尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの法会開示

2011年9月18日

午前、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥の弟子達を連れで直貢梯寺に向いた。寺院は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェを歓迎するのために、特にバター茶、ヨーグルト、葡萄、多くのクッキーとキャンディを用意した。寶吉祥の弟子達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが仏寺の大殿に入る事を恭しく待っていて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達に貴重な仏法の開示を与えた。

今日、皆が来たのは直貢噶舉の第1基の仏寺の直貢梯寺で、祖師のジッテン・サムゴンが創建で、この正殿がつまり当年祖師のジッテン・サムゴンが仏を諭すところである。リンチェンドルジェ・リンポチェは1994年に直貢梯寺に始めて来る時、現在皆がいる大殿と主要な建築だけがあって、道路さえなくて、近くが全て田で、しかし、此の数年あ、寺院のラマ僧達の努力の下で、現在の直貢梯寺がすでに非常に雄壮偉大で造った。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢梯寺ととても深く因縁があって、直貢梯寺の金頂が直貢チェツァン法王がリンチェンドルジェ・リンポチェに指示して造ったのである。直貢チェツァン法王は開示した事があり、直貢梯寺の金頂が完成すると、直貢噶舉教派の三盛んでいる時である。今のところ、金頂が完成してから、直貢噶舉教派は直貢チェツァン法王の予言の通りに盛んになって行った。

直貢噶舉教派は今回の興旺が歴史の第3回目である。直貢噶舉教派の初めの興旺は祖師のジッテン・サムゴンがいた時代で、その時、直貢梯寺の近くに18万人の出家衆を超えていた。直貢噶舉教派の寺院は全て深山の中で、他の教派の寺院が市区に於ける事のようではなかった。だからある言い方は山が直貢山で、堤が直貢堤で、つまり、直貢噶舉教派の修行の状況を説明するのである。直貢噶舉教派は実際な修行を重んじていて、閉関修行を主として、直貢梯寺の後ろの山に多くの小さいの部屋を見えて、それらが関房である。だから、直貢噶舉の弟子として、実際な修行するはずで、弟子がただ加護を求めて、教法に従って実際な行わないなら、結局全て離れた。

ドラブ・ワン・リンポチェがまた生きている時に、リンチェンドルジェ・リンポチェに直貢梯寺の伝統を護持する事を指示させた事があった。直貢梯寺の毎年の12月に、45日を期間して24時間で中断しないで250位のラマ僧が六字大明咒を唱える事を進行している。しかし、此の伝統は歴史の衝撃なので、結構長い期間で中断した。ドラブ・ワン・リンポチェはリンチェンドルジェ・リンポチェが此の伝統を護持して、伝統を続けさせる事を望んでいた。だから、此の数年間、リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢梯寺の此の伝統の進行を護持し、これからも続けて護持していった。直貢梯寺は六字大明咒の唱える伝統がとても殊勝で、しかし、今日の時間が足りないのえ、多く説かなかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは既に数年に直貢梯寺に来ていない事があって、前回が2004年で、だから、今日、正殿で金剛薩埵を特に修めて、直貢噶舉教派がまた多くの事業を行うので、この法を修めて障碍を取り除いた。弟子達はリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝修法に一緒に感謝した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢梯寺の正殿で金剛薩埵と廻向を修めた後、直貢梯寺のラマ僧達と信衆の求めの下、とても慈悲深く彼らを一人一人で加持した。上師の絶えずに加持と保護があったので、寶吉祥の弟子はこのような殊勝な因縁があって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って教派の祖寺に帰られて、弟子達がが全て感激して涙に噎んだ。その後、リンチェンドルジェ・リンポチェは寶吉祥の弟子達を連れで、アチ護法殿で護法を修めていた。海抜の4千数メートルの高さの直貢梯寺にいたけれども、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの足並みが速くてしっかりしていて、多くの若い弟子でも暫く休んで続けて前進しなければならなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが全然休まないで、恐らく生命の危険があった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に護法殿に着けるの為、率先して最も前に歩いて、たとえ高山の病気のため、調子が悪い弟子達が上師が皆に率いて前進する事を見ると、全て勇気をあげて従って向いて、それから、殊勝な護法殿につけて、その上、上師の率いて護法を修められた。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に福報を累積させる為に、自身の安全を全然気にしないで、上師の限りが無い恩徳が寶吉祥弟子が深く心に留めた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが護法殿に間も無く入る前に、空の中に急に大きな太陽を出して、雪が降りながら雨が降っている瑞相が現れて、そして多くの大きな黒色の鷲は護法殿の上でぐるぐる回っていて、地元の人も通常にこれらの鳥がこんなに高く飛ぶことができないと言って、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような現象がとても良い徴候と開示して、此れはアチ護法が嬉しい事を代表した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは護法殿を入ると、すぐにアチ護法に大礼派をして、高い海抜の地区でこのように疲れて修法して、急速に歩いて、体力をとても消耗しやすかった。リンチェンドルジェ・リンポチェが大礼派をしていた時に、気力の消耗が多く過ぎるため、扈従により支えて助けてから起きられて始めて、然し、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然として、礼拝の儀軌を堅持して完成し、自分の事を全然考えなくて、リンチェンドルジェ・リンポチェが護法と伝承に対する100パーセントの恭しさが顕れた。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの連れで寶吉祥の弟子が護法殿で護法儀軌を修めて終った後、加持力が無比な強くて、弟子達がとても震撼した。修法が円満になって、寶吉祥弟子達は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの殊勝修法をくちを揃え感謝して、声も立てずに泣いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは、護法殿の左側の柱の上に1つの宝物があって竜王が海から祖師のジッテン・サムゴンに供養した事、と慈悲深く開示した。それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは側殿に向いて、テンジン・ニンマ・リンポチェの法写真と仏像にハダを捧げて、そして、寺院の休憩室で暫くお休みを行った。此の長い旅の直貢梯寺の日程は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェにとても疲れさせて、然し、離れる前に、多くの現地の信衆がリンチェンドルジェ・リンポチェの車の前に加持を求めて来て、リンチェンドルジェ・リンポチェが依然としてとても慈悲深くて加持して与えて、金剛乗の成就者がこのように何も保留しないで衆生に利益した。

その上、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが直貢梯寺に滞在期間で、多くの大きな鷲を飛んできて、直貢梯寺の上の空に絶えずにぐるぐる回った。寶吉祥の弟子達はこのような福報を瑞相を目撃し、此れは全て尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに従って、全ての弟子達は賛嘆しながら感謝した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは教派と直貢梯寺の全力の護持のため、寶吉祥弟子達が直貢梯寺を離れる時に、直貢梯寺ラマ僧から送ったハダと無比な貴重な甘露丸をもらえた。今回チベットの聖地を巡礼するの向いた寶吉祥弟子は多くの人々が癌症、脳血管瘤等の重病の患者、老人と幼児で、然し、尊き金剛上師のリンチェンドルジェ・リンポチェの無比な殊勝な加持力の下、今回226位の参加した寶吉祥弟子が全て4千メートルの直貢梯寺に向って安全な向く事が出来で、上師の恩徳が如何に広大で、仏法の力が本当に不思議である。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは直貢梯寺からラサに戻った後に、完全に休んでいないで、多くの助けを求める僧尼と信衆を接見し続けた。夜、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは弟子達に大修行者と一緒に夕食して、福報を累積する機会を慈悲深く与えた。行程の最後の夜に、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが弟子達の身体が何か調子が悪い、皆がよく食べて寝る事に続けて関心した。寶吉祥弟子達はとても感謝し、その上、上師の疲れをかわいがって、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがこのような自分の全て命を何も求めず一切な有情衆生に利益した。

2011年9月18日

台北寶吉祥仏法センターで、弟子と信衆は恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2010年9月26日に開示された仏法の録音を聞いて、その内容は《心の表相》である。

法会前、ある皈依する男性の弟子は、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが彼らの家族を助けたことを分かち合った。この男性の弟子の妻は、皈依する時に既に乳癌に罹って、2007年に尊きリンチェンドルジェ・リンポチェがポワ法を修めてもらって、浄土に往生した。

2005年8月、彼の妻は病院の検査で乳癌の3期を発見されて、しこりがとても大きくて、直径が約12~15センチメートルである。家族の皆はすべて彼の妻が乳癌に罹ったこと信じられなくて、その時、彼らは既に男の子が二人あり、上のは3歳半、下のは1歳過ぎであり、その上彼の妻が当時36歳で、しかも二番目の息子に母乳育児をしている。9月に癌専門病院まで転院して、再度乳癌だと確認されて、全家族に対してとても大きな打撃になって、彼は自分で更に検査結果に抑えられて息苦しくなった、しかも仏法に接触したことがなくて、無常を了解していないから、その故、家の雰囲気がとてもまずい。

その時、家族はヨーガを修習しているため、菜食精進料理を食べているが、しかし仏法と異なって、ただ自分の健康を求めるためである。彼の妻は、西洋医学の積極的な治療を受けないで、漢方医と食療を選択する事を決定した、何故かと言うと、彼の妻は自分が治療の副作用で倒れるようになりたくないから。しかし妻の両親は西洋医学の治療を受けるべきなことを要して、ようするに化学療法、電気療法と手術である、そのため家が大変すごく喧しく、家の中の雰囲気はとても緊迫していて、油断して互いに文句を言ったり、或いは怒っていて不平を言ったりしてしまう。彼がたいへん妻がこのような苦痛に直面する事を惜しまなくなくて、どのように続く日々に直面するかをも知らないで、ただ、なるようになることしかできない。

彼はその時トレーニング・ジムで、授業しているため、ちょうどあるメンバーは皈依した弟子であるから、彼らに、逸仙路の寶吉祥宝石店へ尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに行くことを紹介してくれた。

初めて尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見した後に、彼の妻は気持ちが比較的に穏やかになり、彼らが尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに謁見したことは合計で4回であり、やっと法会に参加できることを求めて得た。初回は彼が働くため、妻が自分で参加に行ったので、結果は、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは、夫が一緒に謁見しなくてはいけないと開示された。2回目は、この弟子は妻に従って一緒に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見しに行って、その時、心がとても緊張していて、ただ尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが妻を救うことだけを望んで、結果は再度尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに叱責されて、そして彼らは懺悔する心がなくて次回再び来ると開示された。その時、彼は脅されてしかも周章狼狽と感じて、それからやっと尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの偉大と殊勝が分かって、自分が愚かで無知であるから、呼び覚まされて自分の間違いをはっきり見分けなければならなくて、だから、今回は帰って次回再び来ると要した。3回目は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは依然として次回再び来ることを開示されて、彼らが家に帰った後に、更に努力して自分の過ちをすべて紙の上に書いて、そして繰り返して確認して改正した。4回目は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはやっと法会に参加することを許可して、はじめて彼らは人が多くの過ちを犯す事を知っていて、いつでも反省と懺悔を必要として、常に自分に同様な間違いを再び犯さないでと注意させた。

2006年1月、彼の妻は病気のせいで体が痛くて、行動は不便になったから、入院した。しかし、当時自分の愚か及び信心が不足なので、妻を大型病院に転院して、化学治療を受けた。また、会社を辞めて、妻を世話した。しかし、病院にいる時、妻は化学治療の副作用のせいで、心身とも毒薬に傷付かれた事を見て、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェは法会の開示、「因果を信じて、因果を向き合って逃げない。」と思い出した。彼は妻の考えを支持すべきだと分かって、妻は毎回化学治療を受けた後、体が現れた苦痛は毎回妻の心身を損害する事を見ると心は痛かった。此れは全て自分の私心のせいで妻に苦しめた。

2006年3月、妻は退院して家で休養した。彼の妻は歩けた時に引き続きに法会に参加した。同時に子供が二人とも一緒に皈依を求めた。当時一家は彼だけまだ皈依していなかった。当時彼は一心で多くの金を稼ぐ事を考えて、トレーニング・ジムの仕事は週末と夜に講義がかなり多いと思ったので、まだ皈依を申し込めなかった。2007年1月、彼は元の会社に復職した後、わざと日曜日と金曜日の夜が空いて、コーチのトレーニングの仕事を土曜日に集中した。2007年尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェはラプチ雪山に閉関修行した際、この前に約束したケースを完了して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは閉関を出た後、皈依を求められた。

当時彼の妻は既に許可を貰って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを閉関を出ることを迎える旅行団を参加できた。出発前に彼の妻は体調が悪くなった。癌細胞は既に脊椎及び脳まで転移した。だから、全身は痛くて、頭がくらくらとして、足取りがふらふらした。特に仙骨部位は尚更に痛かった、当時主治医は既に妻が入院して治療を受けるべきと強くアドバイスした。しかし、妻から知らせたが、閉関修行を見送る事と閉関を出ることを迎えるとも尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの許可を得たから、申し込んで参加できた。極めて殊勝な機会である。だから、家族の年寄りから妻がネパールに閉関を出ることを迎えるのを行かせないと言われても、彼もこの前に病院で犯した間違い決定を覚えたから、妻が閉関を出ることを迎える事を支持以外、もはや西洋医学の積極的な治療を受けない。当時彼は自分がまだ皈依していないから、妻と一緒に行かなかった。全ての日程は兄弟子が妻を世話した。非常に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェを感謝して、閉関を出た後妻に慈悲な加持を与えて、妻を約束して殊勝なポワ法を修めて、妻に安心させて時間を待つ事が出来る。

当時、妻は台湾に到着すると、直接に空港から救急車を乗って、病院まで送った。続いて、彼は宝石店に行って、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに拝謁して、法会に参加する事と、皈依を申し込む事を求めた。その後、2008年1月に皈依できた。

彼の妻は2007年8月入院して、9月尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが主催する阿弥陀仏無遮大超度法会に参加した後、お体が弱くて痛くて動けなくなったため、もう日曜日の共修法会に参加することが出来なくなった。それで彼は法会が終わった後、妻の側に行って、尊いリンチェンドルジェ・リンポチェのご開示を伝えた。2007年10月9日午後4時、彼の妻は往生して、あの頃、彼が電話を受け取ったとすぐ急いで病院へ追いかけて、それに宝石店に電話して、あそこの相弟子に尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに妻の状況を伝えるように頼んだ。そうして相弟子は彼にお返し電話をして、妻に教えて尊いリンチェンドルジェ・リンポチェは彼女のためにポワ法を修めていると知らせた。また現場の者に携帯電話が静音対応して、それに妻の側に念仏させた。約5時頃、相弟子は彼に尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが既に修法終了と知らせて、彼に妻のお体の状況を検査させた。あの時彼の妻は既に全ての瑞相が現れてお体が冷たかったが頭のてっぺんが暖かくて凹んで、お体が柔らくて、唇は元来白かったが、ますますとても綺麗なピンクの色に変わって、顔色は大変よく見えた。彼は知っている妻が往生したがもっといいところへ行って、仏菩薩と一緒にいて、もう輪廻の苦しみを受け取らない、彼は妻のため嬉しいと感じた。尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが嘗て仰ったの通りで、亡者は殊勝なポワ法を得れば、阿弥陀仏のところに行って、眷属は悲しくない、亡者は既に輪廻を離脱して、一層良いところへ行くから。

あの時の看護婦のおばさんも彼の妻は今まで彼女が見た一番安祥な癌末期の患者だ。尊いリンチェンドルジェ・リンポチェが慈悲な加持したため、入院期間彼の妻はいつも嬉しくて時間が来るのを待った。癌細胞が脊椎と脳部に転移したが、妻の神智が不明にならなかった。また入院期間で一々親と友人と別れをして、特に2人の子供と別れをして、それに子供にはっきりと母が阿弥陀仏のところへ行き、お体が既に使えなくて、あの阿弥陀仏に着いたらもう痛めがないと教えた。

尊い金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに恩に着て、慈悲な加持が妻に多くの痛苦と恐れを受け取らせなくて、お互いに怒る状況がなくなった。入院期間で多くの相弟子が妻にお見舞いをして、彼らに多くの協力を与えて、また妻に信心をあげて、同時に2人の子供を世話した。彼は道場の相弟子達の助けを非常に感謝する。

当日の夜、奥さんの死体を葬儀場へ運ぶ時に、奥さんが寝ついたようにを見て、落ち着いているベットの上で横たわった事を覚えました。看護婦も「奥さんは最後の呼吸を軽いで終って、目を閉じて去って、如何なる必死の頑張りと苦しみが無かった」と言った。その後、奥さんの葬式は尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが開示した日付で順調な完成した。火葬した後に骨はピンク色になって、頭蓋骨の上の穴が同じ句とてもきちんと整って見易くて。彼に尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェの大能力とポワ法の殊勝を確実に見させた。

それから、此の弟子は母が尊きリンチェンドルジェ・リンポチェに済度させた事を分ち合った。彼の小学校の時に両親は離婚して、彼は父と一緒に台北で住んでいて、妹が母と一緒に花蓮に戻った。翌年、母が再婚し、妹が父に台北を持ち帰られた後、彼は二度と母と連絡した事が無かった。1984年、彼が大学に合格する時、母と再度あった事があり、しかし、それは再度の会ったのである。2008年5月20日、妹は日本から「母が心臓病なので19日に去った」を連絡した。その夜、彼は尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェにすぐ謁見して行って、施身法の中に母に済度する事を望んでいた。その時、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェに謁見する場合に、心の中にとても緊張していて、自分がとても親孝行をしないと思っていて、母を配慮していなかった。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの慈悲深く加持と助けを再度もらえた事に感謝した。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの開示のように、親孝行をしなければならなかっか。尊きリンチェンドルジェ・リンポチェの加持があったので、此の弟子に安心で二人の子供を連れで母の葬式に参加することができる以外、5月23日の施身法の中に、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェが円満な修法が完了してから開示し、全ての参加の衆生が済度もらえる事を聞いた。心の中に全く感謝した。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは「懺悔とは自分がした一切の事を責任を負って、過ちを改めて、また、再び間違ってはいけない」を常に開示した。そのため、逆境の時、恐れないでください。病気の苦しみと感じるときに、悲痛にならないでください。いつもいつも上師の教誨をよく覚えていて、我々の身に受けた一切を勇敢で直面して受けて、弟子の一切の痛苦と快楽が全て上師の慈悲と加持のわけである。尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェと衆生に感謝し、その上、大懺悔心を起こして、衆生に仏法を助けを得る機会にさせた。

この弟子は同時に発露して懺悔し、小さい頃、母の家族が常に家畜を屠殺して、父も犬を殺して、彼は殺害して食べた事がある衆生い懺悔した。同時、彼は教導により実行しする事確実な行わないで、信心が不足して、名利を貪り求める事を確実な懺悔し、過ちを改めた。彼は教導に従って実行する事を望んで、身口意により上師に供養し、素直に従って、その上、輪廻を解脱し、その上、尊き金剛上師リンチェンドルジェ・リンポチェ、尊勝なチェツァン法王と諸仏菩薩に感謝した。

そして、法会に参加する弟子と信衆は恭しく尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが2010年9月26日に開示された《心の表相》の貴重な仏法録音を聞いた。リンチェンドルジェ・リンポチェは次の如く開示された。数週前の法会の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェはガムポパ大師の教導で「心」の問題を開示された。リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て皆に話したが、若し最近開示された内容が分からなくても構わない、それはそなた達はまだ菩提心を発しないから、自然に分からない。分かるかどうかを別にして、専念に聞けば、未来必ずそなた達に助けがある。

そなた達は常に世間から、ある者がボランティアになる事を発心するとか、ある菩薩を寄付して護持するとか、法会を寄付する事を発心する事など聞いた。実は此れは名詞を間違いに使った。発心とは何だろう。多くのお金を寄付することではなくて、菩提心を発する事である。菩提心を発する前に先に慈悲心を培養しなければならない。そなた達が思った慈悲は実は全てわざとらしくて特に行うのであるから。良い人になるとは慈悲ではなくて、仏経を印刷したり、仏を礼拝したり、座禅したりすれば、慈悲があるのではない。空性の慈悲を証しないと、衆生を利益できない。読経とはせいぜい衆生を慰めるだけ。菩提心を発すれば、先ずは皈依して、五戒十善を守って、更に慈悲心を培養して、はじめて菩提心を発する事が出来る。菩提心はまた世俗菩提心及び勝義菩提心を分ける。勝義菩提心まで修め得てから、本当に衆生を利益できて衆生の苦しみを解脱できる。

世俗菩提心の「世俗」はとても俗っぽいと言うのではなくて、二つの方面から釈明することができる。第一は、あらゆる仏菩薩はすべて「人」から修行したので、だから指示されたのは人がどのように修行する方法である。第二は、世間とは人の世間を指すのではなく、まだ輪廻しなければならない六道が全て世間だと言う。また、そなたは執着がまだあれば、六道の範囲の内にある。仏法は世間法を離れない、それは仏法と世間法が同じだということではなくて、仏法が説いた方式は我らの累世習慣の考え方と全く同じではなくて、そなた達が人の世間で言うのは道理だが、仏法は道理という言葉がなくて、そなたと道理を言わない、それでそなた達はもうあの人生経験法の道理で仏法を見るな。仏が仰った方法はきっと衆生にとって役に立って、必ず出来る、我らがしっかりと実行すれば、我らの未来を変わることが出来る。これこそ仏法は世間法を離れないとの意味である。そなた達は現在仏を学んで修行することには我執の障碍を除いて、一番難しく習うのは、どのように仏法を生活の中に実践するか、それで、寶吉祥仏法センターは積極的に《仏子三十七頌》を唱導する。それは仏弟子とする条件である、それを全て生活の中に実行すればはじめて真な仏弟子である、例え一つさえが出来なければ本当な仏弟子とは言えない、只仏法の信者である。我は働かなくて、結婚をせず、仕事をせずに念仏しかしなかったら良いと思わないで、こんなに消極的な考えは要らない。生活を続いて、仕事を積極にしなければならなくて、仏教は消極的なのではなく、仏法は生活の中に融合しなければならない、皆は仕事をしなければこの世界はしまっただろう、我らは随縁で暮らすべきで、人妻として、部下として、全て真面目にこの役を良く演じて、積極的に生活の上の全部事柄に対して処理する。外在の状況はこうなっていれば、この縁を受け取る、しかし我らの心の中にはっきり、確り自分がこの一生の方向が分からなければならない。

多くの者は長年も仏を学んでも、まだ何が慈悲であるかが分からない。慈悲は良い人をしったり、好い事をしたりするのではなくて、これらは外道の言い方である。外道はよくないのではなくて、外道も同様に信者に善行をして戒を守るように教えているが、しかし信者に生死輪廻に解脱するように教えていない。知ってください、釈迦牟尼仏は49年説法して、衆生が生死に解脱するように助けるため、だから、もしどのように生死に解脱するかを教えるのではないと、仏法ではない。世間に他の宗教の中に慈悲を言わない。若しまだ仏弟子は良い事を行なえば、慈悲を修める事だと思えば、それは仏法を誹謗する。世間に1つ有名な団体があって、実は仏に付随する外道であり、仏教の名義で、読経して戒を守っていい事をする事を教えるが、しかし、信徒に来世にまた転生する事を教えて、願に乗じて衆生を救済に転生する事を言った。そなた達は皆理解してください、此の世に得たのは前世に行なったから、来世に得るのは此の世に行った。若し此の世に菩薩果位を証しなくて、来世に願に乗じて衆生を救済するのは不可能である。唯そなたの業力に従って改めて生き返るだけである。

純善までやり遂げて、ようやく自在を得ることができる。もしそなたは善行をする時に自分のための考えがあれば、例えば、仕返しを望むこと、賛嘆を得ることを望むこと、他の人はそなたがいい人だと思う事を望むことなど、これらはすべて純善ではない。自分のための考えさえあれば、悪である。そなた達は自身が純善までやり遂げていないことがはっきりと知っていて、だからそなた達は1日中心配している。実は、そなた達が仏を学ぶことを要するのは、積極的な言い方はそなた達が輪廻生死に解脱して早く成仏することを望んで、もう1つの方面はそなた達が再び悪を少しも行わないでくださいように望む。考えてみなさい、もし六道衆生がすべてもうすこしも悪を行わないと、衆生は再び輪廻することはできなくて、すべての宇宙はもう大丈だろうか。

どうして仏を学ぶのは先ずは皈依しなければならないか。進学には先に学校登録しなければならないようである。仏を学ぶのはこれからの試験に対処するため。何が試験であるか。死亡する時に、そなたはそなたの心を控えることができるかどうか。これは私達が直面する試験の問題である。これは世の中が言う「魔考(魔の試験」ではないて、あれは外道の言い方である。仏陀は魔考と諭されたことが無くて、すべての障害は自分の心がもたらしたのである。

戒を守るのは先ずは不殺生であり、多くの衆生は殺業の恐ろしさを知っていない。1つの巣のアリは百万匹の命がある。1匹のカニには数十匹の寄生虫があり、殺業はとても恐ろしい。お経の記載により、六道での衆生は全て成仏する本質を備えるから、そなたは衆生の肉を食べて、未来の仏を食べると同じ。顕教の記載は、ある菩薩が常恭敬菩薩だと名付いて、彼はいかなる人に対してすべてとても恭しくて、何故かと言うと、衆生が全て未来仏であるから。現在世間に言われた仏弟子は99.9パーセントの人は不妄語という戒を破った。不妄語とは嘘をつく事ではなくて、嘘をつくのは個人の人徳の問題である。不妄語とは最も重要なのは修行者がまだある果位を証しないのに、自分は証したと言った。或いは既に果位を証して、衆生は祈ったのに助けないなら、妄語である。ある出家者はまだ修め得ないのに、他人の供養を受けた。相手に返られないから、自分の体で返済しなければならない。一部の人々は衆生のために業を担うといって、これも妄語である。自分が生死に解脱することまで出来ない場合、何故自分は衆生を利益する能力があるのか。

リンチェンドルジェ・リンポチェは密法を習う事を決意すると、すぐ倒産して、離婚して、食事が出来なくて、癌に罹った。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは仏菩薩に求めず、直貢チェツァン法王に法を修める事も求めなかった。此れは全て自分の因果と分かったから、完全に受け入れて、自分が負った債を返済しなければならない。癌に罹るのは累世の悪業のせいである。リンチェンドルジェ・リンポチェは此の世に殺生しないけど、長年海鮮が好きで食べたから、皮膚癌に罹った。

何故《地蔵経》にそなた達は起心動念は全て業であり、罪であると説かれただろう。ある者は無実の罪で訴えられた時、そなたはすぐ反駁した。何故反駁して解釈しただろう。それは自分を守って、出来るだけ少しの損ないを受けたから。此れは悪である。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に長年皆に仏法を教えて、そなた達に毎日自分の身口意を検視させたが、そなた達は依教奉行していない。特に長く皈依している弟子は今までまだ多くの悪習を改めない。

あるリンチェンドルジェ・リンポチェに従った弟子は既に長年で皈依したが、リンチェンドルジェ・リンポチェは今日彼女を指摘した時、彼女はすぐ自分が行ったのではないと返事した。リンチェンドルジェ・リンポチェの側にいる弟子は必ずうまく修めることができるのを思わないで。そなた達の見方で彼女の反応は通常である。自分が間違わないから、勿論はっきりに解釈する。しかし、金剛乗の上師は言ったが、そなたは反って解釈したのは上師の話を認めなくて、信じないのを表した。自分が行ったのではないと解釈すれば、自分の間違いを認めない。そうすれば、自分が間違いではなくて、他人の間違いではないか。また、上師は無実の罪を訴えたか。しかし、《仏子三十七頌》には若しある者はそなたに無実の罪を訴える時、仏弟子として、解釈せず、また慈心で彼に応対して、この人の功徳を賛嘆するとある。そなたは無実の罪を着せられることができて、そなたは前世に人様に無実の罪を着せたことがあって、特に上師はそなたに無実の罪を訴える時、尚更いい。それはそなたの業障を除くから。毎日《仏子三十七頌》を唱えて加護があるのではなくて、やり遂げてからようやく加護があるから。自分が読経したり座禅を組んだりするのは修行するのだと思わないでください、学べば学ぶほど貢高我慢にならない。いくら何年で仏を学んでも僅か傲慢の心があれば、慈悲心を養う事が出来ない、金剛乗の仏法も修められない。

仏を学ぶのは「心」から手をつけて、自分の心を改正する。多くの人はただいくつか仏法の名詞を習って、自分が仏を学んでいるのだと思って、いつも他人に彼が仏を学ぶ人だということを知らせるように表現する。一名の密法の行者は、他人に自分がどの程度まで修行してるかを知らせなくて、表すことはできなくて、いわゆる「深蔵不漏」である。仏を学んで修行するのはただ学べば学ぶほど傲慢しない。存知のとおり、皆はリンチェンドルジェ・リンポチェがとても凄いと知っているけど、しかし程度は分からない。リンチェンドルジェ・リンポチェは尊勝なる直貢チェツァン法王を見て、力は深くて想像できないが、ただ時には少しだけでリンチェンドルジェ・リンポチェに見させて、そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェを見て、勿論、力は深くて想像できないと同じである。

尊勝なる直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの誇りの欠点を対治するために、何回もリンチェンドルジェ・リンポチェを試練した。当面にリンチェンドルジェ・リンポチェを狼狽させて、口を開けるとすぐ叱って、リンチェンドルジェ・リンポチェが法衣を着ないことを責めたとか、リンチェンドルジェ・リンポチェはつくったミルクティーがまずいを文句した。その時リンチェンドルジェ・リンポチェの反応を見た。当時リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指示に従って、ミルクティーを入れて出ると、直貢チェツァン法王は一口を飲んでから、まずいと言って、そのままに机の上に置いた。若しそなた達なら、いいのは直貢チェツァン法王に聞いて、お茶、ミルク或いは砂糖はどっちを多く入れたらいいと確認するが、ちょっとよくないのは、心の中では「私はあなたにお茶を入れてあげたのに、けちをつけるか」と感じる。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェの根気が良い、唯すみませんと言って、お茶を直接持ってあらためて入れた。若し、上師にどんな解釈が有れば、それは上師がそなたに無実の罪を訴えて、間違ったことを表した。上師を信じないと上師の加持を得られない。

直貢チェツァン法王は色々な方式でリンチェンドルジェ・リンポチェの誇りを滅びた。2007年リンチェンドルジェ・リンポチェは直貢チェツァン法王の指示に従って、ネパールでのラプチ雪山へ3ヶ月間閉関修行しに行った。リンチェンドルジェ・リンポチェは当時閉関修行した時、嘗てあるリンチェンドルジェ・リンポチェの出家弟子はリンチェンドルジェ・リンポチェに、自分がリンチェンドルジェ・リンポチェに従って一緒に閉関修行したいと求めた。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女に、そなたは死亡を怖がらないなら、来なさいと言った。チベット仏教の閉関修行はとても厳しい。特にリンチェンドルジェ・リンポチェは2007年に直貢チェツァン法王に従って、ラプチ雪山への閉関で修める本尊は、若し無上瑜伽部を修めないと閉関が出来ない。更に行者は拙火と中脈を通すまで修める事が要り、このように至らないなら閉関してこの本尊を修めるなら、軽さのが重病に罹って、重さのが寿命を短くなって、その上地獄に落ちる。一般人なら、上師から自分に率いて3ヶ月の閉関をすれば、必ず閉関が円満に完成することで、自分は誇りだと思って、自分は閉関が完了して、他人と同じく無いで、が、リンチェンドルジェ・リンポチェは違う。

閉関を出ると、師弟は二人会って、リンチェンドルジェ・リンポチェは感謝して涙を流した。直貢チェツァン法王も喜んだ。しかし、閉関を出た後、直貢チェツァン法王はまだリンチェンドルジェ・リンポチェを責めた。閉関を出た始めの昼ご飯をした時、すぐ直貢チェツァン法王に事情の不当処置について責められた。そなた達なら、必ずつらいと思った。既に3ヶ月間閉関修行して、7、8キロをやせてもはや命を失ったのに、円満に閉関を出た始めの昼ご飯しても叱られた。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは何も考えず、すぐ頂礼して、直貢チェツァン法王の加持を感謝した。実はその件はリンチェンドルジェ・リンポチェの弟子が処理して、リンチェンドルジェ・リンポチェはまったく分からなかった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは責任を回避しなかった。それは弟子をうまく管理しないことも自分の責任である。2007年でも直貢チェツァン法王はまだリンチェンドルジェ・リンポチェを試した。今度の閉関で、リンチェンドルジェ・リンポチェの誇りの性格を抜き取ったかどうかを確認した。それもリンチェンドルジェ・リンポチェは完全に上師を信じて、恭しく上師の一切教法を受けて、絶対に他の考えを持たないから、その後、直貢チェツァン法王に伝授された多くの密法を得られた。

リンチェンドルジェ・リンポチェはある女弟子があって、息子は癌に罹った。彼女は息子が病気の間に供養を惜しんだから、息子が死んだ後始めて供養した。彼女は元々部屋を息子に残して、息子は成長、妻を娶り、子供を生む事を見たかった。つまり、所謂円満の人生を過ごす。しかし、息子は癌に罹って亡くなった。彼女は息子は往生した後、部屋をリンチェンドルジェ・リンポチェに供養したがった。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の供養を返した。何故かと言うと、彼女の供養の心構えは正しくない。彼女は供養心がないから、彼女の惜しみのせいで、息子に多くの苦痛を受けさせた。

何故リンチェンドルジェ・リンポチェは既に前ある報告した癌に罹った弟子の癌細胞が既に縮んだ事をはっきりに分かったのに、彼女に医師に診察させる事を指示しただろう。それはリンチェンドルジェ・リンポチェはあの弟子は信じないと分かったから、医師の検証を通して、彼女に知らせた。そなた達は医師の話しを全て信じるから、検査の結果はリンチェンドルジェ・リンポチェの開示を証明すれば、そなた達は始めて上師は本当に霊験であると信じる。また何故リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女の状況を見えただろう。それは弟子は上師の恭敬心は上師は全て分かった。恭しく供養して福報を起こしたから、上師は自然に彼女の問題を見えて、助けを与えた。ある人はリンチェンドルジェ・リンポチェに引き続きに加持を得られたのに相変わらず感じないのは恭敬心が足りなくて、福報が起こらないから。

リンチェンドルジェ・リンポチェは常に衆生を加持して、衆生を助けて病の苦しみを解決した。何故癌は早めに治っただろう。病気は何処に行っただろう。実は密宗に於いて法門があるが、修行者は自分の福報で衆生の病気を交換できる。しかし、衆生を助ける時衆生に知らせる必要がなく、黙って行ったから。何故また仏菩薩はそなたに何も与えられなく、すべては自分を頼りしかできないと伝えただろう。それは初めて仏を学ぶ人に言って、彼たちは迷信して、騙されて、誰に利用された事を怖がったから。昔ミラレパ尊者の時代、あるチベット人は信じないから、ミラレパ尊者に聞いて、「尊者は自分は衆生の病を自分の身に負ってから、衆生の病は治ったと言ったけど、私は見えないから、尊者は示してもよろしいでしょうか。」と言った。ミラレパ尊者は「いいよ。現在私は自分の体に全て衆生の病、その一部分の気をあの扉に移して見せた。」と言った。話が終わった後、あの扉は潰れた。あのチベット人はとても頑固なのでまだ信じない。ミラレパ尊者は神通を表したと思った。またミラレパ尊者に病は自分の身に移れるかどうか、自分に体験させると聞いた。結局ミラレパ尊者は僅かな部分を移したが、彼は痛くて地上で転げまわして許しを求めた。そうすると本当に信じた。

本当の仏を学ぶ人は衆生を悪を行うのを見れば、彼等が間違いを犯した事に対して、憐憫をもよおした。人に当然の結果として、必ず報いるなどを批判しない。此れはとても悪い行為だ。更に仏を学んだ後、いつも他人の問題を見ないで、特に仏法で人を責めないで。ある者は父母の業障は重いから仏法を聞けないと言った。その話を聞くと、リンチェンドルジェ・リンポチェは開示されたが、「そうだ。そなたの父母は業障は重いから、そなたみたい父母を叱る子女を生んだ。自分はしっかりに改めれば、家族は仏を学ぶ可能性が出る。リンチェンドルジェ・リンポチェこそ業障が重いから、そなた達のような弟子を取った。リンチェンドルジェ・リンポチェはそなた達を探さないが、全てはそなた達が来た。それも前世そなた達は皆リンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学んで、そなた達をしっかりに教えないから、今世再びに集まった事を現した。仏法は自分を検視するためだ。全ての人は未来仏であるから、他人を批判する事が出来ない。衆生は皆仏性が有って、皆は成仏できる。衆生は犯した間違いは全て我々が嘗て犯した間違いだ。有るのは菩薩は我々を見せた。若しこのような行えば、どんな果報が現れる。若し我々は間違いがないと、既に浄土に行った。少なくでも天道に幸せに暮したが、人道に居ない。」

リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学んだ以来、始めて母も認めなかった。それはリンチェンドルジェ・リンポチェの父は道教を学んだから。しかし、現在リンチェンドルジェ・リンポチェの母はリンチェンドルジェ・リンポチェの息子に法会に参加する事を誘って、法会に参加する事は如何なるいいと言った。ある者は仏を学んだ後、自分の両親に菜食する事を要求して、両親に菜食しないと地獄に堕ちると伝えた。リンチェンドルジェ・リンポチェは今まで自分の母に菜食する事を要求していない。唯自分は不断に仏を学んで、修行して自分を変えて、自分が母のために仏を多く唱える。若しそなたの家族はまだそなたが仏を学ぶ事を受けないなら、第一、そなたは相変わらず有る事をして、彼達が嫌がった。第二はそなたははっきりに説明しないから。

何故法会に参加しなければならない。主法上師は衆生の心に応じて説法したから。下で千人余りリンチェンドルジェ・リンポチェが開示された仏法を聞いたけど、人によって根器が違うから体験も違う。ある時そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェは自分の事を話したと思ったが、実はリンチェンドルジェ・リンポチェは仏法を聞く人の心に関して仏法を開示して、分別心を持たず、全ては空性の慈悲心で説法して衆生を済度する。世間に於いてある人は仏教テレビに仏法を説いたが、彼は如何なるどんな人が仏法を聞く事を分かるだろう。だから、彼は唯仏経の意義を解釈できたが、仏法を聞く人の問題に助けを与えられない。

仏経には「居間は大道場である」と書かれない。居間の中に右手はリモコンを持ち左手はお茶を持った。最悪なのはお酒を持った。そうすれば如何なる仏を学ぶだろう。まだある者は人に菩薩を呼んだ。綺麗な話だけど、他人の傲慢の心を養成するかもしれない。自分はもはや菩薩であり、修める必要がないと思った。また、ある者は人に「老菩薩」を呼んだ。菩薩は年寄りがあるわけではない。お年寄りを呼べばいい。台湾は本当に発明家の天国だ。そなたた達は口がうまくても構わないけど、仏法を濫用しないで。。人によって因縁が違う。上師は因縁によって説法した。大蔵経の続部にも記載があったが、若し金剛乗根器の弟子ではないと、上師は彼に金剛乗の密法を説かない。何故だろう。それは密法はとても偉いだから、修めれば多くの衆生を利益できる。逆に若し修行者は密法で自分を利益すれば、他の衆生に大きく損害させた。仏経にも説かれたが、若し小乗仏法根器の人なら、大乗仏法を説かれない。それは仏菩薩は慈悲なので、正しくない根器の弟子は聞くと受けないと反って仏を誹謗する。そうすれば彼に損なった。

人は最も難しく改める事は我執である。我執が重いなら、空性の慈悲心を学べない。我執とは何だろう。若し他人は無実の罪を訴えて、そなたがしっかりに行わないと思う時、そなたは怒って、自分は侵犯されたと感じて、自分は傷付く事を恐がった。此れは全て極めて悪い表現だ。若し自分はとても苦情があって、傷付かれたと思うと、僅かな傷付かれた感覚が現れる時、自分はまだ「私」の観念を持つ事を現した。我執は重いなら、如何なる慈悲心を修めるわけではないだろう。出家者は仏を学んでいるが、若し将来弟子を取って、住持になって、寺を建設したいと望むと、法執である。だから、仏を学ぶのは必ずある如法具徳の上師を依止しなければならない。特に金剛乗の仏法は必ず上師は不断に監督して指摘する事を頼って、そうすればゆっくりにそなた達自身の悪習を変えられる。リンチェンドルジェ・リンポチェは今まで修めて、既に一切の悪因を断って、全ての一切は善である。そなた達は今難しく行うと思うかもしれないが、そなた達は分からなくて、全ての念は善念であれば、そなたの未来はとても自在だ。リンチェンドルジェ・リンポチェは常にそなた達に自分を変えさせるのは全宇宙の中に最大の工程と言った。

梁武帝の在位中に仏法を広めるために多くの事を行なった。多くの寺を建てて、「梁皇寶懺」は彼の請求に応じて、寶誌公は彼の妃のために書いた。梁武帝時代の前に出家者は菜食する必要がないが、梁武帝は出家者に菜食する事を厳しく要求した後、今までに伝えた。彼は大福報があって、達摩祖師に会えた。しかし、彼は達摩祖師に自分は多くの功徳を累積するかどうかを聞くと、達摩祖師は唯福徳だけあって、功徳がないと開示された。僅かな一字の差が有るのに、達摩祖師はそれで9年間面壁を行った。達摩祖師は権勢のある高官に対しても、真実な事を話した。リンチェンドルジェ・リンポチェも常に大金持ちに感情を害したが、反ってお金がない人に対して、リンチェンドルジェ・リンポチェは尚更に彼達を世話した。梁武帝も一般人が仏を学ぶ欠点を犯した。自分は多く行ってうまく修めたと思ったから傲慢した。達摩祖師は自分は功徳がないと言う話を聞くと、喜ばなかった。此れは我執の心だ。自分は多く行って既に修めたべきだろうをた事を執着した。梁武帝は最後餓死した。だから、福徳があっても累世の業力を転じない。

福徳は功徳と如何なる違うだろう。功徳と福徳は唯紙一重の差だ。福徳は成仏できず、使え切れて、業を転じない。逆に功徳はそなたに業を転じる事を助けて、生死を解脱できて、衆生を利益できる。更に法界は存在すれば、功徳は使え切れない。功徳はそなたに成仏させられる。だからある徳を具える上師はそなたを教えて、如何なる功徳を積める。皈依、五戒十善を修める事を通して、慈悲心を習って、更に空性を証して、菩提心を発した。若し空性の慈悲を修めないと、福徳を功徳に変えられない。実はそなた達は簡単に自分の修行は力を得るかどうかを検視できる。そなたの性格から見ると、改めたかどうか見れば分かった。若しそなた達は長く仏を学んで、性格はまだ改めていなくて、体の苦痛も相変わらず転じないなら、そなた達は修行しないことを表した。そなた達は現在まだ多くの人は功徳会に寄付していたが、自分は功徳を貰えることを考えないで。本当に善を行いたいなら、自らお金を必要な人に渡せて、もう功徳会など組織を通して行わない。現在まだ多くの人は一生に福徳を修めて、功徳を修めないが、間違いに修めた。

そなた達は外で常に布施すれば、「三輪体空」を行うという事を聞いた。三輪の意味とは世間に言われた通りに布施の物がなし、布施の対象がなし、布施の人がない事ではない。わざと三輪と言えて、その中に輪は必ず意義があり、世間は解釈できないから、自分が言い方を作った。何故「輪」を使っただろう。実は此れは密法で解釈がある。密法には身口意三輪がある。だから、布施の時に、身口意は三輪体空を行わなければならない。しかし、此れは空性の慈悲を修めれば行える。顕教は布施の体性は空性を分かったけど、何故三輪を称した事を解釈できない。そなた達は皆分かると思うが、体は動けるのは脳が命令を下ろしたから。仏法に於いて脳は身を代表して、それは全身は反応があって動くのは全て脳から命令を下ろしたから。故に金剛乗が言われた身は脳である。しかし、誰は脳に命令を下ろしただろう。何故脳は考えただろう。此れは現代医学でも解釈できない問題だ。ある内科の主任として医師弟子も正直に言ったが、医学に確かに答えが無い。例え脳の各部分を分析しても、何故脳は思惟の性能があるのを分からない。実は人の全ての反応は意識から作用を起して、心から脳に命令を下ろした。何故ある者は心臓はまだ動いているが脳死したか。それは心は既に外界に対して作用を起さないから、脳は反応なし脳死した。しかし、福報はまだ使え切れないから、此の世にまだ寿命があるので、心臓は動いてまだ死なない。我々は業が有るから、この業報身があるから、身口意三輪がある。我々の肉体が無くなると、身口意三輪も無くなった。

真な修行者は布施する時に空性で行った。つまり、因縁が起こると、布施して、終わったら、全て放下した。縁起性空を言われるのは簡単だけど、そなた達は今まだ分からない。しかし、因縁は成熟する時、ある事件が現れて、そなたに縁起性空を体験させる。リンチェンドルジェ・リンポチェは数年前に閉関修行した時、ある晩食事した後、いつものように室内で歩いていた。空間は狭いけど足に動く機会を与えたから、歩いていながら、継続に本尊の真言を唱えた。歩いた時足は椅子を蹴って音を起した。当時リンチェンドルジェ・リンポチェは縁起性空を証した。

空性の慈悲心を証した人は世間に全ての事を執着しない。しかし前向き菩提心を発して菩薩道を修める。菩提心は尚更に慈悲心より高い。自分は力があって、六道広大な衆生を利益できるを望む。そなた達は法本を唱える時皆菩提心は妙寶だと分かったが、菩提心を発する者は功徳を累積できる。若し勝義菩提心を修めれば、懺悔しなくても業を転じる。中国歴史にある済顛和尚と言う人物がある。行いは世間の道徳標準を違反するから、批判された。史書に記載があるが、済顛和尚は嘗てチベットへ行って長い間に留まった。リンチェンドルジェ・リンポチェは金剛乗修行者の角度から見て、済顛和尚は少なくとも既に大手印の離戯瑜伽果位を証した。世間の一切は遊戯として見て、世間の人の行為に対して、全て反応を起さない。唯如何なる衆生を利益できる事を考える。此れは菩提心の自然の表現である。

人によって因縁が違うから、強引に求めない。出家の縁が有れば、婚姻があっても訳が分からないうちに速めに断った。仏経には出家者とは生々世々の願力であり、大福報がある者は出家できると記載があった。出家のいいところは本当に多くの煩悩を軽減した。しかし、出家者は最も犯しやすい欠点は傲慢だ。在家者は煩悩はかなり多いけど、修行が出来る。仏法で確実に生活の中にいつも用いることは本当の修行で功徳を修める。在家者は出家者を真似すればいいことを思わないで、仕事をせず毎日仏を唱えたり真言を唱えたり修行をする事を言って、或いは伴侶と離れて寝て、清浄戒を守るを言って、相手の悩みを起させて仏を誹謗する事はとても悪い事だ。それは相手は仏を誹謗して地獄に堕ちる果報はそなたのせいだ。所謂僧団とは単純に出家衆を言われる事ではない。出家衆は比丘、比丘尼、沙弥である。四衆とは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷である。四衆は仏法を学ぶために一位の上師に従って仏を学ぶ団体とは僧団を言われた。出家者と在家者はお互いに軽視しないで、ある者は出家すれば、彼を賛嘆すべきだ。在家衆は仏を学ぶと、我々も彼達を敬服する。

金剛経の中に言われた破四相:我相、人相、衆生相、寿者相である。つまり、人の執着心を破ることだ。その中の「我相」とは、「私」の執着心を示して、人は体が僅かな傷でも損害されたくない感じを執着過ぎるから、止まらずに悪を行っている。先程話したリンチェンドルジェ・リンポチェに長年に従った弟子は指摘されると、すぐ言い返したのはまだ「私」を執着しているから。若し「私」を執着する心を破らないと、いくら仏を唱えても役に立たない。寿者相とは時間であり、寿命ではない。

出家衆は自分のため目標を立て、自分は福報が良いことで出家するのが出来たと思った、尚更に多い福報を蓄積するため発願した。3年目から始めて弟子を引き取って、5年目に住持になって、寺院を建て、10年後100万人が出家するように済度するなどである。この出家者は執着を破らない。それは彼女は時間を限定したから、これらは自分が発明した願いは全て自分の欲望、執着より起こって、仏法と相違した。若し真に仏を学んで修行すれば、完全に仏菩薩の方法に従うべきで、勝手に増減しないで、自分が発明家にならない。仏菩薩は一切を全部了承していて、我々が仏を学ぶのは唯諸仏菩薩が発した願力に従ってすれば十分だ。リンチェンドルジェ・リンポチェの願力は、衆生は成仏しないと、自分も成仏しない。そなた達が良く見て、菩薩の中に地蔵王菩薩だけ顔が長い。それは地蔵菩薩が大願力を誓った:地獄が空かなければ仏にならない。しかし、地獄の衆生が幾らあろうか?だから、地蔵王菩薩は非常に苦労で衆生を済度している。リンチェンドルジェ・リンポチェの顔も長くて、地蔵王菩薩と同じで苦労する命である。

ミラレバ尊者は大成就者が、自分の名前さえあまり書けなくて、そなた達は広欽老和尚を聞いた事があり、彼は字は読みないが、そなたは彼に経典の有る部分の内容を提出したら、彼がすぐそなたに説明して聞かせて、これは彼が只一つの考えー阿弥陀仏があって、それではじめて修め得ることが出来た。そなた達は仏を学ぶように多くの考えがあって、それではじめて修め得る事が出来ない。ミラレバ尊者は幼いより家族皆は叔父さん親友の迫害に遭った、家産が侵奪されて生活は言えない程苦しかった、ミラレバ尊者はあの頃彼の母親の話しに従って、呪師を習いに行った。降雹をさせて沢山親友を殺害して、理論的に殺人することは地獄に堕ちるはずだがなぜ成就を得るだろう?例え修め得ても是非地獄1回へ堕ちるべきだが、ミラレバ尊者は最後に地獄へ堕ちらなかった。ミラレバ尊者の上師マルー・パ聖者は彼に家を建たせて、ミラレバ尊者は丸形のを建ったがマルー・パ聖者は取り壊して建て直すと仰った、ミラレバ尊者は1つ方形のを建て直して、マルー・パ聖者は彼に壊して新たに建たせた、彼はまた1つ三角形のを再建した、マルー・パ聖者は従来彼にどんな家を建つか言ったことはなくて、何の故彼に建て直させたも申されなかった。ミラレバ尊者も聞かなくて、彼は従順であった。そなた達は金剛勝の上師の考えと教法を推測と理解することができない、そなたが知るべきで、リンチェンドルジェ・リンポチェはラーキ雪山に閉関した時、海抜が4千500メ-トルの高さで閉関して、これこそミラレバ尊者が閉関したところで、う1つミラレバ尊者が閉関した山の洞穴は更に海抜5千メ-トルの所で届くことが出来ない。

マルー・パ聖者は離れる前、ミラレバ尊者に一生この山穴を離れて修行しないと申された。ミラレバ尊者は本当に従順で終始山穴を離れる事がなくて、ひいてはその後ネパ-ルの国王が使者を派遣してミラレバ尊者を招待しても彼が相変わらず心が動かれなかった。理論的にこの一生にこんな沢山人を殺して修め得た事が出来るわけがない。しかしミラレバ尊者の善根大福報が随分ことで1人金剛乗上師マルー・パ聖者に出会って、いろんな厳しい方式でミラレバ尊者が業を消えるのを助けた。ミラレバ尊者は上師のご指示に従って終生巌穴の中に厳格な環境で修行して、一生な孤独で彼が全ての悪行の債を返して、地獄に堕ちる果報の代わりにした。一切の債を返済して一生で証果を得る事が出来た。ミラレバ尊者は嘗て仰った、ミラレバ尊者の伝記を読んで信じた者は、只恭しく祈れば全部ミラレバ尊者の加持を得られる。そなた達は見て、ミラレバ尊者の仏像の右手が耳の側につけた、それは衆生の祈請を聞いてるとの表すで、年を取って耳が遠くなったのではなく、真な修行者は耳が遠くなる事はしない。あの動作は衆生の祈請を聞くとの表われだ。ミラレパ尊者は嘗て仰った、只我の名前を読んでくれれば是非加持が得られる。加持との意味は上師がそなた達のために充電するようであり、そなた達に十分の能量を有らせて、仏を勉強し続いて、仏を学ぶ障碍を取り除く。人の心は全部怠けやすくて、加持とはいつもそなた達を引き戻して、そなた達は仏を学ぶ心を固める。

次は先週ガムポパ大師が「心」に対してのご開示をし続き、皆に心が外境に執着して固めた死結はどう解けるのを教える。心は三部分を含んでおり:心の表相、心の体性及び心の本性である。先週引き上げたのは理論で,今回は方法を言い及ぶ。

仏法が説いた心は心臓との器官ではなく、心の力はとても大きくて、心は転境するのが出来て、環境に影響されるのではなく、所謂「心王」で、心は主宰で、自分の心を控えると将来を掌握するのがはじめて出来る。心の表相とは心が外境に対して反応を起こった。外境の一切、いろいろな事物は全部心の表相で、心は外境の一切事物に対して我らのお体(眼、耳、鼻、舌、身、意)を通じてこの六賊を全部受け取ることが出来た。外在の事物は元々不存在で、心の作用するためにこれ等の事物に対して反応が起きられて、真実で変わらないと思った。そなた達は考えてみて人は起きて目を覚めると目を起きて外へ見て、耳を通じて外へ物を見て、耳を通じて聞いたのも全て外から伝わって来た声で、呼吸して来たのも外界の空気である。そなた達はこれ等外在の事物を受け取って、そなたの意識影響を通じて心を作用させて様々な感覚、悩みが生まれた。そなたが全て認知したこの「我」は一体どのように存在するか?例えそなたの目の前に鏡がなければ,あなたは自分の容貌が見えるか?リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗てあるテレビ番組を見た。ある者は鏡を猿の目の前に置いて、結局猿は鏡の中にの光景が真実だと思って、前の鏡の中にの猿を突いて虚勢を張って、いじめて、掴むとした。実は、そなた達も猿と同じで、そなた達の心は鏡のように、外在のいろんな影像を鏡の上で反射して、そなた達にこれ等一切は全部真実で存在するのを思わせて、これ等の景象に様々な執着を生んで強く掴んで放さない!しかし、仏法は我らに教えてくれた。これ等影像は真実的に鏡の中に存在するのではなく、そなたの心が動かれたためはじめて生じた。そなたは自分の心を控えることが出来るならば、外在の景象はそなたに影響出来ない。外界一切生み出したのは全部空性で、全部仮相で、永遠ではないと分かるべきで、世間の一切は全て執着する価値がない。外のものを取り除くと、鏡の中にまた綺麗になって、何もない。はあらない。これは「五智」の中にの「大圓鏡智」で、即ち心の表相を説いて、我らの修行にとってとても重要な部分である。

しかし、こうしてもそなた達に外在の一切事物を放棄、拒否させる或いは要らせないのではなく、この事実な現象を認識してから自分の心を変わって、ゆっくり自分の心を控えらのを出来るように勉強して、さらに自分の命を変わる。だから、仏を学ぶのはそなたにどのように自分の人生を掌握して、運命を自分の手の中に支配するのを教えて、自分の未来世を変わるのである。

この数回のご開示は全部「心」に対しての問題であった、釈迦牟尼仏は法を49年間仰ったが最後に一つの法さえも説かなかったと申された、その中の意味を解釈すれば、そなた達が完全な大蔵経を読み終わってもまだ分からない。仏が全て開示された法門は全部衆生の心の問題を解決するためである、仏法には随縁を説いて、衆生の縁に随って、因縁が終わると法門も自然に存在しなくなった。釈迦牟尼仏は10数年間で空性を仰った、仰ったのは般若で、即ち知恵で、つまり心性である。

心の表相は外境を含んで内在の心念も修め必要である、即ち絶えずに善と不善を飛んでいる心念を発散する。善と不善の心念は全部われらに輪廻の業力を生み出させる、しかし、人であれば心の中にの混乱な考えを除くすることが出来ない、それは、我らが呼吸さえすると考えがあったのである、金剛乗密法の中に、対治する方式を教えたー大手印、呼吸及び気脈明点に対して修める法門である。リンチェンドルジェ・リンポチェは顕教、禅宗及び大手印を学んだ経験によって、直貢噶舉派の大手印には禅定を教える方式は禅宗が教える禅定の方式とすごく似ているが一致ではない。顕教の方式で修行すれば、三大阿僧祇劫のような長い時間が必要である。一般的に、大手印を修める行者はお体の丈夫が必要で、30才までに中脈を貫通させてはじめて修め得られる、しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェは38才にはじめて仏を学んで、50才でも同じ大手印を修めえた。それで金剛乗大手印の修行方式は只1人具徳金剛上師の側に随って、全く上師が教えてくれた教法を実行して、少しも増減せずに、上師の監督の下に絶えずにそなたの累世の習性を修正すれば高速的に成就を達成する。リンチェンドルジェ・リンポチェは良く衆生の病気を治すがお体の具合は悪くならなくて、S型側湾症もリンチェンドルジェ・リンポチェにとって少し影響もない、リンチェンドルジェ・リンポチェの漢方医者さんが脈を取ってさえもリンチェンドルジェ・リンポチェのお体状況が三、四十歳の者と同じように強健だと言った。

大手印とはある番組のように誤って思ったすごく大きい手印を打つのではなく、大手印を解釈するのは結構長い時間がかかって今日は言わない、大手印はまた恒河大手印と呼ばれて、これはディロバが恒河の側にナノバに修行の方法と口訣を教えたのである。密法の大手印によって、本当な密法を伝授するのは只灌頂をして真言を伝えすれば修め出来るのではなく、密法にもいくら部分を分けている、これは只事部の範囲である、また事部にも段落を分けている。本当に密法を学ぶのは上師が口訣と修行方法を伝えるのが必要である。

先週法会の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェは嘗て皆に十秒で心の中に只阿弥陀仏の仏号しかないと試させた。多い者は出来ないと表れた。リンチェンドルジェ・リンポチェはあの頃顕教を学んだ時、毎日普門品、大悲呪49回、心経、十小呪、観音菩薩の聖号が一万回、まだ禅座等をして大変多い時間がかかったがまだ仏経に述べた自分の考えを控える部分が出来ないと感じた。その後、密法を学んだ後、はじめて人が呼吸をすると考えがあったのを知った。密法の修行を通じて自分の心、考えを支配することが出来た。

人はこの五濁悪世にいて、「五濁」とは見濁、煩悩濁、命濁(即ち死にたくない)衆生濁(相互に乱れている)など、現在の者の業障が深く重くて、福報が足りないので仏が見えない。仏は嘗て心浄、仏土浄と仰った。心浄とは心が綺麗にするのではなく、ゴミ捨て場で住んでも仏土に住むようではない。仏は嘗て仏法を開示された時、神通力で法会の参列者に仏土の殊勝荘厳を見せて、つまり、人がここに住んでも同時に違う世界と空間が見えたり、入ったりすることが出来た。我らが現在知ったのは3度空間で、日本の科学者は既に5度空間を見つけて、彼らはまた6度、7度空間があると思ったが只まだ証明することが出来ない。仏経には説いた「十方世界」は十度空間がある事と表れる。そなたの心が清浄すれば、そなたは世間にいても自分の目で仏の空間が同じな時空に存在する事が見える。

そなた達は、現在最も大きな二つの問題とは、一つが自分の心を調整が出来なくて、もう一つが仏法を有りの儘に暮らしを実行して自分の悪習悪行を改正する事が出来なかった。自分を改正する事は宇宙には最も困難な工程で、また最も福報がある事である。ただ金剛上師に完全な素直に従われれば、加持を得る事が出来て、心に考えを減らす事が出来て、甚だしきに至っては考えを起こらなかった。何故、皆に共修法会にずっと参加させているのでしょうか?毎週に、寶吉祥仏法センターは定期的な法会を行って、そなた達にここで2、3時間を篭めて、そなたにこの時間が少なくとも悪を行わない、少なくともそんなに多くの考え行わない。勿論一部の人々同じように悪念を起こして、リンチェンドルジェ・リンポチェが説いた事が自分と関係ない、この考え方は悪を行う事である。そなた達は、道場の法会を行う時に、自分の心はより定める事が出来ると感じられた。毎年寶吉祥仏法センターから行う万人の「阿弥陀仏無遮大超度法会」は何故こんなに多くの人々が静かに何時間に座れるでしょうか?これも上師の慈悲が仏菩薩の助けを呼んでくれて、そなたの心を封じて、そなた達の心をこんなに多くの考えを行わない。ただそなた達の自身に依る事が出来ない。精進とは、毎日に多く唱えて、多く礼拝する事ではなくて、精進とは専一を指し、これは仏を学ぶ事だけで重要ではないし、暮らしにも極めて重要で、若し一心する事が出来るなら、そなたの仕事と学習に対して多くの助けがある。一心が出来る者は間違いをするのでしょうか?間違いをしたら、此れが一心する事ではなかった。3時間に座禅を組んで、考えが多くて、一秒の専一に及ばない。数時間に経を唱えても心が雑乱するなら、専一に一つの仏号を良く唱える方が良いである。

上師からの加持はそなた達に充電する事で、が、総ての事は上師からの加持による事が出来ない。総ての上師の加持による事も出来るけれども、条件はそなたが完全に上師の話を素直に従っている。直貢チェツァン法王はリンチェンドルジェ・リンポチェの根本上師で、8世の生れ変りの大修行者で、大きな福報がある者である。リンチェンドルジェ・リンポチェはただ直貢チャツァン法王法王の加持による事もう十分でしょうか?そうではない。リンチェンドルジェ・リンポチェは同じように閉関をしなければいけない、同じように上師の教導により自分の行為を改正しなければいけない、また多くて多くの事をしなければいけない、病気に罹っても仏菩薩と上師に求める事もない、却って自分により修行した。

仏法は世間法から離れなくて、これは出家者が商売する事が出来る事ではない、無理です!出家者は出家の戒律を守らなければいけない。南部のある仏寺は品物を売って開始して、お金が無いなばら、仏寺がこんなように開く事をしない、このような大きな場面を無理で開く事をしてはいけないで、戒律が全部破った。2年前にこの仏寺の蔵経閣が火事があり、経が仏法に代表して、仏法がないと、如何にし続けるでしょうか?

出家する事が出来て、仏を学ぶ事が出来るなら、いい事で、然し仏を学ぶ事の為に家族に喧嘩してはいけない。多年前に、ある弟子は仏を学ぶ事の為に、父親からの反対を受けて、リンチェンドルジェ・リンポチェは坊間のような、彼女に経を唱えて家族に廻向させる事をしない、却って彼女に先に来させない。彼女は凄く泣いたが、素直に従って来なかった。リンチェンドルジェ・リンポチェは彼女にただ上師に信心があれば、ある日に必ずいける事と開示された。結局、現在家族は彼女に法会に参加する事を同意して、その上、結婚もした。若し、彼女は当時にリンチェンドルジェ・リンポチェの諭しを素直に従わないなら、父親に楽しませないなら、親孝行しないで、親孝行しないなら、福報がない。これはそなた達はご主人、ご奥様に恐れる事ではあるまいし、ただそなたが彼と一緒にいるなら、必ず過去世の縁があり、そなたは知らない事とは言ってはいけない。直貢噶舉派祖師ジッテン・サムゴンの著作は『寶積経」に基いて書いた。『寶積経」は菩薩道を修める行者に見させて、『寶積経」には眷属の縁があれば、仏に学ぶの為に相手の要求を満たさなければいけない。だから、現在、一部の人々が菩薩道を修める事を流行して、だから、身の清浄が要るし、相手と別々のルームで住んでいて、この言い方が正確ではなかった。

現在、出家者は益々減らしていって、嘗て剃度師は剃度をする前に、情債が返還済みでしょうかを問い合わせる。情債は男女の関係ではなくて、却ってそなたと衆生の間の情債が返還済みでしょうか?若し返還済みではないなら、そなたに剃度しない。現在、既に問い合わせる事をしない、仏経の予言の通りに、出家者は益々減らしていって、有る人が出家したいならば珍しいである。嘗て、有る人はリンチェンドルジェ・リンポチェに出家させる事を頼んだか、リンチェンドルジェ・リンポチェが同意する事が出来ない、これはリンチェンドルジェ・リンポチェが比丘戒を受け入れた事がないので、比丘戒をくれる事が出来ない、坊間の多くの人々がくれることのようではない、これは必ず果報がある。リンチェンドルジェ・リンポチェはこのようなする勇気がない、チベット仏教の戒律が極めて慎み深いのである。坊間の多くの人々は菩薩戒を受けてから身に三つ傷痕をして、仏経には傷痕をすることを記載したことではない、すべて発明家である。リンチェンドルジェ・リンポチェの身に傷痕があった事もない、重点が外相ではないし、却って、そなたの心は菩薩のような心を遣り遂げる事が一番重要なことである。

人々の心はずっと外境の影響を受け入れて絶えずに動いて、五官が外界の刺激を受けない事を慣れないので、有る人が詰まらない事を感じていて、有る人がずっと事を探してしていて、心の平静を慣れないのである。実には、そなたの心は外境を受け入れないで心の主人になる場合には、このような自在が文字言語で表現ではない。そなた達は遣り遂げないならば、最も簡単のが上師の諭しを素直に従って、仏菩薩の教導を以って自分の修行の根本になり、仏法を暮しに実行していく。

仏が諭した一切のは必ず真で、仏経には須弥山の側に四部洲があり、四部洲にはすべて人類にいる事があり、地球の人類は南贍部洲に属して、苦しみが多くて楽が少ないので、ただ南贍部洲の人々が機会があって仏を学んで、ほかの洲の人類が福報がよい過ぎなので、少なくとも1千歳に生きていて、楽しんだ所で、仏を学ぶ事をしたくない、仏法もない、と記載した。数日には科学者も発見し、太陽の後にある惑星が地球と類似で、人類の存在が可能である。仏経に記載された内容は真で、ただ人類が福報がないので、見えなくて探すことが出来ない。善業が良いし、お金持ちの人々も難しくて仏を学んで、仏経には「富貴なので修行が難しい」と諭して、このようである。直貢チェツァン法王は何回目に台湾にあるお金持ちにインドへ閉関する事を説かせて、然し、この人が何回目に表示して、自分が忙しくて、3千人余りの社員を世話しなければいけない、彼たちに置いて閉関する事が出来ない、これは富貴な人が難しくて仏を学ぶ事のである。彼は善業があるので、このように事業があって始めて、然し、却って彼に仏を学ぶ障りになる。実には、彼は閉関する事が出来るかどうかのでしょうか?ただ決心を決めたら必ずいける。上師が説いた一切のは必ず我々に遣り遂げる事が出来る。仏は不霊ではないし、そなたが不霊で、簡単に言えば、心が誠心すれば霊験になって、「誠」とは教導を素直に従っていて遣り遂げる事のである。

有る人は、釈迦牟尼仏陀がインドで仏教を創立して、何故仏教がインドに衰えるのでしょうかを問い合わせる。一部の人々は間違う話しがあり、チベット仏教とインド教の一部の儀軌を結びつけるの為に仏法に衰えると思っていて、実には主因がインドの種姓制度である。仏法は衆生平等と諭して、然し、インドは昔から既に種性制度があって、四つの階級が極めて歴然していて、もし、そなたは最も低い一級の賤民であれば、そなたの子孫が世々代々に賤民になり、永遠に賤民の仕事をして、道端にゴミを掃除する人とアパートが雇った階級が全然違って、例え掃除の仕事をするが、間違う階級の分別もあった。どの階級を生まれてから、如何に努力しても、ほかの階級になる可能性が限り無かった。2年前に、インドにある医者が抗議して、これは政府が賤民に医学を学ぶ事を開放するわけで、インドにはいつも上の二つの階級の人々が医学を学ぶ事が出来て、賤民は医者さんという尊敬させた職業を受けている事が無理である。このような制度は統治者に対して勿論管理しやすい、しかし、仏法を諭す平等とは仏法の学びにより賤民も仏になる事で、このような話し方は統治者が勿論好きではない、このような階級分明の種性制度と仏法の衆生平等の観念が符合しないように、だから仏教がインドにある縁が益々薄くなっていった。

仏教がインドで衰微のもう一つの原因は回教がインドに入って来たのである。仏教は最も遠いのはトルコで伝って、嘗てアフガニスタンは仏教を信奉した事があり、叉、世界に最も大きな立つ仏があり、が、現在多くのは回教を信奉している。数年前にある政権は立つ仏に壊されて、結局この政権も程なく瓦解して仕舞った。仏法は縁を説いて、若し当地に仏を学ぶ者がいないなら、縁がないで、仏法が当地に留まられない。仏法はほかの宗教のようではなくて、積極的な信衆を見付からなかった。一つは仏法が縁を重んじて、仏を学んでくるかどうか衆生の縁と福報に依った。もう一つは衆生が仏を謗る因縁をする事を恐れたわけである。現在、仏教は多くのは中国と日本に流行して、これと文化背景に関して、仏教経典の理論は中国人がより受け入れる。仏法は親孝行を説いて、東方人も親孝行を注視し、然し西方人が受け入れない。また、仏法は仏を学ぶ者に統治者を尊重しなければいけない事を教えて、この点について中国の歴代皇帝の歓迎を受け入れる。中国に20年あまり前の天安門事件は多くの他の宗教の人が行ったが、ただ仏教徒が行ったことがない、現在、仏教が却って中国で栄えている。リンチェンドルジェ・リンポチェが如何なる事をする前に、いつも繰り返して考えていた。仏法は人々に何度もよく考える事を教えて、中国も「三思して後行う」を伝わって、だから、何をする前に衝動してはいけないで、一切が因果がある。そなた達が衝動でするのは、自分が傷害を受ける事を恐れるわけである。

以前したのは、現在に受けて来る。現在するのは未来に変える事が出来る。釈迦摩尼仏がいた時代に、仏は弟子に占めさせなかった。運命は過去世の経験原則の累積現われのである。永遠的な変わらないではない。有る人は生まれてから癌の遺伝子と発見して、然し、この世に癌が発生する事とは限らない。何故でしょうか?これは彼ののこの世に大量の前をすれば、自分が変わる事が出来て、悪の果を味が変わって、その上、果実の出現を抑圧する事が出来る。だから仏は我々に占める事をしてはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは自分の癌が解決する事が出来ないなら、リンポチェになる資格が無かった。

この人身を得る事が十分に珍しい、小乗仏教は悩みを要らないし、身体が一つの迷惑なので要らないと思っていて、彼たちは仏珠を付いてはいけない、食事も準備しないし、良い説いたら他人に機会をくれて福報を養うのである。大乗仏教は身体が法器なので重要で、然し如何様に身体を保護する事が分からない。儒家の説法により、身体、髪と皮膚は両親から受けて、棄損してはいけない。普通に自殺する人は「生命が私の事で、そなたが干渉する事が出来ない事」と言い、誰かがこのように言うのでしょうか?そなたの命は両親からくれて、そなたが自殺してから人を殺し、殺人の罪が重くないのでしょうか、私が自分を殺す事を思ってはいけない、小乗仏教には自殺が殺人だと思っていて、金剛乗の仏法が一層に説いて、身体が文武百尊の壇城で、人々は生まれから文武百尊の分身がそなたの身体に入る。文のは釈迦牟尼仏のようにの寂靜尊で、武のは憤怒尊である。そたは自殺したら壇城を自滅し、果報が必ず五無間地獄に落ちるのである。必ず自殺する事をしてはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェは一回である自殺の鬼を済度し、見る景色が極めて恐れる。この男の鬼は手を伸ばして五指会わなくて、完全に闇の部屋にいて、この部屋に多くの鬼がいるが、この自殺の鬼にとってただ彼の人だけで、感じが極めてサビシイ。絶えずに彼は自殺の状況を繰り返して、落下して死んだのは絶えずに落下して、地上へ落ちて、再び活きて来て、再び落下している。手首を切たのは耐えずに手首を切る動作をしていて、非常に苦しんでいる。リンチェンドルジェ・リンポチェにとって恐れる事を感じて、況して当事人でである。自殺で死んだ人は金剛上師の済度を得ないなら、少なくとも地獄に千年以上の苦しみを受けている。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの景色を見た後で、自殺で死ぬ恐ろしいことを体得して、絶えずに衆生を勧めて、自殺をしてはいけない。必ず他人に自殺の怖さをおしえなければならない、他人に自殺することをしてはいけなかった。事件を発生してから言うと、偶に間に合わなかった。ただ「もう一寸考えてから自殺することをしない」と言う事ではない。

リンチェンドルジェ・リンポチェが側にいらっしゃって、絶えずにそなたの間違いを指摘したらそなた達の福報で、当初、直貢チェツァン法王はこのように常にリンチェンドルジェ・リンポチェの側にいらっしゃっるのではない、ただ時にはリンチェンドルジェ・リンポチェに試験をくれた。密法は六耳を伝わない、根気がないなら伝わない、チベットの上師、リンポチェがそなたに灌頂して、観想、真言を唱える事を教えるなら、そなたが密法を学ぶ事を思ってはいけない。十年の顕教の基礎がないなら密法を修めない、勿論根気がよいのは別途でいう。密法には「事部」と「行部」に分けて、「事部」にしてもラベルに分ける事もある。あるリンポチェも密法を学んで修める事がない。直貢チェツァン法王、ある法本は総てのリンポチェが見る事があるが、この内にまた口訣がある。上師の自ら伝わないなら、密法の口訣が得る事が出来ない。仏法は衆生が錯誤の教導を受ける事を心配して、皆に「法により、人に従わない」、「意味により、言語に従わない」事を教える。「法により、人によらない」とは仏法には殉教ということがない、若しそなたの上師がこの世にいないなら、そなたは同じように上師の教法により続けて修める事が出来て、金剛乗の上師と弟子の心を一緒に繋いで、これは共に衆生を利益するために努力していく。「意味により、言語に従わない」とは仏法が説法者が説く仏法の意義により修めていて、誰の弁舌が良いか、誰の話しが耳に快さかということによち盲目で従うことではない。

在家でリンポチェ果位を修めて得る者はチベット人はこれが珍しいで、皆が尊敬をくれる。別の教派には一世に正果を修める人が滅多に無い、より特別なのは直貢噶舉教派の多くのリンポチェはこの世に修めて得て、生れ変りのリンポチェではない、リンポチェンドルジェ・リンポチェの上師テンジン・ニンマ・リンポチェとヨンガンリンポチェ、叉教派のヅワンリンポチェは生れ変りのリンポチェではないし、却ってこの世に修めてた、リンチェンドルジェ・リンポチェは生れ変りのリンポチェではない、在家の漢民族で修めて得て、世間の苦しみを総て経てからこの世に成就を得た。

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2011 年 09 月 30 日 更新