尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2011年9月25日

台北寶吉祥仏法センターで、信衆と弟子達は恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2010年10月17日に開示された仏法の録音を聞いて、その内容は《心の体性》である。

法会が始まる前に、ある女子弟子は皆に今回尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従ってチベットに行く道中で見った瑞相と殊勝な感銘を分かち合った。彼女は今度上海からラサに飛んで、一部の兄弟子は成都からラサにに飛んで、すべては道中でご無事なのであるが、実は皆が成都を離れる時に、成都では雷雨がすさまじいので、だから皆さんがチベットの旅に参加する時に、上師リンチェンドルジェ・リンポチェの福報がとても殊勝に皆に与えられた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはラサに到着した翌日の朝一番、尊勝なる直貢チョンツァン法王に謁見しに出発して、尊勝なる直貢チョンツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェに会って、あなたの教法がとても厳しいそうだと言って、そして、菜食精進料理を食べてからようやく皈依する弟子になることができるかと聞いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、はい、そうですと報告した。それぞれの対話の中から、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの厳格な教法が直貢噶舉教派でとても貴重なのであることを知っている。尊勝なる直貢チョンツァン法王も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが台湾で主催された2万人の大法会を知っていて、尊勝なる直貢チョンツァン法王は寶吉祥仏法センターのウェブサイトを常に閲覧して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの仏法の事業に非常に関心を持つのである。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは道中でとても大変であり、なぜかというと、一部の随行する弟子はラサで高山病に罹り、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは絶えずに弟子を加持して、福報を弟子に与えて、その故、結局は200数人はみんな平穏無事である。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは朝一番、弟子を連れて、尊勝なる直貢チョンツァン法王に謁見しに行って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの福報で、弟子達は尊勝なる直貢チョンツァン法王に謁見できる機縁があり、さもなくば、  尊勝なる直貢チョンツァン法王は普通な人が会うのではなくて、弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェが与えられる福報にたいへん恩に着る。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を連れて尊勝なる直貢チョンツァン法王に謁見して、そして午後信者達を接見した。チベット人はとっくに尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲心と撮受力を聞いて、加持を祈り求めたいため、多くの人は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する事を待っていて、助けを得ることを望んで、仏像、仏寺を修繕することを含む。直貢チョンツァン法王は更にチベットで儀軌を教える仏学院を設立することができるのを望んで、この重任がすべて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの身に落ちた。

三日目、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子を連れて直貢梯寺に行って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは正殿の中でこう開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは1994年にはじめてチベットに来た時、直貢梯寺に着く道がなくて、施設はとても悪くて、その後施設がたくさん改善されて、道が完備されただけではなくて、水道管、便所もすべてある。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは1994年に直貢梯寺に来て、初めて一年中閉関している大成就者テンジン・ニンマ・リンポチェに会い、テンジン・ニンマ・リンポチェは最初のひと言が、鋏を持ちにきて、と言った。 尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの髪の毛を切って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを弟子として収めて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがテンジン・ニンマ・リンポチェの唯一の漢人の在家弟子となる。テンジン・ニンマ・リンポチェはまた部屋の中であちこち探して、人民元500元を探し出して尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにプレゼントして、そして尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに、リンチェンドルジェ・リンポチェが人天供養を受けることができる、と仰った。

2000年、尊勝なる直貢チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェがぜひとも直貢梯寺の金頂を再建することを護持することを指示されて、直貢梯寺の金頂を再建するのは直貢噶舉教派が第3回隆盛であることを代表し、このような重任も、同じく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの身に落ちた。大成就者ドラブ・ワン・リンポチェも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに指示して、直貢噶舉は長年中断した1つの法門が伝承が絶えればいけないことを言って、だから、毎年年末の12月に、250人のラマ僧が、連続45日間、毎日24時間にわたって、真言を唱えて、その故、皆が獲得した貴重な「甘露丸」が出来る。この法も尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが護持されて、あの時から今なお一度も中断していない。

故に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが行った一切は我々が見えた事だけではなくて、もっと多いのは我々が見えない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは今まで自分が行った事を賞賛しなかった。しかし、我々は自ら見たが、直貢噶舉教派に於いて、多くの仏法事業及び寺の護持など全ての重任は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが引き受けた。弟子は尚更に感謝して、全ての福報及び供養に関して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆に与えて、完全に自分を残さなかった。兄弟子達の福報は全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェから貰った。今日ディクンティ寺に戻って、尊勝なる直貢チョンツアン法王に拝謁できて、甘露丸を貰えるとは全て感謝しなければならない。彼女はまた伝えたが、兄弟子として何も行えないが、供養しかできない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは奉献した事は非常に多くて、弟子として自分が多く供養した思わない。実は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの行った事と比べると大した事ではない。今回チベットの旅に於いて、全ての食事は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが加持された。ディクンティ寺に登る時、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは止まらなくて丁寧に指示していた。夜十時半になっても、皆に体に保温させるため、服をしっかり着る事を指摘して、皆が高山病に影響されて風邪を引く事を心配した。弟子を指示して、どんなに熱くて、汗が出ても、服を抜けない。全ては弟子を関心している。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはディクンティ寺で皆を率いて金剛薩埵を修めた。修めた後、続いてアチ殿で護法を修めた。ディクンティ寺の中に現在新しく建設したアチ婆さんの関房があるが、此れも尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは護持した。非常に感動された。護法を修めた後、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、アチ護法は今日非常に喜んでいた。当時も同時に雨が降ったり、雪が降ったり、太陽が出た瑞相が現れた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは実修して認証された。リンチェンドルジェ・リンポチェも開示されたが、ディクンティ寺は懸崖の壁に建設されたから、今回の旅人は歩いた時に皆は石が山の洞穴に嵌め込まれたようだと感じた。歴代伝承の上師は皆洞穴に修めたから、我々の教派は実修しなければならない。

弟子として、我々は教えに従う以外、何もできない。供養は心から起して、力を尽くして供養しなければならない。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに供養を手に入れると、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはすぐ供養して布施した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは一切の福報を我々に与えて、我々に返した。全ての人が得た物は上師に与えた物より多いから、この恩徳は如何なる返済しても返済できない。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはとても忙しいから、世界各地に多くの道場、閉関センターは全てリンチェンドルジェ・リンポチェの護持が必要だが、リンチェンドルジェ・リンポチェの重任は弟子が協力して欲しい。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに一人で全ての事をさせない。

この弟子はまた一つの瑞相を補充した。皆はテレビでチベットに地震があるニュースを見るはずが、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはディクンティ寺からホテルを戻る時、ちょうど地震が発生した時だ。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、チベットで今回の地震はチベットの悪い事を全て震えた。だから、大修行者の来臨は全世界に福報を得て、世界にとても安全になる。参列者はこの事を聞くと、雷のような拍手の音で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝した。

他の女弟子は参列者に今回尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従ってチベットに行った殊勝な事跡を報告した。またリンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、自分に上師を褒める機会を与えた。今回彼女は上海からラサへ直通の日程を参加した。第一日目上海に行って、晩餐の時祥楽旅行社は彼女達を案内して、上海当地で有名な菜食料理レストランに行った。皆に自分で注文させて、皆は自分が好きな料理を注文して、止まらなくて褒めていた。

彼女達は上海で二日間泊めて、祥楽旅行社は完全にコストを考えず、彼女達に殆ど自分で好きな料理を注文した。ホテルも言うまでも無い。5つ星ランク豪華ホテルに泊めて、尚更に風景を眺められる部屋である。外灘に向け、部屋から見る景色ははがきのような綺麗である。このような部屋に泊めるのは全てリンチェンドルジェ・リンポチェの関係だ。また、全ての弟子はこのように快適な環境でゆっくりに休んで精神を修養できる。出発前に祥楽旅行社は全ての人に高山病を緩和する補充品を与えて、皆ラサに到着前に飲ませた。旅行前の説明会に参加する時、祥楽旅行社も全ての団員に杖、保温ポット、レーンコート及びカイロを送った。

彼女の父は長年北京でビジネスして、彼女の側にいない。彼女は上海に到着する時、彼女は父に電話を掛けて、自分が無事だと知らせて、また父に二日後、チベットに行く事を伝えた。彼女の父は彼女に先に高山病を緩和する補充品を飲むのを言って、彼女が高山病に罹って体調が悪いと心配した。彼女の父が関心する事はリンチェンドルジェ・リンポチェが既に皆のために用意した。だから、彼女は父に祥楽旅行社は皆のために用意したと伝えた。更に彼女は出発する前に寶吉祥漢方薬診療所に薬を取って予備した。彼女の父は彼女がリンチェンドルジェ・リンポチェに従って旅行する事を分かるから、特に心配しない。それは毎回旅行する時必ず最高の食べ物を食べたり、好い物を使ったりするから、何も悩む必要がない。

尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子に対しての配慮は父母親が子女に関心を持つと同じだ。彼女らの団体は上海で乗り換えるので二日目の夜はリンチェンドルジェ・リンポチェと食事するチャンスがなかった。他の弟子達の話により、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは食事をする時皆に言いつけた。暖かくするのを気をつけて、風を引いてはいけない、風をひいたらリンチェンドルジェ・リンポチェの部屋の外で加持を求めないで、リンチェンドルジェ・リンポチェの部屋番号は皆に教えないから。しかしある弟子が途中で死ねば、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼のためポワ法を修める。上師が仰った話しは全部皆のためで、これは金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェだ、すべて皆を加持して関心を持った。上師リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子に対しての配慮は父母親のと同じで、一層細かくて、皆が腹がすいて、病気にかかるのを恐れるので全部良く用意した。

彼らは上海で二晩を泊まって、三日目に西安に直航して、また乗り換えてラサへ、またラサへ乗り換えた。西蔵に宿泊のホテルも言う事がなしで、同じで一番よくて、一番高級なホテルだ。西蔵に着いた1日目、夕食時間彼女はひどい高山病にかかって、酸素が欠乏するので頭痛で、眩暈がして、またずっと吐いて、寒かったり熱かったりした。尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは多くの弟子には不適応の状況があったと分かって、特に夕食する時果物を加持して全ての弟子に食べさせた。兄弟子達も彼女のお世話をして、彼女は自分の業障が重すぎることしか反省出来なかた。1日目の夜既に点滴されて、また1人年上の兄弟子に迷惑をかけて彼女の世話をして、彼女は大変皆に感謝した。

翌日起きて、彼女のお体の具合はまだ悪くて、当日の行程は尊勝な直貢チョンツァン法王に謁見するが、彼女はやはり酸素が欠乏したので頭がぐらぐらした。彼らは直貢チョンツァン法王に伺った時、直貢チョンツァン法王は皆に誰でも1本念珠、ハダと仏像、また皆に甘露水を与えた。例え金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェでなければ、皆は尊勝な直貢チョンツァン法王に伺うとの福報がなかった。皆は列になって、一々に直貢チョンツァン法王を謁見する時、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは全てずっと直貢チョンツァン法王の側でお伴をして、これは金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チョンツァン法王に対しての敬う心で、また弟子達に対しての関心である。

彼女は金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ及び直貢チョンツァン法王を謁見した後、屋外に出て、明らかに自分のお体が意外にも元気になって、どの悪い気分もなかったと感じた。本来眩暈だったが突然に大変すがすがしいと感じて、頭も重くなくて、痛くなくなった。彼女は分かっていて、全てリンチェンドルジェ・リンポチェと直貢チョンツァン法王の慈悲な加持である。前の晩彼女は水を飲むさえも全部吐いて、朝も吐き気を催すのを恐れて半分のお粥しか食べなかったが、リンチェンドルジェ・リンポチェと直貢チョンツァン法王を伺った後、彼女は昼食する時食欲が回復した。

夜になると彼女はまた高山病が起きて、夜中に自分がすごく熱くて熱があったように感じた。そうして彼女は同室の相弟子に頼んでホテルのお医者さんを呼んで来て、また二本を注射されて、自分が本当に良く懺悔しなければならないと感じた。

翌日の行程は直貢噶舉の祖寺ディクンティ寺へ行くのである。彼女は朝またお体を引っ張って、頭がまだ酸素を欠乏して、眩暈してもやはりディクンティ寺へ行き、あそこは海抜はモット高いところで、車で約4時間がかかる。その後、彼女はその他の兄弟子の分かち合いを聞いてはじめて分かった、皆が遠くて見た山壁上のディクンティ寺、リンチェンドルジェ・リンポチェが建て直した金頂を見た。多くの弟子は全部一つ家に帰った感じと感動があった。これは皆が長く待って、やっと尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達を引き連れてディクンティ寺に帰って来た。それに、尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはまた弟子達を引率してディクンティ寺の大殿の中に衆生のため金剛薩埵を修めて、続いてアキ・ドロルマ殿へアチ護法を修めた。

アチ護法を修めた後、空に細雨がひらひらして、また大太陽出て、太陽雨が降った。彼女は頭を上げて空を見て、多くの大鳥が空で飛んで旋回するのを見た。ある時低く飛んで来て、皆に近くして、皆は全部分かって、これはリンチェンドルジェ・リンポチェがディクンティ寺に来て現れた瑞相で、リンチェンドルジェ・リンポチェも申された、アキ・ドロルマはとても嬉しかった。その後、ディクンティ寺の大殿の中に、ラマ僧達は大変熱情で弟子達にビスケット、酥油茶と果物を招待して、これは全部上師リンチェンドルジェ・リンポチェの福報であった。

彼女はもともと頭がぐらぐらして、この時はまた大変醒めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達を引き連れてアチ護法を修めた時、念呪始めたと彼女の涙は控えられないように絶えずに流れた。本来彼女は自分が泣きすぎて、酸素が更に欠けると思った。しかし、あの頃考える時間もなくて、彼女も何も問わずに、どうせ、上師がいて恐れる事が泣く、ずっと泣いて、結局本当に大丈夫だった。リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て仰った通り、考えすぎると酸素がはじめて欠ける。彼女は考えすぎたのである。

今回、金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、歴代伝承祖師、諸仏菩薩の慈悲加持なので、全ての弟子に無事で直貢梯寺に到着させた。皆が離れる時に、人々が貴重な甘露丸を貰えて、これが寶吉祥弟子だけである厚遇である。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが教派の為にした一切のは寶吉祥の名義なので、皆がリンチェンドルジェ・リンポチェの大福報を付けられるわけである。この一切のは全てリンチェンドルジェ・リンポチェが与えて、彼女がとても恥ずかしく思って、自分が全て金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの福報を使えた。

尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、いとま請いをせず苦労して弟子を連れて直貢チョンツァン法王に謁見して、直貢梯寺に戻って、皆に機会があって福報を累積させた。リンチェンドルジェ・リンポチェは最も良いことを全て皆にあげて、最初から最後まで、食べたり、着いたり、使ったり、住んだりする事の色々で、寶吉祥漢方医診療所、祥楽旅行社、寶吉祥日本食品等で、リンチェンドルジェ・リンポチェが生活の中に衆生に世話させて、彼女がどの世で修めてきた福を知らないで、このように具徳の大修行者という上師に従う事が出来で、自分の両親のように無私で、これがただ仏菩薩だけで出来た。金剛上師が仏で、菩薩で、彼女はよく懺悔していて、自分をよく改正して、上師の福報を再びを浪費しなくて、上師に心配させる事をしなかった。

もう一人の女の弟子は参列者に今回のチベットの旅程の収穫を分かち合った。彼女は今年(2011年)7月10日に夫、娘と一緒に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに皈依した。一切なのは全て尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに感謝しなければならない、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェではないならば、皆が今回、尊勝第36任直貢チョンツァン法王に謁見し、祖寺直貢梯寺で金剛薩埵とアチ護法を修めたという殊勝な因縁が成就する事が出来なかった。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェではないならば、どのように良い縁でも、皆が全て直面ではずれた。

この8日間の日程の中で、彼女は尊金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが広大な衆生に対する慈悲喜捨と弟子達に対する尽かせず世話を何となく聞いて見た事があった。

彼女は観光バスの第1列で座ったので、ガイドを担当する大陸の弟子をとても近くて、偶に無意識で尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを話して、彼に序に中国でいくつ事をさせた。彼女に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが大量で長期で多くの辺鄙で遠くて、貧しくて、後れている地方を援助している事を知らせた。

今回、チベットの旅、彼女は非常に気楽に楽しいと感じた。衣服、食、居住、行動などが尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの懇ろに世話していた。着けるの方について、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に如何に着いて風邪を引かず事を提示した。食べるの方について、リンチェンドルジェ・リンポチェは果物と食べ物を常に加持して各々のテーブルの弟子達に分けて与えて、甚だしきに至っては、皆にレストランで自分が好きな食べ物を注文させた。泊まるの方について、リンチェンドルジェ・リンポチェは皆と同じホテルに住んでいて、皆に身と心を安住させて、安心感を満たしていた。行くの方について、200人余りが旅程の間に平安で順調していた。この一切は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの不思議な大功徳力、大能力なので、弟子達と各々の衆生の異なる需要を満足させた。

9月18日、直貢梯寺から帰路の道中に、彼女は他の弟子が分かち合うことを耳にして、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェがアチ護法に大礼拝を行う時に、身体が働きすぎて疲れるので、二人の随員の支えが要って立てて始めた事を知っていて、彼女の心が忽ち痛みと感じた。

彼女はすべての両親、師長がすべての子女、学生達に成長して、すくすく育って、自立することが出来ることを望んでいて、学生達が成長して行けて、両親と先生がお年を取って行けて、世の中の身体が全て制限と時間性があって、だから、彼女が自分が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの深くて懇切な教誨に従って教導に従って行う事を望んでいた。

彼女はこの8日間の日程の中で多く兄弟子の分かち合ったことを聞いて、心の中に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに無比な敬慕と信心を生じた。車の上に、弟子が上師の事業を護持する事を分かち合って、彼女にとても深い感動があらせた。彼女は皈依した後、ミラレバ尊者の伝記を再び読んで、尊者とこの同門兄弟子がマルバ大師に誠心誠意で従って供養する挙止がとても感動して、長い間に抑える事が出来なかった。オバラマ僧は自分の身口意と内外の全ての財産をマルバ上師に供養し、最後、一匹の年を取ってい気性がまたびっこの雌の羊を背負って帰ってマルバ上師に供養した。彼女が自分を考えてみて、使うの分を先に保留して、残りの分が上師に供養して始めた。彼女は弟子するはず全体の供養を遣り遂げた事が無いで、上師に定年の年齢で依然として大変で事業を奔走して、事業を経営させた。彼女は仏経の中に最も重要な事が両親に親孝行して、先生に仕える事を読んだ事があって、基礎でも遣り遂げる事も無いで、彼女は如何に他人に自分が仏を学ぶ事を教えるだろうか。

今回、チベットの旅は彼女に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに敬慕の念を満たさせて、信心を具えさせた。これから、彼女は自分が尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにうまく依止して、ベストを尽くして自分の思想、言語、行為、挙止を改正する事を望んでいた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは先週ガムポパ大師が心の教法に関する開示を引き続けて開示されて、前回は心の表象を説いたが、今日開示されるのは心の体性、即ち心の本質である。

我々の心の中では発生する考えがすべて「私」であり、心臓の拍動が有れば、呼吸があれば、自然に「私」の思いが現れて、そなたの意識及び経験により、我執で一切物事を見ている。我執があれば心の元々の光が現れない。我々は全ての思いは私利私欲で自分を守るためである。たとえ仏を学ぶのさえも「私」であり、「私」は読経して、「私」は仏像に礼拝して、「私」は座禅を組んで、仏を学んでいるから体がよくなり、或いは将来よくなることを考えているなど、すべても「私」である。《地蔵経》には、「凡夫は起心動念が全て業であり、罪である」とある。それは衆生が思ったのは全て自分のためである。此処に言われた「罪」とは外道に言われた原罪ではなくて、間違いを行って犯した罪ではない。仏教に言われた罪は習った仏法を用いて、自分を輪廻から解脱できない。更に衆生に利益し、他人に解脱させない事を指す。もし自分だけのためであれば、我執により発生するいかなる考えは全て業を生んで、善ならば善業が出来て、悪ならば悪業があるので、僅かな善及び悪でも業を起した。つまり我々に輪廻させる力である。我々は外部の情報を接収して、心の中では念を動かして、だから絶えずに業力を生んで、実はこのすべては我々の欲求であり、そなたはまたいくつかの事に対して執着するのでさえすれば、業があって、まだ輪廻しなければならない。

最近ある団体はチベット仏教の法会を行なうことを分かると、会場で人に誤解されて反対のチラシを配った。今回阿弥陀仏無遮大超度法会の検討会議を開いた時、ある男弟子はこの問題について、アドバイスした。今度我々は事前に参加する信衆に他人のチラシを貰わないのを要求できる。この弟子がこのようなアドバイスがあるのは全て「私」の立場で考えて、自分は速めにこの問題を解決すれば、トラブルがない事しか考えない。しかし、彼は大法会に参加した信衆は全て自由に参加したから、参列者は色々であり、皆も異なる考えを持っていて、違う情報を貰う自由があるから。若し事前に彼達にチラシを受けない事を要求すれば、ある者は我々の道場は何か恥ずかしい事をしたか或いはこの道場はとても覇道だと思うかもしれない。全ての衆生は各自で因縁があるから、彼達は持つか見るか見た後如何考えるか全ては彼達の縁である。彼は表面に仏法センターのために、道場を守って、仏法を守る事を考えるけど、実は自分は傷付ける事を恐がって、上師及び教派の立場を考えなくて、《仏子三十七頌》の教法に従って行わなかった。だから、まだ我執の考えである。

今朝、リンチェンドルジェ・リンポチェはある弟子に電話を掛けて、ある人の電話番号を尋ねた。始めて電話を受けた弟子は、自分が知らないが、もう一人の者が分かると言った。だから、リンチェンドルジェ・リンポチェはその人に電話を掛けた。しかし、この人はまた自分が分からないから、前の人しか分からないと言った。結果、リンチェンドルジェ・リンポチェが再び最初の人に電話をかけた時、彼はまた自分が分からないと答えた。それでは、リンチェンドルジェ・リンポチェはある電話番号を聞くために電話を三回掛けた。このような状況が発生したのは責任を取らず、他人の責任と思って、責任を逃れた。自分は既によく行なったから、もうそなたに誰に聞くべきも言った。そなた達は生活或いは職場の中でも常にそうであった。しかし、そなたは私が知らない、誰に聞かないと分からないと言ったとき、実はそなたは分かった。唯そなたは用心に事をはっきり覚えないから、「私は分からない」という言い訳で責任を逃れて、「私」を守った。リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王に頼まれた時、リンチェンドルジェ・リンポチェも分からない場合があるが、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは絶対に分からないと返事せず、すぐ承諾して直ちに手配した。

そなた達はいつも外の者と疎通すると言う、お互いの考え方を了解するのを通じて共通認識することに達することが出来るようになる。しかし、そなた達は良く考えてみれば、所謂疎通とは、他人が自分の考えを受け取らせるのではないだろうか?実は、これは我執とのやり方ではないか?しかし、そなた達に我との観念を要らせないのは、何の事も自分は考えせずに、他人の言うことに従うのではない、悪いことさえもするならば、痴人になる。

あなた達は大法会の中に見た、リンチェンドルジェ・リンポチェは修法円満終了後、法座を降りて自動車に乗られて全場で回って甘露水で法会の参加者皆に灑浄した、手に吉祥草束を持って、甘露水を激しく撒き散らして40分間程長くかかった、簡単な動作に見えるが、実はきわめて力を費やした、それに、リンチェンドルジェ・リンポチェの手部の関節はもともと持病があったのである。何故リンチェンドルジェ・リンポチェが出来たのか?これはリンチェンドルジェ・リンポチェが既に「我」との観念がなくなったのである。信じなければ、そなた達は家に帰って自分でやって見よう、こんなに絶えずに激しく撒き散らすことは、只5分間でそなた達はもう我慢出来ないのに、30分間で持続すれば、そなた達は翌日石膏で固定される必要がある。

ましてリンチェンドルジェ・リンポチェは既に63才で、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが車の上に立つのを見て、実は車の上には狭くて、リンチェンドルジェ・リンポチェが馬歩を立て力を尽くす場所もなかった、弟子が用意してくれた吉祥草束はまたかなり長くて太くて、甘露水を濡れた後、撒き散らす時はとても重くなった。若いそなた達さえも、この動作で5分間で繰り返したら、手は多分挙げることが出来ない、40分間で撒き散らすならば半月間で休養する必要になるかもしれない。ましてリンチェンドルジェ・リンポチェは既に60高齢であり、なお脊椎がS形大側湾であり、なぜこんな体力を持って衆生のため灑浄することは40分間に長かったか?これこそリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲心の現れである、リンチェンドルジェ・リンポチェは全く自分のことさえも考えなくて、衆生が必要がある事を見るとすぐ与える。寶吉祥漢方醫学診療所の二人漢方医者さんさえも心配で、灑浄が終わった後、リンチェンドルジェ・リンポチェの休憩室の外に急いで走って来て関心をもち、リンチェンドルジェ・リンポチェは手が折ったと思った、灑浄した後、体力は足りなかったが、1時間を過ぎた後。リンチェンドルジェ・リンポチェはもう大丈夫であった。そなた達であれば、多分手は石膏で固定される必要がある、そなた達は信じなければ家に帰って、箒で水を撒き散らして見よう。

どうしてそんなに早めに回復出来たか、これこそリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲力の顕わすのであり、「無縁大慈、同体大悲」までやり遂げた。慈悲とは全宇宙の中に一番大きい力であり、使いきれない。慈悲心があるため、リンチェンドルジェ・リンポチェは病気にかかってもあの苦しみの感覚は一般な者より大変軽かった。リンチェンドルジェ・リンポチェは皮膚癌にかかった時さえも痛みを感じなかった、風邪を引いてもそなた達のように熱があって、咳をして耐えられない程ではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは大慈悲力を持つため、自殺した亡者さえも済度が出来た。

慈悲とはよい事をして、好い人になるのではなく、これは只人間として基本である。所謂「人道成、仏道成」とは、人の条件が先に行えると、自然に成仏の道に進められる。人の条件は即ち五戒、十善が出来るとの事で、これさえ出来ないと人に成る資格がない、さらに仏を学んで生死を離脱することを言うまでもない。

そなた達にとって、我執なしを行えない。我執は主観的な考えとは言えないが、たとえそなた達は客観的な考えと思っても、「私」の観念が少なくなったが、また「私」の観念を入れて、我執だ。そなたは主体と客体の差別があると思ってから、この事をそなたにとって利益或いは損害があるかどうか分析したから。そなた達は「私は貴方を助ける。」と言われても、「貴方」を話したから、実は相変わらず「私」を出発点としてする。そなた達は我執を取り除くことは出来ないので、「無縁大慈、同体大悲」に至ることが出来ない。「無」とはないではない。縁がなければ済度することが出来ない、無縁とはわざと有る特定な人を助ける事ではなく、衆生は求めがあれば、慈心の力は現れて衆生に助けを与えて、衆生が苦しみを離れれば、力がもはや存在しない。リンチェンドルジェ・リンポチェは大法会の中に法会の参加者皆に灑浄するのようで、即ち「無縁大慈」との現れである、だから、灑浄終了後、手部の痛めもすぐ消えてしまった。「無縁」とはここに縁がないとの事ではなく、縁起性空との道理である。

《金剛経》に説かれたが、仏を学ぶ人は衆生相を破って、自分が衆生と分けるわけではない。衆生は衆生で、そなたはそなたと思えば、慈悲を修められない。それはそなたは衆生の苦しみを体験できないから、「無縁大慈、同体大悲」を行えない。全ての大修行者は修行して成就を得る過程の中に、必ず多くの苦しみを経歴した。この苦難を経歴しないと、衆生の苦しみを体験できず、尚更に彼達を利益できない。例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは先日二人の弟子の父を助けて、ポワ法を修めた。法を修める時、リンチェンドルジェ・リンポチェは日本にいて遺体の側にいなかったが、法を修めた後、同じでポワ法の円満瑞相が現れた。此れはリンチェンドルジェ・リンポチェは「無縁大慈、同体大悲」を行えて、空性の慈悲を証したから、力は何処でも存在している。

「同体大悲」とは即ち仏菩薩本当に分別なしに衆生の苦痛を体験できる。そなた達は野犬を見るとある者はすぐ涙が流れた。これは意識の作用で、慈悲心ではない。そなた自らの感覚と執着だ。それはそなた達は浮浪者を見れば涙は流さない。同様にそなた達は自分の家族が重病にかかると極めて悲惨だと感じて、極めて苦しんだ。しかし、若し他人の家族が病気になったのを見ればちっとも悲しく感じなくて、自分と関係がないと思った。そなた達の家族が亡くなった時悲しく感じたが、街の側で他人が葬儀を行うのを見るとかえって悲しいと感じない。自分の民族が死亡するのを見ると悲しくて、他の民族が死亡するのを見ると同じな悲痛を持っていない。それはそなた達まだ分別心があって、貴方、私、彼など分別だ。そなたは「私」の観念を取り除いた後、我執がないと始めて慈悲心を修められた。無我相、無人相、無衆生相を修め得たまで。歴代の大成就者は全て世間に色々な苦難に遭ったから、修められて、我と衆生と全て同じだとう事が体験出来て、同体大悲である。リンチェンドルジェ・リンポチェは亡者のためポワ法を修める時、「同体大悲」を行ったので、衆生の苦痛を感じられて、彼らを済度することができる。済度はそなた達が思った通り出家して、仏経を何本読めば、他人を助けて済度できるわけではない。「同体大悲」が出来ない修行者は口が破ったまで唱えても済度することが出来ない。

ある者は仏を学んで精神病になった。なぜだろう。それは我執が重すぎ、私は仏を学んで、私は開悟して、私は成仏すると思ったから。若しそなた達は「私は成仏したい」と思えば、こんな考え方も間違った。それも我執で、つまり魔の心だ。何故成仏するだろう?それは衆生は苦しみがあったから、衆生を利益するため、成仏して、衆生を解脱する事を助ける。自分が仏に成りたい事ではない。仏も名詞であり、仏という字を解釈すれば、長い時間がかかる必要だ。若しまだ自分が修めていると思うと、「私」の観念もあった、このような考えさえがあれば、それでは分別心だ。まだ「私が修めている」考えがあれば、阿修羅道に堕ちた、それでは傲慢な心だ。本当の修行者は自分が修めていると言わなくて、上師の教導と加持だと言われた。そなた達は真言を唱える或は仏を拝むのは全部意識で唱えて、意識で拝んだ。用心ではない。そなた達は真言を唱えて、仏を拝むなら、利益があると分かったから、このように行った。これは意識の作用で、心から何も求めず、唯衆生のために行うわけではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んで以来、今まで自分はリンポチェの果位を証した事を思わない。自分がいくらの衆生を利益する事も考えない。唯上師の教えに従って修めて、自分の考えを持っていない。仏を学ぶ事は自分の考えを持つ事が出来ない。若しそなた達は自分の考えがあれば、そなた達の人生経験法則を用いた。それは仏法を学べない。仏を学べば、そなたに輪廻させる行為を一切修正して、全部改めなければならない。

今回10月3 日の大法会の中に、嘗てリンチェンドルジェ・リンポチェに皈依して道場から追放された1名の女信者はリンチェンドルジェ・リンポチェから大法会を参加する許可を貰えないのに、機会に乗じてごまかして会場に入って隠した。その後ボランティア達は彼女が入場したのを発見した。今日法会の中でリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、なぜ入場券が無いのに会場に入って来たかと聞いて、彼女は他の皈依弟子が入場券をくれたと言い逃れて。現場でリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を責めた、状況が分からない皈依したばかり弟子に責任を免れたたのは他人を害して処罰されるのである。彼女を入場させないのに、彼女がいろんな方法を考えて入場したが、思わずリンチェンドルジェ・リンポチェはその後、会場の外で待ち者を全て入場させた。彼女は道場が立ったル-ルを守らなかった。言い換えると、リンチェンドルジェ・リンポチェの話を聞かない。当初、彼女の娘は天も地も求めて、はじめてリンチェンドルジェ・リンポチェの認めを得て、彼女に再び戻って、日曜日の共修法会に参加するのをさせたのに、彼女は相変わらず話を聞かず、ルールを守らずに、十数名のボランティアに会場で彼女を探させた。万一見つけなければ、これ等の弟子が連累されて叱れる。現場リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女を離させて、彼女に今日の法会に参加するのをさせない。また開示された、教えに従わないと、いくら法会に参加しても役に立たない!彼女のこんな行為は「私」の観念があった、「私」は法会に参加したいのに、そなた達は「私」に参加させなくと、慈悲ではないと思った。「私」は大法会に参加すれば、十分な福報を得てから、娘こそ「私」にもっとお金を与える。

そなた達に上師の話を聞かせる事は極めて難しくて、現代社会の先生は、学生に体罰を加えることができないし、跪を罰することが不可能で、随時に告訴される事が出来て、これは現代人が師を敬って道を重んじる観念が無いわけで、学校の先生の話は聞かないなら、上師の話は一層に聞かない。そなた達は仏を学ぶ事がただ聞いてみて罵られる事がない、然し、そなた達は何か間違いがあれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが絶対に罵る。リンチェンドルジェ・リンポチェが仏法を開示する事を聞いて戻ってから自分が修めて得て、或は法会に参加すると守りがあって、自分が成就がある事が思ってはいけない。若し真にそうすれば、リンチェンドルジェ・リンポチェが第一人にて修めない事をいって、一日中はただ直貢チェツァン法王の加持により自分で、何故苦労的に閉関して修行して行くだろうか?そなた達は上師が居ないで、自修でしたらもう十分だと思っていけない。実は、自修とは他人に寄らなければいけない、自修という事がない、そなたは先生がいないで自分が分かっても、そなたが必ず他人に問い合わせた事があり、或は一部の参考書を読んだ事があり、そなたが問い合わせる相手、参考の書籍がそなたの先生である。

修行者は慈悲を修めて、慈悲を修め得れば、即ち所謂「感応道交」で、仏菩薩の願力と相応する事が出来ると自然に仏菩薩の世話と加持を得る事が出来て、仏になる道を歩いた。なぜそなた達に随喜功徳、上師の功徳を称揚するのを教えたか、上師はそなた達が称揚する事が要る事のではなく、上師と仏菩薩は名利のためではなく、そなた達の称揚が必要ではなかった。七支供養の中にも、随喜の重要性を言い及んだ。なぜ随喜するか?そなた達は皈依する時には、リンチェンドルジェ・リンポチェは上師の功徳を称揚する重要性を開示した事があり、何故上師の功徳を称揚する事が要るだろう?上師はそなた達が称揚する事が要る事のではない、そなた達の心は怠けやすくてもう努力しないから。仏菩薩と上師はそなた達の実例である事で、そなた達が学習の相手で、そなた達が我執を断絶する事が極めて難しくで、だから上師の功徳を称揚する事のより、そなたに自ずから学ぶ心を生じて、自分が如何にする事を知っている。そなた達は上師がただそなた達をおしえて、そなた達が自分で修めると思えば、あれは大間違い、これは一つの貢高我慢の考えで、貢高我慢の考えがあれば慈悲を修める事が出来ない。そなた達は歴代の大成就者を見て、全部自分がどう修めるのを言わなくて、只上師がどう教導と加持するかを言って、全部こう言った。

ガムポパ大師は申された:「心の体性、即ち心識の中にあれ絶えずに浮かべた「我」の思想だ。しかし修行の道に頼ればかえって「心の体性は光明で、空霊で認知する事が出来なくて、相続をせずで、明らかに、無依で、赤裸だ」と証悟出来た。心は重量、形、色、来去がなくて、停止をしないで活動する事も出来なくて、増加することも減少することも出来なくて心は認知する事が出来なくて、つまり現在の科学にてこれの存在を探索する事が出来ない。そなた達は現在、リンチェンドルジェ・リンポチェが説いた内容が聞き分からないと思っていて、実にはそなた達が知っているのである。なた達の心は我執に遮蔽されて、だから、そなた達が普段に心の存在を大変感じ難かった。

心は光明である事で、ただ衆生の心の光明が業に遮蔽されて、空中に光を遮蔽した暗雲と白雲のようで、暗雲が悪業で、白雲が善業だ。そなたは全て修め得た仏法は衆生に利益するのも白雲で、白雲も太陽の光を遮蔽することが出来て、暗雲さらに言う事がなく、それで我らもそれを取り消す。心の「光明」が目で見えられない、ある者は慈悲心を修め得たと心の光明はじめて現れて、例え他人が肉眼で見えなくても、この方の顔つきはさらい明らかで、いつでも精神が良いと見えた。そなた達は慈悲を修めなければ、顔色は全部暗く見える。そなたの心は光明で他人に利益すれば、他人はそなたを見るとそなたが総てきらきらに見える。このきらきらは明らか見える乳液或は保養品を塗装する事ではない、そなた達は多くの乳液を塗装しても、或は化粧しても、顔が依然としてグレーという感じである。

そなた達は自分がもうすぐ寝ている時を体得してみて、そなたの身体と意識が総ての作用を停止し、全ての六根の作用を止まって、あの瞬間に、全くどの考えでもなく、そなたの清浄な本質は自然に現れ来て、とても寝やすい。或いはそなたがもうすぐ覚める時に、少し光の感じを感じていて、これは心の光明本質のである。こんな光さは機械で測ることが出来ない。人は耳で声を聞いて、目で事物をみて、お体で感じる。目、耳、鼻、舌、身、意六根の作用によって、外在の現象に対して反応が起きて、心が作用を生じた。何故現在多くの人々が不眠で、煙草を吸ったり、お酒を飲んだり、或は睡眠薬を飲んだりする事をすれば、寝る事が出来て始めたか、これは六根が外在の現象に対して、反応、考えが多すぎで、興奮し過ぎて、これらの考えは心に満ちて、心を遮蔽して、心の清浄な本質、体性が現れられなくて、心の本性が顕露しないと眠る事ができない。人はどうして寝るか?心には休み必要ではなく、この業報身の肉体は休み必要だ。ある仏を学ぶ修行人は、ただ少しだけを定をして簡単に寝静まる事が出来て、これは「我」の考えがないわけである。

「空霊」とは無いと指しみたいで、しかし実はそなた達もあると感じた。此処の霊は霊験ではないし、或は何か事に対して感応があることではない。そなたの心が清浄する時、ある時、そなたは見て聞いた事もないのに、突然にある感じがあって自分が如何にする事を知っていて、そなた達はこの経験があり、実はこれはそなたの心の知覚が作用を生じて、心の本質が現われた。一部の人々は極めて真剣に勉強しても、ただ試験が同じように上手くない、そなた達がテストの運が悪いと言うが、実には心が得失心にて遮蔽させてしまう。そなた達は体得した可能性があり、このテスト内容を勉強した事がないし、急にある回答を得て、その上、これが一寸正解で、これは心の作用である。そなた達も嘗て無雲の青い空を見ている事がって、心がとても穏やかに何も考えがない、これも心の作用である。青い色を見てそなたに全体を解放させたのではない。空が何故青いであり、他の色のではないでしょうか?実は、これが密法と関係があって、今日は予め説明しない。

「認知不可」とは心が人の常識で理解する事が出来ない、つまり、人生経験法により解釈する事が出来ないし、経験の範囲を超えて、説明する事が出来ない。「相続不断」とは、心がずっと存在していて、然し、目、耳、鼻、舌、身と意の影響を受けて、心に遮蔽させる。「明瞭」とは一切な因果現象に対して、総てはっきりして分かっている。「無依」とは心が何もよりがない、これは心が何も物に付けて存在する事ではない。「赤露、赤裸」とは心がいかなるものにごまかさないことである。

心はまだ開悟していない時、心は体の胸の真ん中にいるけれども、修行して開悟した後、心は何処でいるのである。例えば、リンチェンドルジェ・リンポチェは今回日本にいたけれども、台湾弟子の亡くなった父を助けて、ポワ法を修められた。此れは心は何処でもいるわけのである。リンチェンドルジェ・リンポチェは数週間前に嘗てポワ法である亡者を済度した。あの亡者は呂祖から連れられた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼の家族に聞くと、始めてこの亡者は幼い頃に嘗て呂祖の養子になったから、呂祖は彼を助けた。呂祖は嘗て道教で其の後も仏教に皈依した。しかし、高い修行果位の呂祖でも同じように彼を助けられなかった。呂祖が彼に済度助けてあげられるならば、彼を連れでリンチェンドルジェ・リンポチェに見つけた事をしなかった。何故彼に済度してあげられないのでしょうか?これは修める法門は違うわけで、だから、呂祖が彼を連れて、リンチェンドルジェ・リンポチェに頼んだ。

リンチェンドルジェ・リンポチェは今回10月3日に行った「阿弥陀仏万人無遮大超度法会」のように、媒体記者が参加するを要請しないで、この事を完全に報道しなかった。官員が参加したいても、全程で参加できないなら、断ってくれた。このような大法会を行う事が極めて善的な事で、若しリンチェンドルジェ・リンポチェは自分の名と利の為に法会に行うなら、これがある善業になって、同じように輪廻していくのである。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは今回の2万人の大法会に媒体を断って、プレスリリースでも発行しなかった。これはリンチェンドルジェ・リンポチェが仏法が縁を言う事を信じていて、嘗て祖師ジッテン・サムゴンの時代には、何も宣伝がない場合に、18万の出家者がジッテン・サムゴンの門下に皈依する事が出来た。それらの衆生が如何に来たのでしょうか?全て因縁があって自ずから来たわけである。その上、ある市長は参加する予定であるが、30分だけで参加することが出来て、全行程に参加する事が出来ないと言った。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは断るしかなかった。普通の人であれば、必ず大歓迎で、これは政治人物が出席すれば、多くの記者を連れてきて、完全な無料的な宣伝である。然し、リンチェンドルジェ・リンポチェはこの2万人の大法会を行う事が全然衆生を利益する事為に、自分の名誉と利益のためではなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは本来自分の名誉と利益になる福報が衆生を済度して輪廻を解脱する力が変わって、だから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは把握があって、その日に助けが要る衆生が済度する事が出来た。

2万人の大済度法会を行う事は極めて大きな善事である。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の名誉と利益を捨てて、全心で衆生を利益して、今回の大法会の善が善業に変わる事が出来ない、輪廻の力を変わらない、仏を学ぶ事を障碍しない、これらは細かい差別で、然し、影響が極めて大きいである。する事は善行になるなら、修法の過程に慈悲の力が作用が出来ないで、無量な衆生に済度して利益する事が出来なかった。ただそなたは慈悲心を修めて出るなら、自ずから保護を得て、多くの事が遣り遂げて、求めないでも得る事が出来た。だから、一部の修行者は最も大きな障害が名誉と利益をする事である。リンチェンドルジェ・リンポチェは全宇宙にもっとも大きな力が慈悲な力事と何回目で開示された。慈悲力を生じてから仏菩薩の大きな力を結ぶ事が出来て、衆生に助けられて、2万人が宣伝がない場合には法会に参列する事が出来て始めて、これらのがリンチェンドルジェ・リンポチェの大慈悲力の現われのである。

現代の西洋医学は益々発達すれば、切られる人々が益々多くなっていた。仏法により地獄の中の「刀剣地獄」の同じ、「刀剣地獄」の中には、そなたが切られて斬られて、それから治してから再度切られて斬られて、絶えずに絶えずに切られる苦しみを重複して、極めて怖いである。現在の人々も三管で一緒にして、そなた達は1、2百年の西洋医学を信じていて、何処か問題があったら何処に切られて、どこに癌細胞があったら何処に切られて、そなた達は、現在ある糖尿病患者が手術卓上に横になって、西洋医学の医者さんから足を切られて、心臓だけで切られなくて、肺が問題があれば一つの肺を切られて、腎が問題があれば一つの腎を切られて、肝臓が問題があれば一部を切られて、一つを切られても構わないと思っていて、また残りの一つを対応できる。が、我々は一つの肺或は腎がもう十分であれば、我々が生まれる時に一つだけてあって、二つがある事ではない。

人体はそれぞれの器官の存在が必ずこの意義と作用が要って、有る器官が半分できられて、残りの器官の運作が正常する事可能でしょうか?表面に見て、医学はますます進歩的になって、実は現在の人々が業が益々重くなるので、死ぬ前に様々な苦難を受け尽くした。何故これ等の苦難を受けたのでしょか?在席の皆、学生時代には、蛙の四肢を打ったり、蛙を解剖した事があったので、現代の多くの人々が手術の苦しみを受けてしまった。そなた達は麻酔して手術房に入る時には、蛙のように人々に切られる。そなた達はこの悪でも解決できないので、仏を学んで仏になる事言うでしょうか?

今日開示されたことはまだ理論である。顕教の多くの経典と同じ、諭す内容がただ道理で、実行の方法ではなかった。そなた達は今日の開示を聞いてから、自分が遣り遂げる事と思うので、他人に自分が既に「無心無依、不可認知」の境界を認めた事言ってはいけなかった。此の考え方があったら、真に何も依る事が無いで、孤児になってしまった。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日ただ皆に理論を開示されて、実行の方法がまた教えなければ成らなくて、此れもそなた達の因縁によって、或はただ今日の開示だけで聞いて、そなた達がまた遣り遂げなかった。

我々は心の本質を体得する事が出来で、体性が光明で、空霊で、不可認知で、相続をせずで、明瞭で、無依で、赤裸な事を体得する事が出来るならば、自ずから輪廻の苦しみを束縛しないで、一切が因果と因縁を知るわけである。菩薩は何故何も恐れないのでしょうか?此れは既に慈悲を認められて、全ての事が因果と果報を知っているので、だから、傷害を恐れなくて、如何なる悪因をする事をしなかった。

そなた達は障害を克服する事をよく話して、然し、障害を克服する事ではない。我々の一生には障害がある事が必然で、が、如何にこれらの障害を越える事が仏法の助けをよらなければいけなかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは、出世法がよい修めるなら、世間法が必ず問題がない事とよく諭し、これは皆に如何に世間の障害を越える事を教えてあげた。菩薩は何も恐れない。そなた達は多くの事に怖れを起したのは、そなた達は傷付く事を恐がって慈悲心がないから。慈悲心を修める人は何処へも怖れを起さない。それは彼が学問がよく知識が博学で各種な状況を対応できる事ではなかった。彼は「私」の念がなくて、自分は傷付かれる事を恐がらないから、何も怖れがない。仏を学んでから何も順調になる事ではなくて、此れはそなた達に速くて弁済させられた。仏を学ぶのは慈悲を修めないと、神経病まで修めて行った。仏法により他人に罵って、他人が悪業を犯した事を言って、批判した。しかし、自分を批判しなかった。他人を見ると、目障りなら慈悲を修めなかった。もし減らす事が或は我執を除く事がないならば、慈悲心を修める事が出来なかった。慈悲の力が顕れないなら、心の力が顕れなかった。

何故上師が要るのでしょうか?此れは修行の道中に上師の監督と指導が要って、間違い道を行けなかった。そなた達は真言を唱えて、お経を読んで、仏に礼拝する事がただ助縁で、修行ではなくて、真に修行するのは自分の一切な輪廻を堕ちられる行為を改正して、此れは1日、2日、1年、10年、20年に遣り遂げる事ではなくて、とても長い時間が要って、此れは自分が遣り遂げる事を言ったら、遣り遂げる事ではないで、上師からの確認が必要である。リンチェンドルジェ・リンポチェのように、このような慈悲心を修めた行者が一切が考える事、言う言葉、する動作が全て他人に如何に利益する事を考えて、このような遣り遂げるあら、とても困難で、そなた達も遣り遂げなかった。そなた達は現在のが「私」の観念が無い事をまだ学ばないで、遣り遂げないで、修めないで、素直に従って、上師の話を聞いて教法を従って実際に行って、仏菩薩の話を聞いた。

今日開示されたことはまだ理論である。上師リンチェンドルジェ・リンポチェはまだ修める方法を開示していなかった。そなた達は聞き取れても行えなかった。今日、聞いてから帰宅して修める事が出来るのを思っては行けなかった。自分に絶えずに話して、或は、ずっと心が「空」をして、心が「霊」をする事が言ったら、自分が真に遣り遂げる事を思ってはいけなかった。そなた達は時運の意識により考えて、して、真に修め得るのでしょうか?此れは上師の確認が要らなければならなかった。また自分の考え方があって、独りよがりで仏を学ぶならば、来ないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェは今日、仏法が此処まで開示し、続けて諭すならば、そなた達が昏迷になって、とても深いので分からないと言った。実は仏法が深浅の分別が無いで、全てそなた達の心が分別するのである。

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2011 年 10 月 05 日 更新