも小さい功徳になって、ひいては福報しかない、梁武帝みたいだ。かえって、分別心がなければ、小さい功徳さえも大変大きい功徳に変えようとする。

釈迦牟尼仏は嘗て一つの法会を主催して、法会終わった後、弟子が釈迦牟尼仏に伺った:今回の法会には誰の功徳が一番大きかったか?釈迦牟尼仏は遠方の1人お婆さんを指した:彼女の功徳は一番大きかった。弟子が法会を護持する国王のが一番大きいと思った。釈迦牟尼仏は申された:このお婆さんはお金がない、只一つの小さいカンデラに火をつけた。しかし彼女は国王がお金を出して法会を行ったのを賛嘆した。それで彼女の随喜功徳が一番大きくて、それで彼女がつけたあの小さいカンデラが永遠消さないのである。

この間に二つの例があり、一つの夫婦と1人信者は昨日リンチェンドルジェ・リンポチェに彼らに続いて道場で大礼拝をさせるように求めに来た。この夫婦はある日に2人が突然に起きることが出来なかったので早課時、大礼拝をしに来なかった。もう1人信者は病気にかかった母親の代わりに道場で大礼拝をするがかえって遅刻した。それで全部資格を取り消した。なぜこんなになったか?あの一つの夫婦は自分のためして、衆生のためではない、自然に障碍が生じた。そなたが大礼拝をするのは衆生に布施するのである。しかし衆生のためではなく、自分のお体が良くなると希望すれば、運動と同じだ。あの信者は自分が既に暫くしたと思って、油断で遅刻してしまった。そのため、既に来ない以上、もう来ない。

現代の若い者は全て自分がし間違ったら謝れば結構だと思った。しかし、これは全部リンチェンドルジェ・リンポチェと関係ないことだ。但しリンチェンドルジェ・リンポチェが彼らに一つ法門を教えたが、彼らは従順しなかった。そなたが道場に来て大礼拝をするのを承知した後、即ち自分の冤親債主に承諾した。出来なかったら彼らに自分が言ったことを守らなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェに願いに来ないで、リンチェンドルジェ・リンポチェのため手伝うのではないから。そなたが承知すると必ず出来て、命をかけでもしなければならない。人はなぜ輪廻にまた来るか?それは生々世々承知して出来なくて、貸しを取り立てても承諾を守らなかった。人道が出来ればはじめて仏道になる。それは人道にいて全ての条件が出来てはじめて仏になる道へ進むとの表れである。

ガムポパ大師が申された:「布施を習うなら、水、火こんな小さいことより布施するべきで、例え水、火こんな自分とあまり関係なく小さい物事さえ布施する心がなければ、我等は現在すぐ断言出来た:この者は未来に必ずケチとの障碍があった「細いのど大きい餓鬼」など者に生まれようとする。」

布施を勉強すれば、水、火こんな小さい事より布施するべきだ。これは古代の西蔵には水、火全部が家内より取りやすい物だから、水、火から布施する。しかし現代の社会は、能力が出来る物は全部取り出して布施できる。例え水、火こんな自分とあまり関係なく小さい物事さえ少し布施の心がなければ、我等は現在断言が出来て、この者は未来きっと餓鬼道に堕ちる。我等は絶えずに、小さい善よりし始めて、続いて供養布施を蓄積する。

善行はわざとしないでボーイスカウトのように1日に一つの善行をするようにもするな。新聞予報を見て、誰が貧困だと報道すると蜂のように走って行って沢山の品物を寄付して、こんなにするのは役に立ったない。随縁すれば結構で、あったら自分の能力により少し足し助けをして、功徳を貪欲するな。例え、そなたは隣の小学生が本当に食事をするお金がなければ、そなたは彼を助ける事が出来る。衆生を助けるのは分別心があらない。物質はただ一部で、関心の心があってはじめて布施で、選択する布施も役に立たない。ある者は流浪する犬を持ち帰って、養うのは自分が善行すると思った。しかし浪人ならそなたが家に連れて帰りたくないだ。そなたは流浪犬の方が割合に控えやすくて、浪人は比較的に控えし難いと思ったかもしれない。

供養布施をするのは福報を蓄積するためのではなく、福報を蓄積するのはただ供養布施の一つ付け加えた仕返しだ。一番大切するのは絶えなく供養布施することより、我らの貪念と執着を取り除く事が出来て、これも供養布施するが一番重要な役割だ。人はなぜ苦しむか?目、耳、鼻、舌、身の影響を受けて貪念、執着が起こられたから。供養布施との法門を通じて、我らの貪欲と執着する心を少し減らせてひいては切れ除く。布施は呼吸と同じで、やると正しかった。一番重要のは供養布施で、次は呪文を唱えるのである。

最近は1人リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した出家弟子も来なくて、彼女は仏を学ぶには多くの法を勉強することに執着して、貪欲が起こると、あちこちの道場へ行ってもう1人リンポチェの道場へ仏法を聞きに行って、あそこは大手印を伝授していたから。彼女はまた戻って来てリンチェンドルジェ・リンポチェに四加行を彼女に伝えるように頼んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に伝授しなくて、彼女はあちこちへ走る事が好きだから。多くの伝法上師があまり厳密ではなく、弟子がなにか勉強したいなら、すぐ伝授して、自分も彼方此方は走るから。あれら伝法上師は至る所に法を広めて、その方法とリンチェンドルジェ・リンポチェのと同じではなく、そなた達は彼方此方へ聞けばリンチェンドルジェ・リンポチェと仏を学ばない。リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を教えるのは一定な方策があり、毎週是非固定に仏法を説いて台湾にいなくても皆にリンチェンドルジェ・リンポチェが以前開示された法会のテープを聞かせた。台湾の寶吉祥仏法センターのように毎週に法会がある道場がもうめったにがない。

リンチェンドルジェ・リンポチェの法を広める方式が好きでなければ、離れる事が出来る。先程居眠りして追い出された信者のように離れても結構だ。それはリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子が多いことを貪欲しないから。弟子が少なければ心配することも少し減った。こんなやり方はそなた達は外の道場で見えないだろう?実はリンチェンドルジェ・リンポチェが全てそなた達に示現して見せたのは全部あまりも一般な行為だ。離戯ヨガまで修め得た修行者はある時した行為は世俗者に受け取らせないのである。古代には1人濟顛和尚があって、歴史の記載により、嘗て西蔵十数年を滞在した。リンチェンドルジェ・リンポチェの見方により、彼は密法を勉強して、離戯ヨガまで修め得たはずで、それで様々な行為を世人に示現した。それより世人に知らせて、この世間には全ての正しい、間違い、良し悪し、実は全部世人の主観的に来られて、世間の事は圧倒的に不変な物がない、絶対に圧倒的に良し悪しがない。正しいと間違いとは只ある地方の主観的価値観であり、どこでも言えるではない。仏法には正しいと間違いと言わなく、仏法は因果を説く。一般な者が思った正しい事は彼がどうしてもそれが間違いとして見せた。一般名者が思った間違い事は彼はわざと世人にそれも正しいと言えるのを見せた。濟顛和尚の挙動は全く世人が深く植えた執着心を破るため示現するのである。

我等は日頃に絶えずに自分が供養布施するのを訓練して、布施は只財産の布施と限れなく、日常生活より、小さい所を始めて訓練するべきだ。例えリンチェンドルジェ・リンポチェが運転する時、お体の不自由方或いは老弱婦孺がろ道を渡す時是非車を止めて、彼らにまず通らせた。そなたが急いで運転して通したら通行人に一つの圧力を生まれさせて、嚇かした。そなたが止まって、彼らに先渡させて、彼らに一つの安心な歩く環境を有らせて、これも布施だ。この礼譲の習慣は香港に居た時身につけたのである。しかし台湾ではある者はいつもこのようにしない。運転するとかオートバイに乗るとかいつも急いで横断歩道を奪って通った。相手が弱者時、そなたが彼に礼譲すれば布施を行った。そなた達は三輪体空など名詞を話す必要がなく、小さい所をはじめてして、因縁によりして、出来ればして、次第に自分が一番貴重なものを布施するのをはじめて出来た。

仏経には放生が一つの布施だと説いた。ある者はわざわざとある亀、魚、鳥を買って放生して、これ等の動物の頭に気を吹いて、三皈依を唱えた。これは彼らを助けて福報があると思った。しかし元来この水域に合わない魚類を下ろすと彼らに害をしたのではないか?水があんなに汚くて放生する魚はやはり死ぬ。商人はあなた達に放生する動物を有らせるため、わざと少しの鳥、魚を捕まえて売りに来て、そなた達はまるでもう一つお金持ちのグループを作った。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てこんな馬鹿な事を二回した、その後申しなかった。本当に自分が殺生をしなければ、放生である。放生は随縁で、選択性でするな。一匹の蟻が溺死される時、そなたが彼のためちょっと動かして、彼に溺死させなかったら放生であり、例え最後にこの蟻が死んでも、これは彼を利益するため、この心があれば結構だ。

ある者はリンチェンドルジェ・リンポチェに伺った、ゴキブリはする事が出来るか?これは二つの段落に分けて話す。ゴキブリを殺すのは顕教では殺生の戒を破ってだめだ。チバット仏教の祈請文では三悪道の衆生の命を短縮するように希望した。それは、三悪道の衆生が大変苦しんで、また仏法を聞くことが出来なくて、それで彼らの寿命があまり長くしないで早めに投胎して人になって、はじめて仏法を学ぶチャンスがあって、六道の輪廻より離脱する。能力がある行者はひいては彼らを殺して、実際に彼らを済度した。菩提心戒を守れば、一切は衆生が輪廻を離脱するとしてする。そなたは現在顕教の階段を学ぶによって、済度能力がないのでゴキブリを殺す事が出来ない。

家には鼠があれば、環境衛生の要素を除いて、家主「心」の問題だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは経営する日本食品店、一軒の店が開幕した時、嘗て一匹の鼠が現れた。彼らは捕まった鼠を有る鼠に恐れた弟子に養ってもらって、鼠が病気にかかった時、また獣医を見に行った。その後、鼠が死んだ。現在店の中に鼠がない。なぜあの弟子が鼠に恐れたのにわざと彼女に養わせたか?彼女にある衆生と縁を結ばせるから。

人々は全て執着する事が出来で、だから『地蔵経』は我々に下記の事を教えてくれて、家族が死んでから、彼に生前に最も好きな玩具を布施してあげる事を助けてあげて、所謂玩具が死者が生前に最も好きな物で、特に骨董、宝飾品のような物である。かつて、リンチェンドルジェ・リンポチェは古い七弦琴にある幽霊を付ける事を見た事があって、それはその古い七弦琴の過去の主人はその上に付けた。リンチェンドルジェ・リンポチェは腕時計などの物に付ける幽霊を見た事があって、全て死者が自分が好きな物を離れる事を惜しまなかった。一回、リンチェンドルジェ・リンポチェはある宝石商の要請を受けて、フランスのパリに着いて、宝石商はリンチェンドルジェ・リンポチェにある30カラットのエメラルドの宝石を鑑賞した。この宝石がリンチェンドルジェ・リンポチェの手に置いてから、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの宝石の一番最初の持つ者がどの世紀で生まれて、どんな名前などをすぐに説かせた。宝石商達はとても驚いて、急いで資料を調べて、果たして、リンチェンドルジェ・リンポチェが仰ったの通りのである。これは最初この宝石が売られて寄付するのではなくて、何回目の転売した後で、最初の主人がまた上に付けていて、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが知った。

だから、何故死者に代って彼が生前に最も好きな物を寄付して行くのでしょうか?彼の執着を斬るのためである。その上、そなた達は彼に代って彼が最も好きな物を寄付した前に、耳に側に彼に「私はあなたに代ってあなたが最も好きな物を寄付する予定で、そなたを福報を累積させる」を言うほうがいいのである。そうすると、彼は歓喜心を起こす事が出来で、そして、執着を斬られた。

ガンポバ大師は「これらの小さい事により、布施の習慣を身につけた後で、ある日に広大な布施を学ばれて、最後、頭、目、手、足などの自分が大事にする身体の器官を布施しても、全て少しでもの困難も無い事を感じられる。もしこのように修行する事が既に出来れば、それでは、我々はこの罪深くの輪廻を既にそれぞれ自分の道を歩む事になろう」と開示された。

人々が最も惜しむのはお金ではなくて、自分の身体である。小さいところで学んだ供養により、それから、次のステップの布施は身体でも布施擦る事も要った。何故、リンチェンドルジェ・リンポチェは施身法を修める時に、自分の全ての身体を全て布施する事を観想する事が出来で、済度が要る衆生に食べさせるのでしょうか?つまりこれを遣り遂げたわけである。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェの身体がまた生きているけれども、真に全て布施をあげて行った。

お経には、多くのストーリは釈迦牟尼仏が自分の身体を衆生に布施させて、例えば肉を切って鷹に餌をやらせたり、トラに餌をやらせたり、自分の目を掘るなどを述べたことがある。釈迦牟尼仏はとても大きな虫になった事があって、ある飢饉を起こした村で生まれて、それらの村民に彼の肉を食べさせられた。仏がこれらの事をわざと示すのは我々に身体の作用が布施するの為に、身体の布施を惜しまないなら、布施ではないを教えてくれた。八地以上の菩薩を修め得ると、自分の腕を切て衆生に与えられて、その上、苦しみが無いで、切っても手が又成長する事が出来る。リンチェンドルジェ・リンポチェはいまこの程度が遣り遂げられないで、そなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェの手を切って来ないで、リンチェンドルジェ・リンポチェの手がまた残して法器を持つ事が要るわけである。だから、出来ない事であれば、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなたにいま遣り遂げない事を説かせた。

数年前に、リンチェンドルジェ・リンポチェは教派に手伝うの為に、何回目に青海に向かった事があった。青海でドライブウエーがとても上下に揺れて、道が無いで、全て小石の道で、搭乗時間が少なくとも12時間にかかった。普通な人も我慢できないで、況してリンチェンドルジェ・リンポチェの脊柱は厳重な脊柱側弯症で、このような長い時間で震動して、脊柱が恐らくとっくにきれた。リンチェンドルジェ・リンポチェにとって、青海に向いて教派の為に務めて、自分の身体を布施して行くのである。これはリンチェンドルジェ・リンポチェの修行が飛ばれる程度に至らないので、此処からあそこに向きたいなら、ただ車を利用する事だけで出来た。そなた達はチャンスがあって教派の為に、上師の為に務められるなら、これも身体が布施するのである、癌に罹るのは最も良い布施の機会である。

今年の初めの時、リンチェンドルジェ・リンポチェは元々閉関をして行く予定が無いけれども、これは直貢チェツァンが閉関が要らないと仰ったわけである。リンチェンドルジェ・リンポチェは必ず何か変化があると思っていて、やはり、直貢チェツァン法王が急にリンチェンドルジェ・リンポチェを閉関させた。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王がこのように指示させる事を聞いてから、ただ従って、「何故」を尋ねた事が無かった。そなた達であれば、心の中に必ず大きな疑問を起こして、前に閉関が要らないと仰ったが、いままた行くというのは後の諭しと前の諭しがお互いに抵触するのではないか?しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこのような考えがあった事が無いで、何故ならば、上師が仰るのが全て自分でよくなるのためを知っているわけである。布施供養があったら、上師に恭敬していった。因縁が様々な変化があって、そなたはこの間に如何になる事が分からなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェの性格により、遣り遂げない事が絶対に承諾しない。承諾したら死んでも必ずして行く。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェに見つけて、リンチェンドルジェ・リンポチェを承諾させる友たちは少ないで、何故ならば、リンチェンドルジェ・リンポチェが随意に妥協する事が出来ない事を知っている。随意に承諾しないので、リンチェンドルジェ・リンポチェの人間関係は良くないのである。如何なる事をする前にはっきり考慮して慎重しなければならないのである。そなた達は情勢なのに気軽に自分が出来ない事を承諾してはいけない、以降でまた対応する事をしてはいけなかった。話したら、虚空の中にエネルギーに発生する事が出来る。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王が閉関する事を承諾するので、閉関をしていった。直貢チェツァン法王に修行をすることを承諾したので、努力して修行している。

だから、男は「あなたを愛する」を言ったら、女は気軽に返事しなければならないで、男も気軽に女に「あなたを愛する」を言ってはいけなかった。言う前にか遣り遂げるかどうかを必ずよく考えいていて、言ったら承諾で、業力を生じていった。言ったら遣り遂げないなら、承諾を守らないのである。

今度はインドに行って、一部長くて皈依する弟子は他の弟子に「ある場所で、傘を広げる事が出来ない、これを行ってはいけない、あれを行ってはいけない。何故ならば、リンチェンドルジェ・リンポチェに恭敬を示すわけである」と言った。しかし、いま、皈依する弟子の人数が多くなって、様々な考えがあった。我々は善意の忠告を言えて、しかし、指示させる事のではなくて、軍隊で指示させる方式を採用するのである。傘を広げる事をしたら、リンチェンドルジェ・リンポチェに恭敬しない事のではなくて、相手の身と心がとても恭敬するかもしれない。たまには、リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王が共にいる時に、リンチェンドルジェ・リンポチェも傘を広げて、サングラスをかけていて、尊勝なる直貢チェツァン法王も何も仰った事が無かった。リンチェンドルジェ・リンポチェは「何故ならば、尊勝なる直貢チェツァン法王もサングラスをかけていた」とユーモアに仰った。

市中には大衆にご遺体を寄付するように勧めて、リンチェンドルジェ・リンポチェはご遺体を寄付することに賛成しなかった。何故ならば、ある者は生前に器官に寄贈する同意所に署名しても、彼が死ぬ前にどのような考えを生じる事が誰でも分からないで、もしこの人が生きている時に布施の習慣がないなら、小さいところに布施をした事がないなら、彼が完備している身体を保留する事を突然に望んでいるのかもしれないで、彼が自分がこのように死ぬ事を思わないかもしれない。もしこのような考えがあったら、死者は自分の身体に執着と懐かしく思いを持っている事になった。その頃、ナイフが切ってから、死者は痛みを感じていて、何故ならば、死後の8時間以内に意識がまた身体に残っていた。そなた達は類似なストーリを聞いた事があった。リンチェンドルジェ・リンポチェはポワ法を修める経験により、医者或いは看護婦が死者の脚の位置が間違って置いたら、或いは、看護婦が彼に衣服を換わる動作が穏やかではないなら、死者が怒ってしまって、まして器官を斬るなおさらのでしょうか?このようにしたら、死者の瞋恨心を起こさせて、瞋恨心を起こすと地獄に堕ちてしまった。医学には既に発見し、一部の器官を移植させられる者は器官を移植してから性格が大きな変動し、甚だしきに至っては器官に寄贈する者の性格に似てった。これは死者の霊魂は器官の上に付けて、一緒に移した。このようにしたら、死者に良くないで、移植させられる者にも良くないのである。

だから器官を移植する事は死亡以降の8時間の後で、その上、ずっと死者の耳の側に彼に話して、彼に布施をあげさせる事を話していて、しかし、8時間以降に器官も使えなかった。もしご遺体の寄贈が良いことであれば、仏は必ず早速に説いた。仏の智慧により、3千年前に、胎児は母のお腹に10ヶ月の毎月の変化さえ明らかに記録することも出来で、如何にご遺体を寄贈することを知らない事かを有り得なかった。

外の一部の人々は誤解があって、チベット仏教に皈依したら離れる事が出来なくて、離れれば三昧耶戒を破れて、上師に処罰させれた。これは誤解である。有る上師は憤怒したら上師のではなかった。金剛乗の修行は三昧耶戒を守らなければならなくて、仏菩薩、上師、衆生に対する承諾が必ずしなければならなかった。仏菩薩への承諾は生死輪廻を解脱する仏法を修めて、上師への承諾は教法に従って実行して言う事を聞いてして行って、衆生への承諾は承諾する事が必ず遣り遂げるのである。だから、そなた達は他人に何を随意に承諾するがしない事をしてはいけなくて、これらが戒律を違反し、そなたが承諾したら、相手が印象があってそなたに完成することを待っているわけである。だから、離れても大丈夫で、上師或いは仏菩薩がそなたに処罰させないで、ただそなたの冤親債主が返済を来て取らせられた。

ガンポバ大師は「以上の述べる事により、我々は最初水と火などの小さい布施を学ぶべきである。その次に、最も悪く砂利という物を布施をあげる事を練習する。最後、自分は自分が最も最も要って、いちばん大事にしている品物を布施してあげるべきである」と開示された。

最も悪く砂利という物とはお金、財産のような物である。かつて、直貢噶舉は台湾で始めの道場は毎月の全ての出費がリンチェンドルジェ・リンポチェの一人を全て務めた。その時、リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が商売をしてお金を稼いで、一回、商売は比較的によくなくなって、しかし、道場がお金が 要るので、リンチェンドルジェ・リンポチェがもともと事務室の家賃に支払うお金を先に道場に護持させた。そなた達であれば、事務室が家賃を支払って、商売をしてお金を稼いで始めて、お金を稼いだら道場に護持させて始める事と思っている可能である。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが供養布施の方式を遣り遂げなかった。そなた達の供養の方式は、例えば、1ヶ月に稼がれるお金を先に家賃、子供の学費、或いは親戚が幾らを返さなければならなくて、先にあげた。最後、5千台湾ドルを残るかもしれないし、これを供養にして、このようにしたら、本当の供養心がなかった。

本省人は「先に食欲を世話し、それから、仏を世話する」という諺があった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達と相反し、必ず仏を世話した。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて貧乏の程度が次の食費が何処にある事をしらなくて、が、仏机の朝晩の2本の線香が断った事がないで、仏に供養する灯火、花を減らした事がなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に全ての品物を供養してあげる事ではなくて、そなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェと同じレベルをさせる事ではなくて、そなた達に供養の心がとても重要だを教えさせて、修行者に供養する事が施捨になってはいけなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは最初仏を学ぶ時に、「死亡無常」を既に体得し、時間に至るが布施供養を間に合わないすることを恐れて、そなた達が死ぬ前に供養をすることを思い出すのようなではなかった。特にいま50歳の人は自分がまた80歳まで生きていると思っていた。いま20歳、30歳に人は死亡が自分に遠い過ぎると思っていた。もし、死ぬ前にただ数百台湾ドルを以って供養したら、1ヶ月に5万台湾ドルを稼ぐ事により、20年の寿命が1千2百万を稼がれて、しかし、そなた達が1千2百万台湾ドルを供養する事が無いで、このように評価したら、そなた達の命も余り値打ちがなかった。だから、平時に供養する事が言って、もうすぐ死ぬので供養する事をしてはいけなかった。

直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに「リンチェンドルジェ・リンポチェは本当に心を尽くして供養する」を説いた事があった。直貢チェツァン法王は大きなお金を見ると嬉しいのでこのように言う事をしないで、リンチェンドルジェ・リンポチェが本当に真に供養する事を見た。お金を指すだけではなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの人々が法会に参加するが供養箱を供える事をしない事を知っていた。当日、リンチェンドルジェ・リンポチェはいないでも、そなた達にテープを聞かせて、しかし、供養が多くて少なくて、リンチェンドルジェ・リンポチェの本人の共修法会を自ら見えれば、供養金を多くなって、何故ならば、テープの方が安いのでしょうか?そなた達はこのようにしたら分別心があった。心配する事が要らなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に処罰させないで、このように長くて供養をしない事を処罰させないなら、いまも処罰させなかった。そなた達は供養をしないでも構わないで、リンチェンドルジェ・リンポチェもそなた達に欠けなかった。そなた達は自分がお金がないので供養できないと言って、それは信じられなかった。

我々は小さい事から供養布施を絶えずにしている事に慣れる時に、全ての品物が身体でも供養して布施する事事も出来て、善事をする時に、自分が善事をする事を執着するのを有り得なかった。却って、自ずから慈悲心によりしている。そなたは善事をする善業を執着しない時に、そなたが善の業力も起こさなかった。悪業が既に断って再びしないで、善業も起こさない時に、善業と悪業の力の推進がないなら、再び輪廻をする事がないで、ガンポバ大師が開示させるのように「業もそれぞれ自分の道を歩む事になろう」のである。そなた達はこの世に仏菩薩果位を修めないなら、再び来る事を随意に発願をしてはいけない、生死を解脱する事を修めないなら、その時、そなた達がただ業により再び来るだけで、この世に人生をよく把握して仏を学んで修行する事をしないなら、来る事が無駄してしまった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは青海に向かう時に、教派の中に、その時、既に1百20歳余りのアニが「リンチェンドルジェ・リンポチェは他のリンポチェと異なって、この世の業が既に一掃し、だから、来世が再度来る事が要らない」と自ら説いた。何故ならば、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師が言う事を聞こえて、そなた達の心が改正しないなら、どのように大礼拝をしても役に立たなかった。直貢チェツァン法王は何故「寶吉祥弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェの諭しを聞かなければならない」を開示させるのでしょうか?これは弟子達が同じように言う事を聞かないわけである。

リンチェンドルジェ・リンポチェの修行方式は普通な人に比べて異なって、経典を唱える事により成就する事のではなくて、実行に証して修めて、修めえて、証して得て、それから、経典の中に証明を見つかった。だから、見地と証地をいえて始めた。普通な人は修める事でも修め得ないで、まして、見て証する事を言う事が要らなかった。もしただ証地だけであって見地がないなら、役に立たないで、或いは、ただ見地があって証地がないならば、これも出来なくて、両方共に具えると衆生に利益して始める。仏経には記載されるのは大修行者が見地と証地が一緒に修めて、大修行者がそなた達にして見させられて、そなた達が証しないで、仏が説く事を誤解しないで、仏が説くのが全て生死を解脱する事が役に立った。寶吉祥のこの道場の中に、多くのストーリで仏経に記載させる道理を証明する事が出来で、リンチェンドルジェ・リンポチェは自身の修行の経験にて仏法を開示する時に、身地、証地を全て遣り遂げるので、仏法を生活化させて、そなた達に更に異なる感銘にあげられて、或いはただスローガンを言った。

市中には助念を流行していて、助念チームを組んで、人々が往生する時にお経を唱えて助けた。仏経を何度も読んでも、助念の言葉を見つからなかった。『地蔵経』、『阿弥陀経』、『浄土五経』の中に助念により浄土に往生する事が出来るのを記載した事が無かった。所謂助念とは死者の為に彼の心を固めるように助けて、死者が生前に修行がある者であれば、助念をしたら彼に浄土に往生する信心を固められた。もし死者は生前に仏を学んで修行する事がないならば、助念が彼に一寸平静させた。人々は大善或いは大悪をする事を除いて、往生するとすぐに業力により従って、或いは、往生した後の49日以内に、家族が仏法の助けを通して死者の業力が変える事が出来た。

リンチェンドルジェ・リンポチェはある男の弟子に開示し、家に毎日に大礼拝をして加護があると思って、彼の家族が既に供養したので、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの家族に加護してあげるはずと思っていた。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの男の弟子がした大礼拝の功徳がただ来世に使えて、この世にまだ使えない事を開示した。もう一人の男の弟子は細かい計算して、お金と休暇がないのでインドに行けない事を計算し、デヘラードゥーンのヂャンチュウブリンに行った事があって、今回再び行く事が要らないで、ただジャランダーの法会に参加した。結局、意外にも、ヂャンチュウブリン寺に、直貢チェツァン法王は皆にとても役に立つ開示を突然に与えて、彼がこの点を計算しないので、参与しないで、何故ならば、彼が分別心があったから。

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2011 年 12 月 06 日 更新