尊きリンチェンドルジェ・リンポチェ の法会開示

2011年8月14日

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは、台北世界貿易センターの南港展覧館で、殊勝な「チベット仏教直貢噶舉教派阿弥陀仏無遮大超度法会」を主催し、2万2千人を上回った人数が参加して、ゲルク派のリンポチェ、ゲシェ及びラマ、直貢噶舉教派ガムポ、ラマなど7人のチベット仏教出家衆を含み、比丘18人、比丘尼53人、及びインド、中国、日本、フランス、オランダ、イギリス、米国、ベトナム、インドネシア、香港など世界各地から参加しに来た信衆をも含んだ。中華民国総統(大統領)の馬英九様と総統府の秘書長(事務総長)の伍錦霖様は、別々に花束を贈って、「功徳円満」を題辞して、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェが主法する「第七屆チベット仏教直貢噶舉教派阿弥陀仏無遮大超度法会」大法会が円満で殊勝であることを祝福する。法会は8時30分に始まって、リンチェンドルジェ・リンポチェは経幡、薫香炉、楽器の先導で、及び宝傘の護送の下で、広大な会場に入って、大衆が両手が合掌して、首を長くして待ち望むもとに、法座に上がった。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはまず、皆さんが朝一番早く今日開催される「チベット仏教直貢噶舉教派阿弥陀仏無遮大超度法会」に参加しにきてもらったことにお礼を言った。 チベット仏教と漢伝仏教はすべて顕教を基礎にして、主な違いは修行の過程にある。チベット仏教は顕教と密法があり、古代、インドと中国からチベットに伝われて来たので、漢伝仏教は殆ど顕教を主とする。顕教はすべての仏法の根本的な理論であり、密法を修める行者は少なくとも十年以上の顕教の基礎がなければならなくて、そして彼の上師は彼ができるかどうかを確認してから、ようやく密法を伝えて与えるのである。

「直貢」は地名で、「噶舉」は口伝する意味である。チベット仏教は白、黄、赤、花など四大教派があり、直貢噶舉は白教の中の1つの分派である。噶舉教派の中で、いかなるお経或いは法本を修めるためには、必ず上師の口伝を通しなければならなくて、この教派の教法はとても厳格である。直貢噶舉教派は8百30年余りの歴史があって、祖師はジッテン・サムゴンであり、今まで既に37代の法王があり、第36代法王 チョンツアンはチベットにいて、第37世チェツァン法王は、リンチェンドルジェ・リンポチェの恩師であり、インドと世界各地で弘法している。皆はすべて阿弥陀仏を知っているので、ここでは別に多く説明しない。

「無遮」はもともと梵語(サンスクリット)であり、平等心で分別がない法布施をすることを表して、貧富、貴賎、宗教あるいは人種を区別しないで、すべて一律に平等であり、誰でも参加することができる。古代のインドで多くの無遮の法会があり、漢民族では梁武帝から無遮法会があるが、今はとても少なくなって、更にまして今日は2万数人の法会はなおさら、とても貴重である。「済度」とは衆生に輪廻苦海から超抜するように助けて、彼らを彼岸まで度する。実は、亡くなってからやっと済度するのではなくて、生きている時に済度する必要があり、そなた達が済度し終わって死ぬと思わないで、ここでの済度はそなた達を済度して悩みと苦痛な輪廻に解脱するのである。人生の大部分は苦しい、どうして苦しいか。何故かと言うと、皆はすべて快楽を追求しているので、痛苦を要らなくて、これは苦の根本である。しかし、生命の本質は無常で、本当な幸せと快楽はそなたの家庭が和楽に、商売が順調にさせることではなくて、そなた達を煩悩と痛苦の輪廻苦海に離れることができるようにさせるのである。

今日修める法は岩伝法であり、岩伝法は蓮師がチベットを離れる時、法本を洞穴の中、水の中、虚空の中に隠し、甚だしきに至っては空行母に渡せ、保管させて、後代の行者はこれらの法本を探し出したものである。このような岩伝法は通常に本尊が自ら伝われた法であるから、力がとても特別に殊勝である。このような岩伝の密法を修めるのは、普通な行者なら修めることができなくて、少なくともリンポチェの果位で、心が清浄であり、名利を求めなくて、すべては衆生のための心なら、やっと参列者に助けがある。「リンポチェ」はチベット語では「珍宝」の意味で、世の中の宝である。

尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは皆に、今日法会に参加した後にもう肉を食べないでくださいと忠告した。釈迦牟尼仏は常にお経の中に皆に肉を食べないでくださいと勧めて、肉を食べる人が慈悲の種を絶つのを開示したこともある。慈悲は仏法の基礎で、もし慈悲の種を絶てば、仏法を学ぶのが難しくなる。もしかすると、ある人は自分が仏を学びたくないと思って、自分と関係がないと思って、それではこのような人は因果を信じなくて、この一世に仏を学ばなくても、将来ある1世に仏を学ぶかもしれないと思っている。阿弥陀仏浄土に往生するのは発願してする行けるのではなくて、阿弥陀経には、阿弥陀仏浄土に往生する者は、既に往生することを発願した以外、福徳因縁を具える善男子と善女人でなければいけない。ここの善とは十善法であり、もし第一の不殺生もできないと、どのように浄土に往生することができるのか。そなた達はいつも肉を食べてようやく栄養があると思っているが、そなた達は考えて見てください、そなたが肉を食べる時、いわゆる栄養はそなたの細胞が肉の養分を吸収して、即ちそなたは牛を食べる時に、細胞が徐々に牛の細胞になり;そなたはブタを食べる時に、そなたの細胞が徐々にブタの細胞になり;そなたは鶏を食べる時に、そなたの細胞が徐々に鶏の細胞になる。そうなると、動物と同じになったのか。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前に海鮮料理の食通であり、生きているのでないと食べないで、高くないのでないと食べなくて、その故、全身に健康の問題を多く出て、今まで20数年も精進料理を食べて、かえって体がますます健康になる。

リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に、今日午後帰った後に、もう慰霊用の紙銭を焼いて空気を汚染してはいけない、と慈悲深く忠告した。皆は旧暦七月に地獄の扉が開いて(中国語で「鬼門開」と称す)、中元節にお祈り拜拜(バイバイ)したり、慰霊用の紙銭を焼いたりすると、祖先を済度することができて、悪霊をそなたに邪魔させなくて、そなたの事業が好転することをさせられて、家庭が和楽にさせることができると思っているが、こんなに簡単な事がないでしょうか。もし慰霊用の紙銭を焼くと済度することができたら、リンチェンドルジェ・リンポチェも4時間法を修めて、このように苦労に修める必要はない。一部の者は、以前にいつも慰霊用の紙銭を焼いていることがあるから、今焼かないとどのようになるのかと思っている。リンチェンドルジェ・リンポチェは、何も変らなく大丈夫だ、ととても明白に言った。リンチェンドルジェ・リンポチェは既に数年も紙銭を焼かなくてしまったが、かえってますます良くなった。すべての《大蔵経》を何度も捲っても──つまりあらゆるお経の総集、「鬼門開」という事を見たことがない。いわゆる「鬼門開」の言い方は間違いがあり、もし本当に「鬼門開」ということがあれば、幽霊を1ヶ月間外に出ることをさせたら、そなた達は、幽霊が帰ることを承知するのかを考えてみてください。いわゆる「鬼月」がなくて、幽霊はいつでも存在しているので、事実上「鬼月」の言い方と慰霊用の紙銭を焼くことはただ民間の信仰だけであり、そうすると、ただある一部の業界の商売を比較的によくさせて、金を儲けることだけをさせられるのである。

そなた達がこの大法会に参加しに来たのは、表面上、そなたの友達に紹介してもらって、或いはそなたがリンチェンドルジェ・リンポチェが書く本を見たから。実は、そなた達が来るのは、すべてそなた達の祖先と冤親債主がそなた達をおして来たので、過去世にとても大きな因縁があり、阿弥陀仏を唱えたことがあるから。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの大法会を催して、これまで1枚のポスターを貼ったことがなくて、広告を使わないで、宣伝をしないで、過去に弟子は何回もリンチェンドルジェ・リンポチェに、メディアを案内して取材しに来てくれないかと尋ねたが、リンチェンドルジェ・リンポチェはすべて婉曲に断った。なぜかというと、リンチェンドルジェ・リンポチェは有名になることを恐れて、いったん有名になると福報を害するから、リンチェンドルジェ・リンポチェの福報は衆生に利益することに用いるので、メディアに報道されることがあるかどうか、別に重要ではなくて、重要なのは法会に参加しに来たそなた達であり、そなた達が参加しに来たからこそ、やっとこの法会があるから、衆生に利益があるのは最も重要なのである。

今日参与者は心がとても清浄にしなければならなくて、自分がよくなることを求めに来るためではない。法会に参加する動機はとても重要であり、仏菩薩の大願は一切衆生が苦を離れることを望むため、もし全部の参加者は同じような衆生に利益する心があるならば、2万数人は共にこの功徳を分かち合うことができる。今は末法時代なので、私達の福報はとても少なくて、福報に累積するため布施、供養をしなければならない。もし法会に参加しにくるのは、そなた達の個人の欲求のためであれば、そなたが法会に参加して獲得するのは人天福報であり、更に来世になってやっと使えるのであり、1滴の水が地上に落として急速に乾いたみたいである。しかしもしそなた達の心は仏と歴代の上師との心と同じであれば、自分のためではなくて、台湾の、全世界のと宇宙中の衆生がすべて良くなることを願うと、2万数人の心が全て同じである力は、とても不思議なので、諸仏菩薩さえも賛嘆する。それではそなたは法会に参加する功徳は、1滴の水が諸仏菩薩の功徳大海に入るように、区別しないで、力はずっと存在することができる。それに、台湾のこの土地はめでたいならば、私達もようやく落ち着いている生活を過ぎることができる。

本来チベットで阿弥陀仏大超度法を修めるのがまる一日間がかかるが、リンチェンドルジェ・リンポチェも在家で、そなた達の在家の生活習慣が分かっている。日曜日には必ず遅く起きて、起きるとどこかへ食事をして、午後出かけてぶらついて、夜すごく遅く帰って、そなた達の家庭日を享受する。このように千篇一律なことをして、今日なら、皆に違うの一日を暮らさせる:今日そなた達はこの法会のため、大変早めに起きて、そうしてここで4,5時間を座って、タバコを吸うことも出来ない。リンチェンドルジェ・リンポチェは皆に教えた、喫煙することは是非地獄へ堕ちて、何の故分かりたいか?参列者皆は一緒に「分かりたい」と言った。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアに仰った、多勢の者はタバコを吸っているみたい。密法により、人及び六道の一切有情衆のお体の中に全部一本中脈があり、神識は中脈の中に存在して、全て作った業も中脈の中にある。喫煙することは中脈が塞がることを引起して、そうして、そなたが気を切る時、そなたの神識は上に上がることが出来なくて、下へしか行けない。上に上がると三善道で、つもり天道、阿修羅、人道或いは浄土で、下へ行くと三悪道で、即ち地獄道、餓鬼道及び畜生道である。医学上でも証明した、喫煙者は心臓の機能が悪くて、他には肺も影響された。誰でも全て死に恐れて、死にたくないのに、かえって、自分に大変苦しくて哀しく死なせることをした。衆生を食べて、衆生を打ったことがあった者は全部病が多くって、ひいてはお医者さんさえも匙をなげる病気である。多くの者は死ぬ前、注射されて、腹の中より手術されて、加護病室に入るなど全部仏経の中に全て説いた地獄道に受ける苦しいのである。それより、死ぬ前すでにどの道へ行くのが分かり、往生したまでを待たなくでも結構だ。この世にタバコが好き者は過去世に嘗て毒がある食べ物を他人に食べさせて、他人の呼吸器系を害したことがあった、自分のため、環境に影響されて、仕方がないといい訳を作るな。リンチェンドルジェ・リンポチェの父親も大の愛煙家で、一日必ず2箱タバコを吸った。リンチェンドルジェ・リンポチェは以前嘗て肉を食べて、酒を飲んだが今まで1本タバコを吸ったことがなくて、これは過去世が連れてきたかもしれない。

阿弥陀仏浄土へ往生するには必ず善男子、善女人でなければならなく、善男子、善女は十善法まで出来るのが必要で、十善法の一番目は不殺生である。リンチェンドルジェ・リンポチェは仏を学ぶ前海鮮大王で、新鮮がない物を食べなく、安い物も食べなかったが、因果は悪くない。リンチェンドルジェ・リンポチェはこの数年間衆生を助けて、病院、道場で全て見た、肉を食べた衆生は死ぬ前全部医療の苦しみを受けて、針に刺されて、お腹は刀に切り開かれるなど、全部仏経の上に述べた地獄道の苦しみである。リンチェンドルジェ・リンポチェは一年間菜食をしてはじめて皈依して、仏菩薩は申された、衆生の肉を食べると慈悲の種を断て、密法を修めるにも肉が食べられなくて、もうお酒、肉は腸を通じると言わない。そなたは一匹の魚を食べてまた一匹の生きる魚をはき出すことには限らなく、もう彼を食べて彼に早めに済度されると言わないでください。

今日の修法は歴代祖先、父母、恩、縁のある衆生のため、彼らは既に大変長い時間を待ってはじめてこの法会に参加するチャンスがあった。後程修法する時、精神を集中して、散乱、雑談をせず、法会の中に全てしたことは全部因果があった。寝ることもしないで、法会の中で寝ると全て得た因果は即ち来世猫、犬など畜生になって、だからもう寝るな。そなた達は隣席の者が寝たことを見ると彼を揺れて注意させて、赤ちゃんは限らない。しかしとてもおかしいが子供はかえって大人のように考えが多くて、リンチェンドルジェ・リンポチェのご開示を全部吸い込むことが出来た。リンチェンドルジェ・リンポチェも修法のスピードを速めにして、そなた達に半日の法会を参加した後、午後またそなた達に家庭日を暮らすことを出来させる。しかし一つの条件があり、即ちもう肉を食べるな。そなた達も今日修めたこの法が効果があるかどうか考える必要がない。リンチェンドルジェ・リンポチェの果位は尊勝な直貢チェツァン法王に確認されて、そなた達がリンチェンドルジェ・リンポチェの果位を確認する必要がない。リンチェンドルジェ・リンポチェが催すこの法会は今年が既に七年目で、名声、利益のためではなく、そなた達はこれらが分かれば十分である。

続いて、リンチェンドルジェ・リンポチェは殊勝な阿弥陀仏大超度法を修め始めて、また参列者に全て進行していた儀軌を簡単に説明した。まず、皈依、本尊、伝法上師、出家衆まで皈依する。そうして、菩提心を引起して、一切苦しんでいる衆生を助ける。法会に参加する動機がとても重要で、そなた達は自分がこの法会より何か得られて、家族の病気が直せば、事業が順調で、お金をもうけて欲しくて、こんな動機で法会に参加すれば、得られる効果はとても有限だ。しかしそなたは抱いた考えは一切衆生が全部いいことがもらえて、苦しみより離脱して、この心は仏菩薩のと同じであれば、仏菩薩の功徳大海と一緒になった。次は驅魔で、「驅魔」とは、大法会は多くの衆生に利益することが出来るので、瞋心が重い鬼衆と魔衆の嫉妬心を引起して、邪魔しに来させた。ある外道を修める者は仏法を信じなくて、魔道に落ちることになった。法を行った過程の中に障碍を受けらないため、魔の邪魔を避けるように、行者はまず慈悲心で驅魔する。これらの魔は布施を受けた後はじめて離れたくて、離れてしたくなければ、金剛杵で魔の頭を百枚に砕けた。それより密法の殊勝なところが見える。衆生に助けるに対して色んな違う法門があった。それから供養儀軌を進んで、阿弥陀仏が加持してくれるようにこの法会に参加するのを望んだ。また、阿弥陀仏を賛嘆して、阿弥陀仏の功徳を称賛する。次の唱える内容は浄土の一切殊勝を紹介して、西方三聖ー阿弥陀仏、大勢至菩薩と観世音菩薩の荘厳法像を述べた。浄土は大変美しくて、あれは世間にの美しいものが比べることが出来ない。それに、浄土で、そなたが食べたいものがあれば、あの食べ物は地上より現れて、食べた後、茶碗、箸が地下に消えてしまって、掃除必要がない。それより、家事が好きではない女衆達はさらに浄土へ行くのを願を引起した。

引き続いて、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェは参列者を引き連れて、阿弥陀仏心呪を唱えて、全場の参列者も大変集中して従って読んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェはまた申された:先ほどリンチェンドルジェ・リンポチェが皆と引き連れれ読んだ阿弥陀仏の心呪は合わせて千遍を読んで、今日法会に参加した人数は2万人を越えた、誰でも千遍を読めば合わせたら2千万遍で、そなた達は通常家でこんな数量を読んだことがありえない。一つの手は念球を持って、もう一つ手は計数器を持って、猛猛しく押して、こんな仏号或いは呪文を読んでも無駄だ。そなたは先ほど集中しで読んで、なにもかんも考えなくて、疑わなければ、この2千万遍の心呪の功徳を共にすることが出来て。そなた達は毎日家で読んで出来るわけがない。それに、法本に従って読んでやっと密法を修めることが出来ると思わないで、密法は事部、行部、ヨガ部、無上ヨガに分けて、ただ呪文を読むのではなく、必ず生起、円満次第を通じて、観想の過程を含んで、また閉関修行するのを通じて、はじめて成就があった。

そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェが使える太鼓が一寸異なっている事を発見しましたか?この太鼓は水晶にて使ったのである。直貢噶舉が大手印を修める法本にて「人々の心水晶のように清浄してはっきりしていて、が、貪瞋痴慢疑なので清浄の本性を覆い隠す」という記載された事がある。この水晶は衆生が本来の清浄な心を代表し、貪瞋痴慢疑なので覆い隠し、黒い雲が太陽を遮ったようである。太鼓は無常を代表した。太鼓の音は我々の貪瞋痴を一掃して清浄な本性を回復することが出来で、太陽を遮った黒い雲が消えてなくなるようである。

それから、マンダラをあげる儀軌で、ナンジュウケンボから出家衆の弟子を連れて、その上、法会で入った時に参列者の自身から籤を抽選したマンダラをあげる5人の代表と一緒にリンチェンドルジェ・リンポチェにマンダラをあげた。この意味はリンチェンドルジェ・リンポチェが仏菩薩を代表して皆の供養を受け入れて、皆の為に福報を累積してあげた。それから、茶供儀軌を行って、チベットで天気が寒いので、法会を半分で行っていた時に、主法上師の体力が不足する事を恐れて、体力を補充するために、酥油茶及び飯に供養した。リンチェンドルジェ・リンポチェはユーモアで下記のように説いた。そなた達は壇城の下に居た者が食べられない、が、努力して仏を学んで主法の上師を務めるならば、同じように食べられた。それから、薈供儀軌を行っていて、その上、壇城の上で仏に供養した供品を全ての参列者に一人一人であげた。リンチェンドルジェ・リンポチェの開示はチベット仏教の法会の中に、皆が仏菩薩と一緒に食べ物を食べさせられる機会があって、これは得難い福報である。皆はその場でキャンディを食べる事が十分で、腹が減るのでずっと食べてはいけなかった。供品は持って帰って法会に参加せず家族に分かち合う事が出来て、これは彼たちに対してある程の助けもあった。皆は供品の中に少しを持って取って、ボランディアから集って、後ほどそれらのこの法会に参加する機縁がなかった衆生に布施した。

それから、最も重要な済度儀軌である。リンチェンドルジェ・リンポチェは参列者に提示させて、もしお手洗いへ行った者が速く席に戻って、そなた達の祖先と冤親債主が既に間に合う事を待たれなかった。お手洗いへ行きたい者はちょっと我慢して、そなたの祖先がそなたに我慢する事を助けられた。こんなに多くの人々はお手洗いへ行って、台北人の調子が良くないだけで言われて、これから医者の商売が益々良くなっている事を代表していた。リンチェンドルジェ・リンポチェは今年既に64歳で、8時過ぎから法席に上がって昼間までも我慢出来て、高血圧、糖尿病がなくて、夜に眠ってもお手洗いに起きていく必要もなくて、これは調子が良い事を代表した。何故でしょうか?これは菜食して仏を学ぶわけである。

リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は法の机の上あったシーディー‐ロムが皆が書いた済度リストがあって、修法者が禅定、観想を通して、皆が済度したい衆生をここに集って済度を受け入れた。それから、出家の領衆弟子は供灯を持って、リンチェンドルジェ・リンポチェが修法して、今日、皆のために助けたい衆生に輪廻を解脱する道を光った。それから、参列者は済度をする衆生を代表して、諸仏菩薩に3回でお辞儀をして、衆生に替わって福報を累積して、そうすると、悪道を解脱する事が出来始めて、それから、死者に替わって懺悔した。皆は過去で間違いをした事があるので、懺悔心を起こさなければならなかった。尊勝なる直貢チェツァン法王が生まれてから法王を認められて、如何なる間違いをした事がない事は限らなくて、我々が生まれてから普通な人で、欲望に従って間違いをしていたので、懺悔をしなければならなかった。儀軌の中に、ある段落は生前に一部の障碍があって、例えば重病に罹って、或いは死後で業障が有った者の為に、修法してそれを障碍を消えさせた。儀軌の中に、砂を以って真言を唱えて、衆生の地風水火の障碍を消えさせた。黒いゴマを以って衆生の業障を消えさせて、彼らを業力を影響させられないで、順調で浄土に往生して行った。ここに見えて、済度がそんなに簡単な事ではなくて、済度する前に、彼に悪業を清浄させて与える事が必要である。

此の中に、一部の修法儀軌で「衆生が今回の法会に参加する時に、上師、諸仏菩薩、三寶に対して、絶対な信心を持つと、衆生に意外で死亡にさせる事をさせてあげられて、衆生の事業、福報、功徳に増加させられる。」という言及させた事がある。しかし、そなた達に寿命に増加させて、そなた達に子供が結婚式を行ったり、主人の官位が高くなったり、住宅ローンを返済したりする事を見させる事ではなくて、却ってそなた達に仏を学ぶ用です。そなた達に寿命を延長させて与えた後、そなた達は却って仏を学ばないなら、恐らくとても大変になってしまった。

ンチェンドルジェ・リンポチェは皆に経文を唱えていた事を率いて、仏菩薩に衆生が苦しみの輪廻の所から離れて済度してあたえる事に頼んだ。リンチェンドルジェ・リンポチェは一部の祈請文を唱えていた時に、衆生が輪廻の苦しみを受け入れている事を見て、悲しんで涙に咽んで、殆ど何も言えなかった。

済度する最も重要な措置を行っていた時に、リンチェンドルジェ・リンポチェは極めて深くて厚い禅定により、その上、自身が累積した広大な功徳により、皆が済度したい衆生が全て済度してあげた。参列者は全て感動して感謝した。

済度法の修法が円満で完了し、リンチェンドルジェ・リンポチェの開示は今日、皆に皆が済度したい死者が既に済度してあげた。しかし、皆に過去で累積した債務を洗わせてあげて、そなたが無事で、会場を離れるとまた肉食をして行った。今日、ある者はこのように如何なる恩返しを求めないで皆に助けて、皆が仏菩薩の大恩も受け入れて、恩を知って恩返しをする事が分からなければならなかった。皆はこれらのそなた達が済度したい死者に感謝し、彼らを済度する故に、そなた達が今日今回の法会に参加して来た。今回の法会は皆の為に仏を学ぶ善縁を結んであげて、この世に仏を学ばなくても、未来世に仏を学ぶ因縁が必ずあった。この善縁を続いて、仏を良く学んで、本当の恩返しである。

それから、リンチェンドルジェ・リンポチェは自身が既に4時間余りで修法したので身体の疲れに関わらないで、自ら法席から降りて、電動車を乗って全ての法会の会場を回って、甘露水で皆に灑淨して加持させた。リンチェンドルジェ・リンポチェは大衆に提示させて、車に従って走らないでください。リンチェンドルジェ・リンポチェは全ての区域まで行けて、皆が全て加持をもらえられた。車に従うならば、危険する事だけではなくて、却って加持をもらえられなかった。大衆は阿弥陀仏の心咒を唱えていた声の中に、リンチェンドルジェ・リンポチェが手で吉祥草を持って、絶えずに甘露水をいっぱいつけて、力の限りの尽くして参列者に撒いた。水をつけた草がとても重くて、力の限りの尽くして撒いていた時に、リンチェンドルジェ・リンポチェの身体は明らかにぐらぐらして、とても苦労して大変な事を理解した。しかし、リンチェンドルジェ・リンポチェはずっと微笑んで、口で真言を唱えて参列の大衆を加持して、身体の疲れにかかわらず、ただ衆生が歓喜する事を望んでいた。参列者もとても感動し、何度も拍手して、リンチェンドルジェ・リンポチェの無私な払いに感謝していた。

全ての参列者に半時間を超えて灑淨した後、リンチェンドルジェ・リンポチェは疲れる耐えられない身体で再度壇城に上げて、皆に再度慈悲深く開示された。皆はお疲れ様でした。先、灑淨していた過程に、多くの人々も急いで離れる事を見た。リンチェンドルジェ・リンポチェは再度皆に「肉食してはいけない」と提示させた。この世に、何故こんなに意外で死んだ人が居るのでしょうか?これは殺生で生じたわけである。『華厳経』で「恩を知っているべきで、恩に知らない者であれば、以降で悪道に堕ちる」と記載された。修行者として、全ての命にて皆に助けた。皆は諸仏菩薩と上師が修法してそなた達に助ける恩徳を知らなければならなくて、早く仏を学ばなければならなかった。そなた達はリンチェンドルジェ・リンポチェに従って仏を学ぶとは限らないで、寶吉祥仏法センターが既に人がいっぱいで、台湾でこんなに多くの道場があり、そなた達がただある如法で徳を具える上師の門下で仏を学びなら十分である。仏を学ぶ事はそなたの商売、家庭或いは愛情生活を影響させる事を思ってはいけない。リンチェンドルジェ・リンポチェも在家の修行者で、仏法がそなた達の日常生活に完全で妨害する事が有り得なかった。

リンチェンドルジェ・リンポチェは法会に参列したリンポチェ、ガムポ、ゲシェ、出家衆に挨拶した後に、壇城から降りて、経幡、薫香炉、楽器の先導で、宝傘の導かれたともに、法会の会場に離れた。全ての参列者は絶えずに拍手していてリンチェンドルジェ・リンポチェに感謝した。

法会は午後の1時30分で円満な完了した。それから、尊きリンチェンドルジェ・リンポチェはまた午後で寶吉祥仏法センターに駆けつけて、自ら弟子に連れでアチ護法儀軌を修めて、護法が大法会を護持して殊勝な円満になった事に感謝した。また、リンチェンドルジェ・リンポチェは特に海外から台湾に法会に参加した信衆の為に簡単で荘厳な皈依儀式を行った。新しき皈依弟子は感動したので涙を流していた。参列の弟子達も彼らの為に喜びと感じして、その上、リンチェンドルジェ・リンポチェの縁に従って済度する慈悲にとても感動した。

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2011 年 08 月 30 日 更新