尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2011年11月6日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは台北寶吉祥仏法センターで共修法会を主催して、ガムポパ大師は具器弟子が具相上師に会う及び布施する法門を開示し続けた。

共修法会が始まる前に、嘗て皈依したことがある一名の女性の信者は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに発露懺悔した。彼女は幼い時に、彼女の父と叔父はエビ釣り場を経営していて、毎週もレストランに行って外食して魚や肉を結構食べてしまい、特に常に海鮮、刺身を食べたことがあり、彼女の母は子供のために多くの海鮮、ブタ肉、鶏肉を料理したから、たくさん多くの殺業を犯した。彼女が幼い時、多くのアリを捕まえて固体アルコールの中に置いて燃やしたことがあり、彼らに苦痛を感じさせたが、彼女はとても面白いと感じた。彼女は嘗て川で多くのオタマジャクシ、蛙、蟹を捕まえて、魚、カイコ、鼠、兎及びスッポンを養ったことがある。彼女はスリッパでゴキブリを打ったことがあり、お湯でゴキブリに焼けどをして、蚊とハエを殺したことがあり、多くの昆虫を傷つけたことがあるが、しかし彼らに同情する心が少しも無くて、更になんでも構わないと感じたのである。

彼女は入学する期間、性格がよくないから、常に先生に口答えをしてかんしゃくを起こして、そして先生をののしって、先生をからかった。彼女はどんな事を見てもすべてが目障りになると思って、同じく学友と他人の噂や悪口を言って、試験にはカンニングをして、また常に母と口答えをしてかんしゃくを起こした。

彼女が社会に出た後に、レストランに勤めたことがあり、多くの衆生を傷つけたが、衆生が受けた苦しみについて、苦しいと感じたことが少しも無かった。彼女の父の一族は農業に従事したので、その故多くの兎、犬、鶏、家鴨、ガチョウ、豚、牛を飼って、野菜畑の中でも多くの衆生は傷つけられた。彼女の伯父、叔父と二番目の父方の叔母はすべて癌で亡くなったので、四番目の父方の叔母は飛び降り自殺して、一番小さい叔父はとてもとっくに逝去して、婆さんは糖尿病で逝去して、爺さんは長年病気に罹って逝去して、彼女の父は10数年前、糖尿病にも罹って、毎日多くの薬を飲まなければならなくて、これらはすべて彼女に殺業の恐ろしさを深刻に体得させた。もし、リンチェンドルジェ・リンポチェのこのような大修行者の慈悲な加持がなければ、彼女の祖先及びこれらの衆生はすべてまた六道輪廻の苦海にいて済度される事を得られない。

彼女は18歳から皮膚に赤い腫れがあり、凄く痒くて、ちょっと掻いて水疱ができて、ひとつひとつが水を流して、膿を流して、魚の生臭さが出来て、彼女に昔自分が海鮮、焼き肉を食べるのが好きなことを思い付かせた。スライスした肉はあぶり焼く時全てものともしないで泡、彼女の身の傷口のように、彼女は全身上から下まであるべて速くてぼろぼろになり一回を過ぎて、状況は良い時と悪い時があって、この原因のため、彼女はその時の同僚の紹介を通して、2006年4月に宝石店へ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見することを申し込んだのである。

彼女は口を開いて求めないで助けを貰えると思った。リンチェンドルジェ・リンポチェは「どんな事でしょうか」と慈悲深く尋ねた。彼女は「リンチェンドルジェ・リンポチェは全て知っているのではないか」と高慢的な考えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは開示した事があって、衆生が自ら口を開いて求める事言って、縁が生じて始めた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに「私の皮膚が過敏である」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「診察を受けて薬を飲む事が十分である」と回答した。彼女の心の中に「リンチェンドルジェ・リンポチェは如何にこのように私に回答したか」と考えた。それから、「ステロイド剤を飲んだら身体によくないので薬を飲まなかった」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「そなたは菜食しなかった」と仰った。彼女の回答は菜食する事を開始し、しかし、心の中に考えていたのが三日間前に菜食して始めて、また、信心が不足なので、こっそりである祭ったソーセージを食べた事があった。リンチェンドルジェ・リンポチェは「しかし、そなたの彼氏はそなたに肉食をする事言ったら、そなたが肉食をしてしまう」と仰った。彼女の心の中に「何故リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が彼氏がいる事を知っているか」と考えていた。彼女は考えていてから「菜食する」と回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「よし、手を伸ばしましょう」と仰った。彼女に手の平を上に伸ばして彼女に加持させて、その上、彼女に肝臓が良くないと話して、その上、彼女に毎日に起きてから目やにがあって、喉が渇いていやすくのでしょうかと尋ねて、その上、彼女に早めに寝る事に気付かせた。リンチェンドルジェ・リンポチェの提示により、彼女が本当にこのようなことがあって、ただ彼女が普通に自分の身体を注意しなかった。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加持がとても感謝し、彼女の皮膚の状況を上手く良くなって、また、水と膿を流さないで、ぼろぼろにならないで、これも彼女に菜食する信心を固めた。

2008年1月6日、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して、その年2月に寶吉祥グループの日本食品貿易部に入って勤めた。今まで、彼女はすべてサービス業に従事して、事務室で働いたことがなくて、自分は個性が注意深くないと思っているため、情緒が大きく変化して、事務室での仕事に適しないで、店舗が開幕した後に、彼女は店舗で出勤していた。彼女の個性はしまりがなくて、仕事をやるのは竜頭蛇尾であり、いつも他の人から片付けて善後処理してもらうのを必要として、圧力に抵抗することが弱くて、根気良くなくて、安定性はとても悪くて、新入社員を連れて教えることもできないが、しかし、このすべてはリンチェンドルジェ・リンポチェが全部て知っていて、よく彼女に自分の年齢が小さいと思わないでください、仕事をするのは注意深くて慎重しなければならないように気づかせた。

本社にいる時、彼女はいつもその他の同僚に依存して善後処理してもらって、仕事を彼らに捨てて完成してもらって。しかし、店舗にいる時、彼女は一人だけで、すべての事は必ず責任を負わなければならない。彼女はできないからできるようになって、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に学習する時間を与えて、彼女を育成することに恩に着て、社員を自分の子供にして教えたり配慮したりして、更に営業時間も社員の安否を心配するから調整をして、また社員を保護するため用心棒を雇用して、定期的にパトロールしている。毎日は菜食レストランが最も新鮮で、おいしい食べ物の昼食を配達してくれて、アフターヌーンティーにも楽しむお茶と菓子もすべて リンチェンドルジェ・リンポチェが心をこめて選ばれた高級な日本の食品である。会社で、リンチェンドルジェ・リンポチェは賞罰が明らかであり、間違いの事をして、リンチェンドルジェ・リンポチェはきっと原因を説明して、すべての社員に警戒させ、同様な誤りを再び犯さないでください、褒めることに値する時、リンチェンドルジェ・リンポチェは少しもけちでなく、称賛し、奨励し、激励を与えて、社員達に種にして注意深く育成するのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは社員を社会に良い影響を齎すことができる人となるように育成して、将来寶吉祥グループが無くなっても、社員は皆現実的な社会の中で自分を養うことができることを望む。上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着て、いつも一心に広大な衆生に利益していて、眼光が深遠で、ただ大金を儲けることを狙う会社ではなくて、彼女は社会に出てから、このように度量が広く、気概が高い社長に会ったことがないのである。

彼女は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに深く懺悔して、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェの話をよく聞いていなく、よく教えに従って遂行していなくて、上師の教えた仏法を生活の中に運用していない。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが経営する会社で働くが、彼女は会社からの給料を貰って、会社の育成と配慮を受けるが、恩義を忘れて、会社でいつもこれを忘れたりそれを忘れたりして、商品の送達を間違い、報告表を間違って、棚卸し作業がいつも誤差があって、さらに会社の機密資料を兄弟子に誤送した。彼女は仕事に集中していないで、いつも仕事を怠けたいと思っていて、出勤する時間がとても長いから非常に疲れると感じて、上師は細かいことにけちけちした。彼女はこんなに多くの間違ったことをしたから、社員旅行に参加することができないのはとても当たり前な事であるが、しかし、彼女は上へ師に貪念と嗔念を起こして、あまりによく自分を反省していなくて、すべては他の人の間違いだと思っている。彼女は自分の心を気ままにして、それから間違いを犯して自分が何の間違いを犯したかも知らないで、またこれがそんなに深刻だかと感じる。絶えず上師と上司、同僚達に煩悩の心を起こさせて、彼らを巻き添えにされて害して、彼女はたとえ地獄に堕ちてもあまり自分の罪業を返済することができないと感じる

店舗が開店したばかり、数回に彼女は自分がとても疲れたと感じるため、コンピュータの前に伏せて休んで、しかしお店の中でこのような行為がだめである。ある時、リンチェンドルジェ・リンポチェはちょうど帰国してお店へ関心しに来て、彼女に疲れるかどうかを聞いた。彼女はこの時にやっと眠りを驚かして、リンチェンドルジェ・リンポチェのこのような大修行者なら、長距離を奔走して、命知らずに衆生を利益して、自分も疲れたと言っていなくて、そして彼女に関心を持って、彼女が何に基づいて疲れると感じるか。その時、彼女は本当に非常に恥ずかしいと感じた。またある時、彼女は日本茶を配列してをフランス窓野棚と近くして、西日の問題がある。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女がお茶の位置を移すことを指摘したが、しかし彼女は独りよがりで、ただ下層部のお茶を移していったが、意外にも上に配列される茶は依然と温度の影響を受けて変質しやすいのである

リンチェンドルジェ・リンポチェはお店を巡視する時に、彼女にどうしてまだお茶をその位置に配列しているかと聞いた。彼女は叱られることを恐れるから、すぐ口答えをして、あちらでは照らせないと答えた。慈悲なリンチェンドルジェ・リンポチェは適切に弟子を加持して、そして言う:「また口答えする。」と言って、彼女は自分が非常に悪いと感じて、上師が要された事を確かに実行していないで、また自分の考えで上師にたてつきたいと思って、全然に上師に恭しくない。嘗て、お店の改装のため、リンチェンドルジェ・リンポチェは現場まで関心しに来て巡視した時、彼女が商品棚の上の製品を気軽に箱の中に入れたまま地上に置いたことを発見して、彼女に「そなたのものではなくて、よく大切にする必要はないか?」と指示して、彼女はすごく恥ずかしいと感じて、何故かと言うと、彼女は上師の事業を最も重要な事だと見なして対応しなかったから。

リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の皮膚がまた赤い腫れがあることを見て、慈悲に彼女に「皮膚はすこし良くなったか。」と聞いて、彼女は自分が余りに直していないことを知っていて、それが自分の問題であるが、しかし、上師が慈悲で、また彼女が翌日1本のミネラル・ウォーターを用意する事を要した。リンチェンドルジェ・リンポチェは苦労して信者達を接見し終わった後に、またわざわざお店に駆けつけてきて、貴重な甘露水を加持して彼女にあげて、彼女に飲むこと及び気分が悪い地方を拭くことを教えた。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔して、彼女はすでに皈依してしまったが、更にリンチェンドルジェ・リンポチェに心配されて、リンチェンドルジェ・リンポチェのこんなに多くの加持と配慮を受けた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは衆生の命を心に留め置いて、自分の命よりもっと重要なことだと見なしたが、彼女は上師を心に留め置いていないで、毎日貪、嗔、痴、慢、疑で自分の心を放縦して、絶えず衆生に煩悩を起こさせた。彼女は恩義を忘れて、私利私欲で、独りよがりで、驕って自慢して、その上執着心、分別がとても重くて、他の人を見くびって、リンチェンドルジェ・リンポチェの会社で働いているのがとてもすごいと思っている。彼女は仏法を生活と仕事の中に実行していなくて、毎日朝晩課をするのもいいかげんに済まして、《仏子三十七頌》で自分を点検していなくて、無知にも暮らして、上師の福報と体力を消耗した。リンチェンドルジェ・リンポチェはよくお店へ関心しに来て、彼女は上師に恩に感じていないだけではなくて、また圧力があると感じて、少しも大切にすること及び感謝することを知っていない。

リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を宝物として教えて配慮して、いつも彼女にこう気づかせた。もしも勤務中、いつも彼氏を思っていてはいけないと、彼女にどのように彼氏と話をしたことをも気づかせたことがある。彼女が心の中で自分が彼氏に対して話をするのがとても礼儀正しくないを考えていて、彼をもあまり尊重しないで、いつも彼が事をすることを命令して、そして彼を利用して自分の生理、心理と物質上の欲求を満足させて、いつも悪口をして、相手のために考えなくて、相手が自分を重視することを望む。しかし彼女は自分を第1位に置いて、彼氏も衆生の一つであることを忘れて、彼氏に細かいことにけちけちした。彼女はいつも勤務中で彼氏を考えていて、一心不乱に働いていないで、土曜日の夜になると、彼氏が彼女が仕事が終わって迎えに来る時、もし長く待たせたら彼氏が怒ることを恐れて、急速にそれからの作業をやり終えて、しっかりと繰り返し検査し確認していないで、報告表がいつも間違いが起こることを招いた。彼女は上師が絶えずに彼女の機会にあげたことに感謝して、しかし彼女は良く自分のミスがどこを間違ったことを審査していなくて、彼女は自分が本当に資格がない一人と感じる。

彼女が会社に除名された後に、法の本とベストはすべて回収されて、そのためやっと彼女に眠りの事の重大性を驚かさせる。その後、彼女はアパレル店の作業で、いつも夜中まで働いて、家に帰る時はすでにとても遅くなって、彼女の母にたいへん彼女の勤務と休憩が昼夜逆さまにすることを心配させている。彼女は会社でいつも人の是非を言って、毒々しいことばは他の人を批判して、一心に出勤していないで、勤務時間にあちこち世間話をしに行ったり、自分の好きなものを買いに行ったりして、社長の時間を盗んで、いつも自分の情緒で同僚と客に影響するためである。彼女は自分の欲求、貪る考えと執着する心で、リンチェンドルジェ・リンポチェの指摘をどこ吹く風として、自分の欲求、貪る考えと執着する心によりと生活を過ごして、心の中では彼氏は彼女に対してとても良く、よく言うことを聞いてくれると感じて、彼女はどんなことを言っても相手もすべて意見がなくて、彼女にとても収容するから、これは彼女にとって良いと思っている。

彼女は彼氏と高校から8年巻付き合っているが、しかし、家に連れて帰って父親に紹介する勇気がなく、何故かと言うと、彼女は彼氏が父の認可をなかなか貰えないからと知っているのに、依然として相手に彼女の家まで縁談を持ち込ませた。やはり、彼女の父はたいへん満足しないで彼女がどうして人を見ることができなくて、その男の子は肩がなくて、彼女に苦しみを受けさせるから、、ずっとこのようにと言った。彼女の父の関心を彼女が耳にして、ところが彼女にとってなかなか受けにくい。彼女は父親がただ相手がお金がないため人を見くびると感じて、父の意図と心配を了解しないで、またいつも父と口答えをして言い争って、彼女もこっそりと母に、父の悪口を言って、彼女は自分の親不孝であることを深く感じる。

彼女は弟子として、相手が縁談を持ち込まれる当日、双方は顔を合わせて食事をして、彼女は全体のテーブルの菜食料理を堅持していないで、相手の両親が受けられないことを恐れて、多くの衆生を彼女のために苦しみを受けさせて、不殺生という戒を犯した。その後、彼女は父の反対を顧みないで、まだ依然として付き合っている。ある日、彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェを夢に見て、夢の中で彼女はとても愚かに上師に、「私は彼と結婚することができるか?」とお伺いを立てた。リンチェンドルジェ・リンポチェは話をしないで、すこし笑って頭を振って、彼女はまたはっきり聞こえないで、もう一回リンチェンドルジェ・リンポチェに確認して、リンチェンドルジェ・リンポチェの解答が、やはり同様にただ頭を振った。しかし、彼女は夢の中でとても喜んで、彼女がずっととても1つの確定の解答が欲しいため、正直に言えば、自分が苦しい生活を過ごす事を恐れて、相手が菜食精進料理を食べていないで、彼の父母も彼が菜食精進料理を食べることに反対して、未来の生活は更に言う必要がない。

彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女を放棄していないことに恩に着て、毎週日曜日に彼女を道場の扉の外に座らせて、8月末に至って、リンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲に彼女が道場の中に入って仏法を聞くことを許して、彼女は心が非常に楽しい。法会の中で、リンチェンドルジェ・リンポチェはこう開示した。相手は肉を食べていて、そなたは菜食を食べていて、最初の時に相手が協力してくれるが、しかし長くなるといらいらして、もし忠告を聞いてくれないならば、そなた達は下へ落ちぶれ続けるしかない、後で年取って苦しい生活を過ごしたら、上師がそなた達に気づかせないことを咎めないでください。彼女は上師の加持に感謝して、すぐ彼女は既にちゃんと上師の話を聞く事を決心した。

彼女は上師が彼女に離れなくて見捨てないことに恩に着て、彼女はただ自分の感じに執着し、男友達が自分に良いことに執着し、ぐずぐずして問題に直面しなくて、ずるずると延びて、多くの時間を浪費した。彼女もリンチェンドルジェ・リンポチェに懺悔して、彼氏と付き合っている時、また彼氏を裏切って他の人と付き合ってさらに浮気関係を発生して、彼氏と付き合う時に、父母の同意を経ていないで、邪淫の戒を破れた。高校時代、彼女は嘗て一回事後避妊薬を食べたことがあって、タバコを吸う事を学んで、下品な言葉でののしって、嗔念が起きて、先生の悪口を言って、メンツを重んじて、万事はすべて自分が正しいと思っている。

彼女はずっと母親に嘘付きをしていて、彼女の母親が分かった後にとても悲しんで苦しくて、何故かと言うと彼女の母がずっととても彼女を信用するから。それ以外に、彼女の母はまたとても自分の過ちを責めて、初めは彼女を外泊させるべきでないことを後悔して、彼女はとても父母に申し訳なかった。彼女が別れた後に気持ちの転換が黒雲が散るように、一面に晴れ渡っている感じ、とても楽で、1つの鍵を開けたみたいで、心がぱっと開けて、自由を再び手に入れる。このすべてのすべては、リンチェンドルジェ・リンポチェの加持と助けに感謝しなければならない。

彼女が上師の用心と関心に背いて、彼女がその話を聞かなくて、ただよい生活だけを過ごしたい、法会に参加して友達に交際しに来ると思っていて、用心に自分の悪行を改正しなくて、上師に従って仏を学ぶ機会を中断した。彼女は自分が極悪非道であることと感じて、彼女の傷つけられた衆生と尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに申し訳なくて、何故かと言うと、全然五戒十善を守っていないため、上師の恩恵を脳の後で捨てて、上師を恭敬すること、上師を信用すること、上師を同情すること及びと上師を供養することなどをもやり遂げていない。

彼女は自分の犯したすべての悪行に深く懺悔して、同様な間違いを再び犯さなくて、上師の教える仏法を生活の中に用いて、だらけていないで、疑わないで、リンチェンドルジェ・リンポチェの足どりに従って仏を学ぶことを承諾した。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に発露懺悔する機会を与えることに感謝して、道場から追いい払われたこの2年間の中で、彼女がやっと知っているのは、一名稀有で得難い大修行者の正信仏法に依止することが出来るのが、1つ殊勝で得難い事である。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェに、彼女がもう一回仏法を聞く機会があり、そして上師と諸仏菩薩を供養することができると祈願した。

彼女はみんなが彼女を参考にすることを望んで、きっとリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学ぶ機会を大切にしなければならない。なぜかというと、リンチェンドルジェ・リンポチェはいかなる仕返しを求めないで、命知らずに衆生を利益する。彼女は自分がこの世に上師と諸仏菩薩の加持を得て、自分でこの世に犯したすべての悪業を清浄して、輪廻苦海を断って、阿弥陀仏の浄土に往生することができるように望んだ。最後、彼女は直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェの法体が安康で、仏法事業が円満になり、常住在世、仏輪がいつも常転することを祈願する。そして大慈大悲の直貢チェツァン法王とリンチェンドルジェ・リンポチェは諸仏菩薩に恩に感じる。

そして、もう一人の女子弟子は前に上がってこう分かち合った。彼女はリンチェンドルジェ・リンポチェ及び諸仏菩薩が彼女を機会を与えてて公開的に発露懺悔して分かち合うことに恩に感じる、この女子の弟子の夫は、2週間前に心筋梗塞をで往生してリンチェンドルジェ・リンポチェが殊勝で得難いポワ法を修めて得た男性弟子である。

彼女はまず発露懺悔して、リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て指示したことがあるように、彼女の夫が生前にネパールの四眼天神廟の前で犯した悪行に関して、即ち彼女の夫は直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに言う指示を盗み聞きをして、しかも名聞を求めるため、許可を得る前に公開的に宣説したのであり、前に、この女子の弟子は懺悔して、実は彼女が彼女の夫にやるように扇動したので、その故、今日直面した様々な状況はすべて自業自得である。

この女子弟子は彼女が皈依する前にさんざん悪事をやった人であり、皈依した後に依然として悪いと知りつつわざとして、悔い改めることが分からないことを報告した。幼い時から彼女は妹を友愛しなくて、両親を親孝行ではなくて、泉の水の中で、魚、カニを捕まえることが好きで、更に焼いてから食べにくる。実はそんなに小さい魚は、爪の大きさにならなくて、全然肉がないが、しかし彼女はやはり焼いて食べたい;成年となった後に、同じく曾在渓の辺、山辺で焼き肉をして、何回か分からないで、その上もし父母の話を聞いてくれなくて、むやみに彼氏に交際して、その結果は堕胎したことが二回ある。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て開示されたように、堕胎しに行く人が過去世に、人や胎を殺す悪習があるので、その故、彼女は20歳の時、背中の脊椎は嘗て手術を受けた。読書する時、試験はカンニングして、また自分の心を放縦して、たばこを吸って、酒を飲んで、マージャンをして、夜の生活を過ごして、休日に時間があって漁港、海岸に行って生きている海鮮を食べて、またイヌの肉、蛇の肉を食べたことがあって、無数な海、陸、空の衆生を食べたことがあって、衆生の家庭を離散させて、だから今日ようやく現在の果報がある。

彼女が皈依する前に様々な悪業をしたため、情況がすでに制御できなくなったと自覚して、体がとてもよくなくなって、嘗て自殺する考えが出来て、すべてを逃れたいが、しかしどのようにするべきであるかを知らない。それから彼女はチベットに行ってきて、諸仏菩薩の加持のため、六道輪廻ということを知っていて、自殺したいが、しかし死んでも解決できないも知っていて、却って人身を失った後に、各種の大小の地獄と三悪道へ落ちる可能性が高い。彼女が何とか生き延びようとしてできない、死を求めるのがどうしても得ないと感じる時、1つの因縁があって、ある1位がとても凄い上師を済度することを耳にして、彼女が3年前にすでに名前を耳にしたことがある、そのため因縁があってリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依することができる。

弟子の罪業が深刻であることを知っているため、生々世世に持ってくる悪業はいくらあるか分からないで、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはできるだけ弟子に福報を累積する機会を与えて、弟子に少し多くの時間が仏を学ばせることができる。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女にドマを学ばせて、そして雲南のナンジュラマ僧に頼んで教授しに来てもらって、同時に弟子達に授業料を払って助けた。しかし彼女はまた道場のドマチームの兄弟子と喧嘩して、兄弟子の間での感情をそそのかして、根本十四堕を犯した;そして勤めている地方に、絶え間なく同僚の悪口を言って、是非をそそのかして、他人が彼女へのすべての助けを覚えていないだけではなくて、不意に飛んでくる矢で人を傷つけた。

その他に、前に新しい道場を買うかどうかを選ぶ時、まだその他の人が便利かどうかを顧みないで、利己的に古い道場の上に買うことを選んで、あらかじめ買い物をする数量を予約するのを変えたことがあって、この女子弟子は、彼女が仏を学ぶの及び仏菩薩、上師への承諾さえも変えるから、明らかに平日人と付き合って、いつも不渡手形を作って承諾を守らないと報告した。

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て、どうして輪廻するのか、それは言った話、約束した承諾をやり遂げていないで、また来世に来て返済するからと開示した。しかし彼女はやはり直していないで、原本は今度チベットに行って、また承諾を守らないで行かなかった。彼女があまりにお金を重視するため、お金を命よりもった重要なことに見なして、ようやくこのように1つの家庭に嫁がせたのである。

この弟子は懺悔して、上師が弟子に絶えずに機会を与えて、上師にちょっと小さい事をして手伝うことができる時に、結局はちゃんとやっていないで、また誇らしい考えが起きて、上師を恭敬しなくて、金剛地獄に堕ちる因を植えた。彼女は嘗てある学生が海外遊学することをを助けて、旅行社に頼んで助けてもらって、最後が遊学に行かなかったが、しかし旅行社はすでに力を尽くして努力して各件の事を連絡して、彼女は頭金さえも払っていないで、上師の金銭を浪費して、社員の体力と精神をも浪費してこれらの事を処理した。

彼女が2回目妊娠している時、また邪淫戒を破る。二回目上師が大礼拝を伝える時にも同じくあまり用心して礼拝していないで、だらけていて、不精で、絶えずに戒律を破った。この前、リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を連れて喜金剛灌頂に参加している時に、ある夜に弟子達に夢を祈ることができるようにさせて、結果は彼女は夢の中で意外にも自分が上師と3回も口答えをしたことを夢に見て、夢の中で上師の非難を三回受けたが、しかし翌日になると、リンチェンドルジェ・リンポチェは特と弟子に尋ねて、もし悪夢を見た者は列を出ることができて、上師は彼を加持するから。しかし彼女は自分の薄いメンツのため、列を出ることができなくて、直ちに懺悔する機会をも失った。灌頂した後に、上師はまた再度よく言いつけるのは、腕の上に縛っている赤い縄が一定の時間の内で落ち込んではいけないが、しかし彼女の心の中で誇らしい考えが起きて、自分はきっと落ち込まないと思って、結果は時間がまだであるが、赤い縄は落ちただけではなくて、その上自分で全然知っていないで、やはり兄弟子達はみてから拾い上げてもらったのである。

2009年の初め、彼女の母がガン病気に罹って、彼女は周章狼狽して、やっと自分は毎週法を聞く心構えがストーリを聞きにくるでことを発見して、完全に死亡無常を修めていなくて、朝晩課をしたらもう結構だと思っている;会社の時間を盗んで、時間がある時には修行の宿題をして、結果は法本を見ないで修行の宿題をしないで、最後がまた骨董店で買った黄金琥珀の数玉を無くなった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女がこんなに多くの悪業をした後、依然として彼女に離れないで見捨てないで、また彼女の夫のため殊勝で得難いポワ法を修めて手伝って、彼女が最も緊急な時、彼女に現金を10万あげて、甚だしきに至っては彼女の夫の葬儀費用さえ、同じく全部はすべて リンチェンドルジェ・リンポチェはを払って手伝った。彼女は多くの兄弟子に感謝して、彼女の夫が事故が起きる時、最初の肝心な時間は急いで来て、兄弟子達の出現を見て、心の中で比類がなく安定であり;告別式の時、多くの兄弟子達は手元の仕事を下ろして、急いで来に参加して、彼女の心の中をこの上なく感動させて、兄弟子達が赤いベストを身につけているため、まるで上師の保護ネットが現場に着いたようである。

この女子弟子は兄弟子達が彼女を鏡にしてもらって、彼女のようにならないでください、今現在花報が現れる前に、やっとこのように自己が嫌悪して、自己が嫌い、よく仏を学ぶ時間を把握していないで、すでに自分の身、口、意とすべての考えをしっかり見ていないで、上師の大悲願力に背いて、上師の体力を消耗ことを望んで、多くの苦しみを受けている衆生が仏法に接触することができる時間が遅くならせて、彼女の果報はすべきに五無間い地獄と金剛地獄に数回も堕ちるはずである!

リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てこう言った。自分の生命を使い尽くして弟子達の仏を学ぶ時間を延長しにきて、いつも全力を尽くして皈依する弟子達を助けてあげて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすべての弟子を珍宝だと見なすが、しかし弟子達はどのように上師に報いするのであるか?彼女はよく話を聞いてくれないだけではなくて、同じく仕えていないで上師、ただ絶え間に上師には面倒にかけて、彼女は懺悔を深く感じる。

彼女は過去あらゆる身、口、意により生じた一切悪行を今から、根本からやり始めて、初めからやり直して、最も清浄な身、口、意にて上師を供養して、上師を供えて、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが常住在世、仏輪常転、法体安康であるようにお願いする。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは法席に上がった後、先週、ガンポバ大師と曰く「具器の弟子は具徳の上師にあってから、様々な表す精進な境界」と続けて開示された。仏法は平安を求めるのではなくて、自分が観応できる事を求めるのではなくて、また、健康を求める事のではなかった。そなた達は仏を学ぶ事によりこれらを学びたいなら、それは求めきれなかった。そなた達は仏法と他の宗教と同じで、すべて人々善行を行ってよい事をする事を勧めると思っていて、相違性が無かった。しかし、仏法と他の宗教の違いは仏法が我々に宇宙の真理を教えて、仏法の教導により、我々に一切な自分に輪廻させる行為を改正させる。

多くの病気に罹る人はリンチェンドルジェ・リンポチェに自分の病気をよくならせる事を求めて来て、身体が健康すると仏を学ぶ事が出来て、実は、これは仏菩薩を脅しているのである。そなた達は仏を学んできて、加護を求めて健康を求めて平安を求める心構えで持っているはずではないで、ここに求める事がありえなかった。誰かが身体が良くなると仏を学んで始める事を言うのでしょうか?身体は良くないなら修行する事が出来ないのでしょうか?実は、ある者は病気に罹るかどうか、健康するかどうか、修行する事が出来た。かつて、ある弟子は運動ニューロン疾患に罹って、最後まで甚だしきに至っては言えなくて真言と唱えられなかった。このようにしても、が、彼は上師に信じていて、仏法を信じていて、心の中に全て六字大明咒しかない、その上、彼が上師への信心を加えて、彼が発病してから皈依して始めて、彼が往生するまで短く1年しかの時間で、が、既に「死亡の時点を予め知る」を修めえた。

昨日、ある信者はリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来た。彼女は跪いてから、彼女の娘が高雄にいると言って、話がまだ終わっていないで、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女に話さないで、娘が何か問題があったら、彼女を連れで自らリンチェンドルジェ・リンポチェを謁見して来た。しかし、この信者は依然として話題を話し終わる事を堅持してしまって、彼女の娘がお経を唱えてから、多くの鬼を引いてくる事を話した。リンチェンドルジェ・リンポチェはそこで厳しくて彼女に開示させた。「そなたはこのように話したら仏を謗るのである。仏菩薩はそなたに害するのでしょうか?」リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に話させないのではなくて、が、彼女がまだ言わないで、リンチェンドルジェ・リンポチェが彼女が何を言う予定する事を既に知っていて、彼女に仏を謗ることを避けるので、彼女に続けて言う事を止めさせて、結局、言う事を聞かないでずっと言い続けて、仏を謗る話を言ってしまった。

何故、現代人はという心構えをあまねく持っているのでしょうか?彼らを責める事も出来なくて、ただ仏法広める者は本当の仏法を諭さないで、ただ、人々に多くて法会に参加して多くてお経を唱えて、彼らの問題を解決する事が出来る事だけで教えて、これらは全て市場の言い方である。健康を求める者であれば、『薬師経』を唱える事を教えて、子供を求める者であれば、彼らに『普門品』を唱える事を教えて、済度を求める者であれば、彼らに『地蔵経』を唱える事を教えて、しかし、何故これらの経文を唱える事を説明しなかった。経文は気軽に唱える事が出来なくて、必ず儀軌があった。信者はそのままにして効果を得ないと、仏を謗る話を言い始めた。『寶積経』と曰くのは末法時代に、一部の人々が名声と利益の為に、信者にお世辞を言って、仏法に捻じ曲げた。しかし、寶吉祥仏法センターは市場ではなくて、道場で、真実でそなた達に修行する事を教えて、輪廻を解脱する地方のである。

ガンポパ大師の開示は「具器の弟子は具徳の上師に出会ってから、仏になる道路に修行し続けている。最初、寂静と安住である。それから、明朗と無念である。最後、一切な有為の戯論の相を遠く離れて、『虚空如く』という深く意義で、河川のように、絶えずに安住し続けていく」のである。これらの開示は修行の境界で、仏と曰く般若の境界を既に含めた。

ガンポバ大師が開示された明朗と無念は実は既に明心見性で、世間の一切が彼に対して戯論のように、何も執着する事が無かった。『虚空如く』という深く意義で、仏経には数回の「虚空」を現して、これはそなた達に明心する事がないので、虚空の言葉により代表しなければならなかった。

ここで言う虚空とはないのではなくて、法性が虚空の本質のように変わらなかった。晴れ渡っている虚空の中に、多くの雲が覆い隠すが、これらの雲が自世で存在するのではなくて、変化で、変動で、雲が行き来して、雲が散りになって、虚空がまた本来の清浄な現象に戻した。我々の空は虚空のように、心が本質の清浄で、因縁が雲のように、行き来して永遠ではなくて、偶に空を遮って、偶に晴れ渡っていて、しかし、虚空の本質が影響を受けた事が無かった。人々は一生に出会う事は雲のように、行き来して、しかし、実は心の本質が変化した事が無かった。

あなた達は癌に罹って、手術を行って、化学療法をして、身体を毒薬に注射されて、身体にいる衆生に傷つけて、このようなしたら、身体が如何に良くなっていくのでしょうか?台湾では、いま、標的治療を流行していて、けれども、「多くのアメリカの医者さんは癌の患者にいかなる治療を始めてしないで、これは彼らが臨床の研究の中にただ癌細胞に手術をしたら、すべて副作用があって、癌細胞がすぐに拡散してしまう事を発見した」と報道された。そなた達は何故自分が病気にかかる事をこんなに注意するか?これは心がはっきりする事のではなくて、自分が傷害を受ける事を思っていて、実は、これらが全て自分の過去の業力で、事柄が自分に対してよくないと感じると、貪念を生じていた。しかし、仏法の角度にて病気にかかる事を見たら、絶対にこの最初の原因があって、癌に罹る事が果報ではなくて、ただ花を咲く事で、果報を成熟する前に、また時間があって変わられた。努力して仏を聞かないと、癌に罹る者が地獄に堕ちる可能性があるのである。

漢人として、全て因果を信じていて、これは我々が漢朝から仏法に接触するので、善には善の報いがあって、悪には悪の報いがあることを知っていた。しかし、この世で善行をして、もらえる福報が来世で使って始めた。そなた達は多すぎ時間にかかって自分の身体に対処し、決心をして、仏法を受けるはずで、我々が仏に騙されないで害されない事を信じていた。そなた達は診察して貰う事を怠けて、お金に掛かって、ただ自分の問題をリンチェンドルジェ・リンポチェに処理される事が欲しくて、もしこの世の事を変わりたいなら、とても大きな努力をしなければならなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェの皮膚癌が良くなるが出来るのは、かつて多くの供養布施をした事があるわけで、仏法と上師に深く信じていて疑わないで、作用があって始めた。

仏の境界はそなた達は了解する事が出来なくて、そなた達が体得できる感じにてそなた達に説明しなければならなくて、たとえ盲人としても、他人に虚空を形容した事があって、少なくともこの意味が分かれた。修行者はある果位を至ると、明心になられて、経験法則にてすくし体得する事が出来で、仏が教導してくれる内容を了解する事のではなかった。そなた達は偶に法性が現れる事を感じられて、あるいは真言を唱える時に、時に暫くの静かさと感じられて、その上、考えを減らして、甚だしきに至っては考えが無かった。しかし、そなた達の感じは途切れで、中断して続けないで、まだ延々と続いて絶えない境界に至らなかった。そなた達はこのような境界をする事が出来られない、真に修める者が法性に安住し続ける事が出来で、心続が河川のように延々と続いて絶えなかった。精進な学習により、寂静と安住を達する事が出来で、用事なので煩悩する事がなくて、虚空如くの境界がとても難しいと到達し、そなた達のこの世で修めないはずで、しかし、そなた達に少し了解させて、そなたのこの世で多くなくとも心の静まりを修められた。今日の開示はただそなた達にこのような境界がある事を予め紹介させた。

昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェは信者を接見した時に、側で跪いてリンチェンドルジェ・リンポチェに仕える出家者がリンチェンドルジェ・リンポチェが様々な衆生が直面する事を自らの目でみて、リンチェンドルジェ・リンポチェがとても根器良いと感じた。もし安住の心がないならば、このような根器良くて信者を済度する事が出来なくて、これはリンチェンドルジェ・リンポチェ既に自我の執着が無いわけである。乳癌に罹る女の弟子はご主人に連れでリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、問題をリンチェンドルジェ・リンポチェにあげて解決して、リンチェンドルジェ・リンポチェを利用して彼女のご主人に仏法に受け入れさせて、意外にも、リンチェンドルジェ・リンポチェが却って彼女にご主人の言う事を聞いて治療を受けさせた。実は、彼女は良い福報があったら、彼女と一緒に仏を学ぶご主人に結婚した。病気に罹って、また自分がした悪を懺悔する事が知らないのでしょうか?

リンチェンドルジェ・リンポチェは事なかれ主義な人ではなくて、事なかれ主義であれば金剛乗を修めないで、これは機会を作って他人に仏に謗って上師に謗らなかったわけである。そなた達の友達はもし困難があったら、そなた達が彼にリンチェンドルジェ・リンポチェに求めて助けて貰って、しかし、上師に利用して他人にそなた達に好感が起きさせることをしてはいけないで、自分が仏を学ぶので良い人と思っていて、他人と違うところがあって、くれぐれもこのよう自我の観念があるべきではなかった。

だから、この世でもっとも困難で大変な仕事とはリンポチェとする事である。そなた達は菩薩が良い生活を暮らす事と思ってはいけなくて、菩薩がとても多くの苦しみを受けて、普通な人間が受けられるのではなかった。だから、そなた達は娑婆世界に戻って済度する事を発願をしてはいけなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は「そなた達は必ず浄土に往生する事を発願し、大願を発して娑婆世界に来る事を思ってはいけなくて、衆生がとても難しく済度するわけである。」である。仏経には我々に発願をして衆生に済度する事を記載されたけれども、そなたのこの世で自分問題でもまだ解決しないなら、如何に帰って衆生に済度するのでしょうか?そなたは自分の来世にどこへ行く事を知っているのでしょうか?そなたは自分の生死大事が既に掌握する事が出来るのでしょうか?もし出来ないなら、随意に発願をする事をしてはいけなくて、自分が発明者として気軽に発願する事が出来なかった。

尊勝なる直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに与える『リンチェンドルジェ・リンポチェ長寿祈請文』に記載される「自在で諸善縁で留まる」のように、どこで善縁があったらどこへ行って、再び地球に戻る事が要らなくて、衆生に済度する事がとても困難である。善縁とは衆生が仏法を信じていて、仏法が済度してあげる苦しみを受けるところで、善縁がお金持ち或いは大きな権力があるところのではなかった。ここに善縁が具えないなら、在席の皆が仏法が要らなくて、欲望が要ったら、リンチェンドルジェ・リンポチェがほかのところへ行って済度した。

ある出家衆は台湾で百万人に出家するのを済度する事を言った事があって、これは有り得ない事である。仏菩薩の願力は彼らが既に確実で出来る事を知っていて、また、既に遣り遂げるので、この願いを発した。そなた達はただ浄土に往生する事だけで発願した。毎回、法会が完了する前に、『極楽の浄土に往生する祈請文』を必ず唱えて、浄土に往生する願いが全ての仏菩薩が必ずそなた達に助けて達成させた。仏菩薩と上師は衆生が三悪道に堕ちて或いは六道で輪廻する事を見る事を望まなかった。『阿弥陀仏経』の中に記載されたのは「全ての一切の仏は広長舌相を現して阿弥陀仏の功徳を褒める」のである。だから、そなた達は阿弥陀仏浄土に往生する事を発願したら、仏菩薩が来てそなたに助けて護持させた。

ガンポバ大師の開示は「弟子は上師に偽りの信心がないなら、仏に成る道に向ける」のである。これはすぐに仏果を証する事が出来るのではなくて、『妙法蓮華経』に記載されたのように、もしある者が恭敬心にて仏に礼拝したら、仏道に既になった。これはそなたが上師に対して偽りの心がないで、生死を解脱して仏になる方向に向いて開始して行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは最初で仏を学んでから、将来に法席に上げて仏法を説く事を考えた事がなくて、或いは大きな願いを発して済度し、どんな縁でどの願いを発する事をはっきり見なければ成らなかった。

『妙法蓮華経』で記載されだのは観世音菩薩が衆生が毒蛇と猛獣を充満する森の中に救い出して、片側に置いて、他人に救う時に、そなた達が再度森に帰るのように、だから、如何に済度して終わられるのでしょうか?地蔵菩薩の願力は地獄を空っぽではないと仏にならない事を誓っていて、地獄が如何に空っぽになるのでしょうか?だから、菩薩は最も大変のである。リンチェンドルジェ・リンポチェの願力もこのようである。何故観世音菩薩は涙を流すのでしょうか?これは観世音菩薩が衆生の様子を見るととても急いで、同様で、リンチェンドルジェ・リンポチェも急いだ。だから、そなた達が如何に言う事を聞かないでも、ただリンチェンドルジェ・リンポチェの門下に皈依したら、リンチェンドルジェ・リンポチェが同じようにそなた達に助けた。仏を学ぶ者は自分の内心世界を改正して、ただうわべから変わるのではなかった。

先週、ある癌に罹った女弟子は彼女のご主人に連れてリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見して来て、ご主人が跪いてからリンチェンドルジェ・リンポチェに奥さんに四から五年ぐらい生きさせて、リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学ばせる事を求めた。そなた達はこのようにリンチェンドルジェ・リンポチェに脅して恐喝した。彼は言い方がとても礼儀正しくて、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法を修められるので、少しの「他心通」があって、彼の心の中に何を思っている事を知っていた。彼は奥さんが西洋医学の治療を受けられる事を望んでいて、この女の弟子のご主人が表面的に丁寧な言葉により求めて、けれども、実は彼が暴れるつもりで、彼の奥さんがここに来るので、病気に罹っても診察を受けないで、重要な治療機関をぐずぐずして遅れた。彼らの夫妻に言い争う事を避けるのため、彼女のご主人に仏に謗る事をさせないので、リンチェンドルジェ・リンポチェがこの女の弟子にご主人の意見を聞いて診察を受けて、ご主人が彼女に化学療法をさせたいと化学療法ををして行った。が、ご主人はリンチェンドルジェ・リンポチェに彼女に四、五年ぐらい多くて生きさせて、それでは、一寸公平して、ご主人が医者さんに彼女に四、五年ぐらいに多くて生きさせて、しかし、医者でも保証する事が出来なかった。が、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェに「治療をけるかどうか」を尋ねて好きた。もしリンチェンドルジェ・リンポチェは治療を受けて、その後、病気に治さないなら、そなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェに責めて、もし、治療を受けないで、その後、病気に治さないなら、そなた達も同じようにリンチェンドルジェ・リンポチェに責めて、もしかして記者会見を行った。

なぜこの女の弟子のご主人はこのような挙動があるのでしょうか?彼女はこれまでご主人に仏法を教える内容をはっきり言わなかった。彼女はただ自分が仏を学ばれると十分で、ご主人に多すぎて言わないで、病気に罹っても診察を受けなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に診察を受ける事を反対ではなくて、もし、リンチェンドルジェ・リンポチェが診察を反対したら、なぜ漢方医診療所を行うのでしょうか?そなた達は現在これを流行し、診察を受けないで、病気に罹って或いは用事に発生したら、仏菩薩に手配する事を言って、事柄をリンチェンドルジェ・リンリンポチェにあげて、しかし、家に買って、官位が高くなる時に、だれでも仏菩薩に任せて解決する事を言わないで、リンチェンドルジェ・リンポチェに思った事が無かった。そなた達はこのように言って、怠けわけで、診察を受ける事を怠けて、また、お金にかかる事を惜しんで、診察をうけるとお金にかかる事を恐れた。よい事があったら、上師に思わないで、問題があったら上師に見つけて、この心構えが間違った。

そなた達の大部分の男は自分が事業が頑張る事が要って、仏を学ぶ時間がないで、奥さんが学んで十分で、奥さんが仏を学ぶと家庭に平安を持ってくる事が出来で、これも迷信である。普通の仏寺は信者の名声と利益をもらうために、信者に媚び諂って、例えば男の信者が事業が忙しくて法会に参加できないと、師父が「大丈夫。奥さんと子供が代表して参加する事が出来る」と言って、仏経の中にこのような出来る事を記載されなかった。

ある信者は癌に罹って、手術で切除した後に、リンチェンドルジェ・リンポチェに求めて彼に健康を回復するように助けて、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示が「よい細胞が既に殺して、その上、切除の手術を行う事が再び殺生し、一部の癌細胞を殺したら、もう一部の癌細胞が身体のあるところで隠してそなたに見付からなかった」と仰った。だから、現在、リンチェンドルジェ・リンポチェはいまこのように仰った、治療を受けるかどうか全て助けた。治療してから死んだら、リンチェンドルジェ・リンポチェが済度してあげて、施身法でかもしれない、暫く待っていた。治療を受けないで死んだら、リンチェンドルジェ・リンポチェが同じように済度して助けて、ポワ法をもらえるかもしれない。一部の貪瞋痴の欲望が強烈な衆生に対して、リンチェンドルジェ・リンポチェが如何に仰っても彼らも聞き入れなくて、だから、因縁が具えると再度助ける事を待ってしまった。

上師がそなた達に教える仏法はそなた達が普段で実行していないで、問題が発生したら間に合わなくて、上師でも仕方が無かった。釈迦牟尼仏が成仏にして、依然として、釈迦族の消える運命を妨げる事が出来なかった。軍隊が町に行って釈迦牟尼仏の族人を殲滅して、神通が第一の目犍連を知ってから、釈迦牟尼の家族が殲滅する事を惜しんで、すぐに鉢に化けさせて、五百の族人を鉢に入って、同時、この鉢を空の中にあげて、軍隊を離れてから、目犍連が鉢を町に置ける時に発見して始めて、鉢の中の族人が既に血水になった。釈迦牟尼仏が成仏にしても、目犍連がこのような大神通があっても、彼らの業力も変わられないで、況してそなた達だろうか。

多くの人々は離婚、破産、病気に罹る事が世界末日の末日と思っていて、これらの事がリンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て経験した事があって、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェがそなた達と異なって、この為に、一切な外縁を切れる事と思っていて、このようになって、一年以内で不共四加行を精進な修め完了する事が出来た。精進とは多くてするのではなくて、却って一心にある事をした。そなた達であれば、このように悲惨だと思っていて、世界末日と思っていて、仏を学ぶ事が出来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはかつて仏を学んだ時に、1993年に最も貧乏な時でも、依然として、香堂で最も良い線香にて仏に供養し、家賃、電気代を出させるお金がなかったけれども、甚だしきに至っては食費もないで、然し、壇城の前の線香が一度も切れた事が無くて、また、必ず最も良い線香にて仏に供養した。そなた達のようではなくて、手元のお金を生活の支出に差し引いた後で供養して始めた。ある線香業を行う弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェが当時で150台湾ドルで買った線香が現在の市況で1ロットの5千台湾ドルの沈香である。

「具相の上師と具器の弟子は二人が因縁で出会うなら、それでは、瞬間で、自分が一切の内証の功徳を遣り遂げる。」そなた達は必ず下記のように尋ねて、上師がこのような多くの衆生が助けられて、このように多くの仏法事業に成就する事が出来で、なぜまた具器の弟子が要るのでしょうか?上師に依る事が十分である。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は何故具器の弟子にある事が要るか?これは上師の修行が如何に上手くても、ある日に身体を使えない場合があって、 お年を取って死ぬ事も出来で、その上、因縁が生滅で、各々がこのなりの因縁があって、ある具器の弟子がこの法脈が続けられて、最も異なる衆生に利益する事が出来た。

何故リンチェンドルジェ・リンポチェが診察して貰わないで、真言を唱えないで、直貢チェツァン法王に求めないでも、癌細胞に治す事が出来るのでしょうか?これはリンチェンドルジェ・リンポチェが自性が清浄である事を知っていて、傷つけるのがただ業報身で、業報身がリンチェンドルジェ・リンポチェの法性を影響しないで、だから、自ずから清浄を貰えられた。癌細胞は、実は、リンチェンドルジェ・リンポチェと一体で、同じで、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが本来の清浄な本性を回復する場合に、癌細胞も清浄な本性を回復する事が出来で、つまり所謂「同体大悲」で、貴方、私、彼の分別が無かった。累世で不同な業力の累積の為に、異なる六道輪廻を生じていて、しかし、衆生の本質が全て相同である。それを清浄な本性を回復すると、如何にリンチェンドルジェ・リンポチェに影響させるのでしょうか?このような仏法の開示はそなた達が嘗て聞いた事が無いで、仏経に記載された事があって、万物が全て仏性があって、石でも仏性があって、更に癌細胞であろう。

貴方、私、彼の分別が無かった。そなた達が清浄な本性を回復する時になって、そなた達の身の癌細胞も清浄な本性を回復した。真に一体とは、相同な本性を具えるのである。一部の人々がリンチェンドルジェ・リンポチェの加持を求めてきてから、体の病痛がより良くなって、そなた達が思っている癌細胞を済度を貰える事のではなかった。かえって、これらの癌細胞を清浄な本性を回復した。人間はまだ死んでいないで、彼らが離れる事が有り得なくて、人間が死んでから一緒に済度を貰えた。そなた達がチャンスがあったら、そなた達に癌細胞の写真を見せるはず、それはとても醜くてとても見っとも無くて、全て黒色で、これは何故でしょうか?これはそなた達の心が黒いのため、悪業を充満して、だから、癌細胞も黒くなって、とても見っとも無かった。

ガンポバ大師の開示は「行者は少しも偽りが無くて上師の伝法を聞いて、仏法の上で一心し、心が乱れないで、無くならなくて、このよに修行することが出来ると、ある日まで願い必ず遣り遂げる」のである。死亡が来る時に、誰でもそなたに助ける事が出来なくて、もし生前で仏を学ぶ事が無くて、死亡の時に、自主的にする事が出来なくて、これは偽りで上師に信じているわけで、その上、実修する事が全く無かった。人類の執着心はとても難しくて破らせて、だから、金剛乗の教法が上師に信じている事を言われた。仏を学んで修行するとは、すべて準備しておいて、平安と加護を求めてくるのではなかった。自分の病気が自然に治す事が出来ると思ってはいけなくて、そなた達が遣り遂げなくて、これはそなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェのような前世の善根がなくて、だから、必ず上師に信じていて、上師が弟子に助けて、皆が真に言う事を聞いて、自分の思想が変わって、複雑になってはいけなくて、事が自ずから変化になった。菩薩が済度する時には自分の考えがなくて、ただ衆生の為にある縁を起こさせて、彼らにある日まで必ず仏を学ぶチャンスがあらせた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは引き続いて開示された。ある女の弟子は懺悔して来て、今年の「阿弥陀仏無遮大法会」の中に、ある勤務する保全人員がこの女の弟子に何故仏を学ぶかを尋ねて、この女の弟子が保全人員に彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学ぶ過程を分かち合った。双方はいいイメージを残すため、結局、法会が完了してから、この保全人員がリンチェンドルジェ・リンポチェの骨董店に電話して、謗る内容を言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは一層に開示されて、この保全人員がこの女弟子に興味があって、然し、女の弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェにずっと褒め称えて、これから付き合うと、この女の弟子に制御する事が出来なくて、だから、電話を掛けていって謗る事をした。この保全の制御欲がとても強いので、彼はこの女の弟子に彼の制御を完全に受けるので、これから付き合う事が出来た。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分が心理医者に比べてもっと素晴らしくて、これらの人々の考えを完全に知っている事を笑って仰った。

昨日、ある信者はリンチェンドルジェ・リンポチェにお伺いに来て、「自分が6年前に漢方医の診察をもらって、結局、呪文を降りられた」と言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは見てから、彼に「誰でも彼に呪文を降りられた事が無かった」と仰った。彼は「あります」とすぐに回答した。リンチェンドルジェ・リンポチェは再度彼に真にない事を仰って、しかし、彼がある事を強情した。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は「これらの事が多いのが本当で、多いのが偽で、また、そなたが真に呪文を降りられて、この清浄な道場に入る事が出来ない」と仰った。が、この信者は聞いても依然としてずっとあると言って、このようリンチェンドルジェ・リンポチェに信じないで、求め来ても仏法の助けを貰える縁も無かった。

仏を学ぶ事をしたくて求めないで貰える者は全ての行為が必ず輪廻を遠く離れる事が出来た。何も心配する事が無くて、何も考え方が無い人であれば、健康がようやく良くなった。仏を学ぶ因縁を具えると、悪因をする事が有り得なかった。諸仏菩薩は済度する場合にとても根器で、これは時間が諸仏菩薩に対して不動で、だから、縁に従って済度し、外道と弁論する事が勝つの為ではなくて、却って相手を済度する予定で、相手に仏を学ぶ事に変わった。仏を学ぶ方向ははっきり知らなければならなくて、自分から自分に呪文を降りることをしないで、如何なる問題が相手に自分を該すると思っていて、これが懺悔心がないで、この世に如何なる悪をしても返済しなければならなかった。人々にお酒を飲んで乾杯する事を勧めると、五百世に手かない果報を得て、五百世で手かない動物に生まれ、した事がないで、発生しないで、これが因果である。

人間性は利己的で、妄想、悩みのため輪廻を堕ちて、仏を学ぶ事をよく知っていると、苦しみを放れて、これらの準備が往生する時に何秒間で使えた。真言を唱えるのはその時に考えがしっかり覚えて、今良くなる事のためではなくて、そなた達の意識に覚えさせて、危難の場合にチャンスが会って初めて、平日に一日中に仏菩薩にそなたの為になにをする事を求めないで、これらがただそなた達の欲望で、最も重要なのが生死大事で、衆生に三悪道に堕ちさせなかった。そなた達は教法によりしっかり実行したら、業障が現しても、上師が依然としてそなたを救う事が出来た。

引き続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェはガンポバ大師の「我執の布施」について開示された。ガンポバ大師の開示は「我執の布施は小さい事からし始めるべきで、ずっと学んで全ての愛情を捨てる事が出来で、全ての貪着を切れて、全ての過ちを認識して捨て、その上どこで間違いを存在する事を注意深く観察するまで、一旦発見したら、容赦してすべて少しも除きないべきである」のである。

顕教を言う六波羅蜜の修行法門は最も重要なのが布施法門を修めて、布施を以って修行して我執を破れて、その上、一切な貪念を除いた。仏法は慈悲を説いて愛を説かないで、これは愛が対象があって、仏経が愛を説いた事が無くて、もし、そなた達がある者が愛を言ったら、そなたが聞く必要も無かった。愛は対象があって、そなたはそなたが払う一切が相手がそなたが欲しい回答がある事を望んでいた。そなたはある者を愛する事と言ったら、相手に自分の欲望を満足する事を望んでいて、これは仏法ではなかった。

本当の布施は、我々に煩悩を引き起こす人事物を捨てて、自分の過失を捨てる事を含めた。布施は坊間を言う「小我を犠牲して、大我を完成する」という事ではなくて、小愛から大愛になる事ではなかった。そなたはある机が好きで、しかし、そなたがこの机が好きなので、机を抱いてキスする事をしなくて、これはそなたがこのようにしても、机が何か回答も無かった。そなたは物狂いがるので机を愛しても、しかし、そなたが机をキスする時に、机がキスしなかった。考えてみて、そなたは子供をキスして、子供が「キスしないでください」と話したら、そなたの反応がなんでしょうか?そなたは相手をキスする時に、彼が何か反応が無くて、そなたがすぐに怒るか?だから、愛は相手があって、条件があるのである。

布施を修めないで、煩悩を斬る事と我執を破る事が出来なくて、我執があったら慈悲を修めないで、慈悲がないと仏法が無かった。そなた達は全て私利私欲で、この体に利益を得させた。身体は我々の本性ではなくて、ただ業力の現る事で、清浄な本性が汚染を受けていない事が最も重要である。禅宗は石も仏性がある事を言い、人間が如何にないのでしょうか?各々の衆生の清浄な本性は全て一体で、良さと悪さを分別する事が無くて、清浄な本性を回復すると、苦しみを自ずから減って行った。布施という修行法門を以って、我々の清浄な本性を回復する事が出来で、表相を以って因縁法則を現る事のではなかった。

我執を破られて、『金剛経』と曰く「無衆生相、無寿者相、無我相、無人相という四相を破る」を遣り遂げた。何故前に心筋梗塞で往生した弟子は往生する前にただ自分の母、娘、保険書、家だけで考えて、完全に上師、菩薩或いは真言を考えた事がなかった。これは執着があるわけである。我々は仏を学んでする一切な事が全て死亡の前に準備しておいて、平日に自分身口意を訓練しなければならなかった。そなた達は地蔵仏菩薩が開示された「凡夫が心を動かし思いを起こせば、其れは皆業であり、罪である」を信じていなかった。罪は外道を言うそなたが何を間違いをしたら神様に処罰されるのではなくて、仏法を諭す罪はそなたに生死を解脱せず事がすべて罪である。ただそなたは「私」の考えがあったら、この「私」の為に、業があって、これはこの「私」に満足されるの為、多くの衆生に傷つける事をした。

リンチェンドルジェ・リンポチェは布施しそう家庭で生まれて、子供から家族がお金がないのに食事をする事が出来ないでも、両親も抵当に入れて人々に助けて、だから、リンチェンドルジェ・リンポチェが布施が本来するべき事と思っていて、人々が呼吸がいるの楊である。そなた達を見て、如何なる事が「私」が貰えて、「私」が損をする事が出来なかった。布施の時でも福報を得る事を考えていた。布施する時に、福報を得る事を考えるなら、それは貪りの心である。布施をしたら貪りの果報が無いわけではなくて、そなたが布施を計算したら、言い争いが多いなら、貪りの果報が重くなった。貪りの果報が程度の違いがあった。本当の布施は何も求めず布施で、また、「三輪体空」の言い方があった、しかし、今日、この範囲を先に説く事をしなかった。

布施が最も重要なのは、煩悩を引き起こす人事物を全部捨てた。他人が眷属の縁があるので羨ましい事をしてはいけなくて、この世に眷属がいなくて、これは前世に足りる因縁を累積しないで、これは仏を学ぶのに家庭生活を放棄する事のではなくて、『寶績経』と言って、行者がこの世で眷属の縁があったら、拒否する事が出来なくて、返済しなければならなかった。出家の縁を具えると、縁が至ると出家する事が出来で、出家者も過去世の思想がこの世に発生したのである。我々は布施の意義をはっきり知らなければならなくて、我々が布施を行ってもらえ本当の果報が我執の煩悩を消えて生死輪廻を解脱するわけである。

そなた達は基金会にお金を寄付して、実は、そなたが寄付する100台湾ドルで、70から80までの台湾ドルが基金会の社員の給料を支払った。本当に寄付して他人に助けるなら、中華民国内政部の社会司に寄付し、これは公務員の自身が給料を受け取るがあって、もし汚職があったら、そなた達が彼らに汚職を訴える事が出来た。しかし、そなた達は基金会に汚職を訴える事が出来なくて、これは基金会の勢力が巨大過ぎるためである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学びたい時に、家族が妨げることを発見して、毅然として離婚して、しかし、そなた達がくれぐれも学ぶ事が出来なくて、これはそなた達が離婚してからとても苦しみを感じていて、だから、くれぐれもリンチェンドルジェ・リンポチェを学ばなかった。『寶積経』に記載されている事があって、そなたはこの世で眷属の因縁があったら、そなたがそなたの眷属がそなたに提出の合理的な要求を拒否する事が出来なくて、もしそなたが出家の因縁があったら、早めに出家する事が出来で、これらの眷属の現れがなくて、だから、この世に上手く利用して全て返済して、真に出家の因縁があっても、時間に至ると、これらの眷属も自ずから離れた。

リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に付き合う事を反対する事がなくて、ただ、リンチェンドルジェ・リンポチェが一部の人々が本当に相手と付き合う事を適しない事を見た。もし、この男は将来にそなたの仏を学ぶ障碍になって、そなたに仏を学ぶ事を影響して、ちょっとそなたに提示させた。そなた達は道場で認識して結婚にした事もあって、その上、他の弟子が結婚する予定があって、昨日、リンチェンドルジェ・リンポチェの福証を求める二人が来て、実は何を福証するか?天下には真実な恩愛な夫妻がいるかどうか?

かつて、その女の弟子はこのように愛情を貪って、相手が明らかに彼女に従って仏を学ばないで、彼女が台中に行く意欲があって、他人に子供を養う意欲があって、供養を惜しまなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達が相手と付き合って、もし、一人が菜食して、もう一人菜食しないなら、最初、相手がそなたに組み合わせて、しかし、長くなって絶対に喧嘩することを開示された事があった。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達に恋愛をして結婚する事を反対して阻止する事のではなくて、或いは、リンチェンドルジェ・リンポチェが『寶積経』と曰く眷属因縁があったら拒否不可を開示される事が要らなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェがそなたに与えるのはそなたが仏を学ぶ事について開示である。しかし、そなた達は結婚する事が重要で、甚だしきに至っては側に人間がいない事が出来ないと言った。このような言う人はしるべきで、人が死ぬ前に絶対に孤独な一人である。もし死ぬ時に側に他人にいて一緒に死んだら、それは交通事故があって、或いは飛行機が落ちるという意外事故があって、そなたも欲しくなかった。だから、仏経に開示された事があって、なぜ女の身体を得て、これは情欲が重くて、情欲とは男女の欲望だけではなくて、そなたが人事物の欲望である。そなた達の女の子は乳房或いは子宮の方面に問題があったら、過去で男女慾について問題があったら、だから、古代の中国人がとても智慧があって、女は一人だけで付き合って、貞節を守る事がこの原因で、しかし、現代人が古人の話を聞かなかった。

欲求は重くて、病気に罹る機会はわりに高いである。仏法を広める人は仏法を説いて、皆に問題がどこにいる事を知らせて、信者の供養を求めるのではなくて、信者に法会に参加する事が十分である事ではなくて、そして、信者に因果を信じて一切な悪の行為を改正して未来が自ずから良くなる事を教えた。他人に自分がどの位上手く修める事を特に言う事が要らなくて、一心に唱えたら絶対に役に立って、心が乱れていて保護していないで、仏を学ぶ者が最も主要なのが内心世界が直すかどうか、外表によるだけではなかった。

すべての「我」の欲望を斬って、『金剛経』と曰く無我相、人相、衆生相、寿者相にあう事が出来た。我執に破る事は一部が切れて一部で、1歩ずつして、何時まで切れつくす事を問わないで、仏を学んで修行することが自然な事で、工夫を凝らしてする必要がなくて、結局が如何になる事を考えなくて、これらが我執の心で、仏を学ぶ事が出来なかった。ある弟子の母は生前である顕教の師父に皈依した事があって、この師父が癌の末期でずっと目を閉じて寝ないで、これは彼女が自分が寝ると仏菩薩の接引を擦れる事を恐れて、これもある執着である。そなたの福報が足りると、仏菩薩が自ずからそなたに接引して、そなたを連れて、そなたに擦れさせないで、これはそなたが寝るかどうかを関係が無かった。チベットであるストーリ、あるおばさんが毎日に誠心で「六字大明咒」を唱えて、あるラマ僧を彼女の発音を是正されて、それから、彼女が彼女の真言を唱える発音に気にして、結局、仏菩薩の保護が無くしてしまった。

多くの人はお経を読んで真言を唱える時に、多くの事を求めて、例えば子供の成績が良くないで、仏菩薩に彼の成績を良くならせる事を求めて、成績が良くないとこれから仕事を探す事が容易ではないと思っていて、これらは貪念で求めて、そなたの多くの考えで仏菩薩に求めて、そなた達の私利私欲の願いに満たせた。そなた達の求めが求められないで、リンチェンドルジェ・リンポチェだけで求めると役に立って、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが求めるのが一切が衆生に利益するわけである。そなた達は普通がこれにより加護と健康を求める習慣にて仏菩薩に求めるなら、そなたが往生する前に仏菩薩を求めたいと求められなくて、これは、普通にそなた達が求める時に、そなたの福報を使い尽くした。

もし布施をしないで、我執を破れて貪りを捨てる事が出来なくて、自分の貪りを捨てる事がないで、自分の過失を認識する事が出来なくて、そなた達がいま自分の錯誤を続けて抱擁しているようである。他人にそなたを誤解られる事もそなたの過失で、これはそなたがはっきり言わないで、他人に誤解られた。如実に布施法門を修めて、どこで過失を存在する事をよく観察し、一旦発見したら、容赦してすべて少しも除きないべきである。

引き続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥仏教文化交流協会の理事長、先週協会の事務総長が会員の資料がリンチェンドルジェ・リンポチェの会社で務める弟子に漏れて、理事会が同じようにその弟子に事務総長を担任して、これは正しいのでしょうか?そなた達は彼に処罰して4回の法会に参加する事が出来なくて、これが処罰のでしょうか?もう一人の検察官とする弟子も確認した事があって、事務総長の行為が違法である。理監事の仕事が協会に何か違法の事があるかどうかを確認し、それらの理監事たちの決定が間違った事務総長を続けて留任させる¥て、これはこれらの理監事がこの事務総長が大きな間違いではなくて、皆が長くて認識するので、感情を破壊する必要が無かった。皆がよい人をしたいが、リンチェンドルジェ・リンポチェに悪人に成らせた。実は、リンチェンドルジェ・リンポチェはわざとこれらの理監事が如何に処理する事を視た。

リンチェンドルジェ・リンポチェは何度皆に警告し、全て大きい間違いが全て小さい間違いから開始し、小さい錯誤で容赦して必ず少しも根絶しないのでなければならなくて、大きな錯誤にならなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは供養法門を絶えずに修めて、だから、貪念をますます根絶して、一目で事務総長の犯した誤りを見抜くことができて、事務総長とそのリンチェンドルジェ・リンポチェに務める女の弟子がリンチェンドルジェ・リンポチェのビジネスが良くなるわけで、彼らの犯した錯誤を放れた。これはそなた達が思うリンチェンドルジェ・リンポチェの心が細くてこの中に過失がある事を発見するのではなくて、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが私の存在が少しでもないので、貪念が完全に切れて、これは修行によりえる能力である。これらの理監事は布施法門を明らかに上手く修めないで、容赦して少しも自分の誤りを探し出していないで、その上、切れて、だから、この事務総長が間違って、お手柔らかにした。本当の大我を犠牲して小我を完成するのはリンチェンドルジェ・リンポチェで、リンチェンドルジェ・リンポチェが商売がむしろ放棄し、道場が如何なる法律を違反する事を望まなかった。

もしみんなの選び出す理監事はこのように務めると如何に全ての会員に引き継ぐか?将来、この道場がどのような道場になるのでしょうか?市場になるのではないか?交誼の場所になったか?そなた達のこれらの理監事は本当に馬鹿である。リンチェンドルジェ・リンポチェは馬鹿(*混帳)を言うと粗野な話かを尋ねた。馬鹿は粗野な話のではなくて、これは典故があった。これは北方の人々は多くの人があるオンドルで寝て、モスキートネット(*蚊帳)を共用し、だから、南方の人がこの言葉により北方人を形容し、北方人が南方人に「南蠻子」と呼ばれた。

お経は私達に「我執」を取り除いて、この私が要らなくて、しかし、そなた達にこの「私」が要らないも難題を吹っかけて、これはこの「我」が真に真実に存在し、皮膚を切れてそなた達に感じさせないで、皮膚を切れると人も死んだ。そのうえ、目の玉を掘り出すことがあり得なくて、全ての内臓器官を全て取り除いて我執を除くのでしょうか?明らかにこの人は真実で存在し、これを取り除きたいなら、矛盾点が現した。人間が死んだら、この我の意識も暫くの時間に存在した。修行者は最もな大きな問題が我執である。これはそなた達が私が仏を学んで、私が修行し、私が感じがある事と思ったわけである。

実は、我執の発生は目、耳、鼻、舌、身、意から外在に対する生じる一切な反応である。そなた達も仏法の中に偽我と真性の言い方を聞いた事があって、が、そなた達が聞いても体得する事も出来なかった。宇宙の中に全ての人事物が自性ではなくて、相が偽で、全て因果と因縁にて生じていた。いかに私を取り除くか?だから、仏教と記載されている六波羅蜜の修行法門が布施に最も重要なことで、つまり我々に捨てる事を教導し、我々の全ての物が捨てなければならなくて、この肉体でも捨てた。布施の意味は仕返しと福報ではなくて、布施でもらえる福報がただ因果法則と因縁方である。六波羅蜜の中に第一が布施で、そなたが布施できれば、最も主要な果報が何か福報を貰えるのではなくて、却ってそなたの貪念を切れられた。

リンチェンドルジェ・リンポチェは顕教の師父を皈依したばかり時に、顕教の師父がリンチェンドルジェ・リンポチェにただ供養布施を教えて、その後、直貢チェツァン法王に皈依し、直貢噶舉派が台湾で始めのセンターが毎月の30万台湾ドルの支出もリンチェンドルジェ・リンポチェが護持し、そなた達であれば、このように布施したら何か問題がないはずと思っていた。リンチェンドルジェ・リンポチェは密法を学んでから、商売を崩壊し、奥さんと離婚し、友人が道に出会うが認識しないで、貧乏の程度がお金が無くて食事が出来ないで、家賃を支払う事が出来なくて、息子が当年で高校で勉強したが学費を支払う事も出来なかった。前に顕教を学ぶ時に大功徳主で、その後、毎月にセンターに30万を護持し、今日、そなた達であれば、必ず早めに知ったらこのような多くくれないと思っていた。然し、リンチェンドルジェ・リンポチェはとても嬉しくて、これは心の中に、この世が貧困になる事が過去世である世に貪って供養を惜しんだ事があるのを完全に悟って、いま、貧困の果報を報いて、また一部の返済した。そなた達はこれらを仏を学ぶ障碍だと思っていて、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェに対して、却っていいことで、一切な外縁を切れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに一年以内に一心に四加行を修めさせた。直貢チェツァン法王を皈依してから今まで依然として絶えずに布施して、財施、法施、無畏施を絶えずにしていた。

たとえそなたは供養をしても、然し色々計算して、精密でけちけちして、綿密に計算したら、同じように貪った。一部の人が供養する時に、他人が幾らあげる事を見て、ある者が五百台湾ドルをあげて、ある者が一百台湾ドルをあげて、ある者が二百台湾ドルをあげて、そして、中間数を取って、このようにしたら、損をしない事を感じた。一部の人々は布施が黙ってして明らかに来て、ただしたらよい結果があると思っていた。一部の人々はその企業家が一億台湾ドルを寄付し、そして、十億台湾ドルのビジネスを受けて、この方式により皆に布施をする事を吹聴して、これらはすべて適切ではなくて、これが仏法のではなかった。仏法を諭す因果は必然的な存在の現象で、それらの人々ただ仏法の因果法則を明らかに示して、善因を行って善果の表相を得て、仏法の真義を説かないで、仏法が衆生に六道の輪廻を解脱する事を真に助けて、衆生に宇宙の真理を悟らせる事を助けて、そして、修行っして仏に成るのである。

一回、リンチェンドルジェ・リンポチェは友人が運転して仏寺へ一緒に行って、結局、車が回り道ですぐに断崖に落下して、リンチェンドルジェ・リンポチェがすぐに「南無観世音菩薩」を唱えて、結局、車がわけが分からなくて回転してきて、これは普通に心の中にずっと仏菩薩を考えていて、だから、緊急の時に、自分の考えも仏菩薩のである。

2週前に、心筋梗塞で往生した弟子はただ娘、母、家、保険書だけを思い出して、上師、真言、仏と思い付いていないで、これはこの人が生前で上師に偽りの信じのである。一部の人は自分が真言を唱える声がとても上手くて、だから、高慢の考えを起こした。上手く唱えるとはなんでしょうか?そなたが往生する前には、仏号と真言に止める事が出来ると、上手く唱えた。顕教にて仏号を唱えて、密宗で真言を唱えた。真言がより素晴らしくないで、かえって、経文がとても長くて、我々が往生する前に一冊の経文を唱え完了することが出来なくて、だから、そなた達に真言を止めた。そなた達は福報がなくて自ら仏菩薩を観られなくて、もしそなたに往生する前に仏像に止めて、例えば、釈迦牟尼仏の相が異なる手印があって、例えば観世音菩薩の相が、チベット仏教が四臂観音を説いて、顕教には送子観音と浄瓶観音があった。中国には、観世音菩薩は三十二相があって、往生する前にどちらの相が到底である事を考えると大変してしまった。だから、仏菩薩は慈悲で、そなた達に本尊、上師、真言で止めさせた。もしそなたはこの習慣を養成する事が出来で、そなたが最も危難にいる時に、自ずから思い出してそなたに助けてられた。そなたはリンチェンドルジェ・リンポチェを見た事がないけれども、しかし、そなたがリンチェンドルジェ・リンポチェの法写真を見た事があって、往生する前にリンチェンドルジェ・リンポチェの様子を思えるなら、そなたに対する必ず助けがあった。

そなた達は因果を信じると言って、が、そなた達は悪事をしたら良くない結果がある事を信じていて、しかし、悪事をする事が既にとても厳重なことである。多くのそなた達が思う小さいところ、小さい事が実は同じように因果があったら。そなた達は定年をまって、子供が成年になる等の事をいって、しかし、因果がそなたに待つ事をしないえで、因果が再び言う事をせず、輪廻も再びを言う事もせず、輪廻したら輪廻をして行った。今日、こんなに多くて開示して、リンチェンドルジェ・リンポチェがいない期間で、そなた達がよく静かに自分を検討した。多くの人々は自分がどこで間違う事をしらないと言った。如何に懺悔する事を知らなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェに彼に説かせた。そなたはリンチェンドルジェ・リンポチェに如何に彼に諭させるのでしょうか?このような人々は容赦しないのが自分の過ちを捨てることをしたくなかった。そなたの身口意をしこしでも自分に対する利益があったら、これが間違いのである。

リンチェンドルジェ・リンポチェは新しく皈依弟子達にアチ護法儀軌を伝授した。リンチェンドルジェ・リンポチェは「護法は世間護法と出世護法を分ける」と開示された。世間型の護法は法身をまだ修めない護法で、出世型の護法は少なくとも法身菩薩の果位を修めた。例えば顕教の両大護法の韋馱護法と伽藍護法である。リンチェンドルジェ・リンポチェは顕教を修行する時に、一回、もうすぐ夜が明ける時、そなた達が言った夢見るのではなくて、却って、自分が多くの人と一緒に食事する事をはっきりみて、机の上に多くの肉食を置いて、同席の人がリンチェンドルジェ・リンポチェに食べさせる時に、韋馱護法が現れて、手に剣を持って、机の上に置く食べ物を斬った。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェの生活の中に、誰かがリンチェンドルジェ・リンポチェに肉食させた事が無かった。そなたは発心して仏を学ぶ者であれば、護法が必ずそなたに助けた。

韋馱護法は本当の修行者に護持し、伽藍護法が顕教の仏寺を護持し、特に出家衆である。密教の護法が共と不共の護法に分けて、共の護法が四大教派が全て修める護法で、例えばマハガラ、しかし、欠く教派を修めた儀軌が恐らく相同ではなかった。不共の護法が共同で修める事のではなくて、アチ護法は直貢噶舉の不共護法に属した。アチが生まれる前に、彼女の両親はチベットからネパールの仏塔に歩いて、仏塔に回って息子をもらえる事を求めて、結局、アチの母親が帰ってから、多くの殊勝な夢を夢見て、そして、アチを生まれた。そなた達は聞いてから多くの質問があって、彼女の両親が息子を求めないのでしょうか?なぜ娘を生まれた?仏菩薩は衆生の縁に助けをあげて、衆生に対して最もよい助けで、そなた達が何を求めたいなら何がある事のではなくて、そなた達の願いを満足させるのではなかった。アチはその後自ずから女の瑜伽士になった。彼女の孫は直貢噶舉の祖師ジッテン・サムゴンである。アチ護法の誓いと願力は全ての直貢噶舉教派の弟子に保護し、保護とはそなたが既に発心して仏を学ぶ予定で、そなたに保護して意外で死ぬ事をさせなくて、その上、そなたに仏を学ぶ障碍を益々消えさせた。

護法はそなたに修めて喧嘩させるのではなくて、そなたが護法を修める時に、護法に求めて相手に言う事を聞いて、或いは子供が言う事を聞く事をしてはいけなかった。修行者ははずの祈りは既に完璧で法本の中に書いた。そなた達は毎週法会に来て、祈願文により祈って発願して、追加で求める事が要らなかった。諸仏菩薩が発する願いは必ず遣り遂げて、そなた達が発する願いは必ず上師の連れが必要、絶対に遣り遂げられると発願した。直貢噶舉の教法のなかに、如何なる法本と経典は上師の口伝が言った。例えば、教派のラマ僧が『大蔵経』を唱えるなら、上師から先に口伝してから唱えて始めて、これは伝統である。顕教には、アチ護法が空行母のリーダで、密教には金剛亥母の化身である。アチ護法を修める時に、儀軌がとても簡単で、あるお茶を準備し、プーアル茶が最も良い、これはアチが嘗てプーアル茶を飲む事に慣れたためである。修行完了してからお茶を自ら或いは子供に飲んではいけなくて、お茶を下水道に入って、衆生と縁を結んだ。そなた達は仏に礼拝してて真言を唱えて三寶に恭敬しなければならなくて、歯を磨いていないで或いはパジャマを付けて護法を修めると恭敬心が無かった。

一部の弟子は5グラムのプーアル茶を四つで切って、毎回アチ護法を修める時に四分の一を使う事を聞いた事があった。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は護法を修めて使うお茶も四分に切って、或いは、手で半分になる者がプーアル茶を供養しないでください。本当にお金が無いならば、一心にお湯を供養しても、護法も嬉しかった。そなた達はあまり綿密に計算し過ぎて、護法を修めて供養するプーアル茶でも何日に使える事を先に計算した。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのように多く考えをしないで、直接に一つのプーアル茶を使って護法に供養した。リンチェンドルジェ・リンポチェはお金が無くて食事が出来ないでも、仏菩薩の前の線香もやはり止めないで、その上、最も良い線香を買って、多くの人々がこのような高級な線香を使わないで、これは仏菩薩に供養する事を買ってくる事を惜しんだ。

それから、暫く期間で、リンチェンドルジェ・リンポチェはインドに向いて台湾にいないで、そなた達も少しの罵りを減った。この間には、そなた達が更に自分を上手く検討しなければならなくて、自分の問題がどこにある事を反省し、その上、確実な過ちを改めた。自分の一切の間違いを捨てて自分を改正する事が出来ないなら、そなた達が如何に修めても、どの位に修めても同じようにこの様子である。布施は工夫を凝らしてするのではなくて、生活の一部になって、護法に供養する事もこんなに節約したら、布施の心がないと、苦心を使い尽くして時間を省いて、それでは、そなたが仏を学ぶ時間も多くないで、時間を省くわけである。修行は長談義のではなくて、却って本当に生活で実行するのである。

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2011 年 12 月 06 日 更新